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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

 さる2月10日、仙台フォーラスで開催された仙台藝術舎/creekの成果発表展を見てきました。
 絵画、写真など色々素敵なものがありましたが、その中であえてこれを取り上げてみます。というのは、このステートメントを見て、かなり色々考えこんじゃったからです。その考えこんだ結果を私なりにまとめて形にしてみたいと思ったからです。私だって文章で自分の考えを表現することを20年以上やってきた人間だからです。

 全文をきちんと掲載したうえで、私が特に気になった部分を引用します。


……無責任な手癖で運用されているメディアのあり方に疲労感を覚える。……マスメディアによる雑な報道は言うまでもなく、マスに属さないメディアが「適当でも速報性があれば良い」と持て囃される現代においては、編集を学ぶ意欲すら削がれる。

 マスに属さないメディアとは、ニコニコ動画やYoutube、ブログ、SNSをはじめとした誰でも情報発信できるものを指す。せんだいメディアテーク(以下・smt)の言葉を借りれば「草野球」的なものだ。堅く言えば、市民メディア。その市民によるメディアも商業的な手垢がつきすぎた。

 私はそんなものより、学生自治寮の壁の落書きや張り紙の方がよっぽど純粋な事実であり、本来の草野球的な市民メディアなのではないかと捉えた。クローズドではあるものの、形式にとらわれず学生生活を送る中での叫び、遊び、学びを残しておくことに純粋な美しさを感じる。その純粋さは大衆性、専門性の外側にある限界芸術のような趣がある。


 反発というと少々語弊がありますが、一応ブログをやっている人間として「そんな言い方しなくたっていいじゃない!」と言いたくなる気持ちが起こったのは事実です。でも、そんな脊髄反射みたいな言葉は直ちに叩き伏せて、何度も文章を読み返し、「本当は、私はどう思っているのかな」ということを丁寧に問いかけました。
 ……なのでこれはあくまで私の感想です。正しく文章を理解できたか自信がないのですが、とにかく私はそう思った。私は感情家なのでそう思ったことを書きます。
 まず『無責任な手癖で運用されているメディアのあり方に疲労感を覚える』というのは、私も共感できます。何かあれば視聴者からの投稿動画を垂れ流す『マスメディアによる雑な報道』を見ていると、わざわざテレビでニュースを見る必要がないんじゃないか……という気がします。
 また『マスに属さないメディアが「適当でも速報性があれば良い」と持て囃され』ているな、というのも、そうだよねと思います。そういうのがあまりにも嫌すぎて、最近は動画サイトもSNSもほとんど見なくなりました。Instagramに関しては、最近アート系の人たちをポツポツフォローすると同時に「ちゃんと実体のある人間ですよ」ということをアピールするため一日一枚ずつ全然フォトジェニックでも何でもない写真をアップロードしていますが、その程度のものです。
 SNSで世の中の動きをキャッチしようとか、そういうことを考えていた時期もありましたが(ブログの記事が極端に少ない時期があるのはそのため)、そういうのに疲れ切ってしまったので現在はやめています。
 『市民によるメディアも商業的な手垢がつきすぎた』というのも、「そうかもしれない」と思います。『そんなものより、学生自治寮の壁の落書きや張り紙の方がよっぽど純粋な事実であり、本来の草野球的な市民メディアなのではないか』と言われて、ただちに「そうだ!」というには、私はあまりにも素人すぎるのですが……強く感情が揺さぶられたのは事実です。SNSの百万言よりも、よほど心に響くんです。
 個人的な体験のアーカイブから一番近いものを探ってみると、限られたコミュニティの中で秘密を共有する愉しみでしょうかね。大衆受けするわけでもなく、極端にわかりづらいわけでもなく……そうか! それが『大衆性、専門性の外側にある限界芸術のような趣がある』『純粋な美しさ』ということなのかな!
 今、ようやく自分の中でカチリとかみ合った気がします。ステートメントを読んだだけではなく、実際の展示内容を見ただけではなく……理論だけじゃなく、感情だけでもなく……それらが和合してようやく腑に落ちました。「そういうことじゃないんだけど!!!」と出展者の赤瀬川沙耶さんに怒られてしまうかもしれませんが、とにかく私がそう感じてたどり着いたのがそういうことだったので、大目に見ていただければと存じます。

 最後になりますが、私だって20年以上ホームページとかブログとかで自己表現をしてきた『市民メディア』の人間ですから、やっぱり文章による市民メディア活動は続けていきます。速報性よりも自分の感性を大切にし、バズるとかエモいとかバエるとかって流行の言葉とは最も縁遠い文章。
 一言でまとめると、私も「消費されない文化」を求め、これを作りたいのです。
 特別企画:消費されない文化
 この言葉、何度かブログの中で書いているんですが、そうやって繰り返しているうちに自分の中でも重要なテーマになってきました。大量生産大量消費の時代であり、そういう大きな流れは止められなくても、そんな中に竿を差して旗を立ててみたい。流されて溺れそうになってもまた浮き上がって旗を立ててみたい。
 それが私の自己表現です。絵を描くように、歌を歌うように、私は文章を書きます。

   *

 いっぺんに考えをまとめて書き出すことは難しいです。だから私はこうして少しずつ書いていきます。こうして積み上げながら、自分の『在りたい私』を組み立てていければいいかな。スプリントじゃなくてエンデュランス。ひとつ同じ場所で18年も続けてきたんですから、20年25年30年……NISA並みのロングディスタンスで書いていこうと思います。こうして日々を大切に生きていければ。

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