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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
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ついに、『徳川家康』全26巻、読了しました。

終盤、病床にあった大御所は『生命の樹』を見た、と側近に話しました。まあ本多正純なんかは「ハァ?」と内心思っていたようですが、とりあえず私は大真面目にそのことを書きます。

それは大地から太陽に向けてのびているもので、一人一本というわけではなく、あらゆる生命が現世を去り、この樹に戻っていくための宿り木なのだそうです。

枝の一番下にいたのは今川義元。次にいたのが総見公(織田信長)。豊太閤も武田信玄も柳生石舟斎もみーんなこの樹にいたんだそうです。この世を去るということは、みんなそこに帰るだけだから……という話なんです。

もう25冊以上読み続けて、もはや人生観すら大きく影響を受けている私ですからね。大御所の最後の言葉にまたもや落涙です。この世を去った後どこに行くのか? という話は古今東西色々とありますが、この『生命の樹』という考え方が非常に気に入りました。

さかのぼれば応仁の乱あたりからでしょうか。この国が乱れに乱れていた戦国乱世を終わらせた徳川家康という人物。ともすれば権謀術数の達人・狸ジジイとさげすまれ、真田幸村が主人公のゲームではラスボス扱いをされる大御所ですが、たといこれが山岡荘八先生の創りあげたキャラクタだとしても、考えを改めなければなりますまい。

宣言します。いぬがみは、徳川家康公が大好きです。


最終巻で、また山岡荘八先生自身の言葉に触れることが出来ました。「あとがき」です。

準備期間を合わせると山岡先生40歳の時から60歳の時まで足掛け20年の作業。四百字詰め原稿用紙17400枚。それだけの歳月と分量で切々と訴えかけたのは、あくまでも『平和』への願いだったといいます。

そしてそれを実現するためには、「所有欲」を抑えることが大事である、といいます。アレも欲しい、これも欲しい、もっと欲しいもっともっと欲しい・・・と、これはブルーハーツの歌ですが、そういうところから強盗や殺人や戦争が起きるのだ、と。

ただし、それは何もかもを捨てて裸になれという意味ではない、といいます。食べるものや着るものを手元においておくのはいいけれど、それらに対して『自分のもの』ではなく『自分が預かっているもの』という気持ちで生きろ、という意味だそうです。

まあ、その哲学を私の文章力で表現することは到底無理なので、この言葉を額面どおりには受け取らないでください。というよりも、多分こういう考え方って、今時はやらないですよね。だからいいです。忘れてもらっても結構です。

でも、私はその思想を頑張って突き詰めていきたいと思います。これまでのことを反省し、これからの人生に活かしていく。それが、私が家康公を敬愛することの証明になると思うから。


・・・では、さしあたって盛岡市立図書館からの預かり物である『徳川家康』を返してこようと思います。

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鹿児島県民の方には申し訳ありませんが「薩摩の国は修羅の国」というイメージがあります。戦国期から幕末期まで、島津氏をリーダーとする猛将・剛将ぞろいの、戦闘民族の国というイメージ。武力があるだけじゃなく時流を見極める眼もあるから、幕府側だろうと新政府側だろうと状況に応じて躊躇なくクルクルと立場を変える臨機応変さ。義理人情で壊滅的被害を受けた南部藩とは大違いです。まあ、それは200年以上あとの時代のことですが。

……そう思っていたのですが、わが東北にも修羅がいました。伊達陸奥守政宗です。

若い頃から野心むき出しで暴れまくり、何度か命を落としかけつつも東北最強の大名として君臨した政宗公。山岡荘八先生の世界では、とにかく常人離れしたスケールで物を考える謎の人物といった印象です。

目的のためなら誰彼ともなく手を組むし、切支丹に改宗(したフリ)だってする。そして太平洋を横断してヨーロッパに使者を遣わし、外国から大艦隊を呼びつけて大乱を引き起こそうとするフシもあります。正直なところ、こうして書き出してみたものの、果たしてこれでいいのかどうか? ちょっとわかりません。そのくらいの野心家なのです。


25巻では、その伊達家の基本理念みたいなものが少し語られていました。内容をザックリ私の言葉で書き出すと、

「政宗に敵味方の考え方はない。たとえ味方であっても、それが大軍を乱し敗北につながるようであれば忠節が立たないので、躊躇なく討ち取る」

ということなんです。徹底した実力主義というか、修羅の国もかくやと言わんばかりの武の掟があるのです。これほどまでに冷徹な思想は総見公(織田信長)以来か、はたまたそれ以上か……という印象です。

果たしてその政宗&忠輝(※)のコンビに大御所はどう立ち向かうのか? そして、どういう思いを遺して、この世を去るのか? 次回、最終巻!

(※ 大御所の、たくさんいる息子の一人。その才気煥発ぶりはかつての信康をホーフツとさせるが、それゆえ我が強く、大御所のことをオヤジ呼ばわりする無法者)

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『怒りは敵、堪忍は武運長久』という言葉を残した(ことになっている)大御所自身が、実は結構、短気な人物だった……というのは一般に知られるところです。ホトトギスが鳴くまで待っているかもしれませんが、待っている間もずっと色々な準備を怠らないし、家臣に手抜かりがあったらその下で容赦なく怒鳴り散らすような人だったのです。

といって、これを「言ってることが違うじゃん」つってコケにするつもりはありません。多分それは自戒の意味も込めて言ってるんだと思います。わしが短気でさんざんひどい目に遭ってきたんだから、お前らも気をつけなくちゃいけないよ、と。

そういうわけで、毎日、短気を戒めるよう努力しています。


『徳川家康』全26巻のうち、25巻も、もうすぐ終わろうとしています。

メインになる場面はもちろん大坂の役。冬の陣で濠を埋められ、籠城は不可能な状態にされてしまった大坂方。ならば打って出るしかない! というわけで後藤又兵衛、真田幸村といった猛将が大暴れします。無論関東方も名だたる名将がそろっているのですが、「この戦いで死ぬ」と決めてかかる人々と「死にたくないけど一応戦う」人々では士気が全然違います。ましてや自身の武力だけではなく指揮官としても当代随一のセンスを持った人ですからね。

「この世から戦のなくなることなどない。大御所、将軍家の命をもってそれを証明することが、自分を評価してくれた大御所への恩返しだ」

などという非常に物騒な信念を胸に戦うものですから、大御所・将軍家ともども討ち死にの危機に瀕しました。

特に将軍家は護衛部隊が別な戦場に行ってしまい、すぐそこまで敵が迫る大ピンチ状態に。戦国無双なら「本陣苦戦! 至急来援せよ!」とワーニングが出ています。

しかしながら、将軍家の側には柳生又右衛門宗矩がいました。襲いくる敵をその太刀筋で切り捨て、無事に自分も将軍家も逃げおおせたのですが、『活人剣』をモットーとする宗矩は(やむをえない状況だったとはいえ)それを恥とし、自ら語ることはなかったといいます。

それでも、ちょっとした「はずみ」で計算が狂うのが戦というもの。いくつもの「もし、こうなっていたら」を残しつつ、後藤・真田ともども壮絶に討ち死にしました。

この時点で大坂方はほぼ壊滅状態。家臣も次々と討ち死にまたは自害して果てます。そして淀の方&秀頼母子も籾蔵の中で御自害。すべてが終わってしまったのです。


このあたりの話は、たぶん山岡荘八先生の創作であろうとは思うのですが、非常に悲しい気持ちになりました。大御所はあくまでも秀頼母子を助命しようとしていたのですが、その気持ちは身内でさえ理解できていませんでした。将軍家しかり、その将軍家に近い世代しかり。

千姫だけは何とか助かったものの、秀頼母子を初めとする女たちが軒並み自害して果ててしまう……男たちはともかく、女子供がこうして死んでいく場面は、本当に胸が苦しくなります。一方でその引き金になった連中は、「大御所はそういうけれど、豊臣家は敵なんだし」「オレたちは勝ち組でアイツらは負け組。何でそんな連中に気を遣わなきゃいけないんスか」と言って胸を張っているものだから、なんだか腹も立ってきます。

だからといって私情をぶちまけては将軍家の権威失墜や身内の不和、瓦解にもつながります。そこでグッとこらえ、ひとり静かに涙を流す……。まったくもって、リーダーというのはつらいものです。


そんなわけで、最後に消しがたい汚点が残ってしまったものの、もうすぐ最終巻。今度こそ泰平の世はゆるぎないものとして、安心してこの世を去ることが出来るのかな……と思っていたら、最後の最後に波乱が起こりそうです。

そう、東北の龍・伊達政宗です。

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『徳川家康』24巻読了しました(大坂冬の陣~夏の陣の直前くらいまで)。ですが、とてもここでまとめられるものではないので、一切書かないことにします。

その代わり昨日書いたClariSに関する話題をひとつ。

彼女らを非常に気に入っているのはすでに書いたとおりですが、そのことについて色々考えたところ、彼女らが『2人組』のユニットであることも、影響しているかもしれません。

正直なところヴォーカルがあまり多いと、ちょっと困惑してしまうんです。「おれは一体、誰の声が好きで、この楽曲を聴いているんだろう」と。3人でもちょっと多いかなという感じですから、5人とか10人とかウン十人とかでは、もう何がなんだかわかりません。合唱コンクールならいざ知らず、フツーにCDで聞くのにそんなに大勢いらないだろう、と思うんです。


そういった2人組女性ユニットとして思いつくのがRYTHEM(リズム)ですね。アニメ『NARUTO』のエンディングテーマとして歌われていた『ハルモニア』が好きになって、それが収録されている「ウタタネ」というアルバムも買って。2010年に解散してしまいましたが、それでも好きだったアーティストです。

さらに一世代さかのぼり、中高生の頃によく聞いていた……というほどではないにせよ、何かと耳にする機会が多かった人たちといえば、なんといってもパフィーですね。あの頃はHEY!HEY!HEY!を毎週見ていたので、そういうこともあって、何となく好きでした。

さらにさらにさかのぼると……まあWinkとかになるのでしょうが、これはどちらかというと兄者(昭和51年生まれ)の世代。これ以上さかのぼるともう「あみん」とかになるでしょうが、いくら私でもここまではカバーできません。いくら待ってもらってもそこまではいけませんよ。


こと音楽の世界で5年10年と活動を続け、CDも定期的に出すというのは非常に大変なことだと思いますが、基本的に私はCDを手にすることでしか、アーティストの音楽に触れることが出来ません。何も考えずに店頭に行けば当たり前のように新譜が発売されたことに気づける人であればいいんですが、そうでもないのなら、やはり自分でAmazonを検索するなり公式ホームページを見るなりしなきゃいけないな……と思った春の日のことでした。

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基本的にこのブログは朝に書いています。

昨日のブログは夜に書きました。朝、諸事情により記事を書くことが出来なかったためです。

そのせいか、どうも一日のうちに降り積もった様々な思いが重なって、下書きの時点ではあの1.5倍くらい難解な内容になってしまいました。大分削ったものの、それでも、どうも重たい感じです。

やはり、一晩寝て起きて、クリーンな状態で記事を書くのがいいかもしれません。今日は昨日の反動というか、クリープのようにちょっとマイルドな記事を書きたいと思います。


ある意味では鎖国状態に近い私の人生ですが、そんな私にも出島のように一部の最先端流行を取り入れています。ファッション的な意味ではなく音楽的な意味でね。単純に流行のアーティストの音楽を聴いているってだけなんですけどね。

皆さんClariSって知ってますか?(ナイツの人ふうに)

最初に聞いたのは1年以上前です。弟者が『Connect』という、アレですか、まどかマギカの主題歌ですか、柄にもなくそれが好きだっていうもんでね。それじゃあ、つってゲオでCDを借り、これを録音して聞いてみたんです。

その時は、今ほど好きではありませんでしたが、彼女らの歌を聴くことが弟者とのConnectを維持する要素になるのかなと思っていたので、時々聞いていました。

本格的に好きになったのは2ndアルバムを聞いた時。1stはちょっと気負った感じというか、「この世の悲しみとか苦しみとか、そういうのを全部背負ってあたしたちは歌ってるのよ」的な雰囲気があったのですが、2ndの方はすごくのびのびした、ポップで明るい感じがしました。もちろんこれは私のきわめて身勝手かつ根拠のない空想ですが、これも音楽の楽しみ方と了承していただきたいと思います。

言い換えれば『仮面ライダーBLACK』の時は少々偏狭なところがあった南光太郎が『BLACK RX』になったら割とよく笑うようになったようなものです。懸念されたPerfumeショック(※)もなく、大のお気に入りアルバムになりました。

というわけで2ndは文句なしの内容なんですが、そうかといって1stはダメなわけではありません。というよりも、いい悪いをちゃんと判断できるほど聞いていなかったな、と思い、意識して1stの方を聞いています。そうすると、これはこれでよく聞こえてくるものですから、よくよく私もClariSが好きになってしまったのかもしれません。一方では大坂冬の陣に参戦しつつ、一方では魔法少女のテーマに聞き惚れる。この奇妙なバランスこそ私であり、このブログでしょう。


(※ 1stアルバムですっかりほれ込んだものの、2ndで「思ったほどじゃなかったな」となり、3rdで「あれ、なんかちょっと違うかな」となり、以降はすっかりご無沙汰になってしまった現象。これはちょっとさびしいものです)

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『徳川家康』23巻は、私のような泰平の時代を生きてきた人間にとっては非常に重い話でした。

時代的には大坂冬の陣の少し前。秀頼・淀君の思惑とは別に全国から行き場を失ったゴロツキ牢人どもが集う大坂城から何とか出てもらうべく、家康公は鐘に刻まれた文言が自分を呪う言葉だと言いがかりのような難癖をつけます。しかしそれは従来私が考えていた「戦を吹っかけるための口実」ではなく、大坂開城(=戦争回避・家名存続)を決断してもらうための「謎かけ」だったのです。

「わしは秀頼公を、ひとりの大人として接するぞ」

そう言って、あえていくつもの謎を吹っかけた家康公。それは秀頼公に器量があるかどうか? を計るための謎かけでした。

しかし、残念ながらいくつもの誤解や何やがあって、戦争は回避できない状況になってしまいます。

真田幸村が入城するのは、そんな秋の頃でした。


家康公いわく、真田幸村の父親である真田昌幸は『天下取り病』であったといいます。なおほかの病人は奥州の伊達政宗、そして今年何かと話題の黒田如水です。

「この世から戦がなくなることはない、人は戦をせずにはいられない生き物だ」

そういって生涯を戦いに捧げ、サイヤ人級の戦争屋として死んでいった(ように見えた)真田昌幸の思想を思い切り濃く受け継いでいる真田幸村。それゆえ兄・信之の説得にも応じず、大坂城に入っていきます。

万に一つも勝ち目のない戦にのぞみ、自分の信義を貫き通そうとする姿は非常にカッコイイ……というのが世間一般の評価であろうと思います。なればこそ戦国無双では主役中の主役として抜擢されているのでしょう。

ただ、今の私は、そういうのを好みません。そういう生き方を否定はしませんが、この状況であれば、やはり家康公の側に理があるというか、そうするべきだと思うのです。大坂方に加わらないようにする、と。

それはここまで23冊分触れ合ってきた家康公に、私も少なからず影響を受けているからだろうと思います。


この頃の日本国は関が原以来戦争がなく、それゆえ戦争の何たるかを知らずに育ってきた世代が出てきました。昔『戦争を知らずに僕らは育った』なんていう歌がありましたが、まさにそうなんです。そしてそういう若者に限って戦争を勇ましくカッコイイものとして捉え、ことさら戦争をしたがるのだ、と言うんですね。幼少期からその戦争の渦に巻き込まれ、親兄弟を早くに亡くし、何度も何度もつらい目に遭ってきた家康公は、それゆえ全身全霊をかけて戦争を回避するよう努力しているのに。

この言葉には、すごく共感しました。あまり多くは語りませんが、私はそんな家康公を心から尊敬します。そして、それゆえに見られなくなったアニメや出来なくなったゲームがいくつかあることを最後に記しておきます。

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私が街中に借りている月極駐車場の近くには中学校があります。そのためチャイムで現在時刻を知り、放課後にランニングをする生徒諸君を眺めながら「まあ頑張りたまえ」と紫煙をくゆらせたり(2008年ごろまで)「おれもこうしちゃいられないぞ」と自分を見つめなおしたり(それ以降~現在に至る)することがあります。

昨日はまあ、11時くらいの時間帯だったんですが、ごくフツーのリュックサックを背負い、『スクールザック』はスーパーのレジ袋に入れて手に提げている子を見ました。

新中学生が真新しいザックを買ってきたのか、旧中学生が何かの記念に提げてきたのか。今ひとつ判然としませんでしたが、その背格好を見ると、後者のような気がします。


その夜はラジオで、「今日は離任式がありました」というリスナーのメールが読み上げられました。なるほど、そういうことなのかもしれません。

離任式というのはちょっと面白いイベントで、3月上旬~中旬に卒業式を終え、エンディングを迎えた卒業生たちもまた制服を着てその場にはせ参じるという……延長戦というか、スタッフロール後に流れるエピローグというか、なんだか奇妙な雰囲気を感じる日でした。

高校の離任式は正直なところ行ったかいかないかよく覚えていないのですが、中学の時はよく覚えています。その頃の学校の雰囲気を形作っていた教師がまとめて転任となったからです。

怒鳴りつける時の声がやたらデカくて、泣かされた生徒が後を絶たなかった国語の教師。普段は温厚ながらちょっとやんちゃな生徒がいると廊下に連れ出して「制裁」を食らわす理科の教師。アコースティックギターの名手で文化祭の時はオリジナルソングを引っさげ全校生徒を熱狂させた美術の教師。そして竹刀を片手に昇降口に立ち、元気のない生徒には「挨拶しないとダメだよ~」と鋭い眼光でにらみながら指導する体育教師。

最近の学校はどうかわかりませんが、私の時代にはまだこういった古風な先生がゴロゴロいました。そして生徒の側も、恐れながらもどこかで信頼していました。そういうわけでワル気取りの連中も少なくありませんでしたが、不思議と秩序は保たれていました。ちなみに、生徒たちはこれらの先生たちを総称して「四天王」と呼んでいました。

あれから15年以上が経過して、ようやくわかる先生のありがたみ。これらの先生たちも、当時の私のクラス担任だった新任の女先生も、今はどこでどうしているのやら。……ああ、ちなみにこちらの女先生は、逆にクラスの野郎どもに泣かされることが数度ありました。ゴメンねK野先生。


そんな春の日でした。ようやく雪も溶け、春の雰囲気が出てきた盛岡。自分が10代のジャリボーイだった頃を思い出しつつ、今日も30代を生きていこうと思います。

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テレビで録画予約をしてこなかったのはファン失格のそしりを受けるかもしれませんが、とりあえずリアルタイムでちゃんと見ることが出来たので、ひとつ大目に見てもらいたいものです。

何の話かというと、今日の夕方4時からIBCテレビで放映した『復興の歌姫 臼澤みさき~カナダへのありがとう!』という番組の話です。これはうすみさこと臼澤みさきちゃんが岩手県盛岡市の友好姉妹都市であるカナダはヴィクトリア市に行き、復興支援をしてくれたことに対する感謝を伝えるためにトーク(震災体験を自ら語り伝える『語り部活動』のこと)をしたり歌ったりした模様を30分にまとめたものです。

盛岡市とヴィクトリア市が姉妹都市提携をしたのは1985年。きっかけとなったのは盛岡市ゆかりの新渡戸稲造博士がヴィクトリア市で客死した縁だそうです。そういった交流があったので震災の時も随分と支援していただいたわけで、この感謝を込めて被災地・大槌町出身の歌手である臼澤みさきちゃんが選ばれて……ということみたいですね。

いまさら私が言うまでもありませんが、やはり臼澤みさきちゃんの歌声は、心に響くんですよね。心に響くから真剣に聞き入るし感極まって涙ぐんだりする人も出ます。これは同郷の子というホームタウンディシジョン要素を差っぴいても、民謡がベースにある歌手は声量があるから響くんです(去年いきなり紅白に出場した演歌歌手の福田こうへいさんなんかも民謡がベースにあるし)。

2ndシングル以降のCDは発売日に即購入しているし、ライブは行けなかったものの、その様子を収録したDVDはやはり発売日に購入している私。今月で大槌中学校を卒業し、来月からは『中学生歌手』という肩書きが外れることになるわけですが、いぬがみはこれからも臼澤みさきちゃんを応援します。なお念のために書いておきますが、「うすみさ」というのはいつものような独自の愛称ではありません。地元のクラスメートからそう呼ばれているというのを以前ラジオ番組で聞いたので、なぜか縁もゆかりもない私がそう呼んでいる・・・そういうことです。

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去年の夏に仙台に行った時、仙台市はちょうど慶長遣欧使節出帆400年のメモリアルイヤーとして盛大に展示会をやっていました。私もそれを見て、陸伝いの西回り航路ではなく太平洋横断の東回り航路で船旅を成功させた支倉常長という人物、そしてそれを派遣した政宗公の偉業に感涙したものです。

現在読んでいる『徳川家康』22巻でも、ちょうどそのあたりの話が出ています。ただしこの本に出てくる陸奥守は底知れぬ野心を持った深謀遠慮の人として描かれているので、ただ南蛮文化を求めて独自に船を出した……わけではないように描かれています。ついでに言えば支倉常長も切支丹の教会を建てるため旧来の寺社仏閣を焼き払った張本人として描かれています。

関が原の戦いから十年余りが経ち、一応は平和な世の中であるものの、南蛮人と紅毛人(=旧教と新教)の対立や作中屈指のクセ者である『天下の総代官』大久保長安の死後に発覚した内紛など、なかなか磐石な平和は訪れません。そこに来て、取りようによって敵にも味方にも見える不気味な伊達陸奥守の影……。

ここに来て、さすがの大御所もちょっと弱気になったり涙を流したりしてしまいます。ここまで何十年もかけて平和を追い求めてきたのに、よりによって身内で乱の種が芽吹くとは……。


しかしながら、そんな大御所に代わり諜報活動やアドバイスをするのが将軍家お抱えの兵法指南役・柳生宗矩です。

漫画『影武者徳川家康』では秀忠の側近・懐刀として、どちらかというとダーティな立ち回りをしていた宗矩ですが、本作では秀忠だけでなく大御所にとっても重要な人物として活躍しています。まあ影武者かそうじゃないかという根本的な違いがあるので、比べようがありませんが、ともかく剣術家・兵法家として快刀乱麻、ズバズバと斬り込んでいきます。そして真なる平和のために、苦渋の決断を下していくことになる……んでしょうが、残念ながら23巻以降は手元にありません。

この後、徳川家と豊家の間で何が起こるのか。私は21世紀を生きる人間ですから、もちろんそれはわかります。

かつては

「家康は天下統一のため邪魔っけになった豊家に因縁をつけて、大坂の陣で壊滅させたのだ」

と思っていたのですが、天下泰平をライフワークとし秀頼公に自分の可愛い可愛い身内を嫁がせてまで両家の並立共存を果たそうとした大御所が、どういう思いで開戦に踏み切ったのか。そのことをちゃんと見極めたいと思います。必ずしも、秀頼憎しで決断したわけではないと、信じています……。

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先日、会えなくなってしまった人と話すための『風の電話』の話をしましたが、あのブログを書いた後、私も墓参りに行ってきました。

『私も』と言いましたが、まあ、『風の電話』と直接的な関係はありません。お彼岸だからとか、天気が悪くてランニングが出来ないからとか、そういった複数理由があったからです。

でも、何となく気持ちを後押しされた……というのは、あるかもしれません。今から16年前に父親側の祖母が、そして5年前に母親側の祖父が歿くなりました。どちらも随分とよくしてもらいました。


一時期は「人間なんて、死んでしまったらそれまでだ」とかって言って、彼岸や盆参りを随分おざなりに済ませていたこともありましたが、祖父が歿くなった頃にはすごく真剣に供養の意義とかを考えるようになりました。

加えて3年前の震災で家族・友人を歿くした人の気持ちを(新聞などを通じて)知ったり、『徳川家康』など仏教的な考え方が底流にある小説をたくさん読んだりして、今では結構な信仰者になっています。といってもお正月は神社に行くしクリスマスはケーキを食べるし、そもそも一番身近な神様はアラハバキだし……と言ってのけるような人間ですが。家康公や本阿弥光悦のような篤信家ではないのですが。

要するに、歿くなった人のその後のこともちゃんと考えていこうと思ったのです。その人のことを思い、ずっと忘れないようにするために。そして、その上で自分もちゃんと生きていけるように。

過去があるから現在がある。特に祖父は戦争経験者で、直接聞いたわけではありませんが、戦争でケガをしてずっと障害を背負っていたそうです。そういった人たちの壮絶な苦労があったから、今の平和がある。そのことに感謝するためにも、皆様お墓参りはぜひ行きましょう。

以上、『テレビ寺子屋』でした。

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今井美樹さんがカヴァーした方の『卒業写真』のPVに、昨年プロレスを引退した小橋健太さんが出ていると知って衝撃を受けたことにちなみ、今日はそんな話をします。

街中で袴をはいた若い女性を見た日、すなわち3月20日は、どうやら岩手大学の卒業式であったようです。もしも普段着にあんな格好をしている方がいたら生涯最大のサプライズですが、まあ卒業式帰りの大学生と考えるのが順当でしょうね。

どうして女性は、卒業式のときにああいう格好をするのか。まあちょっと検索すれば出てくるのでしょうが、それでは味も素っ気もないので、ここではあえて「わからない」ということにしておきます。袴姿の女性は嫌いではありませんからね。『めちゃモテ委員長』のカードゲームでも、ああいう格好をしていたカードがありましたし(最盛期は1枚4000円ほどの値がついていたが、今では十把一絡げ状態に)。

一応、私も10年ほど前に大学の卒業式というやつは体験していますが、正直なところ、あまりいい思い出ではありません。今だから言えるものの、その頃は就職先も決まらず、精神的にも少々不安定になり始めていた頃で、誰にも見送られることなく会場を後にし喫煙ルームでひとりタバコを吸っていた……とか、そんな記憶しかないのです。

まあ、もちろん、誰を責められるものではありません。学生時代にただの1秒ほどもアルバイトをせず、本ばっかり読んで社会人になるための準備など一切していませんでしたからね。あまりゲームにたとえるのは好きではありませんが、言ってみれば初期装備も何もなしでフィールドに飛び出したようなもんですから。ええ、仕方がなかったと思います。


その1ヵ月後に何とか今の会社にもぐりこみ、何とか一人前になったかな? という今日この頃。今は就職活動の形も色々と変わってきているみたいですが、次代を担う若者として、頑張ってもらいたいと思います。私はテキトーにするするとすり抜けていきますから。

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大槌町には電話線がどこにもつながっていない電話があります。ただ、その電話機はそばにいない人、すぐには会えない人と話すことができると言います。それは心で通じ合うための電話――『風の電話』というそうです。

こういうのがあること、皆様は知ってましたか? 恥ずかしながら私は昨日まで知りませんでした。なんだか、村山早紀先生の小説みたいだな・・・・と思っていたら、すでに絵本になっていましたね(いもとようこ『かぜのでんわ』金の星社より)。

受話器を手に、会えなくなってしまった誰かと話す人、泣き続ける人、それから電話ボックスに入ることさえ出来ない人。色々な人がいるそうです。

この、電話ボックスってのが、また素敵じゃないですか。ニュースを聞いた時、思わず私もこみ上げるものがありました。本当に、素敵だと思います。

復興住宅の整備とか、三陸鉄道の全線開通とか、そういう復興の動きは時々聞こえるものの、心の時間は震災の時から止まったまま・・・という人もいます。正直なところ3年前にはそういうの、あまり理解できませんでしたが、今ならわかります。そういった人たちのメンタルな部分に私は直接タッチできないので、こういうのがあると聞くと、もう非常に心が温まるというか・・・目頭が熱くなるというか・・・。

『風の電話』。本当にいい響きです。

私にはさしあたって、この電話で話したい人はいませんが、いつか一度行ってみたい。単純にそう思いました。

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このところ重たい話題ばかりだったので、今日は軽い話題でいこうと思います。

・・・と思って想像をめぐらせてみたのですが、なんだか、何もないんですよね。最近は『サザエさん』くらいしかアニメは見ないし。モエモエしたアニメや漫画やゲームなんかもトンとご無沙汰で、そういう浮ついたイメージも浮かびません。

昔のように「モエモエしていればなんでもOK!」というわけにはいかないんです。

こんな時代ですから、アニメちっくな美少女は三歩進めば5度ぶつかるといわれるくらい氾濫していますが、

「じゃあ、自分はどうしてこの女の子が好きなんだ?」

ということをそのイラストなどを凝視しじっくりと考えていると、納得してしまうんですよね。「ああ、この眼がとても大きなところが気に入っているんだな」とかって。それで終了です。

イラストじゃなくアニメの場合もそんな感じです。「このアニメは、どういうことをウリにしているんだ?」ということに頭が働いてしまう。「ああ、つまりコレとコレとコレが、人々に受け入れられる要素なんだな」と、実際にその通りかどうかはともかく分析し、整理してしまうんです。


私は批評家ではありませんから、それがいいとか悪いとかいうつもりはありません。ただ、色々な物語を読んできたから、『感動のハードル』は思い切り上がっているような気がします。自分が持ち合わせているものを総動員して、それで見え透いてしまうようなものであれば即終了です。

そういう意味では、ヘンに狙った作品よりも、直球勝負の作品の方が、心に響くのかもしれません。あるいは王道というか。


というわけで、今日も私は『徳川家康』を読んでいます。

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以前にも書きましたが、小説って、やっぱり書いている人の気持ちがにじみ出てくると思うんですよね。だから徳川家康という実在の人物を取り上げても、権謀術数に長けた老獪な狸ジジイというイメージもあれば、山岡荘八先生が作り上げたようなイメージもある、と。

私は実際に家康公にお目にかかったことがないので、要するに「どのイメージを採用するか」ということだと思うんですが、実は元々家康寄りの人間なんです。数年前に日光東照宮に行き、そこで東照宮遺訓(「人の一生は重荷を背負って・・・」ってやつです)を読んだあたりから、やはり人生とはかくあらねばと思ったのです。それが本当に家康公が言ったとか言わなかったとか言う話は別にして。


そんな山岡先生の描き出す人物たちは、いずれも非常に魅力的というか・・・それまであまりいいイメージをもっていなかった人も、そのイメージを改めるきっかけとなるものばかりでした。

たとえば私は大坂方の母子(淀君&秀頼公)があまり好きではなかったのですが、こうして出生の頃からず~っと追いかけていくと、「これもまた仕方がないのかもしれない」と思うようになってきたのです。

淀君は幼少の頃に母(お市)と死に別れ、思いっきり年の離れた秀吉の愛妾となり、その秀吉があっという間に逝ってしまって。自信の欲求不満と息子可愛さと太閤の威光が色々と混ざって、あの超勝気なキャラクタになったのだろうと思うと、むげに嫌うことが出来ません。

それに秀頼公も、やはり正しく導く人がいなかったのが不幸だったと思います。この男は(史実ではどうだったかわかりませんが)強気なところがあるかと思えば妙にさびしがりで、そこらへんの中学二年生とあまり変わらないような感じです。その一方で嫁入りしてきた千姫の身の回りを世話している女性に手を出して子を作ったりしています。これだけ見ると、ただのハレンチ野郎ですが、どうしてそうなったかを考えると・・・ただ目を閉じてうなだれるしかありません。

そう、誰が悪いわけでもないのです。きっと、仕方がないことなのです。

そんな状況を何とか改善しようと必至で頑張る家康公。それを見て、400年ほど離れた時代を生きる私も、なぜか『頑張らなくちゃ』と思ってしまうのです。

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このところ余暇のほぼすべてを『徳川家康』を読むことに費やしているので、そういう話ばかりになってしまいます。あらかじめご了承願います。また、この記事は個人の見解によるもので、史実と異なる場合があります。


たとえば総見公(織田信長)がまだ現役バリバリでやっていた頃は、『西洋人=南蛮人』でした。ところが最近読んでいるあたり、すなわち1600年代には『紅毛人』という言葉が出てきました。どちらも西洋人をさす言葉なんですが、南蛮人は主にポルトガル・イスパニアの人たちをさし、紅毛人とはイギリスやオランダの人たちをさす言葉のようです。

これらの人たちの違いは見た目だけではなく、宗派の違いもあります。どちらも同じキリシタンなんですが、旧教と新教の違いがあるんですね。私のような典型的日本人からしてみれば「どっちも似たようなもんじゃないの」と思うんですが、当の人たちにしてみれば絶対に相容れることのない敵同士なんです。

そんな紅毛人ウイリアム・アダムスこと『三浦按針』が家康公のもとにやってきて、外国との付き合い方について真剣に考えをめぐらせる・・・というのが、20巻『江戸・大阪』編の重要なテーマです。


従来、時代小説における西洋人というのは、ある意味神に準じる存在のように受け止めていました。未知の技術や文化をもたらしてくれる人たち。トランプで言えばジョーカーみたいなもので、南蛮渡来のナントカといえば無敵状態になれる魔法のアイテムのようなものだと思っていたのです。

でも、そんな風にチヤホヤしているだけじゃ、ずるがしこい人間にそのまま食い物にされてしまうから、しっかり自分たちの利益を確保しつつ上手に付き合っていくにはどうしたらいいか? と、そのまま現代のビジネスマンの考え方にも通じるようなことを考えているんですよね。

そういうのって正直なところ、坂本竜馬あたりの世代になるまで誰も考えていなかったと思っていたんです。これはもはや、両手をついて涙を流しながら平伏するしかありません。

もちろん、それもこれも泰平のため。戦がないだけでなく、国全体が富み、人々がなんの心配もなく生きていける治世を行うためあらゆる思案・手段を講じる家康公の真摯な思いからくることなんです。私は東北人なので、どちらかというと伊達陸奥守様の方が好きですが、これからも読みすすめます。

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これまでの人生で、一番に本を読んだのは大学時代でした。‥‥2012年までは。

2013年は数えてみれば120冊以上の本を読みました。大学時代は確かに本を読んでレポートを書くのが本分でしたが、冊数や密度でいえば少々薄かったような気がします。

『竜馬がゆく』や『帝都物語』などの長編物も2013年になってからガンガン読みまくりましたが、つくづく思ったのは、

「作家という職業の人は、本当にすごい」

ということ。私が読んでいる物語は当然ながら作家の人が考え、書き出したものですが、そういうところに考えが及ばないほど入り込んでしまう。読んでいるうちに、その登場人物が現実にそこにいて語っているような錯覚に陥る。なればこそ、その人物の言葉に笑ったり泣いたりウムムとうなってしまったりと、素直に感情を揺さぶられてしまうのです。

特に『竜馬がゆく』『徳川家康』『宮本武蔵』なんかは、本当に教えられることばかりです。言ってみれば歴史小説BIG3って感じです。誰が明石家さんで北野さんで森田さんかは不明ですが。

ともあれ、こういった物語を書くことを専業とし、生きていくための武器にしている『作家』という職業は本当に大変なものだと32歳にしてようやくわかった気がします。中にはお手軽に書かれたようなスカスカの作品もありましたが、それはそれでよろしい。私は批評家ではないので何がいいとか悪いとか、そういう技術的なことはわかりませんが、とにかく今の私は本が大好きです。

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『徳川家康』を再び読み始めました。

今年は『宮本武蔵』を読むことから始め、その後はスポーツ小説や村山早紀先生のちょっとファンタジーな小説を読み、多少気持ちがふんわかしていたところだったのですが、図書館で次に読みたいと思っていた村山先生の小説が貸し出し中でなかなか戻ってこないのでね。それなら、中途半端になっていた『徳川家康』を最後まで読もう、と思ったしだいです。

19巻は泰平胎動の巻。関が原の戦いを終え、征夷大将軍に任命された家康公。内府殿から右府殿あるいは上様になったところです。

その一方で、初期の頃から出ていたメンバーもいよいよ幽明境を異にする場面が出てきました。家康公の生母である伝通院や、まだ織田信長が「うつけ」と呼ばれていた頃からフィクサーとして暗躍していた納屋蕉庵、などです。時代の移り変わり、世代の入れ替わりを感じます。

私は21世紀の日本からその様子をず~っと眺めているだけですが、やはりさびしいものがあります。でも、そういう人たちも最後まで泰平を願いながらこの世を去っていったのを読むと、なんだか胸が詰まります。今じゃ何かというと戦争だ戦争だと騒ぐ人もたくさんいますし、私自身もその手のアクション映画などに心躍った時期がありましたが、やはりこの本を読むたびに平和の尊さを感じます。

ともすれば権謀術数に長けた『狸ジジイ』と称される家康公ですが、豊家との安定のため可愛い孫娘を秀頼公に嫁がせたりするなど、その心はあくまでも戦のない世界を創ること。今時こういうのってはやらないのかもしれませんが、私はやっぱり、こういう平和の形が好きです。

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基本的に『朝ドラ女優』というか、まあそういう言葉があるのかどうかわかりませんが、朝ドラのヒロインとしてテレビに出てきた時に初めてその女優の名前を知った‥‥という時に、私はそういう言い方をします。

ちょっと前なら瀧本美織(『てっぱん』)だし、最近だったらやはり能年玲奈(『あまちゃん』)あたりでしょうか。あらゆる一般常識や暗黙の了解などで重苦しい世の中に強烈なパンチを食らわし、すべてを前向きに変えてしまうエナジーは、それを見ている私をも元気にしてくれます。たぶん朝ドラが好きな人って、みんなそう思ってるでしょうけど。

特に能年玲奈はいいですね。私はそれまでこの名前を知らなかったし、岩手日報で『あまちゃん』関連の第一報が流れた時も特に何も感じませんでした。「どうせたいした話題にならずに終わるでしょ」と、どこかいじけた気持ちがあったから、というのもありますが(まさか、あそこまで大きな現象となるとは)。

そんな私が興味を持ち出したのは『あまちゃん』放送直前に毎日jp(毎日新聞のウェブサイト)に掲載されたインタビュー記事を読んだ時でした。「養成所にいた頃は生ゴミといわれていました」「ライオンのようにガオーッて感じで頑張ります」などと、少々エキセントリックな雰囲気が早くもにじみ出ていたのですね。

そんな能年(親しみを込めて、あえてこう呼ばせていただきます)が出ている『かんぽ生命』のCM。なんか、何度か見ているうちに、だいぶ好きになってしまいました。

やっぱり、有無を言わせないまっすぐさと力強さがあると思うんですよね。そんじょそこらのアイドル気取りの子が同じことを言えば「ハイハイわかりました」つってすぐにチャンネルを変えてしまうんですが、能年に言われると「そんなもんかね」とうなずいてしまう。「まあ能年がそこまで言うんなら、しょうがねえな」って気持ちになってしまう。

そんなわけで、能年を見ると元気になります。元気があればブログも書けます。元気ですかー!!!(それは違う人だ)

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最近、昔に使っていたPCをまた使っています。2013年2月まで使っていたものです。

当時『ついに壊れたか』と思い、いずれ修理に出す予定でしまっていたのですが、こっちのPCの内蔵ハードディスクにしかないデータを取り出したくて、1年ぶりに引っ張り出してきたのです。

修理に出すにしても、具体的にどういう症状が出るのかを説明しなくちゃいけないし。と思って久々に立ち上げてみると・・・あれ? なんか、1年前に出た症状がなかなか出ません。

そういうわけで、様子を見るという名目で再び旧PCを利用しています。


こうして使っている中で、何度か、症状は出ました。カーソルなどが、まるでノイズが入ったみたいにチラチラとなり、そのうち画面全体がグチャグチャになったり、モニタの電源が勝手に落ちたりして、PC自体はちゃんと動いているみたいだけれど画面が表示されない。そんな状況です。

でも、前兆が出たらすぐに再起動すれば、またしばらくは何とかなるし。根本的な解決にはなっていませんが、とりあえず利用するには不便がないし。まあ、これでいいでしょう。

12年前のハイエンド機。一応セキュリティソフトくらいは最新のものを利用していますが、それ以外は結構、古いものです。

でも、これでしかできないこともあるし。やはり、私はよくなじんだこのPCがいいなと思うのです。

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すでに何度か書いていることですが、私という人間はつくづく自分のためにしか生きられない人間だな、と思いました。

少なくとも、誰かのメンタルに直接タッチすることが出来ない人間であることは、間違いないと思います。悲しみに沈む人のことを励ましたり、寄り添ったり、そういうのは出来ない気がするのです。

震災から3年。そろそろ、はっきりとそのことを認めなければならないと思ったのです。

誰かを元気付けたりするのは、作家の人とか歌手の人とか、そういう人に任せたいと思います。私もそういう、読む側で聴く側に回りますから。


どうして、こうなったのかというと、きっと「考える」ことよりも「感じる」人間になったからだと思います。去年はとにかくたくさん本を読んだのですが、その中で自分が『こう思う』『こうすればいい』という考えが必ずしも正しくないというか、もっといい考え方がその小説の中で出てきて。「ああ、そういう考え方もあるんだ」と。

そういうのを繰り返しているうちに、下手な自分の理屈を振りかざすことをやめました。その代わり登場人物の気持ちを出来るだけ受け入れて、感情を共有できるようにしたのです。その方が物語により深く入り込めますからね。

そんなこんなで、最近の私はとても内省的になっています。誰かの気持ちに働きかけてアアだコウだと引っ張ることは出来ません。

そういうことをするのって、多分、技術がいるんだと思います。傾聴ボランティアというのがありますが、あれも希望者は事前に講習を受けて、それなりの準備をしてからやらなければいけないそうです。物を書く仕事とか音楽を作る仕事とかは、なおさらでしょう。

だから私はそういうのは、ほかの誰かに任せます。その代わり、いい物語があればたくさん触れたいし、その感動を共有したいと思います。

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3年前まで、日常は変わらないものと信じて疑いませんでした。

その日も、いつものように朝にブログを書いて。いつものように、なんだかどうでもいいような内容の、それゆえにごく日常的な内容の。

そして次の日は土曜日で休みだから何をしようかな、なんてことを考えながらいつものように仕事をしているときに、あの地震が起こったのでした。


数日後にはまた日常が戻ったものの、もしもあの時、私が二度とブログを更新できないような状態になったら、と思うと・・・・あの記事を見て私が無事だと思ってくれたnkyさんに申し訳ないことをしたな、と思います。あれは地震が起こる前に書いた記事でしたから。

あれから、何度かブログをやめようと思ったことがありました。まあ何とか今も続けてはいますが、PCが故障したことなどもあり、更新頻度が思いっきり下がりました。そして更新するときも、以前のように身の回りのどうでもいいようなことを書く気になれません。なんか、色々と考えちゃうんですよね。


でも、まあ、いずれにしてもこのブログが私の消息を確認する役割を果たしているのかな、と思うと、やっぱりやめられませんね。私もかれこれ10数年ホームページを運営しているものの、閉鎖されたり何年も更新されていないサイトを見ると、なんだかさびしくなりますもんね。

だから、その、これからはもう少したくさん、記事を書こうかなと思います。出来るだけね。少しずつですけどね。



いつもの日常に感謝し、みんなが安心して過ごせる日がくるまで。Pray for Iwate.

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東日本大震災から3年が経ちますね。
 
 この3年間、被災地のことを考えなかった日はありません。
 
 その上で、この3年という年月は長かったのか短かったのか? というと、よく・・・わかりません。3年という時間を考えれば確かに長いと思いますが、復興の進み具合という点から見れば、「もう3年も経ったのに、まだこんなものなのか」という感じもします。
 
 それでも、仮設住宅から復興住宅へ引っ越す人たちも少しずつ増えてきたから、確実に復興は進んでいるんでしょうけど、もっともっとペースをあげる方法はないものか? と思ってしまいます。人が足りないとか資材が足りないとか、工事を発注しても入札がないとか、そういう、誰にもどうしようもない理由でペースが遅くなっているという理由を踏まえたうえでね。
 
 
 私は私に出来る範囲で、沿岸の街のために出来ることをやっていきます。
 
 去年はようやく宮古市に行き、市場や観光地などを回ることが出来ました。遊覧船から破壊されたままの防潮堤を見た時は、「これが今の景色なのだな」というショックで力が抜けそうになりましたが、なればこそ何か出来ることをしなければいけませんよね。keep on movin'ですよ。
 
 岩手の人は岩手を、宮城の人は宮城を、福島の人は福島を。まずは同郷を助け、それから余力があれば隣の県の人たちを助ける。私自身も7月以降、どうなるかわからない状況になってきましたが、今出来ることをするのが人の道というものでしょう。
 
 これからも犬神は、岩手・宮城・福島の復興を応援します。

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「おれはひとりの修羅なのだ」といえば宮沢賢治ですが、私もまた修羅というか、畜生というか、流行の言葉で言えば『下衆の極み』みたいなもんだなあ、と思いつつ日々を過ごしています。

 だからこそ多くの本を読み、心を少しでも綺麗に磨いてやりたいと日々努力しているところですが、村山早紀先生の『コンビニたそがれ堂』なんかは、そんな私には少々まぶしすぎる作品でした。心があらわれるというか。

 そこに余計な感情や思考を差し込んで台無しにしてはいけないと思い、慎重に――そして一気に読みきってしまいました。

 それは確かに、誰でもが体験できることではないでしょう。そのコンビニでは、探し物がある人は必ず見つけられるというものの、ほとんどの人はまずコンビニを見つけることができないわけですからね。

 でも、そうかといって「そんなこと、ありえない」って否定するわけにはいきません。その小説の中の人たちにとっては、実際にあったことなんですから。

 それを否定しようとする感情を強い力で抑え付け、目の前で起こる奇跡を素直に認める。そうすることで死に掛けていた感情がむくむくとよみがえる気がするのです。


 全然、ブックレビューでも何でもありませんが、とにかくそれを読んだということを書きたくて、今日は書きました。上手にいえませんが、とにかく最高によかったです。

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この本を手に取った理由は、ほんのちょっと前までその存在さえ知らなかった『女子スキージャンプ』という競技のことをきちんと知りたかったからです。

 言うまでもなくテレビでは連日? 高梨選手のことが取りざたされます。オリンピック直前までは、もう朝の情報番組(めざましテレビ)から夜の情報番組(スーパーニュース)まで、なんだかんだと報道されていましたよね。

 でも「そういうのって、なんか嫌だな」って思ったんです。天才少女とかメダル確実とか、そうやって持ち上げるのはいいんですけど、逆に言えば、「そういうのがなければ、価値はないのか?」と。順位のつくスポーツの選手だから、「そうだ」という人もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。順位は後からついてくるもので、選手が「やりきった」と思えるかどうかが大事だと考えているからです。

 そういったことを理解するためには、できるだけ選手の側から見なければいけない。そう思っていたところなので、小説という形ではあるものの、これを読んだ次第です。一応ちょっと書店で立ち読みして、ラノベ的な、お手軽な展開ではなく、結構まじめな青春スポーツ小説って感じだなという手ごたえも得たことだし。


 完全アウェーの転校生、さつき。スキージャンプの天才美少女、理子との出会いが、孤独で憂鬱な日々を塗り変えていく―わくわく、ハラハラ、うるうる。全部が詰まった青春小説。



 一通り読み終えた感想としては、まあ、これまでに読んだ青春スポーツ小説(私が読んだ感想については特集ページでまとめています)ほどの熱さはありませんでしたが、十分に楽しめました。比べる対象が、日常生活に支障が出るくらいの異常燃焼だったんで、少しも見劣りするものではありません。すごくよかったです。

 それに、スキージャンプ競技の何たるかは少しわかった気がしました。踏み切りのタイミングとか、空中姿勢とか、そういった細かい技術的なこととかね。知識があれば実際の競技をテレビで見る時の気持ちも色々と変わってくるというものです。そのスゴさが具体的にわかるというか。

 あと、男と女は違うんだな、ということもわかりました。女の子には、ヤローには物理的に絶対に理解できない悩みがあるのだな、と。だからいいとか悪いとかではなく、まずはそういった『違いがあること』をちゃんとわかっていなければならない、と思ったのです。これは先ほどあげた青春スポーツ小説の中でも書かれていたことですけど。

 またひとつ、いい経験をしました。

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最近、ちょっと体が衰えてきたのかな‥‥と思っています。

 いや、ちょっと風邪を引いただけなんですけどね。以前であれば、多少の具合の悪さは気合一閃で吹き飛ばすことができたような気がするのです。

 ところが今回は、そうもいきませんでした。身体は寒気で震えるし、頭は熱が出てポーッとするし。完全に風邪にやられてしまったのです。

 そのためさすがの犬神もパブロンを服用。いつもより1時間早く床に入り、1時間遅く出ました。それで少しは回復したのですが‥‥やはり気合で何とかできなかったのは、ちょっとショックでした。

 まあ、20代の頃と同じようには、どうしてもいかないのかもしれませんけどね。そういうことを認めて、その上で身体を鍛え、風邪を引かないようにしなければいけないんでしょうけど。

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