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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

 2年前の1月12日のことは、今でもよく覚えています。ただ、ブログではきちんと言葉にしていなかったので、今日いきなり振り返ってみます。
 ファンファンファンファ~ン(三四郎ふうに)。

   *

 コロナ禍で当時私が働いていたホテルは大打撃を受けました。2021年頃には少しずつ回復してきたものの、既に「もはやこの世界に観光サービス業という職種は必要ない」と見切りをつけていました。加えて私の精神状況も極めて悪化。ベランダの物干し竿を見て自死を考えるようになっていたので、生きるためにITパスポート試験合格という武器を手に転職活動にいそしんでいました。
 とはいえ40過ぎで、たいした資格も経験もない私なんかを雇ってくれる会社があるのか……といえば、あったんです。私みたいなのに声を掛けてくれる会社があったんです。いったん申込期限を過ぎた後もまたアプローチを仕掛けてくれるような稀有な会社があったんです。
 当時は青森に住んでいて、実家は盛岡だった私にとって、仙台というのは未踏の地でした。観光で訪れたことはあるものの、実際にここに住んで働くなんて夢のまた夢……だと思っていたのですが、先述したように「生き延びる道」を模索していた私だったので、乾坤一擲の大合戦に踏み出すことにしました。
 会社に連休を申請し、まずは実家のある盛岡へ……さらにそこから高速バスに乗って前日入りした私。「土地勘がない仙台だから、雰囲気をつかんでおこう」と思って行ったのですが、文字通り「西も東も分からない」といった状況で……仙台駅の西口から東口へ抜けるだけでも1時間以上を要し、さらに直線で行けば3分で着くような面接会場に対して迂回迂回で20分くらいかけて着いたり……前乗りしていて正解でした。
 それでも気持ちは落ち着かず、当日は朝の3時に目が覚めて、それきり全然眠れませんでした。とりあえず朝ご飯は食べたものの変なテンションは落ち着かず、そのまま面接に臨み、終始上ずった感じでやり通したという惨状でした。面接後も解放感はなく、ひたすら疲労困憊、意気消沈……失意のうちに盛岡に帰ったのでした。
 その日の仙台は、雪が降っていました。仙台だけじゃなく北日本レベルで大雪に見舞われ、高速道路が北上あたりで通行止めになり到着が大幅に遅れたことを覚えています。実際、記録に残るくらいの大雪だったみたいで、そのあたりの認識は間違っていないのかなという感じがします。
 令和4年の大雪 - Wikipedia
 「とにかく、やれるだけのことはやったんだ。それでいいじゃないか」
 帰ってきてから自分を慰め、引き続き転職サイトで返事の来ない願書を送り続けていたのですが、数日後に採用担当の方から採用通知の電話が入り、現在に至ります。
 
   *

 冒頭の写真は当時仙台駅にいたAIコンシェルジュ「陸奥めぐ」さんです。随分とお世話になりましたが、元々、期間限定の実証実験のためにいらっしゃったのであり、4月末で離任していました。当時『仮面ライダーゼロワン』にハマっていて、AIというものに強い憧憬を抱いていたので、随分と淋しい思いをしたものです……ちゃんと写真撮っておいてよかった。

 ずっと夢だった仙台生活を実現させてくれた今の会社には本当に感謝しています。2022年は厄年中の厄年「本厄」だったのですが、むしろ私にとっては人生逆転の年でした。ピンチはチャンスなんです。
 明日は共通一次試験ですね。受験生の皆様も、体調に気を付けて全力を尽くすことができるよう祈願しております。

(榴岡天満宮にて)

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