さる2月27日、せんだいメディアテークで東北工業大学生活デザイン学科の卒展を見ました。
この日は元々宮城教育大学の卒展を見るために街に繰り出したのですが、初日は開場時間が遅いことを現地に着いてから知り、「ちょっと図書館にでも行ってみるか」と言って仙台市図書館も入っているメディアテークに行き……
「へえ、今こういうのやってるんだ」
「時間もあるからちょっと見てみようかしらん」
という感じで見てきた……まあそんな感じです。切っ掛けとしてはひどいものですが、ともかくこれが事実だから仕方がありません。前にも書いたような気がしますが、切っ掛けなんか何でもいいんです。内容を見て面白かったり為になったりプラス要素があればそれでいいんです。むしろ私は「来るべくして来たのだ」と受け止めます。シンクロニシティ!
東北工大の卒展は2回目ですね。こないだは産業デザイン学科の卒展でしたが、今回はライフデザイン学科……いずれにしても私が門外漢であることに変わりはありません。2回目ということで気安さにもターボがかかっているので、何らためらうことなく突撃しました。
そして、激動する世の中の一挙一動に反応することに疲れ「大問題を論ずる興味を急速に失っていった」(澁澤龍彥『黄金時代』河出文庫版あとがきより)私でさえ、身近な生活や私の本分である文学の世界にまで切り込み、理系ならではのアプローチで作り上げた学生の皆さんの理論に驚嘆し恐れ入ったのでした。
そういうことを私のポンスケブログで語ったところで、どうせ誰も見てくれないと思いますが、私は私なりに精いっぱい感じたことをまとめます。いつだって、そうしてきたんですから。どうせ誰も見てくれないと言いつつ、もしかしたら誰かひとりくらいは「ヘェー」って言ってくれるかもしれない……いつか、いつかきっと……そう信じていますから。
……
「生活デザイン」は、人間の心身や生活を起点として、地域社会の価値向上や課題解決についてデザイン探求する分野横断的な学術領域です。 地域社会や環境の変容と向き合い、具体的な解決・改善に貢献することを目標に、下図の10 研究室に分かれて探求してきました。 本企画は、これに関わる卒業研修・修士研修の成果を展示するもので、大別して、知識技術を統合してデザイン提案する 「制作」と、 価値向上や課題解決に関わる諸問題を明らかにする「研究」に分けられます。また会場内には、現1~3年生の一部作品も展示しています。
とりわけ、今回展示している卒業研修は、入学と同時にコロナ禍でのオンライン授業に突入した学生たちがとりまとめた成果です。 困難は多くありましたが、みなそれぞれの課題に向きあい、乗り越えました。視点や提案は大小さまざまですが、生活デザインの重要な課題に向きあい、一隅を照らしてくれました。 そうしたもろもろを想像しながら、ご高覧頂ければ幸いです。
一隅(いちぐう)を照らす。素敵な言葉です。私もそんな挨拶を受けて、門外漢の気安さで見てみました。見てみたというか、やっぱりテキストが多くて、それをじっくりと読んできました。何分にも強度の近眼で高いところにある細かい文字が読めない……ということもあり、写真もビッシビシ撮ってきました。ここだけで150枚近く撮ってましたからね。それを全部振り返って、その時に感じたことも合わせて……ただ、それを全部書き出そうとすると、さすがに私も大変だし読む方はもっともっと大変でしょうから、ほどほどにまとめてみようと思います。
*
文学や芸術の世界は受け取り手次第で色んな解釈が生まれるものであると思っているのですが、科学の世界には物理法則というものが横たわっているので、「何に対してどう考えて、どんなアプローチをしたか」というのが極めて明快なんですよね。すなわち、
「自然科学者が書いた随筆を読むと、頭が涼しくなります。科学と文学、科学と芸術を行き来しておもしろがる感性が、そこにはあります。」ということなのです。文学や芸術の楽しみ方にも幾何学的精神が持ち込まれ、よりいっそうはっきりとした輪郭線を見出し親しむことができるのです。なんて、これは今記事を書きながら思いついたことなんですけどね。でも今回の展示では本当に、文学と科学の世界をクロスオーバーする卒業研究があって、すごく刺激を受けました。これからその内容について、自分の感想を中心に紹介したいと思います。
(STANDARD BOOKS刊行に際して)
すべての展示を眺めてみて、結構「こういうのが多いのかな」と思ったのは、やはり少子高齢化とか時代の流れとかによって過疎化が進むエリアの再開発に関するアイデアですね。私の大好きなウラロジ仙台さんでも取り上げられ実際にオートバイで行ったこともある丸森町筆甫とか、私の地元である盛岡市の中でも特にお気に入りの場所である盛岡市立図書館のある高松地域とか。中には仙台駅周辺のように「人が留まるスペースがないから結局郊外に人が流れていく=ドーナツ化現象」現状を改善するべくマイクロパブリックスペースを作ろう! という研究もあって……昔、仙台駅前でやった社会実験movemoveを思い出しました。あれで私も体験的に、「街中に人が留まれるスペースがある方が良い」と考えている人類なので、これは大いに共感しました。良いと思います! その気持ちを伝えたいので、写真を掲載していいのかどうかわかりませんが掲載しちゃいます!
*
ここからは、私のなかにある「科学と芸術を行き来しておもしろがる感性」が強く刺激された展示を2点紹介します。
こちらも丸森町に関連したことですが、私が特に興味をひかれたのはアートを引き金に街の活性化を図ろうというアプローチをしていることです。超現実主義画家というと超時空要塞に似た力強さを感じますが、そうか丸森町にはそんなスゴい人の文化資源があったのか! というかそんな人がいたのか!……まだまだ私は素人ですねスミマセン。でもいいんです、これをきっかけに一歩ずつアートの海に入水するんですから。それと同時に街の活性化についても考えられるのなら、これほど面白いことはありません。
これは気仙沼の街の活性化を目的に新規作成された絵画ですね。アートを引き金にという点では先ほどの丸森町のそれと共通する部分がありますが、その内容としては超現実的なものではなくて、むしろ人々の現実、特に独自の文化が発展しにぎわっていた昭和30~40年代の気仙沼市の生活を盛り込んで制作されたもの……ということでいいのかな。今改めて、写真に撮ってきたパネルの記事を読んで私なりに解釈したところでは、そんな感じです。
たくさんのエピソードを一枚のキャンバスにまとめ上げる作業というのは非常にアート的なことだと思いますが、その工程をフローチャートで説明するところが出色ですね。絵画もやはり技術の積み重ねなんです。それを包み隠さず説明してくれたことは、私にとっては非常に大きな収穫でした。これまた、いぎなり良いと思います!
ただ、私が感情的に良いと思います! というだけでは消費されて終わってしまうので、そうならないよう最後にこちらの研究をした学生さんのまとめを引用します。
以上のことを踏まえて、アートという手法を使った調査おいて判明したことが2つあった。1つ目は、アートがきっかけで人々に研究への関心を持ってもらったことである。 聞き取り調査では、人々に「人々の気仙沼市への思い出から絵画制作をする」旨を伝えると、絵画制作について関心を持つ人々が多かったからである。 また、自分の思い出が絵画として表現されることに好奇心を持つ人が居たことである。2つ目は、多くの人に協力して貰う為には気仙沼市民を中心に気持ちに寄り添った研究をする必要があることである。特に、震災関連の研究によっては 「感動ポルノ」 や 「震災をネタとして扱っている」と捉える可能性があるからである。 その為、本研究では研究のきっかけや今まで行って来た研究を明示した。以上のことを踏まえて、本研究では人に取材する上で、本研究の説明が上手く伝わらないことがあったが、滞在取材やエピソード集計、フィー ドバックでは、人々から「気仙沼への想い」を聞き出せたと考える。
私は門外漢のいち市民メディアなので専門的な分析や批評はできませんが、「震災」という大きな(そして重い)テーマに対して複合的なアプローチをして、こうして科学と芸術を行ったり来たりしながら形にしたのが本当に面白いなと思いました。この気持ちを忘れたくない、こういうスタンスを私も真似してみたいと思ったので、特に詳しく感想を書きました。いぎなり良いと思います!
*
今回の卒業展示はせんだいメディアテークの5階のフロア全体を使って行われたのですが、隣の会場に行くと、今度はいかにも理系の大学って感じの研究発表に出くわしました。さすがに全部は書ききれないので、特に印象に残ったものをいくつか紹介します。
まずは、これですね。「画像生成AIを用いた建築パース生成手法に関する基礎的研究」……いいですね、いかにも理系の卒論って感じのタイトルです。そして生成AIといえば、最近じゃほとんどの人が「聞いたことがある」程度の浸透度合いを見せている代物です。私も文芸オタクではありますが、一応ITパスポート試験に合格するくらいの知識はありますから、ちゃんと最後まで読んで「そういうものなのだな……」と得心することができました。
こうしてAIを育てることは、残念ながら私にはできないでしょうが、それでも『仮面ライダーゼロワン』みたいに、人間とAIが助け合って生活する世界は確実に近づいていると思いました。今のところ私は積極的にAIの助けを借りることはありませんが……いつか、ね。イズみたいなヒューマギアが私のもとにもいたらいいなあ、なんてくらいのことは思いますよ。そういう未来を夢見る権利くらいは、私なんかにだってあるはずです。
明るい洞窟
洞窟に入ると次第に前の人の姿が闇に消える瞬間がある
見えなくなってもその存在はわかる
明るい光と暗い闇という二つの関係性において
私は”明るい闇”というものが存在すると考える
光 と 闇
直進する光 と 屈折する光
見えること と 見えないこと
近づくこと と 遠ざかること
おもかげとうつろい
お日様の下で不確かな像が現れては消えていく
本制作は光から建築を見つめ直す試みである
このステートメントの雰囲気も極めて文学的アート的な印象があって気に入ったので、それも含めて写真を掲載します。最初に掲載した2枚の写真は、「ものが見える仕組み」……光源から出た光がものに当たり、反射した光を私たちが目で受け止めるという原理をふまえて、あえて光の方向を変えることにより、そこにあるものが見えなくなるという理論を誰でもわかるようにした実験装置です。どんなに目を凝らしても、このアクリル板を通すと見えなくなってしまうんですね。不思議といえば不思議ですが、神秘でも何でもないんです。すべては物理のうえに成り立っているのですから。
そんな私の認知・発見・気づきによる心のときめきを見越していたかのように、ステートメントの最後にはこんな文章がありました。これまた素敵な文章なので丸ごと引用させていただきます。
本設計ではものが見えるという現象について根源的な仕組みから掘り下げ、光の屈折という一つの テーマに終着した。制作を進めながら現象とは何かということをずっと考えていた。ある時それはみえていなかった”存在”を” 知覚” する瞬間なのではないかという結論に至った。既に目の前にある事象が、ある条件下で姿かたちを少し変えて私の前に現れた時に私はその存在をようやく知覚する。柱があればそこに影が落ちる 落ちた影が光の存在を私に知覚させる そのようにしてまだ知覚できていない目の前の事象をそっと掬い上げるような空間が出来た時、初めて建築と環境が調和したといえるのではないだろうか。 本修士設計では、レンチキュラーと呼ばれる光学レンズを用いて壁 のみでの思考に留まったが、建築と環境の知覚については自身の卒業設計から続く終わらないテー マである。 これからも引き続き考えていきたい。
改めてしっかり文章を読み直してみると、小林秀雄みたいな鋭く怜悧な言葉ですね。これをきちんと理解できたという自信はありませんが、それなら理解できるまで胸に秘めておいて、また何度でも振り返ればよろしい。楽しみが長く続くに越したことはないのですから……。
*
「記憶をもとに設計し記憶を積み重ねながら暮らしていける家」「緑の侵食をうけながらも残り続けたいという建物の意志を汲んだデザインの在り方」「台湾の新竹市にある軍需工場の遺跡を再利用した『異空間並置設計論』」「現在の日本人の死生観を改めるための『葬儀~後に故人と向き合う場』の建築デザイン」……撮りまくった写真を振り返り、そこに書かれた記事をしっかり読み返すことで、どれもこれも面白いなあと思ったのですが、文芸オタクとして最も深いところに突き刺さった研究を取り上げます。
言語は感情を変化させる一つの手段であり、生活をする上で欠かせないものである。 小説から感情を読み取り、「私」自身がイメージする空間イメージを頼りに、言語表現から空間を形成し、感情の印象を埋め込む。 そこで本設計では自分自身の感情と向き合える「小説」という媒体を使い、小説の文章を修辞法の一つである隠喩を用いて、空間イメージと掛け合わせながら、言語化し、主人公の感情をこれまで自分が体験したイメージの中で空間を知覚し形成する。 言葉により紡ぎ出される主人公の感情を自分の体験したイメージから空間の設計を試みる。
小説の世界というのは文系の……盛岡大学文学部英米文学科を卒業した私にとっては本丸のようなものです。ここは決して理系の世界の人たちが立ち入れない領域であり、逆にこの文系の世界の人間だから理系の世界には入り込めないんだ……と思っていただけに、この研究発表は衝撃でした。あくまでも私は感情を言語で表現することが一等得意な人間なので、こうしてオブジェとして小説の世界を実直に表現する試みというのはまさに幾何学的精神に基づく真面目な研究成果であると思います。私に出来ないことをやってのけたことに、素直に感動してしまったのです。
感情を形にする作業ではありますが、そこに不純物が入り込む余地はありません。ひたすらまっすぐに空間イメージを作り上げ、出来上がったものがこれらのオブジェです。
建築家でも美術家でも、いや何だったら小説家でもなんでもそうですが、やはり形を作るためにはきちんとした体系だった技術が必要なのだなと痛感しました。たぶん20年前、私が足りなかったのはそういう技術なのでしょう。色んな本や解説書を読んで「そうかな!」と思って、それを引用しながらでっち上げた卒論は、いま思い返してもひどい出来だったと思います。
ただ、20年経った今なら「それが私の限界だったんだろう」と思います。今更「ああ、もっと勉強しておけばよかった」なんて思いません。ともかく私の大学時代は20年前に終わっているのです。そして今回も含めてたくさんの卒展を見て回り、改めて自分の限界を確認したうえで、「これが私なら仕方ないか」という一つの着地点を見出すことができました。
私なんかに出来ることはそれほど多くありませんが、一応社会人として生きているわけだし、全くないわけじゃないはずです。それなら出来ることを精いっぱいやって、出来ないことはできる人にやってもらえばいい、という未来への道筋もできました。そういう人を育て世に送り出すために教育機関というものがこの世に存在し、教える人と教わる人が存在するのだから、それでいいはずなのです。
(関連記事:20年目の卒業)
たくさん引用しながら書いたので、単純に文字数だけ数えればメチャクチャ長くなってしまいましたが、そろそろこの小文もまとめます。最後に、今回の東北工業大学生活デザイン学科の卒展および、先に見た同大学産業デザイン学科の卒展そして記事には起こしていませんが宮城大学事業構想学群価値創造デザイン学類卒業展示(公式ホームページ)も合わせた「理系の卒展」を見て回ったことをまとめた感想を書きます。
いずれも「メディアテークに行ったら何かやっていた」「入場無料だしとりあえず見てきた」的なきっかけで立ち寄ったのですが、実際に見てみると本当に面白くて、いっぱい楽しませてもらいました。イベントってたいてい身内とか友達とか学校関係者の人が主で、いくらこういうパブリックな場所で開催されているからと言って私みたいな純然たる門外漢が行くような場所ではないと思うのですが、それならそれで新しい発見、化学反応みたいなものがあるんです。
テーマにしても、私たちが住んでいる街のこととか身近なものを取り上げて、それを深く掘り下げて研究成果としているから入りやすいし。パネルとして掲げられているサマリーも、誰でも理解できるようわかりやすくまとめられているし。そうして色んなことを知って、新しい考え方――そこまで大上段に構えなくても、日々の生活の中でそれまでとは少し違ったものの見え方や気づきが生まれ心が動く瞬間が増えるようになれば、私はそれでいいと思うし、研究成果としても成功だと思うのです。
最初に見た宮城大学の卒展では、私も初めての「理系の卒展」だったのでドキドキしていたというか、「私なんか場違いじゃないかしらん……」という後ろめたさもあって、まだ心を閉じていた部分がありましたが、ひとつひとつの展示を丁寧に読み……中には展示ブースの前にいて自ら内容を説明してくれた子もいて(代わりに私も自分の感想を直接伝えることができて嬉しかったです!)……「なるほど、結構面白いものだな」ということで確かな手ごたえを感じました。
それをふまえて行った同じ東北工業大学産業デザイン学科の卒展は、まだそこまで深く掘り下げるには至りませんでした。これはひとえに私の心が「理系の卒展」というものの見方に慣れていなかったためであって、実際に見てみて面白かったのは事実です。それは感情として記憶しています。ただ、具体的に何がどう面白かったかということをまとめるためには、もう少し私の心のチューニングが必要だった。そういうことなのです。
そして今回、ひとつの集大成として……とにかく可能な限り書ききろう! と思って書ききったのが今回の記事です。他にも取り上げたい研究テーマはたくさんありましたが、それらを全部書ききることは私の手に余るのであえて絞りました。
書くためにその内容を読み返し、それをもとに自分で文章を書いてみると……美術展の感想と違って、初めからきちんと理論が出来上がっているものを書くので、ある程度伝えやすかったのかな、という気がします。いつも形の無いマグマみたいな感情を拙い語彙力で何とか形にして作り上げてきたのですが、幾何学的精神というか、より論理的で立体的な伝え方が出来るように頑張らなくちゃいけないな、という新しい目標が見えてきました。それをどこまで実現出来るかは未知数ですが、やはり文章で伝えるためには、そういった技術も身に付けなくてはいけませんよね。
とまれ、文系出身だろうと理系出身だろうと、色んなものに触れてみるのは大切です。臆せずどんどん、こういう機会があればアタックしてみたいと思います。
改めて……。
皆さん、ご卒業おめでとうございます。未来は皆さんのように一生懸命勉強しその成果をきちんと形にできた人たちによって創られるものと信じています。私は20年先に卒業した先輩として、皆さんが活躍するための世の中を作ってきたという自負があります。これからも生きている限り、私にできる範囲で世の中を作っていくので、皆さんが勉強してきたことを目いっぱい生かして活躍することを祈っております。
félicitations !
PR
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック