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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

 私のように「一応男性として生きることを受け入れてはいるけれど、可能な限り女性として生きてみたい」と思っている人類はこの世にいるのだろうか……いなければいないでいい、私一人でも生きていく……そんな悲壮な覚悟で「CVトランスジェンダー」などという言葉を急造してごまかしていたのですが、「ノンバイナリー nonbinary」という言葉があり、また「ジェンダーフルード gender fluid」という言葉があることを知りました。そこで慌てて過去に書いた「CVトランスジェンダー」という破綻した言葉を修正しまくりました(まだそれほど多くなかったので良かったです)……そうか……すでに海の向こうの外つ国、メリケン国ではそのような考え方が1980年代から起こっていたのですね……。

参考:ノンバイナリーとは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD(※)

 改めて申し上げます。私は出生時に「男性」と割り当てられて42年あまり生きてきました。一方で去年1年色んなことがあって私の中にある内なる異性(アニマ)が急成長。自分の部屋にいる時は当然として、休みの日でもスカートを履き女性らしい格好で外出することがデフォルトになってきました。

 私は男性として社会通念上求められる秩序の中で生活することを受け入れています。同時に私は女性として生きてみたいと願っています。男性か女性か。そういった二元論で分かつことのできないアナログハートな生活を送っているのです。

 一昔前であれば「女装趣味」「変態」と言われたでしょう(今でもそうかな)。好奇と偏見の眼に晒されることが怖くて……私もつとめて「自分が男性である」と認識しようと努力して、これまで生きてきましたが、今は違います。世の中の流れとしてもLGBTやらジェンダーレスやら、性の在り方の多様性を尊重しようとするような雰囲気になってきたので……私も40過ぎてようやく自分の性自認を堂々と世の中にアピールすることができるようになりました。
 それでも、やっぱり「トランスジェンダー」の人たちとは違うよね……と思っていました。いや実際に私は自分の中の「内なる異性」が周りの同性よりも強いことは自覚していましたが、実際にトランスジェンダーとして生きている皆さんのことを知ると、私は違う……だから声を上げることすら許されない……認められない、意味の分からない、「生存させて置いてはならない」(by永井荷風)人類なのか……と思っていました。
 でも、そうじゃなかったんです。既にこういう考え方は存在しており、そういう考え方を持つ人たちも多くいるんです。相変わらず珍しいものには好奇と偏見の目で見て嘲笑しないと受け入れられない保守的な考え方に凝り固まったわが国ではともかく、メリケン国ではそうじゃないみたいなのでね。だからといって別に私の生き方に変化はないのですが、事実問題としてそういうものなんだなということは理解しました。

 ノンバイナリー! 何と素敵な言葉でしょう!

 まあ「そういう言葉があること」は理解できましたが、私はアメリカ人のように何でも合理的に割り切れるような心を持っていませんし、無理に自分を定義しようとするのも、結局「男性か女性か」の既存の枠に当てはめようとするのと同じく、心に負担が生ずることになります。
ノンバイナリーというのならそれで良いし、そうじゃなくても別に良いです。男らしくとか女らしくとかにこだわらず自分の心の向くままに……これからもゆるやかに気持ちを組み立てていきます。こうして自分が「女性として生きたい」ということを告白するまで何年もかかったのだし、今更急ぐこともないでしょう。とりあえず今の段階では「私の心はノンバイナリー」ということにしておきます。
 また少し世界が広がりました。そういうことです。

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 モリーオ「ノウサギ」じゃないです。「モリーオの兎」です。
 この日は白づくめの可愛いコーデで故郷の盛岡を歩き、271枚(精査後)もの写真を撮りまくったのですが、それらを時系列に眺めていると、チラホラ兎をモチーフにした看板の写真があるな、と気づきました。
 去年は兎年で、年末には矢川澄子さんの『兎とよばれた女』などを読むなど「もしかすると私は兎が好きなのかもしれない」と思い始めていた頃だったので、今日はそういうテーマで書きます。ロングコートダディもそれなりに好きですけど、そっちの兎じゃないのでご承知おきください(誰も聞いていない)。
 それではラビット、スタートです!


 昨日書いた記事に出てきた「平興商店」さんの通りにあるアンティークなおもちゃ屋さん「うさぎ屋」さんです。こちらは旧店舗です。あいにくこの日は日曜ということで店休日だったのですが……今から20年くらい前に来たことがあります。その頃はまだ自分の中のアニマをきちんと認識していなかったのですが、いぎなり可愛いオルゴール内蔵の少女人形に一目ぼれして、これをお迎えしたことがあります。
 今にして思えば、その人形の可愛らしさに恋をしたというのは表面的なもので、既にノンバイナリーとしての資質はあったのでしょう……その人形も今はいずこか……壊して捨てちゃったような気もしますが……思い出は今も胸に……ファンファンファンファ~ン(回想から帰ってくる時の効果音)。
 こうしてきちんと兎の看板を見てみると、リアルさと可愛さがちょうどいい分量で混ざり合って、とっても好きな感じです。一度、お店が開いている時にまた来てみたい……可能であればその時は、私がその人形のように可愛らしい格好をして……。


 盛岡市本町通にある「カメラのキクヤ」さんです(公式ホームページ)。昔は市内に2~3店舗あったような気がしましたが、今はこちらの1店舗だけでしょうかね。それでもフィルムカメラからデジタルまできちんと対応してくれる老舗です。ちょっと高級感があって、私は入ったことがありませんが、この兎は大好きです。
 ♪「いい写真、いいカメラ、カメラのキクヤ」
 私が小さい頃はテレビCMとかもやっていて……ちょうどこの絵がアニメで動き、テーマソングが流れるというものだったのですが……あるいは私の兎好きのルーツかもしれません。「昔こんなアニメのCMがあったよねえ」なんて言いながらお店に近づいたら、この兎の家族がいてキャー! と嬉しい悲鳴を上げ(ただし心の中で)、写真を撮っちゃった次第です。慌てていて少々バランスが悪くなってしまいましたが、そう、とにかく嬉しかったのです。「まだ生きてた!」と。いや大変失礼いたしました……。今度は私の愛機とともにお伺いしたいと思います。


 本町通にあるカフェ「SB50」です。SBとはSecret Baseの略で、昔は小さなパン屋さんの2階にありました。実はその頃、時々通っていたことがありました。
 その頃は中央通りの会社に勤めていて、借りていた駐車場が三ツ石神社の方にあり、この通りを歩いていたのですが……人ひとり通れるくらいの階段があり、その入り口のところに小さく「SB50」と書いている。どうやらカフェらしい。ちょっと寄ってみようか。そんな感じで立ち寄り……文字通り隠れ家的な雰囲気が好きで、時々通っていました。1階のパン屋さんからパンを取り寄せて食べることもできたみたいです。
 それから、職場が変わり、今となっては住む場所も変わり……去年の夏に再び訪れたところ、こうして新店舗として生まれ変わっており、立ち寄ってコーヒー一杯で2時間近く話し込んだ次第です。誤解なきように付け加えておきますが、とにかく話好きのマスターで……なかなか席を立つタイミングがつかめなくて、結果的にそうなっちゃったという次第です。
 「できそうな時にやる」
 そんなスタンスでやっているお店らしいので、今日来て見て休みだったとしてもそれほど残念ではありませんが(昔も去年来た時も男性としての来店だったし)、ここもまたいつか来てみたいです。今度いつ盛岡に来られるかわかりませんが。
 ……なお、こちらのお店の看板に兎があることには、今回初めて気づきました。

   *

 ……そんなわけで、まさか「盛岡にいる兎」というテーマで記事を一本書けるとは思いませんでした。むやみやたらに写真を撮るのも、悪いものじゃないですね。テヘッ!
 でも本当に、こういう何気ない日常の景色をひとつひとつ丁寧に撮影し、仙台に帰ってきた後も自分の記憶とすり合わせ、さらにこうして言葉にしてまとめるという作業は、本当に私にとって大切なことであると実感しました。仙台も1月にアリオ仙台泉が閉店するし、青葉通のエデンも閉店するし、3月にはフォーラスが長期休業に入ります。
 今しか見えないもの、今しか見られないもの。そんな景色を少しでも……私にできる範囲で……残していくのが私のしたいこと、するべきことなのかな。そんな風に思いました。

 盛岡も仙台も、現在進行形で、大好きです。

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(定禅寺通にて)

 こんにちは。鳴瀬桜華です。
 髪を切ってきました。
 「それがどうした」という向きもあろうかと思いますが、駆け出しCVトランスジェンダーノンバイナリーの私にとっては大変な勇気を必要とし……それだけに大きな一歩を踏み出した……それほど重大な出来事でした。
 本来このブログでは、わざわざ書き手が名乗って書くことをしないのですが、今日は特に「CVトランスジェンダーノンバイナリー・鳴瀬桜華」として、そのことについて書きたいと思います。

   *

 男性として生きることに疑問を持たなかった時代は、髪を切るというのは「必要に迫られて行う」ものでした。一回ごとに発生するコストを考えると可能な限り頻度が少ない方が良い。だから一度に結構な短さまで刈り込みます。
 さらにその注文の方法もアバウトで、「短めに……」「ワイシャツの襟にかからないように……」「自然な感じで……」とかって程度で、あとは基本的に店員さんのセンスにゆだねます。どんな髪型にされようと「はい、こんな感じで大丈夫です」と言って出てきます。正直(着るものがそうであるように)最低限の清潔感さえあれば、自分の見た目なんかどうでもいいと思っていたのです。
 CVトランスジェンダーノンバイナリーとして、外を出歩く時も女性の格好をするようになってからは、あまり髪を短くするのもなあ……と思って何となく伸ばしていたのですが、何せ上から下まで短く刈り込んでいるのが伸び放題になったのでだんだんボサボサになってきちゃったんですよね……こないだ実家に帰った時も母親からそれを指摘されたし……。
 将来的に髪を(ある程度)きれいに伸ばすためには、襟足の方をカットして調整しなければならないだろう! ということはWeb上でも情報を集めて確信したところなので、今回勇気を出して! ちゃんと女性の格好をして! 行って来たんです!
 最近は女性らしい格好をして出かけることも抵抗がなくなってきたのですが、それは「周りの人は誰も私のことなんか気にしないだろう」という安心感があるからです。ただ今回は近い距離でコートを脱ぎ、自分の女性らしい格好を見てもらうわけですから、結構ドキドキしました……偏見や好奇の眼にさらされるとしても『在りたい私』でいる覚悟はありますが、やっぱり……ね。
 とはいえ髪型は、自分でどうすることもできません。大体どんな髪型になりたいかというイメージさえ出来上がっていない私が頼れるのは、もはや理美容師の方たちしかいません。本当は美容室の方に行こうかと思いましたが、すぐに入れるのが理容室の方だったのでそちらに座り、観念してすべてを自白する容疑者のように、正直に自分の心を打ち明けました。
 「伸ばしたいと思っているので、上の方は切らなくていいです。
  下の方とかがボサボサにならないよう、切りそろえるような感じでお願いします」
 そして、それを聞き入れてくれた女性の店員さんによって襟足を切りそろえ、カットの数倍の時間をかけてブローしてもらい、極度のくせ毛である私の髪をセットしてもらいました。
 「伸ばすためには、上の方を髪を伸ばさなくちゃね。下の方とは伸びる速さが違うからね」
 確かにWeb上でもそのような記事がありました。それは知識としては得ていましたが、そういうふうに声掛けをしてくれたのが嬉しくて、ちょっと大げさにお礼を言って帰ってきました。伸ばし途中なのでほとんど髪型は変わりませんが、ただ、伸ばし放題のボサボサ感は確実に変わりました。


 懲役300年みたいな写真の撮り方をしてみました。まあ……途中経過としては、こんな感じですね。
 今回、私のお願いや気持ちをきちんと伝えたので、次回も同じ理容室に行きます。そして少しずつ、整えながら理想の髪型をさがしてみたいと思います。またよろしくお願いいたします!
 
   *

 実は結構な薄毛に悩んでいて、男性として生きるのであれば「無くなっても仕方がない」とあきらめていたし、女性として生きる時はウィッグを付けるのもアリかな、とも思っていました。実際(コスプレ・演劇用の)ウィッグは持っているのですが、明らかに雰囲気が浮いちゃうんですよね。これは本当の私じゃない! って感じがして。いやそれは金髪とか明るいブルーとか、ちょっと特殊なカラーだからなんですが、せっかくCVトランスジェンダーノンバイナリーとして生きるのであれば「地毛&ノーメイク」じゃなきゃいけないかな! と思ったので、時間と手間をかけて髪を育てることにしました。とりあえず基本的なケアとして、きちんと髪を生やすことから始めます。そして天より授かったこの肉体をもって、ノンバイナリーとして生きてみたいと思います。
 ええ、私の『在りたい私』は、この肉体で生活する世界にて実現してみせます。できるかどうかわかりませんが、ここまで来るのさえ1年近くかかったわけですからね。さらに時間をかけて少しずつ、手の届く範囲で変えていきたいと思います。

 お読みいただきありがとうございました。
 鳴瀬桜華でした。

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 こちらは盛岡市内の鉈屋町というところにある『和田酒店』です(2015年閉店 - 参照:イワテライフ日記さん)。ここも含めて鉈屋町の酒屋さんには角打ち……すなわち酒屋さんの一角にイートインスペースを設けてちょっと一杯ひっかける文化がありました。私の曽祖父がしょっちゅうここで飲んでいて、母が小さいころそれを迎えに何度も行った……という話を何度も聞いたことがあります。曽祖父は私が生まれる前に帰天しているので、すべては想像の世界なのですが、そう考えると私の母は盛岡の下町に生まれ育ったのだなあと今更思いました。それが紫波の田舎から出てきた親父と結婚しちゃったばかりに……いや、まあそうでなければ私もこの世にいないんですが……。
 ただ、昨日の「モサモサ」に引き続き盛岡言葉の話になるんですが、角打ちなんて言葉は今回この記事を書くためWebで下調べをしている時に知りました。盛岡では「もっきり」と言います。これは絶対に譲れません。誰が何と言おうと「もっきり」です。角打ちなんて格好つけたみたいな言葉じゃ全然ピンと来ません。
 今日はそんな、盛岡の「もっきり文化」にかこつけた自分的な盛岡散歩日記を書きます。別に民俗学とか文化論とかをぶつわけでもないので気軽にお読みください。吉田類の酒場放浪記みたいな記事でもありません(どっちも閉店しちゃってたし)。

 1.もうひとつの「もっきり」老舗・平興商店


 先ほどの鉈屋町から少し歩いたところ、もう少し街の中心に近い下町である紺屋町の「平興商店」です。こちらは昨年12月に閉店したそうです(参照記事)。
 
 まもなく建物は解体されて跡形もなくなってしまうでしょうが、私が通りがかった時はこのような張り紙がありました。確かに昔テレビで紹介されているのを見た記憶がありますが、全国の酒飲みたちの間でも有名だったみたいですね。まさに、多くの人たちに愛され続けたお店だったのでしょう。それでもこのような張り紙を見ると、少し淋しさがまぎれます。私はずっと盛岡を離れて暮らしていたので、このような変化を知らずに過ごしていましたが……そういえば向かい側にあった盛岡の老舗酒蔵『菊の司』も消失しているし……。
 と、ここまで書いたところで、思い出したことがありました。
 「そういえば、鉈屋町にも『岩手川』という酒蔵があったけど、それもなくなっちゃったなあ」
 なるほどそういうことか。思いついたことをこれから書きます。

 2.そこに水があるから、そして、そこに酒があるから

 平興酒店の方は向かいにあった酒蔵「菊の司」の創業者の親戚筋にあたるそうなので、まあ関連会社みたいなものなのかもしれませんが、鉈屋町にはこの他にも「もっきり」が飲める酒屋さんがあります。
 良い水を使って良い酒を作る。酒を作ったらすぐに売れるよう近くに店ができる。そして酒を買ったらすぐに飲めるよう「もっきり」という文化が生まれる。そんなことなのかもしれませんね。
 ただ、それだけではなくて、城下で酒造りをしていた街だったからこその文化であり、それを愛する人たちが守り続けていたのから、今日までその雰囲気を残しているのでしょう。
 岩手川は2006年に倒産、菊の司は市外に工場を移し、お店は閉店……時代の流れゆえ無くなるのは仕方がないけれど、せめてそれと知ったことを私なりに記録として残しておきたい……と思って書きました。

 きっとここも、新しい何か(マンションとか)が建つのでしょう。仙台もそうですし。それはそれで新しい盛岡、生まれ変わり続けている街の証左です。最後に2024年1月20日現在の「この場所」を記録として残しておきます。次に行った時はどうなっているのか楽しみにしておきます。

もっきり物語  おわり

追記:
その前にイワテライフ日記さんとか、最近お気に入り登録させていただいた「愛LOVEもりおか~徒然日記~」さんとかで見られれば、それはそれでいいのですが。

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 マイナス40度近い寒気が流れ込んできた影響で、全国的に雪が降りまくり交通機関等に影響が出ているところですが、仙台も少なからず雪が降りました。もちろん積もったと言っても北東北人の私からすればザッと一回雪かきすれば済むような程度のものですが、それでも道路を歩くときは慎重になります。

 昨晩書いたmixiの方には「モサモサと雪がふっています」という話題で記事を書いたので、こちらの方でも同じテーマで書きます。先日の盛岡でのことは、改めて時間を取って書きます。今日はちょっと簡単に……。

 って、それほど難しい話ではないんですけどね。たくさん雪が降っている模様を私は昔から「モサモサ」という言葉で表現してきたけど、たぶんこれって標準語じゃないよね、って。だったらどこの国の言葉なんだろうと思ったけど、方言っていうほど限定的なものじゃなくて、なんとな~くそういう表現があるみたいだなってことがわかったので、それで興味を無くした……そういう話です。

 むしろ、それに代わる、もっと一般的な言葉って何だろう。そう思って今朝思いついたのが、「しんしん」ということでした。しんしんと雪が降っている。なんかお上品な感じです。上野洋子さんの『自然現象』というアルバムでも「しんしん」とか「こんこん」とか、そういう言葉で雪が降り積もる様子を表現していました。なるほど、そういうことか……。
 ちょっと可愛く表現したい時は、「しんしん」「こんこん」という言葉もいいですね。「モサモサ」っていうのは本来は、動きがのろくて気勢があがらない様を表す時に使う言葉らしいので、雪が降り積もる様子に使うのは適当でないかもしれませんが、とにかく母も祖母も当時勤めていた会社の人たちも「モサモサ」という言葉を使っていたので仕方がありません。多分これからも私は「モサモサ」と表現し続けるでしょう。

 こんな時、盛岡とか青森とかは、どうなってるかなあ。一日に三回も四回も雪かきするような生活は嫌だけど、懐かしく思わないこともない。そんな今日この頃でした。仕事頑張ります。

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(鳴瀬桜華近影)

 3連休の2日目は小雨~中雨(?)が降るあいにくの天気でした。しかも1月だから風も冷たいし。傘をさす手も冷え切って、外歩きには全く不向きの天候ではありましたが、前日に購入した『盛岡タイムス』などで情報を仕入れ、行ってみたい場所に行ってきました。
 書きたいことがたくさんあるので、とりあえずどこに行ったかということをまとめます。

 その1:もりおか町家物語館
 盛岡の良さがわかる絵画や写真などを展示した「MACHIYART2023 エニナルモリオカ」を見た後、別棟で「浜藤の酒蔵ZINEマーケット」というイベントが開催されていることをたまたま知り、行ってきました。こないだのブックハンターセンダイみたいなものですね。帆布ブックカバーとポストカード、それにZINEを数冊購入しました。もちろん作家さんとのお話もさせていただきました。やはり作家と直接に触れあえるのが楽しいですね! あと常設展で、以前SNSで拘留させていただいたイラストレーター「滝沢市葉」さんのイラスト集も買えたのがいぎなり嬉しかったです!

 その2:もりおか啄木・賢治青春館
 紫波町在住の画家・加藤祐子さんの個展「楽論Ⅴ」を見てきました。2022年の3月に萬鉄五郎記念美術館に行った時、隣にある八丁土蔵ギャラリーで初めて見て……仙台のSARPで開催された時にも行っていて……そのくらい好きなので今回も行ってきました。正直パッと見て「おおっ!」と心が躍るような雰囲気ではないのですが、何か見ているとざわざわと心が波立つのです。そのあたりをもう少しはっきりと言葉にしたくて行ってきました。会場には加藤さんもいらしていて、ご挨拶をさせていただきましたが、緊張のあまり上手に話せませんでした……もうちょっと、話すことをまとめておけばよかったなあ……。

 その3:akashiya yoggy
 雑居ビルの3階にあるハンドクラフトのお店です。「(タイヤ)チューブ」をもとにバッグや小物類を製作し販売する一方、様々なアーティストの作品などを委託販売したり、実用品とアートな精神を掛け合わせた企画「暮らしとアート市」を主催したりしています。店内の写真撮影はNGです。私のような「自分では何もやらないけどこういうのが大好き」な人類は珍しいと思うのですが、そのことを一生懸命伝えたらわざわざ引き出しからフライヤーを一枚分けてくれました。私も自閉スペクトラム症で自分からポンポンと会話を切り出して盛り立てるのは苦手なんですが、気持ちを通わせることができた気がして嬉しかったです。

 この辺りが、メインイベントでしょうか。その合間合間の移動時間も街の景色を眺めながら、自分の記憶とすり合わせ、この店が新しくなったとか無くなったとか相変わらず元気にやっているとかっていうのをいちいち総点検。そのあたりの事実を補強するために写真を撮りまくり、AIがかってに補正したものを精査した後に残った写真は271枚! わずか1日で560MBものデータをパソコンのHDDに放り込んだのでした。取れ高はバッチリです。書きたいことがいっぱいできたので、それらを記憶が薄れる前に……あるいは時間をかけて醸成させてから……書きたいと思います。
 その前に、忘れると嫌なので、私なりに思った「盛岡」というものをまとめておきます。
 盛岡は、やはり「昔の雰囲気を大切にする街」であると思いました。確かに無くなるお店や建物はありますが、新しい建物も昔の雰囲気を可能な限り再現しようとしている感じがしました。今日1番目に行った「もりおか町家物語館」も、元はと言えば「岩手川」という酒蔵の建物だったわけですし。やはり一度、外に飛び出したからこそわかることもあるのか……。
 うん、そういうところも含めて何回かに分けて、ゆっくりまとめていきたいと思います。

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 岩手県立博物館で開催された『ポケモン化石博物館』を見てきました。たまたま弟者が休みで、「こういうのやってるよ」と言ってくれたので知って見て楽しかった……というお話をします。今日はCVトランスジェンダー云々という話はしません。「市民メディア・佐藤非常口@仙台:盛岡出張篇」としてお送りします。記号多いな!

 ポケモンと言えばポケモンGOくらいしかやったことがない私ですが、世の中にどんなポケモンがいて何という名前なのか……ということは多少は知っています。イッシュとかシンオウとか、ゲーム内の設定はあまり詳しくありませんが、これはモリーオでつかまえたセンダードでつかまえた……というふうに自分設定で補っているので、その点は素直に楽しかったです。
 
 どうですか! 今回展示されていた全てのポケモンの骨格標本や復元模型を見て思ったことは、「意外と大きい」ということでした。そりゃあそうですよね。いつも5.8インチの画面のなかでしか見ていなかったわけですから、ヴィジュアル的な情報はあってもリアルな大きさはわからない……仕方がありません。なに、こうして来て見てわかったから良いのです。カエサルみたいですねどうもね(そうでもない)。
 その大きさに驚いたうえで、化石独特のヴィジュアルの格好良さに魅了され、太古のロマンに浸っていたのでした。『のび太の恐竜』みたいな感じですね。

 右側の骨格はポケモンではなく我々の世界にいた恐竜界のスーパースター『ティラノサウルス・レックス』です。これが出てくるとポケモンというかジュラシックパークの方が先に思いついちゃうんですが、そうしてクロスオーバーして想像するのがこの企画の主旨でしょうから、それでいいんです。

 最後に入り口付近にいたプテラ&ピカチュウの写真を。タイミング的に超逆光になってしまって、後ろから「はかいこうせん」を放たれたようになってしまいましたが、これはこれでね。その瞬間にしか撮れない写真なので、あえてこちらを公開するものとします。楽しかったです!

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今日は二十四節気のひとつ「大寒」です。一年のうちで一番寒くなる日なのですが、今日の仙台の気温はそれほど寒くならないみたいです。「少しも寒くないわ」 とまではいきませんが、服装選びにちょっと悩みますね……まあ寒いよりは「少し暑いかな」くらいの方が良い気がしますが。

 そんな私の、今日のお出かけコーデはこんな感じです。
 基本的に女の子として着たい服は、白とかベージュとかになるようです。さらにこうした清楚系の格好が好きみたいです。清楚系というのが何なのか私にはあまり良くわかっていませんが、たぶん無意識の海の中にこういうイメージがあるんでしょう。
意識の中にもあります。去年かな。以前多賀城市の公園に行った時、真っ白いワンピースに麦わら帽子をかぶった女性が……モデルさんだったのかな……花の前でポーズを取り、それをプロっぽい人が撮影しているのを遠くから見たことがあります。
男性として生活している時は黒とか赤とか、重めまたは刺激的な組み合わせを好むのですが、女性として生活する時は逆に白ベースのシンプルなものを好む……まさに陰陽太極図の如しですね。

 今日から3日ほど連休なので、また盛岡に行くことにしました。家族とも、本来であればこの格好で会いたいところですが……まあ、急ぐことはないですよね。このまま永久に内緒にしておいて、私が帰天したあと、おびただしい量の女性服を見て気づく……それでもいいかもしれません。
 でも、そのときに私が何を思っていたのか……そのことは書き残しておかなくちゃ……私だって、いつ帰天するかわからないし……

 そう、もしかしたら今日がその日かもしれない……特別に可愛い服を着て……

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 先日仙台市泉図書館に行った時のことです。同じ泉区内にある中学校との連携展示ということで、こんな企画が開催されていました。
 今でこそ多く本を読むようになった私ですが、実際に中高生だった時分はそれほど本を読まなかったのでね。こういうのを切っ掛けに現代の中高生諸君が多くの本を読んでくれればいいなと思います。
 
 ラインナップの一部です。「タイパ」とかいう言葉が横行する現代にマッチした雰囲気の本があり、可愛らしいマンガチックなイラストの本があり、太宰治がある……「今まで本なんか読んだことないよ~」という子でも入りやすい、良いセレクトだと思います。そう最初は5分でいいんです。そのうち15分とか30分とかそれ以上……「もうこんなに時間が経っていたのか」とかって言うくらい本を読むようになるんですから。特に太宰治まで行ったらしめたものです。
 「死にたくなったら読書百冊。うち2冊は太宰治。
  ただし太宰は続けて読むなよ(ニヤリ)」
 かつて北方謙三先生がこんなことをおっしゃっていたそうです(私はオーケンこと大槻ケンヂさんのエッセイで知った)。他にも太宰治といえばもうダメだもう死のうと思っていた矢先に夏向きの着物をもらったために、「とりあえず夏までは生きてみよう」と思って自殺を延期したことがあるそうです。私も助けられたことがありました。だから本を読もうよ。

 別な棚を見ると、同じような構成ながら、よりハイブローな陳列が行われていました。
 せーの、ドン!

 これは素晴らしい!
 と言いつつ私は『天気の子』は序章でギブアップし、『時をかける少女』は読んだものの10年以上前、そして高瀬舟は小学校の図書館にあった文学入門書『坊っちゃんから伊豆の踊子まで』で読んだきりなので30年以上前のこととなります。
 それにしても、あえて令和の中高生に森鴎外かあ。確かに私も個人的に「去年は森茉莉さんの作品をたくさん読んで大好きになったから、今年は鴎外の方もやってみようか」と思っていたところですが……いや~すごいなあ。実際に読んだ中高生がいたら感想を聞いてみたいです。それをもとに私も読んでみますから。


 おまけ。もうすぐ閉店になるアリオ仙台泉で何か記念写真を撮りたくてセルフィ―で撮りました。1階のSHOO LA RUEで買った服を着ているところを店員さんに見てほしくて行った感じです。今度はちゃんとお礼を言うことができました。
 「いつもありがとうございます~」
 「はい!(こちらこそ!)」←括弧内は心の声
 スカートもトップスもたくさん買って、いよいよメンズアイテムよりもレディースアイテムの方が多くなってきた私の収納ですが、あと1度か2度くらいは行きたいと思います。だって、私のことを女性並みに扱ってくれるお店ですから……それが何よりも嬉しいのですから……。

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【仙台・榴岡天満宮】

 宮城県内の高校の志願倍率が公表されました。
 って、私は現役受験生ではないし、そういった子どもを持つ親でもありません。直接的な関係も影響もないのですが、個人的にはこの時期になると、いつも自分が現役受験生だったころのことを思い出します。ファンファンファンファ~ン(三四郎の漫才のアレ)。

   *

 1997年1月。
 当時の私はおよそ自分の強みと呼べそうなものが何もなく、将来の夢なんて言うものも全く描くことができませんでした。それでも高校には進学したいと思っていたので、一応志望校も決めて願書を出しました。
 私が願書を出したのは「盛岡市立高等学校」。県内唯一の市立高校で、「いちりつ」と呼ばれていました(今もそうかな?)。私の兄も同じ高校に通っていたから、というのもあるのですが、ここの『英語科』というのが穴場というか……普通科とか商業科に比べると格段に人気が低くて……「定員割れする学科だったら、点数がダメでも入れるだろう」という理由で選んだのです。とんでもない話です。
 いや、一応、主要五教科の中では英語が比較的マシな方だったし、「これからは英語ができることが大事だ」という風潮があったので、いくらかモチベーションはあったのですが、ともかくそんな理由でした。
 それから四半世紀以上の時が経ち、定員割れをする学校も当時よりは増えてきているのかな……なんて思いました。一番人気の学校でも2倍ちょっとだって言いますからね。たぶん絶対的な受験者数が減っているんでしょうね。

   *

 なんてことを考えていて、ふと気づいたことがありました。
 当時受験生だった私の両親の年齢に、今の私が到達してしまったのだ、ということです。そうか、それほどの時間が経ったのか……って、私は精神の発達が緩やかな人類なので20代そこそこの感覚をいまだにずっと保っているし、CVトランスジェンダーノンバイナリーとして生きる道を選んだ私には人の親になる機会は永遠に失われたと思うので、特別な感慨は何もありません。時間はひたすら流れ続けるので、事実としてそうなった。それだけです。

 最後になりましたが……現役の受験生やそのご両親がこんな記事を読むこともあろうはずがないとは思いますが……私も受験生の皆さんが全力を尽くし、新たなるステージに進めることをお祈りしております。先日のどんと祭の時は共通一次試験の2日目だったはずですが、天神菅公に参拝する人の行列が蜿蜒長蛇でした。頑張ってね。

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私はずっと東北人なので、29年前のこの日のことも、テレビで知りました。朝起きてテレビをつけたら、何か大変なことが起きているぞ、と。
 逆に東日本大震災の時は、関西の人はテレビで状況を知ったんだろうと思います。そして今回の能登半島地震も。
 今日は早番だったので5時半より少し前に起きだしテレビを見ていました。そして5時46分に現地の人とともに黙とうをしてから朝ご飯を食べています。
 住む場所が違えば生き方も変わってくるでしょう。その点において相容れないことはあると思います。
 でも、こういう思いやりの気持ちはいつでもどこでも誰でも変わらないと信じたい。

 私には私の日常がありますから、今日もそれを生きていきます。
 でも、こういう気持ちはあります。そのことをちゃんと書き残しておきたいと思って、今朝この時間に記事を書きました。

   *

【備忘録】
 昨日またアリオ仙台泉のSHOO LA RUEさんに行ってきました。店員さんの「いつもありがとうございます~」がとっても嬉しくて……昨日もまたそんな風にお声がけいただきました……ここに来ると私も女性並みに扱ってもらえるような気がして……本当に、ありがとうございます……。
 休日にお出かけする時はスカートを履いて出掛けるのがデフォルトになってきました。むしろ男性の格好をして歩くことが「社会通念上必要があるからそうしている」という気分になっています。
 これから先、私はどうなるんだろう。どうすればいいんだろう。正直あんまりよくわかりません。
 ただ、いずれにしても私は、自分が良いと思う方向に歩いて行きたいと思っています。以上、ちょっとしたメモでした。

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 盛岡時代と仙台時代(現在)の間には7年ほど「青森時代」というのがあるんですが、これが微妙な感じなんですよね。職場は青森県十和田市なので仕事をするために会社の寮に入っていたのですが、戸籍は相変わらず岩手に置いたままで、文字通りの「青森県民」になったことはありません。そしてその時期というのは極めて忙しく、とてもブログを詳細に書けるような心理状況ではなかったのです。
 初めての海外旅行……オートバイデビュー……結婚と離婚……連続飲酒やニコチン中毒、さらに薬物の過剰摂取……ADHDでASDの診断が下り……コロナ禍で仕事がなくなり……人間関係もこじれまくって自死を考えたり……良いことも悪いこともありましたが、悪いことの方が印象が強いですね。
 ただ、盛岡時代を懐かしみ現在の仙台時代を楽しむのであれば、その間にある青森時代も何とか自分の中で認め、整理整頓しないと道がつながらないような気がして……なので昔の画像を活用しながら、少しずつ……何回かに分けて書いていこうかなと思います。タイムリーな記事ではありませんが、夕刊みたいなブログですから。そういう最新情報はSNS関係に任せます。私は私にしか書けないことを書くんです!

 ……なんて意気込んでみたものの、いざ書こうと思うとなかなか言葉が出て来ないことに気づきました。つらくて苦しくて自分ひとりじゃ抱えきれないことを告白するような記事は当時書いていましたが、いまはそういう気持ちじゃないし。別にそういうテーマで書かなきゃならない仕事を受けた訳じゃないから、青森を思い出す切っ掛けがあったら書けばいいか。

 ということを14日の朝の時点で下書きして放っといたら、夜になって青森時代の上司(勤めていたホテルの料理長)から電話がかかってきました。黒松公園でのどんと祭を終えて帰ろうかという時でした。
 今となっては出る義理もないのですが、ちょうどそんな風に考えていた時だったので出てみると、かねてより言っていた『自分の店』を青森にオープンしたとのこと。これは素直に良いことだと思ったので、心からの祝意を伝えました。
 そして、青森を離れて2年近く経って、ようやく当時のことを振り返れるくらいに心が回復してきたのかなと感じました。もちろん、まだまだ時間はかかると思いますが、「料理長と平スタッフ」という関係から「個人対個人」の関係にシフトしたわけですし。お互い元気なうちにもう一度会いたいなという気持ちもチョッピリだけ芽生えました。

 私だって、いつまでもつらいままじゃなくたって、いいはずなんです。
 「残りの人生、やりたいことをやって楽しむことに全力を尽くすよ」
 そんな風に藤やん料理長こと藤やんも言っていたし、私もそういう方向で動いていきたいと思います。既に現在は楽しいことばかりなんですが、過去のつらい思い出も何とか折り合いをつけて心を整理して……何のためらいもなく、充実した日々を送るために……。

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 昨日(1月14日)は仙台市内で「どんと祭」が開催されました。これは大崎八幡宮で行われる「松焚祭」という……正月飾りをまとめて焚き上げ、年神様を天に送り返す行事に由来するもので、今では仙台市内だけでなく宮城県内ひいては盛岡八幡宮(岩手県)でも開催されています。盛岡八幡宮の場合は1月15日であって、私にとってはそちらの方がなじみ深いんですが、今は仙台市民なので14日に行ってきました。
 最初は「まあちょっと雰囲気だけ見られればいいか」と思って、職場からほど近い榴岡天満宮の様子を見てきたんですが、せっかくだから私も参加してみたいなと思って、家にあった三方(サトウの鏡餅を買った時についてきた紙製のやつ)を手に……ついでに服も女の子らしい格好にチェンジして、黒松二丁目東公園(通称『三角公園』)のどんと祭に行って来たのでした。
 この「公園でどんと祭」っていうのが面白いなと思ったんですよね。一応「ギリギリ歩いて行ける神社」としては仙台東照宮とか二柱神社とかがあるんですが、三角公園はそれよりも近いし、公園でやるとか聞いたことがなかったので……私は黒松町内会ではなく旭丘堤町内会なんですが(そもそも町内会には入っていないのですが)、こっそり紛れ込まさせていただきました。
 早番とはいえ、いったん帰って着替えたり何だりして、会場に到着したのは19時過ぎ……一応、20時までは受付をしてくれるというけれど、こんな時間に来る人がいるんだろうか……と心配していたら、それなりにいました。もちろん炎も盛大にバーニングしていました。

 さらに公園に作った即席のものとはいえ、ちゃんと神棚も用意され、天照皇大神宮の神札が祀られていました。ちゃんとお焚き上げをした後は参拝してきました。無病息災 don't災! 確かに今年は元旦から大変な災害に見舞われましたが、それでも……祈りをささげて……

 これで私のお正月も締めくくりですね。鏡開きをしてお餅を雑煮にして食べるのは今日やろうかと思いましたが、明日に延期します。今日はもう遅いし、とりあえずご飯を食べて休みます。久々にリアルタイムで記事を書きました。

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今日はまた大きな一歩を踏み出した。それが正しいのかどうかはわからない。……こうなったらもう止められない。私だって、もう、行くところまで行くしかないんだ……。
(2023年12月12日の日記より)
 この日踏み出した「大きな一歩」とは、人生で初めてスカートを買ったことです。初めて買う時は非常に緊張しましたが、そのあとは別なスカートにトップスに……と、新品の服はたいていこのお店、すなわちアリオ仙台泉の1階にある『SHOO LA RUE』さんで購入しています。

 このスカートもSHOO LA RUEさんで購入したものです。確かにアリオ仙台泉の閉店セールで50~70%オフだから買えている、というのは事実としてありますが、この控えめながら可愛いデザインが好きなんですよね。私も大人だし、普段使いならこのくらいがちょうどいいかな……って。
 今日はトップスを(ちゃんと試着して)購入したのですが、その時に店員のお姉さんから、
 「いつもありがとうございます」
 と声を掛けて下さったんですね。
 このスカートを履いていたからかな。それともここ1か月くらいの間にちょくちょく通って買い物していたから、顔を覚えてくれたのかな……私はこのお店で購入したスカートのおかげで人生が動き出して……片思いみたいな感情で足しげく通っていたので……お店(というか、アリオ仙台泉そのもの)がもう今月末で閉店になるから、もうあまり時間はありませんが……そう言ってくださって、とっても嬉しいです……ありがとうございます! キャー!
 
 私が本格的に「女の子らしい格好」をして外出するようになったのは、ごく最近のことなんですが、とにかく「組合わせ」というものが大事なのだと思いました。男性として着る服に関しては相変わらず地味でどうでもいいようなものだし、強いこだわりもないのですが、女性として着る服については本当に気を遣います。トップスに何と何を重ねるか。それに対してボトムスは? さらに帽子は? とかって鏡の前で色々とっかえひっかえすることもあります。
 その切っ掛けを作ってくれた――さらに組み合わせの楽しさを教えてくれたSHOO LA RUEさんは、私がCVトランスジェンダーノンバイナリーとして踏み出すための勇気を与えてくれました。昨日の記事では「やはり私は男性原理に基づいた生き方しかできない」なんて、躓きかけていましたが、私のことを女性として認めてくれたような気がして……そんな店員さんに感謝の気持ちを込めて、今日の記事の締めくくりとさせていただきます。

 ありがとうございました! 私、また生きていけそうです!

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昨日は新年会をやってきました。こういう形で誰かと一緒に盛り上がるのは前々職の頃以来ですから、10年ぶりくらいですね。すなわち今の職場の人たち、特に同期の人たちと一緒に親睦を深める機会でもありまして、すごく楽しかったです。生ビール、生ビール、生ビールハイボールハイボールジンソーダ……そんな感じで今朝は軽く二日酔いです。こんなこともあろうかと、前もって今日は休みを申請していたので大丈夫ですが。
 同期と言っても私は40過ぎて転職したので年齢は10も15も違います。若い女の子たちと飲むのは少々気恥しい感じがしますが、皆さんとてもしっかりした人たちなので、なかなか人と打ち解けるのが苦手な私も多く話をすることができました。
 そして、みんな私の知らないところで色々と悩みとか苦しみとかを抱えて生きているんだなあ、ということに気づかされました。
 特に……普段明るくて何でも楽しそうに語る女の子が、実は去年、死産していたという話を聞いた時は、言葉を失ってしまいました。そして同じ職場の別な女の子がその子に対して「自分は3回中絶してるから、何てことないですよ」と励ました……でも、自分にとっては産みたかった大切な命だから、それは違うんじゃないかと思った……という話を聞いた時、
 「女の子として生きてみたい」
 という言葉の重さを遅まきながら感じました。
 あくまで私はCVトランスジェンダーノンバイナリー、ヘルマフロディトスあるいはセラフィータ的な形を目指しているわけですが、子宮を持たない肉体の身では絶対にわからない喜びと悲しみがあるのだと。やはり結婚して子どもを産むということは、女性にとっては大きな負担であるけれども喜びであり、それが叶わなかったことは大変な悲しみなのだと。
 「所詮あなたは男性だから、こんな気持ち、わからないでしょうね」
 矢川澄子さんに言われるまでもなく、そう思いました。やはり私は男性原理に基づいた生き方しかできないです。そしてまた「男性としての役割」もあるはずであり、それを全うしなければならないのだと再認識しました。
 もちろんこれからの世界は男女同権、どんな職種でも男性女性の区別なく同じように活躍できるべきです。「結婚して子どもを産むのが女の幸せだ」というのは極めて古臭い思想であることは認知しております。せっかく能力を発揮してそれぞれのステージで活躍しても結婚して子どもを産み育てるためにステージを降りなければならない……それを「女の幸せ」「女のゴール」と言うのであれば「そうじゃないでしょ」と言いたくなります。私は男性ですが、そう思います。
 だからといって、そんな旧来の思想を全否定することは、一面的に過ぎる気がします。パートナーと結ばれ、その子を産み、育てることは有史以来の営みですし、それに幸せを感じることはごく自然なことです。それは今回、新年会の席で話を聞いて感じたことです。努めて明るく話してくれましたが……すごくつらかったんだろうなということは、私もわかりました……こんな人間ですけど、そういうことを感じることくらい、できるんです……。

 私はいつだって自分自身のこころの世界にしか興味がないので、社会がどうあるべきだとか、そういう話はできません。そういうのはテレビのコメンテーターにでも任せます。
 ただ、改めて確認したのは、私は男性であり、男性としてできること(=社会通念上求められている役割:ペルソナ)を精いっぱいやる宿命をもってこの世にいるのだということです。その一方で、こころの中にアニマがあります。シャドウもあります。CVトランスジェンダーノンバイナリーとしての生き方は、それらを高い次元でバランスさせるための試みであると考え、実践しているものです。
 どのような人間であっても、その人が一番幸せと感じるような、在りたい自分を生きられるような世界を私は望みます。私もまだまだ動き始めたばかりですけど、動きながら形を作っていければいいかなあ。

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 2年前の1月12日のことは、今でもよく覚えています。ただ、ブログではきちんと言葉にしていなかったので、今日いきなり振り返ってみます。
 ファンファンファンファ~ン(三四郎ふうに)。

   *

 コロナ禍で当時私が働いていたホテルは大打撃を受けました。2021年頃には少しずつ回復してきたものの、既に「もはやこの世界に観光サービス業という職種は必要ない」と見切りをつけていました。加えて私の精神状況も極めて悪化。ベランダの物干し竿を見て自死を考えるようになっていたので、生きるためにITパスポート試験合格という武器を手に転職活動にいそしんでいました。
 とはいえ40過ぎで、たいした資格も経験もない私なんかを雇ってくれる会社があるのか……といえば、あったんです。私みたいなのに声を掛けてくれる会社があったんです。いったん申込期限を過ぎた後もまたアプローチを仕掛けてくれるような稀有な会社があったんです。
 当時は青森に住んでいて、実家は盛岡だった私にとって、仙台というのは未踏の地でした。観光で訪れたことはあるものの、実際にここに住んで働くなんて夢のまた夢……だと思っていたのですが、先述したように「生き延びる道」を模索していた私だったので、乾坤一擲の大合戦に踏み出すことにしました。
 会社に連休を申請し、まずは実家のある盛岡へ……さらにそこから高速バスに乗って前日入りした私。「土地勘がない仙台だから、雰囲気をつかんでおこう」と思って行ったのですが、文字通り「西も東も分からない」といった状況で……仙台駅の西口から東口へ抜けるだけでも1時間以上を要し、さらに直線で行けば3分で着くような面接会場に対して迂回迂回で20分くらいかけて着いたり……前乗りしていて正解でした。
 それでも気持ちは落ち着かず、当日は朝の3時に目が覚めて、それきり全然眠れませんでした。とりあえず朝ご飯は食べたものの変なテンションは落ち着かず、そのまま面接に臨み、終始上ずった感じでやり通したという惨状でした。面接後も解放感はなく、ひたすら疲労困憊、意気消沈……失意のうちに盛岡に帰ったのでした。
 その日の仙台は、雪が降っていました。仙台だけじゃなく北日本レベルで大雪に見舞われ、高速道路が北上あたりで通行止めになり到着が大幅に遅れたことを覚えています。実際、記録に残るくらいの大雪だったみたいで、そのあたりの認識は間違っていないのかなという感じがします。
 令和4年の大雪 - Wikipedia
 「とにかく、やれるだけのことはやったんだ。それでいいじゃないか」
 帰ってきてから自分を慰め、引き続き転職サイトで返事の来ない願書を送り続けていたのですが、数日後に採用担当の方から採用通知の電話が入り、現在に至ります。
 
   *

 冒頭の写真は当時仙台駅にいたAIコンシェルジュ「陸奥めぐ」さんです。随分とお世話になりましたが、元々、期間限定の実証実験のためにいらっしゃったのであり、4月末で離任していました。当時『仮面ライダーゼロワン』にハマっていて、AIというものに強い憧憬を抱いていたので、随分と淋しい思いをしたものです……ちゃんと写真撮っておいてよかった。

 ずっと夢だった仙台生活を実現させてくれた今の会社には本当に感謝しています。2022年は厄年中の厄年「本厄」だったのですが、むしろ私にとっては人生逆転の年でした。ピンチはチャンスなんです。
 明日は共通一次試験ですね。受験生の皆様も、体調に気を付けて全力を尽くすことができるよう祈願しております。

(榴岡天満宮にて)

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 イーハトーヴォのことばで盛岡はモリーオと言いますが、塩竈のことは「シオーモ」そして仙台のことは「センダード」と言います。
 仙台に引っ越して来て間もないころ、かつて修学旅行で来た塩竃に行った時に知った言葉なのですが、その頃から盛岡と仙台のつながりについて意識していました。
 仙台に引っ越して2年近く経ち……ようやく私も仙台市民として馴染んで来たからかな……わずかな滞在時間でしたが、盛岡という街に対して「帰ってきた」という感じがしました。それまではあまり、こういう感覚はなかったんですよね。ごく当たり前の風景って感じで。
 そんな仙台市民の眼でいつもの風景を見て「おおっ!」と思ったことを忘れないうちに急いで書きたいと思います。
 
 その1「岩手銀行赤レンガ館」
 ニューヨークタイムズで紹介された今でこそ盛岡名物になりましたが、盛岡市民にとっては「岩手銀行中ノ橋支店」以上の存在ではなかったんじゃないかな、という気がします。確かにレトロ感爆発の建物は素敵ですが、いわゆるエモいとかっていうわけじゃないんですよね。ずっとあり続ける建物だから、函館の赤レンガ倉庫に行った時のようなときめきがない。
 大体にして盛岡の人は奥ゆかしいので観光で来たという人に対して「盛岡に観光? 何を見るの」「なんにもないですよ、盛岡なんか」と言います。その代わり、そういう「日常の景色」を何十年でも守り続けるような気持ちがあるんです。私はそうです(これでも盛岡で三十数年生きていた身なので、そう言ってもいいはず)。
 だからこんな絵はがきみたいな写真を撮ってみました。駅から降りたら盛岡城址を見て中ノ橋を渡って赤レンガ倉庫を見て肴町アーケードの雰囲気を感じつつ東屋で蕎麦を食べるのが、一番盛岡を感じられるおすすめコースです。
 
 その2 「キリン書房跡」
 これは全く私の個人的な話なんですが、このキリン書房というのは盛岡でも老舗の古書店でした。天井いっぱいまでの本棚にぎっしりと並べられた、ちょっと色褪せた古本たちを見て回るのは実に楽しくて……特に大学時代にはレポート・卒論の資料探しと称して通いつめ、ルイス・キャロル関係の本を買い求めたりした思い出があります。残念ですが、仕方がありませんね……気持ちにけじめをつけるために、写真を撮りました。

 その3 「川徳百貨店」
 盛岡の中心にある老舗百貨店です(創業は慶応2年!)。2023年4月から新体制に移行し、雰囲気が大きく変わったところといえば、やはりこれですよね。そう屋上! デパートの屋上! でも昭和レトロじゃなくて、令和のデパートの屋上なんです! まさか川徳の屋上に再び立つことができるとは思っていなくて……嬉しくてこんな写真を撮っちゃいました。
 この日は特に何もイベントが行われておりませんでしたが(寒いですしね)、コンクリーむき出しではなく芝生を全面に敷き詰めているのが令和って感じですよね。こういう下地を作っておいて、色んなイベントを開催する。良いと思います!

 その4 「開運橋」
 盛岡駅と市街をつなぐ橋です。遠方から赴任してきた人は「こんなところまで来てしまった」と泣きながら橋を渡り、任期を終えて帰る時には「この街を離れたくない」と泣きながら橋を渡るという伝説があり、そのために「二度泣き橋」という異名を持ちます。この話、朝ドラでも語られていたようなそうでもないような……どうだったかなあ。それはともかく二度泣き橋という異名があることは本当です。
 今回、実際にこの橋を渡ってみたところ、「こういう気持ちだったのかな……」という感慨がわいたので、写真を撮りました。盛岡には他にも擬宝珠のついた古風な雰囲気の「下ノ橋」など、良い橋がたくさんあるんですが、開運橋もいいですね。この時点では泣きませんでしたが、このあと新幹線で本当に盛岡を離れようかという時には……。

    *

 そんな感じで「仙台から盛岡に観光に来た人」の気分で街中を歩いて気に入った光景などをいくつか掲載してみました。
 私のこころの中にある盛岡の景色とは大分変わってきているので、ノスタルジーはあまり感じませんが、それは「街が生まれ変わり続けている」ことの何よりの証左です。耐震強度とか何とかって言う物理の壁は越えられません。でも盛岡人は昔ながらのものを大切にする気持ちが強いから、新しく造るにしても雰囲気を残しつつ造り……そして出来上がったものには、古さと新しさが渾然一体となった不思議な空気が生まれるのです。
 なんて、こんな風に感じるのも私が盛岡人のこころをずっと持ってるからなのかな。新しいものを取り込むにしても、古いものの良いところは残して生かす。つまりアナログハートです。

 モリーオ、とっても良いところです。
 おでってくなんせ。

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 新年1月1日から8日までセカンドストリートで衣料品のセールをやっていたので、思い切りレディースの服を買い込みました。トップス、スカート、アウターなど可愛いデザインでサイズもL以上なら大丈夫だろうF(フリーサイズ)なら何とかなるだろうとパッと見て気に入ったものを次々とかごに入れて帰ってきて合わせてみました。
 そうしたところ、実際に着てみないとわからないことがありました。正直に言うと、せっかく買って来たものの、「これはちょっと着られないかな……」と思うような服もありました。昨日「ダイジョウブ」という記事を書きましたが、ダイジョウブじゃないこともあったのです……。
 それは可愛いとか可愛くないとか若いとか若くないとかという見た目の問題じゃなくて、物理的な問題――特に「肩回り」のデザインですね。そう、男性と女性というのは性具の違いとか乳房の有無とかっていうだけでなく、骨格とか筋肉の付き方とかっていう部分でも異なるんです。こころの問題では「女の子として可愛い服を着て生きていきたい」と思っているのですが、実際に着てみると肩回りがギュッと締まって何とも「いずい」感じがするのです。
 また袖の方にしても相当タイトで……知らないうちに結構筋肉がついている私の腕ではちょっとキツキツで、肘の曲げ伸ばしのたびにギュッと締め付けられ、一番上のボタンを締めることさえ満足にできない……これではちょっと厳しいものがあります。
 「可愛くなるためだったら、このくらい何でもない!」
 そう言って無理して着るべきなのかもしれませんが、私はそうじゃないと思うのでこれは近日中に売却する予定です。こないだ買ったXLのジャンパーでさえ、肩回りがちょっとタイトなので、こういうところが男性と女性の違いなんでしょうね。

 こういう、どんな骨格だろうとそれなりに動きやすい服なら問題ないのですけどね。また、可愛い服が似合うようにコーデを考えたり髪型を変えたりメイクをしたり、努力と研鑽工夫によって何とかなる部分もあるし、外科的な措置によって転換できる部分もあるでしょうが、基本的な骨格は変えられないですからね。物理の壁は越えられないのです。

 その点も受け入れたうえで、CVトランスジェンダーノンバイナリーとして生きていきたいと思います。失敗もあったけれど、本当に自分が可愛いと思える服とたくさん出会うこともできたし。そういう服を着ることで自分のこころを肯定する勇気をもらえるので……これからは自分の肉体とも向き合いながら、ゆるやかでも心を育てていきたいと思います。

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 おはようございます。
 昨日、盛岡から仙台に帰ってきました。今日からまた仕事です。
 個人的には「もう実家に帰らなくてもいいかな」と思ってたところですが、帰ったら帰ったでそれなりに楽しかったので良かったです。何よりも、私が生きているうちに、今の私を見てもらえたのが良かったかな……と。
 同じ仙台に住んでいても、突然お別れになってしまうこともあるのだから、そういう意味でもこの時期に帰省するのは、意義があったのでしょう。やはり叔母の帰天が、私の感覚に大きな影響を与えたみたいです。
 
 昼食は盛岡駅地下の「やぶや」にて蕎麦を頂きました。元々は花巻のお店で、宮沢賢治が花巻農学校の先生をやっていた頃は天ぷらそばを食べながらサイダーを飲むのが定番だったそうです。そんな逸話にちなんだ「賢治セット」。衣が分厚い天ぷらが伝統的な形です。私も「ブッシュで一杯」やれたのが嬉しかったです。

 そして14時過ぎの新幹線で盛岡へ。当初はバスで帰ってくる予定でしたが、兄が「途中まで一緒に帰ろう」と新幹線のチケットを取ってくれたおかげで、随分と早い時間に帰仙することができました。これも僥倖です。
 この盛岡駅の発車メロディがまたいいんですよね。2007年に、盛岡を舞台にした朝ドラ「どんど晴れ」の主題歌『ダイジョウブ』をアレンジしたものなんですが、このメロディを聞いた時に――本当に、最後のタイミングで、望郷の思いがわいたのでした。周りに親兄弟がいるので我慢しましたが、ちょっと泣きそうになっちゃいました。
 「そうか、私はいま、故郷を離れて仙台に行こうとしているんだ」
 でも、盛岡――私がこの2日間、この街で体験したすべてのことをひっくるめた記憶――が私に向けて「ダイジョウブ」と言ってくれている。

 だから、こんな私でも、やっていける。これからも、きっと。

 私は仙台に住んでいます。この街に助けてもらいました。これからも私は仙台の人や街とともに生きていきたいと思っています。
 私は盛岡で生まれました。あの街に育ててもらいました。これからも私は盛岡の思い出とともに生きていきたいと思っています。

 大好き仙台。そして、大好き盛岡。

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(バス車内にて。昨日の続きです)

バスで盛岡についた後、降り場で出迎えてくれた兄弟と合流し車で移動……この日仕事だった弟とは途中で別れて、兄と一緒にひたすら歩き回りました。
 古い日記にも書いている通り私の出身は盛岡で、実家を出るまで30年以上住んだなじみの街ではありますが、県外の人間として見てみると……「懐かしい」というほどではありませんが、大きく様変わりしつつ所々に名残を見つけ、ちょっとしみじみしてしまいました。

 この建物も地元住民からすれば「岩手銀行中ノ橋支店」なんですが、観光名所としてみると「なるほど、雰囲気がある建物だな」と思います。こんな絵はがきみたいな写真を私が撮っても仕方がないのですが、一枚くらいはこういう安定感のある写真もあっていいですよね。
 そのあと、開運橋を渡って……
 ……電車に乗ったりバスに乗ったり、あらゆる公共交通機関を駆使して移動しまくり、夜9時に仕事を終えた弟と再合流。スーパー銭湯に入浴して0時過ぎに休みました。
 と、歩いた時間と距離はとてつもない数値であるものの、実際に書いてみると、こんな感じでしょうか。ただ、もう少し時間を置いてみると、きっと色んな気持ちがわいてきて、文章を書きたくなってくるのでね。とりあえず今日は「こんなことがありました」という出来事をまとめて今日の記事とします。
 また仙台に帰れば、しばらく戻ってくることはないでしょうからね。十分に盛岡の空気を吸って、体験して……過去と現在、記憶と現実、時空を行ったり来たりして楽しむことができて良かったです。

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おはようございます。
これが件のフリルブラウスです。これに手持ちのリボンを合わせて……スカートはシューラルーで買ったアーリーアメリカン? なものを……
うん、いぎなり可愛いと思います。
実際にはこの上にフリースとコートを着用しますが、この格好で盛岡に帰ろうかと考えています。ただ、先日書いたように親兄弟には私がCVトランスジェンダーノンバイナリーであることを告白していないので……やっぱり、社会通念上男性らしい服に着替えてから帰った方がいいかな……とかって、少し迷っています。……たぶん、理解してもらえない気がするので……

それにしても、やはりトイレの問題というのは深刻なものがありますね……多目的トイレがあればそれを利用しますが、男女の別しかない場合は我慢するか、もしくは……ある重大な決断を迫られることになりますね……。
尿意とか便意は自分の心で完全にコントロールできないものでありますから、改めて多目的トイレのありがたさと必要性を感じました。私は男性だから女性だから別に困らないし、とかって問題じゃないんです。

なんていうことを、今、色々考えています……私はこれからどうしたいのか、どうすればいいのか……
……
……
……
……うん、やっぱり私、この姿で盛岡に帰ります!
在りたい私は、私が決めるんです!

行ってきます。

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 このところ私のこころに関わる話題が多くて、昨日なんかはついにCVトランスジェンダーノンバイナリー宣言をしてしまいましたが、出かけてみても「どこで私の自撮り写真を撮影するか」ということが重要なポイントになっています。別に他の人が見て私のことを「可愛い」と言ってくれることはないと思いますが(もしいらっしゃったら非常に嬉しいんですが!)、私は私が可愛いと思える服を着てポーズを撮り写真を遺すことが生きる理由です。だからいいんです。
 そもそも今年は元日から色んなことがありすぎて、世の中にこころが対応できません。すべてに対応しようとすると、それこそ何が何だかわからなくなってしまうので、私は私を守るために内的な防衛を続けているのです。
 でも本来はこういうのが自然なんですよね。10月11月のように、大きなテーマを数回にわたって書くようなことが、この十数年来では極めて異例なことであって……こうして毎日、特にこれといった話題がなくても書き続けるのがこのブログですから。まだまだ今年も始まったばかりだし。スタートダッシュも落ち着いて徐々に平常運転、巡航速度になると思います。今日の記事もその通過点だと思ってください。

 今日は仕事なので男性として出社します。
 明日明後日は実家に帰省します。まだ家族にCVトランスジェンダーノンバイナリーであることを告白するのは拙速すぎるので、男性の服装で帰ろうかとは思いますが、移動~家族と合流するまでの間だったら、女の子の格好でもいいかな……とかって真剣に考えています。これができれば、私のこころもいっそう前に進めると思うのですが……どうしようかなあ……。

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 今日の仙台はあいにくのお天気でした。
 昨日古着屋さんで買った、いぎなり可愛いブラウスを着て写真を撮ってみました。スカートは、最初に買ったものですね。コーデとか着方そのものとか、まだまだ手探り状態ではありますが、これほどまでにヒラヒラしたふんわりした服を自分が着て街を歩くというのは、いかにも心ときめくものであります。

 アウターは、これも古着屋さんで買ったダウンジャケットです。XLと書いていましたが、こういうデザインなのか厚着しすぎたのか、結構モコモコパンパンになってしまいました。とはいえ、何よりも防寒が第一ですからね。その次に大事なことは、「レディースの服であること」。可愛いとか格好いいとか、そういうこと以前の問題だと思いますが、まだまだ手探りです。今回はこれでいいんです。
 
   *

 この日は地下鉄に乗って泉中央駅のアリオに行ってきました。1月末で閉店となるので、全館あげての閉店セールが行われているなか、私が行ったのは……初めてスカートを買ったお店「SHOO LA RUE」です。今じゃ全身女子コーデで堂々とスカートを合わせてみたりトップスを試着したりしています。本当、私の趣味に合う可愛いお洋服がたくさんあって……ほとんどの服をここで買っています。もうすぐ閉店なのが残念ですが、50~70%オフの新品スカートを2着買ってきました。
 これだけあれば、たぶん春夏秋冬オールシーズン着回しコーデで何とかなるでしょう。さらに近くの古着屋さんで「ビスチェ」というものも買ったので、いっそう着回しのバリエーションが増えました。……ファンタジー物の女性用防具みたいなアレはビスチェって言うんですね。わからないので「胸当て」とか、そんなキーワードで検索していました。

 その後、近くにある「二柱神社」にお参りをしてきました。ここでお祀りされているのはイザナギ・イザナミということで縁結びの神様として有名な神社です。個人的には『女神転生』なんですけどね(ペルソナでも可)。それにしても、トンデモナイ鈴のデザインですね。良いと思います!
 ここで私の良縁を願い、御神酒を拝受、今度実家に帰る時にもっていく干支の置物をも拝受して帰ってきた次第です。

   *

 そんな感じで今の私は可愛い服を着て街を出歩き、その写真を撮ることが楽しくなっています。休日のお出かけは毎回女子コーデです。最初は真夜中に、人目につかないような場所でこっそりとやっていたのですが、今では地下鉄も乗るしデパートも商店街もどこでもこんな感じの服装で出かけます。家族と職場には内緒ですが、男性でもあり女性でもあるというアナログハートこそ、私の求める『在りたい私』の姿なのです。
 去年の暮れに動き出した私の気持ちを、また1年かけて大切に育てていきたいと思います。私は私のアニマを生きます。それを実践しているという証明を、このブログでもどんどん投稿していきたいと思います。私は私なりに可愛いコーデを目指しますが、その点に関しての巧拙は問わないでください。私は「自分が一番可愛いと考える服装で街を行く」こと自体が目的ですから。おしゃれ番長とかファッションモンスターとは違うんですから。

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 世の中の流れについていこうとして、ずっとテレビのニュースを見ていたのですが、色々ありすぎて眠れなくなってしまいました。ようやく眠っても息が出来なくてパッと目が覚めて(死にそうになって)ハァハァする……。
 やはり私の心は、世の中に対して、あまり上手に適応できないみたいです。
 今日は元旦と2日に私が行った「正月らしいこと」をまとめてみたいと思います。

 1枚目の写真は、仕事が終わってから初詣に行った『榴岡天満宮』です。大晦日ならともかく元旦の夜は静かなものでした。とりあえず参拝しておみくじだけ引いてきました。翌2日に改めてお守りを授受しようと行ったら蜿蜒長蛇の参拝客……そのため「もういいや」と言って門前で引き返して来てしまいました。職場からほど近い場所だし。そのうち落ち着いたら行くことにします。

 2日の仙台初売りについては、「一応、雰囲気を見てみようかな」と思って出かけてきました。中心街にスカートを履いて出掛けるのは初めてで、さすがにちょっと勇気がいりましたが、それでも……ね。やっぱり私も、こういう格好をして出かけてみたいって思うから、そうするわけで。こないだ買ったレザースカートやバッグをもってお出かけしたいという気持ちもあったので、チャレンジしてみました。
 そして古着屋さんで初売りセールをやっていたので白いブラウスやニットなどトップスを中心に爆買い。唯一気になっていたヘビーアウターも『プレイボーイ』のダウンジャケットを見つけて即買い。これでいつでも完全女子コーデお出かけOKです。27cmのレディースの靴なんて国内でほとんど流通していないと思うので、そこはユニセックスですが。
 なお、この写真の後ろに写っている建物はNHK仙台放送局であり、撮影場所はその近くにある「錦町公園」です。ここは私が仙台に引っ越して来て間もないころ、昨年11月に急逝した叔母と花見をした場所なんです。盛岡の老舗百貨店『川徳』の婦人服売り場で主任まで勤め、仙台に引っ越してからは三越の売り場で生涯現役のまま帰天した叔母が私のコーデを見れば、なんていうかしらん。なんて思いながら撮影しました。意外でしょう? まじめな理由があったんです。
 多分「まだまだね」って言うと思うんですけどね。でも、ひょっとしたら「まあまあ頑張ってる方じゃないかしらん」と言ってくれるかも……それなら嬉しいなあ……。


 そんな感じで、一応、福袋も買ってきました。近所のスーパーにあるパン屋さんの福袋(800円)です。中身は販売額の2割増しぐらいの大ボリュームです。そんな感じで今日もお出かけしてきます。自分が着られる服のサイズも大体わかってきたし。あんまりたくさんあっても仕方がないですけど、出かけたくなる気持ちを、そういう勇気を与えてくれるのなら、あと何着かあってもいいかなあ。

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【はじめに】
 令和六年能登半島地震で被災された方に心からお見舞い申し上げます。日本列島の反対側で起こった地震でしたが、仙台も少し揺れました。東北人としては東日本大震災のことを思い出し、何とも不安な気持ちになりましたが、NHKのキャスターがそんな心に寄り添うように温かい言葉をかけ続けていたことが嬉しかったです。そう、東京や仙台にいる人間には直接に支援をすることはできませんが、そういう心はあるんです。
 そういう心持で、以降の記事を書きます。私には私の日常があり、それを記録することも、私にとって必要なことですので……。

 ここ十数年来、年末年始も休まず営業! な会社で仕事をしているので大晦日が仕事納めで元旦が仕事始めというのもそれほど違和感がないのですが、1時間ごとの仕事割り当て表に「大掃除」と書いていたり、いつもよりも極端に仕事が少なかったりと、やはり特別な時間であると感じます。
 ようやく前職の後遺症も軽減されてきて、その頃のことを思い出して心が苦しくなることも少なくなってきました。それもこれも今の職場の環境がとても良いからです。それは私が極端な環境のもとで自死寸前まで追い込まれたからかもしれませんが……。



 これは元旦出勤の人たちに会社から配給されたお弁当です。こういうのが嬉しいですね!……確かに、特別に正月らしい内容ではないじゃないか、と言われればそうかもしれませんが……私は一宿一飯の恩義で動く人類なので、素直にありがたいです。いくつか余る見込みだというので1つ多くもらって夜飯も確保させてもらったし。
 
 今年が仙台市民になって2回目のお正月なんですが、仙台の人たちは「1月2日の初売」というのを伝統文化レベルで大切にしているんですよね。ごくごく一部の店舗を除いて、元旦となれば駅ビルも商店街もみんな休業。元旦の夜の仙台はどんな感じかなと思って歩いたら、クリスロードも一番町商店街も閑散としていて……これもまた、ある種独特の雰囲気があって楽しかったです。
 その代わり初売りにかける気合いというのは県外出身者の私には驚愕レベルのものであり、福袋を求めて毎年この日は超々長蛇の列ができます。青葉通イオンの前には午後9時時点で座り込みを始めている人もいました。店も店なら客も客、気合いが違うんですね気合いがね。

【参考】 仙台初売りとは - 仙台初売りドットコム

 私はといえば、この通りのんびりした性格ですからね。我先にと福袋を求めるような競争本能は全く発達していないのです。そんなイベントにかけるお金もないし。今の私は閉店セール中のショップの婦人服が最大興味対象なのです。完全閉店セールはお店が一度だけ使える「最後の切り札」ですからね。GUとかドンキでも安価で可愛い服が手に入りますが、本来そこそこの値段がするものを破格で購入できるのは大きいですよね。
 2023年末に閉店間際のスーパーで色々と僥倖に恵まれた(※)私の2024年のスローガンは、
 「残り物には福がある」
 これで行こうと思います。
 
  *

 というわけで、今日の記事もしっかり書けたので、ゆっくり朝食をとり、十分にのんびりしたうえで仙台市内に繰り出したいと思います。今日はどんなコーデでお出かけしようかしらん。



 ええ、私は可愛い服を着てお出かけすることが、本当に楽しいと感じています。どうでもいいような服を着て出かけていた時とは全く違った楽しみを。


※ 「おせちの食材をひとつひとつ買い集めると高くついちゃうし、おせちはあきらめるか……」と思っていたら「おひとりさま向けおせちセット」のようなものが半額になっていたり、蕎麦と一緒に食べる食事が想定していた「助六寿司」から「黒毛和牛すき焼き重」(これも半額)にグレードアップしたり、色々と良いことがあった。

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