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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

昨日は新年会をやってきました。こういう形で誰かと一緒に盛り上がるのは前々職の頃以来ですから、10年ぶりくらいですね。すなわち今の職場の人たち、特に同期の人たちと一緒に親睦を深める機会でもありまして、すごく楽しかったです。生ビール、生ビール、生ビールハイボールハイボールジンソーダ……そんな感じで今朝は軽く二日酔いです。こんなこともあろうかと、前もって今日は休みを申請していたので大丈夫ですが。
 同期と言っても私は40過ぎて転職したので年齢は10も15も違います。若い女の子たちと飲むのは少々気恥しい感じがしますが、皆さんとてもしっかりした人たちなので、なかなか人と打ち解けるのが苦手な私も多く話をすることができました。
 そして、みんな私の知らないところで色々と悩みとか苦しみとかを抱えて生きているんだなあ、ということに気づかされました。
 特に……普段明るくて何でも楽しそうに語る女の子が、実は去年、死産していたという話を聞いた時は、言葉を失ってしまいました。そして同じ職場の別な女の子がその子に対して「自分は3回中絶してるから、何てことないですよ」と励ました……でも、自分にとっては産みたかった大切な命だから、それは違うんじゃないかと思った……という話を聞いた時、
 「女の子として生きてみたい」
 という言葉の重さを遅まきながら感じました。
 あくまで私はCVトランスジェンダーノンバイナリー、ヘルマフロディトスあるいはセラフィータ的な形を目指しているわけですが、子宮を持たない肉体の身では絶対にわからない喜びと悲しみがあるのだと。やはり結婚して子どもを産むということは、女性にとっては大きな負担であるけれども喜びであり、それが叶わなかったことは大変な悲しみなのだと。
 「所詮あなたは男性だから、こんな気持ち、わからないでしょうね」
 矢川澄子さんに言われるまでもなく、そう思いました。やはり私は男性原理に基づいた生き方しかできないです。そしてまた「男性としての役割」もあるはずであり、それを全うしなければならないのだと再認識しました。
 もちろんこれからの世界は男女同権、どんな職種でも男性女性の区別なく同じように活躍できるべきです。「結婚して子どもを産むのが女の幸せだ」というのは極めて古臭い思想であることは認知しております。せっかく能力を発揮してそれぞれのステージで活躍しても結婚して子どもを産み育てるためにステージを降りなければならない……それを「女の幸せ」「女のゴール」と言うのであれば「そうじゃないでしょ」と言いたくなります。私は男性ですが、そう思います。
 だからといって、そんな旧来の思想を全否定することは、一面的に過ぎる気がします。パートナーと結ばれ、その子を産み、育てることは有史以来の営みですし、それに幸せを感じることはごく自然なことです。それは今回、新年会の席で話を聞いて感じたことです。努めて明るく話してくれましたが……すごくつらかったんだろうなということは、私もわかりました……こんな人間ですけど、そういうことを感じることくらい、できるんです……。

 私はいつだって自分自身のこころの世界にしか興味がないので、社会がどうあるべきだとか、そういう話はできません。そういうのはテレビのコメンテーターにでも任せます。
 ただ、改めて確認したのは、私は男性であり、男性としてできること(=社会通念上求められている役割:ペルソナ)を精いっぱいやる宿命をもってこの世にいるのだということです。その一方で、こころの中にアニマがあります。シャドウもあります。CVトランスジェンダーノンバイナリーとしての生き方は、それらを高い次元でバランスさせるための試みであると考え、実践しているものです。
 どのような人間であっても、その人が一番幸せと感じるような、在りたい自分を生きられるような世界を私は望みます。私もまだまだ動き始めたばかりですけど、動きながら形を作っていければいいかなあ。

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