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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 その時、私は会社にいました。

 前日に比べれば、まあそれほど大きな(業務上の)トラブルもなく、いつものように対応、事務処理をしていた時、ふと揺れが。

 まあ、地震にいちいちうろたえるわけにもいかないという気持ちもあったので、冷静を装っていたのですが、なかなか揺れが収まらず、むしろ揺れが想像以上に大きくなり机の上の(元々とっ散らかっていた)書類が散乱、デスクトップPCもガッタンガッタン言い出す有様。

 そして、停電。

 すべての端末もサーバも停止し、照明もすべてストップ。初めて非常灯のオレンジ色の光を見ました。

 とりあえず、普段は持ち込み禁止の携帯電話を持ち込んで、家族に連絡。電話は完全に止まってしまったので、メールを送りました。

 この時点では「大げさかもしれないけど、一応、送っとこう」といった気持ちでした。

 しかしながら、その後ラジオや誰かのワンセグテレビで情報を得ると、特に沿岸部がとんでもないことになっていると知りました。

 津波。

 ずっと前に『三陸海岸大津波』(吉村昭)という本で読んだ、『海の壁』とも形容される恐怖。

 それが、歴史の中の出来事ではなく、現在進行形で起きているということ。

 海から100キロほど離れた私のオフィスでも、そのことを想像すると怖くてたまりませんでした。


 その後、仕事にならないのでその日は午後4時で終了。とりあえず車で帰宅することにしたのですが、軒並み信号も停止しているので、交差点などはお互いの譲り合いまたは差し合いという状況。私も恐る恐る右左折を繰り返し、何とかたどり着きました。

 とりあえず、一緒に住んでいる家族たちには、何もないことを確認。ただしこの時点では栃木県宇都宮市にいる兄者と連絡が取れず、「大丈夫だとは思うけど……」と自分に言い聞かせながら、夜を過ごしたのでした。

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