ここまであっちこっちまわってきたアンデパンダン展。その回想録についても思いのほか長くなってしまいましたが、これで終わりです。最後は私が初めて訪れた仙台市のギャラリー『ターンアラウンド』です(通称タナラン)。
実は、前もってどこの会場で誰の作品が展示されるのかというのをリサーチしたうえで来ていた私。このタナランでは、ウラロジ仙台さんの『地下道3150』や竹駒神社の『夏詣』のイラストを描いている『亀井桃』さんが作品を展示しているということで、非常に楽しみにしておりました。
……前回の記事でも書きましたが、作品そのものは無審査で通るものの、どのギャラリーに配置するかは主催者側で選定し決めることですからね。やはり一定の安定感はあるように感じました。ちょっと変わった作品だとしても、ある程度の枠のなかでの「変わった」であって、文字通りのバーリトゥードな感じではないんです。
ある一定の枠――または一定の方向性の上での「変わった」作品。本当に何が飛び出すかわからないっていう雰囲気は、タナランとかSARPとかといった仙台市中心部のギャラリーでは感じられませんでした。そういうものだから、そのうえで私も楽しむのだから、全く問題ないわけですが。むしろ、中本美術館で見たような、「ウムム……こ、これは……!?」と若干不安になるようなものがあってもアレだと思うので。あったらあったで面白がると思うんですが。
平面の作品としては、このあたりが私の波長に合う作品でした。やっぱり前回のアンポンタンズ展で少し気持ちが前向きになったとはいえ、まだまだ暗い部分が残っていたので、そういう私の心にダークな(でも、綺麗な)雰囲気が共鳴したのでしょう。それは理性でわかっている範囲だったので、安心して楽しむことができました。
ちょっとドキリとしたのは、一通りの展示を眺めた後でまたこの人形のところに戻ってきた時でした。一度目にサ……と眺めた後に戻ってくると、妙にこの人形が愛おしくなってしまったのです。得も言われぬ魅力を感じて、「いわゆる世間でストーカーと呼ばれる者たちの心境とは、このようなものではなかっただろうか」とギリギリのところで自分の感情を俯瞰するような視線を送ってしまったのです。
他のお客の視線を気にしつつ、色んな方向から写真を撮ってみる。どうやったら、私が感じている彼女の魅力を一番引き出せる写真が撮れるのだろう。どこから撮ればいいんだろう。そうやっているうちに、ある一点を見つけ、ベスト写真を撮ることができました。
「ここだったか!」
電光に打たれたような衝撃を感じました。ちょうど彼女の視線と私の視線がぶつかり合い、彼女が放つエネルギーを真正面から受け止められるアングルとは、ここだったのです。かくしてこのアンデパンダン展最大のクライマックス、自分の被造物に恋してしまう名工ピュグマリオンのごとき人形への愛情が爆発してしまったのです。
まあ、爆発したとはいえ、これはあくまで「鵜坂紅葉」さんの作品です。私がどうこうできるものではありませんし、そうすることでこの感動を自ら破壊してしまう勇気もありません。ただ満足できる一枚が撮影できた。私はそれでよいのです。この写真を大切にすることで、私のピュグマリオン・コンプレックス(by澁澤龍彦さん)は満たされるのですから……。
その後、改めて亀井桃さんのイラストを見ました。そしてカウンターの方を眺めていて特に何という札もなくちょこんと置かれている女の子のイラストを見て「あ、門眞妙さんの絵がある」と思いつつ、まだ気持ちが復調していないために「これって門眞妙さんの絵ですよね?」と確信をもって問いかけることもできず無言でその場を後にしたのですが、これで私のアンデパンダン展は終わりです。このあとは青葉通を仙台駅方面にまっすぐ歩き、ウラロジ仙台さんの最大イベント「地下道3150」に突撃したわけですが……それはまた別なお話です。
*
最後に結論めいた話をするべきなのかもしれませんが、それは以前の記事で書いちゃったんですよね……。でも、いきなりこの記事にたどり着いた人もいるかもしれないので、自分で書いた記事を引用するという、インチキくさいことをしてしまいます。私が私の記事を引用して何が悪い! なんてねテヘッ!
自由と独立の精神。誰にでも開かれた場。自分がいいと思ったものを自分の一等得意な方法で精いっぱい表現する。ジャンルも形式も違ったアレコレをいっぺんに見て私が感じたことをまとめているうちに、何かがはじけた気がします。
私だって、思い切り大好きを表現してもいいはずなんです。誰に遠慮がいるものか。公序良俗に反するのはダメですけど、そうでないなら……ね。今の時代はコミュニケーションツールが発達して、バズるとか、たくさん「いいね」がつくような表現じゃないといけないような風潮がありますが、そんなことはないんです。むしろ流行るものは廃れるものでもあります。それよりも「消費されない」ものを……誰にも気づかれず褒められもしないけど、無くなりもしない、ずっと心に残り続けるものを……そういうものを食べて生きていきたいし、自分でも形にしていきたいなと思いました。
まったく面白いイベントでありました。またアートに心を救われました。来年は私も何かしら出展してみようかしらん。そんな気持ちにさえなってしまう……そう、何よりも自由と独立の精神、どんな表現だって良いも悪いもないんだっていうことを体験的に教えられたというのが、一番大きな収穫でした。
良いと思います!
(完)
実は、前もってどこの会場で誰の作品が展示されるのかというのをリサーチしたうえで来ていた私。このタナランでは、ウラロジ仙台さんの『地下道3150』や竹駒神社の『夏詣』のイラストを描いている『亀井桃』さんが作品を展示しているということで、非常に楽しみにしておりました。
……前回の記事でも書きましたが、作品そのものは無審査で通るものの、どのギャラリーに配置するかは主催者側で選定し決めることですからね。やはり一定の安定感はあるように感じました。ちょっと変わった作品だとしても、ある程度の枠のなかでの「変わった」であって、文字通りのバーリトゥードな感じではないんです。
ある一定の枠――または一定の方向性の上での「変わった」作品。本当に何が飛び出すかわからないっていう雰囲気は、タナランとかSARPとかといった仙台市中心部のギャラリーでは感じられませんでした。そういうものだから、そのうえで私も楽しむのだから、全く問題ないわけですが。むしろ、中本美術館で見たような、「ウムム……こ、これは……!?」と若干不安になるようなものがあってもアレだと思うので。あったらあったで面白がると思うんですが。
平面の作品としては、このあたりが私の波長に合う作品でした。やっぱり前回のアンポンタンズ展で少し気持ちが前向きになったとはいえ、まだまだ暗い部分が残っていたので、そういう私の心にダークな(でも、綺麗な)雰囲気が共鳴したのでしょう。それは理性でわかっている範囲だったので、安心して楽しむことができました。
ちょっとドキリとしたのは、一通りの展示を眺めた後でまたこの人形のところに戻ってきた時でした。一度目にサ……と眺めた後に戻ってくると、妙にこの人形が愛おしくなってしまったのです。得も言われぬ魅力を感じて、「いわゆる世間でストーカーと呼ばれる者たちの心境とは、このようなものではなかっただろうか」とギリギリのところで自分の感情を俯瞰するような視線を送ってしまったのです。
他のお客の視線を気にしつつ、色んな方向から写真を撮ってみる。どうやったら、私が感じている彼女の魅力を一番引き出せる写真が撮れるのだろう。どこから撮ればいいんだろう。そうやっているうちに、ある一点を見つけ、ベスト写真を撮ることができました。
「ここだったか!」
電光に打たれたような衝撃を感じました。ちょうど彼女の視線と私の視線がぶつかり合い、彼女が放つエネルギーを真正面から受け止められるアングルとは、ここだったのです。かくしてこのアンデパンダン展最大のクライマックス、自分の被造物に恋してしまう名工ピュグマリオンのごとき人形への愛情が爆発してしまったのです。
まあ、爆発したとはいえ、これはあくまで「鵜坂紅葉」さんの作品です。私がどうこうできるものではありませんし、そうすることでこの感動を自ら破壊してしまう勇気もありません。ただ満足できる一枚が撮影できた。私はそれでよいのです。この写真を大切にすることで、私のピュグマリオン・コンプレックス(by澁澤龍彦さん)は満たされるのですから……。
その後、改めて亀井桃さんのイラストを見ました。そしてカウンターの方を眺めていて特に何という札もなくちょこんと置かれている女の子のイラストを見て「あ、門眞妙さんの絵がある」と思いつつ、まだ気持ちが復調していないために「これって門眞妙さんの絵ですよね?」と確信をもって問いかけることもできず無言でその場を後にしたのですが、これで私のアンデパンダン展は終わりです。このあとは青葉通を仙台駅方面にまっすぐ歩き、ウラロジ仙台さんの最大イベント「地下道3150」に突撃したわけですが……それはまた別なお話です。
*
最後に結論めいた話をするべきなのかもしれませんが、それは以前の記事で書いちゃったんですよね……。でも、いきなりこの記事にたどり着いた人もいるかもしれないので、自分で書いた記事を引用するという、インチキくさいことをしてしまいます。私が私の記事を引用して何が悪い! なんてねテヘッ!
自由と独立の精神。誰にでも開かれた場。自分がいいと思ったものを自分の一等得意な方法で精いっぱい表現する。ジャンルも形式も違ったアレコレをいっぺんに見て私が感じたことをまとめているうちに、何かがはじけた気がします。
私だって、思い切り大好きを表現してもいいはずなんです。誰に遠慮がいるものか。公序良俗に反するのはダメですけど、そうでないなら……ね。今の時代はコミュニケーションツールが発達して、バズるとか、たくさん「いいね」がつくような表現じゃないといけないような風潮がありますが、そんなことはないんです。むしろ流行るものは廃れるものでもあります。それよりも「消費されない」ものを……誰にも気づかれず褒められもしないけど、無くなりもしない、ずっと心に残り続けるものを……そういうものを食べて生きていきたいし、自分でも形にしていきたいなと思いました。
まったく面白いイベントでありました。またアートに心を救われました。来年は私も何かしら出展してみようかしらん。そんな気持ちにさえなってしまう……そう、何よりも自由と独立の精神、どんな表現だって良いも悪いもないんだっていうことを体験的に教えられたというのが、一番大きな収穫でした。
良いと思います!
(完)
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