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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
今年で東日本大震災から11年が過ぎました。
 実際に被災地に行ったのは2012年(久慈市)でしたが、デジタルな形で写真が残っているのは2016年4月。たぶんこのころスマートフォンを買って、気になった景色を気軽にビシバシ撮影できるようになったからでしょうね。さらにgoogle photoに、いつの間にかバックアップが保存されていたから。時間とか場所とかで検索すると(ある程度)まとめてくれるから、こうして何年も経った今、記事を書くことができるわけですね。
 
 写真がたくさんあるので、何回かに分けて書きます。第一回は「大槌町」。

 
 
 2016年4月17日、震災後初めて大槌町に行った時の写真です。これは中心地から少し離れたところにある、浪板海岸のあたりですね。ちょうどこの数日後に『大槌アムウェイハウス』がオープンするということでしたが、それと知らずに最初の写真を撮影した私。ここからもう少し行ったところにあるのが市街地中心部です。
 

 
 津波で市街地はめちゃめちゃに壊され、町長さんをはじめ多くの人が犠牲になったというのは、映像で知っていましたが、いざ行ってみて本当にショックを受けました。ガソリンスタンドや商店など、ポツリポツリと建物があったものの、ほとんどは「建物があった場所」ばかりで、がれきを片付けるとこんな風になっちゃったんだなと思いました。
 これは、今はもう解体されましたが、旧大槌町役場です。手前にある小さな新しいあずまやは祈りをささげるために作られた場所です。
 


 これは2018年に撮影したものです。このころ行政としては建物を解体する方向で動いていましたが、震災遺構として残すようにという住民の意見もある……とか、そういう時期であったと思います。一方で街中は徐々に家や道路が建ち始め、少し歩いただけでも「復興は進んでいるな」と感じられるような、そんな気がしました。とにかく目に見えるところ、ハード面では、ね。
 

 
 そして10年目の3月11日。このころにはすっかり「新・大槌町」ができあがっていて、「とにかく10年経ったんだな」ということを実感しました。この時は日帰り前提で、しかもオートバイで来ていて、とにかく日のあるうちに帰らなくちゃいけない(夜の山道は凍結する恐れがあったから)ので、旧大槌町役場がどうなったのかは見てきませんでしたが……ともかく大槌町、確実に復興は進んでいます。
 
 もちろん、「どのくらい復興したか」という尺度は人それぞれです。なかなか前に進んでいる実感が持てなくて、穏やかでない心の人もいらっしゃると思います。でも私は、これからも沿岸の街の人たちへの思いを忘れることはありません。これからはなかなか実際に行くことはできないと思いますが、ともに生きていきたいと思っています。

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