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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

 ここ数日なかなか「よし今日はこのことについて書こう」と明確なテーマを決めて書くことができず、心の調子が良くない私ですが、まあ……そういうものですよね。4月はアチコチ出掛けて思い切り素敵な体験をしたし。次のラッシュに備えて今は整える時期なのでしょう。いつも楽しい気持ちじゃ、かえって疲れちゃうし。まあ心がときめかないなら静かに過ごすしかありますまい。
 ということもあって、今読んでいるのはこれ。
 
 およそフォトジェニックでも何でもないんですが、このブログで書くためにわざわざInstagramに投稿しました。山本周五郎の大作『樅ノ木は残った』です。伊達騒動の中心人物『原田甲斐』を主人公に据え、これまで大悪党という評価をされていた(現在でもそう言われていますが)甲斐殿が実は深い思慮のもと伊達家の存続をかけて奔走し最期は自分の命と引き換えに守った大忠臣だった……ということを描き出した長編小説です。
 この小説が書かれたのは1954年。1970年には大河ドラマになりました。今でこそ宮城といえば我らが伊達政宗公ですが、それが大ブームを経て定着したのは1987年のことであり、その原作を山岡荘八が書き始めたのが、本作が大河ドラマになった1970年ですから、世の中的には政宗公よりも甲斐殿の方が古くから知られていたことになります(少なくとも現代の一般大衆に対しては)。
 現在は物語の四分の三を読み終えて、最終第四部に差し掛かったところです。大河ドラマでは伊吹吾郎さんが演じていた名わき役「伊東七十郎」が死罪に処せられたあたりです。
 伊東七十郎という人のことを私が知ったのは、今年の2月に愛宕神社に行った時のことでした。
 長い階段を登り切った先に突然ポンとある招魂碑。どうやら20世紀に入ってから愛宕山東登り口の改修工事中に遺骸が見つかったことを記念して二百四十回忌の節目(1907年)に発見された場所に碑が建てられた(後に現在の場所に移転された)……そんな経緯があったみたいです。
 そのあと街歩きのなかで偶然、一族の菩提寺である裁松院を見つけ……こないだ一目千本桜をみるため大河原町~柴田町へ旅行した時は船岡城址で辞世の句を読み、今回小説を読んでさらに理解を深めているところです。今この記事を書きながら調べていると、どうやら石巻には「重孝神社」というものがあるらしいとのことで、
 「こうして知ったのも何かの縁だ」
 そんな気がしてきました。
 小説を読み終えた後、まずは最期の地である米ケ袋に行き、それから神社に行くという流れでしょうかね。神社は今は荒れ果てているみたいで、見つけられるかどうかわかりませんが、うん、せっかくだから私は私がやりたいことを全うします。
 伊達安芸、原田甲斐、そして伊東七十郎。
 
「人間はしばしば」と七十郎が低い声で云った、「見ることのできない、なにかの力、なにかの意志、といったものに支配されることがある」
 (新潮文庫 『樅ノ木は残った』下巻 174ページ)
 そんな風につぶやく伊東七十郎という人物に少しずつ引き寄せられている私なのでした。
 書き始めているうちに少しずつまとまってきました。気持ちがあまり上向かない時こそ、じっくり小説を読むのがいいのかな。

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