忍者ブログ
大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
こんばんは
 
 今日は節分ですね

 いぬがみです


 本心を書かないように訓練します。

 今日は休みだったので、青森市内にある浅虫水族館に行ってきました。

 とても楽しかったです。

 どんなところが楽しくて、どういう風に楽しかったのか。そういうのをたくさん伝えたい気持ちはありますが、全部、封じ込めます。

 ……ごめんなさい。なんか、気持ちがふさいで、ダメなんです。自分が好きなもの、面白いと思ったもの、楽しいと思ったものを一生懸命に説明したいんですが、それと同時に、自分のアプローチの仕方があまりにも特殊で、異常で、誰にも受け入れられないと思うから。

 とりあえず書きましたが、そういう感じです。ごめんなさい、こうやって書いているうちに、本当に気持ちがふさいじゃって……もう書けません。本当にごめんなさい。

拍手[0回]

PR

こんばんは

 60ギガバイトも使いきれるのか

 いぬがみです。


 昨年12月にスマートフォンというやつを買い替えた私。私が何となく使い続けているうちに世の中は大きく動いたようで、しばらくドコモショップのお姉さんに料金プラン云々の話を聞き「ああ、そうなんですね~」と相槌を打ち、そして9割がたドコモショップのお姉さんの言う通りに料金プランを組んだ私。

 とりあえず今の契約では、月に50ギガだか60ギガだか……そのくらいデータ通信を使えるっていうんですね。今までは20ギガバイトでも使いきれなかったのに、50ギガバイト!? と驚愕しましたが、まあ多いに越したことはありません。そう思って契約したんですが、あれ? これって使いきれなかった分は切り捨てなんですね。

 それじゃあ、つって昨日、ハードディスクにため込んでいた写真をgoogleフォトにまとめてアップロードしてみたんですが、それでもせいぜい6ギガ程度しか消費できませんでした。

 ということは、もう毎日テザリングでこうしてブログを書いたり「パソコンで」ネットサーフィンしたりしても、全然余裕なんじゃね? と、まだ月初めですがそう思いまして。まあ、こうしてブログを毎日書き続けるのは、以前はやっていたことですからね。通信料を気にして、その習慣が途切れてしまいましたが、でもでも。どうせ目いっぱい使っても使いきれないでしょうし、万が一、上限を超えたって即座に電話が止まるわけじゃないし。

 と、まあ特に書きたいことがないのに書き出してしまった次第です。ごめんなさい、今日は内容がない、ようです(←山田君、座布団全部持ってって~!)。


 ……まあ、ね。逆に言うとアレですよ、いざっていう時にブログを書こうとすると、たいてい精神的にギリギリの状態だから、とっても重たいブログになっちゃうわけですから。こうして、どうでもいいことでも小出しに発信していればね。「ああ、今日もくだらねえこと書いてるなあ。でも、まあ生きてるんだなあ」と思ってもらえれば、それでOKです。そういうわけで今日右はこれで「終わりで~す!」(三四郎ふうオチ)

拍手[0回]


おはようございます

 心身ともに荒れています

 いぬがみです


 理由なく強力な抑うつ状態になったり、反対に心がざわついて、理性で抑えつけないと暴走してしまいそうになったり。

 タバコのせいかアルコールのせいか、薬のせいか。

 たぶん複合的なものだと思います。

 このままでは私の意志と関係なく死んでしまいそうな気がします。決して、私の望むところではありません。

 まだまだ生きたいです。死にたいと思う瞬間が最近少しずつ増えているような気がするので、まだ元気があるうちに、いい方向にもっていかないと……。

拍手[0回]


こんばんは

 続けてりゃ、いいことあるさ

 いぬがみです(←ここまでで、いぬ蔵・心の俳句)


 たまたま七五調になったから、そう言っただけですよ。別に深い意味はありません。って、それはいつものことですが。

 今日は久々に、まあ適度に酔っぱらっているから久々でもないかもしれませんが、軽いブログです。そんなにめいっぱい感情込めて書くわけではありません。面倒くさくありません。どうかご安心ください。というか……アレですかね。逆に、「ちゃんとした文章が書けないなら、ブログなんてやるべきじゃない」とかって更新をセーブして、心が決壊寸前のダムみたいになって、そこに集中豪雨的にお酒を飲んじゃうから、水害レベルのブログになっちゃうのかもしれませんね。

 なんてね。今日はこんな風に、思ったことを割とリアルタイムに打ち込んでいます。そういうブログです。いいんですよ私のブログはこんな感じで。内容はしおしおだって、かれこれ5年? いや2005年だか2006年だかに始めたから、もう14年くらい?? 続けているんですから。続けることに意義があるんです。そう、これが今日のテーマです(いや本当に)。


 別に今日が周年記念日とか、そういうわけではありませんが、そうなんですよね。もう15年近く経つんですよね。このブログを始めてから。

 開設当時は、「ブログ」というのは時代の最先端でした。今、自分で書きながらプーッ! と吹き出してしまいましたが、本当です。「ホームページ」よりも気軽に更新できる形式だから、つって、私も乗っかった。そういう感じです。

 ……いま思うとアレですかね。mixiっていう。ブログとか、それこそ今でも通じる言葉で言えば「SNS」ってやつですか? ごく狭い範囲のコミュニティで発信共有するツールとして、日記めいたことを書いていたのが、ベースなのかもしれません。少なくとも個人的には。そういうのをやっていたから、mixiっていう会員じゃなく全世界的に発信するのが今風だっていうから、それじゃあやってみようかね。そんな感じで始めたような気がします。


 まあ毎日毎日、実家暮らしでとりあえず常時接続環境がありましたからね。「起床→PC起動→ブログ書く」みたいなのが、一時期の私のルーチンでした。朝一番でブログを書く。私は今風に言えばASD(とADHD)なので、いったん身についたルーチンはガッチリ守るんです。そんなわけで、毎日毎日ブログは更新していました。

 といって、別に「やらなきゃ、やらなきゃ」という義務感とか強迫観念でやっていたわけじゃないんですけどね。あくまでも好きでやっていたことです。

 一言でいえば、新聞のコラム記事みたいなものを自分でもやりたい! と思っていて、それをちょっぴりだけ意識して、書いていたんですよね。朝日新聞で言えば「天声人語」とか。ああいう感じで。岩手日報のような地方紙だろうと何だろうと、折りたたまれた新聞をパッと開いて一面をざっと読んでいくと、隅っこに必ずある(……ありますよね?)コラム。ああいうのを目指してこのブログはやってきました。更新ペースが極端に遅くなったのは、ひとえに常時接続環境がなくなり、Wi-Fiテザリングでないと、こうして更新できなくなったからです。って、それは余計な話題でした。閑話休題……っと。


 もう……。書きながら適度にビールを飲んでるから、段々と文章がまとまらなくなってきましたよ。だから今のうちに、急いでこのブログをまとめます。ちゃんと意識があるうちにね。って、こんなはずじゃなかったんだけどなあ今日は……〇×△(ぶつぶつ)……。


 いや何が言いたいかっていうと、こうやってブログという形式で残しておくと、あとで思い出して、きちんとした文章を書こうと思った時に、すごく助かるってことなんです。何月何日何時何分に書いたってことが世界中の誰でもわかるように記録されるし、キーワードを打ち込めば、それがすぐに出てくるし。

 それを実感したのが、自分がとある文章を書こうとした時です。今年はあの震災からちょうど10年が経つ年ですから。自分の不確かな記憶を保管してくれるのは日時+撮影場所まで記録してくれているデジタル的な写真と、その時々の思いを書き留めたこのブログですから。

 だから、どんなにくだらないことだろうと支離滅裂なことだろうと。たとい世界中のあらゆる方々から否定されても、このブログは無くしちゃいけないなって。自分のパソコンのローカルファイルに保存すればいいのかもしれないけど、それだってHDDやPCそのものがクラッシュしてしまえば終わりですから。

 そういう時、どんなに格好悪くても、私の(ひょっとしたら「最期」になるかもしれない)思いが残るのなら。それが「ウェブ」に「ログ」すなわち「ブログ」として残るのなら、いいかなって。そう思ったんです。

 そういうわけで、今日はこの辺で。ありがとうございました。

 皆様お元気で。さようなら。

拍手[0回]


おはようございます

 20年分、萌えいっぱい

 いぬがみです


 1994年、中学1年生のころに近所のハンバーガー屋で『うる星やつら』に出会ってから、私のアニメ好き……というか「アニメ的なデフォルメをされた女の子」への偏愛が始まったのでしょう。

 最近『戦闘美少女の精神分析』という本を読みました。その中で著者がおたくの代表者にインタビューをした内容が何ページにもわたって書かれていました。

 アニメのキャラクターをポルノグラフィにすることをパロディとして受け入れられない人間は、おたくと分類される人たちからも爪はじきにされるようです。

 もとよりアニメな女の子が好きな時点で一般人ではないと思っておりましたが、そのアニメな女の子が茶化され破廉恥な姿に描かれるのが好きではない私は、なるほど、おたくでもない、と。じゃあ何なんだろう、自分はどっち側の人間なんだろう。あるいは、どこにいればいいんだろう。そういう自分の立ち位置が知りたくて、この本を読んだのに、かえって訳が分からなくなってしまいました。


 ま、いいでしょう。自分は色々な意味で人と違っているんですから。「別に特別じゃない、お前もその他大勢の人間と同じだ」っていうのなら、安心しますけど。

 とりあえず、離婚したことで抑えていたアニメ・マンガ的な女の子への偏愛度は3倍掛け5倍掛けで加速しています。もはや私の興味関心はご当地萌えキャラ、そして台湾の萌えキャラへ。とどまることを知りませんし、とどめようとも思いません。前人未到の地を目指して、このまま驀進していきたいと思います。

拍手[0回]


こんばんは。

 皆様、いかがお過ごしでしょうか

 いぬがみです


 すでに薬を飲んで、その副作用が出るからと医者からは止められていたビールを飲んで、かなり酔いがひどくなっているので、簡単に書きます。

 元気です、私は。

 上手なことは書けませんが、とりあえず、それを伝えたかったんです。

 ホームページを開設して20年ちょっと、ブログを開設して15年。

 「昔この人のブログよく読んでたよね。今はどうしているのかな」

 そう思って、ここ数年、ずっと更新がないことが寂しかったからです。



 とにかく私は生きています。離婚もしたしメンタル的には壊滅寸前ですけど、まだ生きています。

 だから、みんな、頑張りましょう。

 このブログを閉じるつもりは、ありませんから。

 こんな、どうでもいいことでも、とにかく発信できればしていきますから。


 今は、それだけ。

 ひどく、気持ちが乱れてしまったから。

 でも、また、いきなり書きます。

 だから、あえて言います。


 また、お会いしましょう。シィーヤッ! (see ya ! )

拍手[0回]


ちょっとだけ、思ったことを書きます。

 もとよりこのブログを閉鎖、終了するつもりはありませんでしたが、「更新したところで誰が見るんだろう」「誰かが読むことを前提とした文章を自分は書けない」とか何とか言って、数か月単位でほったらかしにすることが多くなりました。まあ、住む環境が変わって、常時接続ではなく従量課金になったので……というのもありますが。

 でも、やっぱりこのブログをなくしてはいけない。そう思いました。

 先ほど投稿した河合英里さん。帰天されたのが2008年。そして、私がそれを知るきっかけ――正確に言えば「コッコロ ARIA」と検索して最初にたどり着いたブログですが――それが2006年。まだ河合さんが存命で、掲示板にコメントを寄せられていた……そのことを紹介した記事でした。

 だからっていうわけじゃない――わけじゃないのですが――いや、この際、変に取り繕っても仕方ありませんね。別に不特定多数の人からアレコレ言われるようなブログじゃないし(それほど多くの人に見られているわけじゃないし)。それでも何かしらのきっかけで私のブログにたどり着き、最新記事を検索してくれた人のために、私は記事を書きます。

 
 ……いやあ、こう考えると、責任重大というか。「いま誰に見てもらえるか」考えているようじゃ、まだまだ狭いですね。私のブログも2005年に開設して、ズルズルと15年いやいや16年目に突入。ホームページに関しては何度となく移転を繰り返しつつ20年以上が経ちました。そうなると、ひょっとしたら20代の私の記事に何かヒットして、今年の7月で40代に突入しようかという私に触れるかもしれない。……う~む、そう思うと、まだまだ生きていたくなりますね。



 昨年は何度となく「もう嫌だ」「死んでしまいたい」と思うことがありました。会社の外に出て、「ああ、もう死にたい!」と叫んだこともありました(けっこーマジな話です)。でも、こうして記事を書いていると、長く生きていれば楽しいこともあるのかなって。そんなことを思いました。

 なんてね。

 とりあえず今日はそろそろ寝ます。おやすみなさい……良い夢を、おやすみ。

拍手[0回]


こんばんは

 大しけのち凪

 いぬがみです。


 シンプルに書きます。

 いま精神的に癒されたくてスクールアイドルとかエレクトロ的な音楽ではなく「ARIA」のサントラを聞いています。

 ずいぶん前のコミックブレイドで「グランドフィナーレ」を迎え、天野こずえ先生といえば「あまんちゅ」だろうと思っていたなかで、随分とずいぶんと遅ればせながら知った新作の情報。おお、あの頃はまだ半人前だったモミ子(=主人公のあだ名)が、今じゃ立派になって……ああ、そうか……と、ちょっぴり嬉しくなりました。

 その一方で、私が今聞いている「ARIA The NATURAL」に収録されている、異国の言葉で歌われた楽曲「コッコロ」について調べていると、この歌を歌っていた方が河合英里さんという方であること、そしてその方はもうこの世にはいないということを知りました。

 初めて知った人が、好きになった人が、もうこの世にはいなかった。――とはいえそれは令和の時代のことではなく、もう10年以上も前のことで。

 
 とりあえず、そういうことがありました。この30分くらいのことです。

 あとのことは書きません。上手に書ける自信がありませんから。

拍手[0回]


こんばんは

 謹んで新年のご挨拶を

 いぬがみです(賀詞なし挨拶)。


 多くの人にとってお正月、特にも1月1日2日3日あたりまでは、特別に楽しい時期でしょう。私だって、そう思う人たちのおかげで今日のバーリアルとかXフライドポテト1.5倍増量中とかをがっつくことができるんですから(ええ、さっきミニストップで買い物をしてきました)。

ただ私自身、ごくプライベートなことを言えば、何年も前から「正月って何なんだろう」という疑問を持ってきました。

 もちろん私だってお正月の浮かれた雰囲気は、嫌いじゃありません。特別編成の番組をテレビで見て、おせちを食べて、お雑煮に入れるモチを何個にするか考えたり初売りのお店に行ってアレコレと目移りしたり……。いわゆるお年玉というやつがもらえる年齢までさかのぼれば、そのワクワクは二倍三倍に膨れ上がります。

 そういった気持ちが薄らぎ薄らぎ、すれっからしのボロボロ雑巾のような心になってしまったのは、決してここ15年くらい土日祝日年末年始関係なしの完全シフト勤務の会社に勤めているから……というわけではありません。そして、このあたりの原因をこれ以上追及しても、あんまり私自身が面白くないので中断します。


 いいんですよ、日本という国は。正月だろうとクリスマスだろうと、楽しそうなこと(そして企業とかにしてみれば、カネになりそうなこと)であれば古今東西和魂洋才、なんでもかんでも取り込んで盛り上がってワイワイやる国なんですから。「ええじゃないか、ええじゃないか」ですよ。「まあじゆうにやろうや」ですよ。ワインを飲んで爆笑のちに爆睡ですよ(「水曜どうでしょう 十勝二十番勝負」を参照)。


 そんな現在は電気グルーヴのアルバム「Vitamin」を聞きながら書いています。

 久しぶりに聞きましたが、やっぱり心躍りますね。高校の文化祭のフリマで「テクノミュージックが好きです」と、エイフェックス・ツインとかスクエアプッシャーとか、日本人ならケン・イシイとかを意識しして話していたら薦められ、断り切れず買ったCD。ごく最初、ほんのちょっぴりだけ拒否反応が出かけたものの、「ニセモノ・フーリガン」そして「富士山」あたりで、完全にやられました。今でこそ色々と語ることをはばかられるかもしれませんが、あえて言います。ピエール瀧さんにやられました。高いぞ高いぞ富士山!


 これから度数の高いチューハイを飲むので、その前に今日の記事を締めくくります。そしてネットにはつながず、オフラインで飲みます。そうじゃないと、こないだみたいに事故が起きますから。


 自分でもちょっぴり意外だったんですが、今の不安定なメンタリティに対して、1998年(高校2年生)のころにハマった電気グルーヴの曲が、すごく効くんですよね。最近はいわゆるアニソン、特にいえばスクールアイドルの楽曲ばかり聞いていたのですが、やっぱり自分がリアル17歳だったころに聞いていた曲にはかないません。

 うちの弟者は26歳(1994年生まれ)なので、過去のことが嫌で嫌でたまらない時期のようです。わかります。オレにもそう思っていた時期がありました(範馬刃牙ふうに)。それは否定しません。

 でも、ね。今年の7月でいよいよ40歳の大台に達する犬神は、そんなこと、言っていられないんです。

 っていうか40歳ですよ。2021年、犬神、40歳。

 ……まだビールしか飲んでいませんから、ちゃんと意識がある。その前提で言いますが……

 この10年は、どこか、時間が止まったような感じがしていました。

 だって、10年前と言えば、2011年。

 3月11日。

 …………


 そっか、あれからもう10年か。

 おれは、あの日から、どう生きてきただろう。

 
 書きながら、ちょっとシビアに、そんなことを思いました。

 今日から、少し振り返って考えてみたいと思います。

拍手[0回]


こんばんは。

 メリークリスマス

 いぬがみです。


 少し飲み始めたので早めに切り上げます。

 昨日はクリスマスイブ、そして今日はクリスマス。日付が変わってしまったので、そういう言い方になってしまいましたが、とにかく御子イエス様がこの世に降りてきた、そんな日であります。

 そういうことを知ってか知らずか、まあほとんどの日本人は知らないと思いますが、恋人同士でロマンティックなムードを満喫したり、ケーキやチキンを食い荒らしたり、何かしらの方法で楽しんでおられることでしょう。

 そんな中、私はどうだったか。

 ケンタッキーフライドチキンでは「おめーに食わせるチキンはねえ(=予約客への引き渡し対応で手いっぱいなので)」と言われ、ケーキを買おうとしても弟者のお気に入りである「イタリアントマト」はすでに岩手県から撤退。

 そして。


 すでに去る24日となりましたが、不肖犬神、4年間の結婚生活に終止符を打ちました。

 離婚届、出してきました。

 元妻は即日、家を出ていきました。

 ジ・エンド。


 仕事のために妻に逃げられた私。

 しかし、そうまでしてしがみついている仕事も、きっと失うことになるでしょう。

 こうして、きっと何もかも失うことになるのでしょう。

 でも、いいんです。

 もう、下り坂を転がり始めたのですから。

 最愛の人に逃げられた私に、もう守るべきものなんて、何もないんですから。

 どうだって、いいんですから。


 ……ごめんなさい……今日は、もうこれ以上、書けません。

拍手[0回]


こんばんは。

 いま、メンタル的にかなり危ない状況です

 いぬがみです。


 いちおう、何かあった時のために、書いておきます。酒は飲んでいません。

 今日はずっと、頑張ってきました。

 休憩もせず、ご飯も食べず、ずっとずっと頑張ってきました。

 でも、頑張ろうと思えば頑張るほど、ダメなんです。

 みんなの役に立とうと思って、自分がやるべきことをしっかり果たそうと思って。

 私はいわゆる精神障碍者(ADHDとかASDとか)のカテゴリに属する人間で、それを周りの人たちにも発しています。

 だから周りの人たちは私にとても気を遣ってくれています。

 でも、私だって、それでいいとは思っていません。

 自分でも、なんとかしたいんです。

 「何でこうなっちゃうんだろう」

 そういう失敗を何度も繰り返し、

 「今度は失敗しないようにしよう」

 そう思って気合を入れて、ひたすらひたすら一生懸命に頑張ります。

 そうすると、というか、そうすればするほど周りが見えなくなっちゃって、ダメなんです。

 今日なんかは、それに気づくことができました。

 「いま自分は誰かのためにこうしようと思っている」→「でも、恐らくそれは、自分が勝手にそう思っているだけだから、動くべきではない」

 飛び出したい自分と、それを押さえつける自分。

 そんなギリギリのせめぎあいの中で、どうにかして周りの人たちのことを見て、自分が何をすればいいのか? を一生懸命に考えます。

 そして、どれほど頭を働かせても、その答えが見えなくて、苦しいんです。


 そうなると、結局行きつく先は、こうなるんですよね。

 「自分はおそらく、どこへ行っても何をやっても、他人に迷惑をかけて生きるしかない」
 「だから、自分は生きているべきではない」

 もう酒を飲む気にもなりません。

 今日の私は、自分のことを何一つ肯定することができません。

 生きているのがつらいです。全部投げ出して、十和田湖のヒメマスの餌になりたいです。


 まあ、そんな私をすんでのところで食い止めてくれているのがイエス様なのですが。

 私は神様によって生かされている身分であり、帰天するタイミングは神様が決めることです。せっかく与えてもらった生命を投げ出すわけにはいきません。

 だから、私はまだ投げ出すことができません。そのタイミングが来るまで、この世のありとあらゆる人たち、社会そのものから否定されても、生きていなければいけないのです。


 そのうえで、言いたいことがあります。

 こうして弱音を吐くこと、つらくてつらくて死にたいと思うことを、許してください、と。

 
 とりあえず、言いたいことは全部言いました。

 まだご飯を食べていませんが、もう起きていたくないので、寝ます。

 明日、起きたら、またブログを更新します。

 ええ、明日もあります。そう信じています。

拍手[0回]


こんばんは。

 日付が変わってしまいましたね

 いぬがみです(在宅ワーク中)。


 色々とパソコンを使って仕事をしていました。

 レストランで使うチラシ作り。

 やはりお客さんに興味を持ってもらうためには売り文句の一つも入れなければいけませんが、それがなかなか思いつかず、こんな時間になってしまいました。

 とりあえず、今日はもう寝ます。

 今日はPharell Williams の「GIRL」を聞いていました。

 Happyが世界中でメチャクチャに大ヒットして、オカダ・カズチカと中邑真輔と氣志團と水原希子が終結するというカオス極まりない日本版PVが流行った時期に買ったのですが、Daft Punkが参加していることを今日Wikipediaで知りました。

 何となく聞いていて好きなのはHappyと、タイトルにしたKnow who you areでしたが、Daft Punkが参加しているとしったうえで聞くと、何だか味わい深いものがあります。Randam access memoriesを聞いたのは、その数年後でした。Happyが超絶大ヒットしたからDaft Punkのアルバムに参加したんだろうと思っていたら、逆だったんですね。

 どっちにしてもやはりPharell Williamsの歌は心地よいです。

 心地よいですが、体の方は限界です。だから今日は休みます。see ya.

拍手[0回]


おはようございます。

 今日は休み

 いぬがみです(朝7時に起きました)。


 休みの日だから昼まで寝ていよう。ずっと不規則な生活だったから、体が疲れているし、たくさん寝よう。そう思うことが多くなりました。そのために一日中ずっと部屋で過ごすこともありました。まあ、今年は緊急事態宣言とか不要不急の外出を自粛しろとか、そういう特殊な空気があったから、それに合わせて生活していたら……というのもありますが。

 でも、外出を自粛するとはいっても、やっぱりちゃんと規則正しい生活をしなくちゃいけませんよね。

 実家で暮らしていたころは、それがある程度、できていたような気がするんです。大体7時前には起きていました。なぜなら――学校や会社に行く時間がそれなりに早かったから、というのもありますが、私の生活の一部に『めざましテレビ』があったからです。今はフジテレビが映らない青森県十和田市にいることが多いので、すっかり生活リズムが崩れてしまったのですが、6時45分くらいの芸能ニュース、6時50分からのトレンド情報で最新のモデル・タレント情報を知り、55分から占いを見て、7時のニュースを見る。そんな感じでした。

 あれ、そういえば6時55分からの「今日の占いカウントダウン」って、やっていないのかな。あと6時50分からのトレンド情報。さとう珠緒があのコーナーに出ていたといって、信じられない人も少なくないかもしれませんが、これは紛れもない事実です。あとは現在進行形で活躍中のトリンドル玲奈とかも出てたんじゃないかな。そうやって中高生時代から女の子への思いを涵養してきたのです(?)。


 でも・・・・・・ね。

 緊急事態宣言時もそうでしたが、今はすっかり変わってしまって、ネットで手に入る情報をテレビで再送信するような「めざましテレビ」の代わりに『おはよう日本』があります。桑子さんがいます。山神さんの天気予報があります。「傘はどっチカ?」的なフレーズを発する代わりにコスプレをも辞さない山神さん。最近はあまり見かけませんが、ある意味では地上波最強のお天気お姉さんです。私は今後も山神さんを応援し続けます。

 そして、早番の日は6時出勤なので絶対に早起きですが、遅番の日や休みの日も。何となく出勤時間とか余裕があれば二度寝三度寝することもあるかもしれませんが、いったんは布団から出て朝ご飯を食べる。そういうスタイルをもう一度、取り戻さなければならない。そうじゃないと、かえって健康が損なわれる気がするから。

 そしてブログなんかも、できれば朝、書くのがいいですよね。そうすれば、酔っぱらって訳の分からない文章を書くことも無くなるでしょうから。……ハイ、反省しております。菅総理の反省並みに薄っぺらい言葉ですが、それでも私は言い続けます。

拍手[0回]


こんばんは

 「具合悪りぃよ~」「おろしてくれぇ~」

 いぬがみです(深夜バスのなかではありません)。


 先日は思いのほか悪酔いしてしまって、いつ床に入ったのか記憶がないだけならまだしも、記憶がないうちに書き散らかした猛毒のごとき雑文に心から戦慄。慌てて非公開への処置を行いました。

 そういう文章を書いたのもまた自分なので、削除はしません。むしろ記憶がない部分を記録しているので、読み返せば何かわかるかもしれませんが、あまりにも長くてあまりにも面倒くさいので、自分でも読む気になれません。少なくとも今は。

 そして、そのような文章を一時的にとはいえ誰でもが見られる状態にしてしまったのは、まったくもってお恥ずかしい限りです。特に誰かに迷惑をかけたとも思いませんが、大変お見苦しい場面があったことをおわびいたします。


 それにもかかわらず、性懲りもなくまた同じようにウイスキーを飲んでいるのですが、この失敗を契機に少し考えを改めたいと思います。

 「自分は、自分が思っているほど、お酒に強くない」

 ということです。

 まあお酒を飲みすぎて記憶を飛ばして、気が付いたら布団の中だった……何てぇのはまだいい方です。布団じゃなくてリビングだったりトイレだったり、変なところで目が覚めることも何度かありました。

 そして、それがひとり自分の部屋で飲んでいる時ならともかく、ソーシャルな場面でやってしまうことも、一度も無いわけではありません。

 だから、そこまで酔っぱらう前にやめよう。ウイスキーだって、グラス半分に原液を注いで、氷水でちょっと薄めて飲んで。ああ美味しいなあもっと飲もう――っていうのをやめたらいいんです。今はまだ、「もっと飲もう」の段階までは行っていませんが。


 そして「酔っぱらって何もかも吹き飛ばしてしまうためのお酒」をやめるべきなのです。それは最終的に、嫌なことと一緒にいいことも大事なことも全部まとめて吹き飛ばしてしまうわけですから。後に残るのはみじめなものです。

 そんなわけで、今日はちゃんと意識があるうちにブログを終わらせます。こんな感じで気持ちを整理するために毎日記事を書くことは、いいことだと思うんですけどね。酔っぱらった勢いで書き散らかすことがいけないんです。

拍手[0回]


こんばんは。

 ご無沙汰しております

 いぬがみです。


 昨日スマートフォンを新しい機種に変えました。じつに3年ぶりでしょうか。

 以前使っていたのは富士通製の『アローズ』。ええ、二言目には「アホーズ」とか「情報弱者ケータイ」とかと言われているarrowsです。

 まあ、確かに犬神はいわゆる情報弱者の側に立つかと思います。そもそも人間そのものが情報弱者というか脳が弱いというか発達障害というか社会不適合者(ソシオパス)というか。まあ、そんなことはどうでもいいですわな。

 一応、言い訳をしておくと、当時の私がarrowsを選択したのはそれが「ミルスペック」をうたい文句にしていたから。これは要するにアメリカ国防総省が軍用調達品として採用する際に目安となる規格のことですね。この世で最も過酷な場所である戦場に兵隊さんが持っていくんだから、これこれこのくらいの状況に耐えられなきゃダメだよ、と。そういうのをわかりやすく示したのがMIL規格、すなわちミルスペックと。


 人間、14歳中二のころに何に影響を受けたかでその後の人生が決まるといわれていますが(?)、私の場合は『コンバットマガジン』でした。それ以来ずっとミリオタの要素が心の基本構成要素となっているので、やっぱり『ミルスペック準拠』という言葉には惹かれるわけですよ。

 「コンピュータの性能はほどほどで良い。大事なのは、とにかく壊れないこと」

 「速いだけが取り柄のひ弱なサラブレッド」ではなく、過酷な戦場での使用に耐える「騎兵の馬(ディーンストプフェルト"Dienstpferd")」を目指してFw190という戦闘機を開発した第二次大戦期のドイツの航空技師クルト・タンクのようなことを言って、それを選択しました。あと、大好きな漫画『ゴルゴ13』の影響もあるかな。正確性よりも信頼性。スペックよりも、どんな状況でもちゃんと動くタフさ。そういうのがいいんですよ。


 そんな情報弱者ケータイでも、このたび充電端子に不具合が出てマトモに充電できなくなるトラブルさえ発生しなければ、別に不自由はしませんでした。まあ私の雑すぎる扱い方に、さすがのミルスペックケータイも音を上げてしまったのでしょうね。

 ちょうど壊れかけたファミコンと一緒です。カセットの微妙な差し込み具合によってゲームができたりできなかったり。ああいう感じ。そんな微調整を何十分もかけて行って、何とか安定したかと思っても、朝になったら「充電端子に異常を感知して……」とか何とか言って、結局、いつも不完全充電のまま。携帯電話のバッテリーは満充電にならなくても、使用者のメンタル的なストレスは限りなく満充電に近づきます。

 実際、しばらく前にもこういう状況があったんですよね。それでドコモショップに行ったら「充電端子がイカレかけてるから、もう新しいのに変えた方がいいですよぉ(はぁと)」と(そういう意味合いのことをとっても丁寧に)受付のお姉さんに言われて、「じゃあ、どうしようもなくなったら、そうします」と精いっぱいの強がりで吐き捨ててその場を後にして。

 ……今、こうして書きながら思ったのですが、そこからの時間を考えると、すごくよく頑張ってくれたのかなって。そんな気がしてきました。あくまで機械、あくまで消耗品ではありますが、「余命3か月」と言われながらもそれを大幅に上回る時間を生き抜いて、最後のほうはユーザーの無理やり極まりない要求に応え、力尽きていったのですから……。

 わかるんです。私もかなりメンタルをやられて、1日に5時間も7時間もずっとスマホを握りしめているような時がありました。そういう時はバッテリーが途中で終わるのが嫌だから、充電しながらやっていました。たぶん無理な負荷がかかっていたんだろうな。それでもなんとか耐えて、ずっと頑張って……それで、ついに限界が来たんだろうな。なんてね。

 あれ、今日はこんなセンチメンタルなことを書くつもりじゃなかったんだけれどな。まあいいや、とにかく続けます。



拍手[0回]




 新しいのは富士通からシャープへ。自分は古い人間なのでシャープというと早川電機、X1からx68000「夢の続きを語ろうよ」から「目の付け所がシャープでしょ」って、どんだけ昭和なんだよ。ああ、そうですよ、来年40歳ですよ。いや、それは関係ない。

 今回シャープ製の端末を選んだのは弟者からのすすめです。まぁ、そうじゃなくてもね。私は決して国粋主義を掲げるわけではないのですが三星(galaxy)とかLG(ラッキー金星)とかよりもソニーとか富士通とかシャープとかを選びたくなるじゃないですか。やっぱり(犬神自身が知った時間が早いという意味で)歴史が違うんですよ。

 富士通と言えばFM-7(そこまでさかのぼるの!?→詳細はかなりパーソナルな話になるので割愛)。シャープと言えばXなんとか(既述のため割愛)。ソニーと言えばPlaystation違う違う人々のHitBitですよ。……うわぁかなり酔ってるなあ。そして、年齢がわかるなあ。わからない人は「MSX」という単語をgoogleとやらで検索してみてください。それが20世紀という歴史の中で、だいたいどの時代にもてはやされた言葉なのかを知る時、このあたりの文章のニュアンスが分かると思います。……いや、わかんねえかなあ。わかんねえだろうな~(書いている本人さえちょっと不安になるような昭和極まりないオチ


追記を閉じる▲

こんばんは。

 明日は6時なので、もうすぐ寝ます

 いぬがみです(もうすぐ明日が今日になりますが)


 忙しいという字は小さくなって亡くなると書きます(それは湾岸MIDNIGHTの誰だったかのセリフで「ああ、なるほど」と思ったことですが)。

 実際に私も毎日毎日小さくなって亡くなりそうです。

 生きづらいと思うことはたくさんあります。

 飲酒喫煙それからxxx……色々やって何とかしのいでいます。


 μ’sとかAqoursとかワルキューレとか、アニソンをガンガン聞くと気持ちが和らぎます。

 でも、今はAlfeeを聞いています。Best selection I ね。

 これ、昔、ウチの兄者がカセットテープにダビングしてくれていたんです。結構フォークな時代のアルフィーの曲が多くて(『過ぎ去りし日々』『明日なき暴走の果てに』『Musician』など)、実際にそういう経験をしたことがないくせに、号泣していたんです。小中学生のころ。何やらADHDの人は、そういうものらしいですね。異常に感傷的になりやすいというか。


 ああ、もう寝なくちゃ。

 いまだゴールは見えず。

拍手[0回]


こんばんは。
 
 誰も責めてはいけない
 
 いぬがみです。
 
 
 NHKの8時45分から始まったニュースで、函館沖で戦時中に沈められた青函連絡船が発見されたというニュースを見ました。
 
 おりしも今日は戦争終結からウン年と2日。いや75年ですよ。終戦は1945年、今年は2020年。だから計算すればそれはすぐにわかりますが、何十年だろうと何百年だろうと変わらない思い、そして、それに対する理屈。それを今日は書き留めます。
 
 
 要するに「戦争というもの」が、いけないんですよ。
 
 直感的に言えば「大砲も何も積んでいないのに、一方的に爆弾をボカボカ落として沈められた」ということに関する怒りのような感情が起こる一方で、当時のアメリカ軍の兵隊さんにしてみれば、「自分たちの家族を殺された」あるいは「今ここで敵国の戦力を削がなければ自分や自分の家族が殺されるかもしれない(=そうならないようにするためなら何でもする)」という思いがあったでしょう。
 
 多分それは前線の兵隊さんだけでなく、指揮官の人たちもそうだったんじゃないかなと想像します。まぁ1981年生まれの私は、戦争終結から50年以上が経った後にゲーム『ワールドアドバンスド大戦略』で仮想体験したにすぎませんが。
 
 それでも、とりあえずゲームをやっている間は、そう考えていたんです。「自分たちの操作している陣営が勝利するためなら、相手が輸送船だろうと何だろうと潰さなくちゃいけない」とか「まったく反撃してこない都市を一方的に爆撃して壊滅状態にさせ、相手の戦略的戦力を削がなければいけない」とかってね。ひいては「最終的にこのマップで勝利するためには、捨て駒になってもらうしかない」とかって。
 
 
 終戦50周年の年にあって、私は中学2年生でした。ちょうどそのころは戦時中の日本でどのような兵器が使われていたのか? とか、実際の軍隊の生活というのはどうだったのか? という書籍がたくさん出ていました。それぞれ中2の私にとっては決して安くありませんでしたが、セガサターンを無理して購入しWA大戦略の洗礼を受けたこともあって、何冊か買いました。そして、その影響は今もなお引き継いでいます。
 
 
 もうずいぶんと酔っぱらってしまったので、あまり難しいことを言う前に結論します。
 
 戦争というのは「どっちも正しいと思って」起こります(byドラえもん)。その結果として敗者と勝利者が生まれますが、少なくとも今の私にとっては、その悪いことばかりが目につきます。
 
 しなくてもいいなら、しない方がいいんです。
 
 「しなくちゃいけない」とか「それしか道はない」という人もいますが、その言葉をきっと私は最後まで信じることができないでしょう。
 
 
 「この悲劇が二度と繰り返されることがないことを願って」
 
 セガサターンの「ワールドアドバンスド大戦略」のオープニングムービーの前に出てくるセリフです。
 
 きっと、そういう思いをもとに、こういうゲームを作ったんだろうと私は受け止めています。

拍手[0回]


こんばんは。

 よくわかりませんが、この記事を書きます

 いぬがみです(ウイスキーで泥酔気味)。


 最初は今日あった、地元・十和田湖をめぐる素敵なオートバイの話をする予定だったのですが、酔っぱらった勢いであれこれとウェブサーフィン(って、こんな言葉も今どきは使わないのかもしれませんが)をした挙句、とりあえず今書きたいことを書こう! と思って書きます。

 どういうわけかわかりませんが、現在、

 原爆に遭った少女の話 - wikipedia

 というのを、私のFirefoxが開いています。これは私が以前に見たNHKのドラマ『一番列車が走った』の原作であるということを、たった今、知ったことからたどり着いたのですが……ええ、以前私がたまたまテレビで見て感動した『一番列車が走った』というドラマが、どうやらこういった原作があったということに、今更気づいたのです。ええ、何とでも言ってください。私は結局テレビに影響を受ける世代なんです。


 東北の中でも『北東北』と呼ばれる岩手県に生まれ育ち、今は青森県にいる私。「岩手県(青森県)ってどこ?」という人にもわかるように申し上げます。「本州の一番北にあるのが青森県であり、その隣にあるのが岩手県です」ハイそういうことです。そんな私ではありますが、広島県というのは、ちょっぴり特別な街です。それは私の兄の元彼女が広島県出身で……じゃなくて! いや、それはそれで事実ですけど! そうじゃなくて!!!

 ……先ほど申し上げたように本州最北端に限りなく近い岩手県の私が、高校の修学旅行で訪れたのが、広島県だったんです。「広島→京都」つって。

 確かに京都では金閣寺だの京都タワーだのと名所を回り、写真部という肩書を乱用して好きな女の子のスナップショットを激写、お土産に買った生八つ橋をつまみ食いしようと思ったら結構大まかな包装になっていて、結局「水曜どうでしょう」のミスターのごとく大量に食べた挙句、胸やけに七転八倒……なんてバカ高校生らしい珍道中エピソードもあったのですが、割と真剣に感じ入ったのは広島でした。

 そのころ、英語のテキストの授業で佐々木禎子さんの話をやっていたんですよね。

 Sadako Sasaki - Wikipedia(英語版)

 ちゃんと、原爆ドーム、見学しました。実際に原爆の被害にあった人がどんな状況だったのか、(写真ですが)じっくり見てきました。被爆された方の話も聞いてきました。1998年以降、いぬがみは絶対的反核主義者です。やっぱりヒロシマおよびナガサキ(あえて片仮名で表記します)で被爆された人たちのことを思うと、どんな理由があろうと核兵器というものは使われるべきではありません。そして東日本大震災を東北の人間として経験した現在では、「平和利用」という名目でも……。

 
 で、ここからが本題です。というのはNHKのドラマ『一番電車が走った』で主人公・雨田豊子役を演じた黒島結菜さんについてです。

 つって、どうしてここまで熱く語りだしたのかわからなくなってきたのですが……たぶんアレですね。私がドラマで見た『広島弁をまくしたてる女の子』のツートップとして、瀧本美織さん(@てっぱん)のもう一方として思いついたのがきっかけだったのだと思います。

 「友達が死にかけてるのに、電車を運転しろって言うんじゃね!」

 原爆投下後、電気技師役の阿部寛に市電を運転することを頼まれた際のセリフだったと思うのですが、黒島結菜さんというと、今でもそのシーンが第一印象です。その後妖怪ウォッチのエミちゃん(三次元版)とかCMとかで大活躍されているのは言うまでもありませんが。

 さて『報道STATION』を見ていることもあり、徐々に酔いもさめてきて、いい加減このブログもいったん幕引きとしたいと思います。最初に何を書こうと思ったのかわからないのに落としどころも何もないので……とりあえず、締めくくります。とにかく黒島結菜さん頑張れ。

 「なんと強引で乱暴なたたきこみのオチだ!」
 (by大原部長@こち亀38巻「わたしが直す!」)

拍手[0回]


こんばんは。

 全然、内容はありませんこのブログ

 いぬがみです(慌てて投稿)。


 今、「嵐にしやがれ」で武田真治記念館……という企画を放送していて、それを見て、慌てて書きます。

 私ごときがこんな記事を書いて、だからどうだという話ではありませんが、とにかくその「当時の」空気を記録するために書きます。

 自分が武田真治さんという方の存在を知るきっかけは、『めちゃx2モテてるっ!』でした。ええ後の大人気番組『めちゃめちゃイケてるっ!』の前身番組です。この『めちゃモテッ!』は完全な深夜番組でした。

 あくまでもこれは私見ですが、やっぱり深夜番組っていうのは、それが面白いとかそうじゃないとかというのも当然大事なんですが、その……あくまでも当時、14歳の犬神君の気持ちもあると思うんですが……

 「普通の生活をしている人たちとは違うオレたちだけが知っている、特別な時間」

 
 ……いや、思うんですよね。これはある意味、絶対に超えられない壁なのかなって。たとえば2000年代に生まれた若き人々にとって、それ以前(特に、私を含む、いわゆる「昭和の時代」)の時代に生まれた人たちにとっては、絶対にわかりえない世界だって。

 たとい明日タイムマシンが完成して、平成元年に生まれた人が昭和64年(=平成元年)にタイムスリップしてみても――どれほどその時代の風景、空気を知ったとしても、その時に生まれ、今の今まで生きてきた人と同じ世界を共有することは、無理だろうなって。

 年を取るって、そういうことかも、しれませんね。

 20年前の自分は、きっと想像もできなかっただろうな。長く生きることが、こんなに楽しいって。

 
 ……えっ? ビートたけしさんのお弟子さん「鳩山くる夫」さん、いなくなったんですか? 安住キャスターも「お世話になった」と言っておりますが……(リアルタイム的にオチます@新情報7daysニュースキャスター)。

拍手[0回]


おはようございます。

 先週と先々週で、太平洋と日本海を見てきました

 いぬがみです(実家も職場もド内陸)。


 どちらにしても拠点から100キロくらい走らないと海を見ることはできません。

 先々週は十和田市から八戸市に出て、そこからず~っと南下し岩手県宮古市で進路を変更。一気に内陸に切り込んで家(岩手県)に帰りました。

 先週は反対に弘前を経て鰺ヶ沢町に出て、深浦町を縦断しつつ秋田県能代市で進路を変更。尾去沢鉱山をかすめながら鹿角市に出て、やはり家に帰りました。

 いずれも我が愛車パート2「D-TRACKER125」にて走りました。

 フツー? この大きさのオートバイと言うのは近距離の通勤通学などに気軽に使えるスニーカー感覚の乗り物と言う位置づけでありますが、私はこれで200キロも300キロも走ります。先週は大体360キロくらい、時間にすれば10時間くらい走りました。

 でも私は小型限定免許だから400も250も乗れないし。この小虎だって、私がずっとアーカイブしてきた私物を売り払ってようやく手に入れた大事な大事なアタックチャンス、じゃなくて大事な大事な愛車ですから。って、そんな話はもういいんです。


 何が言いたいのかと言うと、排気量が小さいから長距離を走ることができないとか、そういうことはないんです。そりゃ~1000ccのオートバイなら300キロどころか3000キロくらい余裕で走れると思うんですが(?)、短距離だろうと長距離だろうと乗り手の気持ちさえあれば、どこまでもいけるんです。私はそれを自分の経験としたくて、こういうことをしました。

 大体、かつては私の小虎よりも小さいスーパーカブで日本中を駆け巡った人たちがいたんですから。いや大泉洋さん鈴井貴之さんもそうなんですが、以前道の駅でそういうことをしている人のスクーターを見かけたことがあります。だから、その気になればどこまでもいけるのです。

拍手[0回]


こんばんは。

 やっぱり私は今もプロレスファンです

 いぬがみです。


 プロレスラーが一般メディアに露出するのは、とてもうれしいです。

 古くは徳光和夫氏に四の地固めをかけて悶絶させたデストロイヤー氏、クイズ番組で回答権を得るためのボタンを破壊してしまったジャイアント馬場さん。現代であれば仮面ライダー好きが高じて本編にも出演してしまった棚橋選手に、今にも暴れまわりそうな凶暴さを振りまきつつ大好物のモンブランを差し出されると「わかってるじゃねえか」と笑顔になる真壁選手。はたまた『Q~わたしの思考探究』というNHKの番組で「死について」というテーマで真剣に向き合い語った中邑真輔選手。

 『Q~わたしの思考探究』は、東日本大震災の影響でいったん放送が延期となったのですが、その後8月に放送されたのを見ました。ハードディスクに録画していましたが、そのハードディスクが壊れてしまったので、今は記憶の中にしかありません。それでも私の心に深く刻み込まれました。


 ただ、そういった一部の人たち以外が出るとすれば、それはたいてい訃報であることが多いような気がします。

 バイクで移動中に交通事故に遭って亡くなったとか、試合中の事故で亡くなったとか。

 やっぱり、こたえるんですよね、そういうの。

 私にとってプロレスラーって「超人」ですから。どんなに激しく痛めつけられても立ち上がって、執念で勝利をもぎ取る人たち。そういうイメージですから。

 ましてや試合中の事故とか交通事故とかじゃない何かによって命を落とし、そのあとも根掘り葉掘り繰り返し何度も何度も報道されるような状況には、とても耐えられません。だからSNSから国会まで百花斉放百家争鳴している状況を私は無視します。オンラインでもオフラインでも無視します。

 そのうえで、自分自身を再確認するために書きます。

 たとい最近のプロレス界の動向が良くわからないとか、選手の名前を知らないとか、そういうことはあっても、私はすべてのプロレスラーと言う職業の人たちに一目置いています。男子も女子も同じです。現代の「若手レスラー」よりもその両親のほうに年齢が近くなってしまった自分に少々ショックを受けたりしていますが、これが現実だから仕方ありません。

 だからプロレスラーは、いつでもどこでも「一番スゲー存在」でいてほしいと思うのです。至らなさすぎる私の幻想を思いっきり投影できる存在で居続けてほしいのです。そのうえで時折「人間らしさ」を見せてくれるのであれば、それはいっそう親近感がわくのでいいんですが、もうプロレスラーとしての表現ができなくなってしまった人の「人間らしさ」を延々とほじくり返すようなことは……興味ありません。繰り返しますが、無視します。以上です。

拍手[0回]


おはようございます。

 今度のプリキュアは黄色が一番かわいいんじゃね

 いぬがみです(現在、おさらいセレクションで勉強中)。


 新型コロナウイルスの影響でアニメも特撮ドラマも撮影ができず、それゆえの再放送・総集編ということなのでしょうが、今の私にとっては逆にありがたいものがあります。私も3月までは、この時間にずっとテレビを見ていられるような職業ではなかったのでね。

 興味があったものの、いまいち乗り切れず、何となく過ぎていった日々を取り戻す。アニメを見ることで、ただちに収入が増えるわけではありませんが、でも……ね。どうせ何もできないのだから、少しでも自分の気持ちをプラスに持っていくことができるのなら、その方がいいですよ。


 インドアな趣味では読書や映画・テレビドラマを見まくることですが、アウトドア的な趣味で言えばオートバイですね。青森から岩手まで、不要でも不急でもない用事――たとえば特別給付金の申請とか――があって、移動するときも、我が愛車パート2・D-TRACKER125を使います。150キロくらいの移動なんて、大したことありません。

 というよりも、距離とか快適性とか、そういうものじゃないんです。「排気量が小さいから長距離を走ると疲れる」だからやっぱり原付二種は通勤通学近距離向け……って、そういうものじゃないんです。もっとパワーのある乗り物が必要な時は、私は四輪に乗ります。免許が小型限定だからということもありますが、私はこれがいいんです。

 「人馬一体」とはマツダ・ロードスターですが、私はこの小虎でそれを感じることができました。

 乗せられているような感じも、従えているような感じもしない――とっても心地よい一体感を感じることができたのです。それでいて、純粋に私の力だけではたどりつけない世界に行くことができる快感。


 もちろん、もっとパワーがあれば、もっと気持ちいいのだとは思います。でも私はこれでいいんです。すれ違ったオートバイ乗りの人と(時々)挨拶をすることができるのですから。そういうことができた時、私が憧れていた「オートバイ乗り」の末席に加わることができたのだなと、何よりも実感し、うれしくなるのですから。

拍手[0回]


こんばんは。

 もうすぐストックしている「S-Fマガジン」を読み終わりそうです

 いぬがみです(ただいま2000年12月号を読んでいます)。


 最初は「SFっていうのはなじみがないけど、とにかく食べてみよう」とかって、ものすごく簡潔に言えば、

 「やっつけてやろう」

 と文芸的けんか腰で組み合ったのですが……。


 最初に手にした2000年6月号は「フィリップ・K・ディック特集」。しょっぱなからビシビシっとやられてしまいましたが、めげずに立ち上がって読了。次は「『タイムライン』と量子論SF特集 」ときました。シュレディンガーの猫っていうのは知ってますけど……ううん、大丈夫かな。

 「クーカンとかヤカンとか、トンチンカンなこと言っちゃって」

 と『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』でワープ理論の説明を受けたのび太くんの振りをしてうそぶきながらも、さすがS-FマガジンとSF作家の方々です、私のような「自称文系の読解力欠如バカ」にもわかるような言葉で、量子論の何たるかを書いてくれました。そのおかげで、もちろん「これで量子論の何たるかを理解した!」なんてぇことは言いませんが、少なくとも「やっぱりSFはダメだ」と投げ出すことなく、最後まで読みました。次は何だ!? ええ、ちょっと時間が飛んで、2000年11月号「ファンタジー特集」です。

 一生懸命SF的な、すなわち(2020年現在の私たちの世界で実現していなくても)科学的な理論によって裏付けられた異世界に慣れ親しんでいた38歳の私(もうすぐ四十郎ですが)には、あまり心がときめきませんでした。せっかく魔法とか何とかっていうファンタジィな要素をふんだんに含んだ短編が掲載されていたのに? 確か20年前は、逆に「そうそう、こういうのを読みたかったんだよオレは」とか言っていたような気もしますが……。

 ま、これも一時的なものだと思いますがね。

 性格上(あるいは精神科医から第一種向精神薬を処方していただけるような人間だから)、ひとつのことに集中すると、つま先から頭の上までどっぷりと浸かってしまって、それだけが唯一無二、絶対の真理だと信じて突き進んでしまうのでね。

 だから、その……。


 私はまだまだ、狭い世界しか知らないのだ、ということです。

 それと同時に、

 「まだまだ、自分の世界を押し広げることはできるのだ」

 ということを感じています。


 そう思うと、私は現在を生きることに絶望できません。

 「絶望しない」と自分の意志で言うのではなく、「できない」といいます。あえて――ちょっとずるいかもしれませんが――自分の意志の外側にポイントを置いて、こういう言い方をします。

 だって、まだまだ知りたいことがたくさんあるんだもの。


 「知らないこと」は、おそらく私が認識できないくらい、たくさんあるでしょう。

 私が「知らないこと」を「真実」として語る人は、いっぱいいます。でも、私にはそれらのすべてを「真実」なのかどうかを確かめるすべはありません。そんな時間もないし、それに時間を割くこともできません。私はCIAでもMI6でも007でもありませんから。ボンド、ジェームス・ボンド(例のテーマ曲)。

 だから、私はこれからも、自分で「できる範囲」で、色々なことを調べます。そして知りたいことを知ります。どちらかというと、そのリソースはいわゆる「普通の」人と比べて狭いようですが、それでも……ね。

 それが私の生きるモチベーションですから。

 そんな、1円もお金を生まないような思いが、今の私を生きながらえさせているのですから。


 最初はSF的な話をするため、タイトルは「科学は人の生活を助ける」としようと思いましたが、書いている途中で流れが変わってきたので、変えました。まあ、いつものことですが。

 最初に触れたのは多分に漏れずPS版の『MGS1』なんですが、そのあとMSXの『MG2』をプレイして、色々と深くストーリィに触れて。この言葉も知って。『スナッチャー』とか『ポリスノーツ』とか、小島監督作品は大好きなんですが、とりあえず今の気持ちに一番フィットする言葉を引用させていただきます。

拍手[0回]


おはようございます

 青森県に住んでるのに「斜陽」は読んだことありません

 いぬがみです(不勉強でごめんなさい)。


 じつに20年前になるでしょうか。そう西暦2000年に刊行された「S-Fマガジン 2000年6月号」を本棚から引っ張り出して読んでいます。

 直接的なきっかけとしては、さらに2週間くらいまえ、本屋で買ってその包装紙さえ開けていなかったS-Fマガジン2011年8月号を、9年近い年月を経てようやく開封したから。その時は、今や世界的いや宇宙的な人気となった初音ミク特集で、たぶん涼宮ハルヒのユリイカ(文芸誌『ユリイカ』で特集が組まれたんです)と同時期に買ったものと思われます。

 もともとSFは好きなんですが、何せ入り口が「ドラえもん」で好きな映画は「ターミネーター」という、SF好きというか「そーいうジャンルのアニメが好きなオタク」です。

 それから20年が経過した現在はどうなったかというと、まあ基本的な属性は変わらないのですが、ほんの少しだけ進歩しました。この2000年6月号で特集されているフィリップ・K・ディックに関しても、全然知らないというわけではなく、

 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
  テレビで見たからいい。ブレードランナーだろ」

 という会話ができるくらいにはなりました(※)。逆に言うと2000年当時は「ブレードランナー」さえ見たことがないのにS-Fマガジンを買っちゃったんです。生まれて初めて読んだSF小説がフィリップ・K・ディックですよ。それをどう受け止めるかは生粋のSFマニアの方々の主観に委ねますが、とにかくそんな感じです。

 ただ、それ以外の総合的な能力は底上げされ、ジャンルにとらわれない基本的な「本を読む力」に関しては大学時代よりもずっとアップしているのでね。入り口は初音ミクだったとしても、ちゃんと一通り読むことができました。そしてSFの世界の味を「おいしい」と感じ、もっと味わってみたいと思って、再び手に取ったのでした。


 フィリップ・K・ディックは当時でさえ古典SFの時代の人ですから、今読んだって色あせることないマスターピースだと思うのですが、それに付随する解説文だとかエッセーだとかは2000年当時の空気を含んでいます。そして、そんな当時の空気を私の脳に送り込むことによって、私自身の個人的無意識の引き出しにしまい込まれていた記憶が引き出され、「昔を懐かしむ」という言葉では物足りないくらいに当時のことを思い出すのです。

 ここでどうか、ド素人SF野郎の戯言をお許しください。

 それはまさに私にとっての時間旅行です。あくまでも私が体験したことがベースですが、そこに補強を加えることによって、より深くリプレイができるような気がします。それは映像でもいいんですが、やっぱり文章の力がいいですね。その方が自分の脳をたくさん活用させなくちゃいけない分、精度が上がるから。

 大切なことは(自分が体験した)過去がどういうものだったかを、できるだけ細かく思い出す精度。そして、過去に行ったきりにならず、現在さらに未来を生きようとする気持ち。そうやって過去を楽しむとの同じくらい現在を楽しみ、さらに未来へ楽しみのエネルギーを先行投資する――そうやって天秤をつり合わせ、こぼれないようにしながら、少しずつオモリを増やしていくのが、いいのかなと思います。

考えることがたくさんあると、人生は楽しいんです。


 ※ てんとう虫コミックス『ドラえもん』に収録されている「人間ブックカバー」の話を参照。出木杉くんから宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を薦められたのび太くんが、松本零士氏の『銀河鉄道999』のことと勘違いして、「テレビで見たからいい」と断ったエピソードがありました。これはそもそも別作品ですが、原作小説と映画化作品では色々違うのだということを考える時、いつもこのやり取りを思い出します。

拍手[0回]


こんにちは。

 もう、こんばんは、かな?

 いぬがみです(珍しく夕方更新)。


 聖書でイエス様は、大体こんな感じのことを言っています。要するに、

 「あなたが誰かの罪を赦すなら、神様はあなたの罪を赦す」

 ってところでしょうか。

 これはなかなか難しいことですが、それを突き詰めれば、きっと私たちがついつい持ってしまうネガティブな感情を捨て去ることができるのでしょう。もちろん私自身、その領域には至っておりません。毎晩毎晩、布団に入ってから、色々とネガティブな感情が襲ってきて苦しんでいます。

 要因は色々あると思いますが、特にたちが悪いのが、自分にとってのそれが「正義」だという起点から出ていることでしょうね。

 集合的無意識? ウルトラスーパーデラックスマン? 一億総批評家時代? 浮かんでは消える言葉。残念ながら私はこれらを体系的にまとめることができません。

 でも、できるだけシンプルに心を整理していきたいと思います。

 見たくない情報は見ません。聞きたくない情報は聞きません。テレビを消せばいい。twitterも見なきゃいい。そういう雰囲気のありそうな言葉は、そもそも検索しなければいい。そして余ったリソースは神様にお祈りを捧げる時間にしたり、本を読んだりする時間にすればいい。そうする自由が私たちにはあるはずです。

拍手[0回]