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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
おはようございます

 やられても起き上がるのがプロレスラー

 高杉です。


 NHKで放送された『燃える闘魂 ラストスタンド』を見ました。

 番組プロデューサーの鈴木健三さん……あれKENSOさんじゃないの? 「僕には明るい未来が見えません!」「見つけろテメェで!」とリング上でやり取りをした鈴木健想さんは、今はこういう仕事をされてるんですね。

 でも、これはきっと鈴木健三さんにしか、できないテレビ番組でしょうね。プロレスもテレビも、どっちもやれるKENSOさんだから。……やっぱり、こっちのほうがしっくりくるなあ。


 とりあえずビックリしたのは、やはり『燃える闘魂』アントニオ猪木の弱りっぷりですね。確かに私もあんまり好きじゃない時期がありましたが、こういう姿を見るとね……まあ聞いたことがないような難病にかかってしまったから、生きているだけ良いなあって。そうも思います。

 それよりも、(テレビでしか見たことがない人ですから)いつも第一声が「元気ですか!」であり「元気があればなんでもできる」と言っていた人が、「もう、いいんじゃねえか」「楽になりたい」と言っていたことがショックでした。かつて神と呼ばれたアントニオ猪木は、もう役目を終えてしまったのか……そう思いました。

 でも、最後まで見ると、「やっぱりアントニオ猪木だな」と思いました。確かに体は衰えてしまってるけど、まだ生きているわけですから。そして謎めいたダジャレも健在ですから。それがあるうちは元気な証拠らしいので、ちょっと嬉しくなりました。


 先だった奥さんが周囲に語っていたところによれば、「たくさん人前に出れば元気になる」のがプロレスラー。『グラップラー刃牙』の最大トーナメント篇でも、そんな感じの描写がありましたよね。観客がいれば絶対に負けないのがプロレスラーですから。ずっと見られて見せ続けてきて、古舘伊知郎さんも言っていたように「全身アントニオ猪木」だから、病気で弱っているところも何もかも隠せないんです。というか、私的にはそういうところをさらけ出してしまうのも、ある意味では強さだと感じました。

 「おれはこんなになっちゃったけど、まだ生きてるよ」

 そんな風に言っているような気がして。

 KENSOさんと同期の棚橋弘至選手が「プロレスラーとして」真面目に語ったところ。Uインター時代の映像でしか見たことがなかった宮戸優光さんが「猪木信者として」何度も引っ張り出しているところ。そして30代、プロレスラーとしての全盛期に躍動していた「キラー猪木」時代の映像。

 昭和から令和へ。やっぱり元気にさせてくれるのがプロレスラーなんです。日本のプロレスの元祖は力道山ですが、いまの日本のプロレスをけん引している「新日本プロレス」の元祖はアントニオ猪木。時代に合わせてスタイルは変わるべきだと思いますが(私は現代プロレスも大好きです)、

 「やられてもやられても、また立ち上がる」
 「相手の力を9受けて、そのあと自分が10の力を出して勝つ(風車の理論)」

 そんな熱さの源泉、地球の内部コアのようなものは、やっぱりアントニオ猪木が作ったんです。リングに上がらなくても一人で立って歩けなくても、その圧倒的な存在感で「誰も世代交代させていない」(by棚橋選手)アントニオ猪木というのは絶対的な存在なのです。


 ポルシェとサグラダファミリアを語るときに「ゴシックとイコン」という表現を使った福野礼一郎さんの文章を思い出しました(『幻のスーパーカー』を参照)。より良いものがあればドンドン取り入れるプロレスをゴシックとするのなら、どれほど時間が経っても変わらず人々を引き付けるアントニオ猪木はイコンになるのかな。なんて妄想めいたトキメキの余韻を味わいつつ、今日の文章をしめます。

 以上~!(10年前のKENSOさん風に)


 追記:

 公式ホームページを見て「アレッ?」と思ったので書きます。私は昨日19時半から20時15分まで放送されたのを見ました。でもこれ、本来は去年の11月にBSで放送されたもの、だったんですね? だから馳浩さんとか青木真也選手とかは出なかったのかな。藤波さんとか藤原組長は出ていらっしゃったんですけどね。

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