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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 あゆみさんの作品の中には「祭草」という大変魅力的な人のような不思議な一本足の草花が佇んでいる作品があり、まるでこちらの世界を静かに見守っているかの様です。
(越後しの個展『祭草の歩み』フライヤー裏面より)


 前回の続きです。
 美術館の2階で開催されていた佐々木あゆみ展『悠遠の地』は、佐々木正芳氏との二人展を再現した……というのがコンセプトとなります。その文章を読んでから階段を上って2階へ上がると……

 ……いつもは人形館の2階にいるこの子が出迎えてくれました。こちらも佐々木一葉ことあゆみさんの作品です。70歳を過ぎてから有名な人形作家のもとで勉強して、この人形を作ったのだそうです。残念ながら夢見ていた美術館の開館を見届けることなく帰天してしまいましたが、それでも完成した建物はちゃんと見てくれたそうです(佐々木正芳さんのコメント)。

 2階に上がって最初に目に飛び込んできたのは、佐々木正芳さんの作品「老いたアダムとイブ」でした。これはあゆみさんから「これがいい」と言われて作品として仕上げたものの、実はあまり気が進まなかった……ところが実際に世に出してみると雑誌に掲載され、買い手も付き……今では「芸術的に私の一番上の作品ではないか」と考えるようになったそうです。
 そんな素敵な絵に対して私のような美術2風情が感想を書くなんて……という気もしますが、ちゃんとした美術的な批評は専門家がするでしょうからね。ここはスキル『門外漢の気安さ』を発動して、正直に感じたこと思ったことを一気に書いちゃいます。すなわち、
 「溶けあうようにお互いの肉体を抱擁する姿は、このところ私がとらわれている元型への回帰……2つに分かたれたものが再び1つになろうと求める集団的無意識に強く働きかけて来るのではないか」
 という気がしました。すぐに言語化できないような、心の深いところをグイグイと刺激されました。そして感じるところがありました。

   *


 こちらが『祭草』シリーズです。ここでも冒頭に引用した越後しのさんの言葉以外に拠るところがないので、私の主観による感想を書きます。
 よく絵を見て「音が聞こえる」想像をするのですが、この祭草の1枚目、街角にたたずむ姿を見て私が聴こえたのは、耳を澄ますとかすかに聞こえてくる「静かで賑やかな」音でした。日本語として破綻しているような気がするのでさらに説明しますが、要するに遠いところで盛り上がっている祭囃子を想像していただければよろしいかと存じます。賑やかさと静けさのコントラスト。それが同時にひとつのキャンバスの中に存在する不思議な世界。……いまこの記事を書きながら心の中にイメージしてみると、そういうことなのかなって気がしてきました。
 そのコントラストという意味では、2枚目3枚目になると、いっそう際立ちますね。なお、これに関しては直接、あゆみさんが語っている言葉が同時に掲載されていたので引用します。

一昨年春頃より<祭草月面に咲く>のテーマで描いてみる。乾ききった月の世界と最も人間の臭いのする祭りとの組合わせを試みる。まんまるの青く美しく光る地球を、月面から眺めてもみたかった。
百年前には、兎のすむお月様を、こちらから眺めている丈だった。そこには水があり草も生えていた。
息子が、絵を描いている私のそばへ寄り「宇宙空間と月面は、あくまで無機的にね。」と云って呉れる。
無限なる大宇宙のほんの一角のちっぽけな青い星 だがすばらしい星、
地球 何時までも美しい星であってほしい。
佐々木あゆみ (総合藝術情報誌「場」1981年3月号より)


 ……こうしてあゆみさん自らの言葉を聞くと、私が感じたこともあながち的外れでもないのかなという気がしました。そういう、静けさと賑やかさのコントラスト。すぐに自分が感じたことを説明できなくても、こうして時間をかけて言語化することで自分のものにできるならいいですよね。

   *

 そして再び1階に戻り、越後しのさんの作品『歩歩』を見ます。

 こちらは先日の個展でも観ましたが、今日は前回よりも一段階深く自分のなかで感じ入り、自分なりにアレコレと解釈をしたうえで見たので、印象がまた違ってきました。人物もさることながら、その人物を飾り付ける花草の魅力も合わせて感じられたのですね。
 これは率直に言って、私の感受性が鋭くなって、そういった部分にも反応するようになったものだと思います。そうすると今度は、ふうわっと「何とも云えない好い匂」が漂ってくるような気がします。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』でお釈迦様がぶらぶら歩く極楽に咲く蓮の花の匂いを想像するように、越後しのさんの絵に咲く花の匂いを想像するのです。
 するとかしないとかどんな匂いだとかっていう低次元の話ではありません。私の想像力は無限なのです。また、それが正しいとか正しくないとかってことにも興味はありません。私は私がいいように感じます。そしてここでは、どう感じたかということを可能な限り精緻に記録します。それが感情家の私の表現です。アートでもブンゲイでも、素晴らしい作品を創った製作者の方への返礼なんです。

 いくら撮影OKでSNS共有OKとはいえあんまりビッシビシ写真を貼り付けるのも気が引けるので(そろそろこのブログの容量も心配になって来たし)、写真を見返して特に「これはいいなあ」と思ったのを3枚ほどあげさせていただきます。
 やはり、こういう絵が好きなんでしょうね。しんと静まり返った感じ。あるいはこちらに何も語らないキャラクター。何でも明確に言語化したり解釈したり答えを持ち出したりしなくちゃ気が済まないような気質の人なら「わからない」と言って立ち去ってしまうというような子たち。
 私はその絵の中にいるキャラクターが何かを訴えかけているような気がして、あえてその前に立ち、探ってみる。何を伝えようとしているのか想像を働かせ一生懸命に探ってみる。見つけられなくて、あきらめかけた時にようやく自分の心と波長が合う。
 ……結局、私の意識、私の自我が認知できる範囲なんて、ごくごく狭いってことなんでしょうね。大事なことを感じ取り大事なことを決めるのはたいていの場合無意識の領域であって、アートは私の意識を素通りして直接、無意識の方に働きかけてくれるのでしょう。そして無意識の方では私の自我なんて置いてけぼりにして、私の自己、私の「たましい」に働きかけ、感情を動かしてしまう。それを意識できないから私は多動性とか衝動性とかって言葉を押し付けられてしまう。そういうことなのかもしれません。
 って、これは私の無意識についての話じゃなくて、越後しのさんの個展に関する話だったはずなのに……あわわ、ゴメンナサイ。話を元に戻します。

   *

 越後しのさんのアトリエ『ギャラリー越後』には2度ほどお伺いしたことがあります。1度目はアンデパンダン展の時で、2度目がRimoさんの個展を見に行った時ですね。確かRimoさんも、越後しのさんの作品が大好きで……とおっしゃっていましたが、今回こうして本格的な個展を通じ、作品に触れることができたのは、とても良かったです。

 ちなみに神秘タロット・不思議イラスト展を見に行った一番町の雑貨屋「coco-chi」さんには、越後しのさんの絵柄が入ったグッズがあり、「アレ!? 見たことある!」とひそかに驚愕してしまいました。他にも、前回の企画展で知ったアーティストの人の作品があったりして……何だかすごいところで繋がっちゃったぞ、と。そういうわけで越後しのさんも私の「一目でわかっちゃうアーティスト」に加わりました。私の感受性と知識が着実に増えているような気がして、大変嬉しいです。

   *

 ……毎回そうなんですが、ブログは自由記述というか、半分自動記述みたいな感じで書いているんですよね。最初に「このことについて書こう!」というテーマは決めてかかるんですが、書いている途中で思ったことや気づいたことをどんどん盛り込んでいくから、最終的な着地点がどうなるのかわからない。書くことがなくなればそれでおしまいになるんですが、心がおかしくなって以来神経症的に細かく細かく自分の感じたことを言語化するようになったので、もうメチャクチャになってしまって……。
 この日は私の大好きなアーティストのひとりである『ペロンミ』さんの個展を見に行き、そこで私のアート好きの原点である『門眞妙』さんに邂逅し、また映像研究部の高校生諸君が制作した自主製作ショートフィルムの感想のこととか何とかって、もう1万字でも足りないくらい、書きたいことがたくさんあったんです。それに、今回で2回目だったんですが、Rappit/みひろさんの絵のことも書きたいし。まだまだ私は生きていかなくちゃいけない……書きたいことがありすぎる……。
 でも、越後しのさんのことに関してはひと段落つけることができたので、今日のブログはこの辺にしたいと思います。またいつか、ギャラリーの方にお邪魔したいと思いますので、その節はよろしくお願いいたします! そして、その時には個展を見た感想などもお伝えできれば幸いです!

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