今日で東日本大震災から13年。
そういうことなんですよね。だからやっぱりSNSも復帰した方が良いのかな、って気がしました。私の消息を教えるもの、安否確認みたいなものでもいいから、ちゃんと発信し続けることが大事なのかなって。こんなこと、何回も何回も繰り返しているんですけどね。「もうやめよう」「でも続けよう」って。まあこんな感じで、ずっと続けていければいいか。
このブログも、もう書く意味がないのかな……なんて思ったり、実際に休止期間が長くあったりするのですが、当時の記事を見て改めて思いました。
私がブログを書き、それを見てくれる人がいる。そうすることで私が無事であることを確認してくれた人がいる。そう考えると、やっぱり灯を消してはならない。少なくとも、書ける環境があるうちは、書き続けなければならない。そんな気がしました。
……でも今の時点では明確に「もうやめます」と言うつもりはありません。マイペースでもブログは残していきたいと思っています。(2022年3月11日の記事より)
ブログも18年やってれば、長期休業が何度かあってもそうなります。こうしてずっと残り続けるのだから、それを見て思い出せばまた踏み出せる。誰も見ていないとしても私自身が自分の道を踏み出すために……年齢を重ねた今となっては、そういう意味でブログはやめられなくなってきました。
私が被災した時のことも、ちゃんと書き残していたから――一日として忘れたことはありませんが、しっかり向き合うことができます。あえて向き合わなくても、忘れたことがないから読み返す必要はないですけど、ちゃんと自分なりに「その時の気持ち」を残すことができたのは意義があると思っています。
1週間。1か月。3か月。1年。……
だんだんとこのカテゴリの記事に追加される頻度は減ってきましたが、被災地のことを忘れたことはありません。むしろ岩手から宮城に移り住み、さらに福島にも何度か行って、実際にその場所に足を運んだから、テレビや新聞でそれぞれの復興に関するニュースを聞いた時も「ああ、あの時に行った場所が……」というふうに、よりいっそう身近なものとして想像できるようになりました。
陸前高田市も、2017年頃はまだこういう感じでしたが、今は新しい街も道の駅もできました。一番アナログ的に……ひとつの連続的な復興の流れとして見て感じた場所です。地元っていうわけじゃないし、何か所縁があるってわけじゃないんですが、思い入れがあります。あの頃、高校生だった子たちも今はそれを伝える側になり、復興を手掛ける側になったんだろうから……時間の流れを感じます(私の弟者も今年で三十歳になります。ちょうど私が被災した当時の年齢です)。
福島県も何度か行きましたが、特に心に残ったのが双葉町ですね。文字通り、時間が止まったままの世界で……でも町役場を中心に新しい世界が徐々に出来上がりつつあるし、このたび郵便局も再開して……本当に良いことだと思います。
インフラなどハード面での復興とメンタル的な「ハート面」での復興。何年経ったって癒えない気持ちはあると思いますが、それならそれで感情家である私は、そんな気持ちに寄り添いたいと思います。これまでもそうだったし、これからもそうです。私だって何か月か休んでもまた戻ってきて、何度だってやり直して現在に至るんですから。
いつだって、自分のペースでいいんです。今日という特別な日だけじゃなくて、何でもない日も折につけ、行くだろうと思います。海の見える街が大好きなので……オートバイの季節が始まるし……。
今を生きる私たちにしか
未来はわからない
だから生きていたい
つらくても
楽しいこともいっぱいあるから
令和6年3月11日 佐藤非常口/鳴瀬桜華
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