忍者ブログ
大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
こんにちは。

あきらめてはいけない

「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです。


いや、まだそういう段階ではないんですけどね。

何がって、その…。


心がぶれなければ誠意はきっと通じる。その理念に揺らぎはないのですが、あえてアナログ的…いやアナログというかアナクロな考え方で生きているいぬがみ。正直なところSNSというやつでやり取りをするのは苦手です。どれほど言葉を尽くしても伝わらない、あるいは伝わりにくい感情。そういうものがどうしてもあるような気がするからです。

それは相手からのメッセージを受け取った場合もそうです。言葉を見ただけでは相手が今どんな感情なのか? というのがどうも想像しづらい。それが当たり障りのない話題についてのやり取りであれば、それこそ軽い気持ちでOKなんでしょうが、もっと深い話題、たとえばお互いの生き方にかかわるようなレベルの話であれば、よほど慎重に言葉を選ばなければいけません。

しかも、それがお互い同じ国の人間であればまだいいのですが、違う国の人同士だったりすると、いっそう大変です。今は翻訳ソフトという便利な代物があるので、おおよその意味合いは伝わりますが、どうも機械的な翻訳を信用できません。自分で頑張って読み取ったイメージとexcite翻訳でやった結果がけっこーかい離していることがあって、「やはり機械的な翻訳は限界があるな」というのが私の思想です。

たぶん、機械的な翻訳が相手のすべてを伝えられるようになるには、22世紀まで待たないといけないのでしょう。そのころにはナノテクで食べ物に装置が内蔵され、相手がアメリカ人だろうとドイツ人だろうと宇宙人だろうと数万年前の人だろうと話が通じるようになると予言されています。マインナーメイストドラエモン。オーハローハローサンキューグッバイ。アハハなんか言ってる(違)。


こうなってくると、英文科を卒業してよかったなと思います。まあ中国語ドイツ語フランス語なんかはともかく(※)英語に関してはある程度やったし、3年生の専門課程では「翻訳」という科目を選んで勉強したので、単語を拾うだけではなく前後の文脈をも関連付けして日本語に置き換えていく…という感覚が、今でもほんのちょっぴりだけ残っているからです。

「たぶんこれ、翻訳ソフトにかけたんだろうな」と想像することが、ある程度は、できるようになったのです。そのうえで原文を想像し、こういうことなのかなと推測する。それってたぶん、大学時代に本ばっかり読んでいないと身につかなかったことなんじゃないかな、と思っています。

「文学なんかやったって、社会人になってからは何の役にも立たない」と当時から自嘲気味に思っていたことですが、今こうして人生の大きな転機に差し掛かった時、もしかしたら役に立つのかもしれない…そんな気がしています。

「なんでも覚えておいて損はないぜ」

これは小説「麻雀放浪記」で主人公・坊や哲から麻雀のイカサマを教えてもらった「女衒の達」が代わりに自分の生業である女衒のやり方を教えようとした時に言ったセリフですが、まさにそういうことです。役に立つか立たないかなんて、だれにもわかりません。因数分解や二次方程式も、その解き方を知っていることで九死に一生を得ることだって、あるかもしれません。ま、私は完全に忘れてしまったので、九死の側に立つのは言うまでもない(今日は柘植久慶風オチ)。



※ すべて大学の教養課程でやったものの、中国語・フランス語はどうしても単位が取れず途中挫折。4年生の後期日程でようやくフランス語の単位を取った。必修科目だったので、そこで滑ると「1年生の教養科目が取れなくて留年」という前代未聞のポンスケになるところだった。

拍手[0回]

PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック