忍者ブログ
大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
叔母が帰天しました。69歳でした。

 私の母親は4姉妹の次女なのですが、「若い方から順番に帰天する」ということになりました。しばらく前に一番下の叔母が癌をわずらい、長い闘病生活の末こと切れになったのですが、今回は心筋梗塞で人事不省に陥り、そのまま、こと切れになりました。連絡をもらって、駆けつけた時にはすべてが終わっていたのです。

 去年――こちらも心臓を悪くして、今は入院している祖母と一緒に会ったのが最後になりましたが、それだって青森で仕事をしていたら、葬儀に駆けつけることさえかなわなかったかもしれません。一度でも会えたのは、良かったのかなと思います。


 葬儀場に安置されていた遺体は、血色の良い、自然な顔立ちでした。もちろんプロの人がそういうふうに仕上げてくれたからだと思います。病院で直後の叔母を見た母は、うっ血してあちこち赤くなっていたというので、上手に化粧を施してくれたのでしょう。「おくりびと」は見たことありませんが、前に沢内村(岩手県)のお寺に行って見たものを思い出しました。

 死ぬこととは、ただ肉体が機能を停止する以上のものがあるのです。それは人間の集団的無意識に連綿と紡がれてきたイメージであり、それゆえに宗教があるのだと思います。天に上るのか黄泉に下るのか、解釈は色々あると思いますが、いずれにしても最期にもう一度、綺麗な顔を見て思い出を定着させ見送るという儀式は、必要なことなのです。

 それでも「末期の水」を含ませたとき、唇が妙に固かったように感じました。死後硬直という小賢しい知識がバイアスになっていたかもしれませんが、やはり息をしていない、もう魂が帰天した後の身体なのかなって思いました。

 かなしみとか虚無感とか、あまりにも急すぎて、死亡診断書に書かれた事実以外のことが何もピンと来ていない状況ですが、これからいろいろと思うことがあるでしょう。感情家として簡単に切り捨てるわけにはいきません。丁寧に感情を拾って、それを自分のなかできちんと処理したいと思います。

  もう、誰にも「生きていてほしい」とか言いません。私が何を言ってもどう思ってもダメなんです。どうしようもないです。だから、かなしいけれど、もしも何かあったら「とうとうやったか……」と言って泣くことにします。


 追記:



 今回、葬儀のために黒いスーツをクリーニングに出したところ、胸ポケットに「ロザリオ」が入っていたことが発覚しました。以前東京に行った時、文京区のカテドラル内にあるお店で買ったもので、長いこと無くしたと思っていたのですが、このタイミングで出て来るとは……。

 「たといこの世から去ったとしても、かなしむことはないんだよ」

 イエス様がそうおっしゃっている気がしました。私は大丈夫です。

拍手[0回]

PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック