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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
ある日のことでした。――具体的に日にちをよく覚えていないのですが、たぶん10月21日の土曜日とか、その辺りであったと思います。

 私が住んでいる宮城県の地方紙『河北新報』には、最近珍しくなった夕刊があります。珍しいので最初は駅売りのもの等を買って読んでいたのですが、門眞妙さんの個展など夕刊を切っ掛けに新しい文化的な気づきが何度もあったので、現在では夕刊だけを定期購読しています。だいぶん長い期間そういう生活をしているので、今日が休刊日なのかどうなのかも深く考えず、アパートの新聞受けに新聞が入っていれば「ああ、夕刊が来ているな」と言って持ち帰るのです。

 その日の新聞を手にした時「妙に分厚いな」と思いました。通常夕刊というのは朝刊に比べれば分量が少なく、手にした時はもうちょっと軽い感じだったのですが……もっとも、折り込みの広告が一緒に入っていたりして、それなりに分厚いこともないわけではなかったので、そういうものだろうと思って……例によって深く考えず、部屋に持ち帰りました。

 夕食の準備のために鍋を火にかけ、その様子を見ながら新聞を開いてみると、やはりいつもの夕刊とは違っていました。いつも読んでいるコラムがない。それで日付のところを見てみると、どうやらそれは夕刊ではなく朝刊であることに気づきました。「はて、何で夕刊しか申し込んでいない私のところに朝刊が来たのだろう」と思いましたが、

 「配達員の人が、間違って私のところに配達したのかな」
 「もしかしたら、何かあってお試し版を一部くれたのかも」

 などと有り得ない空想をめぐらせた挙句、

 「とにかく手元にある以上、私のものだ」

 といって、一通り読んでしまいました。

 「LGBT法案可決」「北別府学さん死去」……どうも既視感がありましたが、先ほどのように何でも都合よく解釈してしまうので、

 「世の中では私が知らない間に、このようなことが起こっていたのだなあ」

 と、何という考えもなく読んでいました。


 翌日、たまってきた古新聞を整理していると、その新聞の日付が「6月17日」であることに気づきました。配達されたのは10月21日ですから、何か月も前の古新聞です。ただ、それが全く当たり前のように新聞受けに入っていた……果たして誰が、何のために……?

 ……つって、何でもかんでも検索して答えを求めようとする宇宙時代の皆様は、ここからもっともらしい推測をいくつも巡らせるものでしょうが、私が最近読んだのは『遠野物語remix』と『遠野物語拾遺retold』です。これを読んだうえでの私の文章は、このように締めくくりたいと思います。

 だれが何のために、そんな古新聞を新聞受けに差し込んだのかはわからない。ただ、その後も佐藤は夕刊だけを定期購読している。夕刊以外には時々投げ込みの広告や瓦斯・水道の請求書などか入ってくるのみである。

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