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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

 こちらは盛岡市内の鉈屋町というところにある『和田酒店』です(2015年閉店 - 参照:イワテライフ日記さん)。ここも含めて鉈屋町の酒屋さんには角打ち……すなわち酒屋さんの一角にイートインスペースを設けてちょっと一杯ひっかける文化がありました。私の曽祖父がしょっちゅうここで飲んでいて、母が小さいころそれを迎えに何度も行った……という話を何度も聞いたことがあります。曽祖父は私が生まれる前に帰天しているので、すべては想像の世界なのですが、そう考えると私の母は盛岡の下町に生まれ育ったのだなあと今更思いました。それが紫波の田舎から出てきた親父と結婚しちゃったばかりに……いや、まあそうでなければ私もこの世にいないんですが……。
 ただ、昨日の「モサモサ」に引き続き盛岡言葉の話になるんですが、角打ちなんて言葉は今回この記事を書くためWebで下調べをしている時に知りました。盛岡では「もっきり」と言います。これは絶対に譲れません。誰が何と言おうと「もっきり」です。角打ちなんて格好つけたみたいな言葉じゃ全然ピンと来ません。
 今日はそんな、盛岡の「もっきり文化」にかこつけた自分的な盛岡散歩日記を書きます。別に民俗学とか文化論とかをぶつわけでもないので気軽にお読みください。吉田類の酒場放浪記みたいな記事でもありません(どっちも閉店しちゃってたし)。

 1.もうひとつの「もっきり」老舗・平興商店


 先ほどの鉈屋町から少し歩いたところ、もう少し街の中心に近い下町である紺屋町の「平興商店」です。こちらは昨年12月に閉店したそうです(参照記事)。
 
 まもなく建物は解体されて跡形もなくなってしまうでしょうが、私が通りがかった時はこのような張り紙がありました。確かに昔テレビで紹介されているのを見た記憶がありますが、全国の酒飲みたちの間でも有名だったみたいですね。まさに、多くの人たちに愛され続けたお店だったのでしょう。それでもこのような張り紙を見ると、少し淋しさがまぎれます。私はずっと盛岡を離れて暮らしていたので、このような変化を知らずに過ごしていましたが……そういえば向かい側にあった盛岡の老舗酒蔵『菊の司』も消失しているし……。
 と、ここまで書いたところで、思い出したことがありました。
 「そういえば、鉈屋町にも『岩手川』という酒蔵があったけど、それもなくなっちゃったなあ」
 なるほどそういうことか。思いついたことをこれから書きます。

 2.そこに水があるから、そして、そこに酒があるから

 平興酒店の方は向かいにあった酒蔵「菊の司」の創業者の親戚筋にあたるそうなので、まあ関連会社みたいなものなのかもしれませんが、鉈屋町にはこの他にも「もっきり」が飲める酒屋さんがあります。
 良い水を使って良い酒を作る。酒を作ったらすぐに売れるよう近くに店ができる。そして酒を買ったらすぐに飲めるよう「もっきり」という文化が生まれる。そんなことなのかもしれませんね。
 ただ、それだけではなくて、城下で酒造りをしていた街だったからこその文化であり、それを愛する人たちが守り続けていたのから、今日までその雰囲気を残しているのでしょう。
 岩手川は2006年に倒産、菊の司は市外に工場を移し、お店は閉店……時代の流れゆえ無くなるのは仕方がないけれど、せめてそれと知ったことを私なりに記録として残しておきたい……と思って書きました。

 きっとここも、新しい何か(マンションとか)が建つのでしょう。仙台もそうですし。それはそれで新しい盛岡、生まれ変わり続けている街の証左です。最後に2024年1月20日現在の「この場所」を記録として残しておきます。次に行った時はどうなっているのか楽しみにしておきます。

もっきり物語  おわり

追記:
その前にイワテライフ日記さんとか、最近お気に入り登録させていただいた「愛LOVEもりおか~徒然日記~」さんとかで見られれば、それはそれでいいのですが。

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