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『帝都物語』全12篇、読了しました(10年ぶり2度目)。
とても壮大で圧倒的な物語でした。具体的にこんな物語だったって総括するのがとても難しいのですが、そうしないと感情が収まらないので、可能な限り書きます。あらすじとかは他をあたってください。
*
1000年以上前の恨みを抱いて明治末期の帝都に降り立った魔人・加藤保憲は東京に眠る平将門の怨霊をよみがえらせ破滅をもたらそうとするので、その時代の人たちが対決を挑む……というのがおおよその流れですが、何せ加藤は魔人です。軍人なので剣術や基本的な身体能力も高いですが、東洋の魔術に精通しているので、十二神将をはじめとする式神を使役し、五芒星=ドーマンセーマンの染め抜かれた白手袋やハンカチなどを変化させて戦います。
さらに物語の中盤では『屍解』という仙術を使い肉体が若返ります。そんなことできるの? と宇宙時代の皆様はお思いになると存じますが、そういう皆様に代わって問いかけた西洋人に加藤はこう言い放ちます。以下引用。
幸田成行(露伴):膨大な知識と熱い気迫で立ち向かう文豪剣士。実際に手傷を負わせて(しかも2回)一時退却させたり、関連人物の心の支えになったりと、前半部分の重要人物。
寺田寅彦:物理学者として科学的な立場から加藤に立ち向かう。大阪から西村真琴博士を呼び出し「学天則」で地底の妖魔に立ち向かうシーンが印象的でした。
黒田茂丸:風水師として、加藤に直接対決を挑んだ辰宮恵子さんのサポートを買って出た(映画第一作のクライマックス)。いったん完結した後に出版された「大東亜編」では主役級の扱いに。
平岡公威:大蔵省の官吏だったが、物語中盤のヒロインと霊的な関わり合いを持ち、黄泉に下って将門の怨霊と対峙した。愛刀は関孫六。
角川春樹:新興宗教の大宮司として加藤と切り結ぶ。超古代の宝剣の力によって関孫六を刃こぼれさせたため勝負はつかなかった。宝剣の力によって……ね。
団宗治:コンピュータ時代の幸田先生。降霊プログラムや式神封じプログラムなどを使って十二神将を全滅させた。魔術と文学に埋もれて暮らしたい人らしい。
……と、こんな感じでしょうか。
とりあえず原稿用紙3、4枚程度の文章を書いたので、いったん区切りとします。今回思いついた人物をあげたら不思議と男性ばかりだったので、今度は印象的な女性たちについてまとめてみたいと思います。
とても壮大で圧倒的な物語でした。具体的にこんな物語だったって総括するのがとても難しいのですが、そうしないと感情が収まらないので、可能な限り書きます。あらすじとかは他をあたってください。
*
1000年以上前の恨みを抱いて明治末期の帝都に降り立った魔人・加藤保憲は東京に眠る平将門の怨霊をよみがえらせ破滅をもたらそうとするので、その時代の人たちが対決を挑む……というのがおおよその流れですが、何せ加藤は魔人です。軍人なので剣術や基本的な身体能力も高いですが、東洋の魔術に精通しているので、十二神将をはじめとする式神を使役し、五芒星=ドーマンセーマンの染め抜かれた白手袋やハンカチなどを変化させて戦います。
さらに物語の中盤では『屍解』という仙術を使い肉体が若返ります。そんなことできるの? と宇宙時代の皆様はお思いになると存じますが、そういう皆様に代わって問いかけた西洋人に加藤はこう言い放ちます。以下引用。
ただ、いつの時代もそんな加藤に立ち向かい、時に手傷を負わせてひるませる人物がいます。たくさんいるのですが、私が特に印象に残っている人たちのことを羅列してみます。Wikipediaに書いていないようなことも書きます。だってここは自由な狂人解放治療場ですから!
「なぜ? なぜ、と問うのは西洋人の悪習だ。東洋の神秘に、理窟はない。原理はない。ただ現象だけが起こる。神秘とは、起こり得ざる現象がそれでもなお現実に発生することなのだ」
幸田成行(露伴):膨大な知識と熱い気迫で立ち向かう文豪剣士。実際に手傷を負わせて(しかも2回)一時退却させたり、関連人物の心の支えになったりと、前半部分の重要人物。
寺田寅彦:物理学者として科学的な立場から加藤に立ち向かう。大阪から西村真琴博士を呼び出し「学天則」で地底の妖魔に立ち向かうシーンが印象的でした。
黒田茂丸:風水師として、加藤に直接対決を挑んだ辰宮恵子さんのサポートを買って出た(映画第一作のクライマックス)。いったん完結した後に出版された「大東亜編」では主役級の扱いに。
平岡公威:大蔵省の官吏だったが、物語中盤のヒロインと霊的な関わり合いを持ち、黄泉に下って将門の怨霊と対峙した。愛刀は関孫六。
角川春樹:新興宗教の大宮司として加藤と切り結ぶ。超古代の宝剣の力によって関孫六を刃こぼれさせたため勝負はつかなかった。宝剣の力によって……ね。
団宗治:コンピュータ時代の幸田先生。降霊プログラムや式神封じプログラムなどを使って十二神将を全滅させた。魔術と文学に埋もれて暮らしたい人らしい。
……と、こんな感じでしょうか。
とりあえず原稿用紙3、4枚程度の文章を書いたので、いったん区切りとします。今回思いついた人物をあげたら不思議と男性ばかりだったので、今度は印象的な女性たちについてまとめてみたいと思います。
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誰からかお金をもらってやっているわけではないし、必ず毎日何か書かなくちゃいけないわけじゃないんだ……と思いながらも、書かなくちゃいけない気がして……でも何を書こうかわからなくて読売新聞を読みました。話題探しを新聞でする。これがいいんですよ。
そんな中で「ヘェー」と思ったのが、「あれから」という連載記事。今回は往年の大ベストセラー『世界の中心で、愛をさけぶ』の片山恭一さんの話でした。
当時45歳の「売れない中年作家」だった片山さん。タイトルは小学館の編集者から提示され、さらに3年間「塩漬け」にされて2001年に出版された作品は書店員による手書きポップによって売り上げが伸び始めました。その後、映画にドラマと次々に仕掛けが打たれ、ついに300万部突破の大ベストセラーになりました。
私は読んだことがないし、これからも読むことはないと思いますが、ベストセラーと言うのは作品の良さだけじゃなくて、編集者や書店員の売り方次第であるという気がしました。盛岡の書店でも、ある本が表紙をあえて隠し期待感を膨らませることで売れまくった、ということもありましたしね。良いものを書けば売れる。そういうものではないのでしょう。大体読む側たる私だって、そうして多くの人たちの手によって情報が届かないと、知らないまま通り過ぎてしまいますしね。
結局多くの人に「いいね」をもらったりなんだり……そういう時流を敏感に感じ取って波に乗る人は、それはそれでいいと思うんですが、私はそうじゃない側の人間みたいです。SNSで時々ものすごい数の「いいね」がついて、粋がっちゃったこともありましたが、そういうのもういいです。私は私がいいと思ったものだけを集めます。もしかしたら、ベストセラーとか流行のものもあるかもしれませんが、それならそれでいいでしょう。
良いものが、良いのです。
そんな中で「ヘェー」と思ったのが、「あれから」という連載記事。今回は往年の大ベストセラー『世界の中心で、愛をさけぶ』の片山恭一さんの話でした。
当時45歳の「売れない中年作家」だった片山さん。タイトルは小学館の編集者から提示され、さらに3年間「塩漬け」にされて2001年に出版された作品は書店員による手書きポップによって売り上げが伸び始めました。その後、映画にドラマと次々に仕掛けが打たれ、ついに300万部突破の大ベストセラーになりました。
私は読んだことがないし、これからも読むことはないと思いますが、ベストセラーと言うのは作品の良さだけじゃなくて、編集者や書店員の売り方次第であるという気がしました。盛岡の書店でも、ある本が表紙をあえて隠し期待感を膨らませることで売れまくった、ということもありましたしね。良いものを書けば売れる。そういうものではないのでしょう。大体読む側たる私だって、そうして多くの人たちの手によって情報が届かないと、知らないまま通り過ぎてしまいますしね。
結局多くの人に「いいね」をもらったりなんだり……そういう時流を敏感に感じ取って波に乗る人は、それはそれでいいと思うんですが、私はそうじゃない側の人間みたいです。SNSで時々ものすごい数の「いいね」がついて、粋がっちゃったこともありましたが、そういうのもういいです。私は私がいいと思ったものだけを集めます。もしかしたら、ベストセラーとか流行のものもあるかもしれませんが、それならそれでいいでしょう。
良いものが、良いのです。
前々回の記事で「早川茉莉さんの『森茉莉かぶれ』を借りてきた」「それを『帝都物語』と並行して読みます」と言う話をしたところですが、休日を利用していっぺんに読了してしまいました。
なんだってそんなに読み急ぐの? と言われるかもしれませんが、決してそうではありません。今日は良い天気だし、借りてきた『帝都物語』第参番と第四番を返し手続きを借りて来なければいけないので、ちょっと雰囲気のいいところで読んでみようかと思って行ったのです。……確かに、ここで読み終えてしまえば返却の手間が省けるなと言う思いはありましたが……。
今回はこちら。定禅寺通りにある「甘座洋菓子店」……の前にあるフリースペース(LIVING STREET PROJECT―西側の歩道を楽しむプロジェクト―によるもの)で読みました。なおこちらのお店は1968年創業で、路上駐車してお菓子を買いに来る人たちがたくさんいました。そんな雰囲気の場所であれば、なおさら本の愉しみも増すというものです。
大体にして森茉莉さんも著者の早川茉莉さんも無類のカフェ好き(カフェなしでは1日もいられないとか、そういうレベル)ですからね。そんなお二方の世界に入り込むためには、これほどうってつけの場所もないわけですよ。風月堂か邪宗門か。いやいやここは仙台だ。森茉莉さんは仙台について「三越もないし何もないし」と、あまりお気に召さなかったらしいですが、私は仙台が好きなんです。
東京じゃなくていい。東京みたいにならなくていい。私はそんな仙台のストリートでふたりの茉莉さんの世界にしばし浸りました。
こうしてきちんと、早川茉莉さんの文章を読むのは初めてですが(こないだのムック本でおすすめリストを少々読んだことはある)、すごくしっかりしていて良いですね。ご自身では「ふん、キザですね」と謙遜しておられますが、いえいえそんなことはありません。私も最近『私の美の世界』『贅沢貧乏』それにいくつかの短編とエッセーを読み、『森茉莉好き』のサロンの端っこでおずおずとしている身ですから、先輩のお話をたくさん読めて、すごく楽しかったです。
何よりも、大好きを伝える方法として手紙ほど便利なものはない、と思いました。便利というか適切と言うか……気持ちがストレートに伝わるな、と。もっと言えば、手紙そのものの効用について、改めて気づかされたというか。「これはいいなあ!」と。ええ、本当に本当に、この本そのものが気に入ってしまったのです。
でも、繰り返しますが急いで読んだわけではありません。早川茉莉さんの文章はとても素敵で、森茉莉さんへの愛情がたっぷり伝わりました。そして、私もまた森茉莉好きの端くれとして、そのあたりの感情を共感できて良かったです。比べるべきではないかもしれませんが、こないだの群ようこさんの本よりもずっと共感できました。群さんの方は「まあ、確かにそうかもしれないけど……」と若干距離を置いて冷静な振りをし、なおかつ少し我慢しつつ読了しましたが、これは本当に最初から最後まで「そうだ!」「そうかな!」と共感しながら読めました。
ちなみに早川茉莉さんは、「ベストセラー本であっても、筆力のないエッセイや小説が好きではありません」とのこと。いや、まあ私はただの一般人だから、どれほどめちゃめちゃな文章でもいいとは思うのですが、やっぱり一定のカリテに達していないといけないとは思うんですよね。せめて、書けなくてもいいから良い本をたくさん読みたいです。そしてそれを真似してみたいです。
仙台も、もう秋の雰囲気が本格化しています。明日の最高気温は16度とか。今夜も温かくして眠ることにします。……眠れればいいなあ。
なんだってそんなに読み急ぐの? と言われるかもしれませんが、決してそうではありません。今日は良い天気だし、借りてきた『帝都物語』第参番と第四番を返し手続きを借りて来なければいけないので、ちょっと雰囲気のいいところで読んでみようかと思って行ったのです。……確かに、ここで読み終えてしまえば返却の手間が省けるなと言う思いはありましたが……。
今回はこちら。定禅寺通りにある「甘座洋菓子店」……の前にあるフリースペース(LIVING STREET PROJECT―西側の歩道を楽しむプロジェクト―によるもの)で読みました。なおこちらのお店は1968年創業で、路上駐車してお菓子を買いに来る人たちがたくさんいました。そんな雰囲気の場所であれば、なおさら本の愉しみも増すというものです。
大体にして森茉莉さんも著者の早川茉莉さんも無類のカフェ好き(カフェなしでは1日もいられないとか、そういうレベル)ですからね。そんなお二方の世界に入り込むためには、これほどうってつけの場所もないわけですよ。風月堂か邪宗門か。いやいやここは仙台だ。森茉莉さんは仙台について「三越もないし何もないし」と、あまりお気に召さなかったらしいですが、私は仙台が好きなんです。
東京じゃなくていい。東京みたいにならなくていい。私はそんな仙台のストリートでふたりの茉莉さんの世界にしばし浸りました。
こうしてきちんと、早川茉莉さんの文章を読むのは初めてですが(こないだのムック本でおすすめリストを少々読んだことはある)、すごくしっかりしていて良いですね。ご自身では「ふん、キザですね」と謙遜しておられますが、いえいえそんなことはありません。私も最近『私の美の世界』『贅沢貧乏』それにいくつかの短編とエッセーを読み、『森茉莉好き』のサロンの端っこでおずおずとしている身ですから、先輩のお話をたくさん読めて、すごく楽しかったです。
何よりも、大好きを伝える方法として手紙ほど便利なものはない、と思いました。便利というか適切と言うか……気持ちがストレートに伝わるな、と。もっと言えば、手紙そのものの効用について、改めて気づかされたというか。「これはいいなあ!」と。ええ、本当に本当に、この本そのものが気に入ってしまったのです。
でも、繰り返しますが急いで読んだわけではありません。早川茉莉さんの文章はとても素敵で、森茉莉さんへの愛情がたっぷり伝わりました。そして、私もまた森茉莉好きの端くれとして、そのあたりの感情を共感できて良かったです。比べるべきではないかもしれませんが、こないだの群ようこさんの本よりもずっと共感できました。群さんの方は「まあ、確かにそうかもしれないけど……」と若干距離を置いて冷静な振りをし、なおかつ少し我慢しつつ読了しましたが、これは本当に最初から最後まで「そうだ!」「そうかな!」と共感しながら読めました。
ちなみに早川茉莉さんは、「ベストセラー本であっても、筆力のないエッセイや小説が好きではありません」とのこと。いや、まあ私はただの一般人だから、どれほどめちゃめちゃな文章でもいいとは思うのですが、やっぱり一定のカリテに達していないといけないとは思うんですよね。せめて、書けなくてもいいから良い本をたくさん読みたいです。そしてそれを真似してみたいです。
仙台も、もう秋の雰囲気が本格化しています。明日の最高気温は16度とか。今夜も温かくして眠ることにします。……眠れればいいなあ。
本当に神経衰弱で12時過ぎに寝て4時前に起きてそれっきり全然眠れない感じです。
そんな不眠を紛らわし不安を紛らわし精神的な活力を得るために、これまでにない集中力で本を読みました。水曜日に借りてきた『帝都物語』も3日で読み終えてしまいました。というか第四番を昨日一晩で一気に読んでしまいました。3時間くらいで。
第四番は『百鬼夜行編』と『未来宮編』。一般的に『帝都物語と言えばコレ』みたいな時代(明治末~大正大震災の頃)はすでに遠い昔のこととなり、この頃は1960年代……そして昭和69年とか、そういう時代になっています。最初の頃は電気もまだ珍しかったのに、この時代にはコンピュータで降霊を行ったりしています。いよいよ女神転生です。デジタル・デビル物語です。
そんな感じで思い切り物語の世界に没入して帰って来たばかりなので、今日はそういう心理状態で書きたいと思います。
一度、読んではいるんですけどね。帝都物語。
2013年6月9日 「破壊と鎮魂」
この時は10日くらいかけて、ようやく12冊分の6冊(豪華愛蔵版なので2篇が1冊に収められている)を読んだのかな。当時のことは、私がプライベートで書いていた半小説(その頃思ったことや体験したことを自分で作ったキャラクタに語らせた文章のこと)に書いていて今でも振り返ることができるのですが、やはり圧倒的なスケールに呑み込まれ、命からがら冥界から帰って来た……という感じだったみたいです。
その時の体験を踏まえて今回は読んだのですが、やはり面白かったです。むしろ他の本や体験を10年分積み上げてきたので、それらを総動員して互角に渡り合えるようになった感じがします。ようやく私のレベルが、物語の世界観に追いついたのです。
むしろ、以前よりもより深く物語を楽しむことができました。年齢的にも志向的にも団宗治に近づいたからかな。小説家だけど銀行員としてコンピュータを扱う仕事をしている団さん。辰宮(目方)恵子さんいわく「魔術と文学に埋もれて暮らしたい」団さん。今現在私がそういう生活をしているわけではありませんが、そういう生き方に憧れます。
一方で「昭和70年」の東京の地下に85年前の銀座を再現する実験には、強烈な憧れを感じます。それは物語全体(おおよそ100年)を通して暗躍する魔人・加藤保憲を対抗するためにとある人物が作り上げたミニチュアなのですが、地下に理想世界を建築する……そしてその世界が時空の壁を越えて、幽冥の境界さえも無くしてしまう……。
単純に「いいなあ」と思うのです。本を読み、本の世界に没入してユートピアを追い求め、心の中に作り上げることを生きがいとしつつある私にとっては、とても素敵な世界に見えます。
とにかくすごい勢いで読んできましたが、もうすぐおしまいです。物語が大きすぎて全体を総括することは難しいですが、別に私がまとめなきゃいけないわけじゃないですよね。私はただの認識者でいいです。その代わり、とてつもなく深く受け止めます。気に入ったものは骨髄まで舐めます。そして自分の持っているイメージと結びつけて、無限に広げます。それが私の特技です。そして私の大好きです。
そんな不眠を紛らわし不安を紛らわし精神的な活力を得るために、これまでにない集中力で本を読みました。水曜日に借りてきた『帝都物語』も3日で読み終えてしまいました。というか第四番を昨日一晩で一気に読んでしまいました。3時間くらいで。
第四番は『百鬼夜行編』と『未来宮編』。一般的に『帝都物語と言えばコレ』みたいな時代(明治末~大正大震災の頃)はすでに遠い昔のこととなり、この頃は1960年代……そして昭和69年とか、そういう時代になっています。最初の頃は電気もまだ珍しかったのに、この時代にはコンピュータで降霊を行ったりしています。いよいよ女神転生です。デジタル・デビル物語です。
そんな感じで思い切り物語の世界に没入して帰って来たばかりなので、今日はそういう心理状態で書きたいと思います。
一度、読んではいるんですけどね。帝都物語。
2013年6月9日 「破壊と鎮魂」
この時は10日くらいかけて、ようやく12冊分の6冊(豪華愛蔵版なので2篇が1冊に収められている)を読んだのかな。当時のことは、私がプライベートで書いていた半小説(その頃思ったことや体験したことを自分で作ったキャラクタに語らせた文章のこと)に書いていて今でも振り返ることができるのですが、やはり圧倒的なスケールに呑み込まれ、命からがら冥界から帰って来た……という感じだったみたいです。
その時の体験を踏まえて今回は読んだのですが、やはり面白かったです。むしろ他の本や体験を10年分積み上げてきたので、それらを総動員して互角に渡り合えるようになった感じがします。ようやく私のレベルが、物語の世界観に追いついたのです。
むしろ、以前よりもより深く物語を楽しむことができました。年齢的にも志向的にも団宗治に近づいたからかな。小説家だけど銀行員としてコンピュータを扱う仕事をしている団さん。辰宮(目方)恵子さんいわく「魔術と文学に埋もれて暮らしたい」団さん。今現在私がそういう生活をしているわけではありませんが、そういう生き方に憧れます。
一方で「昭和70年」の東京の地下に85年前の銀座を再現する実験には、強烈な憧れを感じます。それは物語全体(おおよそ100年)を通して暗躍する魔人・加藤保憲を対抗するためにとある人物が作り上げたミニチュアなのですが、地下に理想世界を建築する……そしてその世界が時空の壁を越えて、幽冥の境界さえも無くしてしまう……。
単純に「いいなあ」と思うのです。本を読み、本の世界に没入してユートピアを追い求め、心の中に作り上げることを生きがいとしつつある私にとっては、とても素敵な世界に見えます。
とにかくすごい勢いで読んできましたが、もうすぐおしまいです。物語が大きすぎて全体を総括することは難しいですが、別に私がまとめなきゃいけないわけじゃないですよね。私はただの認識者でいいです。その代わり、とてつもなく深く受け止めます。気に入ったものは骨髄まで舐めます。そして自分の持っているイメージと結びつけて、無限に広げます。それが私の特技です。そして私の大好きです。
今日は午前2時くらいに目が覚めて、そこからなかなか寝付けなくて……そのまま7時前に出勤。ひどい寝不足でした。そのためにこのブログも、
「今日は筆者急病のためお休みします」
と一行だけ書いて終わらせようと思ったのですが、病をおして図書館に行ったところ、精神的に少し元気になったので書きます。
別に読んだ冊数を数えたところで何の自慢にもならないのですが、一応、「今年読んだ本」ということで年始から記録をつけています。村山早紀先生の『コンビニたそがれ堂異聞』から始まって、今じゃ『ドグラ・マグラ』だの『帝都物語』だのと暗黒みたいな物語ばかり読んでいます。これに三島由紀夫さんと森茉莉さんも加わるので、今秋の読書まつりは史上最大に密度が濃いです。あ、三島さんは『帝都物語』にも出ます(!)。
本を読んでいる間は心が元気になります。最近じゃ、家からほとんど外に出ず一日中本を読んでいる……なんていうこともざらです。何をするでもないけどとにかく外出しないと気が済まなかった20代の頃とは大違いです。
そして、どうやら本好きが高じて、書店や図書館と言った場所に来ると元気になり、さらに時間を忘れて30分でも1時間でも眺めていられるような気質になったみたいです。確かに高校生~大学生の頃は、本棚に並んだタイトルを端から端までずっと眺め、ピンと来たタイトルの本を手に取ってみる……ということをやっていましたが、20年ぶりにその頃の感覚がよみがえって来たみたいです。むしろ、20年のキャリアがあるから深まったのかも。
たぶん今年は10年に1度の「大・読書イヤー」なのでしょう。10年前(2013年)にも読んだ本の記録をつけていて(その時が『帝都物語』の初読でした)、冊数でいえば120冊ほど年間で読んだのですが、『海底二万里』も『魔女の宅急便』も同じ一冊と数えていますからね。今年は今年で『幻想文学』『ユリイカ』などムック本を加えているので、まあ冊数に意味はないですね。ただ、どんな本を読んで……元気な時はいちいち読後感をメモしたりしていたので、個人的にはとても重要な記録となっています。
今日も早川茉莉さんの『森茉莉かぶれ』という本を借りてきました。序文で、とっても素敵な文章があったので、引用させて頂きます。
「そうかな!」と澁澤龍彦さんのマネをして、私も得心しました。早川茉莉さんの気持ちに、とってもとっても共感できたからです。なのでこの本を借りてきました。早川茉莉さんにとっての森茉莉さんは、私にとっての誰なのか。それをあえてこの場で言うことは致しませんが、そういう気持ちはよくわかります。……そして、「遠いはるかな存在」という言葉は私が想像していなかった境地ですが、それだけに、いっそう強く胸を打たれました。
そうか……それでいいんだ……
好きになればなるほど遠くなっていく……永遠にかなわない恋……
でも、こうして気持ちを伝えることはできるんだ……
じゃあ……私も……
今はまだ『帝都物語』を読んでいる途中なので、並行して読む形になると思いますが、良いきっかけを見つけました。そうですよね。みんなそれぞれ『私だけの』があるだろうし、そういうのがあるって、認めちゃっていいんですよね。……なんか、それだけで、もう心が元気になっちゃって……。
そんな感じで、これから『帝都物語』の続きを読みます。明日は休みだし。いくらでも本を読んでいられる幸せ。……これもひとりぼっちだからだと思うと、悲しくもあるけど、でも嬉しいです。私は空想の世界に生きることを、決して悪いことだとは思っていませんから。
「今日は筆者急病のためお休みします」
と一行だけ書いて終わらせようと思ったのですが、病をおして図書館に行ったところ、精神的に少し元気になったので書きます。
別に読んだ冊数を数えたところで何の自慢にもならないのですが、一応、「今年読んだ本」ということで年始から記録をつけています。村山早紀先生の『コンビニたそがれ堂異聞』から始まって、今じゃ『ドグラ・マグラ』だの『帝都物語』だのと暗黒みたいな物語ばかり読んでいます。これに三島由紀夫さんと森茉莉さんも加わるので、今秋の読書まつりは史上最大に密度が濃いです。あ、三島さんは『帝都物語』にも出ます(!)。
本を読んでいる間は心が元気になります。最近じゃ、家からほとんど外に出ず一日中本を読んでいる……なんていうこともざらです。何をするでもないけどとにかく外出しないと気が済まなかった20代の頃とは大違いです。
そして、どうやら本好きが高じて、書店や図書館と言った場所に来ると元気になり、さらに時間を忘れて30分でも1時間でも眺めていられるような気質になったみたいです。確かに高校生~大学生の頃は、本棚に並んだタイトルを端から端までずっと眺め、ピンと来たタイトルの本を手に取ってみる……ということをやっていましたが、20年ぶりにその頃の感覚がよみがえって来たみたいです。むしろ、20年のキャリアがあるから深まったのかも。
たぶん今年は10年に1度の「大・読書イヤー」なのでしょう。10年前(2013年)にも読んだ本の記録をつけていて(その時が『帝都物語』の初読でした)、冊数でいえば120冊ほど年間で読んだのですが、『海底二万里』も『魔女の宅急便』も同じ一冊と数えていますからね。今年は今年で『幻想文学』『ユリイカ』などムック本を加えているので、まあ冊数に意味はないですね。ただ、どんな本を読んで……元気な時はいちいち読後感をメモしたりしていたので、個人的にはとても重要な記録となっています。
今日も早川茉莉さんの『森茉莉かぶれ』という本を借りてきました。序文で、とっても素敵な文章があったので、引用させて頂きます。
憧れながらも手の届かない存在。出会って、好きになって、もうどうしようもなく恋い焦がれる位に好きになってしまって、もう彼女から離れることはできない。なのに、好きになればなるほど遠くなっていく。憧れながら、恋い焦がれながらも、遠いはるかな存在。そして、永遠に出会うことはかなわない。それが私にとっての森茉莉なのである。
そこで私は、彼女と喋りたいたくさんのことを手紙という形式を借りて果たすことにした。好きな人に宛てて手紙を書くように。森茉莉に宛てて。……(中略)……誰に遠慮がいるものか。森茉莉という作家を愛するすべての人たちがそうであるように、私には私なりの「私だけの森茉莉」があるのだ。私はそう心に決めた。
(筑摩書房 『森茉莉かぶれ』9ページ16行目-10ページ5行目)
「そうかな!」と澁澤龍彦さんのマネをして、私も得心しました。早川茉莉さんの気持ちに、とってもとっても共感できたからです。なのでこの本を借りてきました。早川茉莉さんにとっての森茉莉さんは、私にとっての誰なのか。それをあえてこの場で言うことは致しませんが、そういう気持ちはよくわかります。……そして、「遠いはるかな存在」という言葉は私が想像していなかった境地ですが、それだけに、いっそう強く胸を打たれました。
そうか……それでいいんだ……
好きになればなるほど遠くなっていく……永遠にかなわない恋……
でも、こうして気持ちを伝えることはできるんだ……
じゃあ……私も……
今はまだ『帝都物語』を読んでいる途中なので、並行して読む形になると思いますが、良いきっかけを見つけました。そうですよね。みんなそれぞれ『私だけの』があるだろうし、そういうのがあるって、認めちゃっていいんですよね。……なんか、それだけで、もう心が元気になっちゃって……。
そんな感じで、これから『帝都物語』の続きを読みます。明日は休みだし。いくらでも本を読んでいられる幸せ。……これもひとりぼっちだからだと思うと、悲しくもあるけど、でも嬉しいです。私は空想の世界に生きることを、決して悪いことだとは思っていませんから。
今日は何について書こうかしらん、と悩みながら河北新報の夕刊を読んでいたら、仙台文学館で劇作家・石川裕人氏の企画展をやるという話を知りました。そこで今日は「演劇」とテーマを決めて書いていきたいと思います。
といって別に演劇とは……なんて大上段に構えるようなことはありません。もちろん私は舞台俳優ではありませんし、認識者としても「年に100回は劇場に行っています」というわけでもありません。最初からないない尽くしでどうするんだって話なんですが、それでも決定的に心の中に生き続ける「演劇」があります。
それは今からちょうど20年前――2003年に盛岡の「劇団赤い風」さんが演じた『花札伝奇』です。当時すでにホームページで自己表現活動をやっていたので、その時の情報を再掲します。22歳当時の私の若書きですが、まあ御笑覧ください。
せーの、ドン!
闇に入り、闇より出ず――『花札伝綺』を見て
……今ここにタイムマシンがあったら、20年前の私に言ってやりたいですね。「下手でもいいからちゃんと筋書きを書け」と。たぶん自分会議になると思いますが。
当時もらったチラシは今も実家にあるんですが、内容は全然覚えていません。ただ、
「どこか薄暗くて肌寒い世界に引き込まれていくような感じがし、最後は再びそのような 冥土から現世に引き戻されたような、そんな感じがした」
確かに、そういう感覚だったように思います。
……でも、ま、20歳そこそこの私には、完全にキャパオーバーだったのでしょうね。正直、その頃と変わっていない部分はたくさんありますし。そんなに自分のことを責められないかな。当時の私にとっては感動に打ち震えて、これが精一杯だったのかもしれません。そうすると、まあ……今の心情からすれば……うん、いいよ。悪かった。ごめんごめん。
そんなわけで、私にとって「演劇」というのはそういう……20年も前にさかのぼってしまうのですが……とても重要なものです。それを現在にアップデートするために、会期中に行って見たいと思います。
といって別に演劇とは……なんて大上段に構えるようなことはありません。もちろん私は舞台俳優ではありませんし、認識者としても「年に100回は劇場に行っています」というわけでもありません。最初からないない尽くしでどうするんだって話なんですが、それでも決定的に心の中に生き続ける「演劇」があります。
それは今からちょうど20年前――2003年に盛岡の「劇団赤い風」さんが演じた『花札伝奇』です。当時すでにホームページで自己表現活動をやっていたので、その時の情報を再掲します。22歳当時の私の若書きですが、まあ御笑覧ください。
せーの、ドン!
闇に入り、闇より出ず――『花札伝綺』を見て
……今ここにタイムマシンがあったら、20年前の私に言ってやりたいですね。「下手でもいいからちゃんと筋書きを書け」と。たぶん自分会議になると思いますが。
当時もらったチラシは今も実家にあるんですが、内容は全然覚えていません。ただ、
「どこか薄暗くて肌寒い世界に引き込まれていくような感じがし、最後は再びそのような 冥土から現世に引き戻されたような、そんな感じがした」
確かに、そういう感覚だったように思います。
……でも、ま、20歳そこそこの私には、完全にキャパオーバーだったのでしょうね。正直、その頃と変わっていない部分はたくさんありますし。そんなに自分のことを責められないかな。当時の私にとっては感動に打ち震えて、これが精一杯だったのかもしれません。そうすると、まあ……今の心情からすれば……うん、いいよ。悪かった。ごめんごめん。
そんなわけで、私にとって「演劇」というのはそういう……20年も前にさかのぼってしまうのですが……とても重要なものです。それを現在にアップデートするために、会期中に行って見たいと思います。
思ったことを素直に書きます。
人とのつながりを持ちたい感情と、「私なんか、誰とも関わらずにひっそり生きた方がいい」という感情が拮抗しています。その間に立った私の自我は何とか調停するべくあっちに気を配りこっちに気を遣い、ほとほと疲れ切ってしまいました。「僕の神経衰弱の最も甚しかりしは大正十年の年末なり。」とは芥川龍之介の『病中雑記』ですが、私もそんなことを言いたくなってしまいます。
そうなんです。決して人とのつながりを断ちたいわけではなく「そうした方がいい」と考える私がいるんです。
「そこまで突き止めているのなら、その考えをやめればいいじゃないか」
そうおっしゃる向きもあるかもしれませんが、「自動思考」というのは、そう簡単には治らないんです。一応『認知療法』というのはありますが、それだって本人の不断の努力が必要なんです。
「そんなの私だってわかってるんだ。でも、そこにたどり着くまでの今が苦しいんだ」
だからお医者さんがいるんじゃないですか。そこにたどり着くまでのアシストをしてほしいから、話を聞いてほしいと思うし薬を処方してほしいと思うんです。最後は自分が何とかしなくちゃならないのはわかっているから、そこまで何とか導いてほしいんです。それが素人にはわからないノウハウを持ったお医者さんにやってほしいことなんです。それなのに!……
まあ、そんな恨み言をぶつけたい医師との関係も今となっては断絶、仙台に来たらどこもかしこも予約が入れられず強制的に自助努力で何とかしなければならない状況に放り出され、実際に何とかなって来たんですけどね。
何とかなっていたのが夢幻の如くなりなのか、それとも自転車の如く上手に乗りこなせていたのか。
……
確かに心の本質は変わらないかもしれません。どこまでも私は感情的な人間だし人づきあいは上手じゃないし悪くすると「怖い」と思っちゃうし。でも、そういう状態をできるだけ遠ざける技術はこの十数年で身についたはずなんです。そういう技術で得た経験で、もっともっと生きづらさを軽減することができるはずなんです。
このところちょっと気持ちが揺らいでいましたが、少し落ち着きを取り戻しました。やっぱり、書き出すことって大事です(これは最初に不安障害で飛び込んだ盛岡の心療内科医から教えてもらったことです)。
でも……やっぱり怖いです!
人とのつながりを持ちたい感情と、「私なんか、誰とも関わらずにひっそり生きた方がいい」という感情が拮抗しています。その間に立った私の自我は何とか調停するべくあっちに気を配りこっちに気を遣い、ほとほと疲れ切ってしまいました。「僕の神経衰弱の最も甚しかりしは大正十年の年末なり。」とは芥川龍之介の『病中雑記』ですが、私もそんなことを言いたくなってしまいます。
そうなんです。決して人とのつながりを断ちたいわけではなく「そうした方がいい」と考える私がいるんです。
「そこまで突き止めているのなら、その考えをやめればいいじゃないか」
そうおっしゃる向きもあるかもしれませんが、「自動思考」というのは、そう簡単には治らないんです。一応『認知療法』というのはありますが、それだって本人の不断の努力が必要なんです。
「そんなの私だってわかってるんだ。でも、そこにたどり着くまでの今が苦しいんだ」
だからお医者さんがいるんじゃないですか。そこにたどり着くまでのアシストをしてほしいから、話を聞いてほしいと思うし薬を処方してほしいと思うんです。最後は自分が何とかしなくちゃならないのはわかっているから、そこまで何とか導いてほしいんです。それが素人にはわからないノウハウを持ったお医者さんにやってほしいことなんです。それなのに!……
まあ、そんな恨み言をぶつけたい医師との関係も今となっては断絶、仙台に来たらどこもかしこも予約が入れられず強制的に自助努力で何とかしなければならない状況に放り出され、実際に何とかなって来たんですけどね。
何とかなっていたのが夢幻の如くなりなのか、それとも自転車の如く上手に乗りこなせていたのか。
……
確かに心の本質は変わらないかもしれません。どこまでも私は感情的な人間だし人づきあいは上手じゃないし悪くすると「怖い」と思っちゃうし。でも、そういう状態をできるだけ遠ざける技術はこの十数年で身についたはずなんです。そういう技術で得た経験で、もっともっと生きづらさを軽減することができるはずなんです。
このところちょっと気持ちが揺らいでいましたが、少し落ち着きを取り戻しました。やっぱり、書き出すことって大事です(これは最初に不安障害で飛び込んだ盛岡の心療内科医から教えてもらったことです)。
でも……やっぱり怖いです!
Xを再開したものの、不安が付きまといます。
いまなら不安障害とか、そういう言葉になるのでしょうか。いっぱい伝えたいことはあるし、伝わらなくても、心の解放治療という意味でも自分の気持ちをどんどん発信するのは良いことだと思うのですが、厄介なのは、「明確な理由がないけど強烈な抑圧感・不安感」が私の感情を支配しているということです。
だから、これを不安障害と言うのでしょう。
もっとも、こういう状態になったのは初めてではありません。私がまだ20代の頃、日常生活にも支障が出るくらい強烈な不安障害に襲われて(当時は「神経症」と言われたことを想い出した)、初めて心療内科に駆け込んだ時もそうでした。
その時は「パキシル」「メイラックス」という2種類の薬と、「考えていることや思ったことをノートに書き出してみるといい」「書き出すことで心が落ち着く」「あとで読み返してみると、自分がどういうことを考えていたのか整理できる」という先生のアドバイスで治しました。最近になってそれがいいなんて言っていますが、私の先生は20年も前にそのことを教えてくれていました。何を今さら、って話です。
そうして乗り越えてきたので、今の私は大丈夫だと思います。結局、本質的な部分は何も変わってない! 私は良くも強くもなってなかったんだ! ということは少し悲しいですが、これが私の個人的無意識なのでしょう。理屈で割りきれない心。幼いまま発達が止まってしまった心。何とかしようったって私ともならないなら仕方がありません。
すぐに何とかなるものじゃないことは、わかっています。でも絶対に治らないものじゃないことも、わかっています。また薬をもらえれば、大きな助けになるとは思いますが、なくてもここまでやってこられたのなら、必須ではないと思います。
焦らず、ゆっくりやっていきたいと思います。自分で何とかflat feelingの領域まで心を持っていければ大丈夫です。
いまなら不安障害とか、そういう言葉になるのでしょうか。いっぱい伝えたいことはあるし、伝わらなくても、心の解放治療という意味でも自分の気持ちをどんどん発信するのは良いことだと思うのですが、厄介なのは、「明確な理由がないけど強烈な抑圧感・不安感」が私の感情を支配しているということです。
だから、これを不安障害と言うのでしょう。
もっとも、こういう状態になったのは初めてではありません。私がまだ20代の頃、日常生活にも支障が出るくらい強烈な不安障害に襲われて(当時は「神経症」と言われたことを想い出した)、初めて心療内科に駆け込んだ時もそうでした。
その時は「パキシル」「メイラックス」という2種類の薬と、「考えていることや思ったことをノートに書き出してみるといい」「書き出すことで心が落ち着く」「あとで読み返してみると、自分がどういうことを考えていたのか整理できる」という先生のアドバイスで治しました。最近になってそれがいいなんて言っていますが、私の先生は20年も前にそのことを教えてくれていました。何を今さら、って話です。
そうして乗り越えてきたので、今の私は大丈夫だと思います。結局、本質的な部分は何も変わってない! 私は良くも強くもなってなかったんだ! ということは少し悲しいですが、これが私の個人的無意識なのでしょう。理屈で割りきれない心。幼いまま発達が止まってしまった心。何とかしようったって私ともならないなら仕方がありません。
すぐに何とかなるものじゃないことは、わかっています。でも絶対に治らないものじゃないことも、わかっています。また薬をもらえれば、大きな助けになるとは思いますが、なくてもここまでやってこられたのなら、必須ではないと思います。
焦らず、ゆっくりやっていきたいと思います。自分で何とかflat feelingの領域まで心を持っていければ大丈夫です。
Xを再開しました。
こんなに早く再開するつもりではなかったのですが、復帰する時期をいたずらに先延ばしにするのも良くないと思ったからです。時期は自分で決められるけど、「時機」は待ってくれないのです。
時機?
そう、「世情に疎く、時勢に昏く」を謳う私ではありますが、1年に1度のこのイベントを無視するわけにはいかないのです。そしてその話題は、今すぐ書くしかないのです。
青葉通地下道で開催されたイベント「地下道-3150」を見てきました。
去年も見てきましたが、今年も見てきました。
やっぱり、私にとっては一番大切なイベントなんですよね。もうお正月みたいなものですから。これがあると信じて1年頑張ってきたのだし、また来年もあると思って1年頑張る。そういう、重要なきっかけ作りのイベントなんです。
果たして今回もその雰囲気を楽しんできました。
今年は小さい子どもたちがキャッキャ言っているのが印象的でしたね。なので、「少数派も多数派もみんなおいでよ」という雰囲気でした。そして私みたいな世捨て人になりかけた人類もつかの間打ち解けられたのです。スタッフの方とお話をして、こちらの……
……と遊んだりして……。
そしてその感想を伝えるべきであるというのはもはや天啓だと思ったので、投稿しました。
そうしたところ、色々と心配の声を頂き、大変感動しました。
神経がひどく衰弱していて、すぐに元通りとはいきませんが……また少しずつ、始めていきたいと思います。ただし順番は、このブログが第一です。ある程度まとまった文章を書いて、そのあと繋がりを維持するためにXをやる。そんな感じで少しずつ……ね。
こんなに早く再開するつもりではなかったのですが、復帰する時期をいたずらに先延ばしにするのも良くないと思ったからです。時期は自分で決められるけど、「時機」は待ってくれないのです。
時機?
そう、「世情に疎く、時勢に昏く」を謳う私ではありますが、1年に1度のこのイベントを無視するわけにはいかないのです。そしてその話題は、今すぐ書くしかないのです。
青葉通地下道で開催されたイベント「地下道-3150」を見てきました。
去年も見てきましたが、今年も見てきました。
やっぱり、私にとっては一番大切なイベントなんですよね。もうお正月みたいなものですから。これがあると信じて1年頑張ってきたのだし、また来年もあると思って1年頑張る。そういう、重要なきっかけ作りのイベントなんです。
果たして今回もその雰囲気を楽しんできました。
今年は小さい子どもたちがキャッキャ言っているのが印象的でしたね。なので、「少数派も多数派もみんなおいでよ」という雰囲気でした。そして私みたいな世捨て人になりかけた人類もつかの間打ち解けられたのです。スタッフの方とお話をして、こちらの……
……と遊んだりして……。
そしてその感想を伝えるべきであるというのはもはや天啓だと思ったので、投稿しました。
そうしたところ、色々と心配の声を頂き、大変感動しました。
神経がひどく衰弱していて、すぐに元通りとはいきませんが……また少しずつ、始めていきたいと思います。ただし順番は、このブログが第一です。ある程度まとまった文章を書いて、そのあと繋がりを維持するためにXをやる。そんな感じで少しずつ……ね。
どうせ誰も見ていないだろうから、今しか書けないことを書きたいと思います。
最近Xを休止していますが、世の中とのかかわりを断って隠棲したい……かと言うと、少し違う気がします。
ただ、自分の心の中にあるものを伝える手段を変えてみたいと思った。時間が経って心が落ち着いてくると、そういうことなのかなって思いました。
短い文章でパッパッと伝えるのもいいんですけどね。その時その時の半リアルタイムな様子を伝える。嬉しいこととか辛いこととかをすぐに発信して誰かと共有する。そういうのが良さだと思うんですけど、その一言をつぶやくために30分も1時間も文章を考えて書くような人間ですから、その時間を使ってこうして文章で書いて表現する方法もいいんじゃないかなって。
そして、何かイベントとかに参加したら、その場で当事者の人に気持ちを伝えることを大切にしようということです。私はこの通り内向的な人間で、大好きな人や憧れの人に直接面と向かって気持ちを伝えようとすれば緊張の化身、膝も声もガクガクブルブル震えて丸井マリに出会ったドラえもんのごとくハカハカしちゃうんですが、それが受け手にとっての最高の自己表現だと思うのです。
私は認識者、受信者ですから。私が表現をして多くの人の心を動かすことは無理ですが、表現に触れて深くふか~く感じ入ることができます。だとしたら、上手じゃなくてもその気持ちを一番伝えたい人に伝えたい。そういうチャンスがあるのなら、それを逃さずに踏み出しぶつける勇気を何よりも大切にしたい。そう考えるようになったのです。

また、直接対面で伝えられない場合でも、便箋に手書で使って気持ちを伝えるようにしました。
そして画面の向こう側にいる大好きなひとには、チャット機能でコメントを送りました。
私には特別な輝きはありません。アイドルでもないしエモーショナルな写真や動画を発信しているわけでもないし上手な文章を書けるわけでもありません。SNSの流れにもついて行けなくなって、画面の向こう側にいる大好きな人にどうやって気持ちを伝えればいいのかわからなくなって、ひとりで泣いていました。
でも、伝えられないからと言って、この気持ちまで否定し消してしまうことはないですよね。素早く何度でもポンポンと伝えられなくたっていいじゃないか。大事な時――それが年に1回だけだとしても、自分の気持ちを表現し伝えられるのなら、それでいいじゃないか。
ちょうど今、仙台の各ギャラリーで開催されている無審査の美術展『アンデパンダン展』のことを重ねながら、そう思いました。チフリグリの人に聞いたところ、1年に1度、この時だけ自分の作品を出展する人もいるらしいし。アンデパンダン展については今日も行くので、後ほどまとめて書きますが。
そして、今日は1年に1度の……私にとっては一番大切なイベントがある日です。心の準備は万全ではありませんが、伝えたい気持ちを伝えられるように……頑張ります!
(注:この記事は10月7日に書きました)
最近Xを休止していますが、世の中とのかかわりを断って隠棲したい……かと言うと、少し違う気がします。
ただ、自分の心の中にあるものを伝える手段を変えてみたいと思った。時間が経って心が落ち着いてくると、そういうことなのかなって思いました。
短い文章でパッパッと伝えるのもいいんですけどね。その時その時の半リアルタイムな様子を伝える。嬉しいこととか辛いこととかをすぐに発信して誰かと共有する。そういうのが良さだと思うんですけど、その一言をつぶやくために30分も1時間も文章を考えて書くような人間ですから、その時間を使ってこうして文章で書いて表現する方法もいいんじゃないかなって。
そして、何かイベントとかに参加したら、その場で当事者の人に気持ちを伝えることを大切にしようということです。私はこの通り内向的な人間で、大好きな人や憧れの人に直接面と向かって気持ちを伝えようとすれば緊張の化身、膝も声もガクガクブルブル震えて丸井マリに出会ったドラえもんのごとくハカハカしちゃうんですが、それが受け手にとっての最高の自己表現だと思うのです。
私は認識者、受信者ですから。私が表現をして多くの人の心を動かすことは無理ですが、表現に触れて深くふか~く感じ入ることができます。だとしたら、上手じゃなくてもその気持ちを一番伝えたい人に伝えたい。そういうチャンスがあるのなら、それを逃さずに踏み出しぶつける勇気を何よりも大切にしたい。そう考えるようになったのです。
また、直接対面で伝えられない場合でも、便箋に手書で使って気持ちを伝えるようにしました。
そして画面の向こう側にいる大好きなひとには、チャット機能でコメントを送りました。
私には特別な輝きはありません。アイドルでもないしエモーショナルな写真や動画を発信しているわけでもないし上手な文章を書けるわけでもありません。SNSの流れにもついて行けなくなって、画面の向こう側にいる大好きな人にどうやって気持ちを伝えればいいのかわからなくなって、ひとりで泣いていました。
でも、伝えられないからと言って、この気持ちまで否定し消してしまうことはないですよね。素早く何度でもポンポンと伝えられなくたっていいじゃないか。大事な時――それが年に1回だけだとしても、自分の気持ちを表現し伝えられるのなら、それでいいじゃないか。
ちょうど今、仙台の各ギャラリーで開催されている無審査の美術展『アンデパンダン展』のことを重ねながら、そう思いました。チフリグリの人に聞いたところ、1年に1度、この時だけ自分の作品を出展する人もいるらしいし。アンデパンダン展については今日も行くので、後ほどまとめて書きますが。
そして、今日は1年に1度の……私にとっては一番大切なイベントがある日です。心の準備は万全ではありませんが、伝えたい気持ちを伝えられるように……頑張ります!
(注:この記事は10月7日に書きました)
今日はちょっと書くことがないので、身近なことから書きます。
わが仙台はビュービューゴーゴーと物凄い強い風が吹いていました。たぶんさえぎるものが何もない仙台平野だからなのかもしれませんが、一部の列車に影響が出るくらい強かったのですね。
以前、宮城県内のローカル番組で気象予報士の人が仙台をして『風の都』と呼んでいましたが、風の精シルフが大好きな私としては、すごく良いネーミングだと思います。
バレエ『ラ・シルフィード』など、元々美しい女性の姿で描かれるシルフですが、私が特に好きになった理由は昔のゲーム『シルフィア』によります。
かのコンパイルが制作した(アレスタエンジンで作られた)シューティングゲームで、希臘神話的な世界観はナムコの『フェリオス』にも似ていますが、初めから神様で英雄のアポロンがアルテミスを救うべくペガサスに乗って戦う『フェリオス』に対して『シルフィア』はちょっと悲壮感があっていいんですよね。
主人公のシルフィアは元々人間の剣士だったのですが、魔物との闘いで傷つき一度は倒れてしまいます。ただ、そのあと神々の力によって『シルフィア』に転生し、それによって再び……というのがオープニングムービーで流れます。
好きすぎて3回も長文レビューを書きました。20年以上経ってもずっと好きなキャラクタです。風と言えばシルフィアなんです。

追記。あまりに風が強すぎて、ツギハギして何とか持たせていたわが愛車のカバーがとうとう、用をなさなくなってしまいました。さすがにこれは……新しいのを買って来ようっと。

わが仙台はビュービューゴーゴーと物凄い強い風が吹いていました。たぶんさえぎるものが何もない仙台平野だからなのかもしれませんが、一部の列車に影響が出るくらい強かったのですね。
以前、宮城県内のローカル番組で気象予報士の人が仙台をして『風の都』と呼んでいましたが、風の精シルフが大好きな私としては、すごく良いネーミングだと思います。
バレエ『ラ・シルフィード』など、元々美しい女性の姿で描かれるシルフですが、私が特に好きになった理由は昔のゲーム『シルフィア』によります。
かのコンパイルが制作した(アレスタエンジンで作られた)シューティングゲームで、希臘神話的な世界観はナムコの『フェリオス』にも似ていますが、初めから神様で英雄のアポロンがアルテミスを救うべくペガサスに乗って戦う『フェリオス』に対して『シルフィア』はちょっと悲壮感があっていいんですよね。
主人公のシルフィアは元々人間の剣士だったのですが、魔物との闘いで傷つき一度は倒れてしまいます。ただ、そのあと神々の力によって『シルフィア』に転生し、それによって再び……というのがオープニングムービーで流れます。
好きすぎて3回も長文レビューを書きました。20年以上経ってもずっと好きなキャラクタです。風と言えばシルフィアなんです。
追記。あまりに風が強すぎて、ツギハギして何とか持たせていたわが愛車のカバーがとうとう、用をなさなくなってしまいました。さすがにこれは……新しいのを買って来ようっと。
私の兄は重度の読書家であり、オカルトマニアだった……ような気がします。随分と前の記憶なので少々曖昧ではありますが、『帝都物語』『ラヴクラフト全集』はよしとして、『高等魔術の教理と祭儀』とか『地獄の辞典』とかがある環境はなかなかないのではないでしょうか。不肖の弟はそういった本のタイトルをぼんやり見ながら手に取ることなく生きてきたのですが、蒔かれた種は10年後20年後になって芽を出しました。
今年の1月にこれを読みました。
そして今はこれを読んでいます。
これは一度、10年前にも読了しているんですが、その時は加藤保憲の圧倒的な霊力に私もやられてしまって、心が正常化するまで1週間くらいかかりました。
昨日は夢中で第壱番を一気読みしてしまいました。4時間くらいかかりましたが、ある程度知っているので、何とかなりました。
それにしても、仙台の図書館にもこの愛蔵版が収蔵されていたのは、私にとっては非常にうれしかったです。当家にあったのは当然ながら文庫版でしたが、ところどころ散逸していて……それで10年前に盛岡市立図書館で借りて読んだ時もこの愛蔵版でした。
だいぶん、心が物語の世界に入りびたりになっています。なんかもう、世の中のことがどんどん、どうでもよくなってしまいます。私は自分が好きなものだけを並べた部屋で自分の心を守ります。守りつつ、力をつけて、いつかまた世に出るために……。
今年の1月にこれを読みました。
そして今はこれを読んでいます。
これは一度、10年前にも読了しているんですが、その時は加藤保憲の圧倒的な霊力に私もやられてしまって、心が正常化するまで1週間くらいかかりました。
昨日は夢中で第壱番を一気読みしてしまいました。4時間くらいかかりましたが、ある程度知っているので、何とかなりました。
それにしても、仙台の図書館にもこの愛蔵版が収蔵されていたのは、私にとっては非常にうれしかったです。当家にあったのは当然ながら文庫版でしたが、ところどころ散逸していて……それで10年前に盛岡市立図書館で借りて読んだ時もこの愛蔵版でした。
だいぶん、心が物語の世界に入りびたりになっています。なんかもう、世の中のことがどんどん、どうでもよくなってしまいます。私は自分が好きなものだけを並べた部屋で自分の心を守ります。守りつつ、力をつけて、いつかまた世に出るために……。
甍平四郎という作家は毎日原稿を三枚書くことを日課としていた……ということを牟礼魔利という人の文章で読み、甍平四郎というひとの文章は読んだことがないけど私もこのブログを毎日書くことを日課にしようと思って今日も書きます。
無論、牟礼魔利というひとはこの甍平四郎という作家のことをとても尊敬していて、しばしばエッセーの中に名前が出てくるくらいですから、とても立派な作家なのだと思います。私がこうしてあることないことをひねり出して何とか形にするのとはワケが違うと思うのですが、そういうのも素人の手すさびとして、甍平四郎も無視してくれるでしょう。牟礼魔利という人は自分が住んでいるアパートの人たちや銭湯に来る人たちや世の中の色々なことに怒っているような人なので、もし私がこんなことを言っているのを読んだら「素人が莫迦なことを言っている」と怒っちゃうかもしれませんが。まあ、お二方とも既にこの世の人ではないので、泉下で笑ってくれればいいなあと思うのですが。
なんて少々硬直した書き出しですが、一時期は、毎日書いていました。まだTwitterとかやっていなかった(存在しなかった)頃です。そのあとどうして開店休業に近い状態が何年も続いたのか。転職してホテルで働くようになってからは朝6時出勤夜12時退社みたいな勤務体系になり、決まった時間にPCに向かうことができなくなったからです。また、実生活の方での付き合いが多くなり、ひとりで自分の心と向き合う時間が少なくなったからです。
やがて心が本当に危うくなって心療内科に駆け込み、発達障がいと診断され、毎日飲んでいたお酒に加えて薬も加わり……あまり思い出したくないような日々が何年も続きました。わずかに更新していた当時の記事があるので、今更ここで繰り返すこともありますまい。
そのあとTwitter上でのお付き合いが増え、すぐに反応があるのが楽しくて、いよいよブログの方はフェードアウトか……と思っていたのですが、再びこうして書いています。今じゃ「誰も読んでいないだろう」という気安さが、自分の心を解放してくれる場所として最良の条件となりました。誰も読んでくれなくてもいいけど、誰でも読める場所で文章を書く。それがいいんです。大切なのは「受信者」「認識者」としての私のセンサーを曇らせないようにすることですから。
もう、私の意見を世の中に訴えてわかってもらおうとか、そんなことを言うべきではないのかもしれません。そういうのは、しかるべき人に任せておいて、私はしかるべき人の言葉を受けて行動することに徹した方がいいのかもしれません。半年くらいTwitterやっていて(途中で名称がXになりましたが)、そんな風に思いました。どれほど頑張っても私には無理だ! っていうところまで行っちゃったんです。もう飛び降りようかな、って。そう思うくらい。
でも、私にはこの場所が残っていました。シェルターみたいなもんです。
完全非公開、ローカルファイルに保存している日記も毎日つけているのですが、こうしてオープンな場所に自分の気持ちを書いておけば、もし私が本当にしんじゃったとしても……そのあと「ああ、こういうふうに考えていたんだなあ」ということが残り続けると思うので、とにかく何でもいいから書きつけてやろう! と思ってバリバリ書きました。
そうして書いているうちに、また普通の文章が書けるようになってきました。これは良い兆しだと思います。
読んで感じるだけでも、やはり一定のカリテは必要です。ちゃんと教養がないと理解できないですからね。また、そうやって教養をつけると自分でも何か書いてみたくなる……これも自然の法則でしょう。文章を真似してみたくなる。それでもいいかもしれません。元より私は読んだ本に影響されてパスティシュめいたことをするのが14歳中二の頃から趣味でしたから。
その中でも牟礼魔利という人が書いたエッセーは、これまで読んで来た色んな文章の中でも一等noblesseな、一言で言えば「美文」だなと思うのです。美しい、という言葉がこれほどピタリと当てはまる文章はなかなかないだろう、と。それは読み終えてから日にちが経つにつれ、じわりじわりと実感しているところであります。いや、牟礼魔利というのは文章の中の一人称だから、それを書いているのは森茉莉さんですよね。はい、そうです。森茉莉さんです。そして甍平四郎こと室生犀星の文章は、ようやく『芥川の原稿』というのを読みました。これが私の初体験です。これで大体2000文字くらいですから、なるほど、一呼吸で書くにしても読むにしても、このくらいだとちょうどいいのかもしれませんね。
なんて書いていたら、この無意味なようにも見える文章も2000文字くらいになりましたので、そろそろ区切りといたしましょう。意味があるとかないとか、どうでもいいよそんなこと、です。大体にして私は忘れん坊で自分の心のことでさえ自分でわからなくなってしまうような障害を抱えた人間なので、こうして書くことで心を作り上げているんです。そして私が陋巷に窮死、横死、変死? することがあったとしても、遺志が伝わるように書いているんです。いつ何があるかわからない、どうなるかわからないから、やれるうちにやっておこう。……
ただ、今の私は幸せです。仕事も何とかなってるし、仙台と言う街も私にとっては最高に好きな場所です。それに私は「大好きな人には生きていてほしい!」と心から願う人間なので、私が先に(もうしにたいという理由で自分の行為により)しんじゃったら、これほど不誠実なことはありません。土方歳三さん大好きっ子としては、それは決して曲げられない……実際には何度か折れ曲がりそうになりましたが、それでもギリギリのところで守って来た柱です。「至誠」の二文字を心の中の旗に染め抜いて、再び相まみえる日まで、生き延びていきたいと思います。
それでも、荷風散人も森茉莉さんも、ひとりきりで自分の部屋でこと切れになりました。そんな暗い影がいつも心の中にまとわりついているのも事実です。だから、何らかの理由でこのブログを書き続けられなくなったとしても、気持ちは遺るように……そんな思いを込めて今日の記事を締めくくります。
無論、牟礼魔利というひとはこの甍平四郎という作家のことをとても尊敬していて、しばしばエッセーの中に名前が出てくるくらいですから、とても立派な作家なのだと思います。私がこうしてあることないことをひねり出して何とか形にするのとはワケが違うと思うのですが、そういうのも素人の手すさびとして、甍平四郎も無視してくれるでしょう。牟礼魔利という人は自分が住んでいるアパートの人たちや銭湯に来る人たちや世の中の色々なことに怒っているような人なので、もし私がこんなことを言っているのを読んだら「素人が莫迦なことを言っている」と怒っちゃうかもしれませんが。まあ、お二方とも既にこの世の人ではないので、泉下で笑ってくれればいいなあと思うのですが。
なんて少々硬直した書き出しですが、一時期は、毎日書いていました。まだTwitterとかやっていなかった(存在しなかった)頃です。そのあとどうして開店休業に近い状態が何年も続いたのか。転職してホテルで働くようになってからは朝6時出勤夜12時退社みたいな勤務体系になり、決まった時間にPCに向かうことができなくなったからです。また、実生活の方での付き合いが多くなり、ひとりで自分の心と向き合う時間が少なくなったからです。
やがて心が本当に危うくなって心療内科に駆け込み、発達障がいと診断され、毎日飲んでいたお酒に加えて薬も加わり……あまり思い出したくないような日々が何年も続きました。わずかに更新していた当時の記事があるので、今更ここで繰り返すこともありますまい。
そのあとTwitter上でのお付き合いが増え、すぐに反応があるのが楽しくて、いよいよブログの方はフェードアウトか……と思っていたのですが、再びこうして書いています。今じゃ「誰も読んでいないだろう」という気安さが、自分の心を解放してくれる場所として最良の条件となりました。誰も読んでくれなくてもいいけど、誰でも読める場所で文章を書く。それがいいんです。大切なのは「受信者」「認識者」としての私のセンサーを曇らせないようにすることですから。
もう、私の意見を世の中に訴えてわかってもらおうとか、そんなことを言うべきではないのかもしれません。そういうのは、しかるべき人に任せておいて、私はしかるべき人の言葉を受けて行動することに徹した方がいいのかもしれません。半年くらいTwitterやっていて(途中で名称がXになりましたが)、そんな風に思いました。どれほど頑張っても私には無理だ! っていうところまで行っちゃったんです。もう飛び降りようかな、って。そう思うくらい。
でも、私にはこの場所が残っていました。シェルターみたいなもんです。
完全非公開、ローカルファイルに保存している日記も毎日つけているのですが、こうしてオープンな場所に自分の気持ちを書いておけば、もし私が本当にしんじゃったとしても……そのあと「ああ、こういうふうに考えていたんだなあ」ということが残り続けると思うので、とにかく何でもいいから書きつけてやろう! と思ってバリバリ書きました。
そうして書いているうちに、また普通の文章が書けるようになってきました。これは良い兆しだと思います。
読んで感じるだけでも、やはり一定のカリテは必要です。ちゃんと教養がないと理解できないですからね。また、そうやって教養をつけると自分でも何か書いてみたくなる……これも自然の法則でしょう。文章を真似してみたくなる。それでもいいかもしれません。元より私は読んだ本に影響されてパスティシュめいたことをするのが14歳中二の頃から趣味でしたから。
その中でも牟礼魔利という人が書いたエッセーは、これまで読んで来た色んな文章の中でも一等noblesseな、一言で言えば「美文」だなと思うのです。美しい、という言葉がこれほどピタリと当てはまる文章はなかなかないだろう、と。それは読み終えてから日にちが経つにつれ、じわりじわりと実感しているところであります。いや、牟礼魔利というのは文章の中の一人称だから、それを書いているのは森茉莉さんですよね。はい、そうです。森茉莉さんです。そして甍平四郎こと室生犀星の文章は、ようやく『芥川の原稿』というのを読みました。これが私の初体験です。これで大体2000文字くらいですから、なるほど、一呼吸で書くにしても読むにしても、このくらいだとちょうどいいのかもしれませんね。
なんて書いていたら、この無意味なようにも見える文章も2000文字くらいになりましたので、そろそろ区切りといたしましょう。意味があるとかないとか、どうでもいいよそんなこと、です。大体にして私は忘れん坊で自分の心のことでさえ自分でわからなくなってしまうような障害を抱えた人間なので、こうして書くことで心を作り上げているんです。そして私が陋巷に窮死、横死、変死? することがあったとしても、遺志が伝わるように書いているんです。いつ何があるかわからない、どうなるかわからないから、やれるうちにやっておこう。……
ただ、今の私は幸せです。仕事も何とかなってるし、仙台と言う街も私にとっては最高に好きな場所です。それに私は「大好きな人には生きていてほしい!」と心から願う人間なので、私が先に(もうしにたいという理由で自分の行為により)しんじゃったら、これほど不誠実なことはありません。土方歳三さん大好きっ子としては、それは決して曲げられない……実際には何度か折れ曲がりそうになりましたが、それでもギリギリのところで守って来た柱です。「至誠」の二文字を心の中の旗に染め抜いて、再び相まみえる日まで、生き延びていきたいと思います。
それでも、荷風散人も森茉莉さんも、ひとりきりで自分の部屋でこと切れになりました。そんな暗い影がいつも心の中にまとわりついているのも事実です。だから、何らかの理由でこのブログを書き続けられなくなったとしても、気持ちは遺るように……そんな思いを込めて今日の記事を締めくくります。
軽めの本を読もうと思って、これを読んでいました。
イオンのバーゲンブックフェアで新刊で買いました。「ゼロからわかる幻想生物事典」です(かみゆ歴史編集部・文庫ぎんが堂)。
幻想動物と言えばプリニウスの博物誌ですが、この本も「はじめに」のところで触れていました。それによって、お手軽に生み出された現代サブカル的な内容だけではなく、ある程度歴史的なものに拠った本なのだなと思って買いました。
内容的には、とても波長が合いました。プリニウスがどうとか言っても、私だっていわゆる幻想動物の半分以上はファミコンの『女神転生』をはじめファンタジー物のゲームで覚えたクチですからね。それこそ『ファイナルファンタジー』とか。だから神話から始まってゲームに行きついてひとつの章立てが終わるのは、とても軽くて楽しかったのです。
やはり私は幻想動物好きというか、そういう世界が大好きなんでしょうね。というか、現実世界を見るのが嫌なんです。嫌だけど見ないと生きていけないから何とか暮らしています。……と言うほどではないけれど、せめて精神的には、そうじゃない世界で生きてみたいと思います。
それがメタバースだというのなら、私はそれを喜んで受け入れます。肉体に拠らず精神が形を作り『在りたい私』でいられる世界なのであれば、私もそんな世界に飛び込みたいと思います。
そのためにも、この世界から飛び降りる準備をしなくては。

イオンのバーゲンブックフェアで新刊で買いました。「ゼロからわかる幻想生物事典」です(かみゆ歴史編集部・文庫ぎんが堂)。
幻想動物と言えばプリニウスの博物誌ですが、この本も「はじめに」のところで触れていました。それによって、お手軽に生み出された現代サブカル的な内容だけではなく、ある程度歴史的なものに拠った本なのだなと思って買いました。
内容的には、とても波長が合いました。プリニウスがどうとか言っても、私だっていわゆる幻想動物の半分以上はファミコンの『女神転生』をはじめファンタジー物のゲームで覚えたクチですからね。それこそ『ファイナルファンタジー』とか。だから神話から始まってゲームに行きついてひとつの章立てが終わるのは、とても軽くて楽しかったのです。
やはり私は幻想動物好きというか、そういう世界が大好きなんでしょうね。というか、現実世界を見るのが嫌なんです。嫌だけど見ないと生きていけないから何とか暮らしています。……と言うほどではないけれど、せめて精神的には、そうじゃない世界で生きてみたいと思います。
それがメタバースだというのなら、私はそれを喜んで受け入れます。肉体に拠らず精神が形を作り『在りたい私』でいられる世界なのであれば、私もそんな世界に飛び込みたいと思います。
そのためにも、この世界から飛び降りる準備をしなくては。
このところ連日2000~3000字くらいの分量で書き続けてきましたが、これは……スピードが出過ぎて必死でブレーキをかけた時の制動距離みたいなものですから。というか、下り坂でブレーキがしんで止まれなくなってズガガーッって突っ込む緊急避難所みたいなものです。本来このブログは、日常の何気ないことを取り上げて書き出す場所ですから。そういうことを書きたいと思います。ある程度の長さの文章を書く練習っていうか、そう言うことができることを確認したいって気持ちは、少しありましたけど。
Xでいつも繋がっていた人たちと(一時的とはいえ)離れているのは、少々つらいです。本当に、人づきあいが下手なんだなと思います。繋がっていたいのか、一人でいたいのか。
多分どちらも正解なんです。繋がりたいから今はひとりで頑張っているんです。ちゃんと繋がれるような心を取り戻すために。
いわゆる承認要求っていうんでしょうか。やっぱり投稿すれば「いいね」をもらえるかどうかは気になります。どうすればみんなに見てもらえるかなって想像しながら書きます。内容を意識して書きます。本心を隠して一般向けの言葉を書きます。何かというとすぐに騒ぎになるSNSという世界では、それがいいのかもしれませんが、どうも面白くないんですよね。
せっかく自分を解放しようとして、自由にやろうとしているのに、そこでまた縛られてしまう。まったくどうしようもないですね。
そんなことを考えています。
これも私なら仕方ないですね。縛られるのも私なら縛るのも私。あえて離れるのも私の為だと思います。私は自分の選択を信じます。後になって「あれは間違っていた……」としても、更にその後で別な考え方になって「それでよかったんだ……」ってなるかもしれないし。何なら、もう、良いも悪いもないかもしれませんね。どうでもいいよ、そんなことって。
まだまだ心の解放治療は始まったばかりです。今日も頑張ります。
Xでいつも繋がっていた人たちと(一時的とはいえ)離れているのは、少々つらいです。本当に、人づきあいが下手なんだなと思います。繋がっていたいのか、一人でいたいのか。
多分どちらも正解なんです。繋がりたいから今はひとりで頑張っているんです。ちゃんと繋がれるような心を取り戻すために。
いわゆる承認要求っていうんでしょうか。やっぱり投稿すれば「いいね」をもらえるかどうかは気になります。どうすればみんなに見てもらえるかなって想像しながら書きます。内容を意識して書きます。本心を隠して一般向けの言葉を書きます。何かというとすぐに騒ぎになるSNSという世界では、それがいいのかもしれませんが、どうも面白くないんですよね。
せっかく自分を解放しようとして、自由にやろうとしているのに、そこでまた縛られてしまう。まったくどうしようもないですね。
そんなことを考えています。
これも私なら仕方ないですね。縛られるのも私なら縛るのも私。あえて離れるのも私の為だと思います。私は自分の選択を信じます。後になって「あれは間違っていた……」としても、更にその後で別な考え方になって「それでよかったんだ……」ってなるかもしれないし。何なら、もう、良いも悪いもないかもしれませんね。どうでもいいよ、そんなことって。
まだまだ心の解放治療は始まったばかりです。今日も頑張ります。
今秋になって『豊饒の海』⇒『ドグラ・マグラ』⇒『恋人たちの森』と結構濃い目の文章をたくさん読み、その感想をドカンと打ち出してきたわけですが(ドグラ・マグラのことを書こうとすると狂気が悪化するのでもう少し落ち着いてから)、ところどころ真似したくなるんですよね。言葉遣いとか。
実はフランス語とかドイツ語は大学時代になかなか単位が取れなくて、そのせいで卒業できるかどうかの瀬戸際まで追い込まれたので、あまり好きではないのですが、ほら澁澤龍彦さんは生粋のフランス文学者だし、森茉莉さんもそうだし。そうすればカタカナとはいえフランス語が嫌でも目に入ってくるわけですよ。tableau(タブロー)ってのは、澁澤さんのエッセーで覚えました。
一方で三島由紀夫さんの文章は、漢字が多い。それにルビを振っているので何とか読めますが、今の文章だったら全部ひらがなで書いていそうなものも漢字で書いているから、随分と難しく感じられました。そのまま教養がないってことをひけらかすことになりますが、事実なんだから仕方がありません。とにかく読んで覚えたんです。「馘首」(かくしゅ)とかね。
そういう私が特に気に入っていて、今の私の心を一言で説明するのに便利だなと思ったのが「アマルガム」という言葉です。合金とか、もっと一般的に言えば「混合物」とか、そういう意味合いになるのでしょうが、これはとても便利です。今の自分の心を作り上げている要素も、個別に言えば色々ありますが、それひとつで私の心のすべてを説明することはできません。少しずつ少しずつ色んなものが組み合わさってできています。
それが整然とジグソーパズルのように組み合わさっているというのは、おそらく思考がちゃんとできる人でしょう。自分の考えをきちんと言葉にして論理にして説明ができる人でしょう。私もそうだと思っていました。そう思って心の中でキチキチッと整理をしていたつもりなんですが、悲しいかな、すぐに(現実の私の部屋と同じように)ごちゃごちゃしてどこに何があるのかわからなくなって、ぼんやりしてしまったり、うっかりしてしまったりするのです。多分こういうのが発達障がいなんでしょうね。
だから整然と整えることをあきらめて、自分の身体の中心に容器があって、そこに水銀と他の色々なものを溶かし込んだドロドロのものが詰め込まれ満たされている……それが私の心なんだと思うようになりました。アマルガムです。
もっとも、そのアマルガムは時々無くなってしまいます。他の人とうまくやるために、相手の言うことをよく聞いて「こうしなさい」と言われたらそうするためには、心なんて邪魔なだけだからです。そうして見えないところに押し込んでドアを閉めて鍵をかけて生きてきました。それでもドロドロの水銀ですから、ドアの隙間からしみだして来て、容器そのものを侵し始めました。
それが私です。
そんな私も半年くらい前、『在りたい私』という概念があることを知りました。
そういうのがあってもいいんだ。何だ、それでよかったんだ。
すごく嬉しくなって、私もこの半年、『在りたい私』を守るべく全力で頑張りました。色々真似してみました。
今はその『在りたい私』を守る容器、大切にする部屋を作るための大リフォーム中です。
心のリフォームが終わったら、また逢いに行きます。
どうかそれまで、お元気で。大好きです。

実はフランス語とかドイツ語は大学時代になかなか単位が取れなくて、そのせいで卒業できるかどうかの瀬戸際まで追い込まれたので、あまり好きではないのですが、ほら澁澤龍彦さんは生粋のフランス文学者だし、森茉莉さんもそうだし。そうすればカタカナとはいえフランス語が嫌でも目に入ってくるわけですよ。tableau(タブロー)ってのは、澁澤さんのエッセーで覚えました。
一方で三島由紀夫さんの文章は、漢字が多い。それにルビを振っているので何とか読めますが、今の文章だったら全部ひらがなで書いていそうなものも漢字で書いているから、随分と難しく感じられました。そのまま教養がないってことをひけらかすことになりますが、事実なんだから仕方がありません。とにかく読んで覚えたんです。「馘首」(かくしゅ)とかね。
そういう私が特に気に入っていて、今の私の心を一言で説明するのに便利だなと思ったのが「アマルガム」という言葉です。合金とか、もっと一般的に言えば「混合物」とか、そういう意味合いになるのでしょうが、これはとても便利です。今の自分の心を作り上げている要素も、個別に言えば色々ありますが、それひとつで私の心のすべてを説明することはできません。少しずつ少しずつ色んなものが組み合わさってできています。
それが整然とジグソーパズルのように組み合わさっているというのは、おそらく思考がちゃんとできる人でしょう。自分の考えをきちんと言葉にして論理にして説明ができる人でしょう。私もそうだと思っていました。そう思って心の中でキチキチッと整理をしていたつもりなんですが、悲しいかな、すぐに(現実の私の部屋と同じように)ごちゃごちゃしてどこに何があるのかわからなくなって、ぼんやりしてしまったり、うっかりしてしまったりするのです。多分こういうのが発達障がいなんでしょうね。
だから整然と整えることをあきらめて、自分の身体の中心に容器があって、そこに水銀と他の色々なものを溶かし込んだドロドロのものが詰め込まれ満たされている……それが私の心なんだと思うようになりました。アマルガムです。
もっとも、そのアマルガムは時々無くなってしまいます。他の人とうまくやるために、相手の言うことをよく聞いて「こうしなさい」と言われたらそうするためには、心なんて邪魔なだけだからです。そうして見えないところに押し込んでドアを閉めて鍵をかけて生きてきました。それでもドロドロの水銀ですから、ドアの隙間からしみだして来て、容器そのものを侵し始めました。
それが私です。
そんな私も半年くらい前、『在りたい私』という概念があることを知りました。
そういうのがあってもいいんだ。何だ、それでよかったんだ。
すごく嬉しくなって、私もこの半年、『在りたい私』を守るべく全力で頑張りました。色々真似してみました。
今はその『在りたい私』を守る容器、大切にする部屋を作るための大リフォーム中です。
心のリフォームが終わったら、また逢いに行きます。
どうかそれまで、お元気で。大好きです。
すでにこのブログが解放治療場になってから何度か書いていますが、『森茉莉』さんの本を、読んでいます。
元々ちょっと格好つけて古本市で『私の美の世界』の単行本を買い、しばらく置いていたのですが、『豊饒の海』から『ドグラ・マグラ』へと連続読書し、加えてXでのちょっとしたこともあって……
まあ、くるってしまったのですね。
で、茉莉さんの文章を読んで解毒しようと思って読んだら結構面白くて。
本来は『贅沢貧乏』が読めればそれでよかったのですが、あいにく仙台市図書館に単行本がなく、それが収録されている全集を借りてきました。さらにそれ一冊では物足りないんじゃないかと思って関連書籍(群ようこさんの本を関連と言っていいのかどうかと思いましたが、一番上の森茉莉特集にも関連書籍として早川茉莉さんが挙げていたので関連書籍なのです)を数冊積み重ねてきました。
とりあえず、一番緊要な『贅沢貧乏』と、全集に収録されている『恋人たちの森』『枯葉の寝床』『曇った硝子』などの小編をいくつか読みました。『父の帽子』とか『甘い蜜の部屋』とかは未読ですが、私は別に森茉莉研究家でもドはまりしているわけでもないので、いったんこれで区切りとしましょう。
そして、私なんかが何を言ったところで「素人が何を言っていやがる」「おれ(私)の方がお前なんかより10倍も100倍も森茉莉のことはわかっているんだ」と貶められるのを承知で、私の感想を書きたいと思います。だってここは解放治療場だからです。
明治の大文豪『森鴎外』の娘というのは事実としてありますが、茉莉さんの文章は茉莉さんにしか書けない、三島由紀夫さんの言葉を借りれば「日本中で森茉莉商店でしか売つてゐない言葉」を使って書かれている文章です。「…ので、あった。」とかって読点の区切り方はこれまで読んだことがありません。なので最初はどうも引っかかって躓きそうになったのですが、読みなれてくるとそれがいかにも特徴的でいとおしく感じられてしまうのです。私という人間もよくよく影響されやすい人間のようです。
文体としては女性らしい(というのが昨今の時節柄よろしくないというのであれば、単純に「やわらかい」と言い換えても結構。ただし私が硬めの文章を男性的と言い優しげな文章を女性的と言うのは実際に男性が書いた文章や女性が書いた文章を読んで経験的に「そういうものだ」と認識しているからである。特に矢川澄子さんの文章は『女性らしい文章』の極地点だと思う)のですが、やはり昔の作家だからでしょうか、漢字が多用されています。それが適度なスパイス、文章全体の格調高さ、noblesseな感じがしみだして来て心地よいのです。
私なんかが普段の文章でパンのことを『麵麭』って言ったり、『独逸』ならまだしも『伯林』とか『倫敦』とか『伊太利の空は希臘のように』とかって書いていたら、失笑どころか息が詰まってすぐに読むのをやめてしまうでしょう。大体にして私自身が恐らく息が詰まって書くのをうっちゃらかすと思います。そんな文章、誰よりも私が読みたくありませんから。
群ようこさんは『贅沢貧乏のマリア』の中で、茉莉さんの性格や生活スタイルについて賞賛とも批判ともあきれ返るともうんざりするともしれないような感想をご自身のことと照らし合わせつつ書いておりましたが(そして、それを私も面白く読ませていただいたわけですが)、私が特に興味を持って読んだのは、当時の『文壇紳士』たちとのお付き合いでした。
三島由紀夫さんが茉莉さんの文章をとても良く言っていたのは存じていますが、澁澤龍彦さんの名前も出てきたことには驚きました。特に『降誕祭パアティー』というエッセーでは、名前こそ全部捩られていますが、文壇紳士のみならず芸能界芸術界のメンバーがいたことがわかります。
安東杏作、喜多守緒、矢沢聖司、そして島澤武比古と真島与志之……。喜多守緒なんかは、もう、そのまま読めちゃいますね。たぶんお医者さんをしながら執筆していたんでしょうね。
一方で、小説の方はどうか。私はそもそも『贅沢貧乏』を読めばこの全集の役目は果たしたようなものなんですが、ただせっかく収録されているのに読まずに返して後で読みたくなって買いなおすというのもばからしいというか勿体ないと思ったので読みました。
全集の巻末の解説で「美少年もの」という言葉を使っていたので私もそれに倣いますが、若くて色気があって純粋な「美少年」に成人男性が恋をして云々……というものが立て続けに何本か収録されています。このうち『恋人たちの森』が三島さんに注目され『新潮』に評論文が載ったわけですが、その後、実際に収録されている通りの順番で立て続けに美少年ものを書いたそうです。
これに関しては、急いで茉莉さん自身の気持ちを書いておかなければなりますまい。すなわち、茉莉さんは男色を書こうと思って書いたわけではなく、「優婉」な恋愛の世界を描いたのだ、と仰っています。
とにかく変な安っぽさが無いんですよね。ジャン=クロード・ブリアリとアラン・ドロンの組み合わせですから色気はあるけど下品ではない。社会通念とか男性女性という肉体的な概念は存在せず、ただただ心を燃やす愛情と心を蕩かす欲情があるだけなのです。
そういうわけで、あることないことをごちゃ混ぜにして長文を書いてしまったので、そろそろ切り上げます。
茉莉さんが色々あって始めた独り暮らしについては、室生犀星が部屋を訪ねた夜「かなしみでよく寝られなかった」と言い、富岡多恵子さんは「自分ならとてもこういう風には住めない」と言ってしまうような内容だったわけですが、どんな状況であっても自分の中のnoblesseは一切妥協せず、(他人から見れば惨憺たる有様であったとしても)自分が良いと思った世界観を作り上げ、最後までその世界観を通じて世の中と関わっていたのだろうなと思いました。
私なんかはどうしようもないズボラ気質で、何よりも心が貧乏くさいので、茉莉さんや「我こそは森茉莉信者なり」という人からしてみれば蛇蝎のごとく忌み嫌われるとは思うのですが、それでも! 部屋の一角を大好きなもので飾り立てたり、自分の中に(自分だけの)水準器をもってそれで少しでも良く生きられるのなら……そういうことをしていた人がいたのなら……私のこういう生活も、いいんじゃないかな、と思いました。
これを図書館に返したらいったん森茉莉さんは区切りとしますが、大好きな作家が一人増えました。『甘い蜜の部屋』も『父の帽子』も次の機会に読みたいと思います。今はほかに、読みたい本が順番待ちをしているので後回しにしますが……。
(この2冊は私が自分で買った本です)
追記。
この記事を書いた後『マドゥモァゼル・ルウルウ』も読んだのですが、う~んこれはちょっと、私には引っかからなかったですね。「三島由紀夫も、与謝野晶子も大変面白がった」と森茉莉さんがあとがきで書き、新装版の解説を書いていた中野翠さんも絶賛していましたが、私にはちょっと……最後まで読みましたが、どうしても、物語をきちんと心に取り込むことができませんでした。
ま、これに関してはいずれリベンジしたいと思います。もう一度読んでみて、それでも同じような感想だったら仕方がありません。私の好みとは合わなかった。ただ、それだけです。私なんかが何を言ったところで、これが素晴らしい物語であることに違いはないのです。
元々ちょっと格好つけて古本市で『私の美の世界』の単行本を買い、しばらく置いていたのですが、『豊饒の海』から『ドグラ・マグラ』へと連続読書し、加えてXでのちょっとしたこともあって……
まあ、くるってしまったのですね。
で、茉莉さんの文章を読んで解毒しようと思って読んだら結構面白くて。
本来は『贅沢貧乏』が読めればそれでよかったのですが、あいにく仙台市図書館に単行本がなく、それが収録されている全集を借りてきました。さらにそれ一冊では物足りないんじゃないかと思って関連書籍(群ようこさんの本を関連と言っていいのかどうかと思いましたが、一番上の森茉莉特集にも関連書籍として早川茉莉さんが挙げていたので関連書籍なのです)を数冊積み重ねてきました。
とりあえず、一番緊要な『贅沢貧乏』と、全集に収録されている『恋人たちの森』『枯葉の寝床』『曇った硝子』などの小編をいくつか読みました。『父の帽子』とか『甘い蜜の部屋』とかは未読ですが、私は別に森茉莉研究家でもドはまりしているわけでもないので、いったんこれで区切りとしましょう。
そして、私なんかが何を言ったところで「素人が何を言っていやがる」「おれ(私)の方がお前なんかより10倍も100倍も森茉莉のことはわかっているんだ」と貶められるのを承知で、私の感想を書きたいと思います。だってここは解放治療場だからです。
明治の大文豪『森鴎外』の娘というのは事実としてありますが、茉莉さんの文章は茉莉さんにしか書けない、三島由紀夫さんの言葉を借りれば「日本中で森茉莉商店でしか売つてゐない言葉」を使って書かれている文章です。「…ので、あった。」とかって読点の区切り方はこれまで読んだことがありません。なので最初はどうも引っかかって躓きそうになったのですが、読みなれてくるとそれがいかにも特徴的でいとおしく感じられてしまうのです。私という人間もよくよく影響されやすい人間のようです。
文体としては女性らしい(というのが昨今の時節柄よろしくないというのであれば、単純に「やわらかい」と言い換えても結構。ただし私が硬めの文章を男性的と言い優しげな文章を女性的と言うのは実際に男性が書いた文章や女性が書いた文章を読んで経験的に「そういうものだ」と認識しているからである。特に矢川澄子さんの文章は『女性らしい文章』の極地点だと思う)のですが、やはり昔の作家だからでしょうか、漢字が多用されています。それが適度なスパイス、文章全体の格調高さ、noblesseな感じがしみだして来て心地よいのです。
私なんかが普段の文章でパンのことを『麵麭』って言ったり、『独逸』ならまだしも『伯林』とか『倫敦』とか『伊太利の空は希臘のように』とかって書いていたら、失笑どころか息が詰まってすぐに読むのをやめてしまうでしょう。大体にして私自身が恐らく息が詰まって書くのをうっちゃらかすと思います。そんな文章、誰よりも私が読みたくありませんから。
群ようこさんは『贅沢貧乏のマリア』の中で、茉莉さんの性格や生活スタイルについて賞賛とも批判ともあきれ返るともうんざりするともしれないような感想をご自身のことと照らし合わせつつ書いておりましたが(そして、それを私も面白く読ませていただいたわけですが)、私が特に興味を持って読んだのは、当時の『文壇紳士』たちとのお付き合いでした。
三島由紀夫さんが茉莉さんの文章をとても良く言っていたのは存じていますが、澁澤龍彦さんの名前も出てきたことには驚きました。特に『降誕祭パアティー』というエッセーでは、名前こそ全部捩られていますが、文壇紳士のみならず芸能界芸術界のメンバーがいたことがわかります。
安東杏作、喜多守緒、矢沢聖司、そして島澤武比古と真島与志之……。喜多守緒なんかは、もう、そのまま読めちゃいますね。たぶんお医者さんをしながら執筆していたんでしょうね。
一方で、小説の方はどうか。私はそもそも『贅沢貧乏』を読めばこの全集の役目は果たしたようなものなんですが、ただせっかく収録されているのに読まずに返して後で読みたくなって買いなおすというのもばからしいというか勿体ないと思ったので読みました。
全集の巻末の解説で「美少年もの」という言葉を使っていたので私もそれに倣いますが、若くて色気があって純粋な「美少年」に成人男性が恋をして云々……というものが立て続けに何本か収録されています。このうち『恋人たちの森』が三島さんに注目され『新潮』に評論文が載ったわけですが、その後、実際に収録されている通りの順番で立て続けに美少年ものを書いたそうです。
これに関しては、急いで茉莉さん自身の気持ちを書いておかなければなりますまい。すなわち、茉莉さんは男色を書こうと思って書いたわけではなく、「優婉」な恋愛の世界を描いたのだ、と仰っています。
フランスの爛熟した映画の時代を背後に、亡霊のように背負っている二人の役者は天を恐れぬ不敵さで、自分たちの間の恋愛の情緒を公衆に見せる写真の上に現している……熱い表情と……どんな女よりもなまめかしい姿態とは全く私を恍惚とさせ、私はその写真をもとにして四つもの小説を書いた」(「『性』を書こうとは思わない」「読売新聞」昭和三十九年四月一日夕刊)
【ここまで、「森茉莉全集2」筑摩書房 590ページより引用】
とにかく変な安っぽさが無いんですよね。ジャン=クロード・ブリアリとアラン・ドロンの組み合わせですから色気はあるけど下品ではない。社会通念とか男性女性という肉体的な概念は存在せず、ただただ心を燃やす愛情と心を蕩かす欲情があるだけなのです。
そういうわけで、あることないことをごちゃ混ぜにして長文を書いてしまったので、そろそろ切り上げます。
茉莉さんが色々あって始めた独り暮らしについては、室生犀星が部屋を訪ねた夜「かなしみでよく寝られなかった」と言い、富岡多恵子さんは「自分ならとてもこういう風には住めない」と言ってしまうような内容だったわけですが、どんな状況であっても自分の中のnoblesseは一切妥協せず、(他人から見れば惨憺たる有様であったとしても)自分が良いと思った世界観を作り上げ、最後までその世界観を通じて世の中と関わっていたのだろうなと思いました。
私なんかはどうしようもないズボラ気質で、何よりも心が貧乏くさいので、茉莉さんや「我こそは森茉莉信者なり」という人からしてみれば蛇蝎のごとく忌み嫌われるとは思うのですが、それでも! 部屋の一角を大好きなもので飾り立てたり、自分の中に(自分だけの)水準器をもってそれで少しでも良く生きられるのなら……そういうことをしていた人がいたのなら……私のこういう生活も、いいんじゃないかな、と思いました。
これを図書館に返したらいったん森茉莉さんは区切りとしますが、大好きな作家が一人増えました。『甘い蜜の部屋』も『父の帽子』も次の機会に読みたいと思います。今はほかに、読みたい本が順番待ちをしているので後回しにしますが……。
(この2冊は私が自分で買った本です)
追記。
この記事を書いた後『マドゥモァゼル・ルウルウ』も読んだのですが、う~んこれはちょっと、私には引っかからなかったですね。「三島由紀夫も、与謝野晶子も大変面白がった」と森茉莉さんがあとがきで書き、新装版の解説を書いていた中野翠さんも絶賛していましたが、私にはちょっと……最後まで読みましたが、どうしても、物語をきちんと心に取り込むことができませんでした。
ま、これに関してはいずれリベンジしたいと思います。もう一度読んでみて、それでも同じような感想だったら仕方がありません。私の好みとは合わなかった。ただ、それだけです。私なんかが何を言ったところで、これが素晴らしい物語であることに違いはないのです。
連休初日、久々にオートバイを出して七ヶ浜町に行ってきました。
仙台から車で30分くらいで到着します。砂浜と松島四大観のひとつ「偉観」とそれから……。
素敵な場所なんです。
代ヶ崎浜から火力発電所方面に走り、そうしているとお昼時になったので、『菜菜Cafe*キリカブ』でご飯を頂くことにしました。菜菜プレート(800円)です。
今風に言えばマクロビオティック? な料理って言うんでしょうか。よくわかりませんが、とにかく地産地消、ご主人が採った野菜をこのように少しずつ違った味付けで楽しめる(それでいて、結構おなかいっぱいになる)いぎなりう~まい! そしてやさし~い! 食事でした。
お店の雰囲気も、おそらくご主人が自ら切り出して来たであろう木の椅子など、自然感爆発で心地よいです。ちょうど私がお伺いした時はご主人がテラスでこのように手作りのコースターを作っているところでした。
で、食事がおいしかったのはもちろんなんですが、それと同じくらい楽しかったのがご主人のトークでした。マイク眞木さんのように銀髪を後ろに流した、今年70歳になろうかという方なんですが、二輪四輪問わず大の乗り物好きだそうで……。
「若いころ、誘われていったモトクロスの大会でいきなり優勝しちゃった」
「そのあと事故で大けがをして、『車買ってやるからやめてくれ』と家族に懇願され『それなら』ということでモトクロスはやめた」
「スターレットのエンジンを乗せ換えてピストン交換、ヘッド面研など極限メカチューンした(最終的に170psくらい出たらしい⇒ノーマルの2倍以上!)」
「その車で当時出始めのサバンナRX-7を置いてけぼりにした」
「52歳までサーキットで鳴らしていた」
「サーキットに行った時に『ドリキン』の異名を持つアノ人に会って同乗体験させてもらった」
……簡単に書き出しただけでも、ざっとこんな感じです。
そんなことを世間話の要領でスラスラと話してくれるのですから、「板垣恵介の激闘達人烈伝」のような感じでした。今こうして自然に親しみ優しい空間を作っているご主人は、達人とか仙人とかそういう領域の人なのかなって思いました。
でも、そういう話の中でふっと出てきたんですよね。こうも好きなことをやり続け、また奥様にもやらせてもらっている理由というのを。
それはご主人がまだ30歳そこそこの頃の話なんですが……当時、友人が不治の病で余命いくばくもないころ、病室に呼ばれて言われたそうなんですね。
「おれはやりたいことがいっぱいあったけど、結局、何もできなかった」
「お前はやりたいことをやれ。それも、年を取ってからでもできることじゃない。若いうちにしかやれないことをやれ」
そして翌日、その友人はこと切れになりました……とのことです。
そこで奥様にも「おれはこれから、やりたいことをやって生きるから」と宣言し、それを受け入れてもらって、本当に現在進行形でやりたいことをやっている……ということなのでしょうね。今はこうして自分の店を構え、カフェに民泊にと悠々自適な感じです。年齢的には70歳なんですが、それこそマイク眞木さんみたいな「格好いい歳の取り方」をしているなあ、という感じでした。
私も最初に就職した会社を辞めた時、そう宣言して未経験の業種に飛び込み、随分とひどい目に遭ったのですが……でも、何とか生きています。
やりたいと思っても、できないことは、あります。
不自由さ、生きづらさを感じることはあります。
でも、やってみたらできたことも、あります。
「やりたいことをやって生きる」
私はギリギリ、間に合ったと思います。
ご主人が乗っていたような高性能なやつではないし、1台ウン千万みたいな高級車でもありません(先日「8台で1億8千万」と称する外車二輪車三輪車の連隊が来たそうです)。でも、私はこれと一緒に走ることが「やりたいこと」なので。私もやはり、生きる方に動いていきたいと思います。
そして、私の大好きな人がしにたいと言ったら、全力で引き止めます。落ち込んだり心がつらかったら、全力でサポートしたいです。気持ちが熱すぎて不器用で上手に伝えられなくて今はこんな感じで全然伝わらない場所から発信していますが。いつかちゃんと伝えられるように、今からこうして発信しておきます。
大好きです。

*
最後に、もうひとつ。
ご主人はその外車のことを「ベンベ」と言っていました。少し前にテレビでBMWのことを「ベンベ」という人がいる、と見ていたので、頭の中ですぐにBMWと変換できたのですが、それが本来なんだろうなと思いました。
そりゃあまあ、「ビーエムダブリュー」って英語読みすればいいと思いますよ(CMでもそう言ってるし)。一般的にはそう言わないと通じないでしょうし。でもそれをドイツ語風の発音で、それも話し言葉としても流暢で短く言うと「ベンベ」なんだろうな、と。変に「びーえむ」とかって略するよりもずっと格好いいです。私が言っても様にならないですけど、達人とか仙人とかが言うと渋いなあ、格好いいなあと思った小僧っ子の私でした。
若くあろう若くあろうと悪あがきしているのではなく、「気が付いたら70歳になってましたが何か?」という雰囲気のご主人ですから、たぶん100歳になっても変わらないような気がします。私も色々考える切っ掛けをもらえて楽しかったです。
ごちそうさまでした!

仙台から車で30分くらいで到着します。砂浜と松島四大観のひとつ「偉観」とそれから……。
素敵な場所なんです。
代ヶ崎浜から火力発電所方面に走り、そうしているとお昼時になったので、『菜菜Cafe*キリカブ』でご飯を頂くことにしました。菜菜プレート(800円)です。
今風に言えばマクロビオティック? な料理って言うんでしょうか。よくわかりませんが、とにかく地産地消、ご主人が採った野菜をこのように少しずつ違った味付けで楽しめる(それでいて、結構おなかいっぱいになる)いぎなりう~まい! そしてやさし~い! 食事でした。
お店の雰囲気も、おそらくご主人が自ら切り出して来たであろう木の椅子など、自然感爆発で心地よいです。ちょうど私がお伺いした時はご主人がテラスでこのように手作りのコースターを作っているところでした。
で、食事がおいしかったのはもちろんなんですが、それと同じくらい楽しかったのがご主人のトークでした。マイク眞木さんのように銀髪を後ろに流した、今年70歳になろうかという方なんですが、二輪四輪問わず大の乗り物好きだそうで……。
「若いころ、誘われていったモトクロスの大会でいきなり優勝しちゃった」
「そのあと事故で大けがをして、『車買ってやるからやめてくれ』と家族に懇願され『それなら』ということでモトクロスはやめた」
「スターレットのエンジンを乗せ換えてピストン交換、ヘッド面研など極限メカチューンした(最終的に170psくらい出たらしい⇒ノーマルの2倍以上!)」
「その車で当時出始めのサバンナRX-7を置いてけぼりにした」
「52歳までサーキットで鳴らしていた」
「サーキットに行った時に『ドリキン』の異名を持つアノ人に会って同乗体験させてもらった」
……簡単に書き出しただけでも、ざっとこんな感じです。
そんなことを世間話の要領でスラスラと話してくれるのですから、「板垣恵介の激闘達人烈伝」のような感じでした。今こうして自然に親しみ優しい空間を作っているご主人は、達人とか仙人とかそういう領域の人なのかなって思いました。
でも、そういう話の中でふっと出てきたんですよね。こうも好きなことをやり続け、また奥様にもやらせてもらっている理由というのを。
それはご主人がまだ30歳そこそこの頃の話なんですが……当時、友人が不治の病で余命いくばくもないころ、病室に呼ばれて言われたそうなんですね。
「おれはやりたいことがいっぱいあったけど、結局、何もできなかった」
「お前はやりたいことをやれ。それも、年を取ってからでもできることじゃない。若いうちにしかやれないことをやれ」
そして翌日、その友人はこと切れになりました……とのことです。
そこで奥様にも「おれはこれから、やりたいことをやって生きるから」と宣言し、それを受け入れてもらって、本当に現在進行形でやりたいことをやっている……ということなのでしょうね。今はこうして自分の店を構え、カフェに民泊にと悠々自適な感じです。年齢的には70歳なんですが、それこそマイク眞木さんみたいな「格好いい歳の取り方」をしているなあ、という感じでした。
私も最初に就職した会社を辞めた時、そう宣言して未経験の業種に飛び込み、随分とひどい目に遭ったのですが……でも、何とか生きています。
やりたいと思っても、できないことは、あります。
不自由さ、生きづらさを感じることはあります。
でも、やってみたらできたことも、あります。
「やりたいことをやって生きる」
私はギリギリ、間に合ったと思います。
ご主人が乗っていたような高性能なやつではないし、1台ウン千万みたいな高級車でもありません(先日「8台で1億8千万」と称する外車二輪車三輪車の連隊が来たそうです)。でも、私はこれと一緒に走ることが「やりたいこと」なので。私もやはり、生きる方に動いていきたいと思います。
そして、私の大好きな人がしにたいと言ったら、全力で引き止めます。落ち込んだり心がつらかったら、全力でサポートしたいです。気持ちが熱すぎて不器用で上手に伝えられなくて今はこんな感じで全然伝わらない場所から発信していますが。いつかちゃんと伝えられるように、今からこうして発信しておきます。
大好きです。
*
最後に、もうひとつ。
ご主人はその外車のことを「ベンベ」と言っていました。少し前にテレビでBMWのことを「ベンベ」という人がいる、と見ていたので、頭の中ですぐにBMWと変換できたのですが、それが本来なんだろうなと思いました。
そりゃあまあ、「ビーエムダブリュー」って英語読みすればいいと思いますよ(CMでもそう言ってるし)。一般的にはそう言わないと通じないでしょうし。でもそれをドイツ語風の発音で、それも話し言葉としても流暢で短く言うと「ベンベ」なんだろうな、と。変に「びーえむ」とかって略するよりもずっと格好いいです。私が言っても様にならないですけど、達人とか仙人とかが言うと渋いなあ、格好いいなあと思った小僧っ子の私でした。
若くあろう若くあろうと悪あがきしているのではなく、「気が付いたら70歳になってましたが何か?」という雰囲気のご主人ですから、たぶん100歳になっても変わらないような気がします。私も色々考える切っ掛けをもらえて楽しかったです。
ごちそうさまでした!
私なんかがわざわざ言うまでもないことですが、今日は「文体」について書くので、当たり前のことを書きます。
私は「世情に疎く、時勢に昏く」を信条として生きようと模索している身なので、別に〇〇賞を取ったからとか今度映画化されるからとか、そんな理由で本を読むようなことはしません。あくまで面白そうと思ったら読む。当然のことです(逆に言えば、「〇〇賞を取るような本なんか絶対に読むもんか!」と依怙地になるわけでもありません)。
そして、中には「同じ作者が書いているから」という理由で2冊3冊と立て続けに読み、「この作家が好き」と言ってしまうような作家が生まれます。もちろん個々の作品によって読後感は「大好き!」 だったり「うん…読んだぞ!」だったりするわけですが、そこが偏食家たるゆえんです。
今年は三島由紀夫さんの本を多く読みました。『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『美徳のよろめき』『鏡子の家』そして『豊饒の海』あとはちくま文庫の短編集。それから『美しい星』『命売ります』も読みました。有名どころは大体読みました。なので私も「三島さんの作品が好き」と胸を張って言えると思うのですが、どんなところが好きかと言えば、やっぱりとても整然としてがっしりした骨格のある文体ですね。質実剛健なお人柄がそのまま屹立しているような文体が心地いいのです。
寝っ転がって読めるような文章ではありません。居住まいを正して直立不動もしくは正座で……とは言わないまでも、テレビを見ながら読むとか、そういうことはできません。ちゃんと向き合い、しっかり物語の世界観を想像しながら読まないといけない。そんな感じの文章です。そういう文体だからこそ、これもまた三島さんの武器だと思うのですが、美しいレトリック、高級なメタファーで彩られた『殺し文句』が際立つのです。澁澤龍彦さんも出口裕弘さんもやられた『殺し文句』ですから、私なんかは一ころです。
そういう文体は小説だけでなく随筆や、親しい人に宛てられた手紙なんかにも見出すことができます。手紙なんかはよりパーソナルなものですから、お人柄が現れていてさらに良いですね。
三島さんが激賞していた森茉莉さんから服装についてアレコレ言われた(サドのようだとかイノサンだとか言われたらしい)ことに関しては「何事です」と激怒。さらに「金輪際貴女には小生の服装顧問になつていただきたくありません」「どうか、これからも、小生の服装については、御放念下さるやうにお願ひいたしておきます」とぴしゃり。時空を超えて覗き見した私も、さぞかし腹に据えかねたのだろうな…とハラハラしながら読みました。一方の茉莉さんは、三島さんに服装のことを言うと雑誌に公開して怒るし手紙で怒ってくるからやめよう、なんて、けろりとしたものですが。
大体にして茉莉さんは、三島邸で催された降誕祭パアティーに三十分も「早く」到着してしまって、準備で忙しい三島さんを慌てさせたというエピソードがあるくらいですから、三島さんがどれほど怒って見せたところで微動だにしない気がします。むしろ三島さんの方が気の毒に見えてしまいます。
でも、一番好きなのは次のエピソードです。もう丸ごと引用しちゃいます。
私が三島さんを想像する時はこんな人物を描きます。澁澤さんが見た三島さん。それで私はいいです。
そして今の私は、別な人に、「ずいぶん遠いところへ行ってしまわれたような気がします」と言いたい気持ちです。SNS上でのやり取りだけだし、半年ほどのお付き合いではありますが、それでも……気持ちがついて行けなくて……Xも休止せざるを得ないくらい心が押しつぶされてしまったのです。
でも、私はちゃんと見ています。そして、またXでご挨拶をさせて頂き、アレコレ感情をぶつけて受け止めてもらえるよう、しっかり心を治したいと思います。ですからどうか、それまでお元気でいてください。ずっと応援しています。私も心を治します。がんばりましょう。大好きです。

私は「世情に疎く、時勢に昏く」を信条として生きようと模索している身なので、別に〇〇賞を取ったからとか今度映画化されるからとか、そんな理由で本を読むようなことはしません。あくまで面白そうと思ったら読む。当然のことです(逆に言えば、「〇〇賞を取るような本なんか絶対に読むもんか!」と依怙地になるわけでもありません)。
そして、中には「同じ作者が書いているから」という理由で2冊3冊と立て続けに読み、「この作家が好き」と言ってしまうような作家が生まれます。もちろん個々の作品によって読後感は「大好き!」 だったり「うん…読んだぞ!」だったりするわけですが、そこが偏食家たるゆえんです。
今年は三島由紀夫さんの本を多く読みました。『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『美徳のよろめき』『鏡子の家』そして『豊饒の海』あとはちくま文庫の短編集。それから『美しい星』『命売ります』も読みました。有名どころは大体読みました。なので私も「三島さんの作品が好き」と胸を張って言えると思うのですが、どんなところが好きかと言えば、やっぱりとても整然としてがっしりした骨格のある文体ですね。質実剛健なお人柄がそのまま屹立しているような文体が心地いいのです。
寝っ転がって読めるような文章ではありません。居住まいを正して直立不動もしくは正座で……とは言わないまでも、テレビを見ながら読むとか、そういうことはできません。ちゃんと向き合い、しっかり物語の世界観を想像しながら読まないといけない。そんな感じの文章です。そういう文体だからこそ、これもまた三島さんの武器だと思うのですが、美しいレトリック、高級なメタファーで彩られた『殺し文句』が際立つのです。澁澤龍彦さんも出口裕弘さんもやられた『殺し文句』ですから、私なんかは一ころです。
そういう文体は小説だけでなく随筆や、親しい人に宛てられた手紙なんかにも見出すことができます。手紙なんかはよりパーソナルなものですから、お人柄が現れていてさらに良いですね。
三島さんが激賞していた森茉莉さんから服装についてアレコレ言われた(サドのようだとかイノサンだとか言われたらしい)ことに関しては「何事です」と激怒。さらに「金輪際貴女には小生の服装顧問になつていただきたくありません」「どうか、これからも、小生の服装については、御放念下さるやうにお願ひいたしておきます」とぴしゃり。時空を超えて覗き見した私も、さぞかし腹に据えかねたのだろうな…とハラハラしながら読みました。一方の茉莉さんは、三島さんに服装のことを言うと雑誌に公開して怒るし手紙で怒ってくるからやめよう、なんて、けろりとしたものですが。
大体にして茉莉さんは、三島邸で催された降誕祭パアティーに三十分も「早く」到着してしまって、準備で忙しい三島さんを慌てさせたというエピソードがあるくらいですから、三島さんがどれほど怒って見せたところで微動だにしない気がします。むしろ三島さんの方が気の毒に見えてしまいます。
でも、一番好きなのは次のエピソードです。もう丸ごと引用しちゃいます。
三島が自衛隊に体験入隊したり、やたらに行動とか英雄とか言うことをいい出して、そのために無理に日本主義を奉じるような硬直したポーズを見せはじめたりしたとき、私は三島に手紙を書いて、「いつの間にか貴兄もずいぶん遠いところへ行ってしまわれたような気がします」と、自分の気持を伝えたことがあった。それに対する三島の返事のなかに、次のような一節がある。この手紙は昭和四十三年一月二十日付である。
「いろいろ近作にお目とほしいだたいてゐて恐縮ですが、その御感想によりますと、澁澤塾から破門された感あり、寂寥なきをえません。小生がこのごろ一心に『鋼鉄のやさしさ』とでもいふべきtendernessを追及してゐるのがわかつていただけないかなあ?」
そういわれても、本当のところ、私にはよく分らなかったとしかいいようがない。三島が死んではじめて、その意味がおぼろげに分ったにすぎないのである。それにしても、この手紙の三島の口調には、なにかほろりとさせるものがある。
澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』中公文庫、24-25ページ)
私が三島さんを想像する時はこんな人物を描きます。澁澤さんが見た三島さん。それで私はいいです。
そして今の私は、別な人に、「ずいぶん遠いところへ行ってしまわれたような気がします」と言いたい気持ちです。SNS上でのやり取りだけだし、半年ほどのお付き合いではありますが、それでも……気持ちがついて行けなくて……Xも休止せざるを得ないくらい心が押しつぶされてしまったのです。
でも、私はちゃんと見ています。そして、またXでご挨拶をさせて頂き、アレコレ感情をぶつけて受け止めてもらえるよう、しっかり心を治したいと思います。ですからどうか、それまでお元気でいてください。ずっと応援しています。私も心を治します。がんばりましょう。大好きです。
私は現実を受け入れることが苦手です。苦手どころか苦痛です。本来であれば一生物語の中で生きたいと思う人間です。
世のため人のために活動している人を見て、「自分も社会に参加しなくちゃ!」と思って立ち上がることはあります。実際にそうしてきました。そして疲れて引きこもってしまいます。その繰り返しです。
私にないものをもっている人たちに強く惹かれるというのは人間の心理ですから、仕方がありません。内向的感情型の私ですから、理路整然とした言葉で世の中に打って出る人に心底共感して感情を爆発させてしまうのは自然の摂理だと思います。ただ自分の気質と違うからやがて無理が来てしまう。そういうことなのです。
そんなことを40年以上生きている間に何度も何度も繰り返せば、だんだんとその振り幅も大きくなってきます。そして、ある程度調整もきくようになってきました。振り幅が大きいということはどちらにしてもダメージが大きいということでもあるので、半年SNSやって疲れ果ててまたブログに回帰しているのですが、これも経験です。回復不能なレベルではないと思うので、何とか時間をかけて心をいやすこととします。
やはり、物語の世界は心地いいんですよね。
そして、そういう世界に居ながら一応現実を生きている人たちのことを、本を通じてたくさん知ったので、私も無理して社会活動に執心することもないんじゃないかな! という気がしてきました。
私は文学者でも何でもないので、最低限度生きていくためのことはします。そのために世の中と関わることはします。ただ、可能な限りそれ以外の時間は自分の世界に引きこもっていてもいいじゃないか。そういうふうにシフトすることにします。誰に分かってもらえなくてもいい。ただ私が一番良いと思うものを追求しそれを生きていく。それでいいじゃないか。
そういうのを追いかけ続けて、ある一定のカリテに到達した時、きっとSNSの世界に復帰できるのだと思います。流行を追い求め流行に乗っかる人たちばかりの世界で、誰にも顧みられることない内容の投稿ばかりする奇人として。いいんです、それが理想ですから。たまにはそういう人がいたっていいじゃないですか。多様性の世界なんですから。
世のため人のために活動している人を見て、「自分も社会に参加しなくちゃ!」と思って立ち上がることはあります。実際にそうしてきました。そして疲れて引きこもってしまいます。その繰り返しです。
私にないものをもっている人たちに強く惹かれるというのは人間の心理ですから、仕方がありません。内向的感情型の私ですから、理路整然とした言葉で世の中に打って出る人に心底共感して感情を爆発させてしまうのは自然の摂理だと思います。ただ自分の気質と違うからやがて無理が来てしまう。そういうことなのです。
そんなことを40年以上生きている間に何度も何度も繰り返せば、だんだんとその振り幅も大きくなってきます。そして、ある程度調整もきくようになってきました。振り幅が大きいということはどちらにしてもダメージが大きいということでもあるので、半年SNSやって疲れ果ててまたブログに回帰しているのですが、これも経験です。回復不能なレベルではないと思うので、何とか時間をかけて心をいやすこととします。
やはり、物語の世界は心地いいんですよね。
そして、そういう世界に居ながら一応現実を生きている人たちのことを、本を通じてたくさん知ったので、私も無理して社会活動に執心することもないんじゃないかな! という気がしてきました。
私は文学者でも何でもないので、最低限度生きていくためのことはします。そのために世の中と関わることはします。ただ、可能な限りそれ以外の時間は自分の世界に引きこもっていてもいいじゃないか。そういうふうにシフトすることにします。誰に分かってもらえなくてもいい。ただ私が一番良いと思うものを追求しそれを生きていく。それでいいじゃないか。
そういうのを追いかけ続けて、ある一定のカリテに到達した時、きっとSNSの世界に復帰できるのだと思います。流行を追い求め流行に乗っかる人たちばかりの世界で、誰にも顧みられることない内容の投稿ばかりする奇人として。いいんです、それが理想ですから。たまにはそういう人がいたっていいじゃないですか。多様性の世界なんですから。
SNSで思い切り世界を広がったのは事実ですが、広すぎて手に負えなくなってしまったのも事実です。元々そんなにポンポンと言葉が出てくるようなタイプじゃないし、そもそも内向的な人間だし。毎日毎日SNSで誰かとつながるのは楽しいですが、悲しいかな、私のキャパシティをちょっと超えてしまったようなのです。
それで今度は思い切り深堀してやろうと思って、またこのブログを再開しました。今は『森茉莉』さんの本を集中して読んでいます。
とっても上品で、その感覚を生涯持ち続けた茉莉さんは半ば神話的なひとだと思います。だからそれに対して群ようこさんが『贅沢貧乏のマリア』で好き放題に批評するのも、そんなに悪い気がしないのです。全面的に群ようこさんの言葉に「そうかな!」とうなずくわけではありませんが、「まあ、そうだよねえ」と言いながら読んでいます。
私はあくまで認識者、受信者ですから、詳しい批評はしません。ただ読んで面白がる。それでよいのです。批評はしません。でも感想は書きます。それは読者の権利だと思うので。
好きなものだけ読んで生きていきたい。感情家は偏食家なんです。
追記。今朝読み始めてもう読み終わりました。2時間弱くらいで読み終えてしまうとは…。うん、面白かったです。「そうだよねえ」半分「そんなものかね」半分です。こんなもんでしょうね。
大体にして、100パーセント全身全霊で大好きって言うのは危険なんですよ。その人みたいになりたい! むしろ私はその人と同じだ! つって日常生活に支障が出るんですから。このくらいがちょうどいいのです。
それで今度は思い切り深堀してやろうと思って、またこのブログを再開しました。今は『森茉莉』さんの本を集中して読んでいます。
とっても上品で、その感覚を生涯持ち続けた茉莉さんは半ば神話的なひとだと思います。だからそれに対して群ようこさんが『贅沢貧乏のマリア』で好き放題に批評するのも、そんなに悪い気がしないのです。全面的に群ようこさんの言葉に「そうかな!」とうなずくわけではありませんが、「まあ、そうだよねえ」と言いながら読んでいます。
私はあくまで認識者、受信者ですから、詳しい批評はしません。ただ読んで面白がる。それでよいのです。批評はしません。でも感想は書きます。それは読者の権利だと思うので。
好きなものだけ読んで生きていきたい。感情家は偏食家なんです。
追記。今朝読み始めてもう読み終わりました。2時間弱くらいで読み終えてしまうとは…。うん、面白かったです。「そうだよねえ」半分「そんなものかね」半分です。こんなもんでしょうね。
大体にして、100パーセント全身全霊で大好きって言うのは危険なんですよ。その人みたいになりたい! むしろ私はその人と同じだ! つって日常生活に支障が出るんですから。このくらいがちょうどいいのです。
もう一年以上病院にも通っていないしコンサータ(向精神薬)も飲んでいないので、個人的にはそれほどこだわりはないのですが、私は発達障がいです。ついでに自閉スペクトラム症です。だから健常者、定型発達者とは違うことは、わかっています。
ただ障碍者手帳は交付してもらえなかったし、今じゃ通院もやめてしまったので、今まさにADHDやASDで苦しんでいる人たちからしてみれば、「ふつうの人」のように見えるでしょう。
健常者とも障がい者とも言えない心。ついでに言えば、男性とも女性ともつかない心。健常者とも障がい者とも男性とも女性とも言えない私は何なのだろう…と考えれば考えるほどわからなくなってしまいます。
そして、わからなくなった果てにたどり着いたのは、「まあいいか」ってことです。ここでタイトルにもある「あっけらかん」という境地にたどり着きます。
だって私は私ですから。私以外私じゃないのですから。それでいいじゃないですか。
そうすれば今度は「回避性愛着障害」だと言われるかもしれませんが、そういうレッテルとか仕分けとかは他の誰かがすればいいです。
私は私です。障碍者手帳はありませんが診断書はもらったので間違いなくADHDでASDです。あと肉体的には男性でそれを受け入れていますが、心のなかでは完全に100%わずかな余地もなく男性であるとは思っていません。少しずつその比率は変わってきています。
ただ、私はそう言わないだけです。表に出さないだけです。どこまでも内向的、内面的な私を追求しこれを大事にしていきます。
「在りたい私」
大切にしたいです。

ただ障碍者手帳は交付してもらえなかったし、今じゃ通院もやめてしまったので、今まさにADHDやASDで苦しんでいる人たちからしてみれば、「ふつうの人」のように見えるでしょう。
健常者とも障がい者とも言えない心。ついでに言えば、男性とも女性ともつかない心。健常者とも障がい者とも男性とも女性とも言えない私は何なのだろう…と考えれば考えるほどわからなくなってしまいます。
そして、わからなくなった果てにたどり着いたのは、「まあいいか」ってことです。ここでタイトルにもある「あっけらかん」という境地にたどり着きます。
だって私は私ですから。私以外私じゃないのですから。それでいいじゃないですか。
そうすれば今度は「回避性愛着障害」だと言われるかもしれませんが、そういうレッテルとか仕分けとかは他の誰かがすればいいです。
私は私です。障碍者手帳はありませんが診断書はもらったので間違いなくADHDでASDです。あと肉体的には男性でそれを受け入れていますが、心のなかでは完全に100%わずかな余地もなく男性であるとは思っていません。少しずつその比率は変わってきています。
ただ、私はそう言わないだけです。表に出さないだけです。どこまでも内向的、内面的な私を追求しこれを大事にしていきます。
「在りたい私」
大切にしたいです。
ちょっと心が深刻なダメージで、Xを休止することにしました。
あくまでこれは一時的なものです。復帰を前提にした休止です。心が復調したらまた始めます。
で、その間はブログを書くことにします。
目標点としては、「世情に疎く、時勢に昏く」ですね。世の中の最新トレンドを皆がつぶやく世界で、私もそれに合わせて頑張ってみたのですが、思うようにいかないし。みんながつけてるハッシュタグをつけて自分もつぶやけばワッといいねが付くと思えばそんなことはないし。だったらもうやめよう! と思ったのですが、アカウント削除してしまえば、それこそ今までやってきたことが全部無駄になってしまうし。
そのうち、今は詳しく書けませんが(これからも?)、とにかく心が深刻で……
特にこのブログも、世の中に何かを訴えようとして書くわけではありません。ただ自分の考えを少しでも上手に文章で書きだすことができるようになるためのエチュードとして、日々とりとめのないことを書いていきたいと思います。
誰も見てくれなくてもいいです。でも、誰かが見てくださることを前提に書いています。
もし、もしも! こんなブログを見て少しでも興味を持っていただけるのであれば!……毎日書いていきたいと思いますので、どうかよろしくお願いします!
あくまでこれは一時的なものです。復帰を前提にした休止です。心が復調したらまた始めます。
で、その間はブログを書くことにします。
目標点としては、「世情に疎く、時勢に昏く」ですね。世の中の最新トレンドを皆がつぶやく世界で、私もそれに合わせて頑張ってみたのですが、思うようにいかないし。みんながつけてるハッシュタグをつけて自分もつぶやけばワッといいねが付くと思えばそんなことはないし。だったらもうやめよう! と思ったのですが、アカウント削除してしまえば、それこそ今までやってきたことが全部無駄になってしまうし。
そのうち、今は詳しく書けませんが(これからも?)、とにかく心が深刻で……
特にこのブログも、世の中に何かを訴えようとして書くわけではありません。ただ自分の考えを少しでも上手に文章で書きだすことができるようになるためのエチュードとして、日々とりとめのないことを書いていきたいと思います。
誰も見てくれなくてもいいです。でも、誰かが見てくださることを前提に書いています。
もし、もしも! こんなブログを見て少しでも興味を持っていただけるのであれば!……毎日書いていきたいと思いますので、どうかよろしくお願いします!
こんにちは
久しぶりにちゃんとした文章を書いてみたいと思います
佐藤です。
私がインターネット上で発信をするようになったのは2000年代初めごろでした。その頃は自分でHTMLを打ち込んで「ホームページ」を作り、そこから情報発信をするというのが一般的だったので、私もそうしました。
「とにかく自分の好きなことを発信すればいい」
何を書けばいいのかわからない私に対して、先達はそのようにアドバイスをしてくれました。そういうものかと思って、自分が興味のあるもの(ゲームとか)を手当たり次第に紹介したり、日々の日記めいたものやエッセイめいたものを書き散らしたりしていました。あと、心療内科に通った日々のこととかね。
決して良いものではありませんでしたが、最低限「誰かが読むこと」を前提にして書いていたので、少しずつ文章はうまくなりました(当社比)。
2005年からブログを始めました。ブームだったので乗っかってみた感じです。
これは結構、頑張りました。
目標としていたのは「新聞のコラムみたいなの」でした。日々の何気ない身の回りのことを丁寧に、それでいてちょっぴり面白い読み物……実際そういうのが大好きだったので、自分でも書いてみたいと思って、書き続けました。何年も、毎朝起きたらPCに向かって書く、みたいな生活をしていました。転職して不規則な勤務になってからは、更新頻度も減りましたが、結構よい文章練習になったと思います。
Twitterで本格的に投稿を始めたのは、仙台に来てからのような気がします。だから、ここ1年ちょっとくらいですね。
これも、「自分もいわゆるSNSってやつをやってみよう」と思って始めてみたものです。何だかよくわからないけど、とにかく身の回りで起こったことを書いて投稿すればいいのかな、って。
本格的にハマったのは、やっぱりウラロジ仙台さんの「地下道3150」イベントの時でした。自分の目の前で起きていることを発信する。それを見て誰かが共感してくれたりリツイートしてくれたりする。そういうのが目に見えてわかるのが面白くて、現在に至ります。
この頃私が理解したのは、「発信した情報は、受信する人がいて初めて活きてくる」ということでした。自分を理解してほしいとか、認めてほしいとか…そりゃ建前では「誰も読んでくれなくたっていい」とか言うこともありますけど、本当にそういう気持ちで書くのなら初めから公開しません。結局それは「誰か読んで!」という希望のカムフラージュなんです。
そんな遍歴を経て、今朝、初めてyoutubeの「チャット機能」というものを利用しました。
メタバースアイドルでVtuberの『蘭茶みすみ』さんのyoutube生放送を視聴していた時のことですが、画面の中から呼びかけている声に対して何とか応えたい! と思い、とりあえずチャットに文字を入力して送信したところ…それを画面の中のみすみんサンが受けてくれて、「私に」呼びかけてくれたんです。
ある意味、カルチャーショックでした。
片方向通信(ホームページ、ブログ)から非リアルタイム双方向通信(Twitter)になり、ついにリアルタイム双方向通信(youtube生配信+チャット)にたどり着いた! ようやく私も2023年の人間になれたんだ!
具体的には、そんな感じです。
……また熱くなっちゃって……と思われるかもしれませんが、私にとっては、そのくらい大きな体験でした。
それまで独りで風船に手紙をつけて飛ばしたり、ボトルに手紙を詰めて海に流したりしていた私が、キャッチボールをしてくれる相手を見つけられたわけですから、それは嬉しいに決まっているじゃないですか。私だって、誰かに理解してもらいたくて、誰かとつながりたくて、20年以上もこういうの、やってきたんですから。
そんな今日の体験をずっと残したくて、記事を書きました。ブログ用にもうちょっと簡潔にするつもりだったのですが……まあいいや。この辺にしておきましょう。
久しぶりにちゃんとした文章を書いてみたいと思います
佐藤です。
私がインターネット上で発信をするようになったのは2000年代初めごろでした。その頃は自分でHTMLを打ち込んで「ホームページ」を作り、そこから情報発信をするというのが一般的だったので、私もそうしました。
「とにかく自分の好きなことを発信すればいい」
何を書けばいいのかわからない私に対して、先達はそのようにアドバイスをしてくれました。そういうものかと思って、自分が興味のあるもの(ゲームとか)を手当たり次第に紹介したり、日々の日記めいたものやエッセイめいたものを書き散らしたりしていました。あと、心療内科に通った日々のこととかね。
決して良いものではありませんでしたが、最低限「誰かが読むこと」を前提にして書いていたので、少しずつ文章はうまくなりました(当社比)。
2005年からブログを始めました。ブームだったので乗っかってみた感じです。
これは結構、頑張りました。
目標としていたのは「新聞のコラムみたいなの」でした。日々の何気ない身の回りのことを丁寧に、それでいてちょっぴり面白い読み物……実際そういうのが大好きだったので、自分でも書いてみたいと思って、書き続けました。何年も、毎朝起きたらPCに向かって書く、みたいな生活をしていました。転職して不規則な勤務になってからは、更新頻度も減りましたが、結構よい文章練習になったと思います。
Twitterで本格的に投稿を始めたのは、仙台に来てからのような気がします。だから、ここ1年ちょっとくらいですね。
これも、「自分もいわゆるSNSってやつをやってみよう」と思って始めてみたものです。何だかよくわからないけど、とにかく身の回りで起こったことを書いて投稿すればいいのかな、って。
本格的にハマったのは、やっぱりウラロジ仙台さんの「地下道3150」イベントの時でした。自分の目の前で起きていることを発信する。それを見て誰かが共感してくれたりリツイートしてくれたりする。そういうのが目に見えてわかるのが面白くて、現在に至ります。
この頃私が理解したのは、「発信した情報は、受信する人がいて初めて活きてくる」ということでした。自分を理解してほしいとか、認めてほしいとか…そりゃ建前では「誰も読んでくれなくたっていい」とか言うこともありますけど、本当にそういう気持ちで書くのなら初めから公開しません。結局それは「誰か読んで!」という希望のカムフラージュなんです。
そんな遍歴を経て、今朝、初めてyoutubeの「チャット機能」というものを利用しました。
メタバースアイドルでVtuberの『蘭茶みすみ』さんのyoutube生放送を視聴していた時のことですが、画面の中から呼びかけている声に対して何とか応えたい! と思い、とりあえずチャットに文字を入力して送信したところ…それを画面の中のみすみんサンが受けてくれて、「私に」呼びかけてくれたんです。
ある意味、カルチャーショックでした。
片方向通信(ホームページ、ブログ)から非リアルタイム双方向通信(Twitter)になり、ついにリアルタイム双方向通信(youtube生配信+チャット)にたどり着いた! ようやく私も2023年の人間になれたんだ!
具体的には、そんな感じです。
……また熱くなっちゃって……と思われるかもしれませんが、私にとっては、そのくらい大きな体験でした。
それまで独りで風船に手紙をつけて飛ばしたり、ボトルに手紙を詰めて海に流したりしていた私が、キャッチボールをしてくれる相手を見つけられたわけですから、それは嬉しいに決まっているじゃないですか。私だって、誰かに理解してもらいたくて、誰かとつながりたくて、20年以上もこういうの、やってきたんですから。
そんな今日の体験をずっと残したくて、記事を書きました。ブログ用にもうちょっと簡潔にするつもりだったのですが……まあいいや。この辺にしておきましょう。
おはようございます
ブログで何を書いたらいいのやら
佐藤です。
繁忙期も落ち着きました。
先日の休日はホームページの小改修。記事のページにTwitterボタンを追加して簡単にSNSで連携してもらえるようにしたのです。また、トップページに私のタイムラインが表示されるようにしました。これで、毎日何かしら動きがあるとみてもらえるような気がします。
大きい記事はホームページで、小さい記事はTwitterで。そうなるとこのブログの意味は何だろう。
まあ、こうして中途半端な記事を書く場所、ということになるでしょうか。Twitterでは長すぎるし、ホームページに書くほど改まったものでもないし、と。
それぞれの場所のいいところを見つけてね。このブログだって18年目に突入したわけですから。20代の頃から(休止期間があったとはいえ)ひとつ同じドメインでずっと続けてきたことですから。まあ、指一本でも動く限り、続けていきたいと思います。ストリートファイターの話で盛り上がったnkyさん、お元気ですか。私は元気にやっています……。
ブログで何を書いたらいいのやら
佐藤です。
繁忙期も落ち着きました。
先日の休日はホームページの小改修。記事のページにTwitterボタンを追加して簡単にSNSで連携してもらえるようにしたのです。また、トップページに私のタイムラインが表示されるようにしました。これで、毎日何かしら動きがあるとみてもらえるような気がします。
大きい記事はホームページで、小さい記事はTwitterで。そうなるとこのブログの意味は何だろう。
まあ、こうして中途半端な記事を書く場所、ということになるでしょうか。Twitterでは長すぎるし、ホームページに書くほど改まったものでもないし、と。
それぞれの場所のいいところを見つけてね。このブログだって18年目に突入したわけですから。20代の頃から(休止期間があったとはいえ)ひとつ同じドメインでずっと続けてきたことですから。まあ、指一本でも動く限り、続けていきたいと思います。ストリートファイターの話で盛り上がったnkyさん、お元気ですか。私は元気にやっています……。