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12月2日――
この日はブックハンターセンダイというイベントに行って来たのですが、そこから3kmほど歩いた先にある一番町の雑貨屋「coco-chi」さんで開催されたイラスト二人展「Destiny」も、見てきました。ブックハンターの話題が重たかったので後回しになっていましたが、作家の方とお話しをしたり素敵な作品をたくさんお迎えしたりと、素敵な体験をしたので、その点について書いていきたいと思います。少し時間が空いてしまいましたが、一生懸命思い出しながら書きます。
「元々こういう幻想的なもの、神秘的なものが大好き」というのは会場にいらっしゃった作者の『秋草おと』さんにうかがったお話しです。自分たちは本格的な占いはできないけれど、こうしてタロットカードをモチーフにしたイラストを描いた……というのが今回の展示概要。この点においては私も強く共鳴するところです。私はイラストも描けないので、その分こうして足を運び写真を撮りポストカードなどをお迎えします。せーの、ドン!

何とも下手な写真の撮り方をしてしまったなと今更ながら後悔していますが、何とか全体的な雰囲気は伝わるのではないでしょうか。どうですか! 良いでしょう! 私は良いと思います! 作風は全く異なるのですが、お二方とも非常に可愛らしくて幻想的なイラストで……ここに来る前にブックハンターセンダイでも爆買いしていたのですが、ここでもポストカードを3枚ずつ計6枚購入。元よりポストカードを買い集めるのが趣味なのですが、これによっていっそう華やかになりました。
そして、これらポストカードとは別に購入したワンドロ作品がこちらです。はい、ドン!
やはり手書きの一点物は格別です。パッと見たイラストの可愛らしさは言うまでもありません。何よりこのメッセージが、今の私にとって非常に強烈な……それこそタロット占いで示されたような、動き始めた私の背中をギューッと強く後押ししてくれるメッセージであると受け取りました。
「どっちでもよくない」
「私は私」
*
……今回の展示も、フォーラスの7FにあるTURN ANOTHER ROUNDにある告知はがきを見てきました。亀井桃さんもペロンミさんも、最近参加したイベントは大体、紙媒体で開催を知り実際に足を運んで見ています。SNSによらないアナログハート生活は、地道に楽しいです。今日からは秋保の杜佐々木美術館&人形館で新しいイベントが始まるし。これを見に行った感想を書く勢いで、先日の「越後しの」さんの個展のこと、みひろさんのこと、さらに同じ会場で見た高校生の皆さんの映像作品のことに四谷シモン氏の人形のことなど……。
こないだ借りてきた矢川澄子さんの本とかエンマ・ユングの本とかを読んでひと段落したのでね。ブックハンターセンダイで買い求めた本を読みつつ、たくさん書くべきことを書いていきたいと思います! そのためにも今日はお仕事頑張ります! 川島明さん年間テレビ出演数1位おめでとうございます! ラヴィット!
この日はブックハンターセンダイというイベントに行って来たのですが、そこから3kmほど歩いた先にある一番町の雑貨屋「coco-chi」さんで開催されたイラスト二人展「Destiny」も、見てきました。ブックハンターの話題が重たかったので後回しになっていましたが、作家の方とお話しをしたり素敵な作品をたくさんお迎えしたりと、素敵な体験をしたので、その点について書いていきたいと思います。少し時間が空いてしまいましたが、一生懸命思い出しながら書きます。
「元々こういう幻想的なもの、神秘的なものが大好き」というのは会場にいらっしゃった作者の『秋草おと』さんにうかがったお話しです。自分たちは本格的な占いはできないけれど、こうしてタロットカードをモチーフにしたイラストを描いた……というのが今回の展示概要。この点においては私も強く共鳴するところです。私はイラストも描けないので、その分こうして足を運び写真を撮りポストカードなどをお迎えします。せーの、ドン!
何とも下手な写真の撮り方をしてしまったなと今更ながら後悔していますが、何とか全体的な雰囲気は伝わるのではないでしょうか。どうですか! 良いでしょう! 私は良いと思います! 作風は全く異なるのですが、お二方とも非常に可愛らしくて幻想的なイラストで……ここに来る前にブックハンターセンダイでも爆買いしていたのですが、ここでもポストカードを3枚ずつ計6枚購入。元よりポストカードを買い集めるのが趣味なのですが、これによっていっそう華やかになりました。
そして、これらポストカードとは別に購入したワンドロ作品がこちらです。はい、ドン!
やはり手書きの一点物は格別です。パッと見たイラストの可愛らしさは言うまでもありません。何よりこのメッセージが、今の私にとって非常に強烈な……それこそタロット占いで示されたような、動き始めた私の背中をギューッと強く後押ししてくれるメッセージであると受け取りました。
「どっちでもよくない」
「私は私」
*
……今回の展示も、フォーラスの7FにあるTURN ANOTHER ROUNDにある告知はがきを見てきました。亀井桃さんもペロンミさんも、最近参加したイベントは大体、紙媒体で開催を知り実際に足を運んで見ています。SNSによらないアナログハート生活は、地道に楽しいです。今日からは秋保の杜佐々木美術館&人形館で新しいイベントが始まるし。これを見に行った感想を書く勢いで、先日の「越後しの」さんの個展のこと、みひろさんのこと、さらに同じ会場で見た高校生の皆さんの映像作品のことに四谷シモン氏の人形のことなど……。
こないだ借りてきた矢川澄子さんの本とかエンマ・ユングの本とかを読んでひと段落したのでね。ブックハンターセンダイで買い求めた本を読みつつ、たくさん書くべきことを書いていきたいと思います! そのためにも今日はお仕事頑張ります! 川島明さん年間テレビ出演数1位おめでとうございます! ラヴィット!
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一昨日お出かけした長町というのは、仙台市の南部にある「新しい街」です。歴史的には宿場町として云々……というのはあるのですが、そういうものを全部なくして綺麗で新しくて高級で清潔な都市計画に基づく理想的な街づくりをして出来上がった街です。マンションも商業施設も公共施設も病院も何もかも21世紀的な建物ばかりです。
一方、私が住まう仙台市の北部というのは、どちらかというと昭和40年代辺りに開拓されて人が住み始めたエリアなので、一戸建ての家が多いです。住宅地があって、メインストリートがあって、商店があって……という具合です。地下鉄の駅の周辺とかは比較的新しくて綺麗な感じなんですが、一歩そのエリアを外れると薄汚れたコンクリートと塗装が剥げて錆びた橋が架かる「古い街」の本性が現れています。
別に自分が住んでいるからってわけじゃないと思うんですが、どうも新しい街というのは……率直に言うと「いずい」感じがします。いずいというのは仙台弁で「何となく心地が良くない」といった意味合いで、長袖シャツの上にアウターを着た時に二の腕辺りで袖がくちゃくちゃになった時などに言います。
小説『帝都物語』でいえば満州国の新京みたいなもので、新しくて綺麗な建物ばかりで見た目はいいんだけど人の「いとなみ」が感じられないというか。いや勿論そんなことはないと思うんですが、どうしても私は馴染めない……私自身が古い人間だからなのかもしれませんが、やっぱり雲を衝くような高層マンションが立ち並ぶ「新しい街」よりも、昭和感爆発の一軒家がそこかしこにひしめく「古い街」の方が私は好きかな、って思います。
以上、今日はお仕事で特別なイベントもなかったので、日ごろ温めていた「仙南仙北論」をちょっとだけ書きました。そんな私がいま住まうアパートも築35年ですから、ギリギリ昭和か平成か……あ、昭和だ!(35年前=1988年=昭和63年)
昨日(12月3日)、仙台市太白区長町にある楽楽楽(ららら)ホールにて開催された仙台サブカルチャー合唱団第2回演奏会『いざ出陣!サブカル合唱の陣』を見てきました。その感想について書きます。
最初にこう書いたのは、私が会場で見てきたという事実を正確に伝えるためです。広く伝えるためならXで「見てきました~!」って書けばいい話なんですが、感じたことをたくさん書きたいのでブログで書きます。いつか、Xに復帰したら宣伝しますが、とりあえず今は……ね。
さ、それじゃここからはいつも通り、ごちゃごちゃととりとめのない文章を書きます。読みづらかったらごめんなさい。一応、随時読み直して修正はしていますので……。
*
そもそも私がこのイベントのことを知ったのは、9月17日のことでした。私がいつも利用する仙台市地下鉄南北線旭ヶ丘駅でこんなポスターを見たのですね。
私もサブカル育ちのサブカルオタクを自認する身ではありますが、「アニソンを合唱?」と、この時点では今ひとつピンと来ませんでした。とはいえ可愛いイラストであればそれが何であれビシバシ写真を撮りますし、「どんな感じなんだろう」と興味津々でもあったので、わざわざこの日に希望休を申請して行ってきた次第です。仙台で開催される面白そうなイベントなら、何でも首を突っ込みます。SNSを休止していても……
……いやむしろSNSを休止しているからこそ、かな。別にSNSに投稿してたくさんいいねをもらいたいというわけじゃなく、本当に私自身が楽しむために参加するのです。このブログも、それを忘れないように書き留めるために――そしていつか、誰かに読んでもらえることを信じて書きます。
ここ太白区文化センター楽楽楽(ららら)ホールは1階席2階席合わせて500席もあるような立派な場所なのですが、会場15分くらい前からにわかに人が集まりはじめ、開演時にはなかなか多くのお客さんが座っていました。もちろん団員の家族友人知人関係者もいるんでしょうが……でもきっと、私みたいに何の関係もない一般人も多くいるはずですよね。きっとそうだと思います。
さて演奏が始まりました。オープニングを飾ったのは1991年のテレビアニメ『絶対無敵ライジンオー』のオープニング曲「ドリーム・シフト」……いきなり、私にとっては衝撃的なナンバーでした。およそ合唱の曲になるとは思えないような楽曲なんですが、これがもうしっかり四部パートに分かれて分厚く広がりのある歌になっていたんです。まさに合唱曲です。
「こういうことか!」
そのあとの演奏曲は、大体こんな感じです。
・紅蓮の弓矢(進撃の巨人)
・キミがいれば(名探偵コナンのテーマ)
・ヴァイオレット・エヴァーガーデン(オリジナルメドレー)
・残酷な天使のテーゼ
・ユメヲカケル!(ウマ娘プリティーダービー Season2)
・天の弱~Ballad Version~(ボカロ曲)
・戦姫合唱シンフォギアメドレー(戦姫絶唱シンフォギア)
あと、変わったところでは「ゲッターロボアーク」のED『STORM』なんかもあったんですが、これは団員のソロパートがありました。ソロパートっていうか「ゲッタアアアアア!」という雄たけびですね。私はゲッターロボというと初代のやつしか知らないんですが(しかもアニメじゃなくてゲームで知った)、これは素晴らしい! 実際どんな楽曲を歌うのかというのはすべて団員が決めていて、誰かしらの「推し曲」がそのまま歌唱曲になっているわけですからね。団員とアレンジャー(合唱団代表の佐藤祐也さん=指揮者でもある)さらにピアニストのすべてが合わさって、最終的にはアンケート用紙の裏面(全白)に感想を思い切り書きまくってきました。ステージの皆さんに負けないくらい、私の感想もあっついですよ~! と自負しております! エッヘン。
ちなみに今回の演奏に関しては、11月30日付の河北新報オンラインでも取り上げられております。有料記事ですが、無料会員登録すれば読めます。
ウマ娘、進撃…アニソンを混声4部合唱で 東北唯一のサブカル系合唱団、12月3日仙台で演奏会
*
といった感じで、まったくの未知の世界に飛び込み全力で楽しんできた次第ですが、コロナ禍の影響でなかなか活動が思うようにいかなかったと言います。演奏会をしようにも会場が見つからないし、練習会場があっても「声を出すな」と言われるし。……確かに人類が5類移行させたとて、相変わらず新型コロナウイルスは生物学的な脅威であることに変わりはありませんが……やはりエンタメが元通りに活動できるようになったのは、素直に喜ばしいことであると思います。
なお最後のアンケートに「歌ってほしい曲をリクエストして下さい!」という項目があったので、ここぞとばかりに私の超絶大好きな一曲を書いてきました。
えっ? これ? 何で? と思われるでしょうが、私はこの歌で救われたんです。この歌からITパスポート検定に合格し転職し転居して夢見ていた仙台生活をスタートさせる勇気をもらったんです。ということをリクエストにかこつけて一生懸命伝えてきました。裏面いっぱいに文字を書きまくりましたが、そのうち6割はラブライブ! 大好きLiella! 大好きこの曲が大好きっていう話でした。もう何が何だかわかりませんが、熱くなった気持ちは止まりません。とにかく書いて出しちゃえばそれでオッケーなんです。
別におかしなことを書いたわけじゃないので「佐藤のバカはどこだ!」と追いかけられることもないでしょうが、まあこんな感じで地下鉄に乗り、家に帰ってきました。まったく面白いイベントでした……。
良いと思います!
最初にこう書いたのは、私が会場で見てきたという事実を正確に伝えるためです。広く伝えるためならXで「見てきました~!」って書けばいい話なんですが、感じたことをたくさん書きたいのでブログで書きます。いつか、Xに復帰したら宣伝しますが、とりあえず今は……ね。
さ、それじゃここからはいつも通り、ごちゃごちゃととりとめのない文章を書きます。読みづらかったらごめんなさい。一応、随時読み直して修正はしていますので……。
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そもそも私がこのイベントのことを知ったのは、9月17日のことでした。私がいつも利用する仙台市地下鉄南北線旭ヶ丘駅でこんなポスターを見たのですね。
私もサブカル育ちのサブカルオタクを自認する身ではありますが、「アニソンを合唱?」と、この時点では今ひとつピンと来ませんでした。とはいえ可愛いイラストであればそれが何であれビシバシ写真を撮りますし、「どんな感じなんだろう」と興味津々でもあったので、わざわざこの日に希望休を申請して行ってきた次第です。仙台で開催される面白そうなイベントなら、何でも首を突っ込みます。SNSを休止していても……
……いやむしろSNSを休止しているからこそ、かな。別にSNSに投稿してたくさんいいねをもらいたいというわけじゃなく、本当に私自身が楽しむために参加するのです。このブログも、それを忘れないように書き留めるために――そしていつか、誰かに読んでもらえることを信じて書きます。
ここ太白区文化センター楽楽楽(ららら)ホールは1階席2階席合わせて500席もあるような立派な場所なのですが、会場15分くらい前からにわかに人が集まりはじめ、開演時にはなかなか多くのお客さんが座っていました。もちろん団員の家族友人知人関係者もいるんでしょうが……でもきっと、私みたいに何の関係もない一般人も多くいるはずですよね。きっとそうだと思います。
さて演奏が始まりました。オープニングを飾ったのは1991年のテレビアニメ『絶対無敵ライジンオー』のオープニング曲「ドリーム・シフト」……いきなり、私にとっては衝撃的なナンバーでした。およそ合唱の曲になるとは思えないような楽曲なんですが、これがもうしっかり四部パートに分かれて分厚く広がりのある歌になっていたんです。まさに合唱曲です。
「こういうことか!」
そのあとの演奏曲は、大体こんな感じです。
・紅蓮の弓矢(進撃の巨人)
・キミがいれば(名探偵コナンのテーマ)
・ヴァイオレット・エヴァーガーデン(オリジナルメドレー)
・残酷な天使のテーゼ
・ユメヲカケル!(ウマ娘プリティーダービー Season2)
・天の弱~Ballad Version~(ボカロ曲)
・戦姫合唱シンフォギアメドレー(戦姫絶唱シンフォギア)
あと、変わったところでは「ゲッターロボアーク」のED『STORM』なんかもあったんですが、これは団員のソロパートがありました。ソロパートっていうか「ゲッタアアアアア!」という雄たけびですね。私はゲッターロボというと初代のやつしか知らないんですが(しかもアニメじゃなくてゲームで知った)、これは素晴らしい! 実際どんな楽曲を歌うのかというのはすべて団員が決めていて、誰かしらの「推し曲」がそのまま歌唱曲になっているわけですからね。団員とアレンジャー(合唱団代表の佐藤祐也さん=指揮者でもある)さらにピアニストのすべてが合わさって、最終的にはアンケート用紙の裏面(全白)に感想を思い切り書きまくってきました。ステージの皆さんに負けないくらい、私の感想もあっついですよ~! と自負しております! エッヘン。
ちなみに今回の演奏に関しては、11月30日付の河北新報オンラインでも取り上げられております。有料記事ですが、無料会員登録すれば読めます。
ウマ娘、進撃…アニソンを混声4部合唱で 東北唯一のサブカル系合唱団、12月3日仙台で演奏会
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といった感じで、まったくの未知の世界に飛び込み全力で楽しんできた次第ですが、コロナ禍の影響でなかなか活動が思うようにいかなかったと言います。演奏会をしようにも会場が見つからないし、練習会場があっても「声を出すな」と言われるし。……確かに人類が5類移行させたとて、相変わらず新型コロナウイルスは生物学的な脅威であることに変わりはありませんが……やはりエンタメが元通りに活動できるようになったのは、素直に喜ばしいことであると思います。
なお最後のアンケートに「歌ってほしい曲をリクエストして下さい!」という項目があったので、ここぞとばかりに私の超絶大好きな一曲を書いてきました。
えっ? これ? 何で? と思われるでしょうが、私はこの歌で救われたんです。この歌からITパスポート検定に合格し転職し転居して夢見ていた仙台生活をスタートさせる勇気をもらったんです。ということをリクエストにかこつけて一生懸命伝えてきました。裏面いっぱいに文字を書きまくりましたが、そのうち6割はラブライブ! 大好きLiella! 大好きこの曲が大好きっていう話でした。もう何が何だかわかりませんが、熱くなった気持ちは止まりません。とにかく書いて出しちゃえばそれでオッケーなんです。
別におかしなことを書いたわけじゃないので「佐藤のバカはどこだ!」と追いかけられることもないでしょうが、まあこんな感じで地下鉄に乗り、家に帰ってきました。まったく面白いイベントでした……。
良いと思います!
すてきなものは、遠くにしかないのでしょうか?
いえ、手の届く範囲に、すてきなひとはいて、すてきなものはあるはず。
宮城で活動する文芸作家が作品を発表し、集まる場がほしい。
「ないなら、つくろう」
それが〈ブックハンターセンダイ〉の始まりでした。
(公式HPより引用)
宮城県仙台市は、文化的なイベントがたくさんあります。
音楽イベントといえば『定禅寺ストリートジャズフェスティバル』
美術イベントといえば『アンデパンダン展』(私も行きました!)
文芸イベントといえば……
……
なかったんですよね。古本市は何度かやるけど、そうじゃなくてジャズフェスやアンパンみたいな、アマチュア文芸愛好家によるそういう人たちのためのイベントというのがなかったようで。そこでこうしたイベントを開いた……というのが開催趣旨です。会場は宮城野区五輪……楽天イーグルスのホームグラウンドの近くにあるギャラリーチフリグリさんです。
チフリグリさんは、それこそ今年の秋に『アンデパンダン展』を見に行ったのが最初だったのですが……後日チフリグリさんの公式ブログを読んで2022年の冬にそういうイベントが開催されていたことを知り、「今年もやるのかしら」と虎視眈々(そんな感じではない)……イベントが開催されることを知り、1か月前から有休を申請して突撃してきた次第です。
私も大学の頃は創作同人サークルに所属し、今年は20年ぶりに小説のようなものを発表するなど、これでなかなか文芸好きなのですが、そんな私のひそかに温めていた心がパーッと花開くような……そんなイベントでした。そしてアレコレ爆買いしたり、嬉しい再会があったり、非常に素敵な一日となりました。
個々の作品についても改めて書きたいと思いますが、まずはイベント会場のレポートをしたいと思います。読んだり話したり空想したりするのに忙しくて会場の写真などは少なめですが、文芸イベントらしく、私も文章で色々と書いていきたいと思います。がんばります!
最初にお邪魔したのは『インディーズブックバザール』。主催者による企画概要と作家紹介ページはこちらからどうぞ。ちゃんとした説明は主催者の方にお任せすることにして、ここからは予備知識ゼロでポンと飛び込んだ私の直感的な印象を並べていきたいと思います。
ギャラリーのスペースでは6名の作家がお手製の本を陳列していました。すべての作品が試し読み可能だったので、私もひとつひとつ文章を読ませて頂きました。そして、
「なんてアンデパンダンな世界なんだ……」
と驚嘆しました。文芸のバーリトゥードです。突然空間にひずみが生まれ、そこから飛び出してきた何者かに頭をボカン! と引っ叩かれたような衝撃です。「そうか、こういうことをやってもいいんだ」「やっている世界があるんだ」と、また私の心を覆っていた壁が破壊されました。自由と独立の精神が、新たな栄養を受けていっそう成長しそうです。
一通り眺めた後、しっかりと自分の心とのシンクロ率を確認し、「これで行こう」と思った数冊を次々と購入。一作家ごとに一会計となるので、そのたびに言葉を交わし、作者の方から直接本を受け取る感覚というのは、何とも愛おしいものです。どうやら私というのはよくよくアナログハートな人間みたいです。こういった形でお迎えした本ですから、一冊一冊がとても愛おしく感じられてしまうのです。
いつか私も、こういう形で自分の書いたものを本にしたい。そしてそれを誰かのもとへ送り届けたい。……20年前に志し、頓挫してほったらかしになっていた夢が再び息を吹き返しました。埃まみれで錆びだらけでも、まだ朽ち果ててはいなかったみたいです。まだまだ生きていたい……そんな風に思いました。最近はアートに心を救われる機会が何度もありましたが、今日は文芸に心を救われました。良かった……。
一通り、作家さんとの直接対決(違)が終わって心を落ち着けるために壁に目をやると、このようなものがありました。こちらはうってかわってデジタル的な世界ですが、これはこれで面白いですね。文芸方面に心が開かれた直後だったので、とりあえず全部の書誌情報カードを写真に撮ってきました。調べて読んでみて波長が合うかどうか。そのすべてを確認するためには大変な時間がかかります。見て覚えようったって覚えられるはずがありません。これから時間をかけて、ゆっくり確かめていきたいと思います。
文芸は、やっぱりイラストとは違って、難しいですよね。パッと見て「あ、可愛い」「綺麗だなあ」と直感的に理解することができないから。じっくり時間をかけて、縫い目を確かめながら袖を通すように味わわなければいけないから。……でも、そうして時間をかけて向き合うからこそ、ずっと心に刻まれるのも、文芸ならではの魅力だと思います。それに、感情を細かく細かく伝えられるのもやはり文章ならではだと思うし。伝えたいことのすべてを伝えようとすれば、やはり筆力を高めるしかないと、今この記事を書きながら考えています。まあ、あんまりあれもこれもと盛り込んじゃうと食べ切れなくなっちゃうから、そこから推敲することは必要な作業ですが(それも含めて筆力というものでしょう)、ここは自由記述のブログなので書きたいことは全部書きます。書いた後で精査します。
インディーズブックバザールの空間で思い切りバーリトゥードな空気を吸い込み、心がうんと伸びやかになったところで、今度は本部? に行きました。こちらは主催者側で制作した本や委託販売の本などを販売するスペースですね。例によってちゃんとした作品紹介は公式HP内を確認してください。ここからは、よりいっそう個人的な話になりますので。
ここでも物語の内容やら装丁やら、すべてにおいて全然違った個性的な作品が多く並べられていて、大正ロマン物やファンタジー物など私の好物がいくつもありましたが、その中でも「オヤ!?」と思ったのが、「かくらこう」さんの作品『あたしはやさしい魔女だから』でした(作品紹介)。
これ、実は一度、読んだことがあるんです。それこそアンデパンダン展の時に会場に展示されているのを読んで、「ヘェー」「これは、なんか、いいなあ」と。ひそかに心の中にしまい込んでいた人魚と、まさかこの場で再会することができるとは! と……。
これはアンデパンダン展の時に読んだものです。物語の印象的な一節を写真に撮っていたのですが、まさかこうした形で再会できるとは……直感を信じて行動して良かったと思います。
そして本部ブースでもアレコレと本を手に取り、同時に買ったトートバッグに入れてもらっている間、アンデパンダン展で初めて読んだことを話していると、
「私が書いた本なんです」
なんと私の目の前にいて袋詰めをしてくれている人が作者の「かくらこう」さんだということが発覚。嬉しすぎていぎなりハカハカしてしまいました。何というサプライズ! 何という僥倖! 私以外の人類には共感できないと思いますが、とにかく私にとってはすごく嬉しい出来事でした。物語や作品を読んで、その感動を一番伝えたい相手は誰かっていえば、実際にそれを創った人を置いて他にはないのです。そして私はそれを実現することができたのです。
美術に関しては門眞妙さん、文芸に関しては「かくらこう」さん。さらに私のようなアングラ人間が世の中と関わる切っ掛けになったウラロジ仙台の恐山編集長をはじめ編集スタッフの方にご挨拶をさせて頂く機会もありました。皆様その節はありがとうございます。まったくもってガチガチでぎこちない話し方になってしまいましたが、すべてが大切な出会いでした。すっごく嬉しかったです!
SNSをはじめとするデジタル的なものの進化は世界中の人たちとの交流を可能にしましたが、こうしてSNSに依らなくても、十分に心を通わせるチャンスはあるんです。もちろんデジタルな情報を得ることも必要だしデジタルなやり取りで出会い交流することも良いでしょう。私だってXは休止しているけれど来春復帰を目指してアカウントは残しているし、mixiとかは毎日更新しています。それによって新しいつながりもできました。デジタルを全く否定することはしません。
YoutubeやらTikTokやらで動画を投稿し世界中の人から注目を集めるのも良いでしょう。何万いいねとか何億回再生とかっていうのも良いでしょう。私が大好きな蘭茶みすみさんのいるメタバースの世界は、人類を新たなステージへと導いてくれるでしょう。それによって生きづらさが解消され誰もが『在りたい私』を実現できるのなら、そういう世界になるべきだと思います。
……それでも! それでもです!
私はアナログハートを捨てられないのです! 全てが数値化された断続的な世界よりも、紙とインクによってつづられた連続的な世界が大好きなんです! 私もADHDでASDで生きづらさも感じてはいますが、やはりこの肉体をもって認知する物理世界というか――より的確に言えば、この仙台という街が大好きなんです!
世界中でデジタル化が急激に進めば、私のような旧い人間はいずれ淘汰されるでしょう。それに、こんなアナログ礼賛な記事を書いてしまったから……私の大好きなみすみんサンも、私のことを見限ってしまうかもしれませんが……私だって、もう後戻りはできません。みすみんサンのことを知って以来、私の『在りたい私』って何なんだろう? ってずっと考えていて、ようやく浮かび上がった輪郭線がこれだから仕方ありません。
自由と独立の精神! アート・ブンゲイ・アナログハート! 在りたい私は私が決める! 価値があるとかないとかは私が決めるの!
スミマセン、早朝から一生懸命書いていたらプリキュアが始まっちゃって、それを見ながら書いていたので今朝見た話の影響が最後の方で噴出しちゃいました……来春、本格的に復帰したらちゃんと書き直しますが、これはこれでいいでしょう。漫画が雑誌連載版と単行本収録版で変わるようなものですからね。リアルタイムならではの文章ということでご了承ください。
はい、まじめな話に戻ります。ここ編集点です。
……入り口でこのようなスタンプラリーの台紙をもらい、規定数を余裕でクリアしたので記念品を頂きました。少しずつ缶バッヂのコレクションが増えてきました。そしてスタンプラリーの台紙はそのまま、作家さんと交流をした証拠にもなります。これも含めて大切にしたいと思います。
繰り返しになりますが、これからの私のテーマは「アート・ブンゲイ・アナログハート」です。これを目指して、今後もよりいっそう仙台で開催されるイベントに参加し、体験を通じて心を育てていきたいと思います。以上、文芸オタクの文芸イベントレポでした。
さ、朝ごはん食べよう。もうこんな時間だ。まじっすか!
(中丸くんは結構前から好きなんです)
12月ですね。師走ですね。寒い寒い寒い……。
もうね、朝起きて顔を洗ってご飯を作る時にキッチンに立つと、息が白いんですよ。部屋の中でもこんなに寒いんです。実際、昨日仙台では「初氷」を観測したとのことです。やっぱり冬なんだなあ……でもまあ、12月なら「そういうものだよね」と受け入れることもできます。これからますます寒くなるだろうし。コートも厳冬期用のものでいいですね。
ただ寒い寒いと言っても雪がほとんど積もらないのは仙台の大好きなところです。盛岡も雪深いですし、青森なんかは一晩で膝の高さまで積もっちゃうので、一日に3回も4回も雪かきをしなければいけません。除雪車が通っても圧雪凍結で路面状況は最悪……プアなスタッドレスタイヤではズルズル滑って大変です。雪壁にぶつけたこともあるし、緩いカーブを曲がっている時に滑り出し用水路に落ちかけたこともありました。
その際に私を救ってくれたのは、この動画を見て覚えた運転術でした。別に超絶ハイテクニックとかじゃないです。ただハンドルをまっすぐにして、トラクションがかかるまで我慢するんです。下手に急ハンドルを切ると揺り返しで完全にコントロール不能になっちゃうので。そうなったら本当にどうしようもないので。
今は車そのものを手放してしまったので、そういう心配もありませんが……ともかく皆様、冬道の運転はお気を付けください。今日は早番なので短めで恐縮ですが、こんなところで失礼します。
(なぜか海未ちゃんシメ)
もうね、朝起きて顔を洗ってご飯を作る時にキッチンに立つと、息が白いんですよ。部屋の中でもこんなに寒いんです。実際、昨日仙台では「初氷」を観測したとのことです。やっぱり冬なんだなあ……でもまあ、12月なら「そういうものだよね」と受け入れることもできます。これからますます寒くなるだろうし。コートも厳冬期用のものでいいですね。
ただ寒い寒いと言っても雪がほとんど積もらないのは仙台の大好きなところです。盛岡も雪深いですし、青森なんかは一晩で膝の高さまで積もっちゃうので、一日に3回も4回も雪かきをしなければいけません。除雪車が通っても圧雪凍結で路面状況は最悪……プアなスタッドレスタイヤではズルズル滑って大変です。雪壁にぶつけたこともあるし、緩いカーブを曲がっている時に滑り出し用水路に落ちかけたこともありました。
その際に私を救ってくれたのは、この動画を見て覚えた運転術でした。別に超絶ハイテクニックとかじゃないです。ただハンドルをまっすぐにして、トラクションがかかるまで我慢するんです。下手に急ハンドルを切ると揺り返しで完全にコントロール不能になっちゃうので。そうなったら本当にどうしようもないので。
今は車そのものを手放してしまったので、そういう心配もありませんが……ともかく皆様、冬道の運転はお気を付けください。今日は早番なので短めで恐縮ですが、こんなところで失礼します。
(なぜか海未ちゃんシメ)
先日、仙台や東京で活躍するイラストレーター『亀井桃』さん(公式HP)の「FULLSWING展」を見てきました。会場は古着屋さんで、あまりそういう場所には行かないので少々緊張しましたが、とにかく亀井桃さんのイラストが大好きなので行ってきました。
今回はこれまでに撮りためた写真を一挙公開。私が初めて見た絵から現在に至るまでの亀井桃さん大好き特集をやってみたいと思います。ほとんど私の言葉はありません。でも写真はいっぱいあります。
*
初めて亀井桃さんのイラストを見たのは昨年10月に青葉通地下道で開催された少数派のためのマーケットイベント『地下道-3150』です。私も大好きなウラロジ仙台さんの主催によるもので、これ以来、私も自分の生き方に大きく自信を持つことができました。それはSNSを休止している現在でも同じです。
その後、去年の暮れにフォーラスの「TURN ANOTHER ROUND」で開催された個展も見に行きました。ここで初めて「ああ、亀井桃さんの絵って、こんな感じなんだなあ」ということを認識しました。
実際のイラストはご覧の通り、非常にポップで可愛らしい絵柄です。ただ、それだけにとどまらず、何か目に見えづらい魅力があるんですよね。ただ可愛らしいだけならフワーッと感じて通り過ぎてしまいますし、強すぎる刺激もいずれ慣れて何も感じなくなってしまうでしょう。そうならず何度見てもそのたび気持ちがときめき心惹かれてしまうのは何か。残念ながら美術が2の私には語る言葉がないので、当時ギャラリーにあった紹介文を丸ごと引用させて頂きます。せーの、ドン!
……そういうことです。LOVE&DESTROYがテーマなんです。今回のFULLSWING展でも同じ文字がペイントされたバットがありました。個人的には非常に素敵な逸品だと思いました。
素晴らしい。
一方で、今回のFULLSWING展を開催した古着屋の店員さんと少しお話しさせて頂いたのですが、最近は「大きな仕事」もドンドンするようになってきたとのことで、こんなポスターも描いていました。宮城県名取市にある日本三稲荷のひとつ竹駒神社の「夏詣」のポスターです。こちらです、はいドン!
自慢じゃないですがこの絵柄を見て、「あれ? これって亀井桃さんの絵じゃない!?」と気づくことができました(一応ご本人のインスタグラムを見て同じデザインがあることを確認しました)。門眞妙さん、ペロンミさん、亀井桃さんあたりはもう、そのくらい大好きのレベルが上がりました。イエイ。
なお、亀井桃さんはアンデパンダン展にも出展していました。その時の記事のなかではテキストでしか書いていませんでしたが、素敵なイラストでした。
そして同日、去年に引き続き開催された青葉通地下道のイベント『地下道-3150』のポスターも描いていました。アンデパンダン展を見に行った後、その足で行ってみたのですが……せっかくなので、去年のものとあえて並べてみます。
相変わらず可愛いです。なお今年のイベントは小さいお友達がたくさんいて、来年の3月までSNSを休止しようと思っていた私も強行復帰してしまいました(その後、治りきらなかった心が叔母の帰天に伴い悪化し再び休止)。
*
そして時は現在この記事を書いている11月29日に戻ります。
竹駒神社のポスターを見た時、何とかこれを譲ってもらえないか社務所にかけあおうと思ったのですが(未遂)、今回こうして亀井桃さんのイラストを自分の部屋にお迎えすることができて、本当に嬉しく思っています。それを記念して、自分なりにまとめてみましたが……まあ、こんな私ですからね。上手に文章でまとめられないけど、大好きな気持ちはまとめられたかな。また何か、この気持ちを言葉にする機会があればそうしたいと思いますが、個展の主催者側の言葉がすべてではないでしょうか。LOVE & DESTROY !
今回はこれまでに撮りためた写真を一挙公開。私が初めて見た絵から現在に至るまでの亀井桃さん大好き特集をやってみたいと思います。ほとんど私の言葉はありません。でも写真はいっぱいあります。
*
初めて亀井桃さんのイラストを見たのは昨年10月に青葉通地下道で開催された少数派のためのマーケットイベント『地下道-3150』です。私も大好きなウラロジ仙台さんの主催によるもので、これ以来、私も自分の生き方に大きく自信を持つことができました。それはSNSを休止している現在でも同じです。
その後、去年の暮れにフォーラスの「TURN ANOTHER ROUND」で開催された個展も見に行きました。ここで初めて「ああ、亀井桃さんの絵って、こんな感じなんだなあ」ということを認識しました。
実際のイラストはご覧の通り、非常にポップで可愛らしい絵柄です。ただ、それだけにとどまらず、何か目に見えづらい魅力があるんですよね。ただ可愛らしいだけならフワーッと感じて通り過ぎてしまいますし、強すぎる刺激もいずれ慣れて何も感じなくなってしまうでしょう。そうならず何度見てもそのたび気持ちがときめき心惹かれてしまうのは何か。残念ながら美術が2の私には語る言葉がないので、当時ギャラリーにあった紹介文を丸ごと引用させて頂きます。せーの、ドン!
亀井桃は、器用なバランス感覚に優れている作家です。それは幼少期から続く創作行為によって培われた資質なのかもしれません。ポップさとキュートさの中で展開する自在な毒気のさじ加減が、観るものを惹きつけてやまない要因となっています。そして、日常の一瞬一瞬のきらめきをとらえた人物や事物さえも、躍動感のある表情をたたえ、まるでこの不毛で陰鬱な時代を軽やかに、逞しく生きることを謳歌しているかのようです。
……そういうことです。LOVE&DESTROYがテーマなんです。今回のFULLSWING展でも同じ文字がペイントされたバットがありました。個人的には非常に素敵な逸品だと思いました。
素晴らしい。
一方で、今回のFULLSWING展を開催した古着屋の店員さんと少しお話しさせて頂いたのですが、最近は「大きな仕事」もドンドンするようになってきたとのことで、こんなポスターも描いていました。宮城県名取市にある日本三稲荷のひとつ竹駒神社の「夏詣」のポスターです。こちらです、はいドン!
自慢じゃないですがこの絵柄を見て、「あれ? これって亀井桃さんの絵じゃない!?」と気づくことができました(一応ご本人のインスタグラムを見て同じデザインがあることを確認しました)。門眞妙さん、ペロンミさん、亀井桃さんあたりはもう、そのくらい大好きのレベルが上がりました。イエイ。
なお、亀井桃さんはアンデパンダン展にも出展していました。その時の記事のなかではテキストでしか書いていませんでしたが、素敵なイラストでした。
そして同日、去年に引き続き開催された青葉通地下道のイベント『地下道-3150』のポスターも描いていました。アンデパンダン展を見に行った後、その足で行ってみたのですが……せっかくなので、去年のものとあえて並べてみます。
相変わらず可愛いです。なお今年のイベントは小さいお友達がたくさんいて、来年の3月までSNSを休止しようと思っていた私も強行復帰してしまいました(その後、治りきらなかった心が叔母の帰天に伴い悪化し再び休止)。
*
そして時は現在この記事を書いている11月29日に戻ります。
竹駒神社のポスターを見た時、何とかこれを譲ってもらえないか社務所にかけあおうと思ったのですが(未遂)、今回こうして亀井桃さんのイラストを自分の部屋にお迎えすることができて、本当に嬉しく思っています。それを記念して、自分なりにまとめてみましたが……まあ、こんな私ですからね。上手に文章でまとめられないけど、大好きな気持ちはまとめられたかな。また何か、この気持ちを言葉にする機会があればそうしたいと思いますが、個展の主催者側の言葉がすべてではないでしょうか。LOVE & DESTROY !
先日、一番町商店街でこのような催し物がありました。愛媛県宇和島市は仙台市と姉妹都市であり、時々こうしてイベントがあるのは見ていましたが、今回はちょっと積極的に見て回りました。
残念ながら私が行ったタイミングでは、この夢のような蛇口は休止しておりましたが、素晴らしいじゃないですか。蛇口ひねったらジュースが出て来るって全国の小学生が一度は夢見たドラえもんの秘密道具級の代物ですよ。その代わりパックに入ったみかんジュースを1本買って帰ってきました。みかんといえば沼津でしたが、ここは姉妹都市のよしみがあるので、宇和島のみかんを推して参りましょう。
ところで、何で宇和島市が仙台市と姉妹都市なのかと言えば、これは400年前の歴史的な出来事に由来します。すなわち宇和島藩の開祖『伊達秀宗』は我らがお殿様で仙台藩祖・伊達政宗公の長庶子なんです。そのことは漠然と知っていましたが、今回わかりやすい絵本のパネル展示があり、それを丁寧に眺めることで大きな感動とともに宇和島市への思いが強くなりました。今日はそのことをまとめてみたいと思います。
のちの伊達秀宗こと兵五郎は1591年に生まれました。長らく子供に恵まれなかった政宗公にとっては初めての子どもであり、しかも男子なので「御曹子」として両親からも家臣からも大切に育てられました。
当時の天下人だった太閤豊臣秀吉は大名たちに妻子を人質として差し出すことを強制していて、兵五郎も人質として京都伏見城に住むことになりました。とはいえ太閤が可愛くて可愛くて仕方がない秀頼と二歳しか変わらない(兵五郎の方が年上)ので実質的には秀頼の遊び相手として兄弟のように可愛がられ、一字拝領して秀宗と名乗るようになりました。『信長の野望』では家臣に与えられる褒賞の中でもトップクラスに効果の大きな一字拝領で忠誠度100です。
秀吉が亡くなった後は家康公のもとに人質として送られ、江戸で厳しくつつましい生活を送りつつ育ち、19歳の時には井伊直政の娘・亀姫と結婚します。この頃には正妻愛姫との間に嫡子が生まれており、こちらが現天下人秀忠から一字拝領して忠宗と名乗り藩を継ぐことになりました。
少々立場が微妙になって来た秀宗ですが、それにもめげず大坂冬の陣では父子で出陣。独眼竜の子ここにありとアピールすることに成功しました。ちなみに(時代的なこともありますが)政宗公の子らで唯一、共に戦ったことにあるのが秀宗です。秀宗二十四歳の時のことでした。そしてこの功績をもって政宗公が「秀宗に領地を与えてほしい」と猛アピール。大名格・宇和島伊達家十万石としてデビューしたのです。
ここで強調したいのは「宇和島藩は仙台藩の飛び地ではない」ということです。宇和島藩祖が仙台藩祖の子どもというのは事実ですが、直接大名から知行を与えられたので、仙台藩と宇和島藩は同格対等のポジションなのです。
若き藩主となった息子を心配し、政宗公は五か条の教訓と軍資金を与えました。プリンス秀宗は「親子のことだからお金は返さなくてもいいだろう」と思っていたのですが、お目付け役に政宗公からつけられた家臣の山谷清兵衛は「返すべきです」と主張。そのために金策には苦労するし、自分の行動をいちいち政宗公に告げ口してアレコレ言われるし……と、秀宗にとっては非常にうっとうしい存在になってきました。
そしてとうとう秀宗は山谷清兵衛を一族郎党皆殺し(処断)し、さらに報告を怠ったため、政宗公は激怒。「親子の縁を切る」「とても十万石の領地を治められる器じゃないので、幕府に返納する」との話に発展。宇和島藩はわずか5年目で存亡の危機に立たされたのでした。
どうやらこの時に政宗公からの苛烈な訴えを聞き、親子をとりなしたのが老中・土井利勝だったようです。どうもこの人は中間管理職の鑑みたいな方だったみたいで、他にも一触即発の人間関係をとりなした伝説があるのですが、ここでもその手腕を発揮。江戸で険悪度100になった親子を対面させ話し合いをさせます。
ここで今までずっと話せなかった自分の微妙で複雑な感情を告白。親の心子知らずなんて言葉がありますが、その逆バージョンですね。これにいたく衝撃を受けた政宗公は、これ以降藩政に口出しをしないと約束をしました。そしてその代わりに和歌を交換したり茶器を譲り受けたりと良好な親子関係が続きました。また秀宗公も善政を敷き、明治維新まで250年以上にわたる宇和島藩の基礎を確立したのです。地元では8代目の宗城さん(幕末四賢候のひとり)が有名すぎて藩祖は存在感が薄いらしいですが、私は今回のパネル展で秀宗公と宇和島が大好きになりました。
四国はちょっと遠いから、実際に行くことはかなわないかもしれませんが、今度またフェアなどやる時があれば、もっと積極的に楽しんでいきたいなと思います。姉妹都市だから、これからも何度もあると思いますけどね。
良いと思います!
宇和島伊達物語
―おわり―
―おわり―
ようやくユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』を読了しひと段落したので、今月あったことを混ぜ込みつつ、いくつか書きたいことを書きたいと思います。時系列も何もメチャクチャです。書きたいことから書くんです。ランダムアクセスメモリーズです。そう言いつつ何でダフトパンクじゃなくて好きさこの街がなのかと言えば、今日はまさに仙台の商店街の話だからです。
2022年3月から仙台市民になり今日に至るわけですが、ようやくここが『私の街』になってきたかな、って気がしました。そういう気持ちになれる嬉しい出来事がありました。
それは11月25日のことです。この日はとても寒かったのですが、消耗品のマスクが在庫僅少だとかなんだとかで、しぶしぶ街に出ました。ええ私はいまだに外出する時はマスク着用しています。そしてマスクを買う時はいつも一番町商店街のお店で買っているのです。何でかといえマスク50枚1箱210円というドン・キホーテも絶対にまねできない超絶破格で売られているからです。
箱にはアルファベットしか書いていない海外産のもので、たぶん緊急事態宣言でマスクが一時的に品切れになった頃入荷したんだろうな……とは思いますが、別にマスクに消費期限はないですからね。全く気にせず無くなるたびに購入しています。
そうしていつものようにマスクをレジに持っていき、袋入り用ですかそのままで結構ですといういつもの会話を経て代金を支払ったあと、お店のおばちゃんに、
「いつもありがとうございます」
という一言をプラスして、かけてもらったのですね。
顔を覚えてもらえたんだ! ということが、とても嬉しかったです。私もこの街の住人になりたくて、一番町商店街とか近所の商店街とかを可能な限り利用するようにしていて……ずっとそういう誰にも気づかれないし誰も気にしないし自分でもあえて言わない地味で地道な努力がついに報われたんだ! ってね。
思えば去年の2月頃、ようやく仙台に住む夢がかなうことになって、住まい探しのついでに「ちょっと街を歩いてみようか」と思ってハピナ名掛丁からクリスロードに向かった時、人出の多さに気絶しそうになりました。その後、実際に住み始めてからも青葉通と広瀬通の位置関係がわからなかったり仙台駅西口から東口までの行く道がわからなかったり苦労の日々が続きましたが、今は南町通から定禅寺通までまっすぐ行けるようになりました(アーケードを端から端まで突き抜けるだけ)。
この1年半あまり、とにかく街歩きをしまくり、写真を撮りまくり、ピカピカの新しいビルと昭和感爆発の商店街が混在する仙台という街が大好きになりました。波長が合うんですよね。生まれ故郷の盛岡も、当然ながら落ち着く街ではあるのですが、仙台はそれにプラスして楽しみもたくさんあるし。そして、この街に来たことで出会った人たち……私のことを助けてくれた、多くの人たち……。
何度言っても言い足りないし、何度言ってもいいと思うので言います。
仙台に来てから出会った全ての人たちに感謝しています。私はこの街が大好きです。
『ハドリアヌス帝の回想』を読みました。
この前に読んだユイスマンスもそうなんですが、ユルスナールというひとも澁澤龍彥さんの本で知りました。また、多田智満子さんの翻訳もアルトーの『ヘリオガバルス』で一度読んでいて……これがたまたま仙台市図書館にあるのを見つけて、勇んで借りてきた次第です。
しかしながらユイスマンスの『大伽藍』に続けて結構な密度の本だったので、読むのに結構時間がかかってしまいました。正確に言うと読まない日が何日かありました。おかげで貸出期間を延長して、ようやく読み終えた次第です。
その割にあんまりここでスラスラと語れるほど内容を理解したわけではありません。私は松岡正剛じゃないので。……でも、上手に語れなくても、色々と感じることがありました。これまで古代ローマのことなんて、遠い昔、世界史の授業で習ったきりでしたが(テルマエ・ロマエは見ていない)、その頃の雰囲気がありありと感じられて……とても良かったです。
この前に読んだユイスマンスもそうなんですが、ユルスナールというひとも澁澤龍彥さんの本で知りました。また、多田智満子さんの翻訳もアルトーの『ヘリオガバルス』で一度読んでいて……これがたまたま仙台市図書館にあるのを見つけて、勇んで借りてきた次第です。
しかしながらユイスマンスの『大伽藍』に続けて結構な密度の本だったので、読むのに結構時間がかかってしまいました。正確に言うと読まない日が何日かありました。おかげで貸出期間を延長して、ようやく読み終えた次第です。
その割にあんまりここでスラスラと語れるほど内容を理解したわけではありません。私は松岡正剛じゃないので。……でも、上手に語れなくても、色々と感じることがありました。これまで古代ローマのことなんて、遠い昔、世界史の授業で習ったきりでしたが(テルマエ・ロマエは見ていない)、その頃の雰囲気がありありと感じられて……とても良かったです。
皆様いかがお過ごしでしょうか。私は風邪をひきました。「病臥」というほど重態ではないのですが、鼻づまりとか若干熱っぽいとか、色々と万全ではありません。心の方は少しずつ自分を解放して生きるように改めているので元気になりつつあるのですが……うん、ここで無理しちゃいけませんよね。
そんなわけで、今日のブログもちょっと控えめになります。明日は明日で何とか更新したいと思いますが、もしかしたら休んじゃうかもしれません。誰も見ていないような気もしますが、見ている方がいらっしゃったらゴメンナサイ。その時は、元気になったらまた戻ってきます。

そんなわけで、今日のブログもちょっと控えめになります。明日は明日で何とか更新したいと思いますが、もしかしたら休んじゃうかもしれません。誰も見ていないような気もしますが、見ている方がいらっしゃったらゴメンナサイ。その時は、元気になったらまた戻ってきます。
昨日は平地でも雪がちらつくほど寒かったので、ずっと引きこもっていようと思ったのですが、ある急用が発生し……そのタイミングがまだ午前10時ころだったので、半ば衝動的に飛び出しました。そうしたところ色々と面白いことがあり、「衝動で行動するのも悪くないな」と思いました。ただ、今はきちんとした文章を書けるようなテンションではないので、ダイジェスト的に書きます。それぞれ、気持ちが落ち着いたら書けるようになると思うので、その時に修正します。今は……それを忘れないようにするためにね。ご了承ください。
一番町は藤崎デパート前で「伊達な姉妹都市・えひめ宇和島フェア」をやっていました。宇和島は我らが伊達政宗公の長男(ただし庶子)・秀宗公が藩祖なんです。絵本形式での「伊達秀宗物語」が展示されていて、深く感銘を受けました。後日改めて書きます。
仙台や東京で活躍するイラストレーター『亀井桃』さんの展示イベントを見に行ってきました。これでも個展があれば駆けつける位好きなんです。亀井桃さんのことも改めて書きます必ず書きます。
そのほか、一番町アーケードの、いつもマスクを買っているお店に行ったら「いつもありがとうございます」と言ってくれて嬉しかったとか、書きたいことはたくさんあります。その辺も、ちゃんとまとめて書きたいと思います。とりあえず今日は事実をまとめて書きます。なんか味気なくてスミマセン。それでも毎日更新するんです。
一番町は藤崎デパート前で「伊達な姉妹都市・えひめ宇和島フェア」をやっていました。宇和島は我らが伊達政宗公の長男(ただし庶子)・秀宗公が藩祖なんです。絵本形式での「伊達秀宗物語」が展示されていて、深く感銘を受けました。後日改めて書きます。
仙台や東京で活躍するイラストレーター『亀井桃』さんの展示イベントを見に行ってきました。これでも個展があれば駆けつける位好きなんです。亀井桃さんのことも改めて書きます必ず書きます。
そのほか、一番町アーケードの、いつもマスクを買っているお店に行ったら「いつもありがとうございます」と言ってくれて嬉しかったとか、書きたいことはたくさんあります。その辺も、ちゃんとまとめて書きたいと思います。とりあえず今日は事実をまとめて書きます。なんか味気なくてスミマセン。それでも毎日更新するんです。
先月は書きたいことが山のようにあって、予約予約で10月の記事が11月10日くらいに公開されるとか、「毎日書く」と言いつつ書いていない時期がありました。そのストックも尽きて、今日は本当に11月25日の早朝に書いています。書く方も「夜明けのラヴィット」を見ながら気楽に書いているので、どうぞコーヒーでも飲みながら気軽にお読みください。私もそうします。
昨日から全国的にものすごい寒気が流れ込んでいるので、日本全国どこに行っても寒いとは思うのですが、仙台も寒いです。最新の気象情報によると、仙台ではきょう未明「初雪」を観測したそうです。平年より1日早く、去年よりも7日早いとか。まだ11月ですよ晩秋ですよ暦の上ではnovenberですよ。まあ何と言っても寒気様の訪れによるものですから、我々平地人は受け入れるしかありますまい。
さてここまで書いたところで、もう何を書けばいいかわからなくなって去年の記事を参照しようとしたら2日分しか書いておらず……そうか、Twitter(当時)に本格的に入れ込んでいたもんなあ。まあそちらで得た経験も多かったし。今はXじゃなくてブログに傾注して、最終的にバランスを取れればいいかなあ。
SNSにしてもブログにしても、はたまたmixiなど他のメディアにしても、その時その時の私の心模様を反映していますからね。何でもやっぱり書き出すことが大切なのかなって思いました。
11月は、多くの場所に行き、多くの人と会いました。……しまった! そういうことを書かなくちゃいけないですよね! だからといって今すぐ全部まとめて書くわけにはいきませんが……だ、大丈夫です非公開のプライベートな日記に残していますから!
でも、備忘録も兼ねて今月いった場所のことについてまとめておきます。すべてをリプレイする!
(ジー……ガッチャンガッチャン……)
11月5日
長沼フートピア公園で食べ物イベントに参加。ふーしゃんサンに逢う
11月8日
叔母帰天の2日後せんだいメディアテークにて政宗公の演武を見る。
11月15日
秋保の杜佐々木美術館&人形館に1年ぶりに来館。
越後しのさん、みひろさんの個展、東北生活文化大学高等学校の皆さんの映像作品、シモンドールなど見る。その後、秋保大滝を経由してペロンミさんの個展を見に行く。たまたま打ち合わせでいらっしゃった門眞妙さんに2回目の御挨拶をさせていただく。
11月18日
ペロンミさんの個展再訪。その後フォーラスで『植物のある日常展』を見る(たまたま会場に行ったら今日からだと気づいた)。その後ディスカバー・タイワンを楽しむ。
11月21日
フォーラス『植物のある日常展』再訪。波長を合わせて思い切り楽しむ。その後、叔母の使っていた電子レンジなどを譲り受ける。従姉の飼っているワン公と遊ぶ。
急いで振り返ったところ、大体こんな感じでしょうか。
まあ、何よりも叔母が帰天したのがつらかったし、悲しかったし……でも、私の心の気づかないところに気づいたし……。書きたいことが醸成されて、上手にまとめられる日まで、大切に温めていきたいと思います。差し当たって、それを忘れないように書きました。
まだまだ私は、生きていたい。私は人生を愛しています。
昨日から全国的にものすごい寒気が流れ込んでいるので、日本全国どこに行っても寒いとは思うのですが、仙台も寒いです。最新の気象情報によると、仙台ではきょう未明「初雪」を観測したそうです。平年より1日早く、去年よりも7日早いとか。まだ11月ですよ晩秋ですよ暦の上ではnovenberですよ。まあ何と言っても寒気様の訪れによるものですから、我々平地人は受け入れるしかありますまい。
さてここまで書いたところで、もう何を書けばいいかわからなくなって去年の記事を参照しようとしたら2日分しか書いておらず……そうか、Twitter(当時)に本格的に入れ込んでいたもんなあ。まあそちらで得た経験も多かったし。今はXじゃなくてブログに傾注して、最終的にバランスを取れればいいかなあ。
SNSにしてもブログにしても、はたまたmixiなど他のメディアにしても、その時その時の私の心模様を反映していますからね。何でもやっぱり書き出すことが大切なのかなって思いました。
11月は、多くの場所に行き、多くの人と会いました。……しまった! そういうことを書かなくちゃいけないですよね! だからといって今すぐ全部まとめて書くわけにはいきませんが……だ、大丈夫です非公開のプライベートな日記に残していますから!
でも、備忘録も兼ねて今月いった場所のことについてまとめておきます。すべてをリプレイする!
(ジー……ガッチャンガッチャン……)
11月5日
長沼フートピア公園で食べ物イベントに参加。ふーしゃんサンに逢う
11月8日
叔母帰天の2日後せんだいメディアテークにて政宗公の演武を見る。
11月15日
秋保の杜佐々木美術館&人形館に1年ぶりに来館。
越後しのさん、みひろさんの個展、東北生活文化大学高等学校の皆さんの映像作品、シモンドールなど見る。その後、秋保大滝を経由してペロンミさんの個展を見に行く。たまたま打ち合わせでいらっしゃった門眞妙さんに2回目の御挨拶をさせていただく。
11月18日
ペロンミさんの個展再訪。その後フォーラスで『植物のある日常展』を見る(たまたま会場に行ったら今日からだと気づいた)。その後ディスカバー・タイワンを楽しむ。
11月21日
フォーラス『植物のある日常展』再訪。波長を合わせて思い切り楽しむ。その後、叔母の使っていた電子レンジなどを譲り受ける。従姉の飼っているワン公と遊ぶ。
急いで振り返ったところ、大体こんな感じでしょうか。
まあ、何よりも叔母が帰天したのがつらかったし、悲しかったし……でも、私の心の気づかないところに気づいたし……。書きたいことが醸成されて、上手にまとめられる日まで、大切に温めていきたいと思います。差し当たって、それを忘れないように書きました。
まだまだ私は、生きていたい。私は人生を愛しています。
(M・ユルスナール著/澁澤龍彥訳『三島由紀夫あるいは空虚のヴィジョン』訳者あとがきより)
……そういう一般的な情勢について私はなんの知るところもないし、なんの興味もない。もともと日本文学の国際化だとか、国際社会における日本文学だとかいった問題には、なんの興味も関心もない人間だからである。私にとって関心があるのは、いつでも個々の作家、個々の作品である。
最近はXをほとんど見ません。Youtubeも見ません。何だったらテレビの全国ニュースもあんまり見ません。平日はウォッチンみやぎを見るので、多少はTHE TIMEを見るんですが、基本的には県内ニュースと河北新報の夕刊が私の情報源です。
先日THE TIMEで、インフルエンサーがどうとかっていう話をしていました。今や情報は自分で発信者を探して得る時代! だそうです。……そういうものなんですねえ。レシピ本よりガイドブックより何より自分好みの情報を発信するインフルエンサーのSNSを見つけてフォローする! とか。私もその点は「そうかな!」と思います。今の私がそうしないだけで。
ええ、情報弱者と言わば言えです。ただ私はADHDでASD(自閉スペクトラム症)という気質をもっているので、あまりにも情報が多すぎるとパンクしちゃうんです。だから入ってくる情報を節約しています。
その代わり、よく本を読んでいます。そして県内ニュースやイベント情報などには敏感に反応し、実際に足を運んで感じるようにしています。そして自分で体験し、自分が感じたことを何よりも大切にしようとしています。冒頭に引用した澁澤さんの言葉は、そのまま私の理想です。実際既にある程度、自分のなかで実現できつつあります。
極端な話、別に世の中がどうなったっていいんです。私の心の中にある人工楽園は、かなり出来上がってきましたから。『さかしま』のデ・ゼッサントみたいな生き方もいいですよね。いずれにしても私の心の中で作り上げる世界だから、何だっていいんです。
とはいえデ・ゼッサントも健康を害して人工楽園を放棄せざるを得ませんでした。肉体を廃止して真に精神的な生活を送りたいと願っていますが、現実問題として私の精神は肉体あってのものです。だから体調維持も心がけなければなりません。
近頃はめっきりと寒くなって、頭が痛いとかおなかが痛いとかめまいがするとか貧血に似た症状で起きていられないとか、割と明確な体調不良が起こって大変です。いつもできていることが急にできなくなったり、10秒前に自分がやっていたことを忘れて呆然としてしまうこともありました。そういうわけで、今読んでいる「ハドリアヌス帝の回想」が終わったら、今度こそ軽めの本を数冊読んで心を整えたいと思います。1年100冊の目標もあとちょっと(現在96冊目)、まずは元気を出していきたいと思います。
最近はギャラリーにいった時、必ず芳名帖に名前を残すようにしています。いや最近って訳でもないのかな。前から何となく、そういうのはやっていた気がしますが、最近とくにそれを意識するようになりました。
多分それはSNSでの発信を休止し、こんな誰も見ていないような場所で書いていても伝わらないだろう、と思うからです。別に不特定多数のひとに「この展示会に行きましたよ~!」なんてアピールしてたくさんいいねをもらいたいわけではないので。私のことなんかどうだっていいので。
でも当事者のひとには、私という人間がことによっては二度も三度も来てみましたよ、ということが伝わってほしいので、特に意識して書いているような気がします。大好きになったらその気持ちを一番伝えたいのは、いつだって大好きになったそのお相手ですから。
ということを、仙台フォーラスの中にあるTURN ANOTHER ROUNDさんで23日まで開催している「植物のある風景展」を見た直後に書きました。
どうやらパッと見た時の感想が熟成され言葉になるまで、時間がかかるみたいです。落ち着いて思い出して、少しずつ言葉にしていく。その作業には時間がかかるようなので、2度見てさらに時間をおいて、ようやく浮き上がってきた感想を少しまとめてみたいと思います。
「実際の風景や、架空の世界を問わず、”植物と日常が混ざり合った世界”を自由に表現しています。会場全体がさまざまな植物で溢れ、ご来場のお客様に癒しをお届けできるような展示」とは、会場側のホームページにある展示概要ですが、こちらに出店しているのは東北イラストレーターズクラブ所属の皆様です。つまりプロのイラストレーターの人たちによる展覧会なんですね。
このところはもっと美術寄りの展覧会ばかり見ていたので、ちょっと心のチューニングを合わせるのに少し手間取りましたが、
「可愛い、ポップなキャラクタをそのまま楽しめばいいんだ」
というふうに考えて、最終的には物販コーナーでお土産も買って帰りました。そして2回も会場に行きました。1回目はチューニングを合わせるために、そして2回目は全力で楽しむために……。
ひときわ私が「あら、可愛い」と気に入ったのがコチラ、三日月ここな先生の「光と水と」という作品です。私の暗黒みたいな心もキラキラなメイドさんによって明るくなりました。そうだ、可愛いを可愛いって、素直に楽しめばいいんだ! って思いました。
その流れで、気に入った絵をビッシビシ撮影しつつ楽しませて頂きました。物販コーナーでは、このメイドさんのコースターがあったので買ってきました。記帳も2回分やってきました。手書きで感想を残すコーナーでは2回分書きました。また名刺とかポストカードも片っ端からかき集めてきました。これを機会に名前を覚えて、もっともっと好きになりたいと思います。

多分それはSNSでの発信を休止し、こんな誰も見ていないような場所で書いていても伝わらないだろう、と思うからです。別に不特定多数のひとに「この展示会に行きましたよ~!」なんてアピールしてたくさんいいねをもらいたいわけではないので。私のことなんかどうだっていいので。
でも当事者のひとには、私という人間がことによっては二度も三度も来てみましたよ、ということが伝わってほしいので、特に意識して書いているような気がします。大好きになったらその気持ちを一番伝えたいのは、いつだって大好きになったそのお相手ですから。
ということを、仙台フォーラスの中にあるTURN ANOTHER ROUNDさんで23日まで開催している「植物のある風景展」を見た直後に書きました。
どうやらパッと見た時の感想が熟成され言葉になるまで、時間がかかるみたいです。落ち着いて思い出して、少しずつ言葉にしていく。その作業には時間がかかるようなので、2度見てさらに時間をおいて、ようやく浮き上がってきた感想を少しまとめてみたいと思います。
「実際の風景や、架空の世界を問わず、”植物と日常が混ざり合った世界”を自由に表現しています。会場全体がさまざまな植物で溢れ、ご来場のお客様に癒しをお届けできるような展示」とは、会場側のホームページにある展示概要ですが、こちらに出店しているのは東北イラストレーターズクラブ所属の皆様です。つまりプロのイラストレーターの人たちによる展覧会なんですね。
このところはもっと美術寄りの展覧会ばかり見ていたので、ちょっと心のチューニングを合わせるのに少し手間取りましたが、
「可愛い、ポップなキャラクタをそのまま楽しめばいいんだ」
というふうに考えて、最終的には物販コーナーでお土産も買って帰りました。そして2回も会場に行きました。1回目はチューニングを合わせるために、そして2回目は全力で楽しむために……。
ひときわ私が「あら、可愛い」と気に入ったのがコチラ、三日月ここな先生の「光と水と」という作品です。私の暗黒みたいな心もキラキラなメイドさんによって明るくなりました。そうだ、可愛いを可愛いって、素直に楽しめばいいんだ! って思いました。
その流れで、気に入った絵をビッシビシ撮影しつつ楽しませて頂きました。物販コーナーでは、このメイドさんのコースターがあったので買ってきました。記帳も2回分やってきました。手書きで感想を残すコーナーでは2回分書きました。また名刺とかポストカードも片っ端からかき集めてきました。これを機会に名前を覚えて、もっともっと好きになりたいと思います。
先日帰天した叔母の遺品整理を手伝うべく、叔母の遺骨が安置されたアパートに行ってきました。
といっても、別に形見分けという感じではありませんでした。既にセレモニーは終わっているし、大まかな整理は伯母夫婦と従姉が行っているので、私はといえば実際のところ、
「処分する前に、欲しいものがあったら持って行っていいよ」
と言われたので、アレコレと良さげなものを物色し持ち去る……そんな感じです。不人情だの泥棒猫だのと言わば言えです。先述したようにセレモニーは終わっているし(百か日の法要まで先回りして行った)、天の国にはいる時は何も持たずに入るものなので、ここにあるのはリサイクルされるかどうなるかという物質に過ぎないのです。
そしてひと段落した後は伯母の家の粗大ごみ搬出を手伝い、最終的には焼肉とビールで久々に体に栄養をつけて帰宅し10時間くらい寝て現在に至ります。体力ゲージ全快です。
今はアレコレもらって来たものがゴチャゴチャと部屋の中にあるので、これをどう組み込んでいくか。生きている私に課せられたミッションが生まれました。電子レンジは私も持っていたのですが、シャープの多機能なものを引き取って来たので入れ替えます。型はちょっと古いけど、ついにグラタンとかトーストとか焼き物ができるのでね。大きく変わろうとしている感じがします。
あとは電気ストーブなんかも2台もらっちゃいました。既に1台あるので、3台もあります。これなんかは、特に不便を感じていなかったのですが……やっぱり気持ちがあるのかな。あくまで物質に過ぎないものだけれど、やっぱり叔母が遺したという……ね。多分遺そうと思って遺したのではなく、そういうことを何も考えることもなく帰天してしまったのだと思いますが。
こういう人間なので、「もう自殺するしかないのか」と思ったことは何度かあります。一方で、何とかそれを遠ざけようとするし(だから今こうして生きているのでしょう)、大好きな人がそんなことを言っていれば全力で止めます。ただ、やはり叔母が帰天したのを切っ掛けに、死というものは、いつも鼻を突き合わせる距離にあるものだというふうに考えるようになりました。
なので、いつ天に召されてもいいような境地を目指して生きることにしようと思いました。無理して考えないようにしたって厳然とそこにあるのだし、わざわざ自死する必要も無いし。と言いつつ一生そんな境地に達することができないままフッと帰天することになるんだろうな……という気はしますが、それならそれでよろしい。生きているうちにしか出来ないことする。私は私の生を全うしたいと思います。
そのために色々と考えたり行動したりしているのですが、もうひとつ最近は「遺したい」ということを考えるようになりました。私がどう考えてどう行動したのかを遺したいという気持ちですね。これまでもホームページの日記でありこのブログであり、色々な形で20年くらいの過去を遺してきましたが、それがいよいよ大事に感じられるようになったのです。
本来であれば、ノートに手書きで遺すのが一番いいんですけどね。私が大好きなユ、六萠さんやペロンミさんの創作ノートを個展で見た時に、ふわっとインクのにおいを感じるくらい一生懸命に書き込んだ内容に衝撃にも似た感動を覚え、「これだ」と思ったのですが……私は長いことデジタル的に遺しているのでね。クラウドにバックアップしているので、そう簡単に無くなることはないと思うのですが、やはり紙に書くのが一番です。
松山俊太郎なら「僕は自分が死んだ後のことなんて考えない」というでしょうが、私は自分がどう考えて、どう生きたのかを、できる限り誤解されないよう遺したいと思います。
※ ユルスナールの引用以降の文章は別日に書いたものです。体調不良で今一つまとまらなかったのですが、今回の遺品整理の話にからめてニコイチで公開させて頂きます。
といっても、別に形見分けという感じではありませんでした。既にセレモニーは終わっているし、大まかな整理は伯母夫婦と従姉が行っているので、私はといえば実際のところ、
「処分する前に、欲しいものがあったら持って行っていいよ」
と言われたので、アレコレと良さげなものを物色し持ち去る……そんな感じです。不人情だの泥棒猫だのと言わば言えです。先述したようにセレモニーは終わっているし(百か日の法要まで先回りして行った)、天の国にはいる時は何も持たずに入るものなので、ここにあるのはリサイクルされるかどうなるかという物質に過ぎないのです。
そしてひと段落した後は伯母の家の粗大ごみ搬出を手伝い、最終的には焼肉とビールで久々に体に栄養をつけて帰宅し10時間くらい寝て現在に至ります。体力ゲージ全快です。
今はアレコレもらって来たものがゴチャゴチャと部屋の中にあるので、これをどう組み込んでいくか。生きている私に課せられたミッションが生まれました。電子レンジは私も持っていたのですが、シャープの多機能なものを引き取って来たので入れ替えます。型はちょっと古いけど、ついにグラタンとかトーストとか焼き物ができるのでね。大きく変わろうとしている感じがします。
あとは電気ストーブなんかも2台もらっちゃいました。既に1台あるので、3台もあります。これなんかは、特に不便を感じていなかったのですが……やっぱり気持ちがあるのかな。あくまで物質に過ぎないものだけれど、やっぱり叔母が遺したという……ね。多分遺そうと思って遺したのではなく、そういうことを何も考えることもなく帰天してしまったのだと思いますが。
……人間には二つの種類があるようだ。すなわち、より良くより自由に生きるために、死をその頭のなかから追っ払ってしまう人間と、逆に肉体の感覚や外部世界の偶然を通して、死が自分に送ってくれる合図の一つ一つに死を感じれば感じるほど、ますます自分が懸命に強く生きているということを自覚する人間である。この二つの種類の人間は混り合わない。前者が病的偏執と呼ぶものは、後者にとっては英雄的な訓練なのである。どちらをお選びになるかは読者の御自由である。
(M・ユルスナール「三島由紀夫あるいは空虚のヴィジョン」141ページ3行-8行)
こういう人間なので、「もう自殺するしかないのか」と思ったことは何度かあります。一方で、何とかそれを遠ざけようとするし(だから今こうして生きているのでしょう)、大好きな人がそんなことを言っていれば全力で止めます。ただ、やはり叔母が帰天したのを切っ掛けに、死というものは、いつも鼻を突き合わせる距離にあるものだというふうに考えるようになりました。
なので、いつ天に召されてもいいような境地を目指して生きることにしようと思いました。無理して考えないようにしたって厳然とそこにあるのだし、わざわざ自死する必要も無いし。と言いつつ一生そんな境地に達することができないままフッと帰天することになるんだろうな……という気はしますが、それならそれでよろしい。生きているうちにしか出来ないことする。私は私の生を全うしたいと思います。
そのために色々と考えたり行動したりしているのですが、もうひとつ最近は「遺したい」ということを考えるようになりました。私がどう考えてどう行動したのかを遺したいという気持ちですね。これまでもホームページの日記でありこのブログであり、色々な形で20年くらいの過去を遺してきましたが、それがいよいよ大事に感じられるようになったのです。
本来であれば、ノートに手書きで遺すのが一番いいんですけどね。私が大好きなユ、六萠さんやペロンミさんの創作ノートを個展で見た時に、ふわっとインクのにおいを感じるくらい一生懸命に書き込んだ内容に衝撃にも似た感動を覚え、「これだ」と思ったのですが……私は長いことデジタル的に遺しているのでね。クラウドにバックアップしているので、そう簡単に無くなることはないと思うのですが、やはり紙に書くのが一番です。
松山俊太郎なら「僕は自分が死んだ後のことなんて考えない」というでしょうが、私は自分がどう考えて、どう生きたのかを、できる限り誤解されないよう遺したいと思います。
※ ユルスナールの引用以降の文章は別日に書いたものです。体調不良で今一つまとまらなかったのですが、今回の遺品整理の話にからめてニコイチで公開させて頂きます。
先日ユイスマンス『大伽藍』を苦労の末に読了、さらに現在はユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』を読んでいるのですが、内容が濃すぎて貸出期限までに読了できる気がしない今日この頃です。まあ、これは延長するしかないかな……。
本来であれば先日行った『秋保の杜 佐々木美術館&人形館』のことや、私が大好きなペロンミさんの個展のことなども書きたいのですが、今はユルスナールを読む方にエネルギーを取られてしまっているので、しばらくこちらのブログも肩の凝らないソフトアクションにテーマを置いて(by工藤俊作こと松田優作さん@探偵物語)、体験した出来事を軽くかる~く書いてみたいと思います。本来そういう場所だったはず。
*
去る18日土曜日、サンモール一番町で開催された「ディスカバー・タイワン」を見てきました。
これは、そういうものがあると知って行ったわけではありませんでした。何となくふらふらアーケードを歩いていたら、何やら多くの出店が立ち並んでいることに気づき、何だろうと思って立ち寄ったらそういうイベントが開催されていた……そういうことです。
私自身は台湾に行ったことはありませんが、かつて私の兄者が仕事で出張していたことがあり、その話を聞いたりお土産のパイナップルケーキに舌鼓を打ったりと、好意的な思い出ばかりがあります。元々台湾という国には親しみを感じていたので、ちょっと雰囲気を見てみようかと思って歩きました。ちょうど、午後2時を過ぎたにもかかわらず昼ご飯を食べていなくて、非常に空腹だったし。
(ほぼこんな感じ)
で、とりあえずご飯を食べました。台湾名物といえばルーローハンですが、今回は初めて聞いたチーローハンというのを食べました。蒸した鶏肉と独特のタレでいただくものです。こんなのです。
ほら、おいしそうでしょ? え~も~おいしいんです! ハオチーですハオチー! しかも結構おなかいっぱいになったし! 良いと思います!
そのあとは台湾に住む原住民の人たちのことを勉強し(そもそも私はどんな人が台湾に住んでいるのかさえ知らなかった!)、夜市で行われているというゲームで遊び(麻雀パイを使ったビンゴゲーム)、雑貨屋さんで可愛い猫のポストカードを買い求め(大体旅行先でのお土産はポストカードなんです)、イラストレーターの佐々木千絵さんに台湾風似顔絵を描いてもらったのちに缶バッヂにしてもらう……と、結構イベントを満喫したのです。色々ありすぎてパイナップルケーキを買う予算が無くなっちゃったのは残念ですが、普段なかなか食べられないものを食べ、なかなか手に入らないものを手に入れ、今日ここでしかできない体験をいくつもしたので良しとしましょう。
今こうして記事を書きながら、「あんまりイベントの写真を撮らなかったな」ということに気づいたのですが、やっぱり人が多いですからね……そうなると、なかなかパブリックな場所で公開しづらいし……というか中に入って楽しんでいたから、あんまり写真を撮って残そうって気がしなかったのかな。そういうことかもしれません。
国際関係というと色々難しいこともあると思いますが、民間レベルならこんな感じでいいんじゃないですかね。難しいことはそういうことを言う専門の人たちに任せることにして。私は日台友好大いに結構だと思います。再見!
本来であれば先日行った『秋保の杜 佐々木美術館&人形館』のことや、私が大好きなペロンミさんの個展のことなども書きたいのですが、今はユルスナールを読む方にエネルギーを取られてしまっているので、しばらくこちらのブログも肩の凝らないソフトアクションにテーマを置いて(by工藤俊作こと松田優作さん@探偵物語)、体験した出来事を軽くかる~く書いてみたいと思います。本来そういう場所だったはず。
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去る18日土曜日、サンモール一番町で開催された「ディスカバー・タイワン」を見てきました。
これは、そういうものがあると知って行ったわけではありませんでした。何となくふらふらアーケードを歩いていたら、何やら多くの出店が立ち並んでいることに気づき、何だろうと思って立ち寄ったらそういうイベントが開催されていた……そういうことです。
私自身は台湾に行ったことはありませんが、かつて私の兄者が仕事で出張していたことがあり、その話を聞いたりお土産のパイナップルケーキに舌鼓を打ったりと、好意的な思い出ばかりがあります。元々台湾という国には親しみを感じていたので、ちょっと雰囲気を見てみようかと思って歩きました。ちょうど、午後2時を過ぎたにもかかわらず昼ご飯を食べていなくて、非常に空腹だったし。
(ほぼこんな感じ)
で、とりあえずご飯を食べました。台湾名物といえばルーローハンですが、今回は初めて聞いたチーローハンというのを食べました。蒸した鶏肉と独特のタレでいただくものです。こんなのです。
ほら、おいしそうでしょ? え~も~おいしいんです! ハオチーですハオチー! しかも結構おなかいっぱいになったし! 良いと思います!
そのあとは台湾に住む原住民の人たちのことを勉強し(そもそも私はどんな人が台湾に住んでいるのかさえ知らなかった!)、夜市で行われているというゲームで遊び(麻雀パイを使ったビンゴゲーム)、雑貨屋さんで可愛い猫のポストカードを買い求め(大体旅行先でのお土産はポストカードなんです)、イラストレーターの佐々木千絵さんに台湾風似顔絵を描いてもらったのちに缶バッヂにしてもらう……と、結構イベントを満喫したのです。色々ありすぎてパイナップルケーキを買う予算が無くなっちゃったのは残念ですが、普段なかなか食べられないものを食べ、なかなか手に入らないものを手に入れ、今日ここでしかできない体験をいくつもしたので良しとしましょう。
今こうして記事を書きながら、「あんまりイベントの写真を撮らなかったな」ということに気づいたのですが、やっぱり人が多いですからね……そうなると、なかなかパブリックな場所で公開しづらいし……というか中に入って楽しんでいたから、あんまり写真を撮って残そうって気がしなかったのかな。そういうことかもしれません。
国際関係というと色々難しいこともあると思いますが、民間レベルならこんな感じでいいんじゃないですかね。難しいことはそういうことを言う専門の人たちに任せることにして。私は日台友好大いに結構だと思います。再見!
2022年3月から仙台に来て、文化の先進性に驚くことはたくさんありましたが、わけても女性のファッションの多様性には何度も驚かされております……可愛らしいとか格好いいとか方向性は色々ありますが、いずれにしてもキューティーちゃん(byサンジ)ばかりで……盛岡とか青森とかでは見たことないレベルの高さなんです。
私は一応男性の肉体で社会通念上男性として振る舞う機会が多いので、今のところそんなファッションモンスターになる予定はないのですが、身だしなみの最低基準が底上げされました。やっぱりこういう街を歩くのなら、自分もそれなりに自信をもって歩ける格好をしなければいけない! と思い、それなりに自分が気に入った服を選んで着るようになりました。もともとあまり着るものには頓着しない性格だったのですが、多少は頓着するようになったのです。
そんなわけでGUだのユニクロだのしまむらだのアベイルだの……自分なりに色々な服を見て「どんなものかなあ」と考えていたのですが、そんな中で「ヘェー」と思うような場所がありました。

これは男性向け衣料のコーナーにあったのですが、こういう「ジェンダーレスファッション」という概念があることを初めて知りました。確かに市内でも黒いジャケットにネクタイを締めてさっそうと街を行く女性を見て「格好いいなあ」と思ったことはありますが、こういうことなんでしょうかね。これまでは男装とか女装とか、「異性装」という言葉しか知らなかったので……うん、とっても良いと思います!
私は肉体やそれに基づく社会通念上の性を強制されるのではなく性自認というものを何より大切にするべきだと思うのですが、男性らしさ女性らしさの枠にとらわれないファッションというのはある意味私の理想です。
そういう格好だったら、私もできるかなって気がしました。できるかなっていうのは、そのまま「やってみたい」ということです。私は自分が男性であることを認知していますが、心の中に「女性として生きた方が自然かな」と思うような要素もあるので……。
って、わざわざそんな前置きをしなくても、男性の立場からそういうことを言っていいと思うんですけどね。女性が男性寄りのデザインの服を着てジェンダーレスファッションというように、男性が女性寄りのデザインの服を着ることも同じことであると思うのです。別に声高にLGBTだとかそうじゃないとかって言わずに、自然にそういう服を身につけそういう振舞いをする。この点についてはまだ自分のなかで煮詰める必要がある気がするので、今は簡単に書きますが、そんな気がします。
とりあえず、街を歩いて書きたかったことは書きましたが、まだ少し文字数が足りないので埋め草をします。
新型コロナウイルスが5類に移行するとともに、すっかり忘れ去られた感があるアマビエ様のお姿が泉区南光台の食料品店にありました。色々と絵描きさんによってアレンジが異なりますが、これは結構可愛らしいデザインですね。人類が法律上のカテゴリを変更しただけで、相変わらず脅威には変わりありませんので、皆様も感染対策には気を付けましょう。インフルエンザもありますからね。
こちらも泉区南光台のメインストリート「四条通り」にある居酒屋なんですが、残念ながらこの通り閉店したそうです。近くには68年も続いた模型店があるのですが、これも9月いっぱいで閉店しました。私のアジトからは少々遠いのですが、昔ながらのお店がなくなるのは幾分淋しいものがあります。お疲れ様でした。
そしてまたあるときは……。
私は一応男性の肉体で社会通念上男性として振る舞う機会が多いので、今のところそんなファッションモンスターになる予定はないのですが、身だしなみの最低基準が底上げされました。やっぱりこういう街を歩くのなら、自分もそれなりに自信をもって歩ける格好をしなければいけない! と思い、それなりに自分が気に入った服を選んで着るようになりました。もともとあまり着るものには頓着しない性格だったのですが、多少は頓着するようになったのです。
そんなわけでGUだのユニクロだのしまむらだのアベイルだの……自分なりに色々な服を見て「どんなものかなあ」と考えていたのですが、そんな中で「ヘェー」と思うような場所がありました。
これは男性向け衣料のコーナーにあったのですが、こういう「ジェンダーレスファッション」という概念があることを初めて知りました。確かに市内でも黒いジャケットにネクタイを締めてさっそうと街を行く女性を見て「格好いいなあ」と思ったことはありますが、こういうことなんでしょうかね。これまでは男装とか女装とか、「異性装」という言葉しか知らなかったので……うん、とっても良いと思います!
私は肉体やそれに基づく社会通念上の性を強制されるのではなく性自認というものを何より大切にするべきだと思うのですが、男性らしさ女性らしさの枠にとらわれないファッションというのはある意味私の理想です。
そういう格好だったら、私もできるかなって気がしました。できるかなっていうのは、そのまま「やってみたい」ということです。私は自分が男性であることを認知していますが、心の中に「女性として生きた方が自然かな」と思うような要素もあるので……。
って、わざわざそんな前置きをしなくても、男性の立場からそういうことを言っていいと思うんですけどね。女性が男性寄りのデザインの服を着てジェンダーレスファッションというように、男性が女性寄りのデザインの服を着ることも同じことであると思うのです。別に声高にLGBTだとかそうじゃないとかって言わずに、自然にそういう服を身につけそういう振舞いをする。この点についてはまだ自分のなかで煮詰める必要がある気がするので、今は簡単に書きますが、そんな気がします。
とりあえず、街を歩いて書きたかったことは書きましたが、まだ少し文字数が足りないので埋め草をします。
新型コロナウイルスが5類に移行するとともに、すっかり忘れ去られた感があるアマビエ様のお姿が泉区南光台の食料品店にありました。色々と絵描きさんによってアレンジが異なりますが、これは結構可愛らしいデザインですね。人類が法律上のカテゴリを変更しただけで、相変わらず脅威には変わりありませんので、皆様も感染対策には気を付けましょう。インフルエンザもありますからね。
こちらも泉区南光台のメインストリート「四条通り」にある居酒屋なんですが、残念ながらこの通り閉店したそうです。近くには68年も続いた模型店があるのですが、これも9月いっぱいで閉店しました。私のアジトからは少々遠いのですが、昔ながらのお店がなくなるのは幾分淋しいものがあります。お疲れ様でした。
そしてまたあるときは……。
このところ非常に神経質な記事ばかり書いてしまったので、今日は本当に肩の力を抜いて、軽い文章を書いてみたいと思います。
この記事を書いているのは11月14日なのですが、昨日、私が住まう仙台市泉区の名峰「泉ヶ岳」で初冠雪が観測された、というニュースがありました。去年より19日早かったそうです。つい先週かそこらには夏日だったりもしたのですが、いきなり10度くらい気温が下がって……体調管理も大変です。私の職場でも日に4~5人くらい欠勤早退が出ています。私もギリギリのところで踏みとどまっているのですが、結構つらいです……どうぞ皆様、お体には気を付けてください。
北東北と南東北の区別はあれど、やはり東北は東北。冬は寒いです。今年の8月に四輪車を手放したのでタイヤ交換をいつしようか……という心配はないのですが(降雪時はオートバイ乗りません!)、暖房器具は用意しなければいけません。暑さ寒さを我慢して、ひとり自室でこと切れになりました……じゃ悲しすぎます。それに自室にいる時は原則としてアニマと共存しているので、そういう姿で発見されたのでは……いや、その方がいいのかな……最期までそういう思想を貫いて生きたんだってことを示せるから……。
なんて冗談はさておいて(冗談だったの?)。今日は何を言いたいのかというと、炬燵を用意したっていう話ですよ。部屋にエアコンは据え付けられていますが、とにかく電気代が心配なので、炬燵と小さな電気ストーブで何とか間に合わせることにします。どうせ私一人しかいないのだし、私が良ければいいのです。
なお、6月にお迎えした胡蝶蘭はこないだ仙台に来てくれた弟者にもっていってもらいました。去年青森から一緒に来たアロマティカスを見殺しにしてしまったので、外気温は氷点下になっても家のなかは温かい実家で育ててもらい、春になったらまたこっちに宅配してしまおうと思っています。
これは持って行ってもらった当日に撮影したものです。お迎えした時は大きな四枚の葉っぱがあり、そのうち2枚は枯死してしまい……それでもあきらめずに日に当て、時々水やりもしていたら、小さな葉っぱが芽生え始めました。なおさら、私の部屋で寒さにあてて見殺しにするわけにはいきません。とっても大切な花なのです。これが来年また花を咲かせることが、私の大好きな人に対する愛情表現なのです。
こんなところでしょうか。大体1000文字くらいなので「一日三枚書く」というノルマは達成しましたし。改めてですが、日に日に冷え込んでまいります。体調管理に気を付けてお過ごしください。悲しいことがありましたし、SNSに参加するだけの気持ちが出来ず……怖くてまだXを起動できないのですが、私も少しずつ元気を出していきたいと思います。
この記事を書いているのは11月14日なのですが、昨日、私が住まう仙台市泉区の名峰「泉ヶ岳」で初冠雪が観測された、というニュースがありました。去年より19日早かったそうです。つい先週かそこらには夏日だったりもしたのですが、いきなり10度くらい気温が下がって……体調管理も大変です。私の職場でも日に4~5人くらい欠勤早退が出ています。私もギリギリのところで踏みとどまっているのですが、結構つらいです……どうぞ皆様、お体には気を付けてください。
北東北と南東北の区別はあれど、やはり東北は東北。冬は寒いです。今年の8月に四輪車を手放したのでタイヤ交換をいつしようか……という心配はないのですが(降雪時はオートバイ乗りません!)、暖房器具は用意しなければいけません。暑さ寒さを我慢して、ひとり自室でこと切れになりました……じゃ悲しすぎます。それに自室にいる時は原則としてアニマと共存しているので、そういう姿で発見されたのでは……いや、その方がいいのかな……最期までそういう思想を貫いて生きたんだってことを示せるから……。
なんて冗談はさておいて(冗談だったの?)。今日は何を言いたいのかというと、炬燵を用意したっていう話ですよ。部屋にエアコンは据え付けられていますが、とにかく電気代が心配なので、炬燵と小さな電気ストーブで何とか間に合わせることにします。どうせ私一人しかいないのだし、私が良ければいいのです。
なお、6月にお迎えした胡蝶蘭はこないだ仙台に来てくれた弟者にもっていってもらいました。去年青森から一緒に来たアロマティカスを見殺しにしてしまったので、外気温は氷点下になっても家のなかは温かい実家で育ててもらい、春になったらまたこっちに宅配してしまおうと思っています。
これは持って行ってもらった当日に撮影したものです。お迎えした時は大きな四枚の葉っぱがあり、そのうち2枚は枯死してしまい……それでもあきらめずに日に当て、時々水やりもしていたら、小さな葉っぱが芽生え始めました。なおさら、私の部屋で寒さにあてて見殺しにするわけにはいきません。とっても大切な花なのです。これが来年また花を咲かせることが、私の大好きな人に対する愛情表現なのです。
こんなところでしょうか。大体1000文字くらいなので「一日三枚書く」というノルマは達成しましたし。改めてですが、日に日に冷え込んでまいります。体調管理に気を付けてお過ごしください。悲しいことがありましたし、SNSに参加するだけの気持ちが出来ず……怖くてまだXを起動できないのですが、私も少しずつ元気を出していきたいと思います。
「毎日書く」と言っていたものの、意外と毎日書くというのは大変なものですね。毎日書くことも、「こういうテーマで書こう」と計画を立てて書くこともできない私は、やはり文筆家にはなれないようです。いや別に「小説家になろう」なんて思うようなことはありませんが。あんなの書けませんよ私には……。
確かに文章を書くことは昔から好きで……小説を書いて同人誌で発表したこともありましたが……ただ、どこまでもそれは自分の心象世界のスケッチなんですよね。「こういう物語を書いたら世の中の人が面白がってくれるだろうな」というヴィジョンがない。ただただ自分が面白いと思ったこと、自分が考えたことを文章にして表現する。それが私の「小説」でした。
また、私にとって自分の書いた小説というのは、いわば『人工楽園』でした。これはユイスマンスの『さかしま』につけられた副題の引用ですが、まさにそういうもので……私はいつも小説の中で自分が出来ないことを行い、自分の理想のヒロインと恋に落ち、自分の欲求を満たしていました。そういうものからスタートしたんです。
これは先日図書館で借りてきたユリイカの矢川澄子特集に収録されていた矢川澄子さんの文章なのですが、これと反対に私は女性を主人公に据えた小説を書くようになりました。私が当時やろうとしていたアニマとの和解は両性具有の願望なのか。あるいは理想のヒロインを作り上げようと躍起になるピュグマリオンなのかもしれませんが、事実として、「男性が想像する女性」が一人称でモノローグを語る形式で、たくさん書きました。その時、私は女性になり切って、文章を書いていました。
女性になり切った私が正直な感情をさらけ出し、それを受け止める男性がいる。そういう形式もあれば、別な女性(これもまた私が女性になり切って細かい心理的なアレコレを書き出している)との交流を描いた作品もありました。20代後半~30代前半までの『小説』は、こういうのが多かったですね。
その後、「私の人格は私ひとりでいい」と言って小説を書くことをやめ、人工楽園への扉を閉ざし、一般的に言う「現実」世界で生きようと思ったのですが、結果は惨憺たるもので……それで、精神的に自死寸前まで追い込まれ、ギリギリのところで再び人工楽園の再建を始めたのです。現在は自分で創作することよりも、こうして感じたことを文章にすることが多い気がしますが。
そんな中、自分の体験を日記に書き、それをそのままブログで公開するには少々抵抗があったので小説という体にして編集し発表した久々の公開小説が下記『ハロウィン・シンデレラ』です。
ハロウィン・シンデレラ
面白い物語を書こうと思って書いたわけではなく、殆どノンフィクションの――実際にやってみたことをベースに書いたものなので、どう評価されようが構わない……と思っていたら、なんと! こんなものにブックマークを付けてくださった方がいるんです! ありがとうございます!
まあ、これに気を良くして第二作第三作……なんて書くつもりはありません。そういうことができないから、私は小説家にはなれないんです。そもそも昨今流行のハレム的でタイトルばかり長くて中身がスッカスカのラノベ的なものをスラスラ書けるような技量も趣味も持ち合わせていないし読む気も起らないし。
……あれ。今回は「ブログを毎日書くのが大変なので、日常の何でもないことを書いてみました」という記事を書こうとしていたのに、またおかしなことを書いちゃった。また精神のストリップをしてしまいましたね。澁澤龍彦さんは「性に合わない」といって途中で自分の年表を書くことを中断したと言いますが、私はこうして書き出し公開することで、これまでの自分を補強することになるので、どんどん脱いでいきます。そしてすべてを書き出してしまったところから、ようやく前に進めるのだと思います。
あとは、より直接的な理由としては……最近榴岡図書館に行った時「小説家になるために」とかいうタイトルの本の背表紙を目にし、自分のなかでうずいていた亡霊を鎮めるために書きました。私にとって過去のことを振り返り書き出すってのは、精神のストリップというか、亡霊退治や鎮魂の儀式みたいなものですね。そして、同時に文章を書く練習であり解放治療でもあります。何より好きだし楽しいし。
かなわない夢もありますよ。でも、ちゃんと決着をつければいいんですよ。そうすれば、結構生きていけますから。
確かに文章を書くことは昔から好きで……小説を書いて同人誌で発表したこともありましたが……ただ、どこまでもそれは自分の心象世界のスケッチなんですよね。「こういう物語を書いたら世の中の人が面白がってくれるだろうな」というヴィジョンがない。ただただ自分が面白いと思ったこと、自分が考えたことを文章にして表現する。それが私の「小説」でした。
また、私にとって自分の書いた小説というのは、いわば『人工楽園』でした。これはユイスマンスの『さかしま』につけられた副題の引用ですが、まさにそういうもので……私はいつも小説の中で自分が出来ないことを行い、自分の理想のヒロインと恋に落ち、自分の欲求を満たしていました。そういうものからスタートしたんです。
……「お話をかくひと」を夢みるとき、おかしなことにわたしは、無意識のうちにつねに女であることを忘れ、一個の人格として、男としてふるまっていた。この男は、少女の夢想のなかで次第に成長して、ついには架空の恋人役をも兼ねるにいたる。ルイス・キャロル=ドジスン教授にせよ、ポオのウィリアム・ウィルスンにせよ、ドッペルゲンガーはほとんど同性の相似のすがたであるが、わたしの場合はセラフィータなみに、両性具有の願望をもどうにかして叶えようとしていたものか。 矢川澄子「不滅の少女」(『反少女の灰皿』)
これは先日図書館で借りてきたユリイカの矢川澄子特集に収録されていた矢川澄子さんの文章なのですが、これと反対に私は女性を主人公に据えた小説を書くようになりました。私が当時やろうとしていたアニマとの和解は両性具有の願望なのか。あるいは理想のヒロインを作り上げようと躍起になるピュグマリオンなのかもしれませんが、事実として、「男性が想像する女性」が一人称でモノローグを語る形式で、たくさん書きました。その時、私は女性になり切って、文章を書いていました。
女性になり切った私が正直な感情をさらけ出し、それを受け止める男性がいる。そういう形式もあれば、別な女性(これもまた私が女性になり切って細かい心理的なアレコレを書き出している)との交流を描いた作品もありました。20代後半~30代前半までの『小説』は、こういうのが多かったですね。
その後、「私の人格は私ひとりでいい」と言って小説を書くことをやめ、人工楽園への扉を閉ざし、一般的に言う「現実」世界で生きようと思ったのですが、結果は惨憺たるもので……それで、精神的に自死寸前まで追い込まれ、ギリギリのところで再び人工楽園の再建を始めたのです。現在は自分で創作することよりも、こうして感じたことを文章にすることが多い気がしますが。
そんな中、自分の体験を日記に書き、それをそのままブログで公開するには少々抵抗があったので小説という体にして編集し発表した久々の公開小説が下記『ハロウィン・シンデレラ』です。
ハロウィン・シンデレラ
面白い物語を書こうと思って書いたわけではなく、殆どノンフィクションの――実際にやってみたことをベースに書いたものなので、どう評価されようが構わない……と思っていたら、なんと! こんなものにブックマークを付けてくださった方がいるんです! ありがとうございます!
まあ、これに気を良くして第二作第三作……なんて書くつもりはありません。そういうことができないから、私は小説家にはなれないんです。そもそも昨今流行のハレム的でタイトルばかり長くて中身がスッカスカのラノベ的なものをスラスラ書けるような技量も趣味も持ち合わせていないし読む気も起らないし。
……あれ。今回は「ブログを毎日書くのが大変なので、日常の何でもないことを書いてみました」という記事を書こうとしていたのに、またおかしなことを書いちゃった。また精神のストリップをしてしまいましたね。澁澤龍彦さんは「性に合わない」といって途中で自分の年表を書くことを中断したと言いますが、私はこうして書き出し公開することで、これまでの自分を補強することになるので、どんどん脱いでいきます。そしてすべてを書き出してしまったところから、ようやく前に進めるのだと思います。
あとは、より直接的な理由としては……最近榴岡図書館に行った時「小説家になるために」とかいうタイトルの本の背表紙を目にし、自分のなかでうずいていた亡霊を鎮めるために書きました。私にとって過去のことを振り返り書き出すってのは、精神のストリップというか、亡霊退治や鎮魂の儀式みたいなものですね。そして、同時に文章を書く練習であり解放治療でもあります。何より好きだし楽しいし。
かなわない夢もありますよ。でも、ちゃんと決着をつければいいんですよ。そうすれば、結構生きていけますから。
(本日はアニマとか、そういう心理学的な言葉を使いますが、私は全くの素人です。河合隼雄先生ふうに言う「門外漢の気安さ」で思ったことを書かせて頂きますご了承ください)
私は肉体的には男性です。社会的に男性と生きることを受け入れ、これまでずっとそうしてきました。一方で心の中にはある程度女性らしさがあり、最近はそういう自分も隠さずにある程度表現しながら生活しているところはあります。全く個人的な話ではありますが、私は自分の心のバランスを取るために、そのような生き方をしています。
(私は性同一性障害や性別違和などLGBTの問題で苦しみ生きづらさを感じている方たちを理解し、ともに生きていきたいと本気で考えている人間です)
その上であえて正直に申し上げます。私の中の女性らしさとは男性心理が産み出した理想の女性像、いわゆる「アニマ」であると考えています。私は結局どこまでも男性原理に基づいた発想から始まる人間なんです。
もっとも、男性にアニマがあるように女性にはアニムスという男性像があるので、そういう発想からスタートするのは自然なことであると思います。そこからスタートしつつ対話と相互理解によってお互いが生きづらさを感じることなく「在りたい私」で生きられる世界というのが、どんどん安っぽく使われている多様性の社会であると思います。
身近にそういう人がいれば良いでしょう。また直接やり取りが出来なければSNSなどの交流でも良いでしょう。自分を助け、同時に他の人も助ける――そのためにも、私とあなたと私たちをつなぐメディアが必要なんです。
いきなり大きな話をしてしまいましたが、今日は私のアニマに関するお話しです。
叔母の葬儀の時に、個人的には強烈な気づきがありました。葬儀というのは本来悲しむべきものであり、実際に叔母の急逝は大変に悲しいし悔しいものがありますが、一方でその「気づき」は、私のアニマを理解し受け入れるための大きな助けになりました。
北は岩手から南は静岡まで、遠くから仙台に親類が集まった……とは言いますが「家族葬」ってやつですからね。近親者(一番遠くても姪とその父親=義理の兄弟?)だけ集まってせいぜい10人程度の小規模なものです。それでも普段あまり会うことのない従姉妹たちと顔を合わせられたのは大変良い機会でした。
上の方、従姉は二人いて、それぞれ私と8つ、また5つ上です。一方下の方は今年30歳だから……12個下ですね。本当はこの下の方にも、もうひとり従妹がいるのですが、そちらは今は網走で家庭を持っており、今回は来られませんでした。まあそれでも「あんまり会えない人たちだから」といって写真を撮ってもらったりしました。確かに、次にいつ会えるかわからないし。今の私を見てもらえたのは良かったかな。
私の直系の兄弟は文字通り「兄と弟」であって、一番身近な血縁の女の子がその従姉妹たちなので……正直いまだに若干照れくさく、あまり自分から話を切り出すことはできなかったのですが、一緒にいられるだけで気持ちがときめきました。血縁者という設定があるから、一般的な女性に対する感情とは少し違いますが……ともかくね。
そんな感じで話をしていたのですが、特に上の方の従姉たちについて、
「もしかすると私は、この二人から無意識レベルで影響を受けていたのかもしれないな」
と思いました。
二人は性格がまるっきり正反対です。長姉はとにかく思ったことを何でもズケズケと言うような一族きっての図々しい性格なのですが(だがそれがいい)、次姉はめったに話しません。私もあまり話しかけない性格なので、長姉を通じて意志を感じ取っていました。非常に、とてつもなくおとなしい性格なんです。
そんな二人と向き合った私。長姉が時々投げつけて来るパスを受け止めて投げ返すという完全に受け身の会話だったのですが、そのなかで思ったのが先ほどの「無意識レベルでの影響」……つまり、
「私のアニマだ」
そんな風に思ったのです。文字通りのシスター・アニマの原像が、この二人の性格をそのまま映しだしたものであると思ったのです。
このシスター・アニマという言葉は、私の創作ではありません。河合隼雄先生の本で読んだ言葉です。以下、思い切り引用します。
心当たりはたくさんあります。小学1年生の頃、運動会で蝶結びが出来ない私に代わって鉢巻を結んでくれた6年生のお姉さん、部活で一緒になって色々と遊んでくれた先輩……同年齢や年下よりも年上の異性に強く惹かれた私の心のなかには、まさにシスター・アニマの原像があり、そういうイメージから恋人への進化をしようとしていたのでしょう。そして悲しきかな、どうやら私の心の発達は、このあたりで遅れて停滞していたのかもしれないな……と感じました。
ただし、今の職場では年下の女の子(=後輩)と接する機会が激増しています。毎月のように新入社員が入り、先輩としてOJTなどをしなければならないので、発達障害がある私も頑張っています。そういう経験をすることで、私のアニマもゆるやかに成長し、従姉たちと以前よりも対等に近い気分で接することができるようになったのかな、と思います。話下手は内向的感情型の気質によるものだから仕方ないとして、自分の中にあるシスター・アニマと手を携えて外部の女性に向き合えるようになった。すなわち心の成長です。
もう年齢的には十分に成熟し肉体的には衰え始めている年齢でありますが、発達障がいのある私の心は同年齢の定型発達者と比べると、随分と立ち遅れているのでしょう。でも、生きているうちにこういうことに気づけて良かったと思います。
今回はあれもこれもと盛り込んで、随分とっ散らかってしまいましたね……すみません。また同じようなテーマで書くことがあるかもしれないので、いったん筆をおくことにします。
終わりで~す!(久々の三四郎小宮さん風シメ)
私は肉体的には男性です。社会的に男性と生きることを受け入れ、これまでずっとそうしてきました。一方で心の中にはある程度女性らしさがあり、最近はそういう自分も隠さずにある程度表現しながら生活しているところはあります。全く個人的な話ではありますが、私は自分の心のバランスを取るために、そのような生き方をしています。
(私は性同一性障害や性別違和などLGBTの問題で苦しみ生きづらさを感じている方たちを理解し、ともに生きていきたいと本気で考えている人間です)
その上であえて正直に申し上げます。私の中の女性らしさとは男性心理が産み出した理想の女性像、いわゆる「アニマ」であると考えています。私は結局どこまでも男性原理に基づいた発想から始まる人間なんです。
もっとも、男性にアニマがあるように女性にはアニムスという男性像があるので、そういう発想からスタートするのは自然なことであると思います。そこからスタートしつつ対話と相互理解によってお互いが生きづらさを感じることなく「在りたい私」で生きられる世界というのが、どんどん安っぽく使われている多様性の社会であると思います。
身近にそういう人がいれば良いでしょう。また直接やり取りが出来なければSNSなどの交流でも良いでしょう。自分を助け、同時に他の人も助ける――そのためにも、私とあなたと私たちをつなぐメディアが必要なんです。
いきなり大きな話をしてしまいましたが、今日は私のアニマに関するお話しです。
叔母の葬儀の時に、個人的には強烈な気づきがありました。葬儀というのは本来悲しむべきものであり、実際に叔母の急逝は大変に悲しいし悔しいものがありますが、一方でその「気づき」は、私のアニマを理解し受け入れるための大きな助けになりました。
北は岩手から南は静岡まで、遠くから仙台に親類が集まった……とは言いますが「家族葬」ってやつですからね。近親者(一番遠くても姪とその父親=義理の兄弟?)だけ集まってせいぜい10人程度の小規模なものです。それでも普段あまり会うことのない従姉妹たちと顔を合わせられたのは大変良い機会でした。
上の方、従姉は二人いて、それぞれ私と8つ、また5つ上です。一方下の方は今年30歳だから……12個下ですね。本当はこの下の方にも、もうひとり従妹がいるのですが、そちらは今は網走で家庭を持っており、今回は来られませんでした。まあそれでも「あんまり会えない人たちだから」といって写真を撮ってもらったりしました。確かに、次にいつ会えるかわからないし。今の私を見てもらえたのは良かったかな。
私の直系の兄弟は文字通り「兄と弟」であって、一番身近な血縁の女の子がその従姉妹たちなので……正直いまだに若干照れくさく、あまり自分から話を切り出すことはできなかったのですが、一緒にいられるだけで気持ちがときめきました。血縁者という設定があるから、一般的な女性に対する感情とは少し違いますが……ともかくね。
そんな感じで話をしていたのですが、特に上の方の従姉たちについて、
「もしかすると私は、この二人から無意識レベルで影響を受けていたのかもしれないな」
と思いました。
二人は性格がまるっきり正反対です。長姉はとにかく思ったことを何でもズケズケと言うような一族きっての図々しい性格なのですが(だがそれがいい)、次姉はめったに話しません。私もあまり話しかけない性格なので、長姉を通じて意志を感じ取っていました。非常に、とてつもなくおとなしい性格なんです。
そんな二人と向き合った私。長姉が時々投げつけて来るパスを受け止めて投げ返すという完全に受け身の会話だったのですが、そのなかで思ったのが先ほどの「無意識レベルでの影響」……つまり、
「私のアニマだ」
そんな風に思ったのです。文字通りのシスター・アニマの原像が、この二人の性格をそのまま映しだしたものであると思ったのです。
このシスター・アニマという言葉は、私の創作ではありません。河合隼雄先生の本で読んだ言葉です。以下、思い切り引用します。
あるいは、内的に考えると男性にとってのシスター・アニマというものが、いかにアニマの導き手になっているかを示すものとも考えられる。男性のアニマ像ははじめ母親像をベースとしてつくられ、次に姉のイメージが強くなる。つまり、母親から分離するのだが、すぐに異性の他人に接するのは困難なので、姉がその中間役をするわけである。血のつながっていない年上の女性に対して、恋人としてよりむしろ姉のイメージをもったりするのもこの類である。……
(新潮社 「とりかへばや、男と女」 227ページ 第六章 物語の構造)
心当たりはたくさんあります。小学1年生の頃、運動会で蝶結びが出来ない私に代わって鉢巻を結んでくれた6年生のお姉さん、部活で一緒になって色々と遊んでくれた先輩……同年齢や年下よりも年上の異性に強く惹かれた私の心のなかには、まさにシスター・アニマの原像があり、そういうイメージから恋人への進化をしようとしていたのでしょう。そして悲しきかな、どうやら私の心の発達は、このあたりで遅れて停滞していたのかもしれないな……と感じました。
ただし、今の職場では年下の女の子(=後輩)と接する機会が激増しています。毎月のように新入社員が入り、先輩としてOJTなどをしなければならないので、発達障害がある私も頑張っています。そういう経験をすることで、私のアニマもゆるやかに成長し、従姉たちと以前よりも対等に近い気分で接することができるようになったのかな、と思います。話下手は内向的感情型の気質によるものだから仕方ないとして、自分の中にあるシスター・アニマと手を携えて外部の女性に向き合えるようになった。すなわち心の成長です。
もう年齢的には十分に成熟し肉体的には衰え始めている年齢でありますが、発達障がいのある私の心は同年齢の定型発達者と比べると、随分と立ち遅れているのでしょう。でも、生きているうちにこういうことに気づけて良かったと思います。
今回はあれもこれもと盛り込んで、随分とっ散らかってしまいましたね……すみません。また同じようなテーマで書くことがあるかもしれないので、いったん筆をおくことにします。
終わりで~す!(久々の三四郎小宮さん風シメ)
村山早紀先生の『百貨の魔法』ではありませんが、帰天した叔母は生涯を百貨店の店員としてささげたような人物でした。昭和29年生まれの数え年70歳だったのですが、最後まで若々しく、肌つやの良い人でした。さすがに帰天直後は身体中に内出血だらけで無惨な状況だったらしいですが、それを綺麗に化粧してくれたのが「おくりびと」なんでしょうね。感謝です。
盛岡に住んでいた頃は街の中心にある老舗百貨店「川徳」でず~っと働いていて……婦人服とか、そっちの方面だったので私が働いているところを見たことはないのですが、とにかく川徳一筋で主任クラスまで上り詰めたそうです。上り詰めたっていうか、自然とそうなったのかな。不肖の甥っ子は職を転々としてようやく落ち着いたというのに……素晴らしいです。
その後、高齢(御年101歳!)の祖母とともに仙台に来てから、何をしているのか……って、もう働かなくてもいい歳なのに、どうやら仙台三越! で仕事をしていたようです。これは帰天した後に知った話だったのですが、せ、仙台三越!? と驚愕しました。仙台の老舗百貨店と言えば藤崎ですが、三越って言ったら、これまた一流デパートです。そんなところで仕事をしていたのか! と、接客業で心身がめちゃくちゃになった発達障がいの甥っ子は驚き、「やっぱりスゲーなあ」としみじみしちゃったのでした。
そんな叔母ですが、実は……それほどたくさん話をした思い出はありません。生涯現役で一流百貨店の花形接客スタッフみたいな生き方をしていた叔母は非常に……今風に言えば「サバサバした」女性で、引っ込み思案で劣等感のカタマリみたいな私はあまり積極的に話すことができませんでした。むしろ仲が良かったのは伯母の娘……要するに私の従姉(8つ上と5つ上)みたいで、ずっと「お姉ちゃん」と呼んで親しんでいたみたいです。
それでも私が仙台に引っ越して、こうして会える距離にいるのも縁だと思い、LINEでのやり取りなどをたくさんしました。実際に花見や、祖母のマイナンバーカードの写真を撮るという名目で住居に行きご飯を食べさせてもらったりもしました。そしてなかなか会わない代わりに、あちこち行って撮って来たゆるキャラとの自撮り写真を送り付けていたので、きっと最期に思い出したのは仙台弁こけしとかまかプゥ(東北電力のゆるキャラ)と一緒に写っている私の姿だったでしょう。
弔辞の時もこれをネタにして話しました。というか、このブログで書いている内容は、ほぼ弔辞で読んだ内容です。当日の朝にいきなり指名されたから……ということもあるのですが、ろくに原稿なんて用意する時間もなく、ひたすら思いついたことをしゃべったという感じです。最後の方はこんな感じで締めくくりました。
「……そんな写真が最後の思い出だろうから、あの世に行くまでの修行の間に思い出したら、まったくおかしなことをやってるなあ、って笑ってほしい。そして成仏して、時々こっちの世界を見たら、「相変わらずだな」って笑ってもらえるように、これからもそういう写真を撮るから」
それが私の供養です。いよいよ葬儀屋のCMみたいになっちゃいますが、それでいいんじゃないですかね。個人のことを思い出して明るく笑う。それが一番いいと思います。私が帰天する時は、遺された人たちが悲しむのを見たくないし。
うん……そうですね。改めて、こうして書いていると、思いました。
つらいこと、たくさんありました。「もうヤダしにたい」と思ったことも、100回くらいあります(それ以上かも)。それでも色々なきっかけがあって、何とか引き戻されているんですが、改めてそう思いました。帰天でも成仏でもいいですが、幽明境を異にするというのは今肉体をもって生きている全人類に例外なく訪れるものであって……故人がこんなふうに思っているだろうな、といって笑うのは遺された人たちの権利であると思います。そこが天国なのか極楽浄土なのかわかりませんが、穏やかな気持ちで我々を見下ろし、時に「頑張ってるね」とか何とかって言ってくれればいいかなと思います。ま、天国の方が楽しすぎて私たちのことを忘れてくれてもいいのですが。
こっちにいた頃は、最期は心筋梗塞で……心臓の外まで血が漏れ出して、循環器科の先生も外科の先生も打つ手がないって言っちゃうくらい無理して……そのまま天に召されちゃったけれど……いいよね。ずっと第一線で活躍してきたんだから……ようやく、長期休暇が取れたんだよ。もう、働かなくてもいいんだよ。だから、まあ……私はもうしばらく、こっちの世界で暮らしてるから、そっちで楽しくやっててね。
また逢おうね。そのうち。
盛岡に住んでいた頃は街の中心にある老舗百貨店「川徳」でず~っと働いていて……婦人服とか、そっちの方面だったので私が働いているところを見たことはないのですが、とにかく川徳一筋で主任クラスまで上り詰めたそうです。上り詰めたっていうか、自然とそうなったのかな。不肖の甥っ子は職を転々としてようやく落ち着いたというのに……素晴らしいです。
その後、高齢(御年101歳!)の祖母とともに仙台に来てから、何をしているのか……って、もう働かなくてもいい歳なのに、どうやら仙台三越! で仕事をしていたようです。これは帰天した後に知った話だったのですが、せ、仙台三越!? と驚愕しました。仙台の老舗百貨店と言えば藤崎ですが、三越って言ったら、これまた一流デパートです。そんなところで仕事をしていたのか! と、接客業で心身がめちゃくちゃになった発達障がいの甥っ子は驚き、「やっぱりスゲーなあ」としみじみしちゃったのでした。
そんな叔母ですが、実は……それほどたくさん話をした思い出はありません。生涯現役で一流百貨店の花形接客スタッフみたいな生き方をしていた叔母は非常に……今風に言えば「サバサバした」女性で、引っ込み思案で劣等感のカタマリみたいな私はあまり積極的に話すことができませんでした。むしろ仲が良かったのは伯母の娘……要するに私の従姉(8つ上と5つ上)みたいで、ずっと「お姉ちゃん」と呼んで親しんでいたみたいです。
それでも私が仙台に引っ越して、こうして会える距離にいるのも縁だと思い、LINEでのやり取りなどをたくさんしました。実際に花見や、祖母のマイナンバーカードの写真を撮るという名目で住居に行きご飯を食べさせてもらったりもしました。そしてなかなか会わない代わりに、あちこち行って撮って来たゆるキャラとの自撮り写真を送り付けていたので、きっと最期に思い出したのは仙台弁こけしとかまかプゥ(東北電力のゆるキャラ)と一緒に写っている私の姿だったでしょう。
弔辞の時もこれをネタにして話しました。というか、このブログで書いている内容は、ほぼ弔辞で読んだ内容です。当日の朝にいきなり指名されたから……ということもあるのですが、ろくに原稿なんて用意する時間もなく、ひたすら思いついたことをしゃべったという感じです。最後の方はこんな感じで締めくくりました。
「……そんな写真が最後の思い出だろうから、あの世に行くまでの修行の間に思い出したら、まったくおかしなことをやってるなあ、って笑ってほしい。そして成仏して、時々こっちの世界を見たら、「相変わらずだな」って笑ってもらえるように、これからもそういう写真を撮るから」
それが私の供養です。いよいよ葬儀屋のCMみたいになっちゃいますが、それでいいんじゃないですかね。個人のことを思い出して明るく笑う。それが一番いいと思います。私が帰天する時は、遺された人たちが悲しむのを見たくないし。
うん……そうですね。改めて、こうして書いていると、思いました。
つらいこと、たくさんありました。「もうヤダしにたい」と思ったことも、100回くらいあります(それ以上かも)。それでも色々なきっかけがあって、何とか引き戻されているんですが、改めてそう思いました。帰天でも成仏でもいいですが、幽明境を異にするというのは今肉体をもって生きている全人類に例外なく訪れるものであって……故人がこんなふうに思っているだろうな、といって笑うのは遺された人たちの権利であると思います。そこが天国なのか極楽浄土なのかわかりませんが、穏やかな気持ちで我々を見下ろし、時に「頑張ってるね」とか何とかって言ってくれればいいかなと思います。ま、天国の方が楽しすぎて私たちのことを忘れてくれてもいいのですが。
こっちにいた頃は、最期は心筋梗塞で……心臓の外まで血が漏れ出して、循環器科の先生も外科の先生も打つ手がないって言っちゃうくらい無理して……そのまま天に召されちゃったけれど……いいよね。ずっと第一線で活躍してきたんだから……ようやく、長期休暇が取れたんだよ。もう、働かなくてもいいんだよ。だから、まあ……私はもうしばらく、こっちの世界で暮らしてるから、そっちで楽しくやっててね。
また逢おうね。そのうち。
(この記事は11月12日に書きました)
叔母が帰天してから1週間が経ちました。今日は仏教的な言い方をすれば「初七日」です。
この初七日というのは葬儀を終えた日からではなく、実際に帰天した日からカウントするそうです。その日も含めて七日間なので、11月6日から11月12日……これで一週間、初七日です。
人間が仏になるまでは四十九日間の修行があり、一週間ごとに閻魔様の審査を受けるとか。そして七日ごとにこちらを振り返るらしいので、ちゃんと往生できるように供養をしなければならない……というお話しだったでしょうか。完全に修行を終えてしまえば、迷わず成仏となるのでしょうから、それまでは普段通りの生活をしつつもちゃんと気にかけてみようかと思います。天の国に至る道が四十九日もかかるとは、聖書には書いていなかった気がしますが。まあいいです。私も緩やかな自称クリスチャン(非洗礼)だし。とにかく今生きている人の気持ちが安らげばいいんです。縄文時代でさえ「とむらい」という文化があったみたいだし。集団的無意識に深く深~く受け継がれてきた感情を大事にしたいと思います。
今回は岩手、および静岡からも親戚が集まり仙台にて葬儀を行ったのですが、葬儀告別さらに百か日法要まで全部まとめてやってしまいました。随分と合理的なお話しですが、まあ臨済宗の和尚さんがきちんと供養をしてくれたので、間違いはありません。それに和尚さんも、「法要はやったけれど初七日は来ます。四十九日は来ます。だから故人がちゃんと成仏できるように、みなさんもしっかり生きてください」ということをおっしゃっていたので、これで終わりではないんです。セレモニーは終わったけれど、心にずっと生き続ける。それでいいんです。
ちなみに臨済宗というのは禅宗の流派で、浄土宗とかとは少々スタイルが違うみたいです。読経の時に叩く木魚の力の入り具合とかも激しいし、右手で木魚を叩きながら左手で時々鏧子(けいす)をゴーンと叩いたり、おりんを連続的にチーンチーンチーンと鳴らしたり、極めつけは「かーつっ!」と絶叫したり……実にエキサイティングです。ロックですねどうもね。
って、莫迦なことを言ってはいけません。この喝は『引導』の喝です。中国の黄檗希運禅師が母を成仏させるために引導法語のち大喝さらに松明を放り投げた……そして川底に沈んでいた母は浮かび上がり、松明を頼りに無明の世界を渡り成仏したのです。実際に松明を模したオブジェを片手に大喝一閃! 祭壇に向けて力いっぱいそれをぶん投げた!……わけではありませんが、ともかくこれで叔母も心置きなく旅路に踏み出せることでしょう。
なんだか随分と罰当たりなというか、そろそろ臨済宗関係の人から袋叩きにされそうなことばかり書いていますが、あっという間に荼毘に付され、遺骨を抱えて葬儀場に戻り、お別れの言葉を述べて……とイベントがギュギュっと凝縮されていて、こうして書き出さないと自分でも心の整理がつかないのです。そして、葬式の話なんて気持ちのいいものではないと思うので、精いっぱい明るく書いています。
「生きるお葬式」なんていう某会館のフレーズはあまりピンと来ませんが、個人的には明るく楽しく送り出せたような気がします。あんまり湿っぽい思い出はなく、一方的ではあるものの、私は楽しい思い出を最後に送ったつもりです。その点については、また改めて書くとしましょう。ひとまず今日はこの辺で。
叔母が帰天してから1週間が経ちました。今日は仏教的な言い方をすれば「初七日」です。
この初七日というのは葬儀を終えた日からではなく、実際に帰天した日からカウントするそうです。その日も含めて七日間なので、11月6日から11月12日……これで一週間、初七日です。
人間が仏になるまでは四十九日間の修行があり、一週間ごとに閻魔様の審査を受けるとか。そして七日ごとにこちらを振り返るらしいので、ちゃんと往生できるように供養をしなければならない……というお話しだったでしょうか。完全に修行を終えてしまえば、迷わず成仏となるのでしょうから、それまでは普段通りの生活をしつつもちゃんと気にかけてみようかと思います。天の国に至る道が四十九日もかかるとは、聖書には書いていなかった気がしますが。まあいいです。私も緩やかな自称クリスチャン(非洗礼)だし。とにかく今生きている人の気持ちが安らげばいいんです。縄文時代でさえ「とむらい」という文化があったみたいだし。集団的無意識に深く深~く受け継がれてきた感情を大事にしたいと思います。
今回は岩手、および静岡からも親戚が集まり仙台にて葬儀を行ったのですが、葬儀告別さらに百か日法要まで全部まとめてやってしまいました。随分と合理的なお話しですが、まあ臨済宗の和尚さんがきちんと供養をしてくれたので、間違いはありません。それに和尚さんも、「法要はやったけれど初七日は来ます。四十九日は来ます。だから故人がちゃんと成仏できるように、みなさんもしっかり生きてください」ということをおっしゃっていたので、これで終わりではないんです。セレモニーは終わったけれど、心にずっと生き続ける。それでいいんです。
ちなみに臨済宗というのは禅宗の流派で、浄土宗とかとは少々スタイルが違うみたいです。読経の時に叩く木魚の力の入り具合とかも激しいし、右手で木魚を叩きながら左手で時々鏧子(けいす)をゴーンと叩いたり、おりんを連続的にチーンチーンチーンと鳴らしたり、極めつけは「かーつっ!」と絶叫したり……実にエキサイティングです。ロックですねどうもね。
って、莫迦なことを言ってはいけません。この喝は『引導』の喝です。中国の黄檗希運禅師が母を成仏させるために引導法語のち大喝さらに松明を放り投げた……そして川底に沈んでいた母は浮かび上がり、松明を頼りに無明の世界を渡り成仏したのです。実際に松明を模したオブジェを片手に大喝一閃! 祭壇に向けて力いっぱいそれをぶん投げた!……わけではありませんが、ともかくこれで叔母も心置きなく旅路に踏み出せることでしょう。
なんだか随分と罰当たりなというか、そろそろ臨済宗関係の人から袋叩きにされそうなことばかり書いていますが、あっという間に荼毘に付され、遺骨を抱えて葬儀場に戻り、お別れの言葉を述べて……とイベントがギュギュっと凝縮されていて、こうして書き出さないと自分でも心の整理がつかないのです。そして、葬式の話なんて気持ちのいいものではないと思うので、精いっぱい明るく書いています。
「生きるお葬式」なんていう某会館のフレーズはあまりピンと来ませんが、個人的には明るく楽しく送り出せたような気がします。あんまり湿っぽい思い出はなく、一方的ではあるものの、私は楽しい思い出を最後に送ったつもりです。その点については、また改めて書くとしましょう。ひとまず今日はこの辺で。
さる11月8日、本を返しに行ったついでに、同じ建物(せんだいメディアテーク)で開催されていた美術展やら写真展やらを見てきました。このうち「現在(いま)展」について書きます。画像を削除してその分文字をたくさん書きます。
手元の資料によると、「仙台美術研究所、美術専門カルチャーsenbiくらぶ受講生と講師による作品展です。現在(いま)の自分を製作の原点とし、技術や表現などの実力を越えて<現在(いま)の自分の表現>を目指し制作した作品の展示です。」との内容でした。
アマチュアが主役となって大きな場所で展示をする……というのはアンデパンダン展のような感じですが、こちらはそれぞれの教室に通う人たちがしっかり技術を身につけたうえで出展しているので、安定感というか、油彩・水彩・デッサンなど皆さん同じ向きの作品が並びます。私は門外漢なので技術的な巧拙はわかりませんが、そういう人間だからこそ感じることがありました。
絵のテーマとして仙台市の一風景を切り取って描いておられる方がいました。橋の上から見た景色とか、地下鉄駅の入り口とか、通りに面したお店とか。私にとってもごくごく見慣れた景色です。あえてスマホで写真を撮るようなこともせず、なんとな~く通り過ぎている景色です。改めてこうして見てみたところで新たな魅力に気が付いたとか、そう言うこともありません。
気が付いたのは、そういった景色を「自分で描く」ことが良いんだなあ、ということでした。真っ白い画布に絵具で塗り付けていく行程を想像してみると……見たものや想像したものを自由に表現するのはどんなに楽しいんだろう、と。私が見ている「外の世界」にはない、心に思い描く「内の世界」を「外の世界」で表現するのはどんなに楽しいんだろう、と。
絵が上手なのは才能なのか。それとも近づける努力をすれば少しは何とかなるのか。ただちに絵の修行に取り組むとか、そういうことではありませんが、また一歩野望に近づいた気がします。違います野望とかないです。ただ「自分は一生、上手な絵なんか描けっこない」と閉ざしていた扉が、天岩戸のごとく、ちょっぴりだけ開いた。そういうことです。
手元の資料によると、「仙台美術研究所、美術専門カルチャーsenbiくらぶ受講生と講師による作品展です。現在(いま)の自分を製作の原点とし、技術や表現などの実力を越えて<現在(いま)の自分の表現>を目指し制作した作品の展示です。」との内容でした。
アマチュアが主役となって大きな場所で展示をする……というのはアンデパンダン展のような感じですが、こちらはそれぞれの教室に通う人たちがしっかり技術を身につけたうえで出展しているので、安定感というか、油彩・水彩・デッサンなど皆さん同じ向きの作品が並びます。私は門外漢なので技術的な巧拙はわかりませんが、そういう人間だからこそ感じることがありました。
絵のテーマとして仙台市の一風景を切り取って描いておられる方がいました。橋の上から見た景色とか、地下鉄駅の入り口とか、通りに面したお店とか。私にとってもごくごく見慣れた景色です。あえてスマホで写真を撮るようなこともせず、なんとな~く通り過ぎている景色です。改めてこうして見てみたところで新たな魅力に気が付いたとか、そう言うこともありません。
気が付いたのは、そういった景色を「自分で描く」ことが良いんだなあ、ということでした。真っ白い画布に絵具で塗り付けていく行程を想像してみると……見たものや想像したものを自由に表現するのはどんなに楽しいんだろう、と。私が見ている「外の世界」にはない、心に思い描く「内の世界」を「外の世界」で表現するのはどんなに楽しいんだろう、と。
絵が上手なのは才能なのか。それとも近づける努力をすれば少しは何とかなるのか。ただちに絵の修行に取り組むとか、そういうことではありませんが、また一歩野望に近づいた気がします。違います野望とかないです。ただ「自分は一生、上手な絵なんか描けっこない」と閉ざしていた扉が、天岩戸のごとく、ちょっぴりだけ開いた。そういうことです。
叔母が帰天しました。69歳でした。
私の母親は4姉妹の次女なのですが、「若い方から順番に帰天する」ということになりました。しばらく前に一番下の叔母が癌をわずらい、長い闘病生活の末こと切れになったのですが、今回は心筋梗塞で人事不省に陥り、そのまま、こと切れになりました。連絡をもらって、駆けつけた時にはすべてが終わっていたのです。
去年――こちらも心臓を悪くして、今は入院している祖母と一緒に会ったのが最後になりましたが、それだって青森で仕事をしていたら、葬儀に駆けつけることさえかなわなかったかもしれません。一度でも会えたのは、良かったのかなと思います。
葬儀場に安置されていた遺体は、血色の良い、自然な顔立ちでした。もちろんプロの人がそういうふうに仕上げてくれたからだと思います。病院で直後の叔母を見た母は、うっ血してあちこち赤くなっていたというので、上手に化粧を施してくれたのでしょう。「おくりびと」は見たことありませんが、前に沢内村(岩手県)のお寺に行って見たものを思い出しました。
死ぬこととは、ただ肉体が機能を停止する以上のものがあるのです。それは人間の集団的無意識に連綿と紡がれてきたイメージであり、それゆえに宗教があるのだと思います。天に上るのか黄泉に下るのか、解釈は色々あると思いますが、いずれにしても最期にもう一度、綺麗な顔を見て思い出を定着させ見送るという儀式は、必要なことなのです。
それでも「末期の水」を含ませたとき、唇が妙に固かったように感じました。死後硬直という小賢しい知識がバイアスになっていたかもしれませんが、やはり息をしていない、もう魂が帰天した後の身体なのかなって思いました。
かなしみとか虚無感とか、あまりにも急すぎて、死亡診断書に書かれた事実以外のことが何もピンと来ていない状況ですが、これからいろいろと思うことがあるでしょう。感情家として簡単に切り捨てるわけにはいきません。丁寧に感情を拾って、それを自分のなかできちんと処理したいと思います。
もう、誰にも「生きていてほしい」とか言いません。私が何を言ってもどう思ってもダメなんです。どうしようもないです。だから、かなしいけれど、もしも何かあったら「とうとうやったか……」と言って泣くことにします。
追記:
今回、葬儀のために黒いスーツをクリーニングに出したところ、胸ポケットに「ロザリオ」が入っていたことが発覚しました。以前東京に行った時、文京区のカテドラル内にあるお店で買ったもので、長いこと無くしたと思っていたのですが、このタイミングで出て来るとは……。
「たといこの世から去ったとしても、かなしむことはないんだよ」
イエス様がそうおっしゃっている気がしました。私は大丈夫です。
私の母親は4姉妹の次女なのですが、「若い方から順番に帰天する」ということになりました。しばらく前に一番下の叔母が癌をわずらい、長い闘病生活の末こと切れになったのですが、今回は心筋梗塞で人事不省に陥り、そのまま、こと切れになりました。連絡をもらって、駆けつけた時にはすべてが終わっていたのです。
去年――こちらも心臓を悪くして、今は入院している祖母と一緒に会ったのが最後になりましたが、それだって青森で仕事をしていたら、葬儀に駆けつけることさえかなわなかったかもしれません。一度でも会えたのは、良かったのかなと思います。
葬儀場に安置されていた遺体は、血色の良い、自然な顔立ちでした。もちろんプロの人がそういうふうに仕上げてくれたからだと思います。病院で直後の叔母を見た母は、うっ血してあちこち赤くなっていたというので、上手に化粧を施してくれたのでしょう。「おくりびと」は見たことありませんが、前に沢内村(岩手県)のお寺に行って見たものを思い出しました。
死ぬこととは、ただ肉体が機能を停止する以上のものがあるのです。それは人間の集団的無意識に連綿と紡がれてきたイメージであり、それゆえに宗教があるのだと思います。天に上るのか黄泉に下るのか、解釈は色々あると思いますが、いずれにしても最期にもう一度、綺麗な顔を見て思い出を定着させ見送るという儀式は、必要なことなのです。
それでも「末期の水」を含ませたとき、唇が妙に固かったように感じました。死後硬直という小賢しい知識がバイアスになっていたかもしれませんが、やはり息をしていない、もう魂が帰天した後の身体なのかなって思いました。
かなしみとか虚無感とか、あまりにも急すぎて、死亡診断書に書かれた事実以外のことが何もピンと来ていない状況ですが、これからいろいろと思うことがあるでしょう。感情家として簡単に切り捨てるわけにはいきません。丁寧に感情を拾って、それを自分のなかできちんと処理したいと思います。
もう、誰にも「生きていてほしい」とか言いません。私が何を言ってもどう思ってもダメなんです。どうしようもないです。だから、かなしいけれど、もしも何かあったら「とうとうやったか……」と言って泣くことにします。
追記:
今回、葬儀のために黒いスーツをクリーニングに出したところ、胸ポケットに「ロザリオ」が入っていたことが発覚しました。以前東京に行った時、文京区のカテドラル内にあるお店で買ったもので、長いこと無くしたと思っていたのですが、このタイミングで出て来るとは……。
「たといこの世から去ったとしても、かなしむことはないんだよ」
イエス様がそうおっしゃっている気がしました。私は大丈夫です。
これだけ長い年月ブログをやっていればさすがに何度か名前が出てきていますが『ルイス・キャロル詩集』を読み直しました。前回ちゃんと取り組んだのは28歳の頃ですが、こないだ実家から持ってきて今は手元にあります。全く個人的な話ではありますが、この機会に思い出を定着させたいので、少し詳しく書きます。でも今日は思い出をつらつらと書き連ねるだけにします。
この本を買ったのは1998年8月のことです。当時、高校総合文化祭の全国大会に参加するため鳥取県米子市にいた私。一通りの用事が済み、わずかな自由時間に米子市内のアーケード街を歩いていて見つけた古本屋さんの、本棚の一番上にあったのを背伸びして買いました。ちなみに同時に買ったのは「ときめきメモリアル」のプライズでした。私は美樹原さんが大好きです。
背伸びっていうのはここで二重の意味があります。この当時は『不思議の国』も『鏡の国』も読んだことがなく、ただルイス・キャロルという人が書いた本だと言うことはを知っているけど……と、そんな程度の17歳がいきなり詩集を手にする。装丁も豪華だし、ラノベとかじゃなくてこういう本を読んでいる自分って格好いいよね。なんてファッション的な気持ちもありました。結構な背伸びでした。
正直に言って、最初は「夢中になって読んだ」とか、そういうレベルではありませんでした。あまり消化が良くないものを食べた感じがします。とにかく食べ切ったけれど、おなかの中がゴロゴロするような感じ。……もっとも私なりに良さを感じ取り、何よりも「もっと本気で取り組んでみたい!」と英文科への進学を決意する――そして25年経ったいま読み直して、ようやくキャロルそして訳者の高橋康也さんの技巧と玩味に気づいたのですからね。本当に消化に時間がかかったのでしょうね。だから私にとっては大切な本です。
*
今回読み直してようやく気が付いた「技巧と玩味」とは、アクロスティックについてです。
アクロスティックと言うのは、最近の卑俗な言葉で言うと「縦読み」というやつですね。英語の国の詩は横書きですが、その1文字目を拾っていくと別な意味合いが浮かび上がってくるという言葉遊びです。キャロルがそれぞれ愛すべき少女たちに送った詩には、ALICEだったりISAだったり……その相手の名前が隠されていたんですね。
そして、その英語詩を日本語に翻訳した高橋康也さんの詩も、「あ」「り」「す」とアクロスティックになっていたことに、25年経ってようやく気づいたのです! 「今頃気がついたのか!」と高橋康也さんも泉下で苦笑しておられると思いますが、ええ、そうなんです。当時はとにかく文字を追いかけて、ちょっぴりだけ雰囲気を味わうのが精一杯で、およそ文学的なアレコレまで気が回らなかったのです。
キャロルを勉強したくて英文科に入って、卒論も「アリス」で書きましたが、正直なところ当時の私は力不足で、なんともひどい文章を書いてしまったと思います。その時のことを思い出したくなくて、遠ざけていた部分もあるのですが……うん、いずれ自分のためにも、今の私が読んで感じた「アリス」論を書きたいと思います。矢川澄子さんが翻訳した版を読んだうえで、その点については改めて書きたいと思います。今日はこのへんで。
この本を買ったのは1998年8月のことです。当時、高校総合文化祭の全国大会に参加するため鳥取県米子市にいた私。一通りの用事が済み、わずかな自由時間に米子市内のアーケード街を歩いていて見つけた古本屋さんの、本棚の一番上にあったのを背伸びして買いました。ちなみに同時に買ったのは「ときめきメモリアル」のプライズでした。私は美樹原さんが大好きです。
背伸びっていうのはここで二重の意味があります。この当時は『不思議の国』も『鏡の国』も読んだことがなく、ただルイス・キャロルという人が書いた本だと言うことはを知っているけど……と、そんな程度の17歳がいきなり詩集を手にする。装丁も豪華だし、ラノベとかじゃなくてこういう本を読んでいる自分って格好いいよね。なんてファッション的な気持ちもありました。結構な背伸びでした。
正直に言って、最初は「夢中になって読んだ」とか、そういうレベルではありませんでした。あまり消化が良くないものを食べた感じがします。とにかく食べ切ったけれど、おなかの中がゴロゴロするような感じ。……もっとも私なりに良さを感じ取り、何よりも「もっと本気で取り組んでみたい!」と英文科への進学を決意する――そして25年経ったいま読み直して、ようやくキャロルそして訳者の高橋康也さんの技巧と玩味に気づいたのですからね。本当に消化に時間がかかったのでしょうね。だから私にとっては大切な本です。
*
今回読み直してようやく気が付いた「技巧と玩味」とは、アクロスティックについてです。
アクロスティックと言うのは、最近の卑俗な言葉で言うと「縦読み」というやつですね。英語の国の詩は横書きですが、その1文字目を拾っていくと別な意味合いが浮かび上がってくるという言葉遊びです。キャロルがそれぞれ愛すべき少女たちに送った詩には、ALICEだったりISAだったり……その相手の名前が隠されていたんですね。
そして、その英語詩を日本語に翻訳した高橋康也さんの詩も、「あ」「り」「す」とアクロスティックになっていたことに、25年経ってようやく気づいたのです! 「今頃気がついたのか!」と高橋康也さんも泉下で苦笑しておられると思いますが、ええ、そうなんです。当時はとにかく文字を追いかけて、ちょっぴりだけ雰囲気を味わうのが精一杯で、およそ文学的なアレコレまで気が回らなかったのです。
キャロルを勉強したくて英文科に入って、卒論も「アリス」で書きましたが、正直なところ当時の私は力不足で、なんともひどい文章を書いてしまったと思います。その時のことを思い出したくなくて、遠ざけていた部分もあるのですが……うん、いずれ自分のためにも、今の私が読んで感じた「アリス」論を書きたいと思います。矢川澄子さんが翻訳した版を読んだうえで、その点については改めて書きたいと思います。今日はこのへんで。