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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

 昨年12月2日に下書きのまま保存していた文章がありました。
 実際にスカートを履いて「女性として」外出するようになったのは12月下旬のことですが、この頃すでに自分の中での思想が固まっていたみたいです。結構しっかり書いていて、このまま忘れてしまうのももったいないと思ったので公開します。



 自分の中にある異性を「シスター・アニマ」という言葉によってかなりハッキリした輪郭線を浮かび上がらせることに成功して以来、「自分の性の置き所はいかにあるべきや」ということをよく考えるようになりました。
 無論、肉体的な性具をもって男女を区別するのであれば、私は紛れもなく男性です。また私が考える女性像や趣味嗜好なんかも、知れば知るほど男性原理に基づいたものですから、性自認としても男性です。事実として、その点において違和感や苦痛を感じることはありません。
ただ、ね…まあ、そもそも「男か女か」という二元論が絶対的な真理みたいに世の中にのさばっているから、こんな悩みや苦しみが生まれるんじゃないかな、って考えています。
 もちろん社会通念とかルールとかっていうのは必要です。多数派の論理や感覚を「ふつう」と言うのなら、そんな「ふつう」の人たちに合わせたルールを作るのが秩序というものでしょう。そうやって社会というものが成り立ってきたんだろうということはわかります。
 でも「ふつう」じゃないから排除しようとするのなら、私は絶対に許せません。私もこれでも発達障がいとか自閉スペクトラム症とかって言われた身ですから、そういうことを当事者として言う権利があると思うのですが、そういう少数派の人たちも生きづらさを感じることの無いマージンもまた必要であると思います。
 私は自分のなかに、「内なる異性」があることをハッキリ認めます。私の二人の従姉を直接のイメージの源泉とした異性があり、その異性と手を携え共に生きていくために、自分の部屋のなかだけでなく外に出た時も、ある程度それをアピールしています。
 つまり、そういう格好をして、生活していると言うことです。
 性自認は男性だけど「内なる異性」も隠さない。それは男性らしさとか女性らしさとか、その両方が混交したヘルマフロディトス、アンドロギュノス的な私です。
 多分この辺が、私の「在りたい私」なんじゃないかな。そんな気がします。



 改めて読み返してみると、意外と早い段階で在りたい私をイメージしていたんだな、と思いました。わざわざCVトランスジェンダーとかいう言葉を開発して(のちに撤回)みたりもしましたが、おおむね今も目指すところに変わりはありません。男性として生活しなければならない場面も多くあるので完全に性転換をすることは難しいし、どれほど女性に近づこうとしても女性の肉体をもって生まれ育った者でなければわからない感覚があることを知った現在では、どうやっても性転換は無理だと思っています。
 では私がやっていることは何なのか。男性であることを認知しながらあえて女装し性的興奮を感じるために行っているのか。いえ、そうではありません。矢川澄子さんの言葉を借りれば、「セラフィータなみに、両性具有の願望をもどうにかして叶えようとして」いるのです。私も自分のなかの女性性を最大限に引き出し、これを実現したいと思っています。
 心の中にある男性性と女性性の和合。そのためには生まれつき備わっている男性性と同じくらい自分の女性性を高めなければなりません。物語を書いたり部屋の中で可愛い服装をするだけでは足りないので、次のステージとして私は「女性らしく生きてみる」ことを始めました。
 ありがたいことに、仙台という街には、こんな私を好意的に見てくれる人がいます。「可愛い」と言ってくれる人がいます。だから私も自信をもって、スカートを履いて街を歩きます。今はとりあえずの間に合わせみたいな恰好ですが、少しずつ可愛いコーデの勉強もして……「可愛さ」「美しさ」に対するセンスを磨いていきたいと思います。
 これが、12月2日の私の言葉を受けた2月18日の私の言葉です。

 伝えきれないから、伝え続けるんです。これからも、心がある限り。

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