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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
こんばんは

 今日はお酒なし

 高杉です(経済的というよりも健康上の理由から)。


 このところ毎日毎日何かとお酒を飲んでいたので、「たまには休まないとまずいかな」と思って休みます。いわゆる休肝日というやつです。飲んで飲んで飲まれて飲んでを地で行く私ではありましたが、数え年42歳厄年ですから、少し健康に気を遣ってもいいと思うのです。

 そんな今日は、昨日東松島市の震災伝承施設で見たことを書きます。


 もともとここは「野蒜駅」(のびるえき)だったのですが、あの震災で甚大な被害を受け、今は「東松島市震災復興伝承館」として震災の被害、そして復興の足取りを私のような市外から来た人々に伝えています。建物の裏手には当時の野蒜駅のホームがそのまま残されています。

 ここでリピート上映されているビデオを見て、心底震える思いをしました。

 これまで自分なりに色々と被災地を回ってきました。「震災直後の写真」を何度も見て、そのうえで復興した今の街を見て……ということを何度も見てきました。
 
 実際に津波が押し寄せてくる映像も、何度も見てきたはずでした。それでもここで見たビデオがひどく恐ろしかったのは、これまでで一番「津波の威力」を見せつけられたかもしれません。

 車が押し流されるだけでなく、家も建物の形を保ったまま流され、やがて押しつぶされ、呑み込まれていく光景……私はあくまで椅子に座ってビデオを見ているだけだったのですが、本当に怖いと思いました。果たしてその時現場にいて避難していた人たちの心境たるや。

 ……

 これ以上うまく語れないので、話題を変えます。


 ちょうど私が行った時は、仙台市在住の漫画家・井上きみどり先生の「伝承作品展」が開催されていました。そこで知ったのが「おさとうやま」物語でした。

 これは地元のタクシー会社を経営していた佐藤善文さんという方が、チリ地震津波の被害にショックを受けて「いざという時のための避難所を作らなきゃならん!」と立ち上がり、独力で山を切り開いて避難所を作ったという話です。当初は「わけのわからないことをやって……」と周りの人たちに笑われたそうですが、あの震災の時にはここに70人以上の人々が逃げ、生き延びたといいます。

 これって、ほとんど「ノアの箱舟」そのものですよね。

 そしてもともと、佐藤さんが色々やっている山だから「佐藤山」と呼ばれていたのが、敬意を込めて「おさとうやま」になった……そういう話です。

 『ポツンと一軒家』どころじゃないですよ。たった一人で道を切り開いて、結果的には大勢の人の命を救う避難所を作っちゃったんですから。私には真似できません。というか、真似できる人が果たしているかどうか……。

 でも、こうして知る機会があったのでね。それを、誰が読んでるともしれないブログではありますが、情報を発信することはできます。願わくば、東松島市の「おさとうやま」伝説が1000年先まで語り継がれますように。

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