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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

【仙台・榴岡天満宮】

 宮城県内の高校の志願倍率が公表されました。
 って、私は現役受験生ではないし、そういった子どもを持つ親でもありません。直接的な関係も影響もないのですが、個人的にはこの時期になると、いつも自分が現役受験生だったころのことを思い出します。ファンファンファンファ~ン(三四郎の漫才のアレ)。

   *

 1997年1月。
 当時の私はおよそ自分の強みと呼べそうなものが何もなく、将来の夢なんて言うものも全く描くことができませんでした。それでも高校には進学したいと思っていたので、一応志望校も決めて願書を出しました。
 私が願書を出したのは「盛岡市立高等学校」。県内唯一の市立高校で、「いちりつ」と呼ばれていました(今もそうかな?)。私の兄も同じ高校に通っていたから、というのもあるのですが、ここの『英語科』というのが穴場というか……普通科とか商業科に比べると格段に人気が低くて……「定員割れする学科だったら、点数がダメでも入れるだろう」という理由で選んだのです。とんでもない話です。
 いや、一応、主要五教科の中では英語が比較的マシな方だったし、「これからは英語ができることが大事だ」という風潮があったので、いくらかモチベーションはあったのですが、ともかくそんな理由でした。
 それから四半世紀以上の時が経ち、定員割れをする学校も当時よりは増えてきているのかな……なんて思いました。一番人気の学校でも2倍ちょっとだって言いますからね。たぶん絶対的な受験者数が減っているんでしょうね。

   *

 なんてことを考えていて、ふと気づいたことがありました。
 当時受験生だった私の両親の年齢に、今の私が到達してしまったのだ、ということです。そうか、それほどの時間が経ったのか……って、私は精神の発達が緩やかな人類なので20代そこそこの感覚をいまだにずっと保っているし、CVトランスジェンダーノンバイナリーとして生きる道を選んだ私には人の親になる機会は永遠に失われたと思うので、特別な感慨は何もありません。時間はひたすら流れ続けるので、事実としてそうなった。それだけです。

 最後になりましたが……現役の受験生やそのご両親がこんな記事を読むこともあろうはずがないとは思いますが……私も受験生の皆さんが全力を尽くし、新たなるステージに進めることをお祈りしております。先日のどんと祭の時は共通一次試験の2日目だったはずですが、天神菅公に参拝する人の行列が蜿蜒長蛇でした。頑張ってね。

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