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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
この記事が公開されるのは11月3日……「文化の日」です。

 積みあがった記事が押されて押されてついに11月3日まで押し出されたわけですが、せっかくなので、この1年近く温め続けてきた(と同時に、なんだか形が見えなくて少々モヤモヤしていた)ものについて、まとめてみようかと思った次第です。

 何せ去年のこの時期というのは、ちょうどTwitterが面白くなってきた頃だったので、ブログの方はほとんど開店休業でした。そのため、結構いろんな体験をしているにもかかわらず、あんまり深い文章が無いんですよね。

 というわけで一生懸命思い出しながらの内容とはなりますが、できる限りのことをします。

 それは去年の11月に行った、ふたつの美術展のことです――。

 

 もう1年前の記事だし許していただきたいと思うのですが、去年の河北新報の夕刊でこの記事を見た時、

 「アニメっぽい」

 そう思いました。アニメっぽいというのはひどく漠然としているのですが、それは私が好きなアニメのキャラクタの要素がいくつも混在しているからです。ただ、それでも一番強く連想したのは、「ラブライブ 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」というアニメのキャラクタですね。その中のキャラクターー特に私が好きな、いわゆる「推しの子」――の髪の毛がピンク色だったので、何かそれっぽいな、と思ったのです。

 別にそれまでは好んでギャラリー通いなどするようなことはなかった……正直に言うと、私なんかが急にギャラリーに行ったら、ディレッタントな感じに思われるんじゃないかという、意味の分からない不安があって……そもそもこうして新聞にでも載らない限り、その開催のことも知らないまま生きていくことになったと思うのですが……ともかく心惹かれたのなら行ってみればいいか、ということで足を運びました。

 

 この時は一応「ハッシュタグ:タナランとつける」という条件の下で写真を撮ってSNSに公開してもいいという掲示があったので、遠慮がちに数枚の写真を撮りましたが、後ろ姿の女の子の絵が中心でしたね。



 おや、随分と可愛らしいテレビがあるぞ……と思って写真を撮りました。映像と音声による表現作品もありました。1年前のことですし、そもそも見る側の私も感覚が今ほど敏感ではなかったので、具体的にどのようなものだったかというと甚だ曖昧なんですが……じーっと見つめて耳を澄ませていると、徐々に今いる自分の景色がぼんやりしてきて、心地いい想像の世界に浸ることができたような感覚があります。



 「消費されない少女を表現したい。(直接的でなく)キャラクターを挟むことで被災地と向き合うことができると感じる」

 河北新報の記事でこのようにおっしゃっていた門眞さんの意図を念頭に置きながら見ました。正面を向いた女の子の絵もあり、それはとても可愛らしい絵柄で、割とわかりやすく心を打ったのですが、それでも強く印象に残ったのは後ろ向きの女の子たちでした。それはあまり見慣れない構図だったからだとは思います。例によってここでその意図とか効果とかを説明する知識がない私のきわめて感情的な――しかもそれは、ほぼ1年前に見た記憶とその時に撮影した写真をいま見直しての印象が入り混じった、非常に不確かで頼りない――印象となってしまいますが、ともかく言葉にして言います。

 後ろ向きの女の子の絵を見た時、なんか、安心感があるんですよね。一体感というか。それは視線を意識しなくてもいい(私の個人的な)心安さなのか、同じ景色を見ているという一体感なのか。その両方という気もしますが、ともかく事実として、視線も意識も彼女が見ている向こう側――海であるとか、防波堤であるとか、はたまた造成中の住宅地であるとか――に向けることができるんですよね。

 それが門眞さんの意図しているところなのか、そうでないのか――何分にも中学時代の美術の成績が「2」だったという強烈なコンプレックスが四半世紀が経過した今なお残り続ける身なので、まったく自信がないのですが、私はそのように感じました。いまデータが残っている作品の写真を見直していると、そう思いました。

 そしてそれ以来、門眞さんの絵が大好きになりました。

 これは後に、2017年に塩竃で開催された「あなたと海のあいま、通り過ぎてゆくすべて」の本も買って読んだ(見た)記憶も加味して、2023年10月現在の私が思うことなのですが、門眞さんの絵が好きな理由は、限りなく澄み切っている印象があるからです。言い換えれば、何かと感じやすくまた余計なことを考えやすい私に対して、そういう余計な思いをさせない心地よさ――それは先述した、視線を意識しなくてもいい心安さということに由来するのでしょうか――。

 だから私も自分なりに「消費されないキャラクタ」というものは何だろう? と考えながら生きてきた次第です。それに関しては、このあと行った門眞さんも参加しているグループ展の場でも突きつけられ、1年くらいずっと大切に心の中で温め続けたものでした。その結果どうなったのかというのは、次回の記事で書きます。仙台アーティストランプレイス(SARP)で開催されたグループ展「わたし、にしかみえない星」展について……そして、先月開催された関連イベントその他もろもろのお話です。

 *



 こちらの絵は今年の10月にタナランで開催されたアンデパンダン展に行った時、カフェスペースのカウンターの上にあるのを見つけて写真を撮ったものです。特に説明書きとかはなかったのですが、パッと見て「あ、門眞妙さんの絵だ」と思ったものの、万が一間違っていたら一生ファンと名乗る資格がないくらいの失態となるので、それを恐れて言い出せませんでした。

 後日お店の人に「これって誰の作品ですか?」という聞き方で問うたところ門眞さんの名前が出てきたので「そうだと思っていたんですが……」と後だしじゃんけんみたいな確認をしたので、堂々と掲載させて頂きます。別にクイズ番組とか当てっことかしているわけじゃないんだから、後出しも何もないとは思うんですけどね。

 ただ、何のヒントもなく絵だけを見て『門眞妙さんの絵』とわかるくらい、私の感性も生きてきているのだということが確認できました。そういうこともあって、このようなテキストを書かせて頂きました。

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