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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 世の中の様々な事象および私自身の業務上の事象により、心の状態がどうも重くて鈍くてイマイチな状態が続く私。……そんな状況を打破するべく、というかなんというかわかりませんが、昔に公開していた記事をまた引っ張り出して来ました。

 ひとつは夢について考えたことで、もうひとつは、え~と……何て言うんだろうこれ、半分、自動書記みたいな感じで書いた文章。いずれも2003年、私が大学4年生の頃にかかれた文章だと思います。

 『バニヤン、セプティマス、犬神』というタイトルは、ロラン・バルトの『サド、フーリエ、ロヨラ』の向こうを張ってつけてみたのですが、自分が夢で見たこと(※)を書いたという形式を取っている『天路歴程』の作者であるバニヤンはともかく、セプティマスはあんまり夢を見ているという感じではありませんよね。外側から見れば悪夢というか妄想の世界の住人ですけど。

 って、今日はそういう話じゃないんですよ。

 要するに、どんなに否定しようとしても私が培ってきたもの、書いてきたものは、私のものだし、私という人間を形作るピースのひとつになってるんだなということ。

 イタいとか中二病っぽいとか、私はその言葉の意味がちょっと不確かなのであまり使いませんが、そういう文章もあるかもしれません。でも、かの文豪・三島由紀夫も『若書き』といわれるような作品を初期の頃は発表していたのだし。最低限の注釈というか、30歳になった今の感想を付け加えるくらいはさせていただきますが、これからも順次、再公開していきたいと思います。


 *


 さて、今日はアメリカ同時多発テロ事件から10年、そして東日本大震災から半年。

 これはもちろん、忘れようったって忘れられるようなものではありません。つらいですが、忘れるべきではないでしょう。

 というか、震災の方は、今もまだ続いていますからね。

 政治に期待できない気持ち。いまだに心無いことを言うどこかの誰かへの気持ち。昨日も書きましたが、そういった情報を耳にすると、何がなんだかわからなくなってしまいます。

 だから、とにかく、目の前のことをやるしかない。生きていかなきゃいけないんだから。

 そして、少しずつではあるものの、実際に前に進んでいる。そんなニュースを聞くたびに、落ち込んでいた気持ちがちょっと晴れやかになります。


 とりあえず、動きが鈍くなってしまいがちですけど、私も頑張ります。過去を振り返れば、まだまだ使えそうなものがいっぱい放り込まれていそうですからね。


 (※ 夢で見たことというのは神からの啓示と考えられていた)

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 先日も書きましたが、台風12号の被害、大変なものになっていますね。

 テレビ放送を見るたび「こんなになっているのか!」と驚くばかりです。もしかしたら3月11日に、関東や近畿の人たちがテレビで見ていた人も、そう思ったのかもしれません。

 ともかく今回は、勢力もさることながら、妙に進み方が遅かったことと、紀伊半島の地形的な問題があったみたいですね(土砂崩れが起こりやすい地形だったらしい)。

 そして、台風が過ぎ去ってもまだ水が引かず、電気や電話もまだ復旧せずその見込みも立っていないという状況。……その大変さは私もよくわかります。早く復旧してほしいという気持ちはもちろんあるでしょうが、たとえば交換局じたいが被害を受けていると、なかなかNTTの方も大変なのだろうな……と思うのです。


 海の向こうのアメリカでもハリケーンで数十億レベルの被害が出ていますが、そのお金をどこから持ってくるのか。首相や大統領でなくても頭の痛い問題です。ただでさえ余裕のない国家財政ですからね。何もなくても高齢化社会で社会保障のための予算が必要だというのに。

 ……まあ、難しいことは私にはわかりません。ともかく、東北も近畿も、まずはできるだけ頑張っていきましょう。そのうえで、余裕が出たらお互いに支えあっていきましょう。

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 昨日をもって、岩手県内の避難所はすべて閉鎖となった、というニュースを見ました。

 


 県内の避難所ゼロに 被災3県で初

  山田町で31日、県内で最後まで残っていた避難所4カ所が閉鎖されることになり、住民が引っ越し作業を始めた。東日本大震災で甚大な被害があった岩手、宮城、福島の3県で初めて、自治体が運営にかかわる避難所がなくなる。

 県内では震災直後の3月13日に最大5万4429人が避難所に身を寄せ、避難所は同19日に最大399カ所に上った。仮設住宅などへの転居が進み、8月25日時点で仮設住宅1万2683戸、県が借り上げる民間住宅3856戸に入居した。

 福島県でも31日午後、ほとんどの避難所が閉鎖となる。宮城県では30日現在、避難所143カ所で3930人が生活をしている。(岩手日報

 



 あくまで「自治体が運営に関わる」というものではありますが、それでもすべての人たちが仮設住宅などに引越しができたと言うのは、ひとつのステップと言えるでしょう。記事にもある通り宮城県はまだ140箇所以上の避難所がある状態ですが、福島県も最大の避難所だった『ビッグパレットふくしま』が避難所としての運用を終了したといいますし、復興の流れは確実に進んでいるでしょう。


 もちろん、まだまだ難しいことは山積みです。というよりも、ここからどうやって復興させていくかが、難しいところでしょう。

 すぐに私がどうこうできないような問題もたくさんありますが、とりあえず自分にできることをね。やっていこうと思います。

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 1日遅れてしまいましたが、昨日はあの震災の日からちょうど4ヵ月の日でしたね。

 4ヵ月過ぎたからといって、あまり特別なことは何もない……と思っていたのですが昨日も地震がありました。それもあの日と同じように、日中、オフィスにいる時に。
 
 昨日のものが少し違ったのは、前触れがほとんどなく、いきなり縦揺れでズドドド! と揺れたことでしょうか。余震と思われる震度3~4の地震は何度もありますが完全に慣れるということはありません。また、そうなってもいけないのかな、という気持ちがあります。


 あの日から、それまでの当たり前がすべてひっくり返されてしまって。時間が経って少しずつ復旧復興の動きは進んできていますが、それでも状況が変われば新たな問題が出てきます。今もなお避難所で生活する人が何千人もいるといいます。

 あまりにも被害が大きく、そのためのお金もかかりますから、県政レベル国政レベルでの大きな動きがないと、どうにもならないとは思うのですが、あまり見ないようにしています。誰も信じられなくなってしまいそうだからです。


 でも、『心をひとつに』とか『頑張ろう日本』とかってみんなで言ってるし、私もそのコンセプトは大いに結構だと思ってるので、間接的にでも何か出来ることをと思い、やっています。毎日の業務を精力的にこなすこと、プラス、こんな感じでね。

 

 これは、鈴木みのる選手が提唱し、それに賛同する選手たちで開催したチャリティー興行『カウント2.9』の記念Tシャツ。会場に駆けつけることは出来ませんでしたが、ネットショップで購入しました。VMのチャリティーTシャツはちょっと着て歩くことが出来なくなってしまったので、こっちはちゃんと着て歩きたいと思います。


 出来ることをやる。――出来ることしか、出来ない。

 私はこれからも、個人レベルで、出来ることをやります。

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 あの地震の日以来、つとめて「冷静でいよう」「落ち着いていよう」と思っていたのですが、それは逆にいえば、常にそう思わないと、あっという間に(感情が)疲弊してしまうから。

 電気、ガス、水道、ネット環境。確かに物理的には震災前と同じ状況に戻りましたがそれ以外の部分はやはり特別モードでこの40日あまり、動いてきました。何にも出来なかったり、その反動でやらなきゃいけないことが山積していたり。

 不慣れな状況に、それなりに細くなっていた私の感情はさらに細り、ちょっとしたことがどこまでも気になるような神経過敏状態になっていたのですが、それをごまかしたり覆い隠したりするために、たくさんの理屈を引っ張ってきました。それは要するに、このブログに書いて来たことのすべてと、そうしなかったもっとたくさんの言葉です。

 仕事の方が、「少し手を抜いても大丈夫かな」という程度まで減ってきたので、ようやく無理をしていたことに気づきました。自分としてはそれなりに対応してきたつもりだったのですが、ふっと手綱を緩めると、ドッと気持ちが重たくなって……

 「ああ、これはよくないな」

 そう思いました。ちゃんとリラックスできてない。リラックス「したつもり」で、自分をごまかして来たんだ。そのことに気づいたのです。

 それがいいとか悪いとか。ここでその部分にこだわり、理屈を上乗せすると、さらに感情が見えなくなってしまいますからね。あえて今回は正直に言わせていただきます。ちょっと気持ちが疲れてしまっていたようです。


 昨日から、上橋菜穂子先生の『獣の奏者』を読み始めています(III・探求編)。

 本の感想としては後ほど改めて書くつもりですが、この本を読んで気づかされたことがありました。

 自分はエリン(主人公の女性)のようにきちんと現実を見つめ、これを受け入れていなかった、ということです。

 毎日、やらなきゃいけない仕事の総量を確認する。自分に割り当てられた仕事を確認する。実際にこなした仕事の量を確認する。そういった数字の部分ではもちろん把握していたものの、逆にいうとそれだけで、ひとつひとつの仕事とちゃんと向き合いこれを乗り越えていく……という気持ちが足りなかったように思うのです。

 エリンは普通の人なら気づかない、または気にしないようなことにも興味を持ち、事実をひとつひとつ積み上げて新たな発見にたどり着きます。それゆえに大きなうねりを巻き起こし、それに飲み込まれていくのですが……。

 強いって、こういうことなのかな、と思ったのです。


 なんか、まとまりがない話で申し訳ありませんでした。

 とりあえず、今日は休みなので、このごろの厄妄想を入れし鉄鉢袋を持ってどこかに行って来ようかなと思います。まだ破るのは早いですが、口を開いて中身を捨てて来られればいいかなとね。

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 本当は月曜日に書くべきだったのかもしれませんが、ともかく1ヵ月が過ぎましたね。

 東日本に住まうたくさんの人の日常を根こそぎひっくり返したあの震災以降、私もまた非日常的な日々を過ごしてきました。

 要するに極端に暇な時間も極端に忙しい時間も、心身に結構キツくのしかかるものがあります。ギリギリと締め上げられる感じです。

 もちろん、正常性のバイアスというか、ホメオスタシスというか、あんまり重苦しい気分でい続けるのも嫌なので、何とか『普通』に生きていこうとしました。

 でも、普通じゃない状況で普通に生きていこうとすれば、当然、どこかに無理が生じるわけで。


 ……ここ数日、そのゆがみが少し大きくなってきたような気がします。

 朝起きても、パチッと目がさめない。身体が重ったるい。そのあともテンションが上がりにくいものだから、今ひとつ仕事に身が入らない。

 もしかすると、ちょっと風邪を引いたとか、そういうこともあるのかもしれません。

 なんだか、よくわかりませんが、あんまりよくないことは、わかります。


 仕事が一段落するのは、もう数日かかりそうですが、ここまでですね。これ以上無理したら、かえって破綻してしまう。ここはあえて平静を装わず、素直な気持ちでそのように言っておきましょう。

 とりあえず現状をきちんと認めて、その上で、出来ることをしていく。

 そして歩いていく。これからも。

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 通常この日記は前日のことなどを、朝の6時ころに書いているのですが、今この記事を書いているのは17時半。そして書く内容は今日のことです。


 というのも、昨日の11時過ぎに、先月の大地震の余震と思われるM7.4の地震が発生。私の街も震度5強の揺れを観測し、ひどいことに岩手/秋田/青森の北東北3県が大停電状態に陥ってしまったのでした。

 まあ、これは別に津波の被害というわけではなく、北東北の電気的需要をになう火力発電所がゆれにビックリして自動停止してしまったことが原因でありまして、一応点検したあとに再び稼動してくれたので、24時間を経過することなくこうやって記事を書くことが出来るようになったのですが……それでも今日は仕事になりませんでした。

 前もそうだったのですが、やはり電気がなければ照明もつかないし、パソコンも動かないし、電話もつながらない(電話機じたいが停止してしまったので)。これでは何も出来ません。一応オフィスで指示を待っていたものの、なかなか来ず……。

 そうしているうちにお昼になったので食堂でカレーを食べ、戻ってきた時に与えられた指示は「帰宅指示」。結局、午後1時をもって本日の業務は終了してしまったのでした。

 まあ、仕方がないのでかねてよりの懸案材料だった愛車・ワゴンRのオイル交換を敢行。わざわい転じて福となす、というやつですね。


  *


 ところで、帰り道で気になったのは、まるで1ヵ月前と変わらないガソリンスタンドやスーパーに出来た行列。特にガソリンスタンドの方は、道路をふさいでいるので非常に通りづらくなっており、極めてメーワクな状況でありました。

 あの3.11以来、何度も何度も何度も何度もテレビで放送されているACジャパンのCMで「買いだめはやめよう」って言っているのにもかかわらず、どうしてこんな行列が出来てしまうのか。というと、たぶん「なくなったらどうしよう」という不安な感情から、そうするのでしょうけど、それはあまりにも冷静さを欠いた行動といわざるを得ません。

 だって、今回は発電所が「止まった」だけなんですから。発電所が「被災した」なら話は別ですが、今回は安全のために自動停止しただけであり、点検のうえ再稼動すれば電気が戻ることは、わかっていたことなんですから。

 ……まあ、こうして記事を書いている現在も、まだまだ復旧していないところはありますが、それにしたって慌てて食べ物を買い込む必要があるとは、どうしても考えられません。

 「結局、こないだの地震の時と、何も変わってないのかな」

 そんなふうに思ってしまいました。


 人の迷惑を顧みる余裕もなくスタンドの前に行列を作ったり、食料品を買占めに走る人たちにも、一定の理屈があるのでしょうけど、私はそんなものよりも人としての思いやりとか、節度とか、そういったものを重んじます。人間らしさを捨ててまで、モノを手に入れようとは……私は、思いません。決して!

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 再び、三陸鉄道関連の話題です。

 三鉄、自力復旧は困難 費用70億円以上か

 毎日jpの報道では100億円でしたが、どちらにしても自力復旧は不可能な金額です。もしかすると、これから詳しく被害状況を調べていくと、本当に100億円以上になってしまうかもしれませんが、いずれにしてもいまだ半分以上の路線が再開していないという状況です。

 私の家からほぼまっすぐに東に向かったところにある最寄駅である「小本駅」まで電車が通ったというので、今年の夏にはまた小本-久慈の北リアス線で行ってみるか……と思っていたのですが、田野畑村と普代村さらに野田村の一部がスッポリ抜けていることに気づきそれも断念。ならば宮古方面ということになるのでしょうか。もちろんそのころまでに、ある程度復興していれば、という話ですが。


 そんな中、我が県が誇る日本酒『南部美人』の蔵元が、インターネット動画投稿サイトを利用して、世間にメッセージを発信し話題になりました。

 

 昨日の夜は26万でしたが、ついに30万アクセスを突破。やっぱりインターネットの力ってスゴイ。ということは、それだけたくさん多くの人の目に触れているということなのでしょうね。

 『津波は天罰』と発言したどこかの都知事がさらに発した『花見なんてやってる場合じゃない』発言に真っ向から意見する言葉です。この蔵元の言葉を聞くと、都知事の発言がなんとも薄っぺらな感じがします。

 まあ都知事の言葉が「もっともだ」と感じる方もいらっしゃるのでしょうが……私もまた、岩手県民として、花見で盛り上がれるのなら大いに盛り上がっていただきたいと思います。過度に盛り上がるのがNGなのは、別に地震があったってなくたって同じでしょう?

 でもって、その際はぜひ岩手のお酒を飲んでいただければと思います。『南部美人』は私もお気に入りのシロモノです。とても飲みやすくておいしいのです。

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 かねてよりこのブログで何度も申し上げているように、私は内陸の中心部に拠点を構えるにもかかわらず、沿岸部を走る第三セクター経営のローカル線『三陸鉄道』を愛して止まない野郎です。

 最寄の駅に行くのにも、自動車で2時間以上かけて行かなければならず、開通から25年以上が経った今でも、一度しか乗ったことがありません。せいぜい、地元にいながら何かしらのグッズ(主にキャラクターもの)をネット通販で買い求めるくらいです。

 しかしながら、その一度はとてもすばらしかったことを、よく覚えています。

 たまたま団体の観光客がいたからかもしれませんが、景色のいいところでいったん電車を止めて、写真を撮らせてくれるんです(当時書いた旅行記)。

 
 そんな、私が愛して止まない三陸鉄道が、存亡の危機に立たされているといいます。まあ、毎年1億円くらいの赤字があるので、ある意味毎年が存亡の危機ではありますが、今回はちょっと規模が違います。

 東日本大震災:三陸鉄道、存続の危機…復旧費用100億円

 100億ですよ。ただでさえ毎年赤字続きの三陸鉄道にとって、これはもはや廃線宣告に近いです。しかもお金のめどがついたとしても、修復に必要な時間は1年以上。私が頑張って乗りに行ったり、グッズを買ったりしても、とてもまかないきれません(誰にもまかないきれないとは思いますが)。


 ……ですが、そう簡単に行ってもらいたくないのが地元住民と、三鉄ファンたる私の気持ち。記事にもある通り、この路線を必要とする人たちはたくさんいるし、毎日jpに記事を寄せた記者さんの中にも、この三鉄の思い出を語っている人がいました。ロマンだけでなく、需要があるから、やっぱり廃線は止めて欲しいのです。

 そうなると県か国に支援を仰ぐしかないのでしょう。でも、もしも私の愛する三鉄や沿岸の復興のためならば、私自身の負担が多少増えても構いません。もし『三鉄復興基金』とか、そういうのがあるのなら思い切り肩入れする用意もあります。ともかく、何とか存続して欲しいと切に願います。

 とりあえず、携帯の待ち受け画面を三鉄応援仕様にしました(……『久慈ありす』の画像にしたということです……)。実際に私が三鉄のために何か出来るのは、もう少し先の話でしょうが、状況が許せば……また、電車に乗りに行きたいと思います。
それがいちファンたる私に出来ることですから。

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 基本的に私の情報ソースは、Firefoxに『最新ニュース』としてブックマークが登録されている毎日jpなのですが、最近はこれのほかに朝日・産経のWeb記事も読んでいます。特にコラム(毎日『余禄』産経『産経抄』そして朝日『天声人語』)なんかは、同じ事件や動向を取り扱うにしても、紙面によって右左はたまた中道と、カラーが違うので面白いです。

 で、そんな中で見つけたのは、そのどれでもなくニューヨークタイムズの記事(を、日本語訳で紹介していた産経新聞のウェブサイト)。


 NY紙「日本は自粛という強迫観念にとらわれている」

 
 ハハ、その通りだねと笑いながら共感していたのですが、色々とそれに関する情報を拾っていくと、笑ってばかりもいられないのかなと思ったので、昨日も書きましたがまた書きます。

 というのは、なんですか、どこかの都知事が言った「花見なんてしてる場合じゃない」っていうセリフが原因で、特に被害も何もなかった西日本の方々まで萎縮してしまっていると。それに対して内閣の仕分け大臣が苦言を呈したと。

 そういう、政治をになう偉い人もそうやって声に出しているとは知りませんでした。

 みんながみんな、そうやって自粛自粛で引きこもってしまえば、タイムズ紙が伝えるように、元々悪い景気がさらに悪くなってしまうでしょう。ちょっとこれっておかしい感じがします。

 また、そういった経済的な側面からではなく、精神的な面からも同紙は、

 「東京都民にとっての自粛は被災地の人々との連帯を示し、自粛をする側を何か良いことをしているという気分にさせる安易な方法だ。しかし、当人たちは実際にどんな効果をもたらすかはあまり考えていないようだ」

 とバッサリ。

 私は岩手県民だから申し上げますが、自粛自粛で縮こまっている方々よりも、実際に被災した人たちの方が前向きに頑張っていこうという気持ちになっている、ように見えます。私もまた地元の人間として、一緒に頑張って行こう! という気持ちです。


 震災から3週間。まだまだ沿岸部の復旧は先の話ですが、避難所生活よりもそうじゃない生活の方がずっと長いはずなんだから。本当に今、被災した人たちのためになることは何なのか? それをちゃんと考え、動き出さないと、いけないんじゃないかなと思います。


 (追記:産経新聞のコラムで「脳卒中や子宮けいがんのCMばかり見ていると、病院にいるような気分になる。金子みすづも嫌いではないが、こんなに何度も放送されると「ごめんね」と言ってチャンネルを変えたくなる」とボヤいているのを見て、思わずプッと吹き出してしまいました。新聞記者の人でもそう思うんですね)

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さて、今日から4月ですね。

 ……先月は東日本全体に打撃を与えた震災の影響で、私の会社も震災対応モードに突入。なかなか日常どおりの業務が出来ず、足踏み状態が続いていたのですが……昨日からようやく一歩前進することが出来ました。

 「復旧」から「復興」へ。

 こうなってくると、私の気持ちも俄然、盛り上がってきます。今までは、エンジンは動いていてもギアがニュートラルのまま(あるいはブレーキペダルを思い切り踏み込んだまま)だったので、なかなか前に進むことが出来ず、煮込みすぎてぐずぐずの気持ちになってしまっていたのですが……カチリとギアがかみ合って、ようやく走り出せるようになりました。


 だからというわけではないのですが、私自身も元気に動き回ることで、世の中に漂う「自粛ムード」を少しでもやわらげたいという気持ちもあるのです。

 水がない。納豆がない。牛乳がない(少ない)。色々あるかと思います。

 震災から3週間が経ちましたが、いまだ避難所生活を送る被災者の方たちを思うと、浮かれてなんかいられない……という気持ちもあると思います。


 でも、私や、同じように震災前と同じ日常生活を送れる人たちが元気を出していかないと、被災者の方たちも元気になれないと思うのです。

 まあ、あまり外で食事をしたりお酒を飲んだりしない私がこんなことを言っても説得力がないのですが(苦笑)、基本的なスタンスとして、表明させていただきます。

 もちろん羽目を外しすぎた行為をするのはNGというか、そういう度が過ぎた行為は自粛するべきだと思いますが、それは震災があろうがなかろうが自粛するべきことですからね。被災した人たちのために頑張ろう! という気持ちを奮い立たせるためにお酒を飲んだりレジャーを楽しんだりするのは、大いに結構だと思うのです。


 冒頭にも書きましたが、今日から4月です。新たな気持ちで、頑張っていきましょう。

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 私は岩手県民なので、今回の震災において一番関心があるのは同じ岩手県の情報です。当然、地元放送局も地元の情報を中心に放送するので、情報としてもまずは自県民のものが最初に、そして最大量になります。

 そのせいだから、とは言いませんが、あまりテレビ放送をされない茨城県なんかも被害が大きいらしいですね。……確かに、去年私が行った(そして、ムチャクチャうまい寿司を大量にいただいた)那珂湊の市場なども津波によりかなりの打撃を受けた、というのはこないだチラッと聞きました。

 さらに、今朝は「救援物資が来ない」という悩みがある、という話を家族から伝え聞きました。なるほど、それは大変です。


 足りないところにパッと物資を届けられればいいのですが、それを運ぶ時間や道路の問題もあれば、ただ持っていってもそれをどう配るか、といった問題もあるでしょう。避難所で断られて、かってに配って歩いた人もいたそうですが、それの是非は言いません。私にもそれがいいのかよくないのか、判断できないからです。

 ただ、まあ、『出来ることしか、出来ない』んですよね。被災地で、どれほど困ってるって言ったって、個人がそれをいっぺんに解決させることは出来ないだろうし、する必要もないわけで。

 それをまず、認めた上で、出来ることをする。微量でも募金したり、節電節油を心がけたり。

 まあ、内陸の分としてスタンドに運ばれたガソリンを私が入れなかったとしても、何時間も行列してまで入れようとする人たちに行き渡るだけで、ただちに被災地の方に多く行くわけではないと思うのですが……私の『姿勢』として、やはり徒歩/自転車生活を継続したいと思います(単純に、小売価格の上昇に嫌気が差したため、というのもありますが)。

 足が痛いとか、腰が痛いとか、色々と身体の方もちょっと大変ですが、まあすぐに慣れるでしょう。そして慣れきった時こそ、今までの完全自動車依存生活から抜け出せる日なのでしょう、と信じています。


 やらない善よりやる偽善。

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 今回も、例によってプロレスラーの人たちの言葉に引っ張られ、救われました。

 
 ネットが復旧してからも何日かは、自分でも気持ちが定まらなくて、それまで毎日見ていたハヤブサさんのブログや、鈴木(みのる)さんのブログ、それに「スポーツナビ」などを見る気がしなかったのですが、実際に見てみると……

 「ああ、これでいいんだ」

 と思いました。これ、というのは、私が復帰した「日常」というか……。

 要するに、

 「自分は色々出来る方の人間だから、やりたくても出来ない人たちのために、出来ることをやろう」

 そう思ったのでした。


 で、ハヤブサさんのブログは毎日、2回以上見ています。

 世の中、震災から日にちが経って、何の被害もなかった人たちと被害があった人たちの間にズレが出てきて。そのズレにイライラしたりした時にも、スーッとその気持ちを解消させてくれる言葉に出会ったり。

 とにかく、一歩先に踏み出すことさえためらうような今の私の手を引いてくれる、素敵な言葉ばかりなのです。


    *


 プロレス関連のニュースも見ました。20日に開催された新日本プロレスの大会、そして21日に開催された全日本プロレスの大会。それぞれの選手がそれぞれの言葉で、被災地の人たちに向けてメッセージを送っていて、それがとても心強いものばかりなのですね。

 その中から、かつて、私がものすごいパワーを(かってに)もらった真壁刀義選手の言葉。

 「……。あとよ、いま言えることは、オイ、東北の連中よ、俺はうまい言い回しはできねーけどよ、念じて、信じて、下向かねーで、一緒に這い上がろうぜ。俺様が言ってるのは、それだけだ。ゼロからのスタート? マイナスからのスタート? だから、なんだよ? 負けること考えたら、何も始まらねーだろ? そんだけだ。俺もまたマイナスからのスタートだ。一緒に這い上がろう。ただ、それだけだ」

 上(先輩レスラー)から叩かれ、叩かれ、それでも潰されずに這い上がってチャンピオンにまで上り詰めた真壁選手だから、私はこの言葉を信じます。

 あと、同じ新日本プロレスの、中邑真輔選手の言葉。

 「歩き続ければ、明日は来る、必ず。コケて何かをこぼしても、また拾い集めて立ち上がればいい。いつもそうだった。何度も何度も立ち上がる……それがプロレス、それが俺たち日本人でしょ? 必ずまた立ち上がり、歩き続ける」

 前はそれほど好きなレスラーではありませんでしたが、その言葉はとても鋭く、そして胸を打つ言葉なのです。いつのまにか、少しずつ惹かれているようです。


 そんなこんなで、今日も頑張っていこうと思います。

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 昨日の岩手日報を読んでいて、胸を打たれた言葉。

 母見つかるまで避難所に 大槌高・佐藤さん

 詳細はリンク先を確認していただければと思いますが、私がもっとも打たれた言葉は「おにぎり1個がどれだけぜいたくか、分かっていない」という言葉。これは被災直後には、おにぎりを分け合い、がれきの街から食料も探すような状態だったのに、ここ2、3日で物資が豊富になったためか、炊き出しの食事が残されるようになったような現状を見ての言葉。

 確かに盛岡市もスーパーやコンビニの食品が一時的になくなったことはありましたが家にある食料のストックはすべて無事でしたし、なんだかんだで毎食それなり以上に食べています。ありがたいことです。

 昨日、パン類がなくなったのでスーパーに買いに行ったところ、震災前と同じくらい食パンが積まれていました。なるほど、ようやく物流が少しずつ戻ってきたようです。

 当然、必要な分だけを買って帰りました。

 ハヤブサさんのブログによれば、こんな状況なのにいまだに買占めとか、そう言ったことをしている人たちが、世の中にはいるそうですが……。

 まあ、理屈はわかりますよ。「いざという時のために」とか、そういうことをおっしゃっているのでしょう。……でも、そういった考え方で今まさに「いざ」という時である被災地の人たちの方に物が行き渡らないとしたら、それはダメでしょう。


 まあ、私の場合は食べないと持たないですから、3食キッチリ食べます。……その代わり、ちゃんと食べられることに感謝し、その分、私が出来ることをします。出来る人が、いつも以上にやらないといけない時期ですからね。

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 震災発生から時間が経ち、日本中で支援の輪と、同時にこの混乱に付け込んだ邪悪が出ているようですね。

 いい話と悪い話を持ってこられた時は、とりあえず悪い話から聞くという性格なので、今回もそのようにしましょうか。

 具体的には各ニュースサイトで既にご存知のことと思いますが、被災地では避難のためやむなく放置した車両や住宅からガソリンおよび灯油を抜き取ったり、貴重品を盗んだりする事件が多発。あるいは義援金を募るといって金銭を騙し取る詐欺師。さらには募金活動中の高校生に因縁をつけてケガをさせ、わずか1万円ばかりを奪い取るという強盗事件までも発生したとか。

 せっかく海外で「日本人はこんな時でも略奪や犯罪行為に走らない、スゲエ」と報道してもらっているのに、残念極まりない話でありますが、まあ、これは仕方のないことなのでしょう。中にはそういう人間もいるのでしょう。

 でも、そういった邪悪よりも、「みんなで支えあおう」という意識の方が強いと私は思っています。思いの強さ自体もそうだし、総数で見てもそうだと思います。そういう残念な人間には構うことなく、強い気持ちで善意を貫き通して欲しいと思います。昨日も書きましたが「やらない善よりやる偽善」。実際にやることが大事です。


 昨日、被災地の大船渡市や釜石市に燃料が届けられたというニュースを聞きました。ちょっと安心です。

 レトルト食品とか即席めんとか、どんどん被災地に届けられてはいるものの、それらを調理するための火とか水とかがない状況でしたからね。すぐに十分に行き渡るわけではないでしょうけど、その第一歩が踏み出せたのかな、と思います。

 まずはそうした被災地の人たちに、十分に行き渡るように。それから大して被害もなかった内陸地でわざわざ道路をふさいで行列を作るような人たちにも、行き渡るように。そして震災前と同じように、誰でもがどこのガソリンスタンドでも入れられるように。

 そうなるまで、私は待ちますよ。いつまでも。

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 ……これは、現在おもに全日本プロレスを主戦場としている極悪レスラー・TARUさんの掲げる言葉です。

 震災後しばらく経ってから、ようやく「スポーツナビ」を見たのですが、ちょうどあの日は石巻大会だったのですね。そのために選手、スタッフともに現地にいて、そこで罹災したということで……。

 その時の状況を、デイリースポーツ紙にこのように語っています。

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 TARU激白!バス横転危機&津波目撃
 
 仙台市内の高速道路上で激震が走った。「止まれ!」と運転手に叫び、停車したことで横転だけは免れた。道路にできた40~50センチほどの段差にベニヤ板を敷き、近くで負傷した作業員を救助してバスで脱出。病院に運んで、石巻に向かった。
 雪の中、小高い山に登った。TARUは「僕たちが海の方を見ていると、みるみるうちに海面が膨らんでこちらに打ち寄せてきた。『これはまずい!』と、来た道を戻ろうとしたら、自衛隊の人に『数分前に通行止めになった』と止められた。山の中は土砂崩れで道が半分になっていた」と、津波の恐怖を明かす。
 仙台市内で宿泊予定のホテルは被災者で満杯。車内で夜を明かし、翌日は一軒だけガソリンを販売していたスタンドに5キロ並んで半分だけ補給。13日未明に帰京した。
 16年前には神戸・三宮で震災を経験した。TARUは「両国大会が開催されるなら、僕はヒールとかじゃなく『人間』として義援金を募りたい。できることがあれば何でもやりたい」と誓った。


 で、その後、実際に両国大会で義援金を募る考えを明らかに。

 VM軍が義援金を募集「やらぬ善より、やる偽善」=全日本プロレス

 「やらぬ善よりもやる偽善。偽善でもいいから何かやるという精神で、両国大会は精一杯やらせてもらいます」という意志のもと、強固な結束力を持つ極悪軍団がチャリティーサイン会を実施することになったのでした。

 まあ普段あれほど悪いふるまいをしている面々が大マジメにこんなことを言っているのは非常に不思議な感じがするのですが、

 
「俺らは自分たちのやりたいことをハッキリと主張するから悪だと思われとる。でも、いまガタガタ言っているヤツや買い溜めしとるヤツが本当の悪や! グジュグジュ言っているヤツらはここに金を入れろ! 余裕、ヒマのあるヤツ、金を入れたいヤツは両国に集まれ! そして、両国で被災地にエールを送ろう! まあ、そういうこっちゃ」(TARU)


 そう、そういうこっちゃ、なんです。


 私もプライベートで、それに仕事で、たぶん被災地の人たちのためになるであろうことをやっています。……まあ、直接的なものではありませんが、間接的にネ。そういった、災害特別対応モードで会社も動いているし、私もそれを理解して、動いています。

 ゴチャゴチャした理屈はいりません。今、出来ることをする。それでいいでしょう。被災者の人たちのために出来ることは、意外と難しいことではないのですから。


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 (18日 6:57 投稿)

 震災から、一週間が経過しました。

 とりあえず、おおむね元通りの生活に戻ったので、勤務の日は勤務として出社しています。……もちろん、業務内容は大幅変更、災害対応モードで動いております。ちなみに移動手段は自転車です(所要時間1時間くらい)。

 私の家、私のオフィスは被害が少なかったので、何も出来ない時間よりも元通りの作業が出来る時間の方が長いですからね。

 とりあえず、今、出来ることをする。直接的な支援ではないにしても、それが回りまわってみんなのためになるのだから(きっと)。

 そう考えれば、多少の苦労も、どうってことありません。がんばりますよ、がんばります。


 *


 さて……。

 とりあえず、被災地の岩手県沿岸部に、盛岡市内の備蓄燃料が運び込まれたという話を先ほど聞きました。もちろん、これで十分というわけではないでしょうが、捜索や避難生活の水準が少しでも上がるのなら、大いに結構なことであると思います。

 昨日も一部の営業しているガソリンスタンドで、ビックリするぐらいの大行列が出来ていました。なぜそこまでして自分の車に燃料を入れたがるのか。私もマイカーユーザなので言わせてもらいますが、もうしばらく我慢すればいいのに、と思います。


 もっと理解できないのは、東京の人たちが同じようにガソリンや食料品の買占めに走っているということ。おいおい、あなたたちがそんなことしてどうするの? と思ってしまいます。

 大局的に見れば総量は足りているのだから、それを配分する時間さえかければ、必ず元通りになる。それに気付けず、視野狭窄のような状態になる……。正気とは思えません。

 まあ、そろそろ私の感情も、日常モードになりつつあります。震災前とは色々と変わったところもありますが、徳川家康公の言葉を借りれば「不自由を常と思えば不足なし」というやつです。これを新しい『日常』として受け止めれば、誰かのために行動する余裕も生まれるでしょう。

 出来ることをする。出来ないことは、出来ない。

 じゃあ、そんな感じで、前に進んでいきましょう。

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 今回の地震では、日曜日の午後3時ころまで停電になったのですが、これは今までに体験したことのない長さでした。

 電気がなければ出来なかったことをちょっとあげてみましょうか。

 照明、暖房、パソコン、電話、お風呂、調理(クッキングヒーターなのです)、テレビ。……このくらいかな。

 もちろん、これらが出来ないからといって即座に生きるの死ぬのといった問題になるわけではありませんが、少なくとも普段と同じ生活は出来ません。情報はラジオだけ、夜は懐中電灯で明かりを取り、毛布で何とか寒さをしのぎました。

 あとは、カセットコンロがあったのでこれで火を使った調理をし、携帯電話については以前に買った乾電池式の充電器を利用して、何とかこれでしのぐことが出来ました。電気が復旧した時は、本当にホッとしました。


 ただ、そうやって停電状態だったからこそ、出来たこともありました。

 たとえば、具体的には以前買って以来一度も開けていなかった『明治チョコレートパズル』を開け、これをクリアしたこと。20年以上前に兄者が買って来て、1度もクリアできなかった『ロイヤルアウトゲーム』をクリアしたこと。これらは当然ながら、電気を利用しないパズルゲームなので、何もすることがない時間をうまく使えたような気がします(つまり、それなりに苦戦したということです)。

 それから、弟者と一緒にトランプを利用した新しいカードゲームを開発したこと。……といっても大したものではなくて、手札から一枚のカードをいっせいに取り出して、数字が小さい方がペナルティとして山札から一枚カードを引く……そして早く手札を無くしたほうが勝ち、といった程度のものですが。

 ただ、やってみるとこれが結構面白いんですね。プレイしながら色々とルールを調整して、結構バランスよくお互いに勝ったり負けたり。たぶん、こういう状況だから、何もすることがないから、生まれた遊びだったんだろうなと思います。


 そして、地上の明かりがほとんど消えてしまったからなのでしょう。……星がとても綺麗だったのです。

 綺麗だったというか、「こんなに星がたくさんあったのか!」という、衝撃的なものでした。プラネタリウム並に、星がたくさん輝いていたのです。

 

 天気のいい日の夜に星を見ると、いつもこの歌を思い出してしまいますが、残念ながら私はアルタイルもヴェガも見つけることが出来ませんでした(オリオン座は見つけられたのですが)。今は電気も戻って、これからはもっと見つけることが難しくなってしまうでしょうが、まあいいです。

 大変な中でも、そういった、いいこともありました。……どんな時でも娯楽を忘れてはいけない。不便なら不便なりに元気を出す方法を考えよう。そう思ったのでした。

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 翌朝、兄者から無事を知らせるメールが入りました。……壁が崩れたとか、天井が落ちてきたとかで、こちらよりも危険な状態だったようです。小学校のころの避難訓練で言われた「机の下に入る」という行動に移ってようやく助かったそうで、そうでなければ本当に危なかった、ということでした。

 沿岸部は巨大津波で大被害でしたが、関東の方では揺れそのものによる被害が大きかったということですね。

 いまだ停電中の信号をかいくぐり、何とか会社にたどり着くものの……当然ながら、会社も停電、電話回線も不通。とても会社としての活動を行える状態ではなかったので即座に退社。何とか家にたどり着くことが出来たのでした。


 悪いことに、土曜日か日曜日にガソリンを入れようと思っていたので、ほとんど愛車のタンクには燃料を入れていなかったのですね。

 当然ながらガソリンスタンドは軒並み休業。ごく一部のスタンドだけが手回し式で供給していましたが、そういった場所には何台もの行列。それをじっくり待つほど燃料も我慢強さもない私は、すぐに気持ちを切り替えてホームセンターに自転車を買いに行きました。


 つづき(別項)はこちら

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 その時、私は会社にいました。

 前日に比べれば、まあそれほど大きな(業務上の)トラブルもなく、いつものように対応、事務処理をしていた時、ふと揺れが。

 まあ、地震にいちいちうろたえるわけにもいかないという気持ちもあったので、冷静を装っていたのですが、なかなか揺れが収まらず、むしろ揺れが想像以上に大きくなり机の上の(元々とっ散らかっていた)書類が散乱、デスクトップPCもガッタンガッタン言い出す有様。

 そして、停電。

 すべての端末もサーバも停止し、照明もすべてストップ。初めて非常灯のオレンジ色の光を見ました。

 とりあえず、普段は持ち込み禁止の携帯電話を持ち込んで、家族に連絡。電話は完全に止まってしまったので、メールを送りました。

 この時点では「大げさかもしれないけど、一応、送っとこう」といった気持ちでした。

 しかしながら、その後ラジオや誰かのワンセグテレビで情報を得ると、特に沿岸部がとんでもないことになっていると知りました。

 津波。

 ずっと前に『三陸海岸大津波』(吉村昭)という本で読んだ、『海の壁』とも形容される恐怖。

 それが、歴史の中の出来事ではなく、現在進行形で起きているということ。

 海から100キロほど離れた私のオフィスでも、そのことを想像すると怖くてたまりませんでした。


 その後、仕事にならないのでその日は午後4時で終了。とりあえず車で帰宅することにしたのですが、軒並み信号も停止しているので、交差点などはお互いの譲り合いまたは差し合いという状況。私も恐る恐る右左折を繰り返し、何とかたどり着きました。

 とりあえず、一緒に住んでいる家族たちには、何もないことを確認。ただしこの時点では栃木県宇都宮市にいる兄者と連絡が取れず、「大丈夫だとは思うけど……」と自分に言い聞かせながら、夜を過ごしたのでした。

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ようやく、自宅のネット回線が復旧したので、記事を書きます。

 ……でも、どんなことを書きたいのか、書けばいいのか、書いていいのか……。

 私の家や私の家族はみんな無事でしたが、同じ岩手県の沿岸部の人たちがあんなことになって、さらに宮城、福島、それに北関東エリアの人たちも……。

 ちょっと、混乱しているのかもしれません。まだ心理的なところでは、日常を取り戻していないのかもしれません。

 そういうこともあって、どこまで書いていいのか、書けばいいのか、よくわかりません。

 なので、今日のこの記事をもって、このブログの更新は休止します。長い間応援ありがとうございました。犬神先生の次回作にご期待ください。


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 ……つって、本当にやめようと思って、記事を書き始めました。

 ですが、nkyさんからのコメントを見て、気持ちが変わりました。

 こんなブログでも見てくれている人がいるんです。そして、やっぱりこのブログを書くことが、私の生きた証なんです。どこにでもあるような、どうでもいい記事ばかり書いているような……そう思われるブログかもしれませんが。

 コメントを寄せていただいたことが非常に嬉しかったし、こういうこともあるから、やめちゃいけないな。そう思いました。

 ガソリンの不足、食料品の不足。

 家も命もそのままですけど、震災の影響を私もそれなりに受けています。不便不自由色々ありますが、そういった現実をちゃんと受け止めるためにも。

 そして、受け止めた上で、前に進むためにも。


 アゲイン。


 少しずつかもしれませんが、明日からまた、記事を更新していきたいと思います。


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