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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
おはようございます

 そうか、昨日はいわゆるエイプリルフールだったんですね

 高杉です。


 スクールアイドル界の暗黒面を一身に背負ったようなふりをしている津島善子じゃなくてヨハネが主人公のアニメが出るとyoutubeで流れましたが、それは、そういうことか。

 いや、私にとって2022年4月1日は嘘を冗談として笑える余裕が全くなかったので、残念ながらそれを楽しむことができませんでした。ただyoutubeからのおすすめ通知で一報が入り、「まーさか、そんなことありゃすめえ」と思いつつ今日に至り、すでに動画は非公開に。本当にそんなものがあったのかどうかさえ不確かな状態になりました。

 ある意味、ここまで含めて善子ちゃんじゃなくてヨハネっぽい気がしますが。


 かつてソーシャルゲーム『スクールアイドルフェスティバル』と『シャドウバース』がコラボレーションして特別ストーリーが展開されたことがありましたが、それはスクールアイドル界のシャドウこと善子じゃなくてヨハネが主人公でした。

 大事なことなので二度書きます。善子じゃなくてヨハネがストーリーの主人公でした。

 ただしそれは、いわゆる現実の世界とは違うファンタジー的な物語でした。その世界での記憶は現実の世界に戻った時にはほとんどなく、まさに幻日のヨハネ。

 ところが、ブックオフのおもちゃコーナーで「こいつは何か一味違うな」と言って善子じゃなくてヨハネを好きになり、ひいてはそれが「ラブライブ!サンシャイン!!」というアニメそのものを好きになるきっかけとなった私は、そのストーリーにはまりました。ゲームの中で強力な(レアリティの高い)カードが手に入るということもあったのですが、10時間くらい続けて一気にクリアしました。


 そういうこともあって、嘘でもちょっと嬉しかったです。

 ……なんだなんだ、今日は善子じゃなくてヨハネの話で終わっちゃった。まあ、これから長い戦いの日にちが続きますから、こんな記事があってもいいでしょう。それでは皆様も、今日が良い日でありますように。

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こんばんは

 無事に40歳の入社式、終わりました

 高杉です。


 38日あった年次休暇を全部消化する都合で4月入社にしてもらった私。朝はあまりの緊張感に耐え切れず、1か月ぶりにタバコを買って一服してから臨んだ入社式でありましたが、何とか滞りなく終了。ガチガチに緊張しながらバリバリの東北弁(盛岡弁+津軽弁のハイブリッド)で自己紹介をして、私という人間がどういうものかを知らしめたところでヨシとしましょう。

 実際、同期で入った仲間というのは、私も含めて色々な人がいました。

 大体同じくらいの年齢の男性(地元の人)。東京から一身上の都合で落ち延びてきた若者。こないだまで写真館で働いていた女の子。そして1か月くらいアルバイトをしていたものの実質的な新卒者の女の子。前職がホテルスタッフだった私も全然珍しくありません。ほんの少し打ち解けた雰囲気で雑談もできたので、こんな感じでうまくやっていければいいなと思った次第です。

 なんだろう、こんな気持ちになったのは、たぶん大学に入った時以来じゃないかな。ええ、初めての就職は落ちこぼれの第二新卒でしたし、そのあとはいつも中途入社だったから、こういう入社式とか同期の人とドキドキを共有するとか、そういうことが一切なかったものですから。新卒で入った後輩が「同期の〇〇は、今、××支店で働いていて……」なんて話をしているのを聞くと、ちょっぴりうらやましいなって思ったものです。


 覚えることは、たくさんあります。果たして、やっていけるのか。ちょっぴり不安もあります。

 まあ、なにも努力しないで仕事ができるようになるとは、思っていませんが。私だって散々苦しい思いをしてきたし、そういう状況で頑張ればいい結果が出るって、経験して知ってますから。

 そう。一番つらくて苦しい時こそ、一番頑張るチャンスなんです。


 思えば今から8年前。最初に就職した会社を(会社都合で)退職したとき、私は宣言しました。

 「これからの人生は、やってみたいことをやる」

 それがどんなにムチャなことでも。……実際30過ぎのオッサンが、未経験の状態でホテルマンになるっていうのは、ちょっとした漫画みたいな話だと思います。実際ムチャが過ぎて心身の状態を悪くしましたが、まだ生きてるのでセーフでしょう。

 そして今度は自分の意志で、ずっと憧れていた街に住み、生きていこうとしている。これはさらにムチャなことです。だって、「ホテルマンになる」って決めて具体的に職を探したときは、地元の岩手県内でなおかつ『寮完備』という条件で探してましたから。今回はまず職場があって、仕事が決まってから「さてどこに住もうか」と探しているわけですから。……1月に入社面接を受けた時点で4月入社としたのは、住処を探すための時間を最大限確保したかったから、というのもあるのです。

 
 不格好でもメチャメチャでも、とにかくスタートしてしまったのです。こうなったら、もう、精いっぱいやるだけです。むしろ、思いっきりムチャをしてやろうかと思っています。

 たぶん私のような人間が何とかなるためには、そのくらいやらなくちゃダメな気がしますから。

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おはようございます

 明日がいよいよ初出社

 高杉です。


 この1か月余りの期間は、以前の会社でほとんど使わないために30日以上残っていた有給休暇をいっぺんに使っていました。いわば春休みです。……もっとも、有休を使わなくても私の職場だったホテルは3月いっぱい休業するので、仮に退職しなくても同じようなものですが。

 その間に今までとこれからの自分のアレコレを考えて、本を読みなおしたりブログを書いたり、インプットとアウトプットを繰り返して自分の心を研いできた私。元々それほど上等ではない鋤ですが、誰だって自分の鋤で自分の畑を耕さなくちゃいけないんですから。って、これはユングが1935年にロンドンで行った講義『タヴィスティック・レクチュア』の際に言っていたことなのですが。

 とにかく精いっぱい、この一か月、頑張ってきました。

 新しい街に来て、新しい会社で働き始める。果たしてどうなるものかという心配はありますが、まあ、これからも精いっぱい頑張ります。まずは、それしかありません。うまく行かないケースなんて、あえて考えないようにします。


 ある意味、今から18年前――私が大学を卒業して「新社会人」デビューした時よりも、そんな気分が高まっています。すでにその頃精神的に良くなかった私は、大学卒業後に1か月くらい空白期間を経てようやく就職したものですから、あんまりフレッシュな気持ちを体験することができなかったんですよね。

 でも、今回はちょうど4月1日から入社ですから。年齢はもう40歳(今年で41歳)ですが、文字通りの新生活の始まりです。

 今までは決して良いことばかりじゃなかったけれど、これからは、わかりません。何よりも、ずっと憧れていた仙台での生活をスタートすることができたんですから。これだけでも、とても楽しみですから。


  遅すぎるなんてない 不可能なんてない 
  いつだって思い立ったらその日が始まりの Day 1
  (Liella! 『Day 1』)

 それにほら、年甲斐もなく若い女の子の歌にドキッとし、背中を押されることが多い私ですから。それで走り出せるなら、それに越したことはないじゃないですか。ADHDだのASDだのって言われてますけど、元気に生きていけるなら、それでいいじゃないですか。


 こないだも書いたように、しばらくは落ち着かない、更新さえままならない時期が続くかもしれません。

 ただ、何か新しい発見をすれば、書きたくなる気持ちは起こるものですから。たくさん、色々なことを発信していきたいなと思っております。

 それでは、来月から新年度です。新入学、新社会人の皆様、一緒に頑張りましょう。そうでない人も新年度、頑張りましょう。……あと、この記事が読まれるとは思いませんが、今日付けで退職となる私の職場の皆様も、新型コロナの影響で本当に厳しい状況だと思いますが、頑張ってください。私も頑張りますから。

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おはようございます

 直近3日間の平均歩行距離は10キロです

 高杉です(今日は一日引きこもり予定)。


 何だってそんなに歩きまくったのかというと、区役所をはじめとする各関係機関に住所変更の届出をしなければならないため。まあ1日目に関しては、日曜日だったので、ただただ趣味的に歩きまくっただけなのですが。

 そして冷徹な事実を申し上げますと、その趣味的なお散歩のせいで私の左ひざが悲鳴を上げました。歩くだけで痛いんです。

 気持ち的には、どれほどでも歩くことはできるのですが、これはいけません。気力の限界はまだ上にありますが、体力の限界は先に来てしまいました。とりあえず住民票や運転免許証、それにオンラインでできない変更の手続き等、大事なことは済ませられたし。今日は初出社の日に必要な書類を整理する日にあてましょう。天気も気温も春っぽくて、出かけたい気持ちはありますが。


 それにしても、改めて思ったのは、やはり3月の最終月曜日というのは転入転出のピークなのだな、ということです。ただでさえ人口が多い仙台市ではありますが、それにしたってロビーにいる人々の量にはびっくりしてしまいました。それを処理する区役所の人たちもフル動員。そのうえで私のように右も左もわからないボンクラ田舎者に丁寧に書類の書き方や出し方を教えてくださる方もいました。まったくもって頭が下がる思いであります。



 午前中から2時間くらいかけて手続きを終えて、おなかがすいたのでお昼ご飯は区役所の地下にある食堂で食べました。カツカレー450円なり。……そういえば昨日は昨日で、仙台駅前の半田屋でカレーを食べたな。こんなに毎日カレーを食べるのは、高校生の頃以来かなあ。ええ、大好きなんです。カレーとかラーメンとか、そういう食べ物が。

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おはようございます

 久々の朝更新

 高杉です。


 昨日、うちの近所でこんな信号機を見ました。



 一般的な歩行者信号がなかったので、車の信号を見て渡れるかどうか確認しようと思ったらコレですよ。「ああ、お前そんなところにいたのか!」とサプライズでした。

 さすが仙台だ、こんな信号があるんだな――と思って、写真を撮りました。ええ田舎者だと笑いたければ笑うがいいさです。これもいずれ日常的な景色になって気にも留めなくなるんでしょうが、今日は始まりのDay1だから、ちょっとでも心が動かされたのなら写真に残しておこう。それでいいんです。

 ……ところが、今回この記事を書くために調べてみると、想像以上に珍しい代物であることを知りました。

 検索すると『懸垂式交通信号機』あるいは『UFO信号機』の名称で呼ばれているコレは、名古屋電機工業さんが1975年に、欧州のワイヤー吊り下げ式信号機を参考に開発したものだといいます。

 ちょっとさばを読んでも40年以上前の信号機ですし、名古屋電機工業さんも現在は信号機を作っていないので、老朽化→他社製LED信号機に交換の流れをたどっているUFO信号機。メーカーさんも「このままやがて忘れ去られていくのだろうと考えておりました。」と言っていましたが、2018年ごろ突然話題になったそうです。

 今では動画もあり、さらにgoogle mapで設置場所がピックアップされているので、探そうと思えば簡単に探すことができます。ただ、先ほど書いたように、私はそもそも、こんなものがこの世にあることさえ知らない状況でいきなり出くわしたわけですから。まさに未知との遭遇です。




 仙台駅前周辺は目が回るくらい大都会ですが、そこから地下鉄で10分くらい離れたところにある私の街は、まだ昔ながらの雰囲気が残っている素敵な街です。駅前には巨大な森林公園があるし、こういう信号機とかもあるし。こちらはもうすぐ消える運命なのでしょうが、私はこの街で長く頑張っていこう。そう思いました。



 天気が良くなってきたところでもう一枚。なお懸垂式信号機に関する、名古屋電機工業さんのコメントはこちらからどうぞ。

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こんばんは

 今日はリアルタイム更新

 高杉です。


 昨日引っ越しの搬入作業を終えて、それと同時に次々と発覚した不具合に関して不動産屋・管理会社などに連絡をして、疲れてしまった私。とりあえず眠って起きて、今日が新天地で迎える初めての朝です。

 日曜日で転入届などは出せないので、とりあえず近隣の施設を確認しようと思った私。身近なところではゴミ捨て場、ちょっと足を延ばして買い物をするスーパーなど、アレコレ歩いているうちに、気が付いたら16キロくらい歩いていました。すなわち詳しいことを色々と書く体力があまり残っていないのです。今日も結構、疲れちゃったのです。

 「新しい街で、やっていけるかな」という心配をもとに歩き回り、新しい街の何もかもが刺激になって。だんだんに日常の記事を書いていけるとは思いますが、しばらくは落ち着かない、更新さえままならない時期が続くかもしれません。

 ただ、何か新しい発見をすれば、書きたくなる気持ちは起こるものですから。何とか、できるだけやっていきたいと思います。どうぞ、これからもよろしくお願いします

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こんにちは

 山登りごっこ、冒険ごっこをしてきました

 高杉です。


 以前ツーリングマップルを開いてオートバイ旅をしていた時に、

 「夏梨子山」

 という場所があるのを見ました。



 (百田)夏菜子ではありません。夏梨子です。じゃあこっちでしょうか。いえ違います。これは「なつなしやま」と読みます。「りこ」じゃなくて「なし」なんです。

 そのうえで、こんな写真を撮ってきました。



 スクールアイドルが夏梨子山をジャックして「梨子山」にしてしまった、というテイです。まあスクールアイドル界随一の引っ込み思案で地味でおとなしくて目立たなくてだがそれがいい梨子ちゃんは絶対にそんなことしないと思いますが。


 そして、一応こういう写真を撮りたくて登った、という名分がありますが、実際に得たものはそれ以上でした。

 まず、きちんと頂上まで整備された道がある山しか上ったことがなかったので、「どこが頂上なのか」を探す体験を初めてしました。このように山の名前が書かれたプレートがあることは、事前に情報として知っていたので、それを探していたのですが……極度の方向音痴たる私には、どうもそれがよくわからない。道なき道を切り開いて分け入って、東も西もわからない状態に。そんな私が目的を果たし、そして無事に下山することができたのは、google mapのおかげでした。

 目的地のピンめがけて歩くのは当然ですが、周囲の建物ではなくコンパスを見て自分の方向を知り、歩いていく。

 たぶん私の方向音痴の原因は、ここにあったんじゃないかなと思いました。自分の中のコンパスを使わずに、建物とか看板とか、目に見える情報をもとに生きてきたから、いつも混乱して、間違っちゃったんです。きっと。

 「来るとき、こんな景色の場所、歩いてきたっけ」「〇〇が見えるから、あっちに向かって歩けばいいんじゃないの」

 そんな風に、いつもの自動思考システムが私の行動を決めようとします。直感で動いて失敗したから、ちゃんと考えて行動しなくちゃ。それが私の基本理念らしいのですが、どこを見渡しても同じような景色の中で、本当にそういう景色があったのかどうかさえ怪しいです。

 そこで帰り道は、先ほどコンパスを見て落とし込んだ自分の方向感覚を信じ、まとわりついてくる思考をたたきつけてねじ伏せて歩き続けました。そのおかげで今、自宅でこの記事を書くことができています。


 これがいわゆる「勘が働く」という状態なのかもしれません。理で行動を決めることも大事ですが、最後はやはり直感で動くのがいいようです。そして、それはサバイバルとは言わないまでも、自分の意識を自然に近づける必要があるのかもしれません。そうすれば寝覚めもいいですからね。

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こんにちは

 なんか新しい競走馬の名前みたいなタイトルですね

 高杉です(スペシャルウイークってのはいますよね確か)。


 とうとう、あと1週間となりました。来週のニチアサは仙台宮城で見ることになるでしょう。

 ここ1か月は、人生でも初めてかもしれない30日余りの有給休暇デイズ。かなり色々なものを整理しました。物理的にも、あと、心理的にも。

 すでに何度か書いてきたように、今月はユングの本を再読していた私。『自我と無意識の関係』『無意識の心理』『分析心理学』さらに河合隼雄先生の『ユング心理学入門』と、2週間くらいかけて何とか読破した私。最後の方はとにかく「読み終えた」という実績を作るためにページを最後までめくるだけの作業になっていた気がしますが、それでもポツポツと心に残る言葉がありました。

 まあ、何度も読めばいいんです。もとより私のようなバカが1度や2度サラッと読んで理解できるほど、ユング心理学は易しいものではありません。実際のところ3回5回読んだところで、あとどれくらい理解できるかもわかりませんが、やっぱり私はユングがいいような気がするんです。

 だって、少し前にブームになって、漫画入りでよほどわかりやすいアドラー心理学の本を読んでもピンとこなかったのですから。それに対して、難しくて理解できないところを読み飛ばしながらも腑に落ちるところがたくさんあったから、これでいいんです。

 そのうえで、何度でも言います。

 
 私は、まともに生きるの、やめます。

 これまで自分なりに友愛とか平穏とか正義とか常識とか、そういうものを願って求めて頑張って生きてきましたが、結局、一番身近な人さえ変えられなくて。

 だから私も、好きに生きます。これが正しいとかこうするべきとか、誰かが言うことを聞いてその通りにするの、全部やめます。

 私も自分が気持ちよくなれるような生き方をします。

 そのための最後の準備、ラストワンウイーク。精いっぱい生きていきます。

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おはようございます

 猫党猫派ネコイスト

 高杉です。


 よく「犬派ですか猫派ですか」という質問があります。私はといえば断然猫派です。ご存じの通り猫というやつはなかなか人間になつかないものですが、それでも猫が大好きです。猫カフェでよく訓練された個体のように、向こうからゴロゴロとすり寄ってくるようなシチュエーションなんかは、もう最高ですね。

 だからといって犬が大嫌い断固拒否というわけではありません。犬は犬でかわいいし、何よりも人間によくなつくし。私は人間の気持ちも犬猫の気持ちもあまりわかりませんが、どちらかというと犬の方がある程度くみしやすい気がします。くみするというか手なずける、かな。

 ちょうど昨日(この記事を書いているのは3月18日)の『科捜研の女』は救助犬の話でした。犬の鳴き声のトーンで聞き分けることはできませんが、犬の気持ちに寄り添い理解しようと努めることは、私にだってできます。

 そんなチャレンジを、今朝、さっそくやってみました。


ドンッ!(ONE PIECEふう書き文字で)

 私の実家の前にはバス停があるのですが、そこにワイヤーロックでガッチリ繋ぎ止められていたワン公です。ワンワンキャンキャンうるせーなと思って起きてみたら、こいつがいたんです。
 
 しばらく撫でまわしたり様子を見たりしていると、なるほど、どうやら車が通ると飼い主が迎えに来たと思って、にわかにパタパタと慌ただしくなるんですね。それで、そういう時に構おうとすると、なんというのかな。ほら前足を縮めて、滑り台みたいな体勢を作るとき、あるじゃないですか。ああいう感じの構えでワンワン吠えて暴れまわるんです。

 しかしながら、迎えに来たと思ったら全然関係ない車で、巡航速度で通り過ぎてしまうと、今度は「キューン……」と悲しげなうめき声をあげて鎮座し、寒さにブルブルと震えながら飼い主が来るのを待ち続けるのでした。

 いくら日本猫党猫会派ネコイスト協会会長代理補佐待遇心得の私であっても、こんな姿を見たら放っておけません。まあ朝早い時間だったので少し様子を見ることにしましたが、しばらく待っても誰も来なかったら当局に連絡のうえ、しかるべき措置を取るよう動くつもりでした。結果的には8時前に車で連れ去られたので、それには及びませんでしたが。

 最後に、なかなか慣れないながら頑張って撮影したワン公の写真をご覧いただきながら、終わりたいと思います。『知ってるつもり?!』の関口宏さんふうに今日は締めくくります。

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こんにちは

 色々と、昔のお金のことを調べたのでお話しします

 高杉です。


 先日、「江戸時代の1両って、今のお金でいうと、どのくらいの価値があったの?」という質問について、あっさり他に回してしまいましたが、私自身もちょっと興味があったので調べてみたことを書きます。

 まあ、貨幣の単位も違えば経済システムも違うので、何をもって雰囲気を近づけていけばいいかといえば、「当時も現代もあるもの」の価格を並べて想像してみる、というのが一番わかりやすいですよね。

 そこで私が参考にしたのは「お蕎麦一杯分の値段」。落語の大古典『時そば』にもあるように、お蕎麦の値段は十六文が相場です。それを現代で考えると……ううん、田舎暮らしの長い私は、かけそば一杯500円というのが直感的にひらめいた金額ですので、そうしましょう。

 通貨の最小単位たる「文」は、250枚で「一朱銀」にランクアップします。この一朱銀を4枚集めると、この「一分銀」になり……

 

 一分銀が2枚で、今度は『二分金』にランクアップし……



 これを2つ合わせることで、いわゆる小判、一両になるわけです。だからものすごく簡単に言うと「一両=4000文」であって、お蕎麦250杯分、つまり「12万5千円」……まあ、大体そんな感じでとらえてよさそうです

 決して小さい金額ではありません。それと同時に、「庶民が小判を手にすることはめったに(≒一生)なかった」というのも、わかります。私だって、仮に現代に「十万円札」というのがあったとしても、実際にスーパーで買い物をするときは何百何十円っていうのが日常ですから。やっぱりもっと小さい貨幣の方が使い勝手が良くて身近な感じがしました。

 そのあたりの事情は、こちらのホームページに詳しいです。私もフムフムとうなずきながら、じっくり読ませていただきました。私の考えている通り、やっぱり庶民は細かいお金を主に使っていたみたいです。本来はお醤油の魅力を発信するホームページらしいんですけどね。


 ……というわけで、「1両は今のお金でいえば何円なの?」という、初めて小判を見た小学生が一度は疑問に思う事柄を調べていくと、色々なことがわかりました。というよりも、単純に比べられないから色々なことを調べて、ある意味立体的なイメージがわいてきました。同じ日本という国でも金貨と銀貨が流通していて、それを上手にやりくりするために「両替商」というビジネスが発展して……ってね。

 まだまだ、わからないことだらけです。単純な最初の疑問は解決しましたが、もっと色々なことを知りたいです。

 こうして私の手元にある、昔のお金を見ていると、そんなワクワクがわいてきます。

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こんにちは

 3月16日は岩手県内の、公立高校の合格発表日でした

 高杉です。


 

 今日はそれにちなんで……というわけではありませんが、盛岡市にある『天満宮』に行ってきました。学問の神様・菅原道真公をお祀りする、全国どこにでもある神社ですね。

 ここの名物といえば、やはりこの「狛犬」でしょう。



 まあパッと見てわかると思いますが、どうも妙ちくりんな造形をしています。皆様も狛犬といえば、大体にいかめしい顔をしたものを想像されると思いますが、これはどうも……ね。

 そのことは、岩手出身の歌人・石川啄木も『葬列』という小説で、こんな風に書いています。すなわち、「俺は生まれてから未だ世の中といふものが西にあるか東にあるか知らないのだ、と云った様な顔だ。」と。すさまじいインプレッションです。

 まぁ、素晴らしいのは狛犬だけでなく、この景色でもあるんですけどね。



 盛岡天満宮は小高い丘の上にあって、ここから街の景色と、岩手県で一番高い山『岩手山』がバッチリきれいに見えます。啄木は盛岡中学校(現在の盛岡一高)に通っていたころからこの場所がお気に入りだったようですが、すごく素敵な場所だなと思いました。


 さて、話を冒頭のテーマ『高校の合格発表』に戻します。

 先に述べたように天満宮といえば学問の神様です。「合格祈願」の祈りを込めた絵馬が何十枚も掲げられていました。

 果たして、皆様の思いは、かなったでしょうか。私も25年前に味わったドキドキと感激を、今年も15歳の若き諸君が味わっていることでしょう。私も少し違いますが、この4月からは新天地・新生活が始まります。

 そういうわけで、皆さんのご両親と同じか、ひょっとしたら年上かもしれない40歳(今年の7月で41歳)のオッサンも、4月から新生活を頑張ります。新高校生、新大学生、新社会人。なんらかの試験に合格し新しいステージへ進むことになった若き勇者たちの活躍を期待します。私も頑張るので、みんなも頑張りましょう。

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こんにちは

 今日はお札編

 高杉です。


 昭和56年生まれの私は、物心ついたときには500円玉100円玉の世代であり、聖徳太子や伊藤博文も実際に見たことはありません。『こち亀』とか『ハイスクール!奇面組』で福沢諭吉や夏目漱石に切り替わる話を見て、「ああ、こんな感じだったんだな」と思ったとか、そういう感じです。

 なので、これまた古銭としての希少価値は無いに等しいと思いますが、実際に手に取れるだけでもうれしくなってしまいました。



 はい、肖像画の人物は板垣退助と岩倉具視ですね。皆様も歴史の授業で習ったでしょうし、幕末物のドラマや映画でもよく出演されています。って、肖像画の下に名前がふってあるから、このあたりは、すぐにわかると思うんですが、ここからがクイズです。果たしてこのお札に印刷されている人は誰でしょう???



 戦前に流通したお金で「兌換銀券(だかんぎんけん)」と記載されています。『こち亀』では「レオナルドダヴィンチみたいなおっさん」と両さんに言われていました。



 いきなり難易度が上がります。私はすでにこの時点で、わかりませんでした。発行された時代は1943年、日本が世界中と戦争を繰り広げて非常に厳しい時代に印刷されたものです。

 

 そして究極がこれです。紙幣の状態が悪いせいだっていうのもあるんですが、「誰だこのスキンヘッドのオッサンは?」と思ってしまいました。こ~んに~ちは~!


 え~と、一応、正解を書きます。上から武内宿禰、菅原道真、そして二宮尊徳です。

 二宮尊徳? 
 Before

 After


 なんか、とてつもなくブラッシュアップしたというか……まずスキンヘッドとか言ってごめんなさい。本当はもっと悪い言葉で言いました。ツルッパゲって言っちゃいました。そうじゃないんですチョンマゲ時代の人だからこれでいいんです。

 なおWikipediaによれば、お札の中央下部にある雄鶏の他、麦、稲、甘薯、蜜柑、玉蜀黍といった食べ物のデザインは、当時(1946年ごろ)の食糧難の時勢を反映した図柄であるといわれています。1年に数千トンもの食料が廃棄される現代にあっては想像できませんが、何となく夢をかきたてられるというか。額面以上に、なんか気持ちが温かくなってしまいます。これくらい豊かに食料を手に入れられるようになれればいいねっていう思いが込められた気がして。

 あと、写真には撮っていませんが、戦時中の少額政府紙幣もたくさん残っていました。これが出回った理由は、私も容易に想像がつきます。何せお寺の鐘も公園の銅像も、何でもかんでも鉄砲の弾にするため供出されていた時代ですからね。お金に使う金属も、当然ながら……ね。


 というわけで、古銭そのものに希少価値がないにしても、「こんなお金があったんだ」とか、そのお金が流通していた時代のこととか、知識と空想をたくさん膨らませながら歴史のロマンを感じました。そして、世界平和は私一人の力ですぐに実現できないにしても、食べ物を大切にすることは今日からでもできるかなって思いました。

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こんにちは

 今日はちょっと歴史のお話を

 高杉です。


 私の曽祖父は古銭集めが趣味だったそうで、今でも家には若干の古銭があります。

 もっとも、一度うちの弟者が金に困って、価値のあるものはすべて売り払ってしまったので、今うちにあるのは価値のないものばかり。……ではあるものの、やっぱり古銭というものは、何となく歴史的なロマンを感じます。たいして希少価値がなくたって、いまではない時代――明治時代とか、その前の時代とかの人たちが使っていたお金が、いま手元にあるっていうのは、なんとも素敵なことだと思うのです。

 で、今日はその一部を紹介したいと思います。重ね重ね申し上げますが、希少価値は一切ありません。ただ、私なりに歴史ロマンを感じたということを共有したいので書きます。


 

 まず、こちらは「一分銀」です。歴史をさかのぼると天保年間に鋳造が始まったもので、それまで重量をもって価値が決まるお金だったのに対し、これは記載されている「一分」という額面がそのまま価値が決まる、計数銀貨の完成形と言われています。その後幕末から明治初期まで流通しました。



 こちらは「二分金」ですね。初めて見た時は、果たしてこれがなんて書いているのか理解できませんでした。だからお金じゃなくて、なんかの紋章が刻まれたマジックアイテムじゃないかと思いましたが、古銭のサイトをいくつも見ているうちに、これと同じようなものが出てきたので判明しました。確かに言われてみると、「二分」と書いてありますね。

 なお実際にこれが(当時の世の中で)いくらくらいの価値があったのかという話ですが。どうやら一分銀は1/4両、二分金は1/2両という扱いだったようです。それじゃあよく時代劇でいう1両って、今でいうといくらくらいなの?……それは日本銀行の方が答えてくださっていますので、こちらをご参照ください。

 ちなみに当時、飾り職人や三味線の先生をしながら暗殺を行う仕事をしていた人たちがいましたが、その人たちへの依頼料も大体1両です。なので私の中では、人ひとりの命と同じくらいの価値があると思っています(ただし悪徳商人や上級役人の場合は、その1000倍以上のお金が菓子折りと同じ程度の価値しかないわけですが)。

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こんにちは

 今年もいよいよ、走り出します

 高杉です。

 

 (写真は2021年3月に撮影したものです)

 2022年の初走りは、家からほど近い湖の周りをぐるりと一周して、それから小岩井農場を経由し、この景色の見える場所へ。天気が良かったので岩手山がハッキリ見えました。少々寒かったですが、最近見たドラマ版の『ゆるキャン』を地で行くようで、すごく気持ちよかったです。

 ちなみに小岩井農場のあたりでは、もうすぐ春だからなのか、いわゆる有機肥料のにおいを感じました。これは四輪車に乗ってエアコンをつけているような状態では感じられません。

 風と
 寒さと
 においと
 危険 を感じる

 それがバイクなんだよ(by大泉さん ’99)。


 とはいえ、久々のツーリングは、まずカワサキプラザ盛岡さんに行くところから始めました。実は右後ろのウインカーが接触不良でつかなくて、何よりもこれを修理しなければいけない! ということで。自宅からお店まで、極力右折をしなくてもいいルートを選択し、ようやくたどり着いたのでした。

 事前に電話で用件は伝えていたので、簡単な現状確認の上、整備モードへ。その間私はラウンジで待っていたのですが……待っている間は、もうドキドキしっぱなしでした。緊張して、姿勢を正して椅子に腰かけ、じっと待っていました。いただいたコーヒーはしっかり飲み干しましたが。

 その間訪れるライダーの方々。皆様とても社交的というか、店員さんと気さくにお話しされているのを見て、ますます私は小さくなってしまいました。私のオートバイだって、ちょっと古いし排気量は小さいけど、制限速度60キロで走れるし、その気になれば巡航速度70キロで延々と走れるし……なんて、こういうことを意識すること自体、小さいんですよね気持ちがね。

 でも、今日はちょっと、違う気持ちが――というか、感情的には同じなんですが、それを少し違った形に捻じ曲げて、受け入れようと。そう思いました。

 具体的には「引け目を感じる」のではなく「あこがれを感じる」ということです。自分が持っているものよりも良いものであれば、その気持ちを大切にしながら、「自分の手元にあるものも、いいよね」って。だって実際にいいものですから。


 ……と、まあ、そんなどうでもいい心の中の暗闘を経て、とにかく私もカワサキプラザ盛岡さんのお世話になることができました。青森県六戸町の江戸屋モーターサイクルさんには、私が事故を起こして困り果てた時に助けてもらいましたが、今回は盛岡で。あんまりお金にはならないと思いますが、感謝の気持ちはいっぱいです。本当にお世話になりました。

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おはようございます

 話すことなくなっちゃった

 高杉です(上記は館林美晴さんのモノマネです)。


 と、いきなり初代『ときめきメモリアル』の隠しキャラのモノマネという、きわめてニッチな書き出しをしてしまいました。一方的に留守電にメッセージを吹き込み続けておいて、わざわざそんなことを言われても、という感じですが。

 3月に入ってから色々なことを書いていますが、今日は少し肩の力を抜いて、ありふれた話をしてみたいと思います。本来そういうところだったはずですからね、このブログもね。


 え~と、最近はスマートフォンで何となくネットニュースを眺めたり、たいして興味がないような言葉を検索してみたり……といった現代風の時間の浪費を極力抑えるようにしています。私も2022年の人間ですし、来月からの仕事はスマホアプリに深くかかわる内容なので、完全にスマホなし生活というのは不可能でありますが、別にネットニュースとかに逐一神経をとがらせる必要はないようです。

 最新の情報、真実な情報を手に入れられなくても、私はそれでいいです。情報弱者と笑いたければ笑えばいいさです。ですが、てめえらみたいに魂までは薄汚れちゃいねえんだです。はい今度は初代麻宮サキです。斉藤由貴です。80年代アイドルも大好きなんです。


 じつに私は独りよがり、人の話を聞かずに自分の話ばかりする人間であると思います。ですが、これも処世術なのです。私のようなバカがこの情報化社会で生きていくためには、ある程度入ってくる情報をセーブして、ある程度他人の意見に耳を貸さず、ある程度わがままにふるまわなければいけないのです。そうじゃないと無意識の圧倒的な力にちっぽけな自我が押しつぶされて、廃人のごとくになってしまうのです。

 そんな感じで、しばらく頑張ってみます。ようやく、自分の生き方ができるようになってきた気がする今日この頃なのでした。

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こんにちは

 ユング『無意識の心理』を再読しました

 高杉です。


 これは今からなんと100年以上前、1916年に書かれた本です。それが最初に翻訳されたのだって、昭和31年(1956年)でありますから、まあ半世紀以上前の話です。私の手元にあるのは、その1956年版をベースに若干の字句訂正をして1977年に出た『復刻版』を、2017年にリニューアルした『新装版』ですが、文章そのものは基本的に100年前のチューリッヒでユング博士が見た世界です。

 「この小著をして著者自身の諸見解の一般的入門書たらしめようとした」

 確かに序文でユング博士自身がそうおっしゃっています。ただ、最近はサブカルチャー的な場面でもよく聞く『影』とか『ペルソナ』とか『アニマ』とかが一体何なのか? ということを「手っ取り早く」知りたいのなら、お手持ちのスマホで検索すればよろしい。「わかりやすく解説してほしい」というのなら、岩波現代文庫の『ユング心理学入門』がおすすめです。河合隼雄先生の文章はとても易しく、また日本人が書いた文章なので割と受け入れやすいと思います。私も最初はこれを読みました。

 なんでわざわざこんなことを言うのかといえば、これはユング博士が41歳のころに書かれた本だからです。さらに言えば、この本のベースになっているのは1912年に発表された論文『心理学の新しい軌道』……そう、フロイト博士と決別して自分の道を歩み始めたころに書かれた本だってことです。

 そもそも著者たるユング博士自身が序文で「読者に対してかなりの忍耐と注意とを要求するものである」と言い、結語では「これほど多くの難解な新奇な事柄を敢えて盛り込もうと企てたことに対して読者のお赦しを願わねばならぬ」とお詫びの言葉を述べておられます。

 だから、帯に書いている言葉を信じて「ゲームで言ってるペルソナってユング心理学の言葉なんだよね? 面白そ~私も興味あるしぃ~でもどれから読めばいいかわかんないし~あっこれユングが書いてるじゃん入門書って書いているしこれにしよ~っと♪」と喜び勇んで本を開くと、こんな感じになると思います。



 でも、1回で理解できなくたって、いいんです。1回でわからなければ3回も5回も読めばいいんです。そのタイミングだって、3年後5年後だっていいんです。そうすれば色々な意味でパワーアップして、前よりも(たとい1%でも)深く理解できるはずだからです。


 で、今日いちばん言いたかったこと。

 ことに心理学というやつは、いつの時代も新発見があり新理論があり新見解が生まれるものですよね。私も新しい言葉に飛びついて、アスペルガー症候群を自閉スペクトラム症と言い換えたり、「自分は発達障害と診断されたけど、これは愛着障害じゃないか」と考えてみたり。まあ色々とありますが、今回『無意識の心理』を読んでいると、

 「なんだ、別に新しいものに飛びつかなくても、ユング博士が言ってるじゃないか」

 と「腑に落ちる」ことが何度もありました。少なくとも10回以上。


 私は学者でも医者でもなくて良かったなと思います。そもそも医者にすら見放された人間ですが。

 なぜなら、自分が納得するものを自由に探して、自由に取り入れて、自由に生きることができるからです。

 少しでも楽しく生きるために、私は全力で生きていきます。いつも無意識と対決し、自我に取り込みながら――時に周りの人たちとの衝突とか和解とかを経験しながら――生きていきます。

 そのなかで、いつでも何でも読み返すことができるように、ユング本3冊(『無意識の心理』『自我と無意識』『分析心理学』)は、いつも手元に置いておきたいと思った春の日でした。

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こんにちは

 くやしいけれど、これが現実

 高杉です。


 満を持して単三電池を4本セット、いよいよ30年越しの思いを込めて、そして2008年のリベンジをかけて、戦いが始まります。

 

 あんまりオセロは強いわけではないのですが、今回はなぜか早い段階でコーナーを一つ獲得、割合順調に進めていました。「これはもしかしたら、勝てるんじゃないか」そう思いながら進めていくと、いよいよ局面は終盤へ。そうなると画面上に”THINKING NOW”の表示が出て、コンピュータが長考を始めました。

 これこそコンピューターオセロ最大の大技『完全読み』が発動している証拠です。

 

 打てる手をすべて解析し、最善手を探る――果たして人間対コンピューターの対決の行方はどうなるのか!?

 ……10分後……

 ……30分後……

 ……2時間後……

 ……

 ……

 ………………対局開始から9時間後…………………




 いくら昔のコンピュータだからって、思考時間が長すぎます。これはもうコンピュータが故障しているといっても差し支えないでしょう。まあ40年前のコンピュータですから、ちょっと壊れていても不思議ではありません。リサイクルショップの『動作確認済み』は嘘偽りではありませんが、しかし……だが、しかし……!

 非常にくやしいですが、このまま待ち続けても、電池が切れるまで次の一手は出なさそうなので、泣く泣く電源を切りました。勝ちでも負けでもいいから、ちゃんと決着をつけたかった。こんな終わり方は想像していなかったし、望んでもいなかった。そんな感じです。

 ただ、だからといってこれをまたリサイクルの海に流すのは、いささか忍びない感じがします。こんな結果であっても、やっぱり私が30年以上、ずっと夢見続けてきたゲームですから。この現実を受け入れつつ、私自身の気持ちも尊重したい。そんな大人のオッサンになった私ですから、

 「久しぶりに電源を入れたから、ちょっとボケちゃったんだよね」
 「でも、ひょっとしたら、いつか電気がちゃんと通って……」
 「次の一手が進んで、ちゃんとゲームを終わらせられるかもしれないね」

 と、人間らしい不確かな希望を抱きつつ、”THINKING NOW”が出るまでプレイします。もしかしたらノーサイド、途中終了がないオセロゲームでありながら勝ち負けをつけないようにコンピュータが調整されたのかもしれません。

 

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こんにちは

 14年ぶりの復活です

 高杉です。


 単純に『コンピューターオセロ』といえば、それはパソコンだったりスマートフォンだったり、あるいはキーホルダーサイズの非常にマイクロな電子ゲームだったり……と、多岐にわたると思うのですが、私にとっては、

 「1980年代にツクダオリジナル社から発売された携帯型オセロ専用機」

 となります(据置機としてオセロマルチビジョンというのもあるので)。


 1981年生まれの私は、たぶん「最後の電子ゲーム世代」だと思っているのですが、当時のコンピューターオセロというのは『高嶺の花』でした。一般的な電子ゲームが6000円くらいだった時代に、このコンピューターオセロというのは、その2倍以上のプライスタグがつけられました。とんでもない金額です。おねだりするにも少々ハードルが高すぎます。大体、子どもだったらドラえもんの電子ゲームの方がず~っとず~っと魅力的に見えます。

 というわけで、コンピューターオセロというのは、電子ゲームでありながら、それよりも上位の――いわゆる『パソコン』とかと同じカテゴリの、高級電子機器(広い意味での『コンピュータ』)というイメージでした。


 そんな私が2008年ころ手に入れた『オセロtiny』は、だいぶんコンパクトになって、見た目的にはかなり電子ゲーム寄りになりました。初めてプレイしたときの戦果は「8対56」という大差で敗北。その後何度もトライしましたが、結局、勝てたのは1回くらいかなあ。電池の接触不良があって、動作があやしくなってしまったので、今は静態保存中ですが――

 ここに来て、より理想に近い形で、リベンジを果たす機会が巡ってきました。某リサイクルショップで、tinyじゃない本格的な機種である『コンピューターオセロM-2』を手に入れたのです。
ちなみに電池は、tinyがボタン電池2個なのに対し、単3電池を4本使用します。初期型ゲームボーイ並です。そのせいかACアダプタをつける端子があります。

 果たして26歳のころの私のリベンジを、40歳(今年の7月で41歳)になった私は果たせるのか? そもそもちゃんと動作するのか?? 続きは次回!

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こんにちは

 先日の続きを書きます

 高杉です。


 花巻市大迫町ではこの時期、街の商店などで代々守り続けてきた伝統の人形たちが展示されます。町全体で「ひな祭り」ムードを出すのです。まあここ数年は時節柄、展示しているのは本当にごくわずかなんですが、それでも300年来の歴史を生き続けてきた「享保雛」から現代にいたるまでの、人形のデザインの移り変わりを見ることができました。

 

 5人囃子のほうは、大戦後に作られた人形だそうです。特徴としては着ているものですね。色々なものが足りなくて、もう衣装を作る生地もなくなって、ビロードで作った服を着せてあげたっていうんです。洋装ですね。

 

 これは花巻市大迫交流活性化センター敷地内にある「早池峰と賢治の展示館」です。もともとは稗貫郡役場として明治時代に作られた建物で、宮沢賢治の『猫の事務所』のモデルになったところです。



 そして街は、どういうわけか万国旗がはためき、お祭りムードを最高潮に高めていました。昭和生まれの私は万国旗と旭光旗(赤白青の半円の旗)が大好きで、これが飾られていると、妙に明るくて華やかな気持ちになってしまうんです。

 様々な国の旗が横一列に並んで風になびくのを見ながら、世界平和を願う私なのでした。

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おはようございます

 とにかく思いついたことをどんどん書きます

 高杉です。


 夢の話と病気の話はあまりするべきではない、と唐沢俊一さんが昔おっしゃっておりましたが、病気の話も何度かやってるし、今更そんな気を遣ってもしょうがねえなと思ったので、今日見た夢の話をします。

 端的に言うと、「かつて苦楽を共にした職場の仲間4人で車に乗って出かけた」これが第一の夢。それから、

 「知らない街で、知らない人たちに囲まれて、電車とバスでどこかに向かった→途中で財布を見たらお金が入ってなくて、どうしようと思って探っていたら、小さく折りたたまれた千円札が見つかった→それをきっかけに小銭がパラパラと出てきて、何とか間に合いそうなので安心した」

 そんな感じの夢です。ユング心理学的には夢という要素は無意識のコンプレックスを解決するための重要な手がかりなのですが、もちろん私にはわかりません。だからこれは、あくまで私の勝手な解釈です。解釈というか、自分でいいなと思ったことがあったので、書きます。これが書きたくて今日は記事を書きます。


 要するに、無意識が私の心をむやみに不安にさせる――それがいつもの私だったのですが、今日はちょっと違ったってことです。パンドラの箱もありとあらゆる災厄が世界中に散らばったけど、最後に残っていたものがあったというし。私の財布もそんな感じで、ぐっと踏みとどまって逆に前に飛び出すきっかけを与えてくれたのです。

 パンドラの箱に、最後に残っていたもの?

 「希望」

 らしいですよ。

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おはようございます

 皆さん文化してますか

 高杉です。


 昨日は花巻市大迫町~東和町と、アートな旅をしてきました。何回かに分けて書きたいと思います。

 実際に回った順番としては後になるんですが、先に書きたいのは東和町の「萬鉄五郎記念美術館」について。


 近代美術の先駆者として岩手出身の人物<美術部門>では真っ先に上がる萬鉄五郎の出身地である東和町土沢にあるこの美術館で、いま開催されているのが『モンタン展』。これは盛岡市にある喫茶店『モンタン』……が1960年代、画廊スナックとして多くの前衛アーティストたちを招き入れ、作品発表の場を提供してきたころのアレコレを取り上げた企画展です。

 すごく衝撃的でした。

 昔のSTUDIO VOICEで1960年代の新宿を特集したときに見たような光景が、盛岡にあったんだ、と。1981年生まれの高杉は、もちろん想像以上のことはできませんが、風月堂とかグリニッジ・ヴィレッジにも負けないくらいのものが岩手県にあったってことは、すさまじく文化している街なんだという気持ちになって、ちょっと嬉しかったです。


 しかしながら、私といえばそういう文化的なものに触れて感動感激することはできても、それをして評論することはできません。展示されている作品(=当時のモンタンで開催されていた美術コンクールの入賞作品など)の一つ一つには審査員のコメントが付け加えられていましたが、たいていあれがダメこれがダメと厳しい批判が加えられています。

 何がダメなのか、わかりません。……な~んて、実をいうと「何がいいのか」もわからないんですけどね。

 ただ、現在進行形で最先端アートの発信地である「十和田現代美術館」のある青森県十和田市に住み、何度も通ってきた私から言わせれば、それでいいと思うんです。現代アートっていうのは、とにかく「ビックリしたもの勝ち」っていうか。

 「うわっ何だこりゃ!」と、ひっくり返って驚いて、そのあとで「ああ、これは、こういうことなのね」と解説をゆっくり読んで味わえばいい。最初っから難しい顔して「作品のコンセプトは……作者の意図は……」なんて考える必要はないと思うし、それをズバリ見破れないからと言って、アートを見る機会を閉ざすのはもったいないと思うのです。

 バカはバカなりに。私も色々と精神障害者らしいのですが、「キレーだな」とか「スゲーな」とか「あーこりゃなんだかわかんないよ(嬉野Dふうに)」とかって、何かしらの感想・感慨を得られれば、それでいいんですよ。難しいことは、それを職業にしている人に任せればいいんですよ。……そのうえで、もっと詳しく知りたい! と思ったら、少しずつ知識を深めていけばいいんですよ。

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おはようございます

 やられても起き上がるのがプロレスラー

 高杉です。


 NHKで放送された『燃える闘魂 ラストスタンド』を見ました。

 番組プロデューサーの鈴木健三さん……あれKENSOさんじゃないの? 「僕には明るい未来が見えません!」「見つけろテメェで!」とリング上でやり取りをした鈴木健想さんは、今はこういう仕事をされてるんですね。

 でも、これはきっと鈴木健三さんにしか、できないテレビ番組でしょうね。プロレスもテレビも、どっちもやれるKENSOさんだから。……やっぱり、こっちのほうがしっくりくるなあ。


 とりあえずビックリしたのは、やはり『燃える闘魂』アントニオ猪木の弱りっぷりですね。確かに私もあんまり好きじゃない時期がありましたが、こういう姿を見るとね……まあ聞いたことがないような難病にかかってしまったから、生きているだけ良いなあって。そうも思います。

 それよりも、(テレビでしか見たことがない人ですから)いつも第一声が「元気ですか!」であり「元気があればなんでもできる」と言っていた人が、「もう、いいんじゃねえか」「楽になりたい」と言っていたことがショックでした。かつて神と呼ばれたアントニオ猪木は、もう役目を終えてしまったのか……そう思いました。

 でも、最後まで見ると、「やっぱりアントニオ猪木だな」と思いました。確かに体は衰えてしまってるけど、まだ生きているわけですから。そして謎めいたダジャレも健在ですから。それがあるうちは元気な証拠らしいので、ちょっと嬉しくなりました。


 先だった奥さんが周囲に語っていたところによれば、「たくさん人前に出れば元気になる」のがプロレスラー。『グラップラー刃牙』の最大トーナメント篇でも、そんな感じの描写がありましたよね。観客がいれば絶対に負けないのがプロレスラーですから。ずっと見られて見せ続けてきて、古舘伊知郎さんも言っていたように「全身アントニオ猪木」だから、病気で弱っているところも何もかも隠せないんです。というか、私的にはそういうところをさらけ出してしまうのも、ある意味では強さだと感じました。

 「おれはこんなになっちゃったけど、まだ生きてるよ」

 そんな風に言っているような気がして。

 KENSOさんと同期の棚橋弘至選手が「プロレスラーとして」真面目に語ったところ。Uインター時代の映像でしか見たことがなかった宮戸優光さんが「猪木信者として」何度も引っ張り出しているところ。そして30代、プロレスラーとしての全盛期に躍動していた「キラー猪木」時代の映像。

 昭和から令和へ。やっぱり元気にさせてくれるのがプロレスラーなんです。日本のプロレスの元祖は力道山ですが、いまの日本のプロレスをけん引している「新日本プロレス」の元祖はアントニオ猪木。時代に合わせてスタイルは変わるべきだと思いますが(私は現代プロレスも大好きです)、

 「やられてもやられても、また立ち上がる」
 「相手の力を9受けて、そのあと自分が10の力を出して勝つ(風車の理論)」

 そんな熱さの源泉、地球の内部コアのようなものは、やっぱりアントニオ猪木が作ったんです。リングに上がらなくても一人で立って歩けなくても、その圧倒的な存在感で「誰も世代交代させていない」(by棚橋選手)アントニオ猪木というのは絶対的な存在なのです。


 ポルシェとサグラダファミリアを語るときに「ゴシックとイコン」という表現を使った福野礼一郎さんの文章を思い出しました(『幻のスーパーカー』を参照)。より良いものがあればドンドン取り入れるプロレスをゴシックとするのなら、どれほど時間が経っても変わらず人々を引き付けるアントニオ猪木はイコンになるのかな。なんて妄想めいたトキメキの余韻を味わいつつ、今日の文章をしめます。

 以上~!(10年前のKENSOさん風に)


 追記:

 公式ホームページを見て「アレッ?」と思ったので書きます。私は昨日19時半から20時15分まで放送されたのを見ました。でもこれ、本来は去年の11月にBSで放送されたもの、だったんですね? だから馳浩さんとか青木真也選手とかは出なかったのかな。藤波さんとか藤原組長は出ていらっしゃったんですけどね。

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こんばんは

 急いで書きます

 高杉です。


 今朝のラジオでこんなことがありました。大体のまとめです。

  男性キャスターが「プーチンは狂ってますね」と発言。

  女性キャスター(解説者?)が「プーチンは2008年にアメリカの情報機関からアスペルガー症候群だと言われた」「アスペルガー症候群のひとは、えてして極端な行動に走りやすい」と指摘。

  男性キャスターが「私も以前、アスペルガー症候群を自称する実業家の人と会ったが、前日の約束を次の日には完全に忘れていたりしてびっくりした」と発言。

 この時点で私はラジオを消しました。

 私もまた自閉スペクトラム症(=ラジオのパーソナリティの人たちが言うアスペルガー症候群)と診断され毎日向精神薬を飲んでいる身ですから、このラジオの向こう側にいる人たちが、こんな風に言っていると自動思考システムが働いてしまったのです。すなわち、

 「アスペルガー症候群の人は狂っている、だからこういう行動に出る」

 そのことに腹を立ててラジオを消したのは、これ以上、自動思考に苦しめられたくないからです。何を言っても「ホラ、これだからアスペルガー症候群の人は……」「そうそう、そんな風に極端な言動に行っちゃうんだよ」「狂ってるんだよ」と言われる(ような気になる)んですから。


 思い出そうとすれば思い出すほど、嫌な気持ちでつぶれそうになります。だから最後に、急いで、言いたいことを書きます。

 私も含めた多くの人は、そうなりたくて、そうなったわけではありません。それがために社会的にすごくつらい思いをしていて、何とかしたい何とかなりたいって思っている人がたくさんいます。

 とはいえ私が通っている精神科の医師も、薬を処方するだけして「あとは自分で何とかして」と放り出すような有様です。自分でも医師でも治せないから、周りの人たちがそれを個性として上手にコミュニケーションするしかないんです。

 私も当事者ではあるものの、逆に自分が同じような自閉スペクトラム症の人と接するさいにも、うまく一緒にやれるよう努力しています。

 それなのに、「アスペルガーだから狂ってる」という口調でゴミクズ同然に打ち捨てるような言い方をされたのでは、全人格を否定されたような気持ちになってしまいます。それを朝6時にやられたのでは、たまったものではありません。


 はい、そういうわけで、この話題は切り上げます。「嫌なら聞かなければいい」ええそうです。だから私は朝6時には、「三宅民夫のマイあさ」を聞くようにします。「生島ヒロシのおはよう一直線」は絶対に聞きません。以上!

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おはようございます

 何はなくとも書きます

 いぬがみです。


 戦争とか病気とか、世間的なレベルで深刻な問題がたくさんあります。それでも私の身の回りの人たちは食料品の値上げとか毎月のカード払いの返済額が足りないとか何とかっていう、すごくパーソナルな問題にばかり心を砕いています。

 そんなことでいいのでしょうか。ウクライナの情勢がこれからどうなるかを考え、行動しなくちゃいけないんじゃないでしょうか。新型コロナウイルスの感染が一日も早く収まるよう、何かをするべきじゃないでしょうか。

 ……な~んてね。それは非常に難しい問題です。関心がないわけではありませんが、私の心は一部がすでに壊れてしまっているので、テレビのニュースなどを見ていると、なんかすご~く意地悪な気持ちになってしまうのです。

 たとえば、外国の人へのインタビュー画像などを報道する時に、わざわざ吹き替え音声なんかを入れられると、「過度に見ている人の感情をあおろうとしてるんじゃないか」と思ったり、いわゆる専門家と呼ばれる人のコメントに「そんなもんなのかね」って思ったり。そうかといってSNSで情報を追い求めたりはしませんが。

 基本的に情報はNHKのラジオニュースくらいの量で充分です。あとは新聞とかもいいですね。思想的な左右上下はあるでしょうけど、少なくとも文章としてカチリとしているから。最近はネットニュースも以前よりもずっと見ないようになりました。速報性はあるかもしれませんが、それが本当かどうか怪しいですからね。


 そう、このブログも含めて、誰でもいつでも発信できる情報というのは、すごくあやふやなのです。私の語っていることだって、そもそも誰も見ないと思いますが、たいして役に立つものでもありません。

 でも、いいんです。不完全な人間たる私には、こういうことしか、できませんから。

 何ができるのか。できるとしたら、それがいつなのか。それがわからない以上、私は私の日々を生きていくしかありません。そのためにこのブログを書きます。昨日、今日、明日を生きるために。

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こんばんは

 青森からの引っ越し、完了しました

 いぬがみです。


 じつに7年近く、青森にいました。

 色々なことがありました。

 気持ちが乱れて、本当につらい時期もありましたが、大きく人生を変えるきっかけをいくつもつかむことができました。

 次の仕事は4月1日から。今度は宮城県仙台市です。プロフィールのところも変更しなければなりません。岩手生まれの岩手育ちってところは変わりありませんが、もう岩手で暮らしているわけではありませんからね。

 
 まだギリギリ2月ですが、3月は自分にとって次のステージに進むための準備期間です。1か月も丸ごとフリー(有休消化中)なので、身の回りの物を整理したりして、40年目のニューデイズを準備していきたいと思います。

 さしあたって、ブログのテンプレートを変えました。タイトルも変える予定です。

 本来であればブログそのものを引っ越して新しい場所で始めればいいのでしょうが、何せ15年以上、やってきましたからね。やっぱりこのURLを変えたくないので、それ以外のあれこれを変えていきます。


 岩手から青森に行った時は、同じグループの違う職場に移ったので、ある意味では地続きのような感じだったんですよね。歴史的にも岩手と青森は割と近しい関係ですし、青森・岩手・秋田で「北東北」というカテゴリに分類されることもあるのでね。

 一方で、宮城。しかも、仙台。東北を2分すれば「南東北」のカテゴリになりますし、6県合わせて「東北地方」とすれば、まず間違いなくリーダー格です。都市レベルが違います。何せ東北唯一の政令指定都市ですからね。たとい北東北3県が力を合わせたとしても仙台さんにはかないません。

 それゆえに、ずっと憧れてはいたものの、なかなか踏み出せませんでした。


 でも、今回、踏み出すことができました。

 そんな日々に向けて、今日から色々と書いていきたいと思います。

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