2月20日、せんだいメディアテークで東北工業大学産業デザイン学科の卒業制作展を見ました。
東北工業大学というのは私の兄の母校です。今から25年ほど前の話になるのですが、センター試験経由で東北工大に入学した兄は優秀な成績で同大学を卒業、IT系の企業に就職し現在に至るまで自動車の制御システムとかカメラの制御システムとか、最先端のテクノロジーに関わる人類として活躍しています。
当時中学生~高校生だった不肖の弟はそんな兄のいる仙台に何度か遊びに来たことはありますが、私自身は特に関係性がないんですよね。まったくの門外漢です。文学部上がりだから文系理系の段階で異なるし。
しかも私がエレベーターを降りた時は学生のプレゼンテーションが行われているところで、とっても厳粛アカデミックな雰囲気であり、私なんかが来るところじゃなかったんだ! って言って逃げ出そうかと思いました。
しかしながらエレベーターを降りた時点でこの格好でしたから、この卒展しかやっていないフロアに来て何もせず引き返したのではいよいよ不審がられると思い、
「こうして誰でも見られる場所だから来ましたが何か?」
という『門外漢の気安さ』(河合隼雄先生)で冷静を装い受付を済ませ突入しました。
およそ社会活動の役に立つ見込みがなさそうな文学と違って、産業デザインというのは直接世の中の仕組みを作る学問であると思いました。
「科学は人の生活を助ける」
これは90年代の名作ゲーム『メタルギアソリッド』の登場人物の台詞ですが、きっとこういう学問をしている人たちは、そんな思いでやっているんだろうなと思いました。実際、皆さんの研究成果は私たちが生活しているなかで苦慮する問題を解決するために「こうすれば何とかなると思います」といって編み出したようなシステムばかりで……
「やはり私が生きている世界というのは、こういうことを一生懸命に創ろうとする人たちによって創られているんだな」
そう思いました。
そういった人たちの真摯な研究成果がたまたま2024年現在の最新心的外傷(キーワード『VRChat』)にクリティカルヒットし一瞬死にたくなってしまったとしても、それは全く私の個人的な問題であって、良いんですよこれからの時代はVRChatなんです。人類みんな肉体廃止してメタバースの世界で在りたい私を生きればいいんです。私なんかはずっと憧れながらいまだに踏み切ることができなくて……だからもう、みすみんサンと交わる資格なんかないのかもしれないって思っていて……このまま肉体が朽ち果てるまで生きながらえるしかないんですが……私はそれでいいと思います。元々交わることができなかったのだから、なにも悲しむことは無いんです……これでいい、これで……。
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先日、河北新報で「現代学生百人一首」というものが紹介されましたが、その入選作品として宮城の大学4年生が書いた一句が紹介されていました。
「天才もAIももう足りていてそれでも私は美術を学ぶ」
そういう若い人がいるのなら、私は応援します。綺麗な美術作品を生成AIが描いたとしても、美術作品を見て私が感動するのは技術的な巧拙だけではなく「それをどんな人が、どんな思いで描いたか」であって、そういう意味で人間の「美術家」というのは永遠になくなることはないと信じているからです。
一方で「科学は人の生活を助ける」ということも私は信じています。だから今回の卒業制作展で見た学生の皆さんが、これから先の世界をもっと良くしてくれることを信じています。多くの「生きづらさ」を抱えている人たちがその「生きづらさ」を軽減し、より幸せになれるように……若い皆さんが自分の一等得意な方法でアプローチして、これからの世の中を作ってくれることを祈っています。私もそのために、いま自分ができることをします。
東北工業大学の皆さん、ご卒業おめでとうございます。私は私で自分ができることを頑張りますから、みなさんも頑張ってください。終わりで~す!(三四郎小宮さん風祝辞オチ)
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