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こんばんは。
もう夜遅い時間になりつつあるので、今日も緩やかに書きます。
本来はまずブログを書いて、それからXに移行する……という予定だったのですが、その日1発目の発信はXで行い、まとめて書くべきところをXで分割発信し、仕事が終われば終わったで「今日もおつかれさまでした」発信をし、帰ってきてブログを書く段階になるともう疲れて面倒くさいと言っている有様。やはりそうなるのか。……
ただ、一方で私の書き込みなんて、ほとんど「いいね」がつかないようなものばかりです。反響があれば嬉しいから、反響がありそうなものを書かなくちゃと腐心する……それで去年は自分でもコントロールできないところまで行ってしまったのですが、今日思ったのは、
「反響がないということは、反響があった時と同じくらいの内容を書かなくちゃいけないというプレッシャーもないということだ」
ということでした。
それでもXやInstagramはテレビの世界でいえば地上波みたいなものです。常に誰でも見られるし見る人も多いでしょうから、やっぱり一定のカリテは保たなければなりません。「こう見られたい」という自分なりのスタイルを守ることは必要でしょう。
それに対してこのブログはCSの……Youtubeよりも見る人が少ない……超マニアック特殊チャンネルの番組みたいなものですから、もう少し自分なりにゆる~く話せるような気がするのです。mixiがそれに近い場所でしたが、そちらはもう二度とやりたくないってレベルまで嫌になったので、この場所がホームなんです。
文学のこと、アートのこと。自分の気持ちのことを文字制限なく思いっきり表現できる場所。そういう場所としてここは守り続けます。
……な~んて、思うままに書き散らしてみました。書きたいことはいっぱいあるんですが、そういうのをまとめて書くのは大変ですからね。時間があって気持ちにゆとりがある時に書く。私は別に職業作家じゃないんだし、それでいいじゃないですか。
さて明日は休みだし、もうちょっと飲んでから眠ろうかな。今日もおつかれさまでした。
もう夜遅い時間になりつつあるので、今日も緩やかに書きます。
本来はまずブログを書いて、それからXに移行する……という予定だったのですが、その日1発目の発信はXで行い、まとめて書くべきところをXで分割発信し、仕事が終われば終わったで「今日もおつかれさまでした」発信をし、帰ってきてブログを書く段階になるともう疲れて面倒くさいと言っている有様。やはりそうなるのか。……
ただ、一方で私の書き込みなんて、ほとんど「いいね」がつかないようなものばかりです。反響があれば嬉しいから、反響がありそうなものを書かなくちゃと腐心する……それで去年は自分でもコントロールできないところまで行ってしまったのですが、今日思ったのは、
「反響がないということは、反響があった時と同じくらいの内容を書かなくちゃいけないというプレッシャーもないということだ」
ということでした。
それでもXやInstagramはテレビの世界でいえば地上波みたいなものです。常に誰でも見られるし見る人も多いでしょうから、やっぱり一定のカリテは保たなければなりません。「こう見られたい」という自分なりのスタイルを守ることは必要でしょう。
それに対してこのブログはCSの……Youtubeよりも見る人が少ない……超マニアック特殊チャンネルの番組みたいなものですから、もう少し自分なりにゆる~く話せるような気がするのです。mixiがそれに近い場所でしたが、そちらはもう二度とやりたくないってレベルまで嫌になったので、この場所がホームなんです。
文学のこと、アートのこと。自分の気持ちのことを文字制限なく思いっきり表現できる場所。そういう場所としてここは守り続けます。
……な~んて、思うままに書き散らしてみました。書きたいことはいっぱいあるんですが、そういうのをまとめて書くのは大変ですからね。時間があって気持ちにゆとりがある時に書く。私は別に職業作家じゃないんだし、それでいいじゃないですか。
さて明日は休みだし、もうちょっと飲んでから眠ろうかな。今日もおつかれさまでした。
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仙台青葉まつりに行ってきました。
楽しかったです。
以上。
……すみません、今日はちょっと祭りが楽しすぎて、燃え尽きちゃって……色々とたくさん書きたいことはあるのですが、もう夜も遅いので、明日以降ゆるゆると書いていきたいと思います。会場ではノンアルでずっと頑張ったので、これから少しだけ飲みます。今日はお祭りの余韻に浸らせていただきます……ご了承ください……。
楽しかったです。
以上。
……すみません、今日はちょっと祭りが楽しすぎて、燃え尽きちゃって……色々とたくさん書きたいことはあるのですが、もう夜も遅いので、明日以降ゆるゆると書いていきたいと思います。会場ではノンアルでずっと頑張ったので、これから少しだけ飲みます。今日はお祭りの余韻に浸らせていただきます……ご了承ください……。
15日は午後から有休をとり、職場の近しい人たちとの交流会がありました。交流会って言っても、前半はカラオケ店でNintendo Switchをつないでゲームで盛り上がり、後半は居酒屋で痛飲……やっていることはラヴィットなんですけどね。でもすごく楽しかったのです。特に私のことを「同期」と言ってくれるのがね……いつも中途採用とか何とかで一人だけポンと就職(または転職)する機会が多かっただけに……ちょうど今の職場は4月入社だったので……そういうメンバーが多く今もいることは、すごく良いことだと思っています。
もちろん弊社は終身雇用みたいなところではありません。働いている人たちも20代が中心で、毎月新入社員が来る一方、退職する人もいます。入れ替わりが色々と激しい職場ではあります。私なんかは年齢的にもキャリア的にも他に行く場所がないので一ミリも転職のことなんて考えていなかったのですが、今の同期メンバーもそれぞれ次のキャリアのことを考えているようです。
それで良いと思います。私だって自分のやりたいと思った道を選んで、ここに来たのですから。
……
あんまり深く書くことはありませんが、ただ、とっても楽しかった。そういうことです。
先日『樅ノ木は残った』を読了しましたが、そのなかに登場する「伊東七十郎」というひとは小説や大河ドラマになる以前から「正義を貫こうとして最期まで立派に生き抜いた人」……すなわち『烈士』として尊敬されていたようです。仙台市内にもお墓や碑文がありますし、柴田町の船岡城址には大河ドラマに感動した東京の人が建てた句碑がありますし、石巻市には伊東七十郎を祀った神社もあるそうです(ここはまだ行ったことがない)。
この縛り地蔵は伊東七十郎が処断された米ケ袋刑場にあります。これでもかと言わんばかりに荒縄で縛られたお地蔵様は、知らない人が見れば「エッ!?」と思うことでしょう。私もそうでした。これはお参りに来た人が願いを込めて縄で縛る風習によるものだそうです。それだけ人々の思いを一心に体現しているというふうに解釈しました。
『樅ノ木は残った』では処断された後、遺骸は野ざらしにされていた……と書いていました。四代藩主綱村公によって一家の再興は認められたものの、その遺骸は20世紀になってから見つかったということですから、山本周五郎もそのあたりの話を踏まえて小説を書いたのでしょうね。とか何とかって歴史ロマンを抱きながら川沿いの公園を散歩していると……
……
うま……ウマ……
馬……!?
そう、馬がいたのです。特に何かにつながれるわけでもなく、馬が自由気ままに河原の草を食んでいるところに遭遇したのです。
「ついにアーバンベアならぬアーバンホースが現れたか!」
と狼狽してしまいました。
勿論、野生の馬ではありません。ちょっと遠慮しながら何枚か写真を撮っていると、飼い主の方がいらっしゃったので、お話を伺うことができました。どうやらこの近くに住んでいらっしゃる方で、この辺りは「庭のようなもの」なので、よく散歩がてら草を食ませているということでした。ポニーの「ポーちゃん」というお名前だそうです。
何枚か写真を撮ったのですが、何となく目を細めて気持ちよさそうにしている(様に見えないこともない)これをチョイスしました。束の間、可愛らしいポーちゃんの姿に癒され、また実際に飼い主の方とお話をする縁に恵まれました。
さらにその飼い主の方から、
「今月の『りらく』に、ポーちゃんのイラストが載ってますよ~」
と教えていただいたので、帰りに五橋の「塩川書店」に寄って雑誌を買い求めました。
この塩川書店は東日本大震災の直後、とあるお客さんが県外で買った週刊少年ジャンプを譲り受け、「ジャンプ読めます」という張り紙を出した……という逸話があります。震災の3日後に店は再開したものの流通がとまり最新のコミック誌などが届かない状況にあって、地域の子どもたちは待ち望んだ雑誌を回し読みした……と2012年4月23日の朝日新聞では報じています。後に手塚治虫文化賞の『特別賞』も受賞しており、その時の賞状が店内に飾られています。
丸善でもアマゾンでもコンビニでも買える本ですが、それをこの書店で買う。それは私もまた、この書店に対する気持ちがあるからです。どの本を買うかじゃなくて、「どこで本を買うか」そういうことにこだわってみたいのです。これは最近のことじゃなくて、ずっと昔からそうです。
これはひとつのストーリィであると私は考えます。
「縛り地蔵を見てみたい」
そう思ったのは私の気紛れですが、実際に見に行った先でポーちゃんに出会う。その飼い主に出会う。そうしたところ、たまたま最新の「りらく」にイラストが載っている話を聞き、ちょうど歩いて帰る途中に本屋さんがあったから買い求める。すべて自然な流れです。その流れに身を任せて物語を読み進めるがごとく繋いでいく。全く面白い一日でした。
これほどまでに物語的な時間を過ごせたことが嬉しかったので、しっかり日記に書き残しておきます。今日(13日)は雨降りでどこかに出かけるという感じでもないので、とりあえすしっかり記事を書いた後で、細かくX(旧Twitter)でも発信していきます。
今日は午後から半休をとりました。
本来は大町で開催されるフリーマーケットに行くために申請した半休だったのですが、開催日を1週間勘違いしていて……来週は「青葉まつり」もあるのですが、それも含めて仕事で……もはや慈悲なし。
それでも明日は大荒れの予報だし、少し街歩きでもしてみようかと思って勾当台公園からず~っと歩き続け……気が付けば今日仙台市内で開催された「国際ハーフマラソン」と同じくらいの距離(20キロちょっと)を歩きまくったのでした。
そして、素敵な出会いがありました。
詳しく書きたいのですが、歩きすぎて疲れてしまったので……明日詳しく書ければ書きます。今日はとにかく休みます。
本来は大町で開催されるフリーマーケットに行くために申請した半休だったのですが、開催日を1週間勘違いしていて……来週は「青葉まつり」もあるのですが、それも含めて仕事で……もはや慈悲なし。
それでも明日は大荒れの予報だし、少し街歩きでもしてみようかと思って勾当台公園からず~っと歩き続け……気が付けば今日仙台市内で開催された「国際ハーフマラソン」と同じくらいの距離(20キロちょっと)を歩きまくったのでした。
そして、素敵な出会いがありました。
詳しく書きたいのですが、歩きすぎて疲れてしまったので……明日詳しく書ければ書きます。今日はとにかく休みます。
こないだまで朝ブログを書いて夜はmixiの日記を書いていましたが、mixiを引退してあさイチはXをやるようになったので、このブログは夜書きます。朝食と夕食みたいなものですね。朝食はパッパッと手早く。夕食はちょっと手の込んだ……ただあんまり重たすぎると胃もたれして夜眠れなくなるので適度に満足感を得られるよう、ゆっくりした気持ちになれるような……。
まあXさえも休止していた頃は全精力を注いでいたので毎日3000文字前後の文章を書いていたのですが、今日は……ね。早番で仕事しまくって気持ちが疲れちゃったので。ゆる~くやって行きたいと思います。どうせ誰も見ていないし。お酒とか飲みながらのんびり書きます。
というのを書きながら見ているのは「内村さまぁ~ず」。アマゾンプライムで放送している人気番組です。ただし私が見ているのはそれをtbc(東北放送)が深夜に放送しているものです。だから2020年とか2021年とか、そういう時代のものです。たとえば今見ているのは2021年の年末に放送された『活躍する場はテレビだけじゃない!今こそ内さまとラジオで楽しみたい男女達!!』というものなので、聞きながら書くにはちょうどいいです。
毎日毎日、そんなに頑張って150キロの快速球を投げなくたっていいんですよ。ちゃんとつなげていくことが大事なんです。投手でいえばちょっとボール球を混ぜる。打者の立場から言えば、ファールでつないでいく。そして「ここぞ!」というタイミングでバシッとストライクをとる!(投手) フルスイングで一発長打!(打者)
……そんなわけで今日はファウルボール。でもアウトではありません。ヒットを打つまでこうして、コツコツ繋いでいくんです。終わりで~す!(久々の三四郎小宮さんオチ)
まあXさえも休止していた頃は全精力を注いでいたので毎日3000文字前後の文章を書いていたのですが、今日は……ね。早番で仕事しまくって気持ちが疲れちゃったので。ゆる~くやって行きたいと思います。どうせ誰も見ていないし。お酒とか飲みながらのんびり書きます。
というのを書きながら見ているのは「内村さまぁ~ず」。アマゾンプライムで放送している人気番組です。ただし私が見ているのはそれをtbc(東北放送)が深夜に放送しているものです。だから2020年とか2021年とか、そういう時代のものです。たとえば今見ているのは2021年の年末に放送された『活躍する場はテレビだけじゃない!今こそ内さまとラジオで楽しみたい男女達!!』というものなので、聞きながら書くにはちょうどいいです。
毎日毎日、そんなに頑張って150キロの快速球を投げなくたっていいんですよ。ちゃんとつなげていくことが大事なんです。投手でいえばちょっとボール球を混ぜる。打者の立場から言えば、ファールでつないでいく。そして「ここぞ!」というタイミングでバシッとストライクをとる!(投手) フルスイングで一発長打!(打者)
……そんなわけで今日はファウルボール。でもアウトではありません。ヒットを打つまでこうして、コツコツ繋いでいくんです。終わりで~す!(久々の三四郎小宮さんオチ)
今日の仙台は良い天気だったのですが、放射冷却とか何とかで朝と昼の寒暖差がスゴイことになっていて……そのために私の体調も著しくダメージを受けてしまいました……そのためちょっと、その、たいしたことが書けないんですよね。ネット環境も不安定だし。
これ、どうやらテレビの受信設備が古いからってわけじゃないみたいです。J-COMさんが来て、私の部屋もケーブルテレビ方式になり(元々アパート全体にそういう設備がいきわたっていたが、私の部屋だけ入線工事が行われていなかった)、受信障害に悩まされることは無くなったのですが……相変わらずクラウドWi-Fiがつながらなくなる事象はあります。
ただ、そうかといって固定回線を入れるよりはコストが良い気がするので。繋がらない日は「そういうものだ」と受け入れるか、あるいは今日みたいに、電波を拾うまで少し徘徊するか……そんな感じで過ごそうかなと思っています。とりあえず、つながるうちに投稿しておきます。
塩竃市に行ってきました。……といっても仙台駅から電車で15分の距離なんですけどね。
これは仙台に来てから知ったことなんですが、たとえば『塩竃市』とか『多賀城市』とか『松島町』という街に行くためには「東北本線」と「仙石線」の2通りのパターンがあるんですね。なので例えば「海が見たくて」電車でGOするのなら、東北本線ではなく仙石線に乗らなければなりません。塩竃だったら「本塩釜駅」松島だったら「松島海岸」という駅があります。ここから歩いていけばすぐに海も見えるし、松島だったら海+瑞巌寺五大堂などザ・松島! 的な場所にたどり着きます。
それを承知の上で今回はあえて東北本線塩釜駅に降り立った私。間違ったわけではありません。塩竈駅から徒歩1分のところにある「長井勝一漫画美術館」に真っ先に立ち寄り、それから塩竃神社・御釜神社・杉浦惇美術館など塩釜市内の歴史的伝統的な建物を見て回り、最後にマリンゲート塩釜にたどり着く……そういうコース取りをしていたので、あえてそうしたのです。
とにかくたくさん歩きました。楽しいこともたくさんありました。ただ、それをこの場できちんと文章にまとめるには、ちょっと時間が足りないので……まあ元々速報性とは無縁の場所ですし……とりあえず「そういうことがあった」事実をまとめておきます。これからおいおい、文章にまとめていければそうします。すみませんX(旧Twitter)では先に連投していたのに、結局こうして文章でまとめることができなくて……やっぱり「ブログが先」とはいってもXの速報性と反応のわかりやすさにはかないませんね……。
それでも! それでもこのブログを毎日更新することはやめません! 今この記事もWi-Fiがつながらなくてテザリングでつないでいますが……それでも毎日書くことはあきらめません! そういう気概があることに免じて、今日ははなはだ荒っぽい内容となりましたが、何とかご了承ください。
先日金港堂本店で「これが今生の別れとなろう」と言って買った最後の一冊こと『伊達女』(佐藤巌太郎、PHP文芸文庫)を読了しました。
PHP文庫というのが少々気に入りませんが、せっかく興味を持ったのにわざわざレーベルで遠ざけることもありますまい(それはそれで業腹だし)。ともあれオビの文言、すなわち
「濡れ衣を着せられたまま島流しにされるくらいなら
謀反を起こしなさいませ」
という言葉に「えっ!?」と衝撃を受けたのは事実ですから、思ったほどじゃなかったな……としても、これが金港堂最後の一冊となるのだから……ということで買ってきました。
読みました。
これがまた、面白かったんです。
連作短編集という形式がいいですね。短編というのは内容がギュッと凝縮されていますから、集中力が高いまま物語が終わるけど、最初から読んでいくと二十歳そこそこの政宗公が最後の方は五十代になり、最初は血気盛んで太閤や内府殿と対等に渡り合おうとしていたのに、最後の方は娘や家臣の嫁や伊達藩の安泰を第一に考えるようになっていて……それぞれ異なる女性の目線から、そういう政宗公の変化を楽しめたので良かったです。
個々の作品のことについて語ると、最初の「義姫」の話で、まずやられてしまいました。
義姫(のちの保春院)といえば、政宗様が主人公の物語だと「希代の大悪女」今風に言えば「毒親」として描写されています。我が子を毒殺しようとして失敗し、反対に自分が寵愛する小次郎を処断され、失意のうちにフェードアウト……そんな感じの扱いが定番でした。特に私なんかは『花の慶次』のイメージが強くて……
ただ、これは佐藤巌太郎氏の義姫であって隆慶一郎氏(+原哲夫氏)のそれではないので、また違った人物として描かれています。その点について、見返しにもある文章を丸ごと引用させていただきます。
そういう人なので伊達対最上の間に輿で割って入って和睦を結ばせたりします。そして我が子政宗のことも、「血気にはやりすぎて伊達家の存亡が危ぶまれる」ことから心配することはあっても疎んだり憎んだりするような雰囲気はありません。じゃあ例の事件はどうなるんだといえば、それは……さすがにそこまでは申し上げません。それは実際に本編をお読みください。そのうえで感想を一言だけ申し上げると、こないだ読了した『樅ノ木は残った』と同じような気持ちになりました。最初の一篇から、いきなり胸いっぱいになっちゃったのです。それまで悪いイメージがあった人ほど、そうじゃない一面が見えると感動が込み上げてくる……そういうものですよね。
和睦の嘆願――。
女は生来、戦を忌み嫌う気質を備えている。だからこそ、できることもあるのではないか。たしかに男と違って戦う力は劣る。が、他家との関係は何も戦ばかりではない。互いに助け合い、結束するのもまた、家同士のあり方のひとつだ。互いの関係の修復なら、女にもできないはずはない。この義姫の考えは間違っていなかった。
その後は正室愛姫、保姆喜多(片倉景綱姉)、愛娘五郎八、そして片倉重長の側室で真田信繫の娘・阿梅と続きます。他の本で読んである程度のイメージがあったので、それほど意外なことではありませんでしたが、ただ、いずれにしても凛とした雰囲気をたたえ、独断専行で人を驚かせるのが得意な政宗公もギョッとするようなことを言う女性たちでした。最後の方でそういった女性たちを政宗公は「心の中にある鬼を封じる光」という風に重長に説明していました。政宗公も娘婿の松平忠輝も片倉「鬼の小十郎」重長も武勇にかけては一級品ですが、人の営みとは戦いの中で華々しく死ねばいいものではありません。そういうことを諭し、導いた女性たちの物語。とても良い出会いでした。
今朝(5月4日8時現在)も通信不良によりネットにつながらない状況が続いています。キャリアの通信上限は1GBなので、あっという間に制限がかかってしまう……まだそういう状況ではありませんが、極力節約したい……そういうことで、今はテキストエディタでこの記事を書いています。
それでも、記事をちゃんと書くことはできるんだから、とりあえず今の気持ちをまとめておこうと思って書いています。そういうアクシデント的な状況にあるので、あんまりカチッとした文章が書けず申し訳ないのですが、とりあえず今書けることを書いておきます。
通信環境やSNSなどの交流がない時代を長く生きてきた私ですが、だからといって急にそういう世界に戻って同じように生きられるようなメンタルの切り替えの早さはありません。半年以上ネットにつながらなくて、そのためひたすら本を読んで過ごしたことがありましたが……そして、ついこないだまで4か月ほどXも休止していましたが……今は違います。
今のハンドルネームは佐藤非常口@仙台(2期)といいます。この「2期」っていうのが新たに付け加えられた言葉です。アイドルの2期生とかっていうよりも、テレビアニメやドラマの「シーズン2」みたいなイメージですね。休止期間を経て「歴史からアイドルまで」という自己紹介文を「文芸、アート、仙台宮城のこと」という風に……このブログを書き続ける中で見つけた「本当に自分が大好きなもの」を発信するためのアカウントとして再始動。昨日書いたウクライナの子どもたちの絵画展についても、SARPの公式アカウントでRPしてもらったり、門眞妙さんからもいいねを頂いたり……どうやら自分の感性をわかってくれる人はちゃんといるらしい、ということを確認することができました。
残念ながらその速報性とつながりやすさは、SNSにかなうものはありません。なくてもいいものではなくて、なくてはならない物なのです。
通信制限と言っても、全くつながらなくなるわけじゃないし。まだ5月も始まったばかりだけど、それで制限がかかるなら仕方ないじゃないか。つながらないストレスよりも、通信速度が遅いストレスの方がまだマシな気がするので、今日もこの文章をテザリングで送信します。
……そういえば、こうして下書きをしておいて、ネットにつないで送信するっていうの、従量制課金時代にやっていたなあって思い出しました。56kbのアナログモデムで接続していた時代。自宅の電話を使って接続していたので、調べ物をするのなら何を調べるのか事前に用意しておいて、最速最短で検索し……画面の中に情報が表示されたらすぐに切断してじっくり読む……。
その後、うちの兄のおかげで常時接続環境を手に入れましたが、その通信速度は32kbでした。それからISDN(64kb/128kb)になり、ADSLになり、光ファイバーになり現在はクラウドWi-Fiに……。世の中の通信環境の進化に合わせてコンテンツの大きさも莫大なものになっているので、通信速度だけ20年前の基準になったのではストレスフルこの上なしなんですが、「つながること自体が大事」そう考えて……だったらむしろ、通信制限がかかっている状態に慣れてしまうために、さっさとそういう状況にしてしまうのもアリかもしれませんね。
「不自由を常と思えば不足なし」(東照宮遺訓)
司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズ第26弾では仙台・石巻が出てくるということで買って読んだ……のが、1年前のこと。最近『樅ノ木は残った』を読了し、ちょっと軽めの本が読みたいと思って再び手に取りました。
正直に言うと1年前は「わが仙台に司馬さんが来たんだ」ということだけが嬉しくて、あんまり内容が入ってこなかった……というわけではないのですが……ちょっとミーハーな気分で読むだけ読んだって感じだったんですよね。
この1年で私も仙台の街のことを肌感覚で知り、だいぶん馴染んできたところで読むと、壱段階深い面白さを感じました。私も私なりに「仙台観」が出来上がってきたところで、司馬さんの歴史観と旅情に触れると、私の心の中の仙台観もいっそう生き生きとしてくるのです。毎日のように見ているペデストリアンデッキのことも、それほどお馴染みでもないけど何度か行ったことのある松島や石巻のことも、そして一度くらいしか行ったことがないけど実際に雰囲気を知っている大崎八幡宮や塩竃神社のことも……。
基本的に司馬さんの文章は好きです。今のように読書大好きで幕末大好きな人間になったのは『竜馬がゆく』と『燃えよ剣』それに同じ時代の短編をいくつも読んだからです。なのでこの「街道をゆく』も、とても楽しく読みました。本当は「この文章がいいんです」ということを引用魔・澁澤龍彦さんの如くビッシビシ引っ張って来たいところですが、それもどうかと思うので、ひとつだけ。
神道に関する言葉で、司馬さんはこんなことを言っていました。
「神道は気分であって、教義ではない」
さらに山片蟠桃が言っていたとして、こう記しています。
蟠桃は、神道は人間のまごころだという。かれによれば、鬼神は存在しないが、われわれが服装をととのえ、精神の折り目をただし、うやうやしくへりくだって神や霊をまつるときには、神や霊は現前に在ますがごとくにある、という。つまりは神は人間のまごころのあらわれであり、確かめでもある、という意味のことをいうのである。
朝日文庫『街道をゆく26 嵯峨散歩、仙台・石巻』256ページ
付け加えて言えば、もともとそのように形のないものだから、何をまつろうがそれほどこだわりがないのだからいいんじゃないの、と言ったことを司馬さんの私見として言っています。明治以降のことではありますが、日本にはナニナニノミコトという神代の人たちだけじゃなくて、伊達政宗や九戸政実や伊東七十郎など個人をまつった神社もあるので、やはりそういうものかな、と個人的には思いました。そう、神社を建ててまつるのは、私たちが気持ちを正して真心でその対象を敬い愛するからなのです。きっと。
今日から5月ですね。
世の中は大型連休の合間で、有休を連続取得して10連チャンとかっていう方もいらっしゃるかと存じますが、私も今日は公休です。そして、先月27日で歯周病治療がひと段落……3週間後に経過観察はあるものの、今日は特に予定のない「純粋休日」です。いや、あえて言えば家の中のことをしようかという日です。色々取っ散らかって、気持ちの休まる場所がないですから。そう、家にいても回復量が鈍いから、そういうところを改善するためにも、掃除とか冬物のシーツやお洋服を入れ替えるとか、そういうことをしようと思っています。
加えて、一応月末月初ですから、4月のことを振り返って少し記事をまとめてみたいと思います。総集編みたいなものですから、気軽にお付き合いください。
<花見>
何といっても花見でしょう。4月は桜の時期ですからね。
これまで桜とかお花見というと、それを楽しんでもらうためにもてなす側だったので、自分でこうして全力で楽しむことができたのは幸せでした。まずはホームグラウンドである仙台市内の「榴岡公園」「西公園」「錦町公園」を攻略(?)。そこからさらに南船北馬……南は一目千本桜(大河原町~柴田町)、北は長沼フートピアに涌谷城址(登米市~涌谷町)と、あちこちの桜を見て回りました。さらにSNS上で良くしてもらっている方たちにご挨拶もできたし。そういうことも含めて、念願をかなえることができた。そんな感じです。
あと、誰もが訪れる「桜の名所」ではなく、神社仏閣や特徴的な建物などと一緒に桜の写真を撮る「仙台花見」という企画をやってみました。これはブログを振り返ってみて思い出しt顔となんですが、そう、「綺麗な花の写真はもっと上手な人が(高級一眼レフで)撮影するだろうから、私は私にしか撮れない写真を撮ろう」と思って、仙台市内の色んなところで撮影したのでした。
#仙台花見2024 | 4月9日の日記
これは私にとっては非常に良い経験になりました。単純に桜の花のアップを撮るのではなく、一緒に写したいものと、どのように組み合わせて撮るのか。また、どこにピントを合わせてクッキリ見せたいのか。いわゆる「構図」とか「被写体深度」とかっていう……それまであまり意識しなかったことをきちんと考えて撮る練習になったのですね。その結果、時々、後で自分で観返しても「これは結構いいんじゃないかな」と思えるような写真が撮れたりして……別にコンテストで高い評価をもらえたとかInstagramで10万いいねをもらえたとか、そういうわけじゃありませんが、そういうセンスが花開いたという意味で、繰り返しになりますが、非常に良い経験をしました。今後も「何かとの組合わせ」によって写真を撮るということを意識してみたいと思います。
<アート的なもの>
大きなイベントとしては「まるデザ」こと「仙台まるごとデザインマーケット」に行ってきたことでしょうか。
「まるデザ」感想
こちらのイベントでも、1年前にイラストパネルをお迎えしサインを入れてもらった「はせがわじゅん」さんを初め、SNS上で何度かやり取りをしていた方と出会い、お話をして……特にはせがわじゅんサンについては1年前のことを覚えてくださっていて、非常に感激した……ということなんですが、やはり行ってみて良かったです。
もうひとつ印象的だったのは、「ゆきみせと」さんの個展ですね。こちらは大手町のギャラリーターンアラウンドで開催されたものでした。
ゆきみせと個展『身の周りのものたちの、安住と不定形』感想
それから、花京院のオブホテルのカフェスペースで開催されていた、あきみさんの「のせるおんな」展も素敵な内容でした。ゆきみせとさんの個展と同じ日に見たんですけどね。
何もなくても何かあると信じて
この日の日記にも書いている通り、正直4月後半はちょっとスタミナ切れ気味だったのかなあ。あんまり「よし今日は〇〇に行くぞ!」という意気込みもなく……かといって家に引きこもっていられるほど穏やかでもなく……全くもってどうしようもないテンションだったのですが……歩いて良かったな。そういうことは確信しています。他にもNoaさんのライブとかアベココアさんのライブとかも行ってみたのですが、うん、やっぱり良かったかな。
別に、元気じゃなくてもいいんですよ。いや体は元気なんですけどね。こう、毎日心が躍っているような状態じゃなくてもいいんです。ちょっと落ち着いているのがきっと普通だから。それを、無理してテンションを上げようとすると、その反動で普段よりも深く落ち込んじゃって、その状態が嫌だからまた、より高い強度で無理をしてテンションを引き上げ……。
そんなことを繰り返して来たから、心のバランスが崩れてしまったのでしょう。かつての私はそれがひどくて、心療内科に通うほどのレベルでした。今の私は大体自分で何とかなっています。こうして良い体験を沢山することもあるし、ちょっと落ち着いていることを自覚してそれなりに立ち回ることができるようになりましたから。
5月病って、こういうことなのかもしれませんね。私自身は別に病だとは思っていませんが、世間的にはこういうことを5月病というのかもしれません。
でも私はわかっています。
頑張り過ぎたら反動もきついし。晴れの日も曇りの日も、その振り幅があまり大きくならないようにコントロールしながら、日々を丁寧に生きていきたいと思います。
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その辺の「我慢する強さ」っていうのは、最近読み終えたこの本『樅ノ木は残った』から会得したというのも、あるかもしれません。死んでもいいからと言って勇ましく白刃を振りかざすのではなく、我慢に我慢を重ねて、最期の時まで「生きているうちにしかできないこと」をなそうとする生き方が何よりも大切なのだ……ってね。
画像は私がこれまで買った本の「書店オリジナルカバー」コレクションです。左は盛岡東山堂、右は上野明正堂、そして真ん中は仙台金港堂です。
今日は仙台市の中心街・一番町の老舗書店「金港堂本店」が閉店する日です。これは今月になって「最後に一冊」と思って買った本なんですが、それを装ってくれたのがこのオリジナルカバーでした。明治時代の仙台の有名どころを記した古地図です。
昔、盛岡の名物書店「さわや書店」で本を買った時も、こんな感じで盛岡市内の地図が印刷されたブックカバーをつけてくれたことを思い出しました。今もそうなのかな。90年代はリアルタイムに街中のお店の情報とかがあって、その時々によって更新されるのが楽しかったです。後に、これと同じように古地図になった気がしますが。まあしょっちゅうアップデートするのも大変ですものね。それでも良いと思います。
こういうのが好きなんですってX(旧Twitter)で投稿したものの、どうせ誰も興味がないだろう……なんて、わかっていたものの少ししょげていた私。そうしたところ今朝になって、仙台の古地図や古い街並みの写真を多く取り扱う「風の時編集部」代表の佐藤さんから「いいね」をもらって、嬉しくなりました。よく見ると、なるほど、この地図も風の時編集部所蔵のもののようで。自分の感覚と近しいひとがいることを確認出来て良かったです。
自分の感じたことを大切にする。それを理解してくれる人は必ずいる。それは1年前と比べれば、ずっと確実なものとして私の心にあります。SNSで10万いいねしてくれるような感覚はないけれど、必ず私のことをわかってくれる人はいる。いや何だったら「わかってくれなくてもいいじゃないか」「とにかく私はそう感じたんだ、それでいいじゃないか」そういう風に考えています。そういう気持ちをしっかり持って生きていれば、今はわかってくれなくても、いつかわかってくれる人に出会える。そういう確信があるからです。
明日から5月。気落ちもせず気負いもせず、まっすぐ歩いて行きたいと思います。
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『樅ノ木は残った』読了しました。
これが初めて読んだ山本周五郎の作品だったのですが、さすが代表作と言われるだけあって非常に読み応えのある長編でした。もうずっと昔の話だし、基本的には歴史的な事実をもとに書かれており展開もそれに準じているので、あまりネタバレとか気にせず、気ままに感想を書いてみたいと思います。
何よりも感じたのは「守るということは、生きている人間にしかできないこと」なのだということです。大義とか信義とかに殉じて、自分の命を捨てることはとてもヒロイックだと思います。伊東七十郎なんかはまさにそのような人物ですし、領地を出る時にわざわざ菩提寺によって法名をもらってから江戸に上がってきた涌谷候(伊達安芸)なんかもそうでしょう。一方でそんな伊東七十郎から絶交され、親しくしていた人物を次々と見殺しにし、妻子にさえ本心を打ち明けられずに悪評を背負って生き続け、とうとう酒井邸で絶命する時まで「自分が乱心した」と言って果てた甲斐殿。
そういう生き方は私にはできません。ただ、「声のデカい奴と勇ましいことを言う奴が世の中の大勢を決める」といった意味合いのことを故・神浦元彰さん(軍事ジャーナリスト)がおっしゃっていて、その言葉を現在も心の大切な支えとして生きている私にとって、甲斐殿の生き方は新しい「侍の生き方」として……最後まで読んだところで強く共感することができました。
あくまでこれは小説の感想です。実際どうだったのかといえば、それは「おらが町の殿様」が誰なのかに大きく左右されるでしょうし、仮にそういうのを省いて完全に中立的な立場から見たとしたら、そもそも人物評とかをする必要も無いでしょう。そんなものはWikipediaでも読めばよろしい。小説を読んだり、わざわざ涌谷や船岡まで行ってゆかりの地を回ったりするのは、すべて歴史的ロマンチシズムに浸りたいからなんです。
これまでも散発的に(街歩きをしていたら偶然その場所にたどり着いた、など)伊達騒動関連のアレコレに触れてきましたが、これでようやく基礎ができました。改めて、『樅ノ木は残った』ベースで船岡城址をはじめ、ゆかりの地を巡ってみたいと思います。もちろん仙台市博物館もね。慶長遣欧使節のことと一緒に知ったのが、2013年に仙台に観光に来て、博物館で見た時だったので……。
おはようございます。
今日からゴールデンウィークで〇連休という方も多くいらっしゃると思いますが、私も今日だけは休みです。あと後半にも1度休みがあります(5月5日)。あとは通常業務です。
ただ、それでも「どうせ連休なんて、私には関係ないから……」と涙を拭いて仕事に向かうようなことはしません。1日でも2日でも休みがあるから、その時間を楽しもう。そんな気持ちで今日もイベントに参加します。イベントの前に歯医者さんに行かなきゃいけないんですけどね。
差し当たって今日は勾当台公園で開催される音楽イベント『ストリート大作戦』に行きます。元々この日はアベココアさんのライブがあるし、国際センターで『まるごとデザインマーケット』ももあるし……とか何とかで1か月以上前から希望休を申請していたのですが、数日前になってこのイベントにNoaさんが参加することを知り……またひとつ予定を組み込んで今日は3イベントくらいかけもちする形となりました。そこまで頑張る必要があるのかどうかわかりませんが、やっぱり今日しか行けないところに行き、今日しか体験できないことをする。そうやってここまで繋いできたのだから、何があるのかないのかわかりませんが、動いてみようと思います。
……というところでいったん区切ったのですが、まるデザについてもう少し書きます。
去年はちょっとのぼせ上がって時速100キロの勢いで色んな人と会いまくり素敵な作品をお迎えしまくり、さらに仙台弁こけしちゃんのイベントに関する投稿をしたら公式に取り上げられて98いいねをたたき出すなど狂熱のなかで楽しい時間を過ごしましたが、今年はそれほど熱い気持ちはありません。これが普通だと思います。去年の私はちょっとのぼせ上がっていたのです。
今年度のテーマは「もさらくさら」であり、そもそも無理して行かなくてもいいんじゃないか……ということさえ考えたのですが、「はせがわじゅん」サンの投稿を見て、さらに今もお部屋に飾っているこちらのイラストを見て心が動きました。去年みたいな狂熱はなくていい。ハッキリ言って仙台に引っ越してきて以来最大級の金銭的ピンチを迎えている実情を考えれば、そんな無理もできないけれど、せめて去年お逢いした人にもう一度逢いたい。「逢いたい人に逢う」というのは私の大切な「信念」なので、それを全うするために出かけようと思います。
なお、その後は勾当台公園で開催されるストリート大作戦に行きます……とは先ほど書いたことですが、より具体的に言うと、先日ライブに行き一緒に写真を撮ってもらった Noaさんに逢いに行くのです。
所属アーティストとなり、メディアにも出演するなど本格的にアーティストとしての道のりを歩き出したNoaさんですが、私だって好きな気持ちはありますからね。ライブで逢えるなら逢いに行く。そういうことなのです。……いけない、もう出発しなきゃ! 遅刻遅刻~!(昔のマンガの女子高生ふうオチ)
今日もちょっと、あんまり面白いことが思いつかないので、とりあえず最近の身の回りのことについて書きたいと思います。
最近自分の部屋でWi-Fiルータがつながらないことがあります。テレビの受信状況も悪いので、それに関係しているかもしれません。せっかく無制限に近い上限(100GB)で契約して機器のローンも1年半くらい支払い続けているので、これではたまったものではありません。
故障か、と思ったのですが、電源が入っている状態で持ち歩いているとちゃんと電波を拾ってくれるので、本当にこの場所の状況が悪いんでしょう。そう考えると、「今日はそういう日なんだろうな」と思えばいいかなと。
結局、心の持ちようなんでしょうね。私が泣こうがわめこうが通信環境が改善するわけじゃないし、物理的な何かが改善されるわけじゃないし。感情ではなく、その点から冷静に考えてみると、まあ……仕方ないか、と。
そうすると「テレビの受信状況が改善されれば、この点も解決するかもしれない」なんて気がしてきました。できそうなことから何とかする。場所を変えれば受信できるから、端末の故障とは少し違う気がするし。
すいません本当に、良い文章が思いつかなかったので、短いですが今日はこんな感じで。
今日は軽めの話題でサ……とまとめたいと思います。速球もあればスローカーブもある。そういうものです。
昨日今日と仙台を含め、全国的にあまり空模様が良くない状況ですが、仙台のメインストリート「青葉通」の新緑も徐々に鮮やかな色合いになってきました。
まだ仙台に来て間もない頃、「青葉通とか広瀬通とか定禅寺通とか聞くけど、どういう並びになっているのかわからない……」そう言いながらも、何とか名前と位置関係を覚えることがこの街に馴染むために必要なことだと思って、自分なりに切っ掛けを見つけることにしました。
青葉通は「新緑の時期、青葉が綺麗だから青葉通」。
ケヤキ並木といえば定禅寺通りの方が有名ですが、私のなかでは仙台駅の真正面にあり仙台城址まで続く青葉通こそ最初に通る道だろう! と思っていたので、まず青葉通を覚えることから始めました。なお広瀬通は「岩手からバスで来た時に印象的だった『かに本家』があるところが広瀬通」で定禅寺通は「三越があるところが定禅寺通」と、通りそのものというよりお店の看板が目印でした。そしてこれらの通りが一番町アーケード商店街でつながっていることを認識したのは仙台に来て3か月くらいしてからのことでした。
その頃から現在に至るまで、私は街歩きが好きです。別にこれといった目的がなくても歩きまくるのが楽しくて……ハピナ名掛丁からマーブルロードおおまちまで行く日もあれば、南町通から一番町1丁目から4丁目までストレートに突き抜けることもあり、はたまたアーケードの交わるところでわざわざ回り道をして文字通りアーケードというアーケードを歩き尽くして定禅寺通りに出る……そんなことを好む人間なんです。そして街の賑わいや新しいお店、気が付いたものなんかを写真に撮るのが大好きなんです。
今日から3日間はお仕事なので、いつものように駅から職場までの道のりを行ったり来たり……まあ正直、あんまり心躍るようなことはありませんが(それは私だけではないと信じているのですが!)、楽しいことがいっぱいあるから、それにすがりながら、何とか頑張って行きます。
Salut !
南三陸町に行ってきました。
これまでも何度か行ったことはあるのですが、それは「とにかく行ってみること」が目的だったり、他の場所(気仙沼以北)に行った帰りにちょっと立ち寄ってみたり……という感じでした。しかし今回は! 南三陸町内の数か所にあるスタンプを集めて回る企画……要はスタンプラリーに参加するために行ったので! 午前9時から午後4時まで日帰り南三陸満喫な一日だったのです! ワッショーイ!
その話をするために、時間を今年の3月15日まで巻き戻します。「時を戻そう」ファンファンファンファ~ン。
これは仙台駅自由通路「杜のひだまりガレリア」で開催された物産展の時の写真です。このタコのマスコット「オクトパス君」は知っていたのですが、妙に可愛い女の子がいましてね。こういうの大好きなので写真を撮ったんです。そういうこともあって……南三陸町に行けば、この子の手がかりがあるかもしれない……なんて、そんなひそかな目的もあって、行ってきた次第です。
それでなくても南三陸町への気持ちはあったし、物産展で(その後飲み会の予定があって荷物になるといけなかったので)何も買わなかった代わりに、スタンプラリーを口実に南三陸町に行って、色々食べたりお土産を買ったりしてお返しをしようという思いがありました。まとめると、この物産展を切っ掛けに今回の南三陸町ツアーを敢行しようと思った。そういうことなのです。
ビジターセンターにポータルセンター、南三陸YES工房など、あの時の物産展で出店していた方たちのところに行って次々と私の思い出を語り、温かい交流をすることができました。そのなかで、この子の名前もわかりました。南三陸YES工房さんのキャラクタで、元々ゲームのオペレーター役として生まれたために、その名も「南三陸オペ子」。そうキャラクターの名前なんてこのくらい適当なのがちょうどいいんです。鞭を持っているから「ムチ子」。もみあげが物凄く長い(ように見える)から「もみ子」。オペレーターだからオペ子。良いと思います!
そんなこんなで南は神割崎、北は歌津総合支所まで南三陸じゅうを駆け巡り、最後にポータルセンターで景品獲得証明のスタンプを置き、私のスタンプラリーは完結したのでした。
その頃(16時頃)にはポータルセンターがある南三陸さんさん商店街も店じまい(コンビニさえ閉まっちゃうのです!)だったので、私もそろそろ帰ろうかと思っていたのですが、せっかくここまで来たのだからと言って「南三陸町震災復興記念公園」に行き、防災庁舎や被災当時のまま遺り続ける旧志津川駅ホーム(現在はBRTの駅が少し離れたところにある)などを見て回り、さらに帰りの道中で道の駅津山(もくもくランド)に寄って木のマウスパッドを買い……とにかく盛りだくさんの一日でした。
とりあえず自分の日記には全部まとめて書きましたが、それをブログで同じように書こうとするとあまりにも煩雑になりすぎるので、また気が向いたら南三陸のことを書きたいと思います。そんなわけで今宵はここまでにいたしとうございます(群雄伝オチ)。
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昨日NHKニュース7で弘前城の夜桜が中継で流れたのを見ました。
先日視聴して号泣したボイスドラマ『いち姫かく語りき』の主人公「中辻いちこ」と親友が通う高校も弘前市。県庁所在地は青森市ですが初代藩主津軽為信が城を構えたのは弘前市であって、昔ながらの寺社や商店街が残る城下町なのです。そして青森最大の桜の名所であり、わざわざ遠方からこの桜を見に訪れる人がたくさんいます。そのことを私は、毎日のようにやって来る「東北三大桜ツアー」みたいなタイトルで知りました。ええ、忙しくて忙しくて弘前の桜は私にとって暗澹たる気持ちになる要素だったのです。
それが、テレビとはいえ弘前公園の桜を見て「ああ、綺麗だなあ」と感じられるようになったのは、やはり今年思いっきり宮城の桜を愛でることができたからでしょう。仙台市内の桜の名所を見て回り、さらに北は登米涌谷、南は柴田大河原……名高い「一目千本桜」も実際に眺めることができて、ようやくそれだけの余裕が出てきたのかなという風に実感しました。
もっとも、私が拠点を置いていた十和田市は南部であり、津軽中の津軽である弘前は少々遠いこともあって(100キロくらい)、それほどたくさん行ったことがあるわけではありません。Google Photosで検索すると5月とか9月とか10月とか、桜のシーズンを外して行って……そのために一番桜っぽい要素があったのが桜ミクだったという惨状なんですが……やはり、弘前市を楽しむには、あまりにも忙しすぎたのでしょう。南部の民としては、津軽為信に対する気持ちも少々複雑なものがありますし。だから余計に田舎館城主の千徳殿といち姫さまに感情移入しちゃうのかも。特にいち姫さまね、いち姫さま。
写真を振り返ればもう少し何か書くことがあるかなと思ったのですが、あんまり大した写真も無ければ強い思い入れもないので、早くも書くことがなくなってしまいました。これは寂しい。いやいや、この頃はちょうどペンタックスSPを手にしてフィルムカメラで写真を撮るのに凝っていたのです。
そのあたりの写真をいくつか公開しましょう。せーの、ドン!
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今もペンタックスSPは持ってきているのですが、何せフィルムも現像代も急激に高価なものになっちゃって、撮ることに対して非常に慎重になってしまいましたからね。また、撮影日時も残らないから、いつ撮ったのかちゃんとメモしておかないとわからなくなっちゃうし。……デジタルデータとして保存することを考えずにプリントして見て押し込めている何百枚もの写真が、今も実家に眠っていますが……まあ、こうしてデジタル的に残っている分だけでも、大事にしなくちゃいけませんね。
アナログカメラで撮った写真については、この機会に一度、整理してみます。ようやく青森時代のこともちゃんと向き合えるようになってきたし。そうすれば、きっと……私の心の空白もドンドン埋まって、満たされることでしょうから……。
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昨日は朝イチで歯医者さんに行って、近くの榴岡図書館でスカートに履き替えて、それから街歩きを敢行したのですが……正直、明確に「何をしよう」とか「ここに行こう」という目的のない彷徨でした。一応、4月で閉店する一番町の老舗書店「金港堂」に行こうとかラーメンが食べたいなとか、その程度の漠然としたイメージはあったのですが、文字通り彷徨ですね。
何があったわけではないのですが、何となく気持ちが穏やかじゃなくて、そういう気持ちを紛らわすための彷徨だったといえば、そういうことかもしれません。
「何もないから、今日は家でおとなしくしていよう」という気にもなれず、むしろ「何かあるかもしれないから、一応街を歩いてみよう」って感じで、ちょっと心の中でざわめきながら歩いてみたのでした。
そんな状況だから、ラーメンを食べに東京エレクトロンホールの中にある老舗中華料理店『東龍門』に行ってもリュックサックを忘れて店を出てきてしまう有様です。もはや慈悲なし。それは町田康さんの文章によく出てくるフレーズなんですが、どうしようもなく絶望的な気分になった時にそう嘯きます。最近のは聞いていませんが北澤組時代の曲は好きです。特に『麦ライス、湯』なんかはいいですね。朝食がいつも麦飯のお茶漬けなのでまさに「麦ライス、湯」です。いや町田康さんの話はいいんです。
それでもあきらめずに大手町のタナランに行き、さらに引き返して花京院のオブホテルというところで開催されていた「あきみ」サンの「のせるおんな展」を観てきました。ホテルの2階にあるカフェで展示をやっていたので、そのまま絵だけ見るのも申し訳ない気がしてコーヒーもいただいてきましたが、これもまた美味しかったです。
今回やっている写真展は、最近の私の志向とはちょっと違うのでアレなんですが、次に開催されるゆきみせとさんの個展には非常に興味をひかれています。そういう、次につながる収穫があったので、やはり街に出て良かった。そう思いました。
昨秋このブログを本格的に再始動して以来ビッシビシ画像を投稿して盛り上げているところですが、そろそろ容量制限が厳しくなってきました。そのため過去の写真を削除したり、できるだけ画像を節約して文章で説明することを試みたり、色々やっているのですが、今回Instagramとの連携実験として最新の投稿をシェアしてみました。この投稿をInstagramで見る
私がInstagramを始めたのは分科会の尾身会長が始めたというニュースを見てからであり、2月に入って美術展に行くと作家の個人QRコードが一緒に紹介されているのを見て積極的にフォロー、そしてSNSとオフラインの両方で交流を深め……以来積極的に投稿しています。最近では少しずつ、それまでは2か月に1度くらいしかつかなかった「いいね」が毎日に近いペースでつくようになってきました。なるほど、別に無理してフォトジェニックな写真を撮らなくてもいいんですね。ごくありふれた、日常の写真でもいいのか……って言いつつ、私も私なりに「少しでもフォトジェニックな写真」を取るべく奮闘努力を重ねているのですが。
そんな写真の数々をこのブログでも掲載したいのですが、先ほど申し上げたように無料で使える容量制限がそろそろ限界に近づいていて、有料にするべきかどうか……悩んでいたのですが……とりあえずシェアという形で画像を掲載できるなら! と思い、今回初めてInstagramとの連携を試みてみました。
TwitterがXになってから、記事を埋め込むことができなくなったのでInstagramはどうだろうと思ったら……なんか、うまくいきましたね。今後もInstagramに依存し続けなければならないという代償はありますが、それによって交流が増えつつあるし。XもInstagramもブログもうまくバランスさせて、自分というものを上手に発信できればいいかな。それぞれ交流している人たちも投稿する内容も違うし。天下三分の計じゃないですけど、異なるものを拒絶するのではなく、良いところは良いと緩やかに利用する。それでいいんじゃないかなあ。
2024年4月16日19時頃から私のwi-fiルータが繋がらなくなってしまいました。パソコンからインターネットに不自由なく繋げる状況じゃないと、なかなか長い文章を書けないので、ブログの更新を当面の間見合わせます。その間はローカルファイルの中で記事をまとめておいて、それを後ほど公開するような形で記録を残せればと思っております。辞めるつもりは全くないので、そのことだけは明記しておきます。
正直なところ今日は明確に「これについて書こう!」というテーマが見つからないので、弟者から送られてきた盛岡の「石割桜」の写真をもとに何とか文章をでっちあげたいと思います。今日は本当に、お気楽に書きますので、コーヒーでも飲みながら軽い感じでお読みください。私もそうしながら書きます。
先日の「登米~涌谷町」「大河原町~柴田町」大・さくら祭りについての画像をアルバムにまとめて送信したところ、上記の画像が返ってきたのですね。昨日の夜、夜桜見物に市内に繰り出していたようです。岩手公園(盛岡城址公園)から石割桜……盛岡の桜の名所も、仙台に少し遅れて見頃を迎えているようです。良いと思います。
これでも私も盛岡生まれ盛岡育ち、20代~30代前半の頃は中央通1丁目の会社で働いていましたから、こういった市街中心部の桜は「ちょっと帰りに寄ってみようか」というだけでなく、会社の人たちとの花見会で訪れたことが何度もありました。私が勤めていた会社は結構昭和的な雰囲気があって、我々のような若者からヴェテランまでみんな揃って酒を酌み交わすような文化があったんですね。全くその頃は随分と馳走になりました。
もっとも盛岡の夜は意外と寒くて、あまり長いこと外にいられず「二次会」として居酒屋などに移動し続きを始めるのが定番でしたからね。最近はそれほど極端に寒くもならないのかな。……というか昨日は日中が暑すぎたんですよね。暑熱順化が全く進んでいない私の身体も悲鳴を上げました。夕方になって涼しくなるまで、結構きわどい状況でした。仙台と盛岡では気候も異なるでしょうが、まあ、過ごしやすい感じだったら何よりです。
こちらのブログなどで盛岡の情報は一応キャッチしているのですが、盛岡の景色もどんどん変わっているようですね。特に本屋さんが閉店するニュースはつらいです。もはや盛岡市外に拠点を置くようになって10年近くなりますが、三十数年も生きていれば大体の本屋さんに何かしらの思い出があります。書籍離れとか何とかって大きな話で言えばそうなるんでしょうが、実際のところそういう時流の話には興味がなくて、私はただ私が好きな本屋さんが閉店するのがつらい。それだけなんです。
仙台も老舗中の老舗『金港堂本店』が今月いっぱいで閉店することになりました。建物の老朽化とか何とかって、そういうのはわかりますけど、私は感情家なので「気持ちがつらい」それだけでいいです。
それでも「盛岡バスセンター」や「monaka(←nanak←中三)」など、一度は消えた建物が生まれ変わって新しい盛岡の景色を形作り始めています。思い出は心の中に残しつつ、新しい盛岡の景色が……そう、マンションとかオフィスビルじゃなくて商業施設ができるのが良いんです。ひょっとしたら私も行く機会があるかもしれない……そして新しい思い出ができるかもしれない……。
今は仙台市民だしこの街が大好きでこの街にずっと住み続けたいと思っている私ですが、盛岡は三十数年来生まれ育った街ですから、その点をちょうどいいバランスで心の中に生かしながら日々を過ごしていければいいかな。うん、そんな感じで大体原稿用紙3~4枚分書けたので良しとしましょう。
では、改めて大河原町~柴田町の「一目千本桜」について、簡単ではありますが触れます。
私がわざわざ言うまでもありませんが、これは宮城県内でも有数の桜の名所です。白石川沿いに植えられた1200本もの桜の木がいっせいに咲き誇り、それを見るために県内はもとより県外さらには海外から人々がやってきて人目をはばからず三脚を立てたり自撮り棒を振り回したりして写真を撮りまくるのです。
なんて言ってみたものの、否定的な感情は全くありません。今回初めて行ってみたのですが、これだけ延々と桜並木が続いている様相はもはや「壮観」といってもいいくらいで、大河原駅から船岡駅までのんびり歩きながら楽しみました。
時々チェックポイント的にマルシェがあったり色とりどりの花が植えられた公園があったり、昭和45年の大河ドラマ『樅ノ木は残った』の主人公原田甲斐ゆかりの地である船岡城址公園もあったり……まあ~存分に楽しみました。写真もたくさん撮りましたが、容量制限がそろそろ厳しい状況なので、特にこれだけを掲載します。
これは「白石川千桜公園」のあたりの模様です。こんな感じで桜だけじゃなくて、他の色のお花もたくさん混生していていて……その合間にある道を歩くと、目の前の道以外全部花に囲まれたような、きわめて幻想的な雰囲気に浸れるのです。
そんな中で、どこかから
「フローラ」
という言葉が聞こえてきました。
私の貧弱なリスニング力ですから、たぶん違います。flowerかfleurか……そのあたりだと思うんですが、ある意味フローラでもいいと思うんですよね。ローマ神話における花と春の女神ですから、花の美しさに魅了されて女神がそこにいるような気になり思わず「Flora(がいるわ)!」と言っちゃった……思考の超飛躍、空想の大氾濫ですが、そこまで考えてしまいました。あとは澁澤龍彥さんの著書のタイトル『フローラ逍遥』というのが頭にあったから、そういうのが浮かんだのかな。まあいいです。綺麗なもの、可愛いものを想像すると心が綺麗になりますから。私はそういう風に空想を膨らませた自分の想像力を愛おしいと思うし大切にしたいと思います。
なお、海外からの観光客の人たち(Tokyoから来たと言っていた)も、桜を見た時はSakura ! と言っていました。一応cherry blossom とかCerisiersといった言葉があるはずですが……日本に咲いている桜の花は特別にSakura というのかしらん。いや、全く面白い体験をたくさんしました。良い旅でした……。
また折りに触れて書くかもしれませんが、とりあえず今日はここまで。Salut !