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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
復興が進まなくても、心の整理がつかなくても、時間は経つのだ。それが今日思ったことです。

4年前の3月11日のことは今でも覚えています。

震災のこと、被災地のこと。そのことを一日も忘れたことはありません。

それだけに、色々と思うことがあります。そして、どんなに思ってみても、今すぐすべての被災した人たちをハッピーにすることはできないし、どうすればいいかも思いつきません。

あきらめてしまいそうになります。


正しくなくてもいいです。私はやれることをやります。

これまでも、これからも。

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大槌町には電話線がどこにもつながっていない電話があります。ただ、その電話機はそばにいない人、すぐには会えない人と話すことができると言います。それは心で通じ合うための電話――『風の電話』というそうです。

こういうのがあること、皆様は知ってましたか? 恥ずかしながら私は昨日まで知りませんでした。なんだか、村山早紀先生の小説みたいだな・・・・と思っていたら、すでに絵本になっていましたね(いもとようこ『かぜのでんわ』金の星社より)。

受話器を手に、会えなくなってしまった誰かと話す人、泣き続ける人、それから電話ボックスに入ることさえ出来ない人。色々な人がいるそうです。

この、電話ボックスってのが、また素敵じゃないですか。ニュースを聞いた時、思わず私もこみ上げるものがありました。本当に、素敵だと思います。

復興住宅の整備とか、三陸鉄道の全線開通とか、そういう復興の動きは時々聞こえるものの、心の時間は震災の時から止まったまま・・・という人もいます。正直なところ3年前にはそういうの、あまり理解できませんでしたが、今ならわかります。そういった人たちのメンタルな部分に私は直接タッチできないので、こういうのがあると聞くと、もう非常に心が温まるというか・・・目頭が熱くなるというか・・・。

『風の電話』。本当にいい響きです。

私にはさしあたって、この電話で話したい人はいませんが、いつか一度行ってみたい。単純にそう思いました。

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3年前まで、日常は変わらないものと信じて疑いませんでした。

その日も、いつものように朝にブログを書いて。いつものように、なんだかどうでもいいような内容の、それゆえにごく日常的な内容の。

そして次の日は土曜日で休みだから何をしようかな、なんてことを考えながらいつものように仕事をしているときに、あの地震が起こったのでした。


数日後にはまた日常が戻ったものの、もしもあの時、私が二度とブログを更新できないような状態になったら、と思うと・・・・あの記事を見て私が無事だと思ってくれたnkyさんに申し訳ないことをしたな、と思います。あれは地震が起こる前に書いた記事でしたから。

あれから、何度かブログをやめようと思ったことがありました。まあ何とか今も続けてはいますが、PCが故障したことなどもあり、更新頻度が思いっきり下がりました。そして更新するときも、以前のように身の回りのどうでもいいようなことを書く気になれません。なんか、色々と考えちゃうんですよね。


でも、まあ、いずれにしてもこのブログが私の消息を確認する役割を果たしているのかな、と思うと、やっぱりやめられませんね。私もかれこれ10数年ホームページを運営しているものの、閉鎖されたり何年も更新されていないサイトを見ると、なんだかさびしくなりますもんね。

だから、その、これからはもう少したくさん、記事を書こうかなと思います。出来るだけね。少しずつですけどね。



いつもの日常に感謝し、みんなが安心して過ごせる日がくるまで。Pray for Iwate.

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東日本大震災から3年が経ちますね。
 
 この3年間、被災地のことを考えなかった日はありません。
 
 その上で、この3年という年月は長かったのか短かったのか? というと、よく・・・わかりません。3年という時間を考えれば確かに長いと思いますが、復興の進み具合という点から見れば、「もう3年も経ったのに、まだこんなものなのか」という感じもします。
 
 それでも、仮設住宅から復興住宅へ引っ越す人たちも少しずつ増えてきたから、確実に復興は進んでいるんでしょうけど、もっともっとペースをあげる方法はないものか? と思ってしまいます。人が足りないとか資材が足りないとか、工事を発注しても入札がないとか、そういう、誰にもどうしようもない理由でペースが遅くなっているという理由を踏まえたうえでね。
 
 
 私は私に出来る範囲で、沿岸の街のために出来ることをやっていきます。
 
 去年はようやく宮古市に行き、市場や観光地などを回ることが出来ました。遊覧船から破壊されたままの防潮堤を見た時は、「これが今の景色なのだな」というショックで力が抜けそうになりましたが、なればこそ何か出来ることをしなければいけませんよね。keep on movin'ですよ。
 
 岩手の人は岩手を、宮城の人は宮城を、福島の人は福島を。まずは同郷を助け、それから余力があれば隣の県の人たちを助ける。私自身も7月以降、どうなるかわからない状況になってきましたが、今出来ることをするのが人の道というものでしょう。
 
 これからも犬神は、岩手・宮城・福島の復興を応援します。

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今日はあの震災から1000日目の節目だそうです。

 1000日も経ったのに、いまだに仮設住宅に住んでいる人の割合は8割以上だといいます。

 用地の確保ができないとか、復興住宅を建てる業者が確保できないとか、全般的に人が足りないとか。それぞれ理由はあると思いますが、実際に仮設住宅に住んでいる人たちの心情はどれほどのものか。……思うところはありますが、言葉にはしません。どれほど言葉を尽くしても足りないから。たぶん。

 今日は、そういう日ですので、その震災関連でこないだ体験したことを書きたいと思います。しばらく立ち上がれないくらい気持ちが崩れてしまった。そんな体験でした。

 それは、たまたま観光で西和賀町というところに行った時のことでした。


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 紅葉が綺麗だと評判の『弁天島』というところに行き、まあそれなりに景観を楽しんだ後のこと。まだ帰るまでには少し時間があったので、さらに南下して『碧祥寺博物館』というところに行ってみました。

 これは最初から「ここに行ってみよう」と思ったわけではなく、たまたま走っていたらその看板が目に入ったので、ちょっと立ち寄ってみようと思ったわけです。実際どんなところなのかというと、いわゆる民族資料館といった雰囲気ですね。実際に民家で使われていた農具とか生活用品とかを所狭しと並べているような場所。それは江戸時代から昭和時代まで、数も年代もすごく広かったです。

 あとは、どういうルートで仕入れたのかよくわからないのですが、海外の巨大蛇(5メートル以上)の抜け殻とか、そういう異国情緒の漂う資料室があったり、かつて『マタギ』と呼ばれた人々が使っていた道具や習慣などを専門に取り扱った資料室があったり、さらに日本屈指の豪雪地帯らしく除雪道具などを専門に取り扱った資料室があったり……と、第一から第五まで部屋があるんですね。入場料はありますが、とにかくこのケイオスっぷりも含めて見ごたえは十分です。


 お寺の本堂は、その「ついで」という気分でした。まあせっかくきたのだし、ちょこっと挨拶がてら立ち寄っていこうかしらん。そんな軽い気持ちで本堂に足を踏み入れたのです。

 岩絵の具を使って描かれたインパクト抜群の仏画に「おおう……」と感嘆しつつ本堂の中をぐるりと歩いていると、見覚えのある絵が数枚飾られていました。これは仏画と違って、水彩絵の具でしょうか、淡くてとても穏やかな印象です。

 それが納棺復元師である笹原留似子さんの著書『おもかげ復元師の震災絵日記』で見た絵だということは、すぐに気づきました。しかしながら、正直なところ笹原さんの自画像だと思っていたその絵が、震災で亡くなった女性の絵だということに気づいた時、思わず頭の中が真っ白になるような衝撃を受けました。

 そんなぼんやりした意識のまま、数枚の『絵日記』を眺め……。

 ……もはや立っていることさえできなくなった私は、あわてて部屋の中心――ちょうど本尊の真正面ですね。そこに正座し、両手を合わせて目を閉じました。

 ようやく立ち上がった時、時計を見ると20分くらい経っていました。 


 自分はどこまでも無知で無力なものだと思いました。立ち上がれなくなるくらい。

 同時に、「だからお寺ってあるんだな」と思いました。お寺というか、仏教というか。

 こうして、どんなに打ちひしがれても、それを全部受け止めてくれるし、また立ち上がる力を与えてくれるから。

 
 笹原さんの絵日記、この場所だったから受け止められたと思います。

 普段の生活では様々な理屈を並べ立てて、それで自分を守りながら生きているから、絶対にきちんと受け止められなかったはず。

 たぶん、日常生活に支障が出ていたでしょう。

 だから、これもご縁なのかな。そんな風に思いました。 


 *


 最近、ネットで何を言われようと『見ないから』平気、という人にあこがれています。解剖学者の養老先生とか、プロレスラーの武藤さんとか。

 そういう思いが、福岡伸一先生の『せいめいのはなし』を読んで、いっそう加速しました。

 まあ、色々と思うことはありますが、一言で表せば「縛られているな」ということ。

 前にどんなことを思い、どんなことを言ったか。それはこのブログにしっかり『情報』として残っているから、新しい何かがあっても「前は、こう言ってたしな……」とかって、自分で自分を縛ってしまう。そんな感じ。

 それが、これまで何年も続けてきたこのブログを否定することだとは理解していますが、それでも、

 「このままじゃ、縛りがきつすぎて息が詰まっちまう」

 そう思うのです。


 もうブログやめます、とは言いません。

 逆に、こう宣言します。


 私は趣味も思想もコロコロ変わる人間です。

 おいしそうなものがあったら、好き嫌いを言わずに食べてしまう雑食野郎です。

 だから、私の言うことは信じないでください。


 ……このくらい言っておけば、大丈夫かな。


 *


 さて、色々と長くなりましたが、そんな感じです。

 もしかしたら、しばらく、ブログを更新しない時期があるかもしれません。

 そんな時は、私が敬愛してやまないリュウ(ストリートファイター)の如く、色々なことを考えながらネット以外の世界を旅しているのだと思ってください。

 最後に、『ストIII』のエンディングテキストを丸ごと引用して終わりにします。



『真の格闘家とは?』

『なんのために強くなるのか?
 勝利の先に何が見えるのか?』

若い頃はこんな疑問が浮かんだら
一日中頭から離れなかった‥‥

あるがままを受け入れればいいのか

それとも苦悩の末、見つけ出すのか



フッ‥‥まだまだ、だな

今の俺は
落ち葉の行方も知らない

強者を思い、この腕が奮う限り‥‥
指一本にでも、力がこもる限り‥‥

闘うだけだ!




 では、また。


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 さる1月17日は、阪神・淡路大震災から18年が経った日でしたね。

 ……私は神戸からず~っと離れた岩手県の人間だったので、あの日の出来事は朝のテレビニュースで知りました。私自身はいつもどおりの朝だったので、テレビの中の光景は非現実的に映りました。

 今、遠く離れているとはいえ、同じ日本の中で何が起こっているのか。時間が経ち、それを理解するにつれて、「大変なことが起こっているんだ」ということをゆっくりと理解しました。当時、まだ中学1年生でした。


 あれから18年。……ずいぶんと時間が経ったものです。

 私は直接的な被害をこうむったわけではありませんが、それまでのぽわんとした(by森山良子)気持ちが少し改まりました。それでなくても95年というのは日本中を揺るがす事件が連発した年でしたからね。振り返れば色々なことがあったなあと思う今日この頃です。

 ただ、それでも阪神・淡路大震災についての知識はずいぶんと不足していました。そのことを昨日放送されたNHKスペシャル『阪神・淡路大震災18年 大都市被災 その時日本は』を見て感じました。

 水は? 食料は? インフラは?? こないだ被害を受けた岩手・宮城・福島とは人口も経済規模も違うので、どっちが大変だったかとか、そういう話ではありませんが……「こんな感じだったんだな」と。当時震災にあった人たちの振り返りを聞きながら、思いました。

 その中でも驚いたのが、銀行の対応。その場の判断で、預金残高が紹介できなくてもとりあえずお金を出すっていうふうに決めたらしいんですね。通常だったらありえないことですが、「緊急時だから仕方がない」と踏み切ったことは、本当にスゴイことだと思いました。


 今はすっかり元通りになりましたが、今度は南海トラフ巨大地震というものが想定されているそうですね。コレが来ると神戸・大阪さらに名古屋がまとめて大打撃を受け、西日本の生活基盤がすべて破壊されてしまうとか。……もちろん西日本だけではなく、私たちの住む東日本にもきっと影響が及ぶでしょうからね。大変なことになってしまいます。

 もちろん、そうなったらどうするかという「最悪のシナリオ」への対処方法は、各業界で日夜練られているそうです。スーパーとか、通信業界とか、銀行とかね。

 そういうことがなければいいのですが、こればっかりは地球に住んでいる以上、地球さんの都合に合わせるしかありません。あとは自分自身である程度気持ちと物資の準備をしておくことでしょうか。テレビの中でも誰かが言っていましたが、「国は何をしてくれるんだ、お上は何をやっているんだという前に、まずは自分で何とかする準備をした方がいい」「そうじゃないと結局、自分が苦しいから」と言っていました。さしあたって、みんなで元グリンベレー大尉の柘植久慶さんが著した『サバイバル・バイブル』を読みましょう。

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 昨日の17時過ぎに三陸沖を震源とする震度5弱の地震……かなり恐かったです。

 ちょうど、仕事を終えて退社しようかと思っていた時にグラグラッと来て。すぐにテレビをつけると松崎しげるサンの番組が打ち切られ、ニューススタジオからの生放送になりました。

 しばらくして津波警報・津波注意報が発表されると、緊迫感は一気に高まりました。画面に映し出された『津波! 避難!』というテロップ。「すぐに避難してください。東日本大震災の時を思い出してください」というアナウンサーの言葉。

 あの時も金曜日だったな……あの時も、ちょうどガソリンが切れそうだったから、今日あたり入れに行かなきゃいけないなと思っていたっけな……。

 そんなことを思い出しながら、しばらく会社で様子を見ていました。さすがの犬神もあの震災以来、地震に対してはめっぽう(精神的に)弱くなってしまったので、少しばかり心が震えていました。


 まあ内陸も沿岸も、昨日の19時時点では目立った被害はなかったということですが(※)、やはり経験があるだけにね。必要以上にナーバスになってしまいます。それはIBCのアナウンサーさんたちもそうでした。それもそうだよな、と思います。

 それなのに? 国道4号は大渋滞。そしてガソリンスタンドは混雑。私は実際にガソリンが少なくなっていたし、いつも(ポンタカードのポイントが2倍になる)金土日に入れるので、立ち寄った時は「いつもの土日」くらいの混み具合でしたが、私が給油を終えた頃にわかにバタバタと混み始めました。

 これらすべてが、私と同じような動機で給油しに来たとは思えません。地震だからと言って、あわてて給油しに来た人も少なくないのではないでしょうか。

 今回は盛岡市内、停電したとか何とかってわけじゃないんだから。そんなに急にガソリンがなくなるわけじゃないんだから。そんなのちょっと冷静になって考えればわかることだと思うのですが……。

 『正常性のバイアス』なんつって、危険な時に「まあ大丈夫だろう」と言っていたら被害に遭った……なんていうことが、あの震災の時に問題になりましたが、これは逆の意味で問題です。当時、清水草一さんも『不要不急の給油はするな!』と言っていました。結局なんにも学んでいないのか、それとも必要以上に不安感を感じるのか。

 いずれにせよ、およそ理性のある人間らしい行動とは思えません。エヴァンゲリオンではありませんが『せめて、人間らしく』ですよ。

 
 (今朝7時のめざましどようびによれば14人がケガ、1人行方不明ということでした。……その行方不明になった人というのは岩手県久慈市の人で、津波注意報が出た後に船で沖に出て、その後無人状態で船だけが発見されたということです)

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 いま生きている人は、これからも生きていかなきゃいけないんだろうな。1年半前からそう思うようになりました。

 命があるだけでも……と言うのは簡単ですが、それさえも容易ではありません。あれから1年半が経ったわけですが、すでに話題は被災地の現状からそれ以外の場所のこれからに移っている感じがあります。今から20年後に原発をなくすとかなくさないとか、今すぐなくせとかなくせないとか。

 確かにそれも大事なことです。でも私はそれ以前に岩手県民ですから。まずは岩手の人のために何かをしたい。そう思うのです。

 正直なところ、よくテレビで流している原発云々という話には、ほとんど興味がないのです。「そんなの、勝手にやってくれ」という気分です。


 先日NHKで「被災地の現状」についてのテレビ番組を見ました。

 私の力だけではどうにもならない現状がそこにあることを実感しました。個人レベルではどうにもならない現状。家とか土地とか仕事とか。

 実際そこに住む人も生きて行かなきゃいけないから、住み慣れた地元を捨てて別なところに行ってしまい、ずっと続いてきたコミュニティが消えかけているという話を聞いた時、「そうか」と思いました。絆だなんだと騒ぎ立てても、生きていかなきゃいけないという現実の前には……。


 いま私が個人的に直面していることも、私自身の物差しで計れば非常につらい決断をしなければいけないことです。気持ちも不安定になることが多く、そのために前のようなスチャラカな記事を書くこともできません。

 でも、おれは生きていかなければいけないのだな、と思いました。とりあえず、今こうして生きているのだし。それに、大好きな海沿いの街の人たちの力になりたいし。

 絆とか心をひとつにとか、いまさらそんな言葉を振りかざすつもりはありません。そんな言葉はいりません。

 私は岩手が大好きです。海が大好きです。だから海沿いの街が大好きです。それで十分でしょう。

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 9月だと言うのに今日の日中の予想最高気温が30度越えという厳しい状況ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 さて今日は『防災の日』。かつて多くの人が犠牲になり、帝都・東京が灰燼に帰した関東大震災が起こったのを教訓に、防災についての意識を高めるために設定された日です。……たぶん。

 小学生のころはこの日、必ず避難訓練をやっていました(ほかにも何度かありましたが)。この時は集団で昇降口からドタドタと出てくるのですが、何で折りたたみ式の滑り台を使わないのだろう? といつも思っていました。……あれは本当に最後の手段なんでしょうね。ちゃんと自分の足で昇降口まで下りられるのなら、その方がいいに決まってます。今なら、何となく想像もつきます。


 さて、昨日の「めざましテレビ」でも様々な防災用品が紹介されておりました。なんか、ずいぶんとハイテクというか、不思議なグッズもたくさんありました。特に何もなくても使って見たいなあ、と思うような。

 当家には特にそういった特別なアイテムは何もありませんが、「これがあったからよかった」というものもありました。そう、去年の3月11日のことです。

 
 1.懐中電灯

 これは言うまでもありません。停電で真っ暗な状態でしたからね。とりあえず大型のものを上向きにしてひとつ置き、トイレなどに行く時は別なものを手持ちにして行きました。やはり人間、明かりがないと何もできません。特にみんなで同じ部屋にいる時なんかは、広範囲に光が届くようなものがあると安心です。

 2.ラジオ

 これも当然です。停電状態で、今外で何が起こっているのかまったくわからない状況にあって、唯一の情報源はラジオでした。やはり取り回しがいいというか、情報が早いのはラジオです。そして情報というだけでなく、気持ちを支え、前に進む元気を与えてくれたのもラジオでした。これは後に『その時、ラジオだけが聴こえていた』を読んだ後にまた書くと思いますが、ラジオのよさを30年間でもっとも味わった数日間でした。

 3.卓上コンロ

 これなんかは、柘植久慶氏の『サバイバル・バイブル』でも取り上げられていましたが、かなり役に立ちました。3月のまだ寒い時期ですからね。それ単体で暖かい食べ物を食べられるので、本当に助かりました。もちろんこれは電気が止まっただけで、水道が無事だったからというのもありますが。ガスボンベの予備さえあればかなり有効です。災害時だけでなく、日常でも使えますしね。


 とりあえず、この3つでしょうか。

 私の家は内陸中の内陸にあるので、今回の震災ではそれほど大きな被害はなく、停電が復旧すれば大体元通りの生活になりました。そのため、あくまでもこれは当家に限ったケースではありますが、とりあえずね。

 昨晩もフィリピンで大地震があり、一時的に日本沿岸全域へ津波注意報が発令されました。災害はいつ来るかわからないですから、常に物心両方を備えておきましょう。ほら、備えあればうれしいなと言うじゃありませんか(まさかの岸和田博士オチ)。

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 初めてその名前を聞いた時は、

 「おいおい、13歳の中学2年生ってか。ずいぶんと若いなあ」

 と思ったのですが、よく考えたらそれ以下の年齢でCDを出している子も少なくありませんからね。なるほど、じゃあその部分についてはよしとしましょう。

 ええ、大槌町出身の『歌手』臼澤みさきちゃんのことです。

 所属レコード会社の公式情報(音出ます)

 歌のバックボーンが民謡って言うのもなんか新鮮ですが、歌を聴いてみると……あれっ、なんか、いいじゃないですか。東日本大震災をきっかけにメジャーデビューをしたという経緯ですが、そういったことを抜きにして、なんか心に響く歌なんです。このところ少々殺伐とした日々をすごしてきただけに(?)、ふっと気持ちが楽になったというか。
 
 うん、いいんじゃないですか、臼澤みさき。7月25日メジャーデビューということですが、ラジオでは早くも楽曲が流れています。今月のFM岩手イチオシの曲にもなりました。Underpath! の『One』も、5月だったかな、FM岩手がどんどんプッシュしていたら、今度は就職情報誌のCMソングになりましたし。今後よりいっそうの活躍を期待します!


 おまけ

 youtubeで臼澤みさきちゃんのことを検索したときに出てきた関連動画。

 

 不謹慎といわれるかもしれませんが、爆笑してしまいました。カン元首相のハジケっぷりは何なんでしょうね。元気ハツラツはいいんですけど。

 あと、ノダ首相の『二股謝罪会見』が本当に面白かったです。犬神も思わずDVDがほしくなってきました。

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 そもそも何のための企画なのかと言えば、復興へ東北六県で力をあわせて頑張ろう、っていうことだったんですよね。

 とはいえ祭りというのは、そういった理屈をぶっ飛ばして、とにかくエキサイティングに盛り上がることが本分であって。そういう意味では今回の『東北六魂祭』、なかなかの成果を挙げたのではないでしょうか。

 何よりも私は秋田の竿灯祭りを至近距離で見られたのがうれしかったです。卓越した膂力とバランス感覚を兼ね備えた者だけが持てるあの竿は、男塾の喝魂旗に相当するものであると私は認識しています。とにかくスゴイ! それだけです!

 あとは、岩手のご当地アイドル『ふじポン』をかなり近い距離で見られたことがよかったかな。今回のパレードで総合司会を担当していましたからね。思わず私も携帯カメラで写真でもと思いましたが、それはよすことにしました。


 初日の動員は主催者発表で11万3000人。ということは昨日も10万人くらいは軽く動員したでしょう。盛岡市の人口が大体30万人くらいですからね。この2日間は、盛岡市の気温が平均よりも5度は上昇したと言われています(そんなことはない)。

 本来ならば私もその熱気に浮かされてワーワー言いたかったのですが、終日仕事だったので、昼休みにちょこっと見に行ったくらい。合計すれば10秒程度でしょうか。そんなわけで腹いせに後片付け真っ最中のメイン会場を軽く冷やかして帰ってきました。

 腹いせに、とは言ったものの、やはり祭りの後と言うのは少々さびしいもの。中央通はすでにいつも通りの道となっていて、市役所の広場ではねぶたの解体工事が行われていました。そしてメイン会場では、まだ一部の露店が営業していたものの、もはや疲れきって休むお客さんと後片付けにいそしむスタッフばかりでした。

 本格的に参加できなかったことが、改めて残念に思われました。


 しかしながら、これはあくまでもきっかけに過ぎません。とりあえずこの祭りで爆発して生まれたエネルギーを、これからの日々に役立てていけばよろしい。正直なところ毎日が祭りのテンションでは、いかにお祭り大好きお祭り野郎の犬神とて疲れてしまいますからね。

 ま、そんなこんなで今日からまたがんばっていきましょう。

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 昨日の岩手日報で読んだのですが、我が県の日本酒が売れまくっているそうなのですね。2011年度の実績は、前年度と比べて10パーセント~30パーセントほどプラスになっているとか。

 これはもちろん復興支援という気持ちからでしょうね。それまで日本酒を飲んだことがない人も、そういった気持ちから買って飲んでくださっていると。ありがたいことです。

 もっとも、記事によればこれは一部の蔵元だけであり、たとえば大槌町の赤武酒造さんなどは作りたくても作れなかった状況でした。津波で作るための蔵が壊滅してしまったからです。その間は「指をくわえて見ている状態」(古舘秀峰社長)であったといいます。

 しかしながら、そんな赤武酒造さんも12月から盛岡で製造を再開。現在は大槌町の(震災前の)人口と同じ15,994本の出荷を目指して奮闘しているところです。その数字は公式ホームページで確認することができますが、8日現在12,955本を販売しています。あと3,039本です。……週に200本くらい売れているようなので、このペースで行けば夏ごろには達成できるのではないでしょうか。

 ネットショップでもお近くのスーパーでも、20歳以上の方はぜひ飲んでいただきたいものです。

 そして、こんなことを言うのだから、私も1升ビンを2~3本買って毎日飲みまくるべきなのでしょうが、私は車を運転しなければいけないので習慣的な飲酒をしないんです。5年ほど前は日本酒に凝っていたのですが、最近は……。ノンアルコールの日本酒とか開発されたら、水みたいに飲みまくるんですけど(あるわけない)。

 まあ、それは冗談ですが、時々お酒を飲む機会はありますからね。そういった時はぜひ飲みたいと思うのですが、そういう時はみんなでワイワイやってるからビールか鏡月グリーンなんですよね。ダメだこりゃ(ダミ声で)。

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 昨日は岩泉町経由で久慈市に行ってきました。……地名を言ってもあんまりピンと来ないと思うのでわかりやすく言うと、あの震災で津波の被害を受けた沿岸部の街に行ってきたのです。

 まあ、詳細な旅日記は現在製作中です。なお、ボランティアというわけではなく、完全なる観光目的で行ったものであるということを、あらかじめおことわりしておきます。

 本来であれば山の中を通ってダイレクトに久慈市に行くところだったのですが、道を間違えて目的地から40キロほど離れた街についてしまったのですね。それで急遽、沿岸の道路を北上することにしたのですが、そのために現在の被災地の状況というのを実際にこの目で見ることができたのです。

 まあ、国道45号線を通過するときにざっと景色を眺めた程度のものですが、野田村のあたり、積み上げられたがれきの山を見ました。

 震災直後の映像などは、何度もテレビや新聞などで見てわかっていましたが、やはり実際にこういった光景を見ると、なんとも……。

 「1年以上が経ったのに、まだこんな状態なのだな」

 それが正直な感想でした。


 ただ、逆に言うと、そのがれきの山以外に震災のことを思い出させるような場所はありませんでした。私が野田村のことをいろいろと知った道の駅も、そのまわりの家やお店もいつもどおり営業しているようだったし。3年前に来たときと同じような、元気な様子だったので、ちょっと安心しました。

 ド内陸、山のふもとに住む犬神、やっぱり海のそばの街って好きです。本当に大好きです。これまでもそうでしたけど、これからも間接的ながら、沿岸の街を応援していきたいと思います。

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 昨晩はFMで『EARTH x HEART LIVE 2012』のライブ模様を収録した番組が放送されました。著名なアーティストがライブを行い、その収益をWWFジャパンを通じて震災後の復興支援(主に自然環境の回復)に役立てようというプロジェクトだそうです。

 以前『ゴルゴ13』で共産圏のバイオリニストが西側の国に招聘されてチャリティコンサートを行うとなった際、「チャリティを開催するお金があったら、それをそのまま支援に回せばいいのに」と言っていたことがありましたが、やっぱりそうじゃないんですよね。改まって復興支援! っていうのも無論いいことですが、こういう形でも支援ができるのならその方がいい。それが人情というものでしょう。

 ライブにいき、音楽を楽しむことが、そのまま支援になる。面白い試みだと思います。


 さて、そのライブでメインを張るのが『フィッシュマンズ』と『サカナクション』というグループ。正直なところ、どちらも予備知識はほぼゼロの状態でした。

 それで、実際に聞いてみてどうだったのか。なるほど、曲名とかは頭に残っていませんが、なかなかとっつきやすくていい感じの曲ばかりでした。車の中で聴いていたのですが、このままずっと聴いていたいな……と思うほどでした。もちろん、そういうわけにはいきませんが。

 
 震災があった日から400日弱。それだけの日にちが経ったといえばそうですが、復旧復興にはあと何年もかかることでしょう。だからこそ、こういうのは非常にいいことだと思います。実際にライブに足を運ぶことは難しいですが、ラジオを聴くことはできますから。間接的な方法でもそういったことを支持していきたい。そう思います。


 *


 その震災に関連してなのか何なのかわかりませんが、来る4月29日に一関市で新しいFMコミュニティ局『FMあすも』というのが開局するそうです。

 「明日もラジオを聴こう」という希望を込めた名前を冠するこの放送局のために一関市では全世帯にラジオを配布したそうです。そこまでやるか! と驚嘆しましたが、地域密着型の情報を流せるのがコミュニティFMの強みですからね。今も沿岸にはいくつもの放送局があります。もしかすると日本一コミュニティFM局が多いんじゃないかってくらいです。

 ラジオ離れとか何とかって言う時代ではありますが、とりあえず岩手では多くの人が心の支えにしています。まだまだラジオ、元気です。


 今日の洋楽:シンディ・ローパー time after time



 世界的にはちょっと検索すればすぐに出てくる超有名曲なわけですが、私はつい2日ほど前に知りました。これまた、たまたまラジオで聴いて知った曲です。……うん、やっぱりいい曲ですね。

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 大体1年前からずっと思っていたものの、言わなかったことがあります。

 あの頃、ツイッターで「あたし死ぬのかな」と誰かがつぶやいた、というニュースをチラッと見たような気がします。

 その言葉に、すごく違和感を感じていたのです。

 私は死ぬことがとても怖いです。だから、そんなこと考えたくもない! と思ったのです。どんな状況でも絶対に生きることだけを考えていたいのです。

 そんなことつぶやく暇があったら、生き延びる手立てをひとつでも考える方がいい。ずっとそう思っていたのです。

 もちろん、それはそういう状況にいた人の、心からの言葉だったわけでしょう。

 それを笑ったり否定したりすることはしたくありません。

 だから今までは言いませんでしたが、今日は気持ちの整理をつける意味でも、あえて言わせていただきました。なんかそれって違うんじゃないの、って。

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 テレビでは、全国ネットで震災のことを振り返る番組を、やっています。

 先日も書きましたが、私にとっては振り返るとか思い出すとかではなく、ずっと地続きですから。この365日のうち300日以上はどうでもいいようなスチャラカなことばかり書いてきましたが、岩手に住んでいる限り、その日その日の被災地情報は入ってくるし、自分でも見るようにしています。

 そういうのを見ると、やっぱり「復興」目指して立ち止まらずに頑張ろう、という気持ちになるのです。復旧だけじゃなくて、復興。元通りにして、さらに新しい形を求めていく気持ち。前に前に進もうとする気持ち。そういうのが大事だと思ってます。在りし日のことを思って悲しい気持ちになっても仕方がない。そう思っています。

 もちろん、そう簡単に割り切れないところがあります(だからこんなことを書いています)。ましてや被災者の人たちは、といったところです。

 
 そういう、感情的なものを取り戻すことも大事である。ラジオで気仙沼(だったかな)の美術館の主任学芸員さんが語っている話を聞き、田老町の人が発信するブログを読んだ時、考えるようになりました。昨日の話です。

 亡くなった人、なくなったものを振り返る時間も、あっていいんです。静かにそのことを思い、目を閉じる時間、あっていいんです。というか、あっていいのかな、と思ったのです。

 その上で、今、私は生きていることを再認識する。生きている以上、前に進まなければいけない。きっと、そういうことなんです。だからkeep on movin'なのです。


 たぶん今日も、私は目の前の仕事に追われて忙しい思いをすることでしょう。

 でも、「その時」は、静かに祈りたいと思います。

Pray for Japan.
Pray for Miyagi, Fukushima, and Iwate.




 (なんか、取り留めのない文章になってすみませんでした)


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 昨日ラジオで震災の話を聞いていて、「ああ、そうだっけ」と思い出しました。

 あの日は休前日で、慌しく仕事をしていたのです。

 電話対応を終えて、書類書きをしている時にグラグラッと来て。

 内心では結構怖かったのですが、最初のうちは「すぐに収まるだろう」と思って、平静を装っていました。

 ところが、それがなかなか収まらない。それどころか揺れはどんどん大きくなって、収まる気配がない。

 早く収まってくれ早く収まってくれと思いました。誰かが悪意を持って揺れを激しくしているのではないか。そんな想像が浮かぶほど長い揺れでした(もちろん、そんなわけはありませんが)。

 そして停電。昼間だからまだ外からの明かりがありましたが、それでもフロアは一気に暗くなりました。

 「こんなことって、あるんだな」

 そんな気分でした。


 この時点では、津波が来るなんてことは、まったく考えていませんでした。この3年前に起きた岩手・宮城内陸地震のような崖崩れなどの心配をしていました。

 誰も想像しなかったとは思います。ただ、実際にやってきたわけです。たまたま数日前に吉村昭『三陸海岸大津波』を読んで、「ああ、こんなことがあったんだ」とかって感想を持っていましたが、それだって私が生まれるずっと前の話、歴史の話ですから。

 と、まあ、こんな感じでしょうか。あまり改めて書くことがありませんが。

 日付では明日ですが、曜日で言えば昨日。とにかくあれから1年。1年は経ちましたが、過ぎ去ったという感じはしません。ずっとあの日から地続きで今日に至る。そんな感じがします。……ペースはともかく、確実に前に進んでいるし。

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 今度の日曜日は3月11日。東日本大震災から1年目となります。

 テレビでも震災1年特別番組などを放送するそうですが、私個人の感想としては、あんまり感慨というか……日にちを数えて「ああ、そうか、1年経つんだ」くらいにしか思わないんですよね。

 何でかといえば、やっぱりガレキ処理が進まないから。1年も経つのに5パーセントくらいしか進んでいないそうです。これでは「何も変わっていない」と思わざるを得ません。

 そして、どうして進まないのかといえば、なかなかガレキを受け入れてもらえないからでしょう。ちゃんと測定して放射能がないことを確認しているのに、なんとなくのイメージで拒否する人たちがいるから。

 「もし放射能に汚染されたらどうする」

 たぶん、そういうことなのでしょう。被災地のことなんか知ったことか、ということなのでしょう。

 ガレキ受け入れを拒む人のせいなのか。駆け引きばかりに夢中になっている国のせいなのか。私にはよくわかりません。

 ただ、そういう話を聞くたびに気持ちが落ち込むので、あまり見ないようにしていたし、このブログでも書かないようにしていた。そういうことです。


 あれからもうすぐ1年。建物は何もなくなりました。でもって自県内だけでは処理しきれないガレキだけが山積みになっています。これが現実です。

 でも、ここで生きている人たちはいます。仮設住宅、仮設店舗で、みんな元気にやっています。それも現実です。

 誰にでもできる支援。私にしか出来ない支援。これからも犬神は、出来る限りのことをやっていこうと思います。

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 昨日、私が毎朝必ず飲んでいるネスカフェエクセラが底をつきそうだったので、スーパーで買いました。

 パッケージを手に取った時、どうしても頭をよぎることがありました。

 それは震災から1ヵ月ほど経った頃。同じようにコーヒーがなくなりそうだって言ってスーパーに行ったら、どういうわけかどこにも売っていなくて、何軒か探し回ってようやく手に入れた時のことを。

 そして、震災直後~1週間くらいのあいだは、コーヒーどころかあらゆるものが店頭から消えていた頃のことを。


 あの時は大変だった、と、11ヵ月ほど経った現在でも思うのです。

 最初の数日はとりあえず、家にあるものを食べてしのぎ、それがなくなると買い物に。ただ商品の流通が止まっている状況で、しかもみんなこぞって買いまくるものだから、どこのスーパーも半ば開店休業状態。パンだの即席めんだのといったものはなかなか手に入りませんでした。

 車が運転できるような状況でもめったに行かない遠くのスーパーまで自転車で行き、そこに並んで買い物をしたこともありました。ひとり20点まで、という上限数が定められていたもので、果たしてどういったものを買えばいいのか? と頭を悩ませたものです。


 「11ヵ月か」

 もう、そのくらい経ちました。来月でちょうど1年です。
 
 実は今でも地震が来ると、「このまま、大きくならなきゃいいな」と、若干の心配が起こります。3月の時もそうですし、4月の余震の時もそうでしたけど、最初はそれほどでもない揺れがだんだんだんだん大きくなって、ついに停電……。そんなことになったので、ちょっと怖いのです。

 このたび復興庁というものが創設され、よりスピーディな対応ができるようになった、といいます。政治的なものに対する期待感と不信感、被災者の人たちはそれぞれに持ち合わせていると思うのですが、まあせっかくそういうものを立ち上げたのだから、どんどんやっていただければいいなと思います。

 そして、私自身も。微力ながら、被災した人たちのためにできることをしていきたい。そう思っています。とりあえず、同じ岩手の人たちからね。

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 世間の大多数の皆様は、28日をもって仕事納め、年末年始休暇へ突入するのでしょうが、そうもいかないのが客商売のつらいところ。私は今日が真の仕事納めです。そして仕事始めは2日です……まあいいです。新春シャイニングシリーズと銘打ち、頑張ることにします。

 さて去年の今ごろを振り返ると、今日が一年を振り返って書く師走特集の最終日。今年の漢字なんかを紹介しながら記事を書いているわけですね。それにならって振り返ってみると、今年の漢字は『絆』。

 ……そういう年でした。


 これまでも、大きな地震、体験したことがありました。記憶にはありませんが、1983年の日本海中部地震の時も、秋田県で危機一髪体験をしたそうです。このブログを書き始めてからも、危機一髪とはいわないまでも、結構大きな地震を体験しました。

 「地震が来たらどうしよう、こうしよう」

 そんなことをよく意識して生活してきました。そうしたら、実際に来ました。

 電気はすべて停止し、何がどうなっているのか、あの時はまったくわかりませんでしたが……帰りの車の中で聴いたラジオによって、沿岸の方で何がどうなっているのかを知りました。

 それはわかりましたが、そんな状況にあって、どうしたらいいのか。

 案外こういう時にできることって、ないんだな。そう思いました。


 自分の身の回りが落ち着いて、色々なことが見えるようになってきてから、大変なことになっている。そんなことをゆっくりと認識しました。

 とりあえず、岩手県民として、身近なところからサポートしていきたい。そう思いました。復興支援と銘打ったグッズを買ったり、直接的に寄付をしたり。そのことの是非をゴチャゴチャいう向きがあるかもしれませんが、私としてはTARU選手(当時)の言っていた、

 『やらない善よりやる偽善』

 そういうスタンスで行きたいと思います。

 ……ちなみに、こないだこの言葉を検索すると、真っ先に「それはおかしい」って言っている人のサイトにぶつかりました。

 「アレッ? そうなのかな?」と一瞬、首を傾げました。だとしたら、もう善でも偽善でも、どっちでもいいです。そんな言葉にアレコレ言う労力があったら、私は少しでも被災した人たちのためになることを考えますよ。

 
 1年や2年では、元通り以上の街にするのは、無理だと思います。その間どうやって生活していけばいいのか。それも難しい問題だと思います。そして私は、そういった人たちの悩みのすべてを解決させることはできません(当然ですが)。

 それでも、仕事として沿岸の人たちのために何とか動きますし、それ以外の部分でもできることをしたいと思います。

 内陸人の私としては、海と、海沿いの街は、とても大好きな場所ですから。

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 本日は我が県が誇る東北の怪人、いや英雄の『グレート・サスケ』さんの話です。

 といっても、つい昨日行われた年末恒例? のプロレス興行『宇宙大戦争』ではなく震災復興のために打ち出した企画ものCD『みちのく魂』の話です。

 みちのく魂|ザ・グレート・サスケ オフィシャルブログ

 


 岩手県を拠点にする「みちのくプロレス」の
覆面レスラー、ザ・グレート・サスケが、東日本大震災復興を応援する
CDミニアルバム「みちのく魂」(来年1月11日発売、1050円)
公開レコーディングを行った。

 岩手にゆかりがある歌手らがレコード会社の垣根を越えてノーギャラで参加。
民謡からハードロックまで幅広いジャンルの14曲と、
サスケの復興へのメッセージを収録している。
収益金の一部を岩手県の義援金募集窓口に寄付する。

 


 というわけで、どういったメンバーが参加するのかというのをアレコレ調べてみると、『氏神一番』という名前がありました。

 もうね、「ええっ!?」と声をあげてしまいました。カブキロックスですよ。イカ天バンドですよ。イカ天放送当時それほど音楽に興味がなかった犬神でさえ何となく知っている……と、まあ、ある意味ものすごいビッグネームですからね。

 みちのくプロレス所属の演歌歌手・気仙沼二郎と氏神一番が同じ銀盤に収められるという不思議なアルバム。『あぶらだこ』と渡辺真理が同じ銀盤に収められたオーケンこと大槻ケンヂさんの企画ものCD『アオヌマシズマ』以来の快挙ではないでしょうか(オーケンさんいわく「インチキこのうえない」)。これは復興支援という話を抜きにしても、是非ほしいと思いました。


 ちなみに、サスケさん自身の理想としては「東北以外の人に買ってもらいたい。東北以外の人が東北に来て、東北のレコード店で買ってもらいたい」とのことでした。そういうわけで、皆様どんどん東北に来てどんどん買ってください。それが無理ならAmazonでもいいので。


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 たぶん、あの日からまる1年くらい経過するまでは、こうして『震災から何ヶ月』という言葉をニュースで聞いたり、私もブログで書いたりするのでしょう。

 今年のことを振り返ると、まあ1月1日から悪酔いしてかなりバッドな新春を迎えてしまったのですが、やはりあの震災が一番大変だった……といわざるを得ません。

 いや、大変だったというか、現在進行形でいろいろな問題が山積みしているんですよね。ガレキの処理だのなんだのって。

 まあ、私は100万トンのガレキをどうこうすることは出来ません。三陸鉄道の線路を復旧させることも出来ません。出来ることは、本当にごくわずかなものです。

 でも、何かが出来るのなら、何かをしたい。そう思っています。


 さて……。

 今から何年も前に北海道のリスナーを震撼させ、さらにこのFLASHによって全国の野郎どもおよび女性たちの血をたぎらせた、『島本和彦・サンタになろうよ宣言』。アレからだいぶん時が過ぎ、私も年齢だけは立派な大人になってしまったところですが、今年いよいよサンタに! 子どもたちに夢を与える立場に! なることが出来ました!!!

 ……といっても、私が実際にプレゼントを配って歩くわけではありません。サンタが配るプレゼントを用意するための資金を提供した、ということです。

 本当はもうちょっと早くこのブログでも紹介すればよかったのですが、遠野まごころネットという団体が、「サンタが100人やってきた!プロジェクト」というのを企画したそうなんですね。

 サンタが100人やってきた! プロジェクト

 私もたまたまニュースサイトでそういうのをやっているという情報を見かけ、どれどれと趣旨や企画の概要を見てみたのですが……まあ、泣かせる話ではありませんか。サンタのプレゼントでほしいものは? と聞かれたら「おうちとママ」と答える女の子。そのママは、その子の大事な絵本とかを抱えて家の下敷きになったって言うことだそうで。……

 そんな被災した子どもたちに笑顔を与えるべく100人(応募が多くて、実際的には300人くらいになったそうです)のサンタが立ち上がった……というわけですが、やはり先立つものがなければいけない。というわけで広く寄付を募集していた、ということなんですね。

 まあ、私の寄付の金額などは、ごくわずかではありますが……ようやく、私がサンタになれる日がきたのかな、という気がします。いや、だからサンタというかサンタの後方支援みたいなポジションなんですが、一応プロジェクトに参画できたということでね。


 さて、あと2週間ほどで、クリスマスが来ますね。仏教と神道の国なのにクリスマス? いいじゃないですか。チキンもケーキもたくさん食い散らかして、賑やかに過ごしましょうよ。……でも、今年も遅番なので、賑やかに過ごせる時間があんまりないんですよね……。

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 お酒じたいは決して飲めないわけではないのですが、ある理由により嫌悪感を抱いている犬神。そのため一年のうち、お酒を口にする機会が10回あるかないか……といった程度なのですが、このCMを見ると、何となく飲みたくなってくるんですよね。



 ナレーションでは『口当たりのいい……』とありますし、カルピスみたいな色合いから、すごく優しそうなお酒に見えますが、『活性原酒』ですからね。それなりにきついですし、あっという間に酔えます(アルコール度数20%!)。カルピス割りとかで薄いお酒を飲んでいる人のグラスの中身をこれに入れ替えたら、大騒ぎになること請け合いです(別に実践したわけではありません)。


 そんな冗談はさておいて、このCMじたいは、まだまだお酒の味も知らない子どもの頃からず~っと見ていました。もう、30年とか、それくらいのレベルになるんじゃないでしょうか。

 他県の人から見れば、「ザ・ローカルCM」といった感じに見えるかもしれません。お酒にあまりいいイメージを持っていない犬神も、このCMは大好きです。


 さて、今日この「雪っこ」の話題を持ち出したのは、他でもありません

 さきの震災で7人の従業員が犠牲になり、事務所も酒蔵も全滅してしまった酔仙酒造から、今年初の『雪っこ』が出荷された、というニュースが流れたのです。

 http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20111017-567-OYT1T00349.html


 一関市の、別なメーカーの酒蔵を借りてとりあえず出荷にこぎつけた……すばらしいことです。もちろん、まだまだ本格的な酒造りへの道は長いでしょうけど、『雪っこ』出荷は大きな一歩でしょう。

 私は酒よりも車の運転が好きな人間なので、酒を飲むというのは非常に難しいのですが……でも、ほんの少しでも貢献したい。そんな気持ちはあります。

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 特に強く意識したわけではないのですが、帰りに福島・宮城・岩手のSAにて、色々と買ってきました。

 まずは福島県の安達太良SAで『東北人魂』のリストバンドを。次に宮城県の菅生SAで『PRAY FOR JAPAN』Tシャツを。


 東北人魂のロゴは、サンドウィッチマンなどが大々的にプロモートしていたので、皆様もご存知かと思いますが、これです。じつはこれが初めての関連グッズ購入。何となく宮城県主導でやっているような感じがしていて、あえて手を出していなかったのです。……宮城県主導だからというよりも、もっと身近なところで支援をしていたのでそちらまで手が回らなかった、というべきでしょうか。

 もう一方のTシャツは、支援目的よりもそうなんですが、どちらかというとデザインがかっこいいと思ったから、というのが先行します。こんなのです。

 がんばろう東北とか、そういった日本語メッセージのTシャツはよく見ていたのですが、『PRAY』という言葉が入っているのはこれが初めてでした。

 この言葉を聞くと、私がパッと閃いたのは、あのころに様々なイラストレーターさんが描いた復興支援イラストのうちのひとつ。



 犬神はそんなに涼宮ハルヒが好きなわけではありませんが、このイラストには本当に気持ちがふっと緩んだというか、ぐっときたというか、うるっときたというか……なんともいえないような、いい気持ちになりました。これとワンピースの「おれは元気だぞ」イラストは、今も携帯電話に保存しています。

 で、PRAYという言葉に反応してその時の感情が蘇えったので、思わず手を出してしまいました。前面背面と、両方を見せつけながら歩く機会はそうそうないと思いますが、気持ちとして、できるだけ着ていきたいと思います。


 最後に、岩手県の前沢インターで買ったのは……な、なんじゃこりゃああ!

 (つづく!?)

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 ……といって定食屋を連想される方は、かなりコアな岩手県民だと思われます。やたら安くてちょっとアレな食事を提供する、文字通り質より量の若者向けの店です。以前ヤキソバを食べたら舌がしびれた(!?)ことのある、私にとってはそういう感じの店なのですが……もちろん今日はそういう話ではありません。

 先日、岩手日報の広告で『Standard』という雑誌があることを知った犬神。これっていうのは岩手県民向けのスポーツ雑誌で、かつてはあれほど持ち上げられたのに今ではそれほどでもない菊地雄星投手の凱旋登板を特集に持ってきたり、こないだ開催された北東北インターハイにおける諸君の活躍を取り上げたり、そういう構成になっているみたいです。

 岩手スポーツマガジンStandard(スタンダード)
岩手の心をひとつにするのは、スポーツだ



 で、これの特別増刊号が『絆』と銘打たれたもので、震災によってすべてを失いながらもまた再起した高校生アスリートの諸君に密着取材して追いかけ続けた……というもの、なのだそうです。

 ちょうど、こないだ触れたばっかりの話題ですからね。まだちゃんと読んでいないので、今日は「これから読みます」という内容なのですが、震災がらみでは直接的な被害を受けていない私でさえ、何かと気持ちがめいることのニュースが飛び交う昨今ですからね。

 自分にできることはなんなのか。自分はどうすればいいのか。そういったことを見つめなおすためにも、読んでいこうと思います。

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 ……といっても、倉本聡脚本の映画の話ではありません。

 昨日の1時から、IBC(岩手放送)で放映された震災関連番組『響け!復興の号砲―被災地高校アスリートの夏―』というのを見たので、その感想です。

 今夏、岩手県を含めた北東北で開催されたインターハイ。被災しながらも何とか再起をかけトレーニングをし、大会に参加したアスリート少年少女のドキュメンタリーといった感じの内容でした。

 私なんかは内陸生まれの内陸育ちなので、今回この番組を見るまで『ヨット部』というものが存在することは知りませんでした。宮古高校、および宮古水産高校の人たち。あとは種市高校のレスリング部のボーイズや、空手道部の女の子。

 非常に、気の引き締まる思いでした。


 ヨットがすべて津波で流され、一時はこのまま引退することも考えたものの、他県の人たちからの援助により新しいヨットを寄贈してもらい、練習を重ねて……見事に入賞を果たしたのだから、大したものです。

 いや、それだけではないんですよね。

 なんというか、『自分も頑張ろう』と思ったのです。単純に。

 少年少女(特に少女)がこれほど頑張っているのに、お前はどうなんだ! と。まだまだやれるんじゃないのか! と。

 このところ、気持ちと身体がうまくリンクしなくて、イマイチな日々が続いていましたが……そこが久々に少しだけカチッとはまったような、そんな気がしました。


 結構なんとかなることって、たくさんある。ついでにいえば、自分が頑張って回りにできることも、まだありそう。

 色々ありますけど、また頑張ろう。そう思ったのでした。

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