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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

 2月に見た美術展・卒展などの集大成みたいな大物記事を書き上げたので、またここから数日は肩の力を抜いて、身の回りのありふれたことを書いていきます。こうした小さな積み重ねや振り返りをしながら、ある時気持ちが高まってドカンとまとめ記事を書くのが私のスタイルですから。別に旬とか速報性とか関係のないブログだし。書きたい時に書きたいことを書けばいいんです。「回想」とタイトルにつければ何でもいいやという境地にたどり着いたので、今日も今日とて気ままに書き散らしてみます。
 これを書いているのは3月3日なんですが、じつは不肖佐藤、十数年ぶりくらいに風をひきました。本当は十数年ぶりというのも確かじゃなくて……ちょっと記憶がないくらい久々に風をひいたんです。いや実は「もうこれしか道はない」って言ってプレコールの箱を手に取ったら開封していたので、過去2年以内に薬を飲むくらいの風をひいてるじゃないか! ということに、たった今気づいたのですが……せっかく書いたのでそういうことにしておきます。
 心当たりはあります。2月28日にちょっと……空気が乾燥したところに何時間もいて……それ以来明らかに喉が痛くなったんですよね。だから風というか気管支炎かもしれませんが、ともかく喉が痛いし咳も出るし。まったくもって体調不良です。それゆえ心も何となくすぐれません。今日は上巳の節句ですが、外出を控え『わんだふるぷりきゅあ』から『日曜のあらかし』までテレビを見たり見なかったりしながら記事を書きインスタントラーメンを食べて死のうとしています。 
 ※そのような事実はございません

 まあ私自身の風は軽中度のものであり、ことさら無理をしなければすぐに快方に向かうと思うのですが、先日老母が腕の骨を折り……さらにその時の検査で「骨粗鬆症」が発覚したという一報を数日前に弟者から受け、気持ちが晴れない日々が続いています。さぞかし不自由をしていることでしょう。だからといって帰省したいかというとそれほどでもないという見下げ果てた親不孝者なんですが、ただ……ショックで何も言えなくなってしまったというのが……今の正直なところです。
 また、先月102歳の誕生日を入院先の病院で迎えたばんつぁん(祖母)は皮膚癌の一種が見つかり、体が弱って手術もできないので外用薬で何とかごまかしていると聞きましたし……まったく自分以外の健康問題で心が重いです。生老病死は人間誰にでもある四苦ですから、なるようにしかならないとは思いますが、せめて私自身は少しでも健康でいられるよう気を付けたいと思います。

 ちょうどこないだ、若い人からこんなふうに突きつけられましたしね。わ、わ、わかってますって……だからほら、タバコはやめたんですよ1年以上前に。そ、それにお酒だって……一番ひどい時は朝起きてビール3本飲んでから仕事に行ってたけど、今は大体350ml缶を2本くらいにしてるし……時々はエスカレーターじゃなくて階段を使ってるし……。

 大丈夫ですよ。馬場さんの言葉はしっかり受け止めました。私は大丈夫だなんて思っていません。体調が良い日は2万歩以上歩いています。最近はすでに身体の方がジャンクフードを受け付けにくくなっているので(胃もたれ率が昔より上がっている)、野菜とか真っ当なものを食べる機会が増えています。

 私は、死のうとなんかしていません。
 私は、いつも生きようとしています。
 無病息災と言いたいところですが、まあ一病くらいしておいた方が良いでしょう。内田百閒も、そんなことを言っていたし。「一病くらいならしても仕方ないか」と思えば、結構長生きできるんじゃないかな。そんなわけで皆様もお体に気を付けてお過ごしください。Salut !

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 さる2月27日、せんだいメディアテークで東北工業大学生活デザイン学科の卒展を見ました。
 この日は元々宮城教育大学の卒展を見るために街に繰り出したのですが、初日は開場時間が遅いことを現地に着いてから知り、「ちょっと図書館にでも行ってみるか」と言って仙台市図書館も入っているメディアテークに行き……
 「へえ、今こういうのやってるんだ」
 「時間もあるからちょっと見てみようかしらん」
 という感じで見てきた……まあそんな感じです。切っ掛けとしてはひどいものですが、ともかくこれが事実だから仕方がありません。前にも書いたような気がしますが、切っ掛けなんか何でもいいんです。内容を見て面白かったり為になったりプラス要素があればそれでいいんです。むしろ私は「来るべくして来たのだ」と受け止めます。シンクロニシティ!
 東北工大の卒展は2回目ですね。こないだは産業デザイン学科の卒展でしたが、今回はライフデザイン学科……いずれにしても私が門外漢であることに変わりはありません。2回目ということで気安さにもターボがかかっているので、何らためらうことなく突撃しました。
 そして、激動する世の中の一挙一動に反応することに疲れ「大問題を論ずる興味を急速に失っていった」(澁澤龍彥『黄金時代』河出文庫版あとがきより)私でさえ、身近な生活や私の本分である文学の世界にまで切り込み、理系ならではのアプローチで作り上げた学生の皆さんの理論に驚嘆し恐れ入ったのでした。
 そういうことを私のポンスケブログで語ったところで、どうせ誰も見てくれないと思いますが、私は私なりに精いっぱい感じたことをまとめます。いつだって、そうしてきたんですから。どうせ誰も見てくれないと言いつつ、もしかしたら誰かひとりくらいは「ヘェー」って言ってくれるかもしれない……いつか、いつかきっと……そう信じていますから。



 ……
 「生活デザイン」は、人間の心身や生活を起点として、地域社会の価値向上や課題解決についてデザイン探求する分野横断的な学術領域です。 地域社会や環境の変容と向き合い、具体的な解決・改善に貢献することを目標に、下図の10 研究室に分かれて探求してきました。 本企画は、これに関わる卒業研修・修士研修の成果を展示するもので、大別して、知識技術を統合してデザイン提案する 「制作」と、 価値向上や課題解決に関わる諸問題を明らかにする「研究」に分けられます。また会場内には、現1~3年生の一部作品も展示しています。
 とりわけ、今回展示している卒業研修は、入学と同時にコロナ禍でのオンライン授業に突入した学生たちがとりまとめた成果です。 困難は多くありましたが、みなそれぞれの課題に向きあい、乗り越えました。視点や提案は大小さまざまですが、生活デザインの重要な課題に向きあい、一隅を照らしてくれました。 そうしたもろもろを想像しながら、ご高覧頂ければ幸いです。


 一隅(いちぐう)を照らす。素敵な言葉です。私もそんな挨拶を受けて、門外漢の気安さで見てみました。見てみたというか、やっぱりテキストが多くて、それをじっくりと読んできました。何分にも強度の近眼で高いところにある細かい文字が読めない……ということもあり、写真もビッシビシ撮ってきました。ここだけで150枚近く撮ってましたからね。それを全部振り返って、その時に感じたことも合わせて……ただ、それを全部書き出そうとすると、さすがに私も大変だし読む方はもっともっと大変でしょうから、ほどほどにまとめてみようと思います。

   *

 文学や芸術の世界は受け取り手次第で色んな解釈が生まれるものであると思っているのですが、科学の世界には物理法則というものが横たわっているので、「何に対してどう考えて、どんなアプローチをしたか」というのが極めて明快なんですよね。すなわち、
「自然科学者が書いた随筆を読むと、頭が涼しくなります。科学と文学、科学と芸術を行き来しておもしろがる感性が、そこにはあります。」
(STANDARD BOOKS刊行に際して)
 ということなのです。文学や芸術の楽しみ方にも幾何学的精神が持ち込まれ、よりいっそうはっきりとした輪郭線を見出し親しむことができるのです。なんて、これは今記事を書きながら思いついたことなんですけどね。でも今回の展示では本当に、文学と科学の世界をクロスオーバーする卒業研究があって、すごく刺激を受けました。これからその内容について、自分の感想を中心に紹介したいと思います。


 すべての展示を眺めてみて、結構「こういうのが多いのかな」と思ったのは、やはり少子高齢化とか時代の流れとかによって過疎化が進むエリアの再開発に関するアイデアですね。私の大好きなウラロジ仙台さんでも取り上げられ実際にオートバイで行ったこともある丸森町筆甫とか、私の地元である盛岡市の中でも特にお気に入りの場所である盛岡市立図書館のある高松地域とか。中には仙台駅周辺のように「人が留まるスペースがないから結局郊外に人が流れていく=ドーナツ化現象」現状を改善するべくマイクロパブリックスペースを作ろう! という研究もあって……昔、仙台駅前でやった社会実験movemoveを思い出しました。あれで私も体験的に、「街中に人が留まれるスペースがある方が良い」と考えている人類なので、これは大いに共感しました。良いと思います! その気持ちを伝えたいので、写真を掲載していいのかどうかわかりませんが掲載しちゃいます!

   *

 ここからは、私のなかにある「科学と芸術を行き来しておもしろがる感性」が強く刺激された展示を2点紹介します。


 こちらも丸森町に関連したことですが、私が特に興味をひかれたのはアートを引き金に街の活性化を図ろうというアプローチをしていることです。超現実主義画家というと超時空要塞に似た力強さを感じますが、そうか丸森町にはそんなスゴい人の文化資源があったのか! というかそんな人がいたのか!……まだまだ私は素人ですねスミマセン。でもいいんです、これをきっかけに一歩ずつアートの海に入水するんですから。それと同時に街の活性化についても考えられるのなら、これほど面白いことはありません。


 これは気仙沼の街の活性化を目的に新規作成された絵画ですね。アートを引き金にという点では先ほどの丸森町のそれと共通する部分がありますが、その内容としては超現実的なものではなくて、むしろ人々の現実、特に独自の文化が発展しにぎわっていた昭和30~40年代の気仙沼市の生活を盛り込んで制作されたもの……ということでいいのかな。今改めて、写真に撮ってきたパネルの記事を読んで私なりに解釈したところでは、そんな感じです。
 たくさんのエピソードを一枚のキャンバスにまとめ上げる作業というのは非常にアート的なことだと思いますが、その工程をフローチャートで説明するところが出色ですね。絵画もやはり技術の積み重ねなんです。それを包み隠さず説明してくれたことは、私にとっては非常に大きな収穫でした。これまた、いぎなり良いと思います!
 ただ、私が感情的に良いと思います! というだけでは消費されて終わってしまうので、そうならないよう最後にこちらの研究をした学生さんのまとめを引用します。


 以上のことを踏まえて、アートという手法を使った調査おいて判明したことが2つあった。1つ目は、アートがきっかけで人々に研究への関心を持ってもらったことである。 聞き取り調査では、人々に「人々の気仙沼市への思い出から絵画制作をする」旨を伝えると、絵画制作について関心を持つ人々が多かったからである。 また、自分の思い出が絵画として表現されることに好奇心を持つ人が居たことである。2つ目は、多くの人に協力して貰う為には気仙沼市民を中心に気持ちに寄り添った研究をする必要があることである。特に、震災関連の研究によっては 「感動ポルノ」 や 「震災をネタとして扱っている」と捉える可能性があるからである。 その為、本研究では研究のきっかけや今まで行って来た研究を明示した。以上のことを踏まえて、本研究では人に取材する上で、本研究の説明が上手く伝わらないことがあったが、滞在取材やエピソード集計、フィー ドバックでは、人々から「気仙沼への想い」を聞き出せたと考える。


 私は門外漢のいち市民メディアなので専門的な分析や批評はできませんが、「震災」という大きな(そして重い)テーマに対して複合的なアプローチをして、こうして科学と芸術を行ったり来たりしながら形にしたのが本当に面白いなと思いました。この気持ちを忘れたくない、こういうスタンスを私も真似してみたいと思ったので、特に詳しく感想を書きました。いぎなり良いと思います!

   *

 今回の卒業展示はせんだいメディアテークの5階のフロア全体を使って行われたのですが、隣の会場に行くと、今度はいかにも理系の大学って感じの研究発表に出くわしました。さすがに全部は書ききれないので、特に印象に残ったものをいくつか紹介します。


 まずは、これですね。「画像生成AIを用いた建築パース生成手法に関する基礎的研究」……いいですね、いかにも理系の卒論って感じのタイトルです。そして生成AIといえば、最近じゃほとんどの人が「聞いたことがある」程度の浸透度合いを見せている代物です。私も文芸オタクではありますが、一応ITパスポート試験に合格するくらいの知識はありますから、ちゃんと最後まで読んで「そういうものなのだな……」と得心することができました。
 こうしてAIを育てることは、残念ながら私にはできないでしょうが、それでも『仮面ライダーゼロワン』みたいに、人間とAIが助け合って生活する世界は確実に近づいていると思いました。今のところ私は積極的にAIの助けを借りることはありませんが……いつか、ね。イズみたいなヒューマギアが私のもとにもいたらいいなあ、なんてくらいのことは思いますよ。そういう未来を夢見る権利くらいは、私なんかにだってあるはずです。





明るい洞窟

洞窟に入ると次第に前の人の姿が闇に消える瞬間がある
見えなくなってもその存在はわかる

明るい光と暗い闇という二つの関係性において
私は”明るい闇”というものが存在すると考える

光 と  闇
直進する光 と 屈折する光
見えること と 見えないこと
近づくこと と 遠ざかること

おもかげとうつろい
お日様の下で不確かな像が現れては消えていく

本制作は光から建築を見つめ直す試みである


 このステートメントの雰囲気も極めて文学的アート的な印象があって気に入ったので、それも含めて写真を掲載します。最初に掲載した2枚の写真は、「ものが見える仕組み」……光源から出た光がものに当たり、反射した光を私たちが目で受け止めるという原理をふまえて、あえて光の方向を変えることにより、そこにあるものが見えなくなるという理論を誰でもわかるようにした実験装置です。どんなに目を凝らしても、このアクリル板を通すと見えなくなってしまうんですね。不思議といえば不思議ですが、神秘でも何でもないんです。すべては物理のうえに成り立っているのですから。
 そんな私の認知・発見・気づきによる心のときめきを見越していたかのように、ステートメントの最後にはこんな文章がありました。これまた素敵な文章なので丸ごと引用させていただきます。


本設計ではものが見えるという現象について根源的な仕組みから掘り下げ、光の屈折という一つの テーマに終着した。制作を進めながら現象とは何かということをずっと考えていた。ある時それはみえていなかった”存在”を” 知覚” する瞬間なのではないかという結論に至った。既に目の前にある事象が、ある条件下で姿かたちを少し変えて私の前に現れた時に私はその存在をようやく知覚する。柱があればそこに影が落ちる 落ちた影が光の存在を私に知覚させる そのようにしてまだ知覚できていない目の前の事象をそっと掬い上げるような空間が出来た時、初めて建築と環境が調和したといえるのではないだろうか。 本修士設計では、レンチキュラーと呼ばれる光学レンズを用いて壁 のみでの思考に留まったが、建築と環境の知覚については自身の卒業設計から続く終わらないテー マである。 これからも引き続き考えていきたい。


 改めてしっかり文章を読み直してみると、小林秀雄みたいな鋭く怜悧な言葉ですね。これをきちんと理解できたという自信はありませんが、それなら理解できるまで胸に秘めておいて、また何度でも振り返ればよろしい。楽しみが長く続くに越したことはないのですから……。

   *

 「記憶をもとに設計し記憶を積み重ねながら暮らしていける家」「緑の侵食をうけながらも残り続けたいという建物の意志を汲んだデザインの在り方」「台湾の新竹市にある軍需工場の遺跡を再利用した『異空間並置設計論』」「現在の日本人の死生観を改めるための『葬儀~後に故人と向き合う場』の建築デザイン」……撮りまくった写真を振り返り、そこに書かれた記事をしっかり読み返すことで、どれもこれも面白いなあと思ったのですが、文芸オタクとして最も深いところに突き刺さった研究を取り上げます。



 
言語は感情を変化させる一つの手段であり、生活をする上で欠かせないものである。 小説から感情を読み取り、「私」自身がイメージする空間イメージを頼りに、言語表現から空間を形成し、感情の印象を埋め込む。 そこで本設計では自分自身の感情と向き合える「小説」という媒体を使い、小説の文章を修辞法の一つである隠喩を用いて、空間イメージと掛け合わせながら、言語化し、主人公の感情をこれまで自分が体験したイメージの中で空間を知覚し形成する。 言葉により紡ぎ出される主人公の感情を自分の体験したイメージから空間の設計を試みる。



 小説の世界というのは文系の……盛岡大学文学部英米文学科を卒業した私にとっては本丸のようなものです。ここは決して理系の世界の人たちが立ち入れない領域であり、逆にこの文系の世界の人間だから理系の世界には入り込めないんだ……と思っていただけに、この研究発表は衝撃でした。あくまでも私は感情を言語で表現することが一等得意な人間なので、こうしてオブジェとして小説の世界を実直に表現する試みというのはまさに幾何学的精神に基づく真面目な研究成果であると思います。私に出来ないことをやってのけたことに、素直に感動してしまったのです。

 感情を形にする作業ではありますが、そこに不純物が入り込む余地はありません。ひたすらまっすぐに空間イメージを作り上げ、出来上がったものがこれらのオブジェです。

 建築家でも美術家でも、いや何だったら小説家でもなんでもそうですが、やはり形を作るためにはきちんとした体系だった技術が必要なのだなと痛感しました。たぶん20年前、私が足りなかったのはそういう技術なのでしょう。色んな本や解説書を読んで「そうかな!」と思って、それを引用しながらでっち上げた卒論は、いま思い返してもひどい出来だったと思います。
 ただ、20年経った今なら「それが私の限界だったんだろう」と思います。今更「ああ、もっと勉強しておけばよかった」なんて思いません。ともかく私の大学時代は20年前に終わっているのです。そして今回も含めてたくさんの卒展を見て回り、改めて自分の限界を確認したうえで、「これが私なら仕方ないか」という一つの着地点を見出すことができました。
 私なんかに出来ることはそれほど多くありませんが、一応社会人として生きているわけだし、全くないわけじゃないはずです。それなら出来ることを精いっぱいやって、出来ないことはできる人にやってもらえばいい、という未来への道筋もできました。そういう人を育て世に送り出すために教育機関というものがこの世に存在し、教える人と教わる人が存在するのだから、それでいいはずなのです。
 (関連記事:20年目の卒業



 たくさん引用しながら書いたので、単純に文字数だけ数えればメチャクチャ長くなってしまいましたが、そろそろこの小文もまとめます。最後に、今回の東北工業大学生活デザイン学科の卒展および、先に見た同大学産業デザイン学科の卒展そして記事には起こしていませんが宮城大学事業構想学群価値創造デザイン学類卒業展示(公式ホームページ)も合わせた「理系の卒展」を見て回ったことをまとめた感想を書きます。
 いずれも「メディアテークに行ったら何かやっていた」「入場無料だしとりあえず見てきた」的なきっかけで立ち寄ったのですが、実際に見てみると本当に面白くて、いっぱい楽しませてもらいました。イベントってたいてい身内とか友達とか学校関係者の人が主で、いくらこういうパブリックな場所で開催されているからと言って私みたいな純然たる門外漢が行くような場所ではないと思うのですが、それならそれで新しい発見、化学反応みたいなものがあるんです。
 テーマにしても、私たちが住んでいる街のこととか身近なものを取り上げて、それを深く掘り下げて研究成果としているから入りやすいし。パネルとして掲げられているサマリーも、誰でも理解できるようわかりやすくまとめられているし。そうして色んなことを知って、新しい考え方――そこまで大上段に構えなくても、日々の生活の中でそれまでとは少し違ったものの見え方や気づきが生まれ心が動く瞬間が増えるようになれば、私はそれでいいと思うし、研究成果としても成功だと思うのです。
 最初に見た宮城大学の卒展では、私も初めての「理系の卒展」だったのでドキドキしていたというか、「私なんか場違いじゃないかしらん……」という後ろめたさもあって、まだ心を閉じていた部分がありましたが、ひとつひとつの展示を丁寧に読み……中には展示ブースの前にいて自ら内容を説明してくれた子もいて(代わりに私も自分の感想を直接伝えることができて嬉しかったです!)……「なるほど、結構面白いものだな」ということで確かな手ごたえを感じました。
 それをふまえて行った同じ東北工業大学産業デザイン学科の卒展は、まだそこまで深く掘り下げるには至りませんでした。これはひとえに私の心が「理系の卒展」というものの見方に慣れていなかったためであって、実際に見てみて面白かったのは事実です。それは感情として記憶しています。ただ、具体的に何がどう面白かったかということをまとめるためには、もう少し私の心のチューニングが必要だった。そういうことなのです。
 そして今回、ひとつの集大成として……とにかく可能な限り書ききろう! と思って書ききったのが今回の記事です。他にも取り上げたい研究テーマはたくさんありましたが、それらを全部書ききることは私の手に余るのであえて絞りました。
 書くためにその内容を読み返し、それをもとに自分で文章を書いてみると……美術展の感想と違って、初めからきちんと理論が出来上がっているものを書くので、ある程度伝えやすかったのかな、という気がします。いつも形の無いマグマみたいな感情を拙い語彙力で何とか形にして作り上げてきたのですが、幾何学的精神というか、より論理的で立体的な伝え方が出来るように頑張らなくちゃいけないな、という新しい目標が見えてきました。それをどこまで実現出来るかは未知数ですが、やはり文章で伝えるためには、そういった技術も身に付けなくてはいけませんよね。
 とまれ、文系出身だろうと理系出身だろうと、色んなものに触れてみるのは大切です。臆せずどんどん、こういう機会があればアタックしてみたいと思います。

 改めて……。
 皆さん、ご卒業おめでとうございます。未来は皆さんのように一生懸命勉強しその成果をきちんと形にできた人たちによって創られるものと信じています。私は20年先に卒業した先輩として、皆さんが活躍するための世の中を作ってきたという自負があります。これからも生きている限り、私にできる範囲で世の中を作っていくので、皆さんが勉強してきたことを目いっぱい生かして活躍することを祈っております。
félicitations !

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 3月3日は上巳の節句。皆様いかがお過ごしでしょうか。私は公休なんですが風をひいてしまって……今日は一日ひたすら体力回復に努めようと思い「わんだふるぷりきゅあ」を見ながらこの記事を書いています。前作「ひろプリ」は時に号泣するくらい真剣に見ていたのですが、これは今日が初めてですからね。なるほど、こんな感じですか……。
 いや今日はプリキュアの話ではありません。上巳の節句の話をするのです。もっと言えば「ひな人形」の話をするのです。
 
 最近の話ですと、白石市に旅行した時に武家屋敷でひな人形を見てきました。最近は時流によりひな人形の世界でも核家族化? したのか、こういう多段階のひな飾りも見なくなりましたが、これこそひな飾り! ですよね。そんなひな飾りの横で私とみすみんサンがフュージョンした可愛らしい写真が撮れました。馬子にも衣裳にみすみんボード……。

   *

 今でこそ女性の服を着てノンバイナリーとしての生き方を模索しているところですが、私は男性として生まれ育ち、また兄弟も文字通り「兄と弟」の男系家庭だったのでひな祭りというのはクリスマスよりもさらに縁遠いものでした。
 そんな私が「郷土芸能としてのひな人形を見て楽しむ」とかいう切り口から興味を持つようになったのが、2年前に大迫町(岩手県花巻市)で見た享保雛でした。その時の記事はこちらです。

 2022年3月8日の記事「愛され護られてきたものの巻」

 大迫町ではこの時期になると街の商店のいたるところで伝統的な吊るし雛などの飾りつけをするのですね。それを新聞だったかテレビの県内ニュースだったかで見て、興味を持ち、行って来た……と。この享保雛は、商店街の中でも特にたくさん人形を飾っているお店にあったもので、「昨日はテレビの取材も来たんですよ~」とかってお店の人と話をした記憶があります。



 これは大迫町にあった石川旅館のひな人形です。この石川旅館というのはかの宮沢賢治が大迫に来た時に常宿としていた場所だったので、このような力強いキャプションがついています。そう言われれば私だって「そうかな!」とうなずくしかありません。正確に言うと大迫町を訪れたのは2022年の3月4日なので、おそらくまた今年も展示が行われていることでしょう。今日なんかは日曜日だし、きっと大勢の観光客が大迫町でニギニギヤカヤカしていることでしょう。上巳の節句、あなめでたや。

   *

 こうして伝統的なひな人形の写真をいくつも投稿していると1枚目に投稿したひな人形が少々安くみられるかもしれませんが、これがいいんです。これは私のアパートの近所にある床屋さんの店先なんですが、端午の節句とかハロウィンとか、季節によって飾り付けが変わっていて……通りすがりに眺めてみると「ああ、そうだよねえ。今は〇〇の季節なんだよねえ」とリマインドさせてくれるのです。なので私にとって最も身近なひな飾りがこれなんです。
 そんな感じで今日の記事は大体終わりです。あとは終日読書とか記事作成とか、インドアで過ごしたいと思います。良い一日を。salut!

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 2月は本当に……ここで書ききれないくらい色んな体験をしました。文字通り人生初の体験もしました。本から知識を得て世界を認識してきたリブレスクな私が本の世界に入り込んで自分がその登場人物になり……物語で読んだような体験をする機会があって……これ以上詳しく申し上げることはできませんが、これまでの日常がすべて吹き飛ぶような爆発的な出来事でした。
 私にとって必要な体験だったとは思いますが、私が求める日常は、その体験の延長線上にあるものではありません。やはり私が求める日常とは「アート・アンド・ブンゲイ」であって、それをもう一度確立するために一生懸命に記事を書いています。
 差し当たって2月27日に行った東北工業大学ライフデザイン学科の卒展について書き始めたのですが、宮城大学事業構想学群価値創造デザイン学類の卒展(2/10)に東北工業大学産業デザイン学科の卒展(2/24)と、2度にわたる理系の卒展を見たおかげで色んなものが見えてきて、書きたいことが大氾濫してしまい、全くまとまらないんですね。私も別に仕事がある人類なので、書ける時間も限られていますし、何よりも「気持ち」が大事ですから。内容をまとめたノートはあるし写真も150枚くらい撮影しているので、それをまとめようと思えばまとめられると思うのですが、ちゃんと気持ちを載せて書かないと納得がいきません。
 一方で、毎日書くと前に宣言して以来(1日に何日か分まとめて書いて予約投稿することも多々ありますが)ちゃんと毎日掲載しているし、穴をあけるのも業腹です。そもそも速報性なんか初めからありはしない気ままなブログだし、この辺でちょっと空気を入れ替えます。久々に、読んだ本のことなどを書きます。いぎなり前置きが長くなってしまいましたが、今日はそんな感じで気楽に書きます。どうか皆様におかれましても、コーヒーでも飲みながらお読みください。



 『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』澁澤龍彦著
 立風書房 1990年8月30日初版

 これは先日盛岡に帰省した時、一緒に仙台に連れてきた本です。具体的にいつどこで買ったかは覚えていませんが、最後のページに鉛筆で1800円と書いていたので、この本をその金額で購入したことはハッキリしています。また、これが初めて購入した澁澤さんの単行本であることも間違いないです。当時新たに澁澤龍彥を読もうとなれば河出文庫や中公文庫で刊行されたものがメインで、単行本はそもそも見かけることがなかったので……。
 一方で内容の方については、あまり強烈な印象は残っていませんでした。死刑制度に反対する理由として「制度においても習俗においても完全に聖性を失っている社会では、聖性への可能性においてのみ存在理由を示す死刑を存続させるべき根拠はない」と述べているところだけはすごく鮮明に焼き付いていますが、それ以外はあんまり……でも澁澤さんの単行本だしね、といって何度か訪れた金銭的危機に伴う大処分にも遭わず、ずっと本棚の奥に眠っていたのがこれです。
 今回久々に読んでみた感想としては、
 「よくぞここまで、色んなところから文章をかき集めたものだ」
 そんな印象でした。最後のページにある初出を見ると、もちろん『文學界』『新潮』といった本格的な文芸雑誌に掲載されたエッセーがあり、他の人の本に寄せた解説文などもるのですが、新聞とか映画のパンフレットとか『週刊住宅情報』!? とかに掲載された文章もまとめられているのでビックリしました。だから印象としては「かき集めた」なんです。サドとか終末思想とかエロティシズムとか論じていた人が週刊住宅情報に……やはり60年代と80年代では同じ澁澤龍彥という人物でも全然違うものなんですね。かく言う私も「玩物草紙」という、非常に穏やかな澁澤さんの文章が大好きなんですが。
 じゃあこれは(最近某有名文庫レーベルから刊行された本のように)明らかな商業目的、澁澤さんの死後に一儲けしようとたくらむ人類によって刊行された寄せ集めの本に過ぎないのか……といえば、そんなことはありません。この本は生前から出版する予定で立風書房の編集者と相談していたものであったといいます。そのことはあとがきで澁澤龍子さんがおっしゃっております。
 癌で喉を切り取り声を失った自分の現在を幻灯機で映し出したようなアナクロニズム爆発の小説『高丘親王航海記』を刊行、次作『玉虫物語』に次のエッセーにと意欲を燃やしていた澁澤さん。「ジャン・ジュネ追悼」「ボルヘス追悼」の次に来たのが澁澤龍子さんの「澁澤龍彦追悼」のあとがきになってしまうとは……今こうして読み返すと、遺された人間の気持ちが伝わってきます。それは私自身が長く生きて色んな感覚が身についたことと、最近、身内との永訣を体験したことが影響しているのかな。
 ともかくこれが澁澤龍彥「最後の」エッセー集です。この本を切っ掛けに澁澤龍彥を知り、その文章の中に出てくる人物の名前を知り、後にその人の著書に触れる。そしてある程度遍歴を終えてから戻ってきて、「ああ、これはあの本に載っていた文章だな」とか「うんうん、あそこで読んだ本に書いてたっけね」と思い出す……ちょっとしたハンドブックみたいな面白さを感じました。ジャン・ジュネは未読ですがボルヘスは去年の暮れに読んだし、三島由紀夫も稲垣足穂も結構ガッチリ取り組みました。
 何よりもベルメール! これは私のなかでも特に思い出深い文章です。
 今は閉店してしまった仙台市内の喫茶店で、「澁澤龍彥が好きなんです……」と言ったら店員さんが差し出してくれたハンス・ベルメールの写真集。これに載っていた「写真家ベルメールーー序にかえて」という文章を、実際にベルメールの写真集の中で読むことができたのは、私の読書体験の中でも一等素晴らしいものでした。再びその文章を読み、あの時の写真集の重さ、紅茶の味、お店の人との会話……すべてが鮮明によみがえってきて……結局お店を訪れることができたのは一度きりだったのですが、素敵な体験でした……。
(2022年12月7日撮影)
 こうして何でもかんでも写真を撮っておくのはいいですね。フォトジェニックだとかSNSで10万いいねだとか、そんなことはどうでもよくて、自分の記憶を補強するためにも、私はやたらめったら写真を撮りまくります。

 そんなわけで、今日の記事を書き上げることができました。本の感想文と私の個人的なことと、そういうものがないまぜになったへんてこな文章ですが、良いんですこれが私にしか書けない文章なんですから。終わりで~す!

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 決して日々を何となく過ごしてきたわけではないのですが、今日から3月ですね。昨日はFORUSの営業最終日につき特別記事を書いたので、月初の今日、先月のことを振り返ってみようと思います。決して書くことがないからこれで一日分でっち上げようとか、そういうわけではありません。色々なことがあって、いったんまとめないとわからなくなっちゃうので書くのです。

   *

 まずは2月2日ですね。いきなりこの日に美術展を立て続けに観て回り、人生で初めて「可愛い」と言われました。私の努力が実った証明であり、決してこの日のことを忘れてはならないと折りにつけ何度も何度も振り返っているところですが、また振り返ります。あとそれに関連して、私の可愛い系ファッションを推し進める決心をさせてくれた出来事についても一緒にリマインドをします。

実録「可愛いと言われた日」- 2/2のある出来事についての特集
TATSUJIN BANTSUAN - 2/7に出会ったストリート系シニア女性との交流

 次に、今月見て回った美術展……と、「卒展」ですかね。建築デザイン科とか、そういう理系の卒展もたくさん見て回ったので、それらについて時系列で整理してみます。

2/2 亀井桃個展「ぷりずむ」
2/2 「日本デザイナー芸術学院」卒展
2/2 東北生活文化大学4期生グループ展 「私の推し展」
2/2 東北生活文化大学「足跡」展
2/2  「胎に刺さったリボン」展
2/3 「胎に刺さったリボン」展(2回目)
2/10 東北生活文化大学美術表現学科 卒業展示
   宮城大学事業構想学群価値創造デザイン学類卒業展示
   仙台工藝舎/creek成果発表展 vol.5 「つくるところ」
2/14 東北生活文化大学美術表現学科 卒業展示(2回目)
2/20 「にがつのねこといぬ」展
   東北工業大学産業デザイン学科卒業制作展
   東北大・東北学院大・東北工大三大学写真展
2/22 専門学校日本デザイナー芸術学院写真映像科の写真展
2/27 新現美術協会展   宮城教育大学美術科卒業展示
   東北工業大学生活デザイン学科卒展
   

 プライベートで書いている日記とかもらって来たリーフレットとか撮りためた写真とか、手元で調べられるあらゆるものを駆使してまとめてみるとこんな感じでした。私自身にとっても、記憶を整理することができて良かったです。
 まあ私自身の大学生活は20年前に終わっているのですが、卒論は「出さなきゃ卒業できないから出します」的なひどい代物だったし、就職も決まらなかったし……何だかもやもやした気持ちをずっと抱えたまま生きてきたのでね。私は全く関係ない一般人ですが、こうして皆さんの作品に触れ、時には直接にお話をさせていただいて……自分の中で燃え残っていたものをちゃんとエネルギーに還元できたのかなって気がしました。
 それをまとめたのがこの記事です。実際にはこのあとさらに若い皆様の感性に触れ、自分自身の感性をさらに研ぎ澄ましたのですが、おおむね言いたいことは一緒です。
 20年目の「卒業」
 今月19日には、私もいよいよXに復帰する予定です。そうなれば、私もすべて元通り――いや、チューニングを終えて安定感を増した私で生きていけるかな。そうなれるように、今日も明日も明後日も大切に生きていきたいと思います。




 なお、美術系以外のイベントというと、大体こんな感じですね。シンプルですが、一応まとめておきます。

 2/7 

東北本線で白石市に小旅行・お城を見て白石温麺を食べた
 2/10 

今月で長期休館に入るフォーラスでパンサー尾形さんのイベントに参加。色紙にサインをしていただき、握手をしてもらう。サンキュー!です!
 2/27

仙台を拠点に活躍するシンガーソングライター「アベココア」のライブに参戦。私自身が色々と迷走していたので7月以来の結構なご無沙汰でしたが、やはりパワーをもらえます。アベココアさんのことも結構書きたいことがあるので、近々特集を組んで書きます。

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 仙台市民にとってなじみ深い仙台フォーラスが本日をもって長期休業に入るので、最初で最後? の「わたしの仙台フォーラス」な話をしたいと思います。

   *


 仙台市青葉区一番町、街の真ん中にある『仙台フォーラス』はジャスコの流れをくむファッション系の商業施設です。このように季節に応じてオシャレな広告が店先を飾り、フロアも非常に先進的なお店ばかりが入っている一方、地下2階にある『北京餃子』は安くて量が多くておいしい町中華として常に混雑しています。
 そもそも私が仙台に引っ越してきたのは2年前だし、本格的にオシャレに気を遣うようになったのは去年の12月くらいからなので、あまり積極的に買い物をすることはなかったのですが、ただ7階のギャラリー「TURN ANOTHER ROUND」には亀井桃さんの個展を切っ掛けに通うようになりました。本格的に通うようになったのは3階に古書店「あらえみし」が出来てからなので、ごく最近のことですね。アパレル系については結構若い人向けのハイセンスな服ばかりなので、私なんかが手を出すのは少々ためらわれるところですが、それでも今女の子の格好をする時限定で使っているピンク色のスマホポーチはここで買いました。

(7階、TURN ANOTHER ROUNDにて)


そんなTURN ANOTHER ROUND最後のイベントは、公募したアーティストの作品を売り出す「アートバザール」。最近好きになったイトウモモカさんの絵とかもありました。結構、ここに並べられた案内はがきを見て好きになったアーティストがたくさんいるので、今後はよりいっそう積極的に自分からギャラリーに通わなければいけませんね……今までありがとうございました。


 建物の地下2階にある『北京餃子』です。こちらも長い歴史のあるお店です。フォーラスが若い人たち向けの商業施設だったので、ここのお店に思い出がある宮城県民はとても多いようです。有名なところだとパンサーの尾形さん(東松島市出身)も「焼きそばの油が多くて食えねえ食えねえ」「床がヌルヌルでカーリングができる」と当時の思い出を語っていました(今はそんなことはないです)。ギリギリのタイミングでしたが、私も行ってきました。平日の14時過ぎに行ったにもかかわらず店内は大混雑でした……。
 北京餃子そのものは無くならないですが、「フォーラスの地下の北京餃子」というのはこれが最初で最後ですからね。これで私も仙台市民らしい思い出ができたかな、という感じです。間に合ってよかった……ありがとうございました。



 「あらえみし」は仙台駅東口にある古本屋で、私も何度か行ったことがあります。こちらのお店はカフェが併設された業態で、去年の今ぐらいの時期にオープンしたんじゃなかったかな。ずっと名前しか聞いたことがなかった「澁澤龍彥集成」を始めユリイカ、幻想文学、国文学などシブサワと名前の付く本を片っ端から購入しました。
 カフェスペースを使ったのは初めてだったのですが、やはり本に囲まれた空間でコーヒーを飲むというのはたまらないですね。そこでこれまた澁澤龍彥を読み、1時間くらいゆっくりして帰りました。ありがとうございました。

 語ればまだまだあるかもしれませんが、とりあえずこのくらいにしておきましょう。
 他のフォーラスはリニューアルを機にオーパになっているみたいだから、きっとこの「フォーラス仙台」というのも無くなってしまうでしょう。私は仙台に来て2年しか経っていないのですが、こうして自分なりに思い出ができました。

 こちらは2月10日のイベントで一日店長を務めたパンサー尾形さんに頂いたサイン色紙です。あわせて握手もさせていただき……すごく嬉しかったです。本当この1年で色んな人に出会えました。これからも応援しております。サンキュー!

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 昨日は午前中から色々と動き回り、久々に夜まで街中にいて遊んでいました。夜遊びですね。アルファベットじゃないですよ日本語ですよ「夜遊び」。その結果、書きたいことがいくつも重なってまとまらないので、とりあえず、あったことを時系列でまとめてみます。白づくめのコーデで死のうとしてるみたいですが、むしろ精力的にアート・ブンゲイ・ミュジック(musique)と文化活動のサイクルヒットみたいなことをした、きわめて充実した一日でした。

 ・「新現美術協会展」を観覧。今年で73回目という長い歴史のある美術展。この格好で行ったら受付の人から「お元気で!……ご活躍を!」と言われたので、もしかしたら私も現代アート関係の人だと思われたかもしれません。キャー! 嬉しい!

 ・「東北工業大学生活デザイン学科卒展」を観覧。せっかく同じ日に1階下の会場でやっているのだから……ということで見てきました。生成AIで言葉をイメージにする実験の詳しい流れとか、小説の言葉を物理的なイメージに変換する試みとか、文系と理系の全面戦争……じゃなくて理系アプローチによる文系世界の開拓とでもいうべき卒業研究に興味津々でした。
 ※ 詳しい記事はこちらからどうぞ。8000字くらいありますが。

 ・「宮城教育大学美術科卒展」を観覧(これが本来のメインだった)。こないだ「OH!バンデス」のお知らせコーナーで開催を知ったのですが、やはり美術系の卒展は良いですね! こないだの東北生活文化大学の卒展とはまた違った意味で幅広く素敵な作品を眺め、存分に心を羽ばたかせることができました。また、切り絵アートで絵の裏側に回って写真を撮ってもらいました。

 ・明日で長期休館に入るフォーラス地下2階『北京餃子』でランチ。14時過ぎにもかかわらず店内は大混雑。とりあえず空いてる席を確保して人気1位・2位の『炒飯/広東焼きそば』を食べた。他のお店の大盛りがデフォルトなので食べ切れるかどうか心配でしたが一気に食べちゃいました。「これでようやく、私も仙台市民になったな」そんな気持ちになりました(仙台市民の思い出の味として、フォーラスの地下の北京餃子を上げる人はとても多いので)。

 ・同じくフォーラスの7階にあるTURN ANOTHER ROUNDで「アートバザール」を見る。公募で出展したアーティストの絵画などが多数並ぶ。こないだ知った「イトウモモカ」さんの作品もあった。やはりこういうヴィヴィッドな絵柄が好きなのかなあ、とか思いながら閉店を惜しむ。

 ・今度は3階「あらえみし」へ。この時点で15時過ぎでしたが、19時くらいまでどこかで時間をつぶさなければならなかったので、初めて古書店に併設されたカフェスペースでコーヒーを飲む。それと同時に美術展の感想などを手書きでノートにまとめ、澁澤龍彥などの売り物の本が並べられた棚の前で自分の持ってきた澁澤龍彦の本を読む。これも最初で最後かあ。まあ間に合ってよかったかな……週末はごちゃごちゃして忙しかったみたいだけど、今日はほとんどお客もいなくて、静かに書き物も読み物もできたし。

 ・それでもまだ時間があったのでイービーンズで開催している「古本まつり」を襲撃。昔から古本市が大好きだったのですが、「雰囲気で買ってみたけど結局読まなかった/読んでみたけど、あまり心に響かなかった」そういうことがあったので今回は厳しい気持ちで精査。夢野久作「少女地獄」三島由紀夫「午後の曳航」内田百閒「ノラや」3冊購入。570円。

 ・19時過ぎに「アベココア」さんのライブに行きました。7月以来のことなのでとても楽しみだったのですが、弾き語りだけじゃなくオケ曲が増えていて、またキーボードのひとがゲストで来て、大変盛り上がったライブでした。なおMCで「オケ曲をSNSにあげたらアイドルになりたいの? とか何とかって言われた」でも「別にオケ曲でも弾き語りでも、私が作った音楽だからどっちでもいいと思っている」「私は私の音楽を皆に聞いてもらいたいからやっている」ということを言っていました。良いと思います!

 とにかく、あったことをまとめると、こんな感じです。
 まず体験して、初めに手書きでノートに書き出し、次にプライベートな日記に書き、ちょっとmixiの日記にも書きながら、今このブログを書いています。さらにこのあとInstagramなどSNSで「こういうところに行きました」というアリバイの証明をするためアップロードする予定ですが、だいたいこういう順番で気持ちを濾過してあげれば、私の心の整理も付くのかな。
 小説でも随筆でもない「日記文学」というジャンルがわが国にはあります。私なんかが文学というのもおこがましいですが、私が一番得意なのは日記だし、残りの人生をかけて日記というジャンルを突き詰めてみようかな、なんて思いました。これらのことについては、もう少し気持ちが醸成したら単一の記事として書きたいと思っていますが……あまり一気に書こうとしてもまとまらないし読む方も大変でしょうし。
 今日は次回につなげるための第一歩として、あったことをできるだけシンプルにまとめました。そこそこの分量になったので、いったんここで区切りとします。

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 ここ3日ほど、ひどく神経症的な美術展の感想文が続いたので、この辺でちょっと一服します。本当はこういう、穏やかな記事を書く人間だってことをアピールしておかないとね。
 これは2月23日のことですが、私のアパートから生協までの道中にある教会の庭で梅の花が咲いているのを見つけました。
 桜の花と比べて梅の花というのはあまり馴染みがありませんでした。学校でも公園でも染井吉野だ枝垂桜だ河津桜だ八重桜だ……私が通った幼稚園の名前も桜幼稚園だし昔好きだった漫画は『カードキャプターさくら』で好きな食べ物は桜餅……それに対して梅から連想するのは「梅酒」に「梅干し」と何だか大人向けの、ちょっと渋めの印象でした。
 ただ、それは私があまりに子どもっぽい精神の人間だからということばかりではありますまい。私が生まれ育った北東北というのはずっと寒い時期が続いてようやく春になると、梅の花も桜の花もいっぺんに咲き誇るという土地柄ゆえ、同じ時期に咲くならより華やかな桜に気持ちが行ってしまいます。……それどころか、下手すると桜の花も咲くか咲かないかわからないうちに一気に葉桜になっちゃう年もあったりするからたまりません。
 だからきっと、仙台に来てからでしょうね。気候的なこともあるし、榴岡天満宮で菅原道真公と梅の花の関係について知ったことで、桜に先駆けて咲く梅の花が好きになったのです。

 東風吹かば にほひをこせよ梅の花
 主なしとて 春を忘るな
 <『拾遺和歌集』 巻第十六>



 というふうに書いてみましたが、実は私が大好きな歳さんこと土方歳三も、多く梅の花に関する句を残しているんですよね。『豊玉発句集』で検索すれば色々と出てくると思いますが、ここは私が初めて句に触れ、解説および素敵なイラストとともに「ロマンチ」な気分に浸った「WhiteWind歴史館」さんをご紹介したいと思います。

豊玉発句集|WhiteWind歴史館

 司馬遼太郎の『燃えよ剣』にあるように新撰組副長時代に句をひねっていたかどうかはわかりませんが、多摩時代から親しくしていた沖田君なんかは小説のように「豊玉宗匠、ご精励ですな」と言ってからかったり、出来上がった句を見て(ひどいものだ)と心の中で苦笑いしつつ「ああ、この句はいいですな」などと言っていたりしていたのかもしれません。
 『鬼の副長』『希代の喧嘩師』としての側面が印象的な『燃えよ剣』の土方歳三像ですが、意外と俳句に関してはこんな作風であると説明されています。
 
この男の気質にも似あわず、出来る句は、みな、なよなよした女性的なものが多い。むろんうまい句ではない。というより、素人の沖田の眼からみても、おそろしく下手で、月並な句ばかりである。

 そして沖田君によればこれは「歳三がもっている唯一の可愛らしさというもの」であって、「もし歳三が句まで巧者なら、もう救いがない」のだから、心のなかでは苦笑しつつ一生懸命に句を褒め、歳さんも気恥しそうにしながらそれを期待している……という、何とも人間らしいエピソードが大好きなんです。

 「土方さんは可愛いなあ」
 沖田は、ついまじめに顔を見た。
 「なにを云やがる」
 歳三は、あわてて顔をなでた。
 
 いや『燃えよ剣』の話はいいんです。豊玉発句集の中から「梅に関する」私が好きな歌を2首選ばせていただきます。

 梅の花壱輪咲ても梅はうめ

 写真を撮った時、実際はニ三輪かもうちょっと花が咲いていて、それをうまく取り合わせて華やかさを出した方がフォトジェニックかなと思ったのですが、この句を思い出してあえて一輪だけドンと主役に据えた写真を撮りました。高校時代の写真部の顧問がこの写真を見たら、
 「日の丸弁当みたいな写真を撮るな」
 と怒り出すかもしれませんが、いいんです歳さんの句だって下手だから。……なんて言うと今度は歳さんから「うるせえな」と拳骨を食らわされるかもしれませんが。でも本当、写真芸術的にはヘボでもいいんです。これは私が大好きな歳さんへのオマージュですから。きっと「フン、たいしたことねえな」と言いつつ、きっと気に入ってくれると思うのです。
 で、もうひとつの句はこちらです。

 梅の花咲る日だけにさいて散

 これは発句集の最後につづられた一句です。多摩から京都へ、京都から会津へ、会津から函館へ……武士として生きることを志し、最後まで戦い抜いて果てた歳さんのことを想うと如何にも象徴的です。
 もっとも小説やドラマで何度も復活し、函館で鬼神となって魔人加藤および新政府軍と戦ったあとにアイヌの黄金をめぐる戦いに参戦したかと思ったら記憶喪失のままアメリカに渡り、その後は時空を超えて異世界に召喚され島津豊久と殴り合いの喧嘩を繰り広げたり20世紀のニューヨークでベートーヴェンと一緒に召喚され悪魔と戦ったりと大忙しです。続けて書くとなんだかすごいことになったなあ。スミマセン歳さん愛がオーバーフローしちゃって……久しぶりに書くものだから、つい張り切りすぎちゃった……。


 まあ、そんなわけで一枚の梅の花の写真から延々と無駄話をつづってしまいましたが、確実に春は近づいているってことですよね。梅が咲き、やがて桜が咲き、穏やかな東風が吹くことでしょう。弊社は春が一番の繁忙期なので、のんびりお花見……という雰囲気ではありませんが、まあ気持ちもときめく時期だから頑張れます。皆様も季節の移り変わりを楽しみながら、できる範囲で頑張ってまいりましょう。本日もお読みいただきありがとうございました。

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胎に刺さったリボン

私が自分らしく生きるために、私の中に強く存在する「女性性」を肯定したい。

 第二次性徴が訪れ、思春期には身体に様々な変化が起き、自分の身体ながら嫌悪し、戸惑いを感じたのを覚えている。気が付くと私の意志に反して肉体は女性になっていた。同年代との会話の内容も、恋愛や外見に関する話題になり、次第に自分に存在する女性性は強くなっていった。
 女性性という言葉は、グロテスクで呪いの言葉の様でもある。美醜に囚われたり、月経で苦しんだり、差別の対象になる事も。それでもそういった地獄を憎む一方で、美しさを感じ、愛着が湧いてくる。多様性が求められる中で女性的な表現は時代錯誤かもしれない。しかし、その表現は本来、他者を決めつけ、傷つける様な言葉ではない。誰もがそれぞれの自分らしさを追求する今だからこそ「女性らしさ」が個性を表現する一つの言葉として生き続けていく事を願う。
 今回の展示では三人の作家が各々の視点から、自身に存在する女性性を見出し、絵画として「女性らしさ」に対するアンビバレントな感情を表現している。それぞれの作品から可愛さと残酷さが共存した世界観を感じてもらいたい。



 2月2日と3日に仙台アーティストランプレイス(SARP)で見た「かんの」さん「トキワ」さん「さかいふうか」さんによる三人展『胎に刺さったリボン』は、私にとっては非常に重大な出会いでした。2022年11月に同じ場所で見た「わたし、にしかみえない星」展に次ぐ衝撃を受けました。
 ステートメントにある『私が自分らしく生きるために、私の中に強く存在する「女性性」を肯定したい。』というのは、丸ごと現在の私が求めるテーマです。ちょうどこの日は隣のスペースで「足跡」展を見て、人生で初めて「可愛い」と言ってもらっていよいよ自分の中にある女性性を肯定しつつ生きようと踏み出したところだったので、余計に強く共感共鳴したのかもしれません。この会場でSARPの人からも「可愛い服装ですね」と言ってもらえたから、もう後戻りはできません。私はこのまま自分の中の「女性性」を肯定し、心の生きづらさを軽減して、私らしく生きていきたいと思います。
 と言いつつ、次の日は仕事帰りに男性の格好をして見てきました。そしてお店の人に改めて感想を伝え、「昨日来たことに気づいていないのかな」すなわち「昨日の私と今日の私は別な人間だと思っているのかも」と感じるに至りました。それならいよいよ「佐藤非常口」と「鳴瀬桜華」でそれぞれ別人格として振る舞うのも面白いかもしれません。
 ……でもこれって、冗談ではなく、結構、本気なんですよね。こうして「男性として『女性性』に触れる」のと「女性として『女性性』に触れる」のでは、やっぱり感じ方が異なるんです。もちろん私の中にある女性性というのはアニマの女性性であって、生理の苦しみなど「女性の肉体をもって生まれ育った女性」じゃなければわからない感覚というのは絶対にあります。そのあたりは矢川澄子さんの本をたくさん読んだのでわかります。恐らく私がどれほど女性に近づいたとしても「あなたは男性だから、わからないでしょうね」と袖にされることは覚悟の上です。
 それでも! 私は自分の中の女性性を肯定します! それが私の心を護り、健やかに生きていくために必要なことだから!…… 
 だから、そういう一歩を踏み出す手助けとなった今回の『胎に刺さったリボン』展は、私にとっては人生で2番目に重大なイベントだったのです。まったく素晴らしい三人展でした……このあとSARPの方から卒展の案内ポストカードを頂き、実際に行ってみて感動したのは先に書いた通りです。



 一度目に見て、二度見て、卒業制作を見た後三度目に撮りためた写真を見て暴れまわる私の感情をノートに活け造りにしたのですが、ここらできちんとまとめておきたいと思います。これはちゃんとオープンにしないといけないと思ったからです。
 今回は三人展ということで、ステートメントにもある通り、それぞれの描き手が「各々の視点」から制作した作品がありました。なので私の感想も見た順番に書き出していきたいと思います。その説明をするためにも、皆さんの作品の写真も掲載させていただきます(会場で「撮影可、SNSなどで公開可」と書いてあったので)。

『幻想』の女性性:さかいふうか


 さかいふうかさんの作品から感じたのは「幻想」から入る女性性でした。ピンクやマゼンタという色合いには、なぜか女性のイメージが連想されます。それがベースの温かい……たぶん、その色合いに加えて人物の中心や周囲に光があるからなのかな……光の中に浮かぶ女性のヴィジョンは、率直に言ってとても可愛らしいと思うのです。それと同時に、その切ない表情から「内包している悲しみ」があるように感じました。ただただ可愛いだけならそれでおしまいですが、それだけでない生々しさ(=感情、人間らしさ)があるので、どんどん心の中に「可愛さ」という肯定的感情があふれてきます。そして心が「可愛さ」で満たされた時、ようやく私は絵の前から離れることができたのでした。

『感情』の女性性:トキワ

 

 トキワさんの作品を見た感想をまとめると「感情」の女性性であり、逆巻く波の中にダイヴィングするような体験でした。ご覧の通り表面的にはとてもアニメ的で可愛い女の子がいるのですが、それに近づこうとするとたちまち表面的なものが崩れ、激しい感情の濁流にのみ込まれるのです。しかし、それは息苦しくてすぐに逃れたくなるようなものではなく、むしろ私の中の女性性と呼応し、しだいに流れに乗って心が解放されていくのを感じました。
 ここからは、先ほどの活け造りノートをそのまま引用してみます。
 
<それは大きなキャンバス地に描かれた少女の幻影や図形やひとすじの曲線……それが「何かわかるもの」と「何かわからないもの」が自在に入り乱れた世界に新しいものを見つけるたび少しずつ加速し、私の意識のキャパシティが限界に到達するまで続き……これ以上「心のままの世界」に意識が耐えられなくなったところでキャンバスから視線をそらし、かろうじて現実に戻ってくることができたのだった。……この三人展で最も激しく感情を動かされた。それがトキワさん。>
 そういうことなのです。読み返してみるとスゴイこと書いてるなあ、と思いましたが、まあ実際にそうだったんだから仕方がありません。ええ、そういうことなのです。

『原始』の女性性:かんの

 ノートには、「胎に刺さったリボン」というタイトルを一番象徴的に表していたのが実はかんのさんなんじゃないかと思った、と書いています。これは卒展でお三方の卒業制作を見た後の感想ですが、パッと見て、「可愛い」とは少し違う感想を抱きました。もっと肉感的な温かさ、暗黒的な……それゆえ心安らぐ感じがしたのでした。
 その感覚をたどって行けば、胎(内)……まだ意識や人格のない、形の定まっていない人間の原初の記憶までさかのぼるのではないか、と。
 ユングかぶれの私はこれを『原始心像』の世界だ! というふうに解釈しました。あまりにもプリミティブで、普段は意識の俎上に載らない……でも心の奥深いところで共感する温かさ。普段の私を動かしている自我からはうんと離れたところにあるから、深い共鳴が起こるんでしょう。
 たとえがあまり適当ではないかもしれませんが、それはまるで地震のようなものです。地下数十キロという深い場所で激しい動きが起こると、それが地表の全てをなぎ倒すような強大なエネルギーとなるように……さかいふうかさん、トキワさん、かんのさんの作品をぐるりと見て回っているうちに共鳴強振した私の女性性は自我を突き破り、あらゆる感情を、感覚を、意識を、理性を飲み込み……
 あえて断言します。信じてもらえなくて結構ですが、私は全く正直に感じたことを言います。
 私は服装だけでなく心的に女性として三人の世界を眺め、共感、共有しました。これほどまでに私のアニマが強い力をもって心を支配した体験はありません。それくらい特別な体験だったのです。
 それは翌日、男性として同じように絵を眺めた時、「可愛いとかきれいとかだけじゃない、ちょっとドロドロしたところが良かったです」としか感想を伝えられなかったことで確信しました。具体的にどう感じたのかを正確に伝えると、これほどの言葉が必要になります。
 そして、マンガで書くとこういうことになります。

 ノートに書き、それをさらに修正して言葉にすることで、少しずつ感情を御することができるのかな。これが私の『胎に刺さったリボン』展の感想です。

   *

 さかいふうかさん、トキワさん、かんのさんについてのファーストインプレッションを書ききったところで、もう一度、東北生活文化大学美術表現学科の皆さんの卒展について触れます。


卒展全体に対する記事はこちら

 個々の作品の感想については、既に書ききってしまったので、「その感動がキャンバスの面積に比例して大きく感じた」という程度にとどめておくことにしましょう。なお、さかいふうかさんは小さな部屋の形を作り、その中に展示するというインスタレーションという形式で作品を制作されていました。昨年見たRimoさんの個展に続き人生で2度目のインスタレーション体験です。素晴らしい。
 こちらも2回行ったのですが、2回目に行った時は「作品と一緒に私自身を撮影する」という試みを実践してきました。VRでやっているようなことをアナログ的に再現する。いったん自分を二次元の世界に閉じ込め、それを見ることで復元する。そういう試みです。それによって世界を外側から見るのではなく、ちゃんと同じ世界に実在することを再確認することができました。私が良ければそれで良いんです。





 以上で、『胎に刺さったリボン』展にまつわる私のお話はおしまいです。すでに3週間くらいが経過しましたが、その間に卒展などもあって……やはり醸成する時間が必要でした。また、「女性性」がテーマだけに、私の心の準備も必要でした。今日はこうして自分の部屋にて、女性らしさを十分に高めて書きましたが……やはり自分が女性であると思うことで、とても心安い気持ちになれるのです。
 改めて性自認というのは、必ずしも肉体の性別に従うものではないと思いました。肉体的にどうであれ、自分が一番自分らしく思える形で生きることが基本的人権として尊重されるべきことだと思うので、私も自分の女性性を隠さずに記事を書きました。私なんかがこんなことを書いたところで、決して多くの人に受け入れられることはないと思いますが、そういう人間が仙台にいるということを知ってもらえたら、私みたいな人類でも生きる価値があるのかなって……そう信じたいです……。

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 2月22日、仙台アーティストランプレイス(SARP)で開催された専門学校日本デザイナー芸術学院写真映像科の皆さんによる写真展を見てきました。
 会場は2ブロックに分かれていて、ひとつは1/2年生の合同展 ”reminiscence”で、もうひとつは1年生による『それぞれの「あい」が集う写真展』という内容でした。私が行った時には雰囲気のある若きアーティスト然とした青年が熱心に写真に見入っていたので、私も静かに眺め、真摯に感想をアンケート用紙に書いてきました。なおこの時は仕事帰りだったので男性の格好で行ったことを念のため書いておきます。
 日本デザイナー芸術学院写真映像科といえば、こないだせんだいメディアテークで開催された卒展を見て「これはスゴイ!」と感動した経緯があったので、割と積極的な気持ちで行きました。
 そして(高校時代は写真部にいたとはいえ)専門的な勉強をしたことがなく、一眼レフも持っていない私なんか足元にも及ばない素晴らしい写真に打ちのめされ「もう写真が趣味だなんて言うのやめます」と泣きながら会場を後にしたのでした……かというと、そんなことはありませんでした。
 素晴らしい作品ばかりだったことは間違いありません。ただ卒展の時に見たような、私が想像できる範囲を超えた衝撃的な作品というよりは、とても共感しやすい作品だったのです。作品を見て、そのあとキャプションの説明……作り手のイメージを文字で補完したうえで、
 「私もこういう写真、好きだなあ」
 そう思ったのです。
 もちろん、私に同じような写真がすぐに撮れるかといえば、そんなことはないでしょう。まず、イメージを実現するための機材が必要ですし、物理的に実現できる限度が低ければ、作り手の技術向上にも制約があるでしょう。たくさん経験を積んでレベルアップするためには、コンピュータゲームでいうところの「レベルキャップ」を外す必要があります。スマホカメラでデジタル一眼レフと同じような写真を撮ることは物理的に不可能です。別物なのです。
 ただ、「どういう写真を撮るか」という題材探しとか……体系的な技術ではなく感覚的な部分であれば、私でもなんとか追いつけ追い越せで近づく余地があるような気がするのです。
 そういう気持ちで共感しながら自分の感覚を広げていくことが楽しいのかな。たといSNSで10万いいねがつくようなフォトジェニックな写真じゃなくてもいいんです。私の撮影した写真だって「よさはあるはずだし、好いてくれる人もいる」そう信じて、少しでも良い写真が撮れるよう、撮り続けます。

 私はまずは私のために写真を撮るんです。
 その先に、誰かが共感してくれることを信じて。

 ……うん、これでいい。
 上手な写真じゃなくてもいいんです。そういうのは他の人に任せます。私は私が良いと思える写真を撮れればいいです。同じように良いと思ってくれる人がいる(かもしれない)写真。
 これからは、そんな自分の気持ちを大切にしながら、たくさん他の人の写真も見ます。素敵な写真をたくさん見て、自分の心を磨いていきたいと思います。







 という流れで書いてしまうのは少々申し訳ないのですが、2/20にタナランで「にがつのねこといぬ」展を見て、さらにその後東北工業大学の卒展を見た後、同じせんだいメディアテークで開催されていた東北大・東北学院大・東北工業大の写真部有志による三大学合同写真展を見てきました。
 結果的に短いスパンで若い人たちの写真展を見たわけですが、心の中で比べてみると……同じくらいの世代の人たちが撮った写真でも雰囲気が異なるんですよね。
 あくまでこれはセンスだけで写真を撮る門外漢の気安さで、主観を大切にして語る言葉です。その上で「この印象の違いは何だろう?」と思った時、こんな言葉が浮かびました。すなわち、
 「技術が先行するのか、感性が先行するのか」
 ということでした。
 どちらも素晴らしい写真なんですが、大学写真部の皆さんの作品は「プロっぽい」んですよね。この言い方がいかにも素人っぽいので嫌だから言い換えると「技術が感性を追い越していない」というか……つまり「安定感がある」んですね。ヴィヴィッドな紅葉の写真にしても、微笑みながら手にした飲み物の缶を掲げる(「乾杯!」のポーズ)写真にしても、パネルの端から端までピシッと定着化され、見ている私も心の揺らぎが起こらないんです。安心して「ああ、綺麗な写真だなあ」「こういう写真が撮れればいいなあ」と眺め、感じ入ることができる写真なんです。
 それに対して専門学校で写真を勉強した人たちの写真は、「感性が技術を飛び越えて私に訴えかけてくる」印象でした。直接私の感情に訴えかけてくる写真。撮る人も割と自分の感情を表現しようとして結構センシティブな感じに仕上げてきている(とキャプションから読み取れた)から、私もより感情が動くのです。感情家ですから、そういうのはすぐ反応しちゃうんです。

   *

 どちらかだけじゃ足りなかったのです。両方合わせて、私のなかで結実しました。それらを合わせて、私は私の写真を撮る。これでも社会人になってから、観光写真コンテストで表彰されたこともあるし、スマホカメラだって捨てたもんじゃないはず……上手な写真は撮れなくても良い写真が撮れればいいんです……だからやっぱり、写真は一生続けると思います。
 専門学校日本デザイナー芸術学院写真映像科の皆さん、各大学写真部の皆さん、ありがとうございました。私が写真部だったのはもう25年も前のことになりますが、写真好きとして皆さんのこれからの活動を応援しております。また写真展があればお伺いしたいと思いますので、頑張ってください。終わりで~す!

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 2月20日、せんだいメディアテークで東北工業大学産業デザイン学科の卒業制作展を見ました。
 東北工業大学というのは私の兄の母校です。今から25年ほど前の話になるのですが、センター試験経由で東北工大に入学した兄は優秀な成績で同大学を卒業、IT系の企業に就職し現在に至るまで自動車の制御システムとかカメラの制御システムとか、最先端のテクノロジーに関わる人類として活躍しています。
 当時中学生~高校生だった不肖の弟はそんな兄のいる仙台に何度か遊びに来たことはありますが、私自身は特に関係性がないんですよね。まったくの門外漢です。文学部上がりだから文系理系の段階で異なるし。
 しかも私がエレベーターを降りた時は学生のプレゼンテーションが行われているところで、とっても厳粛アカデミックな雰囲気であり、私なんかが来るところじゃなかったんだ! って言って逃げ出そうかと思いました。
 
 しかしながらエレベーターを降りた時点でこの格好でしたから、この卒展しかやっていないフロアに来て何もせず引き返したのではいよいよ不審がられると思い、
 「こうして誰でも見られる場所だから来ましたが何か?」
 という『門外漢の気安さ』(河合隼雄先生)で冷静を装い受付を済ませ突入しました。

 およそ社会活動の役に立つ見込みがなさそうな文学と違って、産業デザインというのは直接世の中の仕組みを作る学問であると思いました。
 「科学は人の生活を助ける」
 これは90年代の名作ゲーム『メタルギアソリッド』の登場人物の台詞ですが、きっとこういう学問をしている人たちは、そんな思いでやっているんだろうなと思いました。実際、皆さんの研究成果は私たちが生活しているなかで苦慮する問題を解決するために「こうすれば何とかなると思います」といって編み出したようなシステムばかりで……
 「やはり私が生きている世界というのは、こういうことを一生懸命に創ろうとする人たちによって創られているんだな」
 そう思いました。
 
 そういった人たちの真摯な研究成果がたまたま2024年現在の最新心的外傷(キーワード『VRChat』)にクリティカルヒットし一瞬死にたくなってしまったとしても、それは全く私の個人的な問題であって、良いんですよこれからの時代はVRChatなんです。人類みんな肉体廃止してメタバースの世界で在りたい私を生きればいいんです。私なんかはずっと憧れながらいまだに踏み切ることができなくて……だからもう、みすみんサンと交わる資格なんかないのかもしれないって思っていて……このまま肉体が朽ち果てるまで生きながらえるしかないんですが……私はそれでいいと思います。元々交わることができなかったのだから、なにも悲しむことは無いんです……これでいい、これで……。

   *

 先日、河北新報で「現代学生百人一首」というものが紹介されましたが、その入選作品として宮城の大学4年生が書いた一句が紹介されていました。

 「天才もAIももう足りていてそれでも私は美術を学ぶ」

 そういう若い人がいるのなら、私は応援します。綺麗な美術作品を生成AIが描いたとしても、美術作品を見て私が感動するのは技術的な巧拙だけではなく「それをどんな人が、どんな思いで描いたか」であって、そういう意味で人間の「美術家」というのは永遠になくなることはないと信じているからです。
 一方で「科学は人の生活を助ける」ということも私は信じています。だから今回の卒業制作展で見た学生の皆さんが、これから先の世界をもっと良くしてくれることを信じています。多くの「生きづらさ」を抱えている人たちがその「生きづらさ」を軽減し、より幸せになれるように……若い皆さんが自分の一等得意な方法でアプローチして、これからの世の中を作ってくれることを祈っています。私もそのために、いま自分ができることをします。

 東北工業大学の皆さん、ご卒業おめでとうございます。私は私で自分ができることを頑張りますから、みなさんも頑張ってください。終わりで~す!(三四郎小宮さん風祝辞オチ)

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(2/23 今日のコーデ)

 最近は美術展の感想記事が続いていたので、今日はもう少し日常的な話題で書きたいと思います。
 こういう格好をするのも私にとっては「勇気を出して……」とか「在りたい私で生きるために……」とかって強い決意とか覚悟とかを伴うものではなく、日常的なものになりつつあります。休日に外出する時は基本的に女性向けの服を着ていますから、これが自然なんです。
 では、そんな感じでゆるゆる話を始めたいと思います。

 
 こちらの写真は2月22日の朝7時頃に仙台駅東口で撮影した写真です。この日は前夜から雪がモサモサと降りまくり、明け方になっても勢いは衰えず……その数日前には2月の観測史上最高気温(21度!)を記録し「もう春かしら」なんて思っていたらコレですからね。天下の冬将軍ここにあり、といった感じでした。
 
 こちらは私の退勤時(17時ころ)の宮城野通の模様です。地域住民の皆様の尽力により全力除雪が行われた場所はちゃんと歩きやすい状態だったのですが、そうでもない大部分は溶け残った雪がベチャベチャして非常に歩きづらかったです。特に靴底がフラットな革靴だったので一歩踏み出すごとに「ズルッ」「ズルッ」となっちゃって……まあ転倒しなかっただけマシかな。

 そんな感じで苦しみながら歩いていると、ふと心が和む光景がありました。これがあったのは仙台市の合同庁舎前……東北管区警察局とか財務局とか国税局とかそんな建物ばかりが入っているガチガチの官公庁なんですが、まさか職員とか守衛さんとかが作ったわけではないですよね……。
 ……ああ、これが「ギャップ萌え」ってやつでしょうか。良いと思います!


 そんな感じで勾当台公園から仙台三越の様子を眺めつつ地下へと潜り……いつもの地下鉄南北線で帰宅したのでした……。
 おしまい。

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 大手町にあるGallery TURNAROUNDで「にがつのねこといぬ」展を見てきました。
 これは2月のはじめ、「私の推し展」を見た時に開催のことを知りました。当然の如くポストカードもいただいてきたのですが、今になって見てみると、私が色んなイベントで出会い好きになった人が何人もいらっしゃるんですよね。
 昨年10月のアンデパンダン展で初めて作品を拝見し、12月のブックハンターセンダイではご本人に感想をお伝えすることができた「かくらこう」さん、仙台藝術舎/creekの成果発表展で見て作品とその制作主旨に共感し手書きの感想を残してきた「イトウモモカ」さん、そして『胎に刺さったリボン』展~東北生活文化大学の卒展と続けざまに見て「女性性」に共鳴した「さかいふうか」さん……いずれも私が大好きな人たちです。
 何でしょうね、こう、「道中で出会った仲間が最終決戦前に再集結してクライマックスになだれ込む」みたいな……ここ半年くらいの美術遍路旅の、ひとつのマイルストーンになりそうだと思って……開催期間ギリギリになりましたが、何とか馳せ参じました。

  *

 実際に行ってみてどうだったか。「イトウモモカ」さんと「さかいふうか」さんの作品はパッと見て「ああ、これだ」とすぐにわかりました。眺めていて幸せな気持ちになりました。その一方でこのようなテキストも読みました。

 保護猫の問題というのはテレビCMなどで見て「そういうのがあるんだなあ」という知識を入れ込む程度に過ぎなかったのですが、実際の地域住民にとっては非常に難しい問題であることを知りました。私なんかは猫好きだから、ニャアニャア鳴いているのを見るとつい餌付けのひとつもしてやりたくなるものですが、そうすることによって「望まれない命」が増えるのであれば、これは厳に慎むべきでしょう。だからと言って片っ端から駆除すればいいのかというと、十和田にいた頃に殺処分される動物たちの話を見た私としては「そんなわけないだろう」と全力で反対します。  
 ではどうすればいいのかというと、「猫好きにも猫嫌いにも『気にならない』存在」として生活してもらう……望まれない命が殖えることないよう去勢する……つまりこの保護猫活動というのが、人類/猫類の共存の道であると私も考えます。そういう思いに賛同したので、今回も「かくらこう」さんの本を買って賛同の意志を示しました。会場の写真も撮ったつもりだったのですが、良い感じの写真がなかったので文章で説明させていただきます。

 今日は猫の日(にゃんにゃんにゃん)。私が行ったのは会期最終日(20日)でしたが、アートとブンゲイ、両面から大好きを楽しむことができて良かったです。Instagramにも「会場に行った証拠」として写真を上げましたが、それが上記のテキストを2枚に分けたものだからたまりません。「さかいふうか」さんの絵の写真でも共有すれば「いいね」がつくのかもしれませんが……もとよりとってもパーソナルな楽しみですからね。知らない誰かと気持ちを共有したいと思わないこともないのですが……だから「ああ、会場に行ったんだな」ということがわかればいいかな、という程度の投稿はしてみたものの……もう、私なんかがそれをSNSで伝えたって誰にも伝わらないと思うんです……描き手に感想を伝えたいなら会場に行って直接(アンケートを書くなどして)伝えれば済む話だし。「さかいふうか」さんは3月に個展があるから、またその時に感想を伝えられればいいかな。

おまけ【本日のコーデ】

 今日は久々にパンツルックでお出かけました。正直暑いのか寒いのかよくわからなかったので薄手のバックボタンブラウスと、使い道が今一つよくわからなかった「ビスチェ」というのを着用……これに例のダウンジャケットを合わせてみました。出先で写真を撮影するのを忘れたので、家に帰ってきてから撮影しました。
 ちょっとビスチェの使い方が分かった気がします。これから春夏コーデも考えていかなければなりませんからね。まずは色々試してみます。

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 寺山修司の『誰か故郷を想はざる』『幸福論』を続けて読みました。
 本来であれば十代の若者向けの本だとは思うのですが、正直なところ内容が難しくて、四十代になった今読んでようやく少しわかったかな……というところです。まあ稲垣足穂みたいに「わからないでいいんじゃないですか。永久にわからないで」(by三島由紀夫)という作家なのかもしれませんが。ただ、寺山修司が自分の母親から聞かされた自分の境遇のことについて嘯いた、
 「何しろ、おれの故郷は汽車の中だからな」
 という言葉とか……あと、グリコの箱に描かれている「一粒300メートル」のランナーの絵を見た感想として書いた、
 「私は、グリコの甘味を舌の上で味わうたびに、地の果てまで走ってゆくためには、グリコが何粒あればたりるのだろうか? と、思ったものであった。」
 という文章とか……そんなふうにさらりと書いた一文が妙に鋭い刃物のように私の心を切り裂くのです。太宰治も同じ津軽人ですが、向こうがどうにも情緒的でめそめそしている(だがそれがいい)のに対し、寺山修司はそういった感情をすべて抑え込んでボソリとつぶやく感じで……読むたびその陰鬱さに心が落ち着くのです。

 そんな寺山修司の本を読んでいて、
 「モノローグ」「ダイアローグ」
 この言葉が妙に印象に残りました。具体的にどの場面でどういう風に使われていたのかはわからなくなってしまいましたが、普通の人(定型発達者)なら別に気にならない一点に心がとらわれてしまうのが発達障がい者であり自閉スペクトラム症の私ですから、こうなったら仕方がありません、まずは小文をでっち上げて気持ちを決着させることにしましょう。
 さてモノローグとダイアローグ、日本語に翻訳すれば「独白」と「対話」そんなところでしょうか。
 さしあたってこのブログなんていうのはモノローグ中のモノローグですね。一応誰かが読む前提で書いてはいますが、常に話の中心になるのは「私がどう感じたか」。私の生き方そのものがモノローグ的なものだからかな。誰かと会話することよりも、自分がどう感じたのかを大切にする生き方。
 さらに言えば、最近読んだ本の感想を作者に手紙にして送ることがあるのですが、これなんかもモノローグ的ですよね。絵心がない私が最も気持ちを載せられる手段を用いてつづり、きっと受け取った相手は読んでくれると信じて投函しているのですが、こちらから一方的に自分の感想を送り付けているのですからね。

 「返事を期待せずに出す手紙は、モノローグ的ではないだろうか?」

   *
 
 ……ということを書いてはみたものの、一晩おいてみると、真にモノローグ的な文章とは非公開の日記であり、こうしてオープンにして誰でも読めるようにしているということは、少なくとも相手がいることを前提に書いているのであり、それはむしろダイアローグ的と言えないだろうか? と思いました。
 20代の頃に枕頭の書としていた漫画『湾岸MIDNIGHT』から引用して、今でもずっと心の中で大切していた言葉があります。

 「会話だろ・・城島
  本とか そーゆうの
  書く側と読む側 一対一か
  
  お前の書いたモノ読んで オレとお前はずっと会話してたわけだ
  
  楽しいヨ 城島
  コレからも時々 おまえと会話したいヨ」
  
  (出典:湾岸MIDNIGHT Vol.24 171p)

 自分の心の中にあるものを表現したい――そしてそれを受け止めてくれる人がいるはずと信じる……先日の「足跡」展を主催した木俣さんのように、私も私の文章に「よさはあるはずだし、好いてくれる人もいると」信じている人間なのです……そう思って書くのなら、これもある意味ダイアローグ的な試みだと思うのです。それは文芸でも美術でも同じことです。
 SNSみたいに、わかりやすい形で反応があるのもいいんですが、それよりも私は書(描)く側と読む(観る)側……じっくり向き合う形の対話がいいかな。一瞬で感じられるものは一瞬で消えてしまいますが、しっかり向き合い文章の内容や絵の雰囲気を自分の中で探って得たものはなかなか消えません。それは作者と読者(または観賞者)の対話、ダイアローグだと思います。
 まあ、私は別に寺山修司研究家でも評論家でも何でもないので、私の考えるダイアローグと寺山修司の言うダイアローグの意味合いが一致しているかどうかはわかりません。そもそも本当にこれがダイアローグ的と言えるのか、やはりモノローグに過ぎないのか……それもよくわかりません。
 ただ、とにかく私はそう思ったのです。心の中で思っているだけではモノローグですが、こうして伝えたい人に伝える(またはそういう努力をする)ことでダイアローグになる、と。
 それを上手に伝えるためには、やはり技術が必要です。そして場所も、仙台じゃなくちゃダメなんです。盛岡でも青森でもいけない。東京ならもっと人がいるかもしれませんが、実際に私のことを受け入れてくれた人たちが仙台にいるのだから、私は仙台が一等いいんです。

 「わたしは人生を愛しています。
  そして、仙台を愛しています。」

   *
 
 ここからは余談です。
 冒頭の写真は2017年10月に三沢市内をフラフラしていた時に撮影した写真です。今は大分開発が進んだのでしょうが、当時はまだまだ昭和な街並みが多く残っていて……あるエリアを境に昭和感爆発の寺山修司的世界ときれいに整備された現代的世界(=至米軍基地)にクッキリ分かれていたんですよね。

(2017年10月撮影)
 もちろん私は昭和エリアの方を好み、街の風景を何枚も写真に撮っていました。アメリカ人兵士が残したと思われる壁の落書きと、こういった寺山修司の短歌や言葉が入り乱れ、つぶれたお店の看板と合わさって実に心地よい空気感がありました。

 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 これは有名な短歌ですが、この言葉と一緒に等身大の寺山修司の写真がガソリンスタンドの前に当たり前のようにあったりして……ううん、やっぱり八戸・三沢あたりはもう一度行ってみたいなあ。やっぱり、自死を考えるくらい、一番ひどい精神状態だった私のことを救ってくれたのが、三沢の寺山修司記念館でしたから……。

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 昨年12月2日に下書きのまま保存していた文章がありました。
 実際にスカートを履いて「女性として」外出するようになったのは12月下旬のことですが、この頃すでに自分の中での思想が固まっていたみたいです。結構しっかり書いていて、このまま忘れてしまうのももったいないと思ったので公開します。



 自分の中にある異性を「シスター・アニマ」という言葉によってかなりハッキリした輪郭線を浮かび上がらせることに成功して以来、「自分の性の置き所はいかにあるべきや」ということをよく考えるようになりました。
 無論、肉体的な性具をもって男女を区別するのであれば、私は紛れもなく男性です。また私が考える女性像や趣味嗜好なんかも、知れば知るほど男性原理に基づいたものですから、性自認としても男性です。事実として、その点において違和感や苦痛を感じることはありません。
ただ、ね…まあ、そもそも「男か女か」という二元論が絶対的な真理みたいに世の中にのさばっているから、こんな悩みや苦しみが生まれるんじゃないかな、って考えています。
 もちろん社会通念とかルールとかっていうのは必要です。多数派の論理や感覚を「ふつう」と言うのなら、そんな「ふつう」の人たちに合わせたルールを作るのが秩序というものでしょう。そうやって社会というものが成り立ってきたんだろうということはわかります。
 でも「ふつう」じゃないから排除しようとするのなら、私は絶対に許せません。私もこれでも発達障がいとか自閉スペクトラム症とかって言われた身ですから、そういうことを当事者として言う権利があると思うのですが、そういう少数派の人たちも生きづらさを感じることの無いマージンもまた必要であると思います。
 私は自分のなかに、「内なる異性」があることをハッキリ認めます。私の二人の従姉を直接のイメージの源泉とした異性があり、その異性と手を携え共に生きていくために、自分の部屋のなかだけでなく外に出た時も、ある程度それをアピールしています。
 つまり、そういう格好をして、生活していると言うことです。
 性自認は男性だけど「内なる異性」も隠さない。それは男性らしさとか女性らしさとか、その両方が混交したヘルマフロディトス、アンドロギュノス的な私です。
 多分この辺が、私の「在りたい私」なんじゃないかな。そんな気がします。



 改めて読み返してみると、意外と早い段階で在りたい私をイメージしていたんだな、と思いました。わざわざCVトランスジェンダーとかいう言葉を開発して(のちに撤回)みたりもしましたが、おおむね今も目指すところに変わりはありません。男性として生活しなければならない場面も多くあるので完全に性転換をすることは難しいし、どれほど女性に近づこうとしても女性の肉体をもって生まれ育った者でなければわからない感覚があることを知った現在では、どうやっても性転換は無理だと思っています。
 では私がやっていることは何なのか。男性であることを認知しながらあえて女装し性的興奮を感じるために行っているのか。いえ、そうではありません。矢川澄子さんの言葉を借りれば、「セラフィータなみに、両性具有の願望をもどうにかして叶えようとして」いるのです。私も自分のなかの女性性を最大限に引き出し、これを実現したいと思っています。
 心の中にある男性性と女性性の和合。そのためには生まれつき備わっている男性性と同じくらい自分の女性性を高めなければなりません。物語を書いたり部屋の中で可愛い服装をするだけでは足りないので、次のステージとして私は「女性らしく生きてみる」ことを始めました。
 ありがたいことに、仙台という街には、こんな私を好意的に見てくれる人がいます。「可愛い」と言ってくれる人がいます。だから私も自信をもって、スカートを履いて街を歩きます。今はとりあえずの間に合わせみたいな恰好ですが、少しずつ可愛いコーデの勉強もして……「可愛さ」「美しさ」に対するセンスを磨いていきたいと思います。
 これが、12月2日の私の言葉を受けた2月18日の私の言葉です。

 伝えきれないから、伝え続けるんです。これからも、心がある限り。

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 これは『胎に刺さったリボン』展を見に行った時、「隣で何かやってるし、せっかくだから見ていこうか」という……そもそも、こういう企画展が行われていることも知らなかったので、本当にそんな感じでした。ただ、切っ掛けがどうであったかというのはあまり意味がない話ですよね。
 「来た、見た、良かった」
 いま私がそう感じている。それが現下最も緊要なことですから。




なぜグループ展「足跡」を開いたのか

 この「足跡」というグループ展は授業作品を展示するために開いたもので す。
 開くきっかけとしては、授業で描い た作品は大抵講評を受けたらそこで作品が終わってしまうことに虚しさを覚えたからです。授業の作品はほぼ特定の先生方に見せ、ある程度の基準と無意識に作用する好みで評価されます。 先生方から高評価を受けることは簡単ではありません。しかし、だからと言って自分が制作した作品が1から10までダメだったのか魅力がないのかというと決してそうではないと考えています。必ず私の制作した絵によさはあるはずだし、好いてくれる人もいると思 います。そんな人と私の作品を結ぶ機会をつくるために企画しました。ありがたいことに今回、この気持ちに賛同してくれてる人が13人集まりました。 特に一緒に企画を進めてくれた佐藤みのりさんには感謝しています。
 この企画を通して誰かに頼ることの 大変さと心強さを知ることが出来たよ うに思います。
 今後、改善していきながらもこの 「足跡」を続けていけるように、より一層邁進していきますのでどうぞよろしくお願いします!

東北生活文化大学
美術表現学科2年 木俣佑実子



 良いと思います。特に私みたいな「自分で絵は描けないけど、こうして絵を見て回るのが大好き」な人種にとっては、とてもありがたい企画だと思います。なまじ美術の素養がないからこそ、門外漢の気安さで好きなように絵を眺め、思い切りその内容を好きになって……そんな感じで片っ端から写真を撮りまくり、今こうして振り返りながら記事を書いています。


 作品のモチーフは本当、描き手によってさまざまで……植物・動物・人物・風景また油絵に漫画イラストそれからレリーフなどなど、とってもバラエティに富んでいました。また一部の作品にはこうして内容に関するステートメントがあって、作品の理解と想像力の強化に役立ちました。アートとブンゲイ、どちらも大好きなので、こういう言葉による解説はありがたいです。
 なお、こちらの絵についての感想としては、このようなものでした。
 「全体に暖色系の色合いが血の温かさを感じる。血が通っている人間の息遣い」
 大体、描き手の松山さんも同じようなことを言っているので、全く的外れな見解ではないでしょう。良かった。ただし絵の中で何人もの人間がいることに気づいたのは後日写真を眺めなおした時でした。絵って、あまり近すぎても理解できないものなんですね……失礼しました。


 もう一枚ピックアップしたいのがこちらの絵です。……この絵を見た時、いわゆるデジャヴュ(既視感)を感じたんですよね。
 思い出せないけど見たことがある気がする。何でだろう。……
 その答えは、絵の隣に描き手の大沼新季さんが添えてくれたステートメントにありました。

!!!

 ……そういうことだったのです……まさか仙台で、このタイミングで開運橋を見ることになるとは……なお、この絵に関しては以下のような感想を持ちました。
 「見覚えのある景色にデジャヴュを感じた。そうこれは開運橋だ。でもそれを信じることはできなかった。薄暗くて不確かな世界に若干の不安感があったからかな。眼鏡とサンゴ、死のイメージとタイトル。(描き手が)自分で『説明しなきゃわからない』って言ってるんだから、わからなくても仕方がないけど……」
 仕方がないけど、これでいいんです。テキストを読んで対話して、絵の内容に対して理解を深める。文芸オタクにとっては非常に嬉しいです。



 こんな感じで、特に求められていないのにわざわざ記名して感想を書き込んだほか、会場にいらっしゃった女の子にも直接感想を伝えました。そうしたところその子から「可愛い服装ですね」と言われて……人生で初めてファッションを褒めてもらえた(しかも女性に)のがメチャクチャ嬉しかったのです……!
  (その時の服装)
 その子が言うには、前日にはメイド服姿の男子学生がいたみたいで……何やら、そういう服装が好きな人がいるみたいです。ということはやはりセクシュアルな問題ではなく、ファッショナブルな観点から可愛い服装を身に着けるのはいいことであり、私の服装もある程度の水準をクリアしていたんだ! ということを知りました。これは私にとって最も難しい……私自身が可愛いと思って着るのは自由ですが、客観的に見て可愛いと言ってもらうのは私の意志ではどうにもならないことなので……ことでしたが、その一番難しい実績を達成したことで、自信をもって可愛い服装で出かけることができるようになりました。

 そんな感じで、私にとっては人生で最も嬉しい体験をした一日でした。
 木俣さん、私にとっても今回の「足跡」展は非常に素晴らしい機会でした。またこのような機会があれば伺いますので、ぜひともよろしくお願いします! ありがとうございましたあ!

 追記:

 2/2に行った時は先に挙げたように可愛い服装で出かけたのですが、その時に大沼さんの作品に関する感想を書き忘れたことに気づき、仕事帰りに男性の格好で行ってきました。その際にメイド服の男の子がいれば良かったんですが誰もおらず……その代わり会場(SARP)の方が来て、ご挨拶をさせていただきました。実は前日、可愛い服装で隣の会場(「胎に刺さったリボン」展)でお会いし「可愛い服装ですね」とお褒め頂いていたのですが、もしかすると別人物だと思われていたのかもしれません。そのため改めて「胎に刺さったリボン」展を見て感想を伝え、同展の描き手(トキワさん、かんのさん、さかいふうかさん)も出展している東北生活文化大学の卒展に関する案内を頂いたのでした。そうなるとギャラリーには男性の格好で行った方がいいのかな……せっかく顔を覚えてもらったのだから……ただ、可愛い格好をして行ったから1日に2人もの女性から服装を褒めてもらえたのだし……いやはやどうしたものか。

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 さる2月10日、仙台フォーラスで開催された仙台藝術舎/creekの成果発表展を見てきました。
 絵画、写真など色々素敵なものがありましたが、その中であえてこれを取り上げてみます。というのは、このステートメントを見て、かなり色々考えこんじゃったからです。その考えこんだ結果を私なりにまとめて形にしてみたいと思ったからです。私だって文章で自分の考えを表現することを20年以上やってきた人間だからです。

 全文をきちんと掲載したうえで、私が特に気になった部分を引用します。


……無責任な手癖で運用されているメディアのあり方に疲労感を覚える。……マスメディアによる雑な報道は言うまでもなく、マスに属さないメディアが「適当でも速報性があれば良い」と持て囃される現代においては、編集を学ぶ意欲すら削がれる。

 マスに属さないメディアとは、ニコニコ動画やYoutube、ブログ、SNSをはじめとした誰でも情報発信できるものを指す。せんだいメディアテーク(以下・smt)の言葉を借りれば「草野球」的なものだ。堅く言えば、市民メディア。その市民によるメディアも商業的な手垢がつきすぎた。

 私はそんなものより、学生自治寮の壁の落書きや張り紙の方がよっぽど純粋な事実であり、本来の草野球的な市民メディアなのではないかと捉えた。クローズドではあるものの、形式にとらわれず学生生活を送る中での叫び、遊び、学びを残しておくことに純粋な美しさを感じる。その純粋さは大衆性、専門性の外側にある限界芸術のような趣がある。


 反発というと少々語弊がありますが、一応ブログをやっている人間として「そんな言い方しなくたっていいじゃない!」と言いたくなる気持ちが起こったのは事実です。でも、そんな脊髄反射みたいな言葉は直ちに叩き伏せて、何度も文章を読み返し、「本当は、私はどう思っているのかな」ということを丁寧に問いかけました。
 ……なのでこれはあくまで私の感想です。正しく文章を理解できたか自信がないのですが、とにかく私はそう思った。私は感情家なのでそう思ったことを書きます。
 まず『無責任な手癖で運用されているメディアのあり方に疲労感を覚える』というのは、私も共感できます。何かあれば視聴者からの投稿動画を垂れ流す『マスメディアによる雑な報道』を見ていると、わざわざテレビでニュースを見る必要がないんじゃないか……という気がします。
 また『マスに属さないメディアが「適当でも速報性があれば良い」と持て囃され』ているな、というのも、そうだよねと思います。そういうのがあまりにも嫌すぎて、最近は動画サイトもSNSもほとんど見なくなりました。Instagramに関しては、最近アート系の人たちをポツポツフォローすると同時に「ちゃんと実体のある人間ですよ」ということをアピールするため一日一枚ずつ全然フォトジェニックでも何でもない写真をアップロードしていますが、その程度のものです。
 SNSで世の中の動きをキャッチしようとか、そういうことを考えていた時期もありましたが(ブログの記事が極端に少ない時期があるのはそのため)、そういうのに疲れ切ってしまったので現在はやめています。
 『市民によるメディアも商業的な手垢がつきすぎた』というのも、「そうかもしれない」と思います。『そんなものより、学生自治寮の壁の落書きや張り紙の方がよっぽど純粋な事実であり、本来の草野球的な市民メディアなのではないか』と言われて、ただちに「そうだ!」というには、私はあまりにも素人すぎるのですが……強く感情が揺さぶられたのは事実です。SNSの百万言よりも、よほど心に響くんです。
 個人的な体験のアーカイブから一番近いものを探ってみると、限られたコミュニティの中で秘密を共有する愉しみでしょうかね。大衆受けするわけでもなく、極端にわかりづらいわけでもなく……そうか! それが『大衆性、専門性の外側にある限界芸術のような趣がある』『純粋な美しさ』ということなのかな!
 今、ようやく自分の中でカチリとかみ合った気がします。ステートメントを読んだだけではなく、実際の展示内容を見ただけではなく……理論だけじゃなく、感情だけでもなく……それらが和合してようやく腑に落ちました。「そういうことじゃないんだけど!!!」と出展者の赤瀬川沙耶さんに怒られてしまうかもしれませんが、とにかく私がそう感じてたどり着いたのがそういうことだったので、大目に見ていただければと存じます。

 最後になりますが、私だって20年以上ホームページとかブログとかで自己表現をしてきた『市民メディア』の人間ですから、やっぱり文章による市民メディア活動は続けていきます。速報性よりも自分の感性を大切にし、バズるとかエモいとかバエるとかって流行の言葉とは最も縁遠い文章。
 一言でまとめると、私も「消費されない文化」を求め、これを作りたいのです。
 特別企画:消費されない文化
 この言葉、何度かブログの中で書いているんですが、そうやって繰り返しているうちに自分の中でも重要なテーマになってきました。大量生産大量消費の時代であり、そういう大きな流れは止められなくても、そんな中に竿を差して旗を立ててみたい。流されて溺れそうになってもまた浮き上がって旗を立ててみたい。
 それが私の自己表現です。絵を描くように、歌を歌うように、私は文章を書きます。

   *

 いっぺんに考えをまとめて書き出すことは難しいです。だから私はこうして少しずつ書いていきます。こうして積み上げながら、自分の『在りたい私』を組み立てていければいいかな。スプリントじゃなくてエンデュランス。ひとつ同じ場所で18年も続けてきたんですから、20年25年30年……NISA並みのロングディスタンスで書いていこうと思います。こうして日々を大切に生きていければ。

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 今月は亀井桃さんの個展を皮切りに、東北生活文化大学の皆さんのものを中心に多くの美術展を見ていますが、その感想をまずはノートに手書きでまとめてから、こうして記事にしています。出先で急いで気持ちをメモするためだったり、【ユ、六萠】さんと【ペロンミ】さんのノートを見て「私も真似してみたい」と思ったからだったり、切っ掛けは色々ありますが、今回こうして書き出してみると、意外なことに気づきました。
 文字を書くだけでも、手を動かして書くとそこに感情が乗るんですよね。最終的にはこうしてゴシック体でまとめられるんですが、そこに感情が乗るということは、自分が感じたことが少しだけ精緻に表れるということです。私は感情家であり感じたことを可能な限り文章で書き出すことを目的にこうして文章を書いているので、これはとても大切なことです。それによって、後で清書する時も振り返りが容易だったのです。
 同じようなことを、昨年帰天した伊集院静さんがおっしゃっていました。河北新報夕刊のコラム「河北抄」です。

河北抄(2024/1/20)|河北新報オンライン

 いわく「筆記用具の感触や筆圧も創作に影響する」とのことで、手書きで原稿を書くことにこだわっておられたそうです。そういえば、矢川澄子さんも手書き派の方だったように記憶しています。
 記事の中で、特に私が心を打たれたのは下記の言葉です。記者が字の拙さを恥じたところに言われたところ、こんな風に言われたそうです。
 
“字が下手でも構わないんだ。とにかく丁寧に書くことだ。何事も誠実さが肝要なんだよ”

 この言葉を読んだ時、文字を書くことに限らず日々を生きることそのものに対して実直であろうという気持ちがわいてきました。特別なことがなくても、現在をしっかり生きていく。手書きのノートとこのブログを基礎にして、SNSとか何とかも少しずつやりながら……反応がなくても何でも毎日続けていれば、いつかいいことがあるさ……そんな感じでやって行こうと思います。

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 ちょっと日にちがずれましたが、2/14(バレンタインデー/煮干しの日)の仙台は気温が常軌を逸したカーブを描き上昇、日中は18度ほどまでありました。そのためシューラルーさんで買った春物のアウターを使い、フリルブラウスとスカート、さらにリボン……と、かなり可愛さ重視のコーデでお出かけ。仙台パルコで記念品を頂いた後、せんだいメディアテークで東北生活文化大学美術表現学科の皆さんの卒展を見てきました(2回目)。改めて感じたことは、やはり素敵な展示だということです……皆さん卒業おめでとうございます。
 卒展に関しては気持ちが強すぎて、まとめられるかどうかわかりませんが、まとめられたら書きます。今日はそのあとのことについて書きます。

 午後からは近所のパブリックスペースを借りて、FP(ファイナンシャルプランナー)さんと話をしてきました。一応加入している保険会社で積み立て年金もやってるし、あまりお金にこだわることは好きじゃないのですが……こないだ生協から電話で「無料だからやってみませんか?」と言われて、ちょっと話を聞いてみようかという気になった。そんな感じです。ちなみに、服装はこのままでした。姿は可愛いけど話すことは生命保険の見直しとかNISAって何なのとか、いたって真面目な話です。
 こうして小一時間お話を伺ってみてわかったことは……いっぱいありました。
 まず資金運用っていうのは、お金が余っている人とかお金を稼ぎたい人とかのためだけじゃないんですね。いわゆるデイトレーダーっていう人種であれば1日に何億とか何十億とかっていうお金を動かすんでしょうけど、私みたいに自分で働いて稼いだお金で食べ物を買ったり新聞代を払ったりしている堅気の人間でも、これは必要なんです。
 なぜなら、好むと好まざるとにかかわらず物価が上昇するから。それに比例して収入も増えれば別にいいんですが、なかなかそうもいきません。また少ない収入から生活費を切り詰めて少しずつ貯金していたとしても、物価が高くなれば相対的に手持ちのお金の価値は下がります。FPさんはこれを「タンス預金はお金が腐る」と表現してくれました。……確かに昔50円で買えたものが今は150円するとか、そういうのはありますものね。
 そこでNISAという非課税投資信託システムを国が推しているんですね。
 NISAとは何か。そんなのはWikipediaでも何でも見ていただければよろしいかと思いますが、私なりにFPさんからお話しを聞いたところでは、「1日でドカンとお金が動くものではなく、20年かけて少しずつ動いていくもの」という商品なんですかね。何にせよ生き物にお金を投じるわけですから、リスクがゼロだというわけでは無いでしょうが、それは「家の外に出ると交通事故に遭うかもしれない」ようなものだと思います。何もしなければいずれ物価の上昇についていけなくなり荷風散人の如く陋巷に窮死するしかないのですから。
 それなら――まだギリギリ間に合うのなら、できることは何でもやってみたいと思います。
 今回は生命保険とか積み立て年金とかの写真を控えてもらいました。来週には改めてライフプランを作成してくれるそうです。保険屋さんが薦めてくれた生命保険と積み立て年金では将来生きていけなさそうな気がしてきたし。その点を金融のプロの人と一緒に決めていきたいと思います。
 大体、政府の方で面倒見きれないから自助努力で何とかするよう言っているっていうのですからね。少子高齢化とか色々難しい問題があるでしょう。そんな中で私のような障碍者が生きていくためには、なおさら手段を選んでいられません。
 ……そりゃあ、わかってますよ私だって……お金が大事だってことくらい……いくら独り者できっと素敵なパートナーと巡り合える見込みなんかなくても、生きていきたいんですから……。

 そんなわけで、今の生活を守りつつ、将来に備えたアクティブな用意をする。その点について、次回FPさんと相談し、実行していきたいと思います。今日もまた、新しい一歩を踏み出しました。ちなみにFPさんから帰り際「佐藤さんオシャレですね」と言っていただきました。嘘でもうれしいです! ありがとうございます! それじゃあまた次回もスカート履いていきます!(その日の気分によるので未定)

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 昨日はバレンタインデーらしい記事を書きましたが、おととい2月13日は私のばんつぁん(祖母)の誕生日です。今は癌を患って入院しており面会制限も極度に厳しいのでおそらくこのまま二度と会うことはないであろうという気もしますが、それでも私は仙台に来てから2度ほど会ったので大丈夫です。岩手に住んでいる母親や弟者、また宇都宮に住んでいる兄者はそれこそ何年も逢っていないのですから……。
 なお、うちのばんつぁんは大正生まれなので今年で102歳! となります。一族の中では最長寿です。まったくもって素晴らしいことと思います。もうすでに十分長生きしているので、まあ帰天する時が来たとしても、ちゃんと見送ることができるような気がします。

 また、この日は11月5日に帰天した叔母の「百か日」でもありました。実際にこのブログで最初に触れたのは11月13日の記事でしたが、その葬儀の時に初七日とか四十九日とかと一緒に百か日法要までまとめてやっちゃいますね、ということで臨済宗のファンキーな法要に立ち合い自分の中のシスター・アニマに目覚め現在に至るのですが、その時に初めて「百か日法要」というものがあることを知りました。
 今回こうしてテーマにするので、改めてどんなものか調べてみたのですが、どうも明確に「こういうものだ」というのがわかりませんでした。検索してみてもそれについて書いているのは葬儀社のホームページばかりだし、「諸説ありますが……」から始まって「具体的に何をすればいいのか?」ということは詳しく書いているものの明確な教義とか意義とか、そういうものに関しては正直よくわからなかった……という印象です。
 「これじゃあ、何のためにやるのかわからないよ……」
 そんな感じで戸惑う衆生たる私の迷妄を払ってくれたのは山形県西村山郡河北町にある時宗のお寺「西蔵寺」さんの記事でした。タイトルもズバリ「法要は何のために行うのか」。

 法要は何のために行うのか|時宗 西蔵寺

 ……そう、「教義」という点からだけ考えるとやる意味あるの? という話になってしまうのですが、ここで心のキャパシティを広げて、故人を想い故人のために何かをしたいと願う自然な心の動きの表れとして行われてきた「慣習」という考え方をすると、確かにやる意味があるような気がします。
 輪廻転生してから解脱するのか、南無阿弥陀仏で極楽浄土に直行するのか。個人的にはイエスさまがおられる天の国に帰るのだというふうに考えているのですが、いずれにしてもそういうことを考えるのは「いま、この世に生きている人間」だけができることです。急にでもそうじゃなくても人間が幽明境を異にするというのは愛別離苦、ひどく悲しくて苦しいものですから、それを紛らわすというか……西蔵寺さんの記事で知った言葉を使えば「発菩提心」ですね。そういう心の温かさを持つのが良いっていうのは、仏さまもイエスさまも認めてくれると思うんですよね。こうして並べてみると「聖おにいさん」を連想してしまいましたが。
 そんな気持ちで百か日を迎え、当日はひとり静かに叔母のことを想いつつ一献やりました。電子レンジとかマッサージチェアとかコーヒーメーカーとか、叔母の部屋にあったものを色々と持ってきて毎日使っている甥っ子は今日も元気です。生涯現役で盛岡の川徳百貨店から仙台三越まで婦人服売り場に立ち続けた叔母から見れば、私のコーデなんかは「まだまだね」とため息をつくようなレベルだと思いますが……やはり綺麗なひとであったと思うのです……。
 天の国から見られたときに、「相変わらずおかしなことやってるわね」と苦笑しつつ「少しはマシになったかしら」と言ってもらえるよう、私もコーデ頑張ります。
 ……うん、私はそのために女の子の服を着ることにしよう! 今後はそういうものとして皆様もご認識ください。


   *

 叔母の帰天や祖母の誕生日を機に身近な人の生と死に向き合い自分のことを考えていると、それまであいまいだった死の概念がヴィヴィッドになりました。ユルスナール女史の言葉でいうところの「肉体の感覚や外部世界の偶然を通して、死が自分に送ってくれる合図の一つ一つに死を感じれば感じるほど、ますます自分が懸命に強く生きているということを自覚する」というもので、私も限られた時間を大切にし、先に帰天した人たちのことを想いながら私は私の『在りたい私』を生き、その時が来たら天の国に帰ろう……そう思うようになったのです。
 その日まで、このブログは続けます。
 先日イワテライフ日記さんが25周年を迎えられたことについての記事を書いたところ、管理人の「まると」さんが当該記事を読んでいただいたとのことで……あわわ、恐縮です! 2/12にお読みいただいたということは、もしかして、そのひとつ前の記事も読んでいただいたということなのでしょうか……。

 イワテライフ日記25周年によせて|イワテライフ日記

 いつか誰かが読んでくれるさと思う一方、誰も読んでくれないんだから多少ムチャしてもいいだろうと思って好き放題書いていましたが、まさか憧れの「まると」さんに読んでいただけるとは……この1拍手はSNSの10万いいねに相当する嬉しさです。地道に続けてきてよかったです。こういう瞬間があるのなら、やはりこれからもブログを続けていきたいと思います。
 速報性のある刺激的な文字が飛び交うSNSの世界も意義はあると思うんですが、こうしてしっかりと、地道に自分の考えや日常を記録することが私にとっては必要なのです。「消費されない文化」というのは私の重要なテーマですから。地道に実直に、日々のことを丁寧につづっていきたいと思います。そりゃ~書く方も人間ですから内容が薄かったり濃すぎたりすることはあると思いますが、やっぱり一定のカリテは保てるよう精進していきます。
 そんなわけで、これからもよろしくお願いします。

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 今日はバレンタインデーですね。
 私の職場でも若い女の子たちが手作りチョコレートをシェアリングしていました。私自身にとってはあまり関係のないイベントではありますが、そうやって楽しそうにしている光景を見ると心が和みます。「ああ、楽しそうだなあ」「やっぱり、バレンタインデーというのは、存在してもいい日なんだなあ」と心の中で思いながらクールに去るぜと言って帰ってきた次第です。

 一応事実として申し上げますが、私だって過去にチョコレートをもらったことはあります。2009年のことでした。それから10年以上、特別なイベントもないまま結婚と離婚を経て現在に至るわけですが、バレンタインデーの雰囲気も変わりましたよね。
 本来、大好きな人に気持ちを伝えるためだったチョコレートは「義理チョコ」となり「友チョコ」となり今じゃ「自分チョコ」となり……それだったら別に何でもいいじゃないか! という気がしますが、ええわかります、こういうタイミングでちょっと特別な包装が施されたプレミアムなチョコレートを食べるのがいいんですよね。個人的にはめっきりと特別感が薄れてトキメキもヤキモキもしなくなってしまいましたが、良いと思います。これがダイバーシティというものなのでしょう。
 なお友チョコという言葉は2011年2月時点で既に流行の言葉として存在していたみたいです。10年も経てば流行じゃなくてひとつの風習ですよね。



 今この記事を少しでも盛り上げるべく、過去の日記を検索しGoogle Photosを検索し何かそれらしいものはないかと思って探していたら2021年2月14日の写真が出てきました。かつて十和田市にあった『レトロゲーム秘密基地』さんでひとりゲームに熱中していたみたいです。結局一番それらしい写真が、最近フォーラスで撮影した1枚目の写真でしたか……まあよろしい。
 ともかく今年はちゃんとバレンタインデーに関する記事を書きました。ここ10年くらいはアレですね、仕事の時間が不規則だからブログの記事も滞りがちでしたが、それ以前の記事を残しておいて良かったと思います。これからも、長短はともかく毎日記事を更新していきたいと思います。

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グループ展 テーマ「自分の推し」
現代では「推し」という言葉、文化が流行っています。この言葉は2000年代初頭から使われており、最初は日本のアイドル文化が始めであるとされています。今回はその「推し」にフォーカスを置いてみました。
 今回の展覧会では推しをただ描くのではなく、「推し」から連想(マインドマップ)をして、推しそのものを書かないようにしています。そうすることで、作品を見た人たちにこれは何だろう、誰だろうという謎解きのようにすることで作品をじっくり見てもらい、推しているモノを知っていたときに、共感や関心を得れて、自分とは違う視点を知ることができると考えました。
(会場内のステートメントより)

 これの開催を知ったのは、たぶんフォーラスの7階にあるギャラリーで告知ポストカードを見た時だったと思います。その日は亀井桃さんの個展を見るのがメインで、これを一通り楽しんだ後に、「どんなものかね」「今年に入ってからまだタナラン(GALLERY TURNAROUND) に行っていないし、ちょっと見てみようかな」という……結構軽い気持ちで見に行きました。
 こちらのグループ展ではみんなが同じサイズのキャンバスに描き手の「推し」を表現したものがずらりと並べられていました。わざわざこうしてステートメントの内容を書き出したのは、会場で一度読んだだけではちゃんと理解できていなかったからです。タイピングとはいえ、こうして自分で言葉をしっかりなぞってみることで、「そうだったのか……」ということが理解できました。とりあえず全作品を写真に撮ってきたので、記憶と合わせて改めて振り返ってみたいと思います。せっかくなので皆様も一緒にお付き合いください。

 
 先ほどのステートメントにあったように「推し」を直接書かずに連想イメージを表現した作品は、シンプルだったり緻密だったり可愛かったり格好良かったり明るかったり暗かったり……数が多いのでそのすべてを紹介することはできませんが、ひとりひとりの「推し」に対する表現の違いを眺めるのはとても楽しいものでした。描き手が推しているモティーフが何なのか? そのものを当てることは難しくても、それが何であるのかを想像することが、このグループ展の愉しみですよね。
 一通り眺めてみて、自分の好きなものをいくつかピックアップしてみると、私の心が浮かび上がってくるようでした。動物とダークファンタジー的なもの、それに可愛いもの、優しい雰囲気のもの……私の自我と影が、これによって映しだされたようです。
 鏡みたいなものなんでしょうね。でも肉体に覆われた心は、三島由紀夫さんが言うところの「林檎の芯」であり、鏡に映しても見えてこないから、それを表現するためには自分で書くか、服を着て表現するかないと思っていましたが……こうして誰かに描いてもらったものに共感するという形でも浮かび上がってくるのかな……なんて、振り返りながら思いました。せっかくアートを見たんだから、私だってそのくらいのこと思ったっていいですよね。
 またこうして、作品を見る機会があれば行ってみたいと思います。良いと思います!

   *

 これは「私の推し展」とは少し離れますが、この日タナランに行ってみると、一昨年の11月に開催された門眞妙さんの個展『まあたらしい庭』の図録がありました。前日(2/1)にお披露目になったばかりとのことで、亀井桃さんの図録に続き問答無用で即買いしました。私が仙台に来て初めて見たアートなイベントで、現在に至るまでのアート好きの原点なので、とても嬉しいです。門眞妙さんについてはこのブログでも何度か触れていますが、2度もお会いすることができて本当に幸せです……その時はまだ女の子の格好をしていなかったので、やはりギャラリーには男性として行った方が良いかな……今の私を見てもらいたいという気持ちよりも、ちゃんと気づいてもらいたいという気持ちの方が強いので……。

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 多分2/2は私の服装を可愛いと言ってくれたことが嬉しすぎたのでしょう。撮りためた写真を振り返っていると、せんだいメディアテークで開催されていた「日本デザイナー芸術学院」の卒展の写真がありました。完全に記憶が抜け落ちていました。
 大学と専門学校、アートとデザイン。いずれにしても私は門外漢なのでどちらがどうとか言えるような身分ではありませんが、よりポップで万人受けしやすいというのは事実ですよね。多分専門学校というのはそういうものだと思うので、深い感動を受けた作品というのは少なかったのですが、それでも「ヘェー、こういうものなんだ」というのを一通り眺めてみて楽しみました。せっかく写真を撮ったので、その一部を紹介し今日の記事としたいと思います。

 

 イラストレーション科・加藤心奈さんの作品でタイトルは「Flyby Girl」。宇宙が大好きで、宇宙に夢見る少女をモチーフに制作された作品です。様々な夢が浮かんで憧れの空に広がっていくような雰囲気が素敵です。良いと思います!
 あとは……そうですねえ……あんまり写真を撮っていなかったんですよね。そういうものを勉強するための学校だから当然なのですが、ポップで受け入れやすい代わりに心にも残りづらかった……「ああ綺麗だねえ」「可愛いねえ」と思うものの、すぐに消えて次のものに移ってしまう……そんな感じです。pixivとかで可愛いイラストを眺めるのとあまり変わらないかな、と。
 そんな中で私が立ち止まり「おおっ!」と思ったのは、写真映像科の皆さんの作品です。私も素人なりに写真が好きな人類なので、やはり感じるところがあります。
 特に気に入ったのが小形真央さんの『私たちは』という作品です。他の人のところを見ると仕様ソフトにphotoshopとか何とかって書いていて、「やはりデジタル的な加工をするのが今時だよねえ」なんて思っていたのですが、こちらの作品の使用ソフト欄には「Nikon F3」とだけ書いてありました。
 これは良い! と思います。私もフィルムカメラ上がりですから、この時代にあってニコンF3で写真を撮って作品に仕立てるとは! とすごく嬉しくなってしまいました。残念ながら写真撮影不可の作品だったのでそれを紹介することはできませんが、代わりに私が書いた感想を(誰も求めてないとは思いますが)。

 最近はXを休止している代わりにあちこちのイベントに参加し、特に名前を求められていないのに名前をばらまいています。本名と(佐藤非常口@仙台)と併記したり、佐藤非常口だけで名前を残していったり。別に名前を売りたいわけではなく、しっかり自分の言葉に責任をもって感想を伝えたいという真摯な思いからそのようにしています。
 
 日本デザイナー芸術学院の皆様、ご卒業おめでとうございます。社会で直接役に立つ技術を習得するのが専門学校だと思うので、これからのますますのご活躍を祈念いたします。以上で甚だ簡単ではありますが、お祝いの言葉とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。
 (今年2度目の祝辞風シメ)

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 せんだいメディアテークで「東北生活文化大学美術表現学科 卒業制作展」を見てきました。……ということで最近見た美術展についてピックアップしてみます。
 1.「私の推し活展」4期生によるグループ展 Gallary TURNAROUND
 2.「足跡」美術表現学科2年 木俣佑実子さんと有志13名 SARP
 3.『胎に刺さったリボン』 三人展 SARP
 4.「東北生活文化大学美術表現学科 卒業制作展」せんだいメディアテーク
 3.の三人展『胎に刺さったリボン』の出展者であるトキワさん/かんのさん/さかいふうかさんも4.に出展していましたから、これらはみんな、東北生活文化大学美術表現学科の皆様によるものだった……ということになりますね。
 それを盛岡大学文学部英米文学科(平成17年に英語文化学科に名称変更)出身で美術の勉強は中学で辞めてしまった(最終成績「2」)私が見る……これはアンデパンダン展以来の、仙台市内の各ギャラリーを舞台とした全面戦争……じゃなくて異文化交流みたいなものかもしれませんね。「自分で絵筆をとることはないけど見るのは大好き」っていうのは、やはり私が大学をギリッギリの成績で「とりあえず卒業させてもらった」というコンプレックスがあるのかもしれません。
 自分にはできないもの、できないこと、でもやってみたいということを代わりに表現してくれる……それは今回に限らず、すべての私が大好きな美術家の人たちに対しての気持ちではありますが……そういうものをたくさん感じることができました。
 自分が好きなものを自分の技術で表現する。色使いも筆使いも自由自在で真っ白なキャンバスに描かれたそれぞれの作品は、見るたび私に新鮮な刺激を与えてくれました。それが抽象画であれマンガ・イラストであれ人形であれ(※)、いずれも素晴らしい作品です。そのたびに心が元気になりました。
 そして、ちょうど20年前に私が体験した「学生からの卒業」というものを、ようやく自分のものとして受け入れることができた気がしました。
 当時の私はとにかく現実から目をそむけたくて……就職先も決まらないし卒業できるかどうかもギリギリだし……本来であれば自分が打ち込んできた勉強の集大成たる卒業論文も、「とりあえず出さなきゃ卒業させてもらえないから出しました」という、ひどく出来の悪い代物だという自覚があります(といっても、それが私の精一杯ではありましたが)。
 それに対してこの卒展に作品を出している方々は、全部でどれほどの学生がいるのかわかりませんが、そういった人たちの中でも選りすぐりの方々なのでしょう。
 これで終わりにするのか、まだ続けるのか。もちろん私にそんな決定権はありませんが、「学生からの卒業」というものは意外と重たいものなんだな……と、20年経ってようやく腑に落ちました。

 ……そうか、私が卒業したのは2004年だから、ちょうど20年前だったんだ!

 いまこの文章を書きながら、そのあたりのピントが合いました。
 中途半端な気持ちで卒業してしまった私の心を救ってくれたというと大げさかもしれませんが、でもいいです。私は発達がちょっと緩やかで片寄っている人間なので、心を前に動かさなければいけません。
住む場所を変えるとか仕事を変えるとか、そういうことだけじゃない心の成長。この2年間少しずつ動かしてきて、ようやく20年前のモヤモヤしたところまで手が届くようになったのかな。これも私が心を開いてたくさん栄養をつけたからであり、そういうチャンスを与えてくれた皆様のおかげです。

 色々と感動が大きすぎて、上手に言葉にするには時間がかかりそうです。とりあえず今日は甚だ簡単ではありますが、卒業される皆様にお祝いの言葉を申し上げます。卒展に出展された方もそれ以外の方も、新たなステージで生きていくことになろうかと思いますが、また別な機会にお目にかかれれば嬉しいです。東北生活文化大学美術表現学科の皆様、ご卒業おめでとうございます!
 (「仙台市、佐藤非常口@仙台さまより祝電を頂戴いたしました」)

※ アンデパンダン展で見てひどく心を奪われた「鵜坂紅葉」さんの作品も実は美術表現学科の学生だということを今回の卒展で知りました。見つけた時は「あっ!」と声を上げそうになりました。まさか、もう一度お目にかかれるとは思っていなかったので……本当に嬉しかったです……。

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 今年に入ってから何度も「私はノンバイナリー」「どっちでもよくない私は私だし」と言ってはばからない私ですが、自分が明確に男性なのか女性なのか決めかねるというのは、正直ちょっとしんどいです。
 職場など、社会通念上男性としての振る舞いが求められる場面では躊躇なく男性として出かけます。また、男性として何度も通いつめ顔なじみになっている場所には男性として出かけた方が良いのかな、という気がしています。こないだ女性の格好をして行ったら、どうやら別人と思われていたみたいで……それならこのまま「いままでの私」でいいかな……と。どちらにしても私の気持ちをわかってくれる人なので、その方が通じやすいのならそれでいいです。
それ以外の場面ではどうか。たとえば休日に町中に出掛けたりする時などは、私の心には「女性らしくありたい」という気持ちが強く存在するので、それを最大限引き出す服装をして出掛けます。
でも、どちらか一方に固定することはできません。そのために迷ったり躊躇したりする自分がいます。
 法に触れるわけじゃなし、そうしたいと心が望むなら、ヒラヒラしたトップスにスカートを履いて、可愛い格好をして出かければいいと思うのですが……男性にも女性にもなり切れない中途半端な心なので……こうして煮え切らない気持ちを誰に言っていいのかわからなくて、今こうして記事を書いています。
 たぶんずっと、こんな気持ちは続くのでしょう。正直これからどうなるのかとか、どうすればいいのかとか、よくわかりません。

 でも、何度もこうして思い切って飛び出したから、今日も「心のままに」着たい服を着て出掛ければ良いのかもしれませんね。私が一番好きな服。在りたい私でいられる服。

   *

 今、『千年桜の奇跡を、きみに』という小説を読了して、そう思いました。随分と背中を押してもらいました。
 「憧れの人がいる。自分もその人みたいになりたいと思ったけどできない。でもそれでいい。自分はその人じゃないから。できないことはできなくてあたりまえ。自分にやれることをして、自信をもって、自分らしくいようと思った」
 ある人物がそんな意味合いのことを言っていました。その人物に限らずこの物語には「私は私のために生きる」といった思想を持った人が何人もいます。そのたびにグイグイと背中を押されるというか……「何だか、すごいなあ」と呆気にとられてしまうほどのエネルギーをもらいました。土地の神様と人々が共存して穏やかに暮らしている街の雰囲気に、物語の中盤くらいまで戸惑いがあったのですが、こころの波長が合ってからは私も「咲久良町」の人たちの温かさに感じ入り、物語の世界にのめり込んじゃいました……。
 先月惜しまれつつ閉店したアリオ仙台泉の中の「くまざわ書店」で購入した2冊のうちの1冊でしたが、まったく素敵な本に巡り合いました。いずれまた再読した時に、改めて感想をまとめたいと思います。これは一度だけで読み捨てるのはもったいない!

   *

 それに私は私で、咲久良町とは違うけど素敵な街に暮らしています。
 家庭も仕事も捨てて流れ着いた仙台。そこで出会った多くの人たち。特に1年前のメディフェスせんだいというイベントでは、「私もこうなりたい!」と思う人と出会い、その形を自分なりに追いかけてきました。途中でくじけて、そこから立ち直ろうとした時に叔母が帰天し、さらに落ち込んで……でもそれを切っ掛けに私のアニマの形をちゃんと捉えることができて……それからですね。「私には私の勝ち方がある」……このフレーズも好きなんですが私は受験生ではないので、こうしましょう。

 「私には私の『在りたい私』がある」

  (白石市・武家屋敷にて)

 昨年12月25日クリスマス以来の「みすみんボード」発動です。
 私はみすみんサンに憧れてここまでやってきました。
 でも、私はみすみんサンみたいにはなれませんでした。そのことで悩んだり落ち込んだりした時期もあります。いまだにXもyoutubeも見ることができません。
 その代わり、この街でこんな私のことを可愛いと言ってくれる人がいました。
 一度目は東北生活文化大学美術学科の女の子とギャラリーSARPの方に、二度目は仙台のファッションレジェンドなばんつぁんに。
 それはとっても嬉しかったし、そのまま自信にもつながりました。この先誰に何と言われようが、確かに私のことを可愛いと言ってくれる人がいたこと。そのことは誰でもない、私自身が知っているんですから。
 私はこの街で生きていく。どこでもない、仙台で生きていきたい。この街で、私のことを可愛いと言ってくれた人たちがいる仙台という街で生きていきたい。
 「私も、もう大丈夫ですよ」
 そういう気持ちをみすみんサンに伝えたくて、久々にみすみんボードを発動しました。
 今日はこれから東北生活文化大学の卒展を見てきます。そしてフォーラス仙台でパンサー尾形さんのイベントに行ってきます。「かのおが便利軒」大好きなんです。

(気仙沼市・道の駅大谷海岸)

 行ってきます。

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