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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
以前にも書きましたが、小説って、やっぱり書いている人の気持ちがにじみ出てくると思うんですよね。だから徳川家康という実在の人物を取り上げても、権謀術数に長けた老獪な狸ジジイというイメージもあれば、山岡荘八先生が作り上げたようなイメージもある、と。

私は実際に家康公にお目にかかったことがないので、要するに「どのイメージを採用するか」ということだと思うんですが、実は元々家康寄りの人間なんです。数年前に日光東照宮に行き、そこで東照宮遺訓(「人の一生は重荷を背負って・・・」ってやつです)を読んだあたりから、やはり人生とはかくあらねばと思ったのです。それが本当に家康公が言ったとか言わなかったとか言う話は別にして。


そんな山岡先生の描き出す人物たちは、いずれも非常に魅力的というか・・・それまであまりいいイメージをもっていなかった人も、そのイメージを改めるきっかけとなるものばかりでした。

たとえば私は大坂方の母子(淀君&秀頼公)があまり好きではなかったのですが、こうして出生の頃からず~っと追いかけていくと、「これもまた仕方がないのかもしれない」と思うようになってきたのです。

淀君は幼少の頃に母(お市)と死に別れ、思いっきり年の離れた秀吉の愛妾となり、その秀吉があっという間に逝ってしまって。自信の欲求不満と息子可愛さと太閤の威光が色々と混ざって、あの超勝気なキャラクタになったのだろうと思うと、むげに嫌うことが出来ません。

それに秀頼公も、やはり正しく導く人がいなかったのが不幸だったと思います。この男は(史実ではどうだったかわかりませんが)強気なところがあるかと思えば妙にさびしがりで、そこらへんの中学二年生とあまり変わらないような感じです。その一方で嫁入りしてきた千姫の身の回りを世話している女性に手を出して子を作ったりしています。これだけ見ると、ただのハレンチ野郎ですが、どうしてそうなったかを考えると・・・ただ目を閉じてうなだれるしかありません。

そう、誰が悪いわけでもないのです。きっと、仕方がないことなのです。

そんな状況を何とか改善しようと必至で頑張る家康公。それを見て、400年ほど離れた時代を生きる私も、なぜか『頑張らなくちゃ』と思ってしまうのです。

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