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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
おはようございます。

今日は日曜日、そして仕事が休み

「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(なんかフツーの社会人みたい)。


 前回のエントリで、閉店セールをやっていた文房具店でアレコレ買った…という話をしましたが、今日はその続きです。
 
 ずっと使い続けられるものを、と思って買ったわけですが、調べてみるとペン類に関しては絶版商品のようです。まあカリグラフィペン(XJMC08-A)の方は型番を打ち込もうと何をしようと情報が全然出てこないので仕方がありませんが、もう一方の超極細ボールペン「ウルトラファイン」の方もね。

あれこれ調べてみたところ、平成12年に発売された代物のようです(当時のニュースリリース記事より)。なんと20世紀のペンでしたか。それじゃあ廃番・在庫なしも致し方ありません。

そして替え芯の方も2015年をもって生産終了。もったいなくて使えない→引き続きデッドストックとなるのか。「道具は使われてこそ真価がある」という理念があるのですが、それは本当に半永久的に使える見込みがあればこそ。他社製品を無理やり使う手も、ないわけではないようですが、三菱鉛筆さんとしては、他社製品の流用をあまり推奨していないようです。

だったらどうすればいいんだよ~! とお客様相談室に早朝7時に電話しようと思ったのですが、電話をする前にFAQを検索するのが大人の流儀。そこで詳しく調べてみると、ああなるほど、ちゃんと後継品があるんですよ。

替芯や補充インクの後継品を知りたい

まさかボールペンの替え芯のことでウチのブログにたどり着く方はいないと思いますが、一応、情報として書いておきます。三菱製超極細ボールペンSD-380「ULTRAFINE(ウルトラファイン)」の替え芯「S-38S」は、現在「S-7S」という品番のものが後継品として生産されています。


元々私はボールペンというやつは「使い捨て」のイメージがありました。書けなくなったらそれで終わり。そんな感じ。1本200円だろうと400円だろうと、使い切りのものだと思っていたので、あえて万年筆というやつを買い求めた経緯があります。

でも、こうやって替え芯システムをメーカーの方でも設けていて、しかも1990年代に生産終了したものについても「後継品はこういうのですよ」とアナウンスしてくれていて。これであれば、まあこの先も困ることはないでしょう。

それにしても、文具の世界というのは面白いですね。私も時々盛岡の丸善に行って綺麗な万年筆や財布。洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色の香水壜。煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがありました。そして結局レモンを置いて気詰まりな丸善を粉葉みじんにする奇怪な悪漢を気取りつつ、一等いい鉛筆を一本買って帰ることがありました。

って、そんな梶井基次郎のような繊細かつユーモラスなことは(憧れこそすれ)しませんが、丸善の代わりに個人経営の小さな文房具店にふらりと足を運び、そこでまた何か珍しい、もう10年も15年もそこにいるような何かを拾い上げて連れて帰りたい。そんなことを思いました。今日は休日だし、どこか、そういうものを探してみようかしら。

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こんばんは。

閉店間際に長蛇の列

「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(日本人の性か)。


9月30日。今日は盛岡で半世紀以上にわたり市民に親しまれた「盛岡バスセンター」閉鎖の日です。そして私がいる十和田市内で37年間にわたり営業を続けた「ブックス北園」の閉店の日でもあります。

34年来ずっと岩手に生まれ育ち、十和田に来たのはほんの2年弱という私がこんなことを言うのも何なんですが、やはりこういう地域密着型の個人商店的なお店がつぶれるのはちょっと切ないです。確かにワンダーグーだのツタヤだのといった大型書店に雑誌やら何やらを買いに行くし、パソコンやスマホで大体のことを終わらせてしまう昨今、わざわざ鉛筆やノートを買い求めることもそれほどないのですが……。


…それでもこういうご時世にあって、私という人間は比較的アナログ的というか、いわゆる文房具というやつに愛着を持っている側の人間なんじゃないのかな、と思うのです。

 財布やスマホなどを放り込んだ小さな肩下げのバッグには常にRollbahnのメモ帳とパイロットの万年筆があります。まあ万年筆は主に自宅で日記を書くときに使っていたので、あまり持ち歩くものじゃないのかな? とも思いますが…でも、まあね。やっぱり「万年」筆ですから。カートリッジさえ交換すれば永遠に使える代物ですし、使えば使うほどペン先がなじんで自分好みになるという話もありますから、私はそこにこだわっていきたいと思います。

 店はなくなっても、そこで買ったものは残る。そういうことです。以下、買ったものリストです。


 パイロット製デスクスタンド(DS-40):要はペン立てですね。ただ、100円均一のボールペンとかを差すにはもったいない感じがするので、万年筆を立てています。キャップを外して…。

 レイメイ藤井製システム手帳:ついに買ってしまいました。今まではペーパーバックのメモ帳をあちこちで買い求めて使っていましたが、これはちょっとした代物です。いいものを長く使うことが大事ですよね。

 三菱製超極細ボールペン「ウルトラファイン」:手帳用ボールペンということで、細かい文字がコツコツ書けるそうです。どうせならうんといいペンを買おうと思い、製図用シャープペンと最後まで迷った結果、実用性を考慮してこちらに。

 ぺんてる製カリグラフィペン:これは掘り出し物です。「売れ残ったら私が使おうと思ってた」とお店の人に言われてしまいました。型番どころか、そういったペンがあったことさえ検索できないくらいの逸品です。正直もったいなくて使えません。そんなわけで後程詳しく書きます。

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たくさん考えろ いろんなコトを 
そして 自分のコトを 
空はなぜ青いのか なぜあのコが好きか なんでもいい‥ 

人生は楽しい 考えるコトがたくさんある

(湾岸ミッドナイト 38巻)


おはようございます。いぬがみです。


今日は休みなんですが、PCを実家に持ち込んで色々と作業をしています。

さしあたって私に課せられた仕事は「朝食の時、料理につけるポップを作れ」ということ。そういうクリエイティブな仕事は今までやったことがないのですが、まあやれというのならやるしかありません。そんなわけでネット/ゲーム用PCとして使っていた私の愛機にオフィススイート(Openoffice)を導入し、アレコレとやっています。

まあ誰もがうなるようなポップを私が作れるわけはありません。ただ、とりあえず自分なりに考えて答えを出して、そのうえでああしろこうしろという叩き台を作ることはできるでしょう。そういう気持ちで、一応のものを出したいと思います。


あとは、これは課題というわけではありませんが、新しく来た人が仕事をする上で参考にする工程表というかマニュアルというか。オープン前にしなければいけない準備作業を一覧にしてまとめたいと思っています。

私はやはり、仕事をする上でマニュアルは必要だと思います。まず基本があって、そのうえで自分なりにやりやすいアレンジをする。今だからこそ私はそう考えていますが、初めてこの業界に飛び込んだ時は本当に大変でした。「わからないことは何でも聞け」そう言いますが、ある程度のイメージがないと、そもそも聞きようがありません。これまた、たたき台です。


ちなみに「たたき台」というのは、鍛冶屋さんがまだ熱せられて固まっていない鉄をハンマーのようなものでカーンカーンと叩くときに下地に使っている台のことらしいです。つまり、きちんとした形を作るためのベースを作るという意味合いです。


最近は本当に、仕事のことを考える時間が増えました。

夜中にパッと目が覚めて、新しいアイデアを思いついて寝付けなくなって…なんていうことも時々起こるようになりました。かつて芦原英幸先生(芦原会館創立者・故人)も、同じように夜中にパッと目を覚ましてロールペーパーにカタカタと打ち込み…ということがあったと自伝に書いておられました。レベルは天地ほどの差がありますが、そういうことなのかな。


珍しく、仕事の話に終始しました。まあ今日はそんな感じで、ある程度まとめたら気分転換にポケモンGOをやりにいきます。

「犬神のバカはどこだ!」
「ポケモンを探す旅に出るとか言って出ていきました!」

…秋本先生、お疲れさまでした。

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こんばんは。

何でしょうね。まあ、難しいことは言えません。

「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(寒い)。


とにかく随分と酒を飲み、そのうえで会社の人と議論を交わし、すこぶる疲れてしまいました。そういう状況で文章の続きを書こうっていうのですから、まあロクなものにはなりませんが、とりあえず泥酔した勢いで書きます。そう、相当酔っぱらってしまっているので、その前提のもとでこの後の記事はご覧ください。

今回リーダーという(名ばかりの? とはいえ)称号を拝命したことは、私自身、とても嬉しかったです。自分の仕事が認められたのかな、というか…自分の仕事がどれほどのものであったにせよ、まあ、そういう立場に私という人間を見込んでくれたことが。

実際問題として、私よりもキャリアが長い人間はいます(複数人)。私よりも仕事ができるであろう人間もいます(私以外の全員)。それにもかかわらず、私をリーダーとして抜擢してくれたこと。それはとても、私にとってはうれしいことであります。

それは、なんだろう。自分自身、冷静に考えてみると、選ばれた栄誉というよりも…自分がどこかで常に思っていた「何とかこの場所をまとめたい」という思いが、リーダーという立場を与えられたことによって、実現できるのかな? ということ。

今までは正直「自分よりもキャリアがあるから」とか、そういう理由でずっと遠慮してきて、本当はこうだと思うんだけどな・・・ということも黙っていましたが、今度からは違います。だって私がリーダーですから。

リーダーだから、ちゃんとしなくちゃいけない。リーダーだから、何でもできる。

今まで35年余り生きてきて、こんなにリーダーという立場を嬉しく思った事はありません。過去に経験したリーダー的立場と言えば、必ずしも自分から立候補してなったわけでありませんし(例:中学校の合唱コンクールの、クラス代表の指揮者…など)。


ちょっと、ひどく酔ってしまって、なおかつ遅い時間ですのでこのあたりで切り上げますが、ともかく今の私、仕事がすごく楽しいです。それはなぜかといえば、やはり「やりがい」があるから。器じゃなくてもいいです。途中でつぶれて、会社をクビになってもいいです。ただ、最後の日まで私自身の思いを貫きたい。私が正しいと思うことをやり続けていきたい。そう思っています。

それじゃあ、今日はそろそろ寝ます。よい夢を、おやすみ(布袋寅泰さんの詩集のタイトル的オチ)。

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こんばんは。

早く寝ろ早く寝ろと思いながら、どうしても書きたい

『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです(今日から称号つき)


2008年ごろから、私の人生は3年1セットで「ホップ、ステップ、ジャンプ」のプロセスを踏んでいるのかな・・・と考えています。これはそのたびブログでも書いてきたことなのですが。

具体的には2008年ごろ、一念発起してそれまでの半分死に掛けたような生活を改め、積極的に身体を鍛えることを敢行。そうしたところ2010年、人生で初めて女の子の方から言い寄られ、ちょっぴりだけいいムードになりかけたことがありました(その際は、私が『頭文字D』の池谷先輩よろしく尻込みしてしまったためチャンスをフイにしてしまった)。


翌年(2011年)、東日本大震災、発生。私自身の生活はともかく、私が生まれ育った岩手県プラス宮城県、福島県は壊滅的な被害をこうむりました。しかしこれも雌伏の時、今は地味に頑張っていずれは・・・と思い、目の前の仕事を頑張ってきました。

2013年は、まあ別に出会いがあったわけでもなく、仕事上の大きなプラスがあったわけでもありませんが、とにかく本を読みまくりました。そういう意味で、個人的には、大きく見識を広げるチャンスだったのかなと思います。吉川栄治先生版の『宮本武蔵』でも、そうやって本を読みまくることにより武蔵は剣士としての道のりをスタートさせましたからね。


とはいえ、2014年は散々でした。6月30日をもって、契約満了(3ヶ月更新の派遣社員だったので、そう言われればなすすべナシ)。7月から通った会社は3日でクビ(正式な雇用契約を結んだわけではないので、別に痛手はありませんが)。それから1ヶ月のモラトリアム期間を経て、現在の会社にもぐりこみ、艱難辛苦の1年弱・・・。

翌2015年から新天地へ異動。最初こそ色々あって「どうしたもんかな」と悩んだこともありましたが、様々な人との出会いにより、私自身、とても前向きに今の仕事に取り組めるようになりました。

そして2016年。わが生涯の伴侶となる女性(in China)と出会い、さらに仕事の面でも、大きな変化が。


9月19日。私、レストラン部門のリーダーに任命されました。ウチのホテルの支配人から。


・・・といっても、別に正式な役職と言うわけではありません。役職上のレストランのトップは『マネージャー』であり、私はいわば名ばかり管理職。リーダーと言うあだ名。TOKIOの城島さんみたいなもんです。というと城島さんに失礼ですね。いや私はTOKIOのメンバーの中でも、城島さんが特に好きなモンで。

いや本当に、私はリーダーと言う器じゃないと思うのです。キャリア的には下から数えたほうが早いし、実際の仕事の面でもポカばっかりで、今年入社した若手よりも仕事ができない? ポンコツもいいところだと思うのですが・・・。

でも、きっと私の地味すぎる努力が認められたのでしょう。グズでドンクサでポンコツだけど、やらなきゃいけないことを地味にこなしていく。そういうところがきっと、認められたと言うか・・・

「お前がやらなきゃ、誰もやらないんだよ」

なんか、支配人からはそんな風に言われました。よくわかりませんが、ともかくそういうことなんでしょう。


嬉しくて、ちょっとビールを多めに空けています。その勢いも手伝って、もう少し書きます。

正直なところ今のウチのホテル、あんまり良くありません。掃除も片付けも中途半端。戸棚やロッカールームは際限なくゴチャゴチャになって、洗い場もけっこーヒドい状況です。そして、そういったことに関する責めがホールスタッフ全体に来るのであり、そのトップである『マネージャー』に来るわけです。

ウチのマネージャーは性格上、あまりガミガミと下の者に言いません。全部自分で受け止めて、それを何とかソフトに変換して私たちに伝えようとしているのですが、さすがにそれでは負担が大きすぎます。私は寮で同部屋なので、よくお酒を飲みながら色々とケアしているつもりでしたが、今回こうしてリーダーという肩書きを拝命したことにより、今度はプライベートだけでなく実際的な業務の面でもサポートします。

それは一方で、私もまた「レストランのスタッフが・・・」という批判の矢面に立たされることになるのでしょうが、なに上等ですよ。私だっていつまでも、言われっぱなしでハイハイと返事だけしているわけじゃありません。どこかで結果を残して、胸を張ってやりたいと思っています。

今日はもう遅い(早い?)のでいったん切り上げますが、明日また書きます。タイトルは、明日も『続』として続けます。

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最後の難関、突破せり

おはようございます。

ここまで来ました

『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです


約2ヶ月ほど前、7月11日に入国管理局に申請した私の奥さんの在留申請。なかなか時間がかかりましたが、ついに許可が下りました。

ついに、奥さんが日本で暮らすお膳立てが整ったのです。

もちろん結婚生活とは、これから長い長い時間をともに過ごすことですから。私は初婚なのでわかりませんが、日本人同士の結婚より格段に難しいことが多いでしょう。言葉の問題、文化の問題、色々あると思います。

「二人の愛があれば、乗り切れるさ」

そんな熱に浮かされたようなことは言いません。



どこか冷めている。だから、きっとうまくいく。そう思っています。

だって、この2年間、ずっとそんな感じだったから。何度か書きましたが、私の人生は34年目から平穏とか安定とか、そういうのとは無縁の生活となったと思っています。とりあえず収入を得る仕事を失った代わりに、自分自身のプラスになる仕事を勝ち得た私。ここでは何でも自分から取り込んでいかないと、あっという間に取り残されてしまいます。

本当はこういうのを、20代のうちにやっておけば、今はもうちょっとマシな30代になっていたかも・・・と、時々思うこともあります。・・・でも逆に、まだ未成熟なうちに荒波にもまれて、そのまま海の藻屑になっていたかもしれませんからね。実際のところはわからないので、あまり考えないようにしています。考えても仕方がないな、というか。

私の人生は私が決める。どうせマトモな人生なんて歩めないんだから、いくところまで行く。精一杯生きて、誰にでもできないようなところまで行く。その上でしくじったら、それはそれでいいじゃないですか。


―――国際結婚の手続きとは
いくつものブロックを積み上げて築く城のよう
一番重いブロックを今 積み上げた―――


ナニナニ知恵袋で「許可が下りるまで3年くらいかかりますよ、頑張ってね」みたいに言われるような私のケース(結婚までの期間が短い、お互い会話がペラペラってわけじゃない、会ったのが1~2回くらいしかない)ですが、3年どころか1ヵ月半くらいで許可が下りました。私が質問して回答をもらったわけではないし、それが誰であったか、検索しても出てこなかったのでこれ以上は言いませんが・・・。

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こんばんは。

今日は深酒DAY

「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(明日は11時出勤なので)。


ということで今日はワインを多く飲みながら「TOKIOカケル」「ダウンタウンなう」…と、フジテレビ系列の局がない青森県ならではのタイミングで放送されるバラエティ番組を見ています。要するに遅れネット放送というか。逆にフジテレビ系列がある実家(岩手県:岩手めんこいテレビ)で、「あれ? こんな時間にやってるの!?」と驚いてしまいました。

さて、ここ数日はちょっぴり仕事が忙しくて、なかなかブログをかけずにおりましたが、今日は少し書きます。といっても、何について書いたらいいものか……。


まあタイムリーな話題はちょっと思いつかないので、いくつかあるストックの中から話をしたいと思います。今日は「カメラ」について。


これでも高校時代、写真部に所属して一通りの青春時代を通り抜けてきた手前、私にとってカメラというのは大切なものになるんだろう、ということはわかっているのですが、現実問題としてフィルムカメラを使う意義は何か? と問われると、非常に困ってしまいます。

といって、これがペンタックスSPであれば「手作業でピントを合わせ、写真を撮る過程が楽しい」と言えます。また、一時的に休眠していたものの新しい電池を入れたらまた動き出したかつての愛機α―Sweetにしても、300mm望遠レンズがあるし、1/4000の高速シャッターがあるので、携帯カメラでは追いつかないような本気の写真を撮影するときは役に立ちます。

一方で、そのα―sweetが故障した(と勘違いした?)時に買った、もうひとつの憧れカメラ「エスピオ115M」というのがあるんですが、これがまた…問題なく動くのですが、どう生かしたらいいのか、すっかり困ってしまいました。

エスピオ115Mというのは一眼レフではなくコンパクトカメラの部類に入る代物です。Wikipediaにも詳しい解説が載っていないので、主にCMによる私の印象で書いてしまいますが、いわゆる「フィンガーサイズ」(親指と人差し指を立てて四角形を作り、その中に納まるような大きさということ)なのに光学3倍ズームレンズがついている、というのがウリだったような気がします。

私はこれをハードオフのジャンク品コーナーで、315円で買いました。ええ、まだ消費税が5%だった時代です。そして、発売当時ちょっとした一眼レフ並みのプライスタグがつけられていた本機が、特に動作に問題はないけど商品価値がないのでジャンク品コーナーに放り込まれた時代に、私は買ったのです。

どうしてわざわざ、そんなものを買い求めたのかと言えば、すべてはCMのためでした。



…1996年当時、青春真っただ中だった犬神君は、このCMに出演している佐藤康恵さんに激烈ほれ込んでしまったのです。そして、その頃の自分の煮えたぎる思いに対するレクイエムというか、夢想と現実をぶつけて気持ちに整理をつけようとして、買い入れたのです。

趣味性を求めるのならペンタックスSPだし、ある程度気合の入った写真を撮りたいのならαスイートを使えばよろしい。鞄にスッと入るコンパクトさだったらスマホカメラにはかなわないし、はっきり言ってエスピオ115Mの出番はありません。それでもなおこれで写真を撮るというのなら、何か精神論というか、思いっきり青臭い理由付けが必要です。


……そういえばこないだ、その青春時代を過ごした街をふらりと歩いてきました。

大学卒業の頃、ちょっとしたゴタゴタがあって、それまで10年来住んでいた街を追い出された犬神家の一族。街は区画整理の対象となり大きく変貌、私は過去への未練を残さないために「自分の知らない街だから」というスタンスを貫いてきたのですが…いやいや、変わらない場所もたくさんありました。

そういったところを歩くと、小学6年生~大学4年生という、自分にとってもっとも多感でもっともエキサイティングな時代の思い出が一歩ごとに湧き出てきます。たとい『ポケモンGO』をやるためだ、とかって言い訳を繕っても、やっぱり感情的なことは抑えきれません。

過去には戻れないけれど、過去を捨てることはできないのです。


閑話休題。ちょっと話がわき道にそれました。

もうワインもないし(また1本、空けてしまいました)、チーズもないので、そろそろ締めくくります。ええと、カメラの話でしたよね。

そんなわけでエスピオ115M、実用性としてはもはや無価値に近い代物だと思います。でも、手元に置いていればいつか、思いがけない価値が出てきたりするかもしれません。そのことを信じてこれからも、大切に手元に置いておきたいと思います。たといメインが他の機種であったとしてもバックアップというか……ね。


追記:

当時このCMに出演されていた佐藤康恵さんは、今なおバリバリ活躍中。2012年には自身のジュエリーブランドサイトを公開したりしています。オフィシャルブログで拝見できるお姿は今なおビューティフルであり、一瞬10代の頃にタイムスリップしてしまいました。

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こんにちは。

昨日、気温33度の中、10キロウォーク&ラン達成

「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(今日は疲労困憊)。


まあ、初めから10キロ走り切れるとは思っていませんでしたがね。ただ、2.4キロくらい走ったところで足が痛いとか息切れがするとかではなく「腹痛」でリタイヤしてしまいました。盛岡市郊外にあるダム湖「御所湖」を囲む道路をぐるり走っていたのですが、すぐさま最寄りのトイレに直行。冷や汗なのか脂汗なのか、とにかくダラダラポタポタと汗を流しながら個室にこもるということに。



まさにこんな感じでテンションが最低ラインまで下がってしまいましたが、トラックをぐるぐると回るわけではないので、這ってでも前に進まなければ帰れないですからね。仕方がないのでゆっくりと歩きながら様子を見て、調子が良ければ走れるだけ走って…というのを繰り返してきました。まあ、今回はどうあれこの距離を踏破できたことだけで成果だと思っています。2年ぶりくらいなのでね。


その後、家に帰ってみると函館から帰省している弟者がジャンプのこち亀記念号を持っていました。少年ジャンプを丸ごと両さんに任せてみた、という設定のようですね。

開いてみると…おお、意外と古い作品も収録されているじゃないですか。意外とバランスよく各年代振り分けされているみたいです。

それに加えて、恒例の? コラボイラストというか、ほかの漫画家さんが書いたこち亀のキャラクタということで。…荒木飛呂彦先生の中川とか、尾田栄一郎先生の麗子とか…いやはや、とても素晴らしいものです。


で、こうやって読んでいくうちに、以前と少し変わったことがありました。

それは「擬宝珠家」の人たちを、少なくとも纏だけは、それほど毛嫌いすることなく受け入れられるようになったかな、ということ。

まあ元々男勝りというか、サッパリした性格なので、ほかの「恋愛ゴッコ漫画」的な女性キャラや両さんのことを蛇蝎のごとく嫌う婦警連中よりはずっとマシという印象でしたが…色々な意味で麗子が変わってしまった現在では、それなりに必要な存在なのかもしれません。親戚同士なので恋愛ゴッコ関係に発展することもないでしょうし。

やっぱり、私が両さんと「こち亀」に期待するのはカラッとした激しいドタバタギャグですね。あと部長の「両津のバカはどこだ」オチ。少年時代の思い出話系は、ごく初期のもの(※)を除けば、ちょっと苦手な感じです。


※ 20巻収録「ガキ大将!勘吉」あたりは結構好きです。ここで振り返る過去が非常に破天荒だからというのもありますが、現代に戻ってきた両さんが「変わらねえな、この町も隅田の流れも…」としみじみ振り返るのが、いい意味でオジサンっぽい渋さがあるから。

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おはようございます

信じることが大事

『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです。


何の話かというと、アレですよ、私が昨年から愛用しているカメラ『ペンタックスSP』の話です。

最近、実家の近所にあるホワイト急便で「今でも、フィルム現像プリント代0円で受付している」ことがわかったので、家に何本かたまっているフィルムを出した私。そうしたところ、1本は白黒フィルムなので別注になりますという話(プリント代は有料)、そしてもう1本は・・・またしても未露光ということでした。

以前にも未露光で現像代だけ取られた話をしましたが、またしても未露光。まあ冷静に考えれば、まだちゃんとフィルムの入れ方を覚える前に巻き取ってしまったものだという気がするのですが、また不安になってきました。

さらに不安要素はあります。それはSPについている『露光計』について。

これは電源こそ必要とするもののとてもシンプルな構造で、電気抵抗値を受けてファインダーの中にある小さな針がピョコピョコと動くのですが、時々、どんなに絞りを回そうとシャッター速度を切り替えようと超露出オーバーはたまた露出アンダーに針が振れて動かないようなことがありました。

そこで、「これくらいだったら露出がこのくらいで、シャッター速度はこのくらいでいいでしょ」と、経験則どころか当てずっぽうに近い感じで設定して撮りまくりました。

そんな状況だったので、「もしかして、露光計が故障しているんじゃないかしら」と、またしてもカメラのせいにしようとする私。もっとも、これについては別な場所で試したところ、適正な場所で適正な調整をすればきちんと針が触れることを確認。針が正しい数値を示しているところで撮ればパリッとした写真が撮れるし、アンダーな数値のまま撮れば、「アンダーなのはテメーのウデなんだヨ」(by大田さん@RGO)な写真が撮れました。

あとは、もっともっと基本的な話ですが、ちゃんとピントを合わせなければボヤッとした写真になることは、言うまでもありません。


そんなわけで、ペンタックスSP、ちゃんと写真が撮れることは間違いありません。2度もカメラを疑ってしまった私は、旭光学工業の皆様に土下寝で詫びる用意がありましたが、現在はもう存在しない会社なので、これから先どんなことがあってもカメラを信じるという思いを抱き続けることで詫びとさせていただきます。

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おはようございます

台風10号の被害、皆様はございませんでしょうか

『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです(当ホテルは被害ゼロっぽい)。


わがホテルのある十和田市焼山付近は土砂災害危険情報・河川氾濫危険情報・道路の土砂崩れ・倒木等々・・・ま、色々ありましたが、それらをかいくぐり、現在は実家のある岩手県滝沢市に来ています。

まあ、そういうわけで私および私の職場に物理的な被害はありませんでしたが、大きな団体予約が次々とキャンセルになり、そういう意味での被害はありました。そこそこ忙しい(私の)休前日のつもりだったのに、うってかわって、少々ヒマなディナー対応となってしまったのです。

とはいえ、逆に言えば、そういうときに来てくれたお客様には張り切ってサービスしちゃいます。自分自身の質を高める意味でも、ヒマな時間を様々な思案の時間に当て、これを実行に移す。そして、いずれは忙しい時でも一定以上のクオリティを発揮できるスタッフになりたい・・・。そう思ってがんばっています。


さて、そんな昨晩のディナー対応でしたが、外国人のお客様が来ました。名前からすると、中国か台湾か、いずれにせよ日本語はあまり上手でない人たちでした。ベースにあるのは中国語。英語ならある程度は話せる。そして日本語はほとんどわからない。おかげでフロントの人は、対応に随分と苦心したみたいです。

それに対しては私はレストランの中だけの担当ですからね。まあアレコレ説明したい気持ちはありますが、とりあえず最低限の言葉と身振り手振りで、何とかやり過ごすことができました。具体的には、

"Show me your room number" (入店時、席に案内するため「お部屋番号を伺います」)

"This is drink menu. Would you like anything drink ?" (「飲み物はどうしますか」)

"May I take your plate ? " (「お皿、下げてもいいですか」)

"Please sign your name"  (帰り際、伝票に「サインをお願いします」)

大体こんな感じです。

あとは、今日は休日なのでそうする必要はありませんでしたが、朝食対応時には、

"Good morning" (入店時の挨拶)

"Show me your room number" (ディナーと一緒ですね)

"buffet style" (バイキングでは通じなくても、こう言えば通じます)

"any table (sit down) OK" (手振りを加えながらany tableだけでも通じました)

これだけ話せれば、大体何とかなります。あとは、食べられない素材かなんかがあって、それに対応した料理を出すときに"no beef" とか"no fish"とか言いながら出せばオールオッケーです。まあ、今はここからさらに踏み出して、メニューに書いてある文字くらいは英語で話せるようにしたいなと考えています。


これ、今年に入って出会いに恵まれ、2度も中国に行ったことが、大きな経験になっているのかな。

特に2回目は、いきなりの単独行。現地でウチの奥さんと合流し、一緒に行動はしてくれたものの、奥さんも日本語は翻訳アプリ頼り。奥さんおよびその家族との意思疎通、さらには空港など私一人で切り抜けなければ行けない場所で、頼りになるのは英語しかありません。10年以上心の倉庫にしまいこんで、実際に使えるのかどうかさえわからない、ホコリまみれのポンコツ英語ではありますが、そんなことは言ってられませんやですよ。

正しいか正しくないかではなく、とにかく自分の意志を伝えるために言葉を並べ立てる。そうすると案外、通じるんですよね。わずか数日の体験でありましたが、私の英語も捨てたモンじゃないなと。そして、大切なのは文法ではなく、伝えようとする心なのだということを理解しました。ホコリはかぶっていても、さび付いていたワケではないようです。


そして、さらに深く掘り下げれば、高校~大学と、やや英語偏重の進学ルートをたどってきたことがベースにあるのかなという気がします。

高校受験のときは「定員割れしているから、受ければ確実に入れるだろう」というトンデモ理由で盛岡市内の市立高校(※)の英語科にもぐりこみ、「就職しないで本ばっかり読みたい、不思議の国のアリスの世界で暮らしたい」と思って滝沢市内にある某私立大学(※)の英文科で悠久の時間を過ごし。以来ず~っと英語を話す機会なく暮らしてきましたが、やはり、何でも覚えておいて損はありません。これは「麻雀放浪記」の登場人物である達っつあんこと「女衒の達」のせりふですが、そういうことです。

あまり説教くさい話は好きではありませんが、実際にそうだったのだから言います。学校で勉強したことは、学校を出てすぐには役に立たなくても、5年後10年後いきなり役に立つことがあります。だから勉強って大切だし、働かずに勉強できることは非常に幸せなんだと言うことを知っておいてください。って、学生諸君が私のブログを読んでいるとは考えづらいですが(もしも実際に読んでいる方がいたらコメントください)。


2016年。悲しきかな、わが出身学科である某市立高校の英語科は今年3月をもって消滅。大学の文学科もいつの間にか消滅し、とても寂しい思いをしていましたが・・・私が生きている限り、私がこうして英語を活かし続ける限り、その存在がかすむことはありません。

少々、話が飛びすぎてしまいましたが、そんな感じです。上手じゃなくても、フレーズ丸暗記でもいいです。英語を知っていれば、世界レベルである程度何とかなります。そして、自分が海外に行ったときにそうだと、逆に外国人が日本に来て、英語しか話せなくて困っている人の気持ちがわかります。「ここは日本だ、日本語で話せバカ」なんて、絶対に言えなくなります。

とりあえず、みんなでラジオ番組の「パックンマックンの笑って覚える英会話」を聞きましょう。スピードラーニングよりタメになります。いや私はスピードラーニングをやったことがないので、「より」とは言えませんが、無料で聴けるし楽しいし、いいんじゃないかな。私は大好きです。

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こんにちは。

現実(ニッポン)対台風(10号)

「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(青森県は絶賛大荒れ中)


こんなさなかではありますが、昨日レイトショーで「シン・ゴジラ」見てきました。

しかし、ここで私が内容やら感想やらを書き連ねても仕方がないので、それは最小限とします。すなわち、暗がりで私一人単独行だったこともあり、感情の赴くまま泣いてしまいました。それと、さすがSFオタクの監督だけあって、とても高いレベルでまとまった作品だったなと。そういうことです。ただ、私が泣いたのは、いわゆるクライマックスではありませんでした。そのもう少し前の、その。

…まあ、これはネタバレになるかならないかわかりませんが、もう1か月以上経ってるし、いいか。

 私は人類が力を合わせて巨大な怪獣に立ち向かうことに感動したのではなく、巨大な怪獣の圧倒的な破壊力に感動してしまったのです。船も車も電車も木の葉のように吹っ飛び、高層ビルが発泡スチロールのようにもろく崩れ去っていく光景を見て、感情を激しく揺さぶられてしまったのでした。


さて、感想はこのくらいにしましょう。

私が今回書きたかったのは、映画が終わってエンドロールを見ている時に、

「あれ? この人、どこに出てきたっけ!?」

と思ったので、それを書きます。

公式サイトのキャストのところを見てもらえばわかるように、主役の3人およびトメ(一番最後に)の野村萬斎さん以外は、とっても細かく書かれています。確かに多くの人が映画の中に出てきましたが、劇団ひまわりとか、そういう一くくりなカテゴリではなく、名前のある役者さんがこんなにいたことに、驚いてしまったのです。

そして、その中でも私が「えっ!?」と声をあげそうになったのが、以下の方々です。

「嶋田久作」

……ええ、加藤保憲です。帝都物語です。もし事前に嶋田さんが出るとわかっていたら、ゴジラに式神で対抗したり、護法童子の時の車輪でゴジラの動きを止めたりするシーンを期待していたかもしれません。いや「帝都大戦」バージョンだったら念力で電車をゴジラにぶつけて…って、なんかどちらかというと「AKIRA」みたいになりそうだな。

「ピエール瀧」

この人は、色々なところに出るなあ。なんか「あれ? 瀧さんじゃない?」というシーンがあったような気がするので、これは答え合わせで確認して「ああ、やっぱりね」という感じですね。

「橋本じゅん」

この人はどちらかというと声優のイメージなんですけどね。90年代の格闘ゲーム「餓狼伝説」のアンディ・ボガード役。だから、本当クレジットを見て「ああ、そうだったんだ…」という感想を抱いたわけですが。


本当は、好きな俳優さんならパッと見た瞬間にわからなければいけないんでしょうが…いや、でもアレか。逆にいうと、「ああ、これは○○っていう俳優さんだよね」というのではなく、いきなり物語の登場人物として捉えられたから、それはそれでいいのかな。それだけ映画の世界に入り込めたってことだし。

そんなわけで「シン・ゴジラ」を見てきた話でした。

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おはようございます。

さっき、起きました

「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(昨夜のことはあまり覚えていない)。


さて今年も24時間テレビが終わりました。私は今年は本当に仕事が忙しくて、嵐にしやがれ~しゃべくりのパート、すなわち深夜帯の部分しか見ることができませんでしたが、今年も何やら人々を感動させようとあの手この手で盛り上がったみたいですね。

それに対する痛烈な当てこすりはNHKが「バリバラ」でやってのけたので、その件に関しては私がクドクド書く必要もないなと。ある意味、最高に胸がすく思いです。

そこで、これは何かを批判するわけではなく、ただシンプルに「そう思った」と。そのことを昨日の「感動を」云々と関連付けながら書きたいと思います。


今年24時間テレビであり、オリンピックの年です。オリンピックと言えばそのあとに開催されるのが「パラリンピック」。身体障碍者のアスリートたちによる世界最高峰のスポーツの祭典です。

便宜上「身体障碍者」という言葉を使いましたが、正直なところアスリートの人たちの身体能力は、私を含めた健常者をはるかにしのぐレベルだと思います。それは義足の陸上選手や車いすテニスおよびバスケットボールの選手、その試合を見た時に思いました。

それは「障碍があっても、それを乗り越えて努力してここまでやってきた」というよりは、もっとシンプルな感動なんですよね。ウサイン・ボルトや錦織圭の身体能力に感動するのと同じ理由。ただ、自分よりも優れたパフォーマンスを発揮する人たちに感動する。それだけ。

もしかしたら、24時間テレビの演出に違和感を感じていたのは、そういうことだったのかな。ま、それも「バリバラ」で言っていましたが。

「別に、そこまでしなくてもいいじゃん」

そんな感じです。あまり感動的に盛り立てられると、かえって距離を感じてしまうかな。はい、とりあえずこのあたりで打ち切ります。そういうの必要ないんで(←スタッフの声)。

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こんばんは。

今日はワインを飲みながらAFX-2

『森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(selected ambient works 85-92)


明日は仕事が休み。でも実家には帰らない。すなわち仕事が終わって、すぐにお酒を飲むことができる。しかもビールよりも好きなワインを。そして現在時刻、午前1時。

こういう状況からもわかると思いますが、今の私、とても酔っています。それをタテにして、今日は、ちょっと放言しちゃいます。すべては「酒に酔っていて覚えていない」の言い訳となるので、どうかそのあたりを了承のうえ、以下の記事をご覧ください。

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こないだ2週間ぶりに休みを頂き、実家に帰り。そこで「何か、気持ちの支えになる本をもっていこう」と思って選んだのは故・大山倍達総裁の『自分に勝て! わが性格改造論』。そう、かつてゴッドハンドの異名を持ち、極真会館を興した大山総裁が『わが肉体改造論』に続いて出版した若者向けの? 本です。

大山総裁自身の経験に基づいて書かれた(ことになっている)同著。何かといえば実はアアだったコウだった…とネット上はたまた週刊誌上で書きたてられるご時世を考慮して、あえて(ことになっている)というカッコ書きを入れましたが、正直なところそれが真実であろうがそうでなかろうがどうでもよろしい。酔った勢いもあって書いてしまいますが、そういった真偽云々といった議論を、それこそ正拳一撃チェストー! とばかりに打ち砕く力が、大山総裁の言葉からは感じられます。

であれば、その言葉を受けてひどく感動。ほんのちょっぴりでも、「よし自分も強くなろう! 大山総裁のように強い人間になろう!」と文字通りの性格改造を志した私自身を否定することもあるまい、と思ったのです。

それが今回のタイトルとした「感動まで否定することはない」ということです。

実際に大山総裁がどういう人物であったか。私は残念ながら大山総裁に近い人間ではありませんし、そもそも空手を習った経緯もありません。ただただ『空手バカ一代』に感動し、どちらかというとオーケンこと大槻ケンヂさん経由で『大山カラテもし戦わば』を知りこれを読み、さらに総裁の関連著書を読んで生木に拳足を打ち込みアイタタタ~となった分際ですから(?)。なるほど、あるいは大山総裁いや大山倍達という人は、私が考えているような「超人」ではなかったのかもしれません。

でも、たとい勘違いだとしても。

「勘違いもまた感動の一形態である」とは特殊音楽家・とうじ魔とうじ氏の名言ですが(それはオーケンさんのエッセイで知った)、大山総裁のキャラクタに感銘を受け、それでもって自分を変えようと色々な行動をし、実際にそれなりの成果があった…。

その時点で、私にとっては「人生の師」の一人となっているように思うのです。少なくとも、情報化社会の恩恵でしょうか、色々と乱れ飛ぶ「本当はこの人、こういう人だったんだよ」という「真相」を突っぱねられる力を得た存在として、私はそう言えます。


リアルタイムで今、ワインを飲みながら書いている勝手もあるので、勢い任せに申し上げます。実際のところ私にとって、それが真実かどうかは、関係ないんです。すべては私がどう生きるか。そのためにプラスになるのなら、たといフィクションだろうと何だろうと、関係ないんです。その話を聞いて、自分をより良い方向にシフトさせられるのなら、どんなことであれすべてOKというのが私の基本理念。もちろん、言葉を尽くして…ここで書ききれないくらい、色々な思いはありますが(酔っぱらうとそれが5割増し以上?に膨れ上がる)…色々と考えます。

でも、ね。

やっぱり一番大切なのは、自分ですから。自分がこれから先、どう生きていくか。そのことを念頭に置いて考えた時ですね。自分がプラスになるのなら、たとい冗談だとしても、あえてそれを本気の考えとして取り込み、自分の糧としていく。

「あえて」これが大事なキーワードですよ。試験に出ます。メモしてください。…何の試験に出るかは、わかりませんが。


  *


もうずいぶんと酔ってしまっているので、勢いついでに書きましょう。

その昔、筋肉少女帯が発表した『UFOと恋人』というアルバムの最後に収録されていた「バラード禅問答」。私はその歌詞の内容に、結構、人生レベルで影響を受けています。

本当はもう彼氏がこの世にいないのに「彼は宇宙人にさらわれて、どこかで生きている」という女性。

本当はもう娘がこの世にはいないのに、少女人形を娘のように扱っている男性(これ、たぶんデカルトがモデルですよね)。

その、「本当はわかっているけど、あえて…」という考え方。

多分これ、私の基本理念です。私の行動の、最もプリミティブな部分に、こういう考え方があると思います。

いつのころからか、そうなってしまいました。

でも、そのおかげで、なんというか…「心が広くなった」…というか…。

ちょっとやそっとの「真実」に、心が動じなくなったような、気がするんです。

「ああ、実際はそうなんだ。でも、オレは(実際ではない)これがいいんだ」

そう言えるようになったというか。…それはある意味、色々な「実はこうだった」情報が氾濫するこのご時世に適応するための必然ということかもしれませんが…。


ああ、なんだか今日は随分と、酔ってしまったようです。

仕方がありません。今日はいったん、この辺で打ち切ることにしましょう。

本当は「24時間テレビ」にあてつけて(?)、もう半分の思いを打ち明けようと思っていたのですが、、それはまた次回ということで。


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こんばんは。

そんなこんなで、また今日は仕事

「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(ただし明日は遅番)。


最近はあまりお酒が飲めなくなったようです。かつてはウイスキーを、ストレートで180ml(ポケット瓶1本)を飲んで、ちょうどいい感じに酔っぱらえたものですが、今日はせいぜい3分の1をロックで飲んで、それで終わりです。あまり深酒はやらないようにしよう。そう思ったのです。

じゃあこんな時間にどうしてブログを書いているのかと言えば、私の会社の上司が借りてきた「さらばあぶない刑事」を見るため。そのつもりがないのに午前0時に帰ってきて、アレコレした後にDVDを見始めて、たぶんこのあと2時半くらいに寝る予定です。やれやれ。

ただ、そうかといって早寝をして、8時間9時間寝たとしても、いまいち気持ちが晴れないんですよね。たいてい5時6時に起きて、まだ早いからと言ってもう一度寝て、7時だ8時だと繰り返して…ま、そんな感じでやってれば、気持ちが晴れないですよね。

だから結局、何時間寝るかというより、どう寝るか。その方が大事なのかなって。まあ、明日にはもうDVDを返却しなきゃいけないようなので、どうあっても見てから寝るしかないんですが。もう4分の3くらい見てしまったし。


そんなわけで、明日(今日)も仕事、頑張ります。

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おはようございます

2週間ぶりに仕事が休み

「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです。


まあ色々あって気持ちが疲れています。非常にきわどい状況です。まず、そのことを最初に書き出しておきます。

そんな中でも、「散華 土方歳三」「函館売ります 土方歳三蝦夷血風録」と、続けざまに函館で買ってきた本を読みました。いずれもタイトルどおり、新撰組副長というよりは陸軍奉行並、洋装&総髪姿モードになった土方さんの物語です。

前者は新撰組時代のことを「回想」という形で色々振り返る物語です。ともすれば乱暴者で手がつけられない性格に描かれる芹沢鴨や、思想上の違いから(土方さんが主人公の小説では)あまり扱いのよくなかった山南敬助さんなども相当な好人物として描かれており、多分、私が読んできたどの小説よりも情がある、慈しみ深い土方さんがいます。これと「人間土方歳三 新撰組副長秘め語り」は、書き手の土方さんに対する熱い思いがたっぷり感じられる名作だと思います。

後者は土方さん・・・というよりも、当時実際にあった「ガルトネル事件」を中心に取り上げた物語です。これはプロシアの商人と蝦夷共和国政府との間で、函館の広大な土地を99年間(!)貸す代わりに賃貸料を貰い受けるという密約をめぐる事件なのですが、実はそのプロシアの証人の影にはロシヤの秘密工作員がいて・・・ということで話が進んでいくのですが、土方さんは上巻の後半くらいからようやく出てきます。

ちょっと考えれば、いくら話の上では「貸すだけだから」といっても、99年間というスパンは長すぎるように感じます。もしこれが実際に締結されたら、函館は香港とかみたいに、20世紀に入るまで外国扱いになっていたのかな・・・なんていう風に思います。そして、それを阻止しようと動いたのが、条約を結ぼうとしていた蝦夷共和国側の大幹部である土方さん、というのが面白いですね(これは文庫版の下巻のあらすじに書いている内容です)。

どちらも大変に面白い物語です。「本を読む時間がない」などと言い訳をしていた私も、それ以外の色々なことを差し置いて読みきってしまいました。そして確かに、読んでいる間は日々の色々なツマラナイ感情から解き放たれ、心をまっすぐに伸び伸びと解き放つことができたのです。


小説を読むことが、私の仕事に直結するとは思いません。ハイハイと愛想良く振舞うことを求められる私の仕事にあっては、むしろこういう本を読んで「土方さんのようになりたい!」と思うのはある意味マイナスかもしれません。そういうことよりも、もっと仕事のことを考えて自分を磨いたほうがいいのかもしれません。

でも、やっぱり思ったんですよね。1998年の夏、鳥取県米子市の古本屋で手に取った筑摩書房の「ルイス・キャロル詩集」にめぐり合った日から、ずっと歩んできた道。本をもっともっと読みたいと思って大学の文学部に入ってしまったくらい、私は本が好きなんだって。お酒よりもマージャンよりも、読書こそが私の心の栄養になるんだって。

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おはようございます

8月も下旬に入り、今のところ1日しか休んでいません

「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(今日も出勤)。


まあ、忙しいのはありがたいことです。私の仕事もお客さんがあってこそ。冬の閑散期はホテルを閉めるか閉めないかの瀬戸際まで追い込まれましたからね。それからすれば「忙しくて休めない」うれしい悲鳴です。そういうべきなのでしょう。

建前としてはね。

でも人間ですから。疲労というものがたまりますから。もうちょっと短いスパンで休みたいと思いますよ。

……それでも、結構、気力はまだあるんですけどね。


さて、そんな弱音も泣き言も包み隠さず並べ立てるのがこの場所ですが、楽しいこともあります。楽しいというか、「どうして自分がこの仕事に憧れ、チャレンジしようと思ったのか」それを思い出させてくれるような場面というか。

それはズバリ、家族連れで泊まりにやってきたお客さんと接客した時。まだ義務教育前の小さな子供が嬉しそうにホテル内を駆けまわったりレストランにやってきたりするのを見ると、かつて自分がこういう場所に特別な思いを抱いていたのだ…ということを思い出します。泊りがけで旅行、しかも、自分の家よりもよほど上等な部屋と料理。特別な時間です。

「仕事だからやる」

少なくとも私は、それだけじゃ無理ですね。

向いているか向いていないかで言えば、たぶん、向いていないでしょう。正直なところ、どこまでやれるのか、不安に思うことはあります。

それでも、せめて心の中心はずらさないように。自分の気持ちをしっかりと据えて、立ち向かっていきたいと思います。

今日は少し早起きすることができたので、そんなことを思い、記事を書きました。かつてのように「朝起きたらPC起動してブログを書く」という生活スタイルが崩れて2年あまりになるでしょうか。まあ不規則勤務だから仕方ないんですけどね。

とはいっても、この場所はずっと守り続けます。頻度は落ちても、時々でも、ちゃんと気持ちに余裕がある時は記事を書いていきます。

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こんにちは。



『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです(愛車はマツダ・ファミリア)。


今日は休みだったので、午前中はパチンコをしてきました。・・・と言ってもギャンブルはしていません。預けていたメダルを消費するため、盛岡南ショッピングセンター内のゲームコーナーに行き、そこにあるメダル方式のパチンコをやったのです。

機種は『スプレンビー海百景』。20世紀末に発売された機種です。一応デジタル画面があって、その中で数字がそろうとフィーバーするという時代のものなんですが、その画質はちょっとしたレトロゲームのような雰囲気です。

メダル1枚につきパチンコ玉5個。入賞すれば5個プラス。ストックが2000個を越えるといったんストップし、メダルが150枚払い出される。そういうシステムです。

詳細は別なブログで書きますが、2時間で大当たりを17回引き、ゲームを一時中断して店員さんにメダルを補充してもらうこと4度。300枚借りたメダルが、返すときには2500枚以上になっていました。空前絶後の大フィーバーです。もう成功者として写真を飾ってもいいんじゃないかな(もちろん目のところは黒棒で)。


で、午後からは、2年ぶりくらいに走りました。今の職業になってからは、わざわざ走らなくても十分に汗をかき、体重も20キロ近く落ちたので、休みの日は全力で休むようにしていたのでね。本当に久しぶりです。まあ、ジャージを用意していなかったので普段着のまま、ごく軽いペースで、当時の半分くらいの距離を走ったに過ぎないのですが・・・

・・・やはり身体がなまっているなと思った一方、まだこのくらい走れるのかなと驚きました。なまっているけど、錆びているけど、朽ちてはいない。まだやろうと思えば、ある程度やれるんだということに気づきました。

2014年6月30日をもって、第二新卒で10年勤めた会社を辞め、その後色々あって今の会社にもぐりこみ、散々叩かれながら2年。向いていない向いていないと言われながらも、いつ辞めてやろうかいつ辞めてやろうかと思いながらも、何とかここまで来ました。

ちょうどいい機会かもしれません。

この接客サービス業を続けて経験したこと、その前に積み上げてきたものをミックスして、新しい何かを作り上げる。35年目の私、大きくジャンプアップする、いい機会かもしれません。私にも愛すべき存在、守るべき存在ができたし。

新しい何かを、ここから見つけ出したいと思います。

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こんばんは。

先週、また函館に行ってきました

『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです(今回は観光じゃありません)。


一応、名目としては『ヘルニアの手術のため入院していた弟者が退院するので、荷物を運ぶ手伝いをするため』だったんですが、函館赤レンガ倉庫を隅から隅まで見て回り、海鮮丼を食べてはこだてビールを飲んで土方さんのコスプレ(洋装Ver.)をして歩きまくり、そのままウチの奥さんのためにオルゴールを買って・・・と、結局いつもどおり観光&散財の日々。

すでに貯金がドンドン目減りしている状況ではありますが、それでも弟者のため青森名産『下北ワイン』を買って快気祝いとして送ったり、まあ大変な状況です。

もちろんそんな台所事情は弟者には言わないし、ここでもクドクドと申し上げるつもりはありません。それでは函館旅行記を何か書くのかと言えば、それも今ひとつまとまっていないので書けません。そもそも函館土産の『社長のよく飲むビール』を平社員の分際で飲んでしまい、激しく酔ってしまったため(度数10%のストロングエール)、久々に取り掛かったものの、長い文章は書けません。

ただ、そんな状況でも一言だけ申し上げます。

やっぱり、せっかく北海道まで行ったんだから、ただただ時間とお金を使っただけ・・・で忘れてしまったら、もったいないですよ。だから何かしら、感じたことを――極論すれば、行って帰ってきて、それで改めて思ったことを盛り込んで、いずれホームページのほうで文章にしたいと思っています。

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こんばんは。

追悼: 吉良知彦さん(ZABADAK)

「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです。


こないだは森岡賢さん(元ソフトバレエ)が急逝し、今度は吉良知彦さんですか。…そして、またしても私のような人間がこんなことを書いていいのかどうかわかりませんが、この機会にちょっと自分とZABADAKのことについて、まとめておきたいと思います。


まず、初っ端からコアなファン並びに現在進行形でずっとZABADAKのファンである皆様には申し訳ありませんが、私にとってのザバダックは上野洋子さんがあってのものなんです。一応20周年記念アルバムは持っていますが、それを除けば『桜』で止まっています。ええ、上野洋子さんが在籍している時に発売された、最後のアルバムです。

そのくせ、私が初めて聞いたザバダックの曲は新居昭乃さんがヴォーカルを務めている『城』だったりします。今から15年ほど前のことでしょうか、新居さんの歌をなんでも聞きたい! と思い少々イリーガルな方法(某有名P2Pソフト)で音楽をかき集めていた時代のことです。

その後地元のCDショップで「創世記」という名のベストアルバムを発見し、試しにとばかりに聞いたところ、上野洋子さんの透明感あふれる歌声に衝撃を受け、以来ファンになる…という次第です。


だから、私自身よくわからない部分もあるんですよね。やっぱり吉良さんが歌っているトラックよりも上野洋子さんの歌っている楽曲の方が好きな気もするし、でもアルバム全体を通して聴いてみると「両方あってのザバダックだよな」と思うし、今書いたように最初にザバダックを好きになったのは新居さんの歌だったし…と。

ま、アレですよね。電気グルーヴとかも、初めて知った時代が三人体制(砂原「まりんジェット吉」良徳さんがいたころ)だから、やっぱりその頃のアルバムがしっくりくるけど、基本的な軸は2人体制になってもブレないし。CDとかを買うほどではないけど、いつまでも第一線で活躍してほしいという気持ちで…ね。応援する気持ちは変わりありません。

だから、その。

新しいアルバム、新しい楽曲は聞いていません。でも私にとってザバダックは、とても大好きな音楽です。私の二十代前半を支えてくれた、とても重要な音楽です。それだけに今回、ザバダックそのものともいえる吉良さんの急逝は、心の一部を切り取られたようなショックを受けています。

でも、これからもずっと、この位置づけは変わりありません。吉良さんがこの世を去っても、上野洋子さんが2008年の「TOKYO HUMMING」以来全然CDを出さなかろうと(?)、私は永遠にザバダックのファンです。

心より冥福を。R.I.P.

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こんにちは。

ピアノ・デス・ピアノ~愛のテーマ

「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(心が疲れてシリメツレツ)


私のスマートフォンにあるgoogle nowに、どういうわけか井上純一さんの「中国嫁日記」の記事の新着情報が。確かにコミックスは全巻持っていますが……内容は、井上さんの中国嫁「月(ユエ)さん」が妊娠されたということです。

その一方に触れた瞬間、私はまるで自分のことのようにうれしくなりました。過去にお二人がなかなか妊娠しないことを悩み、病院に行かれた…とかって話を漫画で読んだからです。今改めて確認したらコミックス4巻です。

まあ、私も今月1日からリアルに中国嫁を貰ってしまったから、そう感じるのかもしれません。今はまだ中国にいて、果たして入国審査をパスできるのかどうか? すごく心配なところではありますが、そんなことを言っている場合ではありません。産めよ増やせよ地に満ちよ。彼女と私はそこで子を産み、育て、そして死んでいった…宇宙世紀0079…と、急になぜか永井一郎さん風のナレーションになってしまいましたが、私もやはり自分の生きた証を残したいと思うのです。未来への遺産を残したいと思うのです。

だから、二人の新しい命が宿り生まれてくることを尾崎豊「誕生」ふうにお祝いします。井上さん、月(ユエ)さん、おめでとうございます。


そして、私も責任ある立場として、もはや独り者の頃のように落ち込んでばかりもいられないなと思いました。クヨクヨしてはいられません。仕事に疲れていられません。私を愛してくれる人がいるのだから。私を信じて私と人生を共にする覚悟を決めてくれた女性がいるのだから。もう交通事故やその他つまらないことで死ぬわけにはいきません。


まあ、それは建前であり、感情の方がどうしても戻ってこなければ、仕方がないのですが…でも、こんな危機は何度も乗り越えてきたはず。こういう時はじっと耐えて、浮上するタイミングが来るのを待つしかないんです。きっと、そういうことなんです。

 *


そんなこんなで、いまだ心は不安定状態ですが、何とかやっています。明日の仕事が終われば、長かった連勤(2ケタ)も終わり、久々の休日です。とりあえず実家に戻って…入国管理局に行ってこようかなと思っています。まずは、色々と必要な書類や書き方を聞きにね。

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こんばんは

ワインは必ず1瓶空けないと気が済まない

いぬがみです(現在、半分くらい飲みました)。


最近はどうも、気持ちがすぐれません。色々あって気持ちが鉛のように重く沈み込んでしまう日々が続いています。

正直「今夜は誰とも話したくないな」と思う日が続いています。

今日はそういう意味では、念願かなって一人でワインを飲み、本を肴にブログを書いています。


一回、ワインの飲みすぎで死にかけたんですけどね。

同じように短時間で1瓶空けた翌朝、トイレに立ったら、急に貧血に見舞われて。異様なほど体がひんやりして、トイレの前で倒れ込んでしまいました。

「ああ、もしかしてこれ、死んじゃうのかな」

本当にそう思いました。たぶん、ちょっとした急性アルコール中毒だったんじゃないかなと思います。

その状況、同じように急性アルコール中毒が原因で? 亡くなった尾崎豊とイメージが重なります(公式な死因は「肺水腫」)。別に私は、「自分もそんな風に死にたい」と思ったことは一度もありませんし、何よりも本人自身インタビューで「三十歳までは死なないでとか、言わないでくださいよ」「長生きしたいですよ」といったことを言っていたようですし(なんだったかな。youtubeの、尾崎豊の楽曲を聞いている時、そこに挿入された映像で見たんですが)。

ただ、はっきり言ってお酒、特に大好きなワインを飲まないと気持ちを支えられない。そんな状況にあることは事実です。

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こんにちは

少し気持ちが疲れています

いぬがみです(Androidから投稿)


最近、尾崎豊を毎日聞いています。

最近なんか話題になったみたいですね。私はあまり関心ありませんが。

実際「尾崎豊聞いてます」といっても、誰でも知っているようなのは慎重に避けています。

15の夜、卒業、I love youそれからoh my little girl あたりでしょうか。forget-me-notとかは、聞いてますけど。


今、私のスマホに入っているのは、

街の風景・傷つけた人々へ・ドーナツショップ・風の迷路・レガリテート

こんな感じです。

まあアルバム「誕生」に収録されている曲は前々から好きなのでアレなんですが、十代の頃のアルバム(1~3枚目まで)の曲も、聴いてみると結構いいじゃんって。


要するに、あんまり力んでいない尾崎豊が好きなんです。穏やかな歌い方、楽しそうな歌い方をする曲がいいなって。なおかつ有名すぎない曲。

あとは、あまりアジテーション臭くない曲というか。

「セールス上、大人たちに反抗する十代の若者のカリスマに仕立て上げられたけど、本当は内省的なフォーク指向の歌い手」

尾崎豊ファンを自認する人の中でも割とニュートラルな立ち位置の人は、そんな風に捉えているようです。

その立ち位置から尾崎豊という人の楽曲に向き合うと、すごく心にしみこんだのです。1stアルバムの1曲目に収録された「街の風景」が、ストンと私の中に落ちたのです。

そんな私が好きなアルバムは「壊れた扉から」と「誕生」。どちらも好きです。いずれアルバムごとにまた改めて記事を書いてみたいと思いますが、ひとまず今日はこの辺で。

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ずっと追いかけてきたわけではなく、アルバムも2枚くらいしか持っていない私が語るべきではないのかもしれませんが、やはり心の中で結構重要なポジションを占めているので、一応語らせていただきます。

元ソフトバレエの森岡賢さんが心不全で急逝されたという一方をネットニュースで目にした時は、少なからず動揺しました。そして、そのタイミングで、ソフトバレエの後minus(-)というグループで活動されていることを知ったのが、とても悔やまれました。まあ、私がソフトバレエに傾倒していたのは今から10年以上前、大学時代のことであり、社会人になってからはそこから離れようとして来たから、仕方ないんですが(大学時代の思い出があまりにも楽しすぎて、そこから出てこられなくなるから)。

きっかけは私の友人がプレゼントしてくれたコンピレーション・カセットテープの中に入っていたWHOLE THE WHOLEを聞いたことなんですが、自分の意志でCDを買ったのは2002年のSYMBIONTが最初でした(そして現時点では、それが最後である)。当時発売されたシングル『メルヘンダイバー』がとても気に入って、買ったのです。ちなみに同時に買ったのはスティーヴ・ライヒのベスト盤でした。スゴイね。

『メルヘンダイバー』は今でも割と聞きます。友人いわく少々ポップすぎる嫌いがあるそうですが、私は素直に好きです。それだけに、今回の突然の訃報はとてもショックでした。

でも、森岡賢さんがこの世を去っても、私はずっとソフトバレエが好きです。minus(-)はまだ聞いていないのでなんとも言えませんが、とりあえず関連して書きました。

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私が持っている中国の、ものすごく古いイメージ――歴史的な意味ではなく、私自身が人生で最初に持ったイメージは、

「中国の人はみんな自転車に乗っている」

ということでした。朝の通勤ラッシュは道路が自転車で埋め尽くされる――そんなイメージ。

無論、爆裂モータリゼーションが突き進む現代中国では、自転車の代わりに自動車が走りまくっています。というのは前回のエントリで書いた通りです。

むしろ自転車を、あまり見かけませんでしたね。…うん、ちょっと記憶にはありません。

その代りバイク、それも「電動バイク」とでもいうべき乗り物が、多く見受けられました。ほとんど音がせず、シャーッと快速で駆け抜けていく様はなかなかカッコイイなという感じがしました。まあ歩行者天国のような場所でいきなり後ろから来られると怖いんですけどね。

やはり中国、いくら自分たちが一番(=中華思想)といっても環境に配慮して、みんな排気ガスの出ない電動バイクに乗ってるんだな…と感心しましたが、これまたWikipediaに拠る話なのですが、なんか国内事情もあるみたいですね。すなわちオートバイには色々と規制があるのに対し、電動自転車は面倒なことがないから、爆発的に普及した…と。

ただ、その規制云々というのも都市単位で決まっているようで? 言われてみれば今回訪れたハルビンやチチハルでは、郊外を旧来のガソリンエンジン型バイクで爆走している人たちがいました。確かに郊外の、果てしなく広がる不整地を走るには、エンジン付きバイクの方が似合います。「AKIRA」で言えば甲斐のバイクですね。…あれ? でも甲斐のバイクも超伝導か。じゃあジョーカーですか? 誰が電飾ブタだ!

まあ、それはともかく。「電動バイク」という響きは、とても格好いいものがあります。さすがにAKIRAの世界に出てくるような、「そんなのに乗ってる方の気が知れねぇぜ」とか「ピーキー過ぎてお前にゃ無理だよ」というような超高性能モデルは出ていないようですが(出ていたら大変だ)ある部分では、中国の方が日本よりも先を行っているような? そんな気がしました。

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中国を移動するときは、とにかく乗り物が欠かせません。何せ国土が広いですからね。

電車、バス、タクシー。色々と乗りましたが、ここではタクシーに乗っている時、その車窓から見た中国の交通事情について書きたいと思います。


中国でタクシーというと、まあ日本でもおなじみ会社経営のタクシーがあります。初乗り9元、その後1公里ごとに…という感じです。といってもそれは窓ガラスに書いているのを見て「そういうもんなのかな」と思っただけですが。

一方で、中国独特のタクシーシステムがあります。それは、日本ではある意味「白タク」とでもいうような、不思議なシステムによって成立する個人タクシーです。これはあとから日本に帰ってきて色々と調べた情報も併せての話なのですが…。


中国において車による移動を伴う際、ウチの嫁さんはスマホで何かを問い合わせしていました。最初に画面を見ながら操作をし、そのあと誰かと話をし、しばらくして…

「ほら、行くよ」

ろくすっぽ中国語を解さない私にわかるよう日本語と英語をチャンポンにしながら話しかけ、手を引かれていくと、そこにあるのはどう見ても一般車。「?」と立ち止まる私に後部座席のドアを開け「ドウゾ」という嫁さん。「???」そのまま車で連れ去られ、気が付いたら人気のない郊外。そこで鈍器のようなものを手にした男たちに囲まれジ・エンド…ということは無論なく、再び8歳年下の嫁さんに身振り手振りで「ホラさっさと降りて降りて」と促される34歳(来月で35歳)の日本人男性…。

これ、要するに登録制の個人タクシーシステム、らしいんですね。最初に客が行きたい場所と支払える金額を打ち込み、その条件に合致するドライバーがいたら契約開始。あとはクレジットカードで支払いするので現金のやり取りはナシ(=安全)というわけで、随分と先進的なシステムだなと思いました。

個人タクシーというか、要するに「自家用車でアルバイト」みたいな感覚なんでしょうか。おかげで様々な車に乗ることができました。アウディやフォルクスワーゲンといった欧車もあれば日産などの日本車あり、ヒュンダイやチーア(起亜)といった韓国車あり…あ、今チーアはヒュンダイの傘下組織なんですね(たった今Wikipediaで知りました)。

いや、面白いシステムだなと思います。車好きの私としてはとても楽しかったです。嫁さんには言えませんでしたが、「もうしばらく、乗っていたいな」と思ったり思わなかったり。


もっとも、中国における運転マナーというのは、日本人からしてみれば最悪です。

中華思想の国だからなのかな。「すべての道はオレの道」という基本理念で運転しているのかな? と思いました。あるいは、日本とは交通法規が違うのか? と。

まず追い越し割り込みは日常茶飯事。けっこーな交通量の道でもガンガン飛ばします。そして前方の車のために自分の理想的な速度に対して5キロ以上マイナスになると、容赦なくクラクションを鳴らします。中国において車のクラクションは「オラどけバカ」という意味のようです。

また中国では交差点を右折する際、信号の色は関係ありません。赤信号だろうと全速で右折。ここで私は「あれ? 中国では、右折するときは赤信号でもいいのか?」と思いました。これは一般車でも一般的なタクシーでも一緒です。

要するに、「クレイジータクシー」とか「スリルドライブ」の世界です。横断者にもクラクション。邪魔な車にもクラクション。とにかく目的地まで全速前進。何人(なんぴと)たりとも俺の前は走らせねぇ。運転者の大半がそういう思想のもとで走っている交通戦争の世界。それが中国です。

でも、不思議と交通事故(を起こしている現場に出くわすこと)が少なかったのは、そういう状況で無事に切り抜けるノウハウをみんなが一般常識として兼ね備えているからなんでしょうね。日本人がいきなりハンドルを握ったら、あるいは中国人が日本でハンドルを握ったら、おそらく生きては帰れないでしょうが、それが当たり前の世界で生きていれば別にどうということはない。すなわち「お国柄」。

だから私はこう言います。「日本人からしてみれば最悪」だけど、中国ではそれが普通なんだって。それでバランスが取れているのなら、外国人がとやかく言うことじゃないのかなって。


さて、そんなところで今日は筆をおきます。次回は今回語り切れなかった「電動バイク」について。金田の超伝導バイクが実用化されるのは、案外中国の方が先だったりするかもしれません(?)。

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