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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
今秋になって『豊饒の海』⇒『ドグラ・マグラ』⇒『恋人たちの森』と結構濃い目の文章をたくさん読み、その感想をドカンと打ち出してきたわけですが(ドグラ・マグラのことを書こうとすると狂気が悪化するのでもう少し落ち着いてから)、ところどころ真似したくなるんですよね。言葉遣いとか。

 実はフランス語とかドイツ語は大学時代になかなか単位が取れなくて、そのせいで卒業できるかどうかの瀬戸際まで追い込まれたので、あまり好きではないのですが、ほら澁澤龍彦さんは生粋のフランス文学者だし、森茉莉さんもそうだし。そうすればカタカナとはいえフランス語が嫌でも目に入ってくるわけですよ。tableau(タブロー)ってのは、澁澤さんのエッセーで覚えました。

 一方で三島由紀夫さんの文章は、漢字が多い。それにルビを振っているので何とか読めますが、今の文章だったら全部ひらがなで書いていそうなものも漢字で書いているから、随分と難しく感じられました。そのまま教養がないってことをひけらかすことになりますが、事実なんだから仕方がありません。とにかく読んで覚えたんです。「馘首」(かくしゅ)とかね。


 そういう私が特に気に入っていて、今の私の心を一言で説明するのに便利だなと思ったのが「アマルガム」という言葉です。合金とか、もっと一般的に言えば「混合物」とか、そういう意味合いになるのでしょうが、これはとても便利です。今の自分の心を作り上げている要素も、個別に言えば色々ありますが、それひとつで私の心のすべてを説明することはできません。少しずつ少しずつ色んなものが組み合わさってできています。

 それが整然とジグソーパズルのように組み合わさっているというのは、おそらく思考がちゃんとできる人でしょう。自分の考えをきちんと言葉にして論理にして説明ができる人でしょう。私もそうだと思っていました。そう思って心の中でキチキチッと整理をしていたつもりなんですが、悲しいかな、すぐに(現実の私の部屋と同じように)ごちゃごちゃしてどこに何があるのかわからなくなって、ぼんやりしてしまったり、うっかりしてしまったりするのです。多分こういうのが発達障がいなんでしょうね。

 だから整然と整えることをあきらめて、自分の身体の中心に容器があって、そこに水銀と他の色々なものを溶かし込んだドロドロのものが詰め込まれ満たされている……それが私の心なんだと思うようになりました。アマルガムです。

 もっとも、そのアマルガムは時々無くなってしまいます。他の人とうまくやるために、相手の言うことをよく聞いて「こうしなさい」と言われたらそうするためには、心なんて邪魔なだけだからです。そうして見えないところに押し込んでドアを閉めて鍵をかけて生きてきました。それでもドロドロの水銀ですから、ドアの隙間からしみだして来て、容器そのものを侵し始めました。

 それが私です。


 そんな私も半年くらい前、『在りたい私』という概念があることを知りました。

 そういうのがあってもいいんだ。何だ、それでよかったんだ。

 すごく嬉しくなって、私もこの半年、『在りたい私』を守るべく全力で頑張りました。色々真似してみました。

 今はその『在りたい私』を守る容器、大切にする部屋を作るための大リフォーム中です。

 心のリフォームが終わったら、また逢いに行きます。

 どうかそれまで、お元気で。大好きです。

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