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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

 寺山修司の『誰か故郷を想はざる』『幸福論』を続けて読みました。
 本来であれば十代の若者向けの本だとは思うのですが、正直なところ内容が難しくて、四十代になった今読んでようやく少しわかったかな……というところです。まあ稲垣足穂みたいに「わからないでいいんじゃないですか。永久にわからないで」(by三島由紀夫)という作家なのかもしれませんが。ただ、寺山修司が自分の母親から聞かされた自分の境遇のことについて嘯いた、
 「何しろ、おれの故郷は汽車の中だからな」
 という言葉とか……あと、グリコの箱に描かれている「一粒300メートル」のランナーの絵を見た感想として書いた、
 「私は、グリコの甘味を舌の上で味わうたびに、地の果てまで走ってゆくためには、グリコが何粒あればたりるのだろうか? と、思ったものであった。」
 という文章とか……そんなふうにさらりと書いた一文が妙に鋭い刃物のように私の心を切り裂くのです。太宰治も同じ津軽人ですが、向こうがどうにも情緒的でめそめそしている(だがそれがいい)のに対し、寺山修司はそういった感情をすべて抑え込んでボソリとつぶやく感じで……読むたびその陰鬱さに心が落ち着くのです。

 そんな寺山修司の本を読んでいて、
 「モノローグ」「ダイアローグ」
 この言葉が妙に印象に残りました。具体的にどの場面でどういう風に使われていたのかはわからなくなってしまいましたが、普通の人(定型発達者)なら別に気にならない一点に心がとらわれてしまうのが発達障がい者であり自閉スペクトラム症の私ですから、こうなったら仕方がありません、まずは小文をでっち上げて気持ちを決着させることにしましょう。
 さてモノローグとダイアローグ、日本語に翻訳すれば「独白」と「対話」そんなところでしょうか。
 さしあたってこのブログなんていうのはモノローグ中のモノローグですね。一応誰かが読む前提で書いてはいますが、常に話の中心になるのは「私がどう感じたか」。私の生き方そのものがモノローグ的なものだからかな。誰かと会話することよりも、自分がどう感じたのかを大切にする生き方。
 さらに言えば、最近読んだ本の感想を作者に手紙にして送ることがあるのですが、これなんかもモノローグ的ですよね。絵心がない私が最も気持ちを載せられる手段を用いてつづり、きっと受け取った相手は読んでくれると信じて投函しているのですが、こちらから一方的に自分の感想を送り付けているのですからね。

 「返事を期待せずに出す手紙は、モノローグ的ではないだろうか?」

   *
 
 ……ということを書いてはみたものの、一晩おいてみると、真にモノローグ的な文章とは非公開の日記であり、こうしてオープンにして誰でも読めるようにしているということは、少なくとも相手がいることを前提に書いているのであり、それはむしろダイアローグ的と言えないだろうか? と思いました。
 20代の頃に枕頭の書としていた漫画『湾岸MIDNIGHT』から引用して、今でもずっと心の中で大切していた言葉があります。

 「会話だろ・・城島
  本とか そーゆうの
  書く側と読む側 一対一か
  
  お前の書いたモノ読んで オレとお前はずっと会話してたわけだ
  
  楽しいヨ 城島
  コレからも時々 おまえと会話したいヨ」
  
  (出典:湾岸MIDNIGHT Vol.24 171p)

 自分の心の中にあるものを表現したい――そしてそれを受け止めてくれる人がいるはずと信じる……先日の「足跡」展を主催した木俣さんのように、私も私の文章に「よさはあるはずだし、好いてくれる人もいると」信じている人間なのです……そう思って書くのなら、これもある意味ダイアローグ的な試みだと思うのです。それは文芸でも美術でも同じことです。
 SNSみたいに、わかりやすい形で反応があるのもいいんですが、それよりも私は書(描)く側と読む(観る)側……じっくり向き合う形の対話がいいかな。一瞬で感じられるものは一瞬で消えてしまいますが、しっかり向き合い文章の内容や絵の雰囲気を自分の中で探って得たものはなかなか消えません。それは作者と読者(または観賞者)の対話、ダイアローグだと思います。
 まあ、私は別に寺山修司研究家でも評論家でも何でもないので、私の考えるダイアローグと寺山修司の言うダイアローグの意味合いが一致しているかどうかはわかりません。そもそも本当にこれがダイアローグ的と言えるのか、やはりモノローグに過ぎないのか……それもよくわかりません。
 ただ、とにかく私はそう思ったのです。心の中で思っているだけではモノローグですが、こうして伝えたい人に伝える(またはそういう努力をする)ことでダイアローグになる、と。
 それを上手に伝えるためには、やはり技術が必要です。そして場所も、仙台じゃなくちゃダメなんです。盛岡でも青森でもいけない。東京ならもっと人がいるかもしれませんが、実際に私のことを受け入れてくれた人たちが仙台にいるのだから、私は仙台が一等いいんです。

 「わたしは人生を愛しています。
  そして、仙台を愛しています。」

   *
 
 ここからは余談です。
 冒頭の写真は2017年10月に三沢市内をフラフラしていた時に撮影した写真です。今は大分開発が進んだのでしょうが、当時はまだまだ昭和な街並みが多く残っていて……あるエリアを境に昭和感爆発の寺山修司的世界ときれいに整備された現代的世界(=至米軍基地)にクッキリ分かれていたんですよね。

(2017年10月撮影)
 もちろん私は昭和エリアの方を好み、街の風景を何枚も写真に撮っていました。アメリカ人兵士が残したと思われる壁の落書きと、こういった寺山修司の短歌や言葉が入り乱れ、つぶれたお店の看板と合わさって実に心地よい空気感がありました。

 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 これは有名な短歌ですが、この言葉と一緒に等身大の寺山修司の写真がガソリンスタンドの前に当たり前のようにあったりして……ううん、やっぱり八戸・三沢あたりはもう一度行ってみたいなあ。やっぱり、自死を考えるくらい、一番ひどい精神状態だった私のことを救ってくれたのが、三沢の寺山修司記念館でしたから……。

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