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こんにちは
休みの日は家でゴロゴロ
高杉です(外は快晴ですが)。
快晴を生かして洗濯をして、ひと段落したところで二度寝。起きて三度寝するにも、さすがにそこまで眠くないし、かといってどこかに出かけるには少々体調が思わしくない。どうする。それじゃあ本を読もう。ということで手に取ったのは、村山早紀先生の大人気シリーズ『コンビニたそがれ堂』シリーズの一冊です。
私も二冊以上読んだはずですが、どれを読んだのか自信がありません。ただ、この本の全編に出てくる『ねここ』が出てきた話は読んだはずだな、という記憶があります。
感想。……そうですね。
たぶんこれは、すぐにはやってこないのでしょうね。感動が。あとから何度も何度も思い出して、少しずつしみ込んでくるような、そんなタイプの味わいだと思います。
だから今は、あんまり取り立てて書くことがありません。
それでも、あえて今の気持ちをまとめるとすれば、
「これは現代の、我々と同じ世界を舞台にしたファンタジーなのだろうな」
そういうことです。
たぶん私が考えるファンタジーって、異世界転生云々じゃありませんが、私たちの世界とは何もかもが異なる場所にポンと飛び込んで……っていうのだったんでしょうね。やっぱり、元アリス組ですから。ウサギの穴とか鏡とか、そういうのを経由して異世界に入り込んでしまったストーリィこそ、私の大好きなファンタジーですから。
そういうものだと思って本を開いたから、最初、「うん?」と首をかしげるようなことがあったのでしょう。登場人物は私と同じ世界を生きている人の考え方だし、その人が生きている世界も(大体)同じ世界だし。それでこそ、その登場人物に自分を重ね合わせて物語の世界に入っていけばいいのでしょうが、それが上手に行かなかったんですよね。
私の心はより直接的でより強いファンタジーを求めていたのです。それだけ心が乾いていたのかもしれません。
だからなのかな。この本も、きっと、結構前に買ったはずなのですが、ずっと読んでいませんでした。さらに言えば、いつからだったのかわかりませんが、最初の章の半分くらいでしおりを挟んで読むのをやめていました。そして今回も、途中で少し自分を奮い立たせながら、とにかく最後まで読み進めよう、つって読み終えました。
それでよかったと思います。ちょうどこの本が刊行された2015年から今年まで7年間、青森で仕事をして、そこから都会に出てきた――そんな今だからこそ、とある登場人物が語る津軽弁が生き生きと響いてくるのです。結果論ではありますが、7年寝かせてよかったのです。
さて、何とか書ききりました。物語の感想は、湧いてきたらまた書くことにしましょう。とりあえず、今日、これを読みました。以上です。
休みの日は家でゴロゴロ
高杉です(外は快晴ですが)。
快晴を生かして洗濯をして、ひと段落したところで二度寝。起きて三度寝するにも、さすがにそこまで眠くないし、かといってどこかに出かけるには少々体調が思わしくない。どうする。それじゃあ本を読もう。ということで手に取ったのは、村山早紀先生の大人気シリーズ『コンビニたそがれ堂』シリーズの一冊です。
私も二冊以上読んだはずですが、どれを読んだのか自信がありません。ただ、この本の全編に出てくる『ねここ』が出てきた話は読んだはずだな、という記憶があります。
感想。……そうですね。
たぶんこれは、すぐにはやってこないのでしょうね。感動が。あとから何度も何度も思い出して、少しずつしみ込んでくるような、そんなタイプの味わいだと思います。
だから今は、あんまり取り立てて書くことがありません。
それでも、あえて今の気持ちをまとめるとすれば、
「これは現代の、我々と同じ世界を舞台にしたファンタジーなのだろうな」
そういうことです。
たぶん私が考えるファンタジーって、異世界転生云々じゃありませんが、私たちの世界とは何もかもが異なる場所にポンと飛び込んで……っていうのだったんでしょうね。やっぱり、元アリス組ですから。ウサギの穴とか鏡とか、そういうのを経由して異世界に入り込んでしまったストーリィこそ、私の大好きなファンタジーですから。
そういうものだと思って本を開いたから、最初、「うん?」と首をかしげるようなことがあったのでしょう。登場人物は私と同じ世界を生きている人の考え方だし、その人が生きている世界も(大体)同じ世界だし。それでこそ、その登場人物に自分を重ね合わせて物語の世界に入っていけばいいのでしょうが、それが上手に行かなかったんですよね。
私の心はより直接的でより強いファンタジーを求めていたのです。それだけ心が乾いていたのかもしれません。
だからなのかな。この本も、きっと、結構前に買ったはずなのですが、ずっと読んでいませんでした。さらに言えば、いつからだったのかわかりませんが、最初の章の半分くらいでしおりを挟んで読むのをやめていました。そして今回も、途中で少し自分を奮い立たせながら、とにかく最後まで読み進めよう、つって読み終えました。
それでよかったと思います。ちょうどこの本が刊行された2015年から今年まで7年間、青森で仕事をして、そこから都会に出てきた――そんな今だからこそ、とある登場人物が語る津軽弁が生き生きと響いてくるのです。結果論ではありますが、7年寝かせてよかったのです。
さて、何とか書ききりました。物語の感想は、湧いてきたらまた書くことにしましょう。とりあえず、今日、これを読みました。以上です。
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こんばんは
明日は休みなので、今日は飲みながら書きます
高杉です(ひどいオープニング)。
まじめな話はさておいて、毎日のルーチンワークーーすなわちパソコンを開き、今日使ったお金のことを家計簿アプリにお小遣い帳レベルで書き込もうとしたときにEdgeに現れた画像。ええ、皆様もご存じの、日替わり絶景写真です。今日の景色は「マルセイユ」。フランスの美しい港湾都市です。
いつもながら、マイクロソフトさまがリコメンドしてくれる景色は、とても美しい景色です。
ところで、この時私はフト気づきました。気づいたというか、ハッとしたというか。
「ん? マルセイユって、フランスなの?」
……ここで私の無知をさらけ出すついでに、もうひとつ告白しなければなりません。私もマルセイユという地名は知っていましたが、それは16世紀ごろのイメージ、すなわち『大航海時代』のイメージしかなかったのです。なぜなら、そういう名前のゲームでよく目にしていたからです。
その頃の(ゲームの中の)世界はイスパニア、ポルトガル、イギリス、オスマン帝国、イタリア(ジェノヴァ王国)がメインで、それ以外の国は漠然と「〇〇地方」というくくりでカテゴライズされていましたから、割とよく寄港する割に、〇〇国というイメージが、ほとんどなかったのです。
それで、慌ててWikipediaで「マルセイユ」を検索。フランス王国→フランク王国……なんか高校時代、高校の頃、世界史の授業で聞いたような気がするな……そういえば世界史の授業って、いつも昼休み後の一発目になってて、居眠りしては先生に引っ叩かれていたな……なんて思い出がよみがえったりしたんですね。
……ううん、だいぶん酔っぱらってしまいました。Twitterだったら、もっとひどいことになったでしょう。このブログだってひどいものですが、その瞬間ごとに投稿して、いったん投稿したものが取り消せないだけ……ね。
幸いにもというか残念ながらというか、ビールもなくなってしまいまいましたし。この後どうするかは、ブログをいったん締めくくった後に決めます。とりあえず今の率直な気持ちとしては……
もしも40歳の私が1998年の、昼休み直後の授業で居眠りをしている私がいる教室にタイムスリップしたら、教室の黒板か何かで『喧嘩師の極み・壁詰め』をくらわしてやります。以上!
(動画の大体5分00秒くらいに出てきます)
明日は休みなので、今日は飲みながら書きます
高杉です(ひどいオープニング)。
まじめな話はさておいて、毎日のルーチンワークーーすなわちパソコンを開き、今日使ったお金のことを家計簿アプリにお小遣い帳レベルで書き込もうとしたときにEdgeに現れた画像。ええ、皆様もご存じの、日替わり絶景写真です。今日の景色は「マルセイユ」。フランスの美しい港湾都市です。
いつもながら、マイクロソフトさまがリコメンドしてくれる景色は、とても美しい景色です。
ところで、この時私はフト気づきました。気づいたというか、ハッとしたというか。
「ん? マルセイユって、フランスなの?」
……ここで私の無知をさらけ出すついでに、もうひとつ告白しなければなりません。私もマルセイユという地名は知っていましたが、それは16世紀ごろのイメージ、すなわち『大航海時代』のイメージしかなかったのです。なぜなら、そういう名前のゲームでよく目にしていたからです。
その頃の(ゲームの中の)世界はイスパニア、ポルトガル、イギリス、オスマン帝国、イタリア(ジェノヴァ王国)がメインで、それ以外の国は漠然と「〇〇地方」というくくりでカテゴライズされていましたから、割とよく寄港する割に、〇〇国というイメージが、ほとんどなかったのです。
それで、慌ててWikipediaで「マルセイユ」を検索。フランス王国→フランク王国……なんか高校時代、高校の頃、世界史の授業で聞いたような気がするな……そういえば世界史の授業って、いつも昼休み後の一発目になってて、居眠りしては先生に引っ叩かれていたな……なんて思い出がよみがえったりしたんですね。
……ううん、だいぶん酔っぱらってしまいました。Twitterだったら、もっとひどいことになったでしょう。このブログだってひどいものですが、その瞬間ごとに投稿して、いったん投稿したものが取り消せないだけ……ね。
幸いにもというか残念ながらというか、ビールもなくなってしまいまいましたし。この後どうするかは、ブログをいったん締めくくった後に決めます。とりあえず今の率直な気持ちとしては……
もしも40歳の私が1998年の、昼休み直後の授業で居眠りをしている私がいる教室にタイムスリップしたら、教室の黒板か何かで『喧嘩師の極み・壁詰め』をくらわしてやります。以上!
(動画の大体5分00秒くらいに出てきます)
こんにちは
今日からiPodを持ち歩くことにしました
高杉です。
今や背広を着て地下鉄に乗り通勤するという、私が憧れていた「ザ・ニッポンのサラリーマン」生活を敢行している私。本当に、これほどまでに公共交通機関が行き届いている街にこれたのは、とても素晴らしいと思います。鉄道むすめもいますしね! その話をすれば長くなりそうなので別途書きますが!
そんな通勤の時間――もっと言えば、自分が何をしていても目的地にたどり着ける「公共交通機関」というシロモノに揺られている時、何をするのか。
隣は何をする人ぞ、つって小林一茶のモノマネをするまでもなく、視界に入るのは……大概の人はスマホを触っていますね。まあそうでしょうね。あとは本を読んだり、ごく少数ですが新聞を読んだりしている人もいますね。
そんななかで私は何をするのか。スマホをいじるったって何もすることないし、本を読むほど長く揺られているわけでもない(職場の最寄り駅まで10分程度)。何より毎日研修で気持ちがつらくて、家を出る前から緊張しきりなので、そんな余裕はありません。だからカバンをもって無心に揺られていたのですが、せっかくiPod(しかもClassic)を持っているので、それをもって音楽を聴きながら通勤ルートを行くことにしました。
そうしたところ、私が趣味で作っていたプレイリストが、ちょうどいい長さだったんですよね。
それは " club 46 "というシリーズで。……46分という変な区切りにピンとくる方はレコード世代か、レンタルビデオ店でCDを借りてきて「収録時間43分って書いてるけど、まとめるためには順番変えるしかないな~」と、自分で買ってきたカセットテープを握りしめながら小首をかしげたことがある世代の人でしょう。どっちにしても、90年代以前に青春を送った人です。
そう、昔はカセットテープって、色々な長さがあったんです。10分とか30分とか60分っていうハッキリした区切りじゃなくて、46分とか54分とか74分とか80分とかって、色々あったんです。その中でも46分っていうのは、当時のLPレコードを丸ごとダビングするのにちょうどいいからそうなったっていう話で。私はすでにCD世代だったので理解できなかったのですが、そういうことらしいです。
それから時は流れて、今じゃ何十時間何百時間でも足りないくらいの音楽を持ち歩ける時代になりましたが、そのような状況にあって、あえて46分――しかもA面B面があるから(と仮定して)実質23分の枠内に収めるように大好きな曲をセレクトする。これは大変難しいことですが、あえてそれを敢行したプレイリスト。
これを要約すると、次のようになります。
「もしも……スクールアイドルがレコードしかない時代にデビューしたら?」
……さて、これでオチがついたので、あとはサッサとまとめます。
今日、何が一番言いたかったといえば、「やっぱり好きな音楽を聴けば、それで元気になれる」ということです。そして、とにかく元気になれるのなら、別に「最近の人は街を歩くときさえイヤホンで耳をふさいで、自分の世界に引きこもっている……」とかいう批判に委縮する必要はないってことです。
うるせえです。それがダメだっていうなら、別にいいです。ただ私は、より元気になるために、そうするんです。それに関しては、誰に何と言われようと、やめるつもりはありません。だって、そうじゃないと、生きていけないですから。
今日からiPodを持ち歩くことにしました
高杉です。
今や背広を着て地下鉄に乗り通勤するという、私が憧れていた「ザ・ニッポンのサラリーマン」生活を敢行している私。本当に、これほどまでに公共交通機関が行き届いている街にこれたのは、とても素晴らしいと思います。鉄道むすめもいますしね! その話をすれば長くなりそうなので別途書きますが!
そんな通勤の時間――もっと言えば、自分が何をしていても目的地にたどり着ける「公共交通機関」というシロモノに揺られている時、何をするのか。
隣は何をする人ぞ、つって小林一茶のモノマネをするまでもなく、視界に入るのは……大概の人はスマホを触っていますね。まあそうでしょうね。あとは本を読んだり、ごく少数ですが新聞を読んだりしている人もいますね。
そんななかで私は何をするのか。スマホをいじるったって何もすることないし、本を読むほど長く揺られているわけでもない(職場の最寄り駅まで10分程度)。何より毎日研修で気持ちがつらくて、家を出る前から緊張しきりなので、そんな余裕はありません。だからカバンをもって無心に揺られていたのですが、せっかくiPod(しかもClassic)を持っているので、それをもって音楽を聴きながら通勤ルートを行くことにしました。
そうしたところ、私が趣味で作っていたプレイリストが、ちょうどいい長さだったんですよね。
それは " club 46 "というシリーズで。……46分という変な区切りにピンとくる方はレコード世代か、レンタルビデオ店でCDを借りてきて「収録時間43分って書いてるけど、まとめるためには順番変えるしかないな~」と、自分で買ってきたカセットテープを握りしめながら小首をかしげたことがある世代の人でしょう。どっちにしても、90年代以前に青春を送った人です。
そう、昔はカセットテープって、色々な長さがあったんです。10分とか30分とか60分っていうハッキリした区切りじゃなくて、46分とか54分とか74分とか80分とかって、色々あったんです。その中でも46分っていうのは、当時のLPレコードを丸ごとダビングするのにちょうどいいからそうなったっていう話で。私はすでにCD世代だったので理解できなかったのですが、そういうことらしいです。
それから時は流れて、今じゃ何十時間何百時間でも足りないくらいの音楽を持ち歩ける時代になりましたが、そのような状況にあって、あえて46分――しかもA面B面があるから(と仮定して)実質23分の枠内に収めるように大好きな曲をセレクトする。これは大変難しいことですが、あえてそれを敢行したプレイリスト。
これを要約すると、次のようになります。
「もしも……スクールアイドルがレコードしかない時代にデビューしたら?」
……さて、これでオチがついたので、あとはサッサとまとめます。
今日、何が一番言いたかったといえば、「やっぱり好きな音楽を聴けば、それで元気になれる」ということです。そして、とにかく元気になれるのなら、別に「最近の人は街を歩くときさえイヤホンで耳をふさいで、自分の世界に引きこもっている……」とかいう批判に委縮する必要はないってことです。
うるせえです。それがダメだっていうなら、別にいいです。ただ私は、より元気になるために、そうするんです。それに関しては、誰に何と言われようと、やめるつもりはありません。だって、そうじゃないと、生きていけないですから。
こんばんは
今日は休みでした
高杉です。
新入社員として走り出した私。連日研修でかなり精神的に疲弊してしまいました。元々あまり要領がよくない私ですから、教えられたことを教えられたとおりにやることができず、余計に気持ちが疲れてしまっています。
その反動もあって、今日は2時間くらいシエスタをとっていました。明るいうちに眠っていたということです。連続的にというわけではなく、30分、1時間、30分って。
その間に何をしていたのかといえば、本を読んでいました。村山早紀先生の『ルリユール』です。また。ええ、また。
過去のブログを検索してみると、どうやらこれは2014年に読んだみたいですね。いったん図書館で借りて読んで、やっぱり自分の手元に置いておきたいと思って、小林秀雄の『モオツァルト・無常という事』と同時に買ったみたいなんです。
あらすじは大体知っていますが、一言一句そらんじることができる、なんていうほどのレベルではありません。だから読み返せば、また気づかなかったことや忘れていたことに向き合い、感動をおぼえることができるのです。それと知っているから、私は何度も何度もこの本を読み返すのです。
さらにいえば、本の内容は変わらなくてもそれを読む私の状況は変わっています。2年ぶりに読んだ私は40代に突入し、さらに住む場所も仕事も変わりました。そうなると、自分が感情移入する対象も変わったり、あるいはより深くなったりして、結論を言えば非常に面白かったです。もう、一気に読み通してしまいました。
児童文学としてポプラ社から刊行され、主人公は13歳の女の子。本来であれば自分のようなオッサンが読む本ではない……かもしれません。でもこの物語には私のように、かつて子供だった大人が出てきます。特に、私のように夢見がちでろくすっぽ社会的に誇れるもののないオッサンが。
でも、そんな人が子供の頃に大好きだった本(ただし壮絶にボロボロになっている)を持ち込み、それを再生してもらうことで、自分の人生をも再生するエピソードがあるんです。
もうね、まいっちゃうくらい、今の自分と重なるんです。
主人公の女の子のお姉ちゃんがヨンフォア(CB400F)に乗ってるとか、レモンバターパスタを真似して作ったら「ん!? まちがったかな……」と首をかしげるような味だったとか、そういうのも楽しいんですけどね。でも、今の私にとっては、この人の挫折と再起の物語が、とても心に染み入りました。
「こんなの見せられ(読まされ)たら、おれも、頑張らなくちゃいけないじゃねえか」
そして私は明日からの日々を、昨日までよりも少しだけ元気に、頑張りたいと思います。なんとなく、また、すぐに読み返しそうな気もしますが――この際、なりふり構わずってやつです。子供向けだろうと女性向けだろうと、自分の心が少しでも元気になって、少しでも前に進むためのエネルギーになるのなら、私はどんどん本を読んでいきたいと思います。
最後に、軽めのトリビアをひとつ。
この本の中には「伊波はるか」という名前の人物が出てきます。これは「いば」と読みます。いま「伊波」と書けば「いなみ」と読みたくなるところですが、それはスクールアイドルの人です。確かに伊波はるかもアイドルには違いありませんが、こちらは……
率直に言えば、『美空ひばり』のようなイメージです。天性の可愛さをもって歌もお芝居もできる――といえば、それはスクールアイドルの方の伊波さんにも通じますが、違うのは、ちょっと前の時代の人だということ。そして、今はもうこの世にいない人だということです。まあ私の場合美空ひばりといえば、リアルタイムで見た昭和63年の『不死鳥コンサート』のイメージが第一なのですが。歌謡アイドルというよりは超絶カリスマ大歌手というイメージなのですが。あ~あ~川の流れのよ~うに~♪
今日は休みでした
高杉です。
新入社員として走り出した私。連日研修でかなり精神的に疲弊してしまいました。元々あまり要領がよくない私ですから、教えられたことを教えられたとおりにやることができず、余計に気持ちが疲れてしまっています。
その反動もあって、今日は2時間くらいシエスタをとっていました。明るいうちに眠っていたということです。連続的にというわけではなく、30分、1時間、30分って。
その間に何をしていたのかといえば、本を読んでいました。村山早紀先生の『ルリユール』です。また。ええ、また。
過去のブログを検索してみると、どうやらこれは2014年に読んだみたいですね。いったん図書館で借りて読んで、やっぱり自分の手元に置いておきたいと思って、小林秀雄の『モオツァルト・無常という事』と同時に買ったみたいなんです。
あらすじは大体知っていますが、一言一句そらんじることができる、なんていうほどのレベルではありません。だから読み返せば、また気づかなかったことや忘れていたことに向き合い、感動をおぼえることができるのです。それと知っているから、私は何度も何度もこの本を読み返すのです。
さらにいえば、本の内容は変わらなくてもそれを読む私の状況は変わっています。2年ぶりに読んだ私は40代に突入し、さらに住む場所も仕事も変わりました。そうなると、自分が感情移入する対象も変わったり、あるいはより深くなったりして、結論を言えば非常に面白かったです。もう、一気に読み通してしまいました。
児童文学としてポプラ社から刊行され、主人公は13歳の女の子。本来であれば自分のようなオッサンが読む本ではない……かもしれません。でもこの物語には私のように、かつて子供だった大人が出てきます。特に、私のように夢見がちでろくすっぽ社会的に誇れるもののないオッサンが。
でも、そんな人が子供の頃に大好きだった本(ただし壮絶にボロボロになっている)を持ち込み、それを再生してもらうことで、自分の人生をも再生するエピソードがあるんです。
もうね、まいっちゃうくらい、今の自分と重なるんです。
主人公の女の子のお姉ちゃんがヨンフォア(CB400F)に乗ってるとか、レモンバターパスタを真似して作ったら「ん!? まちがったかな……」と首をかしげるような味だったとか、そういうのも楽しいんですけどね。でも、今の私にとっては、この人の挫折と再起の物語が、とても心に染み入りました。
「こんなの見せられ(読まされ)たら、おれも、頑張らなくちゃいけないじゃねえか」
そして私は明日からの日々を、昨日までよりも少しだけ元気に、頑張りたいと思います。なんとなく、また、すぐに読み返しそうな気もしますが――この際、なりふり構わずってやつです。子供向けだろうと女性向けだろうと、自分の心が少しでも元気になって、少しでも前に進むためのエネルギーになるのなら、私はどんどん本を読んでいきたいと思います。
最後に、軽めのトリビアをひとつ。
この本の中には「伊波はるか」という名前の人物が出てきます。これは「いば」と読みます。いま「伊波」と書けば「いなみ」と読みたくなるところですが、それはスクールアイドルの人です。確かに伊波はるかもアイドルには違いありませんが、こちらは……
率直に言えば、『美空ひばり』のようなイメージです。天性の可愛さをもって歌もお芝居もできる――といえば、それはスクールアイドルの方の伊波さんにも通じますが、違うのは、ちょっと前の時代の人だということ。そして、今はもうこの世にいない人だということです。まあ私の場合美空ひばりといえば、リアルタイムで見た昭和63年の『不死鳥コンサート』のイメージが第一なのですが。歌謡アイドルというよりは超絶カリスマ大歌手というイメージなのですが。あ~あ~川の流れのよ~うに~♪
こんにちは
書ける時に書きダメしてます
高杉です(缶酎ハイ2本飲みました)。
新しい会社に就職して頑張っている今日この頃、まあ仕事が忙しくて……というか「何とかここで仕事ができるようになって、生きていけるようにならなくちゃ」というプレッシャーに押しつぶされそうになりながら青息吐息で頑張っている今日この頃。バラエティー番組を見て笑ってみても「こんな、笑ってる場合じゃない」と変に自分を押しつぶそうとするところがあります。
ええ、ウクライナ情勢とか、そんなの関係なく。今の私は、自分で自分のことを変なプレッシャーで押しつぶそうとしていて、それに抗っている……そんな状況なんです。
なので、少しでも何かを書ける「時間」と「気持ち」があるときに、あらかじめ記事を書いて公開予約をしておこう、というのが今のブログです。最初に言っておきます。この記事は「4月4日」に「帰れマンデー」を見ながら書いています。サンドウィッチマン、イェア!(ジャン・クロード・ヴァンダム風に)
といって、あまり難しい話をするつもりはありません。強いお酒を飲んでしまったし。
ただ、「今日、仕事帰りに立ち寄ったスーパーで夕刊を買った」それだけの話です。それをTwitterで書ききれない分、好き放題書こう、と。ただただ、それだけの話です。
夕刊。……とてつもない情報化社会、夕刊どころか新聞そのものさえアイデンティティが脅かされている――わが故郷・岩手県の象徴的新聞である「岩手日報」さえ10年以上前に廃止された――2022年現在にあって、もはや発行されていることがWikipediaで特筆される代物です。
そんな夕刊が、ここ仙台市に拠点がある「河北新報」では、まだ存在する。それがとても嬉しくて、買ってしまいました。朝刊よりも大幅に安いしね(60円!)。
記事の一面は、こないだ(3月16日)の地震でずっと止まったままだった東北新幹線が、仙台と一関の間で再開したということ。そりゃあまあ、ネットニュースは言うまでもなく、今朝の「めざましテレビ」でも報道されていて、この夕刊を見て「おおっ、そうだったのか! 初めて知ったぜ!」という人は多くないとは思うのですが。
……思うのですが!
それでもやっぱり「夕刊で読む記事」というのは、いいんですよね。
それはいまだに「電子書籍ってやつは、内容が同じだとしても、どうも頭に入らない。やっぱり本は紙で印刷されたものを手に取って読みたい」というオールドタイプな人間たる私だからなのかもしれません。
あるいは、私が個人的に、
「そういえば祖父母の家には、いつも夕刊があったよなあ。昔、遊びに行くと――ろくすっぽ内容を理解できないくせに、ちょっと大人っぽい気持ちになりたくて、夕刊を広げてみたよなあ。今は火事で焼けて無くなってしまったし、祖父も幽明境を異にしてしまったけれど……ああ、懐かしいなあ」
って、ノスタルジー全開で思い出補正ギンギンだからなのかもしれません。
ま、今日は、初めて河北新報の夕刊を買った(+ふだん4~5%のアルコールを飲んでいる人が9%のアルコールを多量に摂取している)ことに免じて、思い出爆盛りの記事になってしまったことを、ご容赦頂ければ幸いです。本当、今はとても精神的に厳しい状況ですしね。きっとまた、日を改めて、同じテーマで違った記事を書けると思うので。今日はこの辺で筆をおきましょう。
さ、明日も頑張ろうっと。
書ける時に書きダメしてます
高杉です(缶酎ハイ2本飲みました)。
新しい会社に就職して頑張っている今日この頃、まあ仕事が忙しくて……というか「何とかここで仕事ができるようになって、生きていけるようにならなくちゃ」というプレッシャーに押しつぶされそうになりながら青息吐息で頑張っている今日この頃。バラエティー番組を見て笑ってみても「こんな、笑ってる場合じゃない」と変に自分を押しつぶそうとするところがあります。
ええ、ウクライナ情勢とか、そんなの関係なく。今の私は、自分で自分のことを変なプレッシャーで押しつぶそうとしていて、それに抗っている……そんな状況なんです。
なので、少しでも何かを書ける「時間」と「気持ち」があるときに、あらかじめ記事を書いて公開予約をしておこう、というのが今のブログです。最初に言っておきます。この記事は「4月4日」に「帰れマンデー」を見ながら書いています。サンドウィッチマン、イェア!(ジャン・クロード・ヴァンダム風に)
といって、あまり難しい話をするつもりはありません。強いお酒を飲んでしまったし。
ただ、「今日、仕事帰りに立ち寄ったスーパーで夕刊を買った」それだけの話です。それをTwitterで書ききれない分、好き放題書こう、と。ただただ、それだけの話です。
夕刊。……とてつもない情報化社会、夕刊どころか新聞そのものさえアイデンティティが脅かされている――わが故郷・岩手県の象徴的新聞である「岩手日報」さえ10年以上前に廃止された――2022年現在にあって、もはや発行されていることがWikipediaで特筆される代物です。
そんな夕刊が、ここ仙台市に拠点がある「河北新報」では、まだ存在する。それがとても嬉しくて、買ってしまいました。朝刊よりも大幅に安いしね(60円!)。
記事の一面は、こないだ(3月16日)の地震でずっと止まったままだった東北新幹線が、仙台と一関の間で再開したということ。そりゃあまあ、ネットニュースは言うまでもなく、今朝の「めざましテレビ」でも報道されていて、この夕刊を見て「おおっ、そうだったのか! 初めて知ったぜ!」という人は多くないとは思うのですが。
……思うのですが!
それでもやっぱり「夕刊で読む記事」というのは、いいんですよね。
それはいまだに「電子書籍ってやつは、内容が同じだとしても、どうも頭に入らない。やっぱり本は紙で印刷されたものを手に取って読みたい」というオールドタイプな人間たる私だからなのかもしれません。
あるいは、私が個人的に、
「そういえば祖父母の家には、いつも夕刊があったよなあ。昔、遊びに行くと――ろくすっぽ内容を理解できないくせに、ちょっと大人っぽい気持ちになりたくて、夕刊を広げてみたよなあ。今は火事で焼けて無くなってしまったし、祖父も幽明境を異にしてしまったけれど……ああ、懐かしいなあ」
って、ノスタルジー全開で思い出補正ギンギンだからなのかもしれません。
ま、今日は、初めて河北新報の夕刊を買った(+ふだん4~5%のアルコールを飲んでいる人が9%のアルコールを多量に摂取している)ことに免じて、思い出爆盛りの記事になってしまったことを、ご容赦頂ければ幸いです。本当、今はとても精神的に厳しい状況ですしね。きっとまた、日を改めて、同じテーマで違った記事を書けると思うので。今日はこの辺で筆をおきましょう。
さ、明日も頑張ろうっと。
こんにちは
十何回目の『アマニタ・パンセリナ』読了
高杉です(『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』も読みました)。
このブログでも、何度も何度も触れてきたキーワード『中島らも』『アマニタ・パンセリナ』あとは『リタリン』とか何とか。検索してみると、もう何度もやってるし、内容についてとか影響を受けたこととかは、今更改めて書くこともないですね。
ただ、40歳になった今だからこそ、言えることもあります。
とうとう私もこの記事を書いている時の中島らもさんと同い年になった、ということです。
20歳そこそこのガキの頃に初めて出会った中島らもさんは『すごい大人』の代表格みたいなものでした。それを目指して生きてきたのですが、本の中の中島らもさんは歳を取りませんからね。ひたすら酒と薬で気持ちを無理やり奮い立たせて、何度もつぶれそうになって、それでも何とか踏ん張って生きているうちに――私も40歳になってしまいました。
中島らもさんにとっては一番つらい時期だったようです。それは本の中にもありますが「うつ病」にやられてしまって、本当にビルから飛び降りる直前まで精神状態が悪くなってしまったためで。私もうつ病とは少し違うけれど、何度か危ういところまで行きました。
それでも生きてこれたのは、やっぱり中島らもさんがその時の自分のことを詳しく書いていたので、私も生きる方に流れることを選びました。
実はいまも、ちょっと怖いです。自分の足元がグラグラとおぼつかないような気がして。ちょっとバランスを崩すと、また落ちちゃいそうで。だからあんまり下を見ないようにして、できるだけ気持ちを高めて、頑張らなくちゃいけないと思っています。
だいぶん前に事故で亡くなってしまった中島らもさんは、もう永遠に年を取らないので、私もいつかは同い年になり、さらに踏み越えてしまうでしょう。享年52歳。それまでは何とか生きていたいなあ。
十何回目の『アマニタ・パンセリナ』読了
高杉です(『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』も読みました)。
このブログでも、何度も何度も触れてきたキーワード『中島らも』『アマニタ・パンセリナ』あとは『リタリン』とか何とか。検索してみると、もう何度もやってるし、内容についてとか影響を受けたこととかは、今更改めて書くこともないですね。
ただ、40歳になった今だからこそ、言えることもあります。
とうとう私もこの記事を書いている時の中島らもさんと同い年になった、ということです。
20歳そこそこのガキの頃に初めて出会った中島らもさんは『すごい大人』の代表格みたいなものでした。それを目指して生きてきたのですが、本の中の中島らもさんは歳を取りませんからね。ひたすら酒と薬で気持ちを無理やり奮い立たせて、何度もつぶれそうになって、それでも何とか踏ん張って生きているうちに――私も40歳になってしまいました。
中島らもさんにとっては一番つらい時期だったようです。それは本の中にもありますが「うつ病」にやられてしまって、本当にビルから飛び降りる直前まで精神状態が悪くなってしまったためで。私もうつ病とは少し違うけれど、何度か危ういところまで行きました。
それでも生きてこれたのは、やっぱり中島らもさんがその時の自分のことを詳しく書いていたので、私も生きる方に流れることを選びました。
実はいまも、ちょっと怖いです。自分の足元がグラグラとおぼつかないような気がして。ちょっとバランスを崩すと、また落ちちゃいそうで。だからあんまり下を見ないようにして、できるだけ気持ちを高めて、頑張らなくちゃいけないと思っています。
だいぶん前に事故で亡くなってしまった中島らもさんは、もう永遠に年を取らないので、私もいつかは同い年になり、さらに踏み越えてしまうでしょう。享年52歳。それまでは何とか生きていたいなあ。
こんにちは
皆様、アイロンがけ、してますか
高杉です。
私たちの生きる社会には「一般常識」というものがあります。それを知らないと後ろ指をさされ、誹謗中傷糾弾その他の集中砲火、場合によっては社会システムから抹殺される憂き目にあいます。
そうならないように義務教育課程で最低限の生活に必要なことを教わるわけですが、そのなかに「家庭科」というものがあります。洗濯の仕方、アイロンの仕方、料理の仕方など、日常生活そのものを実習を通して学ぶ科目です。
家庭科の思い出といえば中学生のころ、ミシンの授業でクラスメイトの女の子が針をセットしている時にペダルを踏み、びっくりしたその子が号泣、家庭科の先生からきつ~くお叱りを受けたことがあります。……って、そういう話じゃなくて、今日のテーマは「アイロン」。
先月まで勤めていたホテルでも、テーブルクロスにアイロンがけをする機会はありましたが、実はそれ以前は……20年以上、自分でアイロンを握ることがありませんでした。それこそ家庭科の授業以来です。
何せ仕事で使うワイシャツは制服の一部としてクリーニングに出していたし、下着類は洗って乾かしたらそのままたたんでしまうし、それ以外の衣服についても同様です。今時の少年少女あるいはそれよりも少し上の若き勇者たちであれば、私のような人間は完全に社会不適合者であると認定されるでしょうが、とにかくそうやって生きてきたんです。
ただ、今回はワイシャツも自分で洗濯して、アイロンがけをしなくちゃならない。……というわけで……。
googleで「アイロンのかけ方」と検索。スマートフォンの画面とアイロン台に広げたワイシャツを何度も見比べながら、一生懸命やりました。
その結果――まあ、当然クリーニング屋さんのように、あるいは家事の達人であるうちの母親のようにはいきませんが、ある程度ね。何とか「何もしないよりはマシじゃないかな」程度にはきれいになりました。
さらにそのあとはTシャツやトランクスなどの下着類もアイロンがけの練習。数日分をまとめて洗ったから、というのもありますが、じつに30~40分くらい、やっていました。本当、家庭科の授業並みです。
まあ下着姿なんて誰に見られるわけでもないのだから、別にアイロンがけしなくたって……とも思うのですが、やっぱりシワシワな状態よりも、少しでもピシッとしている方が気持ちがいいです。あるいは、そうやってしわが伸びる過程を見ることで、鬱々とした気持ちが若干晴れたのです。これも私の精神的なクスリになるようです。
そ~んなわけで、なんと「アイロン」というテーマで記事を一つ書き上げてしまいました。ただ、一番言いたいのは、別にアイロンがけができないからといって社会的に抹殺されることはない、ってことです。
私だって今回、たまたま必要に迫られたり自分にとってプラスになるからやり始めたのですから。人間、必要に迫られれば何でも出来るものです。できないのは、「やらなくてもいいから」であって、それで人間の価値が決まるわけではありません。そう、たとい、おうちのテレビがモノラルだったとしても!
皆様、アイロンがけ、してますか
高杉です。
私たちの生きる社会には「一般常識」というものがあります。それを知らないと後ろ指をさされ、誹謗中傷糾弾その他の集中砲火、場合によっては社会システムから抹殺される憂き目にあいます。
そうならないように義務教育課程で最低限の生活に必要なことを教わるわけですが、そのなかに「家庭科」というものがあります。洗濯の仕方、アイロンの仕方、料理の仕方など、日常生活そのものを実習を通して学ぶ科目です。
家庭科の思い出といえば中学生のころ、ミシンの授業でクラスメイトの女の子が針をセットしている時にペダルを踏み、びっくりしたその子が号泣、家庭科の先生からきつ~くお叱りを受けたことがあります。……って、そういう話じゃなくて、今日のテーマは「アイロン」。
先月まで勤めていたホテルでも、テーブルクロスにアイロンがけをする機会はありましたが、実はそれ以前は……20年以上、自分でアイロンを握ることがありませんでした。それこそ家庭科の授業以来です。
何せ仕事で使うワイシャツは制服の一部としてクリーニングに出していたし、下着類は洗って乾かしたらそのままたたんでしまうし、それ以外の衣服についても同様です。今時の少年少女あるいはそれよりも少し上の若き勇者たちであれば、私のような人間は完全に社会不適合者であると認定されるでしょうが、とにかくそうやって生きてきたんです。
ただ、今回はワイシャツも自分で洗濯して、アイロンがけをしなくちゃならない。……というわけで……。
googleで「アイロンのかけ方」と検索。スマートフォンの画面とアイロン台に広げたワイシャツを何度も見比べながら、一生懸命やりました。
その結果――まあ、当然クリーニング屋さんのように、あるいは家事の達人であるうちの母親のようにはいきませんが、ある程度ね。何とか「何もしないよりはマシじゃないかな」程度にはきれいになりました。
さらにそのあとはTシャツやトランクスなどの下着類もアイロンがけの練習。数日分をまとめて洗ったから、というのもありますが、じつに30~40分くらい、やっていました。本当、家庭科の授業並みです。
まあ下着姿なんて誰に見られるわけでもないのだから、別にアイロンがけしなくたって……とも思うのですが、やっぱりシワシワな状態よりも、少しでもピシッとしている方が気持ちがいいです。あるいは、そうやってしわが伸びる過程を見ることで、鬱々とした気持ちが若干晴れたのです。これも私の精神的なクスリになるようです。
そ~んなわけで、なんと「アイロン」というテーマで記事を一つ書き上げてしまいました。ただ、一番言いたいのは、別にアイロンがけができないからといって社会的に抹殺されることはない、ってことです。
私だって今回、たまたま必要に迫られたり自分にとってプラスになるからやり始めたのですから。人間、必要に迫られれば何でも出来るものです。できないのは、「やらなくてもいいから」であって、それで人間の価値が決まるわけではありません。そう、たとい、おうちのテレビがモノラルだったとしても!
こんにちは
『竜宮ホテル』を、また読みました
高杉です(これで3度目)。
こないだ書いた通り、新天地で戦い抜くためのパートナーとしていっしょに持ってきた本のうちの一冊です。2回目に読んだのは徳間文庫版でしたが、今回は初版、三笠書房から出版されたf-Clan文庫です。といっても、現在はそのレーベルごと廃止されていますし、徳間文庫版は書下し新作「旅の猫 風の翼」が入っていますし、続編も刊行されているので、新たに読むのであればそちらを手に入れればよろしい。文字通り、これは「その時に上野の明正堂書店で買った」という私の思い出以上の価値はありません。
3度も読み返しているので新鮮な感想などは特にありませんが、とりあえず書きます。
今の私はかつてほど、不思議なものや幻想的なものに心をときめかせることはありません。そういうのに飛び込んでいこうと思うことはありません。かといって、そういうものを一切シャットアウトしたいとも思いません。普通の人に見えない世界はまったく存在しないとは考えません。
そういうところが、読み始めた時、少しじゃまをしていたのかもしれません。主人公の女性『水守響呼(みもり・きょうこ)』に共感するような、反発するような。ある程度、自分の心をグイッと引き止めながら読み進めるような感じで最後まで読みました。
今のところ、一番大好きな村山早紀先生の本は『ルリユール』です。依然変わりなくッ!
それでもやっぱり自分にとってこの物語は重要な存在なのです。なぜかといえばそれは、今の私はこれまでの人生でいちばん水守響呼さんに重なりつつある気がするからです。だから、もっともっと『竜宮ホテル』シリーズを読み進め、心を重ね合わせなければならないと思うのです。それが私の心を、閉じかけているドアを、何とか押し開く力になると信じているからです。
少々難しいことを書いたので、最後に私が持っているf-Clan文庫について、わかったことがあるので書きます。って、単純にWikipediaにあった項目を読んだだけなのですが。
……なるほど、「女性向けライトノベル」というカテゴリの本だったのですね。そう考えると「いつもとすこし違うかな」って感じたのも納得できます。いつもの、っていうほど村山早紀先生の物語を理解しているわけではありませんが。
わずか半年で廃止されたレーベルではありましたが、ともかく10年前に上野明正堂書店で買ったこの一冊は、今でも私にとっては大切な一冊です。こないだ仙台のブックオフで続編『竜宮ホテル 魔法の夜』も買ってきたし。いったん中島らも先生の――こちらは20年前に買ってもう十数回読み返して、本屋さんでつけてもらった紙のブックカバーがボロボロになっている――「アマニタ・パンセリナ」を経て、読んでいきたいと思います。
『竜宮ホテル』を、また読みました
高杉です(これで3度目)。
こないだ書いた通り、新天地で戦い抜くためのパートナーとしていっしょに持ってきた本のうちの一冊です。2回目に読んだのは徳間文庫版でしたが、今回は初版、三笠書房から出版されたf-Clan文庫です。といっても、現在はそのレーベルごと廃止されていますし、徳間文庫版は書下し新作「旅の猫 風の翼」が入っていますし、続編も刊行されているので、新たに読むのであればそちらを手に入れればよろしい。文字通り、これは「その時に上野の明正堂書店で買った」という私の思い出以上の価値はありません。
3度も読み返しているので新鮮な感想などは特にありませんが、とりあえず書きます。
今の私はかつてほど、不思議なものや幻想的なものに心をときめかせることはありません。そういうのに飛び込んでいこうと思うことはありません。かといって、そういうものを一切シャットアウトしたいとも思いません。普通の人に見えない世界はまったく存在しないとは考えません。
そういうところが、読み始めた時、少しじゃまをしていたのかもしれません。主人公の女性『水守響呼(みもり・きょうこ)』に共感するような、反発するような。ある程度、自分の心をグイッと引き止めながら読み進めるような感じで最後まで読みました。
今のところ、一番大好きな村山早紀先生の本は『ルリユール』です。依然変わりなくッ!
それでもやっぱり自分にとってこの物語は重要な存在なのです。なぜかといえばそれは、今の私はこれまでの人生でいちばん水守響呼さんに重なりつつある気がするからです。だから、もっともっと『竜宮ホテル』シリーズを読み進め、心を重ね合わせなければならないと思うのです。それが私の心を、閉じかけているドアを、何とか押し開く力になると信じているからです。
少々難しいことを書いたので、最後に私が持っているf-Clan文庫について、わかったことがあるので書きます。って、単純にWikipediaにあった項目を読んだだけなのですが。
……なるほど、「女性向けライトノベル」というカテゴリの本だったのですね。そう考えると「いつもとすこし違うかな」って感じたのも納得できます。いつもの、っていうほど村山早紀先生の物語を理解しているわけではありませんが。
わずか半年で廃止されたレーベルではありましたが、ともかく10年前に上野明正堂書店で買ったこの一冊は、今でも私にとっては大切な一冊です。こないだ仙台のブックオフで続編『竜宮ホテル 魔法の夜』も買ってきたし。いったん中島らも先生の――こちらは20年前に買ってもう十数回読み返して、本屋さんでつけてもらった紙のブックカバーがボロボロになっている――「アマニタ・パンセリナ」を経て、読んでいきたいと思います。
おはようございます
そうか、昨日はいわゆるエイプリルフールだったんですね
高杉です。
スクールアイドル界の暗黒面を一身に背負ったようなふりをしている津島善子じゃなくてヨハネが主人公のアニメが出るとyoutubeで流れましたが、それは、そういうことか。
いや、私にとって2022年4月1日は嘘を冗談として笑える余裕が全くなかったので、残念ながらそれを楽しむことができませんでした。ただyoutubeからのおすすめ通知で一報が入り、「まーさか、そんなことありゃすめえ」と思いつつ今日に至り、すでに動画は非公開に。本当にそんなものがあったのかどうかさえ不確かな状態になりました。
ある意味、ここまで含めて善子ちゃんじゃなくてヨハネっぽい気がしますが。
かつてソーシャルゲーム『スクールアイドルフェスティバル』と『シャドウバース』がコラボレーションして特別ストーリーが展開されたことがありましたが、それはスクールアイドル界のシャドウこと善子じゃなくてヨハネが主人公でした。
大事なことなので二度書きます。善子じゃなくてヨハネがストーリーの主人公でした。
ただしそれは、いわゆる現実の世界とは違うファンタジー的な物語でした。その世界での記憶は現実の世界に戻った時にはほとんどなく、まさに幻日のヨハネ。
ところが、ブックオフのおもちゃコーナーで「こいつは何か一味違うな」と言って善子じゃなくてヨハネを好きになり、ひいてはそれが「ラブライブ!サンシャイン!!」というアニメそのものを好きになるきっかけとなった私は、そのストーリーにはまりました。ゲームの中で強力な(レアリティの高い)カードが手に入るということもあったのですが、10時間くらい続けて一気にクリアしました。
そういうこともあって、嘘でもちょっと嬉しかったです。
……なんだなんだ、今日は善子じゃなくてヨハネの話で終わっちゃった。まあ、これから長い戦いの日にちが続きますから、こんな記事があってもいいでしょう。それでは皆様も、今日が良い日でありますように。
そうか、昨日はいわゆるエイプリルフールだったんですね
高杉です。
スクールアイドル界の暗黒面を一身に背負ったようなふりをしている津島善子じゃなくてヨハネが主人公のアニメが出るとyoutubeで流れましたが、それは、そういうことか。
いや、私にとって2022年4月1日は嘘を冗談として笑える余裕が全くなかったので、残念ながらそれを楽しむことができませんでした。ただyoutubeからのおすすめ通知で一報が入り、「まーさか、そんなことありゃすめえ」と思いつつ今日に至り、すでに動画は非公開に。本当にそんなものがあったのかどうかさえ不確かな状態になりました。
ある意味、ここまで含めて善子ちゃんじゃなくてヨハネっぽい気がしますが。
かつてソーシャルゲーム『スクールアイドルフェスティバル』と『シャドウバース』がコラボレーションして特別ストーリーが展開されたことがありましたが、それはスクールアイドル界のシャドウこと善子じゃなくてヨハネが主人公でした。
大事なことなので二度書きます。善子じゃなくてヨハネがストーリーの主人公でした。
ただしそれは、いわゆる現実の世界とは違うファンタジー的な物語でした。その世界での記憶は現実の世界に戻った時にはほとんどなく、まさに幻日のヨハネ。
ところが、ブックオフのおもちゃコーナーで「こいつは何か一味違うな」と言って善子じゃなくてヨハネを好きになり、ひいてはそれが「ラブライブ!サンシャイン!!」というアニメそのものを好きになるきっかけとなった私は、そのストーリーにはまりました。ゲームの中で強力な(レアリティの高い)カードが手に入るということもあったのですが、10時間くらい続けて一気にクリアしました。
そういうこともあって、嘘でもちょっと嬉しかったです。
……なんだなんだ、今日は善子じゃなくてヨハネの話で終わっちゃった。まあ、これから長い戦いの日にちが続きますから、こんな記事があってもいいでしょう。それでは皆様も、今日が良い日でありますように。
こんばんは
無事に40歳の入社式、終わりました
高杉です。
38日あった年次休暇を全部消化する都合で4月入社にしてもらった私。朝はあまりの緊張感に耐え切れず、1か月ぶりにタバコを買って一服してから臨んだ入社式でありましたが、何とか滞りなく終了。ガチガチに緊張しながらバリバリの東北弁(盛岡弁+津軽弁のハイブリッド)で自己紹介をして、私という人間がどういうものかを知らしめたところでヨシとしましょう。
実際、同期で入った仲間というのは、私も含めて色々な人がいました。
大体同じくらいの年齢の男性(地元の人)。東京から一身上の都合で落ち延びてきた若者。こないだまで写真館で働いていた女の子。そして1か月くらいアルバイトをしていたものの実質的な新卒者の女の子。前職がホテルスタッフだった私も全然珍しくありません。ほんの少し打ち解けた雰囲気で雑談もできたので、こんな感じでうまくやっていければいいなと思った次第です。
なんだろう、こんな気持ちになったのは、たぶん大学に入った時以来じゃないかな。ええ、初めての就職は落ちこぼれの第二新卒でしたし、そのあとはいつも中途入社だったから、こういう入社式とか同期の人とドキドキを共有するとか、そういうことが一切なかったものですから。新卒で入った後輩が「同期の〇〇は、今、××支店で働いていて……」なんて話をしているのを聞くと、ちょっぴりうらやましいなって思ったものです。
覚えることは、たくさんあります。果たして、やっていけるのか。ちょっぴり不安もあります。
まあ、なにも努力しないで仕事ができるようになるとは、思っていませんが。私だって散々苦しい思いをしてきたし、そういう状況で頑張ればいい結果が出るって、経験して知ってますから。
そう。一番つらくて苦しい時こそ、一番頑張るチャンスなんです。
思えば今から8年前。最初に就職した会社を(会社都合で)退職したとき、私は宣言しました。
「これからの人生は、やってみたいことをやる」
それがどんなにムチャなことでも。……実際30過ぎのオッサンが、未経験の状態でホテルマンになるっていうのは、ちょっとした漫画みたいな話だと思います。実際ムチャが過ぎて心身の状態を悪くしましたが、まだ生きてるのでセーフでしょう。
そして今度は自分の意志で、ずっと憧れていた街に住み、生きていこうとしている。これはさらにムチャなことです。だって、「ホテルマンになる」って決めて具体的に職を探したときは、地元の岩手県内でなおかつ『寮完備』という条件で探してましたから。今回はまず職場があって、仕事が決まってから「さてどこに住もうか」と探しているわけですから。……1月に入社面接を受けた時点で4月入社としたのは、住処を探すための時間を最大限確保したかったから、というのもあるのです。
不格好でもメチャメチャでも、とにかくスタートしてしまったのです。こうなったら、もう、精いっぱいやるだけです。むしろ、思いっきりムチャをしてやろうかと思っています。
たぶん私のような人間が何とかなるためには、そのくらいやらなくちゃダメな気がしますから。
無事に40歳の入社式、終わりました
高杉です。
38日あった年次休暇を全部消化する都合で4月入社にしてもらった私。朝はあまりの緊張感に耐え切れず、1か月ぶりにタバコを買って一服してから臨んだ入社式でありましたが、何とか滞りなく終了。ガチガチに緊張しながらバリバリの東北弁(盛岡弁+津軽弁のハイブリッド)で自己紹介をして、私という人間がどういうものかを知らしめたところでヨシとしましょう。
実際、同期で入った仲間というのは、私も含めて色々な人がいました。
大体同じくらいの年齢の男性(地元の人)。東京から一身上の都合で落ち延びてきた若者。こないだまで写真館で働いていた女の子。そして1か月くらいアルバイトをしていたものの実質的な新卒者の女の子。前職がホテルスタッフだった私も全然珍しくありません。ほんの少し打ち解けた雰囲気で雑談もできたので、こんな感じでうまくやっていければいいなと思った次第です。
なんだろう、こんな気持ちになったのは、たぶん大学に入った時以来じゃないかな。ええ、初めての就職は落ちこぼれの第二新卒でしたし、そのあとはいつも中途入社だったから、こういう入社式とか同期の人とドキドキを共有するとか、そういうことが一切なかったものですから。新卒で入った後輩が「同期の〇〇は、今、××支店で働いていて……」なんて話をしているのを聞くと、ちょっぴりうらやましいなって思ったものです。
覚えることは、たくさんあります。果たして、やっていけるのか。ちょっぴり不安もあります。
まあ、なにも努力しないで仕事ができるようになるとは、思っていませんが。私だって散々苦しい思いをしてきたし、そういう状況で頑張ればいい結果が出るって、経験して知ってますから。
そう。一番つらくて苦しい時こそ、一番頑張るチャンスなんです。
思えば今から8年前。最初に就職した会社を(会社都合で)退職したとき、私は宣言しました。
「これからの人生は、やってみたいことをやる」
それがどんなにムチャなことでも。……実際30過ぎのオッサンが、未経験の状態でホテルマンになるっていうのは、ちょっとした漫画みたいな話だと思います。実際ムチャが過ぎて心身の状態を悪くしましたが、まだ生きてるのでセーフでしょう。
そして今度は自分の意志で、ずっと憧れていた街に住み、生きていこうとしている。これはさらにムチャなことです。だって、「ホテルマンになる」って決めて具体的に職を探したときは、地元の岩手県内でなおかつ『寮完備』という条件で探してましたから。今回はまず職場があって、仕事が決まってから「さてどこに住もうか」と探しているわけですから。……1月に入社面接を受けた時点で4月入社としたのは、住処を探すための時間を最大限確保したかったから、というのもあるのです。
不格好でもメチャメチャでも、とにかくスタートしてしまったのです。こうなったら、もう、精いっぱいやるだけです。むしろ、思いっきりムチャをしてやろうかと思っています。
たぶん私のような人間が何とかなるためには、そのくらいやらなくちゃダメな気がしますから。
おはようございます
明日がいよいよ初出社
高杉です。
この1か月余りの期間は、以前の会社でほとんど使わないために30日以上残っていた有給休暇をいっぺんに使っていました。いわば春休みです。……もっとも、有休を使わなくても私の職場だったホテルは3月いっぱい休業するので、仮に退職しなくても同じようなものですが。
その間に今までとこれからの自分のアレコレを考えて、本を読みなおしたりブログを書いたり、インプットとアウトプットを繰り返して自分の心を研いできた私。元々それほど上等ではない鋤ですが、誰だって自分の鋤で自分の畑を耕さなくちゃいけないんですから。って、これはユングが1935年にロンドンで行った講義『タヴィスティック・レクチュア』の際に言っていたことなのですが。
とにかく精いっぱい、この一か月、頑張ってきました。
新しい街に来て、新しい会社で働き始める。果たしてどうなるものかという心配はありますが、まあ、これからも精いっぱい頑張ります。まずは、それしかありません。うまく行かないケースなんて、あえて考えないようにします。
ある意味、今から18年前――私が大学を卒業して「新社会人」デビューした時よりも、そんな気分が高まっています。すでにその頃精神的に良くなかった私は、大学卒業後に1か月くらい空白期間を経てようやく就職したものですから、あんまりフレッシュな気持ちを体験することができなかったんですよね。
でも、今回はちょうど4月1日から入社ですから。年齢はもう40歳(今年で41歳)ですが、文字通りの新生活の始まりです。
今までは決して良いことばかりじゃなかったけれど、これからは、わかりません。何よりも、ずっと憧れていた仙台での生活をスタートすることができたんですから。これだけでも、とても楽しみですから。
遅すぎるなんてない 不可能なんてない
いつだって思い立ったらその日が始まりの Day 1
(Liella! 『Day 1』)
それにほら、年甲斐もなく若い女の子の歌にドキッとし、背中を押されることが多い私ですから。それで走り出せるなら、それに越したことはないじゃないですか。ADHDだのASDだのって言われてますけど、元気に生きていけるなら、それでいいじゃないですか。
こないだも書いたように、しばらくは落ち着かない、更新さえままならない時期が続くかもしれません。
ただ、何か新しい発見をすれば、書きたくなる気持ちは起こるものですから。たくさん、色々なことを発信していきたいなと思っております。
それでは、来月から新年度です。新入学、新社会人の皆様、一緒に頑張りましょう。そうでない人も新年度、頑張りましょう。……あと、この記事が読まれるとは思いませんが、今日付けで退職となる私の職場の皆様も、新型コロナの影響で本当に厳しい状況だと思いますが、頑張ってください。私も頑張りますから。
明日がいよいよ初出社
高杉です。
この1か月余りの期間は、以前の会社でほとんど使わないために30日以上残っていた有給休暇をいっぺんに使っていました。いわば春休みです。……もっとも、有休を使わなくても私の職場だったホテルは3月いっぱい休業するので、仮に退職しなくても同じようなものですが。
その間に今までとこれからの自分のアレコレを考えて、本を読みなおしたりブログを書いたり、インプットとアウトプットを繰り返して自分の心を研いできた私。元々それほど上等ではない鋤ですが、誰だって自分の鋤で自分の畑を耕さなくちゃいけないんですから。って、これはユングが1935年にロンドンで行った講義『タヴィスティック・レクチュア』の際に言っていたことなのですが。
とにかく精いっぱい、この一か月、頑張ってきました。
新しい街に来て、新しい会社で働き始める。果たしてどうなるものかという心配はありますが、まあ、これからも精いっぱい頑張ります。まずは、それしかありません。うまく行かないケースなんて、あえて考えないようにします。
ある意味、今から18年前――私が大学を卒業して「新社会人」デビューした時よりも、そんな気分が高まっています。すでにその頃精神的に良くなかった私は、大学卒業後に1か月くらい空白期間を経てようやく就職したものですから、あんまりフレッシュな気持ちを体験することができなかったんですよね。
でも、今回はちょうど4月1日から入社ですから。年齢はもう40歳(今年で41歳)ですが、文字通りの新生活の始まりです。
今までは決して良いことばかりじゃなかったけれど、これからは、わかりません。何よりも、ずっと憧れていた仙台での生活をスタートすることができたんですから。これだけでも、とても楽しみですから。
遅すぎるなんてない 不可能なんてない
いつだって思い立ったらその日が始まりの Day 1
(Liella! 『Day 1』)
それにほら、年甲斐もなく若い女の子の歌にドキッとし、背中を押されることが多い私ですから。それで走り出せるなら、それに越したことはないじゃないですか。ADHDだのASDだのって言われてますけど、元気に生きていけるなら、それでいいじゃないですか。
こないだも書いたように、しばらくは落ち着かない、更新さえままならない時期が続くかもしれません。
ただ、何か新しい発見をすれば、書きたくなる気持ちは起こるものですから。たくさん、色々なことを発信していきたいなと思っております。
それでは、来月から新年度です。新入学、新社会人の皆様、一緒に頑張りましょう。そうでない人も新年度、頑張りましょう。……あと、この記事が読まれるとは思いませんが、今日付けで退職となる私の職場の皆様も、新型コロナの影響で本当に厳しい状況だと思いますが、頑張ってください。私も頑張りますから。
おはようございます
直近3日間の平均歩行距離は10キロです
高杉です(今日は一日引きこもり予定)。
何だってそんなに歩きまくったのかというと、区役所をはじめとする各関係機関に住所変更の届出をしなければならないため。まあ1日目に関しては、日曜日だったので、ただただ趣味的に歩きまくっただけなのですが。
そして冷徹な事実を申し上げますと、その趣味的なお散歩のせいで私の左ひざが悲鳴を上げました。歩くだけで痛いんです。
気持ち的には、どれほどでも歩くことはできるのですが、これはいけません。気力の限界はまだ上にありますが、体力の限界は先に来てしまいました。とりあえず住民票や運転免許証、それにオンラインでできない変更の手続き等、大事なことは済ませられたし。今日は初出社の日に必要な書類を整理する日にあてましょう。天気も気温も春っぽくて、出かけたい気持ちはありますが。
それにしても、改めて思ったのは、やはり3月の最終月曜日というのは転入転出のピークなのだな、ということです。ただでさえ人口が多い仙台市ではありますが、それにしたってロビーにいる人々の量にはびっくりしてしまいました。それを処理する区役所の人たちもフル動員。そのうえで私のように右も左もわからないボンクラ田舎者に丁寧に書類の書き方や出し方を教えてくださる方もいました。まったくもって頭が下がる思いであります。
午前中から2時間くらいかけて手続きを終えて、おなかがすいたのでお昼ご飯は区役所の地下にある食堂で食べました。カツカレー450円なり。……そういえば昨日は昨日で、仙台駅前の半田屋でカレーを食べたな。こんなに毎日カレーを食べるのは、高校生の頃以来かなあ。ええ、大好きなんです。カレーとかラーメンとか、そういう食べ物が。
直近3日間の平均歩行距離は10キロです
高杉です(今日は一日引きこもり予定)。
何だってそんなに歩きまくったのかというと、区役所をはじめとする各関係機関に住所変更の届出をしなければならないため。まあ1日目に関しては、日曜日だったので、ただただ趣味的に歩きまくっただけなのですが。
そして冷徹な事実を申し上げますと、その趣味的なお散歩のせいで私の左ひざが悲鳴を上げました。歩くだけで痛いんです。
気持ち的には、どれほどでも歩くことはできるのですが、これはいけません。気力の限界はまだ上にありますが、体力の限界は先に来てしまいました。とりあえず住民票や運転免許証、それにオンラインでできない変更の手続き等、大事なことは済ませられたし。今日は初出社の日に必要な書類を整理する日にあてましょう。天気も気温も春っぽくて、出かけたい気持ちはありますが。
それにしても、改めて思ったのは、やはり3月の最終月曜日というのは転入転出のピークなのだな、ということです。ただでさえ人口が多い仙台市ではありますが、それにしたってロビーにいる人々の量にはびっくりしてしまいました。それを処理する区役所の人たちもフル動員。そのうえで私のように右も左もわからないボンクラ田舎者に丁寧に書類の書き方や出し方を教えてくださる方もいました。まったくもって頭が下がる思いであります。
午前中から2時間くらいかけて手続きを終えて、おなかがすいたのでお昼ご飯は区役所の地下にある食堂で食べました。カツカレー450円なり。……そういえば昨日は昨日で、仙台駅前の半田屋でカレーを食べたな。こんなに毎日カレーを食べるのは、高校生の頃以来かなあ。ええ、大好きなんです。カレーとかラーメンとか、そういう食べ物が。
おはようございます
久々の朝更新
高杉です。
昨日、うちの近所でこんな信号機を見ました。
一般的な歩行者信号がなかったので、車の信号を見て渡れるかどうか確認しようと思ったらコレですよ。「ああ、お前そんなところにいたのか!」とサプライズでした。
さすが仙台だ、こんな信号があるんだな――と思って、写真を撮りました。ええ田舎者だと笑いたければ笑うがいいさです。これもいずれ日常的な景色になって気にも留めなくなるんでしょうが、今日は始まりのDay1だから、ちょっとでも心が動かされたのなら写真に残しておこう。それでいいんです。
……ところが、今回この記事を書くために調べてみると、想像以上に珍しい代物であることを知りました。
検索すると『懸垂式交通信号機』あるいは『UFO信号機』の名称で呼ばれているコレは、名古屋電機工業さんが1975年に、欧州のワイヤー吊り下げ式信号機を参考に開発したものだといいます。
ちょっとさばを読んでも40年以上前の信号機ですし、名古屋電機工業さんも現在は信号機を作っていないので、老朽化→他社製LED信号機に交換の流れをたどっているUFO信号機。メーカーさんも「このままやがて忘れ去られていくのだろうと考えておりました。」と言っていましたが、2018年ごろ突然話題になったそうです。
今では動画もあり、さらにgoogle mapで設置場所がピックアップされているので、探そうと思えば簡単に探すことができます。ただ、先ほど書いたように、私はそもそも、こんなものがこの世にあることさえ知らない状況でいきなり出くわしたわけですから。まさに未知との遭遇です。
仙台駅前周辺は目が回るくらい大都会ですが、そこから地下鉄で10分くらい離れたところにある私の街は、まだ昔ながらの雰囲気が残っている素敵な街です。駅前には巨大な森林公園があるし、こういう信号機とかもあるし。こちらはもうすぐ消える運命なのでしょうが、私はこの街で長く頑張っていこう。そう思いました。
天気が良くなってきたところでもう一枚。なお懸垂式信号機に関する、名古屋電機工業さんのコメントはこちらからどうぞ。
久々の朝更新
高杉です。
昨日、うちの近所でこんな信号機を見ました。
一般的な歩行者信号がなかったので、車の信号を見て渡れるかどうか確認しようと思ったらコレですよ。「ああ、お前そんなところにいたのか!」とサプライズでした。
さすが仙台だ、こんな信号があるんだな――と思って、写真を撮りました。ええ田舎者だと笑いたければ笑うがいいさです。これもいずれ日常的な景色になって気にも留めなくなるんでしょうが、今日は始まりのDay1だから、ちょっとでも心が動かされたのなら写真に残しておこう。それでいいんです。
……ところが、今回この記事を書くために調べてみると、想像以上に珍しい代物であることを知りました。
検索すると『懸垂式交通信号機』あるいは『UFO信号機』の名称で呼ばれているコレは、名古屋電機工業さんが1975年に、欧州のワイヤー吊り下げ式信号機を参考に開発したものだといいます。
ちょっとさばを読んでも40年以上前の信号機ですし、名古屋電機工業さんも現在は信号機を作っていないので、老朽化→他社製LED信号機に交換の流れをたどっているUFO信号機。メーカーさんも「このままやがて忘れ去られていくのだろうと考えておりました。」と言っていましたが、2018年ごろ突然話題になったそうです。
今では動画もあり、さらにgoogle mapで設置場所がピックアップされているので、探そうと思えば簡単に探すことができます。ただ、先ほど書いたように、私はそもそも、こんなものがこの世にあることさえ知らない状況でいきなり出くわしたわけですから。まさに未知との遭遇です。
仙台駅前周辺は目が回るくらい大都会ですが、そこから地下鉄で10分くらい離れたところにある私の街は、まだ昔ながらの雰囲気が残っている素敵な街です。駅前には巨大な森林公園があるし、こういう信号機とかもあるし。こちらはもうすぐ消える運命なのでしょうが、私はこの街で長く頑張っていこう。そう思いました。
天気が良くなってきたところでもう一枚。なお懸垂式信号機に関する、名古屋電機工業さんのコメントはこちらからどうぞ。
こんばんは
今日はリアルタイム更新
高杉です。
昨日引っ越しの搬入作業を終えて、それと同時に次々と発覚した不具合に関して不動産屋・管理会社などに連絡をして、疲れてしまった私。とりあえず眠って起きて、今日が新天地で迎える初めての朝です。
日曜日で転入届などは出せないので、とりあえず近隣の施設を確認しようと思った私。身近なところではゴミ捨て場、ちょっと足を延ばして買い物をするスーパーなど、アレコレ歩いているうちに、気が付いたら16キロくらい歩いていました。すなわち詳しいことを色々と書く体力があまり残っていないのです。今日も結構、疲れちゃったのです。
「新しい街で、やっていけるかな」という心配をもとに歩き回り、新しい街の何もかもが刺激になって。だんだんに日常の記事を書いていけるとは思いますが、しばらくは落ち着かない、更新さえままならない時期が続くかもしれません。
ただ、何か新しい発見をすれば、書きたくなる気持ちは起こるものですから。何とか、できるだけやっていきたいと思います。どうぞ、これからもよろしくお願いします
今日はリアルタイム更新
高杉です。
昨日引っ越しの搬入作業を終えて、それと同時に次々と発覚した不具合に関して不動産屋・管理会社などに連絡をして、疲れてしまった私。とりあえず眠って起きて、今日が新天地で迎える初めての朝です。
日曜日で転入届などは出せないので、とりあえず近隣の施設を確認しようと思った私。身近なところではゴミ捨て場、ちょっと足を延ばして買い物をするスーパーなど、アレコレ歩いているうちに、気が付いたら16キロくらい歩いていました。すなわち詳しいことを色々と書く体力があまり残っていないのです。今日も結構、疲れちゃったのです。
「新しい街で、やっていけるかな」という心配をもとに歩き回り、新しい街の何もかもが刺激になって。だんだんに日常の記事を書いていけるとは思いますが、しばらくは落ち着かない、更新さえままならない時期が続くかもしれません。
ただ、何か新しい発見をすれば、書きたくなる気持ちは起こるものですから。何とか、できるだけやっていきたいと思います。どうぞ、これからもよろしくお願いします
こんにちは
ついに、この日がやってきました
高杉です(記事は25日に書いています)。
実家を離れて一人暮らしするのも、生まれ育った岩手県の外で仕事をするのも初めてではないのですが、今回については、ちょっと気持ちが違います。戸籍も何もかも仙台に移すので、感覚的には、故郷を捨てて新天地に行きます、みたいなところがあります。
そういうわけで一冊、本を買おうと思ったのです。何が読みたいというわけではなく、「この日に盛岡で買った本」という記憶を定着させるために。
こういうの、何回か、やってるんですよね。メモリアルな時に本を買うって。
最初は1998年、鳥取県米子市に行った時のことでした。帰りの電車が来るまでのわずかな自由時間で商店街の古本屋に行き、本棚の上の方にあった筑摩書房のルイス・キャロル詩集です。
次は――いつ買ったかは忘れましたが、村山早紀先生の『竜宮ホテル』。これはブックカバーもあるので確実ですが、上野の明正堂書店で買ったものです。のちにサブタイトルがついた徳間文庫版を買ってしまったのですが、ちょっとすさんだ生活を送っているうちに続編がいくつか出ていたのですね。今回はうちにあるものを持っていきますが、もう一度読んで、さらに続きを買おうと思います。
あとは、広島に旅行に行った時は駅で『AQUA』の1巻を買いました。天野こずえ先生の『ARIA』の前作に当たるものですね。これほど心が清らかで穏やかになる漫画は読んだことがありません。本当に大好きな作品です。
そんな私が生まれ育った岩手県を離れるにあたって買ったのは、やはり村山早紀先生の人気シリーズ『コンビニたそがれ堂』シリーズの最新作です。
どんなに心がすさんでも、不安になってもつらくても、風早の街に来ると元気になれるんです。そして、かつてはちゃんと向き合えなかった物語についても、時間が経った今なら和解できるような気がしてきました。2013年は130冊くらい読みましたが、それに近づければいいなあ。
おまけ

本日うかがった東山堂三ツ割店にあったクレーンゲームです。元々ゲームソフトを売っていた場所が、ちょっとしたプライズゲームのコーナーになっていたのですが…なんとスクールアイドル界のレジェンド「μ's」のぬいぐるみがありました!
しかもアームの力も、ちゃんとつかんで持ち上げられるレベルの強さ! 一般の人でも少し頑張ればなんとかなる、とても良心的な設定です。いや本来クレーンゲームって、こういうもんですよね。
というわけで最後の盛岡みやげとして、本と一緒に高坂穂乃果・小泉花陽両名のぬいぐるみを獲得。最高の思い出と景品を獲得することができたとさ。どんとはれ。
ついに、この日がやってきました
高杉です(記事は25日に書いています)。
実家を離れて一人暮らしするのも、生まれ育った岩手県の外で仕事をするのも初めてではないのですが、今回については、ちょっと気持ちが違います。戸籍も何もかも仙台に移すので、感覚的には、故郷を捨てて新天地に行きます、みたいなところがあります。
そういうわけで一冊、本を買おうと思ったのです。何が読みたいというわけではなく、「この日に盛岡で買った本」という記憶を定着させるために。
こういうの、何回か、やってるんですよね。メモリアルな時に本を買うって。
最初は1998年、鳥取県米子市に行った時のことでした。帰りの電車が来るまでのわずかな自由時間で商店街の古本屋に行き、本棚の上の方にあった筑摩書房のルイス・キャロル詩集です。
次は――いつ買ったかは忘れましたが、村山早紀先生の『竜宮ホテル』。これはブックカバーもあるので確実ですが、上野の明正堂書店で買ったものです。のちにサブタイトルがついた徳間文庫版を買ってしまったのですが、ちょっとすさんだ生活を送っているうちに続編がいくつか出ていたのですね。今回はうちにあるものを持っていきますが、もう一度読んで、さらに続きを買おうと思います。
あとは、広島に旅行に行った時は駅で『AQUA』の1巻を買いました。天野こずえ先生の『ARIA』の前作に当たるものですね。これほど心が清らかで穏やかになる漫画は読んだことがありません。本当に大好きな作品です。
そんな私が生まれ育った岩手県を離れるにあたって買ったのは、やはり村山早紀先生の人気シリーズ『コンビニたそがれ堂』シリーズの最新作です。
どんなに心がすさんでも、不安になってもつらくても、風早の街に来ると元気になれるんです。そして、かつてはちゃんと向き合えなかった物語についても、時間が経った今なら和解できるような気がしてきました。2013年は130冊くらい読みましたが、それに近づければいいなあ。
おまけ
本日うかがった東山堂三ツ割店にあったクレーンゲームです。元々ゲームソフトを売っていた場所が、ちょっとしたプライズゲームのコーナーになっていたのですが…なんとスクールアイドル界のレジェンド「μ's」のぬいぐるみがありました!
しかもアームの力も、ちゃんとつかんで持ち上げられるレベルの強さ! 一般の人でも少し頑張ればなんとかなる、とても良心的な設定です。いや本来クレーンゲームって、こういうもんですよね。
というわけで最後の盛岡みやげとして、本と一緒に高坂穂乃果・小泉花陽両名のぬいぐるみを獲得。最高の思い出と景品を獲得することができたとさ。どんとはれ。
こんにちは
山登りごっこ、冒険ごっこをしてきました
高杉です。
以前ツーリングマップルを開いてオートバイ旅をしていた時に、
「夏梨子山」
という場所があるのを見ました。
(百田)夏菜子ではありません。夏梨子です。じゃあこっちでしょうか。いえ違います。これは「なつなしやま」と読みます。「りこ」じゃなくて「なし」なんです。
そのうえで、こんな写真を撮ってきました。
スクールアイドルが夏梨子山をジャックして「梨子山」にしてしまった、というテイです。まあスクールアイドル界随一の引っ込み思案で地味でおとなしくて目立たなくてだがそれがいい梨子ちゃんは絶対にそんなことしないと思いますが。
そして、一応こういう写真を撮りたくて登った、という名分がありますが、実際に得たものはそれ以上でした。
まず、きちんと頂上まで整備された道がある山しか上ったことがなかったので、「どこが頂上なのか」を探す体験を初めてしました。このように山の名前が書かれたプレートがあることは、事前に情報として知っていたので、それを探していたのですが……極度の方向音痴たる私には、どうもそれがよくわからない。道なき道を切り開いて分け入って、東も西もわからない状態に。そんな私が目的を果たし、そして無事に下山することができたのは、google mapのおかげでした。
目的地のピンめがけて歩くのは当然ですが、周囲の建物ではなくコンパスを見て自分の方向を知り、歩いていく。
たぶん私の方向音痴の原因は、ここにあったんじゃないかなと思いました。自分の中のコンパスを使わずに、建物とか看板とか、目に見える情報をもとに生きてきたから、いつも混乱して、間違っちゃったんです。きっと。
「来るとき、こんな景色の場所、歩いてきたっけ」「〇〇が見えるから、あっちに向かって歩けばいいんじゃないの」
そんな風に、いつもの自動思考システムが私の行動を決めようとします。直感で動いて失敗したから、ちゃんと考えて行動しなくちゃ。それが私の基本理念らしいのですが、どこを見渡しても同じような景色の中で、本当にそういう景色があったのかどうかさえ怪しいです。
そこで帰り道は、先ほどコンパスを見て落とし込んだ自分の方向感覚を信じ、まとわりついてくる思考をたたきつけてねじ伏せて歩き続けました。そのおかげで今、自宅でこの記事を書くことができています。
これがいわゆる「勘が働く」という状態なのかもしれません。理で行動を決めることも大事ですが、最後はやはり直感で動くのがいいようです。そして、それはサバイバルとは言わないまでも、自分の意識を自然に近づける必要があるのかもしれません。そうすれば寝覚めもいいですからね。
山登りごっこ、冒険ごっこをしてきました
高杉です。
以前ツーリングマップルを開いてオートバイ旅をしていた時に、
「夏梨子山」
という場所があるのを見ました。
(百田)夏菜子ではありません。夏梨子です。じゃあこっちでしょうか。いえ違います。これは「なつなしやま」と読みます。「りこ」じゃなくて「なし」なんです。
そのうえで、こんな写真を撮ってきました。
スクールアイドルが夏梨子山をジャックして「梨子山」にしてしまった、というテイです。まあスクールアイドル界随一の引っ込み思案で地味でおとなしくて目立たなくてだがそれがいい梨子ちゃんは絶対にそんなことしないと思いますが。
そして、一応こういう写真を撮りたくて登った、という名分がありますが、実際に得たものはそれ以上でした。
まず、きちんと頂上まで整備された道がある山しか上ったことがなかったので、「どこが頂上なのか」を探す体験を初めてしました。このように山の名前が書かれたプレートがあることは、事前に情報として知っていたので、それを探していたのですが……極度の方向音痴たる私には、どうもそれがよくわからない。道なき道を切り開いて分け入って、東も西もわからない状態に。そんな私が目的を果たし、そして無事に下山することができたのは、google mapのおかげでした。
目的地のピンめがけて歩くのは当然ですが、周囲の建物ではなくコンパスを見て自分の方向を知り、歩いていく。
たぶん私の方向音痴の原因は、ここにあったんじゃないかなと思いました。自分の中のコンパスを使わずに、建物とか看板とか、目に見える情報をもとに生きてきたから、いつも混乱して、間違っちゃったんです。きっと。
「来るとき、こんな景色の場所、歩いてきたっけ」「〇〇が見えるから、あっちに向かって歩けばいいんじゃないの」
そんな風に、いつもの自動思考システムが私の行動を決めようとします。直感で動いて失敗したから、ちゃんと考えて行動しなくちゃ。それが私の基本理念らしいのですが、どこを見渡しても同じような景色の中で、本当にそういう景色があったのかどうかさえ怪しいです。
そこで帰り道は、先ほどコンパスを見て落とし込んだ自分の方向感覚を信じ、まとわりついてくる思考をたたきつけてねじ伏せて歩き続けました。そのおかげで今、自宅でこの記事を書くことができています。
これがいわゆる「勘が働く」という状態なのかもしれません。理で行動を決めることも大事ですが、最後はやはり直感で動くのがいいようです。そして、それはサバイバルとは言わないまでも、自分の意識を自然に近づける必要があるのかもしれません。そうすれば寝覚めもいいですからね。
こんにちは
今日は2018年4月の陸前高田市の写真です
高杉です。
まず、こちらの写真ですが、これは『仮設商店街』の入り口ですね。プレハブで建てた飲食店や書店など、いくつかのお店が再起を目指して頑張っていました。この中の『鶴亀鮨』さんは、何度かテレビ番組に出たりして、私的にはとても興味のあるお店でした。私が行った時は営業していなかったのですが。
なお、このころすでに一部の店舗は「今度、新しい場所で営業することが決まったので、ここは閉店します」という看板が張り出されていました。そしてこの年の9月30日をもって解散、それぞれ新たな場所で新たなスタートを切ったのでした。
これは私が来る1年前(2017年)にオープンした商業施設『アバッセたかた』です。先ほどの仮設商店街でやっていた本屋さんもこの建物に入りました。そのほかにも図書館とか何とかといった、まさに新しい陸前高田市の商業の中心となる場所です。2021年に行った際は、周辺を含めてさらににぎやかになっていて驚きました。陸前高田も、やはり復興が着実に進んでいるという感じがしました。
これは今の、新しい方の道の駅がある付近に当時建てられていた仮設カフェです。なんとなく撮影したのですが、去年行ったら周辺を含めて丸ごと変わっていたので、「昔はこんなのがあったんですよ」というのを紹介するために、写真を掲載します。
震災から7年が経ち、ようやく新しい街ができてきた感じはしましたが、このあたりに来ると、やはりまだまだ復興は道半ばという感じでした。しかし、去年ひさしぶりに行ってみると、色々なものがきれいになっていて、「ここまで来たか」と驚き、そして感激しました。
盛岡に住まう私にとって、沿岸の中でも一番南にある陸前高田市というのは、なかなか気軽に来ることができません。だからこそ、時々来た時の体験はすごく鮮烈で、すごく思い入れが強くなるのです。
3回目は、かねてよりの夢だった、オートバイでの来訪を果たすことができました。その時の写真はまた改めて。
今日は2018年4月の陸前高田市の写真です
高杉です。
まず、こちらの写真ですが、これは『仮設商店街』の入り口ですね。プレハブで建てた飲食店や書店など、いくつかのお店が再起を目指して頑張っていました。この中の『鶴亀鮨』さんは、何度かテレビ番組に出たりして、私的にはとても興味のあるお店でした。私が行った時は営業していなかったのですが。
なお、このころすでに一部の店舗は「今度、新しい場所で営業することが決まったので、ここは閉店します」という看板が張り出されていました。そしてこの年の9月30日をもって解散、それぞれ新たな場所で新たなスタートを切ったのでした。
これは私が来る1年前(2017年)にオープンした商業施設『アバッセたかた』です。先ほどの仮設商店街でやっていた本屋さんもこの建物に入りました。そのほかにも図書館とか何とかといった、まさに新しい陸前高田市の商業の中心となる場所です。2021年に行った際は、周辺を含めてさらににぎやかになっていて驚きました。陸前高田も、やはり復興が着実に進んでいるという感じがしました。
これは今の、新しい方の道の駅がある付近に当時建てられていた仮設カフェです。なんとなく撮影したのですが、去年行ったら周辺を含めて丸ごと変わっていたので、「昔はこんなのがあったんですよ」というのを紹介するために、写真を掲載します。
震災から7年が経ち、ようやく新しい街ができてきた感じはしましたが、このあたりに来ると、やはりまだまだ復興は道半ばという感じでした。しかし、去年ひさしぶりに行ってみると、色々なものがきれいになっていて、「ここまで来たか」と驚き、そして感激しました。
盛岡に住まう私にとって、沿岸の中でも一番南にある陸前高田市というのは、なかなか気軽に来ることができません。だからこそ、時々来た時の体験はすごく鮮烈で、すごく思い入れが強くなるのです。
3回目は、かねてよりの夢だった、オートバイでの来訪を果たすことができました。その時の写真はまた改めて。
こんにちは
今日は陸前高田市編
高杉です。
震災後に『奇跡の一本松』というのが有名になりました。もともと高田松原というのは、その名の通り7万本の松が2kmにわたって並ぶ名所でありましたが、それがほとんどすべて流されてしまったんですね。それでも耐えて残ったのが、それでして。
私が初めてやってきたのは2016年4月のこと。このころは復興工事の真っ最中であって、大量の土砂を運ぶベルトコンベアがありました。これはかさ上げ用の土砂を効率よく運搬するために設置されたもので、公募で『希望のかけ橋』の愛称がつけられました。今はその役目を終えて存在しませんが、まさに復興の象徴としてフル稼働していました。

その頃の工事現場に飾られていたものです。地元の高校生の諸君が思いを込めて描いたイラストは、今も私の心に残っています。もっと言えば、私生活の中でつらいとか苦しいとか生きるのが嫌になった時とかに、「幸せって未来を信じて生きること」という言葉に助けられました。それが果たして何度あったことか。
そして、これが旧・道の駅陸前高田『タピック45』です。このころは結構近くまで歩いていくことができました。そして、壊されて遺された建物の内部を(この規制線の向こう側から)覗き込んで、津波の威力の恐ろしさを想像したのでした。
現在はこのあたりもすっかり整備されたので景色がだいぶん変わりましたが、国道45号線を挟んだ反対側には、ちょっとした休憩所(トイレとかおみやげ屋とか)があり、さらにその一角にはこんな看板がありました。これは何かの漫画のキャラクタなんでしょうか。私もなかなかの幕末好きではありますが、この坂本龍馬はトップクラスのイケメンですね。
第二回は、この2年後、2018年に来た時の写真を掲載します。
今日は陸前高田市編
高杉です。
震災後に『奇跡の一本松』というのが有名になりました。もともと高田松原というのは、その名の通り7万本の松が2kmにわたって並ぶ名所でありましたが、それがほとんどすべて流されてしまったんですね。それでも耐えて残ったのが、それでして。
私が初めてやってきたのは2016年4月のこと。このころは復興工事の真っ最中であって、大量の土砂を運ぶベルトコンベアがありました。これはかさ上げ用の土砂を効率よく運搬するために設置されたもので、公募で『希望のかけ橋』の愛称がつけられました。今はその役目を終えて存在しませんが、まさに復興の象徴としてフル稼働していました。
その頃の工事現場に飾られていたものです。地元の高校生の諸君が思いを込めて描いたイラストは、今も私の心に残っています。もっと言えば、私生活の中でつらいとか苦しいとか生きるのが嫌になった時とかに、「幸せって未来を信じて生きること」という言葉に助けられました。それが果たして何度あったことか。
そして、これが旧・道の駅陸前高田『タピック45』です。このころは結構近くまで歩いていくことができました。そして、壊されて遺された建物の内部を(この規制線の向こう側から)覗き込んで、津波の威力の恐ろしさを想像したのでした。
現在はこのあたりもすっかり整備されたので景色がだいぶん変わりましたが、国道45号線を挟んだ反対側には、ちょっとした休憩所(トイレとかおみやげ屋とか)があり、さらにその一角にはこんな看板がありました。これは何かの漫画のキャラクタなんでしょうか。私もなかなかの幕末好きではありますが、この坂本龍馬はトップクラスのイケメンですね。
第二回は、この2年後、2018年に来た時の写真を掲載します。
今年で東日本大震災から11年が過ぎました。
実際に被災地に行ったのは2012年(久慈市)でしたが、デジタルな形で写真が残っているのは2016年4月。たぶんこのころスマートフォンを買って、気になった景色を気軽にビシバシ撮影できるようになったからでしょうね。さらにgoogle photoに、いつの間にかバックアップが保存されていたから。時間とか場所とかで検索すると(ある程度)まとめてくれるから、こうして何年も経った今、記事を書くことができるわけですね。
写真がたくさんあるので、何回かに分けて書きます。第一回は「大槌町」。
2016年4月17日、震災後初めて大槌町に行った時の写真です。これは中心地から少し離れたところにある、浪板海岸のあたりですね。ちょうどこの数日後に『大槌アムウェイハウス』がオープンするということでしたが、それと知らずに最初の写真を撮影した私。ここからもう少し行ったところにあるのが市街地中心部です。
津波で市街地はめちゃめちゃに壊され、町長さんをはじめ多くの人が犠牲になったというのは、映像で知っていましたが、いざ行ってみて本当にショックを受けました。ガソリンスタンドや商店など、ポツリポツリと建物があったものの、ほとんどは「建物があった場所」ばかりで、がれきを片付けるとこんな風になっちゃったんだなと思いました。
これは、今はもう解体されましたが、旧大槌町役場です。手前にある小さな新しいあずまやは祈りをささげるために作られた場所です。
これは2018年に撮影したものです。このころ行政としては建物を解体する方向で動いていましたが、震災遺構として残すようにという住民の意見もある……とか、そういう時期であったと思います。一方で街中は徐々に家や道路が建ち始め、少し歩いただけでも「復興は進んでいるな」と感じられるような、そんな気がしました。とにかく目に見えるところ、ハード面では、ね。
そして10年目の3月11日。このころにはすっかり「新・大槌町」ができあがっていて、「とにかく10年経ったんだな」ということを実感しました。この時は日帰り前提で、しかもオートバイで来ていて、とにかく日のあるうちに帰らなくちゃいけない(夜の山道は凍結する恐れがあったから)ので、旧大槌町役場がどうなったのかは見てきませんでしたが……ともかく大槌町、確実に復興は進んでいます。
もちろん、「どのくらい復興したか」という尺度は人それぞれです。なかなか前に進んでいる実感が持てなくて、穏やかでない心の人もいらっしゃると思います。でも私は、これからも沿岸の街の人たちへの思いを忘れることはありません。これからはなかなか実際に行くことはできないと思いますが、ともに生きていきたいと思っています。
実際に被災地に行ったのは2012年(久慈市)でしたが、デジタルな形で写真が残っているのは2016年4月。たぶんこのころスマートフォンを買って、気になった景色を気軽にビシバシ撮影できるようになったからでしょうね。さらにgoogle photoに、いつの間にかバックアップが保存されていたから。時間とか場所とかで検索すると(ある程度)まとめてくれるから、こうして何年も経った今、記事を書くことができるわけですね。
写真がたくさんあるので、何回かに分けて書きます。第一回は「大槌町」。
2016年4月17日、震災後初めて大槌町に行った時の写真です。これは中心地から少し離れたところにある、浪板海岸のあたりですね。ちょうどこの数日後に『大槌アムウェイハウス』がオープンするということでしたが、それと知らずに最初の写真を撮影した私。ここからもう少し行ったところにあるのが市街地中心部です。
津波で市街地はめちゃめちゃに壊され、町長さんをはじめ多くの人が犠牲になったというのは、映像で知っていましたが、いざ行ってみて本当にショックを受けました。ガソリンスタンドや商店など、ポツリポツリと建物があったものの、ほとんどは「建物があった場所」ばかりで、がれきを片付けるとこんな風になっちゃったんだなと思いました。
これは、今はもう解体されましたが、旧大槌町役場です。手前にある小さな新しいあずまやは祈りをささげるために作られた場所です。
これは2018年に撮影したものです。このころ行政としては建物を解体する方向で動いていましたが、震災遺構として残すようにという住民の意見もある……とか、そういう時期であったと思います。一方で街中は徐々に家や道路が建ち始め、少し歩いただけでも「復興は進んでいるな」と感じられるような、そんな気がしました。とにかく目に見えるところ、ハード面では、ね。
そして10年目の3月11日。このころにはすっかり「新・大槌町」ができあがっていて、「とにかく10年経ったんだな」ということを実感しました。この時は日帰り前提で、しかもオートバイで来ていて、とにかく日のあるうちに帰らなくちゃいけない(夜の山道は凍結する恐れがあったから)ので、旧大槌町役場がどうなったのかは見てきませんでしたが……ともかく大槌町、確実に復興は進んでいます。
もちろん、「どのくらい復興したか」という尺度は人それぞれです。なかなか前に進んでいる実感が持てなくて、穏やかでない心の人もいらっしゃると思います。でも私は、これからも沿岸の街の人たちへの思いを忘れることはありません。これからはなかなか実際に行くことはできないと思いますが、ともに生きていきたいと思っています。
こんにちは
なんか新しい競走馬の名前みたいなタイトルですね
高杉です(スペシャルウイークってのはいますよね確か)。
とうとう、あと1週間となりました。来週のニチアサは仙台宮城で見ることになるでしょう。
ここ1か月は、人生でも初めてかもしれない30日余りの有給休暇デイズ。かなり色々なものを整理しました。物理的にも、あと、心理的にも。
すでに何度か書いてきたように、今月はユングの本を再読していた私。『自我と無意識の関係』『無意識の心理』『分析心理学』さらに河合隼雄先生の『ユング心理学入門』と、2週間くらいかけて何とか読破した私。最後の方はとにかく「読み終えた」という実績を作るためにページを最後までめくるだけの作業になっていた気がしますが、それでもポツポツと心に残る言葉がありました。
まあ、何度も読めばいいんです。もとより私のようなバカが1度や2度サラッと読んで理解できるほど、ユング心理学は易しいものではありません。実際のところ3回5回読んだところで、あとどれくらい理解できるかもわかりませんが、やっぱり私はユングがいいような気がするんです。
だって、少し前にブームになって、漫画入りでよほどわかりやすいアドラー心理学の本を読んでもピンとこなかったのですから。それに対して、難しくて理解できないところを読み飛ばしながらも腑に落ちるところがたくさんあったから、これでいいんです。
そのうえで、何度でも言います。
私は、まともに生きるの、やめます。
これまで自分なりに友愛とか平穏とか正義とか常識とか、そういうものを願って求めて頑張って生きてきましたが、結局、一番身近な人さえ変えられなくて。
だから私も、好きに生きます。これが正しいとかこうするべきとか、誰かが言うことを聞いてその通りにするの、全部やめます。
私も自分が気持ちよくなれるような生き方をします。
そのための最後の準備、ラストワンウイーク。精いっぱい生きていきます。
なんか新しい競走馬の名前みたいなタイトルですね
高杉です(スペシャルウイークってのはいますよね確か)。
とうとう、あと1週間となりました。来週のニチアサは仙台宮城で見ることになるでしょう。
ここ1か月は、人生でも初めてかもしれない30日余りの有給休暇デイズ。かなり色々なものを整理しました。物理的にも、あと、心理的にも。
すでに何度か書いてきたように、今月はユングの本を再読していた私。『自我と無意識の関係』『無意識の心理』『分析心理学』さらに河合隼雄先生の『ユング心理学入門』と、2週間くらいかけて何とか読破した私。最後の方はとにかく「読み終えた」という実績を作るためにページを最後までめくるだけの作業になっていた気がしますが、それでもポツポツと心に残る言葉がありました。
まあ、何度も読めばいいんです。もとより私のようなバカが1度や2度サラッと読んで理解できるほど、ユング心理学は易しいものではありません。実際のところ3回5回読んだところで、あとどれくらい理解できるかもわかりませんが、やっぱり私はユングがいいような気がするんです。
だって、少し前にブームになって、漫画入りでよほどわかりやすいアドラー心理学の本を読んでもピンとこなかったのですから。それに対して、難しくて理解できないところを読み飛ばしながらも腑に落ちるところがたくさんあったから、これでいいんです。
そのうえで、何度でも言います。
私は、まともに生きるの、やめます。
これまで自分なりに友愛とか平穏とか正義とか常識とか、そういうものを願って求めて頑張って生きてきましたが、結局、一番身近な人さえ変えられなくて。
だから私も、好きに生きます。これが正しいとかこうするべきとか、誰かが言うことを聞いてその通りにするの、全部やめます。
私も自分が気持ちよくなれるような生き方をします。
そのための最後の準備、ラストワンウイーク。精いっぱい生きていきます。
こんにちは
少々厳しい自然の流れのなかから
高杉です。
去る3月16日に発生した地震には、久々に怖い思いをしました。3月のこの時期ということもあって、やはり思い出すところがあります。18日にも、ほぼ同じくらいの時間帯にまた大きな地震が来ましたし。
また、今日は寒気の影響で、完全に真冬モード。激しい吹雪で道路も駐車中の私の車も真っ白に染まり、気温も上がらず、まさに「春の坂道」はまだまだ道半ばという感じがします。これは山岡荘八先生が書かれた、柳生宗矩(と、その息子『十兵衛』三厳)を主人公にすえた小説のタイトルです。私も以前読みました。少々読みづらいですが、これがその時の記事です。
※ ここからは2013年に書いてHPでも公開している記事ですが、最近ちゃんと表示されないので、改めてこちらのブログで掲載させていただきます。
少々厳しい自然の流れのなかから
高杉です。
去る3月16日に発生した地震には、久々に怖い思いをしました。3月のこの時期ということもあって、やはり思い出すところがあります。18日にも、ほぼ同じくらいの時間帯にまた大きな地震が来ましたし。
また、今日は寒気の影響で、完全に真冬モード。激しい吹雪で道路も駐車中の私の車も真っ白に染まり、気温も上がらず、まさに「春の坂道」はまだまだ道半ばという感じがします。これは山岡荘八先生が書かれた、柳生宗矩(と、その息子『十兵衛』三厳)を主人公にすえた小説のタイトルです。私も以前読みました。少々読みづらいですが、これがその時の記事です。
※ ここからは2013年に書いてHPでも公開している記事ですが、最近ちゃんと表示されないので、改めてこちらのブログで掲載させていただきます。
これまで柳生宗矩という人には、あまり関心がありませんでした。
一応、柳生新陰流という言葉は知っていました。ただ、その流派を使う剣客と言えば『サムライスピリッツ』などでもおなじみの『柳生十兵衛』でした。
また、「最強の剣客は誰か」という、古の時代から何度も何十度も何百度も繰り返されてきた問の中でも、候補として挙げられるのは開祖の柳生宗厳(のち石舟斎)。その間に挟まれたムネリンは、「剣術家じゃなくて政治家」として、なんだか随分と低い扱いを受けていたような印象です(特に『影武者徳川家康』では、悪の参謀みたいな感じだった)。
でも、宗矩が作り上げた「活人剣」という思想には、大変に興味がありました。本来剣術とは相手を斬り殺すための技術なのに、それを持って「人を活かす」とは、どういうことだ? と思い、色々とそれらしい本を読んだりしました。
そんな中、山岡荘八先生の大名作(クオリティ的にも分量的にも)『徳川家康』を読み終え、その平和思想に基本理念レベルから影響を受けた私。その考え方から行くと『活人剣』とは、やたらと殺し合いをすることのない平和な社会を作りつつ、武士の心である剣術を残していくための、すごく優れた思想に見えてきたんですね。
というわけで、そんな山岡先生の書いた『柳生宗矩――春の坂道』を読んだのでした。
ヤングライオン柳生宗矩
物語は宗矩24歳の時、近所に来ていた家康公に召し抱えられるところから始まります。正確には、無刀取りの秘技を見た家康公が宗矩の父である石舟斎を召抱えようとした時、「自分はもう年寄りだから、若い者を連れて行ってください」と言って召し抱えられたんですけどね。
この頃の宗矩は先程も書いたように、まだ24歳。剣術レベルだけで言えばほぼ最強レベルですが、宮本武蔵と違ってモテモテです。いや武蔵もお通さんからずっと慕われていたわけですが、この男は自分から積極的に女性に手を出していたようです。なにせ武者修行といってプイッと放浪している間も、実家に何人もの女性が訪れるものですからたまりません。柳生と言うよりも橘右京みたいな感じです。
そうかと思えば、先祖の墓前で父親の石舟斎から腕試しを仕掛けられ、隙があれば容赦なく打ち殺すと言われた時には「な、なんと、そのように酷薄な・・・」と本気で狼狽。ちょっと微笑ましいというか、人間くさいところがあるのです。
まあ、だからこそ家康公のもとに行って色々なことを学べという親心だったんですよね。決して自分の出世のためとか、柳生家の繁栄のためとか、そういうことではないんです。石舟斎が編み出した「無刀取り」の意義と、家康公が創りだそうとしている世界のイメージが重なったから、それを成し遂げるために若き宗矩を遣わした。そういうことなんです。
「糞坊主!」「どうした棒振り」
一応、すでに「徳川家康」を読んでいるので、この時代にどういう事件が起こったか? というのはもちろんわかります。具体的には「殺生関白」の汚名を着せられた秀次が自害し、一族郎党残らず惨殺されるあたりなんですが、この非常事態にあって家康公は江戸に帰ってしまいます。
罪もない女子供が惨殺されるのを止められる立場にありながら、素知らぬ顔をして帰ってしまった家康公。なんて非人情な奴なんだ! と若き宗矩は激怒します。
そこに通りかかった? のが、普段から『クソ坊主』『大和の棒振り』と、気安いんだかバカにしてるんだかわからないようなあだ名で呼びあう僧侶・沢庵和尚です。
吉川英治先生の『宮本武蔵』でも手の付けられないあらくれ野郎だった10代の頃の武蔵をやり込めて更生させるなど、その傑物ぶりは有名ですが、本作ではその傑物ぶりにターボがかかって、怪物・怪僧といった言葉が似合う感じです。
何せこの坊主、生魚をムシャムシャ食べておいて、
「―なに魚……これが魚というものかよ。おれはまた、これは海の野菜じゃと思うていたに」
などとすっとぼけて宗矩を呆れさせるものですから、たまりません。
そんな十人前の胆力を持った坊さんだけに、怒りゲージMAXの宗矩に「生臭坊主!」と激しい剣突を食らわされても、涼しい顔でその怒りを諫めます。
この展開は、こういってはアレなんですが、吉川武蔵とよく似た展開です。ただ、武蔵はほとんどの場合、自分自身の経験に基づいて成長していくのに対し、宗矩は家康公という不世出の英雄を師匠として成長していく違いはありますが。
ともあれ、若い頃は悪友として。後には家康公亡き後は二代将軍秀忠の相談役として、さらに三代将軍家光の教育係兼相談役となる宗矩自身の相談役として沢庵との付き合いは続くのです。
乱心比べ
同じ山岡荘八先生の小説でも『徳川家康』が重厚な大河小説だとすれば、『柳生宗矩』は少々エンタメ的な感じがします。もちろん真ん中にドスンと太い柱が通っているのですが、政治の話が多かった『家康』に比べ、アクションシーンが結構多いんですよね。
特に印象に残っているのは、三代将軍家光の教育係として日々奮闘する時代のこと。この頃、とある理由があってヤング家光(竹千代)は側小姓を伴い夜な夜な無断外出するようになります。その理由というのが、なんと辻斬りのためだというのだから大変です。まさに家光の乱心です(昔そういう映画があったんです)。
そこに出てきたのが、この頃竹千代の稽古相手として出仕させていた息子の三厳(いわゆる「柳生十兵衛」の人ですね)。こいつがまた100年に1度の強情者で、石舟斎の生まれ変わりでは? と言われていたのですが、非常に荒っぽい方法で竹千代の辻斬り遊びをやめさせます。それは辻斬りにやってきた竹千代軍団を待ち構え、一人残らず川に放り投げてしまったのです。
服はずぶ濡れになるし、野次馬連中に笑われるしと、10代の少年にはこれ以上ないくらい恥ずかしい目にあった竹千代。さすがに懲りて辻斬り遊びはやめたものの、
「あれはきっと三厳のしわざに違いない!」
つって、反対にやっつけてしまおうとします。そこで宗矩が機転を利かせ、三厳は発狂してしまったので出仕をやめさせました・・・ということにしてしまったのです。今度は十兵衛乱心です。
次に召し上げられるのは10年以上後のこと。この間に『実は日本中を飛び回って情報収集していた』という噂が元になり様々な創作物語が生まれたのですが、それはまた別な話。
活人剣って、素晴らしい
と、まだまだほんの一部ですが、すでに結構な長さになってしまったので、そろそろまとめます。
「活人剣」とか「剣禅一如」とかという言葉で剣術から実戦性をなくした柳生宗矩という人は、『剣豪』とか『剣聖』とか、そういう肩書きは似合わない人だと思います。やっぱり『政治家』というイメージが強いんだろうなと思います。そういうのとは無縁のまま己の道を突き進んだ武蔵の方に強さや親しさを感じる・・・それは否定しません。
でも、私はそんな柳生但馬様が好きです。世渡り上手だからじゃありません。活人剣の思想が平和な世界を作る重要な骨格となったからです。なんだかんだと批判する人もいますが、私はその思想は素晴らしいと思います。それを、結構エキサイティングな場面も盛り込みつつ全4巻(文庫で。全集では2冊)でまとめあげた本作は、ある意味では『徳川家康』より好きかもしれません。
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おはようございます
猫党猫派ネコイスト
高杉です。
よく「犬派ですか猫派ですか」という質問があります。私はといえば断然猫派です。ご存じの通り猫というやつはなかなか人間になつかないものですが、それでも猫が大好きです。猫カフェでよく訓練された個体のように、向こうからゴロゴロとすり寄ってくるようなシチュエーションなんかは、もう最高ですね。
だからといって犬が大嫌い断固拒否というわけではありません。犬は犬でかわいいし、何よりも人間によくなつくし。私は人間の気持ちも犬猫の気持ちもあまりわかりませんが、どちらかというと犬の方がある程度くみしやすい気がします。くみするというか手なずける、かな。
ちょうど昨日(この記事を書いているのは3月18日)の『科捜研の女』は救助犬の話でした。犬の鳴き声のトーンで聞き分けることはできませんが、犬の気持ちに寄り添い理解しようと努めることは、私にだってできます。
そんなチャレンジを、今朝、さっそくやってみました。
ドンッ!(ONE PIECEふう書き文字で)
私の実家の前にはバス停があるのですが、そこにワイヤーロックでガッチリ繋ぎ止められていたワン公です。ワンワンキャンキャンうるせーなと思って起きてみたら、こいつがいたんです。
しばらく撫でまわしたり様子を見たりしていると、なるほど、どうやら車が通ると飼い主が迎えに来たと思って、にわかにパタパタと慌ただしくなるんですね。それで、そういう時に構おうとすると、なんというのかな。ほら前足を縮めて、滑り台みたいな体勢を作るとき、あるじゃないですか。ああいう感じの構えでワンワン吠えて暴れまわるんです。
しかしながら、迎えに来たと思ったら全然関係ない車で、巡航速度で通り過ぎてしまうと、今度は「キューン……」と悲しげなうめき声をあげて鎮座し、寒さにブルブルと震えながら飼い主が来るのを待ち続けるのでした。
いくら日本猫党猫会派ネコイスト協会会長代理補佐待遇心得の私であっても、こんな姿を見たら放っておけません。まあ朝早い時間だったので少し様子を見ることにしましたが、しばらく待っても誰も来なかったら当局に連絡のうえ、しかるべき措置を取るよう動くつもりでした。結果的には8時前に車で連れ去られたので、それには及びませんでしたが。
最後に、なかなか慣れないながら頑張って撮影したワン公の写真をご覧いただきながら、終わりたいと思います。『知ってるつもり?!』の関口宏さんふうに今日は締めくくります。

猫党猫派ネコイスト
高杉です。
よく「犬派ですか猫派ですか」という質問があります。私はといえば断然猫派です。ご存じの通り猫というやつはなかなか人間になつかないものですが、それでも猫が大好きです。猫カフェでよく訓練された個体のように、向こうからゴロゴロとすり寄ってくるようなシチュエーションなんかは、もう最高ですね。
だからといって犬が大嫌い断固拒否というわけではありません。犬は犬でかわいいし、何よりも人間によくなつくし。私は人間の気持ちも犬猫の気持ちもあまりわかりませんが、どちらかというと犬の方がある程度くみしやすい気がします。くみするというか手なずける、かな。
ちょうど昨日(この記事を書いているのは3月18日)の『科捜研の女』は救助犬の話でした。犬の鳴き声のトーンで聞き分けることはできませんが、犬の気持ちに寄り添い理解しようと努めることは、私にだってできます。
そんなチャレンジを、今朝、さっそくやってみました。
ドンッ!(ONE PIECEふう書き文字で)
私の実家の前にはバス停があるのですが、そこにワイヤーロックでガッチリ繋ぎ止められていたワン公です。ワンワンキャンキャンうるせーなと思って起きてみたら、こいつがいたんです。
しばらく撫でまわしたり様子を見たりしていると、なるほど、どうやら車が通ると飼い主が迎えに来たと思って、にわかにパタパタと慌ただしくなるんですね。それで、そういう時に構おうとすると、なんというのかな。ほら前足を縮めて、滑り台みたいな体勢を作るとき、あるじゃないですか。ああいう感じの構えでワンワン吠えて暴れまわるんです。
しかしながら、迎えに来たと思ったら全然関係ない車で、巡航速度で通り過ぎてしまうと、今度は「キューン……」と悲しげなうめき声をあげて鎮座し、寒さにブルブルと震えながら飼い主が来るのを待ち続けるのでした。
いくら日本猫党猫会派ネコイスト協会会長代理補佐待遇心得の私であっても、こんな姿を見たら放っておけません。まあ朝早い時間だったので少し様子を見ることにしましたが、しばらく待っても誰も来なかったら当局に連絡のうえ、しかるべき措置を取るよう動くつもりでした。結果的には8時前に車で連れ去られたので、それには及びませんでしたが。
最後に、なかなか慣れないながら頑張って撮影したワン公の写真をご覧いただきながら、終わりたいと思います。『知ってるつもり?!』の関口宏さんふうに今日は締めくくります。
こんにちは
色々と、昔のお金のことを調べたのでお話しします
高杉です。
先日、「江戸時代の1両って、今のお金でいうと、どのくらいの価値があったの?」という質問について、あっさり他に回してしまいましたが、私自身もちょっと興味があったので調べてみたことを書きます。
まあ、貨幣の単位も違えば経済システムも違うので、何をもって雰囲気を近づけていけばいいかといえば、「当時も現代もあるもの」の価格を並べて想像してみる、というのが一番わかりやすいですよね。
そこで私が参考にしたのは「お蕎麦一杯分の値段」。落語の大古典『時そば』にもあるように、お蕎麦の値段は十六文が相場です。それを現代で考えると……ううん、田舎暮らしの長い私は、かけそば一杯500円というのが直感的にひらめいた金額ですので、そうしましょう。
通貨の最小単位たる「文」は、250枚で「一朱銀」にランクアップします。この一朱銀を4枚集めると、この「一分銀」になり……
一分銀が2枚で、今度は『二分金』にランクアップし……
これを2つ合わせることで、いわゆる小判、一両になるわけです。だからものすごく簡単に言うと「一両=4000文」であって、お蕎麦250杯分、つまり「12万5千円」……まあ、大体そんな感じでとらえてよさそうです。
決して小さい金額ではありません。それと同時に、「庶民が小判を手にすることはめったに(≒一生)なかった」というのも、わかります。私だって、仮に現代に「十万円札」というのがあったとしても、実際にスーパーで買い物をするときは何百何十円っていうのが日常ですから。やっぱりもっと小さい貨幣の方が使い勝手が良くて身近な感じがしました。
そのあたりの事情は、こちらのホームページに詳しいです。私もフムフムとうなずきながら、じっくり読ませていただきました。私の考えている通り、やっぱり庶民は細かいお金を主に使っていたみたいです。本来はお醤油の魅力を発信するホームページらしいんですけどね。
……というわけで、「1両は今のお金でいえば何円なの?」という、初めて小判を見た小学生が一度は疑問に思う事柄を調べていくと、色々なことがわかりました。というよりも、単純に比べられないから色々なことを調べて、ある意味立体的なイメージがわいてきました。同じ日本という国でも金貨と銀貨が流通していて、それを上手にやりくりするために「両替商」というビジネスが発展して……ってね。
まだまだ、わからないことだらけです。単純な最初の疑問は解決しましたが、もっと色々なことを知りたいです。
こうして私の手元にある、昔のお金を見ていると、そんなワクワクがわいてきます。
色々と、昔のお金のことを調べたのでお話しします
高杉です。
先日、「江戸時代の1両って、今のお金でいうと、どのくらいの価値があったの?」という質問について、あっさり他に回してしまいましたが、私自身もちょっと興味があったので調べてみたことを書きます。
まあ、貨幣の単位も違えば経済システムも違うので、何をもって雰囲気を近づけていけばいいかといえば、「当時も現代もあるもの」の価格を並べて想像してみる、というのが一番わかりやすいですよね。
そこで私が参考にしたのは「お蕎麦一杯分の値段」。落語の大古典『時そば』にもあるように、お蕎麦の値段は十六文が相場です。それを現代で考えると……ううん、田舎暮らしの長い私は、かけそば一杯500円というのが直感的にひらめいた金額ですので、そうしましょう。
通貨の最小単位たる「文」は、250枚で「一朱銀」にランクアップします。この一朱銀を4枚集めると、この「一分銀」になり……
一分銀が2枚で、今度は『二分金』にランクアップし……
これを2つ合わせることで、いわゆる小判、一両になるわけです。だからものすごく簡単に言うと「一両=4000文」であって、お蕎麦250杯分、つまり「12万5千円」……まあ、大体そんな感じでとらえてよさそうです。
決して小さい金額ではありません。それと同時に、「庶民が小判を手にすることはめったに(≒一生)なかった」というのも、わかります。私だって、仮に現代に「十万円札」というのがあったとしても、実際にスーパーで買い物をするときは何百何十円っていうのが日常ですから。やっぱりもっと小さい貨幣の方が使い勝手が良くて身近な感じがしました。
そのあたりの事情は、こちらのホームページに詳しいです。私もフムフムとうなずきながら、じっくり読ませていただきました。私の考えている通り、やっぱり庶民は細かいお金を主に使っていたみたいです。本来はお醤油の魅力を発信するホームページらしいんですけどね。
……というわけで、「1両は今のお金でいえば何円なの?」という、初めて小判を見た小学生が一度は疑問に思う事柄を調べていくと、色々なことがわかりました。というよりも、単純に比べられないから色々なことを調べて、ある意味立体的なイメージがわいてきました。同じ日本という国でも金貨と銀貨が流通していて、それを上手にやりくりするために「両替商」というビジネスが発展して……ってね。
まだまだ、わからないことだらけです。単純な最初の疑問は解決しましたが、もっと色々なことを知りたいです。
こうして私の手元にある、昔のお金を見ていると、そんなワクワクがわいてきます。
こんにちは
3月16日は岩手県内の、公立高校の合格発表日でした
高杉です。
今日はそれにちなんで……というわけではありませんが、盛岡市にある『天満宮』に行ってきました。学問の神様・菅原道真公をお祀りする、全国どこにでもある神社ですね。
ここの名物といえば、やはりこの「狛犬」でしょう。

まあパッと見てわかると思いますが、どうも妙ちくりんな造形をしています。皆様も狛犬といえば、大体にいかめしい顔をしたものを想像されると思いますが、これはどうも……ね。
そのことは、岩手出身の歌人・石川啄木も『葬列』という小説で、こんな風に書いています。すなわち、「俺は生まれてから未だ世の中といふものが西にあるか東にあるか知らないのだ、と云った様な顔だ。」と。すさまじいインプレッションです。
まぁ、素晴らしいのは狛犬だけでなく、この景色でもあるんですけどね。
盛岡天満宮は小高い丘の上にあって、ここから街の景色と、岩手県で一番高い山『岩手山』がバッチリきれいに見えます。啄木は盛岡中学校(現在の盛岡一高)に通っていたころからこの場所がお気に入りだったようですが、すごく素敵な場所だなと思いました。
さて、話を冒頭のテーマ『高校の合格発表』に戻します。
先に述べたように天満宮といえば学問の神様です。「合格祈願」の祈りを込めた絵馬が何十枚も掲げられていました。
果たして、皆様の思いは、かなったでしょうか。私も25年前に味わったドキドキと感激を、今年も15歳の若き諸君が味わっていることでしょう。私も少し違いますが、この4月からは新天地・新生活が始まります。
そういうわけで、皆さんのご両親と同じか、ひょっとしたら年上かもしれない40歳(今年の7月で41歳)のオッサンも、4月から新生活を頑張ります。新高校生、新大学生、新社会人。なんらかの試験に合格し新しいステージへ進むことになった若き勇者たちの活躍を期待します。私も頑張るので、みんなも頑張りましょう。
3月16日は岩手県内の、公立高校の合格発表日でした
高杉です。
今日はそれにちなんで……というわけではありませんが、盛岡市にある『天満宮』に行ってきました。学問の神様・菅原道真公をお祀りする、全国どこにでもある神社ですね。
ここの名物といえば、やはりこの「狛犬」でしょう。
まあパッと見てわかると思いますが、どうも妙ちくりんな造形をしています。皆様も狛犬といえば、大体にいかめしい顔をしたものを想像されると思いますが、これはどうも……ね。
そのことは、岩手出身の歌人・石川啄木も『葬列』という小説で、こんな風に書いています。すなわち、「俺は生まれてから未だ世の中といふものが西にあるか東にあるか知らないのだ、と云った様な顔だ。」と。すさまじいインプレッションです。
まぁ、素晴らしいのは狛犬だけでなく、この景色でもあるんですけどね。
盛岡天満宮は小高い丘の上にあって、ここから街の景色と、岩手県で一番高い山『岩手山』がバッチリきれいに見えます。啄木は盛岡中学校(現在の盛岡一高)に通っていたころからこの場所がお気に入りだったようですが、すごく素敵な場所だなと思いました。
さて、話を冒頭のテーマ『高校の合格発表』に戻します。
先に述べたように天満宮といえば学問の神様です。「合格祈願」の祈りを込めた絵馬が何十枚も掲げられていました。
果たして、皆様の思いは、かなったでしょうか。私も25年前に味わったドキドキと感激を、今年も15歳の若き諸君が味わっていることでしょう。私も少し違いますが、この4月からは新天地・新生活が始まります。
そういうわけで、皆さんのご両親と同じか、ひょっとしたら年上かもしれない40歳(今年の7月で41歳)のオッサンも、4月から新生活を頑張ります。新高校生、新大学生、新社会人。なんらかの試験に合格し新しいステージへ進むことになった若き勇者たちの活躍を期待します。私も頑張るので、みんなも頑張りましょう。
こんにちは
今日はお札編
高杉です。
昭和56年生まれの私は、物心ついたときには500円玉100円玉の世代であり、聖徳太子や伊藤博文も実際に見たことはありません。『こち亀』とか『ハイスクール!奇面組』で福沢諭吉や夏目漱石に切り替わる話を見て、「ああ、こんな感じだったんだな」と思ったとか、そういう感じです。
なので、これまた古銭としての希少価値は無いに等しいと思いますが、実際に手に取れるだけでもうれしくなってしまいました。


はい、肖像画の人物は板垣退助と岩倉具視ですね。皆様も歴史の授業で習ったでしょうし、幕末物のドラマや映画でもよく出演されています。って、肖像画の下に名前がふってあるから、このあたりは、すぐにわかると思うんですが、ここからがクイズです。果たしてこのお札に印刷されている人は誰でしょう???
戦前に流通したお金で「兌換銀券(だかんぎんけん)」と記載されています。『こち亀』では「レオナルドダヴィンチみたいなおっさん」と両さんに言われていました。
いきなり難易度が上がります。私はすでにこの時点で、わかりませんでした。発行された時代は1943年、日本が世界中と戦争を繰り広げて非常に厳しい時代に印刷されたものです。
そして究極がこれです。紙幣の状態が悪いせいだっていうのもあるんですが、「誰だこのスキンヘッドのオッサンは?」と思ってしまいました。こ~んに~ちは~!
え~と、一応、正解を書きます。上から武内宿禰、菅原道真、そして二宮尊徳です。
二宮尊徳?
Before
After
なんか、とてつもなくブラッシュアップしたというか……まずスキンヘッドとか言ってごめんなさい。本当はもっと悪い言葉で言いました。ツルッパゲって言っちゃいました。そうじゃないんですチョンマゲ時代の人だからこれでいいんです。
なおWikipediaによれば、お札の中央下部にある雄鶏の他、麦、稲、甘薯、蜜柑、玉蜀黍といった食べ物のデザインは、当時(1946年ごろ)の食糧難の時勢を反映した図柄であるといわれています。1年に数千トンもの食料が廃棄される現代にあっては想像できませんが、何となく夢をかきたてられるというか。額面以上に、なんか気持ちが温かくなってしまいます。これくらい豊かに食料を手に入れられるようになれればいいねっていう思いが込められた気がして。
あと、写真には撮っていませんが、戦時中の少額政府紙幣もたくさん残っていました。これが出回った理由は、私も容易に想像がつきます。何せお寺の鐘も公園の銅像も、何でもかんでも鉄砲の弾にするため供出されていた時代ですからね。お金に使う金属も、当然ながら……ね。
というわけで、古銭そのものに希少価値がないにしても、「こんなお金があったんだ」とか、そのお金が流通していた時代のこととか、知識と空想をたくさん膨らませながら歴史のロマンを感じました。そして、世界平和は私一人の力ですぐに実現できないにしても、食べ物を大切にすることは今日からでもできるかなって思いました。
今日はお札編
高杉です。
昭和56年生まれの私は、物心ついたときには500円玉100円玉の世代であり、聖徳太子や伊藤博文も実際に見たことはありません。『こち亀』とか『ハイスクール!奇面組』で福沢諭吉や夏目漱石に切り替わる話を見て、「ああ、こんな感じだったんだな」と思ったとか、そういう感じです。
なので、これまた古銭としての希少価値は無いに等しいと思いますが、実際に手に取れるだけでもうれしくなってしまいました。
はい、肖像画の人物は板垣退助と岩倉具視ですね。皆様も歴史の授業で習ったでしょうし、幕末物のドラマや映画でもよく出演されています。って、肖像画の下に名前がふってあるから、このあたりは、すぐにわかると思うんですが、ここからがクイズです。果たしてこのお札に印刷されている人は誰でしょう???
戦前に流通したお金で「兌換銀券(だかんぎんけん)」と記載されています。『こち亀』では「レオナルドダヴィンチみたいなおっさん」と両さんに言われていました。
いきなり難易度が上がります。私はすでにこの時点で、わかりませんでした。発行された時代は1943年、日本が世界中と戦争を繰り広げて非常に厳しい時代に印刷されたものです。
そして究極がこれです。紙幣の状態が悪いせいだっていうのもあるんですが、「誰だこのスキンヘッドのオッサンは?」と思ってしまいました。こ~んに~ちは~!
え~と、一応、正解を書きます。上から武内宿禰、菅原道真、そして二宮尊徳です。
二宮尊徳?
なんか、とてつもなくブラッシュアップしたというか……まずスキンヘッドとか言ってごめんなさい。本当はもっと悪い言葉で言いました。ツルッパゲって言っちゃいました。そうじゃないんですチョンマゲ時代の人だからこれでいいんです。
なおWikipediaによれば、お札の中央下部にある雄鶏の他、麦、稲、甘薯、蜜柑、玉蜀黍といった食べ物のデザインは、当時(1946年ごろ)の食糧難の時勢を反映した図柄であるといわれています。1年に数千トンもの食料が廃棄される現代にあっては想像できませんが、何となく夢をかきたてられるというか。額面以上に、なんか気持ちが温かくなってしまいます。これくらい豊かに食料を手に入れられるようになれればいいねっていう思いが込められた気がして。
あと、写真には撮っていませんが、戦時中の少額政府紙幣もたくさん残っていました。これが出回った理由は、私も容易に想像がつきます。何せお寺の鐘も公園の銅像も、何でもかんでも鉄砲の弾にするため供出されていた時代ですからね。お金に使う金属も、当然ながら……ね。
というわけで、古銭そのものに希少価値がないにしても、「こんなお金があったんだ」とか、そのお金が流通していた時代のこととか、知識と空想をたくさん膨らませながら歴史のロマンを感じました。そして、世界平和は私一人の力ですぐに実現できないにしても、食べ物を大切にすることは今日からでもできるかなって思いました。