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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
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 北仙台フリーマーケットの日に行った「宮城平和美術展」のこととか、ちゃんと書きたいことはあるんですけどね。そういうのはやっぱり休日の朝に本腰を入れて書かなければいけない。正直、ちゃんとした文章が書けなくなってきたという自覚はあります。あさイチの文章をXに投稿してしまうと、やっぱりそういうテンポになっちゃうから。
 でも、こないだ言った通り、Xっていうのは地上波ですから。それに対してこれは録画番組……何だったら1週間同じ放送を流したり、「2022年7月に放送したものです」なんてテロップをつけて流したりするようなものですから。……しっかり写真は撮っています。むしろ気持ちが醸成される時を待って書いた方がよろしい。あくまでXは速報性の物であり、このブログは遅効性……じっくり腰を据えて書くべきものなのです。
 その時が来るまでは、こうして日々の何でもないことを一献やりながら書く。そういう感じです。だから本来はそういう場所だったんですって。それをあさイチで書くのか、夜のいい感じの時間帯に書くのか。その違いであって。……もうこうして書きながら飲みながら食べながら書いているから仕方がありません。佐藤非常口の酒場放浪記です。
 そんな今日のテーマは「ていねいに伝えたい」。このブログのことですか? それもそうなんですけど、ちょっと私の仕事の話をします。いや、まあそんなに難しい話じゃなくてね。
 ……私も2年もこの会社でお世話になっているので、それなりに後輩に教えることも増えました。私自身そんなに上等な人間ではありませんが、それでも私にできること(するべきこと)をちゃんと伝えたいと思うのです。
 その中では、時々「ここはこうした方が良い」という話をしなければなりません。
 そういう時に、どう伝えるか。
 「それじゃダメです、こうしなくちゃ」
 そういう風に無理やり軌道修正させることは私にはできません。それほど自信がないからです。でも伝えなくちゃいけない……! 
 そういうわけで極力その子のやっていることを尊重しつつ「こういう時は、こうした方がいいよ」と伝える。
 ……あ、そうか。これってホテルで働いていた時、ウチの支配人がよく言っていたことじゃないか。そういうことを思い出しました。
 「佐藤君、そのやり方よりこうした方がベターなんじゃないかな」
 そういう指導の仕方をする人でした。まあ私も含めクセツヨな人類ばかりの職場でしたから、きっと支配人も大変だったとは思いますが……ただ、そういう私の言葉に対して、
 「フン、何言ってやがる」
 「そんな台詞、100年早いんだよ」
 そう言って笑い飛ばしてくれるでしょう……ということも確信しています。だから私もこれ以上心配することも言及することもやめます。だって私はもう支配人のもとで働くスタッフじゃないし、支配人も配置転換で関連会社の社長になったし。

 ……そんな感じですかね。
 外は雨。NHKニュース9を見ていると、レインコートを着てピッチリとフードをかぶった女子アナがずぶ濡れになりながら現在の様子をレポートしていました。そういう模様を見て心がざわめいてきたので、このブログもそろそろ仕舞としましょう。邪な情を起こしてはいけない。興奮してはいけない……心を鎮めなければ……。

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 北仙台フリーマーケットに行ってきました。
 元々昭和感爆発というか……この仙台浅草という場所は、見てわかる通り道幅も極端に広いわけじゃないんですよね。そんな敷地内にお弁当屋さんラーメン屋さん居酒屋さん云々……といった個人個人のお店がギュギュっと密集していて……ついでに公衆トイレもあるから夜中に飲みまくってトイレに行きたい~って時も安心っていう温かい街なんですが……そんな商店街の店先にブルーシートしいてワイワイやるものだから、もうすれ違うのも大変! なんです。
 でもそれがいいんです。向こう側から手をつないだカップルが来たとかベビーカーを押す人たちが来たとかってなれば、ひとりでぶらぶらしている人類(=主に私)の方がスッと道を譲る。そういうのを何度も繰り返す。それがいいんです、それが……私みたいに寂しい心の人間は、そういうことをするたびに心が温かくなって……やせこけた良心を満足させて……。
 いつもX(旧Twitter)でお世話になっている人にご挨拶して、素敵な漫画をお迎えして、人生初のイヤリングをつけて(2時間後片方紛失→ユザワヤでチェーン買ってペンダントにセルフ改造)、地元で愛されるお菓子屋さん「ガトーかんの」サンのアンパンをもらって食べてモグモグうわっ何だしょっぱいそうか塩漬けの……!
 すみません、もう酔っぱらっちゃった。でも、そういうのが今日の記事を書くにあたってはちょうどいいかなと思うのです。お酒を飲んで(トリスハイボール缶濃い目1本)、酔っぱらって、その勢いで書く。北仙台の雰囲気って、そういう人類を温かく受け入れ送り出してくれる場所だと思うので……だからちょうどいいと思うのです……。
 北仙台、素敵な街です。皆さんありがとう。私はこれからも生きていきます。Salut!

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 こういう写真を投稿し普段着として可愛い服を着て生きている身ではありますが、どうやら自分の気持ちとしては「見て見て私可愛いでしょ~? ほらほらこんなに可愛い格好してるよ~(はぁと)」ということをアピールしたくてそうしているわけじゃないのかな、と思いました。
 「男性が女装することに年齢なんて関係ない」それは大いに賛同します。そうです自分の心がそれを望むのなら、着るものと年齢性別はパラレルで良いと思います。そういう写真をブログやSNSでバンバン投稿することで自分の気持ちが満たされるのなら、それで良いでしょう。
 ただ、私の場合はちょっと違うかな。そう思ったんです。

 「私は他の人と少し違うかもしれないけど、
  そういう人も生きづらさを感じることなく一緒に生きていける世界が
  良いと思います」

 そういうのが動機なんじゃないかな。
 私は女装することに性的興奮を覚えるひととは違います。性同一性障害のひととも違います。自分の中の男性性をできるだけ薄めて女性性を尊重したいと日々考えておりますが、かといって「男性として生活することが苦痛」であるというほどでもありません。
 ただ心の平安を求めて、そうしているだけなんです。



 今日は北仙台『仙台浅草』で開催されるフリーマーケットに行ってきます。私は私らしく。自分が一番心穏やかに過ごせるような服を着て、今日も生きていきます。きっと、こんな私のことも分け隔てなく受け入れてくださるから……そう、仙台はそういう人たちがたくさんいる街なんです……。

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 このブログではちょいちょい「可愛い私」の写真を出してきましたが、そういう格好をして外を歩くようになって大体半年になります。
 最初は「誰に何を言われても、私にはこれしかない。他に生きる道はないんだ」みたいな覚悟で街歩きをしていたのですが、今じゃこれが普段着です。必要に迫られれば男性ものの服を着て出かけることもありますが(職場とかはもちろんそうです)、スカートを履いて出掛けられるならその方が良いです。
 そうすることで心が楽になって、随分と生きやすくなりました。
 無理して心の淋しさを埋めようとしなくても大丈夫な時間が増えていきそうな気がします。それはデジタル的な世界だけではなく、この街で……私が好きな人にこの姿の私を受け入れてもらえたからです。

 私は別に、男性でも女性でもいいです。
 性同一性障害の人ともそうではない人とも違う私は何なんだろう。そういう悩みはありました。でも、素敵な出会いを経て少しずつ「私は私」というアイデンティティが確立してきました。
 「性自認」って大事。「自分はこういう人間だ」っていう感覚って大事。それを最大限に尊重し私はともに生きていきたいです。LGBTでもいいじゃないですか。私は誰とも違うけど、そんな私のことを受け入れてくれる人がいる。それで私は十分です。
 昨日は一生懸命歩いて行くって言いましたが、ちょっと訂正します。
 「もさらくさら」歩いて行きます。のんびり、のんびり……ね。
 それがいいんです。

 だって、私は人生を愛していますから。
 そして、この仙台を愛していますから。

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 門眞妙さんが主催する朗読会に行ってきました。
 この格好で。
 ……
 最近はもうわざわざ女の子の格好をした自分を「鳴瀬桜華」と認識することもなくなりました。SNSで交流をしていた人と初めて会った方にも去年男性の格好であった方にも佐藤非常口の名前でご挨拶しているし、アベココアさんのライブにもNoaさんのライブにもこの格好で行ってるし。この格好って、厳密に全く同じ服を着ているわけではありませんが。これは特別な格好なので。さかいふうかさんに褒めてもらった格好であり、ミュシャ展に行く時の格好であり……今回門眞妙さんにお会いするにあたって決めた格好です。
 「命をのせて歩くんだ
  一番好きな服を着ていくのが当然だろう」
 イエスさまからは「何を着ればいいかとか悩むんじゃないよマッタク」と言われるかもしれませんが、久々にお会いする……そして、こんな生き方をするようになってから初めてお会いするので、私の持っている中で一番特別な服を選び、行ったのでした。
 そして、受け入れていただきました。
 ごく最初は「はじめまして」って雰囲気だったんですが、すぐに「佐藤さんですか?」と気づいていただいて……あまりにも変わり果てた姿だから、気づいてもらえなくても仕方がないという覚悟で臨んだのですが、そうして受け入れてもらえて……それが何よりも嬉しかったのです……!
 みすみんサン、ごめんなさい。私どうやらメタバースじゃなく仙台で『在りたい私』に成れたみたいです。
 私……ここで生きていきます!

 朗読会の話もしますね。
 台本は「ガザ・モノローグ」。封筒に入った台本をそれぞれ手に取り読み上げる形で、一人ずつかわりばんこに読みました。もちろん私も読みました。私が読んだのは「戦争の長い時間」というものです。
 読んで感じたことを、そのまま表現する。それを聴いてくれる人たちに向けて。
 ……
 それはとても心地よい時間でした。
 大町西公園。日差し。鳥のさえずり。広瀬川のさざめき。遠くで遊ぶ子どもたちの声。でも、それも遠くに聞こえる。ここでは私の声が一番よく聞こえる。みんな私の声に耳を傾けてくれる。静かに聞いてくれる。

 私の気持ちを、みんなが聴いてくれている。

 本当に、良い時間でした。
 私の感情を受け止めてくれた人たち。今度はその人たちの言葉を私が受け止める。門眞さん。初めて会った人たち。……
 いま思い出しても、良い時間だったと思います。本当に、本当に良い時間でした。

 最後に自己紹介をしました。
 ここでちょっと「いつもの私」に戻った私。正座して帽子を脱ぎながらも、まるで漫才のツカミのような感じで自己紹介をしちゃいました。
 「はい、え~佐藤と申します。まあSNS方面では佐藤非常口って名前でやらせてもらってるんですけど……」
 その時、大学生の青年が「おおっ……!」という表情をしたので、もしかしたらどこかで私の名前を見ていたのかもしれません。意外と私の名前、売れてるのかな(笑)。だとすると、ますます自分が――どんな格好をしていても――佐藤非常口という人間であり他の誰でもないのだということを自覚しました。アイデンティティ!

  *

 平日にもかかわらず10人くらいの人たちが集まって、この日の朗読会は終了しました。
 そのあと感情をノートにまとめて、それを(ノートに書いたとはいえ手紙形式で感想を伝えたくて)写真に撮って門眞さんに送ったところ、温かい返信を頂き、
 「成った」
 そう思ったのです。
 イエスさまが十字架にかけられ、最後につぶやいた言葉は「成し遂げられた」でしたが、私もそれに近い……なんておこがましくて言えませんが……でもやっぱり言います! 本当に、そのくらい私の心は満たされたんです!

 イトウモモカさん、さかいふうかさん、門眞妙さん。他にも多くの人たちに元気をもらって、私は生きています。というか、生きたいと願い、一生懸命歩いています。


 わたしは人生を愛しています。
 そして、仙台を愛しています。

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 今日は朗読会というものに参加しようと思います。
 私が大好きな門眞妙さんが主催するイベントなので矢も楯もたまらず……今日がたまたま公休だったのは本当に幸運でした。
 一方で朗読会というのは何だろう……という気持ちもあります。うちの弟が大学時代にそういう会によく参加していたので話を聞いてみたりしましたが、うまくやれるかどうか……ちょっと心配なところもあります。まあそんなに格式ばったものじゃないでしょうから、きっと大丈夫だと思うんですが……ちょっとドキドキしています。
 どんな感じだったか。それはまた後ほど書きたいと思います。

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 先日からJ-COMを視聴できるようになったので、こういう時間によく見ています。
 いま放送しているのは『吉田類の酒場放浪記』。かつてはIBCでゴールデンタイムに放送されていたのですが、まあ私も一献やりながら見るのでちょうどよいです。残念ながら今日の肴は梅しそ柿の種しかないんですがね。まあ、世界情勢とか地上波のバラエティに食傷気味の私にとっては十分です。真面目に見る必要のない、それこそこうしてブログを書きながらラジオのように聞きつつ時々画面を見る……その程度の番組なので良いでしょう。
 まったく……こんな感じでお茶を濁すようなブログになってしまって申し訳ありません。それでも「今日はまあいいか」とサボることはしません。内容がないような日でも毎日何かしら書く。1行でも3行でもいいから書く。そういうことが大切だと思うのです。
 明日は門眞妙さんの朗読会に参加します。楽しみすぎて気持ちがひとりでに浮き上がっちゃうので、そういうこともあって今日の日記はごく控えめにします。明日があるんです。明日のために今日はしっかり休まなくちゃならないんです。お酒も1合(と少々)にとどめておきます。そしてしっかりご飯を食べて眠ります。あんまり食べ過ぎるとかえって眠れないんですけどね。
 そして今は別なチャンネルで一生に一度は見たい北海道の絶景という、「今日の番組全部終わったんか」と言わんばかりの映像を眺めています。そうですよ……今の私はこういうのを求めていたんです……。

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 仙台青葉まつりは5月の第三土曜日・日曜日に開催されるイベントです。
 今年は第40回ということで、新しめのお祭りといえばそうなんですが、そのスピリットは二代藩主忠宗公の主催した『仙台祭』に起源をもちます。またお祭りを彩る「すずめ踊り」というのは仙台城の石垣を作った泉州堺の石工たちが祝いの席で踊った舞に由来し、それから……
 ……なんて、あんまり歴史とか伝統とかにこだわらない市民ファーストのお祭りが『仙台青葉まつり』なんです。山鉾とすずめ踊りと時代絵巻巡行(パレード)……街中をステージにしてニギニギヤカヤカするのが良いのでしょう。ちなみに大河ドラマ『独眼竜政宗』が放送された時は渡辺謙さんがパレードに参加し大騒ぎになったという伝説があります。
 そんな青葉まつりに、今年は初めて参加しました。参加って、別に私がすずめ踊りの祭連になったとか、そういうわけじゃなくて、実際に会場に行ってみたってことね。19時まで仕事して、それからアーケードを駆け抜けて……そして、ギリギリこういった写真を撮ることができた……そういうことなのです。
 やっぱり祭囃子が聞こえてくると気持ちが高ぶります。さらに勾当台公園の広場では特設ステージが組まれ……我らが『伊達武将隊』の皆様による演舞が披露されました。
 400年前から現代に転生した政宗公と家来(伊達成実、片倉小十郎親子、支倉常長、くのいち響)+松尾芭蕉……歴史をさかのぼり現代によみがえらせてくれた後は某将軍のサンバに引けを取らない「すずめダンス」を披露してくださり、我ら仙台の民を大いに楽しませてくれました。なお政宗様は現世に甦って既に14年くらい経っているので物凄く現代に馴染んでいます。去年転生してきた片倉小十郎重長に対して、
 「お前も400年前ならみんながひれ伏しただろうが、現代じゃ全然違うだろう」
 「(2代忠宗公の仙台祭を)やっていた頃、お前は見ていたか? ワシらみんな死んでたからなあ!」
 と言って呵々大笑されておられました。まったくもって、私のお殿様は素敵な方です……。

 あとは、姉妹都市である北海道白老町や愛媛県宇和島市(政宗公庶長子が初代)さらに泉州堺や北斗市/函館市など、他国からやってきた人々による市が建ち大いに賑わっていたのですが、その中でも特に目を引いたのが長野県中野市でした。

 長野県中野市の魅力を発信するVtuber『信州なかの』サンです。
 長野? Vtuber? 
 ……
 こちらは「岩手さちこ」サンとか、ああいうカテゴリの子ですから。ご当地魅力発信担当Vtuberですから、ちょっとカテゴリが違うんです。
 この子については稿を改めて書きたいと思います。いったんここまで。

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 パッと見て可愛いと思ったから写真を撮った。直接的なきっかけはそういうことです。
 他の土地のことは何となくわかるんですよね。宇和島市は昨日の記事でも触れた通り政宗公の庶長子が初代宇和島藩主として封ぜられた縁がありますし、白老町は幕末の頃仙台藩元陣屋がおかれた歴史的なつながりがあります。泉州堺は「すずめ踊り」のもととなった石工たちの縁がありますし、北斗市/函館市は……え~と……??? まあ何でもよろしい。そんな感じで可愛いからいいやといって写真を撮ったのですが、長野県中野市との関係って何があるんだろう? というのが気になって……色々とネットで調べられる範囲で調べてみました。
 そうしたところ、1967年に大分県竹田市もあわせて「音楽姉妹都市」という関係を結んでいたことがわかりました。そのあたりのことは2017年の中野市の広報に載っているのですが、作曲家・中山晋平を生んだ長野県中野市が作曲家・滝廉太郎を生んだ大分県竹田市と姉妹都市提携を申し込んだところ、竹田市が「(滝廉太郎が作曲した『荒城の月』の作詞者・土井晩翠の出身地である)仙台市も」という意向を示し、3姉妹都市という形になったのだそうです。
 調印式の模様は当時テレビ番組で放送されたそうですが、提携の正式決定から放送までの期間が短くて技術的な準備が間に合わず、仙台からの中継はできなかったそうです。とはいえ50周年を迎えた2017年には3姉妹都市の首長が集まり「未来に向けた姉妹都市交流の絆共同宣言式」が開かれ、人的交流もあるし、こうしてお祭りにブースを立てて私や伊達武将隊のくのいち・響殿が缶バッジを手にしているのだから、まことに良きことと存じまする。「#青葉まつり 信州なかの」でXを検索したら響殿と私の投稿しか見つかりませんでしたが、とても心強いで候。

 私が? ええ私が。袖すり合うも他生の縁ですよ。可愛い子が大好きなんですよ。
 

 プロフィールについてはこちらのフライヤーを参照ください。属性が神様だから真面目に悩んだりもするみたいです。何か今日は中野市・竹田市・仙台市の相互関係に関する調査だけで疲れてしまったので、信州なかのサンについてはまたの機会にしましょう。私もこれ以上のことはわからないし。これを切っ掛けにハマっていくから、今回はこれでいいんです。

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こんばんは。
 もう夜遅い時間になりつつあるので、今日も緩やかに書きます。

 本来はまずブログを書いて、それからXに移行する……という予定だったのですが、その日1発目の発信はXで行い、まとめて書くべきところをXで分割発信し、仕事が終われば終わったで「今日もおつかれさまでした」発信をし、帰ってきてブログを書く段階になるともう疲れて面倒くさいと言っている有様。やはりそうなるのか。……
 ただ、一方で私の書き込みなんて、ほとんど「いいね」がつかないようなものばかりです。反響があれば嬉しいから、反響がありそうなものを書かなくちゃと腐心する……それで去年は自分でもコントロールできないところまで行ってしまったのですが、今日思ったのは、
 「反響がないということは、反響があった時と同じくらいの内容を書かなくちゃいけないというプレッシャーもないということだ」
 ということでした。
 それでもXやInstagramはテレビの世界でいえば地上波みたいなものです。常に誰でも見られるし見る人も多いでしょうから、やっぱり一定のカリテは保たなければなりません。「こう見られたい」という自分なりのスタイルを守ることは必要でしょう。
 それに対してこのブログはCSの……Youtubeよりも見る人が少ない……超マニアック特殊チャンネルの番組みたいなものですから、もう少し自分なりにゆる~く話せるような気がするのです。mixiがそれに近い場所でしたが、そちらはもう二度とやりたくないってレベルまで嫌になったので、この場所がホームなんです。
 文学のこと、アートのこと。自分の気持ちのことを文字制限なく思いっきり表現できる場所。そういう場所としてここは守り続けます。
 ……な~んて、思うままに書き散らしてみました。書きたいことはいっぱいあるんですが、そういうのをまとめて書くのは大変ですからね。時間があって気持ちにゆとりがある時に書く。私は別に職業作家じゃないんだし、それでいいじゃないですか。
 さて明日は休みだし、もうちょっと飲んでから眠ろうかな。今日もおつかれさまでした。

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仙台青葉まつりに行ってきました。
楽しかったです。
以上。

……すみません、今日はちょっと祭りが楽しすぎて、燃え尽きちゃって……色々とたくさん書きたいことはあるのですが、もう夜も遅いので、明日以降ゆるゆると書いていきたいと思います。会場ではノンアルでずっと頑張ったので、これから少しだけ飲みます。今日はお祭りの余韻に浸らせていただきます……ご了承ください……。

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 東雅夫編『夢野久作怪異小品集「夢Q夢魔物語」』を読みました。
 『文豪ストレイドッグス』だとか『文豪とアルケミスト』だとか、そういうものが流行っている現代にあって夢野久作を『夢久』と略すだけに飽き足らず『夢Q』などと表現するとか。そのためこの本のタイトルも『夢Q夢魔物語』などというものになっているのでしょうか。……ま、そういうことに対して私がとやかく言うこともありますまい。夢Qと呼びたいなら呼べばよろしい。ストレイドッグスでもアルケミストでも、それを切っ掛けに『ドグラ・マグラ』までたどり着けばよろしい。さらにこういった短編集などを読んでそれぞれに夢野久作像を作り上げ、その中で楽しめば……そもそも文学も芸術も自分が楽しむためのものなのですから……そうすればよいのです。私だってアニメやゲームじゃなくて人間椅子(ロックバンド)の影響で手に取ったのですから。

 さて、この小品集ですが、今まで読んだ夢野久作とはまた違った味付けのアンソロジーでした。「各作家の適切な入門書」と自ら標榜するように大変バランスの取れた(『瓶詰地獄』『氷の涯』『人間腸詰』が同居している!)ちくま日本文学版や『ドグラ・マグラ』のイメージを引き継ぎいかにもセンシティブな作品ばかりを取りそろえた角川文庫版と違い……割と穏やかな、幻想文学的な作品が多く取り揃えられていました。
 そう、幻想文学なんです。稲垣足穂とか、ああいう感じ。ただしそこは夢野久作なので、ちゃんと狂気のエッセンスが込められています。文章を読み進めていくうちにそれは少しずつ効いてきて……夢うつつのように、まどろみのように、現実と幻想の区別がつかなくなっていくのです。
 「自分の死体を見ている自分」
 そういうシーンが何度も繰り返されたような気がします。短い作品がたくさん詰め込まれているので、どの話がどうだったのか。……今回は3時間くらいかけていっぺんに読んでしまったので、そういう意味でも作品のタイトルとか展開とかがあいまいで良い感じです。
 その中でも特に良かったのが巻末に収録された『崑崙茶』という作品。この小品集の中では少し長めの内容なんですが(1万字くらい)、どこからどこまでが妄想で現実なのか……ひょっとしたら最初から最後まで全部、不眠症患者のうわ言に過ぎないのか……そういう作品でした。編者もこの作品がどうやらお気に入りのようです。
 これは全く個人的な感想なんですが、これを読んで連想したのは人間椅子の3rdアルバム『黄金の夜明け』の最終トラックに収録された『狂気山脈』でした。もちろん狂気山脈といえばラヴクラフトですが、「崑崙」という……歌詞と小説に共通するキーワードがあるので、私はこの短編こそ人間椅子の歌う狂気山脈の世界だと勝手に結びつけました。アニメとか何とかと結びつけるよりはずっとマシでしょ。
 そんなわけで、これはこれで良い本でした。誰が編纂したものだとしても、夢野久作が書いた作品である以上、その品質に間違いはないのですからね。これでまた一段、夢野久作を深く知ることができました。良い一日でした。

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 15日は午後から有休をとり、職場の近しい人たちとの交流会がありました。交流会って言っても、前半はカラオケ店でNintendo Switchをつないでゲームで盛り上がり、後半は居酒屋で痛飲……やっていることはラヴィットなんですけどね。でもすごく楽しかったのです。特に私のことを「同期」と言ってくれるのがね……いつも中途採用とか何とかで一人だけポンと就職(または転職)する機会が多かっただけに……ちょうど今の職場は4月入社だったので……そういうメンバーが多く今もいることは、すごく良いことだと思っています。
 もちろん弊社は終身雇用みたいなところではありません。働いている人たちも20代が中心で、毎月新入社員が来る一方、退職する人もいます。入れ替わりが色々と激しい職場ではあります。私なんかは年齢的にもキャリア的にも他に行く場所がないので一ミリも転職のことなんて考えていなかったのですが、今の同期メンバーもそれぞれ次のキャリアのことを考えているようです。
 それで良いと思います。私だって自分のやりたいと思った道を選んで、ここに来たのですから。
 ……
 あんまり深く書くことはありませんが、ただ、とっても楽しかった。そういうことです。

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 澁澤龍彥『フローラ逍遥』を読みました。これは仙台市民図書館で借りてきたものです。
 澁澤さんの本についてはこのブログでも何度も取り上げていますが、これは昭和59年から61年にかけて連載されたものです。生前に出版されたエッセイ集としては最後のものになるのかな。『高丘親王航海記』は小説だし、前にこのブログで取り上げた『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』は死後ようやく出版された寄せ集めのエッセイ集だし(ただし、そうして一冊にまとめてくださったおかげで読めることは非常にありがたいことです)。
 内容としてはオールカラーの挿絵で彩られた草花の便覧みたいな感じです。ひとつひとつの文章もそれほど長くないし、文体も最後の方の澁澤さんらしく穏やかで「私が少年の頃は……」とか「旅行に行った時は……」と、気ままに思い出を振り返りながら書いているので、こちらとしてもゆったりした気持ちで読めます。そして読み終えるとも~っとゆったりした気持ちになれるのです。
 私も自分で植物を育ててみたり、こないだ「勿忘草をさがして」という植物にまつわるミステリを読んだりと、少なからず草花に興味を持つようになったからかな。それを通り一遍の解釈ではなく澁澤流の瀟洒な語り口でサラッと語られるので、とても心地よいのです。
 澁澤龍彥といえば60~70年代の暗黒的なテーマを取り扱った文章がイメージなのかもしれませんが、私が十代の頃に好んで読んだのは『玩物草紙』という非常に穏やかなエッセー集だったのでね。これはもう、何度も読み返しました。正直『胡桃の中の世界』なんかは少々難解でいまだに読了できていないのですが、この『フローラ逍遥』は1時間弱で読んでしまいました。一応この他にも2冊ほど借りてきたので、さっさと読了してしまっても問題ないのですが。……
 うん、こんな感じでいいかな。
 別に私はレビューを書こうと思っているわけではありませんし、紹介したいと思っているわけでもありません。私はただ自分が読んだ本の感想を書きたいだけなのだから、これでいいでしょう。良い本を読みました。

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 先日『樅ノ木は残った』を読了しましたが、そのなかに登場する「伊東七十郎」というひとは小説や大河ドラマになる以前から「正義を貫こうとして最期まで立派に生き抜いた人」……すなわち『烈士』として尊敬されていたようです。仙台市内にもお墓や碑文がありますし、柴田町の船岡城址には大河ドラマに感動した東京の人が建てた句碑がありますし、石巻市には伊東七十郎を祀った神社もあるそうです(ここはまだ行ったことがない)。
 この縛り地蔵は伊東七十郎が処断された米ケ袋刑場にあります。これでもかと言わんばかりに荒縄で縛られたお地蔵様は、知らない人が見れば「エッ!?」と思うことでしょう。私もそうでした。これはお参りに来た人が願いを込めて縄で縛る風習によるものだそうです。それだけ人々の思いを一心に体現しているというふうに解釈しました。
 『樅ノ木は残った』では処断された後、遺骸は野ざらしにされていた……と書いていました。四代藩主綱村公によって一家の再興は認められたものの、その遺骸は20世紀になってから見つかったということですから、山本周五郎もそのあたりの話を踏まえて小説を書いたのでしょうね。とか何とかって歴史ロマンを抱きながら川沿いの公園を散歩していると……



 ……
 うま……ウマ……
 馬……!?

 そう、馬がいたのです。特に何かにつながれるわけでもなく、馬が自由気ままに河原の草を食んでいるところに遭遇したのです。
 「ついにアーバンベアならぬアーバンホースが現れたか!」
 と狼狽してしまいました。
 勿論、野生の馬ではありません。ちょっと遠慮しながら何枚か写真を撮っていると、飼い主の方がいらっしゃったので、お話を伺うことができました。どうやらこの近くに住んでいらっしゃる方で、この辺りは「庭のようなもの」なので、よく散歩がてら草を食ませているということでした。ポニーの「ポーちゃん」というお名前だそうです。
 何枚か写真を撮ったのですが、何となく目を細めて気持ちよさそうにしている(様に見えないこともない)これをチョイスしました。束の間、可愛らしいポーちゃんの姿に癒され、また実際に飼い主の方とお話をする縁に恵まれました。
 さらにその飼い主の方から、
 「今月の『りらく』に、ポーちゃんのイラストが載ってますよ~」
 と教えていただいたので、帰りに五橋の「塩川書店」に寄って雑誌を買い求めました。
 この塩川書店は東日本大震災の直後、とあるお客さんが県外で買った週刊少年ジャンプを譲り受け、「ジャンプ読めます」という張り紙を出した……という逸話があります。震災の3日後に店は再開したものの流通がとまり最新のコミック誌などが届かない状況にあって、地域の子どもたちは待ち望んだ雑誌を回し読みした……と2012年4月23日の朝日新聞では報じています。後に手塚治虫文化賞の『特別賞』も受賞しており、その時の賞状が店内に飾られています。
 丸善でもアマゾンでもコンビニでも買える本ですが、それをこの書店で買う。それは私もまた、この書店に対する気持ちがあるからです。どの本を買うかじゃなくて、「どこで本を買うか」そういうことにこだわってみたいのです。これは最近のことじゃなくて、ずっと昔からそうです。
 これはひとつのストーリィであると私は考えます。
 「縛り地蔵を見てみたい」
 そう思ったのは私の気紛れですが、実際に見に行った先でポーちゃんに出会う。その飼い主に出会う。そうしたところ、たまたま最新の「りらく」にイラストが載っている話を聞き、ちょうど歩いて帰る途中に本屋さんがあったから買い求める。すべて自然な流れです。その流れに身を任せて物語を読み進めるがごとく繋いでいく。全く面白い一日でした。
 これほどまでに物語的な時間を過ごせたことが嬉しかったので、しっかり日記に書き残しておきます。今日(13日)は雨降りでどこかに出かけるという感じでもないので、とりあえすしっかり記事を書いた後で、細かくX(旧Twitter)でも発信していきます。

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●アスク

いま 何を見ていますか
いま 行きたい場所はどこですか
いま 何が欲しいですか

聞かれた質問に、わたしは何と返すのだろう

「それぞれ自分のやり方で何かを知ろうとする
知らないことがあればそれも私たちを似たものどうしにする。」


●モノローグ

誰かのところに行くことで、
私もあなたも知らないことを知ることができる?

絵を描くことで遠くにいけることがある
遠くのことが絵になることがある

絵は、とてもゆっくりで
絵は、とてもはやい。

「あなたたちに何を言おうとも、モノローグにしかならない」


(鉤括弧内=ヴィスワヴァ・シンボルスカ『瞬間』沼野充義訳より)
 半ドンを取ったものの明確に「これをやらなくちゃ」というタスクがないので、とりあえず地下鉄の勾当台公園駅を起点として仙台市民図書館(メディアテーク)に行き、西公園をぼんやり歩きながら大手町のギャラリー『ターンアラウンド』で個展を見る……という、いつものコースを取ることにしました。
 今タナランでやっているのは小山維子さんの展示。まったく予備知識もなく……ああ、事前にフライヤーをもらって、いま引用した言葉くらいは知識として入れておきましたが、具体的にどのような作品を描いている方かというのはほとんど知らないままギャラリーに飛び込みました。
 


 私は美術に関しては全くの素人です。観覧者としても技術的なこととか歴史的なこととか、いわゆる評論めいたことや解説めいたことを語ることはできません。ただ、最近は私がそうまでして評論家気取りの素人を目指す必要も無いだろうと思ったのです。『門外漢の気安さ』(by河合隼雄先生)で自分の主観を大切にして、まずは感じたことを率直にまとめる。それが私の役目であると思っているので、以下、自分の感想をまとめたいと思います。
 抽象画というのはなかなか難しいものがあります。ともすれば、「何がいいのかわからない」ということになってしまいます。多くの方はここで脱落……賞味期限切れ……ゲームオーバー……ということになるでしょう。ただ私は感情家ですし、事前に読んだ小山維子さんの言葉には心打たれたし、せっかく会場まで来たのだから、
 「何かを感じ取りたい」
 そう思って一通り絵を眺めた後、もう一度最初から眺めてみたのです。フライヤーに書かれた言葉を何度も読み返しながら。
 そうすると、「何かを感じ取る」ことができたんです。
 多分これは私の特殊な気質によるものだと思います。相手の気持ちを感じとる……ありていな言い方でいえば「空気を読む」ことが苦手で、いつも自分のなかでかってに想像を膨らませてしまう内向的感情型の私だから、きっと小山維子さんの意図したものとは違った感じ方をしているのだと思います。何だったら、「抽象画って何が何なのか極端にあいまいなんだから、どんな風にも解釈されても仕方がないでしょ」と言い返してしまうかもしれません。言い返しませんが。それは暴論極論の類であり、そんな風に思うことはあるにせよ、それを誰かに伝えることはするべきではありませんが。
 ただ、とにかく私は何かを感じたのです。
 キャンバスに引かれた横一線の筋とか、重ね塗りされた色のグラデーションとかに、言いようのない感情を動かすものを受け止めたのです。そのわずかな心の動きをつかんで、更に想像を膨らませる。それはちょっとした努力と経験が必要なことですが、私はアートをたくさん見て、「こういうのが楽しいんだろうな」と思うところまでたどり着きました。
 そういうわけで、素敵な個展でした。何がどう良かったかって、それは上手に言えませんが。作品が抽象画なので私の感情感想も抽象的にならざるを得ません。
 ただよ、ただだ!(真壁刀義さんふうに)
 私はアートを見るのが大好きです。1度でわからなければ2度も3度も繰り返し観ます。何かを感じ取り持ち帰れりたいので何度も何度も観ます。それでも何も感じられなければ、それはそれで仕方がありません。「私にはちょっとわからない」それも一つの感情感想であり、お持ち帰りできるものです。
 わからないなら、わからないという感情をも大切にする。そういうのが、私自身の感情をはぐくむために必要なことなんじゃないかな。そう思いました。
 良い個展でした。

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今日は午後から半休をとりました。
 本来は大町で開催されるフリーマーケットに行くために申請した半休だったのですが、開催日を1週間勘違いしていて……来週は「青葉まつり」もあるのですが、それも含めて仕事で……もはや慈悲なし。
 それでも明日は大荒れの予報だし、少し街歩きでもしてみようかと思って勾当台公園からず~っと歩き続け……気が付けば今日仙台市内で開催された「国際ハーフマラソン」と同じくらいの距離(20キロちょっと)を歩きまくったのでした。
 そして、素敵な出会いがありました。
 詳しく書きたいのですが、歩きすぎて疲れてしまったので……明日詳しく書ければ書きます。今日はとにかく休みます。

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こないだまで朝ブログを書いて夜はmixiの日記を書いていましたが、mixiを引退してあさイチはXをやるようになったので、このブログは夜書きます。朝食と夕食みたいなものですね。朝食はパッパッと手早く。夕食はちょっと手の込んだ……ただあんまり重たすぎると胃もたれして夜眠れなくなるので適度に満足感を得られるよう、ゆっくりした気持ちになれるような……。
 まあXさえも休止していた頃は全精力を注いでいたので毎日3000文字前後の文章を書いていたのですが、今日は……ね。早番で仕事しまくって気持ちが疲れちゃったので。ゆる~くやって行きたいと思います。どうせ誰も見ていないし。お酒とか飲みながらのんびり書きます。
 というのを書きながら見ているのは「内村さまぁ~ず」。アマゾンプライムで放送している人気番組です。ただし私が見ているのはそれをtbc(東北放送)が深夜に放送しているものです。だから2020年とか2021年とか、そういう時代のものです。たとえば今見ているのは2021年の年末に放送された『活躍する場はテレビだけじゃない!今こそ内さまとラジオで楽しみたい男女達!!』というものなので、聞きながら書くにはちょうどいいです。
 毎日毎日、そんなに頑張って150キロの快速球を投げなくたっていいんですよ。ちゃんとつなげていくことが大事なんです。投手でいえばちょっとボール球を混ぜる。打者の立場から言えば、ファールでつないでいく。そして「ここぞ!」というタイミングでバシッとストライクをとる!(投手) フルスイングで一発長打!(打者)
 ……そんなわけで今日はファウルボール。でもアウトではありません。ヒットを打つまでこうして、コツコツ繋いでいくんです。終わりで~す!(久々の三四郎小宮さんオチ)

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 今日の仙台は良い天気だったのですが、放射冷却とか何とかで朝と昼の寒暖差がスゴイことになっていて……そのために私の体調も著しくダメージを受けてしまいました……そのためちょっと、その、たいしたことが書けないんですよね。ネット環境も不安定だし。
 これ、どうやらテレビの受信設備が古いからってわけじゃないみたいです。J-COMさんが来て、私の部屋もケーブルテレビ方式になり(元々アパート全体にそういう設備がいきわたっていたが、私の部屋だけ入線工事が行われていなかった)、受信障害に悩まされることは無くなったのですが……相変わらずクラウドWi-Fiがつながらなくなる事象はあります。
 ただ、そうかといって固定回線を入れるよりはコストが良い気がするので。繋がらない日は「そういうものだ」と受け入れるか、あるいは今日みたいに、電波を拾うまで少し徘徊するか……そんな感じで過ごそうかなと思っています。とりあえず、つながるうちに投稿しておきます。

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 天童市美術館にてミュシャ展を観てきました。
 私も古今東西のあらゆる人たちと同じく、ポスター絵でミュシャが大好きになりました。今回14年ぶりに「ジスモンダ」それに「黄道十二宮」の絵を見て感動で込み上げるものがありました。全作品撮影OKということでしっかり写真を撮ってきました。中にはジスモンダの写真と一緒に自撮りしたものもあります。これはひとりで撮影しなければいけない制約のもとで撮ったので、あまり上等なものではないし、きわめてプライベートな写真なので別に公開するつもりはありませんが。
 そのうえで、今回感じたことというのは、やっぱりちょっと違うんですよね。14年前とは。
 というのは、今回の所蔵品は上記の通りチマル博士のコレクションによるものであり、14歳の頃に初恋の人を想って描いたイラストや20代の頃に生計を立てるため各雑誌に載せた挿絵、さらに素描やお菓子の箱など……「アール・ヌーヴォー時代のポスターだけじゃないんだよ」ということを教えてくれる内容でした。
 それを私は5周して感じました。ノートに感じたことを一生懸命書きました。見ている時間よりも文字を書いている時間の方が長かったかもしれません。最後に美術展の概要を紹介する5分ほどのビデオを見て、
 「どうやら、私が感じて考えたことは間違いがなさそうだ」
 ということを確認しました。なので今回はあくまで私の感想ではありますが、X(旧Twitter)では長すぎて長すぎてまとめられないような長文を、この場を借りてドカンとかましてやろうと思います。

 1.「ミュシャ様式」について

 極めて単純な考え方で行くと、「アールヌーヴォー=ミュシャのポスター」だったんですよね。これではあまりにも乱暴すぎます。私だってそう思っていましたが、ただ具体的にどう深堀りして行けばいいのかわからない……そう考えながら絵を眺め、感じたことを大切にしつつ解説文もしっかり読みました。
 そうすると、この「ミュシャ様式」という言葉が出てきたんですね。すなわち、植物と女性を組み合わせた構図。どちらが勝ちすぎているわけでもない。清楚さと瑞々しさが適度に溶け合った世界。そこでは草花に癒されつつさりげない女性の美しさに心がときめきます。決して扇情的なものではないのに、いつまでも眺めていたくなるポスター絵。これを会場で書き留めた私のノートでは「美しいという言葉以外のあらゆるものが無意味になり風の前のチリの如く消え去ってしまう」と表現していました。アールヌーヴォーっていうか平家物語ですね、どうもね。

 2.「アールヌーヴォー=消費の時代の始まり」

 今回の美術展で覚えた言葉として、「ベル・エポック」というのがあります。日本語にすれば「良き時代」ですね。アールヌーヴォーというのはあくまで芸術様式のひとつをさす言葉であって時代そのものをまとめて取り込むには「ベル・エポック」と言った方が適当なようです。
 そんな時代に、「ジスモンダ」のポスターで一気に時の人となったミュシャ。その後も時代を代表する舞台女優サラ・ベルナールの主演舞台のポスターを何枚も描き、ポスターだけでなくお菓子の箱や大皿や時計など、実用品にも流用されます。私が大好きな「黄道十二宮」のデザインもちょっと改変されてお菓子の箱になりました。
 


 そもそも何で私がミュシャ好きになったのかといえば、2003年に伊藤園から販売された缶コーヒー「サロンドカフェ」のラベルになっていたからだし、これは当然の流れなのでしょうね。会場の外にあるミュージアムショップではこの時代のイラストがあしらわれたお菓子やグッズが所狭しと並べられ、女性たちがこぞって買いあさっていました。確かに私も黄道十二宮のイラストがあしらわれた金属缶のクッキーには心がときめきました。ただ2500円はちょっと高いです……私の予算は、図録とそれを入れるためのオリジナルデザイントートバッグで精一杯なんです……。
 これらの商品ポスターに関して一言で説明すると「商品を手に取ってもらうためのデザイン」ということなんですね。ベルエポック、アールヌーヴォーの時代とは消費の時代の始まりであり、あらゆるものを手に取って買って生活の中に取り入れる……物があふれて生活が豊かになる時代だったのです。だから商品そのものではなく「商品を手に取ってこれを楽しむ女性」を描いたミュシャのイラストは大いにもてはやされ、人気絶頂の大作家となったのでしょう。
 この辺、何となくアンディ・ウォーホルのそれとも近いのかな、という気がしました。いやミュシャは消費されるためのデザインをした人でウォーホルはそれをひねって自分の美術作品にしてしまった人なので全然違うんでしょうが、私は「消費」という言葉にこだわる人間なので、そういう言葉で結びつけてしまいました。
 そして、そう考えると少し自分の心の動きを冷静に俯瞰することができました。サラ・ベルナールのポスターがとっても綺麗で大好きなことは真実ですが、それだけじゃないよね、って。ミュシャはそれだけじゃない。その前(挿絵画家時代)のミュシャがあり、その後(祖国チェコに戻り「スラブ叙事詩」を仕上げた時代)のミュシャがある。その全体を通してみて、自分のなかのミュシャ像を完成させよう。そう考えたのでした。

 3.マルチアーティスト・ミュシャー紙幣・切手・メダルー

 1918年。それまで他国の支配を受けていたチェコはようやく独立し「チェコスロバキア共和国」なりました。その時に紙幣や切手のデザインを引き受けたミュシャ。この10コルナ紙幣にデザインされた少女は愛娘ヤロスラヴァでした。



 ヤロスラヴァはチェコ帰国後のミュシャの代表作「スラブ叙事詩」のポスターにもモデルとして登場しています。絵だけではなく写真術にも通じていたので、先にポーズを決めて写真を撮り、それをもとに絵におこして大きなポスターにしたということで……パリ時代のそれと比べると陰影がより鮮明になっていて、目力もアップしていますね。精悍な感じ、という言葉を女の子に使っていいのかどうかわかりませんが、それはこの時代のミュシャの特徴というか……とにかく私はそう感じたってことですから、どうしようもありません。
 そんなわけで紙幣や切手、それに所属していたフリーメーソンのメダルなど、デザインに関わる仕事を何でもこなしていたミュシャ。ポスターだけじゃないんだってことを深掘りする非常に良い機会となりました。私は別に美術評論家じゃないから、このくらいでいいんじゃないですかね。言葉による解説がたっぷり書かれた図録も買って来たし。後にそれを読んで、あとは少しずつ理解を深めていきたいと思います。以上、ミュシャ展の感想でした。Salut !

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 今日この日記を書いているのは8日のド早朝であって、これからお出かけしようかっていう状況なので特別なことは書けませんが、予定としては山形県天童市にミュシャ展を観に行きます。
 前回見に行ったのは14年前なんですが、なんとその日も5月7日! 1日違いですが、ほぼ純粋に14年ぶりと言っていいでしょう。当時はギリギリ20代でした。
 「本物の絵を見る機会なんて、もしかしたらこのあと一生ないかもしれない」
 当時の日記によれば、そんなことを書きながら見に行ったみたいです。それから14年経って私のライフスタイルも大きく変わって……それほど美術に心を開いていなかった当時でさえアールヌーヴォーの美しさに魅了されていたのですから、今日は特別に楽しみです。
 さらに、当時の記事としてこんなことも書いていました。
 「とにかく見て感動するためのものでしょう、絵って? 私は美術評論家じゃないから、とにかく私は好きなんです」
 もう20代の頃からそんなことを言っていたんですね私。やっぱり今とあんまり変わりないですね。

 昨日はちょっと具合が悪くて、そのくせ今朝はメチャクチャ早起きしちゃって……楽しみすぎて眠れなかったんですが……どうしようかな。行きの電車で少し眠ってから行こうかな。ともかく、体調見合いで書けるかどうかは判断します。最悪、何日か休むことがあるかもしれませんが、そういうものだと思っていただければ幸いです。Salut!

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ちょっと体調不良で、画面を見ているとめまいや吐き気を催してしまうので、ちょっと静養します……すみません……本当に悔しいのですが、元気じゃないと良い文章も書けないと思うので……

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 塩竃市に行ってきました。……といっても仙台駅から電車で15分の距離なんですけどね。
 これは仙台に来てから知ったことなんですが、たとえば『塩竃市』とか『多賀城市』とか『松島町』という街に行くためには「東北本線」と「仙石線」の2通りのパターンがあるんですね。なので例えば「海が見たくて」電車でGOするのなら、東北本線ではなく仙石線に乗らなければなりません。塩竃だったら「本塩釜駅」松島だったら「松島海岸」という駅があります。ここから歩いていけばすぐに海も見えるし、松島だったら海+瑞巌寺五大堂などザ・松島! 的な場所にたどり着きます。
 それを承知の上で今回はあえて東北本線塩釜駅に降り立った私。間違ったわけではありません。塩竈駅から徒歩1分のところにある「長井勝一漫画美術館」に真っ先に立ち寄り、それから塩竃神社・御釜神社・杉浦惇美術館など塩釜市内の歴史的伝統的な建物を見て回り、最後にマリンゲート塩釜にたどり着く……そういうコース取りをしていたので、あえてそうしたのです。
 とにかくたくさん歩きました。楽しいこともたくさんありました。ただ、それをこの場できちんと文章にまとめるには、ちょっと時間が足りないので……まあ元々速報性とは無縁の場所ですし……とりあえず「そういうことがあった」事実をまとめておきます。これからおいおい、文章にまとめていければそうします。すみませんX(旧Twitter)では先に連投していたのに、結局こうして文章でまとめることができなくて……やっぱり「ブログが先」とはいってもXの速報性と反応のわかりやすさにはかないませんね……。
 それでも! それでもこのブログを毎日更新することはやめません! 今この記事もWi-Fiがつながらなくてテザリングでつないでいますが……それでも毎日書くことはあきらめません! そういう気概があることに免じて、今日ははなはだ荒っぽい内容となりましたが、何とかご了承ください。

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 先日金港堂本店で「これが今生の別れとなろう」と言って買った最後の一冊こと『伊達女』(佐藤巌太郎、PHP文芸文庫)を読了しました。
 PHP文庫というのが少々気に入りませんが、せっかく興味を持ったのにわざわざレーベルで遠ざけることもありますまい(それはそれで業腹だし)。ともあれオビの文言、すなわち

 「濡れ衣を着せられたまま島流しにされるくらいなら
  謀反を起こしなさいませ」

 という言葉に「えっ!?」と衝撃を受けたのは事実ですから、思ったほどじゃなかったな……としても、これが金港堂最後の一冊となるのだから……ということで買ってきました。
 読みました。
 これがまた、面白かったんです。
 連作短編集という形式がいいですね。短編というのは内容がギュッと凝縮されていますから、集中力が高いまま物語が終わるけど、最初から読んでいくと二十歳そこそこの政宗公が最後の方は五十代になり、最初は血気盛んで太閤や内府殿と対等に渡り合おうとしていたのに、最後の方は娘や家臣の嫁や伊達藩の安泰を第一に考えるようになっていて……それぞれ異なる女性の目線から、そういう政宗公の変化を楽しめたので良かったです。
 
 個々の作品のことについて語ると、最初の「義姫」の話で、まずやられてしまいました。
 義姫(のちの保春院)といえば、政宗様が主人公の物語だと「希代の大悪女」今風に言えば「毒親」として描写されています。我が子を毒殺しようとして失敗し、反対に自分が寵愛する小次郎を処断され、失意のうちにフェードアウト……そんな感じの扱いが定番でした。特に私なんかは『花の慶次』のイメージが強くて……
 
 ただ、これは佐藤巌太郎氏の義姫であって隆慶一郎氏(+原哲夫氏)のそれではないので、また違った人物として描かれています。その点について、見返しにもある文章を丸ごと引用させていただきます。

 和睦の嘆願――。
 女は生来、戦を忌み嫌う気質を備えている。だからこそ、できることもあるのではないか。たしかに男と違って戦う力は劣る。が、他家との関係は何も戦ばかりではない。互いに助け合い、結束するのもまた、家同士のあり方のひとつだ。互いの関係の修復なら、女にもできないはずはない。この義姫の考えは間違っていなかった。
 そういう人なので伊達対最上の間に輿で割って入って和睦を結ばせたりします。そして我が子政宗のことも、「血気にはやりすぎて伊達家の存亡が危ぶまれる」ことから心配することはあっても疎んだり憎んだりするような雰囲気はありません。じゃあ例の事件はどうなるんだといえば、それは……さすがにそこまでは申し上げません。それは実際に本編をお読みください。そのうえで感想を一言だけ申し上げると、こないだ読了した『樅ノ木は残った』と同じような気持ちになりました。最初の一篇から、いきなり胸いっぱいになっちゃったのです。それまで悪いイメージがあった人ほど、そうじゃない一面が見えると感動が込み上げてくる……そういうものですよね。


 その後は正室愛姫、保姆喜多(片倉景綱姉)、愛娘五郎八、そして片倉重長の側室で真田信繫の娘・阿梅と続きます。他の本で読んである程度のイメージがあったので、それほど意外なことではありませんでしたが、ただ、いずれにしても凛とした雰囲気をたたえ、独断専行で人を驚かせるのが得意な政宗公もギョッとするようなことを言う女性たちでした。最後の方でそういった女性たちを政宗公は「心の中にある鬼を封じる光」という風に重長に説明していました。政宗公も娘婿の松平忠輝も片倉「鬼の小十郎」重長も武勇にかけては一級品ですが、人の営みとは戦いの中で華々しく死ねばいいものではありません。そういうことを諭し、導いた女性たちの物語。とても良い出会いでした。

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 今朝(5月4日8時現在)も通信不良によりネットにつながらない状況が続いています。キャリアの通信上限は1GBなので、あっという間に制限がかかってしまう……まだそういう状況ではありませんが、極力節約したい……そういうことで、今はテキストエディタでこの記事を書いています。
 それでも、記事をちゃんと書くことはできるんだから、とりあえず今の気持ちをまとめておこうと思って書いています。そういうアクシデント的な状況にあるので、あんまりカチッとした文章が書けず申し訳ないのですが、とりあえず今書けることを書いておきます。
 通信環境やSNSなどの交流がない時代を長く生きてきた私ですが、だからといって急にそういう世界に戻って同じように生きられるようなメンタルの切り替えの早さはありません。半年以上ネットにつながらなくて、そのためひたすら本を読んで過ごしたことがありましたが……そして、ついこないだまで4か月ほどXも休止していましたが……今は違います。
 今のハンドルネームは佐藤非常口@仙台(2期)といいます。この「2期」っていうのが新たに付け加えられた言葉です。アイドルの2期生とかっていうよりも、テレビアニメやドラマの「シーズン2」みたいなイメージですね。休止期間を経て「歴史からアイドルまで」という自己紹介文を「文芸、アート、仙台宮城のこと」という風に……このブログを書き続ける中で見つけた「本当に自分が大好きなもの」を発信するためのアカウントとして再始動。昨日書いたウクライナの子どもたちの絵画展についても、SARPの公式アカウントでRPしてもらったり、門眞妙さんからもいいねを頂いたり……どうやら自分の感性をわかってくれる人はちゃんといるらしい、ということを確認することができました。
 残念ながらその速報性とつながりやすさは、SNSにかなうものはありません。なくてもいいものではなくて、なくてはならない物なのです。
 通信制限と言っても、全くつながらなくなるわけじゃないし。まだ5月も始まったばかりだけど、それで制限がかかるなら仕方ないじゃないか。つながらないストレスよりも、通信速度が遅いストレスの方がまだマシな気がするので、今日もこの文章をテザリングで送信します。

 ……そういえば、こうして下書きをしておいて、ネットにつないで送信するっていうの、従量制課金時代にやっていたなあって思い出しました。56kbのアナログモデムで接続していた時代。自宅の電話を使って接続していたので、調べ物をするのなら何を調べるのか事前に用意しておいて、最速最短で検索し……画面の中に情報が表示されたらすぐに切断してじっくり読む……。
 その後、うちの兄のおかげで常時接続環境を手に入れましたが、その通信速度は32kbでした。それからISDN(64kb/128kb)になり、ADSLになり、光ファイバーになり現在はクラウドWi-Fiに……。世の中の通信環境の進化に合わせてコンテンツの大きさも莫大なものになっているので、通信速度だけ20年前の基準になったのではストレスフルこの上なしなんですが、「つながること自体が大事」そう考えて……だったらむしろ、通信制限がかかっている状態に慣れてしまうために、さっさとそういう状況にしてしまうのもアリかもしれませんね。

 「不自由を常と思えば不足なし」(東照宮遺訓)

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