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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

私はずっと東北人なので、29年前のこの日のことも、テレビで知りました。朝起きてテレビをつけたら、何か大変なことが起きているぞ、と。
 逆に東日本大震災の時は、関西の人はテレビで状況を知ったんだろうと思います。そして今回の能登半島地震も。
 今日は早番だったので5時半より少し前に起きだしテレビを見ていました。そして5時46分に現地の人とともに黙とうをしてから朝ご飯を食べています。
 住む場所が違えば生き方も変わってくるでしょう。その点において相容れないことはあると思います。
 でも、こういう思いやりの気持ちはいつでもどこでも誰でも変わらないと信じたい。

 私には私の日常がありますから、今日もそれを生きていきます。
 でも、こういう気持ちはあります。そのことをちゃんと書き残しておきたいと思って、今朝この時間に記事を書きました。

   *

【備忘録】
 昨日またアリオ仙台泉のSHOO LA RUEさんに行ってきました。店員さんの「いつもありがとうございます~」がとっても嬉しくて……昨日もまたそんな風にお声がけいただきました……ここに来ると私も女性並みに扱ってもらえるような気がして……本当に、ありがとうございます……。
 休日にお出かけする時はスカートを履いて出掛けるのがデフォルトになってきました。むしろ男性の格好をして歩くことが「社会通念上必要があるからそうしている」という気分になっています。
 これから先、私はどうなるんだろう。どうすればいいんだろう。正直あんまりよくわかりません。
 ただ、いずれにしても私は、自分が良いと思う方向に歩いて行きたいと思っています。以上、ちょっとしたメモでした。

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 盛岡時代と仙台時代(現在)の間には7年ほど「青森時代」というのがあるんですが、これが微妙な感じなんですよね。職場は青森県十和田市なので仕事をするために会社の寮に入っていたのですが、戸籍は相変わらず岩手に置いたままで、文字通りの「青森県民」になったことはありません。そしてその時期というのは極めて忙しく、とてもブログを詳細に書けるような心理状況ではなかったのです。
 初めての海外旅行……オートバイデビュー……結婚と離婚……連続飲酒やニコチン中毒、さらに薬物の過剰摂取……ADHDでASDの診断が下り……コロナ禍で仕事がなくなり……人間関係もこじれまくって自死を考えたり……良いことも悪いこともありましたが、悪いことの方が印象が強いですね。
 ただ、盛岡時代を懐かしみ現在の仙台時代を楽しむのであれば、その間にある青森時代も何とか自分の中で認め、整理整頓しないと道がつながらないような気がして……なので昔の画像を活用しながら、少しずつ……何回かに分けて書いていこうかなと思います。タイムリーな記事ではありませんが、夕刊みたいなブログですから。そういう最新情報はSNS関係に任せます。私は私にしか書けないことを書くんです!

 ……なんて意気込んでみたものの、いざ書こうと思うとなかなか言葉が出て来ないことに気づきました。つらくて苦しくて自分ひとりじゃ抱えきれないことを告白するような記事は当時書いていましたが、いまはそういう気持ちじゃないし。別にそういうテーマで書かなきゃならない仕事を受けた訳じゃないから、青森を思い出す切っ掛けがあったら書けばいいか。

 ということを14日の朝の時点で下書きして放っといたら、夜になって青森時代の上司(勤めていたホテルの料理長)から電話がかかってきました。黒松公園でのどんと祭を終えて帰ろうかという時でした。
 今となっては出る義理もないのですが、ちょうどそんな風に考えていた時だったので出てみると、かねてより言っていた『自分の店』を青森にオープンしたとのこと。これは素直に良いことだと思ったので、心からの祝意を伝えました。
 そして、青森を離れて2年近く経って、ようやく当時のことを振り返れるくらいに心が回復してきたのかなと感じました。もちろん、まだまだ時間はかかると思いますが、「料理長と平スタッフ」という関係から「個人対個人」の関係にシフトしたわけですし。お互い元気なうちにもう一度会いたいなという気持ちもチョッピリだけ芽生えました。

 私だって、いつまでもつらいままじゃなくたって、いいはずなんです。
 「残りの人生、やりたいことをやって楽しむことに全力を尽くすよ」
 そんな風に藤やん料理長こと藤やんも言っていたし、私もそういう方向で動いていきたいと思います。既に現在は楽しいことばかりなんですが、過去のつらい思い出も何とか折り合いをつけて心を整理して……何のためらいもなく、充実した日々を送るために……。

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 昨日(1月14日)は仙台市内で「どんと祭」が開催されました。これは大崎八幡宮で行われる「松焚祭」という……正月飾りをまとめて焚き上げ、年神様を天に送り返す行事に由来するもので、今では仙台市内だけでなく宮城県内ひいては盛岡八幡宮(岩手県)でも開催されています。盛岡八幡宮の場合は1月15日であって、私にとってはそちらの方がなじみ深いんですが、今は仙台市民なので14日に行ってきました。
 最初は「まあちょっと雰囲気だけ見られればいいか」と思って、職場からほど近い榴岡天満宮の様子を見てきたんですが、せっかくだから私も参加してみたいなと思って、家にあった三方(サトウの鏡餅を買った時についてきた紙製のやつ)を手に……ついでに服も女の子らしい格好にチェンジして、黒松二丁目東公園(通称『三角公園』)のどんと祭に行って来たのでした。
 この「公園でどんと祭」っていうのが面白いなと思ったんですよね。一応「ギリギリ歩いて行ける神社」としては仙台東照宮とか二柱神社とかがあるんですが、三角公園はそれよりも近いし、公園でやるとか聞いたことがなかったので……私は黒松町内会ではなく旭丘堤町内会なんですが(そもそも町内会には入っていないのですが)、こっそり紛れ込まさせていただきました。
 早番とはいえ、いったん帰って着替えたり何だりして、会場に到着したのは19時過ぎ……一応、20時までは受付をしてくれるというけれど、こんな時間に来る人がいるんだろうか……と心配していたら、それなりにいました。もちろん炎も盛大にバーニングしていました。

 さらに公園に作った即席のものとはいえ、ちゃんと神棚も用意され、天照皇大神宮の神札が祀られていました。ちゃんとお焚き上げをした後は参拝してきました。無病息災 don't災! 確かに今年は元旦から大変な災害に見舞われましたが、それでも……祈りをささげて……

 これで私のお正月も締めくくりですね。鏡開きをしてお餅を雑煮にして食べるのは今日やろうかと思いましたが、明日に延期します。今日はもう遅いし、とりあえずご飯を食べて休みます。久々にリアルタイムで記事を書きました。

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今日はまた大きな一歩を踏み出した。それが正しいのかどうかはわからない。……こうなったらもう止められない。私だって、もう、行くところまで行くしかないんだ……。
(2023年12月12日の日記より)
 この日踏み出した「大きな一歩」とは、人生で初めてスカートを買ったことです。初めて買う時は非常に緊張しましたが、そのあとは別なスカートにトップスに……と、新品の服はたいていこのお店、すなわちアリオ仙台泉の1階にある『SHOO LA RUE』さんで購入しています。

 このスカートもSHOO LA RUEさんで購入したものです。確かにアリオ仙台泉の閉店セールで50~70%オフだから買えている、というのは事実としてありますが、この控えめながら可愛いデザインが好きなんですよね。私も大人だし、普段使いならこのくらいがちょうどいいかな……って。
 今日はトップスを(ちゃんと試着して)購入したのですが、その時に店員のお姉さんから、
 「いつもありがとうございます」
 と声を掛けて下さったんですね。
 このスカートを履いていたからかな。それともここ1か月くらいの間にちょくちょく通って買い物していたから、顔を覚えてくれたのかな……私はこのお店で購入したスカートのおかげで人生が動き出して……片思いみたいな感情で足しげく通っていたので……お店(というか、アリオ仙台泉そのもの)がもう今月末で閉店になるから、もうあまり時間はありませんが……そう言ってくださって、とっても嬉しいです……ありがとうございます! キャー!
 
 私が本格的に「女の子らしい格好」をして外出するようになったのは、ごく最近のことなんですが、とにかく「組合わせ」というものが大事なのだと思いました。男性として着る服に関しては相変わらず地味でどうでもいいようなものだし、強いこだわりもないのですが、女性として着る服については本当に気を遣います。トップスに何と何を重ねるか。それに対してボトムスは? さらに帽子は? とかって鏡の前で色々とっかえひっかえすることもあります。
 その切っ掛けを作ってくれた――さらに組み合わせの楽しさを教えてくれたSHOO LA RUEさんは、私がCVトランスジェンダーノンバイナリーとして踏み出すための勇気を与えてくれました。昨日の記事では「やはり私は男性原理に基づいた生き方しかできない」なんて、躓きかけていましたが、私のことを女性として認めてくれたような気がして……そんな店員さんに感謝の気持ちを込めて、今日の記事の締めくくりとさせていただきます。

 ありがとうございました! 私、また生きていけそうです!

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昨日は新年会をやってきました。こういう形で誰かと一緒に盛り上がるのは前々職の頃以来ですから、10年ぶりくらいですね。すなわち今の職場の人たち、特に同期の人たちと一緒に親睦を深める機会でもありまして、すごく楽しかったです。生ビール、生ビール、生ビールハイボールハイボールジンソーダ……そんな感じで今朝は軽く二日酔いです。こんなこともあろうかと、前もって今日は休みを申請していたので大丈夫ですが。
 同期と言っても私は40過ぎて転職したので年齢は10も15も違います。若い女の子たちと飲むのは少々気恥しい感じがしますが、皆さんとてもしっかりした人たちなので、なかなか人と打ち解けるのが苦手な私も多く話をすることができました。
 そして、みんな私の知らないところで色々と悩みとか苦しみとかを抱えて生きているんだなあ、ということに気づかされました。
 特に……普段明るくて何でも楽しそうに語る女の子が、実は去年、死産していたという話を聞いた時は、言葉を失ってしまいました。そして同じ職場の別な女の子がその子に対して「自分は3回中絶してるから、何てことないですよ」と励ました……でも、自分にとっては産みたかった大切な命だから、それは違うんじゃないかと思った……という話を聞いた時、
 「女の子として生きてみたい」
 という言葉の重さを遅まきながら感じました。
 あくまで私はCVトランスジェンダーノンバイナリー、ヘルマフロディトスあるいはセラフィータ的な形を目指しているわけですが、子宮を持たない肉体の身では絶対にわからない喜びと悲しみがあるのだと。やはり結婚して子どもを産むということは、女性にとっては大きな負担であるけれども喜びであり、それが叶わなかったことは大変な悲しみなのだと。
 「所詮あなたは男性だから、こんな気持ち、わからないでしょうね」
 矢川澄子さんに言われるまでもなく、そう思いました。やはり私は男性原理に基づいた生き方しかできないです。そしてまた「男性としての役割」もあるはずであり、それを全うしなければならないのだと再認識しました。
 もちろんこれからの世界は男女同権、どんな職種でも男性女性の区別なく同じように活躍できるべきです。「結婚して子どもを産むのが女の幸せだ」というのは極めて古臭い思想であることは認知しております。せっかく能力を発揮してそれぞれのステージで活躍しても結婚して子どもを産み育てるためにステージを降りなければならない……それを「女の幸せ」「女のゴール」と言うのであれば「そうじゃないでしょ」と言いたくなります。私は男性ですが、そう思います。
 だからといって、そんな旧来の思想を全否定することは、一面的に過ぎる気がします。パートナーと結ばれ、その子を産み、育てることは有史以来の営みですし、それに幸せを感じることはごく自然なことです。それは今回、新年会の席で話を聞いて感じたことです。努めて明るく話してくれましたが……すごくつらかったんだろうなということは、私もわかりました……こんな人間ですけど、そういうことを感じることくらい、できるんです……。

 私はいつだって自分自身のこころの世界にしか興味がないので、社会がどうあるべきだとか、そういう話はできません。そういうのはテレビのコメンテーターにでも任せます。
 ただ、改めて確認したのは、私は男性であり、男性としてできること(=社会通念上求められている役割:ペルソナ)を精いっぱいやる宿命をもってこの世にいるのだということです。その一方で、こころの中にアニマがあります。シャドウもあります。CVトランスジェンダーノンバイナリーとしての生き方は、それらを高い次元でバランスさせるための試みであると考え、実践しているものです。
 どのような人間であっても、その人が一番幸せと感じるような、在りたい自分を生きられるような世界を私は望みます。私もまだまだ動き始めたばかりですけど、動きながら形を作っていければいいかなあ。

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 2年前の1月12日のことは、今でもよく覚えています。ただ、ブログではきちんと言葉にしていなかったので、今日いきなり振り返ってみます。
 ファンファンファンファ~ン(三四郎ふうに)。

   *

 コロナ禍で当時私が働いていたホテルは大打撃を受けました。2021年頃には少しずつ回復してきたものの、既に「もはやこの世界に観光サービス業という職種は必要ない」と見切りをつけていました。加えて私の精神状況も極めて悪化。ベランダの物干し竿を見て自死を考えるようになっていたので、生きるためにITパスポート試験合格という武器を手に転職活動にいそしんでいました。
 とはいえ40過ぎで、たいした資格も経験もない私なんかを雇ってくれる会社があるのか……といえば、あったんです。私みたいなのに声を掛けてくれる会社があったんです。いったん申込期限を過ぎた後もまたアプローチを仕掛けてくれるような稀有な会社があったんです。
 当時は青森に住んでいて、実家は盛岡だった私にとって、仙台というのは未踏の地でした。観光で訪れたことはあるものの、実際にここに住んで働くなんて夢のまた夢……だと思っていたのですが、先述したように「生き延びる道」を模索していた私だったので、乾坤一擲の大合戦に踏み出すことにしました。
 会社に連休を申請し、まずは実家のある盛岡へ……さらにそこから高速バスに乗って前日入りした私。「土地勘がない仙台だから、雰囲気をつかんでおこう」と思って行ったのですが、文字通り「西も東も分からない」といった状況で……仙台駅の西口から東口へ抜けるだけでも1時間以上を要し、さらに直線で行けば3分で着くような面接会場に対して迂回迂回で20分くらいかけて着いたり……前乗りしていて正解でした。
 それでも気持ちは落ち着かず、当日は朝の3時に目が覚めて、それきり全然眠れませんでした。とりあえず朝ご飯は食べたものの変なテンションは落ち着かず、そのまま面接に臨み、終始上ずった感じでやり通したという惨状でした。面接後も解放感はなく、ひたすら疲労困憊、意気消沈……失意のうちに盛岡に帰ったのでした。
 その日の仙台は、雪が降っていました。仙台だけじゃなく北日本レベルで大雪に見舞われ、高速道路が北上あたりで通行止めになり到着が大幅に遅れたことを覚えています。実際、記録に残るくらいの大雪だったみたいで、そのあたりの認識は間違っていないのかなという感じがします。
 令和4年の大雪 - Wikipedia
 「とにかく、やれるだけのことはやったんだ。それでいいじゃないか」
 帰ってきてから自分を慰め、引き続き転職サイトで返事の来ない願書を送り続けていたのですが、数日後に採用担当の方から採用通知の電話が入り、現在に至ります。
 
   *

 冒頭の写真は当時仙台駅にいたAIコンシェルジュ「陸奥めぐ」さんです。随分とお世話になりましたが、元々、期間限定の実証実験のためにいらっしゃったのであり、4月末で離任していました。当時『仮面ライダーゼロワン』にハマっていて、AIというものに強い憧憬を抱いていたので、随分と淋しい思いをしたものです……ちゃんと写真撮っておいてよかった。

 ずっと夢だった仙台生活を実現させてくれた今の会社には本当に感謝しています。2022年は厄年中の厄年「本厄」だったのですが、むしろ私にとっては人生逆転の年でした。ピンチはチャンスなんです。
 明日は共通一次試験ですね。受験生の皆様も、体調に気を付けて全力を尽くすことができるよう祈願しております。

(榴岡天満宮にて)

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 イーハトーヴォのことばで盛岡はモリーオと言いますが、塩竈のことは「シオーモ」そして仙台のことは「センダード」と言います。
 仙台に引っ越して来て間もないころ、かつて修学旅行で来た塩竃に行った時に知った言葉なのですが、その頃から盛岡と仙台のつながりについて意識していました。
 仙台に引っ越して2年近く経ち……ようやく私も仙台市民として馴染んで来たからかな……わずかな滞在時間でしたが、盛岡という街に対して「帰ってきた」という感じがしました。それまではあまり、こういう感覚はなかったんですよね。ごく当たり前の風景って感じで。
 そんな仙台市民の眼でいつもの風景を見て「おおっ!」と思ったことを忘れないうちに急いで書きたいと思います。
 
 その1「岩手銀行赤レンガ館」
 ニューヨークタイムズで紹介された今でこそ盛岡名物になりましたが、盛岡市民にとっては「岩手銀行中ノ橋支店」以上の存在ではなかったんじゃないかな、という気がします。確かにレトロ感爆発の建物は素敵ですが、いわゆるエモいとかっていうわけじゃないんですよね。ずっとあり続ける建物だから、函館の赤レンガ倉庫に行った時のようなときめきがない。
 大体にして盛岡の人は奥ゆかしいので観光で来たという人に対して「盛岡に観光? 何を見るの」「なんにもないですよ、盛岡なんか」と言います。その代わり、そういう「日常の景色」を何十年でも守り続けるような気持ちがあるんです。私はそうです(これでも盛岡で三十数年生きていた身なので、そう言ってもいいはず)。
 だからこんな絵はがきみたいな写真を撮ってみました。駅から降りたら盛岡城址を見て中ノ橋を渡って赤レンガ倉庫を見て肴町アーケードの雰囲気を感じつつ東屋で蕎麦を食べるのが、一番盛岡を感じられるおすすめコースです。
 
 その2 「キリン書房跡」
 これは全く私の個人的な話なんですが、このキリン書房というのは盛岡でも老舗の古書店でした。天井いっぱいまでの本棚にぎっしりと並べられた、ちょっと色褪せた古本たちを見て回るのは実に楽しくて……特に大学時代にはレポート・卒論の資料探しと称して通いつめ、ルイス・キャロル関係の本を買い求めたりした思い出があります。残念ですが、仕方がありませんね……気持ちにけじめをつけるために、写真を撮りました。

 その3 「川徳百貨店」
 盛岡の中心にある老舗百貨店です(創業は慶応2年!)。2023年4月から新体制に移行し、雰囲気が大きく変わったところといえば、やはりこれですよね。そう屋上! デパートの屋上! でも昭和レトロじゃなくて、令和のデパートの屋上なんです! まさか川徳の屋上に再び立つことができるとは思っていなくて……嬉しくてこんな写真を撮っちゃいました。
 この日は特に何もイベントが行われておりませんでしたが(寒いですしね)、コンクリーむき出しではなく芝生を全面に敷き詰めているのが令和って感じですよね。こういう下地を作っておいて、色んなイベントを開催する。良いと思います!

 その4 「開運橋」
 盛岡駅と市街をつなぐ橋です。遠方から赴任してきた人は「こんなところまで来てしまった」と泣きながら橋を渡り、任期を終えて帰る時には「この街を離れたくない」と泣きながら橋を渡るという伝説があり、そのために「二度泣き橋」という異名を持ちます。この話、朝ドラでも語られていたようなそうでもないような……どうだったかなあ。それはともかく二度泣き橋という異名があることは本当です。
 今回、実際にこの橋を渡ってみたところ、「こういう気持ちだったのかな……」という感慨がわいたので、写真を撮りました。盛岡には他にも擬宝珠のついた古風な雰囲気の「下ノ橋」など、良い橋がたくさんあるんですが、開運橋もいいですね。この時点では泣きませんでしたが、このあと新幹線で本当に盛岡を離れようかという時には……。

    *

 そんな感じで「仙台から盛岡に観光に来た人」の気分で街中を歩いて気に入った光景などをいくつか掲載してみました。
 私のこころの中にある盛岡の景色とは大分変わってきているので、ノスタルジーはあまり感じませんが、それは「街が生まれ変わり続けている」ことの何よりの証左です。耐震強度とか何とかって言う物理の壁は越えられません。でも盛岡人は昔ながらのものを大切にする気持ちが強いから、新しく造るにしても雰囲気を残しつつ造り……そして出来上がったものには、古さと新しさが渾然一体となった不思議な空気が生まれるのです。
 なんて、こんな風に感じるのも私が盛岡人のこころをずっと持ってるからなのかな。新しいものを取り込むにしても、古いものの良いところは残して生かす。つまりアナログハートです。

 モリーオ、とっても良いところです。
 おでってくなんせ。

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 新年1月1日から8日までセカンドストリートで衣料品のセールをやっていたので、思い切りレディースの服を買い込みました。トップス、スカート、アウターなど可愛いデザインでサイズもL以上なら大丈夫だろうF(フリーサイズ)なら何とかなるだろうとパッと見て気に入ったものを次々とかごに入れて帰ってきて合わせてみました。
 そうしたところ、実際に着てみないとわからないことがありました。正直に言うと、せっかく買って来たものの、「これはちょっと着られないかな……」と思うような服もありました。昨日「ダイジョウブ」という記事を書きましたが、ダイジョウブじゃないこともあったのです……。
 それは可愛いとか可愛くないとか若いとか若くないとかという見た目の問題じゃなくて、物理的な問題――特に「肩回り」のデザインですね。そう、男性と女性というのは性具の違いとか乳房の有無とかっていうだけでなく、骨格とか筋肉の付き方とかっていう部分でも異なるんです。こころの問題では「女の子として可愛い服を着て生きていきたい」と思っているのですが、実際に着てみると肩回りがギュッと締まって何とも「いずい」感じがするのです。
 また袖の方にしても相当タイトで……知らないうちに結構筋肉がついている私の腕ではちょっとキツキツで、肘の曲げ伸ばしのたびにギュッと締め付けられ、一番上のボタンを締めることさえ満足にできない……これではちょっと厳しいものがあります。
 「可愛くなるためだったら、このくらい何でもない!」
 そう言って無理して着るべきなのかもしれませんが、私はそうじゃないと思うのでこれは近日中に売却する予定です。こないだ買ったXLのジャンパーでさえ、肩回りがちょっとタイトなので、こういうところが男性と女性の違いなんでしょうね。

 こういう、どんな骨格だろうとそれなりに動きやすい服なら問題ないのですけどね。また、可愛い服が似合うようにコーデを考えたり髪型を変えたりメイクをしたり、努力と研鑽工夫によって何とかなる部分もあるし、外科的な措置によって転換できる部分もあるでしょうが、基本的な骨格は変えられないですからね。物理の壁は越えられないのです。

 その点も受け入れたうえで、CVトランスジェンダーノンバイナリーとして生きていきたいと思います。失敗もあったけれど、本当に自分が可愛いと思える服とたくさん出会うこともできたし。そういう服を着ることで自分のこころを肯定する勇気をもらえるので……これからは自分の肉体とも向き合いながら、ゆるやかでも心を育てていきたいと思います。

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 おはようございます。
 昨日、盛岡から仙台に帰ってきました。今日からまた仕事です。
 個人的には「もう実家に帰らなくてもいいかな」と思ってたところですが、帰ったら帰ったでそれなりに楽しかったので良かったです。何よりも、私が生きているうちに、今の私を見てもらえたのが良かったかな……と。
 同じ仙台に住んでいても、突然お別れになってしまうこともあるのだから、そういう意味でもこの時期に帰省するのは、意義があったのでしょう。やはり叔母の帰天が、私の感覚に大きな影響を与えたみたいです。
 
 昼食は盛岡駅地下の「やぶや」にて蕎麦を頂きました。元々は花巻のお店で、宮沢賢治が花巻農学校の先生をやっていた頃は天ぷらそばを食べながらサイダーを飲むのが定番だったそうです。そんな逸話にちなんだ「賢治セット」。衣が分厚い天ぷらが伝統的な形です。私も「ブッシュで一杯」やれたのが嬉しかったです。

 そして14時過ぎの新幹線で盛岡へ。当初はバスで帰ってくる予定でしたが、兄が「途中まで一緒に帰ろう」と新幹線のチケットを取ってくれたおかげで、随分と早い時間に帰仙することができました。これも僥倖です。
 この盛岡駅の発車メロディがまたいいんですよね。2007年に、盛岡を舞台にした朝ドラ「どんど晴れ」の主題歌『ダイジョウブ』をアレンジしたものなんですが、このメロディを聞いた時に――本当に、最後のタイミングで、望郷の思いがわいたのでした。周りに親兄弟がいるので我慢しましたが、ちょっと泣きそうになっちゃいました。
 「そうか、私はいま、故郷を離れて仙台に行こうとしているんだ」
 でも、盛岡――私がこの2日間、この街で体験したすべてのことをひっくるめた記憶――が私に向けて「ダイジョウブ」と言ってくれている。

 だから、こんな私でも、やっていける。これからも、きっと。

 私は仙台に住んでいます。この街に助けてもらいました。これからも私は仙台の人や街とともに生きていきたいと思っています。
 私は盛岡で生まれました。あの街に育ててもらいました。これからも私は盛岡の思い出とともに生きていきたいと思っています。

 大好き仙台。そして、大好き盛岡。

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(バス車内にて。昨日の続きです)

バスで盛岡についた後、降り場で出迎えてくれた兄弟と合流し車で移動……この日仕事だった弟とは途中で別れて、兄と一緒にひたすら歩き回りました。
 古い日記にも書いている通り私の出身は盛岡で、実家を出るまで30年以上住んだなじみの街ではありますが、県外の人間として見てみると……「懐かしい」というほどではありませんが、大きく様変わりしつつ所々に名残を見つけ、ちょっとしみじみしてしまいました。

 この建物も地元住民からすれば「岩手銀行中ノ橋支店」なんですが、観光名所としてみると「なるほど、雰囲気がある建物だな」と思います。こんな絵はがきみたいな写真を私が撮っても仕方がないのですが、一枚くらいはこういう安定感のある写真もあっていいですよね。
 そのあと、開運橋を渡って……
 ……電車に乗ったりバスに乗ったり、あらゆる公共交通機関を駆使して移動しまくり、夜9時に仕事を終えた弟と再合流。スーパー銭湯に入浴して0時過ぎに休みました。
 と、歩いた時間と距離はとてつもない数値であるものの、実際に書いてみると、こんな感じでしょうか。ただ、もう少し時間を置いてみると、きっと色んな気持ちがわいてきて、文章を書きたくなってくるのでね。とりあえず今日は「こんなことがありました」という出来事をまとめて今日の記事とします。
 また仙台に帰れば、しばらく戻ってくることはないでしょうからね。十分に盛岡の空気を吸って、体験して……過去と現在、記憶と現実、時空を行ったり来たりして楽しむことができて良かったです。

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おはようございます。
これが件のフリルブラウスです。これに手持ちのリボンを合わせて……スカートはシューラルーで買ったアーリーアメリカン? なものを……
うん、いぎなり可愛いと思います。
実際にはこの上にフリースとコートを着用しますが、この格好で盛岡に帰ろうかと考えています。ただ、先日書いたように親兄弟には私がCVトランスジェンダーノンバイナリーであることを告白していないので……やっぱり、社会通念上男性らしい服に着替えてから帰った方がいいかな……とかって、少し迷っています。……たぶん、理解してもらえない気がするので……

それにしても、やはりトイレの問題というのは深刻なものがありますね……多目的トイレがあればそれを利用しますが、男女の別しかない場合は我慢するか、もしくは……ある重大な決断を迫られることになりますね……。
尿意とか便意は自分の心で完全にコントロールできないものでありますから、改めて多目的トイレのありがたさと必要性を感じました。私は男性だから女性だから別に困らないし、とかって問題じゃないんです。

なんていうことを、今、色々考えています……私はこれからどうしたいのか、どうすればいいのか……
……
……
……
……うん、やっぱり私、この姿で盛岡に帰ります!
在りたい私は、私が決めるんです!

行ってきます。

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 このところ私のこころに関わる話題が多くて、昨日なんかはついにCVトランスジェンダーノンバイナリー宣言をしてしまいましたが、出かけてみても「どこで私の自撮り写真を撮影するか」ということが重要なポイントになっています。別に他の人が見て私のことを「可愛い」と言ってくれることはないと思いますが(もしいらっしゃったら非常に嬉しいんですが!)、私は私が可愛いと思える服を着てポーズを撮り写真を遺すことが生きる理由です。だからいいんです。
 そもそも今年は元日から色んなことがありすぎて、世の中にこころが対応できません。すべてに対応しようとすると、それこそ何が何だかわからなくなってしまうので、私は私を守るために内的な防衛を続けているのです。
 でも本来はこういうのが自然なんですよね。10月11月のように、大きなテーマを数回にわたって書くようなことが、この十数年来では極めて異例なことであって……こうして毎日、特にこれといった話題がなくても書き続けるのがこのブログですから。まだまだ今年も始まったばかりだし。スタートダッシュも落ち着いて徐々に平常運転、巡航速度になると思います。今日の記事もその通過点だと思ってください。

 今日は仕事なので男性として出社します。
 明日明後日は実家に帰省します。まだ家族にCVトランスジェンダーノンバイナリーであることを告白するのは拙速すぎるので、男性の服装で帰ろうかとは思いますが、移動~家族と合流するまでの間だったら、女の子の格好でもいいかな……とかって真剣に考えています。これができれば、私のこころもいっそう前に進めると思うのですが……どうしようかなあ……。

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 当初は「ジェンダーレスファッション」として、メンズとレディースを取り混ぜた格好をしていたのですが、勇気を出してスカートデビューした後は、古着屋さんで「可愛い服」を見るとこれを着てみたいと思うようになりました。そして実際にこれを着て街を歩いているうちに、心が伸びやかになっていくことを実感しました。

 どうやら私は、ずっとこういう可愛い服を着て生きてみたかったようです。
 それが自然だと。そう在りたいと。
 ずっと心の奥底、地下10階にある鉄扉の牢獄に閉じ込めていたのは、

 「女の子」として生きてみたかったという願望

 でした。これは10代20代の頃から思っていたことです。それが時勢と多くの皆様からもらったエネルギーにより、ようやく日の目を見たのです。
 だからいま、わたし(鳴瀬)はあえて断言します。

私の名前は鳴瀬桜華です。
私はトランスジェンダーノンバイナリーです。
私は女の子として生きてみたいと願っている人間です。

   *

 とはいえ、私は長く男性として生きてきたこともあり、男性原理に基づいて生きています。家族や職場には自分のトランスジェンダーノンバイナリー的な志向を告白していませんし、男性として生きる時間も長くあります。それもまた自然であると感じます。
 そんな男性としても女性としても中途半端な私なんかがトランスジェンダーを名乗るべきではないんじゃないか……という心配があります。なので、あまり新しい言葉を作るのは好きじゃないのですが、接頭辞にCVとつけることにしました。Continuously Variable トランスジェンダーです。男性か女性かとハッキリ転換するのではなく、無段階に女性寄りになったり男性寄りになったりします。どうあれ私のひとつの自然なこころであり、大切にしたいのです。アナログハートなので、こういう説明が一番適当であると存じます。

 今日はそんな私のデビュー……CVトランスジェンダー宣言とそれに伴う御挨拶としたく、こんな記事を書かせていただきました。
 2024年1月から、私はCVトランスジェンダーノンバイナリーとして生きてみます。
 どこまで生きていけるか。いつまで生きていられるか。
 たとい道半ばで倒れたとしても、「これで良い、これで……」と思えるように。私は残りの人生を生きてみます。
 どうか皆様、こんな私を見守っていてください。
 鳴瀬桜華でした。

 2024/1/27追記:
 私のような「男性でもあり女性でもある」という流動的性自認者のことを世界では「ノンバイナリー」……その中でも特に「ジェンダーフルード gender fluid」と表現することを今日知りました。そういうわけでCVトランスジェンダーという言葉は撤回します。元々間に合わせの言葉ですから、他に適当な言葉があるなら、それでよろしい。
 ただ、既にそういう言葉でたくさん記事を書いてしまったので、取り消し線を引いて修正させていただきます。これからはノンバイナリーであることを公にしつつ生きていきたいと思います。改めて、こんな私を見守っていてください。よろしくお願いします。

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 今日の仙台はあいにくのお天気でした。
 昨日古着屋さんで買った、いぎなり可愛いブラウスを着て写真を撮ってみました。スカートは、最初に買ったものですね。コーデとか着方そのものとか、まだまだ手探り状態ではありますが、これほどまでにヒラヒラしたふんわりした服を自分が着て街を歩くというのは、いかにも心ときめくものであります。

 アウターは、これも古着屋さんで買ったダウンジャケットです。XLと書いていましたが、こういうデザインなのか厚着しすぎたのか、結構モコモコパンパンになってしまいました。とはいえ、何よりも防寒が第一ですからね。その次に大事なことは、「レディースの服であること」。可愛いとか格好いいとか、そういうこと以前の問題だと思いますが、まだまだ手探りです。今回はこれでいいんです。
 
   *

 この日は地下鉄に乗って泉中央駅のアリオに行ってきました。1月末で閉店となるので、全館あげての閉店セールが行われているなか、私が行ったのは……初めてスカートを買ったお店「SHOO LA RUE」です。今じゃ全身女子コーデで堂々とスカートを合わせてみたりトップスを試着したりしています。本当、私の趣味に合う可愛いお洋服がたくさんあって……ほとんどの服をここで買っています。もうすぐ閉店なのが残念ですが、50~70%オフの新品スカートを2着買ってきました。
 これだけあれば、たぶん春夏秋冬オールシーズン着回しコーデで何とかなるでしょう。さらに近くの古着屋さんで「ビスチェ」というものも買ったので、いっそう着回しのバリエーションが増えました。……ファンタジー物の女性用防具みたいなアレはビスチェって言うんですね。わからないので「胸当て」とか、そんなキーワードで検索していました。

 その後、近くにある「二柱神社」にお参りをしてきました。ここでお祀りされているのはイザナギ・イザナミということで縁結びの神様として有名な神社です。個人的には『女神転生』なんですけどね(ペルソナでも可)。それにしても、トンデモナイ鈴のデザインですね。良いと思います!
 ここで私の良縁を願い、御神酒を拝受、今度実家に帰る時にもっていく干支の置物をも拝受して帰ってきた次第です。

   *

 そんな感じで今の私は可愛い服を着て街を出歩き、その写真を撮ることが楽しくなっています。休日のお出かけは毎回女子コーデです。最初は真夜中に、人目につかないような場所でこっそりとやっていたのですが、今では地下鉄も乗るしデパートも商店街もどこでもこんな感じの服装で出かけます。家族と職場には内緒ですが、男性でもあり女性でもあるというアナログハートこそ、私の求める『在りたい私』の姿なのです。
 去年の暮れに動き出した私の気持ちを、また1年かけて大切に育てていきたいと思います。私は私のアニマを生きます。それを実践しているという証明を、このブログでもどんどん投稿していきたいと思います。私は私なりに可愛いコーデを目指しますが、その点に関しての巧拙は問わないでください。私は「自分が一番可愛いと考える服装で街を行く」こと自体が目的ですから。おしゃれ番長とかファッションモンスターとは違うんですから。

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 世の中の流れについていこうとして、ずっとテレビのニュースを見ていたのですが、色々ありすぎて眠れなくなってしまいました。ようやく眠っても息が出来なくてパッと目が覚めて(死にそうになって)ハァハァする……。
 やはり私の心は、世の中に対して、あまり上手に適応できないみたいです。
 今日は元旦と2日に私が行った「正月らしいこと」をまとめてみたいと思います。

 1枚目の写真は、仕事が終わってから初詣に行った『榴岡天満宮』です。大晦日ならともかく元旦の夜は静かなものでした。とりあえず参拝しておみくじだけ引いてきました。翌2日に改めてお守りを授受しようと行ったら蜿蜒長蛇の参拝客……そのため「もういいや」と言って門前で引き返して来てしまいました。職場からほど近い場所だし。そのうち落ち着いたら行くことにします。

 2日の仙台初売りについては、「一応、雰囲気を見てみようかな」と思って出かけてきました。中心街にスカートを履いて出掛けるのは初めてで、さすがにちょっと勇気がいりましたが、それでも……ね。やっぱり私も、こういう格好をして出かけてみたいって思うから、そうするわけで。こないだ買ったレザースカートやバッグをもってお出かけしたいという気持ちもあったので、チャレンジしてみました。
 そして古着屋さんで初売りセールをやっていたので白いブラウスやニットなどトップスを中心に爆買い。唯一気になっていたヘビーアウターも『プレイボーイ』のダウンジャケットを見つけて即買い。これでいつでも完全女子コーデお出かけOKです。27cmのレディースの靴なんて国内でほとんど流通していないと思うので、そこはユニセックスですが。
 なお、この写真の後ろに写っている建物はNHK仙台放送局であり、撮影場所はその近くにある「錦町公園」です。ここは私が仙台に引っ越して来て間もないころ、昨年11月に急逝した叔母と花見をした場所なんです。盛岡の老舗百貨店『川徳』の婦人服売り場で主任まで勤め、仙台に引っ越してからは三越の売り場で生涯現役のまま帰天した叔母が私のコーデを見れば、なんていうかしらん。なんて思いながら撮影しました。意外でしょう? まじめな理由があったんです。
 多分「まだまだね」って言うと思うんですけどね。でも、ひょっとしたら「まあまあ頑張ってる方じゃないかしらん」と言ってくれるかも……それなら嬉しいなあ……。


 そんな感じで、一応、福袋も買ってきました。近所のスーパーにあるパン屋さんの福袋(800円)です。中身は販売額の2割増しぐらいの大ボリュームです。そんな感じで今日もお出かけしてきます。自分が着られる服のサイズも大体わかってきたし。あんまりたくさんあっても仕方がないですけど、出かけたくなる気持ちを、そういう勇気を与えてくれるのなら、あと何着かあってもいいかなあ。

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【はじめに】
 令和六年能登半島地震で被災された方に心からお見舞い申し上げます。日本列島の反対側で起こった地震でしたが、仙台も少し揺れました。東北人としては東日本大震災のことを思い出し、何とも不安な気持ちになりましたが、NHKのキャスターがそんな心に寄り添うように温かい言葉をかけ続けていたことが嬉しかったです。そう、東京や仙台にいる人間には直接に支援をすることはできませんが、そういう心はあるんです。
 そういう心持で、以降の記事を書きます。私には私の日常があり、それを記録することも、私にとって必要なことですので……。

 ここ十数年来、年末年始も休まず営業! な会社で仕事をしているので大晦日が仕事納めで元旦が仕事始めというのもそれほど違和感がないのですが、1時間ごとの仕事割り当て表に「大掃除」と書いていたり、いつもよりも極端に仕事が少なかったりと、やはり特別な時間であると感じます。
 ようやく前職の後遺症も軽減されてきて、その頃のことを思い出して心が苦しくなることも少なくなってきました。それもこれも今の職場の環境がとても良いからです。それは私が極端な環境のもとで自死寸前まで追い込まれたからかもしれませんが……。



 これは元旦出勤の人たちに会社から配給されたお弁当です。こういうのが嬉しいですね!……確かに、特別に正月らしい内容ではないじゃないか、と言われればそうかもしれませんが……私は一宿一飯の恩義で動く人類なので、素直にありがたいです。いくつか余る見込みだというので1つ多くもらって夜飯も確保させてもらったし。
 
 今年が仙台市民になって2回目のお正月なんですが、仙台の人たちは「1月2日の初売」というのを伝統文化レベルで大切にしているんですよね。ごくごく一部の店舗を除いて、元旦となれば駅ビルも商店街もみんな休業。元旦の夜の仙台はどんな感じかなと思って歩いたら、クリスロードも一番町商店街も閑散としていて……これもまた、ある種独特の雰囲気があって楽しかったです。
 その代わり初売りにかける気合いというのは県外出身者の私には驚愕レベルのものであり、福袋を求めて毎年この日は超々長蛇の列ができます。青葉通イオンの前には午後9時時点で座り込みを始めている人もいました。店も店なら客も客、気合いが違うんですね気合いがね。

【参考】 仙台初売りとは - 仙台初売りドットコム

 私はといえば、この通りのんびりした性格ですからね。我先にと福袋を求めるような競争本能は全く発達していないのです。そんなイベントにかけるお金もないし。今の私は閉店セール中のショップの婦人服が最大興味対象なのです。完全閉店セールはお店が一度だけ使える「最後の切り札」ですからね。GUとかドンキでも安価で可愛い服が手に入りますが、本来そこそこの値段がするものを破格で購入できるのは大きいですよね。
 2023年末に閉店間際のスーパーで色々と僥倖に恵まれた(※)私の2024年のスローガンは、
 「残り物には福がある」
 これで行こうと思います。
 
  *

 というわけで、今日の記事もしっかり書けたので、ゆっくり朝食をとり、十分にのんびりしたうえで仙台市内に繰り出したいと思います。今日はどんなコーデでお出かけしようかしらん。



 ええ、私は可愛い服を着てお出かけすることが、本当に楽しいと感じています。どうでもいいような服を着て出かけていた時とは全く違った楽しみを。


※ 「おせちの食材をひとつひとつ買い集めると高くついちゃうし、おせちはあきらめるか……」と思っていたら「おひとりさま向けおせちセット」のようなものが半額になっていたり、蕎麦と一緒に食べる食事が想定していた「助六寿司」から「黒毛和牛すき焼き重」(これも半額)にグレードアップしたり、色々と良いことがあった。

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 令和六年、元旦。謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
 という今年最初の記事にそれらしい写真を載せてみましたが、すみませんこれは去年の3月11日に撮影したものです。昨年は19時まで通常勤務で、帰ってきてからお雑煮の汁の仕込みをしたりなんだりかんだりで……紅白を見ながら日本酒を飲んで、11時55分くらいに居眠りして、気が付いたら0時11分でした。これじゃ起きていても仕方がないので寝ようと思って布団に入った感じなので、完全に明けきってから起き出した次第です。
 そして今日が私の2024年仕事始めです。仙台市内の商店が軒並み休業するような状況でも、私はいつも通り頑張ります!

 なお、どの日の夢を初夢というのかわかりませんが、今年初めて見た夢は「家族の前でスカートを履いて過ごす夢」でした(実際はまだしていない)。男性として着る服には無頓着で、同じ服を何年も着続けていたのですが、女性としての服を選ぶ時は本当に色々考えます。特に、色の組み合わせでこんなに印象が変わるのか! と……これまで未開拓だった領域なので……。いやはや、洋服に迷ったりクローゼットに服が山積したりするのも理解できます。
 このジャケットも、1月末で閉店することが決まった泉中央駅前の『アリオ』の中にある婦人服店で買い求めたものなんですが、これ、「左前」なんですよね。ボタンをつける時に全然違和感なく出来ちゃったので、いつも着ていたコートも含めて「私はもう女性用の服をずっと身につけていたのか!」と混乱してしまいましたが……そういうデザインなのですね最近はね。右前とか左前とか、そんなこと、どうでもいいんでしょうね。なんか安心しました。
 あと、このリボンは……昔から時々身につけていたんですが、今回こうしてアクセントの一部として飾ってみました。私が通っていた高校の、女子生徒が着るブレザーの胸元を飾っていたものなんですが……それを先輩から譲り受けて、ずっと大切にしまっていたもので……その頃は自分がこうして女の子の格好をして街を歩くことなんて(想像はしても、そんな勇気がなくて)できなくて、ずっとしまい込んでいたのですが……とうとう自分なりに、みんなに見てもらえる形で身につけることができました。今回は単純に胸の前で蝶結びにしただけなのですが、Youtubeで「綺麗なリボンの結び方」みたいなのを見て試してみたらグッと「それらしく」なったので、今度はもう少しちゃんとした形の写真を撮ります!

 ロングも1枚。27㎝のパンプスとかブーツとかはなかなか売っていないのでGUで買ったユニセックスのキャンバススニーカーを……そして帽子はドンキで見つけたベレー帽をかぶってみました。メイクはしないですが、とにかく全身レディース(一部ユニセックス)のコーデで街を歩くのは、まさに自分の心が解放された気分で……とても楽しいです。

 本格的な正月休みは明日明後日なので、また改めて書きますが、とりあえず今年はこんな感じで私の中のアニマを大切にしながら、ヘルマフロディトス的な生き方を充実させていきたいと思います。
 本年もよろしくお願いいたします!

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 大晦日なので「今年を振り返って……」的なことをまとめてみようかと思います。ただブログを本格的に再開する以前はTwitterを主戦場として立ち回りをしてきたので、その瞬間瞬間で発散して手元に残っていないんですよね。それでも非公開の日記は毎日つけていたので、ちゃんと何があったのかは書いているのですが……それを全部書くと原稿用紙400枚分くらいの分量になるので、いま思い出して印象的なことを書いていきます。すでにアップロードしているものではありますが、それらを全部振り返って史上最大レベルの情報量でお送りします!

 「春」 編

3月19日 - メディフェスせんだい2023に参戦!

 観客として参加したのですが、最後にちょっとだけ感想を言わせていただきました。この時から『市民メディア』という言葉を意識し、アチコチ出掛けてそこで写真を撮って発信するという活動をしてきました。また、ローカルとか障害者とかトランスジェンダーとかメタバースとか……私は別に壁を作っていたつもりはありませんが、「当事者からの発信」をこうして受信するのは初めてだったので……本当に素晴らしい機会でした。私自身もこの時公式にADHDでASDであることを告白。そして蘭茶みすみさんの大ファンになって、こんな記事を書いたりしていました。
【聴いてみた】蘭茶みすみ5周年ミニアルバム【書いてみた】
【めためた】蘭茶みすみライブおぼえがき【ライブ】
 この時にお目にかかった「つーさん」サンと「蘭茶みすみ」サンには、本当に勇気をもらいました。私の心の中にあった……でも、変なことだと思って押し込めて隠していた気持ちを、こうして表現できるようになったのは……本当に皆さんのおかげです。


 「夏」編

 8月29日 由良ゆらら~列島横断!? ロングロングツーリング!


 夏はアイドルのライブに行ってみたりなんだりかんだり(仙台弁)と、市民メディア『佐藤非常口@仙台』としてバリバリ活動していましたが、真夏のロングツーリングも行ってきました。去年は海沿いの道路をひたすら南下して福島県いわき市に行ったのですが、今年は西海岸を目指して走ってきました。山形県は今年初めて行ったのですが……そして、途中「自動車専用道路」をそれと知らずに走ってしまったのですが(時効でしょうがゴメンナサイ!)……その名に高い由良海岸へ。さらに出羽三山のひとつ「月山」も行ってきました。本来であればそれぞれ別な日に行こうかと思っていたのですが……とにかく山形の行ってみたいところ1位2位を一気に攻略してしまった次第です。じつに、じつにエキサイティングな日帰りロングツーリングでした。長いか短いかは私が決めます!

 「秋」編

 この頃、SNSの速さについていけなくなり、泣きながらブログに戻ってきた私。毎日3000字級の記事を連投し、自分のことを爆裂大解放……みっちり書きまくっているのですが、重要なイベントを上げるとすると、こんな感じでしょうか。

 せんだい21アンデパンダン展

 結構泣きべそみたいな気持ちで行ったのですが、これは大きな転機でした。むしろ時間が経つほどに体験がよみがえってきて、何度も何度も……この時に吹き込んで来た新風、「自由と独立の精神」というのは現在の私、そして未来の私を貫く理念となりました。この気持ちを、倒れるまで続けていきたい……。
 他にも多くの美術展に参加しました。
Rimoさんの個展のこと
仙台写真月間のこと
「植物のある風景展」のこと
亀井桃さんのこと
 そして私のもっとも好きなお三方「ユ、六萠」さん「ペロンミ」さん「門眞妙」さん……
特集記事 その1
特集記事 その2

 ……なお門眞さんには、ペロンミさんの個展を見に行った時に再びお会いしてご挨拶をさせていただくことができました。「またお会いできて嬉しいです」と、気恥しくなるような正直な言葉をお伝えして……でも、それが伝えられたことがとても幸せです……。

 「冬」編

 12月もさまざまなイベントに参加しました。

 ブックハンターセンダイに行ってきました。

 これまで美術系の方面を開拓していたのですが、ここで文芸系の開拓が進みました。やはりこうしてアナログ的な出会いが良いですね。その後もあえて検索せず、自分のなかでイメージをどんどん膨らませる……私の空想力は狂人レベルなので、もうちょっとまとまったら気持ちを伝えたいと思います。

 サブカルチャー合唱団演奏会に行ってきました。

 美術、文芸と来て今度は音楽イベント。これまでもアイドルやシンガーソングライターのライブに行っていましたが、ブログ再開後に行って、記事がある程度まとまっていて……それを押し付けられる方はどう思うかわかりませんが……ともかく私の「狂人解放治療」はこのあたりで目的を果たしたと言っていいかもしれません。

二人展「Destiny」のこと
秋保の杜美術館のこと・1「ドール展」
秋保の杜美術館のこと・2「越後しのさん」
秋保の杜美術館のこと・3「みひろさんの個展」
秋保の杜美術館のこと・4「高校生の皆さんの映像作品」

 全部まとめて振り返ると、ものすごいことになりました。この辺りになると、ひとつひとつ濃厚な感想を述べているので、いま改めて振り返って書くことはありません。やっぱりこうして文章に起こすことで、自分のものになるんですねえ。小賢しいSNSの投稿なんて吹き飛んでしまいます。

  *

 これらの外部要因に対して、内的体験として多く読書をしました(昨日の記事をご覧ください)。元々読んだ本のタイトルと日付くらいはメモしていたのですが、途中から感想をメモするようになって……ブログを再開してからは、ご覧の通りとてつもない分量の記事を書くようになりました。

 そして――
12月21日 『私の両性具有願望とその証明について』

 着たい服を着て、生きたいように生きてみたい! 私はアニマとともに生きていく!……3月からずっと心の中で温め、大切に育ててきた気持ちがとうとう開花しました。既に私の精神はアニマとしっかり手を取り合っています。もう後戻りはできません。
 ただ、この記事でも書いている通り、私は自分が「精神的に完全な女性」すなわちトランスジェンダーにはなれないようです……つーさんサンやみすみんサンのようになりたいという気持ちはあるのですが……男性としても女性としても中途半端な私は、「生存させて置いてはならない」人間なのか……。
 とはいえ、これに関してはあまり悩んでいません。ここで河合隼雄先生が述べているこの言葉を引用させていただきます(引用元で傍点があるところは下線で代用しています)。

……二分法的な思考法は極めて便利で有効であるが、随分と無理をしているものだ。……自然科学における二分法に加えて、人間を考えるときにも二分法が出てくる。そして、たとえば「男らしい」、「女らしい」などという分類ができる。それによって「秩序」ができる。それは便利であるし、時には、それは正しいとさえ感じられる。しかし、多くの場合、その秩序を支えてゆくための無理が何らかの犠牲を要求する場合が多い。しかし、そのような「秩序」を全員が受け入れているときは、それを犠牲として意識されることさえない。
(『とりかへばや、男と女』)

 私も矢川澄子さんの文章を最初に説明する時に「女らしい」と書きました。そう、「男らしさ」「女らしさ」という言葉で説明するのは便利なんです。でも、私の中にある「女らしさ」が大きくなるにつれて、
 「男らしいとか女らしいという言葉は、その範囲から外れることをすると、男のくせにとか女性ながらとかという考え方になるのではないか?」
 そう思ったのです。
 理窟ではわかりますよ。個性とか多様性とかジェンダー不平等とか、色んな言葉があります。ただ、メディフェスを経験したうえで見えてきたものは、そういった理窟ではなく、無意識レベルで刻み込まれた「男らしさ、女らしさ」の呪縛であると私は直感しています。私自身、この呪縛に囚われています。

 そんな悩みがよぎった時は、このイラストを眺めます。
 男らしいか女らしいかは私が決めることじゃないし、私を含めて、そんなものに縛られるべきではありません。それによって生きづらさを感じるようなことがあるなら、なおさらそうです。

 自分の心を守るために何でもする。それは当然のことでしょう?
 誰だって『在りたい私』を守り、そのままで生きていけるように。
 異論は受け付けません。
 「在りたい私」は私が決めるんです!


 そしてこの格好でキラッキラのイルミネーションを眺めるというシンデレラの夢を演じてみたのでした……。


 SNSに復帰するのは来年3月19日の予定です。もちろんその後もブログは続ける予定です。あくまでここが私のホームですから。ただ容量がそろそろ限界に近付いているので、その点はどうしたらいいかな……なんて、ちょっと希望的な悩みもありますが、まあ自分のペースでね。実生活も文芸もアートも、大好きをおなか一杯食べて……

……こんな感じで復帰できるように頑張ります!

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 別に「今年は100冊、本を読むぞ!」と決めてかかったわけではなく、読んだ本の記録をつけていたら結果的に100冊目に到達した……という話なんですが、ともかく100冊は100冊です。正確に言えば今日時点で108冊くらい読んでいますが、「100冊ちょっと」というあいまいな言い方が気に入ったのでそういうことにします。
 そこで、今年読んだ本について軽く振り返ってみたいと思います。今日は本当にお手軽というか、ドラマの総集編みたいな内容なので、読む方もご自身の今年のことを振り返りながら読んでいただければと思います。

 *

 今年読んだ本のリストを見返して、10冊セレクトするとしたら、こんな感じです。

1.ウォルポール 『オトラントの城』
2.三島由紀夫 『豊饒の海』
3.稲垣足穂 『一千一秒物語』
4.矢川澄子 『兎とよばれた女』
5.来栖千依 『帝都はいから婚物語』
6.安澄加奈 『水沢文具店』
7.夢野久作 『ドグラ・マグラ』
8.森茉莉  『贅沢貧乏』
9.荒俣宏  『帝都物語』
10.ユイスマンス 『さかしま』
 
 主に図書館で借りて読むことが多かったのですが、『帝都はいから婚物語』は刊行直後に新刊で買いました。帝都物語が大好きで今年10年ぶりに再読したんですが(その時の感想はこちら)これをしっかり自分のなかに落とし込んだうえで、あえて言います。これは良い作品でした!

 帝都はいから婚物語 - ポプラ社

 当時の読後感メモによると「これほど可愛い女の子はなかなかいない。そんな女の子が偏見だらけの世の中に飛び込み、呑み込まれるどころか自分で渦を起こしてどんどん周りを巻き込み変えていく展開は読んでいて気持ちよかった。」とのこと。ラノベっぽいタイトルですけど文章も落ち着いてシッカリしているので、最後まで興ざめすることなく読めました。作者の来栖千依さんは、本作でポプラ社小説新人賞ピュアフル部門賞を受賞されたとのことで……私はただの文芸オタクにすぎませんが、とても好きなので書かせて頂きます。応援してます!

   *

 その後、11月に入り、ユイスマンスの『さかしま―美と頽廃の人工楽園―』を読了。その数日後に叔母が帰天し、Xも休止。どんどん内向きの世界に入り込み、一冊ごとに書きつける文章も激増。私のきわめて偏執狂的な、地上十階地下十階の精神的な人工楽園のなかで物語を読みふけり、兎年の100冊目に矢川澄子『兎とよばれた女』を読了した次第です。

 今の私は堂々と『文芸オタク』を宣言してもいいと思うのです。これまで「ちょっと難しそうだから」と敬遠していた『豊饒の海』『ドグラ・マグラ』も次々読了。「旧字旧仮名遣いじゃ読めないよ」とあきらめていた森茉莉も読了。物語の波長が合えば100年前の作品だろうと何だろうとどんどん読んじゃうだけの力を手に入れたんです。精神の危機に瀕していた私を救ってくれたのも文学なら、そこから這い上がって生きていく力を与えてくれたのも文学ですから。これら100冊ちょっとの本に感謝の気持ちを込めて、これからもアナログハートを守りつつアート&ブンゲイで生きていきたいと思います。

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 図書館も年末年始の休暇に入ってしまったので、先日ブックハンターセンダイのインディーズブックバザールで買い集めた本を読みました。短編か、もしくはそれよりも短い掌編なので、所要時間は短かったのですが、いずれも鮮烈な印象でした。
 そんな各篇の感想をここで書きます。……と思ったのですが、
 「あえて、私が書くこともないか」
 そんな気がしてきました。いや、ひとつひとつの作品に対する感想は書いているんですが、それが……こういうパブリックな場で不特定多数の人に向けて書いた感想ではなくて……作者に感想を伝えるための手紙形式なんですよね。丁寧に書いたけれど、ちょっとパーソナルな感情を込めすぎちゃって、なんか気恥ずかしい……そんな感じです。
 だから、「全部読みました」「とても良かったです」ということだけをここでは書いておきます。あえてこれは、私だけの秘密にしておきたいな、と。

   *

 たとい実際にそういうことをしたことがないとしても、「秘密基地」とか「秘密の宝物」とか、そういうものに心ときめく…という感情は、稚い子供心としてわかっていただけるものと存じます。
 これが発達障がいだからなのかどうか知りませんが、私にはいまだにそういう感情が根深くあります。根が深いものだから年月が経っても枯れない。水をあげればあげたぶんだけ成長を続ける。どこにでもいる子供は誰も知らない秘密を知っていることをアイデンティティとするサブカルオタクとなり、長じてそれは自閉スペクトラム症と呼ばれるまでになりました。それが私の四十年余の来し方です。
 こうして出会った本をこれほどまでに愛おしく感じるのは、そういった私の精神性によるものなのでしょう。もちろん物語そのものが素晴らしいのは言うまでもありませんが、これらの物語は決して一般の書店に並ぶことがない……ごく限られた、本を手にした者たちだけが垣間見ることの出来る世界であり、私もその秘密クラブの会員となって恩恵に預かる……という気持ちになれるからだろう……と。

 ここからは少し「秘密」という言葉について思ったことを書かせていただきます。少々道草になりますが、どうかお許しください。
 秘密とは「知られてはいけない」ことを心に隠し持つことですが、それは秘密を暴く(または「暴かれる」)歓びと表裏一体の緊張感があると思います。いつだって物語の人物は、見てはいけないと言われたものを見て、破滅に至るものです。それは言うまでもなく、秘密をこっそり覗き見てこれを暴くというタブーを犯すことが何よりも快感だからでしょう。
 それがさらに高次の段階に進むと、自分の秘密を誰かに暴かれたいという感情になってしまうのかもしれません。今風の言葉でいえば「匂わせ」ってやつでしょうか。正直に言うとそういうものに私は理解もできるし共感もできます。覗く者であり覗かれる者。本多繁邦が「のぞき」をやってしまうシーンに私自身が共犯者として本多と同じ光景を目にする一方、心は勝手に覗き見られている側の方にも転移し、これを想像する……。
 「死刑囚であり死刑執行人」とはボウドレエルの言葉ですが(私はそれを三島由紀夫さんの文章で知ったので、ずっと三島さんの言葉だと思っていた)、鞭打ちながら鞭打たれる、加虐と被虐を同時に快感とするのがサディストだと私は思っています。十代の頃に『悪徳の栄え』『新ジュスティーヌ』と出会ってしまった私の無意識には、そういう感情がしっかりと根を張っています。
 ええ、私の心にはそういう感情があります。
 この感情は獰猛な獣の如く強烈で、私のちっぽけな自我が抑えつけようとすると、その自我が及ばない暗闇でうなり声をあげ、たびたび心をむさぼってしまいます。そうなると心のバランスを崩し、何らかの形で処置を行い、また無意識のなかに押しやらなければなりません。これを抑圧というのか「コンプレックス」と言うのか。
 ただ、今はそこに新しい希望があります。アニマです。私の自我がアニマの存在を認め、アニマと手を取り合う。もう一人の私たるアニマと協力して、この獣を御するのです。そのために私はスカートを穿き、よりアニマが意識上で自由闊達に振る舞えるようにお膳立てをし…そして私自身、「彼女」と共に生きるのです。
 それが今の私が考える「自己実現」へと至る道です。

   *

 話がメチャクチャに飛躍して、私のこころの問題にまで発展してしまいましたが、これが私の読後感です。どうしてこれほどまでに心惹かれるのか? 自分の感情はどこから来るのか? ということをひたすら心に問いかけ、無意識の海に潜って見つけたものはサドの小説でした。少なくとも感情の領域に深く刻み込まれた記憶は永遠に消えないでしょう。
 でも、それが『在りたい私』かというと、そうではありません。感情のまま消費し続け垂れ流し続けるような生き方を、私は望んでおりません。かといって全ての人間らしい感情を封じ込め、あふれる情報の海に呑み込まれ溺れてしまうような生き方も私はしたくありません。
 理性と感情。(いわゆる)男性らしさとか女性らしさとか強さとか優しさとか秩序とか混沌とか……私はそういうのを全部かき混ぜてぐちゃぐちゃになった心でいいです。いわゆる太極図のマークです。

 太極図 - pixiv

 この辺もユングの思想による影響が大きいと思います。ゲーム『真・女神転生』に出てくる謎の老人は、私にとってはユングでありそれを教えてくれた河合隼雄先生です。何事も調和が大切なのです。
 良い本や素敵なアートはこの世にいながらにして、私の自我が及ばない領域(個人的/集団的無意識)に直接アクセスしてくれます。私はこれからもたくさん本を読み、アートに触れて、自分の心を豊かにしていきたいと思います。

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 先日チフリグリさんに行った時に紹介して頂いたイベント『仮囲いの中のアート市』に行ってきました。場所は仙台駅に隣接するAER(アエル)の2階にある特設ブースです。つまり仮囲いです。

 今月はアートと名がつく場所に次々と足を運んでは何かしらお迎えしてばかりですが、今回はもう「市」とうたっていますからね。私もそのつもりである程度の現金を用意して行ってきました。いざ突撃~!
 
 ……会場の中の雰囲気は、写真を撮っていいのかどうかわからないので言葉で紹介させていただきます。展示作品としてはポストカードに食器、ろうそく、大きめの絵画、家具、革のバッグやお財布など……アートという大きな囲いの中で心ときめくものがいっぱいありました。


 その中で私が最初に手に取ったのは画家「永田かのん」さんの絵でした。これは実際に私が購入したポストカードの画像です。これは透明水彩で描かれたもので、淡くて優しげな雰囲気が気に入りました。……ということを、会場にいらっしゃった永田さんご本人にお伝えしようとしたのですが、まさかいらっしゃるとは思わず「美術:2」のダメっぷりを発揮。何とも拙い言葉しか出て来ず……それでも! それでも絵柄が気に入ったこと、インコも猫も好きなことはお伝えしました。ポストカード2枚購入しました。とても良い記念でした。


 こちらは幾何学えかき「あまの」さんの作品です。これと同じ図柄の原板(かなり大きなキャンパスに描かれたもの)がありましたが、さすがにそれをお迎えしても飾る場所がないのでポストカードで購入した次第です。色彩的には結構目に刺さるヴィヴィッドな印象ですが、それが整然とした幾何学模様で描かれているので妙に整然としていて、右脳と左脳が一歩も引かずに押し合いへし合う……実に刺激的な体験をさせていただきました。すっごく良いと思います! これを見るために期間中何度か足を運ぶかも。


 そしてこちらはフジワラメグミさんによるハンドクラフトの小銭入れです。
 昔、小岩井農場で買ったホースレザーの小銭入れを愛用していたのですが、それを紛失してしまって……とりあえずダイソーのビニールレザーの小銭入れを利用していたものの、「いつか、ちゃんとした革の小銭入れをまた買おう」と思っていたところにコレですよ。本物の革ということだけではなく、工芸作家の手によるクラフトとあれば、これ以上の逸品はありません。白い革の小銭入れとコレと、どっちにしようか悩んだのですが……確かに見た目は白い革の方が綺麗だしさわやかだし惹かれるのですが……最後に決め手となったのは「手触り」でした。実際に触った時の感触という点ではこの茶色の革の小銭入れに勝るものはなく……普段使いとしてたくさん手にすることを考え、こちらをお迎えしました。過去のいつかは今日来たんです!

   *

 ま、そんなわけでアートに実用品にと、今回も色々お迎えしてしまいました……。
 他にもスニーカーや帽子に腕時計など、スカートコーデにもパンツルックにも合わせやすいユニセックスなものも購入したし、本当、買い物してばっかりです。でも、別に高級ブランドっていう訳じゃないですよ。スニーカーとかはGUで値下げされたものばかりだし。革の小銭入れだって、そんなに極端に高いものじゃないし。いつだって大切なのは気持ちです。
 そんなわけで、今日は良い一日でした。買い物をしなくても、色々と見て回ったり、作家の人とお話ししたり……とっても楽しいイベントです。1月9日まで開催中です! 誰が見るともしれませんが、とにかく告知しておきます!

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 こんなお二方の本を並べて、今更何を書くつもりなのよと訝る向きもあろうかと思いましたが、特別にそんな意気込みがあるわけではありません。先日仙台市泉図書館に行った時に本棚を眺めていて、気になって手に取った本が矢川澄子さんの本であり澁澤龍彥さんの本だったのです(そしてもう1冊が稲垣足穂でした)。

   *

 最初に『「父の娘」たち―森茉莉とアナイス・ニン―』の感想を。こないだ矢川澄子さんの本は一段落って言ったばかりなんですけどね。
 そもそも私が最初に読んだ矢川澄子さんの本がベスト・エッセイ集だったので既読のものも多少ありましたが、本のサブタイトルにある通り森茉莉とアナイス・ニンという2名の女性に関するテーマのものを集中して読めたのは良かったと思います。以前ユリイカの矢川澄子特集でお名前を知った佐藤亜紀さんの文章も引用されていたし。それをまたこの場で引用することはしませんが。
 そして、今この記事を書いていて印象に残っているのは、これまた引用された室生犀星の文章でした。森茉莉さんの部屋の様子を見て「かなしみのあまりよく眠れなかった」と言った室生犀星に対して「やっぱり男性にはそのように見えるのでしょうね」と厳しく断罪(そうでもない)。それぞれ異なった捉え方をする二人のうち私がどちらに共感したかといえば、これは恐れながら室生犀星の方でした。
 この辺が……男性と女性の違いなのかなあ。どれほどアニマを育てても矢川澄子さんの本を読んでも心の奥から湧き上がる感情は男性原理に基づくものだということに気づきました。「ほら、やっぱりあなたは男じゃない」それはそうです。その通りです。でも、「だからあなたには理解できないのよ」といえば、そんなことはありません。確かに私の感情生活は男性原理に基づいたものですが、私にも女性の心に近しい要素があります。時流も男女間での齟齬を無くそうという風潮になっています。

 そのような風潮と素敵な出会いにより、ずっと押し込めていた私のアニマが解放され……それゆえに矢川澄子さんの本をたくさん読み、その空気を取り入れることができたのだと思います。

 読書中に1枚。私はこの格好をした自分のことをとても可愛いと思います。

   *

 という話をした後で、今度はまた男性に戻ります。『狐のだんぶくろ』の感想です。
 初めて澁澤龍彥というひとの本を読んだのは十代、高校生の頃なんですが、その頃大好きだったのが『玩物草紙』という……朝日ジャーナルの連載をまとめたエッセー集だったんですね。過去と現在を行き来しつつ気ままに筆を振るうっていう印象です。
 この『狐のだんぶくろ』も、まさにそんな感じですね。主に昭和初期、少年時代のことを中心に書いていて……澁澤さんより半世紀ほども遅く生まれた身としては、原風景というより歴史上の出来事に思いをはせるような気持ちで楽しく読みました。
 楽しく読みました、という以上の解説は特に必要ないんじゃないかな、という気がします。あえて言えば、私はこういう文章を書きたいと思って、ブログを始めたんじゃないかな……と言うことを思い出しました。あるいは新聞のコラムのような文章。当たり障りないけれど、読んだ人がクスッと笑ったりヘェーとうなずいたりしてくれる文章。
 でも、そういうのって150キロの快速球が投げられる人が書くからできるんですよね。巻末にある出口裕弘さんの言葉を読んで再認識しました。あくまでこれは「肩に力を入れない投法」で放った緩やかなスローボールであって、そういうボールしか投げられない人は無理なんです。……それでも、ようやく90キロくらいのボールが投げられるようになってきたかな……って気はしますが。

   *

 稲垣足穂、森茉莉、室生犀星、矢川澄子、澁澤龍彥……。
 何となく心に浮かんだ作家の名前を挙げ連ねてみましたが、理性と感情それぞれの分野で「そうだ!」「そうかな!」「そういうものか……」と胸に沁み込みました。言葉抜きで直接共感できることもあれば、言葉を通じて自分の心の中にも同じような要素があることに気づいてハッとしたり、共感はできなくても違いを理解して心を整理したり。
 感じ方は男女で違うかもしれませんが、私はその垣根を身軽に飛び越えて自分の心を育てていきたいです。発達障がいでも自閉スペクトラム症でも、私は私らしく生きるんです。

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 さて、クリスマスも終わって、いよいよ年末年始モードも本格化するか……という今日この頃ですが、ちょっと心が温かくなる出来事があったので書きます。
 というのは、遠く北海道は函館から速達でお手紙が届いたんですね。差出人は、私の弟が函館の大学に通っていた頃懇意にしてもらった方で、毎年年賀状やクリスマスカードの交換をしているんですが……今年は色々あって忘れていました。これをもらって思い出したという感じです。

 素敵なプレゼントを頂きました。スーパーでコツコツ買い集めたチキンとかピザとかワインとかケーキとかでソロクリスマスを満喫しようと思っていたのですが、こうした心の温かくなるプレゼントを頂けて……本当に嬉しいです。
 私自身も学生の頃、新聞の「文通相手募集」のコーナーを見て遠く離れた女の子に手紙をだし、やり取りをかわしたことがあるくらい手紙好きなんですが、今年は文芸関係でも手紙の話について触れたことがありましたね。
「文体。」(三島由紀夫の手紙について)
「書本。」(森茉莉/早川茉莉さんの手紙について)
 何せ手紙というのは気持ちがこもります。さらに手元に置いといて、時々読み返すことができます。手に取れる形で相手の気持ちがあるというのは嬉しいものです。そうして相手が手に取って読むことを思うと、便箋や封筒それにペンの太さや書きつけるインクの色なんかにも気を配りたくなります。私の勝手な楽しみかもしれませんが、文房具店でアレコレ見て回るのも楽しいです。
 そういう人間なので、こないだ別な人に手紙を書きました。気持ちは目いっぱい込めましたが、あえてシンプルな横書き便箋と茶封筒で送りました。とにかく読んでもらえるように。……何だったら、読んでもらえなくてもいいんです。こうして手紙に書いて送る。勇気を出して手紙を出す。それだけで、ある意味こちらの行動は終わっているのですから。
 ……でも……読んでもらえたらいいなあ。私のヒーロー手帳(違)は無くなっちゃったけれど、気持ちはちゃんと書ききれたと思うので……。
 

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 メリークリスマス。
 仙台市泉区にある七北田公園で開催されている「七北田公園イルミネーション&キャンドルナイト2023を見てきました。ちょっと早めに会場周辺について、しばらく図書館や周辺の百貨店で過ごしたりして、午後5時過ぎに出発です。

 こないだとは違うスカートです。より可愛らしいデザインだと思って、同じショップで買いました。……ええ、いよいよ私もスカートデビューしました。この格好で図書館も百貨店もイベントも行ってきました。そして手持ちのアイテムを駆使して「ひとり自撮り写真」にもチャレンジしてみました。そんな一日のことを振り返ってみたいと思います。

   *

 今年で7回目を迎える同イベントは敷地内にある「都市緑化ホール」をメイン会場とし、サンルームに植栽しているベンジャミンなどに電飾を施すほか多種類のキャンドルも灯し、白と橙の幻想を演出する……というイベントです。さらに3年前からは、コロナ禍で奮闘する医療従事者に感謝の意を表すべく、公園の敷地内をブルーライトアップするという演出も行われております。今回「行ってみようか」と思ったのは、そのあたりの主旨に賛同したためです。ギリギリ歩いて行けるし、疲れたら地下鉄で帰ってくることもできるしね。
 
 さあ、どうですかこの雰囲気! 残念ながら私のスマホの目をもってしてもその魅力をお伝えすることができないのですが、比較的マシな写真を選んでみました。あ、公式ホームページにはちゃんと綺麗に写った写真があるのでそれを参照してください。私は私で感想を書きますから。
 昨日見た光のページェントは『仙台カラー』の二つ名を持つ電球色で非常に暖かみのある色合いなんですが、これは真逆ですね。寒色系オブ寒色系。それが辺り一面を支配しているので、白黒+青……生命がすべて凍り付いた世界に放り込まれたような気分です。完全に夜の世界ですね。今までこれほど徹底的に青く神秘的な世界を見たことがなかったので、ろくな言葉が出てこなくて申し訳ありません。いやはや、これは素晴らしいと思います!

 あと、これも良く写っていますね。昨日の経験を踏まえて、光の反射具合とかも多少気にして写したので、みすみんサンも映えまくりです。みすみんサンならこういうのをメタバースの世界でやるんでしょうが、私はアナログハートなので……。

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 メイン会場『都市緑化ホール』の方に来ました。これまたすさまじい力の入り方ですね。気合いが違うんだな気合いが。シャンデリアがいくつもぶら下がった高級ホテルのロビーにも引けを取りません。中にはそれこそキラッキラがあふれかえった空間があり、そのオブジェの前に椅子が2脚か3脚ほど置かれておあつらえ向きの記念写真ブースがありましたが、ちょっと自撮りが難しそうなのでそこは見るだけにして……植物園コーナーに来ました。

 キャン! ド! ル!……ということで、キャンドルの温かい橙の光にきらめく風景を撮影しました。自然の光というのは目にも優しいし、何とも落ち着きますよね。

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 これがイベント会場で撮ったセルフポートレートです。
 鞄とかアウターとか、とにかくかさ上げして土台にできそうなものを全部積み重ねてその上にスマホを設置して、セルフタイマーで撮影しました。他の人の順番もあるのであまり取り直す暇はなく、これがパーフェクトであるとは思いませんが、割とよく頑張った方なんじゃないかなと。
 
 そして、璃奈ちゃんボードならぬ「みすみんボード」です。もちろん私は蘭茶みすみさんのことが大好きな一ファンであって、私がみすみんサンではないのですが、ついにこうして一緒に写ることができたのかな……と。これもいまだにメタバースの世界に踏み出すことができないアナログハートたる私の愛情表現です。みすみんサン大好きです!
 ちなみにこの日は服だけではなく、何やら可愛く見える? 女性向けのマスクを着用してお出かけしました。
 具体的には「独自に研究した角度が鼻を高く見せる」「フェイスラインを美しく見せる」などの意匠が盛り込まれているようです。確かにこれを着用している時は、私のアラ(特に、笑うと頬に皺が寄ってしまうところ)が隠され、随分と印象が変わりました。世辞にも可愛いというわけではないし、そういうのを目指しているわけではないのですが、ええ……随分、良くなりました。
 まあ、そうだとしても「眼」と「髪型」は男性の私のままなので、やっぱり自撮り写真を公開する時は璃奈ちゃんボードで行きたいと思います。表紙はこれから考えます。とりあえず今日はみすみんサンにヘルプして頂いたということで。

おまけ。これは屋外でフリースを着て、たすき掛けにショルダーバッグを下げている時に撮影したものなんですが、何となくスーツ&ネクタイにスカートを履いているように見えて、少々気に入っているのでこれも公開させていただきます。

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 と、こんな感じで素敵な一夜を過ごしてきました。
 タイトルの『クリスマス・シンデレラ』というのは、『ハロウィン・シンデレラ』の続きという意味を込めています。あの小説も元ネタは私自身が思っていたことと、ハロウィンの夜に衣装(光沢生地のセーラー服風ワンピース!)を着て公園でセルフポートレートを撮った時の顛末をほぼそのまま書いているので、今回が2回目です。私が一夜限りのシンデレラを演じてみた、っていうことですね。
 もっとも、2回目のシンデレラは魔法の力を借りて変身したわけではありません。すでに私は魔法を使わなくても自分で変身して表に出られるようになりました。これは私の普段着です。スカートでもパンツスタイルでもメンズコーデでもジェンダーレスファッションでも、私は着たい服を着て生きていきます。
 私のアニマを解き放つ勇気を与えてくれた――そして『在りたい私』というものを探す知恵を与えてくれたみすみんサンこと蘭茶みすみさんに、ありったけの愛を込めて花束を。
 
 メリークリスマス! みすみんサン!

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メリークリスマス。
 今日は11月に帰天した叔母の四九日なのであんまり賑やかに騒ぐ気分ではないのですが、皆様におかれましては良いクリスマスを過ごしていただきたく、このような記事を書かせていただきます。
 何の記事かというと、ページェントですよページェント。冬の仙台を彩る『SENDAI光のページェント2023』のことです。昨日もちょこっと書きましたが、今日は他の写真も含めて大盛りで紹介したいと思います。
 
 どうですか! この人と車と電飾の数と言ったら! このブログにアップロードできる画像のサイズ制限が2MBなのでだいぶん抑えていますが、とにかく物凄い綺麗です! 
 別にフォトジェニックな写真を撮ろうという気はさらさらなかったのですが(そんなのはご立派なデジイチを構えた人たちやSNSに精通し「バエル写真」の何たるかを知悉している若い人たちに任せます)、とにかく自分が見て感動した景色を記録し伝えるために写真を撮ってきました。それが1枚目のコレです。一番町四丁目商店街の入り口辺りで、それまでの両サイドにあった建物が消え、パノラマ的に景色が広がって……。
 昨日稲垣足穂の本を一冊読了したからかもしれませんが、突然広い宇宙に放り出されたような、そんなきわめてロマンチックな感動が起こりました。去年は「憧れに初めて出会えた」感動がありましたが、今年はそんな天体嗜好症気味の感動があったのです。

 中央の欅並木エリアにはハート形の電飾など「どうぞSNSでたくさんいいねがつくような記念写真が撮ってください」的なオブジェクトがありましたが、そんな人だかりに私のような心の淋しい暗い人間がひとり並んだところで余計に淋しさが増すだけだし、そもそも誰も写真を撮ってくれないし……ということで車道越しに「そんなのがあるんだなあ」程度に眺め、要所要所で適当に数枚撮影しました。

 もちろん私が大好きな『蘭茶みすみ』さんとも一緒に写真を撮ってきました。別に機材があるわけでもなく、これを片手に持って一緒に写すという極めて原始的な方法で撮影したので「何枚か撮った中で、一番見られるもの」を出展させていただきます。これをフォトコンテストに出そうかな(しません)。仕事鞄にもプライベート鞄にも、出かける先には常にみすみんサンが一緒にいるのです。春夏秋冬全シーズン撮影したらいずれ一冊のフォトブックにしたいと思います。
 そんな感じで滞在15分程度でパーッと見て数枚の写真を撮って帰ってきたのですが、クリスマスの電飾は定禅寺通りだけじゃないんです。仙台駅構内「東西自由通路」から駅近くの商店街「ハピナ名掛丁」から「クリスロード」を経て「一番町商店街」にいたるまで、それぞれ趣向を凝らしたルミナリエや装飾が施されていました。そんな記録写真を一気に公開します。
 せーの、ドン!

 (♪ テーッテレッテーテレッテー)←例の正解ファンファーレ
 そんなわけで12月の夜の都会は右も左も電飾だらけです。皆様にとって、今日という日が素敵でありますように。

   *

 「ふぁーぜる・くりすます。御存じかな?」
 「知ッテマスヨ、ハラサン。
  Santa Claus ノコトデショウ」
 「今夜、私、ふぁーぜるくりすます!
  アハッ、アハッ、アハハハハ!」

 メリークリスマス、ミスターローレンス。

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