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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

 改めて……さる3月16日、青葉区東勝山の住宅地にある中本誠司現代美術館で「さかいふうか個展 神様のいないせかい」を見てきました。ここに来るのは去年の10月以来ですね(前回はアンデパンダン展でした)。
 さかのぼって2月に三人展『胎に刺さったリボン』を見て私の中の女性性が強く共鳴(加えて、初めて私の服装を可愛いと言ってくれる方に出会った)し、卒展ではインスタレーション作品で体験的に可愛いの雰囲気を感じ取り、それからにがつのいぬとねこ展を見て、あとブログでは書いていませんが3/14にSARPで見た森敏美さんの個展『とっ替ゑ、ひっ替ゑ、すり替ゑ展』でもソロ作品それにトキワさん、かんのさんとの共同作品(注)と……2月以降の美術展で展示されたものは全部見ているんじゃないかってくらいの勢いで見ています。


「9の心」(にがつのいぬとねこ展にて)

(とっ替ゑ、ひっ替ゑ、すり替ゑ展にて。右はアレンジ前のオリジナル版)

 そして今回、満を持しての個展です。東勝山というのはそこそこ距離があるのでオートバイを出そうかとも思ったのですが、せっかく私の女性性を開花させてくれた方なので、私が持っているお洋服の中でも一番オシャレなものをチョイス。清楚系なのかロリータ系なのかわかりませんが、「とにかく可愛い鳴瀬」仕様で歩いて行ってきました。
とにかく可愛い鳴瀬

 ではここから、作品についての感想を少しまとめてみます。
 私だってさかいふうかさんの作品を見て大好きになった人類だから、このくらいのことは言ってもいいと思うのですが、さかいふうかさんの作品はやはりマゼンタがベースカラーなのだなと感じました。白でも黒でもなくマゼンタ(でいいのかな)。それが基調にあって、その上に描かれた可愛らしい女の子に私は「女性性」を感じました。
「夢幻クロニクル」

 ただ、可愛いだけじゃなくて……その笑顔の陰に潜み、うっすらと滲み出てくるような悲しさとか辛さとか……そういう単純ではない心の疼きを感じました。温かいマゼンタベースの色合いと愛くるしいキャラクターに心を開いて打ち解けるんですが、ただそれだけでは終わらない感情……切なささえも、さかいふうかさんの作品には、感じ取ってしまうのです。



 この写真の左側にある「魔法少女と呼ばないで」という作品は、2月の『胎に刺さったリボン』でも観ましたが、これを見た時にそう感じたんですよね。可愛いけれど、その可愛さに包み込まれた、隠された負の感情。でも、それは私でも誰でも持っている自然なものですから、かえってそういうところに安心したのかもしれません。
 ちなみにこの作品については、2024年1月30日の河北新報夕刊で同展が取り上げられた時に写真が掲載されたので、ご覧になった方も多いかと存じます。記事によれば、
美醜や年齢を重ねる不安と戦う女性を戦士に見立てる。ハート形のキャンバス、明るいピンク、光るラインストーンで「かわいい世界観」を組み立てた。
 とのことで、やはりこの作品がさかいふうかさんの作品に対する第一印象であり基調となっています。もう一度この場所でお目にかかることができてうれしかったです。

「思考故、葦のように」

 正誤の問題ではありません。とにかく私はそう感じました。そして、そのことを正直に発信することが私のするべきこと、大好きなさかいふうかさんの作品に対する至誠だと思うのでそうします。今回の個展で私の感性をフル稼働させて溢れかえった感情を言葉にすると、大体そういうことであると思います。

何でこれほどまでにそう思うかと言えば、やはり前回の「胎に刺さったリボン」と今回の個展それぞれに掲げられたステートメントを読んだからでしょうね。文芸オタクの美術好きはそう考えます。以下引用。
「神様はいなかった」
これは6年前の日記の一文。
6年前私は手を痛め絵が描けなくなった。
当時はこれが一生続くのだと思っていた。
今でこそ大きな不自由も無くまた絵を描くことが出来るようになったが、別に手が完治した訳でもなく当時感じた諦めの感覚はまだ確かに自分の中に残り続けている。
結局神様が本当にいるかどうかなんて分からない。
だがこの先どんな未来が待っていても、絶望することがあっても、自分の軸を持ち続けたいと願う。
もしここが神様のいない世界だったとしても、自分が自分の神様になるくらいの気持ちで生きていきたい。
 『胎に刺さったリボン』から卒展、さらにいくつかの展示を経て個展にたどり着き、実際にさかいふうかさんにお会いして気持ちを伝え(さかいふうかさんは感想を書きつけた私の手書きのノートをも、写真を撮るくらい喜んでくれたのです!)、今こうして写真を振り返りながら気持ちをたどっていると……可愛らしさと悲しみ……そしてその向こう側にある優しさと強さにたどり着きました。

『乙女信仰』

 涙をたたえているようにも見えるけれど、その目力は決してか弱くなく、強い意志をもって……それも、さかいふうかさんの「気持ち」なのかな? と勝手に想像してしまうのはファンの深読みと笑って御容赦いただければ嬉しいのですが……神様のいないせかいを生きようとしているのだ、と。そういう結論にたどり着きました。
 この作品も2月の『胎に刺さったリボン』展で初めて見たのですが、結構気に入っている作品です。その時にもユニコーンの角が雄々しさというか……弱さやはかなさに真正面から戦ってこれを乗り越えようとする強さが秘められているような気がして、印象に残っていたのかもしれません。今回の個展で改めて観て、それを思い出して……ステートメントに表現された、さかいふうかさんの強い意志が込められているように感じました。

「終わったはずのせかいで」

 これは卒業制作のインスタレーション作品の中にも飾られていました。タイトルは、今ある画像を拡大してそう読み取ったので正しいかどうか少し心配ですが……会場の一番奥にあるのがこちらでした。卒展には2回行って、2回目の時に「作品の中に入り込む」という試みをしたのですが、不慣れだったり人目を気にして慌てていたりしてひどい代物だったので、今回改めて撮影しました。私が制作したわけじゃないんですけどね。でも大好きな作品と一緒に写るっていうのは、自然な気持ちですよね。

 

 ……今にして思うのは「何で絵の前に立つの!」ということですが……でもその時はこれが良いと思ったんでしょうね。仕方がありません。今回こうしてちゃんとした写真を撮ることができましたしね。うん、これはこれで良しとしましょう。



 こちらは今回お迎えしたドローイングと、卒業制作「夢幻クロニクル」の記録写真集です。私も自分で一生懸命写真を撮りましたが、こうして公式のパンフレットがあるのはとても嬉しいです。私が見て感じた世界観がさらに充実して、世界が深まります。そしてドローイング……私が普段ご飯を食べたりこうしてパソコンに向き合ったりする場所から一番よく見える場所に置いています。ふっと見ると、いつでもそこにさかいふうかさんの手で描かれたものがあるという幸せを感じながら、私も生きていきます。
 
 最後になりますが……今回は本当に素敵な時間を過ごさせていただきました。私が来館してから少し遅れて来られたさかいふうかさんは、ベージュのワンピースにヘッドドレスをつけて……いわゆるロリータファッション? なスタイルでした。
 その恰好が作品の世界観同様とても可愛らしいのは言うまでもありませんが、私も私にできる限り頑張って考えた「とにかく可愛い鳴瀬」のコーデを「素敵なお召し物ですね」と褒めてくださったのです!!! 
 感想を聞いてくれて、待ち時間にまとめていたノートを「嬉しいです」と言って写真を撮ってくれて……私の方も気絶しそうなくらい嬉しくて、その勢いに任せて一緒に写真を撮ってもらいました。これは別にSNSに投稿するためとかじゃなく、本当に、この日の思い出を残すための記念写真です。

 可愛い服を着て生きること。
 美術展があれば積極的に行くこと。
 感想をノートに手書きでまとめること。
 
 これまで(特にSNS休止後)一生懸命に頑張ってきたことの全てが結実し、今回こうして素敵な体験ができました。先日書きましたが、私は自分の感性を信じます。自分が良いと思ったことを受け入れ、良いと思った方を向いて生きていきます。今回の、さかいふうかさんの個展で私が体験したことは「みきわめ」をもらったものと受け止めます。
 卒業? そう言っていいのかもしれません。
 メディフェスせんだいから1年。色々と悩んだり立ち止まったり飛び降りたりしながらも、こうしてひとつの作品――文章を書くことが得意な私にとって、手書きのノートに書いた感想文は「作品」のようなものです。それを、さかいふうかさんが受け入れてくれたのだから、私は堂々と「作品」であると宣言します!――を作り上げることができたのだから、新たなステージへ進みます。

 さかいふうかさん、今回は素敵な時間を過ごさせていただきました。もう一度、別な機会にお会いできることを楽しみにしております。個展があれば絶対に行きます。
 ありがとうございました!




(注:これは厳密に言うと東北生活文化大学の学生として本名で制作したものを森敏美さんがアレンジした作品なので、少し違うかもしれませんが、卒業制作も同じように学生として本名で出展していたのだし、いいですよね。この展示も素敵なものだったのでいずれ改めて書きます!)

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 東北学院大学写真部の皆さんによるふたつの写真展を見てきました。ひとつは在学生(2年生中心)による三月展で、もうひとつはいわゆる卒展ですね。4年生、すなわち今年卒業する人たちによる成果の発表展ということで、私も結構気負って行ったのですが……。
 実際行ってみると、それほど気負うものでもなかったかな、という印象でした。
 こないだ見た写真展は結構マジメな雰囲気だったので、今回も結構気合いを入れて「見て書くぞ!」と思っていたのですが……むしろお祭り的な会場の雰囲気でした。
 いわば「学園祭」の雰囲気ですね。スタッフもお客さんも何だかウキウキワクワクして、若干テンション高めで……最序盤こそ「あれ?」と思いましたがすぐに心のチューニングを施し、
 「ああ、こういう感じで楽しんじゃえばいいんだ」
 そして、
 「懐かしいなあ」
 といって……二十数年前、私が現役大学生だったころに感じていた学祭感が蘇ってきて、結構それなりに楽しんでしまいました。その代わり、あまりこのブログでカッチリした文章を書かなくちゃって気負う必要も無いと思ったので、これに関しては気ままにサクサク書きます。そして明窓浄机、心の中の雑多なアレコレを整理して、ピュアな気持ちで……全身全霊をささげて、「さかいふうか」さんの個展について書きたいと思います……。

 写真展という性質上、展示作品を片っ端から写真に撮るというのがためらわれたので、基本的には私の感想となります。ただ、その写真の感想だって、会場の雰囲気がね……ゆっくりじっくり見て回るというよりは、「こんな感じで、みんな楽しくやっていたんだなあ」っていうのを感じればいいかなって……そういう雰囲気でしたから。
 同じ大学写真部の写真展にしても、3/9に東北工業大学一番町ロビーで見た写真展は、また違った感じだったんですけどね。まあその点は学校のカラーということでしょうかね。
(参考)
 まあ、そういう雰囲気だったとはいえ、せっかく会場まで行ってアンケート用紙を渡されたからには全力で向き合います。初めはざっくりと眺めるだけ眺めて、2周目以降は感想を書くためにしっかり向き合い……そして感じたことを簡潔に書いていき……最終的にこんな感じになりました。

 こちらは在学生による写真展の感想でしたが、一方の卒展の方は特にアンケート用紙を渡されることはありませんでした。その代わり大きなスケッチブックがドン! とあって、そこに感想を書きこんでください! とあったので、個人的な思い(※)を込めて書いてきました。

 ……まあ、たまにはこういうのもいいのかなあ……このところ結構、大真面目に取り組んできたことばかりだしなあ……。
 いや、実際こういう雰囲気も嫌いじゃないですけどね。むしろ私もドサクサに紛れて、寄せ書きにサササッと書き込ませてもらったから、ちょっと嬉しかったです。
 改めて、ご卒業おめでとうございます! Félicitations !

※ 25年前……私が高校3年生だったころの話なのですが、実は盛岡からこの東北学院大学に指定校推薦(=無試験!)で入学する機会がありました。その時は生活費等経済的な事情から断念せざるを得なかったのですが、それ以来ず~っと「あの時、もし東北学院大学に入っていたら……」という思いを抱きながら生きてきました。そういう悔しさはこうして仙台市民になれたことで半分以上消滅していたのですが、今回(こういう形とはいえ)接点を持つことができて……わずかに残っていた心のわだかまりも消え去った気がします……そういう意味では私にとって重要なイベントでした……東北学院大学の(写真部の)皆さんありがとうございましたぁ!

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 3月15日、さかいふうかさんの個展「神様のいないせかい」を見てきました。
 ……これに関しては初めにノートに感情を書きつけ、そのあと非公開の日記に書きつけ、少しずつ心の温度を下げているのですが、まだブログで詳細を書けるような温度にはなっていません。感情がまだまだ激しく燃焼していて……むしろ噴火って言った方が良いのかな。心に閉じ込めていた感情がいっぺんにあふれ出して、その余韻がまだ消え去らないので……そういうのが冷えて固まったら書き出してみます。
 かといって他のことを書く気がないので、ごく短く今日はまとめさせていただきます。



 こういう格好をして街を歩きたいと思う自分の心を正当化するために「CVトランスジェンダー」とか「ノンバイナリー」とか一生懸命語ってきたのですが、今日、
 「そういうの、私は何でもいいや」
 と思うようになりました。
 残念ながらどうあがいても私は男性であり、完全なる女性にはなれません。それでも私は私に出来ることをします。私は自分が可愛いとか美しいとかって感じたら、その感情を大切にします。その感性を信じて、大好きを身に付け、大好きと一緒に生きたいと思います。
 前にも書きましたが、それは仙台じゃなければならないのです。この街で私の服装を可愛いと言ってくれる人に、また、素敵ですねと言ってくれる人に出会うことができたのですから。そういう強力な思い出が私の心の中にオベリスクの如く屹立した今となっては、これからもずっとこの街で生きていきたいと、心から思います。そして……

 メディフェスせんだいから1年。どうやら私の生きる道は決まったみたいです。
 私は自分の感性を信じます。自分が良いと思ったことを受け入れ、良いと思った方を向いて生きていきます。この街にはそういう生き方をする私のことを理解してくれる人がいるって、もう知ってますから。
 この街で出会い私のことを助けてくれた全ての人たちに感謝を込めて。Salut !

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 (街歩きのテーマ group_inou『eye』)

 昨日は歯医者さんから居酒屋まで、仙台市東部を中心に街歩きしてきました。歯医者さんが昼からで、居酒屋での飲み会が夜だったのでその間の数時間をどうにかしたくて、それほど明確なあてもなく歩き回ったという感じですが、元々街歩きが好きだし、まだまだ仙台のことを知らなすぎる――具体的には「地名を聞いてもそれがどのあたりなのか感覚的にピンと来ない」ので、今回この時間を使って調べてみよう!……と。往年の名番組「たんけんぼくのまち」のチョーさんになった気分で楽しんできました。チョーさんが如く。


 【榴岡公園】
 街を歩けば綺麗な着物にシックな袴をはいた女性の姿がチラホラ見受けられたし、ヨドバシカメラの商談コーナーでは制服姿の子が保護者同伴でスマホの料金に関する説明を受けていたし……新生活に向けてのスタートを切る人が多い弥生の頃ですが、榴岡公園は相変わらずキャッチボールやドッグランで満喫する人類でにぎわっていました。
 そんな中、久々に男性の服装で街歩きをしていた私は同公園の敷地内にある仙台市歴史民俗資料館で開催中の特別展「なつかし仙台5~いつか見た街・人・暮らし~」を見てきました。戦前と戦後、80年代と2020年代で変わる街の風景なども大変興味深かったのですが、ここに来て特に「おおっ!」と思ったのは、進駐軍兵士と仙台市民が並んで写った数葉のスナップショットでした。1947年に撮影されたリン・ジョンソン氏と子どもたちの写真は2023年4月30日の河北新報夕刊『「あの時」を訪ねる』で掲載されていたものを見たことがあるのですが、もう一葉、東一番丁の店を焼かれた森天祐堂の店主・森権五郎氏が焼け跡で進駐軍兵士と一緒に撮った写真……そのアルバムの余白に書き込まれたメッセージが印象的でした。素敵な言葉なので引用させていただきます。
昭和廿年十一月
戦争は済んだ。今は敵も味方も忘れよう、復興だ、再起だ、互いに手を組んで再建せねばならない。
 ……いまだに終わらない戦争を続けているウクライナとロシアの人たちも、こうして再建へと動き出せる日が一刻も早く訪れてほしいと祈らずにはいられません。私に戦争を終わらせることはできませんが、せめて……ね。私にできることをしよう。そう思って先日の美術展では人道支援のための募金をしてきました。私は私にできることをするんです。


【宮城野区五輪】
 いつわじゃなくてごりんです。近くには楽天モバイルパーク(我らが楽天イーグルスの本拠地です)、仙台育英高校などがあります。そんな五輪の某所にひっそりと鎮座する「稲船神社」は元々ここではない場所(原町南目悪水上37番地)に創祀されたものだそうです。時代的には寛文の頃で、稲作開田にともなって原町南部一帯の農業の神として崇敬されていましたが、明治に至り、現在の地に遷祀した……という御由緒があります。丁寧に街歩きをしないと見つけられないような、ひっそりした雰囲気の場所ですが、とても綺麗に維持されているということは、今も住民たちにとって守られているということですよね。私もご挨拶をして、再び榴岡方面に戻りました。


 【連坊】
 五輪から榴岡公園に戻り、さらに宮城野通を飛び越えて新寺通へ。……そして今回は新寺通の先、「連坊小路」に行ってみました。新寺通までは以前歩いておおよその雰囲気をつかんでいたのですが、その先はどんな街があるのか? 時々Googleマップに頼りつつも、基本的には方向感覚だけで歩いて行きました。
 そしてたどり着いたのは創業70年の老舗『大黒家製菓』さんです。こちらも昔、河北新報の人気記事『いぎなり仙台』で読んで、ずっと気にかけていたのですが、どうやら意外と遠くないみたいだぞ! と思い……来てみました。直前にお昼ご飯を食べてしまい、テイクアウトするにも持ち歩くバッグがなかったので今回は見送りしましたが、場所さえつかんでしまえばこっちのものです。今度はおなかをすかせて突撃リポートしようと思います。

 もうね、もう「あむっと」っていう言葉が可愛くて仕方がありません。絶対食べます!

 あと、ある意味これが一番書きたかったことなんですが……いったん大黒屋製菓を通過して地下鉄東西線連坊駅で折り返し、反対方向にず~っと歩いて行くと、見覚えのある景色につながりました。どうやらまだブログで書いていなかったようですが、先だって散策した「五橋むにゃむにゃ通り商店街」の入り口にたどり着いたのです。
 「そうか、こういうことか!」
 今回こうして街歩きをして、ようやく頭の中でバラバラに浮遊していた地名が線でつながり、五橋と連坊小路がつながることで、それまでバラバラだった仙台市内の地名が次々とつながって……一気に土地勘の精度が上がりました。それまでが限りなくゼロに近い状態だったので、地元の人からすれば「なあんだ、そんなこともわからないのか」と失笑されるでしょうが、それでもいいんです。
 「また少し、仙台市民らしくなれたかな」
 もうすぐ戸籍上の仙台市民になって2年。最初は何もかもが新鮮で不安もいっぱいあって、「何しろ私は八甲田山のふもとから来たんだからな」と寺山修司の口ぶりで自分を鼓舞していたこの街に住んで、たくさんの人たちと出会い、私が在りたい私でいられる――だからもっと深くこの街のことを知り、もっと深く好きになりたいのです。
 2024年度は最先端最速最高シャッターガールみたいなアレコレは他の人に任せ、誰も見向きもしないような仙台宮城の情報を発信していこうと思います。

   *
 
  【仙台駅構内】
 そんな感じで巡り巡って仙台駅東口に戻ってきたところ、東西自由通路(愛称『杜の陽だまりガレリア』)で南三陸町の物産展をやっていました。これから飲み会に行くのに南三陸の地酒とか買っていったらややこしいことになりかねないので、特に買い物はせず、その代わり物販ブースは端から端まで眺めてきました。そんな中で出くわしたのが……オクトパス君は知っていますが、この子は初めてみましたね。こないだ白石市に旅行に行った時も、見目麗しいアニメチックな女の子が街のいたるところに貼りだされていましたが……うん、可愛いです。可愛いと思います。南三陸はちょっと遠いですが、何度もオートバイで行ったお気に入りの場所ですからね。今回はスタンプラリーの台紙もいただいたことですし。今年も行きますよ~!

 Salut !

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 私はこの歌手が特別に大好きだというわけでは無いのですが、最近NHKの「おはよう日本」5時台最後の天気予報(東北ローカル版)を見ているとBGMに流れて来るので、この歌単体は好きです。ただ、どうして好きなのかというと、14年前からずっと大好きなバンドに曲調と声質がそっくりだからです。ジャケットも大好きなバンドの1stアルバムに寄せてきているので、きっとそういうことなのでしょう。だからあんまり「この歌手が大好き」だとは言いません。ただこの曲は好きです。
 今回は記事を書くためにあえてyoutubeの動画を貼り付けましたが、わざわざyoutubeで再生して聴きたいわけではありません。だけど早番の日だとか何とかで早起きしたら必ずその時間にはテレビの前にいたいと思うし、何だったらその時間にその音楽を聴くために早起きしてもいいかなって思うくらい好きです。下手なアニメPVよりも環境映像的なものがよほどマッチします。

 この時間の天気予報で初めて聞いて好きになった楽曲としては、こんなのもあります。

 私が生まれる10年も前の楽曲ですが、これは本当に良いと思うのです。今でもふとしたきっかけに「♪か~ぜ~を~あつ~めて~」とサビの部分だけ口ずさむことがあります。そこしかわからないんですけどね。……
 別に年齢を重ねたから少々のんびりした楽曲が好きになったというつもりもないし、ましてや最近レトロな楽曲が流行っているから聞いているわけでは決してありません。これも声質がいいんでしょうね。声質っていうか「その人の声」。やくしまるえつこ(相対性理論)さんとか濱田マリさんみたいに、細野晴臣さんの声が好きなんです。Eテレの2355なんかも好きです。
 あとはやっぱり、出会った切っ掛けっていうのも、大事なんじゃないかな。そもそも「好き」っていう感情はとてもパーソナルなもので……もちろん「歌詞が好き」「曲が好き」「声が好き」って、分析的に説明することもできるでしょうが、そういう味気ない行為は他の人に任せます。感情家としては、その音楽にどういう切っ掛けで出会ったか……その時の自分の状況や現在までのストーリィ……つまり「思い出」が加わることで好きの感情が強くなるものだと言いたいです。
 なんて言うと、小林秀雄にバッサリ斬られるかもしれませんが。すなわち、
「思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである」(『無常という事』)
 ということなのかもしれませんが、私はいまだに過去を飾りがちです。年齢を重ねるほどにその傾向に拍車がかかり、ブログの内容も非常に煩雑なものになっています。まあ仕方がありません。小林秀雄のいうことは、たぶんその通りなんだと思いますが、私がその領域に達するためには今しばらく時間と修練が必要な気がします。
 もしくはADHDでASDである私には、そういう領域にたどり着くことはできないのかもしれません。自分が大好きなものに対して強烈なこだわりを持つのが私の特性ですから……そして、こんな私の「大好き」なんか、だれも受け止められない……人並みにSNSで多くの人とつながろうと思っても、相手に対する気持ちが強すぎてコントロールできなくなっちゃうから……やっぱり私は自分のパーソナルな「大好き」で囲まれた人工楽園の中で生きるしかないんです……それしか生きる道は無いんです……。

 「好き」をテーマに自分の心の中を書き出したら、こんな感じになりました。最後になりましたが、私の「好き」を伝えるために書きたいと思っているテーマについて簡単にまとめておきます。

 3/14 SARP(仙台アーティストランプレイス)で見た「とっ替ゑ、ひっ替ゑ、すり替ゑ展」のこと。2月に同じ場所で見た胎に刺さったリボン展「足跡」展で見た東北生活文化大学の生徒諸氏さらに昨年秋保で個展を見た越後しのさんの作品などが多く飾られていました。在廊していた主催者の森さんにも感想をお伝えできて良かったです。私にとってはSNSで発信することよりも直接伝えることが大事なので。
 3/16 中本誠司現代美術館で開催中の「さかいふうか個展」のこと。この記事を書いている時点では未来の話なので予定ですが、恐らく2月以降の美術展に出展されたものはすべて見ているので必ず行きます。精一杯可愛らしいコーデで突撃する予定です。キャー!
 3/19 せんだいメディアテークで開催される東北学院大学の卒展/東京エレクトロンホールで開催される同大学写真部の写真展のこと。この日はいよいよXに復帰するので、やはり可愛らしいコーデでみすみんボードをつけて写真を撮ろうと画策しております。1階の大きなスクリーンのある場所(去年メディフェスが行われた場所)で写真を撮るのが理想なんですが、立ち入れなければ、まあメディアテークのどこかで撮ればいいか。借りは返します……! あとSARPでも新しい展示が始まるみたいだし、これもチェックかなあ。
 3/20 ギャラリー越後で開催される「すずき恵個展 陰と陽」のこと。もちろん個展そのものも楽しみなんですが、越後しのさんにお会いできるチャンスでもあるので、こちらも必ず行きます。
 未定 仙台で活動するシンガーソングライター「アベココア」さんのこと。「好きになるのは切っ掛けが大事」という話をしている時、念頭にあったのはアベココアさんのことでした。仕事帰りに聞こえてきた声をたどり、路上ライブを見て好きになったので……そう遠くないうちに一度、文章をまとめておきたいなあ。
 
 ※こうして書いていると過去に切っ掛けはそれほど重要ではないと書いたことと矛盾するような気がしてきたので急いで追記します。
 少なくとも今の時点では、切っ掛けもひとつの思い出の要素として「重要」であると考えています。ただ、朝起きた時から「よし今日は〇〇を見に行くぞ!」と勇んで会場に向かう……だけじゃなくて、たまたま会場の前を通りかかった時に開催を知り立ち寄った……という形でもいいじゃないか、ということです。今の私はSNSで開催情報をすべて把握して予定通りキッチリ見て回る……ということができないので……。

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金港堂本店4月閉店 常連客「街の象徴。寂しい」 地元資本の主要書店、市中心部は1店舗だけに|河北新報オンライン
 仙台市中心街にある老舗書店が閉店することが改めて河北新報で報じられています(有料記事ですが、会員登録すれば1日1本は無料で読めるのでぜひご登録を)。でも私は別な本屋さんの話をします。


 ギャラリーに行くと、必ずこのような美術展の案内はがきをもらってきます。並べられているものはすべて見て、少しでも心が動いたのならもらっていきますし、その上で開催期間と場所が合えば会場に行ってみます。その美術展を切っ掛けに新しい会場を知り、次につながることがあるからです。
 今回見つけた本屋さんも、そんな案内はがきによって存在を知り、たどり着くことができたのでした。
 場所は仙台市青葉区八幡……中心街から西に向かってバスで10分ほど移動したところにある街です。国宝『大崎八幡宮』を中心に門前町として栄えた歴史があり、今も築100年とか200年とかって建物を住民たちが守り続けているのですが、この本屋さんも築120年の古民家を改造して営業しているそうです。
 と言っても、そういう雰囲気を前面に出しているわけではありません。それどころか、ここに本屋さんがあることも、ほとんどの人は知らないし気づかないでしょう。わかりやすい看板もないし、お店にたどり着くためには、とある建物の間にある路地に入り、石畳の道を歩いて行かなくちゃならないからです。実際に行って帰ってきた今だから言えますが、私はその入り口の前を何度も通り過ぎていました。案内はがきをよく読めば地図と一緒に「〇〇の隣の路地を入って……」と注意書きが記されていたので、それによって最後のステップを踏み出すことができたのですが、まるでテレビゲームの謎解きみたいです。
 そんな謎めいた(?)本屋さんなので、あえて写真は掲載しませんし、詳しい場所もお店の名前も申し上げません。ただ、青葉区八幡にある本屋さんに行って来た。とっても素敵な場所だった。そういうことでした。

 といったところでふっつり終わっても良いのですが、甍平四郎も1日に原稿を3枚書くと言っていました。3枚にはもう少し足りないので、お店の雰囲気のこととかも書いてみます。
 本の種類は結構多いです。そして、ある種のこだわりをもって仕入れ並べているのがよくわかるので、それを眺めるのも楽しいです。あまり短歌とかに造詣が深くないのですが、一冊一冊、丁寧に……何か手に取りたくなる本があるかもしれないので……じっくり背表紙を眺めて……。
 そのあと、「ちょっといいかな」と思った(試し読み用の)本を手に取りふかふかのソファに腰かけ、心地よいBGMに揺られながらしばらく本を眺める。……

 ……全く個人的な感情ばかり書いていることに気づき、申し訳ない気持ちもありますが、今更そんなことを言っても仕方ないですよね。だって18年前から個人的な感情に基づく文章ばかり書いているんですものこの場所では。
 あえて何を目的にして行ったのかとか、そういうことを書かずにこの文章を締めくくります。そんな素敵な場所を見つけられて、また仙台という街が好きになりました。
 終わりで~す!(久々の三四郎小宮さん風オチ)

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 昨日はあまり天気が良くなかったものの「行ってみたいところにできるだけ行く」という目標を立てて、泉中央から北四番丁と地下鉄を乗り継ぎ全くつながりのないスポットを巡ってきました。半分は「行かなくちゃいけない」場所(銀行、市役所など)だったので、あえてここで書くようなことじゃないんですけどね。そのうえで、こういうところで書けそうなことを書きます。今日は全然めんどくさくない気楽な文章なので、皆様もさらっと読み流してください。

 冒頭に掲載した写真は仙台市地下鉄南北線「北四番丁」駅を降りて少し歩いたところにある『仙台放送』本社前で撮影した写真です。
 仙台放送というのはフジテレビの直系二次団体(連結子会社)です。そしてこの「かのおが便利軒」というのは私が大好きな番組で、この番組を切っ掛けにパンサー尾形さんのファンになりました(それまではラジオの影響で向井さんが一番好きだった)。毎週録画でリアルタイムで見ているのですが、こないだこの『金の尾形像』が仙台放送本社に飾られていると番組内で放送されたので見に来た次第です。これは私のアート趣味というよりは尾形さん好きが先行してるかな。ええ、もうね。こないだのイベントでは、尾形さんのサインと握手をもらいたくてフォーラスのTシャツ買ったくらいですから。今はそのくらい好きなんです。
(再掲)
 最初は6月に全国ネットで放送するっていうのもドッキリだと思ったんですが、どうやらそうではないみたいですね。私のブログを見て「ほう、そういうものがあるのか」と興味を持つ人がいるとは考えにくいのですが、絶対にありえないとは言い切れませんからね。SNSの時代にあえてブログで書きます。6/2、16:00~全国放送します! サンキュー!(尾形さん風に)

 あとは、新しい本屋さんを見つけました。その件についてはまた改めて書くとして。……それよりも、夕方のニュースで、またもや残念な一報が流れました。

仙台の老舗書店「金港堂」、本店を4月30日に閉店 ビル老朽化、宮城県内3店と出版事業は継続

 まあ確かにレトロ感爆発の建物でしたからね。フォーラスも老朽化に伴い長期休業に入ったし、スクラップ&ビルドは人類が作った建造物の宿命です。本好きとしては極めて残念ですが、十分にお世話になったので……あえて「長い間、おつかれさまでした」と言わせていただきます。私も2年間お世話になったし。間に合って良かったです。
 サンキュー!……グッバイ……(参照)。

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 昨日で東日本大震災から13年。宮城は良いお天気で、こちらの新聞にもあるように……たぶん、天の国にいる人たちにも祈りが届いたんじゃないかなと思います。その代わり今日は降水確率100%の雨模様です。せっかくの休みなのに雨降りだなんて……という思いもありますが、まあ、この写真を見ると「まあ、いいか」という気になってきました。
 13年前のあの日は、ひどく寒かった記憶があります。私は内陸(盛岡)にいたので津波の被害はなかったですが、数日間は停電が続きました。
 そういう時に不便を感じるのは自然なことだから、別にどうこういうつもりはありません。それよりも私が心を砕いたのは、「こういう状況だからこそ、娯楽を大事にしたい」ということでした。いつもと違う深刻な状況で思い詰めて張り詰めてビンビンに緊張するのは自然なことですが、ずっとそういう状態だと疲れちゃうし。だから今できる範囲で気持ちを緩められることを探そう。そう言って弟者といっしょに電気を使わないおもちゃで遊んだことが、一番印象に残っています。

 「こんな時だけど元気を出して頑張ろう」というのも「そんなに頑張ることなんてできない」というのも、どっちもわかります。私自身の体験でいえば、「とにかく頑張ろう」と言って毎日動き回ることができたのは自分の疲れや心の痛みを無意識の方に押しやっていたからであり、そのツケが30代後半に押し寄せてきました。どれほど酒を飲んでもタバコを吸っても辛さから逃れることができなくて、自死を考えるところまで追い込まれました。
 それでも私はギリギリのところで、「頑張ることができない」のは正直な身体からのサインだぞ! と考えるようにしたから、生きる方にシフトしました。動けないなら動けるまで待てばいい……阿佐田哲也ふうに言えば「頭を低くして、エラーをしないようにしてツキが巡ってくるのを待つ」って……今ならそういうふうに、自分の感情を(ある程度)コントロールすることができます。ある程度ね、ある程度……。
 
 わたしにはできないことが、あなたにはできます。
 あなたにはできないことが、わたしにはできます。
 いっしょになれば、すばらしいことができるでしょう。
 (マザー・テレサ)
 一致を願う-片柳弘史神父|心のともしびより
 優越感も劣等感も自然な感情であり、それによって強い行動を起こすエネルギーになることはありますが(私もそうですし)、そうやって周りと衝突し追い込まれ疲れ切ってしまった時、このマザーの言葉に出会ったのでした。この言葉を心の中に収めて、私は日々を生きています。そう思えば、自然と色んなものを受け入れて心が元気になるからです。コンプレックスを起爆剤にしなくても、生きていくことができるからです。

 今日はちょっと簡単ですが、こんな感じで。天気は良くないけど、良い一日でありますように。

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 今日で東日本大震災から13年。
 

 このブログも、もう書く意味がないのかな……なんて思ったり、実際に休止期間が長くあったりするのですが、当時の記事を見て改めて思いました。

 私がブログを書き、それを見てくれる人がいる。そうすることで私が無事であることを確認してくれた人がいる。そう考えると、やっぱり灯を消してはならない。少なくとも、書ける環境があるうちは、書き続けなければならない。そんな気がしました。

 ……でも今の時点では明確に「もうやめます」と言うつもりはありません。マイペースでもブログは残していきたいと思っています。(2022年3月11日の記事より)
 そういうことなんですよね。だからやっぱりSNSも復帰した方が良いのかな、って気がしました。私の消息を教えるもの、安否確認みたいなものでもいいから、ちゃんと発信し続けることが大事なのかなって。こんなこと、何回も何回も繰り返しているんですけどね。「もうやめよう」「でも続けよう」って。まあこんな感じで、ずっと続けていければいいか。
 ブログも18年やってれば、長期休業が何度かあってもそうなります。こうしてずっと残り続けるのだから、それを見て思い出せばまた踏み出せる。誰も見ていないとしても私自身が自分の道を踏み出すために……年齢を重ねた今となっては、そういう意味でブログはやめられなくなってきました。
 私が被災した時のことも、ちゃんと書き残していたから――一日として忘れたことはありませんが、しっかり向き合うことができます。あえて向き合わなくても、忘れたことがないから読み返す必要はないですけど、ちゃんと自分なりに「その時の気持ち」を残すことができたのは意義があると思っています。
 1週間。1か月。3か月。1年。……
 だんだんとこのカテゴリの記事に追加される頻度は減ってきましたが、被災地のことを忘れたことはありません。むしろ岩手から宮城に移り住み、さらに福島にも何度か行って、実際にその場所に足を運んだから、テレビや新聞でそれぞれの復興に関するニュースを聞いた時も「ああ、あの時に行った場所が……」というふうに、よりいっそう身近なものとして想像できるようになりました。


 陸前高田市も、2017年頃はまだこういう感じでしたが、今は新しい街も道の駅もできました。一番アナログ的に……ひとつの連続的な復興の流れとして見て感じた場所です。地元っていうわけじゃないし、何か所縁があるってわけじゃないんですが、思い入れがあります。あの頃、高校生だった子たちも今はそれを伝える側になり、復興を手掛ける側になったんだろうから……時間の流れを感じます(私の弟者も今年で三十歳になります。ちょうど私が被災した当時の年齢です)。

 
 福島県も何度か行きましたが、特に心に残ったのが双葉町ですね。文字通り、時間が止まったままの世界で……でも町役場を中心に新しい世界が徐々に出来上がりつつあるし、このたび郵便局も再開して……本当に良いことだと思います。

 インフラなどハード面での復興とメンタル的な「ハート面」での復興。何年経ったって癒えない気持ちはあると思いますが、それならそれで感情家である私は、そんな気持ちに寄り添いたいと思います。これまでもそうだったし、これからもそうです。私だって何か月か休んでもまた戻ってきて、何度だってやり直して現在に至るんですから。
 いつだって、自分のペースでいいんです。今日という特別な日だけじゃなくて、何でもない日も折につけ、行くだろうと思います。海の見える街が大好きなので……オートバイの季節が始まるし……。

 今を生きる私たちにしか
 未来はわからない
 だから生きていたい
 つらくても

 楽しいこともいっぱいあるから

 令和6年3月11日 佐藤非常口/鳴瀬桜華

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 仙台アーティストランプレイス(SARP)で開催された「持ち寄りこれくしょん宮城輝夫作品展」を見てきました。
 私なんかが説明する必要も無いくらい超有名な美術家です。戦前から前衛美術家・超現実主義画家として活躍し、三島学園(現・東北生活文化大学)でも教鞭をとられるなど、後進の指導にも熱心だった……みたいです。こないだ私の女性性を極限まで引き出してくれた胎に刺さったリボン展の主催者である三名も同学校の生徒ですから、何となくつながりを感じます。
 ただし今回の企画展はそこまで格式ばったものではなく、「教え子やファンが所蔵している作品をファンが持ち寄り」開催されたもので……絵画作品もたくさんありましたが、本とかパンフレットとか他の人の美術展の案内はがきとか個人に宛てられた手紙とか……とにかく宮城輝夫氏の言葉や雰囲気が伝わるものを集められるだけ集めてみました、という雰囲気の内容でした。
 そういう雰囲気がとても温かくて、私も初めて見る絵画に「おおう……」と息を呑み、宮城県の他の美術家(中本誠司氏、佐々木正芳氏など)との写真を眺めて知識の幅を広げ、案内はがきなどに書かれた推薦文を丁寧に読み……長い時間をかけて味わった後、感想を残しました。こんな感じです。
 せーの、ドン!

 迷走気味の走り書きなのでずいぶんと文章がおかしいですが、逆に率直な感情は伝えられたかな。ちゃんと本名で住所を書いて会場内のポストに投稿してきました。ともかく私の正直な気持ちを受け取ってもらえれば……。

   *


 お隣の会場では全然違う催し物をやっていました。こちらは菅野光子さんの個展<『半分の庭 』Vol.4 ほしにうまれるさかなたち>です。
あたたかい 
ちいさな 灯りを
ひと粒 抱いて
夜の波間を
越えていく
届かなくて
泡と溶けても
 こちらは人生で3回目のインスタレーション……でいいのかな。会場全体に張り巡らされた幕と光源によって床といい壁といい目に入る空間全てに映し出された光と影の世界を楽しんできました。


 一応会場の雰囲気を伝えるために写真を掲載しますが、元よりこれは「作品を鑑賞するという行為を少し横に置いて」(入口のステートメントより)光と影の空間にたたずみ雰囲気を味わうものですから、いちいちこの写真を取り上げて何がどうとかって解説する必要はないと思います。私も可能な限りあれこれ考えることをやめ、ただキラキラと輝く光と影の海を泳いで……一通り泳いだら真ん中に据えられたベンチに腰掛け、周りを見回し休む……そういう体験をしてきました。
 

 とりあえず、こんな感じでちょっとしたアート体験をしてきました。結構大きな美術展を見て、何千字もあるような感想文を書いて、疲れてしまったので……ちょうど良かったかな。この辺で少し気持ちを休めながら、次に向かうための準備をした。そんな日でした。このあとは中本誠司美術館で「さかいふうか」さんの個展もあるし、東北学院大学の卒展もあるし。それから他にも色々あるかもしれないし……たくさん案内はがきをもらってきたので、この中からどこにどう行くか考えてみたいと思います。3月も時速100キロで美術展行きまくりです!

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 この日(2月10日)は、元々東北生活文化大学の卒展を見に行ったんですよね。そうしたところ会場前に大きな看板があって、「まあせっかく来たんだから見てみようかしら」という感じで見てみた。そんな感じです。完全に美術モードで来た上に、どちらかというと理系の雰囲気のする卒展でしたから、「私なんか……場違いじゃないかしらん」という気持ちがあったのですが、十和田市とか泉中央とか宇都宮市(兄が20年来暮らしている)とか、割と身近な場所をテーマに展開された研究内容があって、
 「なるほど、これなら私なんかでも十分に楽しめるな」
……後に東北工業大学の卒展(産業デザイン科生活デザイン科)へとつながる大きな一歩となったのです。アームストロング船長が初めて月面に降り立ったくらい大きな出来事でした。
 一方で、まだまだ私の心が出来上がっていなかったので、記事を書くための見方をして来ておらず……一応ある程度、写真は撮ってきたので、少々不足があるかもしれませんが……ちょっと振り返ってみたいと思います。

   *


 まず入り口の方にあったのは、こういう……街の活性化ということを課題に掲げ、それに対してどのようなアプローチで実現するかという研究ですね。せっかくなので十和田市について私が知っている時代のことを少し振り返ります。
 神さんが書いている通り十和田市は街の中心に現代美術館があり、それを中心に図書館とか市役所とか、非常に先進的な街づくりを行おうとしているのですが、そのメインストリート(官庁街通り)を外れると昭和感爆発のアーケード商店街があります。私が来たばかりの頃(2015年ごろ)はまだポツポツと昔ながらの商店があり、雰囲気があったのですが、私が去る直前(2022年2月ごろ)にはシャッター商店街化が加速して何とも寂しい雰囲気になっていました。そのため「もう十和田市は私の好きな十和田市じゃない」と見切りをつけ、忘れよう忘れようとしていたところだったのですが……そうですね、アートを引き金に町全体が盛り上がれば、また好きになれるかもしれません。もう行くことはないと思いますが、もう少し街のことを気にしてもいいかしらん。
 こんな感じで最近アリオが閉店して先行きが心配な泉中央エリアのことや、「中心市街地のウォーカブル化」に向けて動いているけどいまいち確立できていない栃木県宇都宮市など、私にもなじみのある街の問題を取り上げて研究するので、勢い興味を持ってさらに会場内を歩きました。ちなみにこの日は土曜日ということもあってか、意外と子供連れが多かったです。だからあんまり落ち着いて見ていられなかったとは言いませんよ。むしろ私みたいなのが混ざるには、このくらいごちゃごちゃしていた方がちょうどいいんじゃなかったでしょうか。
「私みたいなの」

 その後、竹駒神社に関する研究を読んで「最近は境内にマンションを建てるような神社があるのか!?」などと驚愕しつつ足を止めたのがこちら。後藤香乃さんによる研究「吊り下げ装飾の可能性」についてです。こちらの研究に関しては後藤さん自ら内容について解説をしていただき……私も直接感想を伝えることができて嬉しかったので、ちょっと深く紹介します。後藤さんありがとうございました!


研究目的
「上から吊るす」という行為は古くから様々な地域で伝わり、多くの文化や伝統で象徴的な価値を 提供してきた。例えば、フィンランドでは「ヒンメリ」 を上から吊るし、冬至祭の装飾品として穀 物の精霊が宿っていると信じられていた。日本でも、「風鈴」を平安・鎌倉時代の貴族は魔除けのた めに吊るしていたという記録がある。 このように上から吊るして動く装飾品は、人類にとっては昔から存在しており、多くの文化や伝統で象徴的な価値を提供してきた。1940年に米国の彫刻家であるアレクサンダー・カルダーのモビールをきっかけとして、宗教的な要素に加え芸術的な要素を持つようになった。そして徐々に、装飾的さらには創作活動による娯楽的な要素も持ち、現代では吊り下げ装飾が様々な場所や用途で用いられている。 そこで本研究では吊り下げ装飾の魅力に着目し、 吊り下げ装飾がもつ特徴を活かした制作物を提案することで、吊り下げ装飾の魅力を示すとともに豊かな空間を演出することを目指す。
 という目的のもと後藤さんが設計製作したこちらの装飾は「水の流れ」をイメージしているとのことです。こうした静止画でも十分にキラキラした雰囲気が伝わるかとは思いますが、実際の会場では適度な風が当たることにより飾りが揺らめき、まさに光に反射する水面のようにキラキラした輝きと流れる水のシルエットが浮かび上がるのです。
 文章にもありますが、私もこの吊り下げ装飾から連想したのは「風鈴」でした。そのことは実際に後藤さんにもお伝えしたのですが、目にもきらびやかでなおかつ涼しげなオブジェで……それだけでも十分だと思うんですが、それに対してしっかりとした研究に基づく理論を付け加えることで、今後同じような吊り下げ装飾を見た時に自分でも考えを深める切っ掛けになりそうです。実に良いと思います!

 あとは花の配色デザインを分析し「花の色を美しいと感じるメカニズム」を突き止めようとする研究や、犬の散歩ルートに関するアルゴリズムを分析し「犬好きの人同士の交流機会を増やす」研究、さらに「印象評価に基づいて音を視覚表現に変換する手法の検討」など……そんなことどうすればいいの? と思うようなテーマに対して「確かに、できそうな気がする」ところまで導く理論(=研究成果)がいくつも掲げられ、理解が追い付かないながらも写真だけは撮ってきました。今こうして記事を書きながら落ち着いて読み返せば理解できますけれど、それでも正直「考えたこともない」ようなテーマばかりで……ちょっと私のキャパシティを超える内容ですが、ともかく面白い研究だと思います。まあ私は大学の先生じゃないのですべてを理解できなくてもいいと思うのですが、来年はもっと深く内容を理解できると思うので、今年はこのくらいで勘弁して下さい。

 音を視覚表現に変換するとか、言葉を空間デザインに変換するとか……「音は音として、言葉は言葉として」理解しようとすることしかできない(少なくとも展示を見るまでそれ以外のことをしようとも思わなかった)私にとっては、「そういうものか」とうなずくことしかできませんが、これが理系なんでしょうね……恐れ入ります。
 最後になりましたが、宮城大学事業構想学群価値創造デザイン学類卒業の皆さん、ご卒業おめでとうございます。いずれも私が想像だにしなかったテーマばかりで、見るたび「そういうものか……」と驚嘆しきりでした。すべてを理解するためには、私の心のキャパシティが狭すぎて難しいですが、新しい世界を切り開く第一歩となりました。皆様も社会人として、私が想像していなかった社会を創造してくれることを祈っております。félicitations !

   *   *   *

 これで、2月に行った美術展・卒展のことは大体書けたかな。亀井桃さんの個展については書いていませんが、前に特集を組んだので今回はご容赦いただきましょう。
 とにかく集中的に色んなものを見て、それを書き出すことで、私も大きく成長した気がします。分量もメチャクチャ大盛りになってしまいましたが、「消費されない文化」をまずは私の心に積み上げていくための技術は確実に向上しました。これからもこうして、自分なりに……分量の多寡にはこだわらず、感じたことはすべて書き出し伝えたいです。いつか、誰かが見てくれることを信じて……。

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 2月27日――この日はいくつも美術展やら卒展を見て回り、さらに夜にはアベココアさんのライブに行ったりと大忙しの日でした。とりあえず時系列でまとめてみて後から一つずつ回想という形で振り返っているのですが、今回はこれ。

 *

 元々は「宮城教育大学美術科卒業修了制作展」を見るために東京エレクトロンホールに行ったのですが、初日は少し遅い時間からの会場ということに現地に着いてから気づき、ちょっと図書館で時間調整しようかとメディアテークに行ったら何かやっているみたいだなあ、と……いつものようにふらりと立ち寄った次第です。

 「新現美術協会」……今年で73回目です。受付の方によると戦後に始まった新現美術……いわゆる『日展』とか『二科展』のような主流とは違った方向性の作品を制作する美術家たちの展覧会ということで……久々に入場料のある美術展を見てきました。受付の人からして「かれこれ50年、美術の世界でやっています」といった年配の、そして物腰柔らかく丁寧な男性でしたから、これはどんなものかなと勇んで突撃しました。
 なお、この美術展については、いつものように気軽に写真を撮って公開して……ということをしていいのかどうかわからないので、公式ホームページへのリンクを貼っておきます。こちらで作品についてはご覧いただけますので、とりあえずこの場は私のレポート(感想文)だけにとどめさせていただきます。

 新現美術協会ホームページ

 感想を率直に申し上げると、
 「いぎなりスゴイ」
 そんな感じでした。平面も立体も、写実的なものも抽象的なものも色々ありましたが、やっぱり長い間美術家として走り続けてきた人たちの組み上げた作品というのは言葉を失うほど素敵なものです。あまりにも技術がすごすぎて、私の感情も全く暴走することなく……しげしげと作品に見入り、「ああ、いいなあ」「素敵だなあ」と味わうことができました。
 感情よりも理性が先行して、そのフィルターを通して作品の投げかける印象を受け止めるので、感情からのリプライも割と理性的です。つまり「写真と見まがうほど精緻な輪郭線があり、それを彩るヴィヴィッドな色遣いが素敵」だとか「ネガポジ、光と影の世界に配置されたオブジェがシンメトリー的だけど、よく見てみるとそれぞれの世界で微妙に表情が異なっている」だとか、「昔の香港みたいな怪しい日本語のネオンサインが乱立する夜景がいかにも現代的」だとか、そんな風に説明できちゃうんです。別に難しいことをひねり出そうとしているわけじゃなく、「絵のどの部分にどう感じたか」というのが説明できちゃう。そういう作品ばかりでした。
 とはいえ、そういうのをパッと見て瞬時に言葉に変換できるかというと、そんなことはありません。いつだって私の単焦点マニュアルフォーカスな心は、ピント合わせが大変です。近づいてみたり離れてみたり、「う~ん……」と言いながらいったんその場を離れ、後になってまた絵の前に近づいていったり。あるいは自分が持っているフィルターを差し替えてみたり。新しい眼鏡を作る時のような調整を続けて、ある時カチリとピントが合った時、「とくん」と心が大きく脈打つんです。グラップラー刃牙で愚地独歩が菩薩の拳に気づいた時のような表情になるんです。
 いずれも素敵な作品ばかりでした。もっと激しく感情を揺さぶられる(=もっと好きな)美術家さんは何人かいますが、今回はこうして美術展を見る側のスキル……「ピントの合わせ方」について大きな経験になりました。私なんかが別に美術プロパーになって解説や批評をする必要はないと思うのですが、アートに助けてもらっている身としては、こういう心のときめきを大切にしたいです。そのためにもこうやってピントを調節し、合焦範囲を広げていかなければ……。
 なお、こないだの記事も書きましたが、すべての展示を見終わった後、受付の方に感想をお伝えし帰ろうかとした時に、
 「お元気で!……ご活躍を!」
 というふうにお声を掛けていただきました。冒頭に掲載した写真のような恰好をして行ったからか、どうも現代アートをやっている人に思われたようです。いや実は美術「2」でして……とは言いませんでした。だって嬉しかったんですもの。やはりこれからは、こういう方向性でオシャレをして美術展に行くのがいいかしらん。

   *   

 さて、そんな感じで美術展の会場を後にし、1階下の別な会場で東北工業大学生活デザイン学科の卒展を大真面目に眺め、開場時間も過ぎたところで改めて東京エレクトロンホール(この建物も今回初めて入ります!)に突入しました。
 
 果たして私のような人間をも受付の人は温かく迎え入れてくれました。そしてゆっくりと会場内を眺めまわしました。作品によって写真撮影/SNS投稿がOKだったりNGだったりするので、ここも安全のためにテキストだけで話を進めていきます(一部を除く)。
 すでに色んな美術展やら卒展やらを見て回ったうえでの感想なのですが、とりあえず会場全てを見て回って感じたことは、東北生活文化大学の卒展と専門学校日本芸術デザイナー学院の卒展を合わせたような雰囲気だな、ということでした。どういうことかというと、美術系の大学らしく油彩とデジタル、平面と立体……製作者によって形は様々だったのですが、そのデジタルな作品というのがアニメだったりVtuberのキャラクターモデルだったりして、
 「へえっ! こういうのもあるんだ」
 と意表を突かれました。この辺がやっぱり今風ですよね~。良いと思います!
 そのうえで、私の好みとしては、やはり油彩画に心惹かれます。特に大胆な色使いでヴィヴィッドに彩られた作品なんかは真っ先に感情が動きますね。その一方で、全体的に暗いトーンで塗り固められた暗黒的な雰囲気の作品も、心が落ち着くので好きです。写真撮影がNGだったので私の文章での解説となりますが、「白衣を着て椅子に座った人間――ただし赤い心臓がむき出しで、首から上は既に髑髏になっている」絵があって……これなんかは私の心の暗黒面に共鳴しました。ええ、可愛いだけじゃなく、こういうのも大好きなんです。
 一通り会場を眺め、ここにも付箋で感想を貼り付けるコーナーがあったので、しっかり感想を書いてきました。……その中で気づいたのですが、
 「裏に回って写真を撮れる発想が面白いと思いました」
 という感想を誰かが貼っていたのですね。「あれ? そんなのあったかな?」と思って会場内をうろうろしていると……「もしかして、これかな」というのがあったので……受付の男の子にお願いして写真を撮ってもらいました。

 「ポーズは、そんな感じでいいですか?」
 「あ~そうですね、まあ、あんまり撮られ慣れてないからわかんないですけど……はい、お願いします!」
 「はい、それじゃ撮りま~す!」
  

 アレ!? なんか可愛くないですか!!!?
 いや正直なところ、なかなかの大作だったので全体が収まるように撮影すれば私の姿も小さくなって……「ナンチャンを探せ!」みたいなつもりで写真を掲載しようと思ったのですが……正方形でトリミングしたらピッタリ収まるし、しかもちょうどこの日、白づくめのコーデでお出かけしたから、見事に溶け込んで……本当に白いドレスを着て写真撮ってもらったみたいになってる!!!
 そうか、そういうことだったのか……! すべてはこうして横画面で撮影して、正方形に切り取ってInstagramに投稿する時に最大限見栄えが良くなるような計算のもとで……!

 ゴメンナサイ、私、こうして加工しなかったら、それに気づかず……
 たった今、そういう計算のもとで作られたことに気づいて……
 なんかビックリしすぎて泣きそうです……!
 素晴らしい……本当に素晴らしいです……!!!


 会場で作品を眺めている途中で、出来上がったばかりのパンフレットもいただきました。今回の卒展で作品を発表した皆さんがどのような気持ちで制作したのかという言葉が書かれていて、改めて気持ちが温かくなりました。当日、見終わった直後にノートに書いた感想では「極端にエキセントリックなのはなくて、全体的に安定して見られた気がする」と書いていましたが、安定していたからこそ、こうして時間が経つにつれ、良さがじわじわと……あるいは急にパチン! とはじけるように胸を打ったのでしょう。

 
「天才もAIももう足りていてそれでも私は美術を学ぶ」
 これは今年の「現代学生百人一首」のうち、入選作品として宮城の大学4年生が書いた一句です。前にも書きましたが、やはり私は美術そのものの美しさもさることながら、それを創った人の気持ちに触れて心を動かされます。自分なりに美術作品と向き合い心をときめかせる……あえて自分の勝手気まま、心の向くままに自由な受け止め方をして感情を羽ばたかせるのも楽しいのですが、やはり英文科上がりの身としてはテキストがあると理解しやすいです。いっそう作品への愛着が湧くのです。後にまた別な作品に触れた時、それをよりよく理解するための助けになるのです。「心のピント合わせ」の技術が上がる……私なんかが言うのもおこがましいですが、「審美眼」が鍛えられるのです。
 そして私も人間として生きていこうという希望につながるのです。私にこういう感動を与えてくれる人間がいるのなら、私もその感動を伝えられる人間になろう、って。

 大げさですか? でもいいんです。
 美術も文学も、いかに心が動くかが大事なんですから。私はどちらも素人ですけど、心を動かされた人間として、そのことはしっかり伝えたいと思います。
 宮城教育大学美術科の皆さん、ご卒業/修了おめでとうございます。今回はたまたま『OH!バンデス』の伝言板デスを見ている時に開催を知り駆けつけた次第ですが、皆様の素敵な作品に触れられて、本当に幸せでした。これからの皆様のご活躍を心よりお待ち申し上げております。félicitations!

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 去る2/10、仙台フォーラスで【仙台藝術舎/creek成果発表展Vol.5「つくるところ」】を見ました。その中の一部分、赤瀬川沙耶さんによる東北大学日就寮に関する展示とそれに対する私の感想について、一度書きました。
2024年2月18日|それでも私は市民メディア

 その時こう思ったのは事実なんですが、時間を置いて写真を見返したり手持ちの資料を眺めたりしていると、その時とは違った感情が湧き上がってきたんですね。あるいは、心の整理がついて、その時に感じたことをちゃんとまとめられるようになったからかな。
 そんなわけで、改めて――今度は展覧会全体のことを含めて、振り返りたいと思います。また引用しまくり写真掲載しまくりですが(差支えがある場合は直ちに削除します)、これはこれで今の気持ちですから。手加減なしでしっかり書ききります。



◎テーマ 「つくるところ」について
現在、表現活動をめぐる状況は、高度に戦略的に見えます。
SNSやデザインツール、 AI をはじめとする様々なメディア環境によって、 作品を 授受することのグローバルな拡散性に満ちている一方、自身の表現を問い、 生み出す困難さやしがらみを感じることも多々あります。 翻って、私たちが暮らす 場所に立ち返ると、 地方都市 「仙台」で表現することにおける、どこか「むず痒い」 感覚も同時にあることでしょう。必要なのは、そのむず痒さを土着のクリティカルな感性の種とし、耕し育むことだと考えます。例えば、私たちが (仙台・・・etc.) で働き、学び、生活している理由を、一般的な現実や状況に求めるのではなく、極私的な好奇心や探究心、作品を制作する感性にまで開いてみること。これもまた、技術の習得と同等な「つくること」、そして「つくるところ」 へのプラクティスであるはずです。
キュレーター 丹治圭蔵 (5期生)



 今回の美術展は前もって開催情報を知って出かけたわけではなく……メディアテークで東北生活文化大学美術表現学科の卒展を見終わった後、余勢を駆って仙台フォーラスの7階にあったギャラリー『TURN ANOTHER ROUND』で何かやってるかな~? と思って立ち寄ったらやっていた……そういう感じで見ました。そして、今こうして記事を書こうとした時になって、頂いたリーフレットを読み、そのコンセプトを知りました。
 ただ、最近何かと繰り返し申し上げておりますが、切っ掛けはそれほど重要ではないと思っています。どういう切っ掛けであれ、実際にその展示内容を眺め、それが気に入ったということが緊要なのですから。

   *

 まず「おおっ!」と思ったのが、イトウモモカさんの作品「この街で生きるということは…」「明日はきっといい日になるよね」です。わざと1枚目の写真にもちょっと写り込むようにしたのですが、改めて全文を引用します。この文章も含めてすごく心打たれたからです。
 せーの、ドン!


これまで地元から逃れたいという気持ちを抱えて生きてきた。この場所にいるとトラウマが蘇るからだ。だがどんな遠くへ逃げても、生まれも育ちも宮城である私にとって帰る場所はただ一つしかない。 逃れることの出来ない絶望感を抱えていたが「つくること」を通して素晴らしい人たちと出会い、生きる希望を見出すことができた。 憎しみに執着して見ようとしなかっただけで、私には居場所があるということに気づいた。今いる環境で自分ができることを考える。それこそが心のケアにも繋がっている。 地元に対する特別な思いを表現した。


 ……
 最初に読んだ時もそうだったのですが、今こうして記事を書きながら読み返してみても、ちょっと込み上げてくるものがあります。岩手県盛岡市で生まれ育ち、トラウマが散々生成された十和田から逃れ、たどり着いた安息地が仙台である私にとって帰る場所はどこだろう……とか、逃れることの出来ない絶望感の代わりに、「ここが私の居場所だ」「この街なら私は私らしく生きていけるはず」と信じて日々を頑張る私は幸せなのかな……とか何とかって。
 この辺が、やっぱり「宮城出身か、そうじゃないか」っていうことなんでしょうね。宮城県、特に仙台市がホームなのか、そうじゃないのか。それによって考え方は全然異なるでしょう。当然です。イトウモモカさんにとっての仙台は私にとっての盛岡です。その辺の、異なる部分と重なる部分を少しずつ調整しながらしみじみと感じ入りました。
 ちなみに、イトウモモカさんの作品はタナランで開催された「にがつのねこといぬ」展さらに仙台フォーラス7Fのギャラリー『TURN ANOTHER ROUND』最後のイベント「アートバザール」でも拝見しました。良いと思います!


   *


 このイトウモモカさんの作品のほかに、しばらく手に取って見入ったのは写真集「帽子の女の子」でした。絵画などがメインだと思って見に来たら写真作品もあって、私自身も写真を好んでやる人類なので「ああ、こういうのもあるのか」と思って見ていて……作者の言葉を読まずいきなり作品を眺めたので、
 「ああ、可愛いねえ」
 「……あれ?」
 「……ああ、そうか……そういうことなのかな……」
 という順番で、自分なりにストーリィを作り上げ、後になってパンフレットを読み自分の推測が正しかったことを確認した。そういう次第でした。記事を書くつもりで眺めたわけではないので詳細なことは書けませんが、これは製作者の御母堂の生涯を追いかけた写真集であり――可愛いねえと言った幼少期のものは製作者の祖父が撮影した写真で、そういうことなのかなと推測したのは御母堂が帰天した1年後の世界を映したものだったのです。
 恐らくひとつのコンセプトに沿って編まれたものだとは思いましたが、それがどういうことなのかをテキストで知り、改めて得心しました。こうして、写真集という形で編み最後まで読むことで伝える方法もあるのですね。ただ、それは私みたいにちゃんと最後まで手に取って眺める人類でなければ伝わらないと思いますが……まあ、他の人のことはいいか。
 私はちゃんと受け止めました。それでいいですよね。

   *

 そして、改めて振り返ります。赤瀬川沙耶さんによる『日就寮の暮らし2023-2024』です。ステートメントに関しては、前回の記事を読み返すと一部省略していたので、改めて全文を引用させていただきます。





 本展覧会のテーマ 「つくるところ」 を問いかけとすると、 私のアンサーは「仙台の中にある閉じられたモノ・コト」へ向ける興味関心なのだと思う。

 自身が雑誌、ポータルサイトなどのメディアを用いた発信を飯の種としている一方で、無責任な手癖で運用されているメディアのあり方に疲労感を覚える。元・表現者としての目が残っているからなのか、マスメディアによる雑な報道は言うまでもなく、マスに属さないメディアが「適当でも速報性があれば良い」と持て囃される現代においては、編集を学ぶ意欲すら削がれる。

 マスに属さないメディアとは、ニコニコ動画やYoutube、ブログ、SNSをはじめとした誰でも情報発信できるものを指す。せんだいメディアテーク(以下・smt)の言葉を借りれば「草野球」的なものだ。堅く言えば、市民メディア。その市民によるメディアも商業的な手垢がつきすぎた。

 私はそんなものより、学生自治寮の壁の落書きや張り紙の方がよっぽど純粋な事実であり、本来の草野球的な市民メディアなのではないかと捉えた。クローズドではあるものの、形式にとらわれず学生生活を送る中での叫び、遊び、学びを残しておくことに純粋な美しさを感じる。その純粋さは大衆性、専門性の外側にある限界芸術のような趣がある。

 今回は東北大学日就寮の近年の暮らしや建物について寮内の「壁メディア (と勝手に呼ばせていただく)」のアウトラインをなぞる形で見聞録を制作した。正統派の編集やジャーナリズムの梯子を外した上で、壁メディアの変化や寮の位置付け、近年の暮らしのありかたを感じていただければと思う。


 このステートメントに対する最初の感想はすでに書いたのですが、展示内容を見て、さらに手元の写真を振り返りながら1か月後の現在どう感じたかといえば、
 「こんな60年代的な世界が、令和の時代にも生き残っていたのか」
 それが適切な言い方なのか、赤瀬川沙耶さんの伝えたいことと一致するのかどうかというと、まったく自信がないのですが、とにかく私はそう感じました。今からそのことについて、一生懸命自分が感じたことを説明します。
 1981年生まれの私が想像する「60年代的」な概念は、その当時を生きていた人――澁澤龍彥、寺山修司、三島由紀夫、四谷シモン――が書いた本を通じて組み立てたリブレスクなものです。そういったものをベースにして、テレビや雑誌などで触れた映像イメージの世界……特に大学生が「自治」を求め体制と全面戦争を繰り広げていたイメージなんですが、それがまだ八木山に残っていたのか!……と。そんなシステムは精神的なものも含め安保闘争の終焉と共に滅び去ったのだと思っていたので、これは本当に驚きました。さすが帝国大学以来の歴史を誇る東北大学ですね。
 そういう、閉じられた空間の中であふれかえる熱さが飾り立てられることなく壁に書きつけられたり貼り付けられたりした「落書き文化」と「張り紙文化」は、このところ積み上げてきた私の美的感覚を軽々と飛び越え感情に訴えかけてきます。これは私の「直観」なので、あまり上手に説明することができないのですが……。
 「いや違うから!!!」と怒られるのを覚悟で申し上げると、私がこの20年あまりやってきたことと似てるからかな。バズるとかトレンドとかとは一切関係なく、自分の身の回りのことを一生懸命にストレートに伝えること。
 確かに私もSNSをやっている時、思いがけず反響を呼んで嬉しくなったことはあります。一方で「今の時代、情報を発信するなら速報性や話題性をもった内容じゃなければならない」と思い、すっかり疲れ切ってしまったのも事実です。
 そして原点に立ち返り、私が読んだ本とか見た景色とかのことを時速100キロの勢いで伝えること(このブログ)を再開しました。ここ半年で原稿用紙数百枚分も書きました。寺山修司は「モノローグ的」と批判するかもしれませんが、それでいいんです。私の記事を読んでくれる人がいたし、私が書いた小説を気に入ってくれた人もいたし、私の服装を「可愛い」と言ってくれる人もいました。
 「時代の流れについて行けなくてもいい。取り残されてもいい。私は私が良いと思ったものを発信しよう」
 そういう人間なので、強力に背中を押してもらったような気がしたのです。私もそんなにくよくよしないで、思い切り自分が良いと思ったことを、自分の方法で爆発させればいいじゃないかって。

 既に私もそういうものを始めています。

 あちこちのイベントに参加し、感想を書くノートがあれば必要以上に書き込みまくり……

今年の1月末で閉店したアリオ仙台泉とか2月で長期休業に入り恐らく休業明けにはオーパになるであろう仙台フォーラスとかにメッセージを貼り付け……

 こんな感じで自分が良いと思った服を着て街を歩いているわけです。ああ、そうか、既にこういうことをやっていたから、共感しやすかったのかもしれませんね。

 というわけで、赤瀬川沙耶さんのステートメントを読み、展示内容を見て感じたことを書いた後で、改めて20年以上「市民メディア」と呼ばれるものをやってきた人類としての率直な気持ちをまとめます。
 安易に赤瀬川沙耶さんの言葉に乗っかるつもりはないのですが、私は私で「商業的な手垢がつきすぎた」市民メディアというものに対して疲れ切ってしまった……というのがあります。
動画の世界は言うまでもなく、私がやっているブログの世界も、私が書き始めた頃と比べると、やっぱり変わってきているな……というのは肌感覚で感じています。
 初めから私は商業的なこととか考えて始めたわけじゃないんですよね。むしろそういったもの、大衆性とは真逆のサブカルチャー的なこと、マニアックなこと、「私だけが知っている」ことをあえて書き、みんなに知ってもらいたい! そういう気持ちでホームページを始め、ブログを18年も続けているので……そう思っていたところでした。
 その一方で今回の仙台藝術舎/creek成果発表展も含め、昨年秋から色んなイベントに(観る側の人間として)参加しました。そしてローカルな世界で共有する作品や人との交流をたくさん体験し、少しずつ私がやりたいことを思い出し、再構成してきました。
 私はADHDでASDで……定型発達者の皆さんと比べれば心の発達が緩やかな人間であると自認していますが、それとは別にユング心理学でいうところの「内向的感情型」タイプです。いつだって他の人と話している時「こういう時、なんて言ったらいいのかな」「こんなことを言ったら、相手が変に思うんじゃないかしらん」ということばかり考えて、上手に言葉が出て来なかったりトンチンカンなことを言ったりしてしまいますが、その分、感じることにかけては自信があります。
 最近になって、感じたことを文章に翻訳する技術の方も、少しずつ身についてきた気がします。相手の言っていることを上手に理解することが苦手でも、とりあえず自分が感じたことを伝えたい。「そういうことじゃないんだけど!!!」と言われたら「ごめんなさい」ですけど、
 「とにかく私はそう感じた、そう考えた」
 それをすぐに引っ込めてゴミ箱に放り込むのではなく、それはそれとして大事にするのが、きっと心の成長に必要なことなんですよね。「あの時はこう思ったんだけど、それは実は、こういうことだったんだよね」って修正するために必要な材料としてね。そうやって少しずつ修正しながら、生きていければいいかな。
 それに、こんな私の言葉を、ひょっとしたら誰かが「いいね」って言ってくれるかもしれないし。――なんて、そんな夢まで見ちゃいました。壁メディア、良いと思います!

 思いつくままに長々と、私の心の一部を開陳してみました。美術展のレポートにかこつけて、心の整理をしているところをお見せするような文章になってしまいましたが……私という人間をわかってもらいたいので、最後までしっかり書ききります。
 今回の美術展はそんなアートと文芸の両面で心が共鳴し、こうした形で昇華させることができた――とても良い機会に恵まれたと思います。赤瀬川沙耶さん、イトウモモカさん、そして今回の美術展に出展された皆様、ありがとうございました。好き勝手なことばかり申し上げましたが、どうか怒らないでくださいね。

 恐らくアートと文芸は、これからもずっと大好きであり続けると思います。

 アートは私の感情を解放し爆発させ心を生かすために。
 文芸は爆発的な感情をうまく制御し心を活かすために。

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 おはようございます。
 今日は短めの文章を書きます。

 朝方、周囲の家で雪かきをする「ザーッ、ザーッ」という音が聞こえてきたので、「やはり結構積もったのかな……」と思いつつ見てみると、4cmくらい積もったみたいです。今日は休みですが、体調もまだ完全ではないし、あえて出かけることもないかな……。
 3月に入ってから仕事の方も年度末→新年度の境目ということでメチャクチャ忙しくなってしまって、気持ちがしんどい状況ですし。今日はゆっくりしようっと。

 こないだ2月のことをまとめた記事を書きましたが、よくぞここまでアチコチ行ったものです。ただ行って良かったっていう感情だけじゃなくて、それをきちんと記事にして残さなくちゃいけないなって気持ちはあります。受容する私の心のキャパシティがリアルタイムに成長したので、最初の頃と最後の頃では印象が違っているのですが……そういう気持ちはあります。
 ……とはいえいっぺんに書こうとしてもなかなか書けなくて、その記事に取り掛かる前にこうしてリアルタイムな記事を書いて……元々そんなにガチガチの記事を書くような場所じゃありませんしね。そういう気持ちで書くよりも、ある程度肩の力を抜いて、しなやかにいきたいものです。
 3月は3月で「さかいふうか」さんの個展を筆頭に、東北学院大学の写真展それに同大学の卒展や何やと、行ってみたい美術展がいっぱいあります。Xに復帰すれば、当然そのなかでも記事を書くつもりですが、それはあくまで「行きましたよ」というアリバイ作りのためであって、ここでしっかりとした記事を書くのが本分です。偉大なる先達・イワテライフ日記さんも「Twitterのほうで最低限のメモを残していますが、大事なのはこの場所。記録としても残したい」と仰っていましたし、私もこの場所を守り続けます。



 ……可愛い格好も、今年1年かけて磨き続けます。私の中にある男性性を可能な限り抑えて、女性性を高め……また可愛いって言ってもらえるように……。

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 2月に見た美術展・卒展などの集大成みたいな大物記事を書き上げたので、またここから数日は肩の力を抜いて、身の回りのありふれたことを書いていきます。こうした小さな積み重ねや振り返りをしながら、ある時気持ちが高まってドカンとまとめ記事を書くのが私のスタイルですから。別に旬とか速報性とか関係のないブログだし。書きたい時に書きたいことを書けばいいんです。「回想」とタイトルにつければ何でもいいやという境地にたどり着いたので、今日も今日とて気ままに書き散らしてみます。
 これを書いているのは3月3日なんですが、じつは不肖佐藤、十数年ぶりくらいに風をひきました。本当は十数年ぶりというのも確かじゃなくて……ちょっと記憶がないくらい久々に風をひいたんです。いや実は「もうこれしか道はない」って言ってプレコールの箱を手に取ったら開封していたので、過去2年以内に薬を飲むくらいの風をひいてるじゃないか! ということに、たった今気づいたのですが……せっかく書いたのでそういうことにしておきます。
 心当たりはあります。2月28日にちょっと……空気が乾燥したところに何時間もいて……それ以来明らかに喉が痛くなったんですよね。だから風というか気管支炎かもしれませんが、ともかく喉が痛いし咳も出るし。まったくもって体調不良です。それゆえ心も何となくすぐれません。今日は上巳の節句ですが、外出を控え『わんだふるぷりきゅあ』から『日曜のあらかし』までテレビを見たり見なかったりしながら記事を書きインスタントラーメンを食べて死のうとしています。 
 ※そのような事実はございません

 まあ私自身の風は軽中度のものであり、ことさら無理をしなければすぐに快方に向かうと思うのですが、先日老母が腕の骨を折り……さらにその時の検査で「骨粗鬆症」が発覚したという一報を数日前に弟者から受け、気持ちが晴れない日々が続いています。さぞかし不自由をしていることでしょう。だからといって帰省したいかというとそれほどでもないという見下げ果てた親不孝者なんですが、ただ……ショックで何も言えなくなってしまったというのが……今の正直なところです。
 また、先月102歳の誕生日を入院先の病院で迎えたばんつぁん(祖母)は皮膚癌の一種が見つかり、体が弱って手術もできないので外用薬で何とかごまかしていると聞きましたし……まったく自分以外の健康問題で心が重いです。生老病死は人間誰にでもある四苦ですから、なるようにしかならないとは思いますが、せめて私自身は少しでも健康でいられるよう気を付けたいと思います。

 ちょうどこないだ、若い人からこんなふうに突きつけられましたしね。わ、わ、わかってますって……だからほら、タバコはやめたんですよ1年以上前に。そ、それにお酒だって……一番ひどい時は朝起きてビール3本飲んでから仕事に行ってたけど、今は大体350ml缶を2本くらいにしてるし……時々はエスカレーターじゃなくて階段を使ってるし……。

 大丈夫ですよ。馬場さんの言葉はしっかり受け止めました。私は大丈夫だなんて思っていません。体調が良い日は2万歩以上歩いています。最近はすでに身体の方がジャンクフードを受け付けにくくなっているので(胃もたれ率が昔より上がっている)、野菜とか真っ当なものを食べる機会が増えています。

 私は、死のうとなんかしていません。
 私は、いつも生きようとしています。
 無病息災と言いたいところですが、まあ一病くらいしておいた方が良いでしょう。内田百閒も、そんなことを言っていたし。「一病くらいならしても仕方ないか」と思えば、結構長生きできるんじゃないかな。そんなわけで皆様もお体に気を付けてお過ごしください。Salut !

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 さる2月27日、せんだいメディアテークで東北工業大学生活デザイン学科の卒展を見ました。
 この日は元々宮城教育大学の卒展を見るために街に繰り出したのですが、初日は開場時間が遅いことを現地に着いてから知り、「ちょっと図書館にでも行ってみるか」と言って仙台市図書館も入っているメディアテークに行き……
 「へえ、今こういうのやってるんだ」
 「時間もあるからちょっと見てみようかしらん」
 という感じで見てきた……まあそんな感じです。切っ掛けとしてはひどいものですが、ともかくこれが事実だから仕方がありません。前にも書いたような気がしますが、切っ掛けなんか何でもいいんです。内容を見て面白かったり為になったりプラス要素があればそれでいいんです。むしろ私は「来るべくして来たのだ」と受け止めます。シンクロニシティ!
 東北工大の卒展は2回目ですね。こないだは産業デザイン学科の卒展でしたが、今回はライフデザイン学科……いずれにしても私が門外漢であることに変わりはありません。2回目ということで気安さにもターボがかかっているので、何らためらうことなく突撃しました。
 そして、激動する世の中の一挙一動に反応することに疲れ「大問題を論ずる興味を急速に失っていった」(澁澤龍彥『黄金時代』河出文庫版あとがきより)私でさえ、身近な生活や私の本分である文学の世界にまで切り込み、理系ならではのアプローチで作り上げた学生の皆さんの理論に驚嘆し恐れ入ったのでした。
 そういうことを私のポンスケブログで語ったところで、どうせ誰も見てくれないと思いますが、私は私なりに精いっぱい感じたことをまとめます。いつだって、そうしてきたんですから。どうせ誰も見てくれないと言いつつ、もしかしたら誰かひとりくらいは「ヘェー」って言ってくれるかもしれない……いつか、いつかきっと……そう信じていますから。



 ……
 「生活デザイン」は、人間の心身や生活を起点として、地域社会の価値向上や課題解決についてデザイン探求する分野横断的な学術領域です。 地域社会や環境の変容と向き合い、具体的な解決・改善に貢献することを目標に、下図の10 研究室に分かれて探求してきました。 本企画は、これに関わる卒業研修・修士研修の成果を展示するもので、大別して、知識技術を統合してデザイン提案する 「制作」と、 価値向上や課題解決に関わる諸問題を明らかにする「研究」に分けられます。また会場内には、現1~3年生の一部作品も展示しています。
 とりわけ、今回展示している卒業研修は、入学と同時にコロナ禍でのオンライン授業に突入した学生たちがとりまとめた成果です。 困難は多くありましたが、みなそれぞれの課題に向きあい、乗り越えました。視点や提案は大小さまざまですが、生活デザインの重要な課題に向きあい、一隅を照らしてくれました。 そうしたもろもろを想像しながら、ご高覧頂ければ幸いです。


 一隅(いちぐう)を照らす。素敵な言葉です。私もそんな挨拶を受けて、門外漢の気安さで見てみました。見てみたというか、やっぱりテキストが多くて、それをじっくりと読んできました。何分にも強度の近眼で高いところにある細かい文字が読めない……ということもあり、写真もビッシビシ撮ってきました。ここだけで150枚近く撮ってましたからね。それを全部振り返って、その時に感じたことも合わせて……ただ、それを全部書き出そうとすると、さすがに私も大変だし読む方はもっともっと大変でしょうから、ほどほどにまとめてみようと思います。

   *

 文学や芸術の世界は受け取り手次第で色んな解釈が生まれるものであると思っているのですが、科学の世界には物理法則というものが横たわっているので、「何に対してどう考えて、どんなアプローチをしたか」というのが極めて明快なんですよね。すなわち、
「自然科学者が書いた随筆を読むと、頭が涼しくなります。科学と文学、科学と芸術を行き来しておもしろがる感性が、そこにはあります。」
(STANDARD BOOKS刊行に際して)
 ということなのです。文学や芸術の楽しみ方にも幾何学的精神が持ち込まれ、よりいっそうはっきりとした輪郭線を見出し親しむことができるのです。なんて、これは今記事を書きながら思いついたことなんですけどね。でも今回の展示では本当に、文学と科学の世界をクロスオーバーする卒業研究があって、すごく刺激を受けました。これからその内容について、自分の感想を中心に紹介したいと思います。


 すべての展示を眺めてみて、結構「こういうのが多いのかな」と思ったのは、やはり少子高齢化とか時代の流れとかによって過疎化が進むエリアの再開発に関するアイデアですね。私の大好きなウラロジ仙台さんでも取り上げられ実際にオートバイで行ったこともある丸森町筆甫とか、私の地元である盛岡市の中でも特にお気に入りの場所である盛岡市立図書館のある高松地域とか。中には仙台駅周辺のように「人が留まるスペースがないから結局郊外に人が流れていく=ドーナツ化現象」現状を改善するべくマイクロパブリックスペースを作ろう! という研究もあって……昔、仙台駅前でやった社会実験movemoveを思い出しました。あれで私も体験的に、「街中に人が留まれるスペースがある方が良い」と考えている人類なので、これは大いに共感しました。良いと思います! その気持ちを伝えたいので、写真を掲載していいのかどうかわかりませんが掲載しちゃいます!

   *

 ここからは、私のなかにある「科学と芸術を行き来しておもしろがる感性」が強く刺激された展示を2点紹介します。


 こちらも丸森町に関連したことですが、私が特に興味をひかれたのはアートを引き金に街の活性化を図ろうというアプローチをしていることです。超現実主義画家というと超時空要塞に似た力強さを感じますが、そうか丸森町にはそんなスゴい人の文化資源があったのか! というかそんな人がいたのか!……まだまだ私は素人ですねスミマセン。でもいいんです、これをきっかけに一歩ずつアートの海に入水するんですから。それと同時に街の活性化についても考えられるのなら、これほど面白いことはありません。


 これは気仙沼の街の活性化を目的に新規作成された絵画ですね。アートを引き金にという点では先ほどの丸森町のそれと共通する部分がありますが、その内容としては超現実的なものではなくて、むしろ人々の現実、特に独自の文化が発展しにぎわっていた昭和30~40年代の気仙沼市の生活を盛り込んで制作されたもの……ということでいいのかな。今改めて、写真に撮ってきたパネルの記事を読んで私なりに解釈したところでは、そんな感じです。
 たくさんのエピソードを一枚のキャンバスにまとめ上げる作業というのは非常にアート的なことだと思いますが、その工程をフローチャートで説明するところが出色ですね。絵画もやはり技術の積み重ねなんです。それを包み隠さず説明してくれたことは、私にとっては非常に大きな収穫でした。これまた、いぎなり良いと思います!
 ただ、私が感情的に良いと思います! というだけでは消費されて終わってしまうので、そうならないよう最後にこちらの研究をした学生さんのまとめを引用します。


 以上のことを踏まえて、アートという手法を使った調査おいて判明したことが2つあった。1つ目は、アートがきっかけで人々に研究への関心を持ってもらったことである。 聞き取り調査では、人々に「人々の気仙沼市への思い出から絵画制作をする」旨を伝えると、絵画制作について関心を持つ人々が多かったからである。 また、自分の思い出が絵画として表現されることに好奇心を持つ人が居たことである。2つ目は、多くの人に協力して貰う為には気仙沼市民を中心に気持ちに寄り添った研究をする必要があることである。特に、震災関連の研究によっては 「感動ポルノ」 や 「震災をネタとして扱っている」と捉える可能性があるからである。 その為、本研究では研究のきっかけや今まで行って来た研究を明示した。以上のことを踏まえて、本研究では人に取材する上で、本研究の説明が上手く伝わらないことがあったが、滞在取材やエピソード集計、フィー ドバックでは、人々から「気仙沼への想い」を聞き出せたと考える。


 私は門外漢のいち市民メディアなので専門的な分析や批評はできませんが、「震災」という大きな(そして重い)テーマに対して複合的なアプローチをして、こうして科学と芸術を行ったり来たりしながら形にしたのが本当に面白いなと思いました。この気持ちを忘れたくない、こういうスタンスを私も真似してみたいと思ったので、特に詳しく感想を書きました。いぎなり良いと思います!

   *

 今回の卒業展示はせんだいメディアテークの5階のフロア全体を使って行われたのですが、隣の会場に行くと、今度はいかにも理系の大学って感じの研究発表に出くわしました。さすがに全部は書ききれないので、特に印象に残ったものをいくつか紹介します。


 まずは、これですね。「画像生成AIを用いた建築パース生成手法に関する基礎的研究」……いいですね、いかにも理系の卒論って感じのタイトルです。そして生成AIといえば、最近じゃほとんどの人が「聞いたことがある」程度の浸透度合いを見せている代物です。私も文芸オタクではありますが、一応ITパスポート試験に合格するくらいの知識はありますから、ちゃんと最後まで読んで「そういうものなのだな……」と得心することができました。
 こうしてAIを育てることは、残念ながら私にはできないでしょうが、それでも『仮面ライダーゼロワン』みたいに、人間とAIが助け合って生活する世界は確実に近づいていると思いました。今のところ私は積極的にAIの助けを借りることはありませんが……いつか、ね。イズみたいなヒューマギアが私のもとにもいたらいいなあ、なんてくらいのことは思いますよ。そういう未来を夢見る権利くらいは、私なんかにだってあるはずです。





明るい洞窟

洞窟に入ると次第に前の人の姿が闇に消える瞬間がある
見えなくなってもその存在はわかる

明るい光と暗い闇という二つの関係性において
私は”明るい闇”というものが存在すると考える

光 と  闇
直進する光 と 屈折する光
見えること と 見えないこと
近づくこと と 遠ざかること

おもかげとうつろい
お日様の下で不確かな像が現れては消えていく

本制作は光から建築を見つめ直す試みである


 このステートメントの雰囲気も極めて文学的アート的な印象があって気に入ったので、それも含めて写真を掲載します。最初に掲載した2枚の写真は、「ものが見える仕組み」……光源から出た光がものに当たり、反射した光を私たちが目で受け止めるという原理をふまえて、あえて光の方向を変えることにより、そこにあるものが見えなくなるという理論を誰でもわかるようにした実験装置です。どんなに目を凝らしても、このアクリル板を通すと見えなくなってしまうんですね。不思議といえば不思議ですが、神秘でも何でもないんです。すべては物理のうえに成り立っているのですから。
 そんな私の認知・発見・気づきによる心のときめきを見越していたかのように、ステートメントの最後にはこんな文章がありました。これまた素敵な文章なので丸ごと引用させていただきます。


本設計ではものが見えるという現象について根源的な仕組みから掘り下げ、光の屈折という一つの テーマに終着した。制作を進めながら現象とは何かということをずっと考えていた。ある時それはみえていなかった”存在”を” 知覚” する瞬間なのではないかという結論に至った。既に目の前にある事象が、ある条件下で姿かたちを少し変えて私の前に現れた時に私はその存在をようやく知覚する。柱があればそこに影が落ちる 落ちた影が光の存在を私に知覚させる そのようにしてまだ知覚できていない目の前の事象をそっと掬い上げるような空間が出来た時、初めて建築と環境が調和したといえるのではないだろうか。 本修士設計では、レンチキュラーと呼ばれる光学レンズを用いて壁 のみでの思考に留まったが、建築と環境の知覚については自身の卒業設計から続く終わらないテー マである。 これからも引き続き考えていきたい。


 改めてしっかり文章を読み直してみると、小林秀雄みたいな鋭く怜悧な言葉ですね。これをきちんと理解できたという自信はありませんが、それなら理解できるまで胸に秘めておいて、また何度でも振り返ればよろしい。楽しみが長く続くに越したことはないのですから……。

   *

 「記憶をもとに設計し記憶を積み重ねながら暮らしていける家」「緑の侵食をうけながらも残り続けたいという建物の意志を汲んだデザインの在り方」「台湾の新竹市にある軍需工場の遺跡を再利用した『異空間並置設計論』」「現在の日本人の死生観を改めるための『葬儀~後に故人と向き合う場』の建築デザイン」……撮りまくった写真を振り返り、そこに書かれた記事をしっかり読み返すことで、どれもこれも面白いなあと思ったのですが、文芸オタクとして最も深いところに突き刺さった研究を取り上げます。



 
言語は感情を変化させる一つの手段であり、生活をする上で欠かせないものである。 小説から感情を読み取り、「私」自身がイメージする空間イメージを頼りに、言語表現から空間を形成し、感情の印象を埋め込む。 そこで本設計では自分自身の感情と向き合える「小説」という媒体を使い、小説の文章を修辞法の一つである隠喩を用いて、空間イメージと掛け合わせながら、言語化し、主人公の感情をこれまで自分が体験したイメージの中で空間を知覚し形成する。 言葉により紡ぎ出される主人公の感情を自分の体験したイメージから空間の設計を試みる。



 小説の世界というのは文系の……盛岡大学文学部英米文学科を卒業した私にとっては本丸のようなものです。ここは決して理系の世界の人たちが立ち入れない領域であり、逆にこの文系の世界の人間だから理系の世界には入り込めないんだ……と思っていただけに、この研究発表は衝撃でした。あくまでも私は感情を言語で表現することが一等得意な人間なので、こうしてオブジェとして小説の世界を実直に表現する試みというのはまさに幾何学的精神に基づく真面目な研究成果であると思います。私に出来ないことをやってのけたことに、素直に感動してしまったのです。

 感情を形にする作業ではありますが、そこに不純物が入り込む余地はありません。ひたすらまっすぐに空間イメージを作り上げ、出来上がったものがこれらのオブジェです。

 建築家でも美術家でも、いや何だったら小説家でもなんでもそうですが、やはり形を作るためにはきちんとした体系だった技術が必要なのだなと痛感しました。たぶん20年前、私が足りなかったのはそういう技術なのでしょう。色んな本や解説書を読んで「そうかな!」と思って、それを引用しながらでっち上げた卒論は、いま思い返してもひどい出来だったと思います。
 ただ、20年経った今なら「それが私の限界だったんだろう」と思います。今更「ああ、もっと勉強しておけばよかった」なんて思いません。ともかく私の大学時代は20年前に終わっているのです。そして今回も含めてたくさんの卒展を見て回り、改めて自分の限界を確認したうえで、「これが私なら仕方ないか」という一つの着地点を見出すことができました。
 私なんかに出来ることはそれほど多くありませんが、一応社会人として生きているわけだし、全くないわけじゃないはずです。それなら出来ることを精いっぱいやって、出来ないことはできる人にやってもらえばいい、という未来への道筋もできました。そういう人を育て世に送り出すために教育機関というものがこの世に存在し、教える人と教わる人が存在するのだから、それでいいはずなのです。
 (関連記事:20年目の卒業



 たくさん引用しながら書いたので、単純に文字数だけ数えればメチャクチャ長くなってしまいましたが、そろそろこの小文もまとめます。最後に、今回の東北工業大学生活デザイン学科の卒展および、先に見た同大学産業デザイン学科の卒展そして記事には起こしていませんが宮城大学事業構想学群価値創造デザイン学類卒業展示(公式ホームページ)も合わせた「理系の卒展」を見て回ったことをまとめた感想を書きます。
 いずれも「メディアテークに行ったら何かやっていた」「入場無料だしとりあえず見てきた」的なきっかけで立ち寄ったのですが、実際に見てみると本当に面白くて、いっぱい楽しませてもらいました。イベントってたいてい身内とか友達とか学校関係者の人が主で、いくらこういうパブリックな場所で開催されているからと言って私みたいな純然たる門外漢が行くような場所ではないと思うのですが、それならそれで新しい発見、化学反応みたいなものがあるんです。
 テーマにしても、私たちが住んでいる街のこととか身近なものを取り上げて、それを深く掘り下げて研究成果としているから入りやすいし。パネルとして掲げられているサマリーも、誰でも理解できるようわかりやすくまとめられているし。そうして色んなことを知って、新しい考え方――そこまで大上段に構えなくても、日々の生活の中でそれまでとは少し違ったものの見え方や気づきが生まれ心が動く瞬間が増えるようになれば、私はそれでいいと思うし、研究成果としても成功だと思うのです。
 最初に見た宮城大学の卒展では、私も初めての「理系の卒展」だったのでドキドキしていたというか、「私なんか場違いじゃないかしらん……」という後ろめたさもあって、まだ心を閉じていた部分がありましたが、ひとつひとつの展示を丁寧に読み……中には展示ブースの前にいて自ら内容を説明してくれた子もいて(代わりに私も自分の感想を直接伝えることができて嬉しかったです!)……「なるほど、結構面白いものだな」ということで確かな手ごたえを感じました。
 それをふまえて行った同じ東北工業大学産業デザイン学科の卒展は、まだそこまで深く掘り下げるには至りませんでした。これはひとえに私の心が「理系の卒展」というものの見方に慣れていなかったためであって、実際に見てみて面白かったのは事実です。それは感情として記憶しています。ただ、具体的に何がどう面白かったかということをまとめるためには、もう少し私の心のチューニングが必要だった。そういうことなのです。
 そして今回、ひとつの集大成として……とにかく可能な限り書ききろう! と思って書ききったのが今回の記事です。他にも取り上げたい研究テーマはたくさんありましたが、それらを全部書ききることは私の手に余るのであえて絞りました。
 書くためにその内容を読み返し、それをもとに自分で文章を書いてみると……美術展の感想と違って、初めからきちんと理論が出来上がっているものを書くので、ある程度伝えやすかったのかな、という気がします。いつも形の無いマグマみたいな感情を拙い語彙力で何とか形にして作り上げてきたのですが、幾何学的精神というか、より論理的で立体的な伝え方が出来るように頑張らなくちゃいけないな、という新しい目標が見えてきました。それをどこまで実現出来るかは未知数ですが、やはり文章で伝えるためには、そういった技術も身に付けなくてはいけませんよね。
 とまれ、文系出身だろうと理系出身だろうと、色んなものに触れてみるのは大切です。臆せずどんどん、こういう機会があればアタックしてみたいと思います。

 改めて……。
 皆さん、ご卒業おめでとうございます。未来は皆さんのように一生懸命勉強しその成果をきちんと形にできた人たちによって創られるものと信じています。私は20年先に卒業した先輩として、皆さんが活躍するための世の中を作ってきたという自負があります。これからも生きている限り、私にできる範囲で世の中を作っていくので、皆さんが勉強してきたことを目いっぱい生かして活躍することを祈っております。
félicitations !

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 3月3日は上巳の節句。皆様いかがお過ごしでしょうか。私は公休なんですが風をひいてしまって……今日は一日ひたすら体力回復に努めようと思い「わんだふるぷりきゅあ」を見ながらこの記事を書いています。前作「ひろプリ」は時に号泣するくらい真剣に見ていたのですが、これは今日が初めてですからね。なるほど、こんな感じですか……。
 いや今日はプリキュアの話ではありません。上巳の節句の話をするのです。もっと言えば「ひな人形」の話をするのです。
 
 最近の話ですと、白石市に旅行した時に武家屋敷でひな人形を見てきました。最近は時流によりひな人形の世界でも核家族化? したのか、こういう多段階のひな飾りも見なくなりましたが、これこそひな飾り! ですよね。そんなひな飾りの横で私とみすみんサンがフュージョンした可愛らしい写真が撮れました。馬子にも衣裳にみすみんボード……。

   *

 今でこそ女性の服を着てノンバイナリーとしての生き方を模索しているところですが、私は男性として生まれ育ち、また兄弟も文字通り「兄と弟」の男系家庭だったのでひな祭りというのはクリスマスよりもさらに縁遠いものでした。
 そんな私が「郷土芸能としてのひな人形を見て楽しむ」とかいう切り口から興味を持つようになったのが、2年前に大迫町(岩手県花巻市)で見た享保雛でした。その時の記事はこちらです。

 2022年3月8日の記事「愛され護られてきたものの巻」

 大迫町ではこの時期になると街の商店のいたるところで伝統的な吊るし雛などの飾りつけをするのですね。それを新聞だったかテレビの県内ニュースだったかで見て、興味を持ち、行って来た……と。この享保雛は、商店街の中でも特にたくさん人形を飾っているお店にあったもので、「昨日はテレビの取材も来たんですよ~」とかってお店の人と話をした記憶があります。



 これは大迫町にあった石川旅館のひな人形です。この石川旅館というのはかの宮沢賢治が大迫に来た時に常宿としていた場所だったので、このような力強いキャプションがついています。そう言われれば私だって「そうかな!」とうなずくしかありません。正確に言うと大迫町を訪れたのは2022年の3月4日なので、おそらくまた今年も展示が行われていることでしょう。今日なんかは日曜日だし、きっと大勢の観光客が大迫町でニギニギヤカヤカしていることでしょう。上巳の節句、あなめでたや。

   *

 こうして伝統的なひな人形の写真をいくつも投稿していると1枚目に投稿したひな人形が少々安くみられるかもしれませんが、これがいいんです。これは私のアパートの近所にある床屋さんの店先なんですが、端午の節句とかハロウィンとか、季節によって飾り付けが変わっていて……通りすがりに眺めてみると「ああ、そうだよねえ。今は〇〇の季節なんだよねえ」とリマインドさせてくれるのです。なので私にとって最も身近なひな飾りがこれなんです。
 そんな感じで今日の記事は大体終わりです。あとは終日読書とか記事作成とか、インドアで過ごしたいと思います。良い一日を。salut!

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 2月は本当に……ここで書ききれないくらい色んな体験をしました。文字通り人生初の体験もしました。本から知識を得て世界を認識してきたリブレスクな私が本の世界に入り込んで自分がその登場人物になり……物語で読んだような体験をする機会があって……これ以上詳しく申し上げることはできませんが、これまでの日常がすべて吹き飛ぶような爆発的な出来事でした。
 私にとって必要な体験だったとは思いますが、私が求める日常は、その体験の延長線上にあるものではありません。やはり私が求める日常とは「アート・アンド・ブンゲイ」であって、それをもう一度確立するために一生懸命に記事を書いています。
 差し当たって2月27日に行った東北工業大学ライフデザイン学科の卒展について書き始めたのですが、宮城大学事業構想学群価値創造デザイン学類の卒展(2/10)に東北工業大学産業デザイン学科の卒展(2/24)と、2度にわたる理系の卒展を見たおかげで色んなものが見えてきて、書きたいことが大氾濫してしまい、全くまとまらないんですね。私も別に仕事がある人類なので、書ける時間も限られていますし、何よりも「気持ち」が大事ですから。内容をまとめたノートはあるし写真も150枚くらい撮影しているので、それをまとめようと思えばまとめられると思うのですが、ちゃんと気持ちを載せて書かないと納得がいきません。
 一方で、毎日書くと前に宣言して以来(1日に何日か分まとめて書いて予約投稿することも多々ありますが)ちゃんと毎日掲載しているし、穴をあけるのも業腹です。そもそも速報性なんか初めからありはしない気ままなブログだし、この辺でちょっと空気を入れ替えます。久々に、読んだ本のことなどを書きます。いぎなり前置きが長くなってしまいましたが、今日はそんな感じで気楽に書きます。どうか皆様におかれましても、コーヒーでも飲みながらお読みください。



 『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』澁澤龍彦著
 立風書房 1990年8月30日初版

 これは先日盛岡に帰省した時、一緒に仙台に連れてきた本です。具体的にいつどこで買ったかは覚えていませんが、最後のページに鉛筆で1800円と書いていたので、この本をその金額で購入したことはハッキリしています。また、これが初めて購入した澁澤さんの単行本であることも間違いないです。当時新たに澁澤龍彥を読もうとなれば河出文庫や中公文庫で刊行されたものがメインで、単行本はそもそも見かけることがなかったので……。
 一方で内容の方については、あまり強烈な印象は残っていませんでした。死刑制度に反対する理由として「制度においても習俗においても完全に聖性を失っている社会では、聖性への可能性においてのみ存在理由を示す死刑を存続させるべき根拠はない」と述べているところだけはすごく鮮明に焼き付いていますが、それ以外はあんまり……でも澁澤さんの単行本だしね、といって何度か訪れた金銭的危機に伴う大処分にも遭わず、ずっと本棚の奥に眠っていたのがこれです。
 今回久々に読んでみた感想としては、
 「よくぞここまで、色んなところから文章をかき集めたものだ」
 そんな印象でした。最後のページにある初出を見ると、もちろん『文學界』『新潮』といった本格的な文芸雑誌に掲載されたエッセーがあり、他の人の本に寄せた解説文などもるのですが、新聞とか映画のパンフレットとか『週刊住宅情報』!? とかに掲載された文章もまとめられているのでビックリしました。だから印象としては「かき集めた」なんです。サドとか終末思想とかエロティシズムとか論じていた人が週刊住宅情報に……やはり60年代と80年代では同じ澁澤龍彥という人物でも全然違うものなんですね。かく言う私も「玩物草紙」という、非常に穏やかな澁澤さんの文章が大好きなんですが。
 じゃあこれは(最近某有名文庫レーベルから刊行された本のように)明らかな商業目的、澁澤さんの死後に一儲けしようとたくらむ人類によって刊行された寄せ集めの本に過ぎないのか……といえば、そんなことはありません。この本は生前から出版する予定で立風書房の編集者と相談していたものであったといいます。そのことはあとがきで澁澤龍子さんがおっしゃっております。
 癌で喉を切り取り声を失った自分の現在を幻灯機で映し出したようなアナクロニズム爆発の小説『高丘親王航海記』を刊行、次作『玉虫物語』に次のエッセーにと意欲を燃やしていた澁澤さん。「ジャン・ジュネ追悼」「ボルヘス追悼」の次に来たのが澁澤龍子さんの「澁澤龍彦追悼」のあとがきになってしまうとは……今こうして読み返すと、遺された人間の気持ちが伝わってきます。それは私自身が長く生きて色んな感覚が身についたことと、最近、身内との永訣を体験したことが影響しているのかな。
 ともかくこれが澁澤龍彥「最後の」エッセー集です。この本を切っ掛けに澁澤龍彥を知り、その文章の中に出てくる人物の名前を知り、後にその人の著書に触れる。そしてある程度遍歴を終えてから戻ってきて、「ああ、これはあの本に載っていた文章だな」とか「うんうん、あそこで読んだ本に書いてたっけね」と思い出す……ちょっとしたハンドブックみたいな面白さを感じました。ジャン・ジュネは未読ですがボルヘスは去年の暮れに読んだし、三島由紀夫も稲垣足穂も結構ガッチリ取り組みました。
 何よりもベルメール! これは私のなかでも特に思い出深い文章です。
 今は閉店してしまった仙台市内の喫茶店で、「澁澤龍彥が好きなんです……」と言ったら店員さんが差し出してくれたハンス・ベルメールの写真集。これに載っていた「写真家ベルメールーー序にかえて」という文章を、実際にベルメールの写真集の中で読むことができたのは、私の読書体験の中でも一等素晴らしいものでした。再びその文章を読み、あの時の写真集の重さ、紅茶の味、お店の人との会話……すべてが鮮明によみがえってきて……結局お店を訪れることができたのは一度きりだったのですが、素敵な体験でした……。
(2022年12月7日撮影)
 こうして何でもかんでも写真を撮っておくのはいいですね。フォトジェニックだとかSNSで10万いいねだとか、そんなことはどうでもよくて、自分の記憶を補強するためにも、私はやたらめったら写真を撮りまくります。

 そんなわけで、今日の記事を書き上げることができました。本の感想文と私の個人的なことと、そういうものがないまぜになったへんてこな文章ですが、良いんですこれが私にしか書けない文章なんですから。終わりで~す!

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 決して日々を何となく過ごしてきたわけではないのですが、今日から3月ですね。昨日はFORUSの営業最終日につき特別記事を書いたので、月初の今日、先月のことを振り返ってみようと思います。決して書くことがないからこれで一日分でっち上げようとか、そういうわけではありません。色々なことがあって、いったんまとめないとわからなくなっちゃうので書くのです。

   *

 まずは2月2日ですね。いきなりこの日に美術展を立て続けに観て回り、人生で初めて「可愛い」と言われました。私の努力が実った証明であり、決してこの日のことを忘れてはならないと折りにつけ何度も何度も振り返っているところですが、また振り返ります。あとそれに関連して、私の可愛い系ファッションを推し進める決心をさせてくれた出来事についても一緒にリマインドをします。

実録「可愛いと言われた日」- 2/2のある出来事についての特集
TATSUJIN BANTSUAN - 2/7に出会ったストリート系シニア女性との交流

 次に、今月見て回った美術展……と、「卒展」ですかね。建築デザイン科とか、そういう理系の卒展もたくさん見て回ったので、それらについて時系列で整理してみます。

2/2 亀井桃個展「ぷりずむ」
2/2 「日本デザイナー芸術学院」卒展
2/2 東北生活文化大学4期生グループ展 「私の推し展」
2/2 東北生活文化大学「足跡」展
2/2  「胎に刺さったリボン」展
2/3 「胎に刺さったリボン」展(2回目)
2/10 東北生活文化大学美術表現学科 卒業展示
   宮城大学事業構想学群価値創造デザイン学類卒業展示
   仙台工藝舎/creek成果発表展 vol.5 「つくるところ」
2/14 東北生活文化大学美術表現学科 卒業展示(2回目)
2/20 「にがつのねこといぬ」展
   東北工業大学産業デザイン学科卒業制作展
   東北大・東北学院大・東北工大三大学写真展
2/22 専門学校日本デザイナー芸術学院写真映像科の写真展
2/27 新現美術協会展   宮城教育大学美術科卒業展示
   東北工業大学生活デザイン学科卒展
   

 プライベートで書いている日記とかもらって来たリーフレットとか撮りためた写真とか、手元で調べられるあらゆるものを駆使してまとめてみるとこんな感じでした。私自身にとっても、記憶を整理することができて良かったです。
 まあ私自身の大学生活は20年前に終わっているのですが、卒論は「出さなきゃ卒業できないから出します」的なひどい代物だったし、就職も決まらなかったし……何だかもやもやした気持ちをずっと抱えたまま生きてきたのでね。私は全く関係ない一般人ですが、こうして皆さんの作品に触れ、時には直接にお話をさせていただいて……自分の中で燃え残っていたものをちゃんとエネルギーに還元できたのかなって気がしました。
 それをまとめたのがこの記事です。実際にはこのあとさらに若い皆様の感性に触れ、自分自身の感性をさらに研ぎ澄ましたのですが、おおむね言いたいことは一緒です。
 20年目の「卒業」
 今月19日には、私もいよいよXに復帰する予定です。そうなれば、私もすべて元通り――いや、チューニングを終えて安定感を増した私で生きていけるかな。そうなれるように、今日も明日も明後日も大切に生きていきたいと思います。




 なお、美術系以外のイベントというと、大体こんな感じですね。シンプルですが、一応まとめておきます。

 2/7 

東北本線で白石市に小旅行・お城を見て白石温麺を食べた
 2/10 

今月で長期休館に入るフォーラスでパンサー尾形さんのイベントに参加。色紙にサインをしていただき、握手をしてもらう。サンキュー!です!
 2/27

仙台を拠点に活躍するシンガーソングライター「アベココア」のライブに参戦。私自身が色々と迷走していたので7月以来の結構なご無沙汰でしたが、やはりパワーをもらえます。アベココアさんのことも結構書きたいことがあるので、近々特集を組んで書きます。

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 仙台市民にとってなじみ深い仙台フォーラスが本日をもって長期休業に入るので、最初で最後? の「わたしの仙台フォーラス」な話をしたいと思います。

   *


 仙台市青葉区一番町、街の真ん中にある『仙台フォーラス』はジャスコの流れをくむファッション系の商業施設です。このように季節に応じてオシャレな広告が店先を飾り、フロアも非常に先進的なお店ばかりが入っている一方、地下2階にある『北京餃子』は安くて量が多くておいしい町中華として常に混雑しています。
 そもそも私が仙台に引っ越してきたのは2年前だし、本格的にオシャレに気を遣うようになったのは去年の12月くらいからなので、あまり積極的に買い物をすることはなかったのですが、ただ7階のギャラリー「TURN ANOTHER ROUND」には亀井桃さんの個展を切っ掛けに通うようになりました。本格的に通うようになったのは3階に古書店「あらえみし」が出来てからなので、ごく最近のことですね。アパレル系については結構若い人向けのハイセンスな服ばかりなので、私なんかが手を出すのは少々ためらわれるところですが、それでも今女の子の格好をする時限定で使っているピンク色のスマホポーチはここで買いました。

(7階、TURN ANOTHER ROUNDにて)


そんなTURN ANOTHER ROUND最後のイベントは、公募したアーティストの作品を売り出す「アートバザール」。最近好きになったイトウモモカさんの絵とかもありました。結構、ここに並べられた案内はがきを見て好きになったアーティストがたくさんいるので、今後はよりいっそう積極的に自分からギャラリーに通わなければいけませんね……今までありがとうございました。


 建物の地下2階にある『北京餃子』です。こちらも長い歴史のあるお店です。フォーラスが若い人たち向けの商業施設だったので、ここのお店に思い出がある宮城県民はとても多いようです。有名なところだとパンサーの尾形さん(東松島市出身)も「焼きそばの油が多くて食えねえ食えねえ」「床がヌルヌルでカーリングができる」と当時の思い出を語っていました(今はそんなことはないです)。ギリギリのタイミングでしたが、私も行ってきました。平日の14時過ぎに行ったにもかかわらず店内は大混雑でした……。
 北京餃子そのものは無くならないですが、「フォーラスの地下の北京餃子」というのはこれが最初で最後ですからね。これで私も仙台市民らしい思い出ができたかな、という感じです。間に合ってよかった……ありがとうございました。



 「あらえみし」は仙台駅東口にある古本屋で、私も何度か行ったことがあります。こちらのお店はカフェが併設された業態で、去年の今ぐらいの時期にオープンしたんじゃなかったかな。ずっと名前しか聞いたことがなかった「澁澤龍彥集成」を始めユリイカ、幻想文学、国文学などシブサワと名前の付く本を片っ端から購入しました。
 カフェスペースを使ったのは初めてだったのですが、やはり本に囲まれた空間でコーヒーを飲むというのはたまらないですね。そこでこれまた澁澤龍彥を読み、1時間くらいゆっくりして帰りました。ありがとうございました。

 語ればまだまだあるかもしれませんが、とりあえずこのくらいにしておきましょう。
 他のフォーラスはリニューアルを機にオーパになっているみたいだから、きっとこの「フォーラス仙台」というのも無くなってしまうでしょう。私は仙台に来て2年しか経っていないのですが、こうして自分なりに思い出ができました。

 こちらは2月10日のイベントで一日店長を務めたパンサー尾形さんに頂いたサイン色紙です。あわせて握手もさせていただき……すごく嬉しかったです。本当この1年で色んな人に出会えました。これからも応援しております。サンキュー!

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 昨日は午前中から色々と動き回り、久々に夜まで街中にいて遊んでいました。夜遊びですね。アルファベットじゃないですよ日本語ですよ「夜遊び」。その結果、書きたいことがいくつも重なってまとまらないので、とりあえず、あったことを時系列でまとめてみます。白づくめのコーデで死のうとしてるみたいですが、むしろ精力的にアート・ブンゲイ・ミュジック(musique)と文化活動のサイクルヒットみたいなことをした、きわめて充実した一日でした。

 ・「新現美術協会展」を観覧。今年で73回目という長い歴史のある美術展。この格好で行ったら受付の人から「お元気で!……ご活躍を!」と言われたので、もしかしたら私も現代アート関係の人だと思われたかもしれません。キャー! 嬉しい!

 ・「東北工業大学生活デザイン学科卒展」を観覧。せっかく同じ日に1階下の会場でやっているのだから……ということで見てきました。生成AIで言葉をイメージにする実験の詳しい流れとか、小説の言葉を物理的なイメージに変換する試みとか、文系と理系の全面戦争……じゃなくて理系アプローチによる文系世界の開拓とでもいうべき卒業研究に興味津々でした。
 ※ 詳しい記事はこちらからどうぞ。8000字くらいありますが。

 ・「宮城教育大学美術科卒展」を観覧(これが本来のメインだった)。こないだ「OH!バンデス」のお知らせコーナーで開催を知ったのですが、やはり美術系の卒展は良いですね! こないだの東北生活文化大学の卒展とはまた違った意味で幅広く素敵な作品を眺め、存分に心を羽ばたかせることができました。また、切り絵アートで絵の裏側に回って写真を撮ってもらいました。

 ・明日で長期休館に入るフォーラス地下2階『北京餃子』でランチ。14時過ぎにもかかわらず店内は大混雑。とりあえず空いてる席を確保して人気1位・2位の『炒飯/広東焼きそば』を食べた。他のお店の大盛りがデフォルトなので食べ切れるかどうか心配でしたが一気に食べちゃいました。「これでようやく、私も仙台市民になったな」そんな気持ちになりました(仙台市民の思い出の味として、フォーラスの地下の北京餃子を上げる人はとても多いので)。

 ・同じくフォーラスの7階にあるTURN ANOTHER ROUNDで「アートバザール」を見る。公募で出展したアーティストの絵画などが多数並ぶ。こないだ知った「イトウモモカ」さんの作品もあった。やはりこういうヴィヴィッドな絵柄が好きなのかなあ、とか思いながら閉店を惜しむ。

 ・今度は3階「あらえみし」へ。この時点で15時過ぎでしたが、19時くらいまでどこかで時間をつぶさなければならなかったので、初めて古書店に併設されたカフェスペースでコーヒーを飲む。それと同時に美術展の感想などを手書きでノートにまとめ、澁澤龍彥などの売り物の本が並べられた棚の前で自分の持ってきた澁澤龍彦の本を読む。これも最初で最後かあ。まあ間に合ってよかったかな……週末はごちゃごちゃして忙しかったみたいだけど、今日はほとんどお客もいなくて、静かに書き物も読み物もできたし。

 ・それでもまだ時間があったのでイービーンズで開催している「古本まつり」を襲撃。昔から古本市が大好きだったのですが、「雰囲気で買ってみたけど結局読まなかった/読んでみたけど、あまり心に響かなかった」そういうことがあったので今回は厳しい気持ちで精査。夢野久作「少女地獄」三島由紀夫「午後の曳航」内田百閒「ノラや」3冊購入。570円。

 ・19時過ぎに「アベココア」さんのライブに行きました。7月以来のことなのでとても楽しみだったのですが、弾き語りだけじゃなくオケ曲が増えていて、またキーボードのひとがゲストで来て、大変盛り上がったライブでした。なおMCで「オケ曲をSNSにあげたらアイドルになりたいの? とか何とかって言われた」でも「別にオケ曲でも弾き語りでも、私が作った音楽だからどっちでもいいと思っている」「私は私の音楽を皆に聞いてもらいたいからやっている」ということを言っていました。良いと思います!

 とにかく、あったことをまとめると、こんな感じです。
 まず体験して、初めに手書きでノートに書き出し、次にプライベートな日記に書き、ちょっとmixiの日記にも書きながら、今このブログを書いています。さらにこのあとInstagramなどSNSで「こういうところに行きました」というアリバイの証明をするためアップロードする予定ですが、だいたいこういう順番で気持ちを濾過してあげれば、私の心の整理も付くのかな。
 小説でも随筆でもない「日記文学」というジャンルがわが国にはあります。私なんかが文学というのもおこがましいですが、私が一番得意なのは日記だし、残りの人生をかけて日記というジャンルを突き詰めてみようかな、なんて思いました。これらのことについては、もう少し気持ちが醸成したら単一の記事として書きたいと思っていますが……あまり一気に書こうとしてもまとまらないし読む方も大変でしょうし。
 今日は次回につなげるための第一歩として、あったことをできるだけシンプルにまとめました。そこそこの分量になったので、いったんここで区切りとします。

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 ここ3日ほど、ひどく神経症的な美術展の感想文が続いたので、この辺でちょっと一服します。本当はこういう、穏やかな記事を書く人間だってことをアピールしておかないとね。
 これは2月23日のことですが、私のアパートから生協までの道中にある教会の庭で梅の花が咲いているのを見つけました。
 桜の花と比べて梅の花というのはあまり馴染みがありませんでした。学校でも公園でも染井吉野だ枝垂桜だ河津桜だ八重桜だ……私が通った幼稚園の名前も桜幼稚園だし昔好きだった漫画は『カードキャプターさくら』で好きな食べ物は桜餅……それに対して梅から連想するのは「梅酒」に「梅干し」と何だか大人向けの、ちょっと渋めの印象でした。
 ただ、それは私があまりに子どもっぽい精神の人間だからということばかりではありますまい。私が生まれ育った北東北というのはずっと寒い時期が続いてようやく春になると、梅の花も桜の花もいっぺんに咲き誇るという土地柄ゆえ、同じ時期に咲くならより華やかな桜に気持ちが行ってしまいます。……それどころか、下手すると桜の花も咲くか咲かないかわからないうちに一気に葉桜になっちゃう年もあったりするからたまりません。
 だからきっと、仙台に来てからでしょうね。気候的なこともあるし、榴岡天満宮で菅原道真公と梅の花の関係について知ったことで、桜に先駆けて咲く梅の花が好きになったのです。

 東風吹かば にほひをこせよ梅の花
 主なしとて 春を忘るな
 <『拾遺和歌集』 巻第十六>



 というふうに書いてみましたが、実は私が大好きな歳さんこと土方歳三も、多く梅の花に関する句を残しているんですよね。『豊玉発句集』で検索すれば色々と出てくると思いますが、ここは私が初めて句に触れ、解説および素敵なイラストとともに「ロマンチ」な気分に浸った「WhiteWind歴史館」さんをご紹介したいと思います。

豊玉発句集|WhiteWind歴史館

 司馬遼太郎の『燃えよ剣』にあるように新撰組副長時代に句をひねっていたかどうかはわかりませんが、多摩時代から親しくしていた沖田君なんかは小説のように「豊玉宗匠、ご精励ですな」と言ってからかったり、出来上がった句を見て(ひどいものだ)と心の中で苦笑いしつつ「ああ、この句はいいですな」などと言っていたりしていたのかもしれません。
 『鬼の副長』『希代の喧嘩師』としての側面が印象的な『燃えよ剣』の土方歳三像ですが、意外と俳句に関してはこんな作風であると説明されています。
 
この男の気質にも似あわず、出来る句は、みな、なよなよした女性的なものが多い。むろんうまい句ではない。というより、素人の沖田の眼からみても、おそろしく下手で、月並な句ばかりである。

 そして沖田君によればこれは「歳三がもっている唯一の可愛らしさというもの」であって、「もし歳三が句まで巧者なら、もう救いがない」のだから、心のなかでは苦笑しつつ一生懸命に句を褒め、歳さんも気恥しそうにしながらそれを期待している……という、何とも人間らしいエピソードが大好きなんです。

 「土方さんは可愛いなあ」
 沖田は、ついまじめに顔を見た。
 「なにを云やがる」
 歳三は、あわてて顔をなでた。
 
 いや『燃えよ剣』の話はいいんです。豊玉発句集の中から「梅に関する」私が好きな歌を2首選ばせていただきます。

 梅の花壱輪咲ても梅はうめ

 写真を撮った時、実際はニ三輪かもうちょっと花が咲いていて、それをうまく取り合わせて華やかさを出した方がフォトジェニックかなと思ったのですが、この句を思い出してあえて一輪だけドンと主役に据えた写真を撮りました。高校時代の写真部の顧問がこの写真を見たら、
 「日の丸弁当みたいな写真を撮るな」
 と怒り出すかもしれませんが、いいんです歳さんの句だって下手だから。……なんて言うと今度は歳さんから「うるせえな」と拳骨を食らわされるかもしれませんが。でも本当、写真芸術的にはヘボでもいいんです。これは私が大好きな歳さんへのオマージュですから。きっと「フン、たいしたことねえな」と言いつつ、きっと気に入ってくれると思うのです。
 で、もうひとつの句はこちらです。

 梅の花咲る日だけにさいて散

 これは発句集の最後につづられた一句です。多摩から京都へ、京都から会津へ、会津から函館へ……武士として生きることを志し、最後まで戦い抜いて果てた歳さんのことを想うと如何にも象徴的です。
 もっとも小説やドラマで何度も復活し、函館で鬼神となって魔人加藤および新政府軍と戦ったあとにアイヌの黄金をめぐる戦いに参戦したかと思ったら記憶喪失のままアメリカに渡り、その後は時空を超えて異世界に召喚され島津豊久と殴り合いの喧嘩を繰り広げたり20世紀のニューヨークでベートーヴェンと一緒に召喚され悪魔と戦ったりと大忙しです。続けて書くとなんだかすごいことになったなあ。スミマセン歳さん愛がオーバーフローしちゃって……久しぶりに書くものだから、つい張り切りすぎちゃった……。


 まあ、そんなわけで一枚の梅の花の写真から延々と無駄話をつづってしまいましたが、確実に春は近づいているってことですよね。梅が咲き、やがて桜が咲き、穏やかな東風が吹くことでしょう。弊社は春が一番の繁忙期なので、のんびりお花見……という雰囲気ではありませんが、まあ気持ちもときめく時期だから頑張れます。皆様も季節の移り変わりを楽しみながら、できる範囲で頑張ってまいりましょう。本日もお読みいただきありがとうございました。

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胎に刺さったリボン

私が自分らしく生きるために、私の中に強く存在する「女性性」を肯定したい。

 第二次性徴が訪れ、思春期には身体に様々な変化が起き、自分の身体ながら嫌悪し、戸惑いを感じたのを覚えている。気が付くと私の意志に反して肉体は女性になっていた。同年代との会話の内容も、恋愛や外見に関する話題になり、次第に自分に存在する女性性は強くなっていった。
 女性性という言葉は、グロテスクで呪いの言葉の様でもある。美醜に囚われたり、月経で苦しんだり、差別の対象になる事も。それでもそういった地獄を憎む一方で、美しさを感じ、愛着が湧いてくる。多様性が求められる中で女性的な表現は時代錯誤かもしれない。しかし、その表現は本来、他者を決めつけ、傷つける様な言葉ではない。誰もがそれぞれの自分らしさを追求する今だからこそ「女性らしさ」が個性を表現する一つの言葉として生き続けていく事を願う。
 今回の展示では三人の作家が各々の視点から、自身に存在する女性性を見出し、絵画として「女性らしさ」に対するアンビバレントな感情を表現している。それぞれの作品から可愛さと残酷さが共存した世界観を感じてもらいたい。



 2月2日と3日に仙台アーティストランプレイス(SARP)で見た「かんの」さん「トキワ」さん「さかいふうか」さんによる三人展『胎に刺さったリボン』は、私にとっては非常に重大な出会いでした。2022年11月に同じ場所で見た「わたし、にしかみえない星」展に次ぐ衝撃を受けました。
 ステートメントにある『私が自分らしく生きるために、私の中に強く存在する「女性性」を肯定したい。』というのは、丸ごと現在の私が求めるテーマです。ちょうどこの日は隣のスペースで「足跡」展を見て、人生で初めて「可愛い」と言ってもらっていよいよ自分の中にある女性性を肯定しつつ生きようと踏み出したところだったので、余計に強く共感共鳴したのかもしれません。この会場でSARPの人からも「可愛い服装ですね」と言ってもらえたから、もう後戻りはできません。私はこのまま自分の中の「女性性」を肯定し、心の生きづらさを軽減して、私らしく生きていきたいと思います。
 と言いつつ、次の日は仕事帰りに男性の格好をして見てきました。そしてお店の人に改めて感想を伝え、「昨日来たことに気づいていないのかな」すなわち「昨日の私と今日の私は別な人間だと思っているのかも」と感じるに至りました。それならいよいよ「佐藤非常口」と「鳴瀬桜華」でそれぞれ別人格として振る舞うのも面白いかもしれません。
 ……でもこれって、冗談ではなく、結構、本気なんですよね。こうして「男性として『女性性』に触れる」のと「女性として『女性性』に触れる」のでは、やっぱり感じ方が異なるんです。もちろん私の中にある女性性というのはアニマの女性性であって、生理の苦しみなど「女性の肉体をもって生まれ育った女性」じゃなければわからない感覚というのは絶対にあります。そのあたりは矢川澄子さんの本をたくさん読んだのでわかります。恐らく私がどれほど女性に近づいたとしても「あなたは男性だから、わからないでしょうね」と袖にされることは覚悟の上です。
 それでも! 私は自分の中の女性性を肯定します! それが私の心を護り、健やかに生きていくために必要なことだから!…… 
 だから、そういう一歩を踏み出す手助けとなった今回の『胎に刺さったリボン』展は、私にとっては人生で2番目に重大なイベントだったのです。まったく素晴らしい三人展でした……このあとSARPの方から卒展の案内ポストカードを頂き、実際に行ってみて感動したのは先に書いた通りです。



 一度目に見て、二度見て、卒業制作を見た後三度目に撮りためた写真を見て暴れまわる私の感情をノートに活け造りにしたのですが、ここらできちんとまとめておきたいと思います。これはちゃんとオープンにしないといけないと思ったからです。
 今回は三人展ということで、ステートメントにもある通り、それぞれの描き手が「各々の視点」から制作した作品がありました。なので私の感想も見た順番に書き出していきたいと思います。その説明をするためにも、皆さんの作品の写真も掲載させていただきます(会場で「撮影可、SNSなどで公開可」と書いてあったので)。

『幻想』の女性性:さかいふうか


 さかいふうかさんの作品から感じたのは「幻想」から入る女性性でした。ピンクやマゼンタという色合いには、なぜか女性のイメージが連想されます。それがベースの温かい……たぶん、その色合いに加えて人物の中心や周囲に光があるからなのかな……光の中に浮かぶ女性のヴィジョンは、率直に言ってとても可愛らしいと思うのです。それと同時に、その切ない表情から「内包している悲しみ」があるように感じました。ただただ可愛いだけならそれでおしまいですが、それだけでない生々しさ(=感情、人間らしさ)があるので、どんどん心の中に「可愛さ」という肯定的感情があふれてきます。そして心が「可愛さ」で満たされた時、ようやく私は絵の前から離れることができたのでした。

『感情』の女性性:トキワ

 

 トキワさんの作品を見た感想をまとめると「感情」の女性性であり、逆巻く波の中にダイヴィングするような体験でした。ご覧の通り表面的にはとてもアニメ的で可愛い女の子がいるのですが、それに近づこうとするとたちまち表面的なものが崩れ、激しい感情の濁流にのみ込まれるのです。しかし、それは息苦しくてすぐに逃れたくなるようなものではなく、むしろ私の中の女性性と呼応し、しだいに流れに乗って心が解放されていくのを感じました。
 ここからは、先ほどの活け造りノートをそのまま引用してみます。
 
<それは大きなキャンバス地に描かれた少女の幻影や図形やひとすじの曲線……それが「何かわかるもの」と「何かわからないもの」が自在に入り乱れた世界に新しいものを見つけるたび少しずつ加速し、私の意識のキャパシティが限界に到達するまで続き……これ以上「心のままの世界」に意識が耐えられなくなったところでキャンバスから視線をそらし、かろうじて現実に戻ってくることができたのだった。……この三人展で最も激しく感情を動かされた。それがトキワさん。>
 そういうことなのです。読み返してみるとスゴイこと書いてるなあ、と思いましたが、まあ実際にそうだったんだから仕方がありません。ええ、そういうことなのです。

『原始』の女性性:かんの

 ノートには、「胎に刺さったリボン」というタイトルを一番象徴的に表していたのが実はかんのさんなんじゃないかと思った、と書いています。これは卒展でお三方の卒業制作を見た後の感想ですが、パッと見て、「可愛い」とは少し違う感想を抱きました。もっと肉感的な温かさ、暗黒的な……それゆえ心安らぐ感じがしたのでした。
 その感覚をたどって行けば、胎(内)……まだ意識や人格のない、形の定まっていない人間の原初の記憶までさかのぼるのではないか、と。
 ユングかぶれの私はこれを『原始心像』の世界だ! というふうに解釈しました。あまりにもプリミティブで、普段は意識の俎上に載らない……でも心の奥深いところで共感する温かさ。普段の私を動かしている自我からはうんと離れたところにあるから、深い共鳴が起こるんでしょう。
 たとえがあまり適当ではないかもしれませんが、それはまるで地震のようなものです。地下数十キロという深い場所で激しい動きが起こると、それが地表の全てをなぎ倒すような強大なエネルギーとなるように……さかいふうかさん、トキワさん、かんのさんの作品をぐるりと見て回っているうちに共鳴強振した私の女性性は自我を突き破り、あらゆる感情を、感覚を、意識を、理性を飲み込み……
 あえて断言します。信じてもらえなくて結構ですが、私は全く正直に感じたことを言います。
 私は服装だけでなく心的に女性として三人の世界を眺め、共感、共有しました。これほどまでに私のアニマが強い力をもって心を支配した体験はありません。それくらい特別な体験だったのです。
 それは翌日、男性として同じように絵を眺めた時、「可愛いとかきれいとかだけじゃない、ちょっとドロドロしたところが良かったです」としか感想を伝えられなかったことで確信しました。具体的にどう感じたのかを正確に伝えると、これほどの言葉が必要になります。
 そして、マンガで書くとこういうことになります。

 ノートに書き、それをさらに修正して言葉にすることで、少しずつ感情を御することができるのかな。これが私の『胎に刺さったリボン』展の感想です。

   *

 さかいふうかさん、トキワさん、かんのさんについてのファーストインプレッションを書ききったところで、もう一度、東北生活文化大学美術表現学科の皆さんの卒展について触れます。


卒展全体に対する記事はこちら

 個々の作品の感想については、既に書ききってしまったので、「その感動がキャンバスの面積に比例して大きく感じた」という程度にとどめておくことにしましょう。なお、さかいふうかさんは小さな部屋の形を作り、その中に展示するというインスタレーションという形式で作品を制作されていました。昨年見たRimoさんの個展に続き人生で2度目のインスタレーション体験です。素晴らしい。
 こちらも2回行ったのですが、2回目に行った時は「作品と一緒に私自身を撮影する」という試みを実践してきました。VRでやっているようなことをアナログ的に再現する。いったん自分を二次元の世界に閉じ込め、それを見ることで復元する。そういう試みです。それによって世界を外側から見るのではなく、ちゃんと同じ世界に実在することを再確認することができました。私が良ければそれで良いんです。





 以上で、『胎に刺さったリボン』展にまつわる私のお話はおしまいです。すでに3週間くらいが経過しましたが、その間に卒展などもあって……やはり醸成する時間が必要でした。また、「女性性」がテーマだけに、私の心の準備も必要でした。今日はこうして自分の部屋にて、女性らしさを十分に高めて書きましたが……やはり自分が女性であると思うことで、とても心安い気持ちになれるのです。
 改めて性自認というのは、必ずしも肉体の性別に従うものではないと思いました。肉体的にどうであれ、自分が一番自分らしく思える形で生きることが基本的人権として尊重されるべきことだと思うので、私も自分の女性性を隠さずに記事を書きました。私なんかがこんなことを書いたところで、決して多くの人に受け入れられることはないと思いますが、そういう人間が仙台にいるということを知ってもらえたら、私みたいな人類でも生きる価値があるのかなって……そう信じたいです……。

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 2月22日、仙台アーティストランプレイス(SARP)で開催された専門学校日本デザイナー芸術学院写真映像科の皆さんによる写真展を見てきました。
 会場は2ブロックに分かれていて、ひとつは1/2年生の合同展 ”reminiscence”で、もうひとつは1年生による『それぞれの「あい」が集う写真展』という内容でした。私が行った時には雰囲気のある若きアーティスト然とした青年が熱心に写真に見入っていたので、私も静かに眺め、真摯に感想をアンケート用紙に書いてきました。なおこの時は仕事帰りだったので男性の格好で行ったことを念のため書いておきます。
 日本デザイナー芸術学院写真映像科といえば、こないだせんだいメディアテークで開催された卒展を見て「これはスゴイ!」と感動した経緯があったので、割と積極的な気持ちで行きました。
 そして(高校時代は写真部にいたとはいえ)専門的な勉強をしたことがなく、一眼レフも持っていない私なんか足元にも及ばない素晴らしい写真に打ちのめされ「もう写真が趣味だなんて言うのやめます」と泣きながら会場を後にしたのでした……かというと、そんなことはありませんでした。
 素晴らしい作品ばかりだったことは間違いありません。ただ卒展の時に見たような、私が想像できる範囲を超えた衝撃的な作品というよりは、とても共感しやすい作品だったのです。作品を見て、そのあとキャプションの説明……作り手のイメージを文字で補完したうえで、
 「私もこういう写真、好きだなあ」
 そう思ったのです。
 もちろん、私に同じような写真がすぐに撮れるかといえば、そんなことはないでしょう。まず、イメージを実現するための機材が必要ですし、物理的に実現できる限度が低ければ、作り手の技術向上にも制約があるでしょう。たくさん経験を積んでレベルアップするためには、コンピュータゲームでいうところの「レベルキャップ」を外す必要があります。スマホカメラでデジタル一眼レフと同じような写真を撮ることは物理的に不可能です。別物なのです。
 ただ、「どういう写真を撮るか」という題材探しとか……体系的な技術ではなく感覚的な部分であれば、私でもなんとか追いつけ追い越せで近づく余地があるような気がするのです。
 そういう気持ちで共感しながら自分の感覚を広げていくことが楽しいのかな。たといSNSで10万いいねがつくようなフォトジェニックな写真じゃなくてもいいんです。私の撮影した写真だって「よさはあるはずだし、好いてくれる人もいる」そう信じて、少しでも良い写真が撮れるよう、撮り続けます。

 私はまずは私のために写真を撮るんです。
 その先に、誰かが共感してくれることを信じて。

 ……うん、これでいい。
 上手な写真じゃなくてもいいんです。そういうのは他の人に任せます。私は私が良いと思える写真を撮れればいいです。同じように良いと思ってくれる人がいる(かもしれない)写真。
 これからは、そんな自分の気持ちを大切にしながら、たくさん他の人の写真も見ます。素敵な写真をたくさん見て、自分の心を磨いていきたいと思います。







 という流れで書いてしまうのは少々申し訳ないのですが、2/20にタナランで「にがつのねこといぬ」展を見て、さらにその後東北工業大学の卒展を見た後、同じせんだいメディアテークで開催されていた東北大・東北学院大・東北工業大の写真部有志による三大学合同写真展を見てきました。
 結果的に短いスパンで若い人たちの写真展を見たわけですが、心の中で比べてみると……同じくらいの世代の人たちが撮った写真でも雰囲気が異なるんですよね。
 あくまでこれはセンスだけで写真を撮る門外漢の気安さで、主観を大切にして語る言葉です。その上で「この印象の違いは何だろう?」と思った時、こんな言葉が浮かびました。すなわち、
 「技術が先行するのか、感性が先行するのか」
 ということでした。
 どちらも素晴らしい写真なんですが、大学写真部の皆さんの作品は「プロっぽい」んですよね。この言い方がいかにも素人っぽいので嫌だから言い換えると「技術が感性を追い越していない」というか……つまり「安定感がある」んですね。ヴィヴィッドな紅葉の写真にしても、微笑みながら手にした飲み物の缶を掲げる(「乾杯!」のポーズ)写真にしても、パネルの端から端までピシッと定着化され、見ている私も心の揺らぎが起こらないんです。安心して「ああ、綺麗な写真だなあ」「こういう写真が撮れればいいなあ」と眺め、感じ入ることができる写真なんです。
 それに対して専門学校で写真を勉強した人たちの写真は、「感性が技術を飛び越えて私に訴えかけてくる」印象でした。直接私の感情に訴えかけてくる写真。撮る人も割と自分の感情を表現しようとして結構センシティブな感じに仕上げてきている(とキャプションから読み取れた)から、私もより感情が動くのです。感情家ですから、そういうのはすぐ反応しちゃうんです。

   *

 どちらかだけじゃ足りなかったのです。両方合わせて、私のなかで結実しました。それらを合わせて、私は私の写真を撮る。これでも社会人になってから、観光写真コンテストで表彰されたこともあるし、スマホカメラだって捨てたもんじゃないはず……上手な写真は撮れなくても良い写真が撮れればいいんです……だからやっぱり、写真は一生続けると思います。
 専門学校日本デザイナー芸術学院写真映像科の皆さん、各大学写真部の皆さん、ありがとうございました。私が写真部だったのはもう25年も前のことになりますが、写真好きとして皆さんのこれからの活動を応援しております。また写真展があればお伺いしたいと思いますので、頑張ってください。終わりで~す!

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 2月20日、せんだいメディアテークで東北工業大学産業デザイン学科の卒業制作展を見ました。
 東北工業大学というのは私の兄の母校です。今から25年ほど前の話になるのですが、センター試験経由で東北工大に入学した兄は優秀な成績で同大学を卒業、IT系の企業に就職し現在に至るまで自動車の制御システムとかカメラの制御システムとか、最先端のテクノロジーに関わる人類として活躍しています。
 当時中学生~高校生だった不肖の弟はそんな兄のいる仙台に何度か遊びに来たことはありますが、私自身は特に関係性がないんですよね。まったくの門外漢です。文学部上がりだから文系理系の段階で異なるし。
 しかも私がエレベーターを降りた時は学生のプレゼンテーションが行われているところで、とっても厳粛アカデミックな雰囲気であり、私なんかが来るところじゃなかったんだ! って言って逃げ出そうかと思いました。
 
 しかしながらエレベーターを降りた時点でこの格好でしたから、この卒展しかやっていないフロアに来て何もせず引き返したのではいよいよ不審がられると思い、
 「こうして誰でも見られる場所だから来ましたが何か?」
 という『門外漢の気安さ』(河合隼雄先生)で冷静を装い受付を済ませ突入しました。

 およそ社会活動の役に立つ見込みがなさそうな文学と違って、産業デザインというのは直接世の中の仕組みを作る学問であると思いました。
 「科学は人の生活を助ける」
 これは90年代の名作ゲーム『メタルギアソリッド』の登場人物の台詞ですが、きっとこういう学問をしている人たちは、そんな思いでやっているんだろうなと思いました。実際、皆さんの研究成果は私たちが生活しているなかで苦慮する問題を解決するために「こうすれば何とかなると思います」といって編み出したようなシステムばかりで……
 「やはり私が生きている世界というのは、こういうことを一生懸命に創ろうとする人たちによって創られているんだな」
 そう思いました。
 
 そういった人たちの真摯な研究成果がたまたま2024年現在の最新心的外傷(キーワード『VRChat』)にクリティカルヒットし一瞬死にたくなってしまったとしても、それは全く私の個人的な問題であって、良いんですよこれからの時代はVRChatなんです。人類みんな肉体廃止してメタバースの世界で在りたい私を生きればいいんです。私なんかはずっと憧れながらいまだに踏み切ることができなくて……だからもう、みすみんサンと交わる資格なんかないのかもしれないって思っていて……このまま肉体が朽ち果てるまで生きながらえるしかないんですが……私はそれでいいと思います。元々交わることができなかったのだから、なにも悲しむことは無いんです……これでいい、これで……。

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 先日、河北新報で「現代学生百人一首」というものが紹介されましたが、その入選作品として宮城の大学4年生が書いた一句が紹介されていました。

 「天才もAIももう足りていてそれでも私は美術を学ぶ」

 そういう若い人がいるのなら、私は応援します。綺麗な美術作品を生成AIが描いたとしても、美術作品を見て私が感動するのは技術的な巧拙だけではなく「それをどんな人が、どんな思いで描いたか」であって、そういう意味で人間の「美術家」というのは永遠になくなることはないと信じているからです。
 一方で「科学は人の生活を助ける」ということも私は信じています。だから今回の卒業制作展で見た学生の皆さんが、これから先の世界をもっと良くしてくれることを信じています。多くの「生きづらさ」を抱えている人たちがその「生きづらさ」を軽減し、より幸せになれるように……若い皆さんが自分の一等得意な方法でアプローチして、これからの世の中を作ってくれることを祈っています。私もそのために、いま自分ができることをします。

 東北工業大学の皆さん、ご卒業おめでとうございます。私は私で自分ができることを頑張りますから、みなさんも頑張ってください。終わりで~す!(三四郎小宮さん風祝辞オチ)

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