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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
河北新報の夕刊に寺田寅彦の「科学者とあたま」という文章を引用して……というか、「寺田寅彦という人がこんなことを言っていた」という短い記事の枕詞になっていたのを読んで、青空文庫にある「科学者とあたま」という文章を読みました。エッセンスだけを検索して知った気になるのは危険だと思ったからです。それ以上に寺田寅彦さんは『帝都物語』にも出てきた人だし、すごく好きな人だったので、これを機会に文章を読んでみようと思ったのです。

 そうしたところ、この「科学者とあたま」という文章が大変に面白くて、もっと読みたい! と思ったために、榴岡図書館でちくま日本文学の文庫本を借りてきました。このシリーズはいいんですよね。稲垣足穂とか三島由紀夫とか、「とりあえずこの作家の雰囲気をつかんでみよう」という時にうってつけの本です。

 寺田寅彦という人は、まあとても有名なひとなので私なんかが何を言うかという話なんですが、これからそういう話をするので簡単に書きます。かの夏目漱石に英語を学び、東大で物理を学び、その後教授になります。一方で文筆を好み、この本に収録されているような多くの随筆を残した……というのが、本の表紙を開いたところにある略歴です。

 
 私の印象としては、とても怜悧でカッチリした文章だな、ということです。さすが物理学者だけあって、絵を描くにせよ草を刈るにせよ目に見えるものから入り科学的な感覚で輪郭線をとらえた後に細やかで温かい感情が添えられているので、読んでいてとても心地よいのです。

 「智に働けば角が立つ、情に棹差せば流される」とは師匠・夏目漱石の『草枕』ですが、何でもかんでも理屈で片づけられたのでは息苦しいし味気ないです。昨今は宇宙時代、コスパコスパに最近はタイパとかいう言葉も流行り、実利的な要素を短くまとめるのが美徳とされているようですが、土も草木も全部アスファルトで塗り固められた道路のようで気に入りません。だからといって私のように激濁流の感情的文章を押し付けられたら読みづらくて仕方がない。そこで寺田先生の美文に触れ、心に一陣の涼風が吹き抜けるような心地よさを感じたのでした。

 また心地よさだけでなく、100年後の令和21世紀を生きる私も共感し、安心する場面がありました。自分で書いた文章を読み返すと、他の人が見れば一目瞭然な誤字脱字にも気づきにくいものであるとか。

 特に「そうかな!」と感じたところについて思い切り引用します。



「一体に心の淋しい暗い人間は、人を恐れながら人を恋しがり、光を怖れながら光を慕う虫に似ている。自分の知った範囲内でも、人からは仙人のように思われる学者で思いがけない銀座の漫歩を楽しむ人が少なくないらしい。考えてみるとこの方が当たり前のような気がする。日常人事の交渉に草臥れ果てた人は、暇があったら、むしろ一刻でも人實を離れて、アルプスの尾根でも縦走するか、それとも山の湯に浸って少時の閑寂を味わいたくなるのが自然であろう。心が賑やかで一杯に充実している人には、せせこましくごみごみとした人いきれの銀座を歩くほど馬鹿らしくも不愉快なことはなく、広大な山川の風景を前に腹一杯の深呼吸をして自由に手足を伸ばしたくなるのが当り前である。」
(ちくま日本文学034 寺田寅彦 108ページ 4-13行 『銀座アルプス』より)


 わけても「人を恐れながら人を恋しがり」という一節に強い衝撃を受けました。それはここ1か月余り――あるいはずっと前から感じていたことだからです。何と矛盾した、おかしな性格なんだろう……とひどく悩んでいたのですが、

 「100年前から人類というのはこういうものなのだな」
 「だとすれば、そこまで悩むこともあるまい」

 ということで、直ちに雲散霧消……とはいかぬまでも、少なくとも暗闇から一歩を踏み出すことが出来そうな気がします。方向性が見えたというか。


 やはり何事も、興味を持ったら原典に当たるのが一番よろしい。パッパッと検索して解説している文章を読んで知った気になる……ましてやナニナニ知恵袋で聞いてすぐに答えを求めるようなことはなんという怠惰! なんという堕落! 先人の努力と経験によりようやく実を結んだ智慧の実を窃取する……なんてことは言いませんが、そんな人間はたとい知ったところですぐに忘れてしまうことでしょう。マタイ伝13章の「種まきのたとえ」で言えば、石だらけのところに蒔かれた種のようなものです。

 といっても原典が古文漢文英語ドイツ語フランス語ラテン語など著しく困難な場合もあろうかと思います。ただ『科学者とあたま』とか室生犀星とか太宰治とかは青空文庫で原典に当たることができるのだし。印象的な一節が一番いいのはわかりますが、その前後の文脈も含めて印象的な一節がいよいよ活きてくるのであって、名言ばかり詰め込んでも生悟りのインチキ坊主になるのがせいぜいでしょう。また躓いてしまうでしょう。もうそういう生き方はしたくありません。

 ……と言いつつ、きっとそういう生き方しかできないのであれば、これからもそうなるのでしょう。それは仕方のないことです。

 それでも! 少しでも抗い、ほんの1ミリでも良い方向に動けるのなら、その為の努力は惜しみません! 一時的な刺激に快感を覚え、それを忘れると次の快感を求めて這いまわる畜生のような私の生活が少しでも改善さることが期待できるなら……!

 というわけで、私はこれからもたくさん本を読みます。本も読むし美術にも触れるし疲れたら山川に出かけて自然に飛び込みます。そんな折々の場面で体験したことをできるだけ子細に感じ取り、それを認識して、文章にしてみます。それこそ感情家で認識者たる私ができる自己表現です。

 そうすることによって広く世間に自己表現をしている作家・芸術家の人たちに恩返しができるのなら、それが私が今この世に生を受けこんな拙文を書いている理由なのかな、という気がします。そして、私と同じような人がいるかもしれない……もしかしたらそんな人がこの文章を読んで、「そうだ!」「そうかな!」と膝を打ち、1ミリでも良い方向に動けるようになるかもしれない……そんな希望もあるので……。

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