×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
これは『胎に刺さったリボン』展を見に行った時、「隣で何かやってるし、せっかくだから見ていこうか」という……そもそも、こういう企画展が行われていることも知らなかったので、本当にそんな感じでした。ただ、切っ掛けがどうであったかというのはあまり意味がない話ですよね。
「来た、見た、良かった」
いま私がそう感じている。それが現下最も緊要なことですから。
なぜグループ展「足跡」を開いたのか
この「足跡」というグループ展は授業作品を展示するために開いたもので す。
開くきっかけとしては、授業で描い た作品は大抵講評を受けたらそこで作品が終わってしまうことに虚しさを覚えたからです。授業の作品はほぼ特定の先生方に見せ、ある程度の基準と無意識に作用する好みで評価されます。 先生方から高評価を受けることは簡単ではありません。しかし、だからと言って自分が制作した作品が1から10までダメだったのか魅力がないのかというと決してそうではないと考えています。必ず私の制作した絵によさはあるはずだし、好いてくれる人もいると思 います。そんな人と私の作品を結ぶ機会をつくるために企画しました。ありがたいことに今回、この気持ちに賛同してくれてる人が13人集まりました。 特に一緒に企画を進めてくれた佐藤みのりさんには感謝しています。
この企画を通して誰かに頼ることの 大変さと心強さを知ることが出来たよ うに思います。
今後、改善していきながらもこの 「足跡」を続けていけるように、より一層邁進していきますのでどうぞよろしくお願いします!
東北生活文化大学
美術表現学科2年 木俣佑実子
良いと思います。特に私みたいな「自分で絵は描けないけど、こうして絵を見て回るのが大好き」な人種にとっては、とてもありがたい企画だと思います。なまじ美術の素養がないからこそ、門外漢の気安さで好きなように絵を眺め、思い切りその内容を好きになって……そんな感じで片っ端から写真を撮りまくり、今こうして振り返りながら記事を書いています。
作品のモチーフは本当、描き手によってさまざまで……植物・動物・人物・風景また油絵に漫画イラストそれからレリーフなどなど、とってもバラエティに富んでいました。また一部の作品にはこうして内容に関するステートメントがあって、作品の理解と想像力の強化に役立ちました。アートとブンゲイ、どちらも大好きなので、こういう言葉による解説はありがたいです。
なお、こちらの絵についての感想としては、このようなものでした。
「全体に暖色系の色合いが血の温かさを感じる。血が通っている人間の息遣い」
大体、描き手の松山さんも同じようなことを言っているので、全く的外れな見解ではないでしょう。良かった。ただし絵の中で何人もの人間がいることに気づいたのは後日写真を眺めなおした時でした。絵って、あまり近すぎても理解できないものなんですね……失礼しました。
もう一枚ピックアップしたいのがこちらの絵です。……この絵を見た時、いわゆるデジャヴュ(既視感)を感じたんですよね。
思い出せないけど見たことがある気がする。何でだろう。……
その答えは、絵の隣に描き手の大沼新季さんが添えてくれたステートメントにありました。
!!!
……そういうことだったのです……まさか仙台で、このタイミングで開運橋を見ることになるとは……なお、この絵に関しては以下のような感想を持ちました。
「見覚えのある景色にデジャヴュを感じた。そうこれは開運橋だ。でもそれを信じることはできなかった。薄暗くて不確かな世界に若干の不安感があったからかな。眼鏡とサンゴ、死のイメージとタイトル。(描き手が)自分で『説明しなきゃわからない』って言ってるんだから、わからなくても仕方がないけど……」
仕方がないけど、これでいいんです。テキストを読んで対話して、絵の内容に対して理解を深める。文芸オタクにとっては非常に嬉しいです。
こんな感じで、特に求められていないのにわざわざ記名して感想を書き込んだほか、会場にいらっしゃった女の子にも直接感想を伝えました。そうしたところその子から「可愛い服装ですね」と言われて……人生で初めてファッションを褒めてもらえた(しかも女性に)のがメチャクチャ嬉しかったのです……!
その子が言うには、前日にはメイド服姿の男子学生がいたみたいで……何やら、そういう服装が好きな人がいるみたいです。ということはやはりセクシュアルな問題ではなく、ファッショナブルな観点から可愛い服装を身に着けるのはいいことであり、私の服装もある程度の水準をクリアしていたんだ! ということを知りました。これは私にとって最も難しい……私自身が可愛いと思って着るのは自由ですが、客観的に見て可愛いと言ってもらうのは私の意志ではどうにもならないことなので……ことでしたが、その一番難しい実績を達成したことで、自信をもって可愛い服装で出かけることができるようになりました。
そんな感じで、私にとっては人生で最も嬉しい体験をした一日でした。
木俣さん、私にとっても今回の「足跡」展は非常に素晴らしい機会でした。またこのような機会があれば伺いますので、ぜひともよろしくお願いします! ありがとうございましたあ!
追記:
2/2に行った時は先に挙げたように可愛い服装で出かけたのですが、その時に大沼さんの作品に関する感想を書き忘れたことに気づき、仕事帰りに男性の格好で行ってきました。その際にメイド服の男の子がいれば良かったんですが誰もおらず……その代わり会場(SARP)の方が来て、ご挨拶をさせていただきました。実は前日、可愛い服装で隣の会場(「胎に刺さったリボン」展)でお会いし「可愛い服装ですね」とお褒め頂いていたのですが、もしかすると別人物だと思われていたのかもしれません。そのため改めて「胎に刺さったリボン」展を見て感想を伝え、同展の描き手(トキワさん、かんのさん、さかいふうかさん)も出展している東北生活文化大学の卒展に関する案内を頂いたのでした。そうなるとギャラリーには男性の格好で行った方がいいのかな……せっかく顔を覚えてもらったのだから……ただ、可愛い格好をして行ったから1日に2人もの女性から服装を褒めてもらえたのだし……いやはやどうしたものか。
PR
さる2月10日、仙台フォーラスで開催された仙台藝術舎/creekの成果発表展を見てきました。
絵画、写真など色々素敵なものがありましたが、その中であえてこれを取り上げてみます。というのは、このステートメントを見て、かなり色々考えこんじゃったからです。その考えこんだ結果を私なりにまとめて形にしてみたいと思ったからです。私だって文章で自分の考えを表現することを20年以上やってきた人間だからです。
全文をきちんと掲載したうえで、私が特に気になった部分を引用します。
……無責任な手癖で運用されているメディアのあり方に疲労感を覚える。……マスメディアによる雑な報道は言うまでもなく、マスに属さないメディアが「適当でも速報性があれば良い」と持て囃される現代においては、編集を学ぶ意欲すら削がれる。
マスに属さないメディアとは、ニコニコ動画やYoutube、ブログ、SNSをはじめとした誰でも情報発信できるものを指す。せんだいメディアテーク(以下・smt)の言葉を借りれば「草野球」的なものだ。堅く言えば、市民メディア。その市民によるメディアも商業的な手垢がつきすぎた。
私はそんなものより、学生自治寮の壁の落書きや張り紙の方がよっぽど純粋な事実であり、本来の草野球的な市民メディアなのではないかと捉えた。クローズドではあるものの、形式にとらわれず学生生活を送る中での叫び、遊び、学びを残しておくことに純粋な美しさを感じる。その純粋さは大衆性、専門性の外側にある限界芸術のような趣がある。
反発というと少々語弊がありますが、一応ブログをやっている人間として「そんな言い方しなくたっていいじゃない!」と言いたくなる気持ちが起こったのは事実です。でも、そんな脊髄反射みたいな言葉は直ちに叩き伏せて、何度も文章を読み返し、「本当は、私はどう思っているのかな」ということを丁寧に問いかけました。
……なのでこれはあくまで私の感想です。正しく文章を理解できたか自信がないのですが、とにかく私はそう思った。私は感情家なのでそう思ったことを書きます。
まず『無責任な手癖で運用されているメディアのあり方に疲労感を覚える』というのは、私も共感できます。何かあれば視聴者からの投稿動画を垂れ流す『マスメディアによる雑な報道』を見ていると、わざわざテレビでニュースを見る必要がないんじゃないか……という気がします。
また『マスに属さないメディアが「適当でも速報性があれば良い」と持て囃され』ているな、というのも、そうだよねと思います。そういうのがあまりにも嫌すぎて、最近は動画サイトもSNSもほとんど見なくなりました。Instagramに関しては、最近アート系の人たちをポツポツフォローすると同時に「ちゃんと実体のある人間ですよ」ということをアピールするため一日一枚ずつ全然フォトジェニックでも何でもない写真をアップロードしていますが、その程度のものです。
SNSで世の中の動きをキャッチしようとか、そういうことを考えていた時期もありましたが(ブログの記事が極端に少ない時期があるのはそのため)、そういうのに疲れ切ってしまったので現在はやめています。
『市民によるメディアも商業的な手垢がつきすぎた』というのも、「そうかもしれない」と思います。『そんなものより、学生自治寮の壁の落書きや張り紙の方がよっぽど純粋な事実であり、本来の草野球的な市民メディアなのではないか』と言われて、ただちに「そうだ!」というには、私はあまりにも素人すぎるのですが……強く感情が揺さぶられたのは事実です。SNSの百万言よりも、よほど心に響くんです。
個人的な体験のアーカイブから一番近いものを探ってみると、限られたコミュニティの中で秘密を共有する愉しみでしょうかね。大衆受けするわけでもなく、極端にわかりづらいわけでもなく……そうか! それが『大衆性、専門性の外側にある限界芸術のような趣がある』『純粋な美しさ』ということなのかな!
今、ようやく自分の中でカチリとかみ合った気がします。ステートメントを読んだだけではなく、実際の展示内容を見ただけではなく……理論だけじゃなく、感情だけでもなく……それらが和合してようやく腑に落ちました。「そういうことじゃないんだけど!!!」と出展者の赤瀬川沙耶さんに怒られてしまうかもしれませんが、とにかく私がそう感じてたどり着いたのがそういうことだったので、大目に見ていただければと存じます。
最後になりますが、私だって20年以上ホームページとかブログとかで自己表現をしてきた『市民メディア』の人間ですから、やっぱり文章による市民メディア活動は続けていきます。速報性よりも自分の感性を大切にし、バズるとかエモいとかバエるとかって流行の言葉とは最も縁遠い文章。
一言でまとめると、私も「消費されない文化」を求め、これを作りたいのです。
特別企画:消費されない文化
この言葉、何度かブログの中で書いているんですが、そうやって繰り返しているうちに自分の中でも重要なテーマになってきました。大量生産大量消費の時代であり、そういう大きな流れは止められなくても、そんな中に竿を差して旗を立ててみたい。流されて溺れそうになってもまた浮き上がって旗を立ててみたい。
それが私の自己表現です。絵を描くように、歌を歌うように、私は文章を書きます。
*
いっぺんに考えをまとめて書き出すことは難しいです。だから私はこうして少しずつ書いていきます。こうして積み上げながら、自分の『在りたい私』を組み立てていければいいかな。スプリントじゃなくてエンデュランス。ひとつ同じ場所で18年も続けてきたんですから、20年25年30年……NISA並みのロングディスタンスで書いていこうと思います。こうして日々を大切に生きていければ。
今月は亀井桃さんの個展を皮切りに、東北生活文化大学の皆さんのものを中心に多くの美術展を見ていますが、その感想をまずはノートに手書きでまとめてから、こうして記事にしています。出先で急いで気持ちをメモするためだったり、【ユ、六萠】さんと【ペロンミ】さんのノートを見て「私も真似してみたい」と思ったからだったり、切っ掛けは色々ありますが、今回こうして書き出してみると、意外なことに気づきました。
文字を書くだけでも、手を動かして書くとそこに感情が乗るんですよね。最終的にはこうしてゴシック体でまとめられるんですが、そこに感情が乗るということは、自分が感じたことが少しだけ精緻に表れるということです。私は感情家であり感じたことを可能な限り文章で書き出すことを目的にこうして文章を書いているので、これはとても大切なことです。それによって、後で清書する時も振り返りが容易だったのです。
同じようなことを、昨年帰天した伊集院静さんがおっしゃっていました。河北新報夕刊のコラム「河北抄」です。
河北抄(2024/1/20)|河北新報オンライン
いわく「筆記用具の感触や筆圧も創作に影響する」とのことで、手書きで原稿を書くことにこだわっておられたそうです。そういえば、矢川澄子さんも手書き派の方だったように記憶しています。
記事の中で、特に私が心を打たれたのは下記の言葉です。記者が字の拙さを恥じたところに言われたところ、こんな風に言われたそうです。
“字が下手でも構わないんだ。とにかく丁寧に書くことだ。何事も誠実さが肝要なんだよ”
この言葉を読んだ時、文字を書くことに限らず日々を生きることそのものに対して実直であろうという気持ちがわいてきました。特別なことがなくても、現在をしっかり生きていく。手書きのノートとこのブログを基礎にして、SNSとか何とかも少しずつやりながら……反応がなくても何でも毎日続けていれば、いつかいいことがあるさ……そんな感じでやって行こうと思います。
ちょっと日にちがずれましたが、2/14(バレンタインデー/煮干しの日)の仙台は気温が常軌を逸したカーブを描き上昇、日中は18度ほどまでありました。そのためシューラルーさんで買った春物のアウターを使い、フリルブラウスとスカート、さらにリボン……と、かなり可愛さ重視のコーデでお出かけ。仙台パルコで記念品を頂いた後、せんだいメディアテークで東北生活文化大学美術表現学科の皆さんの卒展を見てきました(2回目)。改めて感じたことは、やはり素敵な展示だということです……皆さん卒業おめでとうございます。
卒展に関しては気持ちが強すぎて、まとめられるかどうかわかりませんが、まとめられたら書きます。今日はそのあとのことについて書きます。
午後からは近所のパブリックスペースを借りて、FP(ファイナンシャルプランナー)さんと話をしてきました。一応加入している保険会社で積み立て年金もやってるし、あまりお金にこだわることは好きじゃないのですが……こないだ生協から電話で「無料だからやってみませんか?」と言われて、ちょっと話を聞いてみようかという気になった。そんな感じです。ちなみに、服装はこのままでした。姿は可愛いけど話すことは生命保険の見直しとかNISAって何なのとか、いたって真面目な話です。
こうして小一時間お話を伺ってみてわかったことは……いっぱいありました。
まず資金運用っていうのは、お金が余っている人とかお金を稼ぎたい人とかのためだけじゃないんですね。いわゆるデイトレーダーっていう人種であれば1日に何億とか何十億とかっていうお金を動かすんでしょうけど、私みたいに自分で働いて稼いだお金で食べ物を買ったり新聞代を払ったりしている堅気の人間でも、これは必要なんです。
なぜなら、好むと好まざるとにかかわらず物価が上昇するから。それに比例して収入も増えれば別にいいんですが、なかなかそうもいきません。また少ない収入から生活費を切り詰めて少しずつ貯金していたとしても、物価が高くなれば相対的に手持ちのお金の価値は下がります。FPさんはこれを「タンス預金はお金が腐る」と表現してくれました。……確かに昔50円で買えたものが今は150円するとか、そういうのはありますものね。
そこでNISAという非課税投資信託システムを国が推しているんですね。
NISAとは何か。そんなのはWikipediaでも何でも見ていただければよろしいかと思いますが、私なりにFPさんからお話しを聞いたところでは、「1日でドカンとお金が動くものではなく、20年かけて少しずつ動いていくもの」という商品なんですかね。何にせよ生き物にお金を投じるわけですから、リスクがゼロだというわけでは無いでしょうが、それは「家の外に出ると交通事故に遭うかもしれない」ようなものだと思います。何もしなければいずれ物価の上昇についていけなくなり荷風散人の如く陋巷に窮死するしかないのですから。
それなら――まだギリギリ間に合うのなら、できることは何でもやってみたいと思います。
今回は生命保険とか積み立て年金とかの写真を控えてもらいました。来週には改めてライフプランを作成してくれるそうです。保険屋さんが薦めてくれた生命保険と積み立て年金では将来生きていけなさそうな気がしてきたし。その点を金融のプロの人と一緒に決めていきたいと思います。
大体、政府の方で面倒見きれないから自助努力で何とかするよう言っているっていうのですからね。少子高齢化とか色々難しい問題があるでしょう。そんな中で私のような障碍者が生きていくためには、なおさら手段を選んでいられません。
……そりゃあ、わかってますよ私だって……お金が大事だってことくらい……いくら独り者できっと素敵なパートナーと巡り合える見込みなんかなくても、生きていきたいんですから……。
そんなわけで、今の生活を守りつつ、将来に備えたアクティブな用意をする。その点について、次回FPさんと相談し、実行していきたいと思います。今日もまた、新しい一歩を踏み出しました。ちなみにFPさんから帰り際「佐藤さんオシャレですね」と言っていただきました。嘘でもうれしいです! ありがとうございます! それじゃあまた次回もスカート履いていきます!(その日の気分によるので未定)
昨日はバレンタインデーらしい記事を書きましたが、おととい2月13日は私のばんつぁん(祖母)の誕生日です。今は癌を患って入院しており面会制限も極度に厳しいのでおそらくこのまま二度と会うことはないであろうという気もしますが、それでも私は仙台に来てから2度ほど会ったので大丈夫です。岩手に住んでいる母親や弟者、また宇都宮に住んでいる兄者はそれこそ何年も逢っていないのですから……。
なお、うちのばんつぁんは大正生まれなので今年で102歳! となります。一族の中では最長寿です。まったくもって素晴らしいことと思います。もうすでに十分長生きしているので、まあ帰天する時が来たとしても、ちゃんと見送ることができるような気がします。
また、この日は11月5日に帰天した叔母の「百か日」でもありました。実際にこのブログで最初に触れたのは11月13日の記事でしたが、その葬儀の時に初七日とか四十九日とかと一緒に百か日法要までまとめてやっちゃいますね、ということで臨済宗のファンキーな法要に立ち合い自分の中のシスター・アニマに目覚め現在に至るのですが、その時に初めて「百か日法要」というものがあることを知りました。
今回こうしてテーマにするので、改めてどんなものか調べてみたのですが、どうも明確に「こういうものだ」というのがわかりませんでした。検索してみてもそれについて書いているのは葬儀社のホームページばかりだし、「諸説ありますが……」から始まって「具体的に何をすればいいのか?」ということは詳しく書いているものの明確な教義とか意義とか、そういうものに関しては正直よくわからなかった……という印象です。
「これじゃあ、何のためにやるのかわからないよ……」
そんな感じで戸惑う衆生たる私の迷妄を払ってくれたのは山形県西村山郡河北町にある時宗のお寺「西蔵寺」さんの記事でした。タイトルもズバリ「法要は何のために行うのか」。
法要は何のために行うのか|時宗 西蔵寺
……そう、「教義」という点からだけ考えるとやる意味あるの? という話になってしまうのですが、ここで心のキャパシティを広げて、故人を想い故人のために何かをしたいと願う自然な心の動きの表れとして行われてきた「慣習」という考え方をすると、確かにやる意味があるような気がします。
輪廻転生してから解脱するのか、南無阿弥陀仏で極楽浄土に直行するのか。個人的にはイエスさまがおられる天の国に帰るのだというふうに考えているのですが、いずれにしてもそういうことを考えるのは「いま、この世に生きている人間」だけができることです。急にでもそうじゃなくても人間が幽明境を異にするというのは愛別離苦、ひどく悲しくて苦しいものですから、それを紛らわすというか……西蔵寺さんの記事で知った言葉を使えば「発菩提心」ですね。そういう心の温かさを持つのが良いっていうのは、仏さまもイエスさまも認めてくれると思うんですよね。こうして並べてみると「聖おにいさん」を連想してしまいましたが。
そんな気持ちで百か日を迎え、当日はひとり静かに叔母のことを想いつつ一献やりました。電子レンジとかマッサージチェアとかコーヒーメーカーとか、叔母の部屋にあったものを色々と持ってきて毎日使っている甥っ子は今日も元気です。生涯現役で盛岡の川徳百貨店から仙台三越まで婦人服売り場に立ち続けた叔母から見れば、私のコーデなんかは「まだまだね」とため息をつくようなレベルだと思いますが……やはり綺麗なひとであったと思うのです……。
天の国から見られたときに、「相変わらずおかしなことやってるわね」と苦笑しつつ「少しはマシになったかしら」と言ってもらえるよう、私もコーデ頑張ります。
……うん、私はそのために女の子の服を着ることにしよう! 今後はそういうものとして皆様もご認識ください。
*
叔母の帰天や祖母の誕生日を機に身近な人の生と死に向き合い自分のことを考えていると、それまであいまいだった死の概念がヴィヴィッドになりました。ユルスナール女史の言葉でいうところの「肉体の感覚や外部世界の偶然を通して、死が自分に送ってくれる合図の一つ一つに死を感じれば感じるほど、ますます自分が懸命に強く生きているということを自覚する」というもので、私も限られた時間を大切にし、先に帰天した人たちのことを想いながら私は私の『在りたい私』を生き、その時が来たら天の国に帰ろう……そう思うようになったのです。
その日まで、このブログは続けます。
先日イワテライフ日記さんが25周年を迎えられたことについての記事を書いたところ、管理人の「まると」さんが当該記事を読んでいただいたとのことで……あわわ、恐縮です! 2/12にお読みいただいたということは、もしかして、そのひとつ前の記事も読んでいただいたということなのでしょうか……。
イワテライフ日記25周年によせて|イワテライフ日記
いつか誰かが読んでくれるさと思う一方、誰も読んでくれないんだから多少ムチャしてもいいだろうと思って好き放題書いていましたが、まさか憧れの「まると」さんに読んでいただけるとは……この1拍手はSNSの10万いいねに相当する嬉しさです。地道に続けてきてよかったです。こういう瞬間があるのなら、やはりこれからもブログを続けていきたいと思います。
速報性のある刺激的な文字が飛び交うSNSの世界も意義はあると思うんですが、こうしてしっかりと、地道に自分の考えや日常を記録することが私にとっては必要なのです。「消費されない文化」というのは私の重要なテーマですから。地道に実直に、日々のことを丁寧につづっていきたいと思います。そりゃ~書く方も人間ですから内容が薄かったり濃すぎたりすることはあると思いますが、やっぱり一定のカリテは保てるよう精進していきます。
そんなわけで、これからもよろしくお願いします。
今日はバレンタインデーですね。
私の職場でも若い女の子たちが手作りチョコレートをシェアリングしていました。私自身にとってはあまり関係のないイベントではありますが、そうやって楽しそうにしている光景を見ると心が和みます。「ああ、楽しそうだなあ」「やっぱり、バレンタインデーというのは、存在してもいい日なんだなあ」と心の中で思いながらクールに去るぜと言って帰ってきた次第です。
一応事実として申し上げますが、私だって過去にチョコレートをもらったことはあります。2009年のことでした。それから10年以上、特別なイベントもないまま結婚と離婚を経て現在に至るわけですが、バレンタインデーの雰囲気も変わりましたよね。
本来、大好きな人に気持ちを伝えるためだったチョコレートは「義理チョコ」となり「友チョコ」となり今じゃ「自分チョコ」となり……それだったら別に何でもいいじゃないか! という気がしますが、ええわかります、こういうタイミングでちょっと特別な包装が施されたプレミアムなチョコレートを食べるのがいいんですよね。個人的にはめっきりと特別感が薄れてトキメキもヤキモキもしなくなってしまいましたが、良いと思います。これがダイバーシティというものなのでしょう。
なお友チョコという言葉は2011年2月時点で既に流行の言葉として存在していたみたいです。10年も経てば流行じゃなくてひとつの風習ですよね。
今この記事を少しでも盛り上げるべく、過去の日記を検索しGoogle Photosを検索し何かそれらしいものはないかと思って探していたら2021年2月14日の写真が出てきました。かつて十和田市にあった『レトロゲーム秘密基地』さんでひとりゲームに熱中していたみたいです。結局一番それらしい写真が、最近フォーラスで撮影した1枚目の写真でしたか……まあよろしい。
ともかく今年はちゃんとバレンタインデーに関する記事を書きました。ここ10年くらいはアレですね、仕事の時間が不規則だからブログの記事も滞りがちでしたが、それ以前の記事を残しておいて良かったと思います。これからも、長短はともかく毎日記事を更新していきたいと思います。
(会場内のステートメントより)
グループ展 テーマ「自分の推し」
現代では「推し」という言葉、文化が流行っています。この言葉は2000年代初頭から使われており、最初は日本のアイドル文化が始めであるとされています。今回はその「推し」にフォーカスを置いてみました。
今回の展覧会では推しをただ描くのではなく、「推し」から連想(マインドマップ)をして、推しそのものを書かないようにしています。そうすることで、作品を見た人たちにこれは何だろう、誰だろうという謎解きのようにすることで作品をじっくり見てもらい、推しているモノを知っていたときに、共感や関心を得れて、自分とは違う視点を知ることができると考えました。
これの開催を知ったのは、たぶんフォーラスの7階にあるギャラリーで告知ポストカードを見た時だったと思います。その日は亀井桃さんの個展を見るのがメインで、これを一通り楽しんだ後に、「どんなものかね」「今年に入ってからまだタナラン(GALLERY TURNAROUND) に行っていないし、ちょっと見てみようかな」という……結構軽い気持ちで見に行きました。
こちらのグループ展ではみんなが同じサイズのキャンバスに描き手の「推し」を表現したものがずらりと並べられていました。わざわざこうしてステートメントの内容を書き出したのは、会場で一度読んだだけではちゃんと理解できていなかったからです。タイピングとはいえ、こうして自分で言葉をしっかりなぞってみることで、「そうだったのか……」ということが理解できました。とりあえず全作品を写真に撮ってきたので、記憶と合わせて改めて振り返ってみたいと思います。せっかくなので皆様も一緒にお付き合いください。
先ほどのステートメントにあったように「推し」を直接書かずに連想イメージを表現した作品は、シンプルだったり緻密だったり可愛かったり格好良かったり明るかったり暗かったり……数が多いのでそのすべてを紹介することはできませんが、ひとりひとりの「推し」に対する表現の違いを眺めるのはとても楽しいものでした。描き手が推しているモティーフが何なのか? そのものを当てることは難しくても、それが何であるのかを想像することが、このグループ展の愉しみですよね。
一通り眺めてみて、自分の好きなものをいくつかピックアップしてみると、私の心が浮かび上がってくるようでした。動物とダークファンタジー的なもの、それに可愛いもの、優しい雰囲気のもの……私の自我と影が、これによって映しだされたようです。
鏡みたいなものなんでしょうね。でも肉体に覆われた心は、三島由紀夫さんが言うところの「林檎の芯」であり、鏡に映しても見えてこないから、それを表現するためには自分で書くか、服を着て表現するかないと思っていましたが……こうして誰かに描いてもらったものに共感するという形でも浮かび上がってくるのかな……なんて、振り返りながら思いました。せっかくアートを見たんだから、私だってそのくらいのこと思ったっていいですよね。
またこうして、作品を見る機会があれば行ってみたいと思います。良いと思います!
*
これは「私の推し展」とは少し離れますが、この日タナランに行ってみると、一昨年の11月に開催された門眞妙さんの個展『まあたらしい庭』の図録がありました。前日(2/1)にお披露目になったばかりとのことで、亀井桃さんの図録に続き問答無用で即買いしました。私が仙台に来て初めて見たアートなイベントで、現在に至るまでのアート好きの原点なので、とても嬉しいです。門眞妙さんについてはこのブログでも何度か触れていますが、2度もお会いすることができて本当に幸せです……その時はまだ女の子の格好をしていなかったので、やはりギャラリーには男性として行った方が良いかな……今の私を見てもらいたいという気持ちよりも、ちゃんと気づいてもらいたいという気持ちの方が強いので……。
関連記事:
特別企画:消費されない文化
特別企画:消費されない文化(続)
多分2/2は私の服装を可愛いと言ってくれたことが嬉しすぎたのでしょう。撮りためた写真を振り返っていると、せんだいメディアテークで開催されていた「日本デザイナー芸術学院」の卒展の写真がありました。完全に記憶が抜け落ちていました。
大学と専門学校、アートとデザイン。いずれにしても私は門外漢なのでどちらがどうとか言えるような身分ではありませんが、よりポップで万人受けしやすいというのは事実ですよね。多分専門学校というのはそういうものだと思うので、深い感動を受けた作品というのは少なかったのですが、それでも「ヘェー、こういうものなんだ」というのを一通り眺めてみて楽しみました。せっかく写真を撮ったので、その一部を紹介し今日の記事としたいと思います。
イラストレーション科・加藤心奈さんの作品でタイトルは「Flyby Girl」。宇宙が大好きで、宇宙に夢見る少女をモチーフに制作された作品です。様々な夢が浮かんで憧れの空に広がっていくような雰囲気が素敵です。良いと思います!
あとは……そうですねえ……あんまり写真を撮っていなかったんですよね。そういうものを勉強するための学校だから当然なのですが、ポップで受け入れやすい代わりに心にも残りづらかった……「ああ綺麗だねえ」「可愛いねえ」と思うものの、すぐに消えて次のものに移ってしまう……そんな感じです。pixivとかで可愛いイラストを眺めるのとあまり変わらないかな、と。
そんな中で私が立ち止まり「おおっ!」と思ったのは、写真映像科の皆さんの作品です。私も素人なりに写真が好きな人類なので、やはり感じるところがあります。
特に気に入ったのが小形真央さんの『私たちは』という作品です。他の人のところを見ると仕様ソフトにphotoshopとか何とかって書いていて、「やはりデジタル的な加工をするのが今時だよねえ」なんて思っていたのですが、こちらの作品の使用ソフト欄には「Nikon F3」とだけ書いてありました。
これは良い! と思います。私もフィルムカメラ上がりですから、この時代にあってニコンF3で写真を撮って作品に仕立てるとは! とすごく嬉しくなってしまいました。残念ながら写真撮影不可の作品だったのでそれを紹介することはできませんが、代わりに私が書いた感想を(誰も求めてないとは思いますが)。
最近はXを休止している代わりにあちこちのイベントに参加し、特に名前を求められていないのに名前をばらまいています。本名と(佐藤非常口@仙台)と併記したり、佐藤非常口だけで名前を残していったり。別に名前を売りたいわけではなく、しっかり自分の言葉に責任をもって感想を伝えたいという真摯な思いからそのようにしています。
日本デザイナー芸術学院の皆様、ご卒業おめでとうございます。社会で直接役に立つ技術を習得するのが専門学校だと思うので、これからのますますのご活躍を祈念いたします。以上で甚だ簡単ではありますが、お祝いの言葉とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。
(今年2度目の祝辞風シメ)
せんだいメディアテークで「東北生活文化大学美術表現学科 卒業制作展」を見てきました。……ということで最近見た美術展についてピックアップしてみます。
1.「私の推し活展」4期生によるグループ展 Gallary TURNAROUND
2.「足跡」美術表現学科2年 木俣佑実子さんと有志13名 SARP
3.『胎に刺さったリボン』 三人展 SARP
4.「東北生活文化大学美術表現学科 卒業制作展」せんだいメディアテーク
3.の三人展『胎に刺さったリボン』の出展者であるトキワさん/かんのさん/さかいふうかさんも4.に出展していましたから、これらはみんな、東北生活文化大学美術表現学科の皆様によるものだった……ということになりますね。
それを盛岡大学文学部英米文学科(平成17年に英語文化学科に名称変更)出身で美術の勉強は中学で辞めてしまった(最終成績「2」)私が見る……これはアンデパンダン展以来の、仙台市内の各ギャラリーを舞台とした全面戦争……じゃなくて異文化交流みたいなものかもしれませんね。「自分で絵筆をとることはないけど見るのは大好き」っていうのは、やはり私が大学をギリッギリの成績で「とりあえず卒業させてもらった」というコンプレックスがあるのかもしれません。
自分にはできないもの、できないこと、でもやってみたいということを代わりに表現してくれる……それは今回に限らず、すべての私が大好きな美術家の人たちに対しての気持ちではありますが……そういうものをたくさん感じることができました。
自分が好きなものを自分の技術で表現する。色使いも筆使いも自由自在で真っ白なキャンバスに描かれたそれぞれの作品は、見るたび私に新鮮な刺激を与えてくれました。それが抽象画であれマンガ・イラストであれ人形であれ(※)、いずれも素晴らしい作品です。そのたびに心が元気になりました。
そして、ちょうど20年前に私が体験した「学生からの卒業」というものを、ようやく自分のものとして受け入れることができた気がしました。
当時の私はとにかく現実から目をそむけたくて……就職先も決まらないし卒業できるかどうかもギリギリだし……本来であれば自分が打ち込んできた勉強の集大成たる卒業論文も、「とりあえず出さなきゃ卒業させてもらえないから出しました」という、ひどく出来の悪い代物だという自覚があります(といっても、それが私の精一杯ではありましたが)。
それに対してこの卒展に作品を出している方々は、全部でどれほどの学生がいるのかわかりませんが、そういった人たちの中でも選りすぐりの方々なのでしょう。
これで終わりにするのか、まだ続けるのか。もちろん私にそんな決定権はありませんが、「学生からの卒業」というものは意外と重たいものなんだな……と、20年経ってようやく腑に落ちました。
……そうか、私が卒業したのは2004年だから、ちょうど20年前だったんだ!
いまこの文章を書きながら、そのあたりのピントが合いました。
中途半端な気持ちで卒業してしまった私の心を救ってくれたというと大げさかもしれませんが、でもいいです。私は発達がちょっと緩やかで片寄っている人間なので、心を前に動かさなければいけません。
住む場所を変えるとか仕事を変えるとか、そういうことだけじゃない心の成長。この2年間少しずつ動かしてきて、ようやく20年前のモヤモヤしたところまで手が届くようになったのかな。これも私が心を開いてたくさん栄養をつけたからであり、そういうチャンスを与えてくれた皆様のおかげです。
色々と感動が大きすぎて、上手に言葉にするには時間がかかりそうです。とりあえず今日は甚だ簡単ではありますが、卒業される皆様にお祝いの言葉を申し上げます。卒展に出展された方もそれ以外の方も、新たなステージで生きていくことになろうかと思いますが、また別な機会にお目にかかれれば嬉しいです。東北生活文化大学美術表現学科の皆様、ご卒業おめでとうございます!
(「仙台市、佐藤非常口@仙台さまより祝電を頂戴いたしました」)
※ アンデパンダン展で見てひどく心を奪われた「鵜坂紅葉」さんの作品も実は美術表現学科の学生だということを今回の卒展で知りました。見つけた時は「あっ!」と声を上げそうになりました。まさか、もう一度お目にかかれるとは思っていなかったので……本当に嬉しかったです……。
今年に入ってから何度も「私はノンバイナリー」「どっちでもよくない私は私だし」と言ってはばからない私ですが、自分が明確に男性なのか女性なのか決めかねるというのは、正直ちょっとしんどいです。
職場など、社会通念上男性としての振る舞いが求められる場面では躊躇なく男性として出かけます。また、男性として何度も通いつめ顔なじみになっている場所には男性として出かけた方が良いのかな、という気がしています。こないだ女性の格好をして行ったら、どうやら別人と思われていたみたいで……それならこのまま「いままでの私」でいいかな……と。どちらにしても私の気持ちをわかってくれる人なので、その方が通じやすいのならそれでいいです。
それ以外の場面ではどうか。たとえば休日に町中に出掛けたりする時などは、私の心には「女性らしくありたい」という気持ちが強く存在するので、それを最大限引き出す服装をして出掛けます。
でも、どちらか一方に固定することはできません。そのために迷ったり躊躇したりする自分がいます。
法に触れるわけじゃなし、そうしたいと心が望むなら、ヒラヒラしたトップスにスカートを履いて、可愛い格好をして出かければいいと思うのですが……男性にも女性にもなり切れない中途半端な心なので……こうして煮え切らない気持ちを誰に言っていいのかわからなくて、今こうして記事を書いています。
たぶんずっと、こんな気持ちは続くのでしょう。正直これからどうなるのかとか、どうすればいいのかとか、よくわかりません。
でも、何度もこうして思い切って飛び出したから、今日も「心のままに」着たい服を着て出掛ければ良いのかもしれませんね。私が一番好きな服。在りたい私でいられる服。
*
今、『千年桜の奇跡を、きみに』という小説を読了して、そう思いました。随分と背中を押してもらいました。
「憧れの人がいる。自分もその人みたいになりたいと思ったけどできない。でもそれでいい。自分はその人じゃないから。できないことはできなくてあたりまえ。自分にやれることをして、自信をもって、自分らしくいようと思った」
ある人物がそんな意味合いのことを言っていました。その人物に限らずこの物語には「私は私のために生きる」といった思想を持った人が何人もいます。そのたびにグイグイと背中を押されるというか……「何だか、すごいなあ」と呆気にとられてしまうほどのエネルギーをもらいました。土地の神様と人々が共存して穏やかに暮らしている街の雰囲気に、物語の中盤くらいまで戸惑いがあったのですが、こころの波長が合ってからは私も「咲久良町」の人たちの温かさに感じ入り、物語の世界にのめり込んじゃいました……。
先月惜しまれつつ閉店したアリオ仙台泉の中の「くまざわ書店」で購入した2冊のうちの1冊でしたが、まったく素敵な本に巡り合いました。いずれまた再読した時に、改めて感想をまとめたいと思います。これは一度だけで読み捨てるのはもったいない!
*
それに私は私で、咲久良町とは違うけど素敵な街に暮らしています。
家庭も仕事も捨てて流れ着いた仙台。そこで出会った多くの人たち。特に1年前のメディフェスせんだいというイベントでは、「私もこうなりたい!」と思う人と出会い、その形を自分なりに追いかけてきました。途中でくじけて、そこから立ち直ろうとした時に叔母が帰天し、さらに落ち込んで……でもそれを切っ掛けに私のアニマの形をちゃんと捉えることができて……それからですね。「私には私の勝ち方がある」……このフレーズも好きなんですが私は受験生ではないので、こうしましょう。
「私には私の『在りたい私』がある」
昨年12月25日クリスマス以来の「みすみんボード」発動です。
私はみすみんサンに憧れてここまでやってきました。
でも、私はみすみんサンみたいにはなれませんでした。そのことで悩んだり落ち込んだりした時期もあります。いまだにXもyoutubeも見ることができません。
その代わり、この街でこんな私のことを可愛いと言ってくれる人がいました。
一度目は東北生活文化大学美術学科の女の子とギャラリーSARPの方に、二度目は仙台のファッションレジェンドなばんつぁんに。
それはとっても嬉しかったし、そのまま自信にもつながりました。この先誰に何と言われようが、確かに私のことを可愛いと言ってくれる人がいたこと。そのことは誰でもない、私自身が知っているんですから。
私はこの街で生きていく。どこでもない、仙台で生きていきたい。この街で、私のことを可愛いと言ってくれた人たちがいる仙台という街で生きていきたい。
「私も、もう大丈夫ですよ」
そういう気持ちをみすみんサンに伝えたくて、久々にみすみんボードを発動しました。
今日はこれから東北生活文化大学の卒展を見てきます。そしてフォーラス仙台でパンサー尾形さんのイベントに行ってきます。「かのおが便利軒」大好きなんです。
行ってきます。
イワテライフ日記
私のこのブログも2005年ごろから始めたのですが、それよりもさらに前からず~っと続けていらっしゃるのがこちらの『イワテライフ日記』さんです。去る2月5日に25周年を迎えられたとのことで……おめでとうございます!
盛岡市民だったころは自分の住んでいる街のことを見て安心し、盛岡を離れた現在では「あそこは、こんな感じになったのか」と驚いたり懐かしんだり。先日書いた、私の曽祖父がお気に入りだったもっきりの店も2015年に閉店していたことを知ったのもイワテライフ日記さんの記事でした。
こないだ盛岡に帰った時私は仙台の人間として盛岡に来たんだと認識したのですが、いま読むと同じような感覚になります。昔から読んでいたからってのもあるんですけどね。やっぱり文章を読むことが好きなんです。
しょっちゅうブログのタイトルを変えているのですが、このタイトルはもちろん『イワテライフ日記』さんへのオマージュです。内容的には全然違うんですが、こうして私の見聞きした日常を静かにつづるスタイルになれればいいな……と。
まずは、そう思っているということを書くことから始めます。どんな形であれ、私が私らしく、素直な気持ちを書いていく。それはタイトルが変わっても創設以来ず~っと変わらないスタイルです。耳目を惹くような当節流行のアレコレを追いかける試みもしてみましたが、やっぱり、そういうのはほかの人に任せることにします。私にできることと言ったら、やっぱりこれしかないんです。
そんなこんなで、これからもよろしくお願いします。誰が読んでくれているのかわかりませんが、貴方は読んでくれたのですね。ありがとうございます。他にもたくさん文章はあるので、よろしければそちらもどうぞ。
*
ということを書いたのが1月中旬でした。そのあともう一度盛岡に帰ってどっぷりと街の雰囲気を吸収した今では、半々くらいですね。「仙台人が見た盛岡」と「盛岡人として知っている盛岡」、新鮮さと既視感がごちゃ混ぜになった心地よさ。懐かしいというほど遠い昔の思い出ではないけどすぐに行けるわけではない距離。時間と空間の距離感がおかしくなって、何とも言えない心地よさを感じてしまいます。なんて、ちょっと妄想が過ぎるかしらん。
とまれ、25周年、おめでとうございます。当時の私は高校3年生。家電量販店の初売りでモデムを買ってきて、ピーピーガーガーとアクセスし、画面の中にWebページが表示されたことに感動していました。また、今HDDのなかにある最古の日記も1999年ですから、その頃からずっと継続されていらっしゃる……いやはや、とても素晴らしいことです。私もホームページは24年目、ブログは18年目と、及ばずながら結構長くやってきましたし。どちらも大切に守り続けなければいけませんね。
生きている限り、私も頑張って更新します。ホームページの方は何度か移転していたけれど、このブログはず~っと同じ場所でやっていますからね。これだけ長くやっていれば、もう少し多くの人に見てもらっても良さそうなものですが……まあよろしい。誰のためにブログは更新する。誰のためでもない、まずは私の為に更新するんですから。
昨日は連休2日目でした。
先日SARPに行った時にお店の方から教えていただいた東北生活文化大学の卒展を見るべくせんだいメディアテークに行ったらやってなくて、「もう終わってしまったんだ」と泣きながらフォーラスに行ったら9日からだということに気づいた直後に亀井桃さんの個展の会場で撮影した写真です。その後、亀井桃さんの展示を眺め、可愛らしいスマホショルダーを購入、さらに古書店「あらえみし」で澁澤龍彦集成を4冊購入し……重たさにウンウン言いながらぶらんどーむ一番町を歩きベンチで休憩していると、
「ここ、座ってもいいかしら?」
と、急に年配の女性から話し掛けられました。慌てて澁澤龍彦集成の入った袋をよけて座ってもらうと、
「今は男の人でもスカートを履いて歩けるようになったからいいわよねえ」
「日本はまだまだ保守的な雰囲気だけど、あたしは男性がスカート履こうと男同士で手をつなごうと良いと思うの。幸せになってくれればいいなあって思うの」
といった内容のことを話してくれました。私も自分の格好を好意的に受け止めてくれるのは嬉しいし、シニアな世代の人からそう言ってもらえるのも嬉しく、また意外でした。
まあ、実はこういう文化は昭和の昔からあったみたいで、かつては「シスターボーイ」と言われていたそうです。帰ってきてから調べてみると1957年頃に生まれた言葉みたいで、翌1958年には谷崎潤一郎も『ふるさと』という作品の中で「今日のシスターボーイの先駆とも云ふべき……」と書いているので、思ったよりも古い言葉でした。
ということは、私はやはり「男性がスカートを履いている」というふうに見られているのだな、と再確認しました。それは決して心外なことではなく、むしろそれによって自分の中でピントが合いました。トランスジェンダーとかノンバイナリーとかジェンダーフルードとか色々と新しい言葉を当てはめてみても「ちょっと私とは違うかな」と思っていたところに飛び込んできたシスターボーイという言葉。そもそも私がこうして可愛い服を着て可愛く見られたいと思うようになったのは心の中にある「シスター・アニマ」と共に生きる『個性化』(わかりづらければ「自己実現」でも結構)のための手段として選んだものですから、ある意味では一番しっくり来る言葉です。
無理に男性らしくすることもないし、女性になり切れないからと言って悩む必要もありません。ノンバイナリーは私の気質を説明する言葉として近似的に等しい言葉であると思いますが、この「シスターボーイ」という言葉が気に入ったので、私はこれを名乗ってみようと思います。どっちでもいいから、とにかく私は私の『在りたい私』を生きます。一番自分らしいと思う服装で生きていきます!
*
そう思ったのは私が出会ったばんつぁん(仙台弁)も、ファッションに対する強いこだわりがあって、それを現在進行形で続けていたからです。
「あたしはずっとストリート系で来たから」
そんな風に笑うばんつぁんの格好は、そこら辺の小僧っ子が束になってもかなわないほど垢抜けていました。「歳を取ったから落ち着いた服装なんてしない」とのことで、本当に超クールな服装で……そのような格好のうえで「モード系なのかストリート系なのか」「アメリカンなのかヨーロピアンなのか、どんな方向を目指してるの?」という言葉がさらっと出てくるあたりに、ある種達人の風格を感じました。
やはり達人はこういうものなのでしょうね。『バキ』に出てくる合気道や中国拳法の達人みたいに、技術とかセンスとかを極めると自然体になるのでしょう。それに対しておろしたての白帯を締めた初心者の私の格好なんか、「もう見ていられない」ってことで、声を掛けてくださったのでしょう。
「ライダースジャケットは万能」「タータンチェックとか、派手めのスカートと合わせると良い」「黒いアウターと赤などヴィヴィッドなインナーを合わせる」など、多くのアドバイスをいただきました。アレですね、テレビ番組のファッションチェックみたいですね。
とはいえ決して真似できないなと思うのは、ばんつぁんの服の買い方ですね。「気に入ったものがあればすぐに現金で買っちゃう」というのはいいんですが、「オビを切って店員さんに渡して数えてもらう」という言い方をしておられました。シューラルーやセカストの半額セールで一生懸命買い集めるような私には決して真似できません。
他にも色々と仰天エピソードをたくさん聞いて、非常に楽しい時間を過ごしました。そして最後に私の方から、「男性がスカートを履いて出歩くこと」に後ろめたさを感じていたことを告白。それでもたくさん話を聞くことで勇気が出た、ということを伝え……お互いに名乗った後、再会を楽しみにして別れました。これから「鬼滅の刃」を見て、来週は「ハイキュー」を見るために映画館に行くところだったみたいです。
こういう歳の取り方もあるんだなあ。……とにかく元気になりました。感情的にも理性的にも。何となく森茉莉さんの本を読んだ時と同じような感覚に近いですね。名前もよく似ていらっしゃったし、私にとっての茉莉さんだったのかもしれません。
その後、いつも通り野中神社(縁結び)に参拝。もう特定のパートナーとかが見つからなくてもいいから、その代わり私のことを可愛いと言ってくれる子とか、今日のばんつぁんとか、『在りたい私』を理解してくれる方と一人でも多く出会えるようにとお祈りして来ました。
やはり私はもっと生きていたい。私の『在りたい私』を実現し、これをさらに良い形にするために。
特に用事はないですが、東北本線に乗って白石市まで行ってきました。別に白石に行きたいとは思いませんでしたが、行きたくないということもなかったので、10時20分仙台発の普通列車に乗って終点の白石駅まで行ってみた。そういうことです。
……と内田百閒の『阿房列車』シリーズに感化され真似てみようと思ったものの私のブログの「です・ます」調ではリズムが全然合わず早々に真似を放棄しました。当たり前です。100年早いんですよ。じゃあここからは佐藤非常口の口調で続けますね。今日はもう写真いっぱい載せちゃいますよ~!
*
元々平日の午前中ですから乗客はまばらでしtが、そのわずかな乗客も名取・岩沼といった仙台都市圏の駅で次々脱落、私を除いた最後のひとりは辺りに何もない寂しい無人駅に降り立ち、とうとう一車両貸切みたいな感じになってしまいました。
そのため最初はつつましく端っこに座っていたものの、この辺りから車両の真ん中に移動し、「この電車は自分を白石まで連れていくためだけに存在しているのだ」という優越感に浸るべく空想を搔き立てながら電車に揺られていました。
このような状況であればシートに寝っ転がるとか車両の端から端まで徒競走をするとかってことも物理的にはできるでしょうが、私が乗っていた最後尾の車両には車掌の女性がいらっしゃるので遠慮することにしました。そもそも私だって可愛い格好をして可愛くありたいと思って来ているので、そんなことは「やっていいよ」と言われてもしません。
仙台からおよそ1時間弱で白石市に到着。駅を出てまっすぐに歩いて行くと、やがて白石城へ至る道「城来路(シロクロード)」という看板が見えます。そこからさらに坂道を上るといよいよ続日本の100名城にも選ばれた白石城が見えてきます。
せーの、ドン!
この前の日はちょうど東京23区で大雪警報が発令されるなど、日本中で物凄く雪が降りました。白石も多いところでは12センチほど積もったようですから、このように白石城周辺も真っ白になっていました。うん、やはりこれでこそ東北の冬って感じがしますね。ちょっと歩くのは大変だけど、いい雰囲気でした。
なお、過去にも2回くらい来ているのですが、地震で被害を受けた個所の復旧工事中だったり私のスマホの方が急に故障して緊急避難したり……と不運に見舞われていたので、満を持しての登城です。いざ、参ります!(有料)
三層天守の1階はパネルとビデオによる白石城および片倉氏の歴史について。それにこのような甲冑着付け体験コーナーがあります。我らが政宗公と片倉小十郎、それに片倉家と縁深い真田信繁(幸村)の甲冑があります。こうしてドン! と構えていると、こちらも気持ちが引き締まるというか、自然と居住まいを正します。
(居住まいをただした写真。この日は防寒対策のためのハイネックと、初めて買ったスカートの組み合わせでした)
2階には絵巻画家・正子公也氏の武将画パネルが展示されていました。著作権のあるものなので写真は撮っていませんが、何とも色気のある……非常に素晴らしい作品ばかりでした。私ごときが何を言う必要も無いと思いますが、一応公式ホームページへのリンクを貼っておきます。どんな絵かというとこんな絵です。
正子公也氏公式サイト
そして急な階段を上り最上階へ。……どちらかというと政務の場所というよりは守備のかなめという雰囲気の、シンプルな雰囲気ですね。武器を貯蔵しておく場所であり、ゲームで言うとそのステージのボスがいる場所ってイメージですからね。全面板敷きで広くて眺めの良い場所でした。
せっかく広いスペースがあって他に誰もいないのだから思い切り記念写真を撮ってみようと思ったものの、こういう時どんなポーズを決めればいいのかわからなくて、「アイドルっぽいポーズ」を試してみました。……男性として写真を撮ってもらう時は両手を広げて見得を切るような恰好をするのですが(爆笑問題の太田さん風に)、こういう時は……う~ん難しいですね。
*
お城を見た後、「神明社」にお参りをして御朱印を拝受し、武家屋敷を見て、白石温麺を食べて……白石城まで行く途中で気になった、こんな感じのアーケード商店街を歩いてみました。車とかオートバイとかで来たわけじゃないので、まあのんびりしたものです。
ひとまずアーケードのあるところを端から端まで歩き、そのほかに街灯がある商店街を少し歩いたのですが、
「花巻に似てるな」
そんな風に感じました。岩手県花巻市も白石市と同じように、南部の殿さまの家臣「北信愛(きた・のぶちか)」の居城・花巻城があって、城下町として発展した歴史があります。花巻城の方は城代が管理していたので白石城と片倉氏ほど歴史的な重みはないのですが、今こうして街を歩いてみると、その雰囲気とか賑やかさとかが似ているように感じました。これは私も実際に歩いてみないとわからない空気感でした。
そんな白石市街で見かけたムーバーです。これは初めて見ました! 初期のジェット戦闘機がモデルでしょうか。別に白石名物というわけでは無いでしょうが……こういうのが好きなんですよね。良いと思います!
そんな感じで15時55分の下り普通列車に乗って帰仙。私なりの阿房列車の旅は無事終わりました。白石市で見てみたい・食べてみたいと思っていたことを実行し、その上さらにプラスアルファして雰囲気を感じ取って……良い旅でした。
私は「一応」ADHDでASDなんですが、それを取り扱ったドキュメンタリーやそういう人物を主人公に据えたドラマなどを見ると共感というよりも「なんか違うなあ」と感じてしまいます。この障害に軽重の差があるのかどうか知りませんが、私は何とか今の会社で仕事を続けられるくらいですから、「そんなものかね」と思ってしまうのです。
もちろん私だって生き延びるために必死で外向きの自分を作り上げたうえでの現在があると思っています。あとはその都度周りの人に助けられてきたってことかな。特に仙台に来てからは、本当にたくさんの出会いがあり……今では「ASD? ADHD? だから何」って感じになってきました。
「どっちでもよくない」「私は私」
そういうことなんです。
もはやこの先、誰が生きても死んでも世界がどうなったとしても、私は私の人生を全うします。男性として女性として……。
*
そんな私の最近の仕事には、新人へのOJT業務もポツポツ入るようになってきました。座学研修を終えて現場に入ってきた新人たちの横について、時に自分の仕事をモニタリングしてもらったり、逆に新人の仕事を見守ったり……そんな感じでコミュニケーションを取りながら仕事を覚えてもらい、一人前のスタッフとしてデビューさせるお手伝いをする……なかなかやりがいのある仕事です。
男女を問わず講師としてつく機会はありますが、いずれにしても20代そこそこの若い人たちばかりです。また前職もさまざまで、元々同じような仕事をしていた人もいれば「今までこういうのやったことないんです……」という人もいます。それによって習熟の度合いも違うし、話好きだったりそうでもなかったり……性格も違います。
ただ、いずれにしても目的地は一緒ですからね。相手の性格に合わせて何とかコミュニケーションを図り、とにかく一人前になるようお手伝いをする……。
……そういうことを毎月のようにやっているうちに、だんだん先述したような「ASD? ADHD? だから何」って境地になってきたということです。私がそんなこと言ってる場合じゃないよね、って。そういう時に立ち上がる気力がわいてくるのは、やはり男性心理なんです。男塾スピリットなんです。
そうやって空元気でも何でも動いていれば、亀の甲より年の劫、伊達に42年(今年で43年)も生き延びてきたわけじゃありません。「発達障がいは一生もの」と医師も見放した私ですが、それをごまかしやり過ごすテクニックはたくさんあります。それは今の会社に来てよりいっそう磨きがかかりました。そして叔母の帰天を機に「外向きの自分」と「内側の自分」が和解。内向的感情型の私でも、最低限より少し上のコミュニケーションを若い女の子たちともとることができるようになってきました(やっぱり緊張しますけど!)。
今日は休日で、色々とリアルタイムに思いついたことを書いてきたので、大分ごちゃごちゃしてしまいましたが、今日も私は可愛い格好をしてお出かけします。いぎなり雪が降っていて、移動が大変そうですが、今月唯一の連休なので遠出します。
2月2日は私にとって久々の「アートまつり」な一日でした。アートとはちょっと違うところも含めて、同じ日に行きたいところを思いきり回ってきたので、まずは大まかな流れを書きます。
1.宮城野区榴岡のパン屋さん「あさひるぱん」
2.榴岡天満宮でレース模様が可愛いお守りを購入。鯛と記念撮影。
3.仙台FORUSで亀井桃さんの個展「ぷりずむ」を見た。古本屋で本を買ったら特別なクリアファイル(ノベルティ)をもらった
4.TURN AROUNDで「私の推し活」展を見た、前日におひろめになったばかりの門眞妙さんの図録を購入
5.仙台緑彩館で昼食。フォレッピがまだ生きていた!
6.SARPで展覧会2連発。この会場で美大の学生の女の子から「お洋服が可愛いですね」と言ってもらってキャー! と嬉しい悲鳴。昨日はメイド服を着た「男の娘」がいたらしい。隣の三人展でもお店の人から「可愛いですね」と言ってもらえた。
7.帰宅。写真を整理したら今日は180枚くらい撮影していた。
この日の総歩数は20147歩、歩いた距離は16キロくらいといえば、どれだけ私が歩きまくったかお分かりいただけるかと存じます。いずれも素晴らしいイベントで、特にも……ね。私のコーデを「可愛い」と女性に言っていただけたのは、とても嬉しいです。
それぞれのイベントについて個別に書くかどうかはまだ未定ですが、今回改めてアートに触れて思ったことは、
「私にできないことだからこそ、純粋にこれを受け入れられる」
ということです。美術に関しては中学を卒業した後全くご無沙汰なので、余計な理屈がわいてこない。技術的なことがわからない代わりに、私が「どう感じたか」を言語化する……それが私のアーティストに対するアンサーです。美術をやっている人が絵画や彫刻で自分の感情を表現するように、私は文章でこれを表現するんです。門外漢の気安さで、感じたことをそのまま書く。河合隼雄さんのマネですが、これがなかなか楽しいのです。
アートを見て感情を揺さぶられることは、私にとって「生きること」と同じ意味のことです。だから私はアートに心が救われたといいます。そしてこれからもアートをたくさん食べて、心を健やかに保ちたいです。
おとといのこととなりますが、人生で一番かもしれないレベルで嬉しいことがありました。
何かって言うと、私の服装を、
「可愛い」
と言ってくださった女性がいたのです! しかも2人!
これは嬉しかったですね~本当に嬉しいです! 女性が見て可愛いって言ってくれるということは、本当に可愛いってことなのでしょう。それも知り合いとかではなく(そもそも知り合いの前ではこういう格好はしないですが)、パッと見てそういうふうに思っていただけたということは、完全に客観的な第一印象として可愛く見えたのでしょう。
そういうふうに見てもらいたくてシューラルーやセカストで可愛い服を買いまくり、自分なりにコーデを考えて着て歩いているので……自分のことを認めてもらえたような気がして……一番難しい、自分の気持ちだけではどうにもならない「客観的な感想」を対面で言ってもらえて……SNSで10万いいねもらうより嬉しいです(もらったことないですけど)。顔の見えない10万いいねよりも向かい合っての「可愛いですね」の方が私にとっては遥かに重いのです。
本当もう、私は男性でも女性でも、どっちでもいいです。女性として見てくれたのならこれ以上の喜びはありませんが、「男の娘」が可愛い服を着ている……と見られてもいいです。ノンバイナリーですから、そのあたりのことは見た人が決めてくれればいいです。ただ私は可愛いと言ってもらえると、飛び上がるくらい嬉しいです。私の中の女性らしさ……私自身の人格を肯定してもらえた気がして……とても嬉しいのです。
周りから見えなくても、確かに私の心には「女性らしさ」があります。女性として見てもらえることに自己肯定感を強く感じるメカニズムがあります。それをハッキリと確認しました。その一方で完全に男性であることを否定することはできません。だからトランスジェンダーにはなれない……私がノンバイナリーを名乗る理由はそこにあります。
こんな私のことを受け入れてもらうためには、青森じゃあダメだったでしょう。盛岡でもまだ足りないかもしれません。
やはり仙台です。仙台に来なければ……男女の分け隔てなく可愛いものを可愛いと受け入れてくれる文化があるこの街でなければ……こうして自分の心を解放することはできなかったでしょう。
私は仙台に来るべくしてきたのです。そして多くの人と出逢い、体験をし、最後は勇気を出して踏み出して……そして、受け入れてもらえたのです……。
この日の体験は私にとって一生忘れられない……忘れてはならない、忘れたくない……そんな出来事でした。これから先どんなことがあっても、この日の体験を思い出せば生きていけそうな気がします。
生きていて良かった。生きていればこそ、そう思える。だから私はこれからも生きていきます。本当に、本当にありがとうございましたあ!!
節分にちなみ、鬼の話をしようと思います。
節分と言えば「鬼は外、福は内」ですが、北上鬼剣舞や秋田のなまはげなど、東北人としては、鬼は怖いもののあまり追い出したい存在ではありません。確かに西国の方では大江山の酒呑童子を始め人をさらって食べてしまう極悪非道の鬼たちがおり、それを朝廷の威光を背負った英雄が対峙するという話がありますが……そもそも東北の民そのものが鬼扱い(蝦夷)されていたっていう歴史もあるからかな。
そもそも地獄の鬼だって役人の一種のようなもので、現世で罪を犯した我々衆生に対して、「お前は現世でこれこれの罪を犯したから、今こんな目に遭っているんだぞ」と叱りつけながら責め苦を味わわせているのですから、そう、恐ろしいけど悪い存在ではないはずなのです。地獄でなぜ悪い。それは星野源だ。
って、ここまで書いて去年Twitter(現:X)で「昔の岩手の民話で、一人暮らしのお爺さんが寂しさのあまり『鬼は内!』って言いながら豆を撒いたら方々で追い出された鬼たちが集結し、大いに盛り上がったという話があります」って書いたのを思い出しました。出典はこちらです。
鬼の館だより第2号|北上市 鬼の館
まあこの話はいわゆる「民話」なので、岩手に限らず山形とか何とかって別な土地にもあるようですが、私も独り暮らしだし、鬼は内! と言って豆を撒いたら楽しい夜を過ごせるかもしれません。ただ、鬼の皆様には酒肴など一人一品ずつ持参していただけるとありがたいのですが。あ、でも民話のお爺さんも独り暮らしだから、別に何か用意していたわけじゃないだろうし、いいのかな。
*
ここからは、今回この記事を書くために検索して見つけたものです。
鬼の正体とは? 特徴や種類、仏教の獄卒をわかりやすく解説|日本仏教学院
だからつまりアレですね、鬼って言っても平安時代からいた正体不明の幽鬼みたいなのと、仏教由来の獄卒とは違うんですよ。疫病とかあまり好ましくないものを祓うために鬼は外って言うんです。我が国は何でもかんでも自分たちのいいように取り込んでしまう「沼」ですからね。初詣とお盆とクリスマスを同様に受け入れてしまう国民ですから、それでいいのでしょう。なんていうと「良くない!」と各方面から袋叩きにされそうですが。
*
まあ仏教的な意味合いで突き詰めれば違うということは理解できますが、最初に書いたように東北人、特に岩手県民である私は、鬼というものに対して排斥されるべき存在というよりは敬われ崇められる存在、つまり「鬼神」というイメージをもっています。これはとても土俗的、民俗的なイメージです。そういう風土で育ったんだからそういう集団的無意識が私の中にはあるんです。あとゲーム『女神転生』の影響もあるのかな。
とりあえず私もささやかながら豆を買ってきて、それを撒いてみようかと思います。掛け声は「福は内、鬼も内」かな。ちなみに私の記憶では、落花生を撒いていた気がします。床に落ちても殻をむけば綺麗な状態で食べられるからです。漫画とかでは大豆を撒いているのは知っていましたが、この方が衛生的で合理的な気がします。でもきっと、またマジョリティの人たちからは「そうなの?」と珍奇なものを見る目で見られるんだろうなあ。
いいんです私はアテルイの民ですから。安部貞任とか奥州藤原氏とか奥羽越列藩同盟とか、何かと中央政府に歯向かって生きてきた土地の民ですから。だからといって別に加藤保憲のようになる予定はありませんが。その蝦夷を征討した坂上田村麻呂が建てた多賀城創建1300年記念は素直におめでたいと思います。
昨日の仙台宮城は「風の都」の名にたがわぬ強風暴風(文字通り警報級)が吹き荒れ……今朝は風はそれほどでないものの、平年並みの寒さです。寒くて寒くて「布団から出たくない」と思ったのはずいぶんと久しぶりでした。今日は休みなので、心行くまで布団に入って外が明るくなってきて「そろそろ出るか」と言って出たのですが。それでも7時ちょっとすぎには起床したのですが。
朝起きて、まずすることは、自分の髪の毛を撫でることです。
「朝起きて、髪が伸びてたらいいなあ」
そんな急に伸びるものじゃないことはわかっています(それはそれでメンテナンスに困ります)。一応恥ずかしながらWebで髪型を画像検索、ホットペッパービューティーなるものを見て、自分が目指す「中性的な髪型」……それは会社の若い人たち(男女問わず)の髪型も参考にしながら組み立てたものですが……どうやらそれが「マッシュウルフ」というものらしいので、そんな感じになるまで髪を伸ばそうと思います。
随分長いこと、「私なんかが、髪型にこだわったって……」と言ってシンプルな髪型にしていたのですが、生き方レベルで新しいチャレンジをしているのだから、髪型も遠慮しません。ちょうど世界的に有名な整髪料「LUX」のホームページでも、髪型を自由にしようというキャンペーンが行われています。
私の髪は、私が決める。 #BeHairself
今はこんなでも、できる限りのことをして……限りある命を精いっぱい生きたいと思います。
今日から2月ですね。
今年の元旦に起こった能登半島地震から1か月。停電も一部の立ち入り困難地域を除けばおおむね解消されたと昨日のニュースで見ました。ここからが長く大変な道のりだと思いますが、ともかくこうして少しずつでも前に進めれば良いのではないでしょうか。
写真はアリオ仙台泉と同じく昨日1月31日で閉店となった青葉通の商業施設「エデン」です。私が仙台に来た時にはすでにあったので、過去の歴史はあまり詳しく知らないのですが、元々はホテルがあった場所みたいですね。それが飲食店中心のエリアになって……って、元々期間限定の暫定的な施設だったのですか。
参照記事:
仙台ホテル跡地の商業施設「EDEN」が2024年1月でテナント契約終了、再開発に向けて始動?2023年12月<仙台.話題の現場@仙台風景写真館>さんより
まあ本格的な再開発までのピンチヒッターだとすれば、役目は十分に果たしたのではないでしょうか。一度も利用したことがないので寂しいとか残念だとか言えた義理ではないのですが、青葉通は仙台市内の中でも一番好きなエリアであり……何よりも仙台駅西口の真正面、我らが伊達政宗公のおわす仙台城跡へ至る玄関口であると認識しております。反対側のさくら野百貨店が巨大な墓標の如く立ちすくんでいる今、エデンまで廃墟になってしまったら相当切ないなと思います。
あえてテナント契約を終了したということは、再開発へのめどが立ったと私はいい方に想像します。私もこの点については見守っていきたいと思います。
本日2024年1月31日をもって閉店する「アリオ仙台泉店」に行ってきました。私が行ったのは30日のことなんですけどね。
この日のコーデは「SHOO・LA・RUEさんにアリガトウ」という思いを込めて、すべて同店で購入したものでやってみました。アウターは、プレイボーイのダウンジャンパーだったんですが、ともかくこれで最後の突撃を敢行してきました。
この日のフロアは他の業者がそれぞれスペースを占有し、その売り場の担当者がアメ横の如く声をあげて売り出していました。まあ商業施設は少しでも盛り上がっている方がよろしいですからね。ただ私はこういう雰囲気を想像していなかったので意外でした。そして多くの人たちが行き交い異様な熱気を帯びていました。
中にはこういう謎めいたフェアなんかもありました。恐らく他の業者、すなわち実際にモノを卸している業者が直売しているんでしょうね。「ここの商品はここのレジで精算して下さい」という注意書きがそこかしこにあったので。どうせ全部片づけてしまわなくちゃいけないので、イトーヨーカドー本体の在庫は少なければ少ない方が良いですからね。合理的だと思います。
ナムコ直系のゲームセンターとかロフトとかもこの有様です。4階の書店については別途記事を書く予定があるのでここでは割愛しますが、やはりこれが現実です。そんな閑散としたフロアの手すりにもたれた二人の社員と思しき人たちが、
「せっかく〇〇さん、売り上げ頑張って伸ばしてきたのに、こんなことになっちゃって……」
と話しているのが聞こえてきて、「そうだよね、それが本音だよね」「誰よりも無念なのは実際に働いている社員の人たちだよね」と想像し切なくなりました。センチメンタルなんですよ私の。
そんなこんなで5階から1階までフロアを一通り見て回り、最後にSHOO・LA・RUEさんでブラウスとスカートを各1枚購入。地階のフードコートで昼食をして後にしました。アディオス!
買い物をした時に頂いた最後の記念品です。中身は懐炉でした。結局私は最後の2か月くらいしか利用しませんでしたが、ここで買った1枚のスカートが私に勇気を与えてくれました。そして私の女性らしさ……私の心そのものが伸びやかに成長し、女性として生活することに安らぎを感じるほどになりました。大事なことなので、記録として残すことにします。
アリオにアリガトウ。
喜びは今も胸に――。
今日は休みだからいいものの朝の3時に目が覚めて、それから2時間以上ずっと布団の中にいたものの全然眠れなくて……結局こんな時間にブログを書いています。まあこのところ私のノンバイナリーな告白とか、結構ハードコアなことばかり書いていたので、今日は時事ネタを絡めた軽めの話題をしていこうと思います。ちょっと休憩しましょうよ。
ちなみに、最近、背景を変えてみました。いつまでもみすみんサンの力を借りっぱなしというわけにはいきませんからね。私も不羈独立、アンデパンダン精神で動き出さなければなりません。そういうわけで私自身のパーソナルマーク? にしました。なかなかダークネスで気に入っています。
最近の仙台は……たまに真冬らしい寒さになることもありますが、おおむね3月並みの気温です。道路にも特に雪はなく、過ごしやすいことこの上ないです。風が強いので体感温度は結構低めですが、それにしたって道が歩きやすいことは何よりです。
一方で、仙台市の郡市長が新型コロナに感染したというニュースを聞き、「やはりマスクは外せないな……」と改めて感じました。5類移行後も私は個人の判断で積極的にマスクを着けるようにしています。特に休日など、女性として街に出る日は食事時以外ず~っとマスクを着けています。
これが私がつけているマスクです。私はお化粧をしない代わりにこれを着用し、結構フレームの輪郭がはっきりした眼鏡をかけています。さらに帽子をかぶって可愛らしい服を着ると、まあ何とか女性らしく見えないこともないかな……っていう程度の雰囲気になります。髪型もつとめて中性的になれるよう頑張っていますしね。
最近は本当に、女性として生きることが自然に感じられるようになってきました。もちろん繰り返し言うように私は自分がどこまでも男性であることを捨てきれない……この世界で生きていくうえで男性として振る舞わないといけない場面では躊躇なく男性として振る舞うことのできる中途半端な心の持ち主なのですが……それでもスカートを履いている時の私は女性です。信じてもらえなくても結構ですが、そういうものなのです。
おや、また私のノンバイナリーの話になってしまいましたね。仕方がありません。こうして部屋でブログを書いている今も女性として書いているのですから。まだまだ言語化して表現したいことがあります。生きているうちにしか出来ないことをする。生きているうちにしか書けないから書く。そういうことです。
どんな形であれ、今の私は生きる方向へ歩いて行きたいです。
「生きていても仕方がないから死のうと思った」
「死のうとしてる」
「もう自殺するしかないのか」
過去にSNSや本で読んだ言葉が今も私の心にうずいています。私自身も心が弱っている時は、今でも、そんな風につぶやくことがあります。死が送ってくるサインに呼応することがあります。しかし、その点については前に引用したユルスナールの言葉で説明がつきます。
……人間には二つの種類があるようだ。すなわち、より良くより自由に生きるために、死をその頭のなかから追っ払ってしまう人間と、逆に肉体の感覚や外部世界の偶然を通して、死が自分に送ってくれる合図の一つ一つに死を感じれば感じるほど、ますます自分が懸命に強く生きているということを自覚する人間である。この二つの種類の人間は混り合わない。前者が病的偏執と呼ぶものは、後者にとっては英雄的な訓練なのである。どちらをお選びになるかは読者の御自由である。
(M・ユルスナール「三島由紀夫あるいは空虚のヴィジョン」141ページ3行-8行)
たぶん私は後者です。同じく後者だったであろう三島由紀夫さんは最期に割腹して果てましたが、私は当分そういうこともなく……生きられるだけ生きてみます。医者も見放したADHDでASDでノンバイナリーな私ですが、こうして懸命に生きていることを発信することで、ひょっとしたら……誰かが元気になってくれるかもしれないから……。
あれ、全然箸休めにならなかったですねスミマセン。まあいいや。今日もそんな感じで頑張って行こうと思います。
私のように「一応男性として生きることを受け入れてはいるけれど、可能な限り女性として生きてみたい」と思っている人類はこの世にいるのだろうか……いなければいないでいい、私一人でも生きていく……そんな悲壮な覚悟で「CVトランスジェンダー」などという言葉を急造してごまかしていたのですが、「ノンバイナリー nonbinary」という言葉があり、また「ジェンダーフルード gender fluid」という言葉があることを知りました。そこで慌てて過去に書いた「CVトランスジェンダー」という破綻した言葉を修正しまくりました(まだそれほど多くなかったので良かったです)……そうか……すでに海の向こうの外つ国、メリケン国ではそのような考え方が1980年代から起こっていたのですね……。
参考:ノンバイナリーとは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD(※)
改めて申し上げます。私は出生時に「男性」と割り当てられて42年あまり生きてきました。一方で去年1年色んなことがあって私の中にある内なる異性(アニマ)が急成長。自分の部屋にいる時は当然として、休みの日でもスカートを履き女性らしい格好で外出することがデフォルトになってきました。
私は男性として社会通念上求められる秩序の中で生活することを受け入れています。同時に私は女性として生きてみたいと願っています。男性か女性か。そういった二元論で分かつことのできないアナログハートな生活を送っているのです。
一昔前であれば「女装趣味」「変態」と言われたでしょう(今でもそうかな)。好奇と偏見の眼に晒されることが怖くて……私もつとめて「自分が男性である」と認識しようと努力して、これまで生きてきましたが、今は違います。世の中の流れとしてもLGBTやらジェンダーレスやら、性の在り方の多様性を尊重しようとするような雰囲気になってきたので……私も40過ぎてようやく自分の性自認を堂々と世の中にアピールすることができるようになりました。
それでも、やっぱり「トランスジェンダー」の人たちとは違うよね……と思っていました。いや実際に私は自分の中の「内なる異性」が周りの同性よりも強いことは自覚していましたが、実際にトランスジェンダーとして生きている皆さんのことを知ると、私は違う……だから声を上げることすら許されない……認められない、意味の分からない、「生存させて置いてはならない」(by永井荷風)人類なのか……と思っていました。
でも、そうじゃなかったんです。既にこういう考え方は存在しており、そういう考え方を持つ人たちも多くいるんです。相変わらず珍しいものには好奇と偏見の目で見て嘲笑しないと受け入れられない保守的な考え方に凝り固まったわが国ではともかく、メリケン国ではそうじゃないみたいなのでね。だからといって別に私の生き方に変化はないのですが、事実問題としてそういうものなんだなということは理解しました。
ノンバイナリー! 何と素敵な言葉でしょう!
まあ「そういう言葉があること」は理解できましたが、私はアメリカ人のように何でも合理的に割り切れるような心を持っていませんし、無理に自分を定義しようとするのも、結局「男性か女性か」の既存の枠に当てはめようとするのと同じく、心に負担が生ずることになります。
ノンバイナリーというのならそれで良いし、そうじゃなくても別に良いです。男らしくとか女らしくとかにこだわらず自分の心の向くままに……これからもゆるやかに気持ちを組み立てていきます。こうして自分が「女性として生きたい」ということを告白するまで何年もかかったのだし、今更急ぐこともないでしょう。とりあえず今の段階では「私の心はノンバイナリー」ということにしておきます。
また少し世界が広がりました。そういうことです。
モリーオ「ノウサギ」じゃないです。「モリーオの兎」です。
この日は白づくめの可愛いコーデで故郷の盛岡を歩き、271枚(精査後)もの写真を撮りまくったのですが、それらを時系列に眺めていると、チラホラ兎をモチーフにした看板の写真があるな、と気づきました。
去年は兎年で、年末には矢川澄子さんの『兎とよばれた女』などを読むなど「もしかすると私は兎が好きなのかもしれない」と思い始めていた頃だったので、今日はそういうテーマで書きます。ロングコートダディもそれなりに好きですけど、そっちの兎じゃないのでご承知おきください(誰も聞いていない)。
それではラビット、スタートです!
昨日書いた記事に出てきた「平興商店」さんの通りにあるアンティークなおもちゃ屋さん「うさぎ屋」さんです。こちらは旧店舗です。あいにくこの日は日曜ということで店休日だったのですが……今から20年くらい前に来たことがあります。その頃はまだ自分の中のアニマをきちんと認識していなかったのですが、いぎなり可愛いオルゴール内蔵の少女人形に一目ぼれして、これをお迎えしたことがあります。
今にして思えば、その人形の可愛らしさに恋をしたというのは表面的なもので、既にノンバイナリーとしての資質はあったのでしょう……その人形も今はいずこか……壊して捨てちゃったような気もしますが……思い出は今も胸に……ファンファンファンファ~ン(回想から帰ってくる時の効果音)。
こうしてきちんと兎の看板を見てみると、リアルさと可愛さがちょうどいい分量で混ざり合って、とっても好きな感じです。一度、お店が開いている時にまた来てみたい……可能であればその時は、私がその人形のように可愛らしい格好をして……。
盛岡市本町通にある「カメラのキクヤ」さんです(公式ホームページ)。昔は市内に2~3店舗あったような気がしましたが、今はこちらの1店舗だけでしょうかね。それでもフィルムカメラからデジタルまできちんと対応してくれる老舗です。ちょっと高級感があって、私は入ったことがありませんが、この兎は大好きです。
♪「いい写真、いいカメラ、カメラのキクヤ」
私が小さい頃はテレビCMとかもやっていて……ちょうどこの絵がアニメで動き、テーマソングが流れるというものだったのですが……あるいは私の兎好きのルーツかもしれません。「昔こんなアニメのCMがあったよねえ」なんて言いながらお店に近づいたら、この兎の家族がいてキャー! と嬉しい悲鳴を上げ(ただし心の中で)、写真を撮っちゃった次第です。慌てていて少々バランスが悪くなってしまいましたが、そう、とにかく嬉しかったのです。「まだ生きてた!」と。いや大変失礼いたしました……。今度は私の愛機とともにお伺いしたいと思います。
本町通にあるカフェ「SB50」です。SBとはSecret Baseの略で、昔は小さなパン屋さんの2階にありました。実はその頃、時々通っていたことがありました。
その頃は中央通りの会社に勤めていて、借りていた駐車場が三ツ石神社の方にあり、この通りを歩いていたのですが……人ひとり通れるくらいの階段があり、その入り口のところに小さく「SB50」と書いている。どうやらカフェらしい。ちょっと寄ってみようか。そんな感じで立ち寄り……文字通り隠れ家的な雰囲気が好きで、時々通っていました。1階のパン屋さんからパンを取り寄せて食べることもできたみたいです。
それから、職場が変わり、今となっては住む場所も変わり……去年の夏に再び訪れたところ、こうして新店舗として生まれ変わっており、立ち寄ってコーヒー一杯で2時間近く話し込んだ次第です。誤解なきように付け加えておきますが、とにかく話好きのマスターで……なかなか席を立つタイミングがつかめなくて、結果的にそうなっちゃったという次第です。
「できそうな時にやる」
そんなスタンスでやっているお店らしいので、今日来て見て休みだったとしてもそれほど残念ではありませんが(昔も去年来た時も男性としての来店だったし)、ここもまたいつか来てみたいです。今度いつ盛岡に来られるかわかりませんが。
……なお、こちらのお店の看板に兎があることには、今回初めて気づきました。
*
……そんなわけで、まさか「盛岡にいる兎」というテーマで記事を一本書けるとは思いませんでした。むやみやたらに写真を撮るのも、悪いものじゃないですね。テヘッ!
でも本当に、こういう何気ない日常の景色をひとつひとつ丁寧に撮影し、仙台に帰ってきた後も自分の記憶とすり合わせ、さらにこうして言葉にしてまとめるという作業は、本当に私にとって大切なことであると実感しました。仙台も1月にアリオ仙台泉が閉店するし、青葉通のエデンも閉店するし、3月にはフォーラスが長期休業に入ります。
今しか見えないもの、今しか見られないもの。そんな景色を少しでも……私にできる範囲で……残していくのが私のしたいこと、するべきことなのかな。そんな風に思いました。
盛岡も仙台も、現在進行形で、大好きです。
こんにちは。鳴瀬桜華です。
髪を切ってきました。
「それがどうした」という向きもあろうかと思いますが、駆け出しCVトランスジェンダーノンバイナリーの私にとっては大変な勇気を必要とし……それだけに大きな一歩を踏み出した……それほど重大な出来事でした。
本来このブログでは、わざわざ書き手が名乗って書くことをしないのですが、今日は特に「CVトランスジェンダーノンバイナリー・鳴瀬桜華」として、そのことについて書きたいと思います。
*
男性として生きることに疑問を持たなかった時代は、髪を切るというのは「必要に迫られて行う」ものでした。一回ごとに発生するコストを考えると可能な限り頻度が少ない方が良い。だから一度に結構な短さまで刈り込みます。
さらにその注文の方法もアバウトで、「短めに……」「ワイシャツの襟にかからないように……」「自然な感じで……」とかって程度で、あとは基本的に店員さんのセンスにゆだねます。どんな髪型にされようと「はい、こんな感じで大丈夫です」と言って出てきます。正直(着るものがそうであるように)最低限の清潔感さえあれば、自分の見た目なんかどうでもいいと思っていたのです。
CVトランスジェンダーノンバイナリーとして、外を出歩く時も女性の格好をするようになってからは、あまり髪を短くするのもなあ……と思って何となく伸ばしていたのですが、何せ上から下まで短く刈り込んでいるのが伸び放題になったのでだんだんボサボサになってきちゃったんですよね……こないだ実家に帰った時も母親からそれを指摘されたし……。
将来的に髪を(ある程度)きれいに伸ばすためには、襟足の方をカットして調整しなければならないだろう! ということはWeb上でも情報を集めて確信したところなので、今回勇気を出して! ちゃんと女性の格好をして! 行って来たんです!
最近は女性らしい格好をして出かけることも抵抗がなくなってきたのですが、それは「周りの人は誰も私のことなんか気にしないだろう」という安心感があるからです。ただ今回は近い距離でコートを脱ぎ、自分の女性らしい格好を見てもらうわけですから、結構ドキドキしました……偏見や好奇の眼にさらされるとしても『在りたい私』でいる覚悟はありますが、やっぱり……ね。
とはいえ髪型は、自分でどうすることもできません。大体どんな髪型になりたいかというイメージさえ出来上がっていない私が頼れるのは、もはや理美容師の方たちしかいません。本当は美容室の方に行こうかと思いましたが、すぐに入れるのが理容室の方だったのでそちらに座り、観念してすべてを自白する容疑者のように、正直に自分の心を打ち明けました。
「伸ばしたいと思っているので、上の方は切らなくていいです。
下の方とかがボサボサにならないよう、切りそろえるような感じでお願いします」
そして、それを聞き入れてくれた女性の店員さんによって襟足を切りそろえ、カットの数倍の時間をかけてブローしてもらい、極度のくせ毛である私の髪をセットしてもらいました。
「伸ばすためには、上の方を髪を伸ばさなくちゃね。下の方とは伸びる速さが違うからね」
確かにWeb上でもそのような記事がありました。それは知識としては得ていましたが、そういうふうに声掛けをしてくれたのが嬉しくて、ちょっと大げさにお礼を言って帰ってきました。伸ばし途中なのでほとんど髪型は変わりませんが、ただ、伸ばし放題のボサボサ感は確実に変わりました。
懲役300年みたいな写真の撮り方をしてみました。まあ……途中経過としては、こんな感じですね。
今回、私のお願いや気持ちをきちんと伝えたので、次回も同じ理容室に行きます。そして少しずつ、整えながら理想の髪型をさがしてみたいと思います。またよろしくお願いいたします!
*
実は結構な薄毛に悩んでいて、男性として生きるのであれば「無くなっても仕方がない」とあきらめていたし、女性として生きる時はウィッグを付けるのもアリかな、とも思っていました。実際(コスプレ・演劇用の)ウィッグは持っているのですが、明らかに雰囲気が浮いちゃうんですよね。これは本当の私じゃない! って感じがして。いやそれは金髪とか明るいブルーとか、ちょっと特殊なカラーだからなんですが、せっかくCVトランスジェンダーノンバイナリーとして生きるのであれば「地毛&ノーメイク」じゃなきゃいけないかな! と思ったので、時間と手間をかけて髪を育てることにしました。とりあえず基本的なケアとして、きちんと髪を生やすことから始めます。そして天より授かったこの肉体をもって、ノンバイナリーとして生きてみたいと思います。
ええ、私の『在りたい私』は、この肉体で生活する世界にて実現してみせます。できるかどうかわかりませんが、ここまで来るのさえ1年近くかかったわけですからね。さらに時間をかけて少しずつ、手の届く範囲で変えていきたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。
鳴瀬桜華でした。
こちらは盛岡市内の鉈屋町というところにある『和田酒店』です(2015年閉店 - 参照:イワテライフ日記さん)。ここも含めて鉈屋町の酒屋さんには角打ち……すなわち酒屋さんの一角にイートインスペースを設けてちょっと一杯ひっかける文化がありました。私の曽祖父がしょっちゅうここで飲んでいて、母が小さいころそれを迎えに何度も行った……という話を何度も聞いたことがあります。曽祖父は私が生まれる前に帰天しているので、すべては想像の世界なのですが、そう考えると私の母は盛岡の下町に生まれ育ったのだなあと今更思いました。それが紫波の田舎から出てきた親父と結婚しちゃったばかりに……いや、まあそうでなければ私もこの世にいないんですが……。
ただ、昨日の「モサモサ」に引き続き盛岡言葉の話になるんですが、角打ちなんて言葉は今回この記事を書くためWebで下調べをしている時に知りました。盛岡では「もっきり」と言います。これは絶対に譲れません。誰が何と言おうと「もっきり」です。角打ちなんて格好つけたみたいな言葉じゃ全然ピンと来ません。
今日はそんな、盛岡の「もっきり文化」にかこつけた自分的な盛岡散歩日記を書きます。別に民俗学とか文化論とかをぶつわけでもないので気軽にお読みください。吉田類の酒場放浪記みたいな記事でもありません(どっちも閉店しちゃってたし)。
1.もうひとつの「もっきり」老舗・平興商店
先ほどの鉈屋町から少し歩いたところ、もう少し街の中心に近い下町である紺屋町の「平興商店」です。こちらは昨年12月に閉店したそうです(参照記事)。
まもなく建物は解体されて跡形もなくなってしまうでしょうが、私が通りがかった時はこのような張り紙がありました。確かに昔テレビで紹介されているのを見た記憶がありますが、全国の酒飲みたちの間でも有名だったみたいですね。まさに、多くの人たちに愛され続けたお店だったのでしょう。それでもこのような張り紙を見ると、少し淋しさがまぎれます。私はずっと盛岡を離れて暮らしていたので、このような変化を知らずに過ごしていましたが……そういえば向かい側にあった盛岡の老舗酒蔵『菊の司』も消失しているし……。
と、ここまで書いたところで、思い出したことがありました。
「そういえば、鉈屋町にも『岩手川』という酒蔵があったけど、それもなくなっちゃったなあ」
なるほどそういうことか。思いついたことをこれから書きます。
2.そこに水があるから、そして、そこに酒があるから
平興酒店の方は向かいにあった酒蔵「菊の司」の創業者の親戚筋にあたるそうなので、まあ関連会社みたいなものなのかもしれませんが、鉈屋町にはこの他にも「もっきり」が飲める酒屋さんがあります。
良い水を使って良い酒を作る。酒を作ったらすぐに売れるよう近くに店ができる。そして酒を買ったらすぐに飲めるよう「もっきり」という文化が生まれる。そんなことなのかもしれませんね。
ただ、それだけではなくて、城下で酒造りをしていた街だったからこその文化であり、それを愛する人たちが守り続けていたのから、今日までその雰囲気を残しているのでしょう。
岩手川は2006年に倒産、菊の司は市外に工場を移し、お店は閉店……時代の流れゆえ無くなるのは仕方がないけれど、せめてそれと知ったことを私なりに記録として残しておきたい……と思って書きました。
きっとここも、新しい何か(マンションとか)が建つのでしょう。仙台もそうですし。それはそれで新しい盛岡、生まれ変わり続けている街の証左です。最後に2024年1月20日現在の「この場所」を記録として残しておきます。次に行った時はどうなっているのか楽しみにしておきます。
もっきり物語 おわり
追記:
その前にイワテライフ日記さんとか、最近お気に入り登録させていただいた「愛LOVEもりおか~徒然日記~」さんとかで見られれば、それはそれでいいのですが。