忍者ブログ
大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

 『樅ノ木は残った』読了しました。
 これが初めて読んだ山本周五郎の作品だったのですが、さすが代表作と言われるだけあって非常に読み応えのある長編でした。もうずっと昔の話だし、基本的には歴史的な事実をもとに書かれており展開もそれに準じているので、あまりネタバレとか気にせず、気ままに感想を書いてみたいと思います。

 何よりも感じたのは「守るということは、生きている人間にしかできないこと」なのだということです。大義とか信義とかに殉じて、自分の命を捨てることはとてもヒロイックだと思います。伊東七十郎なんかはまさにそのような人物ですし、領地を出る時にわざわざ菩提寺によって法名をもらってから江戸に上がってきた涌谷候(伊達安芸)なんかもそうでしょう。一方でそんな伊東七十郎から絶交され、親しくしていた人物を次々と見殺しにし、妻子にさえ本心を打ち明けられずに悪評を背負って生き続け、とうとう酒井邸で絶命する時まで「自分が乱心した」と言って果てた甲斐殿。
 そういう生き方は私にはできません。ただ、「声のデカい奴と勇ましいことを言う奴が世の中の大勢を決める」といった意味合いのことを故・神浦元彰さん(軍事ジャーナリスト)がおっしゃっていて、その言葉を現在も心の大切な支えとして生きている私にとって、甲斐殿の生き方は新しい「侍の生き方」として……最後まで読んだところで強く共感することができました。
 あくまでこれは小説の感想です。実際どうだったのかといえば、それは「おらが町の殿様」が誰なのかに大きく左右されるでしょうし、仮にそういうのを省いて完全に中立的な立場から見たとしたら、そもそも人物評とかをする必要も無いでしょう。そんなものはWikipediaでも読めばよろしい。小説を読んだり、わざわざ涌谷や船岡まで行ってゆかりの地を回ったりするのは、すべて歴史的ロマンチシズムに浸りたいからなんです。
 これまでも散発的に(街歩きをしていたら偶然その場所にたどり着いた、など)伊達騒動関連のアレコレに触れてきましたが、これでようやく基礎ができました。改めて、『樅ノ木は残った』ベースで船岡城址をはじめ、ゆかりの地を巡ってみたいと思います。もちろん仙台市博物館もね。慶長遣欧使節のことと一緒に知ったのが、2013年に仙台に観光に来て、博物館で見た時だったので……。

拍手[0回]

PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック