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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

 昨日はあまり天気が良くなかったものの「行ってみたいところにできるだけ行く」という目標を立てて、泉中央から北四番丁と地下鉄を乗り継ぎ全くつながりのないスポットを巡ってきました。半分は「行かなくちゃいけない」場所(銀行、市役所など)だったので、あえてここで書くようなことじゃないんですけどね。そのうえで、こういうところで書けそうなことを書きます。今日は全然めんどくさくない気楽な文章なので、皆様もさらっと読み流してください。

 冒頭に掲載した写真は仙台市地下鉄南北線「北四番丁」駅を降りて少し歩いたところにある『仙台放送』本社前で撮影した写真です。
 仙台放送というのはフジテレビの直系二次団体(連結子会社)です。そしてこの「かのおが便利軒」というのは私が大好きな番組で、この番組を切っ掛けにパンサー尾形さんのファンになりました(それまではラジオの影響で向井さんが一番好きだった)。毎週録画でリアルタイムで見ているのですが、こないだこの『金の尾形像』が仙台放送本社に飾られていると番組内で放送されたので見に来た次第です。これは私のアート趣味というよりは尾形さん好きが先行してるかな。ええ、もうね。こないだのイベントでは、尾形さんのサインと握手をもらいたくてフォーラスのTシャツ買ったくらいですから。今はそのくらい好きなんです。
(再掲)
 最初は6月に全国ネットで放送するっていうのもドッキリだと思ったんですが、どうやらそうではないみたいですね。私のブログを見て「ほう、そういうものがあるのか」と興味を持つ人がいるとは考えにくいのですが、絶対にありえないとは言い切れませんからね。SNSの時代にあえてブログで書きます。6/2、16:00~全国放送します! サンキュー!(尾形さん風に)

 あとは、新しい本屋さんを見つけました。その件についてはまた改めて書くとして。……それよりも、夕方のニュースで、またもや残念な一報が流れました。

仙台の老舗書店「金港堂」、本店を4月30日に閉店 ビル老朽化、宮城県内3店と出版事業は継続

 まあ確かにレトロ感爆発の建物でしたからね。フォーラスも老朽化に伴い長期休業に入ったし、スクラップ&ビルドは人類が作った建造物の宿命です。本好きとしては極めて残念ですが、十分にお世話になったので……あえて「長い間、おつかれさまでした」と言わせていただきます。私も2年間お世話になったし。間に合って良かったです。
 サンキュー!……グッバイ……(参照)。

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 おはようございます。
 今日は短めの文章を書きます。

 朝方、周囲の家で雪かきをする「ザーッ、ザーッ」という音が聞こえてきたので、「やはり結構積もったのかな……」と思いつつ見てみると、4cmくらい積もったみたいです。今日は休みですが、体調もまだ完全ではないし、あえて出かけることもないかな……。
 3月に入ってから仕事の方も年度末→新年度の境目ということでメチャクチャ忙しくなってしまって、気持ちがしんどい状況ですし。今日はゆっくりしようっと。

 こないだ2月のことをまとめた記事を書きましたが、よくぞここまでアチコチ行ったものです。ただ行って良かったっていう感情だけじゃなくて、それをきちんと記事にして残さなくちゃいけないなって気持ちはあります。受容する私の心のキャパシティがリアルタイムに成長したので、最初の頃と最後の頃では印象が違っているのですが……そういう気持ちはあります。
 ……とはいえいっぺんに書こうとしてもなかなか書けなくて、その記事に取り掛かる前にこうしてリアルタイムな記事を書いて……元々そんなにガチガチの記事を書くような場所じゃありませんしね。そういう気持ちで書くよりも、ある程度肩の力を抜いて、しなやかにいきたいものです。
 3月は3月で「さかいふうか」さんの個展を筆頭に、東北学院大学の写真展それに同大学の卒展や何やと、行ってみたい美術展がいっぱいあります。Xに復帰すれば、当然そのなかでも記事を書くつもりですが、それはあくまで「行きましたよ」というアリバイ作りのためであって、ここでしっかりとした記事を書くのが本分です。偉大なる先達・イワテライフ日記さんも「Twitterのほうで最低限のメモを残していますが、大事なのはこの場所。記録としても残したい」と仰っていましたし、私もこの場所を守り続けます。



 ……可愛い格好も、今年1年かけて磨き続けます。私の中にある男性性を可能な限り抑えて、女性性を高め……また可愛いって言ってもらえるように……。

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 2月に見た美術展・卒展などの集大成みたいな大物記事を書き上げたので、またここから数日は肩の力を抜いて、身の回りのありふれたことを書いていきます。こうした小さな積み重ねや振り返りをしながら、ある時気持ちが高まってドカンとまとめ記事を書くのが私のスタイルですから。別に旬とか速報性とか関係のないブログだし。書きたい時に書きたいことを書けばいいんです。「回想」とタイトルにつければ何でもいいやという境地にたどり着いたので、今日も今日とて気ままに書き散らしてみます。
 これを書いているのは3月3日なんですが、じつは不肖佐藤、十数年ぶりくらいに風をひきました。本当は十数年ぶりというのも確かじゃなくて……ちょっと記憶がないくらい久々に風をひいたんです。いや実は「もうこれしか道はない」って言ってプレコールの箱を手に取ったら開封していたので、過去2年以内に薬を飲むくらいの風をひいてるじゃないか! ということに、たった今気づいたのですが……せっかく書いたのでそういうことにしておきます。
 心当たりはあります。2月28日にちょっと……空気が乾燥したところに何時間もいて……それ以来明らかに喉が痛くなったんですよね。だから風というか気管支炎かもしれませんが、ともかく喉が痛いし咳も出るし。まったくもって体調不良です。それゆえ心も何となくすぐれません。今日は上巳の節句ですが、外出を控え『わんだふるぷりきゅあ』から『日曜のあらかし』までテレビを見たり見なかったりしながら記事を書きインスタントラーメンを食べて死のうとしています。 
 ※そのような事実はございません

 まあ私自身の風は軽中度のものであり、ことさら無理をしなければすぐに快方に向かうと思うのですが、先日老母が腕の骨を折り……さらにその時の検査で「骨粗鬆症」が発覚したという一報を数日前に弟者から受け、気持ちが晴れない日々が続いています。さぞかし不自由をしていることでしょう。だからといって帰省したいかというとそれほどでもないという見下げ果てた親不孝者なんですが、ただ……ショックで何も言えなくなってしまったというのが……今の正直なところです。
 また、先月102歳の誕生日を入院先の病院で迎えたばんつぁん(祖母)は皮膚癌の一種が見つかり、体が弱って手術もできないので外用薬で何とかごまかしていると聞きましたし……まったく自分以外の健康問題で心が重いです。生老病死は人間誰にでもある四苦ですから、なるようにしかならないとは思いますが、せめて私自身は少しでも健康でいられるよう気を付けたいと思います。

 ちょうどこないだ、若い人からこんなふうに突きつけられましたしね。わ、わ、わかってますって……だからほら、タバコはやめたんですよ1年以上前に。そ、それにお酒だって……一番ひどい時は朝起きてビール3本飲んでから仕事に行ってたけど、今は大体350ml缶を2本くらいにしてるし……時々はエスカレーターじゃなくて階段を使ってるし……。

 大丈夫ですよ。馬場さんの言葉はしっかり受け止めました。私は大丈夫だなんて思っていません。体調が良い日は2万歩以上歩いています。最近はすでに身体の方がジャンクフードを受け付けにくくなっているので(胃もたれ率が昔より上がっている)、野菜とか真っ当なものを食べる機会が増えています。

 私は、死のうとなんかしていません。
 私は、いつも生きようとしています。
 無病息災と言いたいところですが、まあ一病くらいしておいた方が良いでしょう。内田百閒も、そんなことを言っていたし。「一病くらいならしても仕方ないか」と思えば、結構長生きできるんじゃないかな。そんなわけで皆様もお体に気を付けてお過ごしください。Salut !

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 3月3日は上巳の節句。皆様いかがお過ごしでしょうか。私は公休なんですが風をひいてしまって……今日は一日ひたすら体力回復に努めようと思い「わんだふるぷりきゅあ」を見ながらこの記事を書いています。前作「ひろプリ」は時に号泣するくらい真剣に見ていたのですが、これは今日が初めてですからね。なるほど、こんな感じですか……。
 いや今日はプリキュアの話ではありません。上巳の節句の話をするのです。もっと言えば「ひな人形」の話をするのです。
 
 最近の話ですと、白石市に旅行した時に武家屋敷でひな人形を見てきました。最近は時流によりひな人形の世界でも核家族化? したのか、こういう多段階のひな飾りも見なくなりましたが、これこそひな飾り! ですよね。そんなひな飾りの横で私とみすみんサンがフュージョンした可愛らしい写真が撮れました。馬子にも衣裳にみすみんボード……。

   *

 今でこそ女性の服を着てノンバイナリーとしての生き方を模索しているところですが、私は男性として生まれ育ち、また兄弟も文字通り「兄と弟」の男系家庭だったのでひな祭りというのはクリスマスよりもさらに縁遠いものでした。
 そんな私が「郷土芸能としてのひな人形を見て楽しむ」とかいう切り口から興味を持つようになったのが、2年前に大迫町(岩手県花巻市)で見た享保雛でした。その時の記事はこちらです。

 2022年3月8日の記事「愛され護られてきたものの巻」

 大迫町ではこの時期になると街の商店のいたるところで伝統的な吊るし雛などの飾りつけをするのですね。それを新聞だったかテレビの県内ニュースだったかで見て、興味を持ち、行って来た……と。この享保雛は、商店街の中でも特にたくさん人形を飾っているお店にあったもので、「昨日はテレビの取材も来たんですよ~」とかってお店の人と話をした記憶があります。



 これは大迫町にあった石川旅館のひな人形です。この石川旅館というのはかの宮沢賢治が大迫に来た時に常宿としていた場所だったので、このような力強いキャプションがついています。そう言われれば私だって「そうかな!」とうなずくしかありません。正確に言うと大迫町を訪れたのは2022年の3月4日なので、おそらくまた今年も展示が行われていることでしょう。今日なんかは日曜日だし、きっと大勢の観光客が大迫町でニギニギヤカヤカしていることでしょう。上巳の節句、あなめでたや。

   *

 こうして伝統的なひな人形の写真をいくつも投稿していると1枚目に投稿したひな人形が少々安くみられるかもしれませんが、これがいいんです。これは私のアパートの近所にある床屋さんの店先なんですが、端午の節句とかハロウィンとか、季節によって飾り付けが変わっていて……通りすがりに眺めてみると「ああ、そうだよねえ。今は〇〇の季節なんだよねえ」とリマインドさせてくれるのです。なので私にとって最も身近なひな飾りがこれなんです。
 そんな感じで今日の記事は大体終わりです。あとは終日読書とか記事作成とか、インドアで過ごしたいと思います。良い一日を。salut!

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 決して日々を何となく過ごしてきたわけではないのですが、今日から3月ですね。昨日はFORUSの営業最終日につき特別記事を書いたので、月初の今日、先月のことを振り返ってみようと思います。決して書くことがないからこれで一日分でっち上げようとか、そういうわけではありません。色々なことがあって、いったんまとめないとわからなくなっちゃうので書くのです。

   *

 まずは2月2日ですね。いきなりこの日に美術展を立て続けに観て回り、人生で初めて「可愛い」と言われました。私の努力が実った証明であり、決してこの日のことを忘れてはならないと折りにつけ何度も何度も振り返っているところですが、また振り返ります。あとそれに関連して、私の可愛い系ファッションを推し進める決心をさせてくれた出来事についても一緒にリマインドをします。

実録「可愛いと言われた日」- 2/2のある出来事についての特集
TATSUJIN BANTSUAN - 2/7に出会ったストリート系シニア女性との交流

 次に、今月見て回った美術展……と、「卒展」ですかね。建築デザイン科とか、そういう理系の卒展もたくさん見て回ったので、それらについて時系列で整理してみます。

2/2 亀井桃個展「ぷりずむ」
2/2 「日本デザイナー芸術学院」卒展
2/2 東北生活文化大学4期生グループ展 「私の推し展」
2/2 東北生活文化大学「足跡」展
2/2  「胎に刺さったリボン」展
2/3 「胎に刺さったリボン」展(2回目)
2/10 東北生活文化大学美術表現学科 卒業展示
   宮城大学事業構想学群価値創造デザイン学類卒業展示
   仙台工藝舎/creek成果発表展 vol.5 「つくるところ」
2/14 東北生活文化大学美術表現学科 卒業展示(2回目)
2/20 「にがつのねこといぬ」展
   東北工業大学産業デザイン学科卒業制作展
   東北大・東北学院大・東北工大三大学写真展
2/22 専門学校日本デザイナー芸術学院写真映像科の写真展
2/27 新現美術協会展   宮城教育大学美術科卒業展示
   東北工業大学生活デザイン学科卒展
   

 プライベートで書いている日記とかもらって来たリーフレットとか撮りためた写真とか、手元で調べられるあらゆるものを駆使してまとめてみるとこんな感じでした。私自身にとっても、記憶を整理することができて良かったです。
 まあ私自身の大学生活は20年前に終わっているのですが、卒論は「出さなきゃ卒業できないから出します」的なひどい代物だったし、就職も決まらなかったし……何だかもやもやした気持ちをずっと抱えたまま生きてきたのでね。私は全く関係ない一般人ですが、こうして皆さんの作品に触れ、時には直接にお話をさせていただいて……自分の中で燃え残っていたものをちゃんとエネルギーに還元できたのかなって気がしました。
 それをまとめたのがこの記事です。実際にはこのあとさらに若い皆様の感性に触れ、自分自身の感性をさらに研ぎ澄ましたのですが、おおむね言いたいことは一緒です。
 20年目の「卒業」
 今月19日には、私もいよいよXに復帰する予定です。そうなれば、私もすべて元通り――いや、チューニングを終えて安定感を増した私で生きていけるかな。そうなれるように、今日も明日も明後日も大切に生きていきたいと思います。




 なお、美術系以外のイベントというと、大体こんな感じですね。シンプルですが、一応まとめておきます。

 2/7 

東北本線で白石市に小旅行・お城を見て白石温麺を食べた
 2/10 

今月で長期休館に入るフォーラスでパンサー尾形さんのイベントに参加。色紙にサインをしていただき、握手をしてもらう。サンキュー!です!
 2/27

仙台を拠点に活躍するシンガーソングライター「アベココア」のライブに参戦。私自身が色々と迷走していたので7月以来の結構なご無沙汰でしたが、やはりパワーをもらえます。アベココアさんのことも結構書きたいことがあるので、近々特集を組んで書きます。

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 仙台市民にとってなじみ深い仙台フォーラスが本日をもって長期休業に入るので、最初で最後? の「わたしの仙台フォーラス」な話をしたいと思います。

   *


 仙台市青葉区一番町、街の真ん中にある『仙台フォーラス』はジャスコの流れをくむファッション系の商業施設です。このように季節に応じてオシャレな広告が店先を飾り、フロアも非常に先進的なお店ばかりが入っている一方、地下2階にある『北京餃子』は安くて量が多くておいしい町中華として常に混雑しています。
 そもそも私が仙台に引っ越してきたのは2年前だし、本格的にオシャレに気を遣うようになったのは去年の12月くらいからなので、あまり積極的に買い物をすることはなかったのですが、ただ7階のギャラリー「TURN ANOTHER ROUND」には亀井桃さんの個展を切っ掛けに通うようになりました。本格的に通うようになったのは3階に古書店「あらえみし」が出来てからなので、ごく最近のことですね。アパレル系については結構若い人向けのハイセンスな服ばかりなので、私なんかが手を出すのは少々ためらわれるところですが、それでも今女の子の格好をする時限定で使っているピンク色のスマホポーチはここで買いました。

(7階、TURN ANOTHER ROUNDにて)


そんなTURN ANOTHER ROUND最後のイベントは、公募したアーティストの作品を売り出す「アートバザール」。最近好きになったイトウモモカさんの絵とかもありました。結構、ここに並べられた案内はがきを見て好きになったアーティストがたくさんいるので、今後はよりいっそう積極的に自分からギャラリーに通わなければいけませんね……今までありがとうございました。


 建物の地下2階にある『北京餃子』です。こちらも長い歴史のあるお店です。フォーラスが若い人たち向けの商業施設だったので、ここのお店に思い出がある宮城県民はとても多いようです。有名なところだとパンサーの尾形さん(東松島市出身)も「焼きそばの油が多くて食えねえ食えねえ」「床がヌルヌルでカーリングができる」と当時の思い出を語っていました(今はそんなことはないです)。ギリギリのタイミングでしたが、私も行ってきました。平日の14時過ぎに行ったにもかかわらず店内は大混雑でした……。
 北京餃子そのものは無くならないですが、「フォーラスの地下の北京餃子」というのはこれが最初で最後ですからね。これで私も仙台市民らしい思い出ができたかな、という感じです。間に合ってよかった……ありがとうございました。



 「あらえみし」は仙台駅東口にある古本屋で、私も何度か行ったことがあります。こちらのお店はカフェが併設された業態で、去年の今ぐらいの時期にオープンしたんじゃなかったかな。ずっと名前しか聞いたことがなかった「澁澤龍彥集成」を始めユリイカ、幻想文学、国文学などシブサワと名前の付く本を片っ端から購入しました。
 カフェスペースを使ったのは初めてだったのですが、やはり本に囲まれた空間でコーヒーを飲むというのはたまらないですね。そこでこれまた澁澤龍彥を読み、1時間くらいゆっくりして帰りました。ありがとうございました。

 語ればまだまだあるかもしれませんが、とりあえずこのくらいにしておきましょう。
 他のフォーラスはリニューアルを機にオーパになっているみたいだから、きっとこの「フォーラス仙台」というのも無くなってしまうでしょう。私は仙台に来て2年しか経っていないのですが、こうして自分なりに思い出ができました。

 こちらは2月10日のイベントで一日店長を務めたパンサー尾形さんに頂いたサイン色紙です。あわせて握手もさせていただき……すごく嬉しかったです。本当この1年で色んな人に出会えました。これからも応援しております。サンキュー!

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 昨日は午前中から色々と動き回り、久々に夜まで街中にいて遊んでいました。夜遊びですね。アルファベットじゃないですよ日本語ですよ「夜遊び」。その結果、書きたいことがいくつも重なってまとまらないので、とりあえず、あったことを時系列でまとめてみます。白づくめのコーデで死のうとしてるみたいですが、むしろ精力的にアート・ブンゲイ・ミュジック(musique)と文化活動のサイクルヒットみたいなことをした、きわめて充実した一日でした。

 ・「新現美術協会展」を観覧。今年で73回目という長い歴史のある美術展。この格好で行ったら受付の人から「お元気で!……ご活躍を!」と言われたので、もしかしたら私も現代アート関係の人だと思われたかもしれません。キャー! 嬉しい!

 ・「東北工業大学生活デザイン学科卒展」を観覧。せっかく同じ日に1階下の会場でやっているのだから……ということで見てきました。生成AIで言葉をイメージにする実験の詳しい流れとか、小説の言葉を物理的なイメージに変換する試みとか、文系と理系の全面戦争……じゃなくて理系アプローチによる文系世界の開拓とでもいうべき卒業研究に興味津々でした。
 ※ 詳しい記事はこちらからどうぞ。8000字くらいありますが。

 ・「宮城教育大学美術科卒展」を観覧(これが本来のメインだった)。こないだ「OH!バンデス」のお知らせコーナーで開催を知ったのですが、やはり美術系の卒展は良いですね! こないだの東北生活文化大学の卒展とはまた違った意味で幅広く素敵な作品を眺め、存分に心を羽ばたかせることができました。また、切り絵アートで絵の裏側に回って写真を撮ってもらいました。

 ・明日で長期休館に入るフォーラス地下2階『北京餃子』でランチ。14時過ぎにもかかわらず店内は大混雑。とりあえず空いてる席を確保して人気1位・2位の『炒飯/広東焼きそば』を食べた。他のお店の大盛りがデフォルトなので食べ切れるかどうか心配でしたが一気に食べちゃいました。「これでようやく、私も仙台市民になったな」そんな気持ちになりました(仙台市民の思い出の味として、フォーラスの地下の北京餃子を上げる人はとても多いので)。

 ・同じくフォーラスの7階にあるTURN ANOTHER ROUNDで「アートバザール」を見る。公募で出展したアーティストの絵画などが多数並ぶ。こないだ知った「イトウモモカ」さんの作品もあった。やはりこういうヴィヴィッドな絵柄が好きなのかなあ、とか思いながら閉店を惜しむ。

 ・今度は3階「あらえみし」へ。この時点で15時過ぎでしたが、19時くらいまでどこかで時間をつぶさなければならなかったので、初めて古書店に併設されたカフェスペースでコーヒーを飲む。それと同時に美術展の感想などを手書きでノートにまとめ、澁澤龍彥などの売り物の本が並べられた棚の前で自分の持ってきた澁澤龍彦の本を読む。これも最初で最後かあ。まあ間に合ってよかったかな……週末はごちゃごちゃして忙しかったみたいだけど、今日はほとんどお客もいなくて、静かに書き物も読み物もできたし。

 ・それでもまだ時間があったのでイービーンズで開催している「古本まつり」を襲撃。昔から古本市が大好きだったのですが、「雰囲気で買ってみたけど結局読まなかった/読んでみたけど、あまり心に響かなかった」そういうことがあったので今回は厳しい気持ちで精査。夢野久作「少女地獄」三島由紀夫「午後の曳航」内田百閒「ノラや」3冊購入。570円。

 ・19時過ぎに「アベココア」さんのライブに行きました。7月以来のことなのでとても楽しみだったのですが、弾き語りだけじゃなくオケ曲が増えていて、またキーボードのひとがゲストで来て、大変盛り上がったライブでした。なおMCで「オケ曲をSNSにあげたらアイドルになりたいの? とか何とかって言われた」でも「別にオケ曲でも弾き語りでも、私が作った音楽だからどっちでもいいと思っている」「私は私の音楽を皆に聞いてもらいたいからやっている」ということを言っていました。良いと思います!

 とにかく、あったことをまとめると、こんな感じです。
 まず体験して、初めに手書きでノートに書き出し、次にプライベートな日記に書き、ちょっとmixiの日記にも書きながら、今このブログを書いています。さらにこのあとInstagramなどSNSで「こういうところに行きました」というアリバイの証明をするためアップロードする予定ですが、だいたいこういう順番で気持ちを濾過してあげれば、私の心の整理も付くのかな。
 小説でも随筆でもない「日記文学」というジャンルがわが国にはあります。私なんかが文学というのもおこがましいですが、私が一番得意なのは日記だし、残りの人生をかけて日記というジャンルを突き詰めてみようかな、なんて思いました。これらのことについては、もう少し気持ちが醸成したら単一の記事として書きたいと思っていますが……あまり一気に書こうとしてもまとまらないし読む方も大変でしょうし。
 今日は次回につなげるための第一歩として、あったことをできるだけシンプルにまとめました。そこそこの分量になったので、いったんここで区切りとします。

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(2/23 今日のコーデ)

 最近は美術展の感想記事が続いていたので、今日はもう少し日常的な話題で書きたいと思います。
 こういう格好をするのも私にとっては「勇気を出して……」とか「在りたい私で生きるために……」とかって強い決意とか覚悟とかを伴うものではなく、日常的なものになりつつあります。休日に外出する時は基本的に女性向けの服を着ていますから、これが自然なんです。
 では、そんな感じでゆるゆる話を始めたいと思います。

 
 こちらの写真は2月22日の朝7時頃に仙台駅東口で撮影した写真です。この日は前夜から雪がモサモサと降りまくり、明け方になっても勢いは衰えず……その数日前には2月の観測史上最高気温(21度!)を記録し「もう春かしら」なんて思っていたらコレですからね。天下の冬将軍ここにあり、といった感じでした。
 
 こちらは私の退勤時(17時ころ)の宮城野通の模様です。地域住民の皆様の尽力により全力除雪が行われた場所はちゃんと歩きやすい状態だったのですが、そうでもない大部分は溶け残った雪がベチャベチャして非常に歩きづらかったです。特に靴底がフラットな革靴だったので一歩踏み出すごとに「ズルッ」「ズルッ」となっちゃって……まあ転倒しなかっただけマシかな。

 そんな感じで苦しみながら歩いていると、ふと心が和む光景がありました。これがあったのは仙台市の合同庁舎前……東北管区警察局とか財務局とか国税局とかそんな建物ばかりが入っているガチガチの官公庁なんですが、まさか職員とか守衛さんとかが作ったわけではないですよね……。
 ……ああ、これが「ギャップ萌え」ってやつでしょうか。良いと思います!


 そんな感じで勾当台公園から仙台三越の様子を眺めつつ地下へと潜り……いつもの地下鉄南北線で帰宅したのでした……。
 おしまい。

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 昨年12月2日に下書きのまま保存していた文章がありました。
 実際にスカートを履いて「女性として」外出するようになったのは12月下旬のことですが、この頃すでに自分の中での思想が固まっていたみたいです。結構しっかり書いていて、このまま忘れてしまうのももったいないと思ったので公開します。



 自分の中にある異性を「シスター・アニマ」という言葉によってかなりハッキリした輪郭線を浮かび上がらせることに成功して以来、「自分の性の置き所はいかにあるべきや」ということをよく考えるようになりました。
 無論、肉体的な性具をもって男女を区別するのであれば、私は紛れもなく男性です。また私が考える女性像や趣味嗜好なんかも、知れば知るほど男性原理に基づいたものですから、性自認としても男性です。事実として、その点において違和感や苦痛を感じることはありません。
ただ、ね…まあ、そもそも「男か女か」という二元論が絶対的な真理みたいに世の中にのさばっているから、こんな悩みや苦しみが生まれるんじゃないかな、って考えています。
 もちろん社会通念とかルールとかっていうのは必要です。多数派の論理や感覚を「ふつう」と言うのなら、そんな「ふつう」の人たちに合わせたルールを作るのが秩序というものでしょう。そうやって社会というものが成り立ってきたんだろうということはわかります。
 でも「ふつう」じゃないから排除しようとするのなら、私は絶対に許せません。私もこれでも発達障がいとか自閉スペクトラム症とかって言われた身ですから、そういうことを当事者として言う権利があると思うのですが、そういう少数派の人たちも生きづらさを感じることの無いマージンもまた必要であると思います。
 私は自分のなかに、「内なる異性」があることをハッキリ認めます。私の二人の従姉を直接のイメージの源泉とした異性があり、その異性と手を携え共に生きていくために、自分の部屋のなかだけでなく外に出た時も、ある程度それをアピールしています。
 つまり、そういう格好をして、生活していると言うことです。
 性自認は男性だけど「内なる異性」も隠さない。それは男性らしさとか女性らしさとか、その両方が混交したヘルマフロディトス、アンドロギュノス的な私です。
 多分この辺が、私の「在りたい私」なんじゃないかな。そんな気がします。



 改めて読み返してみると、意外と早い段階で在りたい私をイメージしていたんだな、と思いました。わざわざCVトランスジェンダーとかいう言葉を開発して(のちに撤回)みたりもしましたが、おおむね今も目指すところに変わりはありません。男性として生活しなければならない場面も多くあるので完全に性転換をすることは難しいし、どれほど女性に近づこうとしても女性の肉体をもって生まれ育った者でなければわからない感覚があることを知った現在では、どうやっても性転換は無理だと思っています。
 では私がやっていることは何なのか。男性であることを認知しながらあえて女装し性的興奮を感じるために行っているのか。いえ、そうではありません。矢川澄子さんの言葉を借りれば、「セラフィータなみに、両性具有の願望をもどうにかして叶えようとして」いるのです。私も自分のなかの女性性を最大限に引き出し、これを実現したいと思っています。
 心の中にある男性性と女性性の和合。そのためには生まれつき備わっている男性性と同じくらい自分の女性性を高めなければなりません。物語を書いたり部屋の中で可愛い服装をするだけでは足りないので、次のステージとして私は「女性らしく生きてみる」ことを始めました。
 ありがたいことに、仙台という街には、こんな私を好意的に見てくれる人がいます。「可愛い」と言ってくれる人がいます。だから私も自信をもって、スカートを履いて街を歩きます。今はとりあえずの間に合わせみたいな恰好ですが、少しずつ可愛いコーデの勉強もして……「可愛さ」「美しさ」に対するセンスを磨いていきたいと思います。
 これが、12月2日の私の言葉を受けた2月18日の私の言葉です。

 伝えきれないから、伝え続けるんです。これからも、心がある限り。

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 ちょっと日にちがずれましたが、2/14(バレンタインデー/煮干しの日)の仙台は気温が常軌を逸したカーブを描き上昇、日中は18度ほどまでありました。そのためシューラルーさんで買った春物のアウターを使い、フリルブラウスとスカート、さらにリボン……と、かなり可愛さ重視のコーデでお出かけ。仙台パルコで記念品を頂いた後、せんだいメディアテークで東北生活文化大学美術表現学科の皆さんの卒展を見てきました(2回目)。改めて感じたことは、やはり素敵な展示だということです……皆さん卒業おめでとうございます。
 卒展に関しては気持ちが強すぎて、まとめられるかどうかわかりませんが、まとめられたら書きます。今日はそのあとのことについて書きます。

 午後からは近所のパブリックスペースを借りて、FP(ファイナンシャルプランナー)さんと話をしてきました。一応加入している保険会社で積み立て年金もやってるし、あまりお金にこだわることは好きじゃないのですが……こないだ生協から電話で「無料だからやってみませんか?」と言われて、ちょっと話を聞いてみようかという気になった。そんな感じです。ちなみに、服装はこのままでした。姿は可愛いけど話すことは生命保険の見直しとかNISAって何なのとか、いたって真面目な話です。
 こうして小一時間お話を伺ってみてわかったことは……いっぱいありました。
 まず資金運用っていうのは、お金が余っている人とかお金を稼ぎたい人とかのためだけじゃないんですね。いわゆるデイトレーダーっていう人種であれば1日に何億とか何十億とかっていうお金を動かすんでしょうけど、私みたいに自分で働いて稼いだお金で食べ物を買ったり新聞代を払ったりしている堅気の人間でも、これは必要なんです。
 なぜなら、好むと好まざるとにかかわらず物価が上昇するから。それに比例して収入も増えれば別にいいんですが、なかなかそうもいきません。また少ない収入から生活費を切り詰めて少しずつ貯金していたとしても、物価が高くなれば相対的に手持ちのお金の価値は下がります。FPさんはこれを「タンス預金はお金が腐る」と表現してくれました。……確かに昔50円で買えたものが今は150円するとか、そういうのはありますものね。
 そこでNISAという非課税投資信託システムを国が推しているんですね。
 NISAとは何か。そんなのはWikipediaでも何でも見ていただければよろしいかと思いますが、私なりにFPさんからお話しを聞いたところでは、「1日でドカンとお金が動くものではなく、20年かけて少しずつ動いていくもの」という商品なんですかね。何にせよ生き物にお金を投じるわけですから、リスクがゼロだというわけでは無いでしょうが、それは「家の外に出ると交通事故に遭うかもしれない」ようなものだと思います。何もしなければいずれ物価の上昇についていけなくなり荷風散人の如く陋巷に窮死するしかないのですから。
 それなら――まだギリギリ間に合うのなら、できることは何でもやってみたいと思います。
 今回は生命保険とか積み立て年金とかの写真を控えてもらいました。来週には改めてライフプランを作成してくれるそうです。保険屋さんが薦めてくれた生命保険と積み立て年金では将来生きていけなさそうな気がしてきたし。その点を金融のプロの人と一緒に決めていきたいと思います。
 大体、政府の方で面倒見きれないから自助努力で何とかするよう言っているっていうのですからね。少子高齢化とか色々難しい問題があるでしょう。そんな中で私のような障碍者が生きていくためには、なおさら手段を選んでいられません。
 ……そりゃあ、わかってますよ私だって……お金が大事だってことくらい……いくら独り者できっと素敵なパートナーと巡り合える見込みなんかなくても、生きていきたいんですから……。

 そんなわけで、今の生活を守りつつ、将来に備えたアクティブな用意をする。その点について、次回FPさんと相談し、実行していきたいと思います。今日もまた、新しい一歩を踏み出しました。ちなみにFPさんから帰り際「佐藤さんオシャレですね」と言っていただきました。嘘でもうれしいです! ありがとうございます! それじゃあまた次回もスカート履いていきます!(その日の気分によるので未定)

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 昨日はバレンタインデーらしい記事を書きましたが、おととい2月13日は私のばんつぁん(祖母)の誕生日です。今は癌を患って入院しており面会制限も極度に厳しいのでおそらくこのまま二度と会うことはないであろうという気もしますが、それでも私は仙台に来てから2度ほど会ったので大丈夫です。岩手に住んでいる母親や弟者、また宇都宮に住んでいる兄者はそれこそ何年も逢っていないのですから……。
 なお、うちのばんつぁんは大正生まれなので今年で102歳! となります。一族の中では最長寿です。まったくもって素晴らしいことと思います。もうすでに十分長生きしているので、まあ帰天する時が来たとしても、ちゃんと見送ることができるような気がします。

 また、この日は11月5日に帰天した叔母の「百か日」でもありました。実際にこのブログで最初に触れたのは11月13日の記事でしたが、その葬儀の時に初七日とか四十九日とかと一緒に百か日法要までまとめてやっちゃいますね、ということで臨済宗のファンキーな法要に立ち合い自分の中のシスター・アニマに目覚め現在に至るのですが、その時に初めて「百か日法要」というものがあることを知りました。
 今回こうしてテーマにするので、改めてどんなものか調べてみたのですが、どうも明確に「こういうものだ」というのがわかりませんでした。検索してみてもそれについて書いているのは葬儀社のホームページばかりだし、「諸説ありますが……」から始まって「具体的に何をすればいいのか?」ということは詳しく書いているものの明確な教義とか意義とか、そういうものに関しては正直よくわからなかった……という印象です。
 「これじゃあ、何のためにやるのかわからないよ……」
 そんな感じで戸惑う衆生たる私の迷妄を払ってくれたのは山形県西村山郡河北町にある時宗のお寺「西蔵寺」さんの記事でした。タイトルもズバリ「法要は何のために行うのか」。

 法要は何のために行うのか|時宗 西蔵寺

 ……そう、「教義」という点からだけ考えるとやる意味あるの? という話になってしまうのですが、ここで心のキャパシティを広げて、故人を想い故人のために何かをしたいと願う自然な心の動きの表れとして行われてきた「慣習」という考え方をすると、確かにやる意味があるような気がします。
 輪廻転生してから解脱するのか、南無阿弥陀仏で極楽浄土に直行するのか。個人的にはイエスさまがおられる天の国に帰るのだというふうに考えているのですが、いずれにしてもそういうことを考えるのは「いま、この世に生きている人間」だけができることです。急にでもそうじゃなくても人間が幽明境を異にするというのは愛別離苦、ひどく悲しくて苦しいものですから、それを紛らわすというか……西蔵寺さんの記事で知った言葉を使えば「発菩提心」ですね。そういう心の温かさを持つのが良いっていうのは、仏さまもイエスさまも認めてくれると思うんですよね。こうして並べてみると「聖おにいさん」を連想してしまいましたが。
 そんな気持ちで百か日を迎え、当日はひとり静かに叔母のことを想いつつ一献やりました。電子レンジとかマッサージチェアとかコーヒーメーカーとか、叔母の部屋にあったものを色々と持ってきて毎日使っている甥っ子は今日も元気です。生涯現役で盛岡の川徳百貨店から仙台三越まで婦人服売り場に立ち続けた叔母から見れば、私のコーデなんかは「まだまだね」とため息をつくようなレベルだと思いますが……やはり綺麗なひとであったと思うのです……。
 天の国から見られたときに、「相変わらずおかしなことやってるわね」と苦笑しつつ「少しはマシになったかしら」と言ってもらえるよう、私もコーデ頑張ります。
 ……うん、私はそのために女の子の服を着ることにしよう! 今後はそういうものとして皆様もご認識ください。


   *

 叔母の帰天や祖母の誕生日を機に身近な人の生と死に向き合い自分のことを考えていると、それまであいまいだった死の概念がヴィヴィッドになりました。ユルスナール女史の言葉でいうところの「肉体の感覚や外部世界の偶然を通して、死が自分に送ってくれる合図の一つ一つに死を感じれば感じるほど、ますます自分が懸命に強く生きているということを自覚する」というもので、私も限られた時間を大切にし、先に帰天した人たちのことを想いながら私は私の『在りたい私』を生き、その時が来たら天の国に帰ろう……そう思うようになったのです。
 その日まで、このブログは続けます。
 先日イワテライフ日記さんが25周年を迎えられたことについての記事を書いたところ、管理人の「まると」さんが当該記事を読んでいただいたとのことで……あわわ、恐縮です! 2/12にお読みいただいたということは、もしかして、そのひとつ前の記事も読んでいただいたということなのでしょうか……。

 イワテライフ日記25周年によせて|イワテライフ日記

 いつか誰かが読んでくれるさと思う一方、誰も読んでくれないんだから多少ムチャしてもいいだろうと思って好き放題書いていましたが、まさか憧れの「まると」さんに読んでいただけるとは……この1拍手はSNSの10万いいねに相当する嬉しさです。地道に続けてきてよかったです。こういう瞬間があるのなら、やはりこれからもブログを続けていきたいと思います。
 速報性のある刺激的な文字が飛び交うSNSの世界も意義はあると思うんですが、こうしてしっかりと、地道に自分の考えや日常を記録することが私にとっては必要なのです。「消費されない文化」というのは私の重要なテーマですから。地道に実直に、日々のことを丁寧につづっていきたいと思います。そりゃ~書く方も人間ですから内容が薄かったり濃すぎたりすることはあると思いますが、やっぱり一定のカリテは保てるよう精進していきます。
 そんなわけで、これからもよろしくお願いします。

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 今日はバレンタインデーですね。
 私の職場でも若い女の子たちが手作りチョコレートをシェアリングしていました。私自身にとってはあまり関係のないイベントではありますが、そうやって楽しそうにしている光景を見ると心が和みます。「ああ、楽しそうだなあ」「やっぱり、バレンタインデーというのは、存在してもいい日なんだなあ」と心の中で思いながらクールに去るぜと言って帰ってきた次第です。

 一応事実として申し上げますが、私だって過去にチョコレートをもらったことはあります。2009年のことでした。それから10年以上、特別なイベントもないまま結婚と離婚を経て現在に至るわけですが、バレンタインデーの雰囲気も変わりましたよね。
 本来、大好きな人に気持ちを伝えるためだったチョコレートは「義理チョコ」となり「友チョコ」となり今じゃ「自分チョコ」となり……それだったら別に何でもいいじゃないか! という気がしますが、ええわかります、こういうタイミングでちょっと特別な包装が施されたプレミアムなチョコレートを食べるのがいいんですよね。個人的にはめっきりと特別感が薄れてトキメキもヤキモキもしなくなってしまいましたが、良いと思います。これがダイバーシティというものなのでしょう。
 なお友チョコという言葉は2011年2月時点で既に流行の言葉として存在していたみたいです。10年も経てば流行じゃなくてひとつの風習ですよね。



 今この記事を少しでも盛り上げるべく、過去の日記を検索しGoogle Photosを検索し何かそれらしいものはないかと思って探していたら2021年2月14日の写真が出てきました。かつて十和田市にあった『レトロゲーム秘密基地』さんでひとりゲームに熱中していたみたいです。結局一番それらしい写真が、最近フォーラスで撮影した1枚目の写真でしたか……まあよろしい。
 ともかく今年はちゃんとバレンタインデーに関する記事を書きました。ここ10年くらいはアレですね、仕事の時間が不規則だからブログの記事も滞りがちでしたが、それ以前の記事を残しておいて良かったと思います。これからも、長短はともかく毎日記事を更新していきたいと思います。

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 今年に入ってから何度も「私はノンバイナリー」「どっちでもよくない私は私だし」と言ってはばからない私ですが、自分が明確に男性なのか女性なのか決めかねるというのは、正直ちょっとしんどいです。
 職場など、社会通念上男性としての振る舞いが求められる場面では躊躇なく男性として出かけます。また、男性として何度も通いつめ顔なじみになっている場所には男性として出かけた方が良いのかな、という気がしています。こないだ女性の格好をして行ったら、どうやら別人と思われていたみたいで……それならこのまま「いままでの私」でいいかな……と。どちらにしても私の気持ちをわかってくれる人なので、その方が通じやすいのならそれでいいです。
それ以外の場面ではどうか。たとえば休日に町中に出掛けたりする時などは、私の心には「女性らしくありたい」という気持ちが強く存在するので、それを最大限引き出す服装をして出掛けます。
でも、どちらか一方に固定することはできません。そのために迷ったり躊躇したりする自分がいます。
 法に触れるわけじゃなし、そうしたいと心が望むなら、ヒラヒラしたトップスにスカートを履いて、可愛い格好をして出かければいいと思うのですが……男性にも女性にもなり切れない中途半端な心なので……こうして煮え切らない気持ちを誰に言っていいのかわからなくて、今こうして記事を書いています。
 たぶんずっと、こんな気持ちは続くのでしょう。正直これからどうなるのかとか、どうすればいいのかとか、よくわかりません。

 でも、何度もこうして思い切って飛び出したから、今日も「心のままに」着たい服を着て出掛ければ良いのかもしれませんね。私が一番好きな服。在りたい私でいられる服。

   *

 今、『千年桜の奇跡を、きみに』という小説を読了して、そう思いました。随分と背中を押してもらいました。
 「憧れの人がいる。自分もその人みたいになりたいと思ったけどできない。でもそれでいい。自分はその人じゃないから。できないことはできなくてあたりまえ。自分にやれることをして、自信をもって、自分らしくいようと思った」
 ある人物がそんな意味合いのことを言っていました。その人物に限らずこの物語には「私は私のために生きる」といった思想を持った人が何人もいます。そのたびにグイグイと背中を押されるというか……「何だか、すごいなあ」と呆気にとられてしまうほどのエネルギーをもらいました。土地の神様と人々が共存して穏やかに暮らしている街の雰囲気に、物語の中盤くらいまで戸惑いがあったのですが、こころの波長が合ってからは私も「咲久良町」の人たちの温かさに感じ入り、物語の世界にのめり込んじゃいました……。
 先月惜しまれつつ閉店したアリオ仙台泉の中の「くまざわ書店」で購入した2冊のうちの1冊でしたが、まったく素敵な本に巡り合いました。いずれまた再読した時に、改めて感想をまとめたいと思います。これは一度だけで読み捨てるのはもったいない!

   *

 それに私は私で、咲久良町とは違うけど素敵な街に暮らしています。
 家庭も仕事も捨てて流れ着いた仙台。そこで出会った多くの人たち。特に1年前のメディフェスせんだいというイベントでは、「私もこうなりたい!」と思う人と出会い、その形を自分なりに追いかけてきました。途中でくじけて、そこから立ち直ろうとした時に叔母が帰天し、さらに落ち込んで……でもそれを切っ掛けに私のアニマの形をちゃんと捉えることができて……それからですね。「私には私の勝ち方がある」……このフレーズも好きなんですが私は受験生ではないので、こうしましょう。

 「私には私の『在りたい私』がある」

  (白石市・武家屋敷にて)

 昨年12月25日クリスマス以来の「みすみんボード」発動です。
 私はみすみんサンに憧れてここまでやってきました。
 でも、私はみすみんサンみたいにはなれませんでした。そのことで悩んだり落ち込んだりした時期もあります。いまだにXもyoutubeも見ることができません。
 その代わり、この街でこんな私のことを可愛いと言ってくれる人がいました。
 一度目は東北生活文化大学美術学科の女の子とギャラリーSARPの方に、二度目は仙台のファッションレジェンドなばんつぁんに。
 それはとっても嬉しかったし、そのまま自信にもつながりました。この先誰に何と言われようが、確かに私のことを可愛いと言ってくれる人がいたこと。そのことは誰でもない、私自身が知っているんですから。
 私はこの街で生きていく。どこでもない、仙台で生きていきたい。この街で、私のことを可愛いと言ってくれた人たちがいる仙台という街で生きていきたい。
 「私も、もう大丈夫ですよ」
 そういう気持ちをみすみんサンに伝えたくて、久々にみすみんボードを発動しました。
 今日はこれから東北生活文化大学の卒展を見てきます。そしてフォーラス仙台でパンサー尾形さんのイベントに行ってきます。「かのおが便利軒」大好きなんです。

(気仙沼市・道の駅大谷海岸)

 行ってきます。

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イワテライフ日記

 私のこのブログも2005年ごろから始めたのですが、それよりもさらに前からず~っと続けていらっしゃるのがこちらの『イワテライフ日記』さんです。去る2月5日に25周年を迎えられたとのことで……おめでとうございます!
 盛岡市民だったころは自分の住んでいる街のことを見て安心し、盛岡を離れた現在では「あそこは、こんな感じになったのか」と驚いたり懐かしんだり。先日書いた、私の曽祖父がお気に入りだったもっきりの店も2015年に閉店していたことを知ったのもイワテライフ日記さんの記事でした。
 こないだ盛岡に帰った時私は仙台の人間として盛岡に来たんだと認識したのですが、いま読むと同じような感覚になります。昔から読んでいたからってのもあるんですけどね。やっぱり文章を読むことが好きなんです。
 しょっちゅうブログのタイトルを変えているのですが、このタイトルはもちろん『イワテライフ日記』さんへのオマージュです。内容的には全然違うんですが、こうして私の見聞きした日常を静かにつづるスタイルになれればいいな……と。
 まずは、そう思っているということを書くことから始めます。どんな形であれ、私が私らしく、素直な気持ちを書いていく。それはタイトルが変わっても創設以来ず~っと変わらないスタイルです。耳目を惹くような当節流行のアレコレを追いかける試みもしてみましたが、やっぱり、そういうのはほかの人に任せることにします。私にできることと言ったら、やっぱりこれしかないんです。
 そんなこんなで、これからもよろしくお願いします。誰が読んでくれているのかわかりませんが、貴方は読んでくれたのですね。ありがとうございます。他にもたくさん文章はあるので、よろしければそちらもどうぞ。

  *

 ということを書いたのが1月中旬でした。そのあともう一度盛岡に帰ってどっぷりと街の雰囲気を吸収した今では、半々くらいですね。「仙台人が見た盛岡」と「盛岡人として知っている盛岡」、新鮮さと既視感がごちゃ混ぜになった心地よさ。懐かしいというほど遠い昔の思い出ではないけどすぐに行けるわけではない距離。時間と空間の距離感がおかしくなって、何とも言えない心地よさを感じてしまいます。なんて、ちょっと妄想が過ぎるかしらん。
 とまれ、25周年、おめでとうございます。当時の私は高校3年生。家電量販店の初売りでモデムを買ってきて、ピーピーガーガーとアクセスし、画面の中にWebページが表示されたことに感動していました。また、今HDDのなかにある最古の日記も1999年ですから、その頃からずっと継続されていらっしゃる……いやはや、とても素晴らしいことです。私もホームページは24年目、ブログは18年目と、及ばずながら結構長くやってきましたし。どちらも大切に守り続けなければいけませんね。
 生きている限り、私も頑張って更新します。ホームページの方は何度か移転していたけれど、このブログはず~っと同じ場所でやっていますからね。これだけ長くやっていれば、もう少し多くの人に見てもらっても良さそうなものですが……まあよろしい。誰のためにブログは更新する。誰のためでもない、まずは私の為に更新するんですから。
 

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 昨日は連休2日目でした。
 先日SARPに行った時にお店の方から教えていただいた東北生活文化大学の卒展を見るべくせんだいメディアテークに行ったらやってなくて、「もう終わってしまったんだ」と泣きながらフォーラスに行ったら9日からだということに気づいた直後に亀井桃さんの個展の会場で撮影した写真です。その後、亀井桃さんの展示を眺め、可愛らしいスマホショルダーを購入、さらに古書店「あらえみし」で澁澤龍彦集成を4冊購入し……重たさにウンウン言いながらぶらんどーむ一番町を歩きベンチで休憩していると、
 「ここ、座ってもいいかしら?」
 と、急に年配の女性から話し掛けられました。慌てて澁澤龍彦集成の入った袋をよけて座ってもらうと、
 「今は男の人でもスカートを履いて歩けるようになったからいいわよねえ」
 「日本はまだまだ保守的な雰囲気だけど、あたしは男性がスカート履こうと男同士で手をつなごうと良いと思うの。幸せになってくれればいいなあって思うの」
 といった内容のことを話してくれました。私も自分の格好を好意的に受け止めてくれるのは嬉しいし、シニアな世代の人からそう言ってもらえるのも嬉しく、また意外でした。
 まあ、実はこういう文化は昭和の昔からあったみたいで、かつては「シスターボーイ」と言われていたそうです。帰ってきてから調べてみると1957年頃に生まれた言葉みたいで、翌1958年には谷崎潤一郎も『ふるさと』という作品の中で「今日のシスターボーイの先駆とも云ふべき……」と書いているので、思ったよりも古い言葉でした。
 ということは、私はやはり「男性がスカートを履いている」というふうに見られているのだな、と再確認しました。それは決して心外なことではなく、むしろそれによって自分の中でピントが合いました。トランスジェンダーとかノンバイナリーとかジェンダーフルードとか色々と新しい言葉を当てはめてみても「ちょっと私とは違うかな」と思っていたところに飛び込んできたシスターボーイという言葉。そもそも私がこうして可愛い服を着て可愛く見られたいと思うようになったのは心の中にある「シスター・アニマ」と共に生きる『個性化』(わかりづらければ「自己実現」でも結構)のための手段として選んだものですから、ある意味では一番しっくり来る言葉です。
 無理に男性らしくすることもないし、女性になり切れないからと言って悩む必要もありません。ノンバイナリーは私の気質を説明する言葉として近似的に等しい言葉であると思いますが、この「シスターボーイ」という言葉が気に入ったので、私はこれを名乗ってみようと思います。どっちでもいいから、とにかく私は私の『在りたい私』を生きます。一番自分らしいと思う服装で生きていきます!

   *

 そう思ったのは私が出会ったばんつぁん(仙台弁)も、ファッションに対する強いこだわりがあって、それを現在進行形で続けていたからです。
 「あたしはずっとストリート系で来たから」
 そんな風に笑うばんつぁんの格好は、そこら辺の小僧っ子が束になってもかなわないほど垢抜けていました。「歳を取ったから落ち着いた服装なんてしない」とのことで、本当に超クールな服装で……そのような格好のうえで「モード系なのかストリート系なのか」「アメリカンなのかヨーロピアンなのか、どんな方向を目指してるの?」という言葉がさらっと出てくるあたりに、ある種達人の風格を感じました。
 やはり達人はこういうものなのでしょうね。『バキ』に出てくる合気道や中国拳法の達人みたいに、技術とかセンスとかを極めると自然体になるのでしょう。それに対しておろしたての白帯を締めた初心者の私の格好なんか、「もう見ていられない」ってことで、声を掛けてくださったのでしょう。
 「ライダースジャケットは万能」「タータンチェックとか、派手めのスカートと合わせると良い」「黒いアウターと赤などヴィヴィッドなインナーを合わせる」など、多くのアドバイスをいただきました。アレですね、テレビ番組のファッションチェックみたいですね。
 とはいえ決して真似できないなと思うのは、ばんつぁんの服の買い方ですね。「気に入ったものがあればすぐに現金で買っちゃう」というのはいいんですが、「オビを切って店員さんに渡して数えてもらう」という言い方をしておられました。シューラルーやセカストの半額セールで一生懸命買い集めるような私には決して真似できません。
 他にも色々と仰天エピソードをたくさん聞いて、非常に楽しい時間を過ごしました。そして最後に私の方から、「男性がスカートを履いて出歩くこと」に後ろめたさを感じていたことを告白。それでもたくさん話を聞くことで勇気が出た、ということを伝え……お互いに名乗った後、再会を楽しみにして別れました。これから「鬼滅の刃」を見て、来週は「ハイキュー」を見るために映画館に行くところだったみたいです。
 こういう歳の取り方もあるんだなあ。……とにかく元気になりました。感情的にも理性的にも。何となく森茉莉さんの本を読んだ時と同じような感覚に近いですね。名前もよく似ていらっしゃったし、私にとっての茉莉さんだったのかもしれません。
 その後、いつも通り野中神社(縁結び)に参拝。もう特定のパートナーとかが見つからなくてもいいから、その代わり私のことを可愛いと言ってくれる子とか、今日のばんつぁんとか、『在りたい私』を理解してくれる方と一人でも多く出会えるようにとお祈りして来ました。
 
 やはり私はもっと生きていたい。私の『在りたい私』を実現し、これをさらに良い形にするために。

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 特に用事はないですが、東北本線に乗って白石市まで行ってきました。別に白石に行きたいとは思いませんでしたが、行きたくないということもなかったので、10時20分仙台発の普通列車に乗って終点の白石駅まで行ってみた。そういうことです。
 ……と内田百閒の『阿房列車』シリーズに感化され真似てみようと思ったものの私のブログの「です・ます」調ではリズムが全然合わず早々に真似を放棄しました。当たり前です。100年早いんですよ。じゃあここからは佐藤非常口の口調で続けますね。今日はもう写真いっぱい載せちゃいますよ~!

   *

 元々平日の午前中ですから乗客はまばらでしtが、そのわずかな乗客も名取・岩沼といった仙台都市圏の駅で次々脱落、私を除いた最後のひとりは辺りに何もない寂しい無人駅に降り立ち、とうとう一車両貸切みたいな感じになってしまいました。
 そのため最初はつつましく端っこに座っていたものの、この辺りから車両の真ん中に移動し、「この電車は自分を白石まで連れていくためだけに存在しているのだ」という優越感に浸るべく空想を搔き立てながら電車に揺られていました。
 このような状況であればシートに寝っ転がるとか車両の端から端まで徒競走をするとかってことも物理的にはできるでしょうが、私が乗っていた最後尾の車両には車掌の女性がいらっしゃるので遠慮することにしました。そもそも私だって可愛い格好をして可愛くありたいと思って来ているので、そんなことは「やっていいよ」と言われてもしません。

 仙台からおよそ1時間弱で白石市に到着。駅を出てまっすぐに歩いて行くと、やがて白石城へ至る道「城来路(シロクロード)」という看板が見えます。そこからさらに坂道を上るといよいよ続日本の100名城にも選ばれた白石城が見えてきます。
 せーの、ドン!

 この前の日はちょうど東京23区で大雪警報が発令されるなど、日本中で物凄く雪が降りました。白石も多いところでは12センチほど積もったようですから、このように白石城周辺も真っ白になっていました。うん、やはりこれでこそ東北の冬って感じがしますね。ちょっと歩くのは大変だけど、いい雰囲気でした。
 なお、過去にも2回くらい来ているのですが、地震で被害を受けた個所の復旧工事中だったり私のスマホの方が急に故障して緊急避難したり……と不運に見舞われていたので、満を持しての登城です。いざ、参ります!(有料)

 三層天守の1階はパネルとビデオによる白石城および片倉氏の歴史について。それにこのような甲冑着付け体験コーナーがあります。我らが政宗公と片倉小十郎、それに片倉家と縁深い真田信繁(幸村)の甲冑があります。こうしてドン! と構えていると、こちらも気持ちが引き締まるというか、自然と居住まいを正します。

(居住まいをただした写真。この日は防寒対策のためのハイネックと、初めて買ったスカートの組み合わせでした)
 2階には絵巻画家・正子公也氏の武将画パネルが展示されていました。著作権のあるものなので写真は撮っていませんが、何とも色気のある……非常に素晴らしい作品ばかりでした。私ごときが何を言う必要も無いと思いますが、一応公式ホームページへのリンクを貼っておきます。どんな絵かというとこんな絵です。
正子公也氏公式サイト
 そして急な階段を上り最上階へ。……どちらかというと政務の場所というよりは守備のかなめという雰囲気の、シンプルな雰囲気ですね。武器を貯蔵しておく場所であり、ゲームで言うとそのステージのボスがいる場所ってイメージですからね。全面板敷きで広くて眺めの良い場所でした。

 せっかく広いスペースがあって他に誰もいないのだから思い切り記念写真を撮ってみようと思ったものの、こういう時どんなポーズを決めればいいのかわからなくて、「アイドルっぽいポーズ」を試してみました。……男性として写真を撮ってもらう時は両手を広げて見得を切るような恰好をするのですが(爆笑問題の太田さん風に)、こういう時は……う~ん難しいですね。

   *


 お城を見た後、「神明社」にお参りをして御朱印を拝受し、武家屋敷を見て、白石温麺を食べて……白石城まで行く途中で気になった、こんな感じのアーケード商店街を歩いてみました。車とかオートバイとかで来たわけじゃないので、まあのんびりしたものです。
 ひとまずアーケードのあるところを端から端まで歩き、そのほかに街灯がある商店街を少し歩いたのですが、
 「花巻に似てるな」
 そんな風に感じました。岩手県花巻市も白石市と同じように、南部の殿さまの家臣「北信愛(きた・のぶちか)」の居城・花巻城があって、城下町として発展した歴史があります。花巻城の方は城代が管理していたので白石城と片倉氏ほど歴史的な重みはないのですが、今こうして街を歩いてみると、その雰囲気とか賑やかさとかが似ているように感じました。これは私も実際に歩いてみないとわからない空気感でした。
 
 そんな白石市街で見かけたムーバーです。これは初めて見ました! 初期のジェット戦闘機がモデルでしょうか。別に白石名物というわけでは無いでしょうが……こういうのが好きなんですよね。良いと思います!

 そんな感じで15時55分の下り普通列車に乗って帰仙。私なりの阿房列車の旅は無事終わりました。白石市で見てみたい・食べてみたいと思っていたことを実行し、その上さらにプラスアルファして雰囲気を感じ取って……良い旅でした。

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 私は「一応」ADHDでASDなんですが、それを取り扱ったドキュメンタリーやそういう人物を主人公に据えたドラマなどを見ると共感というよりも「なんか違うなあ」と感じてしまいます。この障害に軽重の差があるのかどうか知りませんが、私は何とか今の会社で仕事を続けられるくらいですから、「そんなものかね」と思ってしまうのです。
 もちろん私だって生き延びるために必死で外向きの自分を作り上げたうえでの現在があると思っています。あとはその都度周りの人に助けられてきたってことかな。特に仙台に来てからは、本当にたくさんの出会いがあり……今では「ASD? ADHD? だから何」って感じになってきました。
 「どっちでもよくない」「私は私」
 そういうことなんです。
 もはやこの先、誰が生きても死んでも世界がどうなったとしても、私は私の人生を全うします。男性として女性として……。

   *

 そんな私の最近の仕事には、新人へのOJT業務もポツポツ入るようになってきました。座学研修を終えて現場に入ってきた新人たちの横について、時に自分の仕事をモニタリングしてもらったり、逆に新人の仕事を見守ったり……そんな感じでコミュニケーションを取りながら仕事を覚えてもらい、一人前のスタッフとしてデビューさせるお手伝いをする……なかなかやりがいのある仕事です。
 男女を問わず講師としてつく機会はありますが、いずれにしても20代そこそこの若い人たちばかりです。また前職もさまざまで、元々同じような仕事をしていた人もいれば「今までこういうのやったことないんです……」という人もいます。それによって習熟の度合いも違うし、話好きだったりそうでもなかったり……性格も違います。
 ただ、いずれにしても目的地は一緒ですからね。相手の性格に合わせて何とかコミュニケーションを図り、とにかく一人前になるようお手伝いをする……。
 ……そういうことを毎月のようにやっているうちに、だんだん先述したような「ASD? ADHD? だから何」って境地になってきたということです。私がそんなこと言ってる場合じゃないよね、って。そういう時に立ち上がる気力がわいてくるのは、やはり男性心理なんです。男塾スピリットなんです。

 そうやって空元気でも何でも動いていれば、亀の甲より年の劫、伊達に42年(今年で43年)も生き延びてきたわけじゃありません。「発達障がいは一生もの」と医師も見放した私ですが、それをごまかしやり過ごすテクニックはたくさんあります。それは今の会社に来てよりいっそう磨きがかかりました。そして叔母の帰天を機に「外向きの自分」と「内側の自分」が和解。内向的感情型の私でも、最低限より少し上のコミュニケーションを若い女の子たちともとることができるようになってきました(やっぱり緊張しますけど!)。

 今日は休日で、色々とリアルタイムに思いついたことを書いてきたので、大分ごちゃごちゃしてしまいましたが、今日も私は可愛い格好をしてお出かけします。いぎなり雪が降っていて、移動が大変そうですが、今月唯一の連休なので遠出します。

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 おとといのこととなりますが、人生で一番かもしれないレベルで嬉しいことがありました。
 何かって言うと、私の服装を、
 「可愛い」
 と言ってくださった女性がいたのです! しかも2人!
 これは嬉しかったですね~本当に嬉しいです! 女性が見て可愛いって言ってくれるということは、本当に可愛いってことなのでしょう。それも知り合いとかではなく(そもそも知り合いの前ではこういう格好はしないですが)、パッと見てそういうふうに思っていただけたということは、完全に客観的な第一印象として可愛く見えたのでしょう。
 そういうふうに見てもらいたくてシューラルーやセカストで可愛い服を買いまくり、自分なりにコーデを考えて着て歩いているので……自分のことを認めてもらえたような気がして……一番難しい、自分の気持ちだけではどうにもならない「客観的な感想」を対面で言ってもらえて……SNSで10万いいねもらうより嬉しいです(もらったことないですけど)。顔の見えない10万いいねよりも向かい合っての「可愛いですね」の方が私にとっては遥かに重いのです。
 本当もう、私は男性でも女性でも、どっちでもいいです。女性として見てくれたのならこれ以上の喜びはありませんが、「男の娘」が可愛い服を着ている……と見られてもいいです。ノンバイナリーですから、そのあたりのことは見た人が決めてくれればいいです。ただ私は可愛いと言ってもらえると、飛び上がるくらい嬉しいです。私の中の女性らしさ……私自身の人格を肯定してもらえた気がして……とても嬉しいのです。
 周りから見えなくても、確かに私の心には「女性らしさ」があります。女性として見てもらえることに自己肯定感を強く感じるメカニズムがあります。それをハッキリと確認しました。その一方で完全に男性であることを否定することはできません。だからトランスジェンダーにはなれない……私がノンバイナリーを名乗る理由はそこにあります。
 
 こんな私のことを受け入れてもらうためには、青森じゃあダメだったでしょう。盛岡でもまだ足りないかもしれません。
 やはり仙台です。仙台に来なければ……男女の分け隔てなく可愛いものを可愛いと受け入れてくれる文化があるこの街でなければ……こうして自分の心を解放することはできなかったでしょう。
 私は仙台に来るべくしてきたのです。そして多くの人と出逢い、体験をし、最後は勇気を出して踏み出して……そして、受け入れてもらえたのです……。



 この日の体験は私にとって一生忘れられない……忘れてはならない、忘れたくない……そんな出来事でした。これから先どんなことがあっても、この日の体験を思い出せば生きていけそうな気がします。
 生きていて良かった。生きていればこそ、そう思える。だから私はこれからも生きていきます。本当に、本当にありがとうございましたあ!!

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 節分にちなみ、鬼の話をしようと思います。

 節分と言えば「鬼は外、福は内」ですが、北上鬼剣舞や秋田のなまはげなど、東北人としては、鬼は怖いもののあまり追い出したい存在ではありません。確かに西国の方では大江山の酒呑童子を始め人をさらって食べてしまう極悪非道の鬼たちがおり、それを朝廷の威光を背負った英雄が対峙するという話がありますが……そもそも東北の民そのものが鬼扱い(蝦夷)されていたっていう歴史もあるからかな。
 そもそも地獄の鬼だって役人の一種のようなもので、現世で罪を犯した我々衆生に対して、「お前は現世でこれこれの罪を犯したから、今こんな目に遭っているんだぞ」と叱りつけながら責め苦を味わわせているのですから、そう、恐ろしいけど悪い存在ではないはずなのです。地獄でなぜ悪い。それは星野源だ。
 って、ここまで書いて去年Twitter(現:X)で「昔の岩手の民話で、一人暮らしのお爺さんが寂しさのあまり『鬼は内!』って言いながら豆を撒いたら方々で追い出された鬼たちが集結し、大いに盛り上がったという話があります」って書いたのを思い出しました。出典はこちらです。

鬼の館だより第2号|北上市 鬼の館

 まあこの話はいわゆる「民話」なので、岩手に限らず山形とか何とかって別な土地にもあるようですが、私も独り暮らしだし、鬼は内! と言って豆を撒いたら楽しい夜を過ごせるかもしれません。ただ、鬼の皆様には酒肴など一人一品ずつ持参していただけるとありがたいのですが。あ、でも民話のお爺さんも独り暮らしだから、別に何か用意していたわけじゃないだろうし、いいのかな。

  *

 ここからは、今回この記事を書くために検索して見つけたものです。
鬼の正体とは? 特徴や種類、仏教の獄卒をわかりやすく解説|日本仏教学院
 だからつまりアレですね、鬼って言っても平安時代からいた正体不明の幽鬼みたいなのと、仏教由来の獄卒とは違うんですよ。疫病とかあまり好ましくないものを祓うために鬼は外って言うんです。我が国は何でもかんでも自分たちのいいように取り込んでしまう「沼」ですからね。初詣とお盆とクリスマスを同様に受け入れてしまう国民ですから、それでいいのでしょう。なんていうと「良くない!」と各方面から袋叩きにされそうですが。

  *

 まあ仏教的な意味合いで突き詰めれば違うということは理解できますが、最初に書いたように東北人、特に岩手県民である私は、鬼というものに対して排斥されるべき存在というよりは敬われ崇められる存在、つまり「鬼神」というイメージをもっています。これはとても土俗的、民俗的なイメージです。そういう風土で育ったんだからそういう集団的無意識が私の中にはあるんです。あとゲーム『女神転生』の影響もあるのかな。

 とりあえず私もささやかながら豆を買ってきて、それを撒いてみようかと思います。掛け声は「福は内、鬼も内」かな。ちなみに私の記憶では、落花生を撒いていた気がします。床に落ちても殻をむけば綺麗な状態で食べられるからです。漫画とかでは大豆を撒いているのは知っていましたが、この方が衛生的で合理的な気がします。でもきっと、またマジョリティの人たちからは「そうなの?」と珍奇なものを見る目で見られるんだろうなあ。

 いいんです私はアテルイの民ですから。安部貞任とか奥州藤原氏とか奥羽越列藩同盟とか、何かと中央政府に歯向かって生きてきた土地の民ですから。だからといって別に加藤保憲のようになる予定はありませんが。その蝦夷を征討した坂上田村麻呂が建てた多賀城創建1300年記念は素直におめでたいと思います。

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 昨日の仙台宮城は「風の都」の名にたがわぬ強風暴風(文字通り警報級)が吹き荒れ……今朝は風はそれほどでないものの、平年並みの寒さです。寒くて寒くて「布団から出たくない」と思ったのはずいぶんと久しぶりでした。今日は休みなので、心行くまで布団に入って外が明るくなってきて「そろそろ出るか」と言って出たのですが。それでも7時ちょっとすぎには起床したのですが。

 朝起きて、まずすることは、自分の髪の毛を撫でることです。
 「朝起きて、髪が伸びてたらいいなあ」
 そんな急に伸びるものじゃないことはわかっています(それはそれでメンテナンスに困ります)。一応恥ずかしながらWebで髪型を画像検索、ホットペッパービューティーなるものを見て、自分が目指す「中性的な髪型」……それは会社の若い人たち(男女問わず)の髪型も参考にしながら組み立てたものですが……どうやらそれが「マッシュウルフ」というものらしいので、そんな感じになるまで髪を伸ばそうと思います。
 随分長いこと、「私なんかが、髪型にこだわったって……」と言ってシンプルな髪型にしていたのですが、生き方レベルで新しいチャレンジをしているのだから、髪型も遠慮しません。ちょうど世界的に有名な整髪料「LUX」のホームページでも、髪型を自由にしようというキャンペーンが行われています。

私の髪は、私が決める。 #BeHairself



 今はこんなでも、できる限りのことをして……限りある命を精いっぱい生きたいと思います。

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 今日から2月ですね。
 今年の元旦に起こった能登半島地震から1か月。停電も一部の立ち入り困難地域を除けばおおむね解消されたと昨日のニュースで見ました。ここからが長く大変な道のりだと思いますが、ともかくこうして少しずつでも前に進めれば良いのではないでしょうか。

 写真はアリオ仙台泉と同じく昨日1月31日で閉店となった青葉通の商業施設「エデン」です。私が仙台に来た時にはすでにあったので、過去の歴史はあまり詳しく知らないのですが、元々はホテルがあった場所みたいですね。それが飲食店中心のエリアになって……って、元々期間限定の暫定的な施設だったのですか。

参照記事:
仙台ホテル跡地の商業施設「EDEN」が2024年1月でテナント契約終了、再開発に向けて始動?2023年12月<仙台.話題の現場@仙台風景写真館>さんより

 まあ本格的な再開発までのピンチヒッターだとすれば、役目は十分に果たしたのではないでしょうか。一度も利用したことがないので寂しいとか残念だとか言えた義理ではないのですが、青葉通は仙台市内の中でも一番好きなエリアであり……何よりも仙台駅西口の真正面、我らが伊達政宗公のおわす仙台城跡へ至る玄関口であると認識しております。反対側のさくら野百貨店が巨大な墓標の如く立ちすくんでいる今、エデンまで廃墟になってしまったら相当切ないなと思います。
 あえてテナント契約を終了したということは、再開発へのめどが立ったと私はいい方に想像します。私もこの点については見守っていきたいと思います。

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 本日2024年1月31日をもって閉店する「アリオ仙台泉店」に行ってきました。私が行ったのは30日のことなんですけどね。
 この日のコーデは「SHOO・LA・RUEさんにアリガトウ」という思いを込めて、すべて同店で購入したものでやってみました。アウターは、プレイボーイのダウンジャンパーだったんですが、ともかくこれで最後の突撃を敢行してきました。

 この日のフロアは他の業者がそれぞれスペースを占有し、その売り場の担当者がアメ横の如く声をあげて売り出していました。まあ商業施設は少しでも盛り上がっている方がよろしいですからね。ただ私はこういう雰囲気を想像していなかったので意外でした。そして多くの人たちが行き交い異様な熱気を帯びていました。
 
 中にはこういう謎めいたフェアなんかもありました。恐らく他の業者、すなわち実際にモノを卸している業者が直売しているんでしょうね。「ここの商品はここのレジで精算して下さい」という注意書きがそこかしこにあったので。どうせ全部片づけてしまわなくちゃいけないので、イトーヨーカドー本体の在庫は少なければ少ない方が良いですからね。合理的だと思います。

 ナムコ直系のゲームセンターとかロフトとかもこの有様です。4階の書店については別途記事を書く予定があるのでここでは割愛しますが、やはりこれが現実です。そんな閑散としたフロアの手すりにもたれた二人の社員と思しき人たちが、
 「せっかく〇〇さん、売り上げ頑張って伸ばしてきたのに、こんなことになっちゃって……」
 と話しているのが聞こえてきて、「そうだよね、それが本音だよね」「誰よりも無念なのは実際に働いている社員の人たちだよね」と想像し切なくなりました。センチメンタルなんですよ私の。
 
 そんなこんなで5階から1階までフロアを一通り見て回り、最後にSHOO・LA・RUEさんでブラウスとスカートを各1枚購入。地階のフードコートで昼食をして後にしました。アディオス!

 買い物をした時に頂いた最後の記念品です。中身は懐炉でした。結局私は最後の2か月くらいしか利用しませんでしたが、ここで買った1枚のスカートが私に勇気を与えてくれました。そして私の女性らしさ……私の心そのものが伸びやかに成長し、女性として生活することに安らぎを感じるほどになりました。大事なことなので、記録として残すことにします。

 アリオにアリガトウ。
 喜びは今も胸に――。

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 今日は休みだからいいものの朝の3時に目が覚めて、それから2時間以上ずっと布団の中にいたものの全然眠れなくて……結局こんな時間にブログを書いています。まあこのところ私のノンバイナリーな告白とか、結構ハードコアなことばかり書いていたので、今日は時事ネタを絡めた軽めの話題をしていこうと思います。ちょっと休憩しましょうよ。
 ちなみに、最近、背景を変えてみました。いつまでもみすみんサンの力を借りっぱなしというわけにはいきませんからね。私も不羈独立、アンデパンダン精神で動き出さなければなりません。そういうわけで私自身のパーソナルマーク? にしました。なかなかダークネスで気に入っています。

 最近の仙台は……たまに真冬らしい寒さになることもありますが、おおむね3月並みの気温です。道路にも特に雪はなく、過ごしやすいことこの上ないです。風が強いので体感温度は結構低めですが、それにしたって道が歩きやすいことは何よりです。
 一方で、仙台市の郡市長が新型コロナに感染したというニュースを聞き、「やはりマスクは外せないな……」と改めて感じました。5類移行後も私は個人の判断で積極的にマスクを着けるようにしています。特に休日など、女性として街に出る日は食事時以外ず~っとマスクを着けています。

 これが私がつけているマスクです。私はお化粧をしない代わりにこれを着用し、結構フレームの輪郭がはっきりした眼鏡をかけています。さらに帽子をかぶって可愛らしい服を着ると、まあ何とか女性らしく見えないこともないかな……っていう程度の雰囲気になります。髪型もつとめて中性的になれるよう頑張っていますしね。
 最近は本当に、女性として生きることが自然に感じられるようになってきました。もちろん繰り返し言うように私は自分がどこまでも男性であることを捨てきれない……この世界で生きていくうえで男性として振る舞わないといけない場面では躊躇なく男性として振る舞うことのできる中途半端な心の持ち主なのですが……それでもスカートを履いている時の私は女性です。信じてもらえなくても結構ですが、そういうものなのです。

 おや、また私のノンバイナリーの話になってしまいましたね。仕方がありません。こうして部屋でブログを書いている今も女性として書いているのですから。まだまだ言語化して表現したいことがあります。生きているうちにしか出来ないことをする。生きているうちにしか書けないから書く。そういうことです。
 どんな形であれ、今の私は生きる方向へ歩いて行きたいです。
 「生きていても仕方がないから死のうと思った」
 「死のうとしてる」
 「もう自殺するしかないのか」
 過去にSNSや本で読んだ言葉が今も私の心にうずいています。私自身も心が弱っている時は、今でも、そんな風につぶやくことがあります。死が送ってくるサインに呼応することがあります。しかし、その点については前に引用したユルスナールの言葉で説明がつきます。

……人間には二つの種類があるようだ。すなわち、より良くより自由に生きるために、死をその頭のなかから追っ払ってしまう人間と、逆に肉体の感覚や外部世界の偶然を通して、死が自分に送ってくれる合図の一つ一つに死を感じれば感じるほど、ますます自分が懸命に強く生きているということを自覚する人間である。この二つの種類の人間は混り合わない。前者が病的偏執と呼ぶものは、後者にとっては英雄的な訓練なのである。どちらをお選びになるかは読者の御自由である。
 (M・ユルスナール「三島由紀夫あるいは空虚のヴィジョン」141ページ3行-8行)


 たぶん私は後者です。同じく後者だったであろう三島由紀夫さんは最期に割腹して果てましたが、私は当分そういうこともなく……生きられるだけ生きてみます。医者も見放したADHDでASDでノンバイナリーな私ですが、こうして懸命に生きていることを発信することで、ひょっとしたら……誰かが元気になってくれるかもしれないから……。

 あれ、全然箸休めにならなかったですねスミマセン。まあいいや。今日もそんな感じで頑張って行こうと思います。

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 私のように「一応男性として生きることを受け入れてはいるけれど、可能な限り女性として生きてみたい」と思っている人類はこの世にいるのだろうか……いなければいないでいい、私一人でも生きていく……そんな悲壮な覚悟で「CVトランスジェンダー」などという言葉を急造してごまかしていたのですが、「ノンバイナリー nonbinary」という言葉があり、また「ジェンダーフルード gender fluid」という言葉があることを知りました。そこで慌てて過去に書いた「CVトランスジェンダー」という破綻した言葉を修正しまくりました(まだそれほど多くなかったので良かったです)……そうか……すでに海の向こうの外つ国、メリケン国ではそのような考え方が1980年代から起こっていたのですね……。

参考:ノンバイナリーとは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD(※)

 改めて申し上げます。私は出生時に「男性」と割り当てられて42年あまり生きてきました。一方で去年1年色んなことがあって私の中にある内なる異性(アニマ)が急成長。自分の部屋にいる時は当然として、休みの日でもスカートを履き女性らしい格好で外出することがデフォルトになってきました。

 私は男性として社会通念上求められる秩序の中で生活することを受け入れています。同時に私は女性として生きてみたいと願っています。男性か女性か。そういった二元論で分かつことのできないアナログハートな生活を送っているのです。

 一昔前であれば「女装趣味」「変態」と言われたでしょう(今でもそうかな)。好奇と偏見の眼に晒されることが怖くて……私もつとめて「自分が男性である」と認識しようと努力して、これまで生きてきましたが、今は違います。世の中の流れとしてもLGBTやらジェンダーレスやら、性の在り方の多様性を尊重しようとするような雰囲気になってきたので……私も40過ぎてようやく自分の性自認を堂々と世の中にアピールすることができるようになりました。
 それでも、やっぱり「トランスジェンダー」の人たちとは違うよね……と思っていました。いや実際に私は自分の中の「内なる異性」が周りの同性よりも強いことは自覚していましたが、実際にトランスジェンダーとして生きている皆さんのことを知ると、私は違う……だから声を上げることすら許されない……認められない、意味の分からない、「生存させて置いてはならない」(by永井荷風)人類なのか……と思っていました。
 でも、そうじゃなかったんです。既にこういう考え方は存在しており、そういう考え方を持つ人たちも多くいるんです。相変わらず珍しいものには好奇と偏見の目で見て嘲笑しないと受け入れられない保守的な考え方に凝り固まったわが国ではともかく、メリケン国ではそうじゃないみたいなのでね。だからといって別に私の生き方に変化はないのですが、事実問題としてそういうものなんだなということは理解しました。

 ノンバイナリー! 何と素敵な言葉でしょう!

 まあ「そういう言葉があること」は理解できましたが、私はアメリカ人のように何でも合理的に割り切れるような心を持っていませんし、無理に自分を定義しようとするのも、結局「男性か女性か」の既存の枠に当てはめようとするのと同じく、心に負担が生ずることになります。
ノンバイナリーというのならそれで良いし、そうじゃなくても別に良いです。男らしくとか女らしくとかにこだわらず自分の心の向くままに……これからもゆるやかに気持ちを組み立てていきます。こうして自分が「女性として生きたい」ということを告白するまで何年もかかったのだし、今更急ぐこともないでしょう。とりあえず今の段階では「私の心はノンバイナリー」ということにしておきます。
 また少し世界が広がりました。そういうことです。

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 モリーオ「ノウサギ」じゃないです。「モリーオの兎」です。
 この日は白づくめの可愛いコーデで故郷の盛岡を歩き、271枚(精査後)もの写真を撮りまくったのですが、それらを時系列に眺めていると、チラホラ兎をモチーフにした看板の写真があるな、と気づきました。
 去年は兎年で、年末には矢川澄子さんの『兎とよばれた女』などを読むなど「もしかすると私は兎が好きなのかもしれない」と思い始めていた頃だったので、今日はそういうテーマで書きます。ロングコートダディもそれなりに好きですけど、そっちの兎じゃないのでご承知おきください(誰も聞いていない)。
 それではラビット、スタートです!


 昨日書いた記事に出てきた「平興商店」さんの通りにあるアンティークなおもちゃ屋さん「うさぎ屋」さんです。こちらは旧店舗です。あいにくこの日は日曜ということで店休日だったのですが……今から20年くらい前に来たことがあります。その頃はまだ自分の中のアニマをきちんと認識していなかったのですが、いぎなり可愛いオルゴール内蔵の少女人形に一目ぼれして、これをお迎えしたことがあります。
 今にして思えば、その人形の可愛らしさに恋をしたというのは表面的なもので、既にノンバイナリーとしての資質はあったのでしょう……その人形も今はいずこか……壊して捨てちゃったような気もしますが……思い出は今も胸に……ファンファンファンファ~ン(回想から帰ってくる時の効果音)。
 こうしてきちんと兎の看板を見てみると、リアルさと可愛さがちょうどいい分量で混ざり合って、とっても好きな感じです。一度、お店が開いている時にまた来てみたい……可能であればその時は、私がその人形のように可愛らしい格好をして……。


 盛岡市本町通にある「カメラのキクヤ」さんです(公式ホームページ)。昔は市内に2~3店舗あったような気がしましたが、今はこちらの1店舗だけでしょうかね。それでもフィルムカメラからデジタルまできちんと対応してくれる老舗です。ちょっと高級感があって、私は入ったことがありませんが、この兎は大好きです。
 ♪「いい写真、いいカメラ、カメラのキクヤ」
 私が小さい頃はテレビCMとかもやっていて……ちょうどこの絵がアニメで動き、テーマソングが流れるというものだったのですが……あるいは私の兎好きのルーツかもしれません。「昔こんなアニメのCMがあったよねえ」なんて言いながらお店に近づいたら、この兎の家族がいてキャー! と嬉しい悲鳴を上げ(ただし心の中で)、写真を撮っちゃった次第です。慌てていて少々バランスが悪くなってしまいましたが、そう、とにかく嬉しかったのです。「まだ生きてた!」と。いや大変失礼いたしました……。今度は私の愛機とともにお伺いしたいと思います。


 本町通にあるカフェ「SB50」です。SBとはSecret Baseの略で、昔は小さなパン屋さんの2階にありました。実はその頃、時々通っていたことがありました。
 その頃は中央通りの会社に勤めていて、借りていた駐車場が三ツ石神社の方にあり、この通りを歩いていたのですが……人ひとり通れるくらいの階段があり、その入り口のところに小さく「SB50」と書いている。どうやらカフェらしい。ちょっと寄ってみようか。そんな感じで立ち寄り……文字通り隠れ家的な雰囲気が好きで、時々通っていました。1階のパン屋さんからパンを取り寄せて食べることもできたみたいです。
 それから、職場が変わり、今となっては住む場所も変わり……去年の夏に再び訪れたところ、こうして新店舗として生まれ変わっており、立ち寄ってコーヒー一杯で2時間近く話し込んだ次第です。誤解なきように付け加えておきますが、とにかく話好きのマスターで……なかなか席を立つタイミングがつかめなくて、結果的にそうなっちゃったという次第です。
 「できそうな時にやる」
 そんなスタンスでやっているお店らしいので、今日来て見て休みだったとしてもそれほど残念ではありませんが(昔も去年来た時も男性としての来店だったし)、ここもまたいつか来てみたいです。今度いつ盛岡に来られるかわかりませんが。
 ……なお、こちらのお店の看板に兎があることには、今回初めて気づきました。

   *

 ……そんなわけで、まさか「盛岡にいる兎」というテーマで記事を一本書けるとは思いませんでした。むやみやたらに写真を撮るのも、悪いものじゃないですね。テヘッ!
 でも本当に、こういう何気ない日常の景色をひとつひとつ丁寧に撮影し、仙台に帰ってきた後も自分の記憶とすり合わせ、さらにこうして言葉にしてまとめるという作業は、本当に私にとって大切なことであると実感しました。仙台も1月にアリオ仙台泉が閉店するし、青葉通のエデンも閉店するし、3月にはフォーラスが長期休業に入ります。
 今しか見えないもの、今しか見られないもの。そんな景色を少しでも……私にできる範囲で……残していくのが私のしたいこと、するべきことなのかな。そんな風に思いました。

 盛岡も仙台も、現在進行形で、大好きです。

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