忍者ブログ
大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。



胎に刺さったリボン

私が自分らしく生きるために、私の中に強く存在する「女性性」を肯定したい。

 第二次性徴が訪れ、思春期には身体に様々な変化が起き、自分の身体ながら嫌悪し、戸惑いを感じたのを覚えている。気が付くと私の意志に反して肉体は女性になっていた。同年代との会話の内容も、恋愛や外見に関する話題になり、次第に自分に存在する女性性は強くなっていった。
 女性性という言葉は、グロテスクで呪いの言葉の様でもある。美醜に囚われたり、月経で苦しんだり、差別の対象になる事も。それでもそういった地獄を憎む一方で、美しさを感じ、愛着が湧いてくる。多様性が求められる中で女性的な表現は時代錯誤かもしれない。しかし、その表現は本来、他者を決めつけ、傷つける様な言葉ではない。誰もがそれぞれの自分らしさを追求する今だからこそ「女性らしさ」が個性を表現する一つの言葉として生き続けていく事を願う。
 今回の展示では三人の作家が各々の視点から、自身に存在する女性性を見出し、絵画として「女性らしさ」に対するアンビバレントな感情を表現している。それぞれの作品から可愛さと残酷さが共存した世界観を感じてもらいたい。



 2月2日と3日に仙台アーティストランプレイス(SARP)で見た「かんの」さん「トキワ」さん「さかいふうか」さんによる三人展『胎に刺さったリボン』は、私にとっては非常に重大な出会いでした。2022年11月に同じ場所で見た「わたし、にしかみえない星」展に次ぐ衝撃を受けました。
 ステートメントにある『私が自分らしく生きるために、私の中に強く存在する「女性性」を肯定したい。』というのは、丸ごと現在の私が求めるテーマです。ちょうどこの日は隣のスペースで「足跡」展を見て、人生で初めて「可愛い」と言ってもらっていよいよ自分の中にある女性性を肯定しつつ生きようと踏み出したところだったので、余計に強く共感共鳴したのかもしれません。この会場でSARPの人からも「可愛い服装ですね」と言ってもらえたから、もう後戻りはできません。私はこのまま自分の中の「女性性」を肯定し、心の生きづらさを軽減して、私らしく生きていきたいと思います。
 と言いつつ、次の日は仕事帰りに男性の格好をして見てきました。そしてお店の人に改めて感想を伝え、「昨日来たことに気づいていないのかな」すなわち「昨日の私と今日の私は別な人間だと思っているのかも」と感じるに至りました。それならいよいよ「佐藤非常口」と「鳴瀬桜華」でそれぞれ別人格として振る舞うのも面白いかもしれません。
 ……でもこれって、冗談ではなく、結構、本気なんですよね。こうして「男性として『女性性』に触れる」のと「女性として『女性性』に触れる」のでは、やっぱり感じ方が異なるんです。もちろん私の中にある女性性というのはアニマの女性性であって、生理の苦しみなど「女性の肉体をもって生まれ育った女性」じゃなければわからない感覚というのは絶対にあります。そのあたりは矢川澄子さんの本をたくさん読んだのでわかります。恐らく私がどれほど女性に近づいたとしても「あなたは男性だから、わからないでしょうね」と袖にされることは覚悟の上です。
 それでも! 私は自分の中の女性性を肯定します! それが私の心を護り、健やかに生きていくために必要なことだから!…… 
 だから、そういう一歩を踏み出す手助けとなった今回の『胎に刺さったリボン』展は、私にとっては人生で2番目に重大なイベントだったのです。まったく素晴らしい三人展でした……このあとSARPの方から卒展の案内ポストカードを頂き、実際に行ってみて感動したのは先に書いた通りです。



 一度目に見て、二度見て、卒業制作を見た後三度目に撮りためた写真を見て暴れまわる私の感情をノートに活け造りにしたのですが、ここらできちんとまとめておきたいと思います。これはちゃんとオープンにしないといけないと思ったからです。
 今回は三人展ということで、ステートメントにもある通り、それぞれの描き手が「各々の視点」から制作した作品がありました。なので私の感想も見た順番に書き出していきたいと思います。その説明をするためにも、皆さんの作品の写真も掲載させていただきます(会場で「撮影可、SNSなどで公開可」と書いてあったので)。

『幻想』の女性性:さかいふうか


 さかいふうかさんの作品から感じたのは「幻想」から入る女性性でした。ピンクやマゼンタという色合いには、なぜか女性のイメージが連想されます。それがベースの温かい……たぶん、その色合いに加えて人物の中心や周囲に光があるからなのかな……光の中に浮かぶ女性のヴィジョンは、率直に言ってとても可愛らしいと思うのです。それと同時に、その切ない表情から「内包している悲しみ」があるように感じました。ただただ可愛いだけならそれでおしまいですが、それだけでない生々しさ(=感情、人間らしさ)があるので、どんどん心の中に「可愛さ」という肯定的感情があふれてきます。そして心が「可愛さ」で満たされた時、ようやく私は絵の前から離れることができたのでした。

『感情』の女性性:トキワ

 

 トキワさんの作品を見た感想をまとめると「感情」の女性性であり、逆巻く波の中にダイヴィングするような体験でした。ご覧の通り表面的にはとてもアニメ的で可愛い女の子がいるのですが、それに近づこうとするとたちまち表面的なものが崩れ、激しい感情の濁流にのみ込まれるのです。しかし、それは息苦しくてすぐに逃れたくなるようなものではなく、むしろ私の中の女性性と呼応し、しだいに流れに乗って心が解放されていくのを感じました。
 ここからは、先ほどの活け造りノートをそのまま引用してみます。
 
<それは大きなキャンバス地に描かれた少女の幻影や図形やひとすじの曲線……それが「何かわかるもの」と「何かわからないもの」が自在に入り乱れた世界に新しいものを見つけるたび少しずつ加速し、私の意識のキャパシティが限界に到達するまで続き……これ以上「心のままの世界」に意識が耐えられなくなったところでキャンバスから視線をそらし、かろうじて現実に戻ってくることができたのだった。……この三人展で最も激しく感情を動かされた。それがトキワさん。>
 そういうことなのです。読み返してみるとスゴイこと書いてるなあ、と思いましたが、まあ実際にそうだったんだから仕方がありません。ええ、そういうことなのです。

『原始』の女性性:かんの

 ノートには、「胎に刺さったリボン」というタイトルを一番象徴的に表していたのが実はかんのさんなんじゃないかと思った、と書いています。これは卒展でお三方の卒業制作を見た後の感想ですが、パッと見て、「可愛い」とは少し違う感想を抱きました。もっと肉感的な温かさ、暗黒的な……それゆえ心安らぐ感じがしたのでした。
 その感覚をたどって行けば、胎(内)……まだ意識や人格のない、形の定まっていない人間の原初の記憶までさかのぼるのではないか、と。
 ユングかぶれの私はこれを『原始心像』の世界だ! というふうに解釈しました。あまりにもプリミティブで、普段は意識の俎上に載らない……でも心の奥深いところで共感する温かさ。普段の私を動かしている自我からはうんと離れたところにあるから、深い共鳴が起こるんでしょう。
 たとえがあまり適当ではないかもしれませんが、それはまるで地震のようなものです。地下数十キロという深い場所で激しい動きが起こると、それが地表の全てをなぎ倒すような強大なエネルギーとなるように……さかいふうかさん、トキワさん、かんのさんの作品をぐるりと見て回っているうちに共鳴強振した私の女性性は自我を突き破り、あらゆる感情を、感覚を、意識を、理性を飲み込み……
 あえて断言します。信じてもらえなくて結構ですが、私は全く正直に感じたことを言います。
 私は服装だけでなく心的に女性として三人の世界を眺め、共感、共有しました。これほどまでに私のアニマが強い力をもって心を支配した体験はありません。それくらい特別な体験だったのです。
 それは翌日、男性として同じように絵を眺めた時、「可愛いとかきれいとかだけじゃない、ちょっとドロドロしたところが良かったです」としか感想を伝えられなかったことで確信しました。具体的にどう感じたのかを正確に伝えると、これほどの言葉が必要になります。
 そして、マンガで書くとこういうことになります。

 ノートに書き、それをさらに修正して言葉にすることで、少しずつ感情を御することができるのかな。これが私の『胎に刺さったリボン』展の感想です。

   *

 さかいふうかさん、トキワさん、かんのさんについてのファーストインプレッションを書ききったところで、もう一度、東北生活文化大学美術表現学科の皆さんの卒展について触れます。


卒展全体に対する記事はこちら

 個々の作品の感想については、既に書ききってしまったので、「その感動がキャンバスの面積に比例して大きく感じた」という程度にとどめておくことにしましょう。なお、さかいふうかさんは小さな部屋の形を作り、その中に展示するというインスタレーションという形式で作品を制作されていました。昨年見たRimoさんの個展に続き人生で2度目のインスタレーション体験です。素晴らしい。
 こちらも2回行ったのですが、2回目に行った時は「作品と一緒に私自身を撮影する」という試みを実践してきました。VRでやっているようなことをアナログ的に再現する。いったん自分を二次元の世界に閉じ込め、それを見ることで復元する。そういう試みです。それによって世界を外側から見るのではなく、ちゃんと同じ世界に実在することを再確認することができました。私が良ければそれで良いんです。





 以上で、『胎に刺さったリボン』展にまつわる私のお話はおしまいです。すでに3週間くらいが経過しましたが、その間に卒展などもあって……やはり醸成する時間が必要でした。また、「女性性」がテーマだけに、私の心の準備も必要でした。今日はこうして自分の部屋にて、女性らしさを十分に高めて書きましたが……やはり自分が女性であると思うことで、とても心安い気持ちになれるのです。
 改めて性自認というのは、必ずしも肉体の性別に従うものではないと思いました。肉体的にどうであれ、自分が一番自分らしく思える形で生きることが基本的人権として尊重されるべきことだと思うので、私も自分の女性性を隠さずに記事を書きました。私なんかがこんなことを書いたところで、決して多くの人に受け入れられることはないと思いますが、そういう人間が仙台にいるということを知ってもらえたら、私みたいな人類でも生きる価値があるのかなって……そう信じたいです……。

拍手[0回]

PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック