昨日は連休2日目でした。
先日SARPに行った時にお店の方から教えていただいた東北生活文化大学の卒展を見るべくせんだいメディアテークに行ったらやってなくて、「もう終わってしまったんだ」と泣きながらフォーラスに行ったら9日からだということに気づいた直後に亀井桃さんの個展の会場で撮影した写真です。その後、亀井桃さんの展示を眺め、可愛らしいスマホショルダーを購入、さらに古書店「あらえみし」で澁澤龍彦集成を4冊購入し……重たさにウンウン言いながらぶらんどーむ一番町を歩きベンチで休憩していると、
「ここ、座ってもいいかしら?」
と、急に年配の女性から話し掛けられました。慌てて澁澤龍彦集成の入った袋をよけて座ってもらうと、
「今は男の人でもスカートを履いて歩けるようになったからいいわよねえ」
「日本はまだまだ保守的な雰囲気だけど、あたしは男性がスカート履こうと男同士で手をつなごうと良いと思うの。幸せになってくれればいいなあって思うの」
といった内容のことを話してくれました。私も自分の格好を好意的に受け止めてくれるのは嬉しいし、シニアな世代の人からそう言ってもらえるのも嬉しく、また意外でした。
まあ、実はこういう文化は昭和の昔からあったみたいで、かつては「シスターボーイ」と言われていたそうです。帰ってきてから調べてみると1957年頃に生まれた言葉みたいで、翌1958年には谷崎潤一郎も『ふるさと』という作品の中で「今日のシスターボーイの先駆とも云ふべき……」と書いているので、思ったよりも古い言葉でした。
ということは、私はやはり「男性がスカートを履いている」というふうに見られているのだな、と再確認しました。それは決して心外なことではなく、むしろそれによって自分の中でピントが合いました。トランスジェンダーとかノンバイナリーとかジェンダーフルードとか色々と新しい言葉を当てはめてみても「ちょっと私とは違うかな」と思っていたところに飛び込んできたシスターボーイという言葉。そもそも私がこうして可愛い服を着て可愛く見られたいと思うようになったのは心の中にある「シスター・アニマ」と共に生きる『個性化』(わかりづらければ「自己実現」でも結構)のための手段として選んだものですから、ある意味では一番しっくり来る言葉です。
無理に男性らしくすることもないし、女性になり切れないからと言って悩む必要もありません。ノンバイナリーは私の気質を説明する言葉として近似的に等しい言葉であると思いますが、この「シスターボーイ」という言葉が気に入ったので、私はこれを名乗ってみようと思います。どっちでもいいから、とにかく私は私の『在りたい私』を生きます。一番自分らしいと思う服装で生きていきます!
*
そう思ったのは私が出会ったばんつぁん(仙台弁)も、ファッションに対する強いこだわりがあって、それを現在進行形で続けていたからです。
「あたしはずっとストリート系で来たから」
そんな風に笑うばんつぁんの格好は、そこら辺の小僧っ子が束になってもかなわないほど垢抜けていました。「歳を取ったから落ち着いた服装なんてしない」とのことで、本当に超クールな服装で……そのような格好のうえで「モード系なのかストリート系なのか」「アメリカンなのかヨーロピアンなのか、どんな方向を目指してるの?」という言葉がさらっと出てくるあたりに、ある種達人の風格を感じました。
やはり達人はこういうものなのでしょうね。『バキ』に出てくる合気道や中国拳法の達人みたいに、技術とかセンスとかを極めると自然体になるのでしょう。それに対しておろしたての白帯を締めた初心者の私の格好なんか、「もう見ていられない」ってことで、声を掛けてくださったのでしょう。
「ライダースジャケットは万能」「タータンチェックとか、派手めのスカートと合わせると良い」「黒いアウターと赤などヴィヴィッドなインナーを合わせる」など、多くのアドバイスをいただきました。アレですね、テレビ番組のファッションチェックみたいですね。
とはいえ決して真似できないなと思うのは、ばんつぁんの服の買い方ですね。「気に入ったものがあればすぐに現金で買っちゃう」というのはいいんですが、「オビを切って店員さんに渡して数えてもらう」という言い方をしておられました。シューラルーやセカストの半額セールで一生懸命買い集めるような私には決して真似できません。
他にも色々と仰天エピソードをたくさん聞いて、非常に楽しい時間を過ごしました。そして最後に私の方から、「男性がスカートを履いて出歩くこと」に後ろめたさを感じていたことを告白。それでもたくさん話を聞くことで勇気が出た、ということを伝え……お互いに名乗った後、再会を楽しみにして別れました。これから「鬼滅の刃」を見て、来週は「ハイキュー」を見るために映画館に行くところだったみたいです。
こういう歳の取り方もあるんだなあ。……とにかく元気になりました。感情的にも理性的にも。何となく森茉莉さんの本を読んだ時と同じような感覚に近いですね。名前もよく似ていらっしゃったし、私にとっての茉莉さんだったのかもしれません。
その後、いつも通り野中神社(縁結び)に参拝。もう特定のパートナーとかが見つからなくてもいいから、その代わり私のことを可愛いと言ってくれる子とか、今日のばんつぁんとか、『在りたい私』を理解してくれる方と一人でも多く出会えるようにとお祈りして来ました。
やはり私はもっと生きていたい。私の『在りたい私』を実現し、これをさらに良い形にするために。
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