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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
新しい古本屋というと、何とも矛盾に満ちた不可思議な言葉を弄しているように思われるかもしれないので、説明が必要だろう。新しいというのは「初めて見つけた」という程度の意味であって、いわゆる全国展開している大型店舗のことではない。以降の文章は、その前提のもとで読んでいただきたい。

 先日、街を歩いていて、新しい古本屋を見つけた。わくわくする心を抑えられず、すぐに入った。

 何か恋い焦がれるように探し求めている本があるかといえば、ないこともないが、それよりも単純に古本屋というものが好きなのである。

 入り口付近に乱雑に積まれた特価本。その奥に整然と並ぶ色褪せた古書群。しめしめ、これは良い店を見つけたぞと心の中でにやにやしながらも、そんなことを気取られぬよう慎重な面持ちで眺めてみる。そのうち「せっかくだから、何か一冊、これは!というものを見つけて買ってやろう」という気分になる。無論それは帳場の奥に胡坐をかき、腕組みをしてじろりと私のことを睨みつける達磨のような古本屋の店主から無言の圧力をかけられ「とりあえず一冊買って行こうか」と思ったからとか、そういうわけではない。あくまで私の趣味なのである。

 そう、私は本が好きで、また古本屋というものが好きなのである。そもそもこちらだって、いくら店の雰囲気が気に入ったからと言って、そこまで義理立てをしてやる必要もない。一種の宝探しのような気分で店内をうろつきまわるのである。

 そうしているうちに、暗澹たる私の心もいくらか晴れやかになった。もしここに檸檬のひとつも持っていれば、バタバタと洋書を積み上げた後にそれを置き悪漢の気分で立ち去るのだが! と、くだらない空想をしてみるくらい、心の余裕が出てきた。もちろん私はそんな梶井基次郎の『檸檬』は好きだしその気持ちにも大いに賛同するが梶井の足元にも及ばないような平地人であるので、ひたすら「巡り合えた一冊」を追い求めて店内を右往左往するのである。

 歴史、思想、心理学、医学、思想。いずれも良い本ばかりである。その中で私は一冊の本を見つけ、危うく声を上げそうになった。その一冊を手に取り、序盤の数頁を眺めてみる。その本の著者は私が大好きな人なので中身など見ずとも面白いに違いないと確信し、買う気ではいるのだが、やはり先立つものが心細い。勇んで帳場に持っていき、さあ代金を払おうかという時に金子が足りず泣きながら店を出て行ったとあっては、私は一生涯この界隈を歩くことが出来ぬほど打ちひしがれるであろう。そこで前もって値札を見ることを、貧乏くさいと笑わないでほしい。あくまで慎重に行動したと褒めていただきたいくらいである。

 果たしてその値札に書かれていた金額は、決して安いものではなかったが、本の価値を想像すると妥当な気がした。あくまで素人の私が考える価値であるから、まったく世の中のそれと照らし合わせて妥当かどうかは知らぬが、早い話が物を買うというのは自分自身の天秤によるものであって、私が「ちょっと高いけど、まあ仕方がない」と言って帳場に持っていくのならそれでいいのである。

 かくして私は一冊の本を買い求め、大切に鞄にしまって帰宅した。今は図書館で借りてきた京極夏彦の『遠野物語REMIX』などを読まねばならぬから順番的には後回しになるのだが、なにこれはおれがお金を出して身請けしたのだ。どこへもやらぬぞと心やすい気分になり夕食および晩酌(クラフトスパイスソーダ)を痛飲。令和の時代の平地人として今夜も戦慄すべく書を開くものなり。

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