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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
今日は朝6時から夕方4時までの勤務だったので、早めに帰ってきて部屋の掃除などをやっていました。

私がいる社員寮は2LDKの1部屋ずつをプライベートルームとして利用し、LDK部分などは共有となっているのですが、ここが私たちだけでなく色々な連中の溜まり場となっているんですよね。夜ご飯を食べに来たり、私の座椅子で仮眠をとったり、トランプをやったり、麻雀をやったり・・・。

それはいいんですが、食べた後の容器とか煙草の空箱とかをそのまんま放置していくんですよね。なので見る見るうちにゴミが積もり、いつしか「ゴミ捨て場の中で生活している」ような状況に。

私もたいがいズボラな性格で、あまり積極的に掃除などをするタイプではなかったのですが、このままでは北斗の拳の如く荒涼とした世界になってしまう! と危機感を覚えたのでね。先日ハードオフで買った麻雀卓をどけてゴミを取り除き、掃除機をかけてつみあがった食器を洗い・・・といった、全国の主婦(夫)の皆様が報酬の発生しない労働として毎日毎日やってくれている作業を敢行。完璧とは言いませんが、少なくとも目に付くゴミ類はすべて除去するところまではいきました。

「きれいだと汚しづらいものだ だが、一度汚れると果てしなく汚くなってしまう」

これは昔『こち亀』で空き缶ポイ捨て問題が取り上げられたとき両さんが言っていた言葉です。けだし名言であると思います。私もこれからはできるだけ汚さず、すなわちゴミ類はそのつどきちんとゴミ箱に捨てるなどの行為を徹底したいと思います(フツーそうするって)。


さて、そんな中掃除を敢行した私ですが、メラミンスポンジを2個消費し20分以上かかっても完全に除去できない汚れがありました。すなわちIHクッキングヒーターの天板にこびりついた焦げ付きです。

まだパナソニックがナショナルという名前だった頃のしろもので、結構使い込まれた感はありましたが、それでもここに来て様々な人に酷使され面積の4割以上が真っ黒くろすけ状態に。もはやこれは落ちないかな・・・と思いつつも、物は試しとばかりにチャレンジしてみました。

そうしたところ、完全にピカピカにはならないけれど、「絶対に落ちない」わけではないことがわかりました。

そこで、「それなら、きっと世の中にはちょっとしたアイデアで手間と時間を節約している人がいるに違いない!」と思いアレコレ調べている今日この頃です。


仕事もお掃除も、楽しいと思えばいくらでもできる。趣味や娯楽は何の役に立たなくてもいい(楽しければそれでいい)という理念を持つ私ですが、もしもこうやって生活を向上させるようなオマケがついたら、それはとってもいいことですね。

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現在、私が働いている職場――狭い意味で言えばホテルの宴会・レストラン部門ですが、ここでは私を含めて4人のメンバーがいます(あとは、パート従業員1人と、忙しい時だけ来てくれるジョシコーセーが1人)。

 この中での私のポジションは「業界のキャリアは一番浅いけど、人生のキャリアはそこそこ」というもの。4人中2人は20代なので、二人は「年下の先輩」という関係になるのですね。

 去年の8月、私が初めてこのホテル業界に入った時も、仕事を教えてくれたのは自分より一回り以上も若い子らでした。その頃は私も生真面目というか、プロレスの道場と同じようなもので「年齢よりも、先に入門した方が絶対的な先輩」だと思っていたので、敬語も気も遣って仕事をしていました。

 しかしながら、入社3ヵ月後の面談(本採用になるかならないかの瀬戸際)の時に「人生の先輩なんだから、もうちょっとフランクに接したほうがいいんじゃないの」と言われたことを機に少しずつ性格改造に着手。今では「○○君、これってどうするの?」「いや、オレわかんねーからさ」と臆面もなく問いただしながら進めるようになりました。

 感覚的には「年の離れた友達」みたいな感じです。

 確かに時々「お前いい加減にしろよコノヤロー」と思うようなこともあります。明日私が早朝勤務だっていうのに部屋に上がりこんできて「麻雀しましょうよ~」と言って来たり、社員として当然するべき仕事をすっぽかしてレストランを大混乱に陥れたり。

 ・・・でも、ね。そうはいっても、今年の8月にようやく20歳になったばかりのワカゾーですから。それに、そんなヤツでも風邪を引いて元気がなさそうにしているのを見ると、ちょっとかわいそうな感じもしてきます。わざわざドラッグストアで風邪薬を買ってきてやったり、世話を焼きたくなります。


・・・という人々に囲まれて オレは楽しくやっているわけだ。

え? オレ?

いまさら それはないじゃないか・・・。

(いきなり『時のすぎゆくままに』風オチ)

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前略、読者の皆様。日に日に紅葉が進み季節が移り変わるのが目に見える今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 ・・・と、時候の挨拶をしている時点で前略ではないのですが、それはさておいて。実際、私の主戦場であるレストランの窓越しに見る紅葉も徐々に色が変わっています。夜になると気温も4度とか、そのくらいのレベルまで下がってきており、いよいよ秋から冬へ少しずつ動いているのかな・・・と感じるところです。

 そんな中、十和田市街から私の職場のある焼山というところ(20キロくらい離れている)に行く途中の道路情報版に「酸ヶ湯で降雪のため通行止め」という表示がされているのを見て「えっ!?」と声を上げてしまいました。

 皆様も全国ニュースとかで一度は見聞きしたことがあるんじゃないかと思うのですが、この酸ヶ湯というのは十和田市と青森市の中間、八甲田山系にある『秘境』的な温泉地です。そして超・雪が多い場所です。岩手で言えば八幡平とか、そういうところなのかなとも思いますが、秋をすっ飛ばしていきなり冬がやってきたような感じがします。

 地図を見れば確かに私が三十年以上住み続けた岩手県盛岡市近郊から100キロ以上北に行った場所ですからね。当然ながら寒い気候であるとは思いますが、う~む・・・。こんな状況だと、12月とか1月とか2月とかはどうなっちゃうんだろう。ちょっと心配です。


 ま、そうはいってもね。やっぱり今はこの街が好きですから。冬は冬でそれなりに楽しめればいいかなと思います。

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今日は珍しく日曜日休みだったので、十和田市街で開催された「B-1グランプリ」に行ってきました。

 B-1グランプリ。いわずと知れた「B級グルメ」の日本一を決めるべく開催されるビッグイベントです。これでグランプリを獲得することは知名度急上昇、ひいては『村おこし』の強力なカンフル剤になることは間違いないでしょう。

 そんなB-1グランプリ。前回の大会では『十和田バラ焼き』がグランプリを獲得したためか、人口6万人のこの街に日本中からご当地グルメが集結することになりました。すごいことです。

 最近はどちらかというと、こういうイベントに参加する方ではなくセッティングをする方に回ることが多いので純粋に『お客さん』として参加するのは久々な感じがしました。

 時折雨がぱらついたり、私自身の体調が優れなかったりというネガティヴな要素はあったものの、それでも頑張って6品目・2000円相当のB級グルメを味わいました。

 そのまま記憶の中にとどめていてもいいのですが、せっかく全国規模のお祭りに参加したのだから、一応、記憶が薄れる前に思いをまとめておこうと考えたので、ブログに記事をまとめてみたいと思います。


 1:かほく冷たい肉そば(山形県西村山郡河北町)

 これはちょっとしたご縁があったので(詳細はコンプライアンスがあるので書きませんが)真っ先に行ってきました。思いのほかコシのあるそばに、鶏がらベースで味付けをしたスープ、そして親鶏(成長して肉が硬くなった鶏のこと。若鶏ではない)をローストしたものを乗せた代物です。私にとっては「こんな食べ物があるんだ!」と衝撃を覚えたのですが、河北町の人にとってはごくスタンダードな食べ物なのでしょう。これこそB-1グランプリの醍醐味ですよね。

 2:ゼリーフライ(埼玉県行田市)

 実は明石焼きを食べに行ったら混雑しすぎて制限がかかっていたので、「それなら」とばかりに名前だけで決めた一品でした。これはジャガイモと『おから』をベースにした身を素揚げし、ソースで味付けをした、いかにもB級グルメなもので、名前のイメージに反して非常にホクホクした食べ物です。なおこのゼリーフライ、ルーツは日露戦争の頃に中国大陸から伝わったもので、最初は『銭フライ』と呼ばれていたのだそうです。それが徐々に変化して『ゼリーフライ』になったとかならないとか・・・。

 3:油麩丼(宮城県登米市)

 2.のゼリーフライの横に並んでいた店舗。どうしてここを選んだのかといえば地元の中学生諸君が一生懸命PR活動をしていたことと、明治時代の女学生っぽい格好をした女の子がいたことから(これは宮城の明治村と呼ばれるくらいレトロモダンな建物が多数ある街だから)。ハイすみません、料理のことも土地柄のことも全然知りませんでしたが、そのPR活動に心打たれて食べました。とはいっても、甘いタレがしみこんだ登米特産の『油麩』とご飯の組み合わせはなかなか美味でした。ガツンと来るようなうまさというよりも、日本的な、ホッとする味ですね。

 4.佐賀シシリアンライス(佐賀県佐賀市)

 佐賀といえば戊辰戦争の折に敵味方に別れて戦った間柄ですが、『シシリアンライス』という洋食感爆発な名前に惹かれてオーダー。これはご飯の上にサラダを乗せ(マヨネーズ付)、さらにその上に肉を載せたものです。はっきり言って洋食屋のまかない飯みたいな感じですが、Wikipediaによると本当にまかない飯が起源? らしいですね。少なくともシチリア島の人は多分知りません(そもそも向こうの人はご飯を炊いて食べる風習もない)。実際のところ今日のメインディッシュですね。最高においしかったです。

 5.大曲納豆汁(秋田県大曲市)

 私の故郷である岩手のお隣・秋田県は大曲市の名物。すでに2度ほど雨に降られ、『何かあったかいものが食べたい』と思いオーダー。岩手で汁物といえば『あまちゃん』で一躍有名になった『まめぶ汁』なんですが、どうせなら普段あまり食べられないものをね。ということだったんですが、これがまた・・・いや私は納豆好きなのでいいんですが、味はもちろんにおいがね。フワーッと立ち上る湯気を吸い込むと納豆の香りが鼻から口にかけて広がるので、納豆嫌いの人は大変なことになるかもしれません。

 6.とくしま豆天玉焼き(徳島県徳島市)

 この時点でチケットが残り3枚だったので「ちょっと甘そうなものを頼んでみよう」と思いパンフレットをパラパラとめくっていたところ、何やら金時豆を混ぜたお好み焼きがあるらしい! という情報をキャッチしたのでオーダー。甘いものとそうでもないものが共存する食べ物というとやはり久慈名物まめぶ汁なんですがこちらは遠く遠く遠く離れた徳島県徳島市。これから先の人生で四国に行くことなんてあるかどうかわからないので、B-1グランプリ最後の食事として選びました。・・・実際に食べてみると意外と甘さは強くなく、私がイメージする「お好み焼き」として十分においしくいただきました。


 そんなわけで大分おなかがくちくなった私。渋滞に巻き込まれないよう早めにシャトルバスに乗って愛車の駐車場に行こうと思ったら、終了2時間前にもかかわらず100人からの待ち客がいて、結局1時間くらいかかってしまいました。

 その後、愛車に乗って雑用を済ませるため再び十和田市街へ来た私。すでに大会の全行程は終了し、会場はもう後片付け完了度50パーセントという雰囲気でした。

 あれほど盛り上がったお祭りも、こうしてすべてが記憶の中だけの出来事になるのだな・・・と寂しさが募る思いでした。

 でも、「町おこし」はこれで終わりじゃないですから。十和田の町おこしもそうだし、今回参加した日本中の市町村もそう。あくまでもこれはきっかけに過ぎません。今回の大会への参加をきっかけに、もっと色々な街のこと、街のおいしいものを知っていきたいと思います。


 ※ ちなみに今回の優勝チームは千葉県勝浦市の「勝浦タンタンメン」だったそうです。それを知ったのは日本版ウォールストリートジャーナルの電子版でした。ということはウォール街の世界最高ビジネスマンの間にもTowadaとかKatsuuraとかTantanmenという単語が広まったということでしょうか。

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誰かがいなくなっても、その人を見て「こうしよう」と思ったことを実行に移せばいい。そう思った今日この頃です。

心を受け継ぐ、とまでは言いませんが、いいと思ったことは自分自身にどんどん取り込んでいけば、寂しい気持ちも少しはまぎれるような気がします。

実際に一緒に働いたのは1ヵ月半くらいでしたが、色々と学ぶところが多くありました。これからも自分自身を磨き、Aクラスのスタッフになれるよう精進していきます。

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ひとり新しい人が入ってきたら

ふたり慣れ親しんだ人が辞めていく

そんな状況です


単純に人が少なくて一人一人の仕事の負担が大きくなる

そう言った意味でのツラさも、正直、ありますが

やはり、人間的な感情もありますよ


無論、それぞれの事情や考えがあっての決断でしょうから

私にそれを引き止めることはできません

そうするだけの力量も、ありませんし


だから、できるだけそういう、他人に寄りかかることをやめようと努力しています

誰がいなくても、自分は自分のスタイルを貫き通す

そういった実力を身につけないといけないな、という気がするのです


この職場も、そういうわけで、「交差点」みたいなものなのかなと考え始めました

新しい人が入ってきて、ちょっと接点ができても、またそれぞれの目的地に向かう

一緒に働くことは、そのちょっとした接点に過ぎない――そんな風にね


以前、10年勤めた会社は3ヶ月単位の派遣社員だったから

そういった人の出入りの激しさにも慣れているつもりだったのですが・・・

やっぱり、情が入ると変わってきますね


今日は、11時から出勤です

今から色々と準備をして、職場に向かいます

ちょっと思ったことがあったので、サラッと書き込みしました


それでは、また

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(記事の流れの都合上、出てくる登場人物とか内容について多少触れています。ご了承ください)




久々に本を一冊読みました。ずいぶん前に八戸の本屋で買ったものです。

タイトルは『冬を待つ城』。直木賞作家・安部龍太郎先生が我が岩手の勇将・九戸左近将監政実公……の兄弟である久慈四郎政則を主人公に据え、奥州仕置の名の下に派遣された大軍と戦った『九戸の乱』と呼ばれる戦いを描いたものです。

この戦いをモチーフにした物語と言えば、なんといっても高橋克彦先生の『天を衝く』なんですが、『天を衝く』が凄まじいパワーで一気に駆け抜ける烈火の如き物語だとすれば、こちらは様々な人の思惑・理想・信念などが複雑に絡み合う重厚な物語です。

戦いの当事者は政実公と南部信直公なんですが、どさくさに紛れて自分の野心を満たそうとする津軽為信や伊達政宗公、そして秀吉と、その名を借りて暗躍する石田治部殿……。

これら歴史上の人物にくわえて、人里離れた山中に隠れ住む者たちが合わさり、話はまだ東北の人たちが『蝦夷』と呼ばれていた時代までさかのぼります。時間とかクーカンとかヤカンとかを自由自在に行き来し、ちっともトンチンカンではない物語にすっかり飲み込まれてしまいます。

なかなか忙しいふりをして、読了するまで長い間があいてしまいましたが、何とか最後まで読み切ることができました。そして物語の佳境から終章までの展開に心がじわりとしてしまいました。無論、この戦いの結末がどうなったのかは言いませんが、読んでいたのが公共の場所でなければ、しばらく感涙にむせんでいたことでしょう。


史実とも高橋克彦先生の物語とも違う、新しい『九戸の乱』。人によっては途中で「あれ?」と思うような展開もありますが、ともかくとても面白いです。東北人も、東北人でない人も、ぜひ一度読みましょう。

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どこかの高校ではウミガメと触れ合う授業があり

3人の女子高生が青い海の中で大きなウミガメを囲んでいた

そんな夢を見た犬神です


夢だからそのことについてどうだこうだと言うつもりはありませんが

妙に印象的というか、楽しい夢だったので

忘れないようにするために、誰も求めていないでしょうが、記事を書きます





あとは、年に数回見る『学校の夢』

15年ぶりに再会した同級生たちと高校の文化祭に行き懐かしさを感じる・・・

そんな夢でした

私から見る彼らはあの頃と変わりありませんでしたが

私は自分が34歳であることを夢の中でもわかっていたので

彼らを見る私の気持ちは「ああ、懐かしいなあ」という感じでした





心がちょっと疲れているのかもしれません

色々と過去を懐かしんで、何か癒されることを求めているのかもしれません

今度、「グラン・ブルー」か何かを借りて見てみようかと思います

元々海とか、ああいうところは大好きなのでね

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シルバーウィーク、皆様いかがお過ごしでしょうか?

当ホテルは連日連日満員御礼

目の回るような忙しさです


でも、これってとっても、ありがたいことなんですよね

どんなに素敵なホテルでも、お客様が一人も来なかったらクローズするしかないわけですし

遠路はるばるこんなところに来てくれたんだから、めいっぱい楽しんでもらわなきゃ!

そう思って、今日もお仕事をしています


ただ、理想はあっても現実的には作業作業の連続で、文字通り目が回るような忙しさです

書き物もあるし、力作業もあるし

気をつけていても心が千々に乱れて、お客様そして私自身が求めるような仕事ができなくなってしまいます

これでは、いけませんよね


いつも心に余裕がないと、サービスの仕事はできません

これはウチの支配人からも言われたし、お客様アンケートにも書かれたことです

何かを「こなそう」として全力になりすぎると、かえってよくないようなのです

これは私にとっては大いなる矛盾であり、「じゃあ、どうすればいいの?」という感じです


そんなこんなで、ここしばらく、気持ちが沈みがちだったのですが……

今日は少しだけ、ひとりでゆっくりと考える時間があったので、こんなことを書いています

久々にカクトウログとかプロレスラーの方のブログとかも読みましたから

文体とかは、ちょっとそういうのを意識して、コンパクトにまとめています


ま、そんなこんなで

今はちょっとツライ時期なのかもしれませんが、持ち直すきっかけはつかめそうです

いっぺんに状況が変化するわけではないでしょうけど、少しずつ上向く

そう信じて、急がず焦らず参ろうと思います(なぜか「おじゃる丸」風オチ)

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「心配するな! ニコンF4など30万円以上するのにバカスカ売れている!」「このカメラのライバルはニコンF4だ!」

これはこち亀63卷「夢の珍発明!P.C.カメラ」の中に出てくる両さんのセリフです。いわゆる「てめえじたばたすると写すぞ!」が出てくる話なんですが、その前半部では、

「たぶん当時、秋本先生はすごくカメラに凝ってたんだろうなあ」

と思わせるようなカメラうんちくが出てきます。まあ後のパソコンうんちくと比べると控えめですが。このマンガでフォトスナイパーというカメラを知った人、多いんじゃないかな。


私もこの年齢になり、またカメラに関して色々と興味が出てきたことで改めて読み返してみたのですが、当時はわからなかった高度なギャグが盛り込まれていたのだな…ということに気づきました。

両さんがニコンF4のライバルとして売り出そうとしたのは35ミリAFズームレンズ付き「二眼レフ」カメラ。もちろん当時でさえ二眼レフというのはレトロ感あふれるアイテムなんですが、そもそも二眼レフカメラというものの構造を考えると相当おかしな代物なんですよね。

しかもこれ、一台製作するのに20万円もかかるらしくて、結局「それでも売れる!」と言い張る時にニコンF4が引き合いに出されたんですよね。

他にもマミヤ二眼レフ用300ミリ望遠レンズというのが出てくるんですが、このレンズF30という・・・多少でもカメラに詳しい方ならわかると思いますが、とんでもない暗さなんですよね。これはちょっと無理でしょう。

そんなわけで、ちょっと書いてみました。なお扉絵は「私の好きなカメラ」と称してオリンパスOM-2が紹介されていました。このOMシステムについては本当にごく最近知ったのですが、完全に自分の好きなようにカスタマイズできるんですね。「秋本治虫仕様」と銘打ったそれは、確かにオリジナル仕様です。

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ウス!

本来スタンドアロンで利用するために十和田で買ったPC(xp)が、結局ネット接続用になってしまった

いぬがみです


今日は休みなんですが、実家には帰らず十和田市の社員寮にいます。まあ先日還ったばかりで特段の用事がないからというのもそうなんですが、折からの悪天候により「あまり遠出はしないほうがいいな」と思ったからです。今日はもちろん八甲田ロープウェイも完全閉鎖中でしょうし、まあ部屋の片付けとか、積んでいた本を読むとか、そういうことをして過ごそうと思います。

最近は意外とこういう時間、なかったんですよね。仕事中の時間はもちろん仕事に集中! してますし、それ以外の時間は主にマージャンをしています。というのはこないだも書いた通りなんですが、最近もうひとりマージャンができる人を見つけたので、いよいよ本格的な四人打ちでできるようになったのでね。昨日も午前3時半まで打ち続けました。もう昨日じゃなくて今日なんですけどね。

マージャンはとても面白いし、それを通じてコミュニケーションをとることも大切なことだし、とてもいいことだと思うんですが、その一方でたまには本を読んだりする時間もほしいなあと思うのも人情。一日は誰にも二十四時間しかないので不平不満を言うつもりはありませんが・・・・・・ま、今日という日をそういう日に当てれば、結構充実させられるのかなと。そう思っています。


それにしても今回の大雨災害は・・・東北は現在進行形なんですが、大変なものがありますね。関東では鬼怒川が決壊し、このブログを書いている今現在は宮城県大崎市の渋井川が決壊したというニュースを放送しています。見ると住宅地が水浸しになり、消防隊員の人がボートで移動している様子がリアルタイムで放送されています。うーむ・・・・・・。

いったん川が決壊すると、こんなに大変なことになってしまうのですね。私の今いる社員寮とホテルも山の上にあるので、正直なところあまり激しい雨が降ると土砂災害の心配があります。何もなければよいのですが・・・。

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ウス!

実家に帰ってはいるものの

PCの電源がいきなり落ちるのでスマホとキーボードで記事を書いています

いぬがみです

今日は時計の修理代金・いきなりパンクした車のタイヤの交換代金などですでに2万円以上消費しているのに、この上PCまで?

無理無理無理無理


・・・気を取り直して。

今日は色々と雑用をこなしながら、こないだ手に入れたアサペンを手に少し街歩き。その後図書館に行き、カメラ関係の本をちらほらと眺めました。

電気式露出計のついた私のアサペンを、きっとライカとかコンタックスといった格調高いカメラをお持ちの方はクラシックカメラと認めてくれないでしょうが、一応1965年頃までに作られたカメラをクラシックカメラを呼ぶ、と読んだ本には書かれていました。

というわけで、1964年製のアサペンを持つ私も一応ライカに憧れる資格はあるのかな? と思ったので、一冊まるまるライカを取り扱ったムックを読んだりしてきました。

なんか湾岸ミッドナイトでも同じようなことを言っていましたが、ドイツの工業製品は最高です。その精密この上ない機械を愛する気持ちはよくわかります。私も鈍色のライカM3を携える空想をしながら写真のそれを眺め、ため息をついてきました。


ただ、私はあくまでもライカを「写真を撮る実用機械」として考えているので、フィルムを入れずにシャッターを切って悦に入るとか、何台も何台も集めてケースに入いれて眺めるとか、そういうのをしてみたいとは思わないんですよね。

そういう意味では、私はコレクターにはなれないし、現実にライカユーザにはなれないような気がします。現実問題としてマニュアルカメラの堅牢さに電気式露出計の便利さを併せ持つアサペンの方が便利な気がしますし。

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前回の続きですが、今にして思うと、手に入れた経緯というほど大したことはないんですよね。十和田のハードオフで見かけて、3日くらい考えて、買いに行った。そのくらいのことです。

私が手に入れたのはよくあるシルバーのものです。昨日同じ店に行ったら中古市場ではちょっと珍しい? ブラックボディのものが、私が手に入れた値段の半額で売られていたので「ちょっと先走りすぎたかな」と思いましたが、どうやら値段の違いはレンズのF値の違いのようです。私が買ったのにはフジノン製F2.2のレンズがついていましたが、それはもう少し暗い値だったのです。

まあ今までF4.5くらいの値のレンズしか使ったことがなかった私ですからね。高校の写真部の備品でF2.8のレンズを使わせてもらったことはありましたが(高価なのでいつでも自由に、というわけにはいきませんでしたが)、どちらにしても十分にすばらしいF値だと思います。その上で、価格相応に高性能なレンズがついていたのだなと納得したので、この件に関してはOKとしています。

ところが、このペンタックスSPというやつは、露出計を動かすための電池に現在では生産されていない『水銀電池』というものを使わなければいけません。α-Sweetなどの一眼レフはリチウム電池だったし、いつの時代もカメラというのはちょっと特殊な電池を必要とするものです・・・って、当時は割りと一般的だったのかもしれませんけれどね。

これはさすがのハードオフにもなさそうです。また十和田市や地元のリサイクルショップも巡ってみましたが、それでもやはり見つかりません。それなら、って言ってネット通販で・・・とやれば話は早いんでしょうがせっかく半世紀も前のアナログカメラを手に入れたのだから、その部品もできればお店で手渡ししてもらいたい! と思ったので、盛岡駅から10分ほど歩いたところにある「カメラセンター松村」さんに行ってきました。


このお店は『中古カメラ専門店』をうたっているところで、1985年創業(今年で30周年!)の老舗です。外側からショウケースを眺めたことはありますが、クラシックなカメラが中心で、私のような分際には少々レベルが高いな…と思ってしまうような場所でした。

正直なところニコンF型とかライカM型とか、それくらいのカメラを持っていかないと門前払いを食らうんじゃないか・・・とドキドキしながら伺った私。しかしながら、現在生産されていないような部品を扱っていそうなお店といえば、ここくらいしかありません。とりあえず相談だけでもしてみよう! と思いアタックしてみました。

…思いのほか、私の手に入れて間もないペンタをほめてくれた松村店長。用件を単刀直入に伝えたところ「いや~この電池受けのところが液漏れで錆びて使い物にならないのが多いんだけど、これはきれいだね。いいものを持ってるね」・・・後にネットで調べてみましたが、確かにそういうものらしいです。

色々とお話を伺ったところ、水銀電池の代わりに現在市販されている酸化銀電池を使えばいいということで、そのためのアダプターもある・・・ということで一件落着かと思ったんですが、このSPは電池の形式がちょっと特殊らしくて、店頭に並んでいるアダプターでは形が合わなかったんですね。

そのため、本来は売り物ではない松村店長のストック品から、現在市販されている酸化銀電池を使うためのアダプターを譲っていただきました。市価の半分くらいの値段でした。

「せっかくいいカメラを持ってるんだから、使ってもらいたい」

デジタルカメラを一切取り扱わないカメラセンター松村。店の奥の棚には全世界のクラシックカメラ愛好家が憧れる(?)ライカの名機がずらりと並ぶカメラセンター松村。そして私のような駆け出し(+出戻り)のカメラコゾーも温かく受け入れてくれたあげく「また来てくださいね」と去り際に言ってくれたカメラセンター松村。

「人の心と心を結ぶ信頼の目印」とはアサヒペンタックスのCMのフレーズですが、私もまたこのカメラを所有することで、ひとつの信頼関係を作ることができたのかな、という気がします。こうなると、まだ夢のまた夢というレベルですが、いずれはライカも……手にしたいものです。


その日の夜、ヤマダ電機で買った酸化銀電池を入れてスイッチオン。…説明書どおり、ファインダーの右端にある露出計の針がピョコン! と跳ねました。すべて正常動作のようです。

再び、私のカメラ魂が動き出したようです。しかも今度は、あの頃よさが理解できなかったクラシックカメラを携えて。

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これでも元写真部で、2007年ごろは愛機の一眼レフ(ミノルタ・α-sweet/300mm望遠レンズ)を持って色々と写真を撮っていた私。

何せ写真部に入って初めて持たせてもらった一眼レフ(部の備品)がキヤノンのEOS650だったので、カメラといえばAFが大前提でした。さすがにプログラムAEは使わせてもらえませんでしたが、絞り優先にせよシャッタースピード優先にせよ、ボタン半押しで全部カメラさんにお任せしてこそきれいな写真が撮れるんだ、と信じて疑いませんでした。

そういったこともあり、社会人になってようやく自分のカメラを手に入れた2007年ごろ、どうして隣にあるクラシックなMFカメラの十分の一くらいの値段で陳列されているのか、今ひとつ理解ができませんでした。なんと言うものか忘れてしまいましたが、少なくともAF機能なんかはついていない時代のやつです。


その愛機も故障により「今はもう動かない……」古時計状態となり、さらに手っ取り早くて画質もきれいなスマホのカメラを主に利用するようになって、すっかりカメラ熱も冷めてしまった私でありましたが、たまたま立ち寄った十和田市内のハードオフで「!!!」な出会いをしてしまいました。

それは「アサヒペンタックスSP」。今から半世紀以上前に発売され、当時の価格で5万円くらいしたのに(公務員初任給が2万円くらいだった時代だそうです)よく売れた名機です。



これは当時放送されたCMですが、私はもちろん生まれていないのでyoutubeで見ました。ツインテールという髪型は昭和40年代からあったのであり決して最近オタク文化の海から生まれたわけではないのです……いや、そっちじゃなくて。

通常この手のカメラといえばバカ高いプライスタグがつけられているか、どこかしら故障していてジャンク品扱いで投売りされているか(そしてそれを自分で修理するのが玄人なんでしょう)といったところでしょうが、この十和田ハードオフに陳列されていたのはきっちり保証がついたなかなかの良品。しかも値段も1万円と、ちょっと頑張れば手が届くレベルです。


3日ほど悩んで、ついに買っちゃいました。


CMの影響もあります。でも、より大きな理由としては「当時の職人さんたちの高度な技術と情熱が詰め込まれた機械を愛したい」ということのような気がします。それは現在オーバーホールに出している、1968年製の腕時計「シチズンセブンスター」にも共通します。

カメラを買った経緯やその後のことなど、色々と書きたいことはありますが、いったん区切りといたします。「らいか・デイズ」の向こうを張って「あさぺん・デイズ」始まりです(?)。

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たかだか34年程度しか生きていないので、人生とはこういうものさと語るにはまだまだ早いと思うのですが、色々と考えることがあったので、それをまとめてみたいと思います。

誰に言いたいわけではありません。ちょっとしたメモ書きのようなものです。ただ、それを誰の目にも触れるようにしておくことにします。もしかしたら、何かの役に立つかもしれないのでね。


昨日、会社で仕事をしている時アルバイトで来ている子(ジョシコーセー)が同僚の女の子(23歳)と一緒に恋愛トークで盛り上がっている時、過去に戻って人生をやり直したい…なんてことを話しているのを、黙々と仕事をしながら聞いていました。ええ、内心では「オメーら、頼むから仕事してくれよ〜」と思っていましたが、言うに言えないオクテな私なんです。

それはともかく、まあ誰しもが一度は考えることですよね。もしあの時に別な選択をしていれば、きっと今頃はもっと……なんてね。

でも、現在の自分のことを考えた時、

「今のおれは、あえて過去を修正したいとは思わないな」

そう思っていることに気づきました。

確かに今の会社に入ってからは、けっこーツラい日々が続きました。入社してから8ヶ月くらい「いつ辞めてやろうか」ということを毎日考えながら仕事をしてきました。まあウチの会社のエライ人(常務とかそういうクラスの人)は「おれは自分から辞めさせることはしないから」と常々言っていたのでね。そうなると、あえて自分から辞める根性もないので、言うだけなんですが。

8ヶ月が経過した頃(今年の4月)現在のホテルに出向という形で異動になり、そこでもメタメタにやっつけられました。しかしながら、自分から『辞めてやろう』と考えることは少なくなりました。大きなミスをして進退問題になりかけた時は、「志半ばで倒れるのか……」とすごく名残惜しい気持ちになりました(始末書程度の処分で済んだ)。

今では、はっきり言ってこの仕事もこの会社も、大好きになっています。周りには辞めたい辞めたいと言っている人もいますが、私の中ではまったく辞めるつもりはありません。すべてが楽しいとは言いませんが、ここに来て、いきなり夢とか希望とかといったものが見えてきたのです。そして、

「やっぱり、辞めなくてよかった」

そう思うのです。


結論。その時は間違った選択をしたと思っても、後々になって思いがけない僥倖(ぎょうこう)へとつながることが、あるようです。だから今がツラくても、少なくとも自分から逃げ出すようなことはせず、何とか耐え忍んでいきましょう。

とはいっても、ただ我慢するだけではダメみたいです。じっと我慢しながらも、風が吹いてきた時にヤイサホーと叫ぶために(※)爪を研いでおかなければいけません。これは社会人歴11年のうち10年を無為に過ごし、いざという時に爪がボロボロで死にそうになった私の体験から得た事実です。

そう思えば、たぶん、大体の困難は乗り越えられると思います。『努力と根性』。それが空言ではなく実言(※※)であることを証明するため、もうしばらく私はがんばります。

(※  意味がわからない人は「ヤイサホー ゲバル」で検索)
(※※ こういう言葉はありません。私の捏造です)

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今この記事は人差し指でタッチして書いていますが、このほどテザリングの環境がようやく整ったので、その気になればこの十和田の地でもPCからブログを書けるようになりました。

明日は早番なのでもう寝ますが、とりあえず書いてみました。何よりもPCでしかできなかったリングドリームが実家以外でも出来るのがうれしいです。これは私にとって百万の援軍を得たくらいに心強いです。

そんなわけで、明日からも頑張ります。

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本来であればこの時間のブログは実家のPCで更新しているのですが・・・今日はスマホから更新しています。

なぜかといえば、午前0時から麻雀につきあわされ、帰るタイミングを失ったからです。明日は休みですが、今回は十和田で過ごすことになってしまいました。

まあせっかくパイを持ってきてくれたのでね。どうせやるならやっぱりコンピュータ麻雀じゃなくて手積みでパイを握るものがよろしい。諸事情により三人打ちですが、それでも十分に楽しさは味わえます。

ひとりコンピュータ麻雀ばかりやっている人間がいるので、いきなり役なしでアガるなど本来であればチョンボ対象になるような事件もたまにありますが、まあそいつは私よりも一回り以上若い人間なのでね。とりあえず今はルールと麻雀のおもしろさそのものをわかってもらうため、大目に見ています。

ちなみに私は狩野洋一先生の「みてわかる麻雀入門」という本を使って小学生の頃に麻雀を覚えました。動機としては、こち亀で両さんたちが麻雀をするシーンをみて、その大人っぽさにすごく憧れたからです。そのくらいこち亀が好きだったんです当時のね。

お酒を飲み、タバコを吸い(卓を囲むほかの二人だけですけど)、時にはラーメンをすすりながら麻雀を打つ・・・。私は行ったことありませんが、マンガで読む雀荘とかって、こんな感じなのかなって。そう思いました。


前回実家に戻ったときBruetoothのキーボードを持ってきたので、今後はこんな感じで短くどうでもいいようなことも書き込みしていきたいと思います。目標としてはかつてのような毎日更新ですね。

やっぱり、こうして色々と少しずつ自分の思いを吐き出すことによって精神衛生上いい効果が現れると思うし。・・・とか何とか言ってますが、今の私にもっとも必要なのは睡眠ですね。それでは、おやすみなさい・・・。

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昨日はちょっとまじめな? 話をしたので、今日はどうでもいい話をします。

最近は前よりもカラオケに行く機会が増えました。相手によって私もある程度自分の歌う曲をチューニングするタイプの人間なので、サザンからボカロまで何でも歌います。結構、歌うの好きです。

そうやって色々な人とカラオケに行くと、やはり音楽というのはその人の性格とか志向とか、そういうのがモロに出てくるものなのかな? という風に思います。


私も今年で34になりました。そのせいか昔と比べると好きな音楽のジャンルというのは結構幅広く、J-POPから海外のエレクトロ系まで本当に節操なく聞いています。

反対に十代の頃は狭く深く、がモットーでした。もはや好きな音楽というか、自分の思想そのものでした。その世界観にどっぷりとはまり、自分を投影して現実世界との壁を作ることで何とか自分を守っていたのです。

モダンチョキチョキズ。筋肉少女帯。人間椅子。戸川純。椎名林檎。マリリン・マンソン。いずれも一風変わった、というか、モダチョキ以外は激しく切りつけるまたは叩きつけるような音楽ばかりです。

ダメでダメでどうしようもない自分を守るためにそういったダークな音楽を聴き、ひそかにこの世を呪い焼き尽くす空想をした日々(もちろん、実際にそんなことをする度胸がないことを十分に認め受け入れつつ)。

そんな音楽を聴きながら澁澤龍彦の本を読み、その流れでサドの小説を読みまくっていた高校時代。そうやって生きてきたので、心のコアな部分は恐ろしくこんがらがってしまったようです。最近は大分ほどけてきましたけど。


一方で感傷的な歌詞に必要以上に感情移入して涙することで気持ちをニュートラルな状態に持って行くこともありました。それが今回書くCoccoという人についてです。

この人は確か高校1年の頃、同じ写真部に所属していた先輩から教えてもらいました。妙に暗くて殺伐としていて、すでに人間椅子などを聞き込みJ-POPのたぐいを軽蔑してやまない状態に陥っていた私の心にストーンと入り込んできました。

その先輩はどちらかというとふくよかな(今風にいえば「ぽっちゃり」)、笑うと目が線になる女性でした。そういう見た目から一緒にはなしていると何となくふんわかしてくる感じで、サカリがついていた高校1年生の犬神君はソッコーで片思いモードに突入していたのですが、一方でそのぽっちゃりな自分の容姿を気にしていたり、結構繊細なところもありました。

自分としてはそんなに気にすることではないと思ったので素直にそのことを伝え、何とか元気を出してもらおうと思ったのですが、夏休みが終わるとその人は部室に来なくなってしまいました。別な先輩に聞いたところ、ひっそりと退部届を出していたのだそうです。

その現実をCoccoの1stアルバムに収録されている「遺書。」という歌に重ね合わせ、叶わぬ思いに涙を流したりしました。


その後、その先輩と会うことはなく、Coccoの方も「強く儚い者たち」(友人曰く不倫の歌)あたりまでは聞いていたものの、それ以来はすっかりご無沙汰です。


なんか無駄に長くなってしまいましたが、そもそもどうしてこういう記事を書こうと思ったのかというと、まあ先述したようにカラオケ云々という話もあるのですが・・・。

どうやら同じ職場で働いている女性スタッフ(22歳)が人間椅子やマリリン・マンソンを聞いているらしい、というのを知ったからなんですね。

で、「自分の方が好きだ」ということを暑く語ってドン引きされないようこの場を借りてガス抜きをしたかった。そういうことなんです。読まされる側としてはたまったものではないでしょうけど、ま、そこはそれとしてご了承ください。


そんなこんなで長々と語ってきた私がいま聞いているのはゲームのサントラだったりします。だから好きな音楽って何ですか? って聞かれると本当に答えに困るんですよね~・・・。

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今日は休日。そういうわけで岩手に帰ってブログを更新している犬神です。

ただし、今日はいつものようにいきなり岩手に帰ってきたわけではありません。現在岩手に帰省している弟者を十和田市に呼びつけ、十和田湖・奥入瀬渓流などを見せて歩いた後に一緒に帰ってきたわけです。

私にとって十和田湖周辺は半分ホームグラウンドなので、ガイドよろしく説明を交えながらご案内。ひとつの思い出を持たせてあげる事ができたのかな、と思っています。


さて十和田湖・奥入瀬渓流というのは私ごときが語るまでもなく超・有名な観光スポットでありますが、実際どうなのかというと……奥入瀬渓流の方はともかく、十和田湖周辺は全盛期を過ぎた状態であると言わざるを得ません。現実としてクローズしてしまった土産物屋あるいはホテルなどが少なくないのです。かつて多くのお客さんが入ったであろう建物は今や廃墟と化し、あたりの寂しさを強調するようです。

もちろん、そんな状況でも元気に営業している土産物屋はたくさんあります。特に今日は日曜という事もあり結構観光客の姿も多く、なかなか活気のある雰囲気でした。そうなればいくら半分ホームグラウンドとはいえ半分は岩手県民の私もついワクワクしてしまうというものです。

というわけで何軒か土産物屋をまわり、ちょくちょく買い物をしたり店先の屋台で買い食いをしたりして満喫したわけですが、この十和田湖の土産物屋というのは極めて昭和感が強い! んですよね。

昭和なおみやげの大定番である『ペナント』は、今回は発見することはできなかったのですが、それでも少々色あせた絵葉書セット・国鉄というキーワードが連発する旅行ガイドブック等々、ひょっとすると30年以上この店先に並び続けているんじゃないのか? と思われるような代物がザクザクと出てきました。

それに加えて、ふた昔くらい前によくあったファンシーグッズの数々。今でも「これのどこが、この場所に関係あるの?」と首を傾げるような土産物はよくありますが、この十和田湖の土産物屋はその陳列量が半端じゃありません。可愛らしいイラストでねぶた祭の様子などが描かれた貯金箱やレターケースなどはまだよろしい。どうして十和田湖まで来て星条旗を全面にあしらったカンペンケースやユニオンジャック柄の灰皿など、英米コンプレックス丸出しのグッズを買わなければいけないのでしょう。このあたりで頭がクラクラしてきました。

とにかくこの十和田湖周辺は、土産物屋も含めて世界遺産に登録したほうがいいんじゃないか? というくらい昭和レトロ感にあふれています。皆様もぜひ足をお運びください。そして昭和の空気がそのまんま残っている土産物屋に行き、ふらつきながら星条旗グッズを買っていってください。


と、ここからはちょっと真面目な? 話。

その星条旗グッズ云々とは別なお店に行った時のこと。お店の人からいきなり猛烈な勢いで話しかけられ、私も精一杯の受け答えをしたのですが、その流れで今は地元の某ホテルで働いていることをしゃべってしまいました。

まあ別に私は潜入捜査官とか、そういうのではないので別に職業を明かしても差し支えはないのですが、

「いつもイベントをやってくれれば、お客さんがたくさん来てくれていいよね」

という言葉を聞いた時は、思わずハッとしました。

確かにお客さんがたくさん来れば忙しいし、忙しければそれなりにしんどいのは否定しませんが、私たちホテル業も土産物屋もお客さんが来てこそ成立する商売。ヒマを持て余すような状況とは、すなわち生活が成り立たなくなる危機的な状態でもあるということです。

お店のオバサンも明るくハイテンションな状態で語るので私も笑顔で「いや〜本当にそうですよね〜」とライトな感じで受け答えしたものの、ずっとこの場所で土産物屋を経営しているオバサンからしてみれば、私なんかよりもずっとそのことを切実に感じていることでしょう。

そういうわけで、改めて申し上げます。

十和田湖、本当にいいところです。広くて大きな湖もそうですし、彫刻家・高村光太郎氏が制作した『乙女の像』もあります。龍神伝説のある十和田神社周辺はいわゆるパワースポットとして知られています。そしてそんな十和田湖周辺にある土産物屋では地元の名産品である『ヒメマス』料理やリンゴ味のソフトクリーム、そして時空を超えた多くのおみやげがあります。

だから、皆様、ぜひ足をお運びください。できれば周辺のホテルで一泊して、ゆっくりゆ〜っくりしていってください。よろしくおねがいします。

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ウス!

7月末から昨日まで17連勤

犬神です


いえ、疲れてないです

(棚橋さんふうに)



……では本題に入ります。

私の10年以上の社会人生活において最長記録を更新した今回の勤務。確かに身体は疲れているような気もしますが、毎日気持ちにとても張りがあり、仕事の上では何とかうまく乗り切ったような気がします。忙しかったけれど、それでも何とかやり過ごしたから、いい経験になったのかなって。

それだけに、気持ちは結構、おだやかです。もちろん休日(ただし1日だけ)でこうして実家に帰りブログを更新している今ほどリラックスできる時間はないのですが、それでも比較的いいテンションで日々を過ごすことができた気がします。

どうしてなのかといえば、やっぱり、今の仕事を好きになったからなのかもしれません。

「誰でもが好きな仕事につけるわけではない」「好きを仕事にするとつらくなる」色々と話を聞きます。でも私のように、大して好きなわけじゃない状態からスタートして、1年余りやっていくうちに好きになってしまった人間は、強いと思います。だって後はプラスしか無いんだから。

そうです、私、今の会社に入って1年が経ったんです。2014年8月3日、あの日から始まった私の第二の人生。プライベートを楽しみ、さらに仕事をも楽しむ――10年以上時間がかかりましたが、ようやく新しいステップを踏み出すことができたのかな。そんな感じがします。


色々と書きたい気持ちが溢れて仕方がありません。でも、それを上手にまとめることができないので、いったんこれで終わりますが、誰にきくでもなく頭に浮かんだ言葉がありました。

「人生を、愛せ」

当然こんな感じの名言、誰かが言ってるだろうと思ってGoogleで検索したところボブ・マーリィがそんなことを言っていたんですね。私はあまり詳しくないのですが……まあ、いいでしょう。別に私は「いい言葉」コレクターではないので、それ以上深く検索することはしませんでしたが、それで自分の気持ちをリセットしたり体勢を整えたりすることができるのなら、それでいいのかなという気がします。

それを踏まえて、もうひとつ。

「心温かきは、万能なり」

……本当は『バキ』209話で読んだ「心涼しきは無敵なり」の方を先に知ったんですけどね。

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(今日はシラフですが、色々あって混乱しています)


仕事が好きになって、もっとクオリティの高い仕事をしたい! と思えば思うほど泥沼になっている私。あと15時間後にはまた十和田市に向かいますが、とりあえず今は実家に帰ってきてしまいました。

なんか、わからなくなってきています。あえて色々と書くことはしませんが、とにかく巨大迷路に迷い込んでしまったようです。

出口が見えないし、ヒントを聴く人もいない。私の得意技である「勢い任せ」が通用しないので、心身ともに激しく消耗しています。

くわえて家庭内でも何かとトラブルに見舞われている日々。実家もまた安息の場所ではないようです。


今日は真夜中の国道4号線を爆走しながら13年ぶりくらいにマリリン・マンソンの「ホーリーウッド」を聞きました。私の人生で2番めに危険な精神状態だった頃、かろうじて踏みとどまることができたのはこのマンソンと椎名林檎の『勝訴ストリップ』をあわせて聴きまくっていたから。これ以上危険な精神状態になったら、あとはもうパキシルかメイラックスしかありません。処方箋なしで心に効く最も強力な薬がコレなんです。

そんなわけで、今日は生きています。でも明日生きているかどうかはわかりません。そのくらい、気持ちが切羽詰まっています。激しく落ち込んだり泣きそうになったりやり場のない怒りに身を焦がしたり。34年という人生経験があるから何とか理性でコントロールできているものの、結構わからなくなってきています。仕事のことも、自分自身のことも……。

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じつに3週間ぶりくらいの更新になってしまいました。

この3週間はとにかく毎日ノンストップで走りまくった……そんな日々だったような気がします。仕事をして、帰ってきたらお酒を飲んで寝て、たまの休日は実家から持ってきたPS3と「龍が如く4」をプレイ。日がな一日キャバ嬢攻略に熱を上げるなど、そんな日々を送って来ました。結局ストップするチャンスがあっても、それを無為に過ごしていたため、こんなことを言っているだけなんですよね。

といって別に、それに関する是非を問うつもりはありません。振り返ってみればそんな感じだったな。それでOKです。

ただ、今日はせっかくPCから長い記事を書くことができるので、ゆっくりと日々を振り返ってみたいと思います。


まずは、今年の4月下旬に十和田のホテルに来たので、ちょうど3ヶ月が過ぎましたという話。

一口に3ヶ月と言いましたが、結構な時間です。ただ、その3分の1(今月)は仕事に慣れてきたからというのもあるのか、「気がついたらそうなっていた」という感じです。日々のメモ書きもおろそかになったし。――でも、失敗して怒られる回数は減っているので、きっと進歩しているんでしょう。まあ他の人からしてみればカメの歩みでしょうけど、それでもいいんです。今の私には夢がありますから。その夢に向かって邁進している。そういう手応えがありますから。

さらにいえば、この8月で今の会社に就職して1年くらいが経つことになります。確か前の職場を6月いっぱいで追い出され、今の時期は『龍が如く5』をプレイしながらハローワークに通い詰めていたものですが……うん、何とかなるもんですね。

その時点では「とにかく金を稼がなきゃ生きていけないから、この際なんでもいいや」的な考え方で就職し、3ヶ月やってダメなら辞めようと思っていたのですが、もう1年が経とうとしています。そして今では、この接客の仕事がちょっとだけ好きになった私がいます。

仕事を仕事として割り切ることは、間違っていないと思います。私の最初の10年間はそういう思想でしたし。

でも、仕事としてやっていることを好きになれたら、それはとっても強力な武器を手に入れたことになると思います。「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったもので、どんなことでも楽しく感じられるようになるし、もっと深めたいという気持ちも理屈ではなく感情で起こるからです。

果たしてこれからどこまでのし上がれるのか、それはよくわかりません。あまり詳しくは言えませんが、ちょっと不穏な噂も立っています。ただ、私自身はとにかく今の仕事をやれるだけやりたいと思います。そして次のステップへつなげられる足場固めをしっかりしたいと思います。

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33歳はそれまでの会社を辞め、転職し、3日で辞めさせられ、また転職し…その後、散々な目に遭いながら生きてきました。

でも、何とか一年近くやっています。

だから、来年の今日もここにいられるよう頑張ります。

今日で34周年。

ようやく夢を見ること、夢を引き寄せ叶えるために努力できるようになった気がします。

だから、頑張れる。やっぱり夢があるから頑張れる。

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月またぎで思いがけず連休になったので、「近いけど、行っていなかったところに行ってみよう」と思った私。さしあたって青森県と岩手県の県境近くにある三戸城跡に行って来ました。これは岩手の大名『南部氏』が江戸時代に盛岡に移る前に住んでいた場所で、信長の野望とかでは最初の拠点として設定されています。

今は昭和時代に復元された天守閣があり、そこに歴史的なものが展示されているのですが、やはり「ここから南部氏の歴史が始まったのだな」と思うと非常に感慨深いものがあります。

しかしながら、日本人らしく判官贔屓したい犬神は同じ南部氏の中のもうひとつの勢力・九戸左近将監政実公を代表とする「九戸党」への思い入れも強いため、そこから東のほうにある『九戸村』にも行って来ました。

九戸氏が代々戦勝祈願を捧げたという『九戸神社』、九戸氏の菩提寺であり政実公が手植えされたという伝説の残る松がある『長興寺』そして今の宮城県で首をはねられた後、それを家来が持ち帰って埋めたとされる『首塚』……。

この首塚には『異夢同根の樹』と名付けられた二本の木があります。これは松と楓がぐるりと絡み合ったもので、それぞれを政実公そして政実公と後継者争いに勝利した南部信直公にたとえ、「対立はしたけれど二人とも南部の地とそこに生きる人たちを思っていた」というメッセージを表しているそうです。そう思うと、なんか熱いものがこみ上げてきました。


さらにそのあとは「普段はなかなか行けないところに行ってみよう」と思い、そこから30キロくらい離れた久慈市へ。そして昨日の記事に書いたように、久慈市から大槌町までグーンと南下して帰ってきた次第です。

普段からしてみれば、とにかく超ロングディスタンスな旅でした。しかしながら、今はとにかく車の運転が楽しかったので、大槌町から実家までの道のりもまったく苦ではありませんでした。元々車は好きでしたが、やはりホイールを交換してからは、よりいっそう車が好きになりました。まさにラブドライブです。ラブライブじゃありませんよ。

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前回のエントリで書いた通り、ホイールだけは超一流になった私の愛車。その動力性能は走りこむほどに格段のものであると分かって来ました。

私の職場と実家の間には(コース取りにもよりますが)いくつものワインディングロードがあり、そこを「頭文字D」さながらに走りまくるのが、とても楽しく感じられるようになってきたのです。といってもスピードレンジは漫画の半分くらい、つまりどんなにスピードを出しても時速60キロ前後であり、急カーブではスキール音が鳴るはるか手前の速度になるまでブレーキを踏んでから曲がります。

特に、昨日は私のPSPのナビが山越えルートを指し示したため、どう考えても遠回りの連続的な峠越えをしました。奥入瀬〜発荷峠〜八幡平アスピーテライン(秋田側→岩手側)の流れです。

午後9時くらいに仕事を終え、色々あって職場を出発したのが午後10時。そして八幡平山頂にたどり着いたのが午前0時。真夜中のミッドナイトです。

山の上は、星がとても綺麗でした。思わず県境付近で車を止め、5分くらい見入っていました。

そしてそのあとはーー

「一本だけ見せてやる いわゆるレコードラインアタックというやつをな」

……もちろん私の車と技術で本当にそんなことができるはずはありません。現実的にそんなことをするのは危ないしタイヤにもガソリンにも地球にも優しくないし極端な話「誰得!?」というところです。

それでも、一回だけーーそれがいけないことだとはわかっているから、それを自分で体験として刻みこむために、通常よりもはるかに高いスピードレンジでの高速ダウンヒルを敢行したのでした。

多分昔の車ならキンコン鳴っていたでしょう。一度道路脇の駐車場をかすめるようなラインでカーブを曲がったこともありました(=もし駐車場がなかったら、最悪谷底行きだった)。それでも、やはりカーブではキッチリ減速してタイヤを鳴かせることはしませんでした。技術がないからというのもありますが、たぶんうちのファミ子は本気の高速コーナリングをすると絶対にどこか壊れると思ったからです。ホラ基本設計が、そういうふうにできてませんから。


と、まあそんな感じで、それなりに走りを楽しんでいます。日々いろいろなことがありますが、今月から来た上司も車好きだし(愛車が初代インテR)。こんなに車が好きになったのは、15年ぶりくらいかなあ……。

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