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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
ギャラリー越後さんについては、一度Rimoさんの個展の時に書いてしまいましたが、時系列的にはこちらが最初となります。アンデパンダン展の時に初めて行ったということですね。

 双葉ケ丘というのは住宅地です。正直、これまで訪れたことのないエリアであったため、完全にGoogle map頼みでどこをどう走ったものか……ともかく「目的地に到着しました」ということであたりを見回してみると……

 

 はい、これがそうです。付近に駐車場らしい駐車場が見つけられなかったので(車でご来場の方はご注意ください)、邪魔にならなさそうなところにオートバイを止め、「ここ……だよねえ?」と恐る恐るドアを開きました。そうしたところギャラリーのオーナーである『越後しの』さんに温かく迎え入れていただき、3か所目のアンデパンダン観覧が始まりました。

 チフリグリさんで心がときめき、中本美術館で心が若干ギスギスして、今度はどうなんだろう……と不安/高揚の入り混じった気分で入ると、まずはよく陽の入る窓にこれらの作品が展示されていました。せーのドン!



 さて、これらの中でも特に文字通り心に刺さったのが、一番手前のこれでした。倍率ドンさらに倍!



 まだXに復帰できないくらい心が痛んでいたので、まるで自分の心臓に錆びた釘を刺され、さらにそれをギギギギ……と引きずられているような感じがしました。まあ、見たままの内容なんですけど、本当にそのくらいの錯覚をしました。

 一方で、このようにわかりやすく可愛いイラストもあり、色々な意味で不安定だった心がホッと和みました。今まで変化球(または魔球)みたいなのばかりポンポン投げ込まれていたので、ここに来て直球が来て安心したのでしょう。これは素直に文句なしで良いと思います! だって可愛いですもの!



 あとは、写真作品で出展している人もいらっしゃいました。

 

 これはルワンダで撮影された子どもたちの写真ということです。そういう写真の原点としては、私はやはり澤田教一さんとか一ノ瀬泰造氏らが活躍したヴェトナム戦争時代の写真になるんですが、そういう私が見て思ったのは、

 「やっぱり、子どもの笑顔を撮るのが上手な人は素晴らしいなあ」

 ということでした。それは写真撮影の技術というよりは、上手に被写体をリラックスさせる雰囲気作りとか、そういうところになるのだと思います。それは『ライカでグッドバイ』とか『地雷を踏んだらサヨウナラ』とか、あとヴェトナム戦争関連の色んな本を読んだうえで私が想像しているスキルです。きっとそういう場所で生きている人が自然に身につけているであろうスキル。私にそういうのがなかったとしても「ま、仕方ないか」と納得できるような種類のスキル。……

 で、私はせいぜいこのギャラリー越後さんの雰囲気のいい出窓と合わせて、ちょっと「それっぽい」写真を撮ろうとして手持ちのスマホカメラでパチリとやり、出来栄えの無惨さに嗤いながらちょっと泣いてみるのが精一杯なのです。これでいい、これで……だって、私にも素敵な写真を見て「素敵だな」って感じる素直な心がまだ残っているのですから……。

 なんて、ちょっとセンチメンタルな振りをしましたが、スミマセン泣いてはいません。でも、良いものを良いと認め、それを受け入れて楽しむことができるようになったのは事実です。何も私まで無理して輝かなくてもいいんだって。下手でも何でも写真が好きなら撮ればいいし、それをみんなに見せたかったら見せればいいんです。私にはそういう自由があるはずです。アマチュアの自由な精神。まさにアンデパンダン。

 ……そうか、そういうことか!

 この記事が公開されるのは11月2日ですから、翌3日は「文化の日」です。なので最後にちょっとだけ、それを意識して、ちょっと結論めいたことを書いてみようと思います。

 自由と独立の精神。誰にでも開かれた場。自分がいいと思ったものを自分の一等得意な方法で精いっぱい表現する。ジャンルも形式も違ったアレコレをいっぺんに見て私が感じたことをまとめているうちに、何かがはじけた気がします。

 私だって、思い切り大好きを表現してもいいはずなんです。誰に遠慮がいるものか。公序良俗に反するのはダメですけど、そうでないなら……ね。今の時代はコミュニケーションツールが発達して、バズるとか、たくさん「いいね」がつくような表現じゃないといけないような風潮がありますが、そんなことはないんです。むしろ流行るものは廃れるものでもあります。それよりも「消費されない」ものを……誰にも気づかれず褒められもしないけど、無くなりもしない、ずっと心に残り続けるものを……そういうものを食べて生きていきたいし、自分でも形にしていきたいなと思いました。

 この「消費されない」という言葉については、また別な機会に書きます。あとアンデパンダン展の話は、まだ続きます。これはまだ1日目のことなので。2日目の話はまた明日。

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11月になりました。秋深し、隣は何をする人ぞ。これを書いているのはまだ10月21日なんですけどね。

 前回の続きです。ギャラリーチフリグリさんでお話を伺いながら色々と見て回り、次に訪れた「中本誠司現代美術館」は、青葉区の住宅街の中にあります。地理的なものはGoogle Mapを使わないとだめでしたが、近づいてみるとすぐにわかりました。



 私はこの美術館に冠せられた作家のことをよく知りません。今回はアンデパンダン展のために来ました。特に運営の人がいるわけでもなく、詳しい説明もなかったので、次の機会があるまでこの中本誠司という人のことについては触れずに置きます。展示作品だけ見て帰って来たので、私の感想によるところがすべてです。

 

 ここもなかなかバラエティに富んでいました。幼稚園だったか保育園だったか……子どもたちが真っ白なTシャツに思い思いの絵の具で彩ったシャツの歓迎を受けて館内に入ると、こちらも平面と立体それぞれの作品が展示されていました。まずは、ざっと写真をあげてみます。



 ……どうですか。

 改めて写真を見返しつつ、ギャラリーを見た時のことを思い出すと、チフリグリさんの明るく楽しい雰囲気と逆に、冷たくて暗い雰囲気がしました。ただ、どちらも平面と立体、小さな子どもから大人まで、カオスなほどにバラエティに富んでいるのは事実です。

 違いといえば、気持ちが明るくウキウキしてくるチフリグリさんと違い、こちらの展示物はどうも私にプレッシャーを与えて来るんですよね。なんか、目に見えない透明な板をもって私の心と体を押しつぶそうとするような圧力。それが、絵に込められた力だと思うので、心地よくはありませんが素晴らしいと思います。見ても何にも感じられない……具体的に何がそうだとは言いませんが……代物よりはずっといいです。

 いや、本当に不思議な感じなんですよね。心地よくはないけど、それはそれで何か、心のなかのセンサーを刺激しているから。「この感情は何だろう?」というのが気になって、ますます絵の世界に入り込んでいく。これはなかなか面白い体験です。

 ある意味、対決ですね。絵(あるいはその作者)と私との、心のぶつかり合い。私の心の中に、これをどう落とし込んでやろうかと挑戦的な気分になってしまいます。というとなんか喧嘩腰みたいになっちゃうなあ。違うんですよね、そうじゃなくて……ううん……。

 あるいは、怖いものを見た時の感動に近いのかなあ。普段、あまり身近でないものを見てびっくりして、ちょっと怖がったりして。お化け屋敷に行ってキャー! って言って、怖い思いをして、でも終わった後なぜか「楽しかった!」ってなるような。うん、そういうのが、一等近い感覚かもしれません。

 あと、4枚目のさんまのあたまについては、作者の意図とは違った写真の撮り方をしています。本来はこのような形で1セットとなります。手前の段ボール箱は豆腐であり、「醤油をかけたくなるもの」というのがコンセプトだそうです(後で展示リストと製作者のコメントを読んで気づきました)。ただ、私がパッと見た時の印象を伝えるため、あえてあのような構図の写真を先に掲載しました。



 一方で、下記のような冷静かつ優しい作品もありました。写真の撮影順に並べているので、おおむね私が見た順番と思っていただいてよろしいかと存じます。



 『アリアドネの糸』とは希臘神話に由来するものです。勇者テセウスがミノタウロス討伐のために迷宮に入った際、ちゃんと戻ってこられるように用意した糸のことで、現代では非常に難しい状況から抜け出す際に、その道しるべとなるもののたとえとして使われるそうです。果たして展示の順序を決めた人がそれと知っていたわけではないでしょうが、私としてもこのタイミングでアリアドネの糸にたどり着いたのは良かったです。そのあとは不安にざわざわした気持ちがゆっくりと癒されていき、最後は穏やかな気分で次の目的地『ギャラリー越後』さんに向かうことができたのですから。


 ……あれ? 結局チフリグリさんと同じくらいの文字数になっちゃいましたね。では、また日を改めて書きましょうか。こんなに長くなるとは思わなかったなあ。

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どういう切っ掛けでこの『せんだい21アンデパンダン展』というイベントが開催されることを知ったのか。正直よく覚えていないのですが、たぶん、9月21日あたりではないかと思うのです。その日はXに2件「これが最後の投稿になってもいいように」という内容をポストし、とある企画展(その話はまた長くなるので今日は語りません)を見て、

 「1年前と同じように、ちょっとギャラリー巡りでもしてやろうか」

 と泣きべその気持ちで青葉区大手町にある「ギャラリー ターンアラウンド」(タナラン)に行って撮った写真があったので、そういうことにしておきます。



 この頃はブログ復帰後最初の記事でも書いたように、ひどく心を乱していて、自分で何かを発信することが上手にできなくなっていたので……その一方で、その企画展を切っ掛けに心がアートの世界に親しんでいたので……

 「無審査? 何が飛び出すかわかったもんじゃないな。
  面白そうじゃないか!」

 と、『美男子と煙草』で浮浪者と一緒に写真を撮られた太宰治みたいに泣きながら強がって、実際に行ってみたら非常に面白かった……そういうことです。

 面白かった。それで心の中にしまい込んでいてもいいんですが、今日(10月21日)は朝から何本も記事を書いていて、あれもこれも書きたいと気持ちが加速して止まらないので、勢いのままに書き出してみたいと思います。こうして感想を書くことで、私の筆力も僅かながら向上するでしょうし、(空)想像力も確実に向上するでしょうから。ええ、ここまで読んでくださったんですから。まあしばらくお付き合いください。

 

 初めにお伺いしたのは宮城野区五輪の「ギャラリーチフリグリ」さん。近くには楽天の球場、また仙台育英の校舎などがあります。ギャラリーの方が私みたいなのにも色々と話し掛けてくれて、この後のギャラリー行脚(郊外篇)の良いスタートダッシュが切れました。

 

 全部で6か所(+屋外会場1か所)回った中で、最初に訪れたここが一番カオス……いやバラエティに富んでいました。またギャラリーの方から聞いたお話しもあわせて、「アンデパンダン展って、こういう感じのイベント」という概要がつかめました。

 平面でも立体でも、絵でも書画でも楽器でも人形でもいい。出展料さえ支払えば無審査でそれが美術展に出せるということで、

 「普段はダンサーとして活動しているが、毎年この時だけは絵を描いて出展する」
 「普段は書画の活動をしている人たちが、この企画のために共同で作品を作った」
 「普段は職業美術家として活動しているが、毎年この時だけは変名で自由な作品を出展する」

 ……とのことです。また出展者の年齢も下は年中さん上は75歳と、本当に自由な感じです。

 

 こちらは私のXでの投稿によく「いいね」をつけて下さる人首美鬼さんの作品です。

 

 こちらは村井康文さんが描く……まあ、一見すると流行の漫画の二次創作であり、実際そうだといえばそうなんですが、混ぜ込まれた時事問題と地元ネタとの配分がとてつもなく高度で、凡百の二次創作同人誌なんかが束になっても勝てっこないような質と熱量でした。1ページめくるごとにドンドンのめり込んでしまって……ギャラリーの方も大変お気に入りだったようですが、それもわかります。これはスゴイ!

 

 そしてこれは「カリンバ」という楽器です。楽器? そう楽器です。ベンチに腰かけて、両端にある金属の棒をはじくと、えもいわれぬ美しい澄んだ音が響きます。楽譜が読めなくたってカリンバを一度も演奏したことなくたって問題ありません。ただ座って適当に弾いてあげればいいのです。そうすると、何となく気持ちよくなって心がふわふわしてきます。これはそういう『宇宙船』のようなものなのです。
(これは私の空想ではなく、製作者「創作カリンバ工房」の方のテキストによるものです)

 *

 なんだか、チフリグリさんの話だけで1,500字くらい費やしてしまいましたが、まあ、たくさんお話をさせて頂きましたからね。いったんここで休憩しましょうか。続きはまた明日。

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仙台市青葉区は双葉ケ丘というところにある「ギャラリー越後」にて、仙台市の美術作家Rimoさんの個展『再び生きる』を見てきました。

 先日仙台市内の数か所のギャラリーで開催された無審査の芸術展『アンデパンダン展』の時にこちらのギャラリーの存在を知ったのですが、ここはアパルトマンの一室を使ったアトリエ兼ギャラリーで、私のアパルトマンから乗り物で10分、歩いても30分程度で着いてしまうという、割合近くの場所なのです。

 ただしいつもオープンしているわけではなく、このように時々個展などを開催する時だけ開けるのだそうです。実際入り口は(扉の横に「いらっしゃいませどうぞ」という札が張り付いている以外は)アパルトマンのそれなので、なかなか入りづらいものがありますが、そ~っと開けるとオーナーの越後しのさんがご挨拶をして下さるので、私も気安く入れます。今回は二回目の来訪でした。

 私が行ったのは10月22日の午前中だったのですが、ちょうどその時、作者のRimoさんがいらっしゃいました。新しい作品ができたのでそれを追加しに来たのだそうです。

 作品は2点あります。まず1点は油絵。せーの、ドン!

 

 Rimoさんいわく、「初めて、自分でも好きだと思えるような絵が描けた」とのことですから、会心の出来と言ったところでしょうか。30号のキャンバスに大きく鳥が描かれておりますが、それでも足りず、周りを覆うようにキャンバスを追加して雲の模様を付け加えた大作です。この機会とばかりにお話を伺いながら見ることができたのですが、よく見るとキャンバスごとに一つ一つ独立した、違った雲の絵が描かれているのですね。これはそれぞれ別な日の雲の様子を描いたそうで……。

 そして感情家の私はどう思ったのか。じっと見ていると、特に真ん中の鳥ですね。これが、もう……キャンバスから浮き出して見えたんです。そのくらい印象が強くて。いや本当にステレオグラムとか、ああいう仕掛け絵を見た時のように、この鳥が飛び出してきたような錯覚をしました。隣の部屋でインスタレーション作品の準備をしているから、というのもあったのですが、いつまでも見飽きない、素敵な絵でした。いぎなり良いと思います!

 そしてもう一点が、隣の部屋全体を使って表現されたインスタレーション作品です。なお私は今回この記事を書くにあたり、初めてこういう作品のことをインスタレーションというのだと知りました。続いての作品です。はい、ドン!



 まったく全体像が伝わらない写真ばかりで申し訳ないのですが、本当に私自身、どう写真を撮ればいいのか、正直わからなかったのです。とりあえず印象的な部分を切り取っては見たものの、これは完全に力不足です。トホホ……。

 仕方がないのでこれまたRimoさんのお話で補完します。それだってメモを取りながら聞いたわけじゃないので、結構抜け落ちている部分もあるのですが。

 まずこのドレスですね。これは30年ほど前にRimoさんのお嬢様のために縫ったものだそうです(それをお召しになったお嬢様の当時の写真も飾られておりました)。それをベースに、リハビリのために歩いていた『万葉の森』(黒川郡大衡村)と、そこに住まうたくさんの蝶をちりばめた……今日いらっしゃったのは、その蝶の新しいものが出来上がったので、追加するためにやってきた……とのことです。何せひとつひとつ色付けをしているもので、大変な時間がかかっているそうです(1頭に3日かかったとか)。またドレスの足元に広がる長い裾は、万葉の森の水の流れを表しているとのことで、これは密かに「そうか!」と声を上げました。そうすると、部屋中に広がる木の枝のイメージともリンクしてきます。

 そして感情家の私のダイナモが激しく回転し始め、ムクムクとイメージが広がりました。

 30年前に少女を飾ったドレスは役目を終え、少しずつ朽ち始めていた。しかし、Rimoさんの手によって新たな生命を吹き込まれたドレスからは清らかな水が流れ出し、それを含んだ木々が成長して部屋いっぱいに広がっている。やがて無数の蝶が宿り、ここは思い出と希望をたたえた『万葉の森』となったのだった……。

 なんかヤプーズの『森に棲む』みたいな話ですが(私はヤプーズが大好きです)、パッと見て、お話しを聞いて私の無意識からわき出したイメージはそんな感じです。これはむしろ、帰ってきて数時間経って思い返すほどに気持ちが湧き上がってきますね。ああ、これは良かったなあ、って。

 *

 帰り際、もう一度Rimoさんとお話しする機会があったので、アンデパンダン展で見た作品の感想も伝えさせていただきました。

 

 これは教科書で読んで「初めて泣いた」宮沢賢治の『よだかの星』をイメージして制作した作品だった、とのことです。たまたまというか……いや、アンデパンダン展は仙台市内の数か所のギャラリーで同時多発的に開催されていて、それを頑張って全部回った私ですから、出合うべくして出合ったというべきでしょうね。そして、個展が開催されることも、このアンデパンダン展で初めて行ったギャラリー越後さんで開催されることも何かの縁だ、って言って訪れた。そうしたところ、ちょうどRimoさんご本人とお会いすることができた。すべてにおいて縁でしょう。やはり、積極的に行動すれば、おのずと縁が強まるのです。

 そんな感じで一生懸命に気持ちを伝え、会場を後にしました。来年もまた個展を開催されるとのことなので、その時のために、今日はこの記事を書きました。色んなものを見て想像力を働かせ、感情のままに自分だけの空想世界を広げてそれを書きつける。それが感情家たる私の自己空想表現です。

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初めに大事なことを書いておきます。

 先月Xを休止してブログを再開した頃から、「認識者」または「受信者」としての自分を突き詰めるべく奮闘しております。

 それは対象によって「観る」だったり「聴く」だったり「読む」だったりするわけですが、いずれにしても私は完全な受け手としてそれに向き合います。「自分だったらこう演じる」とか「私も今度、文章を書くときにこういう技法を真似てみよう」とか、そんな小賢しいことはすべて排除し、ただただ楽しむのです。

 でも、楽しんで終わりじゃただの消費行為です。XでもyoutubeでもTikTokとやらでもいいんですが、次から次へと新しいものが現れては消えてしまいます。感想も「エモい」とか何とかって刹那的な快楽になっているのではないでしょうか。少なくとも私の感想はそうです。そうなっていました。
確かに、最初に字数制限を無視して書きたいことを書き、そこから削りに削ってようやく140文字にして発信するとか、そういう方法をとってはいるのですが、それでも毎日毎日そんな短い言葉ばかり使っていると、短い文章しか書けなくなります。せっかくの感動も薄まって細切れになって溶けてしまいます。私はね。私は……。

 だから、じっくりと長い文章に向き合う。そして自分の心が感じたことを大切にしながら、それをどんどん膨らませていく。膨らんだ感想をできるだけ損なわないように片っ端から文章にしてみる。そうすると1000~3000字、時には6000字級の文章が出てくるわけです。このブログは今やそんなヘヴィ級の文章を連発する壮絶な解放治療場と化してしまったのです。

 でも、そう言うのが必要だと思います。そうして自分の心をしっかり守りながらはぐくんでいく。1か月くらい続けて、私の心も少しずつ復調しています。1日おきとか2日おきにXもやっていますし、やったら自分の好きな人にリプライをつける位のことはしますが、わざわざXで発信するよりはこのブログで思い切りのびのびと書いていた方が楽しいのです。誰が読んでくれているのかわかりませんが、ともかくこれが私です。そんな私がこないだ見てきた写真展のことについて、今回は、書いてみたいと思います。

 *

 現在、仙台市内のギャラリーでは「仙台写真月間」という催し物が開催されています。仙台市青葉区錦町にある「仙台アーティストランプレイス」(SARP)で毎週、異なる写真家のひとの展示が開催されるので、写真(下手の横)好きとして見てきました。ただこのごろは先述したように、もう自分にはいわゆる「上手な写真」は撮れっこないから……という気になっているので、別に技術を学ぼうとかそういうわけではなく、ね。ただ見てみたいから見に行く。それだけです。

 

 感想を第一に言うと、沖縄で撮影されたという事前情報がなければ、それとわからないような写真です。送電線の鉄塔とか、どこかの橋脚とか、そんなのばかりで。ただ、そんなことはどうでもよくて――ひたすら画面の大半を占める空間の広さが気に入りました。

 心をふさいでいた蓋がパン! と吹き飛ばされたのです。そして、それっきり音も何もない「制止した世界」に自分が立っている気分になりました。しばらく――ずっと――眺めていたくて、その場に立っていました。

 嬉しかったです。嬉しい? 

 ええ、確実に「受け手」としての私の内面、心は開かれていることが確認できたからです。そして、こうしてそれを言葉にして伝えることも、だんだん思い通りにできるようになってきたからです。

 そう、やはり私はこれがいいんです。自分が何かを発信して誰かを感動させるなんて夢のまた夢です。というよりも、夢見る必要すらありません。私がどれほど頑張って輝いて見せたところで、それ以上に輝く星がいっぱいあるのでは、仕方ないじゃありませんか。だったら私が輝かなくてもいい。その代わりそこに星が輝いていることを見つける側の人間になろう。地上から星を見上げる人間になろう。観測者、認識者になろう。そういう活動が確実に心身を良い方向に運んでいると確認できたのです。

 そのうえで、感想は伝えます。感想を伝えるにも技術は必要です。ただし感想とは別に技術技法を解説するものでなくても良いと思います。自分がどんなところをどう感じたか、自分の経験と照らし合わせて何を思ったか。そういう、私にしか見えないような魅力を伝え、「そうだったのか…」と思ってもらえるだけの技術は必要であると思います。

 おや? 確か私は「別に、誰も読んでくれなくてもいい、伝わらなくてもいい」と思っていたのではなかったかな? 確かにそれはそうです。ただ、今この文章を書いている中で思ったのは、それとはまた少し違っていて……まだうまく言えないのですが、大体こんな感じでしょうか。すなわち、

 「読んでくれなくてもいい。伝わらなくてもいい。でも伝わるよう努力はする。読んでもらいたい心は込める。今は伝わらなくても、いつか伝わるように。わかってもらえる人がいてくれると信じて、ひたすら書き続ける」

 今は誰も読んでくれなくても、更に十年二十年と続けたら、少しは良くなっていくかもしれない。もしかしたら、一生誰にも読まれないまま終わってしまうかもしれないけれど、それでもいいじゃないか。とにかく書き出してみる。それで私の心が育つなら、それでいいじゃないか。

 そんな感じで、やっぱりブログは続けていきたいと思います。毎日書きます。ただ、既にお気づきと思いますが、時間があって書きたいことが山ほどある時は、何日分かまとめて書いています。時間が経てば鮮度が落ちるから、新鮮なうちに調理してしまわないといけないのです。今日はもう4日分くらい書きました。読むに堪えない雑文ですが、それでも積み上げればきっと……。

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栗駒山を降りて、仙台に帰ろうかという時の話です。

 元々極度の方向音痴で、来た道を戻ればいいのにどこをどう曲がったものか記憶があいまいになって、「何か違う気がするぞ」となってしまうことがよくあります。

 そういう時に「まあ何とかなるだろう」と思って走り続ければ何とかなることもありますが、何ともならないことの方が多い気がするので、早い段階で引き返すようにしています。その時もちょっと広い駐車場を見つけたので右折進入し、来た道を引き返そうとしたのですが、ふと目に飛び込んできたのは「ボンネットバス」でした。

 

 確かに私も昭和レトロ好きではありますが、まったく思いがけないタイミングだったので、ひどくビックリしてしまいました。そしていったんオートバイをその駐車場に止めて、近づいて写真を撮ってみた次第です。

 

 ここはどういう街なんだろう。そう思って少し周辺を歩いてみることにしました。ここからはまず、何の予備知識もなく、調べることもなく、ひたすら体験して感じた第一印象をもとに書いていきたいと思います。

 *

 特にどこに行こうというわけでもなく、ふらふらと歩いていると、こんな看板がありました。

 

 見たところ、やたらと広い広い空き地が広がっています。また看板を背にして街の方を振り返ってみると、道路も大きく開けていたので、

 「これはもしかして、昔、駅か何かがあったんじゃないか」

 と思って探してみると、やはりそうでした。

 

 なるほど、どうやらかつては「くりはら田園鉄道」というのがあって、ここは「栗駒駅」があったんだな、ということを知りました。

 

 そうなると、さっきの看板の裏面にある、この観光案内も納得がいきます。元より看板の雰囲気から、結構前に立てられたものだろうなとは思っていましたが、その頃の名残なのでしょうね。

 そして、ここからは「電車で栗駒まで来た人」の気分を作り上げながら「きらめきの六日町」商店街を歩いてみることにしました。



 六日町商店街はパッと見て、とても懐かしい感じがしました。それほど遠くない過去に、こういう街に私も住んでいたからです。事実として永遠にシャッターを下ろしたままの店が軒を連ね、その一方で昔からの雰囲気のまま現在も営業を続けているお店が混ざり合った商店街。

 店先で男性の店員が、おそらく観光で来たであろうグループの女性たちに街の魅力を語っていました。反対側の道路を、ヘルメットをかぶった女子中学生が自転車で駆け抜けていきます。子連れの母親や、風景に溶け込むように路傍にたたずみ煙草をふかす年配の男性がいます。

 そんな中にあって私はただただ(ほとんど迷い込んだ同然に)立ち寄ったよそ者ですが――いや、よそ者だけに、いっそう旅愁を感じました。

 ここで昨日読了した京極夏彦『遠野物語remix』より引用させて頂きます。

 やがて、陽が傾いてきた。
 風も吹き始めている。
 そうなると、酔った男共が人を呼ぶ声もどこか寂しく聞こえ始める。女達の笑い声や、子供達の走り回る様も、すぐそこの嬌声であり、目の前の情景であるのに、何故か遠くのものごとのように思えて来る。旅情が搔き立てられる。
 これこそを旅愁というのだろう。
 それは如何ともしがたいものだ。

 (角川学芸出版 京極夏彦x柳田國男 遠野物語remix 109ページ)


 通りを端っこまで歩き、再び商店街を引き返すことにしました。その時、本屋さんがあったので立ち寄り、一冊買って帰ることにしました。ちなみに店内にはイケメンキャラで売り出してた頃の狩野英孝さんのサインが飾られていました。

 また、たまたま通りすがっただけの私に親しげに話し掛けてくれるおばさんがいました。なかなか人と話すのが苦手な私ですが、とにかく話が止まらなくて、余計な相槌を打つ必要も無く……でも自分のことも少し話せて、すごく良かったです。ライダー同士ですれ違いざまに挨拶するとか、そういうちょっとした交流が今の私にはとても嬉しいんです。

 そうして、古いものと新しいものが混然一体となった不思議な街「六日町商店街」を後にしたのでした。皆様、お元気で。

 *

 で、ここからは、帰ってきて調べた情報です。

 六日町通り商店街公式ホームページ

 まずね、まず公式ホームページとかあるんですよ! インスタグラムもXもあるみたいだし! もう全然レトロじゃない! 現在進行形ですよスミマセンでした。

 公式ホームページのストーリーによると、平成28年に地域おこし協力隊の力を得て新しい街づくりに取り組んでいるところのようですね。確かに歩いていると、新しいレトロ風のお店なのかな? と思うところもチラホラありました(ボンネットバスのお店もそうです)。ま、休店日のところが多くて、全然魅力は伝えられないんですが……それでもいくつか外観の写真は撮ったので、それを載せてみます。

 

 何となく、最近読了した『帝都物語』を思い出しました。昭和70年代に大正時代の銀座をよみがえらせようとした鳴滝翁の話ですね。古い世界と新しい世界が混ざり合って、懐かしいような新しいような、奇妙な感覚を覚えます。これはもう一度、今度はこの商店街を歩くことを目標として、歩いてみなければなりません。バラージではないので、きっとたどり着ける、はず。

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新しい古本屋というと、何とも矛盾に満ちた不可思議な言葉を弄しているように思われるかもしれないので、説明が必要だろう。新しいというのは「初めて見つけた」という程度の意味であって、いわゆる全国展開している大型店舗のことではない。以降の文章は、その前提のもとで読んでいただきたい。

 先日、街を歩いていて、新しい古本屋を見つけた。わくわくする心を抑えられず、すぐに入った。

 何か恋い焦がれるように探し求めている本があるかといえば、ないこともないが、それよりも単純に古本屋というものが好きなのである。

 入り口付近に乱雑に積まれた特価本。その奥に整然と並ぶ色褪せた古書群。しめしめ、これは良い店を見つけたぞと心の中でにやにやしながらも、そんなことを気取られぬよう慎重な面持ちで眺めてみる。そのうち「せっかくだから、何か一冊、これは!というものを見つけて買ってやろう」という気分になる。無論それは帳場の奥に胡坐をかき、腕組みをしてじろりと私のことを睨みつける達磨のような古本屋の店主から無言の圧力をかけられ「とりあえず一冊買って行こうか」と思ったからとか、そういうわけではない。あくまで私の趣味なのである。

 そう、私は本が好きで、また古本屋というものが好きなのである。そもそもこちらだって、いくら店の雰囲気が気に入ったからと言って、そこまで義理立てをしてやる必要もない。一種の宝探しのような気分で店内をうろつきまわるのである。

 そうしているうちに、暗澹たる私の心もいくらか晴れやかになった。もしここに檸檬のひとつも持っていれば、バタバタと洋書を積み上げた後にそれを置き悪漢の気分で立ち去るのだが! と、くだらない空想をしてみるくらい、心の余裕が出てきた。もちろん私はそんな梶井基次郎の『檸檬』は好きだしその気持ちにも大いに賛同するが梶井の足元にも及ばないような平地人であるので、ひたすら「巡り合えた一冊」を追い求めて店内を右往左往するのである。

 歴史、思想、心理学、医学、思想。いずれも良い本ばかりである。その中で私は一冊の本を見つけ、危うく声を上げそうになった。その一冊を手に取り、序盤の数頁を眺めてみる。その本の著者は私が大好きな人なので中身など見ずとも面白いに違いないと確信し、買う気ではいるのだが、やはり先立つものが心細い。勇んで帳場に持っていき、さあ代金を払おうかという時に金子が足りず泣きながら店を出て行ったとあっては、私は一生涯この界隈を歩くことが出来ぬほど打ちひしがれるであろう。そこで前もって値札を見ることを、貧乏くさいと笑わないでほしい。あくまで慎重に行動したと褒めていただきたいくらいである。

 果たしてその値札に書かれていた金額は、決して安いものではなかったが、本の価値を想像すると妥当な気がした。あくまで素人の私が考える価値であるから、まったく世の中のそれと照らし合わせて妥当かどうかは知らぬが、早い話が物を買うというのは自分自身の天秤によるものであって、私が「ちょっと高いけど、まあ仕方がない」と言って帳場に持っていくのならそれでいいのである。

 かくして私は一冊の本を買い求め、大切に鞄にしまって帰宅した。今は図書館で借りてきた京極夏彦の『遠野物語REMIX』などを読まねばならぬから順番的には後回しになるのだが、なにこれはおれがお金を出して身請けしたのだ。どこへもやらぬぞと心やすい気分になり夕食および晩酌(クラフトスパイスソーダ)を痛飲。令和の時代の平地人として今夜も戦慄すべく書を開くものなり。

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過日(10月18日=相馬中村神社に行った翌日)、一度行ってみたいと思っていた『栗駒山』に行ってきました。もちろん私はライダーですから、オートバイで行ける頂上がゴールです。

 仙台からひたすら北上。

 

 途中、志波姫神社にお参りして……

 

 いわかがみ平までたどり着きました。

 最初は下の駐車場に通されたんですが、「バイクだったら頂上に止められるんで行ってください」と入場即退場、そのまま山道を駆け上りました。

 今回初めて走ってみたのですが、なかなかの勾配とカーブの連続で……私の実家からほど近い場所にある『八幡平』の道のりを思い出しました。これも岩手屈指の「オートバイで走りたくなる道」なんですが、それと同じような雰囲気で、すごく楽しくなっちゃって。

 ギアを何度も切り替えて一生懸命登って、そのうちパーッと景色が開けて……前日は松川浦の景色を眺めながら走ったのですが、

 「わーい!」

 声を上げました。本当にそう言いました。このところメンタルがずっと低迷していたのですが、ここで感情が爆発しました。松川浦での絶景で既に大爆発していたので、ここではレギュラー級の規模の爆発でしたが、いずれにしても素晴らしい景色でした。紅葉とか緑葉とか関係ありません。とにかく高いところからの景色、開けた景色がとっても素晴らしかったです。


 そういう道路なので、私も含めたオートバイ乗りの皆さんも多くいらっしゃいました。みんなそれぞれ自分の愛車で来ていました。大きなバイクもたくさんあって、そういった人たちに遠慮して少し離れた場所に置いてみたのですが……



 おおっ! この山道をスーパーカブやジョルノで駆けあがって来たライダーがいたんだ! と驚きました。そして、そんな小さなことにこだわっていた自分に恥じ入りました。

 50ccのスクーターも1300㏄のスーパースポーツも、自分の愛車が一番良いんです。そんなに引け目を感じることなんて必要ないんです。もちろん私のD-TRACKER125だって、大好きだし一番良い愛車です。免許取る前にショップで購入手続きをして、2回卒検落ちたけどようやく合格して乗れるようになって、一度事故を起こしたけど今も元気に走ってくれる私の愛車……。



 改めて、私はオートバイが好きです。何のてらいも気おくれもなく、今後はそう宣言します。もう隣に止めてあるオートバイが外車だろうとスーパースポーツだろうと、同じオートバイなんだから! と言いながら離れた場所に止めます。

  *

 一応、今日書きたいことは全部書きましたが、せっかく栗駒山まで行ったので、少しオートバイ以外のことにも触れます。



 レストハウスにあった『記念バッヂ』です。なんか昭和感爆発の売り方ですね! ええもちろん買いましたよ買いましたとも! やっぱり記念品ですからね!



 いわかがみ平レストハウスからの景色です。良いですね。



 この日は栗原市の職員の方もいらっしゃいました。

  *

 最後に、これは栗原市ではなく福島県相馬市何ですが、先ほど話題に出た松川浦です。

 

 片や太平洋、片や潟湖。その真ん中を横切る道路。……この時、奇跡的にスタートからゴールまで一切他の車がない貸し切り同然の状態で走ることができました。ここで低迷していた感情が大爆発。声の限り「わーい!」と叫び、最高の気分を味わうことができました。



 とても楽しい2連休でした。これで秋の思い出ができました。あとはここからいくつ積み上げられるか。まだまだ楽しみはありそうです。

 そんなある日のことでした。

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過日(10月17日)、福島県相馬市にある『相馬中村神社』に行ってきました。

 

 こちらの神社は相馬地方の総鎮守であり、相馬家代々の氏神として崇敬されてきた……という歴史があります。そして相馬家はルーツをたどると平将門公であって、この神社は神田明神とは別な意味で非常に縁のある場所なのです。『帝都物語』のヒロイン・辰宮恵子もこの神社の娘でした。いや小説では『相馬俤神社』という名前だし、本当にここがモデルになったのかどうかはわかりませんが、ただ「相馬家の氏神を祀っている神社」というとここなので、たぶん、そうでしょう。

 境内には、将門公に次ぐ祟り神として名前が挙がっていた菅原道真を祀る『北野天満宮』に、将門公そのものを祀る『国王社』などもあります。もっとも国王社に関しては、帰ってきてリーフレットをよく読んで気づいたもので、実際に参拝したのは本殿だけでした。それだって、元をたどれば将門公が承平年間(931~937年)に下総国猿島郡に妙見社を創建したのが始まりですし、藩主家をはじめ相馬全領の総鎮守として祀られているのだから、まずここに参拝するのが当然の流れでしょう。将門公個人に関しては、神田明神ですでにお参りしているので、次に相馬に行った時まで待っていただくことにしましょう。

 と、そういった歴史的なことはリーフレットに書いているので、ここからは私見を書きます。

 

 境内にはこのように、多くの御神馬の像がありました。この地では毎年7月に『相馬野馬追』という……将門公の軍事訓練を由緒にもつお祭りがあるので、馬は特別に大切なものなのでしょうね。『帝都物語』でも恵子さんが魔物に襲われて窮地に立たされた時さっそうと現れた神馬が魔物どもを蹴散らして救ったし、加藤との決戦時にも神馬にまたがって突撃するシーンがありました。そう、将門公の次に神馬は大活躍しているのです。

 

 というわけで、私の愛馬といっしょに写真を撮らせて頂きました。なかなか上手に写真を撮ることができず苦心しましたが、参道正面にオートバイを止めるわけにもいきませんので……これだってちょっと参道にかぶってますけど……何とかお許しいただければと存じます。



 こちらは、きちんと撮影させていただいた雄々しき御神馬の姿です。これだけで、もう私のなかでは恵子さんがまたがって駆け抜けていくシーンを想像してしまいます。素晴らしい。


 今回はひとまず最初の参拝と言うことですが……これまでに参拝したどの神社よりも、気持ちが澄み渡った気がします。特にこのところ、ちょっと不安障害みたいなので気持ちがしくしくしていたので、余計に元気に感じられるのかな。

 いえ、私はそうは考えません。これも妙見様、そして将門公のおかげであると考えます。私のなかでくしゃくしゃになっていた心が押し広げられ、澄み渡った光にさらされることで、邪悪なものが祓われたのです。

 

 まあ……こんな感じかと言えば……そうですけど。

 でも本当に、ここまで来て良かったと思います。今度はちゃんと国王社もお参りしますし、女神転生IIにおける最強の防具のひとつ『マサカドのかぶと』が描かれたお守りも欲しいし。必ず、また参拝いたします!

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もう15年も前になりますが、太宰治の随筆『美男子と煙草』について書いたことがあります。

 2008年8月26日 『気楽文学』

 青空文庫にもあるので時々読み返しては嗤っているのですが、嗤いながらも、どうしようもなく「自分も同じようなものだな」と思ってしまいます。決してこの世のすべての不運不幸を背負い込んでニヤリと笑うような太宰治氏の取り巻きになりたいということはなく……むしろそんな取り巻きに囲まれた太宰氏のもとに出て「ぼくは太宰さんの文学が嫌いなんです」と言い放った三島由紀夫さんのカチリとした文章が好きなんですが……。

 ただ、『美男子と煙草』を読んでいると、普段の私の考え方を鏡映しにしたような描写が多く出てくるのです。もし私にお給仕をしてくれるパートナーがいれば、箸もお茶碗も放り出して泣きべそをかいていたと思います。残念なことに私のパートナーはすでになく、そのうえここ半年ばかり邪恋に焦がれ憂き身をやつして「僕の神経衰弱の最も甚しかりしは令和五年の九月末なり」と芥川龍之介の『病中雑記』を捩って書きたくなるような強がりを言うのがせいぜいなのですが……

 ……いや、そんな状況だからこそ、『美男子と煙草』を読み返したのでしょう。自分の心を解放するために。

 じつに、私にとっては文学とか美術とかっていうのは、自分の心を解放する行為なのです。

 確かに私も人間ですから、アドラー先生の言う承認要求はあります。SNSで「いいね」をつけてもらえるよう一般向けの、フォトジェニックな、エモーショナルなものを求めて格好つけてみたこともあります。トレンド? という言葉のハッシュタグをつけて乗っかってみたことがあります。結果は無惨なものでしたが。

 何よりもこの半年、……そう、確かにそれは恋でした!……私が恋をした相手に気に入ってもらいたくて、少しずつ自分を作っていきました。それは本来の自分とは違った彫像のようなものでしたが、それは結局、破綻してしまいました。私の心が、もうもたないところまで、来てしまったのです。

 自分と違ったタイプの人に恋愛レベルで強く惹かれるのは無理からぬことではありますが、決して相容れない……論理と感情は天秤のように、どちらかが優勢になればもう一方は劣勢になるものであり……最初は「自分に欠けているものをこの人は持っている! これこそ理想のパートナーだ!」と思っても本来の自分が出てくると齟齬が出てきて、無理が生じる……そういうものである、ということは、河合隼雄先生の本で知っていました。

 わかってはいました! わかってはいましたが! 

 「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」(吉田松陰)

 ……ということです。

 そして私は飛び降りました。衝突寸前でハンドルを切って、ガードレールを突き破って崖下に転落する道を選んだのです。


 しかし、私は生き延びています。

 ギリギリのところで私の心を文学と美術が救ってくれたのです。

 文章を読んで想像する。美術作品を見て感情が湧く。

 それで同じように心が活力を取り戻すなら、それでいいじゃないか。

 そう思いました。


 これから先、きっと私は、ずっと……こうして泣きべその気持ちを抱えながら生きていくことになると思います。

 でも、仕方がないんです。これが私なんですから。

 むしろ、こんな私の感情を突き詰めていって、「感じること、受け入れること」に関してであればだれにも負けない! というくらいに心を作って行ければいいかな、って気がしています。

 『在りたい私』

 今度はそう言うのを目指して、生きてみたいと思います。



…それは確実に進行しています。誰にも侵されない心の世界。それは神秘の本殿の奥深くに安置される本尊のようなものです。それを守るお社は、少しずつ作られています。

地上10階地下10階の大迷宮みたいなのがいいですね。カテドラルみたいなの。そのための資材はまだまだ足りません。もっともっと本を積み上げて、神秘の内的体験をしてみたいと思います。それが心のカテドラル建設というものです。

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志波姫神社に参拝したあと、栗駒山に向かう途中で二羽の「鶴」が羽ばたき去っていくのを見ました。

なるほど宮城県で鶴を見ることはあり得ないとおっしゃるかもしれません。それも結構。おそらく私が見たのは別の何かだったのでしょう。確かに私は生きた鶴を見たことがありません。主に昔の時代の屏風絵みたいなので見た鶴のイメージが全てです。

ただ、私は鶴を見ました。神社に参拝したあとに鶴を見て「吉兆なり!」と声をあげました。その体験が何よりも大事なのです。月に兎を見るように、私は空に鶴を見ました。

それでも事実誤認だというのなら、よろしい。ではこのように申し上げます。

私は「神秘」を見ました。起こり得ざる現象が現実に発生したと認識しました。神秘体験をしました。

別に信じていただかなくても結構です。ただし私はこの体験、この短いストーリーを忘れたくないのでこうして書き残すものとします。


昔、国道と市道を隔てる森の道路に入ったとき、その森のトンネルを覆うほど大量の蝶の群れが飛び去っていく…ヤプーズの歌と同じ光景を目にしたことがありますが、それ以来の神秘体験でした。

現実と仮想の境界がない世界。認識者たる私とその私に認識された世界。もし肉体によって隔てられ肉体によって認識される次元を現実というのなら、私は少しだけ、そうでない世界に体を浸しているのかもしれません。

この辺はちょっと三島由紀夫さんの「太陽と鉄」の影響もあるかもしれません。ともかく私の大好きな人が掲げる「肉体廃止」という言葉を生きながら実現するために、この体験は大きな手がかりになりそうな気がします。

上半期にたくさん広げた見識を深掘りするのは、これからです。

*

(10月12日に書いて非公開だった記事)

認識者とはいえ、やはり一定の考え方は持っていないといけないのかもしれませんね。心が空っぽで、誰かの意見を素直に取り込むのはいいけれど、また他の人の意見にすりかわっちゃうから。

的外れでもとんちんかんでもいいんです。まずは自分のタブローをこしらえて、それを誰かのものと比べて少しずつ修正していけばいいんです。このブログではそういうものを半年かけて作っていきたいと思います。

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酒が好きです。体質的にもどちらかというと多く飲める方だと思います。

 種類は、ビールが一番好きです。次がワイン。あとハイボール。日本酒もいいですね。焼酎というかチューハイは安いのでよく飲みます。……そんな感じです。味の好みはありますが、とりあえず飲みたい時は安いからチューハイ、強く酔っぱらいたい時は度数が強いからウイスキー。そんな感じで、要するに「酔っぱらいたいから飲む」そういう危うい動機で酒を飲むんです。

 それが一番ひどかったのが、ホテル勤めの頃。毎日毎日ひどいストレスで押しつぶされそうになって、仕事中でもアルコールで気持ちを紛らわせておかないとやっていけなくなったのです。だから朝起きてまずビールを飲み、昼休みにまた酒を飲み、仕事が終わってからまた飲む。24時間常にアルコールが回っている状態を保ち、それと同時に向精神薬も過剰摂取。そうやって気持ちをメチャクチャに高めて、無理やり乗り切っていました。

 でも正直「コンサータ」は、ある一定以上飲んでも効き目がなかった気がします。一日の摂取量の倍くらい飲んでもあまり変わらなかったから、「これだったら規定量を守って長持ちさせた方が、薬代が余計にかからないから得だ」という精神的ではなく経済的な理由で、薬の方はあまりハマらずに済みました。その点は、中島らもさんのようにはなれませんでした。


 仙台に来て、新しい仕事を始めてからは、そこまでひどい飲酒をすることはありませんが、毎日それなりに飲んでいます。

 ただ、最近……Xでつらいことがあって休止した後ですが、久々にウイスキーを飲みました。私の飲み方は180mlの小さな瓶を買ってきて、それを昔の映画で見たようにストレートで少しずつ飲むというものです。大体、体験的に180mlというのがちょうどよく酔っぱらえる量なんですよね。なおかつ飲み過ぎない。

 けれど、最近はあんまり気持ちよく酔えなくなってきたんですよね。ウイスキーなら180ml。ワインならフルボトル1本。そんな感じできりよく気持ちよく酔える適量と言うのがあったのですが、最近はそれだけ飲んでも気持ちが晴れない。ただ夜中に何度も目覚めてトイレに行きたくなる、そのタイミングで眠れなくなる、そして翌朝の不快感……と、副作用ばかり出てきて、

 「こんな思いをするくらいだったら、酒なんかやめた方がいいのかもね」

 なんて考えるようになってきました。まあ長年にわたる強い精神的依存を簡単に断ち切れるものではありませんが。

 あくまで私の想像ですが、依存を断ち切るって、すごく難しいし辛いことだと思います。自助努力だけじゃ無理だと思います。だからパートナーとか、誰もいなければそういうNPO団体の人たちとか、とにかく自分以外の誰かの力を借りるべきだと思います。「わかっちゃいるけど、やめられない」ってのは別にダメなことじゃなくて、ごくごく当たり前のことだと思います。

 なんか話が少々重たくなってしまいましたが、これはすべて私個人のお話です。本当に「やめたくても、やめられない」って苦しんでいる方は、専門のお医者さんとかNPO団体の人たちを頼るべきです。私はどうかと言うと、たぶんこれからも、酒との付き合いは続くと思います。

 ただよ、ただだ!(真壁刀義さんのモノマネで)

 「今日は飲みたくないなあ」って時は飲まなくてもいいんだよ。

 そこだけは、自分に分からせてあげたいです。今時はもう、酒をたくさん飲めることがステータスだとか、そんなものでもありません。また、酒は肉体にとって必須のものではありません。正直「私は下戸で酒が全然飲めなくて…」という人の方が元気で楽しく生きていける世界だとさえ思っています。

 飲みたくないのに飲まなくちゃいけない。それは錯覚です。迷妄です。自動思考です。果たして私の心に幾重にも絡みついた邪悪な蔦を断ち切り、一段上の精神的な自由を獲得できるのか。いざという時は躊躇なく他の誰かを頼りますが、まずは自分で何とかできないか。そう考えたことを忘れないようにするために、記事を書きました。

 *

 これは言っても仕方がないことではありますが、時々悪夢としてよみがえってくることもあるので、こうして書き出します。そうやって意識上に引きずり出し、杭を打ち込むことで少しでも心が軽減されればいいなあと思うので。

 私がどこかで酒に対して嫌悪感を抱くのは私の親父の影響があると思います。親父は私以上の酒好きで、毎日発泡酒のロング缶を2本、休みの日となれば昼間から飲み始め6本くらいは飲むような人類です。そして周りの人間に対して呪詛の言葉を投げかけます。反論しようがない、また反論しても大声をあげて取り合わないので、戦ってもこっちが傷つくだけで……じっと耐えるしかない時間……。

 実家に帰りたくない理由と言うのは、それもあります。仙台に引っ越す直前、そうやって酔っぱらった親父に、「とっとと出て行けばいいんだ」とつぶやかれ(そのくせ目線はこちらに向けず、独り言のように言っていた)……夢の中でそんな親父に精いっぱい感情をぶつけてみるものの、結局何も解決せず、肉体的にも精神的にも具合の悪いまま目覚める……。

 親父への嫌悪感を、そのまま酒に対しても投影しているのかもしれません。このエディプスコンプレックスと酒に対する怨恨を鎮めるためにはどうすればいいか。先日読了した『帝都物語』のなかで感じたものが、その助けになる気がします。

 *

 すみません、ますます重たくなっちゃったので、そろそろ切り上げます。

 改めて言いますが、酒に罪はありません。適量を、気心の知れた仲間やおいしい料理と一緒に飲むのは良いと思います。最近出たクラフトスパイスソーダなんていうのは、本当に私好みで、ご飯がおいしくなります。

 でも……ね。

 酒でも煙草でも薬でも大好きな人にでも全力でぶつかってしまう私なんかは……

 ……

 また生きていこう。

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ふと、新しい遊びを思いつきました。
 
 なに、難しいものではありません。例えば新聞などを読んでいて、

 「発達障がい」とか「薬の過剰摂取」とか「連続飲酒」とか

 瞬間的に心の神経に赤い警報がともり、カーッとなって言葉にならない強い感情が出るような記事があったら、それを切り取るとか何とかして、落ち着きを取り戻したあと何度も何度も読み返してやろう、というものです。そして、どうして自分はこんなにこの言葉に反応してしまったんだろうということを、何とか言葉になるまで辛抱強く待とう、というものです。

 ま、こういうのを分析心理学では――と言って私は河合隼雄先生とユング自身の本しか読んだことないのですが――言語連想実験とか言うのでしょうが、あいにくと私は素人です。いくら河合先生の本を読んだところで、本当に心理療法をセルフで実践できるはずがありません(そうだったら世界中の精神科医はみんな失業してしまうでしょう!)。だから私のはあくまで遊びです。遊びだから、忘れてしまってもいいし、飽きたらやめちゃえばいいんです。子供の遊びと一緒です。

 でも、そんな忘れてもいいような遊びのことをわざわざ一日分のスペースを使って記事として書いてしまうのは、こう言いつつも「絶対に忘れちゃいけない」ような気がしているからです。何かこれが、最近非常に不安定な私の心をカチリと固めてくれるような気がするのです。コールタールが熱せられてアスファルトになるように。熱せられた鉄が鍛え上げられて立派な鋼鉄になるように。

 今はSNSで思いついたことをパッパッという時代だと思うのですが、それだと私の心がついて行けないんですよね。だから今は1日おきに投稿とか、ある程度下書きをたくさん書いてまとめて投稿するとか、非常に手間のかかる方法で投稿しています。

 少なくとも私はこの方法のほうがいい気がします。ユング心理学でいうところの「内向的感情型」タイプである(と自分では思っている)私は、普段から「こういう時はどう言えばいいのかな」とか「こんなことを言ったら変に思われないかな」とかたくさんたくさん考えてようやく口にする人類ですから。そのせいで会話の流れから取り残され、ますます話についていけず寡黙になってしまうのですが……ま、それはいいでしょう。

 とにかく、忘れたくないので書きました。以上です。

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これは当初、『帝都物語』の感想の最後に付け加えた文章だったのですが、思いのほか長くなってしまったので切り分けました。

  *

 果たして現実とは何なのでしょう。

 もとより私は蘭茶みすみさんが前に言っていた、「リアルとかバーチャルとかいう対立軸は無意味」という言葉を大切に心の中で育ててきました。みすみんサンはもう覚えていないかもしれませんが、私にとっては非常に重大な意味を持つ言葉でした。

 仮に私が肉体を維持することでつながる世界を「リアル(現実)」とするのなら、私は非常にこの世界で生きづらさを感じています。なので本を開き「バーチャル(仮想)」の世界にあって心を解き放ちます。その仮想の世界にはいくつもの仮想世界があって、過去とか未来とかあの世と過去の世とかの対立軸はどんどんあいまいになっていきます。黄泉に行ったり現世に引き戻されたり。そういった世界と心の波長を合わせ共鳴しているうちに、私の心のなかにまかれた先ほどの言葉はグングン成長しました。

 これから先、もしかしたら私は、とんでもない生き方をするかもしれません。あらゆる制約や概念を取っ払って、仮想を現実に引き戻す。肉体廃止の旗のもと、心の目をもって自由に生きる。もはや私以外の誰もが「現実」と呼ぶ世界にさえとらわれず、心を解放する! それは、なんと楽しみなことでしょう! できないことだらけで鬱屈としていた私が、そのエネルギーをすべて爆発させられる場所があると夢見ることは!

 ……って、これは『帝都物語』を読む直前に好んで読んでいた森茉莉さんの影響もあるのですが。


 世の中全てを自分の色に塗ることは不可能だから、自分でその色がついた眼鏡をかけて、それを通して世界を見ればいいんですよ。すべては認識の問題です。

 「それも心々ですさかいに」

 ……そして森茉莉さんの向こう側にいる三島由紀夫さんの『豊饒の海』に泳ぎ着くのでしょうか。

 ただ「読んだ」「面白かった」だけじゃもったいない名作ばかりでした。そのエッセンス、栄養を自分のものにするべく、下半期はこうした狂気の文章をたくさん書いていきたいと思います。ついてこれなくても結構です。きっと、初めから誰にもわかってもらえないと思うので。

 ……でも……

 わかってくれる人がいてくださったら、これほど嬉しいことはありません。そんな一縷の望みを託して、この文章を締めくくることとします。

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読み終えた今、物語全体を通して感じることは、

 「これは鎮魂の物語だったのだな」

 ということです。

 詳しい解説とか書評とかはできません。これは個人の感想です。ただ10年前にもやられ、今回また読み終えた強大な感想をまとめることは私の目下緊要なことであると確信しているのでまとめます。


 最初は私も奇門遁甲とか式神とか、そういう超自然的な魔術妖術を駆使する魔人加藤とそれに立ち向かう人たちとの闘いに心躍らせました。それは今回読んだ時も同じです。また、魔人加藤やそれ以外の人たちの陰謀と情念に翻弄され精神を病みようやく解放されたと思ったらまた現世に呼び戻されまた殺された辰宮由佳理ら薄幸の女性たちに同情し、涙を流しました。

 今回読み直すと、読む方もまた地力がついたのか、それとも2回目だからなのか、あらすじ以外の詳しい話もだいぶん頭に入ってきました。うすぼんやりとしていた世界がよりクリアに見えたのです(だからこうして文章を書きたくなって現在に至ります)。

 およそ100年にわたる戦い。時代が移り変わり、何度も破壊され、そのたびにおびただしい血が流れた――怨霊がうめき、悪鬼がはびこり、魔人が暗躍する地となった東京でしたが、どうやら最後には、それも収まったようです。二度目の大震災、さらに大津波によって破壊され尽くした東京はもはや人の住める地ではなくなり、巨大な墳墓、鎮魂の地となったのです。

 10年前は、この結末を、上手に受け止められませんでした。

 「今までの戦いは何だったんだろう。誰のための、何のための戦いだったんだろう」

 魔人加藤の正体は、あるものが地上に遣わした自分の化身でした。それはわかったのですが、そのために多くの人々が犠牲になったのだとすると……それがどうも自分のなかで消化しきれませんでした。それでも物語は終わってしまったのだから仕方がありません。とりあえず私も生きていくことにしました。戦いの結末を見届け、穏やかな心を取り戻して「破滅教」と呼ばれる新興宗教に入信した彼女のことを思い浮かべながら……。

 10年経って私もたくさん経験を積み、色々と思うようになったところでたどり着いたのが、先述した「鎮魂」ということでした。

 私も地上の亡者のごとく、他人に怨恨を抱き呪詛の言葉を投げかけたことはあります。人を憎み遠ざけたいと思ったことは何度もあります。特に2014年8月~2022年2月の間は、そういう気持ちが高まって高まって高まりまくっていっそ自分がしんじゃえばいいのかなって思ったこともありました。また最近は怨恨と言うよりは、自分自身の感情から発せられる不安要素にさいなまれ、ひどく心を乱していました。

 ああ、そうか。そういう私の心の波長が、物語の波長とぴったり合ったのかもしれませんね。きっと、そう――。

 霊力に敏感に反応する辰宮由佳理の心情に共鳴した私の心。
 数十年にもわたる邪恋を成就するべく、地下に時空を隔てる『境界』を無くすミニチュアの銀座を作り上げる鳴滝翁の心情に共鳴した私の心。
 すべてを受け入れ、穏やかにしてしまう辰宮恵子さんの菩薩のような優しさ(を感じた人たちの心情)に共鳴した私の心。
 
 優しさも激しさも、良い感情も悪い感情も、すべてをさらけ出し、その上で鎮める。

 そう、たぶん一度、表に出さないと、鎮められないのです。一度目覚めてしまったら、ある程度爆発させないと、鎮まらないのです。

 もちろん、これは認識者たる私の視点から見た感想です。物語の中の人物、そして物語を追いかけている――物語の世界に完全に入り込んでいる――間の私には、そんなことはわかりません。ただただ目の前で繰り広げられる出来事に歓び、嘆き、涙し、怒り、戦い、そして――すべてが終わってもまだ自分が生きていることを確認し、ぼんやりしてしまうのです。「完」という文字と、そのあとにある空白に意識が遠のき、のろのろと本を閉じて、今度は自分が現実と呼ぶ世界にある肉体に戻ってきたことを認識するのです。

 まったくもって、壮大な物語でした! ただし10年前と違って、私の精神世界に『帝都物語』の世界はしっかりと溶かし込まれ、ひとつのアマルガムとなりました。それはさらに私自身の経験によって醸成され、きっとまた読み直す時に――高級なウイスキーを詰め込んだ樽の封印が解かれるように、芳醇な香りをふわっと漂わせることでしょう。

 それまで、今しばらく閉じ込めておくことにします。桜の木に抱かれながら……。

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前回の記事はこちら

 最初にヒロインとして名前をあげたいのは、やはり辰宮由佳理です。藤原カムイ氏が描いたユカさんはとても可愛かったです。兄の辰宮洋一郎を「お兄さま!」と慕う快活な女学生だったのですが、強大な霊力を持つため加藤の手によって将門降霊の依代にされ、蟲術を仕込まれ、心を病んでしまいます。さらに物語が進むと幼少期の忌まわしい出来事や、ある意味蟲術よりも恐ろしい『邪恋』の果てに最愛の人に殺されそうになったり愛すべき子を殺しそうになったり……と、幸福そうな描写がほとんどないままこの世を去りました。それらの原因や結果すべてが、本人と関係ないところで起こり、ひたすらそれに呑み込まれていく……そんな女性です。

 次は、辰宮恵子さんですね。福島県の相馬俤神社の娘で、魔人加藤と渡り合えるくらいの強烈な霊力を持った人です。相馬俤神社は相馬市の氏神、つまり平将門を祀る神社で、神託によって将門の眠りを妨げる魔人加藤を討つべく辰宮家に嫁入りして戦いを挑みます。映画では原田美枝子さんが演じておられましたね。白装束に鉢巻を締め、白い神馬にまたがって悪鬼を踏み砕く姿は東洋のジャンヌ・ダルクか……というところですが、原作ではその後も何度となく登場します。加藤に立ち向かい、のちに結ばれ、別れた後は加藤やそれ以外の……破壊と混沌をもたらそうとする脅威に立ち向かい、最後の最後まで戦い抜いた女性でした。彼女にほれ込んだ人は「菩薩」だと言います。とても強くて、あらゆる人間を受け入れ癒してしまう優しさを持つ人でした。

 あとは、辰宮由佳理の娘『辰宮雪子』も中盤の重要なヒロインとして活躍……というのかな。強烈な霊能力はしっかりと母親から受け継いでいるので、本人の意思またはそれと関係ないところで力を発揮します(映画第2作『帝都大戦』に至っては、もはや荒俣さんの意志とも関係ないレベルで力を発揮していますが、あれはパラレルワールドみたいなものなので)。ただ、雪子嬢が人格ある女性として振る舞う時代は、その周りにいる人物の方が強力な異彩を放っているので、今一つ印象が薄いというのが正直な感想です。

 ここに続けて本来であれば昭和70年代の戦いにおけるヒロイン『鳴滝二美子』と『大沢美千代』について触れるべきなのでしょうが、昨晩ぶっ通しで『大東亜編』(愛蔵版の最終章)を読んだばかりなので、満州映画の女優『出島弘子』嬢について触れたいと思います。Wikipediaにも載ってないし!


(愛蔵版『帝都物語』第六番より)

 辰宮恵子さんを探し求めて大陸まで渡って来た黒田茂丸が見間違えるほど見目麗しい女優です。かつて、ある映画の主役を演じることが決まったものの国家総動員法によって幻となり、それ以来「二十七歳の誕生日に死ななければならなかった」と言いつつ大陸に渡って満州映画の端役女優として暮らしている出島嬢。そんなことを言いつつも、懇意にしている小さな女の子が病気で死にかけているところに出くわすと矢も楯もたまらず介抱したり、映画を満州最初の『文化』にしようとしているのなら、「女優だって!」と憤慨するなど、とても可愛らしいのです。

 ちなみに、何でこんなに出島嬢がプンプンしているのかと言うと、満州映画の理事長たる甘粕正彦(!)が、地底に巣食う化け物に襲われる映画を撮るための主役女優として声掛けしたことが原因です。映画といってもその化けものは作り物ではなく「青古」と呼ばれる本物で、それと黒田茂丸そして加藤保憲との戦いが、この『大東亜編』のクライマックスなのですが……。

 『帝都物語』の女性は色々と特殊能力がある人ばかりで、なかなか感情移入しづらい部分があるのですが、私は出島嬢が好きです。珍しく、何の特殊能力ももたない一般人だからです。それでも自分の宿命を精いっぱい生き、黒田茂丸らの助けを借りながら戦い抜いたからです。そういう一生懸命さが、物語を読み終えて数時間が経過した今になってじわじわと胸にあふれてきました。

 そして、このタイミングで先ほど置いといた現代篇の2人のヒロイン『鳴滝二美子』と『大沢美千代』の存在も大きくなってきました。養父で物語の初期から生き延びている鳴滝純一翁の狂気じみた実験(ただし、私はその実験によってつくられた世界をとても羨ましく思ってしまう!)に心を痛め、命がけで止めようとする二美子さん。とある人物が転生(昭和45年11月25日以降)し、辰宮恵子さんや団宗治さんのサポートを得て霊能力とコンピュータで魔人・式神と闘った美千代さん。……そうですね、徐々に……私自身の心も落ち着いてくれば、きっと、見えてくるものがあるのでしょう……。

 最近はどうも心が穏やかではありません。対面で話している時、緊張しすぎて声が震えるだけでなく、涙目になってすすり上げるような場面もありました。全く尋常の精神状態ではありません。そんな中で再読した『帝都物語』とは、私にとっての『帝都物語』とは何だったのか。そのあたりのことをまとめてみたいと思います。

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『帝都物語』全12篇、読了しました(10年ぶり2度目)。

 とても壮大で圧倒的な物語でした。具体的にこんな物語だったって総括するのがとても難しいのですが、そうしないと感情が収まらないので、可能な限り書きます。あらすじとかは他をあたってください。

  *

 1000年以上前の恨みを抱いて明治末期の帝都に降り立った魔人・加藤保憲は東京に眠る平将門の怨霊をよみがえらせ破滅をもたらそうとするので、その時代の人たちが対決を挑む……というのがおおよその流れですが、何せ加藤は魔人です。軍人なので剣術や基本的な身体能力も高いですが、東洋の魔術に精通しているので、十二神将をはじめとする式神を使役し、五芒星=ドーマンセーマンの染め抜かれた白手袋やハンカチなどを変化させて戦います。

 さらに物語の中盤では『屍解』という仙術を使い肉体が若返ります。そんなことできるの? と宇宙時代の皆様はお思いになると存じますが、そういう皆様に代わって問いかけた西洋人に加藤はこう言い放ちます。以下引用。

 「なぜ? なぜ、と問うのは西洋人の悪習だ。東洋の神秘に、理窟はない。原理はない。ただ現象だけが起こる。神秘とは、起こり得ざる現象がそれでもなお現実に発生することなのだ」
 ただ、いつの時代もそんな加藤に立ち向かい、時に手傷を負わせてひるませる人物がいます。たくさんいるのですが、私が特に印象に残っている人たちのことを羅列してみます。Wikipediaに書いていないようなことも書きます。だってここは自由な狂人解放治療場ですから!

 幸田成行(露伴):膨大な知識と熱い気迫で立ち向かう文豪剣士。実際に手傷を負わせて(しかも2回)一時退却させたり、関連人物の心の支えになったりと、前半部分の重要人物。

 寺田寅彦:物理学者として科学的な立場から加藤に立ち向かう。大阪から西村真琴博士を呼び出し「学天則」で地底の妖魔に立ち向かうシーンが印象的でした。

 黒田茂丸:風水師として、加藤に直接対決を挑んだ辰宮恵子さんのサポートを買って出た(映画第一作のクライマックス)。いったん完結した後に出版された「大東亜編」では主役級の扱いに。

 平岡公威:大蔵省の官吏だったが、物語中盤のヒロインと霊的な関わり合いを持ち、黄泉に下って将門の怨霊と対峙した。愛刀は関孫六。

 角川春樹:新興宗教の大宮司として加藤と切り結ぶ。超古代の宝剣の力によって関孫六を刃こぼれさせたため勝負はつかなかった。宝剣の力によって……ね。

 団宗治:コンピュータ時代の幸田先生。降霊プログラムや式神封じプログラムなどを使って十二神将を全滅させた。魔術と文学に埋もれて暮らしたい人らしい。


 ……と、こんな感じでしょうか。

 とりあえず原稿用紙3、4枚程度の文章を書いたので、いったん区切りとします。今回思いついた人物をあげたら不思議と男性ばかりだったので、今度は印象的な女性たちについてまとめてみたいと思います。

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誰からかお金をもらってやっているわけではないし、必ず毎日何か書かなくちゃいけないわけじゃないんだ……と思いながらも、書かなくちゃいけない気がして……でも何を書こうかわからなくて読売新聞を読みました。話題探しを新聞でする。これがいいんですよ。

 そんな中で「ヘェー」と思ったのが、「あれから」という連載記事。今回は往年の大ベストセラー『世界の中心で、愛をさけぶ』の片山恭一さんの話でした。

 当時45歳の「売れない中年作家」だった片山さん。タイトルは小学館の編集者から提示され、さらに3年間「塩漬け」にされて2001年に出版された作品は書店員による手書きポップによって売り上げが伸び始めました。その後、映画にドラマと次々に仕掛けが打たれ、ついに300万部突破の大ベストセラーになりました。

 私は読んだことがないし、これからも読むことはないと思いますが、ベストセラーと言うのは作品の良さだけじゃなくて、編集者や書店員の売り方次第であるという気がしました。盛岡の書店でも、ある本が表紙をあえて隠し期待感を膨らませることで売れまくった、ということもありましたしね。良いものを書けば売れる。そういうものではないのでしょう。大体読む側たる私だって、そうして多くの人たちの手によって情報が届かないと、知らないまま通り過ぎてしまいますしね。

 結局多くの人に「いいね」をもらったりなんだり……そういう時流を敏感に感じ取って波に乗る人は、それはそれでいいと思うんですが、私はそうじゃない側の人間みたいです。SNSで時々ものすごい数の「いいね」がついて、粋がっちゃったこともありましたが、そういうのもういいです。私は私がいいと思ったものだけを集めます。もしかしたら、ベストセラーとか流行のものもあるかもしれませんが、それならそれでいいでしょう。

 良いものが、良いのです。

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前々回の記事で「早川茉莉さんの『森茉莉かぶれ』を借りてきた」「それを『帝都物語』と並行して読みます」と言う話をしたところですが、休日を利用していっぺんに読了してしまいました。



 なんだってそんなに読み急ぐの? と言われるかもしれませんが、決してそうではありません。今日は良い天気だし、借りてきた『帝都物語』第参番と第四番を返し手続きを借りて来なければいけないので、ちょっと雰囲気のいいところで読んでみようかと思って行ったのです。……確かに、ここで読み終えてしまえば返却の手間が省けるなと言う思いはありましたが……。

 

 今回はこちら。定禅寺通りにある「甘座洋菓子店」……の前にあるフリースペース(LIVING STREET PROJECT―西側の歩道を楽しむプロジェクト―によるもの)で読みました。なおこちらのお店は1968年創業で、路上駐車してお菓子を買いに来る人たちがたくさんいました。そんな雰囲気の場所であれば、なおさら本の愉しみも増すというものです。

 大体にして森茉莉さんも著者の早川茉莉さんも無類のカフェ好き(カフェなしでは1日もいられないとか、そういうレベル)ですからね。そんなお二方の世界に入り込むためには、これほどうってつけの場所もないわけですよ。風月堂か邪宗門か。いやいやここは仙台だ。森茉莉さんは仙台について「三越もないし何もないし」と、あまりお気に召さなかったらしいですが、私は仙台が好きなんです。
東京じゃなくていい。東京みたいにならなくていい。私はそんな仙台のストリートでふたりの茉莉さんの世界にしばし浸りました。

 

 こうしてきちんと、早川茉莉さんの文章を読むのは初めてですが(こないだのムック本でおすすめリストを少々読んだことはある)、すごくしっかりしていて良いですね。ご自身では「ふん、キザですね」と謙遜しておられますが、いえいえそんなことはありません。私も最近『私の美の世界』『贅沢貧乏』それにいくつかの短編とエッセーを読み、『森茉莉好き』のサロンの端っこでおずおずとしている身ですから、先輩のお話をたくさん読めて、すごく楽しかったです。

 何よりも、大好きを伝える方法として手紙ほど便利なものはない、と思いました。便利というか適切と言うか……気持ちがストレートに伝わるな、と。もっと言えば、手紙そのものの効用について、改めて気づかされたというか。「これはいいなあ!」と。ええ、本当に本当に、この本そのものが気に入ってしまったのです。

 でも、繰り返しますが急いで読んだわけではありません。早川茉莉さんの文章はとても素敵で、森茉莉さんへの愛情がたっぷり伝わりました。そして、私もまた森茉莉好きの端くれとして、そのあたりの感情を共感できて良かったです。比べるべきではないかもしれませんが、こないだの群ようこさんの本よりもずっと共感できました。群さんの方は「まあ、確かにそうかもしれないけど……」と若干距離を置いて冷静な振りをし、なおかつ少し我慢しつつ読了しましたが、これは本当に最初から最後まで「そうだ!」「そうかな!」と共感しながら読めました。

 ちなみに早川茉莉さんは、「ベストセラー本であっても、筆力のないエッセイや小説が好きではありません」とのこと。いや、まあ私はただの一般人だから、どれほどめちゃめちゃな文章でもいいとは思うのですが、やっぱり一定のカリテに達していないといけないとは思うんですよね。せめて、書けなくてもいいから良い本をたくさん読みたいです。そしてそれを真似してみたいです。



 仙台も、もう秋の雰囲気が本格化しています。明日の最高気温は16度とか。今夜も温かくして眠ることにします。……眠れればいいなあ。

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本当に神経衰弱で12時過ぎに寝て4時前に起きてそれっきり全然眠れない感じです。

 そんな不眠を紛らわし不安を紛らわし精神的な活力を得るために、これまでにない集中力で本を読みました。水曜日に借りてきた『帝都物語』も3日で読み終えてしまいました。というか第四番を昨日一晩で一気に読んでしまいました。3時間くらいで。



 第四番は『百鬼夜行編』と『未来宮編』。一般的に『帝都物語と言えばコレ』みたいな時代(明治末~大正大震災の頃)はすでに遠い昔のこととなり、この頃は1960年代……そして昭和69年とか、そういう時代になっています。最初の頃は電気もまだ珍しかったのに、この時代にはコンピュータで降霊を行ったりしています。いよいよ女神転生です。デジタル・デビル物語です。

 そんな感じで思い切り物語の世界に没入して帰って来たばかりなので、今日はそういう心理状態で書きたいと思います。


 一度、読んではいるんですけどね。帝都物語。

 2013年6月9日 「破壊と鎮魂」

 この時は10日くらいかけて、ようやく12冊分の6冊(豪華愛蔵版なので2篇が1冊に収められている)を読んだのかな。当時のことは、私がプライベートで書いていた半小説(その頃思ったことや体験したことを自分で作ったキャラクタに語らせた文章のこと)に書いていて今でも振り返ることができるのですが、やはり圧倒的なスケールに呑み込まれ、命からがら冥界から帰って来た……という感じだったみたいです。

 その時の体験を踏まえて今回は読んだのですが、やはり面白かったです。むしろ他の本や体験を10年分積み上げてきたので、それらを総動員して互角に渡り合えるようになった感じがします。ようやく私のレベルが、物語の世界観に追いついたのです。

 むしろ、以前よりもより深く物語を楽しむことができました。年齢的にも志向的にも団宗治に近づいたからかな。小説家だけど銀行員としてコンピュータを扱う仕事をしている団さん。辰宮(目方)恵子さんいわく「魔術と文学に埋もれて暮らしたい」団さん。今現在私がそういう生活をしているわけではありませんが、そういう生き方に憧れます。

 一方で「昭和70年」の東京の地下に85年前の銀座を再現する実験には、強烈な憧れを感じます。それは物語全体(おおよそ100年)を通して暗躍する魔人・加藤保憲を対抗するためにとある人物が作り上げたミニチュアなのですが、地下に理想世界を建築する……そしてその世界が時空の壁を越えて、幽冥の境界さえも無くしてしまう……。

 単純に「いいなあ」と思うのです。本を読み、本の世界に没入してユートピアを追い求め、心の中に作り上げることを生きがいとしつつある私にとっては、とても素敵な世界に見えます。

 とにかくすごい勢いで読んできましたが、もうすぐおしまいです。物語が大きすぎて全体を総括することは難しいですが、別に私がまとめなきゃいけないわけじゃないですよね。私はただの認識者でいいです。その代わり、とてつもなく深く受け止めます。気に入ったものは骨髄まで舐めます。そして自分の持っているイメージと結びつけて、無限に広げます。それが私の特技です。そして私の大好きです。

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今日は午前2時くらいに目が覚めて、そこからなかなか寝付けなくて……そのまま7時前に出勤。ひどい寝不足でした。そのためにこのブログも、

 「今日は筆者急病のためお休みします」

 と一行だけ書いて終わらせようと思ったのですが、病をおして図書館に行ったところ、精神的に少し元気になったので書きます。

 別に読んだ冊数を数えたところで何の自慢にもならないのですが、一応、「今年読んだ本」ということで年始から記録をつけています。村山早紀先生の『コンビニたそがれ堂異聞』から始まって、今じゃ『ドグラ・マグラ』だの『帝都物語』だのと暗黒みたいな物語ばかり読んでいます。これに三島由紀夫さんと森茉莉さんも加わるので、今秋の読書まつりは史上最大に密度が濃いです。あ、三島さんは『帝都物語』にも出ます(!)。

 本を読んでいる間は心が元気になります。最近じゃ、家からほとんど外に出ず一日中本を読んでいる……なんていうこともざらです。何をするでもないけどとにかく外出しないと気が済まなかった20代の頃とは大違いです。

 そして、どうやら本好きが高じて、書店や図書館と言った場所に来ると元気になり、さらに時間を忘れて30分でも1時間でも眺めていられるような気質になったみたいです。確かに高校生~大学生の頃は、本棚に並んだタイトルを端から端までずっと眺め、ピンと来たタイトルの本を手に取ってみる……ということをやっていましたが、20年ぶりにその頃の感覚がよみがえって来たみたいです。むしろ、20年のキャリアがあるから深まったのかも。

 たぶん今年は10年に1度の「大・読書イヤー」なのでしょう。10年前(2013年)にも読んだ本の記録をつけていて(その時が『帝都物語』の初読でした)、冊数でいえば120冊ほど年間で読んだのですが、『海底二万里』も『魔女の宅急便』も同じ一冊と数えていますからね。今年は今年で『幻想文学』『ユリイカ』などムック本を加えているので、まあ冊数に意味はないですね。ただ、どんな本を読んで……元気な時はいちいち読後感をメモしたりしていたので、個人的にはとても重要な記録となっています。

 今日も早川茉莉さんの『森茉莉かぶれ』という本を借りてきました。序文で、とっても素敵な文章があったので、引用させて頂きます。



 憧れながらも手の届かない存在。出会って、好きになって、もうどうしようもなく恋い焦がれる位に好きになってしまって、もう彼女から離れることはできない。なのに、好きになればなるほど遠くなっていく。憧れながら、恋い焦がれながらも、遠いはるかな存在。そして、永遠に出会うことはかなわない。それが私にとっての森茉莉なのである。
 そこで私は、彼女と喋りたいたくさんのことを手紙という形式を借りて果たすことにした。好きな人に宛てて手紙を書くように。森茉莉に宛てて。……(中略)……誰に遠慮がいるものか。森茉莉という作家を愛するすべての人たちがそうであるように、私には私なりの「私だけの森茉莉」があるのだ。私はそう心に決めた。
(筑摩書房 『森茉莉かぶれ』9ページ16行目-10ページ5行目)


 「そうかな!」と澁澤龍彦さんのマネをして、私も得心しました。早川茉莉さんの気持ちに、とってもとっても共感できたからです。なのでこの本を借りてきました。早川茉莉さんにとっての森茉莉さんは、私にとっての誰なのか。それをあえてこの場で言うことは致しませんが、そういう気持ちはよくわかります。……そして、「遠いはるかな存在」という言葉は私が想像していなかった境地ですが、それだけに、いっそう強く胸を打たれました。

 そうか……それでいいんだ……
 好きになればなるほど遠くなっていく……永遠にかなわない恋……
 でも、こうして気持ちを伝えることはできるんだ……
 じゃあ……私も……

 今はまだ『帝都物語』を読んでいる途中なので、並行して読む形になると思いますが、良いきっかけを見つけました。そうですよね。みんなそれぞれ『私だけの』があるだろうし、そういうのがあるって、認めちゃっていいんですよね。……なんか、それだけで、もう心が元気になっちゃって……。

 そんな感じで、これから『帝都物語』の続きを読みます。明日は休みだし。いくらでも本を読んでいられる幸せ。……これもひとりぼっちだからだと思うと、悲しくもあるけど、でも嬉しいです。私は空想の世界に生きることを、決して悪いことだとは思っていませんから。

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今日は何について書こうかしらん、と悩みながら河北新報の夕刊を読んでいたら、仙台文学館で劇作家・石川裕人氏の企画展をやるという話を知りました。そこで今日は「演劇」とテーマを決めて書いていきたいと思います。

 といって別に演劇とは……なんて大上段に構えるようなことはありません。もちろん私は舞台俳優ではありませんし、認識者としても「年に100回は劇場に行っています」というわけでもありません。最初からないない尽くしでどうするんだって話なんですが、それでも決定的に心の中に生き続ける「演劇」があります。

 それは今からちょうど20年前――2003年に盛岡の「劇団赤い風」さんが演じた『花札伝奇』です。当時すでにホームページで自己表現活動をやっていたので、その時の情報を再掲します。22歳当時の私の若書きですが、まあ御笑覧ください。

 せーの、ドン!

 闇に入り、闇より出ず――『花札伝綺』を見て

 ……今ここにタイムマシンがあったら、20年前の私に言ってやりたいですね。「下手でもいいからちゃんと筋書きを書け」と。たぶん自分会議になると思いますが。

 当時もらったチラシは今も実家にあるんですが、内容は全然覚えていません。ただ、

 「どこか薄暗くて肌寒い世界に引き込まれていくような感じがし、最後は再びそのような 冥土から現世に引き戻されたような、そんな感じがした」

 確かに、そういう感覚だったように思います。

 ……でも、ま、20歳そこそこの私には、完全にキャパオーバーだったのでしょうね。正直、その頃と変わっていない部分はたくさんありますし。そんなに自分のことを責められないかな。当時の私にとっては感動に打ち震えて、これが精一杯だったのかもしれません。そうすると、まあ……今の心情からすれば……うん、いいよ。悪かった。ごめんごめん。

 そんなわけで、私にとって「演劇」というのはそういう……20年も前にさかのぼってしまうのですが……とても重要なものです。それを現在にアップデートするために、会期中に行って見たいと思います。

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思ったことを素直に書きます。

 人とのつながりを持ちたい感情と、「私なんか、誰とも関わらずにひっそり生きた方がいい」という感情が拮抗しています。その間に立った私の自我は何とか調停するべくあっちに気を配りこっちに気を遣い、ほとほと疲れ切ってしまいました。「僕の神経衰弱の最も甚しかりしは大正十年の年末なり。」とは芥川龍之介の『病中雑記』ですが、私もそんなことを言いたくなってしまいます。

 そうなんです。決して人とのつながりを断ちたいわけではなく「そうした方がいい」と考える私がいるんです。

 「そこまで突き止めているのなら、その考えをやめればいいじゃないか」

 そうおっしゃる向きもあるかもしれませんが、「自動思考」というのは、そう簡単には治らないんです。一応『認知療法』というのはありますが、それだって本人の不断の努力が必要なんです。

 「そんなの私だってわかってるんだ。でも、そこにたどり着くまでの今が苦しいんだ」

 だからお医者さんがいるんじゃないですか。そこにたどり着くまでのアシストをしてほしいから、話を聞いてほしいと思うし薬を処方してほしいと思うんです。最後は自分が何とかしなくちゃならないのはわかっているから、そこまで何とか導いてほしいんです。それが素人にはわからないノウハウを持ったお医者さんにやってほしいことなんです。それなのに!……

 まあ、そんな恨み言をぶつけたい医師との関係も今となっては断絶、仙台に来たらどこもかしこも予約が入れられず強制的に自助努力で何とかしなければならない状況に放り出され、実際に何とかなって来たんですけどね。

 何とかなっていたのが夢幻の如くなりなのか、それとも自転車の如く上手に乗りこなせていたのか。

 ……


 確かに心の本質は変わらないかもしれません。どこまでも私は感情的な人間だし人づきあいは上手じゃないし悪くすると「怖い」と思っちゃうし。でも、そういう状態をできるだけ遠ざける技術はこの十数年で身についたはずなんです。そういう技術で得た経験で、もっともっと生きづらさを軽減することができるはずなんです。

 このところちょっと気持ちが揺らいでいましたが、少し落ち着きを取り戻しました。やっぱり、書き出すことって大事です(これは最初に不安障害で飛び込んだ盛岡の心療内科医から教えてもらったことです)。

 でも……やっぱり怖いです!

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Xを再開したものの、不安が付きまといます。

 いまなら不安障害とか、そういう言葉になるのでしょうか。いっぱい伝えたいことはあるし、伝わらなくても、心の解放治療という意味でも自分の気持ちをどんどん発信するのは良いことだと思うのですが、厄介なのは、「明確な理由がないけど強烈な抑圧感・不安感」が私の感情を支配しているということです。

 だから、これを不安障害と言うのでしょう。

 もっとも、こういう状態になったのは初めてではありません。私がまだ20代の頃、日常生活にも支障が出るくらい強烈な不安障害に襲われて(当時は「神経症」と言われたことを想い出した)、初めて心療内科に駆け込んだ時もそうでした。

 その時は「パキシル」「メイラックス」という2種類の薬と、「考えていることや思ったことをノートに書き出してみるといい」「書き出すことで心が落ち着く」「あとで読み返してみると、自分がどういうことを考えていたのか整理できる」という先生のアドバイスで治しました。最近になってそれがいいなんて言っていますが、私の先生は20年も前にそのことを教えてくれていました。何を今さら、って話です。


 そうして乗り越えてきたので、今の私は大丈夫だと思います。結局、本質的な部分は何も変わってない! 私は良くも強くもなってなかったんだ! ということは少し悲しいですが、これが私の個人的無意識なのでしょう。理屈で割りきれない心。幼いまま発達が止まってしまった心。何とかしようったって私ともならないなら仕方がありません。

 すぐに何とかなるものじゃないことは、わかっています。でも絶対に治らないものじゃないことも、わかっています。また薬をもらえれば、大きな助けになるとは思いますが、なくてもここまでやってこられたのなら、必須ではないと思います。

 焦らず、ゆっくりやっていきたいと思います。自分で何とかflat feelingの領域まで心を持っていければ大丈夫です。

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Xを再開しました。

 こんなに早く再開するつもりではなかったのですが、復帰する時期をいたずらに先延ばしにするのも良くないと思ったからです。時期は自分で決められるけど、「時機」は待ってくれないのです。

 時機?

 そう、「世情に疎く、時勢に昏く」を謳う私ではありますが、1年に1度のこのイベントを無視するわけにはいかないのです。そしてその話題は、今すぐ書くしかないのです。



 青葉通地下道で開催されたイベント「地下道-3150」を見てきました。

 去年も見てきましたが、今年も見てきました。
 
 やっぱり、私にとっては一番大切なイベントなんですよね。もうお正月みたいなものですから。これがあると信じて1年頑張ってきたのだし、また来年もあると思って1年頑張る。そういう、重要なきっかけ作りのイベントなんです。

 果たして今回もその雰囲気を楽しんできました。

 今年は小さい子どもたちがキャッキャ言っているのが印象的でしたね。なので、「少数派も多数派もみんなおいでよ」という雰囲気でした。そして私みたいな世捨て人になりかけた人類もつかの間打ち解けられたのです。スタッフの方とお話をして、こちらの……



 ……と遊んだりして……。


 そしてその感想を伝えるべきであるというのはもはや天啓だと思ったので、投稿しました。

 そうしたところ、色々と心配の声を頂き、大変感動しました。

 神経がひどく衰弱していて、すぐに元通りとはいきませんが……また少しずつ、始めていきたいと思います。ただし順番は、このブログが第一です。ある程度まとまった文章を書いて、そのあと繋がりを維持するためにXをやる。そんな感じで少しずつ……ね。

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