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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

 図書館も年末年始の休暇に入ってしまったので、先日ブックハンターセンダイのインディーズブックバザールで買い集めた本を読みました。短編か、もしくはそれよりも短い掌編なので、所要時間は短かったのですが、いずれも鮮烈な印象でした。
 そんな各篇の感想をここで書きます。……と思ったのですが、
 「あえて、私が書くこともないか」
 そんな気がしてきました。いや、ひとつひとつの作品に対する感想は書いているんですが、それが……こういうパブリックな場で不特定多数の人に向けて書いた感想ではなくて……作者に感想を伝えるための手紙形式なんですよね。丁寧に書いたけれど、ちょっとパーソナルな感情を込めすぎちゃって、なんか気恥ずかしい……そんな感じです。
 だから、「全部読みました」「とても良かったです」ということだけをここでは書いておきます。あえてこれは、私だけの秘密にしておきたいな、と。

   *

 たとい実際にそういうことをしたことがないとしても、「秘密基地」とか「秘密の宝物」とか、そういうものに心ときめく…という感情は、稚い子供心としてわかっていただけるものと存じます。
 これが発達障がいだからなのかどうか知りませんが、私にはいまだにそういう感情が根深くあります。根が深いものだから年月が経っても枯れない。水をあげればあげたぶんだけ成長を続ける。どこにでもいる子供は誰も知らない秘密を知っていることをアイデンティティとするサブカルオタクとなり、長じてそれは自閉スペクトラム症と呼ばれるまでになりました。それが私の四十年余の来し方です。
 こうして出会った本をこれほどまでに愛おしく感じるのは、そういった私の精神性によるものなのでしょう。もちろん物語そのものが素晴らしいのは言うまでもありませんが、これらの物語は決して一般の書店に並ぶことがない……ごく限られた、本を手にした者たちだけが垣間見ることの出来る世界であり、私もその秘密クラブの会員となって恩恵に預かる……という気持ちになれるからだろう……と。

 ここからは少し「秘密」という言葉について思ったことを書かせていただきます。少々道草になりますが、どうかお許しください。
 秘密とは「知られてはいけない」ことを心に隠し持つことですが、それは秘密を暴く(または「暴かれる」)歓びと表裏一体の緊張感があると思います。いつだって物語の人物は、見てはいけないと言われたものを見て、破滅に至るものです。それは言うまでもなく、秘密をこっそり覗き見てこれを暴くというタブーを犯すことが何よりも快感だからでしょう。
 それがさらに高次の段階に進むと、自分の秘密を誰かに暴かれたいという感情になってしまうのかもしれません。今風の言葉でいえば「匂わせ」ってやつでしょうか。正直に言うとそういうものに私は理解もできるし共感もできます。覗く者であり覗かれる者。本多繁邦が「のぞき」をやってしまうシーンに私自身が共犯者として本多と同じ光景を目にする一方、心は勝手に覗き見られている側の方にも転移し、これを想像する……。
 「死刑囚であり死刑執行人」とはボウドレエルの言葉ですが(私はそれを三島由紀夫さんの文章で知ったので、ずっと三島さんの言葉だと思っていた)、鞭打ちながら鞭打たれる、加虐と被虐を同時に快感とするのがサディストだと私は思っています。十代の頃に『悪徳の栄え』『新ジュスティーヌ』と出会ってしまった私の無意識には、そういう感情がしっかりと根を張っています。
 ええ、私の心にはそういう感情があります。
 この感情は獰猛な獣の如く強烈で、私のちっぽけな自我が抑えつけようとすると、その自我が及ばない暗闇でうなり声をあげ、たびたび心をむさぼってしまいます。そうなると心のバランスを崩し、何らかの形で処置を行い、また無意識のなかに押しやらなければなりません。これを抑圧というのか「コンプレックス」と言うのか。
 ただ、今はそこに新しい希望があります。アニマです。私の自我がアニマの存在を認め、アニマと手を取り合う。もう一人の私たるアニマと協力して、この獣を御するのです。そのために私はスカートを穿き、よりアニマが意識上で自由闊達に振る舞えるようにお膳立てをし…そして私自身、「彼女」と共に生きるのです。
 それが今の私が考える「自己実現」へと至る道です。

   *

 話がメチャクチャに飛躍して、私のこころの問題にまで発展してしまいましたが、これが私の読後感です。どうしてこれほどまでに心惹かれるのか? 自分の感情はどこから来るのか? ということをひたすら心に問いかけ、無意識の海に潜って見つけたものはサドの小説でした。少なくとも感情の領域に深く刻み込まれた記憶は永遠に消えないでしょう。
 でも、それが『在りたい私』かというと、そうではありません。感情のまま消費し続け垂れ流し続けるような生き方を、私は望んでおりません。かといって全ての人間らしい感情を封じ込め、あふれる情報の海に呑み込まれ溺れてしまうような生き方も私はしたくありません。
 理性と感情。(いわゆる)男性らしさとか女性らしさとか強さとか優しさとか秩序とか混沌とか……私はそういうのを全部かき混ぜてぐちゃぐちゃになった心でいいです。いわゆる太極図のマークです。

 太極図 - pixiv

 この辺もユングの思想による影響が大きいと思います。ゲーム『真・女神転生』に出てくる謎の老人は、私にとってはユングでありそれを教えてくれた河合隼雄先生です。何事も調和が大切なのです。
 良い本や素敵なアートはこの世にいながらにして、私の自我が及ばない領域(個人的/集団的無意識)に直接アクセスしてくれます。私はこれからもたくさん本を読み、アートに触れて、自分の心を豊かにしていきたいと思います。

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