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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
(本日はアニマとか、そういう心理学的な言葉を使いますが、私は全くの素人です。河合隼雄先生ふうに言う「門外漢の気安さ」で思ったことを書かせて頂きますご了承ください)



私は肉体的には男性です。社会的に男性と生きることを受け入れ、これまでずっとそうしてきました。一方で心の中にはある程度女性らしさがあり、最近はそういう自分も隠さずにある程度表現しながら生活しているところはあります。全く個人的な話ではありますが、私は自分の心のバランスを取るために、そのような生き方をしています。
 (私は性同一性障害や性別違和などLGBTの問題で苦しみ生きづらさを感じている方たちを理解し、ともに生きていきたいと本気で考えている人間です)

 その上であえて正直に申し上げます。私の中の女性らしさとは男性心理が産み出した理想の女性像、いわゆる「アニマ」であると考えています。私は結局どこまでも男性原理に基づいた発想から始まる人間なんです。

 もっとも、男性にアニマがあるように女性にはアニムスという男性像があるので、そういう発想からスタートするのは自然なことであると思います。そこからスタートしつつ対話と相互理解によってお互いが生きづらさを感じることなく「在りたい私」で生きられる世界というのが、どんどん安っぽく使われている多様性の社会であると思います。

 身近にそういう人がいれば良いでしょう。また直接やり取りが出来なければSNSなどの交流でも良いでしょう。自分を助け、同時に他の人も助ける――そのためにも、私とあなたと私たちをつなぐメディアが必要なんです。


 いきなり大きな話をしてしまいましたが、今日は私のアニマに関するお話しです。

 叔母の葬儀の時に、個人的には強烈な気づきがありました。葬儀というのは本来悲しむべきものであり、実際に叔母の急逝は大変に悲しいし悔しいものがありますが、一方でその「気づき」は、私のアニマを理解し受け入れるための大きな助けになりました。

 北は岩手から南は静岡まで、遠くから仙台に親類が集まった……とは言いますが「家族葬」ってやつですからね。近親者(一番遠くても姪とその父親=義理の兄弟?)だけ集まってせいぜい10人程度の小規模なものです。それでも普段あまり会うことのない従姉妹たちと顔を合わせられたのは大変良い機会でした。

 上の方、従姉は二人いて、それぞれ私と8つ、また5つ上です。一方下の方は今年30歳だから……12個下ですね。本当はこの下の方にも、もうひとり従妹がいるのですが、そちらは今は網走で家庭を持っており、今回は来られませんでした。まあそれでも「あんまり会えない人たちだから」といって写真を撮ってもらったりしました。確かに、次にいつ会えるかわからないし。今の私を見てもらえたのは良かったかな。

 私の直系の兄弟は文字通り「兄と弟」であって、一番身近な血縁の女の子がその従姉妹たちなので……正直いまだに若干照れくさく、あまり自分から話を切り出すことはできなかったのですが、一緒にいられるだけで気持ちがときめきました。血縁者という設定があるから、一般的な女性に対する感情とは少し違いますが……ともかくね。


 そんな感じで話をしていたのですが、特に上の方の従姉たちについて、

 「もしかすると私は、この二人から無意識レベルで影響を受けていたのかもしれないな」

 と思いました。

 二人は性格がまるっきり正反対です。長姉はとにかく思ったことを何でもズケズケと言うような一族きっての図々しい性格なのですが(だがそれがいい)、次姉はめったに話しません。私もあまり話しかけない性格なので、長姉を通じて意志を感じ取っていました。非常に、とてつもなくおとなしい性格なんです。

 そんな二人と向き合った私。長姉が時々投げつけて来るパスを受け止めて投げ返すという完全に受け身の会話だったのですが、そのなかで思ったのが先ほどの「無意識レベルでの影響」……つまり、

 「私のアニマだ」

 そんな風に思ったのです。文字通りのシスター・アニマの原像が、この二人の性格をそのまま映しだしたものであると思ったのです。


 このシスター・アニマという言葉は、私の創作ではありません。河合隼雄先生の本で読んだ言葉です。以下、思い切り引用します。



 あるいは、内的に考えると男性にとってのシスター・アニマというものが、いかにアニマの導き手になっているかを示すものとも考えられる。男性のアニマ像ははじめ母親像をベースとしてつくられ、次に姉のイメージが強くなる。つまり、母親から分離するのだが、すぐに異性の他人に接するのは困難なので、姉がその中間役をするわけである。血のつながっていない年上の女性に対して、恋人としてよりむしろ姉のイメージをもったりするのもこの類である。……
(新潮社 「とりかへばや、男と女」 227ページ 第六章 物語の構造)



 心当たりはたくさんあります。小学1年生の頃、運動会で蝶結びが出来ない私に代わって鉢巻を結んでくれた6年生のお姉さん、部活で一緒になって色々と遊んでくれた先輩……同年齢や年下よりも年上の異性に強く惹かれた私の心のなかには、まさにシスター・アニマの原像があり、そういうイメージから恋人への進化をしようとしていたのでしょう。そして悲しきかな、どうやら私の心の発達は、このあたりで遅れて停滞していたのかもしれないな……と感じました。

 ただし、今の職場では年下の女の子(=後輩)と接する機会が激増しています。毎月のように新入社員が入り、先輩としてOJTなどをしなければならないので、発達障害がある私も頑張っています。そういう経験をすることで、私のアニマもゆるやかに成長し、従姉たちと以前よりも対等に近い気分で接することができるようになったのかな、と思います。話下手は内向的感情型の気質によるものだから仕方ないとして、自分の中にあるシスター・アニマと手を携えて外部の女性に向き合えるようになった。すなわち心の成長です。


 もう年齢的には十分に成熟し肉体的には衰え始めている年齢でありますが、発達障がいのある私の心は同年齢の定型発達者と比べると、随分と立ち遅れているのでしょう。でも、生きているうちにこういうことに気づけて良かったと思います。

 今回はあれもこれもと盛り込んで、随分とっ散らかってしまいましたね……すみません。また同じようなテーマで書くことがあるかもしれないので、いったん筆をおくことにします。

 終わりで~す!(久々の三四郎小宮さん風シメ)

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