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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
(本日はアニマとか、そういう心理学的な言葉を使いますが、私は全くの素人です。河合隼雄先生ふうに言う「門外漢の気安さ」で思ったことを書かせて頂きますご了承ください)



私は肉体的には男性です。社会的に男性と生きることを受け入れ、これまでずっとそうしてきました。一方で心の中にはある程度女性らしさがあり、最近はそういう自分も隠さずにある程度表現しながら生活しているところはあります。全く個人的な話ではありますが、私は自分の心のバランスを取るために、そのような生き方をしています。
 (私は性同一性障害や性別違和などLGBTの問題で苦しみ生きづらさを感じている方たちを理解し、ともに生きていきたいと本気で考えている人間です)

 その上であえて正直に申し上げます。私の中の女性らしさとは男性心理が産み出した理想の女性像、いわゆる「アニマ」であると考えています。私は結局どこまでも男性原理に基づいた発想から始まる人間なんです。

 もっとも、男性にアニマがあるように女性にはアニムスという男性像があるので、そういう発想からスタートするのは自然なことであると思います。そこからスタートしつつ対話と相互理解によってお互いが生きづらさを感じることなく「在りたい私」で生きられる世界というのが、どんどん安っぽく使われている多様性の社会であると思います。

 身近にそういう人がいれば良いでしょう。また直接やり取りが出来なければSNSなどの交流でも良いでしょう。自分を助け、同時に他の人も助ける――そのためにも、私とあなたと私たちをつなぐメディアが必要なんです。


 いきなり大きな話をしてしまいましたが、今日は私のアニマに関するお話しです。

 叔母の葬儀の時に、個人的には強烈な気づきがありました。葬儀というのは本来悲しむべきものであり、実際に叔母の急逝は大変に悲しいし悔しいものがありますが、一方でその「気づき」は、私のアニマを理解し受け入れるための大きな助けになりました。

 北は岩手から南は静岡まで、遠くから仙台に親類が集まった……とは言いますが「家族葬」ってやつですからね。近親者(一番遠くても姪とその父親=義理の兄弟?)だけ集まってせいぜい10人程度の小規模なものです。それでも普段あまり会うことのない従姉妹たちと顔を合わせられたのは大変良い機会でした。

 上の方、従姉は二人いて、それぞれ私と8つ、また5つ上です。一方下の方は今年30歳だから……12個下ですね。本当はこの下の方にも、もうひとり従妹がいるのですが、そちらは今は網走で家庭を持っており、今回は来られませんでした。まあそれでも「あんまり会えない人たちだから」といって写真を撮ってもらったりしました。確かに、次にいつ会えるかわからないし。今の私を見てもらえたのは良かったかな。

 私の直系の兄弟は文字通り「兄と弟」であって、一番身近な血縁の女の子がその従姉妹たちなので……正直いまだに若干照れくさく、あまり自分から話を切り出すことはできなかったのですが、一緒にいられるだけで気持ちがときめきました。血縁者という設定があるから、一般的な女性に対する感情とは少し違いますが……ともかくね。


 そんな感じで話をしていたのですが、特に上の方の従姉たちについて、

 「もしかすると私は、この二人から無意識レベルで影響を受けていたのかもしれないな」

 と思いました。

 二人は性格がまるっきり正反対です。長姉はとにかく思ったことを何でもズケズケと言うような一族きっての図々しい性格なのですが(だがそれがいい)、次姉はめったに話しません。私もあまり話しかけない性格なので、長姉を通じて意志を感じ取っていました。非常に、とてつもなくおとなしい性格なんです。

 そんな二人と向き合った私。長姉が時々投げつけて来るパスを受け止めて投げ返すという完全に受け身の会話だったのですが、そのなかで思ったのが先ほどの「無意識レベルでの影響」……つまり、

 「私のアニマだ」

 そんな風に思ったのです。文字通りのシスター・アニマの原像が、この二人の性格をそのまま映しだしたものであると思ったのです。


 このシスター・アニマという言葉は、私の創作ではありません。河合隼雄先生の本で読んだ言葉です。以下、思い切り引用します。



 あるいは、内的に考えると男性にとってのシスター・アニマというものが、いかにアニマの導き手になっているかを示すものとも考えられる。男性のアニマ像ははじめ母親像をベースとしてつくられ、次に姉のイメージが強くなる。つまり、母親から分離するのだが、すぐに異性の他人に接するのは困難なので、姉がその中間役をするわけである。血のつながっていない年上の女性に対して、恋人としてよりむしろ姉のイメージをもったりするのもこの類である。……
(新潮社 「とりかへばや、男と女」 227ページ 第六章 物語の構造)



 心当たりはたくさんあります。小学1年生の頃、運動会で蝶結びが出来ない私に代わって鉢巻を結んでくれた6年生のお姉さん、部活で一緒になって色々と遊んでくれた先輩……同年齢や年下よりも年上の異性に強く惹かれた私の心のなかには、まさにシスター・アニマの原像があり、そういうイメージから恋人への進化をしようとしていたのでしょう。そして悲しきかな、どうやら私の心の発達は、このあたりで遅れて停滞していたのかもしれないな……と感じました。

 ただし、今の職場では年下の女の子(=後輩)と接する機会が激増しています。毎月のように新入社員が入り、先輩としてOJTなどをしなければならないので、発達障害がある私も頑張っています。そういう経験をすることで、私のアニマもゆるやかに成長し、従姉たちと以前よりも対等に近い気分で接することができるようになったのかな、と思います。話下手は内向的感情型の気質によるものだから仕方ないとして、自分の中にあるシスター・アニマと手を携えて外部の女性に向き合えるようになった。すなわち心の成長です。


 もう年齢的には十分に成熟し肉体的には衰え始めている年齢でありますが、発達障がいのある私の心は同年齢の定型発達者と比べると、随分と立ち遅れているのでしょう。でも、生きているうちにこういうことに気づけて良かったと思います。

 今回はあれもこれもと盛り込んで、随分とっ散らかってしまいましたね……すみません。また同じようなテーマで書くことがあるかもしれないので、いったん筆をおくことにします。

 終わりで~す!(久々の三四郎小宮さん風シメ)

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村山早紀先生の『百貨の魔法』ではありませんが、帰天した叔母は生涯を百貨店の店員としてささげたような人物でした。昭和29年生まれの数え年70歳だったのですが、最後まで若々しく、肌つやの良い人でした。さすがに帰天直後は身体中に内出血だらけで無惨な状況だったらしいですが、それを綺麗に化粧してくれたのが「おくりびと」なんでしょうね。感謝です。

 盛岡に住んでいた頃は街の中心にある老舗百貨店「川徳」でず~っと働いていて……婦人服とか、そっちの方面だったので私が働いているところを見たことはないのですが、とにかく川徳一筋で主任クラスまで上り詰めたそうです。上り詰めたっていうか、自然とそうなったのかな。不肖の甥っ子は職を転々としてようやく落ち着いたというのに……素晴らしいです。

 その後、高齢(御年101歳!)の祖母とともに仙台に来てから、何をしているのか……って、もう働かなくてもいい歳なのに、どうやら仙台三越! で仕事をしていたようです。これは帰天した後に知った話だったのですが、せ、仙台三越!? と驚愕しました。仙台の老舗百貨店と言えば藤崎ですが、三越って言ったら、これまた一流デパートです。そんなところで仕事をしていたのか! と、接客業で心身がめちゃくちゃになった発達障がいの甥っ子は驚き、「やっぱりスゲーなあ」としみじみしちゃったのでした。

 そんな叔母ですが、実は……それほどたくさん話をした思い出はありません。生涯現役で一流百貨店の花形接客スタッフみたいな生き方をしていた叔母は非常に……今風に言えば「サバサバした」女性で、引っ込み思案で劣等感のカタマリみたいな私はあまり積極的に話すことができませんでした。むしろ仲が良かったのは伯母の娘……要するに私の従姉(8つ上と5つ上)みたいで、ずっと「お姉ちゃん」と呼んで親しんでいたみたいです。

 それでも私が仙台に引っ越して、こうして会える距離にいるのも縁だと思い、LINEでのやり取りなどをたくさんしました。実際に花見や、祖母のマイナンバーカードの写真を撮るという名目で住居に行きご飯を食べさせてもらったりもしました。そしてなかなか会わない代わりに、あちこち行って撮って来たゆるキャラとの自撮り写真を送り付けていたので、きっと最期に思い出したのは仙台弁こけしとかまかプゥ(東北電力のゆるキャラ)と一緒に写っている私の姿だったでしょう。

 弔辞の時もこれをネタにして話しました。というか、このブログで書いている内容は、ほぼ弔辞で読んだ内容です。当日の朝にいきなり指名されたから……ということもあるのですが、ろくに原稿なんて用意する時間もなく、ひたすら思いついたことをしゃべったという感じです。最後の方はこんな感じで締めくくりました。

 「……そんな写真が最後の思い出だろうから、あの世に行くまでの修行の間に思い出したら、まったくおかしなことをやってるなあ、って笑ってほしい。そして成仏して、時々こっちの世界を見たら、「相変わらずだな」って笑ってもらえるように、これからもそういう写真を撮るから」

 それが私の供養です。いよいよ葬儀屋のCMみたいになっちゃいますが、それでいいんじゃないですかね。個人のことを思い出して明るく笑う。それが一番いいと思います。私が帰天する時は、遺された人たちが悲しむのを見たくないし。

 うん……そうですね。改めて、こうして書いていると、思いました。

 つらいこと、たくさんありました。「もうヤダしにたい」と思ったことも、100回くらいあります(それ以上かも)。それでも色々なきっかけがあって、何とか引き戻されているんですが、改めてそう思いました。帰天でも成仏でもいいですが、幽明境を異にするというのは今肉体をもって生きている全人類に例外なく訪れるものであって……故人がこんなふうに思っているだろうな、といって笑うのは遺された人たちの権利であると思います。そこが天国なのか極楽浄土なのかわかりませんが、穏やかな気持ちで我々を見下ろし、時に「頑張ってるね」とか何とかって言ってくれればいいかなと思います。ま、天国の方が楽しすぎて私たちのことを忘れてくれてもいいのですが。

 こっちにいた頃は、最期は心筋梗塞で……心臓の外まで血が漏れ出して、循環器科の先生も外科の先生も打つ手がないって言っちゃうくらい無理して……そのまま天に召されちゃったけれど……いいよね。ずっと第一線で活躍してきたんだから……ようやく、長期休暇が取れたんだよ。もう、働かなくてもいいんだよ。だから、まあ……私はもうしばらく、こっちの世界で暮らしてるから、そっちで楽しくやっててね。

 また逢おうね。そのうち。

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(この記事は11月12日に書きました)

 叔母が帰天してから1週間が経ちました。今日は仏教的な言い方をすれば「初七日」です。

 この初七日というのは葬儀を終えた日からではなく、実際に帰天した日からカウントするそうです。その日も含めて七日間なので、11月6日から11月12日……これで一週間、初七日です。

 人間が仏になるまでは四十九日間の修行があり、一週間ごとに閻魔様の審査を受けるとか。そして七日ごとにこちらを振り返るらしいので、ちゃんと往生できるように供養をしなければならない……というお話しだったでしょうか。完全に修行を終えてしまえば、迷わず成仏となるのでしょうから、それまでは普段通りの生活をしつつもちゃんと気にかけてみようかと思います。天の国に至る道が四十九日もかかるとは、聖書には書いていなかった気がしますが。まあいいです。私も緩やかな自称クリスチャン(非洗礼)だし。とにかく今生きている人の気持ちが安らげばいいんです。縄文時代でさえ「とむらい」という文化があったみたいだし。集団的無意識に深く深~く受け継がれてきた感情を大事にしたいと思います。

 今回は岩手、および静岡からも親戚が集まり仙台にて葬儀を行ったのですが、葬儀告別さらに百か日法要まで全部まとめてやってしまいました。随分と合理的なお話しですが、まあ臨済宗の和尚さんがきちんと供養をしてくれたので、間違いはありません。それに和尚さんも、「法要はやったけれど初七日は来ます。四十九日は来ます。だから故人がちゃんと成仏できるように、みなさんもしっかり生きてください」ということをおっしゃっていたので、これで終わりではないんです。セレモニーは終わったけれど、心にずっと生き続ける。それでいいんです。

 ちなみに臨済宗というのは禅宗の流派で、浄土宗とかとは少々スタイルが違うみたいです。読経の時に叩く木魚の力の入り具合とかも激しいし、右手で木魚を叩きながら左手で時々鏧子(けいす)をゴーンと叩いたり、おりんを連続的にチーンチーンチーンと鳴らしたり、極めつけは「かーつっ!」と絶叫したり……実にエキサイティングです。ロックですねどうもね。

 って、莫迦なことを言ってはいけません。この喝は『引導』の喝です。中国の黄檗希運禅師が母を成仏させるために引導法語のち大喝さらに松明を放り投げた……そして川底に沈んでいた母は浮かび上がり、松明を頼りに無明の世界を渡り成仏したのです。実際に松明を模したオブジェを片手に大喝一閃! 祭壇に向けて力いっぱいそれをぶん投げた!……わけではありませんが、ともかくこれで叔母も心置きなく旅路に踏み出せることでしょう。


 なんだか随分と罰当たりなというか、そろそろ臨済宗関係の人から袋叩きにされそうなことばかり書いていますが、あっという間に荼毘に付され、遺骨を抱えて葬儀場に戻り、お別れの言葉を述べて……とイベントがギュギュっと凝縮されていて、こうして書き出さないと自分でも心の整理がつかないのです。そして、葬式の話なんて気持ちのいいものではないと思うので、精いっぱい明るく書いています。

 「生きるお葬式」なんていう某会館のフレーズはあまりピンと来ませんが、個人的には明るく楽しく送り出せたような気がします。あんまり湿っぽい思い出はなく、一方的ではあるものの、私は楽しい思い出を最後に送ったつもりです。その点については、また改めて書くとしましょう。ひとまず今日はこの辺で。

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さる11月8日、本を返しに行ったついでに、同じ建物(せんだいメディアテーク)で開催されていた美術展やら写真展やらを見てきました。このうち「現在(いま)展」について書きます。画像を削除してその分文字をたくさん書きます。
 手元の資料によると、「仙台美術研究所、美術専門カルチャーsenbiくらぶ受講生と講師による作品展です。現在(いま)の自分を製作の原点とし、技術や表現などの実力を越えて<現在(いま)の自分の表現>を目指し制作した作品の展示です。」との内容でした。

 アマチュアが主役となって大きな場所で展示をする……というのはアンデパンダン展のような感じですが、こちらはそれぞれの教室に通う人たちがしっかり技術を身につけたうえで出展しているので、安定感というか、油彩・水彩・デッサンなど皆さん同じ向きの作品が並びます。私は門外漢なので技術的な巧拙はわかりませんが、そういう人間だからこそ感じることがありました。

 絵のテーマとして仙台市の一風景を切り取って描いておられる方がいました。橋の上から見た景色とか、地下鉄駅の入り口とか、通りに面したお店とか。私にとってもごくごく見慣れた景色です。あえてスマホで写真を撮るようなこともせず、なんとな~く通り過ぎている景色です。改めてこうして見てみたところで新たな魅力に気が付いたとか、そう言うこともありません。

 気が付いたのは、そういった景色を「自分で描く」ことが良いんだなあ、ということでした。真っ白い画布に絵具で塗り付けていく行程を想像してみると……見たものや想像したものを自由に表現するのはどんなに楽しいんだろう、と。私が見ている「外の世界」にはない、心に思い描く「内の世界」を「外の世界」で表現するのはどんなに楽しいんだろう、と。

 絵が上手なのは才能なのか。それとも近づける努力をすれば少しは何とかなるのか。ただちに絵の修行に取り組むとか、そういうことではありませんが、また一歩野望に近づいた気がします。違います野望とかないです。ただ「自分は一生、上手な絵なんか描けっこない」と閉ざしていた扉が、天岩戸のごとく、ちょっぴりだけ開いた。そういうことです。

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叔母が帰天しました。69歳でした。

 私の母親は4姉妹の次女なのですが、「若い方から順番に帰天する」ということになりました。しばらく前に一番下の叔母が癌をわずらい、長い闘病生活の末こと切れになったのですが、今回は心筋梗塞で人事不省に陥り、そのまま、こと切れになりました。連絡をもらって、駆けつけた時にはすべてが終わっていたのです。

 去年――こちらも心臓を悪くして、今は入院している祖母と一緒に会ったのが最後になりましたが、それだって青森で仕事をしていたら、葬儀に駆けつけることさえかなわなかったかもしれません。一度でも会えたのは、良かったのかなと思います。


 葬儀場に安置されていた遺体は、血色の良い、自然な顔立ちでした。もちろんプロの人がそういうふうに仕上げてくれたからだと思います。病院で直後の叔母を見た母は、うっ血してあちこち赤くなっていたというので、上手に化粧を施してくれたのでしょう。「おくりびと」は見たことありませんが、前に沢内村(岩手県)のお寺に行って見たものを思い出しました。

 死ぬこととは、ただ肉体が機能を停止する以上のものがあるのです。それは人間の集団的無意識に連綿と紡がれてきたイメージであり、それゆえに宗教があるのだと思います。天に上るのか黄泉に下るのか、解釈は色々あると思いますが、いずれにしても最期にもう一度、綺麗な顔を見て思い出を定着させ見送るという儀式は、必要なことなのです。

 それでも「末期の水」を含ませたとき、唇が妙に固かったように感じました。死後硬直という小賢しい知識がバイアスになっていたかもしれませんが、やはり息をしていない、もう魂が帰天した後の身体なのかなって思いました。

 かなしみとか虚無感とか、あまりにも急すぎて、死亡診断書に書かれた事実以外のことが何もピンと来ていない状況ですが、これからいろいろと思うことがあるでしょう。感情家として簡単に切り捨てるわけにはいきません。丁寧に感情を拾って、それを自分のなかできちんと処理したいと思います。

  もう、誰にも「生きていてほしい」とか言いません。私が何を言ってもどう思ってもダメなんです。どうしようもないです。だから、かなしいけれど、もしも何かあったら「とうとうやったか……」と言って泣くことにします。


 追記:



 今回、葬儀のために黒いスーツをクリーニングに出したところ、胸ポケットに「ロザリオ」が入っていたことが発覚しました。以前東京に行った時、文京区のカテドラル内にあるお店で買ったもので、長いこと無くしたと思っていたのですが、このタイミングで出て来るとは……。

 「たといこの世から去ったとしても、かなしむことはないんだよ」

 イエス様がそうおっしゃっている気がしました。私は大丈夫です。

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これだけ長い年月ブログをやっていればさすがに何度か名前が出てきていますが『ルイス・キャロル詩集』を読み直しました。前回ちゃんと取り組んだのは28歳の頃ですが、こないだ実家から持ってきて今は手元にあります。全く個人的な話ではありますが、この機会に思い出を定着させたいので、少し詳しく書きます。でも今日は思い出をつらつらと書き連ねるだけにします。
 
 この本を買ったのは1998年8月のことです。当時、高校総合文化祭の全国大会に参加するため鳥取県米子市にいた私。一通りの用事が済み、わずかな自由時間に米子市内のアーケード街を歩いていて見つけた古本屋さんの、本棚の一番上にあったのを背伸びして買いました。ちなみに同時に買ったのは「ときめきメモリアル」のプライズでした。私は美樹原さんが大好きです。

 背伸びっていうのはここで二重の意味があります。この当時は『不思議の国』も『鏡の国』も読んだことがなく、ただルイス・キャロルという人が書いた本だと言うことはを知っているけど……と、そんな程度の17歳がいきなり詩集を手にする。装丁も豪華だし、ラノベとかじゃなくてこういう本を読んでいる自分って格好いいよね。なんてファッション的な気持ちもありました。結構な背伸びでした。

 正直に言って、最初は「夢中になって読んだ」とか、そういうレベルではありませんでした。あまり消化が良くないものを食べた感じがします。とにかく食べ切ったけれど、おなかの中がゴロゴロするような感じ。……もっとも私なりに良さを感じ取り、何よりも「もっと本気で取り組んでみたい!」と英文科への進学を決意する――そして25年経ったいま読み直して、ようやくキャロルそして訳者の高橋康也さんの技巧と玩味に気づいたのですからね。本当に消化に時間がかかったのでしょうね。だから私にとっては大切な本です。

  *

 今回読み直してようやく気が付いた「技巧と玩味」とは、アクロスティックについてです。

 アクロスティックと言うのは、最近の卑俗な言葉で言うと「縦読み」というやつですね。英語の国の詩は横書きですが、その1文字目を拾っていくと別な意味合いが浮かび上がってくるという言葉遊びです。キャロルがそれぞれ愛すべき少女たちに送った詩には、ALICEだったりISAだったり……その相手の名前が隠されていたんですね。

 そして、その英語詩を日本語に翻訳した高橋康也さんの詩も、「あ」「り」「す」とアクロスティックになっていたことに、25年経ってようやく気づいたのです! 「今頃気がついたのか!」と高橋康也さんも泉下で苦笑しておられると思いますが、ええ、そうなんです。当時はとにかく文字を追いかけて、ちょっぴりだけ雰囲気を味わうのが精一杯で、およそ文学的なアレコレまで気が回らなかったのです。

 キャロルを勉強したくて英文科に入って、卒論も「アリス」で書きましたが、正直なところ当時の私は力不足で、なんともひどい文章を書いてしまったと思います。その時のことを思い出したくなくて、遠ざけていた部分もあるのですが……うん、いずれ自分のためにも、今の私が読んで感じた「アリス」論を書きたいと思います。矢川澄子さんが翻訳した版を読んだうえで、その点については改めて書きたいと思います。今日はこのへんで。

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先日初めて行った古書店で購入したのは、矢川澄子『おにいちゃん――回想の澁澤龍彦』という本でした。

 私がちゃんと矢川澄子さんの文章を読んだのは、別冊幻想文学の澁澤龍彦スペシャルに載っていた『≪神話≫の日々』というエッセーで、その透徹した文体に心を打たれ、ちくま文庫のベストエッセイ集を買いました(とりあえず新刊で一番手に入りやすそうな、しかもヴォリュームもあるものだったので)。今回は2冊目の、矢川澄子さんの本です。

 正直なところ何をどう書いていったらいいのか、好きすぎてピントが合わず書きあぐねているところですが、まあこれはブログですからね。別に何か書評を書けと言われているわけじゃないし。書いているうちにまとまるかもしれないので、とりあえず書き出してみます。

 *

 先述したように、私にとっての矢川澄子さんというのは、まず『澁澤龍彥』という幻像を通しての存在でした。あえて幻像としたのは、どうも澁澤さんという人には――たぶん、私みたいに後の時代になってから知った人ほど、そうだと思うのですが――何だか謎めいた暗黒文学者みたいなイメージを持っていたのですね。その割に最初に読んだのが『玩物草紙』という非常に穏やかなエッセイ集だったのですが、とにかく実体がつかめない、浮世離れした人だったのだろうなというイメージをずっと持っていました。10代の頃に読んだから、おのずとそういうイメージも膨らむでしょう。当然のことだと思います。

 その後、別冊幻想文学とかユリイカとかを読み、少しずつ幻像が実像に近づいていったのですが、その澁澤龍彥という実像の一番そばにいた矢川澄子さんの語る澁澤さんは、他のどんな人が語る澁澤龍彥像よりもクリアに現れていました。私がかってに膨らませていたイリュージョンはたちまち雲散霧消し、ようやくはっきりとした景色が見えたのです。矢川澄子さんの文章はいつも冷静で精緻を極めるといった印象なので(きっとご本人もそのように努めて書いておられたのでしょうが)、私も余計な感情や考えが混じることなく、最後まで夢中で読んでしまいました。

 そして私が本を閉じた後に、まず感情として思ったことは、

 「やはり私は生まれついての男性なのだ」

 ということでした。

 正直に申し上げると、生まれながらの肉体的には男性でありそのことを受け入れ男性として社会生活を送っている私の心の中にも「女性らしさ」はあります。最近は以前ほど男性らしさにこだわらず、自分の中にあるその女性らしさ(=アニマ)を大切にし、意識の水面に引っ張り出して共生しているところもあるのですが、やはりアニマはアニマなのです。矢川澄子さんの文章を読んでいると、生まれながらの女性が女性らしさ……もっと言えば『少女らしさ』を保持しつつ、その感覚と観察眼と筆力で表現した男性たち――特に澁澤龍彥、稲垣足穂、三島由紀夫の御三方――のヴィジョンを見ると、私の個人的無意識はそれら男性に感応し、矢川澄子さんの感覚に対しては「そうだったのか……」と気づかされる。

 ……うん、たぶん、そう言うことだと思います。これまで矢川澄子さんの文章を好んで読み、なおかつ読むたびに「そうだったのか……」と気づかされ、女性でなければ絶対に分からない領域のことを感情ではなく理性で受け止める。感情が伴わない純粋な理の世界だから、まるで不純物がすべて蒸発し純化した結晶を観察するように、矢川澄子さんの文章を読んでいたのだと思います。

 *

 『おにいちゃん』の内容について戻ります。

 副題にある通り、初出の時代はバラバラですが、収録されているエッセーはすべて澁澤龍彦さん関連の内容となっています。
 
 「人並みの幸せを追い求めるのはやめようね」

 それが澁澤さんの口癖だったみたいで、何度もこの言葉が出てきます。

 読んでいると、どうも「夫婦」という感じじゃないんですよね。『伴侶』とか『パートナー』とか、そういう言葉が似合う感じで。なぜかといえばお二人とも文学をよくする方ですから、澁澤さんが書いた作品を浄書したり装丁を考えたり資料集めのお手伝いをしたり……と、文字通りの共同作業によって、多くの『澁澤龍彦』名義の本が出版されたからです。

 結婚し、子どもを産み、家庭をもって……というごくありふれた夫婦生活を営む代わりに、『夢の宇宙誌』などの名著がたくさん世に送り出されたわけですから、確かにこれは「人並みの幸せ」ではありません。本を読んでいると胸が詰まる思いがありますが、それでもきっと、矢川澄子さんも澁澤龍彦さんもそう言うのを望んでいたのだし、それが実現できたのだろう……と思います。本を読んでの感想だから、それでいいでしょう。

 なお、この『夢の宇宙誌』というのは三島由紀夫さんもたいそうお気に入りだったみたいで、私もそれならといって電子版を読んだのですが、どうやら矢川澄子さんにとっても「最良の日々の最上の達成」と言うくらい特別な一冊だったみたいです。そうなると、ただ中身を読めればいいやというものではなく、私もまた当時の単行本を読んでみたくなりました。

 *

 まったくとりとめのない話ばかりで恐縮ですが、ひとまずこの辺で筆をおきましょう。これからユリイカの矢川澄子特集も読みます。そうすれば、更に見識が広がって、私が感じたこともより言葉に変換しやすくなるでしょうからね。

 本当に、素敵な本を読みました。これもまた、手元に置いておきたくなる本なのです。

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 この記事を書いているのは霜降を少し過ぎた頃なのですが、風邪をひきました。

 「世情に疎く、時勢に昏く」を目標にSNSも節約し、mixiのトレンド的に配信されるニュースも見ないようにして、100年前の「最近の世の中」を書いた寺田寅彦の随筆などに夢中になる日々を送っているのに、こんなところだけ人並み世間並みなんだな……と悲しくなります。

 とはいえ、無理が効かなくなってきているのは事実です。心が元気でも元気じゃなくても肉体の健康は大切です。最近はあまり料理をせず適当な食事ばかりしていたのも要因の一つでしょう。そう思ってまた「一日分の野菜」とか書いているジュースを飲むことにしています。何もしないよりは遥かにマシでしょう。

 今日の仙台は最高気温22度とのこと。まずまずの温かさです。雨も降らなさそうだし。ちょっと具合がよくなったら、また街に出てそこで本を読むというのもいいかもしれません。うん、そういうことを考えていると気持ちが上向いてきたようです。

 *

 以前甍平四郎は毎日原稿を三枚書くので私も毎日書きますと宣言しこのブログも毎日書くようにしているのですが(ちょっと書くことが多すぎて順番待ちが発生していますが)、最初の頃と比べると少しずつ文章が良くなってきたな、という気がします。最初って、このブログを始めた2006年の頃と比べてもそうですし、本格的に復帰した時から数えたこの1か月の間でも……ね。

 10年くらい前、毎日コツコツと更新していた時期というのは、朝に書くようにしていました。朝起きて、顔を洗ってPCの前に座る。そして近々にあったこと、思ったことをとりとめなくつづる……そんな場所なので、別に文章の巧拙にこだわることなく伸び伸び書けばよいと思うのですが……。

 ……うん、そうですよね。この点が甍平四郎とか、あるいは雑誌に載せるエッセーを書いている職業文士と素人たる私の違いなんでしょうね。すなわち「巧拙にこだわらなくても良い」と思っちゃうか、そうでないかということです。

 随筆随想って言ったってある程度考えをまとめてから書くものなんです。それなのに私は、いま考えながらその時々の感情をリアルタイムに文章にしています。だから前に書いたことをまた繰り返したり、反対のことを言っていたり、何だったらこのひとつの文章のなかでさえ言っていることが支離滅裂になってたりします。長くなればなるほどその度合いはひどくなります。途中でほっぽり出されても文句は言えません。

 だからある意味、Xってのも良いのかもしれませんね。140文字しか入力できないから、必然的に短い言葉で確定し世の中に放出される。書くのも読むのも電光石火です。これはとても刺激的なものです。私もここ1年くらい本格的に使ってみてよ~くわかりました。

 無論、私と作者の間には編集者というプロ読者がいて、その人が推敲添削場合によってはタイトルまで変えちゃって広く世間に受け入れられるよう整えてから送り出されるのでしょうから、その完成度の高さもむべなるかな、でしょう。

 ……

 うん? 私は「文章は上手に書かなければならないか否か」という話をしようとしていたのだったかな? いや、そうではないです。自分で読み返していて、一生懸命書いているうちにちゃんとした文章が書けていたことに気づいた、という話をしようとしていたのです。

 ちゃんとした文章が書けるようになると、心持も変わってきます。最初は邪智暴虐の化身になりめちゃくちゃに書いてやろうと思って書きつけていたのですが、ともかくそうしていると「もっともっと自分のことを表現したい」という気になります。そのための私の武器は文章ですから、とにかく細かく丁寧に書いていくようになった……そういうことかもしれません。

 誰に読んでほしいというわけでもありませんが、こうして文章にまとめると、自分の心の中も整理できて、気持ちが落ち着きます。

 今年の夏ごろに「ちょっと文章の練習をしておこう」と思って読んだこちらの本の中でも、そういう意味合いのことが書かれていました。



 最初は「世の中に自分の抱えている不満をぶつけてやろう」と意気込んで、その為の武器を磨くべく三宅さんの文章教室に来た人が、ある程度修練を積むと「もう少し時間を置いてからにします」とか「よく考えてから書いてみます」などと心変わりするのだと言います。まったく、文章を読むとか書くとかというのは不思議な玩味があるのだと思います。

 なんて、丁寧に好き勝手なことを書いているうちにちょうどいい長さ(大体2000字程度)になったので、この辺でいったん締めくくることにしましょう。今日は寺田寅彦の随筆集の続きを読みつつ、穏やかに過ごしたいと思います。

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河北新報の夕刊に寺田寅彦の「科学者とあたま」という文章を引用して……というか、「寺田寅彦という人がこんなことを言っていた」という短い記事の枕詞になっていたのを読んで、青空文庫にある「科学者とあたま」という文章を読みました。エッセンスだけを検索して知った気になるのは危険だと思ったからです。それ以上に寺田寅彦さんは『帝都物語』にも出てきた人だし、すごく好きな人だったので、これを機会に文章を読んでみようと思ったのです。

 そうしたところ、この「科学者とあたま」という文章が大変に面白くて、もっと読みたい! と思ったために、榴岡図書館でちくま日本文学の文庫本を借りてきました。このシリーズはいいんですよね。稲垣足穂とか三島由紀夫とか、「とりあえずこの作家の雰囲気をつかんでみよう」という時にうってつけの本です。

 寺田寅彦という人は、まあとても有名なひとなので私なんかが何を言うかという話なんですが、これからそういう話をするので簡単に書きます。かの夏目漱石に英語を学び、東大で物理を学び、その後教授になります。一方で文筆を好み、この本に収録されているような多くの随筆を残した……というのが、本の表紙を開いたところにある略歴です。

 
 私の印象としては、とても怜悧でカッチリした文章だな、ということです。さすが物理学者だけあって、絵を描くにせよ草を刈るにせよ目に見えるものから入り科学的な感覚で輪郭線をとらえた後に細やかで温かい感情が添えられているので、読んでいてとても心地よいのです。

 「智に働けば角が立つ、情に棹差せば流される」とは師匠・夏目漱石の『草枕』ですが、何でもかんでも理屈で片づけられたのでは息苦しいし味気ないです。昨今は宇宙時代、コスパコスパに最近はタイパとかいう言葉も流行り、実利的な要素を短くまとめるのが美徳とされているようですが、土も草木も全部アスファルトで塗り固められた道路のようで気に入りません。だからといって私のように激濁流の感情的文章を押し付けられたら読みづらくて仕方がない。そこで寺田先生の美文に触れ、心に一陣の涼風が吹き抜けるような心地よさを感じたのでした。

 また心地よさだけでなく、100年後の令和21世紀を生きる私も共感し、安心する場面がありました。自分で書いた文章を読み返すと、他の人が見れば一目瞭然な誤字脱字にも気づきにくいものであるとか。

 特に「そうかな!」と感じたところについて思い切り引用します。



「一体に心の淋しい暗い人間は、人を恐れながら人を恋しがり、光を怖れながら光を慕う虫に似ている。自分の知った範囲内でも、人からは仙人のように思われる学者で思いがけない銀座の漫歩を楽しむ人が少なくないらしい。考えてみるとこの方が当たり前のような気がする。日常人事の交渉に草臥れ果てた人は、暇があったら、むしろ一刻でも人實を離れて、アルプスの尾根でも縦走するか、それとも山の湯に浸って少時の閑寂を味わいたくなるのが自然であろう。心が賑やかで一杯に充実している人には、せせこましくごみごみとした人いきれの銀座を歩くほど馬鹿らしくも不愉快なことはなく、広大な山川の風景を前に腹一杯の深呼吸をして自由に手足を伸ばしたくなるのが当り前である。」
(ちくま日本文学034 寺田寅彦 108ページ 4-13行 『銀座アルプス』より)


 わけても「人を恐れながら人を恋しがり」という一節に強い衝撃を受けました。それはここ1か月余り――あるいはずっと前から感じていたことだからです。何と矛盾した、おかしな性格なんだろう……とひどく悩んでいたのですが、

 「100年前から人類というのはこういうものなのだな」
 「だとすれば、そこまで悩むこともあるまい」

 ということで、直ちに雲散霧消……とはいかぬまでも、少なくとも暗闇から一歩を踏み出すことが出来そうな気がします。方向性が見えたというか。


 やはり何事も、興味を持ったら原典に当たるのが一番よろしい。パッパッと検索して解説している文章を読んで知った気になる……ましてやナニナニ知恵袋で聞いてすぐに答えを求めるようなことはなんという怠惰! なんという堕落! 先人の努力と経験によりようやく実を結んだ智慧の実を窃取する……なんてことは言いませんが、そんな人間はたとい知ったところですぐに忘れてしまうことでしょう。マタイ伝13章の「種まきのたとえ」で言えば、石だらけのところに蒔かれた種のようなものです。

 といっても原典が古文漢文英語ドイツ語フランス語ラテン語など著しく困難な場合もあろうかと思います。ただ『科学者とあたま』とか室生犀星とか太宰治とかは青空文庫で原典に当たることができるのだし。印象的な一節が一番いいのはわかりますが、その前後の文脈も含めて印象的な一節がいよいよ活きてくるのであって、名言ばかり詰め込んでも生悟りのインチキ坊主になるのがせいぜいでしょう。また躓いてしまうでしょう。もうそういう生き方はしたくありません。

 ……と言いつつ、きっとそういう生き方しかできないのであれば、これからもそうなるのでしょう。それは仕方のないことです。

 それでも! 少しでも抗い、ほんの1ミリでも良い方向に動けるのなら、その為の努力は惜しみません! 一時的な刺激に快感を覚え、それを忘れると次の快感を求めて這いまわる畜生のような私の生活が少しでも改善さることが期待できるなら……!

 というわけで、私はこれからもたくさん本を読みます。本も読むし美術にも触れるし疲れたら山川に出かけて自然に飛び込みます。そんな折々の場面で体験したことをできるだけ子細に感じ取り、それを認識して、文章にしてみます。それこそ感情家で認識者たる私ができる自己表現です。

 そうすることによって広く世間に自己表現をしている作家・芸術家の人たちに恩返しができるのなら、それが私が今この世に生を受けこんな拙文を書いている理由なのかな、という気がします。そして、私と同じような人がいるかもしれない……もしかしたらそんな人がこの文章を読んで、「そうだ!」「そうかな!」と膝を打ち、1ミリでも良い方向に動けるようになるかもしれない……そんな希望もあるので……。

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ある日のことでした。――具体的に日にちをよく覚えていないのですが、たぶん10月21日の土曜日とか、その辺りであったと思います。

 私が住んでいる宮城県の地方紙『河北新報』には、最近珍しくなった夕刊があります。珍しいので最初は駅売りのもの等を買って読んでいたのですが、門眞妙さんの個展など夕刊を切っ掛けに新しい文化的な気づきが何度もあったので、現在では夕刊だけを定期購読しています。だいぶん長い期間そういう生活をしているので、今日が休刊日なのかどうなのかも深く考えず、アパートの新聞受けに新聞が入っていれば「ああ、夕刊が来ているな」と言って持ち帰るのです。

 その日の新聞を手にした時「妙に分厚いな」と思いました。通常夕刊というのは朝刊に比べれば分量が少なく、手にした時はもうちょっと軽い感じだったのですが……もっとも、折り込みの広告が一緒に入っていたりして、それなりに分厚いこともないわけではなかったので、そういうものだろうと思って……例によって深く考えず、部屋に持ち帰りました。

 夕食の準備のために鍋を火にかけ、その様子を見ながら新聞を開いてみると、やはりいつもの夕刊とは違っていました。いつも読んでいるコラムがない。それで日付のところを見てみると、どうやらそれは夕刊ではなく朝刊であることに気づきました。「はて、何で夕刊しか申し込んでいない私のところに朝刊が来たのだろう」と思いましたが、

 「配達員の人が、間違って私のところに配達したのかな」
 「もしかしたら、何かあってお試し版を一部くれたのかも」

 などと有り得ない空想をめぐらせた挙句、

 「とにかく手元にある以上、私のものだ」

 といって、一通り読んでしまいました。

 「LGBT法案可決」「北別府学さん死去」……どうも既視感がありましたが、先ほどのように何でも都合よく解釈してしまうので、

 「世の中では私が知らない間に、このようなことが起こっていたのだなあ」

 と、何という考えもなく読んでいました。


 翌日、たまってきた古新聞を整理していると、その新聞の日付が「6月17日」であることに気づきました。配達されたのは10月21日ですから、何か月も前の古新聞です。ただ、それが全く当たり前のように新聞受けに入っていた……果たして誰が、何のために……?

 ……つって、何でもかんでも検索して答えを求めようとする宇宙時代の皆様は、ここからもっともらしい推測をいくつも巡らせるものでしょうが、私が最近読んだのは『遠野物語remix』と『遠野物語拾遺retold』です。これを読んだうえでの私の文章は、このように締めくくりたいと思います。

 だれが何のために、そんな古新聞を新聞受けに差し込んだのかはわからない。ただ、その後も佐藤は夕刊だけを定期購読している。夕刊以外には時々投げ込みの広告や瓦斯・水道の請求書などか入ってくるのみである。

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ここまであっちこっちまわってきたアンデパンダン展。その回想録についても思いのほか長くなってしまいましたが、これで終わりです。最後は私が初めて訪れた仙台市のギャラリー『ターンアラウンド』です(通称タナラン)。

 実は、前もってどこの会場で誰の作品が展示されるのかというのをリサーチしたうえで来ていた私。このタナランでは、ウラロジ仙台さんの『地下道3150』や竹駒神社の『夏詣』のイラストを描いている『亀井桃』さんが作品を展示しているということで、非常に楽しみにしておりました。



 ……前回の記事でも書きましたが、作品そのものは無審査で通るものの、どのギャラリーに配置するかは主催者側で選定し決めることですからね。やはり一定の安定感はあるように感じました。ちょっと変わった作品だとしても、ある程度の枠のなかでの「変わった」であって、文字通りのバーリトゥードな感じではないんです。

 ある一定の枠――または一定の方向性の上での「変わった」作品。本当に何が飛び出すかわからないっていう雰囲気は、タナランとかSARPとかといった仙台市中心部のギャラリーでは感じられませんでした。そういうものだから、そのうえで私も楽しむのだから、全く問題ないわけですが。むしろ、中本美術館で見たような、「ウムム……こ、これは……!?」と若干不安になるようなものがあってもアレだと思うので。あったらあったで面白がると思うんですが。



 平面の作品としては、このあたりが私の波長に合う作品でした。やっぱり前回のアンポンタンズ展で少し気持ちが前向きになったとはいえ、まだまだ暗い部分が残っていたので、そういう私の心にダークな(でも、綺麗な)雰囲気が共鳴したのでしょう。それは理性でわかっている範囲だったので、安心して楽しむことができました。

 ちょっとドキリとしたのは、一通りの展示を眺めた後でまたこの人形のところに戻ってきた時でした。一度目にサ……と眺めた後に戻ってくると、妙にこの人形が愛おしくなってしまったのです。得も言われぬ魅力を感じて、「いわゆる世間でストーカーと呼ばれる者たちの心境とは、このようなものではなかっただろうか」とギリギリのところで自分の感情を俯瞰するような視線を送ってしまったのです。



 他のお客の視線を気にしつつ、色んな方向から写真を撮ってみる。どうやったら、私が感じている彼女の魅力を一番引き出せる写真が撮れるのだろう。どこから撮ればいいんだろう。そうやっているうちに、ある一点を見つけ、ベスト写真を撮ることができました。

 

 「ここだったか!」

 電光に打たれたような衝撃を感じました。ちょうど彼女の視線と私の視線がぶつかり合い、彼女が放つエネルギーを真正面から受け止められるアングルとは、ここだったのです。かくしてこのアンデパンダン展最大のクライマックス、自分の被造物に恋してしまう名工ピュグマリオンのごとき人形への愛情が爆発してしまったのです。

 まあ、爆発したとはいえ、これはあくまで「鵜坂紅葉」さんの作品です。私がどうこうできるものではありませんし、そうすることでこの感動を自ら破壊してしまう勇気もありません。ただ満足できる一枚が撮影できた。私はそれでよいのです。この写真を大切にすることで、私のピュグマリオン・コンプレックス(by澁澤龍彦さん)は満たされるのですから……。

 その後、改めて亀井桃さんのイラストを見ました。そしてカウンターの方を眺めていて特に何という札もなくちょこんと置かれている女の子のイラストを見て「あ、門眞妙さんの絵がある」と思いつつ、まだ気持ちが復調していないために「これって門眞妙さんの絵ですよね?」と確信をもって問いかけることもできず無言でその場を後にしたのですが、これで私のアンデパンダン展は終わりです。このあとは青葉通を仙台駅方面にまっすぐ歩き、ウラロジ仙台さんの最大イベント「地下道3150」に突撃したわけですが……それはまた別なお話です。

 *

 最後に結論めいた話をするべきなのかもしれませんが、それは以前の記事で書いちゃったんですよね……。でも、いきなりこの記事にたどり着いた人もいるかもしれないので、自分で書いた記事を引用するという、インチキくさいことをしてしまいます。私が私の記事を引用して何が悪い! なんてねテヘッ!




 自由と独立の精神。誰にでも開かれた場。自分がいいと思ったものを自分の一等得意な方法で精いっぱい表現する。ジャンルも形式も違ったアレコレをいっぺんに見て私が感じたことをまとめているうちに、何かがはじけた気がします。

 私だって、思い切り大好きを表現してもいいはずなんです。誰に遠慮がいるものか。公序良俗に反するのはダメですけど、そうでないなら……ね。今の時代はコミュニケーションツールが発達して、バズるとか、たくさん「いいね」がつくような表現じゃないといけないような風潮がありますが、そんなことはないんです。むしろ流行るものは廃れるものでもあります。それよりも「消費されない」ものを……誰にも気づかれず褒められもしないけど、無くなりもしない、ずっと心に残り続けるものを……そういうものを食べて生きていきたいし、自分でも形にしていきたいなと思いました。




 まったく面白いイベントでありました。またアートに心を救われました。来年は私も何かしら出展してみようかしらん。そんな気持ちにさえなってしまう……そう、何よりも自由と独立の精神、どんな表現だって良いも悪いもないんだっていうことを体験的に教えられたというのが、一番大きな収穫でした。

 良いと思います!

(完)

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「せんだい21アンデパンダン展2023」仙台市中心部における会場は屋内が3か所と屋外が1か所。このうち2か所は11時オープンで1か所(商業ビル「仙台FORUS」の中にある)は10時オープンなので、とりあえず早い時間にオープンする仙台FORUS内「TURN ANOTHER ROUND」に行きました。

 『展示会場については実行委員会が決定し、後日「会場決定通知書」で連絡いたします。』

 公式ホームページの応募要項にそんな風に書いてありました。だからどれほど無審査で自由な展示会とはいっても「ある程度は」ギャラリーによって雰囲気のカラーリングがあったのでしょうね。というのは、この商業ビルの7階にある場所を見て思いました。

 結構、ちゃんとしてるんです。……というと語弊がありそうな気もしますが、1日目にまわったバーリトゥード感が薄くて。回を重ねるごとにルールが決まって選手の戦い方も洗練されていった総合格闘技の世界みたいに、うん、いわゆる美術展の形に収まっているんです。みんな綺麗なんですよ。――そう、とっても綺麗で清潔で、ちょっと高級な感じがするんです。チフリグリさんとか中本美術館で見たような手作り感がなくて、洗練されているんです。

 

 ロングで2枚ほど、会場の雰囲気を撮ってみましたが、こんな写真を撮りたくなるくらい整然としているんです。ちょっとエッジの利いた作品もありましたが、それさえこの「FORUSというオシャレな商業ビルの中にあるオシャレなギャラリー」の雰囲気を壊すものではありません。そういう雰囲気を一通り味わい、「よし、見たぞ!」と言って、次の会場に移動します。今度は仙台アーティストランプレイス(SARP)です。




 SARPのアンデパンダン展は、こちらは先ほどの「TURN ANOTHER ROUND」よりは幅が広い印象でしたね。抽象画あり、マンガっぽい可愛いキャラクタがあり、私の心の奥深いところまで突き刺さってくるような……要するに「波長が合う」作品が多くて、とても楽しかったです。先日書いたRimoさんの作品もこの会場にありましたしね。



 これはいいですね。説明文も合わせて読まないとわかってもらえないと思うので一緒に掲載しました。ハレとかケとか、いかにも日本的な光と闇の概念を可愛らしい絵柄で覆い隠しているものの、包帯ににじむ血のように染み出している雰囲気が、私の無意識に眠っている感情を突き動かします。



 これもまた強烈な印象を受けました。ただでさえ目というのは時によって相手を射すくめるような力があり、最近読了した『帝都物語』には目の力で超常現象を引き起こし相手を殺害する『邪視』の持ち主がいました。そのようなエネルギーが青い針金で顕在化していて、まさに「その場の空間を支配するかのような独特なプレッシャーを放つ」のです。



 これはちょっと変わった展示ですね。鑑賞者参加型と言いますか。かたわらには手のひらに収まるくらいのサイズにカットされた水流の写真がいくつもあって、私が好きなものを選んで好きな場所に貼り付ける……というものだそうです。そういうものかね、といって私も素直に写真を選び、貼り付けてみました。こう、製作者側から積極的に私の感情をコントロールされるのも面白いですね。おかげで、ざわざわしていた気持ちがだいぶん落ち着きました。



 本来の順番としては、先にこちらを見てアンポンタンズ展を見ました。そしてここで気持ちが前向きにスイッチしたところで、大手町にあるギャラリー ターンアラウンドに向かったのでした。






 なお、アンデパンダン展ではこのような屋外会場でも展示がありました。ここは……ねえ。もうバーリトゥードというか、ストリートファイトみたいな感じですよね。私も正直、「一応、やっているっていうから見てみるか」って感じで来たので、それほど強い印象はありません。この屋外会場とタナランが比較的近いので、ちょっと寄り道をしてからタナランに行きました。そして久々に「ドール」に入れ込んでしまったのでした。

 (つづく)

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アンデパンダン展、2日目(仙台市中心部編)の話の前に、同時開催された別な展覧会について触れたいと思います。

 その集団の名前は「アンポンタンズ」……なんか本気なのか冗談なのか、名前を聞いた段階ではわかりませんでした。ちなみに世田谷で活動しているバンドとは関係ありません多分。



 いわく「本展は仙台で同時期に開催されるアンデパンダン展2023の勝手に応援(便乗)企画です。」とのこと。でも会場は仙台市内の、それこそ昨日書いた「わたし、にしかみえない星」展も開催された仙台アーティストランプレイス(SARP)ですからね。片方でアンデパンダン展、もう片方でアンポンタンズ展……これはなかなか高度なレベルで混沌としている感じがします。

 ま、一応アンデパンダン展の方を見てから、シームレスに隣の展示会場に移動しました。たまたまギャラリーの方がいらっしゃったので、その人に少し声を掛けて、いざ見てみましょう……企画展の名前は「それって、意味あるんですか。展」とのことで……むむ……。

 何かにつけて意味があるから価値があり意味がないから価値がないと判断される昨今の情勢を鑑みてのテーマなのでしょうか。私はこの言葉が、あらゆる情熱を冷まし虚無に追いやる「トカトントン」と同じような意味合いの言葉だと思っていて、ひどく嫌いなんですが(私にそういうことを言ってくる人とは一生付き合いたくないレベル)、果たしてどんな「意味」を持ちだしてくるのか。ちょっと構えて見てみました。



 大体一周する前に、構えは解けました。別に私に意味(=絶対的な価値)を求めていじめるような人たちはなく、皆それぞれが自由に意味があるとかないとかあってもなくてもいいんじゃないとか、そういう感じで絵と一緒にコメントしていたので、すっかり安心しました。そして今度はそれぞれの作者のコメントがA4の紙に印刷されたものを手に、もう一周しました。

 特に尾勝健太さんのコメントが私にはすごく響きました。以下引用です。因みに作品のタイトルは「答えないといけないですか?」……これは今回のテーマに対するアンサーなのでしょうか。もう、この時点で結構喧嘩腰というか、企画そのものにも反発している感じですね。

 

正直昨今流行ったテーマの煽り文句が嫌いです。いや、、、簡単に乱用する人が嫌いなのかもしれません。
本質を問うための鋭い指摘ともとらえることはできますが、誰彼構わずその言葉を使うことで、無形の経験値を削ぐ怖ろしい言葉でもあると感じるからです。
おおらかな心で、細かいことを抜きにした経験値が余裕を生むと思いたいです。
 
 あと、いま読み返していて「そうかな!」と思ったのが、キヨさんのコメントです。また引用します。

意味と無意味は複雑で、主観と客観によっても違うし、時が経つにつれ変化することもありますね。なので、あまり意味に囚われず「直感と偶然」を重視して生きていきたいです。
 そして最後に鑑賞者に向けて問いかけられた言葉と、それに対する皆様のアンサー。



 絵を描くことって、意味があるんですか?

 今の時代にあっては、本当に恐ろしい問いかけです。でも、それに対して皆さんそれぞれあるとかないとか分りませんとか、自分の言葉でまっすぐに答えていらっしゃいました。そもそも絵を日常的に描いていない私まで何とか答えを引き出して書いて貼り付けてきました。その時にちょうどギャラリーの方とお話しする機会があったので、このアンポンタンズって何なんですか? ということを聞いてみました。

 それによると、毎年このアンデパンダン展に合わせてテーマを決めて作品を描くのだけれど、それに合わせたものを作る人がいれば全然関係なく自分の好きなものを作ってくる人もいるとか……全くもって自由な世界です。そもそもアンデパンダン展って言うのが、無審査で自由に出展できる催し物でありますが、こちらはさらに自由というか……でもみんな一定のカリテがあるからこそ、それが成立するんでしょうね。ノンセンスの物語は、実は卓越したセンスがないと書けないように。ルイス・キャロルとかね。

 *

 という感じで、アンポンタンズ2023「それって、意味あるんですか。展」は、ひょっとしたら本家アンデパンダン展よりもメッセージ的に強く響いたかもしれません。実際にテーマとそれに対する言葉があったからかもしれませんが。アンデパンダン展の方はあくまでも私の感情世界なので。……でも、事実として弱った心が元気になったきっかけは、アンポンタンズの皆さんのおかげです。ここで気持ちが切り替わって、徐々に動き出して、最終的にウラロジ仙台さんの「地下道3150」に参加することができたのですから。

 逆に言うと、この企画展を見なければ、1年間ずっと楽しみにしてきた地下道3150にも行けなかったかもしれません。「今の私なんか、行かない方がいいんだ」って泣きべその気持ちで立ち去っていた可能性があります。実際そのくらい心が不安定だったのです。

 この先もずっと、忘れません。すごく感謝してます。また来年、見に行きます!

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それは「わたし、にしかみえない星」という名前の企画展でした。これは『門眞妙』さんと『ペロンミ』さん、『ユ、六萠』さんらのグループ展ということでした。

 まず場所を探すところから始めて、大手町からどこをどう歩いたか……たぶん定禅寺通りまで来て、それから錦町に向かって歩いたのだと思いますが……ともかく1時間くらい歩いたのかな。途中でふらふらと寄り道しながら歩いたので、そのくらい時間が経っていました。

 これは1年前の記憶だけなので少々不確かですが、外側から「わたし、にしかみえない星」という企画展の大きな看板と一緒に何か絵を見た気がします。その時の印象を限りなくリアルに再現するとこんな感じです。

 「ほう……
  ……?……
  うん……まあ、見てみようかな」

 正直に申し上げると、この展示を見るまで『ドローイング』というものを見たことがなく、その存在さえ知らずに生きてきたので、ちょっと理解するのに時間がかかったのです。こう、展覧会に飾る絵って、鮮やかな彩色があるものばかりだと思っていたので。まあ、生まれて初めてドローイングというものを見た非美術畑の人はこういうふうに思うんだって、そのくらいの軽さで受け止めてください。

 中に入ります。

 

 いまならもっと積極的に写真を撮りまくっていたのですが、この時はまだちょっと遠慮があって、それほど写真を撮っていませんでした。それでも、ちゃんと象徴的な絵はおさえていたので、何とか格好はつくかな。

 

 これは一緒に会場にあった『ユ、六萠』さんの創作ノート(というのかな?)です。そっと中身を見させていただきましたが、その時に、私といま自分が見ている美術の世界をさえぎっていた透明な壁がパリンッ! と音を立てて崩れ落ち――見ている私もようやく門眞さんとペロンミさんとユ、六萠さんの世界に入り込めたような気がします。

 むしろ、見終わってから1日経ち、2日経ち……その時に感じたことを思い出し定着させようとするほどに、「ああ、あれは良かったなあ」という感情が押し寄せてきて、少しずつ波高が上昇していくようでした。今だったらもっと写真を撮ったのに! とか、もっとじっくり見てたくさんテキストに書き起こしたのに! とかという後悔が起こりました。まあ、これがその時の私のキャパシティ的な限界だったのでしょう。仕方がありません。よく頑張ったよ……。



 これはお知らせのはがきと、会場にあった『ユ、六萠』さんのテキストです。活字を食べて生きてきた人間なので、こういうのはしっかり読みます。門眞さんの、開催にあたってのテキストもじっくり読みました。ペロンミさんは……いいんですよ。逆にSNSで何のコメントもなくパン! と画像を見せられて、ウムム!? とうなるのがいいんです。ペロンミさんは問答無用なんです。なんかすごいこと言っちゃった。いや本当に皆さんの作品がとっても好きです。

 そして、今年の8月にお披露目された回顧本(?)『「わたし、にしかみえない星」の本』が発売され、それを購入して振り返ることができるようになったのは、私にとっては望外の喜びでした。一度は見えなくなってしまった星がまたきらめきだした! といって飛び上がるくらい嬉しかったのです。

 

 この時は春日町の古書店『マゼラン』さんでお披露目会と称して小さな展示会があったので、開催期間中に4度も通い、ここぞとばかりに写真を撮りまくりました。そしてコーヒーを頂き、森茉莉さんの『贅沢貧乏』を購入し、そしてそして! 新作を持ってきた門眞妙さんにご挨拶をさせて頂いたのでした!!! もうね、もう嬉しすぎて膝が震えるし声が震えるし号泣寸前だったんです。



 このように、本にサインもしていただきました。催し物としてのサイン会に並んだことはありますが、こうしてだしぬけにサインをお願いしたのはほかに一度しかありません。ただ、その時よりも心が近しく感じていたので、緊張の度合いは格段に上でした。私の宝物です。



 そしてこれは、マゼランさんで行われた「おひろめ会」に展示されていたユ、六萠さんの『天界へようこそ』という作品です。マゼランの店主の高熊さんにお願いしてユ、六萠さんに連絡を取ってもらい、譲ってもらって現在は私の部屋に飾ってあります。その上には門眞妙さんの新作があります。さらにその周りも、ここ1年でお迎えしたキャンバスがあるので、とてつもなく賑やかになってきました。

 *

 かくして現在に至ります。ずっと考えてきた「消費されないキャラクタ」とは何か。何かって、明確な形に残るようなものではないかもしれませんが、少なくともこの日に見た作品のキャラクタたちは1年近く経った現在でも生き続けています。

 その時に見たキャラクタ、読んだテキスト、小さなテレビの中に映し出された景色。


(2022年11月16日、タナラン『まあたらしい庭』にて)

 私にとってそれは、ただパッと見て「可愛い!」だけじゃ成立しないような気がします。もちろんアニメも漫画も大好きなので、「可愛い!」キャラクタは大好きです。広告の看板だろうと何だろうと写真を撮ったり右クリックで保存したりします。でもその印象以上の何かがないと、すぐに気持ちが薄れて、忘れてしまう――「消費」されてしまうような気がします。

 次から次へ矢継ぎ早に大量生産され世に出回り、ちょっとかじってすぐ捨てて次の新しいものに食いつくのが今の流行なのかもしれませんが……そしてそれは良いも悪いもない、「時流」とか「時勢」とかいう、私なんかが竿をさしてもすぐに流されてしまうようなものであると思うのですが……私はそういうの、ちょっとついていけないです。時流についていこうとしたら飲み込まれておぼれかけてギリギリのところで岸に流れ着いて、しばらくそこで動けなくなって、ようやく呼吸が少し楽になった。そういう感じの人類なので、消費されないキャラクタというのは私にとって必要不可欠というか、私が求めているものである気がします。

 ここで「わたし、にしかみえない星」展の会場にあった門眞さんのステートメントを引用させて頂きます。

現代において私たちは消費せずには生きてゆけない。各方面でその速度は早まっているように思う。”キャラクター”も同様に欲望を喚起し消費されることを宿命づけられている表象だが、一方で私たちに安心を与えてくれる、お守りのような存在でもある。ここにいる三名は、まずは自身のために制作を始める。その過程を踏まなければ、”キャラクター”へも、作ることそのものへも、そして鑑賞者へもアクセスできないことを知っているからだ。

わたしにしか見えない星が、あなたにも見えるかもしれない。
その事に希望を託して。

門眞妙
 
 これを自分の中に落とし込むためには1年近い時間が必要だったのかなと思います。言葉の上で理解したものの心の深いところまでしみ込むには、ある程度の時間と経験が必要でした。

 つまり、私はキャラクタが物凄い勢いで生産され、消費されていることを、知らなかったのです! あるいはそれを感じ取りつつも、まだ個人的無意識の闇にあって、そこから意識の此岸(しがん)に引っ張り出すことができなかったのです! だから激流にもまれ、足のつかない真っ暗な水の中で足をバタバタさせながら流され、溺れたのでしょう……。

 でも、この時の言葉をずっと大切に持ち続けていたから、何とか水面に顔をだし、岸にたどり着き、息を吹き返すことができたのでしょう。消費されないキャラクタ、誰にでも見えるものではないけど私には見える星があることを知っていて、それを追い求めていたから……。

 *

 仙台に来て、新生活を始めて、生き方レベルで変わったことはたくさんあります。色んな場所に行って、イベントにも行って、SNSで知り合って……それを何度か文章にしたことはあります。

 ただ、これまで門眞妙さんやペロンミさんやユ、六萠さんのことについては、まとまった形で話したり書いたりしたことがなかったので、この機会とばかりにまとめてみました。あれもこれもと盛り込んでいたら、なんだか分量ばかり多くて不格好で胃もたれしそうな爆盛り料理みたいになってしまいましたが、大好きを語る時はどうしたって一生懸命になっちゃうのでお許しください。

 曇っていたり、太陽がまぶしすぎたりして、しばしば見えなくなるけれど、そこに星があると信じられるから、私は生きていけそうです。たまにくじけそうになるけど、そんな時は時間をかけて元気になるまで待つことにします。



 また、こういう機会があることを信じています。

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この記事が公開されるのは11月3日……「文化の日」です。

 積みあがった記事が押されて押されてついに11月3日まで押し出されたわけですが、せっかくなので、この1年近く温め続けてきた(と同時に、なんだか形が見えなくて少々モヤモヤしていた)ものについて、まとめてみようかと思った次第です。

 何せ去年のこの時期というのは、ちょうどTwitterが面白くなってきた頃だったので、ブログの方はほとんど開店休業でした。そのため、結構いろんな体験をしているにもかかわらず、あんまり深い文章が無いんですよね。

 というわけで一生懸命思い出しながらの内容とはなりますが、できる限りのことをします。

 それは去年の11月に行った、ふたつの美術展のことです――。

 

 もう1年前の記事だし許していただきたいと思うのですが、去年の河北新報の夕刊でこの記事を見た時、

 「アニメっぽい」

 そう思いました。アニメっぽいというのはひどく漠然としているのですが、それは私が好きなアニメのキャラクタの要素がいくつも混在しているからです。ただ、それでも一番強く連想したのは、「ラブライブ 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」というアニメのキャラクタですね。その中のキャラクターー特に私が好きな、いわゆる「推しの子」――の髪の毛がピンク色だったので、何かそれっぽいな、と思ったのです。

 別にそれまでは好んでギャラリー通いなどするようなことはなかった……正直に言うと、私なんかが急にギャラリーに行ったら、ディレッタントな感じに思われるんじゃないかという、意味の分からない不安があって……そもそもこうして新聞にでも載らない限り、その開催のことも知らないまま生きていくことになったと思うのですが……ともかく心惹かれたのなら行ってみればいいか、ということで足を運びました。

 

 この時は一応「ハッシュタグ:タナランとつける」という条件の下で写真を撮ってSNSに公開してもいいという掲示があったので、遠慮がちに数枚の写真を撮りましたが、後ろ姿の女の子の絵が中心でしたね。



 おや、随分と可愛らしいテレビがあるぞ……と思って写真を撮りました。映像と音声による表現作品もありました。1年前のことですし、そもそも見る側の私も感覚が今ほど敏感ではなかったので、具体的にどのようなものだったかというと甚だ曖昧なんですが……じーっと見つめて耳を澄ませていると、徐々に今いる自分の景色がぼんやりしてきて、心地いい想像の世界に浸ることができたような感覚があります。



 「消費されない少女を表現したい。(直接的でなく)キャラクターを挟むことで被災地と向き合うことができると感じる」

 河北新報の記事でこのようにおっしゃっていた門眞さんの意図を念頭に置きながら見ました。正面を向いた女の子の絵もあり、それはとても可愛らしい絵柄で、割とわかりやすく心を打ったのですが、それでも強く印象に残ったのは後ろ向きの女の子たちでした。それはあまり見慣れない構図だったからだとは思います。例によってここでその意図とか効果とかを説明する知識がない私のきわめて感情的な――しかもそれは、ほぼ1年前に見た記憶とその時に撮影した写真をいま見直しての印象が入り混じった、非常に不確かで頼りない――印象となってしまいますが、ともかく言葉にして言います。

 後ろ向きの女の子の絵を見た時、なんか、安心感があるんですよね。一体感というか。それは視線を意識しなくてもいい(私の個人的な)心安さなのか、同じ景色を見ているという一体感なのか。その両方という気もしますが、ともかく事実として、視線も意識も彼女が見ている向こう側――海であるとか、防波堤であるとか、はたまた造成中の住宅地であるとか――に向けることができるんですよね。

 それが門眞さんの意図しているところなのか、そうでないのか――何分にも中学時代の美術の成績が「2」だったという強烈なコンプレックスが四半世紀が経過した今なお残り続ける身なので、まったく自信がないのですが、私はそのように感じました。いまデータが残っている作品の写真を見直していると、そう思いました。

 そしてそれ以来、門眞さんの絵が大好きになりました。

 これは後に、2017年に塩竃で開催された「あなたと海のあいま、通り過ぎてゆくすべて」の本も買って読んだ(見た)記憶も加味して、2023年10月現在の私が思うことなのですが、門眞さんの絵が好きな理由は、限りなく澄み切っている印象があるからです。言い換えれば、何かと感じやすくまた余計なことを考えやすい私に対して、そういう余計な思いをさせない心地よさ――それは先述した、視線を意識しなくてもいい心安さということに由来するのでしょうか――。

 だから私も自分なりに「消費されないキャラクタ」というものは何だろう? と考えながら生きてきた次第です。それに関しては、このあと行った門眞さんも参加しているグループ展の場でも突きつけられ、1年くらいずっと大切に心の中で温め続けたものでした。その結果どうなったのかというのは、次回の記事で書きます。仙台アーティストランプレイス(SARP)で開催されたグループ展「わたし、にしかみえない星」展について……そして、先月開催された関連イベントその他もろもろのお話です。

 *



 こちらの絵は今年の10月にタナランで開催されたアンデパンダン展に行った時、カフェスペースのカウンターの上にあるのを見つけて写真を撮ったものです。特に説明書きとかはなかったのですが、パッと見て「あ、門眞妙さんの絵だ」と思ったものの、万が一間違っていたら一生ファンと名乗る資格がないくらいの失態となるので、それを恐れて言い出せませんでした。

 後日お店の人に「これって誰の作品ですか?」という聞き方で問うたところ門眞さんの名前が出てきたので「そうだと思っていたんですが……」と後だしじゃんけんみたいな確認をしたので、堂々と掲載させて頂きます。別にクイズ番組とか当てっことかしているわけじゃないんだから、後出しも何もないとは思うんですけどね。

 ただ、何のヒントもなく絵だけを見て『門眞妙さんの絵』とわかるくらい、私の感性も生きてきているのだということが確認できました。そういうこともあって、このようなテキストを書かせて頂きました。

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ギャラリー越後さんについては、一度Rimoさんの個展の時に書いてしまいましたが、時系列的にはこちらが最初となります。アンデパンダン展の時に初めて行ったということですね。

 双葉ケ丘というのは住宅地です。正直、これまで訪れたことのないエリアであったため、完全にGoogle map頼みでどこをどう走ったものか……ともかく「目的地に到着しました」ということであたりを見回してみると……

 

 はい、これがそうです。付近に駐車場らしい駐車場が見つけられなかったので(車でご来場の方はご注意ください)、邪魔にならなさそうなところにオートバイを止め、「ここ……だよねえ?」と恐る恐るドアを開きました。そうしたところギャラリーのオーナーである『越後しの』さんに温かく迎え入れていただき、3か所目のアンデパンダン観覧が始まりました。

 チフリグリさんで心がときめき、中本美術館で心が若干ギスギスして、今度はどうなんだろう……と不安/高揚の入り混じった気分で入ると、まずはよく陽の入る窓にこれらの作品が展示されていました。せーのドン!



 さて、これらの中でも特に文字通り心に刺さったのが、一番手前のこれでした。倍率ドンさらに倍!



 まだXに復帰できないくらい心が痛んでいたので、まるで自分の心臓に錆びた釘を刺され、さらにそれをギギギギ……と引きずられているような感じがしました。まあ、見たままの内容なんですけど、本当にそのくらいの錯覚をしました。

 一方で、このようにわかりやすく可愛いイラストもあり、色々な意味で不安定だった心がホッと和みました。今まで変化球(または魔球)みたいなのばかりポンポン投げ込まれていたので、ここに来て直球が来て安心したのでしょう。これは素直に文句なしで良いと思います! だって可愛いですもの!



 あとは、写真作品で出展している人もいらっしゃいました。

 

 これはルワンダで撮影された子どもたちの写真ということです。そういう写真の原点としては、私はやはり澤田教一さんとか一ノ瀬泰造氏らが活躍したヴェトナム戦争時代の写真になるんですが、そういう私が見て思ったのは、

 「やっぱり、子どもの笑顔を撮るのが上手な人は素晴らしいなあ」

 ということでした。それは写真撮影の技術というよりは、上手に被写体をリラックスさせる雰囲気作りとか、そういうところになるのだと思います。それは『ライカでグッドバイ』とか『地雷を踏んだらサヨウナラ』とか、あとヴェトナム戦争関連の色んな本を読んだうえで私が想像しているスキルです。きっとそういう場所で生きている人が自然に身につけているであろうスキル。私にそういうのがなかったとしても「ま、仕方ないか」と納得できるような種類のスキル。……

 で、私はせいぜいこのギャラリー越後さんの雰囲気のいい出窓と合わせて、ちょっと「それっぽい」写真を撮ろうとして手持ちのスマホカメラでパチリとやり、出来栄えの無惨さに嗤いながらちょっと泣いてみるのが精一杯なのです。これでいい、これで……だって、私にも素敵な写真を見て「素敵だな」って感じる素直な心がまだ残っているのですから……。

 なんて、ちょっとセンチメンタルな振りをしましたが、スミマセン泣いてはいません。でも、良いものを良いと認め、それを受け入れて楽しむことができるようになったのは事実です。何も私まで無理して輝かなくてもいいんだって。下手でも何でも写真が好きなら撮ればいいし、それをみんなに見せたかったら見せればいいんです。私にはそういう自由があるはずです。アマチュアの自由な精神。まさにアンデパンダン。

 ……そうか、そういうことか!

 この記事が公開されるのは11月2日ですから、翌3日は「文化の日」です。なので最後にちょっとだけ、それを意識して、ちょっと結論めいたことを書いてみようと思います。

 自由と独立の精神。誰にでも開かれた場。自分がいいと思ったものを自分の一等得意な方法で精いっぱい表現する。ジャンルも形式も違ったアレコレをいっぺんに見て私が感じたことをまとめているうちに、何かがはじけた気がします。

 私だって、思い切り大好きを表現してもいいはずなんです。誰に遠慮がいるものか。公序良俗に反するのはダメですけど、そうでないなら……ね。今の時代はコミュニケーションツールが発達して、バズるとか、たくさん「いいね」がつくような表現じゃないといけないような風潮がありますが、そんなことはないんです。むしろ流行るものは廃れるものでもあります。それよりも「消費されない」ものを……誰にも気づかれず褒められもしないけど、無くなりもしない、ずっと心に残り続けるものを……そういうものを食べて生きていきたいし、自分でも形にしていきたいなと思いました。

 この「消費されない」という言葉については、また別な機会に書きます。あとアンデパンダン展の話は、まだ続きます。これはまだ1日目のことなので。2日目の話はまた明日。

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11月になりました。秋深し、隣は何をする人ぞ。これを書いているのはまだ10月21日なんですけどね。

 前回の続きです。ギャラリーチフリグリさんでお話を伺いながら色々と見て回り、次に訪れた「中本誠司現代美術館」は、青葉区の住宅街の中にあります。地理的なものはGoogle Mapを使わないとだめでしたが、近づいてみるとすぐにわかりました。



 私はこの美術館に冠せられた作家のことをよく知りません。今回はアンデパンダン展のために来ました。特に運営の人がいるわけでもなく、詳しい説明もなかったので、次の機会があるまでこの中本誠司という人のことについては触れずに置きます。展示作品だけ見て帰って来たので、私の感想によるところがすべてです。

 

 ここもなかなかバラエティに富んでいました。幼稚園だったか保育園だったか……子どもたちが真っ白なTシャツに思い思いの絵の具で彩ったシャツの歓迎を受けて館内に入ると、こちらも平面と立体それぞれの作品が展示されていました。まずは、ざっと写真をあげてみます。



 ……どうですか。

 改めて写真を見返しつつ、ギャラリーを見た時のことを思い出すと、チフリグリさんの明るく楽しい雰囲気と逆に、冷たくて暗い雰囲気がしました。ただ、どちらも平面と立体、小さな子どもから大人まで、カオスなほどにバラエティに富んでいるのは事実です。

 違いといえば、気持ちが明るくウキウキしてくるチフリグリさんと違い、こちらの展示物はどうも私にプレッシャーを与えて来るんですよね。なんか、目に見えない透明な板をもって私の心と体を押しつぶそうとするような圧力。それが、絵に込められた力だと思うので、心地よくはありませんが素晴らしいと思います。見ても何にも感じられない……具体的に何がそうだとは言いませんが……代物よりはずっといいです。

 いや、本当に不思議な感じなんですよね。心地よくはないけど、それはそれで何か、心のなかのセンサーを刺激しているから。「この感情は何だろう?」というのが気になって、ますます絵の世界に入り込んでいく。これはなかなか面白い体験です。

 ある意味、対決ですね。絵(あるいはその作者)と私との、心のぶつかり合い。私の心の中に、これをどう落とし込んでやろうかと挑戦的な気分になってしまいます。というとなんか喧嘩腰みたいになっちゃうなあ。違うんですよね、そうじゃなくて……ううん……。

 あるいは、怖いものを見た時の感動に近いのかなあ。普段、あまり身近でないものを見てびっくりして、ちょっと怖がったりして。お化け屋敷に行ってキャー! って言って、怖い思いをして、でも終わった後なぜか「楽しかった!」ってなるような。うん、そういうのが、一等近い感覚かもしれません。

 あと、4枚目のさんまのあたまについては、作者の意図とは違った写真の撮り方をしています。本来はこのような形で1セットとなります。手前の段ボール箱は豆腐であり、「醤油をかけたくなるもの」というのがコンセプトだそうです(後で展示リストと製作者のコメントを読んで気づきました)。ただ、私がパッと見た時の印象を伝えるため、あえてあのような構図の写真を先に掲載しました。



 一方で、下記のような冷静かつ優しい作品もありました。写真の撮影順に並べているので、おおむね私が見た順番と思っていただいてよろしいかと存じます。



 『アリアドネの糸』とは希臘神話に由来するものです。勇者テセウスがミノタウロス討伐のために迷宮に入った際、ちゃんと戻ってこられるように用意した糸のことで、現代では非常に難しい状況から抜け出す際に、その道しるべとなるもののたとえとして使われるそうです。果たして展示の順序を決めた人がそれと知っていたわけではないでしょうが、私としてもこのタイミングでアリアドネの糸にたどり着いたのは良かったです。そのあとは不安にざわざわした気持ちがゆっくりと癒されていき、最後は穏やかな気分で次の目的地『ギャラリー越後』さんに向かうことができたのですから。


 ……あれ? 結局チフリグリさんと同じくらいの文字数になっちゃいましたね。では、また日を改めて書きましょうか。こんなに長くなるとは思わなかったなあ。

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どういう切っ掛けでこの『せんだい21アンデパンダン展』というイベントが開催されることを知ったのか。正直よく覚えていないのですが、たぶん、9月21日あたりではないかと思うのです。その日はXに2件「これが最後の投稿になってもいいように」という内容をポストし、とある企画展(その話はまた長くなるので今日は語りません)を見て、

 「1年前と同じように、ちょっとギャラリー巡りでもしてやろうか」

 と泣きべその気持ちで青葉区大手町にある「ギャラリー ターンアラウンド」(タナラン)に行って撮った写真があったので、そういうことにしておきます。



 この頃はブログ復帰後最初の記事でも書いたように、ひどく心を乱していて、自分で何かを発信することが上手にできなくなっていたので……その一方で、その企画展を切っ掛けに心がアートの世界に親しんでいたので……

 「無審査? 何が飛び出すかわかったもんじゃないな。
  面白そうじゃないか!」

 と、『美男子と煙草』で浮浪者と一緒に写真を撮られた太宰治みたいに泣きながら強がって、実際に行ってみたら非常に面白かった……そういうことです。

 面白かった。それで心の中にしまい込んでいてもいいんですが、今日(10月21日)は朝から何本も記事を書いていて、あれもこれも書きたいと気持ちが加速して止まらないので、勢いのままに書き出してみたいと思います。こうして感想を書くことで、私の筆力も僅かながら向上するでしょうし、(空)想像力も確実に向上するでしょうから。ええ、ここまで読んでくださったんですから。まあしばらくお付き合いください。

 

 初めにお伺いしたのは宮城野区五輪の「ギャラリーチフリグリ」さん。近くには楽天の球場、また仙台育英の校舎などがあります。ギャラリーの方が私みたいなのにも色々と話し掛けてくれて、この後のギャラリー行脚(郊外篇)の良いスタートダッシュが切れました。

 

 全部で6か所(+屋外会場1か所)回った中で、最初に訪れたここが一番カオス……いやバラエティに富んでいました。またギャラリーの方から聞いたお話しもあわせて、「アンデパンダン展って、こういう感じのイベント」という概要がつかめました。

 平面でも立体でも、絵でも書画でも楽器でも人形でもいい。出展料さえ支払えば無審査でそれが美術展に出せるということで、

 「普段はダンサーとして活動しているが、毎年この時だけは絵を描いて出展する」
 「普段は書画の活動をしている人たちが、この企画のために共同で作品を作った」
 「普段は職業美術家として活動しているが、毎年この時だけは変名で自由な作品を出展する」

 ……とのことです。また出展者の年齢も下は年中さん上は75歳と、本当に自由な感じです。

 

 こちらは私のXでの投稿によく「いいね」をつけて下さる人首美鬼さんの作品です。

 

 こちらは村井康文さんが描く……まあ、一見すると流行の漫画の二次創作であり、実際そうだといえばそうなんですが、混ぜ込まれた時事問題と地元ネタとの配分がとてつもなく高度で、凡百の二次創作同人誌なんかが束になっても勝てっこないような質と熱量でした。1ページめくるごとにドンドンのめり込んでしまって……ギャラリーの方も大変お気に入りだったようですが、それもわかります。これはスゴイ!

 

 そしてこれは「カリンバ」という楽器です。楽器? そう楽器です。ベンチに腰かけて、両端にある金属の棒をはじくと、えもいわれぬ美しい澄んだ音が響きます。楽譜が読めなくたってカリンバを一度も演奏したことなくたって問題ありません。ただ座って適当に弾いてあげればいいのです。そうすると、何となく気持ちよくなって心がふわふわしてきます。これはそういう『宇宙船』のようなものなのです。
(これは私の空想ではなく、製作者「創作カリンバ工房」の方のテキストによるものです)

 *

 なんだか、チフリグリさんの話だけで1,500字くらい費やしてしまいましたが、まあ、たくさんお話をさせて頂きましたからね。いったんここで休憩しましょうか。続きはまた明日。

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仙台市青葉区は双葉ケ丘というところにある「ギャラリー越後」にて、仙台市の美術作家Rimoさんの個展『再び生きる』を見てきました。

 先日仙台市内の数か所のギャラリーで開催された無審査の芸術展『アンデパンダン展』の時にこちらのギャラリーの存在を知ったのですが、ここはアパルトマンの一室を使ったアトリエ兼ギャラリーで、私のアパルトマンから乗り物で10分、歩いても30分程度で着いてしまうという、割合近くの場所なのです。

 ただしいつもオープンしているわけではなく、このように時々個展などを開催する時だけ開けるのだそうです。実際入り口は(扉の横に「いらっしゃいませどうぞ」という札が張り付いている以外は)アパルトマンのそれなので、なかなか入りづらいものがありますが、そ~っと開けるとオーナーの越後しのさんがご挨拶をして下さるので、私も気安く入れます。今回は二回目の来訪でした。

 私が行ったのは10月22日の午前中だったのですが、ちょうどその時、作者のRimoさんがいらっしゃいました。新しい作品ができたのでそれを追加しに来たのだそうです。

 作品は2点あります。まず1点は油絵。せーの、ドン!

 

 Rimoさんいわく、「初めて、自分でも好きだと思えるような絵が描けた」とのことですから、会心の出来と言ったところでしょうか。30号のキャンバスに大きく鳥が描かれておりますが、それでも足りず、周りを覆うようにキャンバスを追加して雲の模様を付け加えた大作です。この機会とばかりにお話を伺いながら見ることができたのですが、よく見るとキャンバスごとに一つ一つ独立した、違った雲の絵が描かれているのですね。これはそれぞれ別な日の雲の様子を描いたそうで……。

 そして感情家の私はどう思ったのか。じっと見ていると、特に真ん中の鳥ですね。これが、もう……キャンバスから浮き出して見えたんです。そのくらい印象が強くて。いや本当にステレオグラムとか、ああいう仕掛け絵を見た時のように、この鳥が飛び出してきたような錯覚をしました。隣の部屋でインスタレーション作品の準備をしているから、というのもあったのですが、いつまでも見飽きない、素敵な絵でした。いぎなり良いと思います!

 そしてもう一点が、隣の部屋全体を使って表現されたインスタレーション作品です。なお私は今回この記事を書くにあたり、初めてこういう作品のことをインスタレーションというのだと知りました。続いての作品です。はい、ドン!



 まったく全体像が伝わらない写真ばかりで申し訳ないのですが、本当に私自身、どう写真を撮ればいいのか、正直わからなかったのです。とりあえず印象的な部分を切り取っては見たものの、これは完全に力不足です。トホホ……。

 仕方がないのでこれまたRimoさんのお話で補完します。それだってメモを取りながら聞いたわけじゃないので、結構抜け落ちている部分もあるのですが。

 まずこのドレスですね。これは30年ほど前にRimoさんのお嬢様のために縫ったものだそうです(それをお召しになったお嬢様の当時の写真も飾られておりました)。それをベースに、リハビリのために歩いていた『万葉の森』(黒川郡大衡村)と、そこに住まうたくさんの蝶をちりばめた……今日いらっしゃったのは、その蝶の新しいものが出来上がったので、追加するためにやってきた……とのことです。何せひとつひとつ色付けをしているもので、大変な時間がかかっているそうです(1頭に3日かかったとか)。またドレスの足元に広がる長い裾は、万葉の森の水の流れを表しているとのことで、これは密かに「そうか!」と声を上げました。そうすると、部屋中に広がる木の枝のイメージともリンクしてきます。

 そして感情家の私のダイナモが激しく回転し始め、ムクムクとイメージが広がりました。

 30年前に少女を飾ったドレスは役目を終え、少しずつ朽ち始めていた。しかし、Rimoさんの手によって新たな生命を吹き込まれたドレスからは清らかな水が流れ出し、それを含んだ木々が成長して部屋いっぱいに広がっている。やがて無数の蝶が宿り、ここは思い出と希望をたたえた『万葉の森』となったのだった……。

 なんかヤプーズの『森に棲む』みたいな話ですが(私はヤプーズが大好きです)、パッと見て、お話しを聞いて私の無意識からわき出したイメージはそんな感じです。これはむしろ、帰ってきて数時間経って思い返すほどに気持ちが湧き上がってきますね。ああ、これは良かったなあ、って。

 *

 帰り際、もう一度Rimoさんとお話しする機会があったので、アンデパンダン展で見た作品の感想も伝えさせていただきました。

 

 これは教科書で読んで「初めて泣いた」宮沢賢治の『よだかの星』をイメージして制作した作品だった、とのことです。たまたまというか……いや、アンデパンダン展は仙台市内の数か所のギャラリーで同時多発的に開催されていて、それを頑張って全部回った私ですから、出合うべくして出合ったというべきでしょうね。そして、個展が開催されることも、このアンデパンダン展で初めて行ったギャラリー越後さんで開催されることも何かの縁だ、って言って訪れた。そうしたところ、ちょうどRimoさんご本人とお会いすることができた。すべてにおいて縁でしょう。やはり、積極的に行動すれば、おのずと縁が強まるのです。

 そんな感じで一生懸命に気持ちを伝え、会場を後にしました。来年もまた個展を開催されるとのことなので、その時のために、今日はこの記事を書きました。色んなものを見て想像力を働かせ、感情のままに自分だけの空想世界を広げてそれを書きつける。それが感情家たる私の自己空想表現です。

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初めに大事なことを書いておきます。

 先月Xを休止してブログを再開した頃から、「認識者」または「受信者」としての自分を突き詰めるべく奮闘しております。

 それは対象によって「観る」だったり「聴く」だったり「読む」だったりするわけですが、いずれにしても私は完全な受け手としてそれに向き合います。「自分だったらこう演じる」とか「私も今度、文章を書くときにこういう技法を真似てみよう」とか、そんな小賢しいことはすべて排除し、ただただ楽しむのです。

 でも、楽しんで終わりじゃただの消費行為です。XでもyoutubeでもTikTokとやらでもいいんですが、次から次へと新しいものが現れては消えてしまいます。感想も「エモい」とか何とかって刹那的な快楽になっているのではないでしょうか。少なくとも私の感想はそうです。そうなっていました。
確かに、最初に字数制限を無視して書きたいことを書き、そこから削りに削ってようやく140文字にして発信するとか、そういう方法をとってはいるのですが、それでも毎日毎日そんな短い言葉ばかり使っていると、短い文章しか書けなくなります。せっかくの感動も薄まって細切れになって溶けてしまいます。私はね。私は……。

 だから、じっくりと長い文章に向き合う。そして自分の心が感じたことを大切にしながら、それをどんどん膨らませていく。膨らんだ感想をできるだけ損なわないように片っ端から文章にしてみる。そうすると1000~3000字、時には6000字級の文章が出てくるわけです。このブログは今やそんなヘヴィ級の文章を連発する壮絶な解放治療場と化してしまったのです。

 でも、そう言うのが必要だと思います。そうして自分の心をしっかり守りながらはぐくんでいく。1か月くらい続けて、私の心も少しずつ復調しています。1日おきとか2日おきにXもやっていますし、やったら自分の好きな人にリプライをつける位のことはしますが、わざわざXで発信するよりはこのブログで思い切りのびのびと書いていた方が楽しいのです。誰が読んでくれているのかわかりませんが、ともかくこれが私です。そんな私がこないだ見てきた写真展のことについて、今回は、書いてみたいと思います。

 *

 現在、仙台市内のギャラリーでは「仙台写真月間」という催し物が開催されています。仙台市青葉区錦町にある「仙台アーティストランプレイス」(SARP)で毎週、異なる写真家のひとの展示が開催されるので、写真(下手の横)好きとして見てきました。ただこのごろは先述したように、もう自分にはいわゆる「上手な写真」は撮れっこないから……という気になっているので、別に技術を学ぼうとかそういうわけではなく、ね。ただ見てみたいから見に行く。それだけです。

 

 感想を第一に言うと、沖縄で撮影されたという事前情報がなければ、それとわからないような写真です。送電線の鉄塔とか、どこかの橋脚とか、そんなのばかりで。ただ、そんなことはどうでもよくて――ひたすら画面の大半を占める空間の広さが気に入りました。

 心をふさいでいた蓋がパン! と吹き飛ばされたのです。そして、それっきり音も何もない「制止した世界」に自分が立っている気分になりました。しばらく――ずっと――眺めていたくて、その場に立っていました。

 嬉しかったです。嬉しい? 

 ええ、確実に「受け手」としての私の内面、心は開かれていることが確認できたからです。そして、こうしてそれを言葉にして伝えることも、だんだん思い通りにできるようになってきたからです。

 そう、やはり私はこれがいいんです。自分が何かを発信して誰かを感動させるなんて夢のまた夢です。というよりも、夢見る必要すらありません。私がどれほど頑張って輝いて見せたところで、それ以上に輝く星がいっぱいあるのでは、仕方ないじゃありませんか。だったら私が輝かなくてもいい。その代わりそこに星が輝いていることを見つける側の人間になろう。地上から星を見上げる人間になろう。観測者、認識者になろう。そういう活動が確実に心身を良い方向に運んでいると確認できたのです。

 そのうえで、感想は伝えます。感想を伝えるにも技術は必要です。ただし感想とは別に技術技法を解説するものでなくても良いと思います。自分がどんなところをどう感じたか、自分の経験と照らし合わせて何を思ったか。そういう、私にしか見えないような魅力を伝え、「そうだったのか…」と思ってもらえるだけの技術は必要であると思います。

 おや? 確か私は「別に、誰も読んでくれなくてもいい、伝わらなくてもいい」と思っていたのではなかったかな? 確かにそれはそうです。ただ、今この文章を書いている中で思ったのは、それとはまた少し違っていて……まだうまく言えないのですが、大体こんな感じでしょうか。すなわち、

 「読んでくれなくてもいい。伝わらなくてもいい。でも伝わるよう努力はする。読んでもらいたい心は込める。今は伝わらなくても、いつか伝わるように。わかってもらえる人がいてくれると信じて、ひたすら書き続ける」

 今は誰も読んでくれなくても、更に十年二十年と続けたら、少しは良くなっていくかもしれない。もしかしたら、一生誰にも読まれないまま終わってしまうかもしれないけれど、それでもいいじゃないか。とにかく書き出してみる。それで私の心が育つなら、それでいいじゃないか。

 そんな感じで、やっぱりブログは続けていきたいと思います。毎日書きます。ただ、既にお気づきと思いますが、時間があって書きたいことが山ほどある時は、何日分かまとめて書いています。時間が経てば鮮度が落ちるから、新鮮なうちに調理してしまわないといけないのです。今日はもう4日分くらい書きました。読むに堪えない雑文ですが、それでも積み上げればきっと……。

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栗駒山を降りて、仙台に帰ろうかという時の話です。

 元々極度の方向音痴で、来た道を戻ればいいのにどこをどう曲がったものか記憶があいまいになって、「何か違う気がするぞ」となってしまうことがよくあります。

 そういう時に「まあ何とかなるだろう」と思って走り続ければ何とかなることもありますが、何ともならないことの方が多い気がするので、早い段階で引き返すようにしています。その時もちょっと広い駐車場を見つけたので右折進入し、来た道を引き返そうとしたのですが、ふと目に飛び込んできたのは「ボンネットバス」でした。

 

 確かに私も昭和レトロ好きではありますが、まったく思いがけないタイミングだったので、ひどくビックリしてしまいました。そしていったんオートバイをその駐車場に止めて、近づいて写真を撮ってみた次第です。

 

 ここはどういう街なんだろう。そう思って少し周辺を歩いてみることにしました。ここからはまず、何の予備知識もなく、調べることもなく、ひたすら体験して感じた第一印象をもとに書いていきたいと思います。

 *

 特にどこに行こうというわけでもなく、ふらふらと歩いていると、こんな看板がありました。

 

 見たところ、やたらと広い広い空き地が広がっています。また看板を背にして街の方を振り返ってみると、道路も大きく開けていたので、

 「これはもしかして、昔、駅か何かがあったんじゃないか」

 と思って探してみると、やはりそうでした。

 

 なるほど、どうやらかつては「くりはら田園鉄道」というのがあって、ここは「栗駒駅」があったんだな、ということを知りました。

 

 そうなると、さっきの看板の裏面にある、この観光案内も納得がいきます。元より看板の雰囲気から、結構前に立てられたものだろうなとは思っていましたが、その頃の名残なのでしょうね。

 そして、ここからは「電車で栗駒まで来た人」の気分を作り上げながら「きらめきの六日町」商店街を歩いてみることにしました。



 六日町商店街はパッと見て、とても懐かしい感じがしました。それほど遠くない過去に、こういう街に私も住んでいたからです。事実として永遠にシャッターを下ろしたままの店が軒を連ね、その一方で昔からの雰囲気のまま現在も営業を続けているお店が混ざり合った商店街。

 店先で男性の店員が、おそらく観光で来たであろうグループの女性たちに街の魅力を語っていました。反対側の道路を、ヘルメットをかぶった女子中学生が自転車で駆け抜けていきます。子連れの母親や、風景に溶け込むように路傍にたたずみ煙草をふかす年配の男性がいます。

 そんな中にあって私はただただ(ほとんど迷い込んだ同然に)立ち寄ったよそ者ですが――いや、よそ者だけに、いっそう旅愁を感じました。

 ここで昨日読了した京極夏彦『遠野物語remix』より引用させて頂きます。

 やがて、陽が傾いてきた。
 風も吹き始めている。
 そうなると、酔った男共が人を呼ぶ声もどこか寂しく聞こえ始める。女達の笑い声や、子供達の走り回る様も、すぐそこの嬌声であり、目の前の情景であるのに、何故か遠くのものごとのように思えて来る。旅情が搔き立てられる。
 これこそを旅愁というのだろう。
 それは如何ともしがたいものだ。

 (角川学芸出版 京極夏彦x柳田國男 遠野物語remix 109ページ)


 通りを端っこまで歩き、再び商店街を引き返すことにしました。その時、本屋さんがあったので立ち寄り、一冊買って帰ることにしました。ちなみに店内にはイケメンキャラで売り出してた頃の狩野英孝さんのサインが飾られていました。

 また、たまたま通りすがっただけの私に親しげに話し掛けてくれるおばさんがいました。なかなか人と話すのが苦手な私ですが、とにかく話が止まらなくて、余計な相槌を打つ必要も無く……でも自分のことも少し話せて、すごく良かったです。ライダー同士ですれ違いざまに挨拶するとか、そういうちょっとした交流が今の私にはとても嬉しいんです。

 そうして、古いものと新しいものが混然一体となった不思議な街「六日町商店街」を後にしたのでした。皆様、お元気で。

 *

 で、ここからは、帰ってきて調べた情報です。

 六日町通り商店街公式ホームページ

 まずね、まず公式ホームページとかあるんですよ! インスタグラムもXもあるみたいだし! もう全然レトロじゃない! 現在進行形ですよスミマセンでした。

 公式ホームページのストーリーによると、平成28年に地域おこし協力隊の力を得て新しい街づくりに取り組んでいるところのようですね。確かに歩いていると、新しいレトロ風のお店なのかな? と思うところもチラホラありました(ボンネットバスのお店もそうです)。ま、休店日のところが多くて、全然魅力は伝えられないんですが……それでもいくつか外観の写真は撮ったので、それを載せてみます。

 

 何となく、最近読了した『帝都物語』を思い出しました。昭和70年代に大正時代の銀座をよみがえらせようとした鳴滝翁の話ですね。古い世界と新しい世界が混ざり合って、懐かしいような新しいような、奇妙な感覚を覚えます。これはもう一度、今度はこの商店街を歩くことを目標として、歩いてみなければなりません。バラージではないので、きっとたどり着ける、はず。

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新しい古本屋というと、何とも矛盾に満ちた不可思議な言葉を弄しているように思われるかもしれないので、説明が必要だろう。新しいというのは「初めて見つけた」という程度の意味であって、いわゆる全国展開している大型店舗のことではない。以降の文章は、その前提のもとで読んでいただきたい。

 先日、街を歩いていて、新しい古本屋を見つけた。わくわくする心を抑えられず、すぐに入った。

 何か恋い焦がれるように探し求めている本があるかといえば、ないこともないが、それよりも単純に古本屋というものが好きなのである。

 入り口付近に乱雑に積まれた特価本。その奥に整然と並ぶ色褪せた古書群。しめしめ、これは良い店を見つけたぞと心の中でにやにやしながらも、そんなことを気取られぬよう慎重な面持ちで眺めてみる。そのうち「せっかくだから、何か一冊、これは!というものを見つけて買ってやろう」という気分になる。無論それは帳場の奥に胡坐をかき、腕組みをしてじろりと私のことを睨みつける達磨のような古本屋の店主から無言の圧力をかけられ「とりあえず一冊買って行こうか」と思ったからとか、そういうわけではない。あくまで私の趣味なのである。

 そう、私は本が好きで、また古本屋というものが好きなのである。そもそもこちらだって、いくら店の雰囲気が気に入ったからと言って、そこまで義理立てをしてやる必要もない。一種の宝探しのような気分で店内をうろつきまわるのである。

 そうしているうちに、暗澹たる私の心もいくらか晴れやかになった。もしここに檸檬のひとつも持っていれば、バタバタと洋書を積み上げた後にそれを置き悪漢の気分で立ち去るのだが! と、くだらない空想をしてみるくらい、心の余裕が出てきた。もちろん私はそんな梶井基次郎の『檸檬』は好きだしその気持ちにも大いに賛同するが梶井の足元にも及ばないような平地人であるので、ひたすら「巡り合えた一冊」を追い求めて店内を右往左往するのである。

 歴史、思想、心理学、医学、思想。いずれも良い本ばかりである。その中で私は一冊の本を見つけ、危うく声を上げそうになった。その一冊を手に取り、序盤の数頁を眺めてみる。その本の著者は私が大好きな人なので中身など見ずとも面白いに違いないと確信し、買う気ではいるのだが、やはり先立つものが心細い。勇んで帳場に持っていき、さあ代金を払おうかという時に金子が足りず泣きながら店を出て行ったとあっては、私は一生涯この界隈を歩くことが出来ぬほど打ちひしがれるであろう。そこで前もって値札を見ることを、貧乏くさいと笑わないでほしい。あくまで慎重に行動したと褒めていただきたいくらいである。

 果たしてその値札に書かれていた金額は、決して安いものではなかったが、本の価値を想像すると妥当な気がした。あくまで素人の私が考える価値であるから、まったく世の中のそれと照らし合わせて妥当かどうかは知らぬが、早い話が物を買うというのは自分自身の天秤によるものであって、私が「ちょっと高いけど、まあ仕方がない」と言って帳場に持っていくのならそれでいいのである。

 かくして私は一冊の本を買い求め、大切に鞄にしまって帰宅した。今は図書館で借りてきた京極夏彦の『遠野物語REMIX』などを読まねばならぬから順番的には後回しになるのだが、なにこれはおれがお金を出して身請けしたのだ。どこへもやらぬぞと心やすい気分になり夕食および晩酌(クラフトスパイスソーダ)を痛飲。令和の時代の平地人として今夜も戦慄すべく書を開くものなり。

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過日(10月18日=相馬中村神社に行った翌日)、一度行ってみたいと思っていた『栗駒山』に行ってきました。もちろん私はライダーですから、オートバイで行ける頂上がゴールです。

 仙台からひたすら北上。

 

 途中、志波姫神社にお参りして……

 

 いわかがみ平までたどり着きました。

 最初は下の駐車場に通されたんですが、「バイクだったら頂上に止められるんで行ってください」と入場即退場、そのまま山道を駆け上りました。

 今回初めて走ってみたのですが、なかなかの勾配とカーブの連続で……私の実家からほど近い場所にある『八幡平』の道のりを思い出しました。これも岩手屈指の「オートバイで走りたくなる道」なんですが、それと同じような雰囲気で、すごく楽しくなっちゃって。

 ギアを何度も切り替えて一生懸命登って、そのうちパーッと景色が開けて……前日は松川浦の景色を眺めながら走ったのですが、

 「わーい!」

 声を上げました。本当にそう言いました。このところメンタルがずっと低迷していたのですが、ここで感情が爆発しました。松川浦での絶景で既に大爆発していたので、ここではレギュラー級の規模の爆発でしたが、いずれにしても素晴らしい景色でした。紅葉とか緑葉とか関係ありません。とにかく高いところからの景色、開けた景色がとっても素晴らしかったです。


 そういう道路なので、私も含めたオートバイ乗りの皆さんも多くいらっしゃいました。みんなそれぞれ自分の愛車で来ていました。大きなバイクもたくさんあって、そういった人たちに遠慮して少し離れた場所に置いてみたのですが……



 おおっ! この山道をスーパーカブやジョルノで駆けあがって来たライダーがいたんだ! と驚きました。そして、そんな小さなことにこだわっていた自分に恥じ入りました。

 50ccのスクーターも1300㏄のスーパースポーツも、自分の愛車が一番良いんです。そんなに引け目を感じることなんて必要ないんです。もちろん私のD-TRACKER125だって、大好きだし一番良い愛車です。免許取る前にショップで購入手続きをして、2回卒検落ちたけどようやく合格して乗れるようになって、一度事故を起こしたけど今も元気に走ってくれる私の愛車……。



 改めて、私はオートバイが好きです。何のてらいも気おくれもなく、今後はそう宣言します。もう隣に止めてあるオートバイが外車だろうとスーパースポーツだろうと、同じオートバイなんだから! と言いながら離れた場所に止めます。

  *

 一応、今日書きたいことは全部書きましたが、せっかく栗駒山まで行ったので、少しオートバイ以外のことにも触れます。



 レストハウスにあった『記念バッヂ』です。なんか昭和感爆発の売り方ですね! ええもちろん買いましたよ買いましたとも! やっぱり記念品ですからね!



 いわかがみ平レストハウスからの景色です。良いですね。



 この日は栗原市の職員の方もいらっしゃいました。

  *

 最後に、これは栗原市ではなく福島県相馬市何ですが、先ほど話題に出た松川浦です。

 

 片や太平洋、片や潟湖。その真ん中を横切る道路。……この時、奇跡的にスタートからゴールまで一切他の車がない貸し切り同然の状態で走ることができました。ここで低迷していた感情が大爆発。声の限り「わーい!」と叫び、最高の気分を味わうことができました。



 とても楽しい2連休でした。これで秋の思い出ができました。あとはここからいくつ積み上げられるか。まだまだ楽しみはありそうです。

 そんなある日のことでした。

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過日(10月17日)、福島県相馬市にある『相馬中村神社』に行ってきました。

 

 こちらの神社は相馬地方の総鎮守であり、相馬家代々の氏神として崇敬されてきた……という歴史があります。そして相馬家はルーツをたどると平将門公であって、この神社は神田明神とは別な意味で非常に縁のある場所なのです。『帝都物語』のヒロイン・辰宮恵子もこの神社の娘でした。いや小説では『相馬俤神社』という名前だし、本当にここがモデルになったのかどうかはわかりませんが、ただ「相馬家の氏神を祀っている神社」というとここなので、たぶん、そうでしょう。

 境内には、将門公に次ぐ祟り神として名前が挙がっていた菅原道真を祀る『北野天満宮』に、将門公そのものを祀る『国王社』などもあります。もっとも国王社に関しては、帰ってきてリーフレットをよく読んで気づいたもので、実際に参拝したのは本殿だけでした。それだって、元をたどれば将門公が承平年間(931~937年)に下総国猿島郡に妙見社を創建したのが始まりですし、藩主家をはじめ相馬全領の総鎮守として祀られているのだから、まずここに参拝するのが当然の流れでしょう。将門公個人に関しては、神田明神ですでにお参りしているので、次に相馬に行った時まで待っていただくことにしましょう。

 と、そういった歴史的なことはリーフレットに書いているので、ここからは私見を書きます。

 

 境内にはこのように、多くの御神馬の像がありました。この地では毎年7月に『相馬野馬追』という……将門公の軍事訓練を由緒にもつお祭りがあるので、馬は特別に大切なものなのでしょうね。『帝都物語』でも恵子さんが魔物に襲われて窮地に立たされた時さっそうと現れた神馬が魔物どもを蹴散らして救ったし、加藤との決戦時にも神馬にまたがって突撃するシーンがありました。そう、将門公の次に神馬は大活躍しているのです。

 

 というわけで、私の愛馬といっしょに写真を撮らせて頂きました。なかなか上手に写真を撮ることができず苦心しましたが、参道正面にオートバイを止めるわけにもいきませんので……これだってちょっと参道にかぶってますけど……何とかお許しいただければと存じます。



 こちらは、きちんと撮影させていただいた雄々しき御神馬の姿です。これだけで、もう私のなかでは恵子さんがまたがって駆け抜けていくシーンを想像してしまいます。素晴らしい。


 今回はひとまず最初の参拝と言うことですが……これまでに参拝したどの神社よりも、気持ちが澄み渡った気がします。特にこのところ、ちょっと不安障害みたいなので気持ちがしくしくしていたので、余計に元気に感じられるのかな。

 いえ、私はそうは考えません。これも妙見様、そして将門公のおかげであると考えます。私のなかでくしゃくしゃになっていた心が押し広げられ、澄み渡った光にさらされることで、邪悪なものが祓われたのです。

 

 まあ……こんな感じかと言えば……そうですけど。

 でも本当に、ここまで来て良かったと思います。今度はちゃんと国王社もお参りしますし、女神転生IIにおける最強の防具のひとつ『マサカドのかぶと』が描かれたお守りも欲しいし。必ず、また参拝いたします!

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もう15年も前になりますが、太宰治の随筆『美男子と煙草』について書いたことがあります。

 2008年8月26日 『気楽文学』

 青空文庫にもあるので時々読み返しては嗤っているのですが、嗤いながらも、どうしようもなく「自分も同じようなものだな」と思ってしまいます。決してこの世のすべての不運不幸を背負い込んでニヤリと笑うような太宰治氏の取り巻きになりたいということはなく……むしろそんな取り巻きに囲まれた太宰氏のもとに出て「ぼくは太宰さんの文学が嫌いなんです」と言い放った三島由紀夫さんのカチリとした文章が好きなんですが……。

 ただ、『美男子と煙草』を読んでいると、普段の私の考え方を鏡映しにしたような描写が多く出てくるのです。もし私にお給仕をしてくれるパートナーがいれば、箸もお茶碗も放り出して泣きべそをかいていたと思います。残念なことに私のパートナーはすでになく、そのうえここ半年ばかり邪恋に焦がれ憂き身をやつして「僕の神経衰弱の最も甚しかりしは令和五年の九月末なり」と芥川龍之介の『病中雑記』を捩って書きたくなるような強がりを言うのがせいぜいなのですが……

 ……いや、そんな状況だからこそ、『美男子と煙草』を読み返したのでしょう。自分の心を解放するために。

 じつに、私にとっては文学とか美術とかっていうのは、自分の心を解放する行為なのです。

 確かに私も人間ですから、アドラー先生の言う承認要求はあります。SNSで「いいね」をつけてもらえるよう一般向けの、フォトジェニックな、エモーショナルなものを求めて格好つけてみたこともあります。トレンド? という言葉のハッシュタグをつけて乗っかってみたことがあります。結果は無惨なものでしたが。

 何よりもこの半年、……そう、確かにそれは恋でした!……私が恋をした相手に気に入ってもらいたくて、少しずつ自分を作っていきました。それは本来の自分とは違った彫像のようなものでしたが、それは結局、破綻してしまいました。私の心が、もうもたないところまで、来てしまったのです。

 自分と違ったタイプの人に恋愛レベルで強く惹かれるのは無理からぬことではありますが、決して相容れない……論理と感情は天秤のように、どちらかが優勢になればもう一方は劣勢になるものであり……最初は「自分に欠けているものをこの人は持っている! これこそ理想のパートナーだ!」と思っても本来の自分が出てくると齟齬が出てきて、無理が生じる……そういうものである、ということは、河合隼雄先生の本で知っていました。

 わかってはいました! わかってはいましたが! 

 「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」(吉田松陰)

 ……ということです。

 そして私は飛び降りました。衝突寸前でハンドルを切って、ガードレールを突き破って崖下に転落する道を選んだのです。


 しかし、私は生き延びています。

 ギリギリのところで私の心を文学と美術が救ってくれたのです。

 文章を読んで想像する。美術作品を見て感情が湧く。

 それで同じように心が活力を取り戻すなら、それでいいじゃないか。

 そう思いました。


 これから先、きっと私は、ずっと……こうして泣きべその気持ちを抱えながら生きていくことになると思います。

 でも、仕方がないんです。これが私なんですから。

 むしろ、こんな私の感情を突き詰めていって、「感じること、受け入れること」に関してであればだれにも負けない! というくらいに心を作って行ければいいかな、って気がしています。

 『在りたい私』

 今度はそう言うのを目指して、生きてみたいと思います。



…それは確実に進行しています。誰にも侵されない心の世界。それは神秘の本殿の奥深くに安置される本尊のようなものです。それを守るお社は、少しずつ作られています。

地上10階地下10階の大迷宮みたいなのがいいですね。カテドラルみたいなの。そのための資材はまだまだ足りません。もっともっと本を積み上げて、神秘の内的体験をしてみたいと思います。それが心のカテドラル建設というものです。

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